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日々これ好日 https://shirane3193.hatenablog.com/

57歳で早期退職。再就職研修中に脳腫瘍・悪性リンパ腫に罹患。治療終了して自分を取り囲む総てのものの見方が変わっていた。普通の日々の中に喜びがある。スローでストレスのない生活をしていこう、と考えている。そんな日々で思う事を書いています。

杜幸
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2023/03/09

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  • かすがい

    ある金具を探していた。庭に枕木を敷いた。各々の枕木が動かないように固定したい。直ぐに頭に浮かんだ金具があるがあれは何と言う名前だろう。ともかくもまずはホームセンターに行けばよいのだった。 自分の欲しい金具を店員さんに伝えた。「並んだ木材を一緒に留めるもの。えーと、釘の前後がともに尖っていてそれがカタカタの「コの字」を縦にしたようなもの・・。ホチキスの玉のお化け。」我ながら稚拙な表現力に呆れるのだが彼は直ぐに分かってくれた。「はい、「かすがい」ですね」と。ユニクロメッキ鋼の金具は思った通りだった。サイズも色々だ。これで木材同士をつなぎ合わせると頑強だ。五本組で130円もしない。よしこれで十本の枕…

  • 夢中になる前に

    バンドのリハが続いている。初めてその曲を聴くと一体どうなっているのか、何を弾いているのかも聞き取れないし、変拍子について行けない。実際にメンバーでやってみると到底纏まらない。譜面がネットで見つかるような曲でもないので誰もがコードを耳で聞きとる。同じ音源でもなぜかその結果が違う事もある。自分は全くそうで、聞き取ったつもりでも音が違うことが多々ある。三度や五度の音を気づかずに弾いていることもある。成立するけれども違和感だらけ。リハの度になおって、ようやく不快感の原因も見えてその頃にはリズムもあってくる。どうなる事かと気をもんだ曲も形になる。 この数年、リハを録音して後で聞いてみる事を止めていた。レ…

  • わらしべ長者

    順風な会社員生活ではなかった。そもそも「他で頑張ってくれませんか?」と定年を三年後にして会社を追い出されたのだから。部下からの突き上げでメンタルを病み、望んで閑職へ。そしてコロナとなり希望退職を選んだ。すぐに決まったキャリアカウンセラーの再就職先を辞めたのは罹患したガンの半年以上にわたる治療のためだった。そして僕は高原に移住し自らのリフレッシュをした。 会社員生活は道半ばで終えた。今でも都会で街を歩くサラリーマンのスーツ姿を見ると少しだけ喉が渇く。自分も本当はああだったと。今はあの頃のようにネクタイは誰もしていないけれど、スーツには「自分は現役です」という強烈なアイデンティフィケーションがあり…

  • 旅に出ませんか

    うーん、うーんと唸っている。それは緩やかで小さな唸りだった。それで僕は目が覚めた。寝言だった。横を向いて寝ている。寝顔を見た。穏やかな顔で少し嬉しそうにもみえた。そう、それはまるで幼女のような顔だった。しかし鼻の上に横ジワが数本ある。これには気が付かなかった。 ねぇどうしたの。軽く揺さぶった。悪い夢ならすぐに覚めるべきだから。寝ぼけ眼でこういうのだった。ホームページを作るのよ。友達と。そして再び寝息がでた。僕は彼女の夢が知りたい。夢の中ででてくる風景こそ彼女の持つ潜在的な望みだろうから。僕はそれを叶えたい。悪いけれどもう少し揺さぶる。 彼女が最近熱中している庭づくりと畑仕事についての情報発信か…

  • 熨斗袋二枚

    実家の鍵を開けた。住む人を失うと家の劣化が早くなる。独り住まいをしていた母を自分の地元の近くの施設に引き取った以上は時折この家の風を通す必要がある。 母は一昨年に銀行の届出印をなくしてしまい、自分はあらゆる引き出しをチェックしたが見つからない。結局新たに通帳を作ったのだった。その際にタンスの中に沢山の熨斗袋を発見した。万一に備えて紅白と黒白の熨斗袋が一式揃えておいてあった。父とはそんな性格だった。 明日は朝から姉の七回忌。風も通せると一日早く実家に来た。数十枚の熨斗袋を思い出し実家の物を使わせてもらおうと思った。紅白の熨斗袋は良いが黒白の熨斗袋は何故か御霊前ばかりだった。お通夜とお葬式は不意に…

  • すぐにやる課

    今はあるのだろうか、どこかの行政に「すぐにやる課」と言うものがあったと記憶する。住民の言葉を直ぐに反映したいという狙いではなかったか。 もともとはスリートーンサンバーストだった。木目が好きな自分はなんでも剥がしてしまう。ギターメーカーが折角苦労して綺麗な塗装をしてくれていたのにわざわざそれを剥がして木目の生地を出してからそこにクリアを塗る。ナチュラル塗装が好き、という訳だった。サンバースト塗装とは見れば誰もがああこれね、と言うだろう。ギターの縁が黒く塗られており中心部に向けてオレンジから黄色そして木目へと段々と明るくなるグラデーション塗装の事だ。塗るには微妙なスプレーワークが必要だろう。このギ…

  • 勘違いですか?

    庭の雑草抜きもさすがに疲れてきた。植栽をしたエリアに生えていたスギナはかなり抜いたのだがそうではない箇所は伸び放題だ。刈払い機を使い少しはさっぱりした。まだ、やらねばな・・。庭を眺めてひと息をつくのだった。 すると昨年に植えたハギとキキョウが咲いていることに気づいた。零下十度の冬を越えて健気に生きていたのだから嬉しい。 ハギ・オバナ・キキョウ・ナデシコ・オミナエシ・クズ・フジバカマ・・七と言う数字は縁起が良いのか日本には多くの「七」始まりがある。春の七草、秋の七草、七福神・・。いずれも韻を踏んでいるのだろうか、覚えるのは簡単だ。リズミカルに口にするともう忘れない。 そんな秋の七草が初夏に咲いて…

  • 甲斐からの山 守屋山

    ・守屋山 長野県伊那市・諏訪市 1651m 登山口の杖突峠が海抜1244メートル、山頂は1651メートルなのだから標高差にして400メートルだった。昔なら何も気にしない標高差なのだが今はどうだろう。ひと月ほど山のブランクが開いてしまった。まぁ恐る恐ると言ったところだっただろう。四年前に脳腫瘍で外科手術をしてからは体調が大きく変わってしまった。浮遊感、頭の痺れ、すぐに顔を出す疲労感。尖りやすい感情。悪い言葉ばかりだが、その中で何が出来るだろうかと考えている。やれる事をやるだけなのだった。 山に関して言えば恐怖感を覚えるようになった。一人きりの行程、長い距離と高低差。病気になる前までは何も怖れるこ…

  • 迷路

    新宿駅に行った。初めてこの駅に来たのは一体何歳の時か。小学校時代は横浜市民。中学高校時代は広島市民。そんな自分にとり新宿は全く無縁だった。渋谷の大学校に進学した。しかし渋谷から北にある新宿は基本的には無縁だった。中学高校の時に愛読していた作家・北杜夫のエッセイにこんなものがあった。小田急沿線に住む彼は新宿駅東口の紀伊国屋書店に行こうとしていた。しかし新宿駅東口の地下街があまりに複雑で、探す書店に行きあたらない。まるで未来都市に迷い込んだような思いだった、そんな経験を面白おかしく書いていた。新宿駅東口とは恐ろしい所なり。そう自分は思ったのだろう。 新宿には叔母が住んでいる。大学生になり信越線の特…

  • 弊害

    六月も間もなく終わる。昼間は流石に高原でも熱い。三十度を超える日もある。しかし日が沈むころになると風が心地よい。庭仕事をやるには早朝か夕暮れの一時間半程度となってしまった。今日は昼には夕立が来て少しだけ過し良かった。さすがに初夏。庭の雑草たちは意気盛んだ。憎きスギナもあるがそんな中に見たことのない雑草も混じる。ため息をついても仕方がない。手っ取り早く始末しようと刈払い機を出してきた。 2スト用の混合ガソリンを少し入れてスターターを引っ張る。さすがにこの季節はかかりが早い。ブンブンと唸り始める。肩にかけてアクセルレバーを握るならば自分はたちどころに破壊王となり雑草を片っ端から刈っていく。ただし雑…

  • 趣味は違えど

    ショップングモールにトヨタのディーラーが同居している。もともとその土地はトヨタの工場だったのだからトヨタ主導で出来上がったモールなのだろう。このディーラーの面白いところは名車と言われるトヨタの旧車が並んでいることだった。一時はここにトヨタ2000GTが展示されていた。禿げた、白髪のお父さん達が群がっていた、やはり自分の時代ではこの車は特別だった。日産のフェアレディZ432がライバルであったのかは分からないけれどどちらも子供心を大きく刺激した。スーパーカーブームはイギリスやイタリアのスポーツカーが中心だっだがこの二台はそんなブームの少し前の車だったように思う。 さて今日はあの2000GTでは無い…

  • 幸せの団扇

    子どもの頃から犬が好きだった。好きで仕方なかった。当時は近所には柴犬しか居なかったけれども、見かけた犬にはいつも触ろうとしていた。しかし柴犬の多くは飼い主にのみ忠実で後は警戒範囲を超えると唸られてしまうのがオチだった。それでも好きなものは好き。いつか飼いたいと思っていた。 願い叶ってそんな犬を飼い始めたのは集合住宅から一軒家に移ってからだった。犬を飼うために引っ越したとも言えた。やや不細工な、鼻ぺちゃ犬がいつの間にか好きになっていた。人間でもそうだがいわゆる容姿端麗、眉目秀麗の類は長く共に時を過ごすのには不向きに自分は思う。なにしろ整いすぎているから。そんな中でシーズー犬を選んだのは友人の影響…

  • 天麩羅定食下さい

    江戸前と言えば寿司を思い浮かべる。ネタはまずは近海光り物だ。酢で締めたコハダやサバなどたまらなく美味しい。きりりと締めた手拭いを頭に巻いて手をパンとはたいてからお櫃に手を伸ばす。へいお待ちと皿に載せてくれることだろう。しかしもう一つあるのではないか。店の前を通ると漂ってくる。香ばしい。そしてお腹もぐうと鳴る。ガラリと格子戸を開けると香ばしそうな音とゴマ油の香りに溢れてくる。ネタは海老は外せぬが穴子、キス、小柱のかき揚げ、こんなところは欲しい。そう、そこは天麩羅屋だ。 どちらの店も白木造りのカウンターに小上がり。糊の効いた白衣。きりりとした親方の受け答え。江戸前寿司に江戸前天麩羅。違いと言えばカ…

  • 父の日プレゼント

    誰が作ったのだろう、母の日そして父の日。何故か分からないが自分自身はいずれの日もプレゼントを買ったことも無ければ渡したことも無い。感謝が無いわけではなかったが、学生を経て社会人になるまでは親が子の面倒をある程度見るのは務めだと思っていた。そして改めて感謝を口にするのも嫌だった。親子の関係、とくに母親との関係が素直ではないのは今も変わらない。古い価値観の押し付けあたりが嫌だったのだろう。反発心が今もある。対して昭和の会社員であった父親に対しては自分が家庭を持ってから純粋にこう思うようになった。すごいな、頑張って生きていたのだなと。 出来る限り自分の価値観を押し付けないようにしようとは思ったが実際…

  • ぶ厚い封筒

    バイクの音が聞えた。駐車場の砂利を踏む音が聞えた。いつもご苦労様です。そう言って手紙を受け取った。自分宛の封筒で、とても美しい女性の文字だった。住所の欄には郵便局の手で今自分が住む街のシールが貼られていた。送り主は自分の転居を知らないのだった。 三十五年間、自分は会社員として働いた。それだけ長く会社にいれば配属も変わる。幾人もの素敵な上司に恵まれた。それぞれの上司から社会人としての心得から仕事の進め方まで教わった。誰もが海外駐在や現地法人の責任者を務められていた。 その上司は田原さんと言った。彼は自らをスティーブと名乗っていた。名詞の裏面はスティーヴ・タハラと書いてあった。彼はニューヨーク州の…

  • 分岐

    あの時もし、という話はよくある。しかしそれは今更振り返っても仕方のない事だろう。こぼれた水は元に戻らぬから。これまで幾つの選択肢を設けたのだろう。些細な事もあれば大きなこともある。自分が主体的に何かを判断したのは就職先を決めた22歳からだろう。次は結婚だろうか。27歳だった。この人と共に暮らしたいと。さてそれらはどのような価値観で判断してきたのだろうか。結婚はこれ以上遅くなると彼女に悪いだろう、と思ったのか。五年ほど付き合っていたから。その後はどうか。今思うと結婚からあとはしっかりとした根拠も無かったかもしれない。子供が二人出来たのは神様の恵み。そして欧州で住んだのも会社勤めの結果だった。すべ…

  • やる事カレンダー

    移住したこの地で季節と共に日々をすごしていると一年のこの時期にはこれをやる、と言ったことが少しづつ見えてきたように思う。農家には作付けのカレンダーでもあるのだろう。やることが多そうだ。それほどでもないが我が家も少しはやることがある。少し整理してみた。それはこの一年の振り返りでもあった。一体何をやってきたのか。何をこれからやるのだろうか。 春。小さな畑に鍬を入れる。春に埋める野菜の種なりポッドなりを買ってきて植える。マルチと呼ばれるシートは畝の上にかぶせる黒であり白いビニールカバーだが野菜の良好な成長の為には必要と知った。キュウリやトマトは蔓で成長するので這わせるネットなり支柱なりが必要となる。…

  • オイルランタン

    これまでいったい幾つの山小屋のお世話になったのだろう。泊りの縦走はテントだ、というこだわりがあったせいか自分は山小屋に泊まったことは数えるほどだった。山頂や名もなき鞍部で時には沢沿いで、そして小屋のテント場でテントを張るか、あるいはうす暗い避難小屋の板敷にマットを敷きシュラフを広げるかのいずれかだった。灯りは頭に付けたヘッドランプだった。 北アルプスにせよ南アルプスにせよ奥多摩にせよ丹沢にせよ、山小屋には発電機が置いてあり夜20時の消灯まで蛍光灯がつくのだった。ランプの山小屋はもう自分が山を歩き始めたころはよほどの奥地にしか残っていなかったのだろう。 秩父、そして奥秩父はどうだろうか。当時、清…

  • 風景点描 里山歩き

    自分が転居した家にこんな表札を立てている。Maison de foret と。 「森の家」と言う意味だった。「山の家」か「森の家」か迷ったが森の家のほうが良い印象に思えた。次に Waldhutte にするかと悩んだ。フランス語かドイツ語かという選択肢だ。ドイツの森と言えばシュバルツバルト・黒い森に代表される針葉樹だろうか。フランクフルトからバーゼルに向かう列車の窓で遠目に流れゆく森は漆黒だった。霧でも漂えばもうそこはブルックナーの音楽世界に思えた。フランスの森は優しく明るい印象だ。印象派作曲家の一人、モーリス・ラヴェルの家が記念館として残されているパリ郊外のモン・フォール・ラ・モリ。静かな村は…

  • 世界を支配する者

    雨の一日だった。山の一日は晴耕雨読。文字通り昨日は庭仕事をして今日は本を読んでいた。そんな日も悪くない。昼食は食材の在庫減らしだった。食べ終わる頃に電話が鳴った。誰だろうか。画面に出たのは見慣れぬ携帯電話番号だが自分は大丈夫だろう。電話をとるとそれは自動音声だった。「こちらはライフサポートセンターです・・」そこで切った。自分の人生は自分でサポートするよ、と腹立たしい。 例えば用事があり電話をする。その先は銀行であり証券会社であり保険会社だ。すると自動音声が出てきて確実にたらいまわしになる。更にチャット画面に誘導されることもある。まるで蜘蛛の巣に絡まったかのようにがんじがらめだ。何とかして人が出…

  • 三分間待つのだぞ

    庭の木も草花もゆっくりと成長している。落葉樹たちは冬になるとしっかり葉を落として寒々としている。しかし五月の声を聴くころにはいつしか新緑が顔を出す。が、好きで植えたブナもコナラも、その背丈も幹の太さも大きくならない。コデマリとヤマツツジは成長が早いのかそれでも少し背が伸びた。バイカウツギは白い花を咲かせている。友人から頂いたノリウツギは大きくなった。本当にあんなふうに咲くのかなと半ば冗談で植えたソメイヨシノはどうなるだろう。野草たちはどうだろう。トリカブトが大きく伸びた。花菖蒲は葉先が膨らみ始めたが・・。シランは赤い花が出てきた。しかしヤナギランは何の兆候もない。思うようには育たないね・・、そ…

  • 毘沙門と言う場所

    なぁ、ガソリンもつかな。せめて十リットルでも入れてくればよかったな。 辺りはただ闇。そして海から霧が寄せていた。黄色いハロゲンランプ二灯ではいかにも役不足で、自分はただ友のハンドルさばきを見つめていた。十九歳の彼は免許を取ったばかりで今回が初めてのドライブだった。一つ年上と言う事が少しだけ頼もしくおもえた。真っ暗な闇の中に浮かび上がる路面を前にハンドルにしがみついて運転しているのだから。 道は海沿いのはずだがいつのまにかだろうか、入り江の様だった。霧が来たのはそんな時だった。心細いが彼を信じた。すると彼は言う。ガソリンがもう無いと。 僕達は神奈川県中央部の座間と言う街に住んでいた。戸外についた…

  • 赤ちりめんの人

    無信心の自分には聖書は関係ないだろうなと思っていた。しかし世界中のベストセラーなのだからどんなものかと興味はあった。進んだ大学ではその教えを学ぶのは必修課程だったがあまり真面目に勉強しなかった。旧約聖書も新約聖書も分厚すぎる。癌で入院していた時にその教えを知りたくなった。なにかにすがりたいと。そこでミステリー作家の書いた解説本を読んだ。なかなか面白い。そして新約聖書のダイジェスト版を手に入れた。そんな本を今もたまに手に取る。還暦を超えるといろいろ思うこともある。本に何か救われまいかと活路をそこに求めることもあるのだろう。 湧き水の出る園地を散歩していた。豊かな広葉樹に包まれていつも冷やりとして…

  • 面影

    顔を洗っていて気がついた。眉毛が伸び放題だった。眉毛がぼうぼうだとみすぼらしい。床屋と言われるところに通わなくなって二十年は経つか。都会の駅なら何処にでもある千円札一枚で手軽にできるカットハウス。いつも人気で順番待ちだ。カットする絶対数が多いので職人さんの腕は良い。そこばかりになった。 カットハウスは理容師の免許は要らないのだろう、眉毛をと言ったら断られた。髪の毛だけが彼らの範疇のようだった。眉毛は時折気になり自分で切っていた。パチパチと眉毛を切りながら似たような風景を思い出した。 それは父の眉毛だった。老人介護施設に入居してからは顔のメンテはされないようで父は入れ歯以外はあまり手が入っていな…

  • 贅沢な自分たち

    三ヶ月ぶりに東北自動車道を走っていた。この道は何度走ったことか数えられない。宇都宮あたりまでは日帰りの山歩きで、そして残雪の頃はテレマークスキーを載せて福島や山形まで走った。 埼玉県・群馬県が拮抗するあたりを道は走る。道が利根川を長い鉄橋で渡るとやがて栃木県に入る。目の前に三毳山が見えてくる。万葉集にも詠われたその山はカタクリが咲くので何度か見に行った。冬ならばこのあたりから見事に冠雪した日光の山並みが続く。 三毳山のある街あたりに用事があり通い慣れた東北道にいた。用事はすぐに済んだ。時間もあるし折角ここに来たのだから。この季節は綺麗だろうからまた行こうか?と、声をかけた。そこは隣町にあるフラ…

  • 可愛いオジサンたち

    音楽スタジオは別世界だ。重い扉を開けると満ち溢れている。今日の部屋は地下二階か。階段を降りて急ぎ足。廊下を進むと音が漏れてくる。ドン・タン・ド・ド・タン、そんなヘビメタ風のリズムと歪みきったギターサウンドが漏れてくる。その手の音楽は通っていない自分だがそれでも思わずニヤリとする。扉のガラス窓越しに見える若者に感謝する。ありがとう!頑張れよ、と。そう、シーケンサーとシンセサイザー。打ち込み音楽が今の音楽の主流だ。そんな中で若い世代がまだアナログな音楽をやっているというのはまさに福音だ。あれが楽しいのだ。指定された部屋の防音扉を開ける。一足先に来ていたメンバーが音を出している。ああ遅刻をした。あわ…

  • 皮膚の病

    人間の手の指は五本だから付け根の合間、つまり股は四カ所。手足を数えると十六カ所になる。左右の腕の付け根も股だろうし左右の足の付け根もまた股だろう。すると人間には十九カ所の付け根がある。男性は更にふぐりがあるのでその左右を二つとカウントすべきだろう。どの股も全く不遇な場所でありいつも汗ばんでいる。 そんな足の指の股が痒いのは仕方ない。革靴にナイロンの靴下。朝七時半から夜九時まで狭い靴の中で我慢している指の股。そこに菌が繁殖しても不思議ではない。高校生の時、かゆみに耐えかねて皮膚科に行った。ピンセットでふにゃふにゃになった皮膚の一部を剥がしてプレパラートに載せる。対眼レンズを覗き込んだ医師はこう言…

  • 風景点描 旧街道

    旧街道を歩く事は楽しい。如何にも歩きやすそうなところを辿っている。しかし勿論ある時は谷あいから九十九折れで峠道にも至る。そして峠の前と後には狭い地形をうまく使って宿場町がある。そんな場所が今でもあるのならある程度観光地化されていることは覚悟しなければいけない。それでもそこを歩くのは楽しい。古い街並みを利用したカフェや土産物屋もある。フィルムカメラに白黒フィルムを入れて歩いてみる。切り取りたいと思う風景があるがさて一発のシャッターで上手くいくのだろうか。 目をつむる。旅人だ。編笠を頭に乗せて足元は脚絆を締めている。どおれ、一服。ここは信濃路、おやきでも頂くか。いや疲れたから今日はここに泊まるか。…

  • 森の雑貨店

    雑貨と呼ばれる物を知ったのは何時だろうか。道具とは必ず何らかの役割を持っているのだが雑貨と言われてしまうとなんだろう。無くてもならないもの。裏を返せばあれば楽しいもの、日々の暮らしに潤いを与えてくれるものになるのだろうか。学生時代の友人は雑貨が好きでよく東急ハンズや下北沢に出かけた。彼女にしてみれば見ているだけで楽しいアイテムが勢ぞろいだったのだろう。僕は彼女と一緒にいたかっただけなので興味もない雑貨屋にもついていったのだった。そんな雑貨にはいつか苦手意識も持ってしまった。 自分が住む八ヶ岳南麓の高原。その地の最大の住人は樹木になるだろう。カラマツ、アカマツ、シラカバ、ブナ、ナラ。それに他の広…

  • ポートフォリオ

    営業畑やマーケティング畑に配属される。だんだんと経験を重ねる。すると時がたてば様々な経営手法を学ぶことになる。自社の、そして自社製品の置かれた環境を分析し視覚的にわかりやすい方法で示す手法がとられる。それを知ってこそ次の手が打てるという事だろう。 例えば自分の会社なり部門について考える。自らの強みは何か。弱みは何処か。成長に向けてどんな機会があるのか。脅威はなんだろう。四つの頭文字をとってSWOT分析になる。これを四つの四角形に並べてみる。田んぼの「田」のような形になる。するとどうすればよいのかを考える礎になる。もう少し目線を変える。縦軸に市場成長率、横軸に市場占有率を伸ばす。四つの事業分野な…

  • お見合い写真

    姉はお見合いで結婚した。弟の自分から見て彼女はあまり美しいとは思えなかった。細い目に重たそうな瞼。髪の毛は細くてかつ芯もない。がこれについては僕は謝らなくてはいけない。子供の頃ケンカをして僕は熱いお湯を姉の頭にに掛けてしまったのだから。それを機にか彼女の髪の毛はか細くなってしまった。しかし姉はそんなこともなにも言わず何とかパッチリした目にしようと瞼に糊のような何かを塗っていた。更には大胆にも当時流行った聖子ちゃんカットを試みていた。どうにも似合わなかった。許してほしいと心のなかでつぶやいた。 そんな姉だが見合い写真の出来は良かったのか、何度かの見合いの後に結婚が決まった。細い目が無理やり二重に…

  • 楽しみは向こうから

    気温が低いのは承知の上で移住した。県庁所在地の街は海抜二百五十メートル。そして高原の我が家は海抜九百メートル。標高差にして六百五十メートル違えば計算ではいつも四度低いという事になる。実際には県庁所在地は盆地でありフェーン現象が起き北関東の街と同様に気温が上がる。一方こちらは八ケ岳からそして甲州信州を分かつ喉のような地形の諏訪の峠から、つまりは北からそして西からいつも風が吹いている。そのせいで実際の体感温度はもっと差があるかもしれない。しかし五月も終わりごろから十月の末ごろまでは高原らしく心地よく快適な気温となる。この季節のウッドデッキとビール・ワインは最高の組み合わせとなる。 森を行けば風が心…

  • 十把ひとからげ

    高速道路インターチェンジの近くのコンビニに立ち寄る。手軽で美味しい120円の珈琲が目当てだ。背の高い若い男性がいた。「旅を楽しんでいますか?」そう声をかけた。一目で見て旅人と分かるのは彼が西洋人だったからだ。 癖のある英語だった。フランス訛り、イタリア訛り、スペイン訛り。その辺りだろう。フランス人とイタリア人は仕事での付き合いが深かった。しかしどうも違う。似てはいるけれど何処かが違う。スペインだろうかとあたりをつけた。Rの発音がフランス語とイタリア語では違う。フランス語は首を絞めて痰を鳴らすような感じでありイタリア語は巻き舌感が強い。そしてどちらも日本人の多くは発音不可能に近い。イタリアは毎月…

  • 関西のお父さん

    撮影したフィルムはレバーで巻き上げてパトローネに収める。以前ならばフィルム現像機を抱えた写真ラボなど街には幾つもあった。DPE屋と呼ばれていた。週末の山で写真を撮影し駅前の出勤時にDPE屋にフィルムを出していた。ネガならその日に、リバーサルは数日後に出来上がり帰宅が楽しみだった。 そんな街のDPE屋はどんどん減ってしまった。デジタルカメラが出始めた頃はその画質の低さにこれはメモ用だなと思った。何といっても二十五万画素しかなかったから。ただしPCとの親和性は高かった。カメラからスマートメディアかコンパクトフラッシュだったかを取り出しPCに繋ぐだけだったから。これで印画紙に焼いた写真がいつか不要に…

  • 白黒の風景 港町

    いつしかシャッターは重みが無くなった。薄っぺらな板となり画面を触るだけとなった。確かな物が欲しくなる。古い一眼レフを引っ張り出す。白黒フィルムを入れる。自然にも人にも息遣いがある。光の中に浮かぶストーリーを撮ってみたいと思う。これを撮ろう。画角はどうする?絞りは開放か絞り込むか。撮れる枚数は限られる。一構図で一枚のみと決めた。失敗は次につなげればよい。重いシャッターにミラーが動き幕が走るその振動は、形のある喜びをくれるように思う。 港町には独特の風情がある。住んでいた街には埠頭があった。自分の娘と同じ歳の高層ビルはこの港のランドマーク。幾何学的な風景、古い洋食屋。ひどく人間臭い路地裏が混ざる。…

  • 餃子雑感

    好きな食べ物を三つ挙げようぜ。挙げてどうなるのか?ただで食べさせてくれるのか?馬鹿馬鹿しい問いだがそんな話題は小学生には欠かせまい。好きな食べ物で済むのならばまだ微笑ましい。次に話題は好きな女の子の子になるだろうから。未だにこんな文を書きだしに使う以上やはり好きな食べ物について言及したいのだろう。好きな女性はどうだろう、素敵に思う女性を挙げるならノート何枚も必要になってしまう。還暦を越えても男とはそんな生き物だ。 話を戻そう。食べ物か。なんというか、ラーメンを別格とするとそれはここ数十年変わりそうにない。餃子、ローストンカツ、そしてハンバーグだろう。簡単に言えば味覚は子供に近いのだ。ハンバーグ…

  • こんな街か

    「あの、すみません。駅の入り口はどちらでしょうか?」もうそこは駅を構成するビル群の一つなのだが肝心の改札が分からない。ビルは出来たてでその周りには幾つもの真新しい高層ビルと大型クレーンが空に向かって伸びていくのだ。これから仙台に帰るので東京駅に行きたい。しかし肝心の駅が分からない。大きな荷物を降ろして彼女は空を見上げていた。 僕も教えたい。しかし困ったことに肝心の自分もここが何処なのかが分からないのだった。こんなビルはあの頃にはなかった。この辺りは雑居ビルの並ぶやや疲れた路地裏だったのに。ぐるりと回廊を歩いて改札前に出た。そこまで彼女を送リ、僕は首都高速のガード下に出てようやく肩を降ろした。金…

  • ワンダーランド

    ビル・エヴァンスは好きだ。時にしっとりと聞く。かのマイルス・ディヴィスもジョン・コルトレインも数枚しか聞いたことが無い。ジャズには余りのめり込めなかった自分だがピアノトリオは好きだ。マッコイ・タイナー、ドン・フリードマンなどミニマムな楽器の作り出す空間とインタープレイが素敵だ。そんな中にエヴァンスのピアノは別格に素晴らしく思う。ニューヨークのジャズクラブ、ビレッジ・ヴェンガードで1961年の日曜日に録音されたレコードは名盤だろう。その一曲にあるアリス・イン・ワンダーランド。そう、不思議の国のアリス。これは彼の代表曲と言われるワルツ・フォー・デビィと並んでも良い演奏ではないか。スコット・ラファロ…

  • 二千円で悩まない

    宅急便が届いた。少し待ちかねていた。頼んだものにくらべて大きな箱。壊れ物ではないけれど慎重に扱った方が良いのは確かだった。 10ホールハモニカ。穴が十個の手のひらサイズのハモニカがある。ブルースハープとも呼ばれる。もともと一人での山歩きでテントを張り終えてからそのサイトで拭いたら気持ちよかろうと買った。フランクフルトの空港の土産物店だった。吹き方も知らぬが高くはないし土産のつもりで買ってみようと思ったのだろう。ホーナーというブランドはドイツの楽器メーカーでこの手の楽器では有名と知ったのは後だった。 実際にこれをテントの横で吹いたことは一度きりではなかったか。そこは尾瀬であり僕はザックを背負いテ…

  • 永久機関

    自分は全くの文系人間。ロジカルよりもエモーショナル。難解な方程式を解いて喜ぶよりも本を開き夢想の世界に遊び、話に涙するほうが好きだった。しかし電子工作には小学生から、アマチュア無線には中学生から興味を持った。確かに自然科学に神秘を感じていたのかもしれない。だからだろうか、夢中になってしまった。オランダの画家・エッシャーのだまし絵だ。誰もが知っているだろう、あの有名な「永遠に水が流れる水路」の絵を。ポンプで吸い上げない限り水は上には登らない。しかしその絵では水路の水が水車を通り上がっていき滝となりそれは下に落ちて水車を回し再び上がる。空間のどこかが歪んでいるのか目の錯覚を利用しているのか、それは…

  • 散歩の友

    仕事のない日はだらけてしまう。朝8時迄寝ることも多い。疲れがたまっているのかいくらでも寝られてしまう。毎晩21時には散歩して犬のフクちゃんは排泄をする。我慢は苦痛に思うが彼は翌朝やはり9時ごろまでは彼は排泄をしない。ドッグフードの朝食を終えると大人しくベッドの上で寝ているだけだ。しかしもう辛かろうと忖度して彼を散歩に連れ出す。季節が良くなったので自分達は近くの湧き水の湧く森や神社に行く。 五月のこの地はちょうど水田が綺麗だ。田植えが終わったばかりなのだから。時にはそんなあぜ道も散歩する。ここでおしっこをするわけにもいかないから排泄はあぜ道の前に済ませてもらうだろう。勿論彼に排泄の強要は出来ない…

  • 人違い

    図書館で楽しそうな本が借りられた。そしてCD欄には興味をそそるものがあった。ニコラス・アーノンクールそしてトン・コープマン。共にモーツァルトのシンフォニー。若き頃の作品は珍しい。そして後期三部作か。古楽器でのピリオド奏法の解釈のモーツァルトの演奏は聞いたことが無い。どんなに新鮮に思えるだろうか。もう一枚はマーラーの交響曲八番があった。マーラーの曲は神経質で情緒不安定に思え自分は苦手だった。一曲として好きな物がない。しかしこれは大合唱団がつくシンフォニーだ。合唱曲が好きなのだから一度は聞かねば。ゲオルグ・ショルティとシカゴ交響楽団が組んだ録音か。ならば問題ないだろう。 ドラッグストアに立ち寄った…

  • 図書の旅50 1995年のスモーク・オン・ザ・ウォーター

    ●1995年のスモーク・オン・ザ・ウォーター 五十嵐貴久 双葉社2007年 本を読んで泣く事など忘れていた。しかしやられた。涙が止まらなかった。 高校受験に失敗した中学浪人の息子をもつ主婦。男運がなく離婚を繰り返しマルチに引っかかり借金を抱える独身女。万引き常習犯の主婦。そして自称プロミュージシャンあがりという訳あり風の酒まみれの女。とある縁で四十歳を超えた彼女たちが集まる。そして素人おばさんバンドを結成し、息子が受験を目指す高校のチャリティコンサートでとうとうやってしまう。スモーク・オン・ザ・ウォーターを演奏するのだった。ライブが終わった。拍手の中に彼女たちが感じたものは何だったのだろう。閉…

  • 何でもできる記念日

    ゴーグルの向こうに壁が近づいてくる。自分は今迄この辺りで息が苦しくなり、また足がつって立ってしまったのだ。しかし今日は少しリラックスして体を動かしてきた。するとここまで来られた。壁が見えた時に考えた。あと三回息継ぎをすればよいだけだと。再び頭を沈めて手のひらを外に向けて、足の裏をやはり九十度立てて動かしてみた。あと二回だ。あと一回で解放される・・・。 必死だった。しかしここで足を着いたらすべてが水泡に帰する。どうなってもいいから掴むのだ。すると右手が確かに捉えた。タイルの壁面だった。 満願成就。思わず手を挙げた。やった!と。還暦過ぎのガッツポーズだった。そう、生まれて初めて平泳ぎで泳げた。25…

  • 友人の個展

    個展と言う言葉には憧れる。まずはこれが頭に浮かぶ。 ♪拝啓 いまはどんな絵 仕上げていますか 個展の案内が 嬉しかったの 美術学校の学生時代を振り返ったであろう松任谷由実はそう唄っていたっけ。青春の苦さを書いたであろうやや切ないメロディが浮かんでくる。そこは多分玉川上水だろう。個展の案内を出してきたのは昔の恋人か、片思いに終わった友人か。そんな想像も楽しい。 個展をやるからね、そう友人は葉書を手渡してくれたのだった。自分より一回り以上年上の彼はこの地に住む山の友達だった。もう十五年以上前に都会からこの地に移住してきた。なかなかの多趣味で、ご夫婦で生活を楽しまれている。そんなライフスタイルに自分…

  • 図書の旅49 光の台地

    ●光の台地 辻邦生 毎日新聞社 1996年 本について何かを語る時にはやはり自分の好きな作家が冒頭に来る。これだけは仕方がない。それだけ多くのことを、そして本と言う広い海を旅することを教えてくれたのだから。自分の好きな作家を挙げるならばやはり北杜夫になってしまう。彼のお陰で信州の松本という街に憧れ、自分の見知らぬ世界を旅することへの憧れを知った。彼の書いた「どくとるマンボウ航海記」「どくとるマンボウ青春記」を開くならある人物の名前が出てくる。旧制高校のバンカラで破天荒な寮で知り合い生涯の交流を持った。文中ではTという名前で出てくる。見聞を広めようと船医として水産庁の調査船に乗った旅を書いた航海…

  • 幸せのメカ

    そこは高速道路のインターを降りてすぐのコンビニだった。キャンディレッドの世田谷ナンバーの大きなバイクが停まっていた。お、素敵なメカだ。僕はオーナーと話したくて仕方なかったが彼は店の中だった。トイレを済ましコーヒーを買った。コンビニのコーヒーは最近とみに味が良い。自分のような味音痴には手軽でありがたい。「120円の贅沢」と称してよく利用する。これから横浜に向かうのだから二時間半のドライブか。贅沢をして美味い珈琲を頂こう。濃いめを選んでカップに入れた。 バイクのオーナーがヘルメットを被るところだった。僕は彼を見て考えた。話に応じるだろうかと。しかしこの言葉なら皆が喜んで応じるだろう、そんな魔法の挨…

  • チャットGPTに聞けば?

    都会の駅だった。僕はあとニ分後にやってくる快速南浦和行きを捕まえるべく階段を慌てて降りていた。転がり落ちぬようもちろんしっかり手すりをつかんで。階段で行き交ったお母さんに小学生が話していた。「そんなのチャットGPTを使えば?」と。 とうとう来たか、そう思った。人工知能と言っても自分はそれがなんだかわからないし動作原理もわからない。多分いや確実にそれを教わっても理解しない。ただ一度試してみた。何かの単語をベースに短文を書いてもらったのかもしれない。たちどころに何百の文字がモニターを流れた。なんだろうこれは。不気味になり画面を閉じた。 キーワードを入れれば相応の文章もイラストも描いてくれるらしい。…

  • 定期便

    何も新しい話でもないのだがここのところほぼ三日に一日はやってくる。あたかも離島にやってくる定期便の船や旅客機の様だ。 そこはパプアニューギニアのニューブリテン島。東の端にラバウルと言う街がある。西には大きなニューギニア島。その南にはポート・モレスビーという街がある。太平洋戦争中はそこには連合軍の基地があった。♪さらばラバウルよ、又来る日ぃまで…。そんなラバウル小唄で知られる日本海軍ラバウル航空隊の基地からではポートモレスビーは遠かった。そこでポートモレスビーの北に前進基地を日本軍は作る。ラエという小さな滑走路一本の基地だった。両者の間にはスタンレー山脈という4000m級の山脈があり陸路での攻撃…

  • 二つの春

    春、と題のついた曲は何だろう。小学生の時に覚えた曲がある。メンデルスゾーンの作った無言歌集にある優美なメロディだろう。確か下校時間にかかっていた。優しいのに憂鬱さがあり、脆い旋律にははかなさを感じる曲だ。バイオリンの独奏もあればピアノもあったかもしれない。ビバルディの「四季」にも春はある。しかしクラシック音楽の代名詞のようによく流れるこの曲は自分にはあまり心地よくない。大衆化されたものは好きではないという好くない自分の癖だろう。もう一曲浮かぶ。これが春と名がつく中で一番好きだ。シューマンの交響曲第一番「春」。これは四曲あるシューマンのシンフォニーで一番聞きやすいのではないだろうか。シューマンは…

  • 似非サイクリスト

    寒冷地にはサイクリストをまず見ないはずだ。なんといっても降雪の後が凍るから。しかし高校生とはある意味怖れ知らずでブロックタイヤのマウンテンバイクで通学している。それしか交通手段がないともいえるかもしれないが、それにしても転ばぬかはたで見て不安にもなる。加えて風だ。北から西から乾いた風が吹いてくる。そんな自分は冬の間はサイクリングを閉業していた。転倒も怖いがそもそも寒い。もう十歳、いや二十歳若ければそんな元気もあったかもしれない。 すっかり春景色になったのでリビングに置いてあるランドナーを外に出した。埃を払いチェーンに油をさした。やはり空気は抜けている。このランドナーを作ったのはもう二十年ほど前…

  • 先輩とフレッシャーズ

    四月は瞬く間に通り過ぎた。我が家に来るホトトギスは今よ盛りと良く啼いている。それはそうだろう、暦は五月になったのだから。それもすでに黄金連休も終わってしまった。会社によっては十日を越える休みがあったのかもしれない。だれもが皆会社生活に戻っているのだろうか。 フレッシャーズ向けのスーツを販売する量販店のTVコマーシャルもよく見かけていたが流石にこの季節は見る事もない。もし自分がまだ首都圏で生活しているのなら沢山の真新しいスーツ姿の若者を電車の中で見ることがあるだろう。自分の住んでいる高原ではスーツを着て仕事をする人もいない。県庁の街まで行けばそんなビジネスマン然とした若い男女を見ることが出来るの…

  • 月夜

    居酒屋などせわしい駅前にゴマンとあった。しかし勤めを終えて帰宅するのだからそこで足止めを食らうこともなかった。時には勤務先の駅の周りで呑んでもう出来上がっていることもあった。が駅前の呑み屋には何度か娘と二人で行ったことがある。こんなとこもあった。飲みに行こうよ、そう僕は娘を誘った。すると彼女も偶然!と言った。誘おうとしていたという。 高原の地に引っ越してきたのは五月だった。住み慣れた横浜を離れ新たに建てた家だ。転居は脳外科の病棟でひらめいた。脳腫瘍を取り朦朧としていた時に甲斐駒ケ岳を前にしたこの地が浮かんだ。頭のガンだ。余命がどれほどか。会社は早期退職をしていた。生活は何とかなるだろう。ならば…

  • 腕時計

    腕時計には思い出がある。高校生の時にデザインに憧れて親にねだったセイコーのデジタル。勤務二十五年の会社からの記念贈答品であるセイコー。死んだ叔父の葬儀返礼品のシチズン。ヨーロッパでの七年間の勤務を終え帰国の際に記念にとパリのラファイエットへ。そこで買った憧れのスイス時計は自動巻のティソ。出張帰りの香港で三度迷って買ったスケルトンの自動巻セイコー。父親の遺品のシチズン。海外出張用にと家内が買った世界時計機能の付いた電波時計のシチズン。そして登山用のカシオ。どれも現役で、腕に巻くとそれを手にした時の気持ちを思い出す。嬉しかったり哀しかったり。時を刻む道具だからさもありなんだろう。そんな腕時計もこれ…

  • 予定管理

    システム手帳というものが世に出たのは自分が新入社員の頃だったか。いやその前からあったかもしれない。銀座の伊東屋あたりで見かけたのかもしれない。 同期入社の理系の男だった。A5サイズの革製の手帳を彼は持っていた。会社員になると予定が増える。来客、出張。、そしてまたプライベートも約束を入れてしまう。仕事よりもプライベート。僕は彼女との約束をたくさん覚える必要があった。会社が支給してくれる文庫本サイズの手帳もあった。そこに予定を書いていたが何分こちらはガサツで走り書きばかり。ぱっと見て分かる予定表ではなかった。その点理系の彼はしっかりと丁寧に予定を書いていた。そのノートはリング式で好きなところに好き…

  • 三つの実力者

    社会科で習ったように思う。確か日本神話に書かれていたのだろうか。皇室に伝わる三つの宝物を三種の神器と言うと。鏡、まが玉、剣だ。日本三景を初めとして日本には「三つの何某」が多いがその謂れはこれか。戦後史ではこう習う。洗濯機、冷蔵庫、掃除機が家電製品での三種の神器であると。1960年代にこの三つの電化製品種類は世に出てそれは家庭の主婦の生活を大きく変えたという。WEBを見ればデジタル家電三種の神器というのもあるようだ。デジタルカメラ、DVDレコーダー、薄型テレビらしい。確かにそうだろう。いずれも2000年以降に出現し、アナログカメラ・ビデオテープ、ブラウン管テレビを放逐したから。デジタルの特徴はデ…

  • 肌身離さず

    今はそんな人は見ないだろう。首からお守りをぶら下げた姿など。映画・男はつらいよの寅さんくらいだろうか。が、これがロザリオとなると話は違うだろう。カトリック教徒ならば誰もが首から下げている。住んでいた横浜の街に数棟の大きな公団住宅があった。そこには中国人もインド系の方も居れば中東系やトルコ人もいらしたが特にフィリピンから来た女性が多く住んでいた。近くの公園で数組の親子が遊んでいた。タガログ語だろうか自分にはわからぬ言葉を喋るお母さんの首元に光るものがあった。それはロザリオだった。そうだった、フィリピンはクリスチャンの国だった。ああ、やはり十字架は肌身離せないのだな、とその時思ったのだった。 ミサ…

  • 遊びに来たよ

    仕事をしていた。お客様と一緒に工場見学のツアーだった。すると同僚が言うのだった。「お友達が来ているよ」と。誰だろうか?と頭を捻った。自分がこの職場で働いていることを知っている人は多くない。ましてやフットワークよくここに来るとは?横浜時代の自転車仲間か山仲間か。少なくともアウトドアの好きな彼らなら腰が軽いだろう。バンド仲間かもしれない。リードボーカルの彼女は旦那様と共に昨年も車に乗ってふらりとやって来たから。学生時代の友なら何人か候補がある。やはり昨年遊びに来てくれたから。地元の友人、予期せぬ家族もあるかもしれない。 Aさんですか? Bさんですか? 色々聴いてみたが彼もしっかりと名前を憶えていな…

  • 知らない街

    5月連休がやってきた。高速道路から国道、県道、市道そして脇道までも他県ナンバーで溢れるのだった。さすがに農道には来ないだろうが。 高原はこの何日か知らない街になった。ホームセンターには知人が働いているが前掛けをつけた彼女は汗をぬぐいながら言うのだった。「今日は本当に大変」と。地元民のためのスーパーもドラッグストアも、道の駅も、山の湧き水も他県ナンバーばかり。夕餉の食材を買おうと立ち寄ったら普段は見ない野菜セットや大きなパックの肉もある。そしてバーベキューグリル網や炭、長いトングまで。スーパーはこの一週間はアウトドア用具店に思える。そしてレジには長い列ができて店員さんもてんてこ舞い。連休後半の夜…

  • 甲斐からの山・山スキーの鍋倉山

    ・鍋倉山 長野県飯山市・新潟県妙高市 1289m わずか海抜にして1289メートルの山だ。関東甲州人にとりわかりやすく書けばそれは丹沢で言えば鍋割山と、奥多摩で言えば大岳山と、富士山エリアでいえば山中湖北岸の大平山と、道志・笹子エリアならば大月市北の扇山と、そんな山々と大して変わらぬ標高になってしまう。 そんな山々も冬は積雪を纏うが雪に埋もれることはない。唯一、2014年は例外だった。その2月14日辺りから南関東から甲信越では雪が降り続いた。記録的豪雪と言う事でその一週間後に試しにと山中湖北岸の大平山をスキーに滑り止めシールを付けて登った。一メートル近い積雪があり低い山ながら山スキーを楽しんだ…

  • カワイイ中年・福之記15

    ああ、自分も中年になったな。そう思ったのは四十歳の誕生日だった。少しばかり寂しくややショックでもあった。四十歳などすべてくたびれてしまい、腹が出て息が臭い。そんなただのオヤジだと思っていたのだ。口臭には気を使い仕事中はガムをかんだり息清涼剤カプセルを噛んだりとしていた。しかし腹が出ていることは防げなかった。なにせこの過剰な脂肪には小学生からの歴史があるのだから。 実際四十になって何が変わっただろうか?会社生活では役職が上がったことか。しかし組織と人様を管理し、組織目標を立てて遂行するには今思っても自分では役不足だった。色々悩んだ年代が四十代だった。「四十にして惑わず」とは孔子の言葉だったか。ま…

  • 残照に丹沢

    都心から西に向かう列車に乗った。都心から西に向かう列車とは私鉄以外は東海道線か東海道新幹線か中央線しかない。山梨に住む自分が乗るのは中央線だった。 西日が傾く。それを追うように西に向かう。しかしそれなりの速度で走っていても落ちる太陽に追いつくことは決して出来ない。少しづつ暗くなる。ビルばかりだと思っていた中央線沿いの車窓も気づけばそれは駅の周辺だけで駅間は思ったよりも建物の背が低い。それはそうだ。この辺りは武蔵野なのだから。国木田独歩が歩いたのもこのあたりか。太宰治が愛人とともに自らの終焉の地としてこの辺りを選んだのもたぶん昔ならばわかるように思う。のどかで美しく素朴な田園風景があったことだろ…

  • 憧れ

    車に乗るときはいつも音楽を聴く。クラシックの時も70年代迄のブラックミュージック・ソウルの時もある。今日はロックのフォルダをプレイした。するとあのがむしゃらで直線的で、しかしなぜかノレるスリーピースの音が聞こえてきたのだ。それはギター一本、ベース一本、ドラムス一セット。三人編成はバンドの最低ユニットだろう。歌はギタリストがぶっきらぼうに歌いベースはツボを押さえたハモリを聴かせる。 このバンドに夢中になったのは18歳だった。歯切れ良いリズムのおかげか歌い方なのか英語の歌詞が聞き取りやすい。ロンドンの交通の酷さを揶揄し、若者の考えを理解しない政府、核兵器やフォークランド紛争での厭世観、そんなマーガ…

  • 漏水

    「影のない女」、そんなタイトルを目にした時に何を自分は思ったのだろうか。一体どんな女性だろうかと。きっと美しいのだろうと。美しすぎて光を集め、そこに影はないのだろう。しかしこうも解釈できる。まるでヴェールを被ったように彼女の存在は誰にも気づかれない。しかし一旦ヴェールを脱ぐととても美しい・・。人はこんなふうに二律背反した表現方法を目の前にすると、なぜか惹かれるのだ。 影を失くして行動する。となると潜水艦を思い出す。相手に気づかれることもなく密かに海の下を進む。武器は船を沈める魚雷、今なら加えて大陸間弾道ミサイル。影がないくせにハチの一刺しだ。視界の効かない海底をどうやって行先を見つけるのだろう…

  • 積る塵、生まれるノリ

    何事もそうだろう。若い頃は集中度が高い。勉強にせよ恋愛にせよ驚くべきパワーで燃焼する。燃焼、緊張、弛緩。そんなサイクルを人間は経る。 バンドの練習は月に1回。ひと月は短くもあるが随分と久しぶりに思えた。練習曲の数は十曲か。親しんできたソウルやロックのイディオムとは違う曲に今回は挑んでいる。新しいことは難しいが見知らぬ楽しみをくれる。今までバンドサウンドに加わったことのない楽器も入るし自分もまた新しい楽器にチャレンジする。 月に一度のスタジオでは前回の決め事も忘れてしまう。終わり方はこうしよう、などと話していたのだが、あれ?っとなる。しかしそれでもみんな無理やり合わせてしまうのでそこは共にプレイ…

  • 生みの苦しみ

    自分には姪っ子達がいる。姉の娘達だ。その姉は難病にかかり七年前に六十歳を待たずして他界した。今存命ならば自分の母親も今と違う老後を過ごしていたかもしれぬ。それはきっと母にとっては良い事だっただろう。そんな姉が初めの子を産んでからしばらくして彼女に聞いたことがある。それは丁度妻が妊娠した頃だった。「お産はつらいのか?」と。するとこう言うのだった。「痛いのよとても。大きな本当に大きなうんちが出る時みたいよ。」僕はため息をついた。 数日前に友人と会った。盛大な乾杯をして大きく笑った。そしてちょっと、いやかなり暴飲した。暴飲には暴食が伴う。つまりたくさん飲んでたくさん食べた。さすがに若い頃のような量で…

  • 甲斐からの山 町田八王子市境尾根・草戸山

    ・草戸山 東京都町田市・八王子市 364メートル 2025年4月26日 仲間との山登りで久しぶりに八王子に出かけた。もう引退された会社員時代の上司と、自分達と同じ会社の女性社員との、計四名。上司とは言えいまや上下もない。もちろん人生の先輩として敬意を払っている。何のわだかまりもなくこうして山歩きやその後の飲み会にもご一緒させていただけるのだからありがたい。昔の上司など会いたくなければ会わない。こうしてよく会っているのは彼と会っていて楽しいからだ。また現役の彼女たちの仕事の話も楽しい。 メンバーの中では自分が一番登山歴が長い。と言っても特に山に長けているわけでもなく体力があるわけでもない。むしろ…

  • ママのお弁当

    こんなセリフを今も覚えている。娘がよく言っていた。「ねぇママ、お願いだからさあ、ソース焼きそばをお弁当のおかずにいれるのはやめるか減らしてくれる?」と。 「なんでかなぁ?あれ入れるとお弁当箱のスペースが埋まるし、おなか持ちも良いでしょ」」と意に介さない。ママと呼ばれた小柄な小母さんは気配りはするがあまり細かいことは気にしない、しかもすぐに忘れる。なんでも笑って済ませてしまう。娘は続ける。「あれね、固まるの。お箸さすと団子みたいにボロっと取れるの」 女の子は仲間でお弁当を食べる。その際にポロリとセメントがはがれるように塊で中身が出るのは恥ずかしい。それにかぶりつくのは更に嫌だ、そう娘は心を明かし…

  • さくら吹雪

    「てめえたち言うことはそれだけか?ははぁよくぞそこまでしらを切りやがって。」ざっと着物の右肩を脱ぐとそこには見事な桜吹雪。「おいてめえらいい加減にしろ、みぃんなこの遠山桜がお見通しだぃ。」するとお白洲はざわめき反乱を試みるがすぐに差し押さえられる。北町奉行所は遠山の金さん。この啖呵は一世一代の名場面だ。 なぜ桜吹雪の絵柄を遠山金四郎は彫ったのだろう。牡丹でもよかろうに。 そう言えばこんな歌は誰もが歌った。貴様と俺とは同期の桜と。歌詞はこう続く。咲いた花なら散るのは覚悟 更にこう決める。見事散りましよ 国のため、と。最後のフレーズは今の時代ははて?となる。 双発爆撃機の腹に小さな飛行機がぶら下が…

  • 都会の苦しみ

    仲間との山登りで久しぶりに八王子に出かけた。会社員時代の上司、そして今も現役の女性陣で計四名だった。四人の中で自分が一番登山歴が長い。といってパーティのリーダーになるほどの才覚も体力もないがいつも何処の山に行くかを企画している。お約束の湯を味わいビールが美味しく飲めることが求められる最優先事項だった。 山は小さなものだが市境尾根を縦走してそれなりの満足顔があった。そして熱い風呂にビールも楽しんだ。 一年前の自分ならとことん付き合う。八王子から自宅までは一時間だったから。しかし自分は横浜から転居し今この駅から百三十キロ西の山梨県の高原に住んでいる。各駅停車で二時間半、特急で一時間半が必要だった。…

  • ボッチめし・一人酒・一人旅

    仕事のない雨の日は思うがままに寝てしまう。いつもは7時半には起きるのだが今日は九時だった。まるで荒井由実の「十二月の雨」の歌詞の通りだった。「♪雨音に気づいて 遅く起きた朝は 未だベッドの中で 半分眠りたい」と。山下達郎と大貫妙子がバックコーラスで参加しているあの歌は、冬の雨の景色に失恋したけれど立ち直ろうとす女性の心象風景がとけこむ様をとても詩的に描いている。こちらは疲れがとれずにただ眠いだけだが。 テレビをつけるとワイドショーで「一人時間の過ごし方」というテーマでの番組が流れていた。女性料理家が話をされていた。途中から見たので全ては分からないが「一人休日を楽しまれていますか?ごきげん」とい…

  • 昭南島

    自分達が結婚した年は湾岸戦争が勃発した。そんなこともありスイスに行こうと思っていた新婚旅行は取りやめた。しかし戦争を理由に戦火に包まれた中東の上空も飛ばないのに渡航を取りやめるとは全く今思えばナンセンスだった。その翌年に香港とシンガポールに旅行をした。どちらも出張で何度か行っていたので自分にとって不安のない街と言う事もあったのだろう。 太平洋戦争やヨーロッパでの戦闘などにフォーカスをあてたサンケイ出版が出していた第二次世界大戦ブックスシリーズを愛読していた自分にはシンガポールとは沼南島だった。戦時中にそう呼ばれていた。そこは開戦前までは英国の占領下にあったが開戦と共に帝国陸軍はマレー半島に上陸…

  • リハビリの一振り

    友人と芝刈りに出かけた。「どこ行ったの?日焼けしているね!」「ちょっと芝刈りへ」といった具合に芝刈りと言う言葉は使われる。道具には刃がついているわけではないので芝は刈れないけれど、地面とその上に生えている芝をこすってしまう事はある。上手い方なら芝と下土が綺麗に取れてターフを取ると言うが、そうはいかない。しかしそれがまあ芝刈りという隠語の謂れだろう。 雨で何度か予定変更がありようやくその日を迎えた。友人は足の関節の手術をしてからコロナもあり二年間ブランクが開いたという。そのせいか彼はとにかく今日の日を迎えたくして仕方なかったように思えた。 コース上にはミツバツツジが盛りで春の山の風景だった。朝の…

  • 或るセンサー

    夜道を歩いている。見知らぬ人の玄関の前を歩くと灯りがつく。悪意はありませんよ、いつもの道なのだけどとさりげなく通り過ぎるが、見張られているようで嫌だ。エレベーターが閉まりそうだ。慌てて駆け込むと扉は開く。ありがたい。スマートフォンやモバイルバッテリなどを充電中にオーバーヒートを起こすと発火せぬか?しかしなぜか火は出ずに機器の電源が落ちる。 動きを検知してスイッチが入る。電流値を検知してサーミスタが回路の抵抗値が増やす。さようにさまざまな種類のセンサー等があるおかげで家電製品も無事に動作し街の生活でも安全快適に過ごせるわけだ。電気用品安全法をクリアした製品はPSEマークを示すことが出来る。これな…

  • スギナ十字軍

    ドイツはバイエルン。ミュンヘン中央駅から北北東へ区間快速・レギオで一時間半だろうか。ある街がある。第二次世界大戦中そこにはドイツ空軍の主力戦闘機であるメッサーシュミットの工場があった。日本の群馬がそうであったように航空機の工場はまずは敵空軍の最初の攻撃対象になり徹底的に破壊される。この街にもまた米陸軍のB17が飛来してきた。 工場はもしかしたら市街地を離れていたのかもしれない。十四世紀からのステンドグラスも残る大聖堂もよくぞ戦火を逃れたものだ。アルトシュタットはまさに旧市街のそのままで時が止まった様だった。ドナウ川の流れる石造りの橋のたもとに同じく石造りの飲み屋がある。そこは小さな店でメニュー…

  • 折れたトラスロッド

    自宅から車で五分。海抜千メートルの等高線のあたりにはペンション村もあれば鉄板焼き屋や和食屋も点在している。辺りはカラマツと広葉樹の森だ。そんなペンションの一軒に車を停めた。今日はそこでフルートにバックバンドがついてのジャズライブがある。ソロのフルート奏者ではなくプロのジャズフルート奏者のお弟子さんたちがプロのバンドをバックに師匠と共に演奏するという、なかなか面白い企画だった。知らなかったが自分が移住した高原の地で十年以上続いているという演奏会だった。 なぜそこに行ったのか?それは自分がベースギターの個人レッスンを受けた師匠がそこに参加されるという案内をSNSを通じてご本人から頂いたからだった。…

  • 全国銘菓

    旅行に行く。JRの駅・高速道路のSA/PA、そして道の駅に足が止まる。お菓子とお土産そしてJR駅売店にはビール。さすがに高速道路と道の駅にはビールはないが、代わりに目覚ましドリンクがあるだろう。そして一角に目が行く。銘菓コーナーだ。土地のお菓子。それはその土地の、その旅の記憶として残る。 さてどんな銘菓を僕は知っているだろう。今あったら買うだろう銘菓はなんだろう。 北から行こう。白い恋人、六花亭バターサンド、南部煎餅、カモメの玉子、ままどおる、萩の月、白松がもなか、ずんだ餅、東京ばな奈、ナボナ、鳩サブレ、ありあけのハーバー、こっこ、うなぎパイ、信玄餅、雷鳥の里、もみじ饅頭、ひよ子・・。せいぜい…

  • 東京に来たトレーシー

    まずは木戸銭だよ。千円な。まるで胴元のように彼は手を出すのだ。ハイハイと薄い財布から貴重な伊藤博文を一枚出した。バイトで稼いだ数枚の札から一枚なくなるのは残念だが魔物のような誘惑には勝てない。 彼の部屋は台所、風呂とトイレそして二部屋あっただろうか。それは学生アパートではなく古びた一軒家でトイレはポットン式だった。そこに大きなラックがあり当時最先端のレーザーディスク、そしてビデオデッキ、立派なオーディオがあったように思う。もしかしたらオープンデッキもあったかもしれない。オーディオ・ビデオの鑑賞室でもあった。 さて何を聞くのか。彼はビートルズのファンでありチェリーサンバーストのレスポールモデルを…

  • 城壁を登った日

    人間六十年生きても、どうしても肌があう人もいればそうでない人もいる。肌が合わぬ人は時に嫌な人に思える。はてこれまで何人距離を置きたい人、苦手な人がいただろうか。 子供の頃はスポーツマンが苦手だった。小太りの少年にとって一番苦手なのが運動だったからだ。中学から高校にかけてはスポーツマンに加えイケている不良が苦手に思えた。怖かったのだろうか。大学生になり、アイビーを着こなしサーフボードを手にする学生が周りに出てきた。何を話したらよいのかが分からなかった。 うらやましさの裏にあったの妬みだった。そんな心はどうせ自分なぞ何をやっても無駄だ、という諦めに至るのだった。 社会人では課なり部なりというような…

  • 馬の街

    馬が人間の日常生活に溶け込んでいる風景は非日常的だった。都会の馬もアンバランスではあるが素敵に思う。石畳そして舗装路の上を歩くのでカポカポとかなたから聞こえてくる。近づくとまずその大きさに驚く。馬の背中の高さは1.5メートルを切るという。そこに跨ると目線は2メートルを超え3メートル近くになるだろう。肩車をして歩いている子供よりも目線が高い。さぞや視界が良い事だろう。 マンハッタンでもロンドンでもパリでも馬に乗った警官を見ることが出来る。デュッセルドルフで住んでいた家の前の道はいつも馬が歩き、彼の「落し物」は道路のそこら中に落ちていた。草しか食べないので糞はあたかも肥料のように見え臭う事もなく不…

  • 巡る季節

    仕事から戻ってまずは風呂に入る。この地に越してきてから風呂の楽しみ方が変わった。それはこの高原に幾つもある温泉に通ってからだった。温泉の露天風呂は冬はぬるめになる。まずはサウナで汗と疲れを出し切ってから露天風呂に行く。硫黄泉が匂う湯だ。そこで時折寝入ってしまう。それほど温めで心地よい。すると北斗七星はさきほどと場所が変わっている。室内に戻り熱い湯につかる。そして体を洗ってからまた入る。硫黄泉の湯もあれば肌がトロトロになる湯もある。どこも自宅から車で15分以内。温泉は選び放題だった。 自宅の風呂もぬるめの設定にしてゆっくり入る。出る時に追い炊きをしてあたためる。どうもこのぬるめの湯でゆっくり、と…

  • サンダイなにがし

    身の回りのものから好きな物やベストと思うものを三つ選ぶ、これは日本人だけだろうか。 日本三景、三大庭園、三大名城、三大奇橋、三大夜景、三大名瀑、三大祭、三大朝市、三大厄除け大師・・・全部答えられるだろうか?そしてそれは正解なのだろうか。 日本三景と三大庭園はまず間違えないだろう。このあたりは小学科社会科の教科書にも載っているから。しかしその後はどうだろう。城はどうか。現存する天守閣が最初のハードルだろうがあとは大きくて立派なものが好きなのか小さくて趣のある城が好きなのか。ネットで調べると姫路、熊本そして名古屋と出てくる。前者二つは誰もが頷く。しかし戦災で失われたとは言え名古屋はコンクリート造り…

  • 雨に濡れる桜

    東京は港区の真ん中に小さな山がある。海抜は26メートル。三等三角点が山頂にあるのだからビルが建つ前は展望もいっぱしの山だったのだろう。今では長い石段で登れる。山頂には徳川家康が建立したという愛宕神社がありその隣にNHKの放送博物館がある。愛宕山と言う天然の山だった。 そのビルには地下鉄神谷町駅から歩いて行ったのだろうか。時間に遅れぬようにと焦り小走りで緩い坂を下っていた。左手に農林年金会館とも言われていたホテルがあった。そこへ向かう途中で桃色の花びらが風に舞っていた。それは愛宕山に咲く桜だった。ああ、綺麗だな。今日は風は強いけれど晴なのだ。そう思った。 奥さんになる女性と両方の家族、仲人夫妻は…

  • きょうだい

    そこはとある街の温水プールの更衣室だった。小学校3年くらいの兄弟がロッカーで口喧嘩をしていた。 それ僕の服だよ。違うよサイズ110って書いてあるよお兄ちゃんずるい 大きな目、細い腕、タラの芽のような陰茎。二人は一体いくつ離れてるのだろう。服の奪い合い。兄の服が弟は欲しかったのか、勝手に着て既成事実を作ろうとしたのか。二人いるのに一つのロッカーを共有している。服を間違っても仕方ない。何時からそれぞれのロッカーを使うのだろうか。 二人ともバスタオルの上にゴム紐が通りタオルの両端にはスナップボタンのついたものを持っている。ポケモンは今でも子供に人気なのか。鮮やかなガラのゴム付きバスタオルだった。二十…

  • 青い軽登山靴

    何故だろうかしっかりと箱に入れて置いてあった。横浜からこの高原への引っ越しの際に多くのものを捨てたが、これは残してあった。箱を開けると青い靴がでてきた。サイズは22.5。それは小さなナイロンの軽登山靴だった。 もう三十五年も昔だろうか。当時交際していた女性とお揃いの軽登山靴を買った。毎月買っていたアウトドア雑紙の記事に紹介されていた靴だった。何かとても履きやすそうに思えた。自分もまだ山を初めた頃で経験不足で単独ならまだしも女性と、ましてや交際相手と歩くのは不安があった。きっと本格的な装備を、とでも思ったのだろう。それを履いて相模湖ピクニックランドの向かい側にある山に登った。観覧車は未だなかった…

  • 何事も待つ

    自分が大学で入学した学部は経営学部だった。辛うじて合格したのだった。他の大学の商学部、そして自分の学校ならば経済学部を志望していたがどこにも縁が無かった。経済学部と経営学部の違いも分からない受験生だった。なんだか似通っているだろう、程度の認識だった。実際の所経営学部は、簿記もマクロ経済学も、組織論やマーケティング論というその後の会社生活では役に立ったであろう講座が沢山あった。あろう、と推量で書いたのは熱心に勉強しなかったからだ。経済の仕組みは未だに分かっていない。円高も円安もああそうか、困ったで終わらせていた。もう少し勉強しておけば経済の仕組みがわかるのだろう、と今は残念に思う。 米国大統領の…

  • 東西両横綱

    かたや、北のぉ湖 こなた、輪ぁ島 そんなふうに呼び出されていたように思う。ふてぶてしいほどにどっしりとしていた北の湖と闘志が体から溢れていた輪島関、そんな東西両横綱の立ち合いは子供心にも観ていて楽しかった。 巨人が九連覇を果たしたのはチーム力だろうがやはり長嶋と王という二人が切磋琢磨して球団の原動力になっていたからだろう。初めて後楽園球場に行ったのは小学校3年か4年かは定かでないが、二人を見たときはやはり興奮した。相手は伝統の一戦と言われた阪神だったか。球場は歓声で揺れた。そんなふうに業界が盛り上がるにはこのような例を挙げるまでもなく互いを刺激し合うニ者が居ることだろう。 朝の空気は未だ凛とし…

  • ツクシなのか・・

    テレビの画面をじっくり見てはブラウン管に穴が開く。そう思っていた。流石に今はブラウン管はなくなり液晶パネルとなったがこれにも穴が開くのだろうか。が、今はそれほど熱く見る事もない。 画面には三人のお姉さんがフリルで彩られた白いミニスカートとブーツ姿で踊っていた。弾けるようなポップさがあり、何故か恥ずかしくなりじっくりと見てはいけないように思った。しかし見た。熱い視線でブラウン管そのものが爆発しそうに思えた。そもそもそんな風にかじりつく姿を誰にも見られたくなかったのだ。 彼女たちは歌っていた。「つくしぃ の子が恥ずかしげに 顔を出します」と。この後に続く。「もうすぐ春ですね ちょっと気取ってみませ…

  • お花見弁当

    桜に対する受け取り方は人によって異なるだろう。桜がそこらじゅうで咲いている場所ならば意外と人は不感症かもしれない。近所の人は余り桜の開花に関心を持っていないように思う。しかし都会の人は違う。東京タワーのお膝下、芝公園に会社があった時は夕方になるとそわそわし始めて、誰かが場所取りに行った。コンビニの缶ビールに屋台のタコ焼きあたりだったか。会社はその後目黒川の流れる街に移転した。ここの桜並木は圧巻だった。水質改善が進んだとはいえ今もお世辞にも綺麗と思えぬ少し臭う川沿いには提灯が並び出店も出ていた。驚いたことに桜の川を遊覧船が走っているのだった。肌寒くなるころに最寄りの浜松町駅へ、あるいは目黒駅へ、…

  • 酒飲みに来よし

    移住した高原の地は敷地の東側には沢が流れてあたりはコナラなどの広葉樹が林を作っている。川向うにはブナやアカマツの林もある。そんな木々と目の前に大きな南アルプスの眺望に惹かれた。しかし同時に新宿駅からの特急列車が停まる駅まで歩いて七・八分でいける距離だった。それはつまり林の中とも街の中とも言えた。市街地と言っても横浜とは違う。ポツンポツンと家があるだけで夜18時には人影が無くなり20時には漆黒となる。冬の夜空では北斗七星とオリオン座が向かい合って世間話をしている様を楽しんで見上げている。 家の玄関を降りて三十メートルも進んだだろうか。一軒の屋敷がある。そこでお年を召した男性がゆっくりとゴルフクラ…

  • 甲斐駒とBWV542

    車の中はオーディオ・ルーム。流石に純正スピーカーは社外品に交換した。足元の安いフルレンジスピーカーに加えダッシュボードにはゆで卵を半分程度にカットした大きさのツィーターを両面テープで貼っている。これ一つでハイハットは冴えるしピアノやチェンバロも華麗に響く、安い割には気に入っているシステムだ。 何を聴くかはその日の気分次第。ロックやソウルは高速道路。霧の夕暮れの一人のドライブにはユーミンも選ぶ。普段はクラシックが多い。オーケストラ、宗教声楽、器楽か。バッハは時と場所を選ばない。そして春はモーツァルト、シューマン。夕暮れ時のブラームスも良い。気楽に流すにはウィンナ・ワルツ。しかしそんな仕分けも意味…

  • 町の肉屋さん

    東京の中で若者に人気の街と言えば何処だろう。つい最近までは中央線沿いの吉祥寺がナンバーワンだった。ファッショナブルな若者が行き交う街だ。駅の南側にはそこでボートに乗った男女は必ず別れるというジンクスが言われる井ノ頭公園がある。なんでも弁財天様の嫉妬に会うらしい。そんな公園の北側も老舗の焼き鳥屋は外せないが駅の北側に行けば戦後のバラックの印象を残すハモニカ横丁がある。狭くて個性のある飲み屋が居並んでいる。左党ならば時の流れるのを忘れるだろう。 そんな横町を抜けるとアーケードの商店街に出る。ここも人が多いが、ひときわ人で群れ溢れお買い物の自転車も通れぬ一角がある。行列が幾重にも折りたたまれてるのだ…

  • 還暦のモデル

    一日に五百人から千人はお客様がやってくる。自分の職場はこのあたりではなかなか人気のある施設だろう。決して観光を目的とした施設ではなく工場の一部をツアーとしてお客様に見てもらっているだけなのだが。 深い森の敷地内にはなかなか目を引くモニュメントもある。だれもがそれを背景にポーズを取って写真に納まっている。制服制帽の自分は時々そんな人たちに話しかける。「お写真を撮りましょうか」と。それも大切な仕事だ。これまで何度スマートフォンのシャッターを押しただろう? 西洋人の男女二人だった。男性はニコンのフルサイズデジタル一眼を肩にかけている。レンズは何だろう。随分な大玉だな。20-70ミリズーム、Fは固定値…

  • 名店・味作

    広島の高校を卒業し東京の大学校に進学した。しかしその年からキャンパスは渋谷ではなく神奈川県中部の町・厚木に移設された。基礎課程の二年間が厚木、教養課程の二年間が渋谷だった。入学手続きと同時に学生課には厚木周辺の貸しアパートの情報が置いてあった。なぜ座間と言う街を選んだのかは定かではない。強いて言えば八部屋の二階建てアパートに共同風呂と洗濯機があるから、と書かれていたからだろう。本厚木駅は小田急線の駅だがさすがにそこより西には住みたくなかったのか。横浜で六年間を過ごしていたのだから東の海老名には土地勘があった。座間はその隣り町だった。 相模川の作った河岸段丘の中ほどに町は位置していた。小田急線の…

  • 分水嶺

    病院に行く。ガンのフォローアップは毎月だったが今は3ヶ月おきとなった。採血して腫瘍マーカーを調べる。年に1回はMRIを受ける。癌細胞よどうか再発しないでくれ、そう願いながら検査台に乗る。 病院の待合室には多くの人がいる。高血圧なのか高脂血症なのか糖尿病なのか。腎臓の病か消化器なのか。はたまた心臓がよくないのか、脳神経の病なのか。様々な病があるのだ。ぱっと見はどこが悪いのかわからない方もいる。ここで何かが見つかればこの建物の二階から上に行くのだ。かつて自分が居た七階の部屋からは丹沢と富士が見えて少し心が落ち着いた。しかしそこはガン病棟だった。病に負けて部屋から去る人も多かった。病に勝つか負けるか…

  • 霧の中

    自分の職場は谷から百メートルほど南に登ったアカマツの林の中にある。その谷を刻む川は急流をなし甲府盆地で一服をしてから再び山を刻み駿河湾に流れ出す。富士川と呼ばれている。そして我が家は職場の向かい側の高原にある。その間には高度差にして200メートルはある岩の台地がある。高原はその台地の上だ。多くの登山者が愛する八ケ岳は火山であり、爆発をして溶岩の影響を受けてその台地がある。かつては向かい合う富士山と背の高さ比べをして勝ってしまった。怒った富士山が八ケ岳を蹴飛ばしてしまい、山は八つに分かれ八ケ岳になった。それが火山の噴火だったのかは分からないが、山の本を読むならばどこかでそんな言い伝えを見るだろう…

  • 偏愛者

    こだわりの多い人がいる。多くの場合そんな人はどこかネジが外れており家庭生活を含めて「一般的な」社会生活には馴染めないかもしれない。でもそれでも構わないのだ。自分のこだわりが邪魔されずに実現できればそれで構わないのだから。趣味の世界でそれはあるだろう。何かの趣味に深くはまる。するとこだわりが生じる。こだわるからはまるのかもしれない。しかし彼らにしてみれば「拘る」ことへの幸せがあり、それが無い人は寂しい事だろうとどこかで気の毒に思うかもしれない。いや、こだわりが強いとそれ以外への世界に興味を感じないのかもしれない。 自分がここまで書くのはやはり自分もこだわりが多いからだ。しかしともにこだわる相手を…

  • おじいちゃん

    自分の祖父は香川県は金毘羅さん参りで栄えた港町で自転車屋を営んでいた。広島県の福山や宮崎アニメ「崖の上のポニョ」の舞台として描かれた鞆の浦から、小さなフェリーが瀬戸内海を渡っているのだった。そんな潮の香のする田舎町だった。小学生時代は毎夏ひと月ほどそこへ行った。母と東京に住む叔母の里帰りにそれぞれの一家が帯同したのでちょっとした民族移動だった。横浜から新幹線で岡山に出て宇野へ。国鉄の連絡線で高松の港へ。そして海沿いに塩田と山側に讃岐富士を見ながらディーゼル列車に揺られた。中学高校と自分は広島に住んで居たので広島市の宇品港から松山に渡ったこともあったが、多くは福山か鞆の浦経由だった。 屋根の低い…

  • 甲斐からの山・根子岳山スキー

    ・根子岳 2128m 長野県上田市・須坂市 山スキーとはスキーの裏にシールと呼ばれる滑り止めシートを貼り踵の上がるスキー締め具を用いてスキーを履いたまま山頂まで登り、そこでシールを剥がして滑降するという、登山の一形態だ。いろいろと近年物騒な話題を振りまくバックカントリースキーと近いが、大きな違いは山スキーヤーは自らが登山家だと思っている点だろう。地図の読み方、ビーコンとゾンデ、スコップ。そんな雪崩対策。山スキーヤーとして万全を期して山に入るので、オフゲレンデの粉雪を楽しもうとして行動不能に陥る良く報道されるバックカントリースキーと間違えられたくないと思う。自分はそんな山スキーに魅了されて三十年…

  • ハマっ子の味

    横浜には結局自分は何年間住んだだろう。3歳から12歳までの10年間、21歳から60歳までの40年間。ただし40歳の後半から五十歳の前半までの七年間は海外に転勤していた。そうはいっても50年は横浜に住んでいた。すると好きな風景と言うものが出てくる。横浜に住んでいたと言っても大半は京浜工業地帯の街で、工場の煙が見える高台に、そして六年間は横浜の西北部、そちらは産廃物処理場だらけのまったくの田園地帯だった。いわゆるヨコハマらしい風景と言うのは学生時代、そして社会人になってからの家内とのデートコースとして知った。 自分が挙げる横浜の好きな光景とは、横浜駅西口の繁華街と東口の港を見る風景、そして桜木町か…

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