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日々これ好日 https://shirane3193.hatenablog.com/

57歳で早期退職。再就職研修中に脳腫瘍・悪性リンパ腫に罹患。治療終了して自分を取り囲む総てのものの見方が変わっていた。普通の日々の中に喜びがある。スローでストレスのない生活をしていこう、と考えている。そんな日々で思う事を書いています。

杜幸
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2023/03/09

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  • スージー好きが興ずると

    これ何だかわかる?と友人は嬉しそうに黒いポリカのパーツを見せるのだ。ああ、そう来たか!と思う。 乗り心地の良い車ではない。小回りも苦手だ。車に快適さを求めるのなら選ぶまい。しかし三代にわたり三台乗り続けている。自分でも不思議だが好きだから仕方がない。175/70/R16・・。小さなボディにはいささか不釣り合いな大きいタイヤ。一体その実力を発揮するような場所に年に何度行くのか?確かに街乗りではオーバースペックかもしれない。しかし今の型になって燃費は大幅に改善された。以前の型はオートマでリッター辺り街乗り9キロ台だった。先日は少し遠乗りもあったにせよ満タン法でリッター13キロだったので全くありがた…

  • 右か左か

    下山路だった。目指した山頂は先程まで足元にあった。都心を遠望できる冬枯れの低山だった。登山はピークを踏むばかりでなく無事に下山することで完結する。山頂を踏むと誰もが安心し何かを成し遂げた気がするのだろうか、道間違い、滑落、疲労による行動不能、多くの山の事故は下山時に起きるという。 尾根を下っていた。ある地点で踏み跡は南と東に分岐していた。南の道は山肌をやや強引に降りてすぐに里に降りるものだった。東の道は尾根を忠実にトレースする距離のある道だった。分岐で迷った。どちらに行くのか。何時もなら里にすぐに下りられる道を選ぶ。目標を果たした以上早く安全を確保したいからだ。しかし今日は雑木林の中、山道を長…

  • 風に揺れる耳

    それは決してそよ風ではなかった。高速道路を走るトラックの荷台だった。幌はかかっているが捲れた布から大きな塊が見えた。番号札のついた耳が風に揺れていた。黒い肌の中に埋まったような真っ黒な瞳が少し動いた。高原のそよ風なら気持ちよかろう。しかしそこは幹線の高速道路だった。トラックは力強いトルクで登り坂の自分の車を追い越していった。僕はなぜかクルーズ・コントロールのスイッチを切った。トラックは直ぐに前方に遠ざかって行った。 もう十年も前だろうか、僕は友とともにクロスカントリースキーを履いて山道を登山していた。そこは冬季閉鎖された林道で真冬にスキーを履いて歩く者など皆無だった。仮に居るとしたら酔狂ものだ…

  • 空想の庭

    もし自分の家に広い土地があったら、どんな庭にしたいのだろう? 林の中に棲んでみたいという思いが芽生えたのはやはりアウトドア誌のお陰だろう。そんな雑誌を楽しむようになったのは社会人になってすぐだった。しかし生活の拠点は会社と家のある首都圏に限られた。せいぜいオフロードバイクにキャンプ用具を満載し林道を走り山奥でテントを張り焚火をする程度だった。それしか都会生活者にはありえなかった。アウトドア趣味の究極は登山だろうか。直ぐにその世界に行きついた。 いつもアウトドア雑誌が手元にあった。色々な野遊びを提案してくれていた。その中にはログハウスの広告もある。すっきりとした雑木林の中に木の家が建っている。何…

  • パタカラ体操

    職場の二階は高齢者デイサービス施設だがそこに「パタカラ体操」と書かれたポスターがある。職員の手作りだがお爺さんとお婆さんが並んで大きく口を開けてパ・タ・カ・ラと言っている絵が描かれている。なかなかに可愛い昭和のご老人のイラストだった。入れ歯が外れぬか心配だった。 さて一体何の体操なのかは自分で口を大きく開いてパ・タ・カ・ラと動かすとすぐにわかる。腹筋トレーニング?ちょっと違う。顎が外れるまでの勢いで口を開けると何故か目もその都度見開かれるのだから人間の顔をというのは不思議に連係プレーが出来ているな、と妙に感心するのだった。 だんだんと、いや毎日自分は感じている。それは9.8メートル/秒二乗の速…

  • 余り物は何でも使え

    名古屋という街には余り直接的な縁がない。横浜の小学校を卒業した春に父は広島に転勤となった。そこへ向かう途中に何故か名古屋で一泊した。お城は立派だがコンクリート製だった。むしろその堀の中に敷かれていたレールに目が行った。名鉄瀬戸線。電車好き少年はそれにひどく感動した。テレビ塔を見てホテルに泊まった。翌朝そのロビーには当時南海ホークスの監督をしていた野村選手が居た。被っていた巨人の野球帽を取るべきか悩んだがそのつば裏に苦笑しながらもサインをして頂いた。 名古屋は自分が産まれる一年前まで両親が住んでいた街だった。伊勢湾台風がきて鉄筋アパートの鉄の扉がたわんだと母は言っていたが余程凄まじかったのだろう…

  • お母さんの店

    焦げ茶色のやたらによく震える電車を降りると駅前から砂利道だった。ダンプカーの上げる砂埃を払いながら歩くと道沿いにぽつんと小さな建物があった。店舗と民家が同じ建物なのだろうか、そこからは昼ご飯の匂いが漂っていた。ガラガラとガラス扉を開けると明るい声をあげるお母さんと幼稚園生と思える男の子が居た。僕は一片の紙切れを取り出した。 紙切れを見ながらお母さんは鼻歌を歌うように店から小さな部品を取り出してはプラスチックの皿に載せていく。どれもが床に落としたら見つけられなくなるような手のひらの部品だった。抵抗、コンデンサ、トランジスタ、ラグ板、トランス等だった。 「サンスイのトランスST32は品切れだからこ…

  • バゲット一本

    どの国にも美味しいパンがある。日本なら食パンだろうか。イギリスのパンから来たようだが日本の食パンは柔らかさを追求しているようだ。実際テレビのコマーシャルも生の食パンが如何にふわりと千切れるかを見せるシーンが多い。似た形でもこれをイギリスで食べると食感はポソポソとしている。ソフトな食感は日本人の好みなのだろう。 ドイツで自分が好きだったのはブレートヘェン(Brötchen)と呼ばれる手のひらに乗る丸パンだった。外側はこんがり焼けて中身は多少柔らかい。会社の食堂では牛肉の赤ワイン煮・グラーシュズッペが安く食べられたが、それにピタリとあう。残り汁を一かけらのパンで拭うように食べるともう一杯欲しくなる…

  • 俊英の筆

    自宅で新聞を取らなくなって久しい。時事ニュースはネットが早い。経済記事は日経電子サイトがあった。こちらは有料だったがいつでも気軽に読めた。それもあり新聞を止めた。朝4時半にポストに投函される音で目覚める事もあったがそれもなくなった。 日経電子サイトもしかし、会社を辞めると真っ先に解約した。もう自分に不要だった。地元社会の福祉施設である今の職場に来てからは紙の新聞に再び触れる事が出来た。来館者の為に新聞を取っているのだった。全国紙ではなく地方紙、それにスポーツ新聞だった。 スポーツ新聞はさておいて地方紙は地元についての記載が多い。全国紙より役に立つ情報があるように思えた。社説なりコラムは新聞によ…

  • 我慢比べ

    初めて飲んだ酒はビールだったか。いやもしかしたらお正月のお屠蘇だっただろう。たしかに子供でも一口程度は唇を濡らしたかもしれない。 大っぴらに飲みだしたのは大学生になってからだ。当時は十八歳であれお構い無し、そんな時代だった。一人住まいを始めたので立ちどころに自分の部屋は法律家を目指していた隣室の男やクラスの仲間たち、むさくるしい男どもで賑わった。毎晩そこで酒盛りだった。騒々しかったのか隣家にすむ大家が時々苦情を言いに来た。 正直ビールは苦いだけだった。T焼酎の純、S社の樹氷。部屋にはこの安い焼酎とウオッカのガラス瓶がゴロゴロしていた。ポテトチップスを手に、これらをコーラで割って飲むと手っ取り早…

  • 北へ向かう鳥

    春めいた一日だった。朝の散歩は犬の排泄も兼ねるので欠かせない。風も柔らかい。有意義な日にしようと思う。 朝食を食べながら考えた。県の西部へ梅を見に行こうかと。小田原の近郊は曽我の地に梅林がある。数年前、もしかしたら自分がまだ会社員の頃だったのか、見に行った。死んでしまった初代の犬がまだ元気で、彼は梅林の中を楽しそうに歩いていた。彼はもう居ないが二代目犬にも楽しんでもらおうと思った。 しかし何故か体が言う事を聞かなく力が出なかった。少し遅れて出るか、そう思い横になったらもう昼が近かった。悪い悪いと謝ると、家人は市内の庭園でもいいよ、という。あそこなら三十分で行ける。しかし昼食を摂ると再び眠くなっ…

  • 犬の会話・福之記10

    散歩に行く。いつも同じルートだと認知力が落ちるのでたまには違うところへと行く。とはいえ近所の住宅地などたかが知れているので車で少し走ってから馴染の薄い場所を歩く。すると新しい発見もある。 それは我が家の犬も同じこと。知らない土地は地面を頻繁に嗅ぎ回る。刺激が多いのだろう。犬にも認知症はあるが刺激を絶やさないことはそれの防止になると思う。 お互い認知症は嫌だよな、そう話しながら彼と散歩をしている。 彼には友人がいる。イヌの付き合いなど深くはないが互いに鼻を匂い性器を嗅ぐ。これが挨拶のようだ。こうして嗅ぎあう友は何匹だろう。仲良しは我が家と同様に二代目犬のコーギーだろう。その飼い主さんは初代コーギ…

  • 餃子の憂鬱

    この文のタイトルに憂鬱という言葉を選んだ。美味しいものを食べるのに憂鬱などおよそ相応しくない単語なのに。 人類滅亡の日が明日とする。すると今夜が最後の食事。そこで何を食べるのだろう。くだらないが本当にそうなら頭を悩ます。ラーメンを別格とすると、自分はトンカツ、ハンバーグ、餃子を選ぶ。トンカツはロースで。ヒレカツは上品すぎる。ハンバーグはつなぎの入らぬもので目玉焼きを添えて欲しい。餃子はそれが日本式と知りながらもやはり焼餃子といきたい。 どれも子供が好きなものばかりで還暦回っても味覚は子供のままだった。共通するのは全てが脂っぽい事。その結果が現在の自分の体型のなのだから、我が年齢も考えて嗜好を変…

  • 貧乏性

    ウーロン茶やジャスミン茶。中国のお茶はどれも健康に良いように思える。脂っこい料理が多いがそれを洗い流す、とも聞いたことがある。たしかに炒め物や揚げ物とともにそれらを飲むと食道から胃のあたりがスッキリする。しかし腹が出て、体重計の針は右に振れるのだからどの程度の効果かはわからない。 台湾に旅行に行った。食事はやはり夜市などの屋台が手軽に旨かった。しかしきちんとしたレストランもやはり美味しい。よく蒸したお茶を出してくれる。ウーロンもジャスミンもあった。爽やかさと風味だろうか、体に嬉しい飲み物だった。 お土産にと街なかのスーパーで缶入りの茶葉を買った。烏龍と茉莉花だった。烏龍は二種類あった。一つは高…

  • 整理整頓

    誰しも何に付け得手不得手がある。身の回りの整理などは最たるものだろう。その人の机の上を見ればほぼどんな人かがわかる。現役時代の自分の会社の机の上には書類が軽く20センチは溜まっていた。それが一箇所ではなく机の左右に在り辛うじてPCと外付けモニターがその塔の倒壊を防止していた。しかしそんな人に話を聞けばこういうのだった。「何処に何の書類があるかは分かっている。だから崩さない」と。 それが本当なら凄い頭脳の持ち主になる。いやそうではないことは自分が証明している。今も机の上は本や文具の箱、聞きかけのCDなどで山積みだ。しかもいつも探し物だ。砂の中の針だった。 一方綺麗さっぱりに整理されている人もいる…

  • 面取り

    木材は工作の前に角を面取りするように。そう技術家庭の時間に教わった。角材から木柱を作る場合でなくとも、木肌が手に接する箇所は角をやすりで綺麗に落とすように、そんな内容だったと思う。 心地よく晴れた休日だった。朝の散歩では北からの風は強かった。しかし少し経つと太陽が温かみを運んでくるように思えた。文句のつけようのない天気が予想された。これは家に閉じこもる季節ではなくなったか。そこで妻に提案した。お弁当でも作ってピクニックにでも行くか、と。風が強ければ逃れる事が出来るように、テントを張ろうと。 緩やかな丘陵の続く芝生の公園がある。園外の消防署に英語の標識があるのはその先に米軍関係者の居住区があるか…

  • メビウスの輪

    不審なメールを妻が受け取った。契約している電力会社を名乗っていた。曰く、先月分の電気代が未払いで停止しますと。かなり一方的な文面だった。電気代は口座自動引き落としにしていたが使用量に無関心になってしまっていたので数か月前に支払い方法を振り込みに変えた。請求書はがきを送ってもらいその場でスマホをかざすのは楽だった。払い残しなどあるわけもない。これはフィッシングの類だろうと察した。 そこで電力会社カスタマーセンターに電話した。父の死後彼が契約していたクレジットカード、インフラ、口座、証券すべて停止ないし名義変更する必要があった。この半年で一体何回そんな電話をしたのかも分からない。何処に電話してもま…

  • 不安定な均衡・台湾的風景

    台湾旅行で自分たちが選んだのは空港からホテルまでガイドさんが随伴してくれるものだった。昔なら迷いなく航空券だけを買いあとは自力だった。それが旅行だった。アメリカやヨーロッパでよく見る風景・・揃いのバッチを胸に観光バスから降りてきて旗を持ったガイドの後ろを歩く日本人の団体。彼らは空港で初めて出会い、決められたレストランで決められた料理を食べる。・・何が楽しいのかわからなかった。しかし今回は違った。退職旅行券を会社からもらったが旅行代理店の商品にのみ有効だった。旅行代理店には航空券だけの商品は無かった。最もフリープランに近いものを選んだらガイドさんの送迎がついた。 ガイドさんは達者な日本語を話した…

  • イヌリンピック・福之記9

    子供のころから運動音痴だった。小学生なら誰しもが夢中になったのは草野球だった。空き地があればどこでもできた。だれもが王・長嶋になりたがった。自分は柴田が好きだった。王と長嶋は輝きすぎていたが柴田・高田・末次辺りは地味にかっこよかった。しかし実際に草野球では三振王だった。また相手に球を投げられないのだから仕方が無かった。投げたボールは構えたグローブとは30度以上離れた方向へ飛んで行った。 徒競走も見事に遅かった。加えて小学校三年あたりから加わった漢字二文字が拍車をかけた。肥満。インスタントラーメンの味に魅了され学校から帰ってくるとまずそれをつくって食べていた。するとほどなく半ズボンがきつくなった…

  • 簡潔に追悼

    小澤征爾氏が逝去された。八十八歳。今晩のニュースを見ていて知った。食事時、思わず箸が止まった。 娘からすぐにラインが来た。「パリで観た時凄かったね、残念」とあった。当時小学生だったのだが彼女はよく覚えていたのだろう。シャンゼリゼ劇場の最上階のボックス席から見た。直前でチケットが取れた時は信じられなかった。演目はベルリオーズの幻想交響曲、そしてラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌ。二曲のフランス物だった。フランス国立管弦楽団から豊かな音色と迫力に満ちた音を導き出していた。オーラに満ち溢れエネルギッシュな指揮姿は2007年10月4日だった。 小澤征爾は長くボストン交響楽団の音楽監督を務めていた。こ…

  • 妻のプレイリスト

    すまないけどこの曲をスマホに入れてくれない? そう言って紙切れに書いた曲の一覧が手渡された。どれもが自ら好んで聞く曲ではないので手持ちのCDも無かった。結婚した頃妻が買ったCDを引っ張り出した。自分はCDの入れ替わりが激しいので昔の盤で残っているものはよほど気に入ったものだけだった。残りは全てPCに入っている。流石に妻の持ち物は捨てるわけにはいかない。ケースの埃を払って取り込んだ。 多くは1980年代の日本のポップスだった。今ではシティポップと言われなんと海外にも注目を浴びていると聞く。アレンジが画一化されて、どれもオーバープロダクションに思うのはそれが当時流行っていた音作りだからだろう。が演…

  • 私の子供達

    「きちんと読んで頂きありがとうございました。コメントが沁みました。この作品はある実在の川を軸に過ぎた時間を積み重ねるような思いで書いたのです。」 そう言いながら途中で感極まって泣いてしまった。自分の書いたものを初対面の方々にしっかり読んでいただき、生の声として感想を頂くという経験は初めてだった。自分が執筆しとある文芸賞に応募し最終的に落選した原稿は「桜咲く川」という題の3200字程度の掌編だった。少しでも、ごく僅か、一ミリでも、自分の文章が人の心を動かしたという事にいいようもない嬉しさと経験したことのない感動が湧いたのだった。 読んでいただいた十名がそれぞれの率直な感想を率直に述べられた。 -…

  • 小さな共同体

    寒気到来、平野部でも降雪予想、要警戒。そんなテレビ放送が続いていた。警戒心よりも「そうか来るか」と妙にときめくのは雪に縁遠い瀬戸内海の生まれだからかもしれない。確かにその夕方から雪は強くなった。坂の多い街だ。バスは運行できなくなり誰もが諦めて車道をおそるおそる歩いていた。 84豪雪と言われていた。1984年。この年は日本海側ばかりではなく日本中が記録的な降雪を記録した。実際その年の冬、自分は富山市に居た。東京で大学生活を送っていたが当時両親は父親の転勤で富山市に居てそこが帰省先だった。常願寺川のほとりの住宅地に家はあった。その土手に上がり北アルプスを見るのが自分の楽しみだった。しかし冬は、まし…

  • 隠れ家にて

    そこは隠れ家のような店だった。赤坂から乃木坂に抜ける緩い上り坂から少し奥まった場所だった。 木の扉の上部にだけ細長いガラス窓が在った。この中を覗くのは勇気が必要だった。扉を開けるとマスターが店の準備をしていた。彼に会うのはもう四十年ぶりに近かった。 コートを掛けて挨拶をした。彼は店の名前が書かれたポロシャツを着ていた。面影は残っていた。すぐに時が埋まった。暫く彼と話をした。約束時間だった。次々と懐かしい面々がやってきた。大学時代のクラスメイト六名。自分は彼らとこの数年にわたり何度か会っていたが六名の中にはやはり四十年に近い再会もあった。 髪の毛が減る、白髪になる、体が一回り大きくなる。あるいは…

  • 曇りのち晴れ

    今の世の中、買い物に現金を使う人の割合はどの程度だろう。少なくとも駅で切符を買う人は新幹線などを除くとほぼゼロだろう。非接触IC技術が開発されてからはICカード一枚で事足りる世の中になった。バスも然りだろう。 いつもの駅とは違う私鉄に乗ろうとしたのは乗り換え無しで東京都東北部まで一気に行けるからだった。その駅へのバスの本数は多くはない。曇った冬の空の下を走り、逃したくないバスになんとか間に合った。 財布の小銭入れが重かったので使おうと思った。ICカードの残高も定かではなかった。息をきらしながら硬貨を入れた。すると賃金箱はエラー音を発して異種コインが投入されました、と表示が出た。 新五百円玉だっ…

  • 白の上塗り

    とある木工品を作っている。サンドペーパーで木肌を整え木工ボンドを使った。塗装する必要があった。色はトリコロールとした。フランスに住んでいた頃、パリの空の下で何気なく揺れている国旗には嫌みが無くて好ましかった。特に青空を背景にすると良く映えた。七月十四日の革命記念日は概ね快晴でシャンゼリゼ通りは三色旗で埋まる。爽やかな気分もした。異国人でありながらも感じた。国旗のあり方に嫌みが無くまた国旗自身も素敵だ、と。 誰もが自分が中心で、好きなようにそれぞれが振舞う。男女の挨拶は頬を合わせキスをする。それが自由・平等・友愛かどうかは分からないがその三つの言葉がフランス共和国の標題だった。国旗の三色、青白赤…

  • 困ったことに

    週に一度の銭湯巡り。贅沢日と呼んでいる。行き先のレパートリーも増えてきた。黒い湯の温泉、炭酸泉、ジェットバス、露天風呂。毎週違う湯に行く。何処も二人で千円。今どき風呂のない家はないだろう。しかしいつも人が多い。つくづく日本人は風呂好きなのだと思う。 今日は山登りをした。下山地に温泉はなく、帰宅して今日を贅沢日に充当しようと考えた。山歩きのあとの広い湯は最高だ。銭湯へは車で行く必要もあり下山後の缶ビールも控えた。銭湯から帰宅後の缶ビール。それが今日のクライマックスへの道だった。 娘婿はある服飾メーカーに務めている。試作品か販促物なのか、下着を沢山頂いた。ありがたい話だった。黒や紺色のボクサーパン…

  • 風のいたずら

    夜道を自転車で走っていた。仕事帰りだった。この時間は住宅地のバス停で降りた客が散っていくと路地を歩く人など誰もいなくなる。風の吹く夜だった。いや、木々は揺れるのだが風はもっと高い空に吹いていたようだ。その余韻が舞い降りて下界の木立を騒がせていたのだろう。 向かい風を僕は感じた。すると南から吹いていることになる。尤も自転車も南へ向けて走っているのだから南風なのか自転車が空気を破る抵抗が風と感じられたのかも判別しかねた。そんな程度の風だった。 前方に灰色のコートを着た男性が歩いていた。街頭に浮かぶ彼の影を見て辛うじて灰色なのだろうと判った。余裕をもって彼の横を通り過ぎた。その時だった・・・。 パタ…

  • 教えと祈り

    歌と楽器。どちらが先に生まれたのだろう。現代のデジタル知恵袋であるネットの知恵を借りると旧石器時代から打楽器が見られたとあり笛も同様のようだ。鍵盤楽器も紀元前、弦楽器は中世とある。 誰しも嬉しい時、悲しい時に歌が寄り添うだろう。歓びは歌になり歎きも然り。歓びを鼓舞するために打楽器が生まれたのも想像は容易であり、歓喜や哀悼の旋律を歌うために笛ができたのも必定だろう。 世の宗教でもっとも古いものは何だろう。イエス・キリストとは別に異教徒の存在が既にあったことは新訳聖書に書いてある。ユダヤ教だろうか。仏教はそれ以前か?イスラム教は?それら経典を伴う宗教として纏まったものでなくとも原始人は太陽と火、こ…

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