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庸晃
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2022/08/03

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  • 飯島晴子さんの作句法

        土用波薄刃こぼれの波も来る庸晃(2006年8月6日記述)武庫川を南へ歩くこと4キロ少し青みの増した水が見えるとそこで河川は終る。河口である。前方に広々とし水平線が見え巨大な船舶が通過してゆく。そのたびに波のうねりが押し寄せてくるのだ。小岩を乗り越えさらに岸へと届く。岩の隙間に住む蟹たちは押し流されてしまう。…そんな風景に出会ってからここへは一週間も通った。ましていまは土用である。実は写生の本質に触れたくて、その姿の刻々をこの目で確認したかったのである。そしてこの「薄刃こぼれの」言葉を得た。虚子の写生俳句論に始まり飯島晴子さんの俳句作法にぶっつかったとき、私の胸中に炎が宿り或る闘いが始まっていた。このふたりの俳人の間に共通点らしきものが見えてきたときであった。然ういへば葵祭に会ひけらし晴子さんの「儚...飯島晴子さんの作句法

  • 私個人のメモリアル㉜

    シンフォニー青葉渡りの風仲間庸晃(2006年5月18日記述)このところ雨ばかりで気分は優れず、また私の咳はより一層激しい。会社での勤務中も咳はやむことはなく辛い。それにしても防災に関わる施設の勤務はどうしても24時間の緊張を強いられるのだ。そこにオプションまで付く。施設内での怪我や喧嘩、それにトラブル事故など。救急車の要請までも付く。防災・防犯に関わる者の緊張はたえない。防災センター要員という国家資格を得ての勤務とは言え辛い24時間である。…そのハードな勤務を終え今朝帰宅このブログを書いている。JRの須磨駅を過ぎる頃よりすこし空が明るくはなってきたとは言え小雨状態。全く鬱は消えない。車内より見える風景は私の心を遠くへと誘ってくれる。緑より青さを増してきた樹木は快く風を受け入れていた。左右に揺れる枝葉は正に...私個人のメモリアル㉜

  • 私個人のメモリアル㉜

    五人ほど居眠るための初夏の椅子庸晃(2006年5月15日記述)河川敷……ここはまるで時間が止まっているのかと思える時がある。この武庫川のほとりを歩いていると、なんとこんなにも自由がばら撒かれているのかと思う。人それぞれに思い思いのことがなされているのには全く現実臭さが無い。日常の生活の嫌な匂いなども無いのだ。生活の中に細かく刻まれたメニューなど忘れていた。そして限りない人間の優しさや美しさにも会えた。自然の中に回帰してゆけば人は悪意を感じなくなるのかもしれない。…そんなことを思いつつ河川敷を北より南へ下っていた。長椅子は初夏の真ん中にゆったりと置かれていた。散歩の途中の一休みにと腰を下ろしたのであろう。何時しか居眠るほどの心の安心を得て…。私の瞳に映ったものこそ癒しへの序奏であったのだ。この癒しを何回も味...私個人のメモリアル㉜

  • 宇多喜代子さんの原典は…

    「草樹集」や昼寝の夢に信子の句庸晃(2006年7月28日記述)職場での使用している監視モニターは全てにおいてデジタル化されてゆこうとしている。一部は録画にビデオを残すが時代の流れと共にデジタル処理へと変わることになるだろう。鮮明な画面は良いのだが、ハイテクニックの操作や画面処理はなかなか大変である。そこには基本的な考えとしてパソコンによる処理があり録画再生印刷はメモリーカードによるもの。時間検索や場所映像検索や設定は機器ごとに違う。防災センターと言う比較的コンパクト職場においてもだんだんデジタル化されてゆこうとしているのだ。…こんな毎日のなかで目は疲れ脳中は休むこともなくへとへと。自分自身を取り戻す時間は文芸に集中しているときなのである。そして疎外されてゆく人間の情感を受け入れるその時は益々アナログな場所...宇多喜代子さんの原典は…

  • 師…伊丹三樹彦回顧録

    師である伊丹三樹彦(99歳)が天寿して半年が経た今、過去に遡り私のブログをアーカイブいたします。(2020年3月10日記述)追いまくられる仕事と時間に、毎日毎夜身を挺しているぼくのそばで、降りつづく雨の音までが嫌に思える日であった。生きるとは何なのか、生きているとはいったい何なのだろう。生きているとは仕事をしていること。金銭とは関係なく自分が撤しきれる何かをしていること――、この素晴らしさを、事もなげにやりとげてゆく伊丹三樹彦先生を思うとき。ぼくの時間との闘いや夜を徹しての仕事など甘えにすぎない、泣きごとにすぎないと思えるようになった今日このごろである。あの細い体にまといつくようにのしかかってくるハンディットペンともいえるカメラをもち句会へ、出版社へ、新聞社へ、テレビ局へ――。このすごさはやはり何かをやる...師…伊丹三樹彦回顧録

  • 私個人のメモリアル㉛

     いっぱいの草花木花蝶はじき庸晃(2006年5月22日記述)我が家の家の天窓に朝から五月の光が差しこむ。ここ暫くはこの天窓には雨のはじく音がリズムを奏でていたのに…。今朝は心を和ませてくれる。初夏と言うこの時期は朝四時半ごろには明るくなる。外では雀が囀り一日の始まりを告げるのだ。私は五時に起きる。そして勤務のため6時過ぎに家を出てJR甲子園駅へ向かい50分ほど車中の人となる。…だが今朝はそうではない。五月の光は右脳をやわらげ詩情の世界へと私を変革させていた。武庫川河畔は五月の風でいっぱいだった。草花や木花でいっぱい。見事な花々に蝶ですら留まることを許されなかった。かって私はここ(武庫川河川敷)に住みついて生活する男の日々を小説に書いたことがある。題して「河川敷の哲ちゃん」。神戸新聞文芸12月入選。2004...私個人のメモリアル㉛

  • 神戸新聞文芸川柳部門特選(2021年)

    ★1月特選句(2021年1月4日朝刊掲載)兼題「脱ぐ」蛇口より脱皮始まる水ぞ今朝児島庸晃選者…矢上桐子さんの評は次の文章でした。「評」“蛇”口の脱皮かと思えば、脱皮しているのはどうやら水。透きとおる蛇ではないですか…あふれ出る水に生命力を感じられたのでしょう。「脱皮始まる」の臨場感。「水ぞ今朝」とたたみかける勢いに、作者の感動が伝わってきます。水にいのちを吹き込んだ作者の感性も、脱皮したかのようなみずみずしさです。あふれ出る水のイメージとことばのスピード感もマッチして、一句にうるおいが満ちています。神戸新聞文芸川柳部門特選(2021年)

  • 俳句を作ることのメリットとは

    時々ではあるが何故俳句を作っているのか、と自問自答している私に吃驚して夢より覚めることがある。夢より解かれて現実の世界に戻っても、しばらくは私を責めている全く別のもう一人の私が居て、思考の続く時間に悩まされることがある。これまでの長い月日に会得した日常のなかに何の不思議も思わないで俳句を作ってきた私である。だが、ときに俳句を作ることに何の意義があるのだろう、何の価値観があるのだろうと思ってきたことも事実である。生活に追われてきた多忙な日々も必死で専念する俳句であった。…何故、俳句を作るのか。それは私自身になれる、私自身を取り戻せるから、と言う俳人の言葉。なるほどと思う間もなくその人は言う。…生きるのに疲れた時、俳句は癒しの栄養素になります。真剣に物事に集中して、毎日の現実と闘っている俳人の事を思っていた私...俳句を作ることのメリットとは

  • 神戸新聞文芸俳句入選作品(2018年・2019年)

        (2018年)★5月入選句(2018年5月14日朝刊掲載)棒となり立っているのよ二月の木★7月入選句(2018年7月2日朝刊掲載)垂直に触覚立てて五月行く★8月入選句(2018年8月15日朝刊掲載)広島やあの日真白き夏帽子(水田むつみ選)★8月入選句(2018年8月27日朝刊掲載)本日はハープ奏でとなって梅雨(わたなべじゅんこ選)俳句における自己主張はとても大切なことなのだが、ときに説明言葉になり意味性の強いものになる。それでは詩語にならない。俳句はポエムである。     (2019年)★1月入選句(2019年1月14日朝刊掲載)ルート4解けば2…2は白鳥?★2月入選句(2019年2月11日朝刊掲載人間を崩さず座るお正月★4月入選句(2019年4月10日朝刊掲載)春風にとびのる構え風見鶏ただ単に目...神戸新聞文芸俳句入選作品(2018年・2019年)

  • 桂信子の世界…それは滅びの美学

    頂上へ紅葉殖えいる雑木山庸晃(2006年12月6日記述)阪急電車から見える六甲山はやっと紅葉の季節を感じさせるようになってきた。なかなかその色付きがみられなかったがここのところの温度の変化には自然も逆らえなかったようだ。正直に素直に季節に従ってきている。だが雑木林らしくその色は一様な紅にはならない。それは枯れ色やオレンジといった色のなかにところどころ紅葉している。しかも頂上の方がより紅葉しているかと思いきや山裾のほうがより多く色付きしているのだ。頂上の固定した寒気ではなく山裾の温暖の差が強いためで木の葉にとっては過酷な試練があるようである。日に日に頂上へと向かって紅葉を増殖してゆくのが目に見える。やがてこの紅も薄らぎ白っぽくなり枯れはてるのだろう。…そう思っていると車内の一人の女性が傍によってきて「滅び逝...桂信子の世界…それは滅びの美学

  • 私個人のメモリアル㉚

    百歳の母のほほ笑む冬鏡庸晃能勢電鉄山下駅で下車、改札を出ると病院行きのマイクロバスはもう既に待っていた。乗客は僅かに3人。朝の10時祭日の病院に行くものなどはいない。私は俯きがちに頭を垂れ30分ばかりの時を経る。兵庫県川辺郡猪名川町。私の母の入棟している老人養護施設は丘の上にあった。受付を済ませ5号棟に案内される。3年ぶりに訪ねる母の顔は元気であった。だが、長い間訪ねられなかったのには理由があった。母は自宅に帰りたいとの主張を私は拒み続けたためだった。私を見ても「どこのどなたでしたか?」と聞く。完全に呆けていて痴呆症状は更にすすんでいた。こんな状況にあっても自宅での生活を望む母である。その眼には涙すら浮かぶ。私はゆっくりと母を見てゆっくりと涙をぬぐった。母は100歳になった。いま私の家の鏡には痴呆の顔の母...私個人のメモリアル㉚

  • 神戸新聞読者文芸俳句部門入選作品(2015年)

    2015年12月21日朝刊神戸新聞文芸俳句部門に私の句が特選に…。↓を追えばUFO秋夕べ児島庸晃わたなべじゅんこ…さんの選者の選評、以下の通りです。「↓」は記号。記号の名前は「矢印」というわけで「矢印を追えば」と読める。カギ括弧や句読点はたまに見かけるが矢印はなかなか見ることがなく、挑戦的な作品と言えそう。とはいえ、情景がわかりづらいのが難。なにか看板に「↓↓↓」とか書いてあるのだろうか。俳句そのものより、それができた背景が知りたくなる作品。できれば俳句そのもので勝負をかけたいところだが、たまにはこういう遊びも悪くない。2015年の神戸新聞文芸俳句1月・2月・3月・4月・5月・6月・7月の入選句を紹介させていただきます。★1月入選句(2015年1月19日朝刊掲載)風音はボーイソプラノ鳥渡る★2月入選句(2...神戸新聞読者文芸俳句部門入選作品(2015年)

  • 神戸新聞読者文芸短歌部門入選作品(2014年)

    ★1月入選歌(2014年1月6日朝刊掲載)隣人へ笑くぼ生むまで話すとき右脳にマグマふつふつと沸く★2月入選歌(2014年2月17日朝刊掲載)日向へと風が冬蝶つれて行く田舎時間の神戸垂水区★3月入選歌(2014年3月24日朝刊掲載)発熱し自己主張するいま何を弾く反り身ぞ寒の弓月★4月入選歌(2014年4月28日朝刊掲載)蓮華摘む群れ猿人か星人か…とても静かに地球奪わる短歌にも意味言葉と思えるようなものがあるのだろうか。…そのように思いつつすこしだけ非日常の世界へと跳びこんでみました。★9月入選歌(2014年9月8日朝刊掲載)木の実独楽ついに転がり死んだふり少年の目に涙ひとつぶ★10月入選歌(2014年10月13日朝刊掲載)夕月が雫こぼして妻の手へ檸檬色する若き日の君★11月入選歌(2014年11月3日朝刊掲...神戸新聞読者文芸短歌部門入選作品(2014年)

  • 2007年神戸新聞小説部門 入選作品

    仏石(ほとけいし)この作品は11月26日朝刊に掲載されたものです。穏やかな太陽が柔らに降り注ぐと海の朝が始まる。ゆったりとした陽の揺れが海を明るくもする。沖へと突き出た太陽光線の中でぽっかりと浮いていた。栄三郎はぱっちりと目を開き、海面を這い回る太陽を見ていた。「海は青だと思ったが、オレンジに見えることもあるのだ」。朝は際立って色の変化が激しい。山の頂から顔を出した太陽は一気に海を照らす。八方へ放つ光線はオレンジ色を海に落とした。栄三郎は朝から晩まで、この海を心に入れ、目の奥に取り入れ毎日の暮らしを続けることにした。明日へ向かっての希望は海の色の変化のよって栄三郎の心を左右する。いまの快い気分を大切にしたい。海へ割り込む岬には、波による侵食が強く、いたるところに穴が空き奥に広がっている。歩きながらも栄三郎...2007年神戸新聞小説部門入選作品

  • 俳句現代派の文体…考察②

    ・ワカチガキは突然変異ではない、必然なのだ昭和34年頃、俳句性の復興がさけばれはじめ、いろんな動きが出はじめていた。金子兜太は造形俳句論を書き、精神の自主権を独立させ、赤尾兜子は第三イメージ論を提示、若い作家たちを驚かせもした。このような中にあってイメージとリズムの矛盾から生じたワカチガキは造形論や第三イメージ論にも負けないだけの力と実績を積みたててゆくのである。だがこれは突然出てきたのではない。すでに、昭和21年ごろにはめばえていたようにも思う。戦後まもなくの、桑原武夫の俳句第二芸術論(「世界」昭和21年12月号)に始まる俳句の反発は伊丹三樹彦をはじめ当時の20代の作家たちに大きな影響を与えている。まず革新の第一歩は山口誓子の知的構成による素材の拡充であり、第二の革新は中村草田男や加藤楸邨などの人間的な...俳句現代派の文体…考察②

  • 俳句現代派の文体…考察①

    この文章は昭和63年「青玄」412号3月号に掲載されたものを採録しました。・文体は現代を語るカワチポテト族ということばを聞いたのは昨年の十一月ごろであったか。ニューヨークの若者たちの現在のあり方をしめすことばだそうだが、なんとなく気力をなくした若者の出現になんともやるせない気持ちであった。カワチとはよこに長く寝そべって、と言う意味で、ポテトを食べながらダベッたり、テレビを見たりして思い思いの時間を過ごすことだそうである。ぼくはいまの若者たちの意欲喪出の裏にある社会のあり方までが見えてきてなんとも妙な気がする。かって1960年代にはビートゼレネーションが流行し、一時代を作った若者たちの行動は完全に姿を消して、そのころ活躍した詩人の姿すらない。ましてや日本の若者たちは短詩形への、特に俳句への興味すらも薄れて、...俳句現代派の文体…考察①

  • 私個人のメモリアル㉙

    ほんの一秒息を休める魚の夏庸晃(2007年7月6日記述)37年も前に心を戻しそのときになろうとしていた。阪神電車西宮駅で下車改札を出る。海側へまっすぐ進み街の中へ。商店街を抜けるとビルの立ち並ぶ街角へ。すこし細い路地奥に出るとアパートはあった。そこが37年前に住んでいた私たち夫婦の住まいである。結婚して初めて住んだのがこのアパートの2階であった。何もない部屋の中には私たちの日常の笑いだけがあった。そんな暖かな貧しさの中で長男が誕生したとき街には「神田川」の歌が流れていた。そして長男二歳のときチェリッシュの「白いギターに変えたのは何か理由があるのでしょうか」の優しい声がながれていた。その歌は白いギター。貧しいなかにある心の優しさに励まされて生きていたのだ。…そんな思い出の街を私は今歩いては回想する。…そんな...私個人のメモリアル㉙

  • 私個人のメモリアル㉘

    花季終る猫のんびりと駅の椅子庸晃(2005年5月6日記述)3月18日JRの新駅「さくら夙川」が出来てから一ヶ月余が過ぎた。近くにある櫻の名所より使用した名前ではあるがなかなかしゃれた思いつきであったと思う。人々はこの名前を忘れないだろうと思う。丁度櫻の開花を前に開業したので乗降客は多かった。だが今はその賑わいも徐々におちつき日常の姿に戻ってきた。毎日の通勤客はここより大阪へ、また神戸へ出てゆくのであるが、ここはどちらへ行くにも20分程度である。丁度真ん中に位置しているのだ。近年この西宮市は人口が急に増加しているのだが、その便利な位置に「さくら夙川」はある。私はこの駅を通勤で通過している。勿論神戸へ向かってだが朝夕の通勤時間時の人々はいらだっている。快速も新快速も通過駅なので急ぐ人々にとってはいらいらしてい...私個人のメモリアル㉘

  • 私個人のメモリアル㉗

     親睦の貌で笑む猫花の下庸晃(2007年4月20日記述)花の下の宴は人間ばかりではなかった。深夜の公園でのこと。声がするので傍によって見てびっくり。いろんな色の猫がいてじゃれあっていた。ここは昼間、人間様の宴で賑やかであったところである。私が見ている間にも猫は集まってきて何処にこれだけの数のものがいたのかと思われる。更に傍によっていってゆっくりと見る。実に楽しそうな猫たちの時間である。桜は満開に近く既に飛花落花が始まっている。昼間人間様の残した食べ物を嗅ぎつけよってきたのかもしれないが、ここには食べ物を争っての生存競争はなかった。実に優しいふるまいにただただ時間の過ぎるのも私は忘れていた。飼い猫なのか、野良なのか、互いの行動にしばしば感心感動する私がいたのだ。そうした行動にひとつひとつうなづき吸い寄せられ...私個人のメモリアル㉗

  • 現代俳人…伊丹三樹彦の業績

    批判的リアリズムの誕生が如何に苦難の末の思考であったかを考えるとき、この運動が、その後の俳句界にとってどれほど新鮮であったかを思うと伊丹三樹彦(「青玄」主宰)の先見の目と、このことの重要性を思わざるを得ないのである。そのことは当時の十代、二十代の青年男女の俳句を愛好する数が殊のほか増えていったことでもわかります。このころ同じように鈴木石夫(「歯車」代表)も若者の育成に必死でした。私たちは、鈴木石夫、伊丹三樹彦の二人の頑張りにより、現代俳句発展の今があることに感謝しなければなりません。ここでは批判的リアリズムより生み出された、さらにその基本となる三本の柱を詳しく書いてゆくことにします。三リ主義…とは。感情のリリシズム態度のリアリズム形式のリゴリズムの三本の柱です。ここで当時話題になった作品を私なりに語りたい...現代俳人…伊丹三樹彦の業績

  • 俳句を生むためのポップ言葉

                 新感覚の俳句を求めて   私がポップ言葉…ってなんなのだろうと思うようになったのは随分と昔のことである。そしてそのことが俳句にも使用され、凄く心理の強さをくすぐる言葉なのだと思った時より、もう数十年が経る。ポップ言葉とは、商品販売におけるキャッコピーなのである。人の心を上手に取り込む誘いの言葉である。謂わば人と人とを結ぶための心を継ぐ言葉なのである。小学生に俳句について聞くと、いつでもどこでもつくれる、ことと答えが帰ってくると言う。そしてさらに聞くと、こころがおちついてくる、との返事。私は吃驚した。かって氷見市で小学生に俳句の指導をしていた谷内茂(やちしげる)さんの四十年ほど前の言葉を思い出していた。この心の存在そのものが…実はポップ言葉なのである。思っていること、感じていること...俳句を生むためのポップ言葉

  • 私個人のメモリアル㉖

    少年に河川秋晴れでも暗く庸晃11月だと言うのに昼間は23度もある。紅葉どころか半袖の人もいるそんな昼を武庫川河川敷を歩いていた。ゆっくりと下流に向かって気分をほぐして歩いていた。時々は汗する額に手を当てては前方に目をやり、さらにその先へと心を癒していたのだがそこに飛び込んできたのがただならぬ光景だった。ああ!と声を発し私は走って行く。そこに見たのは中学生らしい少年で、水面を見つめていて身動きしない挙動不審な姿だった。少年に聞くと昨夜からこの場所にいて考え詰めているのだと言う。所謂いじめでの悩みに戸惑っていて学校へは行けないのだと言う。このところ毎日のようにあるニュースである。実のところ私も中学2年のときひどいいじめにあっていた。学生服は毎日ボロボロに破られ釦はとれて家に帰る、そして母はその服の繕いをする。...私個人のメモリアル㉖

  • 俳句の言葉はこころの言葉

           私の句集「風のあり」から3句紹介させていただきます。たばこ火が茜の火となる枯野駅  昭和58年2月の作品である。当時は印刷会社にいてデザイン、校正、版下の仕事をしていて、仕事が終わり家に帰るのが深夜になることがたびたびであった。くたくたに疲れ果てて帰り、また早朝に出勤ということの繰り返しであった。細かい神経を使いきるという過酷な頭の中で、俳句を考えるという寸分の時間もなかった。伊丹三樹彦主幹の俳句結社「青玄」に在籍していたのだが一年に3回ぐらいしか出句できない状況の中にいた。よく先輩の俳人に叱られていた。このままだと結社の賞などとれないとも言われていた。…そんな過酷な日々のなかに休日が来るのが楽しみであった。私は町を離れたいと思い、福知山線の乗客になっていた。着いたのは相野駅。そこは兵庫県三...俳句の言葉はこころの言葉

  • 前衛作品俳句考(一部修正再記述)…その意味するもの

    前衛俳句を論考するに及びよく聞かれることがある。その俳句たるやもう亡び去ってどこにもないではないかと、よく聞かれる。確かに…そのように正面切って詰められると答えに困ってしまうことがある。答えと言っても理論らしく説明したところで解ってもらえるような単純なものでないのが前衛だと思っているので別に気にはならない。ただ言えることは誰にでも作れるものではない句。過去より現在までにおいて誰も作ってはいない句、その人のみの独特の発想なり感受で、その人でなければ絶対作れない句が前衛俳句だと、私は思っているから現在も前衛俳句は人それぞれにいっぱいあると思いたい。ところで当時、物議をかもした前衛俳句と呼称された作品が如何なるものであったかを紹介することから論考に入りたいと思う。 雨をひかる義眼の都会死亡の洋傘島津亮 帰る円盤...前衛作品俳句考(一部修正再記述)…その意味するもの

  • 私個人のメモリアル㉕

    絶叫してみようか(2006年3月26日記述)直立の棒と認定芽吹かぬ樹庸晃ベランダにある鉢植えのチュウリップの花が少し顔を見せてくれる季節になったが、その傍にある山椒の木の芽吹きはまだまだのようである。今年の春の訪れは遅い。球春と呼ばれる高校野球は始まり、私の家からは歩いて10分で行ける位置にあり、その春の華やぎは毎日の人の顔の明るさでわかる。でも我が家のベランダの樹には春はまだ来ない。もしかしてこのまま芽吹かぬ樹となり直立の棒としての存在になりえるかも。呆然と樹を眺めしばらくの沈黙の時が過ぎていた。命あるものの終焉を考えていた。樹の一生とある俳句作家の一生が頭中にあった。これは終の紅葉か絶叫してみようか木村光雄平成5年10月5日未明心不全のため急死。20代前期より結核のため奥多摩の病院にあり、ここで鈴木明...私個人のメモリアル㉕

  • 私個人のメモリアル㉔

    あじさいの自重保って風の中     庸晃         あじさいの花に隠れにゆく小鳥庸晃JR宝塚線を北へと走ると田園風景が眼に飛び込んでくる。新興都市化へと変貌しようとする新三田駅を過ぎるとあちらやこちらで初夏の風になびく早苗の姿が純粋に私の心へと伝わってくる。そこは相野駅だった。広野駅を出たころより電車の左右は一面の早苗姿であったが、殊にそこに立つ白鷺の静かな構図にはびっくり。何時か見た絵画での雰囲気ではなった。いましがた丹波路快速は宝塚駅を出て25分。こんなところに都会人を癒す風景があったのか。…私たち夫婦は「かさや相野あじさい園」へと行くための送迎バスに乗る。山懐に開けた紫陽花公園。すこしの坂道をゆっくり、その奥へと歩行。入園券には…滴が輝く、紫陽花の郷。…と書かれてある。前日に降った梅雨により花...私個人のメモリアル㉔

  • 神戸新聞読者文芸短歌部門特選(2015年)

    心の鍵すこし解きたく旅に出て宇和島駅に心捨て置く(3月16日朝刊掲載)以下は選者…尾崎まゆみ…さんの選評です。心の鍵をしっかり締めてあまり思いを見せないように、朝起きてご飯を食べて、様々な人と関わりながら毎日を過ごす。日常生活をこなすのは、当たり前でそれとなく過ぎてゆくものだけれど、結構疲れる。だから時々私は旅に出たくなる。その行き先は宇和島。愛媛県の南にある海の幸と蜜柑と真珠の町。青い空と段々畑と山。自然がたっぷりとあって癒される宇和島駅に疲れた心を置いて帰るのもいい。「宇」は宇宙」の「宇」。宇宙のすべてのものが丸く収まる駅なのだ。以下は私の感想です。言葉の選択に、心をこめることは真実がどれほど伝達出来ているかとのことなので、それは私自身が無垢で濁りがないことです。言葉が機能していなければただの言語でし...神戸新聞読者文芸短歌部門特選(2015年)

  • 良い俳句の基準とは…

     俳句における誇張表現を考える                よく聞かれる言葉に、良い俳句を作る基準とは何ですか、と唐突に話しかけてくる人がいる。当然のことのように必死で聞いてくるのだが、私としては、一度もこれだと確かな答えをしたことはない。これから俳句を作り真剣にことをなしてゆこうとする人ほど、その気持ちは強い。もっとものことだが…。どの結社誌や同人誌、仲間誌を見ても、これだという定義は見たことがない。一つ一つの句の解説において、ここが良いという説明らしき言葉はある。いったい、俳句の良い作品、良くない作品の基準はあるのだろうかというのが、何時も私の心の奥にあった疑問である。一般的に思われているのは、新鮮で目新しい感性があるといえば人の心を捉えて入選はする。新鮮というのは、未だに誰の目にもふれていない感覚...良い俳句の基準とは…

  • 神戸新聞読者文芸短歌部門入選作品(2012年・2013年)

    ●2012年●★1月入選歌(2012年1月4日朝刊掲載)八方へ風はおしゃべり花野駅寡黙夫婦の歩み行く刻★2月入選歌(2012年2月27日朝刊掲載)わが頬の風のあつまるところ寒む介護老爺の手に血の透ける★3月特選(2012年3月5日朝刊掲載)囀りの言葉拾いに野へ母と母百二歳一歩二歩三歩★4月入選歌(2012年4月11日朝刊掲載)凩はボーイソプラノだったのか幼い日々の無垢のふるさとその時の感動が持続することの大切さを思う。感動が一過性のものであってはならないと思う。緊張感や臨場感はそのためのものである。●2013年●★5月入選歌(2013年5月6日朝刊掲載)地球水買いゆく人は櫻守いっときの喉やさしーく飲む★6月入選歌(2013年6月17日朝刊掲載)囀りの一分短編ものがたり瑠璃色地球自転つづける★7月入選歌(2...神戸新聞読者文芸短歌部門入選作品(2012年・2013年)

  • 人の心を動かす俳句とは

    見えているものを使って見えてはいないものを表現 私達が毎日を日々暮らしている世界は目視出来る二次元の世界である。目視出来ている毎日の出来事や日々の生活風景に、何の疑問も持たず生活を繰り返しているのだが、これらは二次元の世界である。俳句を正しく理解しようと思えば、表現されたその一句は二次元の世界だけではないのである。人間の内面を表現しようとすれば二次元の見えている部分だけでは描ききることはできないのである。文芸の大きな用途とは、またどのようなメリットがあるのかをいま私は考える時間が多くなってきた。そこでいろんな文献を集めたのだが、俳句に関する部分では、殆どと言っていいほどないのである。俳句を成していることのメリットは人の暮らしの中における失った心の回復ではないかと思うのが私のメリットである。見えているものは...人の心を動かす俳句とは

  • 心を無にするこころの大切さ

    日常語は物事を遂行する言語で、ニュアンスは含まない。従って詩語にはなりぬくいのである。日常の生活は会話を正確に伝えなければ物事が前へと進まない。だが、このことが、詩情を深めるのには邪魔になる。心の在りよう、つまり人の感情を阻害してしまう。多くの人々は物事を伝達するのに誰にでも理解出来る言葉を選ぶ。これは感情や雰囲気の含まない言葉。だから社会の中で行き違いや衝突が起こる。例えばだが物事を処理するのに人間性を排除するかの如きマイナンバーカードを国民に義務付けようとするこのような数字で物事を処理、感情を無視する行為。だから人々は何かの救いを求めて心を広げようとする。この時に心を広げることの出来る感情が欲しくなる。それは文章やエッセイを一つにした一冊の本の存在。その一番すっきりとした形が短詩形であり、そのもっとも...心を無にするこころの大切さ

  • 俳句は詩である

    当然の…俳句のあるべき姿私の周辺で囁かれる気になる言葉がある。俳句の最近の現状についてのことだが、ただ事俳句が多くなったと言う。…これは何故にそのように思えるのだろうか。感動したと言える俳句がなくなったと言う。把握内容も意味ももっともなのだが。感覚も理解出来るし、新鮮さもあり、でも物足りない。これはいったい何になんだろうか。いろんな人から聞く言葉であった。いろんな意見はあるにしても俳句が軽すぎるのであって重みを言葉から受け取れないのである。これは平易な言葉や表現を意味しているのではないように思われる。俳句の基本とも思える、俳句には、そこに詩と思える表現が存在しなくなってきているのであろう。そのように思って、いろんな資料を調べていると、私の思っている言葉があった。俳誌「黄鳥」の代表者―小西領南氏の言葉があっ...俳句は詩である

  • 神戸新聞読者文芸入選作品 (2017年・2018年)

    俳句部門★9月入選句(2017年9月4日朝刊掲載)一本棒直立つづくヒロシマ忌★10月入選句(2017年10月9日朝刊掲載)花野まで両腕強く櫂にする★12月入選句(2017年12月4日朝刊掲載)秋思いま蛇口離れる青い水句を作すときにおける私の心境を考えると、自分自身をどれだけ純粋に保っていられるかを思う。複雑な社会である。真当な私を維持している事の難しさ。でも文芸の中では真当な私でいる事が出来る。俳句は心の支えなのかもしれない。★1月入選句(2018年1月22日朝刊掲載)あきかぜの力借りる子一輪車★2月入選句(2018年2月26日朝刊掲載)枯野行く二足歩行はヒトの歩で★3月入選句(2018年3月19日朝刊掲載)一歩前へ前へ年始の朝を踏む★4月入選句(2018年4月23日朝刊掲載)勾玉へ寒の月食微熱して俳句の...神戸新聞読者文芸入選作品(2017年・2018年)

  • アドリブ表現とは何なのか

    俳句にとって。俳句を書いてゆく行為はアドリブ表現以外にない。感情表現をするとき、感動は、その場、そのとき、思ったままの表現をしなければ二度とそのものずばりの表現はない。生存してゆくための人間生活を続けているかぎり、今日の感動は明日の感度と同じものではないのだ。今日だけの感動である。明日は明日の感動があるだろう。ぼくは必死に思うのだ。生きているよろこびやかなしみをもっともたいせつにしなければならないのは、この純粋感動を出来るだけ長く、出来るだけ強くもちつづけていたいからではなかろうか。生活人としての意識や認識を社会へぶっつけて生きてゆくとき、なんらかの衝撃が起る。起ったときの社会に応じて、ひとびとは自分なりの行動をしてゆくのだが、アドリブは起った行動のなかにあって、いろんなひとたちに意志を示唆する。この示唆...アドリブ表現とは何なのか

  • 俳句を理解するには可読スピードがいる

      俳句を鑑賞するときにすぐ理解出来るものと、時間のかかるものがある。これらのほとんどは表現方法にあるのではなかろうかと思うことがある。句会の席で多数句のある場合は可読スピードがいる。可読するのにスピードがなければならない。句会の限られた時間内では理解に時間がかかり、選外になり易い。従って良い俳句と思われる句でも選句の対象にはならない。話題にもならないことが多いのである。一方、俳句雑誌等に掲載された句は可読するのに時間の制限はいらないが、逆に考え過ぎの不必要な理解も生まれる。いずれにしても可読スピードの問題は作る者ではなく、鑑賞者の理解度の問題であった。選するのに理解されやすく、しかも可読するのに時間がかからず、心に受け入れやすい句とは、どのようなものなのがあるのだろうか。作る側も選句者の心を知らなければ...俳句を理解するには可読スピードがいる

  • 伊丹三樹彦先生の俳句表現革命

    批判的リアリズム俳句考批判的リアリズム…この言葉はあまりにも聞きなれていないかもしれない。純粋文芸の一端である俳句にとってはなんの関わりもないと思われるかもしれない。短詩系のしかも十七音律の言語に果たしてこのようなものが必要であるのだろうか。また可能なのであろうかと、考えるのは至極あたりまえのことである。この研究実践が行われたのは昭和三十年の初めから四十年後期である。当時、この運動が始まりかけたころは、金子兜太の造形俳句論や社会性俳句、それに、赤尾兜子などの前衛俳句、大原テルカズのイメージ論が俳句総合誌で活発に飛び交っていた時期である。それに関西からは、八木三日女、歌人の塚本邦雄、などが論戦に加わり大変な評論合戦の最中であった。このときひたすら当時の青年俳人を鼓舞し、現代俳句に向かってリアリズムの正しい在...伊丹三樹彦先生の俳句表現革命

  • 俳句の比喩を考える

    比喩表現がどうして俳句にとって必要なのだろうかと考え始めて、私の脳中は、ずーっと混乱の毎日である。俳句そのものが視覚からの発想によるものであれば、比喩の発想をする必要はないのではないかと思い、いろんな現実を思っていた。ところが、俳句作品を調べていて分かったこと。…それは俳句作品の殆んどが比喩表現による十七音表現であった。むしろそれは俳句そのものが比喩であるのかもしれないと思ったほどである。いま、私の机上には「現代俳句」平成二十六年九月号がある。この号は攝津幸彦に関する論考で第34回現代俳句評論賞受賞の竹岡一郎さんの文章が掲載されているのだが、ここで、私が注目したのは攝津幸彦作品の多くが比喩作品であると言うこであった。これほどまでに比喩表現が駆使されているとは思ってはいなかったのである。かって私は攝津幸彦が...俳句の比喩を考える

  • 俳句の言葉…に関するメモリアル

    俳句は言葉選び…発想俳句は言葉作り…構成俳句は言葉並べ…アレンジ上記の三つの思考が私の俳句に関するメモリアルである。 ●俳句は言葉選び…俳句は言葉遊びであることを、主張しだしたのは坪内稔典であったが、まだ彼が「青玄」にいた頃から私とはよく討論をした。当時、「青玄」発行所近くの文化住宅の二階に「青玄クラブ」がありここでの夜を徹しての激論をすることがあった。そのときの一つが「俳句は言葉遊びである」論であった。ここには山内進(のちに「草苑」に同人参加し侘助と改名)や坂口芙民子(のちに「日時計」発行人)ともども激論になることあったが、その時の私の感触は、彼の言葉としては、少々説明不足があったようだ。本当の意味は言葉選びではないかとも思う。言葉選びをする時に自由に物事に拘らないで遊ぶような感覚で言葉を選ぶということ...俳句の言葉…に関するメモリアル

  • 俳句現代派の文体

    ・俳句化してきた若者たちのことば平和な日本である。潜水艦と衝突した釣り船に死者がたくさんでようが、政治家に不正な金が流れてゆこうが、大多数の市民はなんの関係もないように日日の暮らしに順じているのだ。マスコミによって報道されてくるニュースが、他人事のように耳に届き、時間から時間へと綱渡りのように労働に身を挺している市民にとって、社会とは何なのだろうか。社会とはもはやわれわれ市民にとって、生活の場でもなければ文化の場でもない。まるで個性を失くした人間たちが、ただ毎日金を稼ぐためにだけ、より多くの利益を生むためにだけある企業につながった日日なのである。まるで時間のなかに押し込まれた奴隷なのではなかろうかと、思うことがある。俳句の場にあっても、ますますこの傾向は強く、生活人たちのエスプリなり思想が稀薄になっている...俳句現代派の文体

  • 俳句は何故面白くなくなってしまったのか

    何処の句会に出ても一様に聞く言葉がある。最近の俳句作品を見ていてもすこしも面白くないという。そしてどの句を見ていてもどれも同じに見えてくるというのだ。何故なんだろうと思う。句会では作者名をわからないようにして出句も選句もしている筈なのだが…。それでも同じ作者なのかとも思うことがあるそうである。結社誌であれば主義主張が似てくることはあり得るが、同人誌や仲間誌の中でも、そのように思えることがあるのだと。最早これは没個性の俳句になってゆくのではないかと、危惧されるのだが。では、この現象は何に起因しているのかと私は戸惑ってしまう。ずーっと以前からの私の考え事のひとつであった。最近になってその要因がすこしばかり解ってきた。どう考えてみてもそこには、芭蕉の教えの中にあるように思えるのだ。いろいろ探っていた或る日、私な...俳句は何故面白くなくなってしまったのか

  • 写 生 と 写 実 に つ い て

    俳句の個性とは…そのように思って俳句の道を50年余も歩いてきた。だが、私にとっての俳句の道の始めは、高校生のときだから遠い昔である。…にも関わらず、いったい何を学んできたのだろうか。未だに何も会得していないのだ。そしてその多くは俳句の味を、何一つ見出してはいないことだった。味といっても人には、それぞれの好みがあるのだ。単純に言ってしまえば好きな俳句、それほど好きでもない俳句。この区別が俳人一人ひとりの選句には出る。私は、その基本的な相違を考えたいのである。この稿で述べたいのは、どうして俳句に好き嫌いが出てくるのかを考えたいのである。大きく分別すると、写生と写実の把握の仕方に、その方法の相違は起因するように思えることだった。写生…自然あるいは事物のありさまを見たままに写し取る。写実…あらゆる事象をありのまま...写生と写実について

  • 私個人のメモリアル㉓

     コスモスの一本ひとりぼっちなり庸晃(2006年10月21日記述)武庫川の河川敷を秋の風に誘われ北上すると宝塚市へ出る。武庫川は野鳥の天国でもある。季節によってその仕草もことなり、今の時期は大型の渡り鳥が多く川鵜などの日常は人間の姿にも等しい。終日、一定方向を向きっぱなしで動くこともない。微動だにしない時間を思案しているかに。そんな川面を見ながら私は北上するのだ。心癒しの一日は自然とともにある。そこで目をひくのがコスモスである。川面からカメラアイを180度ターンすると可憐な、それでいて優しく楽しい光景に出会う。ピンク、白、オレンジと多彩の自然は私の心をほぐしてくれる。でもひょろひょろと背の高い一本を見たとき私の心は一変した。なんとも言えぬ淋しさだけが私を襲い始めていた。ひとりぼっち。…そう、ひとりぼっち、...私個人のメモリアル㉓

  • 視線の位置は抒情の位置

     水平線そこに初秋の空港が庸晃(2006年10月2日記述)風は秋。なのにまだ日差しは夏なのかもと思う日であった。武庫川沿いに南下、2キロほど行くと河口に出る。はるばると広がる海がある。ここより眼前は海ばかり。時々は船舶が行き来する以外は海を遮るものはない。黄金色が海に降りて来て黄昏が心に宿る。その黄昏の中を切り開くように大型ジェットの飛体が舞い降りてゆくのだ。その先には横一直線の水平線が見えていた。薄くかすかではあるが見えている。関西空港である。水平線…ホリゾンとも言うが画面上に水平に置かれる視線とも思われる目の位置。一枚の紙面に中心となる目を向ける位置である。絵を描いたりデザインをするときは必ずこのことを考えなければならないのだが、俳句もまた写生より始まるとすれば必然のことである。このとき正視(目の高さ...視線の位置は抒情の位置

  • 私個人のメモリアル㉒

      彩雲のこころあるかに梅雨の空庸晃(2007年6月24日記述)私にはすこし変な癖があり考えごとや物事に悩まされるときまって空を見る。何時ごろからかそうなったのかは思い出せないがいつものことで気づいたら何時も空を見ているのだ。歩いているときや座っているときならまだしも車道の真ん中でも歩きながら空を見る。今は梅雨空だがそれでも顔を上げ空を見ながら歩く。こんなとき何かの驚きや思考が授かりまた新しい心や気持ちを持ち直しては生きている。…だからか雲の微妙な変化に気づいたのかも知れないが雲には赤や青の彩色があるではないか。なんなのだろうと心がときめく。見事なまでに雲は色雲になっていて私の暗い心は晴れていた。或る幾許かの悩みが解決されぬ心が晴れた瞬間であった。六甲山の山並みのその上に色雲はあった。翌日新聞は「彩雲」の...私個人のメモリアル㉒

  • 人工知能(AI)「一茶くん」に対する私の思い

    最近の俳壇で話題になり始めたことの一つに人工知能を使って作った俳句作品の良否が、あちらこちらで起こり、いろんなところで話題の中心になり始めているのに驚かされている私である。何故かと言えば人工知能に人間の感性とも思える情感が、どの程度理解出来るものかとも思ってしまう。これほどまでに話題になったのは北海道大大学院の川村秀憲教授らにより、写真を基に俳句を詠む人工知能(AI)「一茶くん」の開発である。これまでのいろんな俳人の作った作品を基に解析し、その被写体である風景を読み込ませ、自らを学習させるものであるのだ。7月13日には人間と人工知能(AI)が俳句を詠み合い、その成果を競うイベントが北海道大学で行われた。…だが、その場での良否の問題は、まだ出ていないようである。それもその筈、囲碁や将棋のように勝ち負けを競う...人工知能(AI)「一茶くん」に対する私の思い

  • 神戸新聞読者文芸短歌入選歌(2017年)①

     ★5月入選歌(2017年5月22日朝刊掲載) フルートの風の音する新芽時もーっと遠くへ膝立て行こう ★6月入選歌(2017年6月5日朝刊掲載) ただ一途パセリ食っては鳥のよう日々に老いては食欲盛ん ★7月入選歌(2017年7月24日朝刊掲載) 朝は無垢薔薇めくこころ開く時振り子時計がいま七つ鳴る ★8月入選歌(2017年8月21日朝刊掲載)一粒ポー二粒ポポと点く銀河地球水買いゆく平和な夜 自己表出と自己確認の狭間に在りて如何に真実に迫ることが出来るかとの疑問を抱えての創作でした。 -----神戸新聞読者文芸短歌入選歌(2017年)①

  • 私個人のメモリアル㉑

    海峡や東西南北春の霧庸晃(2007年4月4日記述)春というのに濃霧が発生。これはどうなっているのかと思うまもなくこんどは黄砂が飛んでくる。いま日本列島は何が起るかわからぬ恐怖のようなものが私たちを苦しめているのかもしれないのだ。3月になってからインフルエンザの流行と、温暖化現象は我々の傍のものまで変えてゆく。本来霧は秋の季語であった。夏から秋へかけての温度の変化の激しいときに起る現象なのだが、先日明石海峡は船舶の航行が出来ぬほどの濃霧の海となった。海峡大橋をすっぽり包む濃霧を私はビルの15階から見る。けたたましい船の警笛が東西南北から聞こえてくる。正にすさまじい海の危険を知った。それでも船舶は目的のためには進まねばならないのだろう。…これと同じ様なことが俳壇でも言えることと思うのには時間を要しなかった。一...私個人のメモリアル㉑

  • 一句における助詞の重み

    原型のままで空蝉脚揃え庸晃(2006年8月10日記述)空蝉…このなんとも言えない淋しく哀れな形は見ることすら心を貧しくしてしまう。抜け殻と言ってしまえばそれでことたりるのだが私には哀れに思われてしかたがないのだ。そんなことなど思うこともなく妻の貞子は拾って来て玄関の下駄箱の上に生き物のように置いている。まだ形はすこしも崩れることもなく不自然さは感じられない。奇妙な哀れさが私の心をくすぐり離れない一日になってしまった。そこでこの生きているように脚を行儀よく揃えている姿が滑稽に思えてくると俳諧の情緒までが私を刺激して一句をと思ったのだが、なかなかまとまらないのである。作っては壊していると或ることに気づき、そのことにこだわっていると思いもよらないことを思い出していた。それは助詞の役目みたいなものに振り回されてい...一句における助詞の重み

  • 俳句、否、川柳、否、俳句

    梅雨明けや17音を弾き出す庸晃(2006年8月1日記述)やっと梅雨は明けた。平年より11日も遅い梅雨明けである。各地に多大な被害をもたらした大雨であった。ムンムンとした汗の日々を過ごしての忍耐でもあった。蝉たちは夏を待ちきれず街路樹にその声の存在を主張。私はその姿に元気ずけられて毎日梅雨明けを待っていた。やっと夏の到来である。そして頭中もすっきりする筈であった。だが今朝は些か混乱をしているのだ…新聞を見るまでは。…そんな7月29日付けの神戸新聞は私を迷わせる。これは俳句、否、川柳それとも俳句、と混乱の坩堝にあった。「俳句はいま」と題する記事である。小川軽舟さん筆による6月18日仙台文学館で開かれた「第九回ことばの祭典」の記事である。一般市民参加による短歌、俳句、川柳の合同吟行会と言う短詩形の交流。受賞作は...俳句、否、川柳、否、俳句

  • 俳句における「切れ」とは

    極上の緑へ脱皮脱皮の森庸晃(2006年6月24日記述)「万緑」という言葉を知ったのはいつごろだったろうか。40年も前になるだろうか。季語となるに至った過程もこのときに知る。そして草田男主宰の俳句誌であることも知った。…そんな万緑を見たくて自宅を出る。阪神電車魚崎駅で下車、傍を流れる住吉川に沿って登る。ここは谷崎文学の舞台となったところでもあるが、今は公園となっていて人々も多くなっている。時々はイノシシや狸を見ることもある。六甲ライナーの住吉駅を越え更に国道2号線を過ぎ阪急電車の線路を跨ぐころになると、もうそこは山の裾野となる。住吉川は突然なくなり、川はそこで終る。山より流れる水は傾斜のままかたまりとなって落ちる。すると緑がいっきに目にとびこんでくるのだ。…私はここの草木を見たくて歩いて来た。薄い緑からやや...俳句における「切れ」とは

  • 季語とは何

     さざ波の風を見ている初夏も咳庸晃(2006年5月29日記述)五月晴れと思わせる日は数えるほどしかないままこの月も終ろうとしている。こう考えると季語のもつ意味やその役割は何なんだろうと…しばし思いつつ武庫川の川面を眺めていた。今は初夏。梅雨をむかえるすこし前までのほんに短いいっとき。私はあるかないかの些細な細かい波に見とれていた。この静かな落ちつき。これを成しているものは?と思ったとき、そこに風の存在を知る。日々多忙を強いられ阻害されいる状況にありここは私の癒しであり救ってくれる場所でもある。小鳥来るここに静かな場所がある田中裕明上記の句が右脳にあった。ここには季語と思える言葉がない。「小鳥来る」は季語らしからぬもの。とうてい季語とは思えない季語。田中裕明は俳句の詩情を大事にしたい。理屈や意味のない世界が...季語とは何

  • おーいお茶自販機販売のお茶に私の俳句掲載

    おーいお茶第25回新俳句大賞入賞私の俳句掲載のお茶が贈られてきました。インターホーンが鳴り外へ出てみると荷物を持って立ってる人がいました。受け取ってみて吃驚。自販機販売のお茶2ダース入の箱。何なんだろうと思い箱よりパッケージを取り出し見ると、私の俳句が掲載されていました。…まったく忘れていました。大賞佳作特別賞に入賞していたことを…。改めてじっーと見る。この大賞の応募数が30万句あったことを思い出す。何の期待もなかった時のことを再び思い出す。大寒や母百二歳口に紅この句、施設に入っている母親のことなのですが、私が訪ねたときのこと。施設の職員の勧めもあって化粧していたのです。気持ちを若くして楽しむためのものだったのだろうと、いまでも思っています。(2016年7月19日記載日発売)おーいお茶自販機販売のお茶に私の俳句掲載

  • 俳句の表現方法を考える

    名詞主体句・動詞主体句…の魅力俳句の選句をするのに、私たちは何を基準にしているのだろうかと何時も思うこと屡の最近である。人によっては選句するとは言わないことも。入選句、特選句とも言わない。ただ単に選をすとも言わない句会もあるとのこと。このように考えてみると何も基準などないではないかと、考えてしまうのが、通常なのかもしれない。では、どのようにして選句をしているのだろうか。すこし戸惑いのようなものが各人の脳裏に残る。でも、句会が行われているのは事実である。一句の良し悪しを巡り一時間にも及ぶ句会になったことが、過去ではあるが私の体験のなかにはあった。その時の決着が実に的を得た結論であったのだが、いま思い出してみるになるほどと頷くものであった。その頷けるものとは…。その人、その人の個性を尊重すものであったのだが、...俳句の表現方法を考える

  • 神戸新聞読者文芸短歌部門特選歌

    卓上に地球置くようメロンパン鍵っ子ひとり母待つ夕べ児島庸晃選者…尾崎まゆみ…さんの選評です。(2018年9月18日朝刊掲載)誰もいない家の鍵を開けて、母が帰ってくるまで待つ寂しさを慰めてくれるのは、テーブルの上におかれたメロンパン。たぶんおやつに食べなさいと母がおいて仕事に出かけたのだろう。「地球置くよう」が魅力的。おかれたのは周りがビスケットのようにサクサクのメロンパン。太陽置くようなら、暖かい親の愛。月置くようなら、さびしくさせてごめんねの入った愛。地球置くようは、大切な君へということかもしれないなどと、いろいろ楽しめる。以下は私の感想です。短歌の文体の中に情感の微妙に揺れ動く心の流れを如何に込めて表現するかが、私にとってのテーマとしての課題でした。「地球」と言うとてつもない大きなものの前に置かれた少...神戸新聞読者文芸短歌部門特選歌

  • 純粋俳句を求めて⑦

    枝枝の先に花在り自己主張庸晃(2007年3月27日記述)     たった一週間ほどの開花のために桜はその一年の殆どをあらゆる試練と闘わねばならないのだとはなんとも過酷でもあり淋しいことではないかと思う。そして冬の寒さの厳しさを受けなければ花は咲くだけの準備が出来ないのだという。人々はその花の美しさと見事さに憔悴するがそれはそれだけの準備期間があってのことなのだ。枝の先っぽにつぼみを見て、ほんの少しの赤みが点しはじめると期待を持って開花を待つのだが、そこにはそれぞれの咲き方にも個性があって楽しい。一日のうちに咲ききるものや何日待っても咲ききらないでやがてはしなびて枯れてしまうものもあり心をいかにも遊ばせてくれる。所謂自己主張なのである。…だが最近の俳句総合誌を見ると自己主張の薄い句のなんと多いことよ。所詮俳...純粋俳句を求めて⑦

  • 純粋俳句を求めて⑥

     新駅に「さくら夙川」春の雪庸晃(2007年3月19日記述)3月18日、JR神戸線「さくら夙川」が新駅として営業を開始。この駅は阪神グループが阪急グループへの吸収合併されたことにともないこの地区の乗降客の減少を恐れたJRが急遽考えたものである。南に阪神電車香枦園駅があり北には阪急電車夙川駅がある。その真ん中を走っているのがJR神戸線なのである。しかし西宮駅と芦屋駅の間は6分ほどかかる区間で駅がなかったもの。ここは櫻の名所で観光地として西宮市は広報をしている場所なのでありここより命名したしたもの。5000枚の記念切符も瞬く間に売り切れマニアも混ざり大変な賑わいであった。私はここを通勤で通過。その記念式典の前に通過したのだが突然の雪が降ってくる。春の雪である。風花は一気にひらひらと舞い落ちてきて新駅の誕生を祝...純粋俳句を求めて⑥

  • 純粋俳句を求めて⑤

    水禽の眼のなか春の僕がいる庸晃(2007年3月14日記述)武庫川のその河口は大阪湾へそして上流は宝塚のまだまだ上流の大阪府へとさかのぼってあるのだが、その大きい川幅を見せて私の心を楽しませてくれるのは8キロほどの都心を流れている部分である。この川の上には大きな幹線道路が沢山走っていて騒音と汚染はあるはずなのに毎年のように冬の使者はくる。南より臨港線、国道43号線、旧国道、国道2号線、山手幹線とあり、さらに幹線でない道路も沢山ある。そして鉄道は南より阪神電車、JR,阪急電車、新幹線と大変な環境のど真ん中を川は流れているのだ。だが冬から春へ鳥達は確実にバトンタッチをしてそれぞれの生活を楽しんでいる。大陸へ帰れなかった鳥や常駐している動物もいて大変な賑わいである。浮島に上がって人から餌をもらうヌートリア、一日中...純粋俳句を求めて⑤

  • 人 間 の 心 を 感 じ る 言 葉

    そもそもわれわれ個人が本を読もうと思う時とはどんなときなのだろう。日常生活の中で、日々を満足に充たしている人はそのことだけで充分に毎日を過ごせるのだろうと私は思うのだが、だが暮らしの中で、ふあーっと一抹の空虚感を感じることはないだろうか。寂しさやつまらなさが心の何処かに留まってあることはないのだろうか。一個人では日々を満足には暮らせない時代に、いまはある。他人との心のコミニュケーションが上手くなされなければ、日々の生き方に躓く。心を豊かにしていなければ寂しさや悲しみが発生。精神状態が壊れる。そこで生き方を変えなければならないのだが、その精神の安定を保つためには知恵がいる。その源を得るのが読書であり、正常なる日々の感情のコントロールを保っていることが出来るのが…人間の心を感じる言葉…なのだろう。そんな心の不...人間の心を感じる言葉

  • 神戸新聞読者文芸短歌部門入選作品

    2012年児島庸晃神戸新聞文芸短歌1月・2月・3月・4月私の入選歌を紹介させていただきます。★1月入選歌(2012年1月4日朝刊掲載)八方へ風はおしゃべり花野駅寡黙夫婦の歩み行く刻★2月入選歌(2012年2月27日朝刊掲載)わが頬の風のあつまるところ寒む介護老爺の手に血の透ける★3月特選(2012年3月5日朝刊掲載)囀りの言葉拾いに野へ母と母百二歳一歩二歩三歩★4月入選歌(2012年4月11日朝刊掲載)凩はボーイソプラノだったのか幼い日々の無垢のふるさとその時の感動が持続することの大切さ。感動が一過性のものであってはならないと思う。緊張感や臨場感はそのためのものである)神戸新聞読者文芸短歌部門入選作品

  • 神戸新聞読者文芸入選作品

    ●詩部門●里山へ(2020年5月25日朝刊掲載)児島庸晃ふっくらと春は山から風に乗り街に来て地球の上にぼくが立つクレヨンの青ぞ朝空手を櫂に足を百足に里山へぼくの耳を連れて出る ●川柳部門●★1月特選句(2021年1月4日朝刊掲載)児島庸晃兼題「脱ぐ」蛇口より脱皮始まる水ぞ今朝選者…矢上桐子さんの評は次の文章でした。「評」“蛇”口の脱皮かと思えば、脱皮しているのはどうやら水。透きとおる蛇ではないですか…あふれ出る水に生命力を感じられたのでしょう。「脱皮始まる」の臨場感。「水ぞ今朝」とたたみかける勢いに、作者の感動が伝わってきます。水にいのちを吹き込んだ作者の感性も、脱皮したかのようなみずみずしさです。あふれ出る水のイメージとことばのスピード感もマッチして、一句にうるおいが満ちています。神戸新聞読者文芸入選作品

  • 俳句現代派の文体(句体)考察3

    個(意味)の確認と言う問題を俳句はあまりにもこれまで疎かにされてきた。かっては前衛であった多くの作家たちが、いま伝統を間い直そうとしているのはなぜだろうかと思う。最近現代詩作家たちが伝統詩の詩形とその源流にあるものに興味をもちだしたように、人間の生のぎりぎりの可能性への挑戦はまさにひとつの実験に過ぎないのだ。斉藤正二氏は“俳句不毛の時代”だと叫び、兜太氏は“精進の時代”だという。この二者の間にある思考の相違は現代俳句に於ける一つの危機を示しつづけている。真に人の心を共感させる俳句はめったにあるものではない。これらは個人個人の環境と言語感覚のもたらすところにあり、過去よりその言語主体はあいまいであった。例えばりんごひとつをとってみても、丸い果実と言う意識が一般にはなりたつ。しかし丸い果実はりんごだけではなく...俳句現代派の文体(句体)考察3

  • 俳句現代派の文体(句体)考察2

    ・俳句化してきた若者たちのことば平和な日本である。潜水艦と衝突した釣り船に死者がたくさんでようが、政治家に不正な金が流れてゆこうが、大多数の市民はなんの関係もないように日日の暮らしに順じているのだ。マスコミによって報道されてくるニュースが、他人事のように耳に届き、時間から時間へと綱渡りのように労働に身を挺している市民にとって、社会とは何なのだろうか。社会とはもはやわれわれ市民にとって、生活の場でもなければ文化の場でもない。まるで個性を失くした人間たちが、ただ毎日金を稼ぐためにだけ、より多くの利益を生むためにだけある企業につながった日日なのである。まるで時間のなかに押し込まれた奴隷なのではなかろうかと、思うことがある。俳句の場にあっても、ますますこの傾向は強く、生活人たちのエスプリなり思想が稀薄になっている...俳句現代派の文体(句体)考察2

  • 俳句現代派の文体(句体)考察1

    ・ワッペン化してきた俳句や俳論はムダな行為である春から夏にかけて胸にワッペンをつけるのが流行のようである。ひまわりやあじさいやいろんな花の形が、人の眼をひきつけているようだが、誰もが同じことをすると個性がなくなるばかりではなく、それを見るのもいやになってしまう。これらはいまの日本の最先端にあるファッションのようであるが、このことは俳句界においても同じ、俳句に関するエッセイや、最新の奇異とも思える俳句が一般の文芸誌や週刊誌にまで出るようになった。このことが良いことなのか悪いことなのか考えてしまう。マスコミによって一方的に伝えられてくるものが、ただ良いことだと解釈しがちなのも事実なのである。すこしばかりしか判断力をもたない俳句実作者に、あたかもこれが本当で、真実なのだと教えられるのも困ったものである。なんの基...俳句現代派の文体(句体)考察1

  • 一句の成立に欠かせないものとは何?

    先日のことであるが夢の中でのこと。私は必死で句を作っていた。作っていたといっても正常な私の思考ではない。戸惑いながらの心の続く時間であった。何に戸惑っていたのかといえばその一句、どう纏めても俳句にはならないのである。何故か戸惑ったままの夢の中での俳句。そのまま目が覚め、やっと私が苦しみの中から解放されたのである。数日、夢の中での俳句作りのことが脳中にあった。…そしてそのことが理解できたのは一週間ほどしてからであった。何かと言えばそのとき思いついた俳句言葉について、その言葉がその俳句にとって必要であるのかどうか、言葉として充分な機能を果たしているのかどうかであった。そこでこの俳句言葉としての機能について考察しようと思った私である。言葉とは本来は物事の伝達のための具体的な道具なのである。まだ文字のない時代は身...一句の成立に欠かせないものとは何?

  • 俳句における目視とは何

    「目で物を視るのではなく心で物を見よ!」とは。私自身のことだが、私の俳句を作品と言えるレベルへ高めるのに意識そのものが高まらない時がある。何故だろうと思うことを、これまで何年も繰り返してきていた。…何時の頃からか私自身が試行錯誤を積み重ねてきていたようにも思う。ずーっと思いつめるほど苦しんできた。一体俳句って私にとって何だったんだろう。このことは私以外の俳句作品を見ても感動したり昂揚することはなかった。長い年月を経て理解出来たこと。…やっと私が納得出来たこと。それは私自身の思考に関わることだったと思うようになった。対象物を目視するときに私は私自身の両眼だけで物を見ていたのかもしれない。いま思うのだが、人間は感情と言う情感を豊かにすことが出来る頭脳をもっている。故に対象物を目視するときは、心で受け止め、心で...俳句における目視とは何

  • 言葉は人に自分を理解してもらためにある

    「言葉は人に自分を理解してもらためにある」。この一文は書物の一部分の抜き書きではない。ある日だった。テレビを見ていてのこと。多くの大学生が会場に入りきれないでいる日の出来事だった。何ゆえにこれほどの大学生がこれほどまでに集まるのかと私は思っていたのだ。ある著名人の特別講義のある大学での話である。詰まるところこれは閉塞社会を切り開く思考そのものが言葉そのものにあることを大学生は敏感に察知してのことのように思われる。ふと、私は思った。俳句においても言葉そのものも理解ができてはいないのではないかとも…。俳句にも閉塞社会はある。このことは一般社会のことだが殊に言葉で物事を語る文芸にこそ考慮されねばならないことでもある。私たちは言葉そのもののもつ機能についてはあまりにも無頓着であったのではなかろうか。そのように思う...言葉は人に自分を理解してもらためにある

  • 俳句の価値基準とは…

    最近、私が思うことの一つに俳句の散文化がある。五・七・五の定形を踏まえていれば、全て俳句なのだと思っている俳人が多くなっているのではないか。…こんなことを私が思うようになったのには理由がある。俳句を作すのに言葉が先行して、それ故に意味だけの俳句が通常のことのように進行しているのではと思うことが多くなったからである。俳句における散文的という言葉は一般的には味気なく、情趣が薄いという意味で使われることでもあるのだ。俳句の現代化が、或は口語化が進むと当然のように日常的になり、心まで緩んでくるのだろうか。やはり俳句そのものは寄物陳思であり作者が物を見て、その物から受け取る心が大切だと私は思っている。この時に自己の確認が大切で作者自身の発想表現が可能になるのだろうとも思う。このことは俳句のコピー化現象を産んでいるの...俳句の価値基準とは…

  • 俳句にとっての緊張感・臨場感とは…

    俳句黙読に関し、その緊張感・臨場感の持続時間は一分間以内である。この間に俳句そのものが理解・もしくは心に受け止めるだけのもの…緊張感・臨場感が得られなければ、その句は選句から除外されるのでは、と最近になって私は思うようになった。このように思考するに至った理由だが、時代に於ける環境の急速な変化がある。時代の流れに沿ってわれわれが順応してゆくのに大変な心配りが考慮されなければならない生活の毎日であるからである。翻って、いまここで伝統俳句より現代俳句へと、俳人の心変わりが増えている原因も、この緊張感・臨場感を思うと理解出来る私になっていた。ここには人間關係への配慮がなされなければ生きてはゆけない心理の彩がある。句の表現においても顕著なまでに心の動きが見えていなければならないのである。心が浄化されていなければ受け...俳句にとっての緊張感・臨場感とは…

  • 俳句…その構造

        変化させる面白さ俳句を面白くさせることを考えていると、ひとつの思考が私なりに見えてくることがある。十七音と言う言葉の制約は、言葉の扱いにおいて不自由のように思われているが、実は真逆である。本当は想像の翼を広げる自由を鑑賞者に与えているのかもしれない。言葉ほど観念的なものはない。説明的な言葉の思考を、その言葉の主体にすると、観念の丸出しになってしまう。…そのことを考えると、小説的な、或いは散文的な展開は好ましくはないのである。その主体が凝縮された言葉そのものでこそ、十七音のもつ言葉の思考は想像の翼を広げる。言葉は開かれた未知の世界へ旅立つのだと思う。言葉とは意味を正すものではない。不思議な情感を喚起して人々の心へ定着する入口であるのかもしれない。そしてその先への展開は、決まった固定観念ではなく、人そ...俳句…その構造

  • その一句は何を表現したいのか

     俳句を読んでいて思うことがある。…その句を何回読んでも何を主張したくて作ったのか、何を伝えたかったのか理解できない句が最近多くなったように思う。これは作り方が拙くて充分に表現しきれなく伝達出来ていないのではないようにも思われる。作者が何を主張するのかを決めないで見たものを、そのまま作者なりの感覚に頼り句として表現しているのではないかと思えるのは私だけではないように感じる。受け取った感覚と主張するべきテーマとは別である。感覚が全てではない。だが、新鮮な感覚をそのまま写実する、と言う句の作法が普通であるように思われているのが現状であるのではなかろうか。上手い句であっても読者を魅了しきれないのは、何故だろうかと考えて、もう数年が経過した。どうやら、感覚はあっても、その句を受け入れられなかった理由を掴むことが出...その一句は何を表現したいのか

  • コマ重ね・コマ割り…について

    文明とは、文化とはいったい何なのか。…そう思って俳句の事を考えていた。俳句も立派な文明や文化のひとつではないかと思えるようになったのは最近である。長い間に渡り俳句は文芸の一部で趣味的な私的なものに過ぎないと思う日々であった。先日読んだ書物には世界の各地で盛んになりつつある俳句の話が紹介され、しかも世界の文学になろうとしているという。こうなると、もう文化である。既成概念だけでの句作りは出来ない。改めて俳句を根本から見直したいと思うようになった。そこで工夫や苦心ともいえる思考を怠ると俳句作りの俳句になって単一化してきてつまらないものになる。例えば句会の席での最高点句といわれる類のものである。最大公約数的人気を得て最高点句になる工夫のない句などからは何も生まれはしないからだ。考慮すべきは出句者も、選をする側もも...コマ重ね・コマ割り…について

  • 第39回 青 玄 賞 受 賞 作品と感想

     この文章は私の受賞に関し昭和64年「青玄」420号12・1月号に     掲載されたものを採録いたしました。(作品)舞い上がり風にこぼれた紋白蝶風呼んでまばたくための花となる丘までを花の樹までを力足呼吸しては強火の色にもして蛍呼吸…いき西の東の星たち点火苺ほど遠くへはとべぬバネにてあめんぼう涙拭くにも指は小道具母老いぬ星祭直立嫌いの棒立って顔上げるいま夏雲は力瘤隣人へ笑くぼ生むまで話す秋老い母の歩行やっぱり手は振り子全円の月は笑くぼをふたつ出す揺れては昏れ暮れても揺れる花芒葉が落ちてしまった枝は弾む鞭青空の凧の非力へ糸ひっぱる翼あるゆえとばねばならぬことになる灯が濃ゆくってあたたかくって枯野駅時をゆったり借りて風花舞っている三日月が天ゆくカヌーになっちまう町は楽園インクブルーの蝶がゆく貧しくて花見ていな...第39回青玄賞受賞作品と感想

  • 俳句言葉はデジタル化されてはならない

    俳句を作っている良さはなになのだろうと考えてみるときがある。そして多くある文芸のなかで何故句つくりをするのか、考えているときは私にとっては一番幸せな時間なのである。物を見て感じて何かを心に残すその瞬間の喜びは短詩系文芸以外にないからであるようにも思う。私はエッセイも小説も短歌もシナリオも書いてきたが、やはり究極は短詩系文芸ではないかと思えるようになった。そして純粋に見つめる心はデジタルではないようにも思えるようになった。即ち伝統のもつ心はアナログでなければならないようにも思えるそのきっかけは「十五夜にいったん帰京いたします」の句を俳句総合誌「俳句研究」で知ったときのことであった。人やものの機微はアナログでなければならないと思うきっかけを貰った句である。伝統の俳人がこんな句をと思い心ひかれたからである。この...俳句言葉はデジタル化されてはならない

  • 私の検証⑯

    金槌の罠に野兎月光芒庸晃(2006年9月30日記述)月夜のそれも満月の夜を待って村の人たちは山中にある畑へ出かけていった。右手には傘を持ち左手には金槌を持って家を出るのだ。この異様な格好に幼い私には全く不思議でならなかった。そして明け方には手で野兎をぶら下げ村に帰ってくる。すぐに首を刎ね血をぬ抜くため木にぶら下げる。こうして兎の肉を硬くしないようにして、後は食べるための加工をする。戦時に肉など食べられる贅沢など考えられなかったことである。疎開先のこの贅沢はたまらなく嬉しかった。それにしても傘と金槌の疑問は幼い私にはわからなかった。或る日のことであった。兎の好物であるみかんの木の根のところに傘と金槌を持った男が立っていた。しばらくすると兎は傘の影が月光によりくっきり出来た部分に入ってきた。男は持っていた金槌...私の検証⑯

  • 私の検証⑮

    ふるさとの巨大太陽海に浮き庸晃(2006年9月25日記述)3年目前になるがこの母の里である古里の愛南町の疎開先へ帰ったことがある。8月の盆の前であった。50軒ほどしかない村にもコンビニが出来、焼肉の飲食店が出来、海水イオンの温泉が出来ていた。8月の14日には花火が上がりこの過疎の村に数万人の人が集まるのだという。私はこの村の最高峰700メートルに登ってみた。眼下には瀬戸内海の美しい海面が広がるのだ。その時、正に夕日が沈もうとしていた。真っ赤な巨大な太陽が海に浮き海の中へと入ろうとしていた。しかしここの戦時は輸送船団の通過路であり毎日のようにアメリカ軍の爆撃を受けていたところであった。爆弾の炸裂する火花は四散して、やがて跡形もない状況へと変化する。長い沈黙が来る。輸送船の残骸が浮き上がってくる。私は戦時を思...私の検証⑮

  • 私の検証⑭

    白壁を守るに染めて竃墨庸晃(2006年10月3日記述)瀬戸内海の愛南町(現在)は宇和島市より西へ車で30分の位置にある国立公園である。ここは母の生まれ故郷である。福岡県より疎開して2ヶ月ほど経た或る日であった。突然のことであったが村中の竃の墨が集められ始めた。村でただ一つあった歴史ある白壁の土蔵作りの家をアメリカ軍の爆撃から守るためであった。真っ黒にして存在をわからなくし目標物を示さないようにするためであった。今から考えれば馬鹿げたことだが村人にとっては真剣であった。幼い私まで駆り出され毎日毎日竃に付いている墨を集めていた。1週間ほどすると真っ黒な突起物に変わっていた。国立公園の明媚な村にとって私にはこの突起物は異様でもあり不思議でいまだに記憶のままである。いま私は私の体験を通して戦前戦後を語ろうとしてき...私の検証⑭

  • 私の検証⑬

    節々に強き光りよ今年竹庸晃(2006年9月31日記述)農家にとって現金収入といえるものはそう多くはなかった。普通であれば農作物は農協を通じて現金化するのだが敗戦へ向かっている時期に、自作の畑の収穫物は多くはなかった。肥料や害虫駆除の薬品が買えるだけのお金がないため収穫はゼロに等かった。それでも収入が全くなかったわけではない。只一つの現金収入が竹を売ることであった。山に自生している真竹を切り出し束にして売るのである。愛南町(当時は内海村)は入り江になっていて湾でもあり竹は自然に派生増えてゆきいくらでもあった。しかしこれより出っぱった由良半島の岬といわれるところには竹は全然なかった。ここは漁師町で獲れた魚を干すのに棚が必要であった。丸っぽのまま並べて括り棚にするのである。そして3年ものと呼ばれる竹は粘りがあり...私の検証⑬

  • 私の検証⑫

    純白で純粋にして朱夏の塩庸晃(2006年9月19日記述)天然塩を作るには72時間もかかる。だがお金もなく物資もない敗戦への日本の村の生きる道としては海水からの塩の生成は当然の知恵であった。鉄板の広い容器に海水をいっぱい入れて下から加熱して塩水の中から水を蒸発させ塩を取り出す方法である。鍋や釜、鍬まで戦争の武器製造へと国からの供出に応じていたのだが、鉄板の容器だけは納屋の奥に隠し国の強制押収にも逃れていたのだと母から知らされたのは私が12歳になった頃だった。3日3晩寝ずに燃え続ける火の番をする。幼い私も番をした。…こうして出来上がった塩は純白であった。朱夏の日差しの中でより一層真っ白でもあった。当時戦火想望の俳句が流行を呼び、平畑静塔の「…やっておればけっきょくニヒリズムに陥ってしまうわけですよ」(「俳句」...私の検証⑫

  • 私の検証⑪

    芋の葉の一つや二つ青極め庸晃(2006年9月19日記述)幼い私は母に畑へよくつれられていった。背中に“おいこ”と呼ばれる籠を背負わされ力のない私には大変であった。後ろへ引っ張られ時々はこけそうになる。敗戦になる前の8月のことであった。まだ芋などは食べられる大きさにはなっていない。だが食べられるものがないので成長途中の茎や葉っぱを間引いて摘み取っていたのだ。目の覚めるような青い色素は元気いっぱいであった。朝早くから畑へ行き葉っぱを摘み取ってゆく。その葉っぱを湯がき塩をかけて食べる。醤油などは高価で買うことは出来なかった。この塩は天然塩で海水を煮詰めて出来あがったものである。この芋の葉は甘辛い味がしてとても美味しかった。母は言った。「世界一の味や」。私は「うん、ほんとや」。…こんな一日の親と子の幸せ、こんな一...私の検証⑪

  • 私の検証⑩

    夏日の坂犬転ばして死に至る庸晃(2006年9月14日記述)幼い私は腕の中に子犬を大切に抱きかかえていた。目はぱっちりと開き夏日にも負けない光沢を輝かせている子犬。そのとき祖母の言葉が頭の中に残っていた。「人の食べるものもないのに犬に食べさせるものなどない」。道端で鳴いていた子犬を拾って家へ持ち帰ったものの祖母に叱られ、再び子犬を抱え歩かねばならなかった。…終戦の一ヶ月ほど前のことである。一日一食の日が毎日続いていた。体がだるくて動くにもまともな歩きが出来ないのだ。そんなときの祖母の言葉であった。私は泣きながら「犬がかわいそう」と尚も泣きじゃくっていた。そのとき“犬ころばし”と呼ばれている坂道へ歩いていたのだ。そして手から離れた子犬は坂道を転がり落ちていった。私は佇み泣きつくしていた。夏の日輪が坂道を照らし...私の検証⑩

  • 私の検証⑨

    釣鐘のない寺ひとつ蝉時雨庸晃(2006年9月12日記述)真夏日の容赦ない光線が水面を走る時がある。上空を雲が覆って再び太陽が顔を出すと一瞬まばゆい光りが水に差し込む時、B-29からの爆撃があったのかと震えることがある。鋭い閃光は太陽であっても爆撃されたのかと思うほど怖かった。こんな怖さがあっても子供たちはけっこう楽しく遊んだ。そのひとつに神社ともお寺ともいえないような遊びがあった。村でただ一つの境内は私にとって戦争の恐怖を忘れさせてくれる場所であった。そこに坂道があり、木馬(きんま)と呼ばれる樫の木で作った馬の形をしたものを尻に敷き滑る。すごいスピードが出て快感を得るのだ。夢中になっていた。…だが突然「敗けたのよ」と母。「何が」と幼い私。「お寺の釣鐘まで鉄砲の玉になっていたのにね」。この意味は何年も経ての...私の検証⑨

  • 私の検証⑧

     その林檎母の温みの赤林檎庸晃(2006年9月9日記述)疎開先での自然は錆びついた心を楽しませてくれた。朝は高い峰の部分にオレンジのパノラマを広げ太陽が顔を出す。放射状に広がる光線は村をすっぽりと包み込み幻の中にいるゆとりをもたらしてすさんだ気持ちを忘れさせていた。子供心にも大人達の心の和みはわかった。特に畑仕事をしての帰り道、海の地平線へ沈みゆく太陽の刻一刻の姿には心の安らぎがあった。海を真っ赤に染めやがて青色へと戻る間のグランデーションは圧巻であった。だがこの風光明媚な村にあっても果物は何もなかった。…或る日のことであった。畳の上に林檎が置かれていたのだ。それも一つだけ。私はすぐに手で持ち上げ頬に摺り寄せていた。「やっと買うことが出来たのよ、たった一つだけだけど…」。そこには母が立っていた。「旗艦」を...私の検証⑧

  • 私の検証⑦

    雪上に裸足小学一年生庸晃(2006年9月7日記述)終戦は敗戦という惨めな日々を過ごすこととなる。衣類や食料、それに日用雑貨まで全くといいほどなかった。そんな或る日県道に毎日のように「追い剥ぎ」と称する強盗が現れ、着ているものがそっくり剥がされ取られることが多くなっていた。待ち伏せをしていて集団で襲いかかるという手口である。すっかり取られてものがなくなれば裸でいるしかないのだ。取っ組み合いになり衣類が破れれば端切ればかりを集めて縫うのである。私はその端切れを集めた布で作ったものを靴として履くのである。それも破れてボロボロになると、素足同然であった。…何年か経ち小学生のころだったが、ふと気づけば私は雪原に裸足で立っていた。こんな私が…ずーっと戦中戦後の私の体験を書き新興俳句運動を語るのは俳句そのものが如何に情...私の検証⑦

  • 私の検証⑥

    終戦日子らは地面に円描き庸晃(2006年8月23日記述)そのときは母は言った…戦争は物を破壊するだけで何も生むものはないんよ。母に手を引かれ戦火の街を逃げ回った。四歳と6ヶ月。私は転がるようにして歩く。ただひたすら前へ向かって。そして終戦。それは物のない時代への始まりであった。鉛筆も紙もない、心の中に鬱積する不満。子供達は地面に石で円を描き遊ぶ。そんな子供たちの楽しみ。そんな時代でもあったのだ。このころ、敗戦に至るまでのプロレタりアートの歴史的過程を検証するブログである。不安な社会情勢を背景にプロレタリアートの運動が、自由律系の俳誌「層雲」の内部から起こった。念のため、その頃の「層雲」の年表をみると「一石路と俳句」というのが出ていて石原元寛が書いている。その内容は一石路自身の手で、昭和5年に「俳句は生きて...私の検証⑥

  • 私の検証⑤

    終戦日働く両手働く眼庸晃(2006年8月17日記述)8月15日…終戦日、テレビからは政府主催の61回目の追悼式典の模様が全国へ放映されている。でもここにはなんとなく情感のようなものはない。たんたんとして時間だけが流れていた。一方靖国神社参拝には高齢者も10代や20代の若者も見られ、いろんな思考が錯綜していることがわかる。敗戦という傷を負って現在に至る日本の姿は働く事から始まり、いまも働き続けているのだ。そしてこの終戦日も働く手と働く眼を動かし生きてゆかねばならない人々がいるのだ。この戦後を見つめるにおいても生きぬいてゆくにも文芸人たちは如何にあったか。この困難な昭和初期以後の日本にあってどう現実を見つめていたか。金子兜太は次のように規程した。①現実を自分の外にあるもの(自分と対置の関係にあるもの)とみる考...私の検証⑤

  • 私の検証④

    昼寝覚西へ戦艦大和ゆく庸晃(2006年8月14日記述)今日は朝からテレビは何故戦争は起きたかを放映している。いろんな見方や考え方はあるにしても敗戦そして多くの悲しみを受けたのは私も同じ。当時私は4歳だったが強烈に目に焼きついている光景は忘れられない。栄養失調という災難に襲われた父はやがて死ぬ。その福岡の地を後に別府港より母の生まれ故郷である愛媛県へと疎開することになるのだが、その途中海上での米軍による焼夷弾や機銃掃射を何回も見る。撃沈される甲板船は目の前で火を噴き容赦はなかった。その怖さと振るえは母にしがみつくしかなかった。宇和島港に着くもここよりバスの出発地までを歩かねばならない。その間にまたも恐怖が襲った。列なす人群めがけて爆弾投下。炸裂する火の海になるのには数秒もかからなかった。目を上げたその時人々...私の検証④

  • 俳句におけるシンクロニシティーとは

    先日のことであるが、ある目的のために歩いていたのだが、この暑さのため身体が思うように動かなくなり暫し戸惑うことになる。大変なことにならないように身体を休めていると普段は気づいていなかったのだが、顔を上げたその時、目の前に噴水があり、そこで身体を冷やすことになる。これは私の脳裏にはなかったことである。私の危険を救ってくれたのは、この噴水であった。そのことは、たまたまそこに噴水があったといううことなのだが、これは予期した出来事ではなかった。…これら一連の状況をシンクロニシティーと言う。シンクロニシティーを和訳すると…意味のある偶然の一致。そこで俳句の世界にもこれと類似した状況があるのではないかと追及してゆくと、私たちが見慣れているのに気付かないことが一杯存在しているのである。そして良い俳句だと思われる句には、...俳句におけるシンクロニシティーとは

  • デジタルとアナログ

     花野にもデジタル刻む死の置かる庸晃花野は秋の季語である。…そう思いつつ歩いていたら花野の風景にぶっつかったていた。見ていると「花」と「花野」は区別されるものとの認識を得た。「花」は派手やかな潤いが漂い楽しいが「花野」に「野」がつくだけでただ広い視野の中における「花」は淋しい香りが匂う。秋の雰囲気をもって漂っているのかも。見ていると益々淋しくなるばかりである。「花野」にも時間はある。きらめいているかと思えば陰りを濃くする時間。生きたり死んだり。私は時計を見ていてふと思うことがある。世の出来事が走馬灯のように移り変わってゆくとき人間の感情はとどまることもなく、刻一刻の出来事へと進んでしまう。これは忙しいということでもなく、世の移り変わりが速いということでもないのだ。人間の心中にある記憶と言うものの存在がすこ...デジタルとアナログ

  • 「物」俳句・「事」俳句

    俳句は誰のために詠むのだろうかと思うことがある。何のために何の目的をもって詠み続けるのだろうか。ましてや句会で最高点を得るために俳句を作っているとも思えないのだ。…このように簡単に割り切ってしまえば何のこだわりもないのだが。どう考えてみても多くの俳人は己を良く見せようとして表現の工夫ばかりを気配りしているようにしか思えないのが昨今の俳壇である。わかりやすく言えばより大きく目立つ言葉選びや表現に心配りをしているようにも思える。どうやら自分自身のために詠むという基本を忘れているらしい。当然おとなしい静かな句柄は点が入らない。そして句としては質の低い、良くない作品として話題にもならなくなる。仲間内の流行にもてはやされる作品が残り、話題にならない作品はやがては時代から取り残されてゆくのかもしれない。そこで今回は俳...「物」俳句・「事」俳句

  • 批判的リアリズム俳句考

    批判的リアリズム…この言葉はあまりにも聞きなれていないかもしれない。純粋文芸の一端である俳句にとってはなんの関わりもないと思われるかもしれない。短詩系のしかも十七音律の言語に果たしてこのようなものが必要であるのだろうか。また可能なのであろうかと、考えるのは至極あたりまえのことである。この研究実践が行われたのは昭和三十年の初めから四十年後期である。当時、この運動が始まりかけたころは、金子兜太の造形俳句論や社会性俳句、それに、赤尾兜子などの前衛俳句、大原テルカズのイメージ論が俳句総合誌で活発に飛び交っていた時期である。それに関西からは、八木三日女、歌人の塚本邦雄、などが論戦に加わり大変な評論合戦の最中であった。このときひたすら当時の青年俳人を鼓舞し、現代俳句に向かってリアリズムの正しい在り方を説き、俳壇へ敢然...批判的リアリズム俳句考

  • 俳句屋さんは…ごめんだ

    俳句屋さんが増えました。俳句を書くのではないのです。俳句を仕立てるのです。俳句はレディーメードの既製服です。どんどん作って俳句人口をやたらふやしつづけています。俳句屋さんの俳句は俳句らしい俳句です。文句のつけようがないほどきっちり出来上がっています。俳句屋さんは俳句らしく俳句を作ります。俳句屋さんはお俳句も、ご俳句も作れます。ごほんとおほんの違いも知っています。…だから俳句屋さんの俳句からは何も生まれてはきません。やがて忘れられ、あきられ、棄てられます。こんなことはいいたくないが、一個の完成した俳句からは何もうまれてはこない。いまの俳壇の俳句を見ても俳句屋さんばかりだ。これでは若い世代が俳句を棄ててしまうのはしごく当然のことのような気がした。総合誌「俳句」が特集した結社賞を見てもそうだが、まさに伝統以下の...俳句屋さんは…ごめんだ

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