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日々これ好日 https://shirane3193.hatenablog.com/

57歳で早期退職。再就職研修中に脳腫瘍・悪性リンパ腫に罹患。治療終了して自分を取り囲む総てのものの見方が変わっていた。普通の日々の中に喜びがある。スローでストレスのない生活をしていこう、と考えている。そんな日々で思う事を書いています。

杜幸
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2023/03/09

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  • LKFって?

    絵というレベルでもない。イラストにもなっていない。ただの幼童の落書きに近い。いや彼らのほうが純粋だから出来が良いだろう。世の中の清濁をある程度知ってしまった老童の書くものはやはり落書きだった。鉛筆、油性ペン、色鉛筆、水彩、どれを使っても、いくら描こうとも情けない程にセンスがない。しかし描くことは嫌いではない。幼稚園の頃近所の公民館で絵画教室に通っていた。小学生当時の日記がいまだに手元に幾冊もあるが、戦車と飛行機の絵ばかり描いていた。どんな頭の構造だったのだろう? どなたからか質問があった。時折ブログに文章と共に上げている自分の落書きの片隅に押されているハンコや書かれている三文字は何なのか?と。…

  • 台風シーズン

    この数日に台風が上陸し、それは日本列島をまさに横切るという。友人は既にウッドデッキの机椅子を畳んでいた。我が家は未だなにもしていない。大丈夫だろう、どこかで変に腹をくくっているのは痛い目に遭っていないからだろうか。。 台風について、中学生の時、理科教師がこんな事を言っていた。先日広島市の上空を台風が通過したね。ちょうど台風の目が市の真上を通った。何もなく空が良く見えたね。皆は見たのか? そんな話だった。自分が広島に居たのは1975年から81年までの六年間だった。中学は75から78年までだった。その三年間のどこかで台風が広島市に上陸したのだろう。海の見える高台に住んでいたが、埋立地の先の海が荒れ…

  • 顧みる時

    夕暮れに駅に散歩に出た。切符を買おうという名目が一応あった。犬を連れずに一人だった。つまらない事で家内と口げんかをしてしまった。独断的な自分はあまり人の言う事を聞かない。友人や他人の言葉ならばしっかりと聞く。しかし何故だろう、家内の言う事は聞き流す。その理由はわからないが何処かで男だからと優越感を持っていてそれが顔を出すのなら、限りなくつまらなく厄介な話だった。しかも自分は口が悪い。これまで何度彼女を傷つけたのかわからなかった。いつもは自分でそう認識できるほど明朗でおどけることが好きなのに、どんな拍子で全く違う顔が顔を出すのかはわからない。違う顔の後に自分を待っているものは決まって自己嫌悪だっ…

  • スカボローの市場

    スコップに足を乗せ一気に体重をかける。ブチブチと地下茎が千切れる感触が伝わる。梃のように返すと山盛りの土が出てくる。空いた穴に黒土と腐葉土を入れて混ぜる。そこに根包を、ポットから出た根の塊を埋めて周りに堰堤を作る。あとは水をぐるりとまいて池のようにしてしまう。 鍬で土を掘る、凹みに小砂利を敷いてたからレンガを載せる。足でふみ固める。レーキで砂利を掃く。そんなことの繰り返しだった。家の敷地に木を植え草花を植えた。そして庭の形を作る。レンガを敷いた。石を置いた。それが終わると畑づくりだった。培養土を敷き詰め畝を形作りビニールを被せた。穴から水耕栽培で育てた種子を土に入れた。覆いの支柱を立ててカバー…

  • 高原の花

    南アルプスの鳳凰三山だっただろうか。夏山の風景の中に鮮やかなピンク色が揺れていた。紫がそこに交じっていた。北アルプスの笠ケ岳を目指す沢沿いの道だっただろうか、広い沢の渡り返しでぽつんと赤紫色が夏空に浮かんでいた。欧州最高峰・モンブランを巡る長いトレッキングルートだった。イタリア国旗のたなびく小綺麗な山小屋で一夜を過ごし緩い下り坂で湿原に出た。背後には雄大な氷河があり凡そ日常とかけ離れた風景だった。その風景を深く頭に刻み込んでくれたのは、やはり湿原の縁に揺れる赤紫色だった。 ヤナギランは魅力的だ。夏の亜高山帯には欠かせない。青い空に生えるピンク色、いやそこに薄紫色が加わる。赤紫という表現があって…

  • 名前を書きましょう

    小学生になり最初に学ぶのはひらがなの読み書き、次に持ち物に名前を書きましょう、だったか。確かにランドセルの名札は別としても、ジャポニカ学習帳などのノートや教科書、ソプラノ笛などには下手くそな名前を書いていた事だろう。 何故名前を書くのか。それは所有権の主張だ。それがあれば自分以外は誰も手にしないだろうし無くしても戻ることもあるだろうから。 昭和四十年代、新興住宅地に住んでいた。父が買った土地は横浜駅からひどく離れた場所で、畑と切り開いた山があった。そこには幾棟もある真新しい県営住宅があった。横浜駅へ向かうバス乗り場は広場になっておりバスが転回するのでいつも埃が立っていた。そんな所に開かれた場所…

  • もう行くのか?

    庭に木を植えてから俄然来客が増えた。鳥だった。ホトトギスもカッコウも数か月前までは毎朝うるさいほどに鳴いて、自分を覚醒に誘ってくれていた。が、何時しか聞かなくなってしまった。彼らが鳴く理由がパートナーへの求愛であるならばそんな繁殖の季節は終わったのだろうか。あるいはそれは他の鳥の声に交じり目立たなくなったのかもしれない。 庭仕事の合間に何気なく空を見ると視界をさっとよぎる。それは庭に植わっているナンテンの枝を一時の休憩場所と選んだようだった。来訪者が多いので最近は300㎜レンズを付けた一眼をデッキに置いてある。狙って撮った。 植物にも動物にも自分は全くの素人で、見てもわからぬ、覚えても忘れる、…

  • 小さなお客様

    我が家に造園屋が入り庭木を植えて土地を整備してしてもらった。あとの細かい事は自分達が楽しみながらやるのだった。実際庭に出て野草の一つでも植えようものなら、砂利敷きを整備しようものなら、一時間の作業で精魂尽き果てるのだった。照り付ける陽射しは高原の夏とはいえさすがに厳しい。野良用の服はたちどころに汗まみれになった。少しづつしか進まない。 それでも少しだけ形になった庭を歩いていた。草刈り機で刈った草もそのままで朽ちるがままとしていた。実際枝も草も刈り取ってしまったらあっという間に腐敗していくのだった。そんな朽ちいく草ががさごそと動いているのだった。何だろうと近いづいた。 蟹だった。小さな蟹が懸命に…

  • レーグナーのチャイコフスキー

    自分がクラシック音楽を幅広く聴くようになったのはやはり会社員になってからだろうか。今の様にストリーミングもない時代、買うのならCDであり一枚三千五百円はそれなりの出費だった。自分で稼ぐようになってからだった。 1980年代から90年代にかけて、ヨーロッパ社会は揺れていた。1989年、ベルリンの壁が崩壊し誰もがそれをツルハシでぶっ壊し東ドイツ市民が西ドイツに流れ込み歓喜の輪が湧く、そんな映像をテレビで見た時にとても興奮した。鉄壁と思えた社会主義体制は一気に崩壊した。幸いに自分はまだ壁の向こう側だったポーランドとチェコスロヴァキアに出張で行く機会があった。米ドルが自国通貨よりはるかに強かった。ホテ…

  • 訪れ

    高原の八月は両極端だった。日差しがあればそこには夏があった。日が諏訪湖の方向に沈んでいくと代わりに地面から空から闇が湧いてくる。それはいつも使者を伴った。角張った空気だった。昼に摂氏三十度を超えても夕には二十度台に落ちる。夕暮れと闇が拮抗する時間、目の前の甲斐駒ケ岳が赤く焼ける。飽くことなく僕はその風景の流れを見ている。 町役場の人に、近所の人に、行きつけのベーカリーで、僕は聞いてみた。秋は何時から来るのですか?と。 お盆を過ぎると、風が変わりますよ。秋色になるのです。誰もが口をそろえる。 秋色の風か。どんな色なのだろう。なんとも詩的で素敵に思えた。 ついひと月前まではあれほどに美しかったアヤ…

  • 面接官

    だいたい電話でまず話すと、分かりますね。その人の人となりが。 そう言われてしまった。移住した地でやるべきこともあらかた済んだ。家の登記にかかわる事、インフラの整備、庭造り、冬への備え、飽きるほどにやることがあった。流石に三カ月以上をそれらに費やすと、あらかた先が見えてきた。 もともとこの地で好きな事をしてゆっくりと過ごそうという目論見だった。しかし有り余る時間を前にして、やるべきことを一通り終えてしまったなら、その後に自分を待つのは、何という事だろう「空虚」だった。それではいけない、自分にはやりたいことがある。何も着手できていない。しかし小さく蓄積した疲労はこんなときに顔を出す。やりたい事には…

  • 嫁入り

    高原に移住することを決めた時に、おぼろげに庭の案を考えていた。それは自宅の庭を里山の雑木林にしようというものだった。新緑から紅葉、落葉迄四季おりおりに表情を見せる落葉広葉樹は心から自分を癒してくれる。特に自分は地衣類が造り上げる美しい紋様を纏ったブナの木が大好きだった。ブナ信奉・偏愛者だった。草花もガーデニングの為のものではなく、自然にある野生のものが好きだった。幸いに自分の土地の東側には小さな沢があり、そこは深いミズナラの林だった。その林と自宅の庭が一体化すればよいと思うのだった。 もともとは畑だった土地には樹木らしいものは無かった。唯一カリンと南天が茂りそこにボケが加わっている、そんな土地…

  • ヨコハマナンバーの車

    この地に引っ越してきて今まで、長くもあり短くもある三か月。ほぼほぼ毎日何かの雑用がある。高原台地を中心に、谷沿いに伸びるエリアも含め、おおよその土地を車で走り回った。コンパクトなエリアで生活できるが少し気の利いたものを手に入れるならば隣街に行かなくてはいけない。車に乗り出かける機会も増えた。 この高原の地は五月連中とお盆には他県ナンバーが溢れるという。実際夏休みに入りたての時期に道の駅へ行ってみると駐車場が満員御礼だった。しかも関東各県から中京圏、はては大阪あたりまでの車が多い。改めてここがそこそこ人気のあるリゾート地だと知る。そんな時期は車が多いが、季節外れの平日など渋滞とは無縁の長閑さがあ…

  • 本を読む彼女

    真夏とはいえ流石に海抜2400メートルだった。汗ばんだシャツは乾いてはいたが上着を羽織った。テントを抜け出して小屋に向かった。缶ビールを買おうをとしたが夕食の準備で大忙しの様だった。疲れていた。目指した山頂を踏んだのでそれは心地よい疲労でもあった。テントに戻り横になった。僅かに寝たのだろう。 今度こそ缶ビールを買えた。戦場のような小屋の時間は終わり食後の談笑が聞えて来た。洗面所で若い女性と顔を合わせた。並んで手を洗った。山で汚れた手と汗ばんだ顔を洗いさっぱりした。 「ここの食事は美味しかったですか?ハンバーグが出ていましたね」「いえ、この小屋で働いてるんです。」「そうですか・。この小屋は気分の…

  • 踏切板

    高原の地に引っ越して早くも数カ月が過ぎた。身の回りのもの、庭の整備にかかわるもの、そんな買い物がいまだに続いている。一気に買い込んでも整理できぬ、必要になってから揃えていく。必然的にホームセンターには三日、いや二日に一度は通っている。 「いつも大人しい、良い子ねぇ」そう言われた。彼女には前回も、その前も、いつも言われていることを思い出した。この三か月、余りにホームセンターに通うので僕らの顔を覚えたのか、と少し恥ずかしい。今日は違うレジにしようと思ったがそこは長蛇の列だった。しかたなくもう一箇所のレジに行くと、また、言われたのだった。しかし彼女の関心はカートに座っている犬に対してだった。 今日は…

  • 1.5キロの自由 甲斐からの山・天狗岳

    幕営という言葉がある。幕を張って野営する事で、その幕とは今では死語かもしれぬ「天幕」から来たのだろう。薄手のナイロン生地の四隅にスリーブが通っている。そこにジュラルミンのポールを挿入していけばスルスルと出来上がってしまう。その上に防水性のあるナイロン生地・フライシートを掛けて四隅を固定すれば完成だ。ゴアテックスの生地ならばフライは不要だからより組み立ては簡易だろう。いずれにせよものの三分もかかるまい。自分が山を始めた1980年代の登山用のテントとはもうすでにそんな形に完成されていたものだった。しかしそれ以前は違うだろう。重たいキャンバス生地を支柱で建てて張り綱を引く。まさにそれは天に向かって幕…

  • 夜の八王子駅

    八王子駅で中央線下りの特急列車を待っている。所用で都心に出たがその用事が済んだのを見計らっていたかの様にスマホの警戒アラートが鳴った。神奈川で地震発生と言う。横浜から転居した山梨の高原まで帰れるのだろうか。新宿駅発特急あずさの指定席無し特急券を持っていた。夏のこの時期に、乗車の当日に指定券を買おうという無計画さを悔いた。 「♪まぁるい緑の山手線、真ん中とおるは中央線」と歌われたオレンジ色の通勤電車は遅れに遅れていた。高尾付近の大雨、遅延した満員電車で体調を崩した乗客。何とか新宿まで出た。が、ここから目指す特急列車が果たして来るのかもわからない。人いきれの新宿駅ホームは何時にもまして蒸し暑い。こ…

  • 歳月を経ても

    所用で都心に出る事がある。横浜市民の頃は京浜東北線を使っていたが、山梨県民となった今は中央本線を利用する。高尾から東は都心への通勤電車が走る。そんな中央線には独特の文化がある。八王子は丘陵地に並ぶ多くの大学の街で全国から来た学生がいる。立川は米軍基地の印象を未だ残す発達中の街、国立は静かな大学の街。国分寺から武蔵境、三鷹にかけては武蔵野の面影が残る。吉祥寺はお洒落とレトロが混じる街。ラーメンの街荻窪からアート系の、ミュージシャン系の街中野へ。多様な文化が混じっている。 その中央線沿線に学生時代の友人が住んでいる。とある駅で待ち合わせた。武蔵野の雰囲気を残す街の眺めの良いカフェに行った。彼女と会…

  • ナイロンの我が家

    子供のころからさすらう旅人に興味があった。旅程を立てそれに従って行動する旅行者ではない。自由気まま、持てる範囲の荷物を手にして足を進める、そんな旅人だった。運河に浮かぶダルマ舟。路肩にある段ボールを積んだリアカー。昭和四十年代はそんな風景が普通に在った。あんなところに住んだら気楽だろうなという思いが湧いた。いつでもどこにでも行けるから。しかしその憧れを母に告げたらたしなめられた。何が悪いのかよく分からなかった。どうやら相応しくない話題の様だった。 憧れはしかし心の中の深い所で、まるで「おき火」のように残っていたのだろう。青年になりオートバイを手に入れてからはそれで様々な旅をした。燻っていたおき…

  • あかぼし・あおぼし

    スーパーマーケットのある谷あいの街を抜けると新しい住宅地だった。僕はそこを自転車で懸命に登って行った。何度その坂を登ったのかわからない。遊びに来た祖母がくれたおひねりを握り、お正月になるとお年玉を握りしめ、飽くほど登った。その坂の途中に目指す店があった。僅かながらでも陳列棚があったのだろうか?もう何も覚えていない。 あるマークが記憶の中を占有していた。赤字と青地の正方形が並んでいる。そこに星印が白抜きされいる。そこにシンメトリーの妙を感じた。更に敢えて左右の背景色を変えている。そんなふうに観察眼を得るのはもっと後の話だった。ただ小学生はそれを「あかぼし・あおぼし」と呼んでいた。 店の中は夢の国…

  • ブタの鼻ありますか

    テントの日干しをしていた。三組のテントを持っている。ペグなどの部品は使いまわしていた。色々な種類のペグがあるが自分はアルミの丸棒が使いやすい。土や草付きには刺しやすいが岩地や石交じりには苦戦する。そこを手頃な石で叩いて入れるがたいていの場合ペグは曲がってしまう。アルミ棒だから仕方ない。帰宅してからペンチで治す。そんな繰り返しだ。が、いずれひどく曲がって捨てるのか、使いまわしているうちに無くなるのか。 三十年前から使っているテントにはテントロープが一本だけ無かった。これも何処かのテン場で紛失したのかもしれなかった。山道具を入れたプラケースをひっかきまわし、束ねてある細引きを切って代用した。が、何…

  • 夜の来訪者

    深夜に目覚めた。開けた窓から冷気が入っていた。一雨来たのだった。高原の雨は冷たく気まぐれだ。朝晴れればよいなと二度寝した。雨は一晩中続いたように思えた。 朝五時にはカッコウとホトトギスが音楽を奏でる。そんな重奏が自分達を起こしてしまう。閉めていたリビングのカーテンを開けた。ウッドデッキの先にある庭は最近ようやく形になった。山の木を植樹し庭の体裁を整えた。小さな畑を作った。そこは自分達、とりわけ家内が夢を膨らませていく場所だった。畑には培養土を入れただけで畝づくりはこれから始まる。鍬もレーキーも揃えた。もう少しだけ培養土を入れたら作業開始だ。そんな風に意気込んでいる。 昨夜に来客があった様だった…

  • 僕だって怖いよ

    空が一気に暗くなってきた。高原の大地が盛り上がり空に近づいたのかと思ったがそんなはずはない。空が落ちてくるはずもない。黒い雲が一気に厚くなったのだった。閃光が走り地面が揺れた。幾つも続いた。雲の上の雷神様が怒り心頭なのだろう。何か悪い事をしたかなと我が身を振り返る。 百万個のバスタブを一気にひっくり返したかのような雨がやってきた。あの空にこんな水が含まれていたとはにわかに思えぬ。飽きずに続いた。雷神様の怒りは相当のもののようだった。もう勘弁してくれと思った。我が家より背が高く尖ったものがある。近所の電柱だ。喝を入れるならせめてそこにお願い!そう言いたかった。 幸いに家の電気は落ちなかった。しか…

  • 風薫る丘

    風薫るといえばそれは五月だろう。陽炎の様に空気が熱気で揺れるこの季節にはおよそ似合う季語ではない。しかし確かにそこは風が薫っていた。 峠近い駅で自転車を組み立てた。一足先に足慣らしをしていた友人とそこで合流した。そこから県庁所在地の街までのサイクリングを計画していた。友人は都心に近い場所に住んでいるがこの地はよくサイクリングで訪れるということで自分よりもはるかに土地に知悉していた。谷あいの国道を冷や冷やしながら走り降りた。自転車のことなどこれっぽっちも考えていない道路で左手は深い谷だった。トラックがすれすれで通り抜けると生きた心地はしない。しかも今日の相棒のフレンチロードはブレーキの制動力が今…

  • 頑張れ移住組

    我が家の裏手には少しくたびれた民家がある。その裏の奥にはミズナラの林があるがその建物は農地に囲まれていた。ある夜にその道を通ったらなんとその疲れた建物に灯がついており車が数台停まっていた。車を停めて近づいた。古い家はきれいにリフォームさらてイタリアンレストランになっていた。数席のカウンターにテーブルが四、五卓。すでにほぼ満席だった。ご夫妻と思われる二人が出てきた。ワインの品揃えが楽しめますと言われた。 道の駅という施設が一般化したのはいつからだろう。少なくともオートバイにまたがり様々な山間部を求めて走っていた八十から九十年代には見たことはない。しかしそこは今では観光の人気スポットとして多くの人…

  • 負ける気持ちに

    億劫だな、に加えて不安だなと思うようになった。そこに怖いなという気持ちも加わった。それはもう一つの気持ちと相克する。行くのだろう、楽しみなんだろ。さっさと行けよ、という気持ちだ。正と負は自然科学の分野では不可避だがこれが心のなかに起こるのは不思議だった。 病のあと自分は大きく変わった。感情面では喜怒哀楽の制御が効かなくなったこと。肉体面では慢性的な頭のしびれ、ふらつき、倦怠感が拭えなくなったことだった。脳の一部を切り取るとはそんなものかと諦めている。 登山はこれまでの中で会社人ではない自分の一部として大きな位置を占めていた。最低でも毎月一回の山行を何十年も続けてきたのはそうでなければ出来ない。…

  • 炎のマエストロ

    炎のように熱き心がある。燃えたぎる心。マエストロとは芸術家の敬称だが西洋音楽においては指揮者を指している。燃えるような指揮者と言うべきだろうか。 演奏会のパンフレットを街で見てからチケットをすぐに買った。山梨県で彼の音楽に触れることが出来るのかとは驚きでもあり喜びでもあった。 「炎のマエストロ」とは自分が考えたわけでもない。誰がそう名付けたのかも知らないが彼が特別客演指揮者を務めている楽団のWEBサイトにそう記載されている。楽団から見て炎のように情熱的な指揮をする、そんなところだろうか。 地元に根差した楽団があると良いなと思い、山梨県に移住するにあたり自分はまず地元のオーケストラの存在を確認し…

  • 八ケ岳とバルビゾン

    酷暑の取材としてテレビ画面に出てくる地は関東地方ならばまずは汗ばむサラリーマンの新橋駅前SL広場、それに加え、やはり熊谷・伊勢崎・舘林といった北関東の街、更に甲府だろうか。都心は都市熱だろうが他の街にはいずれも山から吹きおろす熱い風がフェーン現象を引き起こす。 そんな街をモノ好きにもサイクリングしていた。暑いさなかブドウ畑には一服の涼があった。同行の友人からここの美術館にミレーがあるから立ち寄ろうかと提案があった。この街にミレーの絵?にわかに信じられなかった。もうサイクリングも行程の後半で流石に暑さで疲れ切っていた。冷房の効いているであろう美術館は魅力的だった。 そこには確かにミレーの絵が幾つ…

  • 体操ニッポン

    オリンピックだ。会社員生活の後半に自分が五年間過ごした街、パリで行われている。セーヌ川の風景もその周りも随所に懐かしい。金メダルラッシュで愛国心のかけらも持たぬ自分でもテレビで見ていると涙が出てくるのは不思議だった。 体操王国ニッポンとはいつの時代から言われているのだろうか。東京オリンピックの年はまだ自分は一歳だった。当然記憶にはないがネットで調べると団体と個人で体操の金メダルを日本は得ているようだ。高度成長期の時代にそれは多くの日本人に励みとなっただろう。体操種目を見ているとため息が出てくる。難易度も高い。とうとう一度も鉄棒の逆上がりが出来なかった自分から見てすべては神技だった。 競技を見て…

  • 泰国の二人

    僕達はそこでまずは汗を描くほどに冷えた中ジョッキを頼んだ。テーブルにそれが載せられてから喉が鳴るのに三秒も必要なかった。この地の名物トリモツは甘い味噌タレが絡んでおりビールの格好のお供だった。熱いさなかに僕らは四十キロ以上も走っていた。フェーン現象でその地は気温三十八度は超えている。駅前の駐輪場に駐車してから店を探した。たちまちに一杯は消えて、二杯目になった。 座敷席を案内されたが掘りごたつだったので一安心だった。だんだんと座敷での生活が出来なくなっていた。あぐらはもともとかけないが正座に耐えられる時間も減ってきた。年月の経過を思わざるを得ない。 隣の宅の若いカップルにに目が止まった。彼らはメ…

  • マルバタケブキ 甲斐からの山・千頭星山

    小さなピークを過ぎた。この山頂の広大な眺めは二十年振りだろうか。そことて海抜1740mはあるのだが今日の目的地はその先だった。あの頃、この先の登山道は記憶が正しければ登山ガイドでは破線コースだった。なにせ鳳凰三山へつながっている尾根だった。そんなこともありこの山を何処か敬遠していた。しかし山梨百名山のガイド本を見ていると少なくとも途中の2139m峰までは一般コースの様だった。 群馬から来たというパーティを追い抜き先に進むと、もうその先に登山者は居なかった。鞍部に降りて左手に高く大きな山が見えた。このあたりの猟師言葉で千頭(せんず)とはシカやイノシシの多い狩猟地の事を、星とは境界をさす、とガイド…

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