23日夜、タイ陸軍はカンボジアのすべての国境において、車両及び外国人も含めた旅客の移動を禁止する措置について発表しました。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
人生の半分以上をカンボジアで過ごし、セミリタイヤした今もカンボジアで暮らすおじさんの備忘録。 カンボジアについて、ふと興味を持ったことを書き記します。歴史、文化、食、流行などなど。
昨年3月にもカンボジアに寄港した掃海母艦「うらが」を含む海上自衛隊第1掃海隊が、「自由で開かれたインド太平洋」の実現に資するべく、令和4年度インド太平洋・中東方面派遣(IMED23:Indo-Pacific and Middle East Deployment 23)として、1月19日から5月23日の日程で航海中です。派遣部隊は、アメリカ主催の国際海上訓練(IMX/CE23:International Maritime Exercise/ CUTLASS EXPRESS 2023)に参加の予定です。 予定されている寄港地は以下の通りです。 インド共和国、カンボジア王国、シンガポール
バッタンバン州での農耕祭です。公務員や近隣の村人を動員して、人海戦術で用水路を作っています。重機がほとんど存在しない時代、こういった作業も人力で行われていました。1994年。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
林外務大臣から「日・カンボジア友好70周年」親善大使を委嘱された女優で歌手の南野陽子さんがカンボジアを訪問されています。 23日午前に武井外務副大臣とともに親善大使としてフン・セン首相を表敬した南野さんは、同日夕方プノンペン大学で開催された両国の交流イベント「絆フェスティバル」の開会式で、友好70周年のテーマソング「明日への虹」を披露しました。また翌24日には同フェスティバルにおいてミニコンサートを開催されました。 23日絆フェスティバル開会式での友好70周年テーマソング披露23日平和宮殿においてフンセン首相表敬24日絆フェスティバルにおいて、ミニコンサート(共同通信) 25日には大
北京に滞在中のシハモニ国王とモニニヤット皇太后は、24日に北京市内にある釣魚台国賓館で習近平国家主席と彭麗媛夫人と会談しました。 習主席はシハモニ国王とモニニヤット皇太后が健康診断と療養のために北京を訪れたことに歓迎の意を表し、「中国とカンボジアは国交樹立以来65年間、国際情勢がどのように変化しようとも、双方の友情は時がたつほどに活気に溢れ、両国関係は国際関係の模範になっている。これは中国の一世代上の指導者らとシアヌーク前国王が育んだ深い友情のたまものだ」と高く評価し、「国王陛下と皇太后陛下は中国の改革と発展を身をもって経験した証人であり、終始中国の発展を気遣う中国人民の良い友人だ
【カンボジアニュース】高病原性鳥インフルエンザ(H5N1)感染の続報
昨日の高病原性鳥インフルエンザ(H5N1)による女児の死亡を受けて、当局はプレイヴェン州での感染源を調査するとともに、拡大予防の措置を行っています。関係者に照会したところ、濃厚接触者12人を特定し、うち4人から感染を疑う症状を確認しているとの、非公式コメントがありました。 また、農林水産省のイム・ラチャナ報道官によると女児の家で飼育されていた鶏と家鴨25羽は死滅していたそうです。国家レベルでの対応チームが、発症元の調査を行っています。 H5N1型ウィルス警鐘のポスターを貼る保健省担当者と軍事警察官。23日プレイヴェン州にて(保健省提供) 一般的に鳥インフルエンザウイルスが人に感
23日午後6時から、プノンペン大学カンボジア日本人材開発センター (CJCC)において、日本大使館及び国際交流基金主催の第12回絆フェスティバルの開会式が開催されました。今年は咲き誇る友情(A Blossoming Friendship)をテーマにしています。 日本とカンボジアの国交樹立70周年を記念する今年は、例年以上に華やかな式典となり、日本からは政府を代表して武井外務副大臣が参列しました。またカンボジアからはハンチュンナロン教育青年スポーツ大臣の他、ペン・モニ・マカラー文化芸術省長官やチャン・ロタナ外務国際協力省副長官などの政府関係者や、各国の大使や外交官、そして関係する在留邦
【カンボジアニュース】鳥インフルエンザでスヴァイリエン州の女児死亡
保健省は本日23日、鳥インフルエンザ(H5N1)の人への感染と死亡が確認されたと発表しました。 死亡したのは生後6か月の女児で、プレイヴェン州シートーカンダル郡ロムチェーク集合村ローリン村在住です。2月16日に39度の発熱があり、村で三日間の治療を受けた後に、国立施設に移送されました。22日に国立公衆衛生研究所でサンプルを分析した結果、陽性が確認されましたが、残念ながら女児は死亡しました。 女児の在住する村では、複数の野生動物の死体が見つかったため、サンプルを採取し検査を行っていますが、まだ結果は出ていません。鳥インフルエンザの人間への感染が確認されたのは、カンボジアでは2014年
【カンボジアニュース】武井外務副大臣と南野陽子さんのフンセン首相表敬
昨日からカンボジアを訪問している武井外務副大臣は、本日(23日)午前、日カンボジア親善大使の南野陽子さんらと共に、平和宮殿においてフンセン首相を表敬しました。 今年は、カンボジアと日本の国交樹立から70周年の記念すべき年であり、また両国の関係は包括的戦略的パートナーシップに格上げされました。今後、友好70周年を記念して様々なイベントが企画されています。今夕にはCJCCにおいて絆フェスティバルの開会式が予定されており、明日からは様々な交流イベントが開催されます。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
【カンボジアニュース】カンボジア女性の日本での強制売春事件のその後
就労資格のないカンボジア国籍の女性7人が、指定暴力団松葉会系の男性組長らによって2016年の11月から群馬県渋川市の伊香保温泉街などで働かされ、無給で売春を強要されたなどとして、男女3人に約890万円の支払いを求めた訴訟の判決が2023年2月10日に前橋地裁でありました。杉山順一裁判長は1人当たり約17万円の未払い賃金を支払うよう命じましたが、強制賠償に対する損害賠償請求は棄却されました。 訴状等によると、7人は暴力団組長だった男らに「日本ではウェイトレスの仕事で月3000ドル稼げる」と言われ、また口頭ではあるが月2000ドルの給料を保証され、2016年11月に日本に来ました。その後
第25回日本カンボジア官民合同会議が、2月21日に開催されました。カンボジア開発評議会(CDC)の22日発表によると、今年1月末時点で日本からの投資プロジェクトは累積で150件、投資総額は約29億ドルになるとのことです。 同会議はカンボジア政府関係者と日本の官民が年に2回カンボジアの投資環境について話し合う場であり、2007年に締結された日本カンボジア投資協定に基づいて、2009年から継続して開催されています。このような二国間協議の場があるのは、唯一日本だけです。 ソクチェンダ ・ソピア大臣(CDC事務局長)によると、日本企業のカンボジアにおける非繊維製造業への投資は、同国の経済多
バタンバン州の地雷原です。この当時は、家のすぐ傍にこういった風景が見えるのが、多くの地域で日常でした。日本を含む海外から支援を受けたこういった地雷除去の経験が、世界でも有数の地雷処理能力の蓄積となり、現在ではカンボジアが国連軍として他国に貢献する礎となっています。1994年。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
近年、アンコール遺跡群に生息する猿が増加し、様々な問題が発生しています。アンコール遺跡を管理するアプサラ機構によると、猿に引っ掻かれたり噛まれるほか、持ち物を取られる、車の窓ガラスを割られる、遺跡の石を落とすなどの被害が報告されています。 猿に引っ掻かれた観光客を治療猿に噛まれた子供を治療猿が落とした石について説明する職員盗んだ水を飲む猿 観光客だけでなく、猿の写真を撮るカンボジアのアマチュアカメラマンが急増し、彼らの餌付けが、猿が増加している要因ではないかと疑われており、今後規制が検討される模様です。 猿を撮影するアマチュアカメラマンの集団バイヨン寺院を徘徊する猿アンコールワットを徘
外務省によると、2月22日から28日まで、武井俊輔外務副大臣は、カンボジア王国及びベトナム社会主義共和国を訪問予定です。 カンボジアでは、日・カンボジア外交関係樹立70周年記念行事に出席するとともに、政府要人との会談を通じ、本年「包括的戦略的パートナーシップ」に引き上げた、両国関係の更なる強化や国際情勢について意見交換する予定です。 ベトナムでは、日・ベトナム外交関係樹立50周年記念行事に出席するとともに、政府等要人との会談を通じ、「自由で開かれたインド太平洋」実現のための重要なパートナーであるベトナムとの関係強化や国際情勢について、意見交換する予定です。 本年は日・ASEAN友
カンボジアにおける日本国の代表を務めた人物を纏めてみました。 太平洋戦争末期の明号作戦の後、仏領インドシナ・サイゴン総領事だった久保田貫一郎氏がカンボジア王国の国王顧問に任じられます。戦後には、カンボジアの独立後に公使館が開設され、その後、大使館となりますが、クメールルージュのプノンペン侵攻によって閉鎖されます。パリ和平協定による平和とともに大使館は再開され、現在に至ります。 国王顧問(日本特派大使府金邊支部開設 1942) 久保田貫一郎 (大日本帝国敗戦により閉鎖1945) 特命全権公使(公使館開設1954) 吉岡範武 1954-1955 特命全権大使(大使館昇格1955)
文化芸術省等によると、カンボジア王国政府は、首相の三男で、国民議会第7委員会委員長のフン・マニー議員率いる代表団をイギリスに派遣し、イギリス人蒐集家から寄贈の申し出を受けた、カンボジアの古代のアクセサリー77点を受け取ったことを発表しました。 近年、このようなカンボジアの歴史的遺物の返還が、アメリカや日本からも行われています。 以下、文化芸術省からの公式発表です。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
モニボン通り沿いのダイヤモンドホテルから撮影したセントラルマーケットです。高層の建造物は皆無でした。1995年頃。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
ブン・ラニー・フン・セン第二首相夫人(当時)が、式典に参列したお年寄りに差し入れを配る様子です。クロマーやサロン、タイガーバームのような塗り薬など、生活必需品を配るのが一般的でした。こういった慣習は、多少変容したものの今でも受け継がれています。1994年。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
【カンボジアニュース】ホテルや飲食店、中国人民元で決済可能に
2月7日に、プノンペン国際空港で行われた北京からの直行便再開に伴い、中国人観光客を歓迎する式典に出席したトンコン観光大臣は、国内のホテルや飲食店などで人民元による決済を認めると発表しました。中国がカンボジアへの団体旅行を約3年ぶりに解禁したことを受けての措置と思われますが、開始時期や対象などの詳細は明らかにしていません。 カンボジア政府は、2023年に同国を訪れる外国人旅行者が430万人程度で、そのうちの半数が中国人になると予想しています。 人民元の国内使用に関する政府発表は以前にも存在したものであり、今回の発表が単なるリップサービスなのかどうか、実際にどのように施行されるかは不明
日本カンボジアの友好促進を目指す絆フェスティバルが、2月23日からCJCCで開催されます。オープニング式典には日本カンボジア親善大使に就任した南野陽子さんも参加し、翌24日にはコンサートも予定されています。また26日には、ベルサイユのばらの作者でもある池田理代子さんによるオペラ入門のミニコンサートなども予定されています。 <<日カンボジア絆フェスティバル2023のプログラムスケジュールはこちら>> 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
1994年、新生カンボジア王国で国王として式典に参加するシアヌーク国王です。国王を身辺警護するのは、全て北朝鮮人でした。絡まった長い内戦の影響を受け、中国や北朝鮮とは、密接で特殊な関係が長く続いていました。1994年。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
2023年2月16日フンセン首相は、植野篤志駐カンボジア大使同席のもと、陸上自衛隊幕僚長の吉田義秀陸将と会談しました。 首相秘書によると、吉田陸将からは、カンボジアに平和と安定、繁栄をもたらすための交渉を主導した首相に対し敬意が表され、首相無くしてカンボジアに平和はないとの評価を伝えました。また、カンボジア王国軍との戦略的パートナーとして、あらゆる面で平等に人道的活動に奉仕する対等なパートナーとして、協力を促進することを希望すると述べました。 これに対し首相は、陸将の評価に感謝するとともに、長年分断されてきたカンボジアの和平プロセスについて説明しました。また、和平プロセスにおけるカ
ドイツのフランク=ヴァルター・シュタインマイヤー大統領は14日の朝にシエムリアプに到着し、サイ・サムアル環境大臣やティア・セイハ・シエムリアプ州知事らの出迎えを受けました。 15日朝、シエムリアプ空港 その後、カンボジアで長年活動する地雷除去団体ハロートラスト視察や、アンコール遺跡を見学した後に、同日夜プノンペンへと移動しました。 今日のプノンペンでの活動は、興味がないので多分書きません(笑)。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
1995年頃、プノンペンのオリンピックスタジアムで、初めて開かれた障害者のスポーツ大会です。参加者の多くは地雷の被害者でした。今年はSEA Gamesと共にパラの東南アジア大会も開催されます。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
英国海軍のHMSスペイが本日シアヌークビルに寄港し、5日間滞在の予定です。 1958年以来、英国海軍艦艇がカンボジアを訪問したのはこれが初めてのことです。日本同様に、今年はイギリスとカンボジアの外交関係樹立70周年でもあり、それを記念すると共に、安全保障面での強化を目的としています。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
【カンボジア生活】公立小学校における4月から5月にかけての長期休みについて
今年5月5日から17日まで、カンボジアにおいて東南アジア競技大会(SEA GAMES)が開催されます。初の自国開催ということで、国を挙げての準備が進んでいます。 毎年4月のカンボジア正月には休みが設定されていますが、今年はSEA GAMESに配慮し、通常より長い休みが設定されています。弊会より教育青年スポーツ省に照会したところ、4月6日から5月18日まで全国の公立小学校が休みとなるとのことです。 日本人学校や、いわゆるインターナショナルスクールにおいては影響はありませんが、、公立学校とダブルスクールとして通うような私立学校においては、公立学校に準ずる措置を取る可能性もありますので、
インターコンチネンタルホテル(当時)の高層階から、北を望んだ写真です。左奥には完成して間もないカナディアタワー、右奥には建設途中のゴールドタワー42が見えます。高層建築がまだほとんどなく、空が広かった最後の時代のプノンペンです。2010年。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
2023年2月9日から11日にかけて、フンセン首相は中華人民共和国政府の招待により、中華人民共和国を公式訪問しました。訪問中、習近平国家主席との会談では、未来を共有するカンボジアと中国の共同体の構築や、関心を共有する国際的および地域的問題について深い意見交換を行い、今後のカンボジアと中国の関係の方向性を示したとしています。 訪問の成果として「新時代における未来を共有するカンボジアと中国の共同体の構築に関するカンボジア王国と中華人民共和国の共同声明」が発表されていますので、概略を記します。「カンボジアと中国の共同体 (Cambodia-China Community)」との表現は、中国
【カンボジアニュース】デング熱を媒介する蚊の新たな殺虫剤耐性に懸念
米科学誌「サイエンス・アドバンシズ」によると、日本の国立感染症研究所の葛西真治・昆虫医科学部長らは、カンボジアを含む東南アジア一帯で、殺虫剤が効かない蚊が増えていることを発表しました。 デング熱やジカ熱、黄熱を媒介するネッタイシマカについて、殺虫剤への耐性を強める遺伝子の変異を新たに発見したとのことです。蚊の防除方法の見直しとともに、耐性を持つ蚊の分布拡大への警戒が必要となるでしょう。 研究チームは蚊を採集し、ピレスロイド系と呼ぶ一般的な殺虫剤への耐性を調査したところ、殺虫剤の濃度を通常の蚊が全て死ぬ濃度の10倍に高めても、蚊の致死率は約20%にとどまり、8割は生き残ったそうです。
プノンペン都の南部、ストゥンメンチェイのゴミ捨て場です。1枚目写真の右奥には当時のインターコンチネンタルホテルが見えます。現在ではこの一帯も郊外の住宅街となっています。2005年頃。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
【カンボジアニュース】フンセン首相が、日本からのチャーター便を期待
本日9日から中国へ訪問しているフンセン首相は、昨日8日に新たにカンボジアに着任した植野篤志大使と、平和宮殿で会談しました。 首相のFacebookアカウント投稿によると、植野大使は1992 年にカンボジアに来た思い出を語るとともに、現在のカンボジアが高度に発展し、安定して平和であるとの感想を伝えたようです。また昨年のアセアン首脳会議及び関連会合を成功裡に終えたことに触れるとともに、両国の関係は今までの歴史の中で最高の状態であると評価しました。また、植野大使は投資の誘致、観光の促進、東南アジア競技大会開催への協力や地雷除去活動など様々な分野での協力により、両国の関係がより緊密になること
【昔のカンボジア】32 プノンペン中心部のスラムの撤去 2006年
プノンペン都内中心部にあったバサックスラムの強制移転の様子です。現在の東横インやイオン一帯やダイヤモンドs島そのものが、湿地帯でスラムでした。奥には建設されたばかりのナガカジノが見えます。2006年。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
本日2月7日より、中国国際航空のプノンペン就航が再開しました。再開を歓迎して、在カンボジア中国大使や観光大臣が空港で出迎えました。北京からプノンペンに到着したCA745便は、消防車による放水アーチで歓迎されました。 空港でのトン・コン大臣のスピーチによると、今年は80万人から100万人の中国からの訪問客が期待されています。コロナ前の統計によれば、カンボジアで最も多い観光客は中国人でした。2019年には236万人がカンボジアに訪問し、観光客総数の35.7%を占め、経済効果は18億ドルだったと推測されています。 またフン・セン首相は、明後日2月9日から11日にかけて、中国に公式訪問し習
【日本とカンボジア】内戦前の有名なアンコール遺跡本の著者3人とカンボジアとの数奇な縁
1962年に出版された「アンコールの芸術 カンボディア王国遺跡めぐり」という遺跡案内の本があります。今川幸雄、川瀬生郎、山田基久の3人による共同の執筆です。どうも自費出版だったようです。 「アンコールの芸術 カンボディア王国遺跡めぐり」1962年 この本をベースにして、1969年に霞ヶ関出版から「アンコールの遺跡 : カンボジアの文化と芸術」が出版されました。私が1994年に初めてカンボジアを訪れた際には、この「アンコールの遺跡 : カンボジアの文化と芸術」の海賊版がたくさん出回っていて、遺跡にいる土産物売りの子供たちは、日本人と見ると必ずこの本を勧めてきました。 「アンコールの遺跡
プノンペンからホーチミンに向かう国道1号線の途中、メコン川を渡るニアックルーンのフェリーです。日本のODAでつばさ橋ができ、フェリーはその役目を終えました。フェリーはプノンペンで現在も活躍しています。1994年。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
シエムリアプ市内の古刹では、ブッダを偲び静謐な時が流れていました。cOVID-19における集会規制が解けた今年は、市内各所の寺で伝統的な行事が行われたようです。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
ANAプノンペン便初就航は、2016年9月1日でした。 消防車の放水で初就航便を歓迎です到着直後の様子。日本カンボジア友好議員連盟事務局長の小渕優子代議士などを、トンコン観光大臣や隈丸大使らが出迎えです。翌日、大使公邸で開催された直行便就航の祝賀会祝賀会で筆者と小渕優子代議士空港にて日本人学校生徒の出迎え 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
【昔のカンボジア】29 日本カンボジア友好60周年記念イベント
2013年に日本とカンボジアの国交樹立60周年記念にあわせて企画されたアンコールワットでのコンサートです。筆者がコーディネートしていました。あれから10年が経ち、今年は70周年です。さてどんな企画ができるのか、頑張ってみたいと思います。 今年はSEA GAMESの他にもABUロボコンなど、カンボジアが主催する様々な国際イベントが盛りだくさんです。 アンコールワットで開催された日本カンボジア友好イベント 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
神奈川県伊勢原市善派のベイダートム寺院において、本日(2月5日)午後6時30分からミアックボーチア(万仏節)の儀式を行います。 在日カンボジア人コミュニティーの皆さんのご尽力により、日本でもカンボジアの伝統行事に接することができます。どなたでも参加は自由との事ですので、ご興味のある方は是非どうぞ。 招待状。ご不明点等は、事前に主催者にお問い合わせ下さい。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
国際交流基金主催でカンボジアで毎年行われている日本映画祭。日本カンボジア友好70周年ということで、今年はコンポンチャム等の地方都市にも拡大し、より盛大に開催されました。長年継続しての開催によって日本文化に対する親しみが浸透してきているのではと思いますが、果たしてこういった企画はいつから始まったのでしょうか?。 地方都市コンポンチャムでの映画祭会場での記念撮影風景 ©︎Japan Film Festival 記憶の片隅に残っていたので、資料を調べてみたところ、1999年の段階で大使館主催で映画の鑑賞会が開かれていました。広報文化に関係するこういった単発の企画から、徐々に拡大し今に至るのか
【日本とカンボジア】8日にNHK WORLDで日系IT企業との協力による世界遺産の3D化プロジェクトを紹介
NHK WORLD 「Sharing the Future」 Showcasing Heritage with 3D Animation: Cambodia は、2023年2月8日放映予定です。 今年は日本カンボジア友好70周年を記念する中で、カンボジアのノートン大学と日系IT企業の協力によって、世界遺産サンボープレイクック遺跡の3Dアニメーションを制作するプロジェクトを取材しています。昨年世界無形遺産となったばかりのボッカタオについても取り上げています。 ※NHKワールドはWebでライブ視聴できる他、放送翌日から2年間、無料オンデマンドで見ることができます。
【日本とカンボジア】カンボジアの盆踊り大会の起源「ロアム盆踊り」
国交樹立50周年を記念して、盆踊りが開催されるその前年のことです。2002年5月25日に初の試みとして「ロアム盆おどり」が、ゴーカートや観覧車に興じる若者などで賑やかだった、当時の川沿いのフンセン公園で開催されました。用意した2000枚の無料入場整理券はすぐになくなり、娯楽も乏しかった当時大変な人気だったことがわかります。大使館の記録によると3000人以上が参加したとあります。 主催は日本人会が中心となって設立した日本カンボジア文化交流祭実行委員会で、この日から2週間に渡って講演会、映画、津軽三味線、和太鼓といった様々なプログラムが組まれ、日本文化の紹介に留まらずカンボジア側の演奏も
明日2月5日は、カンボジアのミアック・ボーチア(万仏祭)の日です。クメール暦3月(太陰暦3月)の満月の日の筈ですが、隣国タイとは一月ずれたりすることもあるようです。どのような計算の仕方の違いがあるのでしょうか。機会があったら、仏教研究所や宗教省で調べてみたいものです。 さて、万仏説が何かを簡単にご説明すると、仏陀が入滅する3ヶ月前の太陰暦3月に、王舎城の竹林精舎で戒律を説いたのですが、そのとき仏陀が具足戒を与え、悟りを得た1250人の比丘が、何の事前の知らせもなく集結した奇跡を記念した日と言われています。ミアックは3番目の月のこと、ボーチアは崇拝するとの意味があります。仏陀はこの時、
【日本とカンボジア】終戦後のシアヌーク殿下の訪日とその背景について 2
昨年12月25日、【日本とカンボジア】終戦後のシアヌーク殿下の訪日とその背景についてというタイトルの投稿をきっかけに始めた当ブログも、お陰様1ヵ月が経ちました。最近はいろいろなことを書き散らしている、脳卒中でリハビリ中のおじさんの備忘録ではありますが、初心に戻ってこのお題について少し掘り下げてみたいと思います。 このブログを始めた、最初の投稿はこちらです。 さて、上記の記事でも書いた通り、シアヌーク国王の最初の訪日は、微行の資格でした。カンボジアはまだフランスからの完全独立もしていない頃の
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23日夜、タイ陸軍はカンボジアのすべての国境において、車両及び外国人も含めた旅客の移動を禁止する措置について発表しました。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
はじめに 6月20日、元赤シャツ運動リーダーで反タクシン派に転向したジャトゥポン・プロムパン氏らは、「大規模な反政府デモが6月28日午後4時に戦勝記念塔で予定されている」と発表しました。 このニュースを見て感じたのは、戦勝記念塔をデモの象徴的な場所として利用する事により、カンボジア国民や政府への挑発と捉えられるのではないかとの危惧でした。バンコクにある戦勝記念塔は1941年のタイ・仏領インドシナ紛争での勝利を記念して建設されたものです。その歴史的背景について記してみます。 タイ・バンコクの戦勝記念塔タイ・バンコクの戦勝記念塔 現在のカンボジア・タイ国境の概略 近世に入り、カンボジ
昨日21日午後、タイ軍はカンボジアに対する強硬な言動で知られる第2軍管区司令官のブンシン・パグドラン将軍の署名で通達(写真①)を出し、「タイの主権と領土を守り、タイ国民の生命と財産の安全を維持し、国境地域での任務の適切性とタイの安全を確保するため」としてブリラム県バンクルアット郡チャンタブリー地区チョンサイタクーの国境を閉鎖しました。 写真① カンボジア側はこれを受け、カンボジア側のジュプコウキー検問(オドーメンチェイ州バンテイ・アンピル郡アンピル集合村ジュプコウキー・レック村)を閉鎖することを決定しました。更にカンボジア側は、オドーメンチェイ州アンロンベン郡トラペアンプライ集合村のチ
与党人民党のフン・セン党首は、昨日20日深夜に自身のSNSを通じて、タイの野党がカンボジアへの石油販売を禁止する提案をしたと批判した上で、タイが国境での規制を撤廃しない場合、対抗措置としてタイからの輸入規制を拡大することを示唆しました。対象としては、具体的にアルコール飲料とエナジードリンク、缶詰製品が挙げられています。 以下、フン・セン上院議長の発信全文です。 --- 自滅につながる危険なゲームです! 本日、タイの野党は、カンボジアを屈服させようと、タイ政府に対しカンボジアへの石油販売を停止するよう提案しました。これに対し、私たちはタイから石油を輸入しないからといってカンボジアが崩
タイの政治危機が深刻化する中、タイ陸軍は昨晩午後9時頃、Facebookページで不可解な声明を発表しました。以下全文です。 「いかなる状況であろうとも…陸軍は立ち上がる準備ができています。主権を全力で守ります。 # 兵士は主権を守るために存在します」 コメント欄には、カンボジアに対する強硬な言動を繰り返している、第2軍管区司令官に賛同する声が溢れています。この投稿は今朝までに1.5万回シェアされ、11.5万のいいねがついています。 昨晩、タイ陸軍がFacebookアカウントで発表した声明第2軍管区司令官を賛美する声で溢れているコメント欄第2軍管区司令官を賛美する声で溢れているコメン
6月18日、国境情勢が緊迫する中、カンボジアのフン・セン上院議長とタイのペートンタン首相の電話会談の音声が流出しました。 ペートンタン首相はフン・セン議長に対し、タイ軍の政府への不服従を含む、タイ政府が現在直面している国内からの圧力を「理解」するよう3度にわたり求め、さらには国境検問の調整を独断的に決定したタイ陸軍第2軍管区ブンシン司令官を「狂人」「タイ政府の敵」と非難しています。ペートンタン首相はフン・セン議長を「おじさん」と呼び、自身の困難を理解し両国間の現状緩和に協力するよう繰り返し求めています。また、タイ国内で反政府感情が高まっていると説明し、タイ外務省が電力とインターネット
バンテイイ・メンチェイ州のオム・ラタイ知事は、「タイ軍がタイ国民に対し、ポイペト国際国境を通ってカンボジアに日常業務目的で入国することを禁止する追加措置を課した」と発表しました。 タイ大手紙カオソッドの報道によると、タイ軍ブラパ部隊は、サケオ県のすべての検問所において、本日朝8時以降、ポイペトのカジノで働くために国境を越えるタイ人に対する厳格な措置を強化すると決定しました。ブラパ部隊は、国境沿いの治安対策を強化するため、常設及び臨時国境検問所の管理措置についてサケオ県入国管理局長に書簡を送付し、ポイペト市のカジノおよびあらゆる娯楽施設で働くタイ人従業員が、サケオ県のすべての検問所から
フン・セン上院議長は今朝9時半から、国境問題に関しての特別メッセージを発表しました。今日中に国境が開放されなければ、明日からカンボジアはタイとの国境をすべて閉鎖すると警告しています。 詳細は確認できていませんが、これは貨物に限っての話と思われます。また演説中のコメントからは、実際には果物や野菜など品目を限定しての対応となる可能性も否定できません。 議長はこの措置について、本来は今日までにすべての国境を閉鎖するはずだったが、マネット首相との電話会談においてタイ首相が懇願したため、期限を延期していたとの交渉の経緯を暴露しました。 また、議長は、「タイ当局が以前のように午前6時から午後
プノンペンで合同国境委員会が開催される数時間前、国境地域を管轄するタイ第2軍管区司令官のブンシン・パドクラン中将は、チュラチョームクラオ王立陸軍士官学校で「3つの石造寺院とチョンボク」をテーマに特別講義し、タイが国際司法裁判所(ICJ)に提訴することは決してないと述べました。「ICJが事件を審理するには双方の合意で、一方がICJの管轄権を受け入れない場合、裁判所は事件を審理できません。だから、ICJを心配する必要はありません。私はすでに政府にICJに行く必要はないと伝えました。関係ありません。」と発言しています。また、「この土地はずっと前から我々のものでした。もし彼らがそれを欲しがるな
本日13日、パエトンターン・シナワット首相は「カンボジアはタイ政府が間もなく電力供給とインターネットを遮断すると誤解していたが、それは事実ではない」と述べ、外務省に対しカンボジア側にこの件を説明するよう指示しました。 その数時間後に、アヌティン・チャーンウィラクン副首相兼内務大臣が「関係治安機関の勧告次第でカンボジア国境地域への電力供給を停止する用意がある。カンボジアの6つの措置はタイ国民に影響を与えない」と発言しており、タイ政府内の足並みが揃っていない様子が窺えます。 労働者問題でも両国の動きがありました。タイのピパット・ラチャキットプラカーン労働大臣は本日13日「カンボジア政府
本日13日午前、カンボジア当局はバッタンバン州カムリエン郡のドーン国際国境が突然閉鎖され、その後内務省国家警察出入国総局から、閉鎖についての発表がありました。 13日朝、ドーン国境が閉鎖する様子出入国総局からの発表 その後本日13日13時にフン・セン上院議長が、当該国境の閉鎖を支持するコメントを発出しています。コメント全文は、以下の通り。 --- 私は、バッタンバン州にあるカンボジア・タイ国境検問所を閉鎖するというカンボジア政府の動きを支持します。タイは毎日何百台ものトラックでベトナムに果物を輸送していますが、カンボジアが国境を閉鎖したため、現在国境は渋滞しています。農産物を生産してい
本日13日朝に発表された、与党カンボジア人民党のフン・セン党首の発言全文は以下の通りです。 --- 昨晩、私はメッセージを発し、今朝、与党党首として再びカンボジア政府に演説いたします。 タイ側が一方的に閉鎖した国境検問所の再開を拒否した場合、カンボジアは以下の措置を講じなければなりません。 1. カンボジア市場へのタイ製品の輸入停止を発表する。これは、タイ製品の使用を中止し、国内製品またはタイ以外の国からの製品に置き換えることを意味する。 2. カンボジア国民がかつてタイに輸出していた製品(主に農産物)の購入準備を整え、国内外で積極的に市場開拓を行う。 3. 以前タイで治療を
本日12日深夜、カンボジア上院議長のフン・セン氏は自身のソーシャルネットワークのアカウントを通じて、カンボジア政府に対しタイドラマの放送停止とタイ製品のカンボジアへの輸入停止を検討するよう提案しました。 上院議長は投稿の中で「戦争を願う軍閥に支援されたタイの過激派グループが、カンボジアの電力とインターネットを遮断すると脅迫してきた。しかし、カンボジアはタイの電力にさえ依存していない。また、カンボジアには既に十分なインターネットアクセスがあるのに、一体何を遮断するというのだろうか」と述べています。 また「私は、ある地域における軍事的緊張が他の地域や異なる分野に波及すべきではないと一貫
タイ政府がカンボジアへの電力とインターネットの供給を遮断することを検討しているとの動きを受け、本日12日夜にマネット首相は自身のSNSアカウントを通じて「タイ側が供給を停止するかどうか、またいつ停止するかの判断に遅延や困難を生じさせないよう、カンボジアは自国の電力とインターネットの供給を確保することを決定した」と発表しました。 その投稿によると「チア・ヴァンディット郵政電気通信大臣は、カンボジアには十分なインターネットサービスを提供できる能力があるため、本日深夜0時以降、カンボジアのすべての光ファイバーネットワーク会社およびインターネット事業者は、タイからのインターネット帯域の購入を
本日11日、警察庁組織犯罪対策部長の江口有隣警視監らの代表団はカンボジア国家警察本部にディ・ヴィチア国家警察副長官を表敬し、サイバー犯罪対策における協力について協議し、情報交換を行いました。 先月5月30日、実務訪問賓客として訪日したフン・マネット首相は石破総理と首脳会談を行い、特殊詐欺を含む越境犯罪への対応において、警察当局間の協力を強化していくことが合意されています。 また、訪日直前の5月27日には、タイ国境のポイペトで特殊詐欺拠点が摘発され、日本人29人が拘束されています。これは今年1月に、警察庁から情報を受けた日本大使館から、カンボジア当局に要請されていた事案の一つです。
暴力団員であることを隠して、反社組織の宿泊を禁止しているホテルと不正に利用契約を締結し施設を使用した詐欺容疑などで、警視庁暴力団対策課は9日、指定暴力団住吉会系「二代目武州伊勢野一家」総長の田島和幸容疑者(53)=埼玉県草加市、別の2次団体幹部の松木秀美容疑者(62)=埼玉県戸田市=ら男5人を逮捕しました。 同時に逮捕されたのは、中国残留孤児2世らで構成される準暴力団「チャイニーズドラゴン」幹部で東京・赤羽グループトップの白井宇太郎(53)=東京都西東京市と、その弟の白井加次郎(51)=北区、中国籍の陳華雄(46)=港区の各容疑者です。 2023年3月に山梨県山中湖村にあるホテルの
カンボジア国防省報道官は、「2025年6月8日にカンボジア軍とタイ軍が会談し、対立を軽減するために双方の部隊を適切な地域に帰還させるよう調整することを決定したことを国民に通知します」と発表しました。 関係者によると両国軍は週3回、銃撃事件が発生したモム・ベイ地区の軍関係者が武器を持たずにそれぞれ7人ずつ出向いて会合を行うことで合意した模様です。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
本日7日午後4時過ぎ、ポイペトのタイ側アランヤプラテート国境が閉鎖されました。 7日16時半ごろの国境の様子 地元当局によると、帰宅できない大勢のカンボジア人がいることから、今日に限り夜8時まで国境を再開させる調整を行っている模様です。この国境については完全な閉鎖ではなく、明日からは午前8時から午後4時までに時短して国境の開放は続けるとの確認を、タイ当局から得ているとしています。 タイ側アランヤプラテートで渋滞。急な国境閉鎖でカンボジア人の帰宅難民 タイ政府は国境閉鎖についての判断を国軍に移譲しており、現場指揮官が国境の閉鎖、あるいは再開についての措置、基準、手順、 条件、または時間枠
タイ王国サケオ県のカンボジア総領事館は、本日7日朝にタイ国軍からの一方的な国境閉鎖の通告を受け、外務大臣に報告したとカンボジア政府系カンプチアトメイが報じました。 国境紛争について、タイが合同国境委員会(JBC)における二国間交渉を求める中、カンボジアが国際司法裁判所に提訴したことが要因であると発表されていますが、閉鎖される国境の範囲については明らかになっていません。 タイ政府は1960年以降の新たな係争について、国際司法裁判所による審理に同意していません。タイ国内では一連の政府の対応を「弱腰」と批判する声が強まっており、バンコクでは昨日5日に首相府や国防省、カンボジア大使館の前な
防衛省の発表によると、インド洋及び東南アジア方面における航空路及び地域の特性を把握するとともに、輸送機(C-130H)運航要員の国外任務遂行能力を維持及び向上させ、在外邦人等の輸送、国際平和協力活動等の運航に対応できる態勢を確保することを目的に、本日23日から29日にかけて第1輸送航空隊による長距離洋上航法訓練が実施されます。 目的地はカンボジア(シェムリアップ・アンコール)のほか、インド(ビアー・サバーカー)、ラオス(ルアンパバーン)です。小牧基地の第1輸送航空隊からC-130Hが1機、隊員約20名が参加します。 海上自衛隊艦船のシアヌークビル港への寄港は、2000年代になってか
6月21日に行われたプノンペン都警察長官の会見によると、ソー・テット国家警察長官の指示のもと6月16日〜17日にかけて行われた作戦において、ケタミンを主とする145kgの麻薬を押収し5人を逮捕したとの発表がありました。 21日に行われたプノンペン都警察長官による記者会見(警察発表) 容疑者のうち4人は台湾人で、1人が日本人です。国家警察からクメール語表記で発表された日本人容疑者の名前は直訳するとノムラ・ソキジ(76歳)となります。ソキジはクメール語に記載する際に誤記があった可能性があります。逮捕当時の写真からは腕に刺青が確認できます。 摘発現場での記録写真。恒例の日本人の胸にも刺青か?
敗戦後に残留日本兵としてカンボジアの独立紛争に関わり、(1954年当時には既に日本に帰国していた)只熊元大尉のような特殊な事例は抜きにすると、ご兄弟でカンボジアに滞在されていた鈴木さんが最初の在留邦人のようです。この兄弟とカンボジアの不思議な関係についても、後日改めて書こうと思います。 ---- 初代吉岡大使の寄稿(1966)より以下抜粋 日本とカンボジアの国交が開かれてから最初の日本の使臣として、カンボジア王国駐在を命ぜられ、1954年3月19日バンコクを経て任国に向かい(中略)機上から降りて、カンボジア政府の代表者や、当時カンボジアにただ2人しかいなかった日本人(現在は140人
公共事業運輸省鉄道局によると、ロイヤル鉄道が日本から輸入しシアヌークビル港で改修工事を行なっていたキハ183系の試運転を、本日8日に南線シアヌークビルからプノンペンの区間で行いました。 本日の試運転でもかなりのスピードが出たようですが、旅客輸送においては南線(プノンペン=シアヌークビル)では最高時速を80キロに設定し、現状より大幅に高速化される模様です。 本日の試運転の車窓の様子改修が終わりシアヌークビル港内の引き込み線を走るキハ183系 従来の車両と比較して客席環境が格段に改善されることから、隣国タイ・バンコクに繋げる企画を期待したいところですが、プノンペンからタイ国境ポイペトに
タイで日本人男性の切断された遺体が見つかった事件で、男性を殺害したとして逮捕状が出ている男2人が、隣国ラオスで身柄を拘束された模様です。 暴力団関係者の加藤拓也容疑者(50)と鈴木浩斗容疑者(27)は3月、タイの首都バンコク近郊で椛島良介さん(47)を殺害し、遺体を切断して遺棄した疑いが持たれています。加藤容疑者らは逃亡していましたが、ラオスの首都ビエンチャンで現地警察によって身柄を拘束されたということです。この後、2人はタイに移送され、逮捕される見通しです。 被害者の椛島さんは、日本からタイに移動する際には、SNSに、ファーストクラスを利用している投稿を載せるなど、経済的に潤沢
カンボジア西部バッタンバン州の住宅に大量の武器が隠されているとの情報があり、4日午後に州警察が押収した。 南部シアヌークビル州の当局からの情報提供を受け、州警察はバッタンバン州サンカエ郡タポン集合村サムダッチュ村の住宅を家宅捜索し、銃器40丁や銃器改造に使用される器具を発見し、カンボジア人女性を逮捕した。バッタンバン州裁判所のトゥック・ヴィニット次席検事の指揮のもとに、バッタンバン州警察だけでなく、シアヌークビル州警察のノップ・パニャ副長官らが現場での捜査に参加しているところが注目される。 押収した銃器にはAK-47自動小銃11丁、M16アサルトライフル4丁、M4カービン銃2丁など
国際交流基金のオンライン日本映画祭 Japanese Film Festival Online 2024が、本日から始まりました。 カンボジアでは映画22作品、テレビドラマ2番組が無料(要アカウント登録)で無制限に視聴できます。 映画 22作品 ・銀河鉄道の父 (2023) ・ハケンアニメ! (2022) ・メタモルフォーゼの縁側 (2022) ・そばかす (2022) ・線は、僕を描く (2022) ・梅切らぬバカ (2021) ・騙し絵の牙 (2021) ・マイ・ブロークン・マリコ (2022) ・土を喰らう十二ヵ月(2022) ・劇場版 おいしい給食 卒業 (2022) ・ベ
5月17日に、シアヌークビル州知事らが参列のもと、Grand La Vogueホテル&カジノの開業式典が開催され、正式にオープンしました。このカジノホテルは日本人経営とのことです。 現地報道によると、ヤマモトコウジ最高経営責任者(CEO) は、「私たちの使命は、伝統的な日本のおもてなしとモダンなシティリゾートを組み合わせ、世界中からの観光客を惹きつけるユニークな体験を提供することです」と、プロジェクトについて説明しています。 また同氏は「ラ・ヴォーグは2018年にオープンしており、グランド・ラ・ヴォーグも同じビジョンを持っています。私たちラ・ヴォーグ・グループは、お客様はも
「タニの呪い」を引き起こしたイエイ・マウについて、頭の片隅で気になっていたのですが、そういえば過去にその名前を聞いたことがあったかもと、ふと思い出したことがあります。 一昨年、中国企業の投資による高速道路が開設される以前は、プノンペンからシアヌークビルに向かう人々は、国道4号線を利用していました。その国道沿いで、プノンペンから丁度100キロメートルに山越えをする地点があり、その周辺はピックニルと呼ばれており、峠を越す前の路肩には多くの祠が建てられていました。多くのドライバーが休息地として利用しており、道中の安全を祈願してから旅を続けていましたが、その時の思い出が蘇りました。確かあの場
シンガポール政府入国管理庁(ICA)が6月2日に発表したところによると、シンガポール最大の30億ドルのマネーロンダリング事件で有罪判決を受けた犯人のうち、更に3人の男性が国外追放されました。3人はいずれも中国福建省出身で、複数の国のパスポートを持ち、シンガポールへの再入国を禁止されています。カンボジア国籍のSu Baolin(42歳)とキプロス国籍のSu Haijin(41歳)は、それぞれ5月25日と28日にカンボジアへ強制送還されました。また、トルコ国籍のVang Shuiming(43歳)は6月1日に日本に強制送還されています。 左から順にSu Baolin、Su Haijin、V
第6回プノンペンのど自慢日本人大会が、6月23日に開催予定です。出場枠はあと残り僅かのようです。 出場者、スポンサーいずれも募集中ですので、興味のある方は実行委員会までご連絡ください。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
カンボジア王国の南部のカンポット州タニに、地元の人に日本平原(ヴィール・チャポン)と呼ばれる場所があります。先月訪問した際に、ここは太平洋戦争当時に日本軍が建設した飛行場跡であることがわかりました。現地で聞き取りを行う中でタニの古老から、「日本軍の駐留していた時代に、この辺りに住んでいた多くの人が、イエイ・マウに呪い殺された」との伝承を聞きました。 現在の日本平原日本平原に残る建物の基礎の跡 地形を弄ったことに怒ったイエイ・マウ(黒いお婆さん)と呼ばれる強力なニアック・ター(土地の精霊)が、日本軍に徴用され空港建設作業に従事した多くのカンボジア人を呪い殺したのだそうです。「日本に雇われ
5月29日、タイ天然資源環境省国立公園野生動植物局は、カンボジア国境に近い東北部ブリラム県のドンヤイ野生保護区で撮影された51頭のゾウの群れの写真を公開した。 残念ながら保護区はタイ側だけで、カンボジア側は国境ギリギリまで開墾され、農地になっている。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
カンボジアを縦断する大河メコン川は、ラオスとの国境地帯において、数十キロに渡って渓流や滝が続く。 コーンの滝として知られるこの滝幅は10,783mで世界1位、流水量は11,600m3/sで世界5位(雨季のピークには世界トップクラスかも)。仏領インドシナだった19世紀後半、中国までの航路を開発しようと何度も試みられたが、いずれも失敗に終わっている。そのため、ラオス側デット島 (Don Det) とコーン島 (Don Khon) との間に連水陸路となる鉄道が敷設された。 私が訪れたこの場所は、コーンの滝のカンボジア側の一部分で、ソペアクミット滝或いはプレアニミット滝として知られている。
カンボジア政府は、プノンペン都外周の第3環状道路を「習近平通り」に正式に改名しました。改名式典は28日にプノンペンの平和宮殿で開催され、フン・マネット首相と王文天駐カンボジア中国大使が出席しました。 フン・マネット首相と王文天駐カンボジア中国大使 首相は「習主席のカンボジアの発展への歴史的貢献に感謝する」と述べ、「中国の支援はカンボジアの社会経済発展に寄与するだけではなく、政治的独立も強化する」と、国防長官が近日訪問予定のアメリカを意識したとも思われる評価もしています。因みに、中国大使は近日中に離任の予定で、後任には中国外交部の報道官で、日本のニュースでもお馴染みだった汪文斌氏が着任の
料理の名前はカットナー・トゥックプネー(ខាត់ណាទឹកភ្នែក)。直訳すると、カットナーの涙です。カットナーは日本語ではカイランと呼ばれる野菜です。生あるいは半生の牛肉と一緒に食べます。まさに涙が出ました。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
カンボジアの地方の食堂に来ると、高級な木製のテーブルをよく目にする。庶民的なお店でも、重厚なものが無造作に使われている。古来、森の国だったカンボジアだが、残された森林はもう少ない。 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
国道の整備に伴い、空港が閉鎖されて久しい。街の急速な発展とともに周囲には建物が増え、滑走路には小さな独立記念塔が建設中だった。空港がこの場所で再開される事は無さそうだ。 空港の滑走路に、建設中の独立記念塔 昔はプノンペンから陸路だと2泊3日の旅だったので、空路が一般的だった。道路は街中でも極めて劣悪で、舗装されてない赤土の滑走路だけが町で唯一、平らだった。飛行機から降りた私の前を子供たちが横切り、滑走路を通学路にしていたのを思い出す。 当時の空港の上空写真。赤土の滑走路が見える。最後に使われていた新しい空港ターミナル当時のプノンペンからのフライトの機中 当ブログは「にほんブログ村」の
カンボジアではドリアンの収穫期がやってきました。果物の王様とも呼ばれますが、その強烈な匂いでも有名です。実は臭くなるのは時間を経てからなので、収穫直後に食べてみると匂いは殆ど無く、仄かな香りと美味しさだけを味わえます。 収穫したてのドリアンの山ドリアン農園ドリアンはこんな感じで木になります採りやすい低い枝に、こんなに密集して成ることも 当ブログは「にほんブログ村」のランキングに参加中です。1日1回のクリックにご協力ください。
明日はヴィサックボーチア(仏誕節)で、カンボジアの祝日です。釈迦が生誕、大悟、入滅した重要な日であるとされており、仏舎利塔のあるここ古都ウドンでも、同じ日に起こった3つの奇跡へ想いを馳せ、釈迦の徳に対して礼拝するための儀式が行われます。日本では、灌仏会や花祭りとして馴染みがあるかもしれません。 (写真1)山頂に仏舎利塔のある、ウドン山の夕焼け ウドンに近接するピニャールーには、17世紀当時に日本人町があり、朱印船貿易によって多くの日本人が往来していました。ちょっとしたフィールドワークをしてみましたが、古からの日本との繋がりにも想いを馳せたいと思います。 (写真2)ウドン近郊ピニャール