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  • 203 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blogうめの實を必ずくるる隣あり 高浜虚子 どういう気持ちなのか分かりにくいんですが、そういうおたくってありますね。当然いただく方はありがたいんですが、その返礼(当方ではおためっていいます)も習慣的にあって、そのやりとりにその地域の成熟度が

  • 8 『澤』(著:小澤實)を読む

     Ryo Daimonji Blog軽トラック荷台にわれら合歓の花 小澤實 軽トラックの荷台に乗ったことがある人って案外少ないんじゃあないですか、場所にもよるのでしょうが晴れがましくて恥ずかしい気がします。でも反面、この句のように仲間の二、三人で乗せてもらったような場

  • 176 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog木のもとに汁も鱠も桜かな 松尾芭蕉 花見料理である。汁、鱠と調えあり、宴たけなわといったところか。私の近辺は花はまだまだだが、こういう花見を久しぶりにしたいものだ。桜の木の下に懐石料理の膳を据えるというような花見は、そうそうないのでは

  • 202 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

     Ryo Daimonji Blog爐寒の誰まつとしもなき身かな 高浜虚子   爐寒は、ろさむと読むのか、いろりさむ、と読むのか。ともあれ炉、囲炉裏は冬の季語とある。炉の寒い冬、誰を待つということもない(侘しい)身の上であるなあ。ということなのかと読む。中七「まつと(いう

  • 7 『澤』(著:小澤實)を読む

      Ryo Daimonji Blog鰻屋の銜へ団扇や串かへす 小澤實 飲食を詠む飲食俳句は写生俳句の基本であると私は思っている。それに加えて、その調理についてもいえるのだと、この句を見て思った。団扇を銜えて串を返して焼く瞬間が見事に捉えられている。飲食俳句で何よ

  • 175 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blogうぐひすの笠おとしたる椿哉 高浜虚子 この句のポイントは、中七の「笠おとしたる」である。下五に「椿哉」とあるので、椿の笠、つまり椿の花笠のことであった。さほどに難しいところでもないが、一言口添えが欲しいところではあった。下五の「哉」

  • 201 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog寒食や壺の底なるししびしほ 高浜虚子 「ししびしほ」とは、辞書によると、干肉を刻み、麹または塩に浸しならして製するという。「しおから」の類。とあった。こういう辛い食べ物は飯によく合うのだが、寒食にもよく合うのだ。

  • 6 『澤』(著:小澤實)を読む

    Ryo Daimonji Blog牛小屋の二階ものおき桃の花 小澤實 昭和40年代の頃には農家には一頭ずつ牛が農耕用に飼われていて、その牛小屋もそれぞれに個性があったように思う。この句の牛小屋にはその2階に物置用のスペースがあったようだ。我が家の牛小屋は牛が売り払われて

  • 174 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog獺の祭見て来よ瀬田のおく 松尾芭蕉 この句は上五の獺の祭がいいのであります。瀬田の奥に行ったならば、それを見てきてくださいよ、酒堂への餞別句との前書きがあるようですが、酒堂は膳所住まいなのでこの前書は疑問と、解説にあります(芭蕉全句)。

  • 200 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog寒食や竈の中の薪二本 高浜虚子 寒食(かんしょく)とは、中国の風習で、冬至から一〇五日目を寒食節といって火を断ち用意しておいた冷たいものを食べたようである。春秋時代に晋の文公が忠臣の死を悲しみ三月五日を命日とし、火気を禁じた故事によるら

  • 5 『澤』(著:小澤實)を読む

     Ryo Daimonji Blogつばくらや朝刊の昼とどく島 小澤實 昼に朝刊とは、意味をなさないではないか。いやいや、その悠長なリズムこそがよいのだよ。それに比し、つばめはこんな島にも律儀に来ている。〈買はんかな山桜咲く島ひとつ 小澤實〉あながち冗談ではないのだ。

  • 173 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blogくさまくらまことの華見しても来よ 松尾芭蕉 路通への師芭蕉翁の説教句らしい。「くさまくら」旅をするならその道中に本当の花見をしてきなさいよ、とでも言う意味か。なんでも路通は素行が悪く師芭蕉の勘気を蒙ったことがあるらしい。その後その勘気

  • 199 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog凧籬の中より上りけり 高浜虚子 ひと口に籬(まがき)といっても、竹、柴などを粗く編んで作った垣(辞書)。ということで、その形態にもいろいろあるようです。それでも垣には人を遮る意思が感ぜられこの句でも作者に遠慮の気が感じられます。しかしな

  • 4 『澤』(著:小澤實)を読む

    Ryo Daimonji Blog木の家の窓も木の枠きりぎりす 小澤實 ひところ田舎暮らしが流行の兆しを見せた頃、木製の喫茶店や小屋なども目につくようになり今ではひとつの趣味として定着した感がする。この句、そういった木製の家を木製の窓と詠み重ねることによってその風味を

  • 172 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blogとしどしや桜をこやす花のちり 松尾芭蕉 この句は「花は根に」という謡曲によるらしい。謡曲とは、能の詞章のこと。 演劇における脚本に相当する部分のことだそうな。咲き終えた花が根元に散り積もって肥やしとなる、と寓話じみるがこの句、そんなこ

  • 198 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

     Ryo Daimonji Blog塊に菫さきたり鍬の上 高浜虚子 春耕の一シーン、上五の「塊に」がうまいと思う。鍬使いの一瞬に鍬に乗せた土くれにすみれの花もまじり乗ったのを見逃さず一句にした、と言うところか。忙しなくかじいていく母の鍬使いをこの句で思い出した。虚子翁

  • 3 『澤』(著:小澤實)を読む

    Ryo Daimonji Blog夕桜自転車のベル澄みにけり 小澤實 よく咲いた桜の元へ自転車で来てみた。昼間とはまた違って静かな美しさであった。ベルを鳴らしてみるといい音がした。それは、桜の声とも思われる澄んだ響きなのだ。

  • 171 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blogのミあけて花生にせん二升樽 松尾芭蕉 薦被りの樽に詰められた酒を薦被りと言って慶事に振舞われる。この樽が四斗(四十升)入りだそうで、この句は二升樽と手頃である。そもそも薦被りの酒を煽り飲む様なことは一般ではまずないことなのでニ升樽で十分

  • 197 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog藤棚や二軒竝んで煮賣茶屋 高浜虚子 「煮売」とは、飯および魚・野菜・豆などを煮て売ること、とある。さらに「茶屋」を見ると路傍で客に飲食、遊興させることを業とする家。つまり、路傍に二軒続いて飲み食い屋さんがあって、美しく藤棚がありますよ

  • 2 『澤』(著:小澤實)を読む

    Ryo Daimonji Blog湯を捨てて屋台しまひや梅の花 小澤實 その日の労働のしまいかたにもいろいろあるが、屋台の場合、湯を捨ててしまうというのは最も言い得て妙と思う。そのしまう時のやれやれ感や客足のまばらとなった通りの侘しさなどをしみじみと感じる。京都の伏見

  • 170 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog山吹や笠に指べき枝の形り 松尾芭蕉 私が山間地に暮らしているせいか、山吹という花には常に郷愁を感じてしまう。しかし、枝の形りと言われてもそこまで細かく正確に思い出せない、即ネットで調べた。なるほど細長く笠に指すのに程よいかたちだった。

  • 196 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog梅三株漁村を守る社かな 高浜虚子 この句、言い足らず、言い過ぎず漁村を素朴に詠み切っていて素晴らしいかな句であると思います。この村が慎ましく誠実にあることを社が真中にあり、それを美しく梅が守ると、しかもたった三株で、とするところに遺憾

  • 169 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog不精さやかき起されし春の雨 松尾芭蕉 不精とは、面倒くさがってなまけがちなことと辞書にあった。この句の場合、朝さっと起きず床の中にぐずぐずすることを言っているようだ。そうこうしているうちに「手で引き起こされる」と言ったことになったよう

  • 195 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog竹青き詩人の家や梅もなし 高浜虚子 この句に、この詩人が誰なのか、どういう人なのか、虚子さんとの関係は、といろいろ考えてしまう。上五に竹青きとあるので、若く青臭い人と思ってしまう。しかも春だというのにその庭には梅のひとつもないと、くさ

  • 235 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog我山に我れ木の実植う他を知らず 西山泊雲 自分の山に自分の木の実を植えた。そういう生き方のほかは知らないと、愚直に生きた自分の人生を詠んでいる。さて、この人は弟野村泊月とともに丹波二泊と言われた、ホトトギスの俳人であった。私んとこと、

  • 168 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog月待や梅かたげ行く小山伏 松尾芭蕉 上五の「月待」とは、中世・近世に三夜・十七夜・二十三夜・二十六夜に月を拝む習俗があって、以上のいずれかの夜に人を呼び酒宴を行ったらしい。私が月待で、卓袋さんの家に呼ばれて行く途中、小山伏が大きな梅の

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