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2022/08/03

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  • 素直さ純粋さを自死するまで棄てなかった俳人赤尾兜子

    第三イメージ論を述べていたころの赤尾兜子の句に私は、たびたび涙を流すことがあった。前衛俳句の最前線にいたようにも思われていた俳人だが私はそのようには思ってはいなかった。いま思えば兜子はモンタージュ俳句の基本を忠実に実践していたのであろうと私は思う昨今である。ここに私の記憶に残る思いを述べた記述があった。壮年の暁(あけ)白梅の白を験(ため)す赤尾兜子昭和46年「歳華集」の中に収録されたこの句。兜子の存在そのものを問いかける姿のなんと純粋で悲しく痛々しいことか。壮年期の始まりに汚れきったこれまでの人生を白い梅花に問いかける仕草こそ素直であり、より必死に生きてゆこうとする姿でもある。人間の一生を考えていてふと思うことがある。幼年期、少年期、青年期、壮年期、晩年期と経てゆく過程で生まれたままの素直な心はその社会経...素直さ純粋さを自死するまで棄てなかった俳人赤尾兜子

  • 俳句は私を表現する文芸

    本物感を強めることは私性に徹すること。俳句は三人称、二人称では書かないのです。我々、私達でもなく、あなた、君でもない、常に私もしくは僕なのである。そして起承転結でもなく、導入部、展開部、終結部という五・七・五の俳句的展開の表現である。これは知的興奮を引き出すにもっとも良い表現であるから…。次の句を見ていただきたい。野に詩の無き日よ凧を買ひもどる今瀬剛一「俳句」平成17年2月号より。私の周りを克明に語り、探し出してゆく事により「私」を語る…これは映画やテレビのシナリオにおける基本である。ここに佇む作者の一抹の空虚感は、たた単に寂しく虚しいだけではなかったのだ。喧騒の都市を離れて野原へ癒しの心を求めて旅に出たのであろうか。それらは「野に詩の無き日よ」の俳句言葉で理解できる。今瀬剛一さんの自句自解が私の心を誘っ...俳句は私を表現する文芸

  • 自分自身が純白へと抜けきれないで命を絶った俳人永井陽子

    俳句の感情表現は心が無で白くなけれは、本心は表面には出てきにくいもの。それらは直情表現になり、全ては説明言葉になる。俳人個々の信条は私言葉になり、真実感がない、詩にはならないで作り言葉になる。内心が無色透明だからこそ、すべてを目にする俳人の心に受け入れられるのである。俳句言葉は作者自身の存在感を正面で受け止めた瞬間の純粋感である。ここには感覚としての無色透明な気持ちを感じさせてもくれる。だが、疲れた心を真っ白の心へと変革する過程で心を磨き損ねると作者自身、自分自身を見失ってしまうこともある事を考えねばならない。自分自身が純白へと抜けきれないで命を絶った俳人もいることを私は思い出していた。俳人永井陽子である。世に知れ渡るのは歌人としてなのだが。1999年2月より40日間肺炎で入院しているが、2000年1月2...自分自身が純白へと抜けきれないで命を絶った俳人永井陽子

  • 前衛作品俳句考…その意味するもの(再掲載)

    前衛俳句を論考するに及びよく聞かれることがある。その俳句たるやもう亡び去ってどこにもないではないかと、よく聞かれる。確かに…そのように正面切って詰められると答えに困ってしまうことがある。答えと言っても理論らしく説明したところで解ってもらえるような単純なものでないのが前衛だと思っているので別に気にはならない。ただ言えることは誰にでも作れるものではない句。過去より現在までにおいて誰も作ってはいない句、その人のみの独特の発想なり感受で、その人でなければ絶対作れない句が前衛俳句だと、私は思っているから現在も前衛俳句は人それぞれにいっぱいあると思いたい。ところで当時、物議をかもした前衛俳句と呼称された作品が如何なるものであったかを紹介することから論考に入りたいと思う。雨をひかる義眼の都会死亡の洋傘島津亮帰る円盤孵る...前衛作品俳句考…その意味するもの(再掲載)

  • 文体改革のパイオニア…俳人坂口芙美子

    神戸は坂の街である。元町より下山手通り、中山手通り、山本通りを斜めに横切るとこのあたりより坂の道に出る。更に先へと坂を上ると北野町に出る。洋風建築のテラスがまぶしく輝く。風見鶏のある館が目に届く。かって私はここへ何回も鬱を棄てに来た。…はるかぜにとびのる構え風見鶏庸晃人間関係に疲れ果て現実の社会にもついて行けず、身も心もボロボロになったとき一人きりの時間を求めて佇んでいた。20代後半の青春期をこの坂道を歩くことによって心を癒していたのだった。この思い出の坂道を今ゆっくりと上り、眼前の海原を見ている。今しがたまで覆われていた霧はいつか姿を消していた。青い海が、そして坂の上に暖かくある林が私をかっての青春へと誘う。死んでもいいなど云い合う霧笛のおおんおん坂口芙民子この人の俳句を思い出していた。昭和39年第7回...文体改革のパイオニア…俳人坂口芙美子

  • 俳句における純粋さとは何?

    私の俳句の先生は一生涯を純粋な心で一杯の人だった。常に汚れ切った社会と闘い誠の心を俳句に表現する俳人だった。その俳人は、或いは文芸人の名は伊丹三樹彦。昭和35年頃より現代俳句を革命に等しいまでに変革させた人。だがその根底にあってそれを支えていたのは心の純粋性であった。屍室まで抱きゆく菊を看護婦嗅ぐ伊丹三樹彦この純粋に物事を見つめることの出来る態度を私は純粋に見詰めた。純粋に見詰めることによって社会への参加を健全に考えた。いまそのことを見詰めるにおいてもどれだけ伊丹三樹彦が純粋であったか、自解の言葉でもわかる。「…結果は身寄りをもたずして、病院での老衰死を迎えたようである。何とも哀れであった。実母は僕を手放したあと、淋しさの余り、他人の子を貰って育て上げた。がその息子からも何故か顧みられなかったとか。不幸の...俳句における純粋さとは何?

  • ルミナリエの思い出

    先日我が家の玄関灯が切れて点かなくなったので、じっと見ていると白色電球の仄かに灯る温かさの良さを、私自身が感じていることを思いだしていた。そして何時しか、かってはあった神戸の年末行事を思いだしていた。神戸ルミナリエ。コロナ封じでその恒例も見ることはなくなった。もともとは神戸淡路大震災の復興であったが私の眼中にはある。色混ぜて万華曼陀羅ルミナリエ庸晃真っ暗な中に光彩を放つ長い万華、そこには予期せぬ夢が待っていた。混ざり合った光りたちはお互いを見せ合い助けあっているかに混じりあう。これは神戸のもつ華やかさでもあり、また暖かな町の心でもあろう。「神戸ルミナリエ」は。2週間で約500万人が訪れる。旧居留地一帯を光りのオブジェで奏でる。震災の鎮魂を記念しての開催。JR神戸線元町駅は18時前になると急に人数が増えてく...ルミナリエの思い出

  • 俳句における動詞は使い方で意味が変わる

    俳句には、その時の目視の状況によって動詞の使い方は変わる。表現は小説などの散文における表現とは異なる。17音という特殊な文体のためただ単なる一字といえども、その目的によって,動詞の使い方によって意味が変化する。しっかりした用法の知識がなければ、本来の動詞の役目ははたせないのだ。その具体例を示して、その違いを書きたい。いる…生きているものとしての存在感ある…生きたものではなく、体温のない存在感同じものの存在感を問う言葉にしても作者の個性によっては生者となったり、死者となったり、「いる」「ある」の使い分けをする。身近な形としていくつか、例をあげてみるが、「魚がいる」「魚がある」、このふたつの区別は水に泳いでいる魚は「ある」ではなくて「いる」である。このようにことばひとつを選ぶときにも、表現する場によっては「あ...俳句における動詞は使い方で意味が変わる

  • 心はきれいに…浄化の俳句言葉

    何故にいまも俳句を作すのであろうか。…そう思ってひとり静かに珈琲を飲んでいた。真昼の我が家。秋の日差しが部屋に置かれる午後。私の心が最も純粋になれる時間でもある。身も心もばらばらになってゆく私を、私なりに、それも密かに私を取り戻す。すべての心が浄化されてゆく時間である。謂わば句を作るに一番相応しい私になれている時間なのである。そして私は、畳に置かれた秋日を瞳に入れながら、亡母を思い出していた。けしきがあかるくなってきた母をつれててくてくあるきたくなった母はきっと重吉よ重吉よといくどでもはなしかけるだろうこれは八木重吉の詩である。この詩のタイトルは「母をおもう」。そのときである。私には思ってみたこともない或る思いが目覚めていた。純粋性とは、人間の美しさとは、私は私自身に問いかけていた。この文章を俳句に戻すが...心はきれいに…浄化の俳句言葉

  • あめんぼに自分の私性を託す俳人門田泰彦

    2007年2月14日朝のことであるが私にとっては忘れられない思い出がある。24時間勤務を終えて施設を出ると身体ごと吹っ飛ばされる。不意打ちというただならぬ出来事。ふたたび両足で踏ん張るも身体はぐらぐらと揺れて不安定。なんとその時30メートルの風速であったとは…翌日新聞にて知る。春一番であった。だが私がこの強風に必死に耐えたのはほんの一瞬であったが一生を社会の強風と闘いながら生きた俳人がいる。門田泰彦「青玄」同人。その一生を結核と闘い暮らす日々。再起をはかるもまた再発入院を繰り返す生活であった。その姿はまわりの人々に生きる勇気と活力を与え続けていた。いっそ強風とならば辛酸やわらぐ葦門田泰彦自分自身を「葦」と捉え自分自身を自ら放棄しようとしたその心。…ここには人間のもろさを示している。生きてゆかねばと思う気持...あめんぼに自分の私性を託す俳人門田泰彦

  • 父の日の思い出

    今日は父の日である。私にとっては思い出の多い日である。そして悲しみと、それに伴って家族の絆の深い日でもあった。今日の朝が来て、いろんな思い出が蘇っては消える。家族の温かさ、私には絆の深さが想いだれてくる。私のブログを思いだしていた。平成20年6月11日の記述である。父の日の父の貧乏子に詫びるこの作品は昭和48年の句である。街には「神田川」の歌がながれていた。南こうせつの語りかけてくる言葉と曲に心の救いを求めていた時代であった。私の生活も家賃を支払うと、給料の残りでは暮らしてはゆけない時代であった。長男10歳。長女6歳。子供たちは元気だったが、私の心は真っ暗だった。そんなある日だった。夕食時、私の目の前の食卓に小さな包みが置かれていた。それは子供たちが少ししかないお小遣いの中からふたりで出し合い買ってくれた...父の日の思い出

  • 俳句のアイロニー言葉とは

    一口に季語といってもその扱いの難しいのは情感の施しが如何になされているかであるが、季語を強める要素としての補助的なアイロニー言葉もある。風に落つ楊貴妃桜房のまま杉田久女「久女句集」昭和27年より。この句の注目点は「房のまま」の言葉である。正にこの句を素晴らしいものしているのは、根底に敷かれてあるアイロニー言葉の深みである。その言葉こそが「房のまま」なのだ。桜と言えば、その花びらの一枚一枚の美しさに注目をあつめるのだが、この句は「房のまま」の塊なのだ。まるで風に抵抗するように塊となる桜の房の存在感。これこそ作者が主張したかったアイロニーなのである。これは桜と言う季語の印象を強くするものであった。楊貴妃桜は八重桜なのだが、なるほどこの花桜は、どっしりとしていて重厚感がある。風圧により落花するときも風に逆らって...俳句のアイロニー言葉とは

  • 神戸新聞文芸短歌入選歌 (2021年)

    2021年の神戸新聞文芸短歌1月・2月・3月・4月・6月・7月・9月・11月・12月の入選歌を紹介させていただきます。児島庸晃★1月入選歌(2021年1月25日朝刊掲載)恵方へと前へ前へとまだ前へまっすぐ真っ直ぐ凡人歩く★2月入選歌(2021年2月22日朝刊掲載)冬の雨ハープの弦になってゆく心の棘をやわらかくして★3月入選歌(2021年3月1日朝刊掲載)目に梅花こころの汚れ抜く時刻うふふふと笑む生きてきたぼく★4月入選歌(2021年4月9日朝刊掲載)私語にして四月の風はよく喋る老年は背を立て先急ぐ★6月入選歌(2021年6月7日朝刊掲載)レシピには新芽と若葉眼は晩年触覚立てて僕五月行く★7月入選歌(2021年7月14日朝刊掲載)若葉風連れて都心の谷間行くこころして一日始まる朝★8月入選歌(2021年8月9...神戸新聞文芸短歌入選歌(2021年)

  • 私性の句体ふたび(再掲載)

    日々の生活の中で本来の人間の心を真に維持してゆくのが、どれほど大変なことなのか。春日が私に囁きかけてくる部屋の隅でその日差しを見詰めていた。そしてその傍に置かれた新聞を見詰めていた。その新聞の連日の見出しに心が縛られていることに、自分自身が壊れてゆかない事を願った。戦争は未だに終わってはいなかったのだ。昭和20年に戦争は終了している筈なのに…。かって観たイタリア映画の記憶が蘇る。その題名は「ひまわり」。第二次世界大戦後の心の傷が人間不信を呼び起こし男女の心が徐々に離れてゆく、そのような1970年のイタリアの反戦映画でした。大戦後のウクライナでの撮影であったことを思いだしての日々。多数の戦死者が埋葬された広大な土地、キーウより南へ50キロ、この土地にひまわりが一杯咲いているシーンから始まるこの映画。この映画...私性の句体ふたび(再掲載)

  • 俳句のアドリブ表現とは何なのか

    俳句にとって。俳句を書いてゆく行為はアドリブ表現以外にない。感情表現をするとき、感動は、その場、そのとき、思ったままの表現をしなければ二度とそのものずばりの表現はない。生存してゆくための人間生活を続けているかぎり、今日の感動は明日の感度と同じものではないのだ。今日だけの感動である。明日は明日の感動があるだろう。ぼくは必死に思うのだ。生きているよろこびやかなしみをもっともたいせつにしなければならないのは、この純粋感動を出来るだけ長く、出来るだけ強くもちつづけていたいからではなかろうか。生活人としての意識や認識を社会へぶっつけて生きてゆくとき、なんらかの衝撃が起る。起ったときの社会に応じて、ひとびとは自分なりの行動をしてゆくのだが、アドリブは起った行動のなかにあって、いろんなひとたちに意志を示唆する。この示唆...俳句のアドリブ表現とは何なのか

  • 現実社会の中で俳句は何故必要なの(再掲載)

    いつしか人に生まれていたわアナタも?池田澄子上記の句を一般の生活人はどのように受けとるであろうか。この句を依光陽子さん(屋根)は総合誌「俳壇」2005年8月号で次のように書いている共生的な存在意識の投げかけは口語文体ゆえにストンと読み手の心に落ちる。「俳壇」の特集号、「時代をとらえた俳句表現」での発言記事である。この発言記事。よく考えてみると、私たちは共生的な存在意識のもとに生存し生活をしているのである。一般的に普通に生活していて誰もが思うことは、俳句など全く生活とは関りはないのだろうと、誰もが思う。そして生きてゆくのには俳句は全く関係ないと思うのが普通だろう。だが、一般生活をしているのに、或いは日々の暮らしの中では俳句的思考は必要なのである。それは何故にそうなのかをテーマーとして書きたいと思う。俳句はビ...現実社会の中で俳句は何故必要なの(再掲載)

  • 俳句その心表現の基本とは何なのか…

    そこにあるのだけれど見ようとしなければ見えてはこないもの…それを不可視という。人の心は不可視の中にこそ潜むもの。日常の出来事だけが五・七・五の定形であってはならない。…つぼみの中を表現したいんやけど、まだ咲いてはいない、開いてはいない花の中までわかるように表現しなければならんのや。俳句で表現出きるかね。上記の文言は今は亡き現代俳人伊丹三樹彦の私への問い掛けだった。当時「青玄」大阪支部句会帰りの電車内での会話である。私は一瞬とまどった。びっくりしたというよりも考えるところがあってのことであった。見えていないものまで見えるように表現する。これは批判的リアリズムの基本理念ではなかったか。見方を変えれば、俳句の基本とされている寄物陳思なのではないかとも思った。寄物陳思とは物に寄せて心の在りようとしての思いを述べる...俳句その心表現の基本とは何なのか…

  • 俳句の類句または類想句の考えについて

    もう何十年も前の話になりますが、ある俳人より私の句が有名人の俳句に似ていて真似ではないかとの意見があったことがありました。そのときのことを思い出したので書くことにしました。私の句は下記の句でした。秋灯下宿題解けぬ子の涙児島庸晃類句または類想句の考えですがいろんなことが言われていますが一般には「言葉の類似」「技術の類似」「主題の類似」です。…ということでこの三つが同時にある句はないと思います。よく問題になるのですが、故意に似せて作る以外はないと思っているのが私の考えです。さて問題の焦点になった句は西東三鬼の句「算術の少年しのびなけり夏」ですが、季節は「夏」。私の句は「秋灯下宿題解けぬ子の涙」。大きなところは季語の扱いの違いがあり、西東三鬼の句には主題のポイントがはっきりしていません。。そして着眼点に曖昧なも...俳句の類句または類想句の考えについて

  • 伊丹三樹彦先生が求めたものとは

    メタバース(三次元の仮想空間)。この言葉がマスコミで出始めてから世の中は一変した。最初はゲーム機器の開発から始まったのだが、自分の居住空間までメタバース(三次元の仮想空間)に置き換えての思考へと、特に若者をはじめ中年層にまで広がろうとしている昨今である。何故だろうと思う。自分たちの理想とする住みやすい場所を求め、現実では不可能な部分を可能にする場所を心に持ちたいと動き出したのだ。言わば幻想である。虚景である。これは目視では見えていない部分なのである。私にとっては、この思考は三樹彦の「隠れているものまでも見えるように書く」と言う俳句思考を呼び覚ますことになった。今回は、この微妙に揺れ動く心の理想が、どうしてメタバース(三次元の仮想空間)に繋がったかを書きたいと思う。何処の句会に出ても一様に聞く言葉がある。最...伊丹三樹彦先生が求めたものとは

  • 「死」へ向かう「生」の美学…俳人…桂 信子

    「滅び逝く美しさかもね」という俳人がいた。これは桂信子の句集「新緑」を読んでの感想を私に語ったときのことである。私も、そう思えるものがいくつもあったと思い出していた。さしかかるひとつの橋の秋の暮…桂信子昭和45年作。句集「月光抄」「女身」「晩春」、そして「新緑」へと渡りゆくなかで益々深みを増すのだが、この川にかかっている橋は人生における接点のようなもの。こちらの岸からあちらの岸へ渡す橋であり、そこにあるのは来し方であり行方である。その橋を秋の暮色が包む。信子は寡黙にその橋を見よ、と指し示す。つるべ落としの秋の陽は今にも暮れようとしている。橋にさしかかるのは信子自身であり、これから先の残された人生の滅びてゆくはかない美しさをここに示そうとしているのだ。ライターを借りてふりむく枯世界…桂信子同じ年の作になるが...「死」へ向かう「生」の美学…俳人…桂信子

  • 俳句は心が汚れ切っていると作れない

    汚れのない心中が目視には必要なのである。この時、はじめて目視は可能になる。よく聞く言葉に…俳句が作れないのよ…と言う言葉を聞くが、これは俳句が作れる心にはなっていないからである。心が汚れ切っているから…。物事を見ていても心を空白にしていなければ何も見えてはこないのである。背中から春の時雨に溶けてゆく宮川三保子句集『黄砂』より。この句の作者の素直な心に私が何時の間にか素直になってゆく句心の俳句である。それは作者の心の中が真っ白であるから…。物を目視するのに汚れのない気持ちの心を持っているからである。「溶けてゆく」と言う俳句言葉は、容易には思いつかない言葉なのではなかろうか。物事が強く細かく見えている。普段の日常生活の慣らされた習慣の中で物事をよく見届けるのは、よほど心の中を純白していなけば見えてはこないし、...俳句は心が汚れ切っていると作れない

  • 水面渡りの風はシンホニー…梅雨晴間の武庫川河畔

    6月1日、今日は衣更えの日である。だが今年は梅雨入りの日の方が早かった。今日は梅雨の中休みである。曇りだが雨は降ってはいない。家を出て歩くことにした。武庫川河畔は私の癒しの場所である。ここを歩くと心の中に鬱積したもやもやが抜けてゆき、心の中に蓄積した他人の言葉までが抜けてゆく。毎日の他人から受ける言葉の棘が私に付着して、私を暗くすのだが。いまこの河畔は楽しい自然で一杯。眼前には阪神電車の橋上駅が見える。武庫川に架かる武庫川橋上駅である。西宮市と尼崎市を結ぶ川の真ん中が市の境である。この駅の周りには蝶が飛来して今が梅雨とは思えない。この梅雨蝶を見ながら、傍の大きな石に座る。すべては自然のままだった。私の心に積もった棘は抜けたのか。こうして梅雨の晴れ間を私は歩く。以下は私の目に届いた光景を俳句にした。雲退けば...水面渡りの風はシンホニー…梅雨晴間の武庫川河畔

  • 俳句には一連の心の流れがあり

    実感の重みと言えば、そこには必ずと言っていいほど潜在意識を内包している作者の意志が色濃くある。その潜在意識を顕在意識に変革させたのが次の句である。あやとりのエッフエル塔も冬に入る有馬朗人俳句総合誌「俳壇」2005年8月号より。作者は「天為」主宰者。元東京大学総長、元文部大臣。ここにある作者の抒情は句の発想においての思考の中に顕在意識→連想→潜在意識の心の流れがとても強くある。作者の見えている光景を、ただ単に見ているだけなれば、何の感情などは発生しないのだが、作者が興味をもつに至った見えている光景には感情が生まれる。このとき作者の心には潜在意識があっての興味が生まれる。この句の場合には「あやとり」の目視より「エッフエル塔」の発想がなされている。「あやとり」の動作により出来上がるまでの過程の中に、幼い頃お母さ...俳句には一連の心の流れがあり

  • 心を無にするこころ

    日常語は物事を遂行する言語で、ニュアンスは含まない。従って詩語にはなりぬくいのである。日常の生活は会話を正確に伝えなければ物事が前へと進まない。だが、このことが、詩情を深めるのには邪魔になる。心の在りよう、つまり人の感情を阻害してしまう。多くの人々は物事を伝達するのに誰にでも理解出来る言葉を選ぶ。これは感情や雰囲気の含まない言葉。だから社会の中で行き違いや衝突が起こる。例えばだが物事を処理するのに人間性を排除するかの如きマイナンバーカードを国民に義務付けようとする、このような数字で物事を処理、感情を無視する行為。だから人々は何かの救いを求めて心を広げようとする。この時に心を広げることの出来る感情が欲しくなる。それは文章やエッセイを一つにした一冊の本の存在。その一番すっきりとした形が短詩形であり、そのもっと...心を無にするこころ

  • 俳句は一人称表現

    文章の書き方は三つある。一人称、二人称、そして三人称。私は一人称、貴方は二人称、私達は三人称。このうち俳句は一人称である。私性の文体と言われる所以である。現代俳句は一人称で物を捉え、即ち一人称で受け止めるものである。だから俳句には、「何故」が最も大切なのである。作者が一番主張したいものを表現出来るからなのである。俳句に関わり俳句に興味をもつ読者は俳句の何に興味があり、何に注目すのだろうか。連日、私の疑問はどんどん思考の深淵に嵌まりこんでいた。作っても作っても出来上がった私の俳句が、私に向かって、私から離れて行こうとするように、よそよそしく私に寄り付こうとはしないのだ。どれもこれも私を除け者にしようとするかにも私には思える日々。これをスランプと言うのかもしれない。俳句は作れるのだが、どれもこれまでの私の句で...俳句は一人称表現

  • 昭和三五年当時の若者俳句の現実を探る(再掲載)

    俳句表現は理屈にならないこと…理屈で表現しない事である。感覚には理屈はない。人の心にも理屈はない。理屈は人間が考え出した勝手な思考。だから表現された言葉に好き嫌いが起こる。これは表現言葉が純粋でなければならない理由でもある。その純粋性の表現を趣旨として表現していた若者集団がいた。その若者集団を生み出すことに必死に専念し指導していた俳人がいた。伊丹三樹彦である。既成俳壇とは異なる思考を基本として日々研鑽していたのが俳句結社「青玄」であった。主宰者伊丹三樹彦は、その純粋性の俳句の基本を、当時の既成俳壇の中では当然とされていたその俳人の経歴重視の姿勢についての純粋な批判言葉を「青玄」一二九号に述べている。…例えば俳人間では「A誌で三年間いました」とか、「B誌に五年関係しました」とか、よく修業年期のことがやりとり...昭和三五年当時の若者俳句の現実を探る(再掲載)

  • 昭和40年前後の若者俳句

    俳句には思想が込められていて、そこには個々人の生き方が存在する。若者はその生き方の良い部分を個人に引き付けて取り入れるもの。かっての「青玄」青春俳句が…そうであった。昭和43年4月28日。全国から若者が京都に集結された。新人サークルの全国大会であった。当時の国鉄京都駅前には胸にプラカードをつけた俳句集団が闊歩し、道行く人の目を驚かせた。胸にまといついた俳句スローガンを世間へ見せつけたのだ。「俳句現代派・青玄」2メートル程もある横断幕に書き込まれた言葉に、道行く人は唖然とした。「今日までの俳句を古流と呼ぶ」…横断幕に書かれたスローガンは道行く人を吃驚させた。若者の胸より吊るされたゼッケンの言葉はその大半は伊丹三樹彦の青玄前記である。当時の国鉄京都駅前でのビラ配りを若者は必死で行なった。これまで俳句を市民に直...昭和40年前後の若者俳句

  • コマ割りは俳句の発展形式

    コマ割りをひとつひとつ解説してゆくには時間がかかるので、ここではこのイメージ部分となる二段割れや三段割れのみを書くことにする。俳句の定型としての五・七・五を、その音節通りに区切っても三段切れであり、また中七の部分を三・四、もしくは四・三、あるいは二・五ないし五・二と区切っても、中七部分は区切られる。それぞれ中七区切りの上部分音数を、上五音とくっつけて区切り、上五音プラス中七の上の部分の三音とくっつけても上部部分は区切られる。このようにことばの音数をイメージに変換してゆくと、意味や時間や場所などをリズムに変換することが出来て、この区切り部分が大切になってくるのである。区切られた部分に残像がこもっていて、その残像が次にでてくる部分へ関連づけられるのだ。アニメーションはわずか指一本動かすにしても、最低十六コマか...コマ割りは俳句の発展形式

  • 理性が先行すれば感性が鈍る

    黎明に至るひかりの森の夏庸晃JR神戸線より見える須磨浦公園は緑の森に変身しようとしていた。この公園は海からの風を受けて日々色を変えようとした時期があり、それより一年が過ぎようとしていたのだ。塩害のため葉っぱを枯らせ木々の寿命を全うさせることの出来ない森でもあった。だがいまは色を濃くして万緑に変わろうとしている。この森に黎明の光がみなぎりはじめている。一時見つめていた私だが…ふと過去がよぎった。俳句の結社やグループといった存在の価値なるものは?。ああ、やっぱりひとつの過程を経ては終ってゆくものなのかと。この森のように、誕生期、黎明期、熟盛期、そして死亡期、とひとつの時代をおわる。その後を引き繋いで蘇生誕生、黎明へ、と思考は永遠に残されてゆくのだろうかと。鈴木六林男の「花曜」終刊。桂信子の「草苑」終刊。伊丹三...理性が先行すれば感性が鈍る

  • 小説 河川敷の哲ちゃん(再掲載)

    この小説は神戸新聞文芸欄1ページ全面に掲載されたものです。2004年3月8日朝刊掲載(文芸小説部門入選作品)児島照夫(庸晃)冷たい雨の日だった。「お願いだから死なせてくれ」。私の手を掴み必死に懇願する男。名前は哲ちゃんと言う。足首にくくりつけるコンクリ^とブロックを抱え水の深みに入ろうとしたしていた哲ちゃん。その時、私の手を振りほどき水に飛び込んでいった哲ちゃん。水面から首だけが出た姿を私は必死な目で追った。それから一年半が経っていた。自殺未遂を経た哲ちゃんの行方を私は探して歩いた。近畿はもとより四国や九州へも飛んだ。やっとのことで居場所が分かる。そこはこの武庫川公園の河川敷であった。河川敷はスポーツ公園ということもあってか人々は賑やかな声を出している。でも誰も哲ちゃんの事は知らない。私は心に残る一年半ほ...小説河川敷の哲ちゃん(再掲載)

  • 小説 予 想 屋 … 哲 ち ゃ ん (再掲載)

    この小説は神戸新聞文芸欄1ページに掲載されたものです。(2017年12月4日朝刊掲載)児島庸晃哲ちゃんの目から一粒二粒と大粒の涙が落ちる。落とすまいと顔をあげて哲ちゃんは涙を堪えた。春の青空は何処までも澄みきっている。天を仰いでいた哲ちゃんは俯いてしまったのだ。俯くまいと思う哲ちゃん。再び天を仰ぐ。哲ちゃんは泣いていた。阪神電車の甲子園駅を下車、南へ十五分ほど歩くと円形の屋根が見える。甲子園競輪場である。哲ちゃんはこの競輪場の予想屋である。一レースから最終レースまでの勝利車券を予想して、客に売る仕事である。嗚呼、これで終わったよ、と哲ちゃんは呟く。五十年も続いた甲子園競輪場最終レースの優勝者の決まった瞬間であった。車券の売り上げが減ってきて赤字が増え競輪開催が廃止になる。いま哲ちゃんは来し方、行く末をしみ...小説予想屋…哲ちゃん(再掲載)

  • 発想は俳句の入り口に過ぎない

    発想とは発想力の有り無しにその多くを期待する時、俳人はそのどの部分に注目するのだろう。発想とも思える、思いつきは俳人と呼べる人は、どなたでも持っているのだが、一句を纏めるのに、新しさが含まれているのかいないのかの違いは何に由来するのだろう。ふと私は思う。次の句を見ていただきたい。如月や耳貸していて疲れる福島靖子「歯車」333号より。この句の特色は表現が従順ではないのである。「耳貸していて」なのである。身近にいるであろう人の話を聞いているのであるが、そのようには受け取らず「耳貸していて」なのである。多くの俳人は発想はしっかり出来ているのであるが、何かが足りないために新しくないのである。その足りていないものはと問い詰めてゆくとき、私はそのヒントらしきものがわかってきた。想像力なのである。想像力と発想力との違い...発想は俳句の入り口に過ぎない

  • 俳句…その心は川柳作家の方にこそ

    いま俳句は生活の或いは日常の、そして私達の身近な部分からだんだんと遠くへ離れてゆこうとしている。かって私は師である伊丹三樹彦から人間の心を学び、その姿を詩心とすることを教わった。その心は川柳作家の方にこそあるようにも思える。次の句を見て頂きたい。あかつきの梟よりも深く泣く時実新子この句は川柳である。この句についての評を赤尾兜子は川柳としては見ていなかったのだ。赤尾兜子は「川柳ジャーナル」117号(1973年)で「新子近見」と題して書いている。みごとに切断した空(くう)のとらえ。その空(くう)に、わずかに一つの梟があり、私がいる。「深く泣い」ているはずなのだが、その私はわずかにしか泣いていない。それが言葉の微妙な次元のゆらめきであり、ふるえである。ここで兜子が言いたかったのは、俳句を俳句らしくするには私性が...俳句…その心は川柳作家の方にこそ

  • 写実オンリーでない俳句の魅力…酒井弘司さん

    酒井弘司さんは、私が「歯車」復刊2号に入会して最初に感動を受けた人でした。昭和三二年のことである。そのころの「歯車」は⒓ページほどの筆耕によるガリ版刷りの印刷であった。鈴木石夫先生の熱心な鑑賞と指導文がいまでも目に浮かぶ。その石夫先生の指導を受けていたのが弘司さんであった。後に「海程」創刊に同人参加、編集人となるのだが、現在は「朱夏」の主宰者である。私が最初に受けた印象は俳人というよりも詩人としてのイメージが強かった。昭和三七年句集「蝶の森」を上梓。私はこの句集で改めて写実オンリーでない俳句の魅力に魅かれてゆくのだが、ここには芭蕉の言う「虚」の世界があることに思いを馳せるのである。秋の蝶星に雫をもらいけり酒井弘司ここには空想の面白さがたっぷりとある。現実であっても現実だけの光景ではない。何故人の興味を引く...写実オンリーでない俳句の魅力…酒井弘司さん

  • キャッチコピー言葉俳句を考える

    俳句の世界でも、このキャッチコピーに等しいものもある。例えば、♀・♂、↓・∞、♭、など。このような記号を音数に読み一句の中に登場してくる。いまやキャッチコピーが俳句の王道を突き進んでいるかにも思える。何故だろうと、私が思うようになって疑問が益々難問になって解けないのである。そもそもキャッチコピーは文芸とは何の関りもないものだった。広告の世界のことで人の気持ちを心のままに伝え、多くの大衆の心を引き込むことなのである。相手に届けたいメッセージを凝縮した言葉がキャッチコピーなのである。俳句言葉と通じ合うのは相手に届けたいメッセージの凝縮言葉だからなのであろう。だが、俳句との基本的に相違しているのは、キャッチコピーには真実感が薄くて本物の心が感じられず薄っぺらさが、言葉そのものの緊張感を弱めてしまうのである。思い...キャッチコピー言葉俳句を考える

  • 「虚」を「真実」へと誘引した俳人…寺山修司

    ところで私には、「虚」を「真実」へと誘引して、私を空想の世界へと遊ばせていただいた俳人がいる。少年のたてがみそよぐ銀河の橇寺山修司寺山さんは多彩な方で俳人というよりも短歌人としての名声が一般には流布されている。また演劇人としても著名な方。だが、私が一番影響を受けたのは俳人としての「氷海」に投句されていて秋元不死男選を受けていた頃である。まだ高校生から大学生へと進み変身を遂げている頃。従来からの句からでは得られない感動をもらっていたのだ。どのように発想を工夫しても、当時の俳壇は日常の次元からのもので日々の生活の延長のように思える句が多かったものである。どの句を見ていても退屈してばかりであったのだ。このころ句へ向かってゆくときの不満を充分に満たしてくれていたのが寺山修司さんだった。その句、「少年の…」のここに...「虚」を「真実」へと誘引した俳人…寺山修司

  • 感動は『ああ』という叫びである

    感動するって…どんなことなのか?日々の生活や日常の出来事にどれだけの感動を覚えることがあるのだろうか。考えてみれば…ほとんど感動を知らない日々を過ごしている私になっていた。JR元町駅で下車し山側へなだらかな坂道を上って行くと山本通りに出る。この辺りにはビルのあちらやこちらには少しの空地がある。そしてここには元気な夏草が茂っていた。のほほんと育ったのっぽ。すこし拗ねたようにひっそりとしたちび。でもどれも夏の匂いをもつ草木なのだ。ここを更に坂道に沿って上ると北野町に至るのだが私にはここの風景が妙に頭の中に残る。この夏草、あの夏草と瞳に焼き付いてゆくのだが感動に至るに相当の時間を要した。何も感動しなくなった私はいったい何なんだろう。もう何にも心のときめきを覚えない私。もう何十年も前には…感動は次々と湧いていたの...感動は『ああ』という叫びである

  • 俳句は作者の純粋な真心

    とうすみはとぶよりとまること多き富安風生「俳壇」2004年8月号より。この実景、まことそのものである。何の人為的な操作及び工作もない。しかし作者の瞳の中には、しっかりとした心を捕まえていたのだ。それがソロピース(個体)言葉と言う、心中での工夫であった。その俳句言葉とは「とぶよりとまる」。この実景実写はカメラのレンズで捉えたもののようにすこしもごまかしのできないもの。下手な操作をするとただ単なる何にもないそこにあるだけの景色になってしまう。「とうすみ」とはとうすみとんぼ(灯心蜻蛉)イトトンボの別名であるが、このごく普通の光景を人の心に呼び込むように仕上げたのが作者の純粋な真心であった。これほどまでにも実景を美しく見詰めることの出来る汚れてはいない作者自身の心であった。ここで大切なのがソロピース(個体)言葉の...俳句は作者の純粋な真心

  • 俳句は…たった一行の織り成す言葉

    俳句はたった一行の織り成す言葉である。その中から表現されていない言葉にこそ抒情が隠されている。その言葉が想像出来る言語が一行の十七音に含まれることこそ大切なのである。一句を完成させるときに表現されてはいない言葉の存在を知ること、それを感じとれる表現こそが、俳句であり、詩なのである。ここには言葉が説明される使い方はない。遺品あり岩波文庫「阿部一族」鈴木六林男句集「荒天」(昭和二四年)より。この句の「遺品」とは何を意味しているのだろうか。普通は亡くなった人が遺したものなのだが、この句の場合は戦場の兵士が遺したものを示している。従って十七音として表現されてはいない言葉に「兵士の」と入る言葉があるのである。だがこの「兵士の」の言葉を一行に組み入れると散文になってしまうのである。何故なのかとも思う。「兵士の」の言葉...俳句は…たった一行の織り成す言葉

  • 俳句それは…固定観念を棄てること

    アイデアの施しが一句の成否を遂げるのに、どれほど重要であるかを考える時、ここに大切な基本があるのではないかと私が思い出してから、やっとその思考判断が出来る事柄が解ってきた。私たち俳人はずーっとこれまでの過去の引例に拘り過ぎていたのではないかと私自身も思ってきた、やはり過去の俳句作品に私自身も拘り過ぎていたようにも思う。…固定観念を棄てること。一句の中に異質のものを施すこと、異質のものを組合すことが、想像力におけるアイデアを生み出す基準ではないかと思うようになった。今までに例を見ない俳句作品を作る術のように思えてきたのである。ではどうして固定観念もしくは固定概念を棄てるのかなのである。その方法として…連想…の意識を強めること。物には既に決まった意味なり意識がある。これらの持つ価値観を…連想…により別の物に転...俳句それは…固定観念を棄てること

  • その句を良しと認めるのは読者

    多くの人間は普段の生活においては感情を表には出しません。だがその内心に籠もる感情を俳句言葉として表示することは出来ます。それが日々の癒しになってその日を過ごせるのです。戦後の俳人たちは己との闘いに向かい日々を勝ち抜いてきました。その支えとなっていたのが…人間の心を感じる言葉…だった。私は今その検証に及び、とんでもない大変な一句に遭遇してしまいました。それは目視における具象性の必要性でした。落日の獣身を寄せ嘆き会ふ三谷昭「現代俳句データベース」より。この句のポイントは作者の心の中にある戦後まもない頃の庶民の嘆きのようにも思え、私の目には涙がありました。この切羽詰まった個々の悲しみをまともに受けとっていました。その俳句言葉とは「獣身を寄せ嘆き会ふ」。なんと言う作者の苦しみでしょうか。戦後二年を経た時期のこの句...その句を良しと認めるのは読者

  • 連休の公園は静かだった

    この世は連休の賑わいで日常の動きは騒がしのだが、逆に街中は静か。もう80代の私は連休だからと言って旅行するきなどはない。そうかといって家の中に閉じこもる気はない。近くの公園の新緑が見たくて足を運ぶ。歩いて10分。その公園には誰もいなかった。私ひとり。普段は大変な賑わいで騒がしのだが。連休の新しい過ごしかたでもあるのかと新発見。気分は凄く快い。桜の花の散った後、葉っぱは新緑。エメラルドグリーン。上の高いところほど濃いグリーンかと思ってみると、何故か黒っぽい。都会のガス汚染か。地面に近いほど新鮮なグリーである。今日の今のこの新鮮さは、連休でみんなが郊外へ出てしまったから味わえるのかもしれない。気分を新しくして明日へとつながる日となった。以下は私が作った句である。新緑は傘のまるみに陽を乗せる片陰に自転車預け少女...連休の公園は静かだった

  • 俳句における発想とは

    発想とは?。発想力の有り無しにその多くを期待する時、俳人はそのどの部分に注目するのだろう。発想とも思える、思いつきは俳人と呼べる人は、どなたでも持っているのだが、一句を纏めるのに、新しさが含まれているのかいないのかの違いは何に由来するのだろう。ふと私は思う。次の句を見ていただきたい。如月や耳貸していて疲れる福島靖子「歯車」333号より。この句の特色は表現が従順ではないのである。「耳貸していて」なのである。身近にいるであろう人の話を聞いているのであるが、そのようには受け取らず「耳貸していて」なのである。多くの俳人は発想はしっかり出来ているのであるが、何かが足りないために新しくないのである。その足りていないものはと問い詰めてゆくとき、私はそのヒントらしきものがわかってきた。想像力なのである。想像力と発想力との...俳句における発想とは

  • 武庫川河川敷河口は…大阪湾

    本日は晴れの気持ちいい日となったので武庫川河川敷を河口まで歩きたいと思い、一時間ばかり歩いてきました。往復2時間。少し疲れが。でも普段の日常の雰囲気では感じないことばかり。河口の風は町中を流れる速度のある流れではなくて、ゆっくりとのんびりと身体に溢れてくる柔らかな感触。心が安らぎました。武庫川は全長66キロもあり、上流は宝塚市、その上流は福知山市。下流は尼崎市と西宮市の間を流れる川。この川が両市の境界線。野鳥の多く住む2級河川。今日はこれらの野鳥を見ながらの南下でした。突然、上空を飛行機の大きな爆音。目を上に向ければかなりの低さ。そうなんです。この上空の先には関西国際空港があるのです。ここは大阪湾。僅かに霞む空港の風景。私は吃驚。海上距離の不思議を感じました。だが、波は穏やかな音を出し沖から、まるで優れた...武庫川河川敷河口は…大阪湾

  • 武庫川河川敷は…花の公園

    黄金週間が始まりました。9連休。すごいなーと思う。私の20代は連休すらなかった。1週間の勤務。稀に日曜が休めるぐらい。それだけする仕事があったと言うのだろうか。だが誰も文句を言う人はいなかった。そのことが当たり前であった時代である。早速、今日戸外へ出る。もうマスクの人はいなかった。家族が多くて手作りの弁当を食べていた。一家の笑いがいっぱい。本当に心が休まる。一年中の快楽をいっぱい振りまいて…。私も心が安らぐ。一家の座している傍にはさつき花が満開、花の公園である。また薔薇も見事の集団。一家を囲むように美しい。ここは武庫川河川敷。もう満開の紫・紅・白のコントラストの中で家族の連休の優しい心は労りの気持ちを見せていた。以下は私の句である。谺して夏風仲間喋り行く対岸は幸置く色の薔薇並ぶ退屈な川鵜の夫婦昼寝時黄金週...武庫川河川敷は…花の公園

  • 武庫川河川敷は…もう初夏

    久しぶりに河川敷を歩いてきました。もう初夏。いろいろな花に囲まれての私の今日の朝の始まり。どれも明るい光彩の花弁に、目が飛び移り心が励まされました。ここは私の、かっては鬱を棄てる場所でもあったところ。社会の仕組みに取り残されて私の心がついてゆけないとき、ここへ来て一時の笑いを貰いに、自然にとっぷりと浸り、また現実へと戻って行った過去を、いま思い出しながら歩いては、もう晩年期。花びらの色の柔らかさに、再びの心を休ませています。歩きつつその花びらの元気に過去の私が煌めき映り、なんとも言えない寂しさの中に時々生まれる感情の移ろいに、いまの平穏な日々が、やっと人生なのかとも。その心を句にしてはいま独歩の安定を思いつつ。蝶旅へいま花びらの一つから光芒を包む新緑樹が薫る皐照り日光浴の午後の刻漣の細かく進む初夏はいまオ...武庫川河川敷は…もう初夏

  • 神戸新聞文芸詩部門入選作品紹介

    私の詩が入選になりましたので紹介させていただきます。(2023年4月24日朝刊掲載)初蝶現世へ生まれすぐには飛べないか蝶そっと暫く動かず花びらになる神戸新聞文芸詩部門入選作品紹介

  • 写俳とは

    あれはぼくの「青玄」復帰まもないころで、大阪句会の帰りであったと思うが、ゆっくり歩きながら考え込むように伊丹三樹彦主幹は言われた。「つぼみのなかを表現したいんやけど、まだ咲いてはいない、開いてはいない花の中までわかるように写真は表現しなければならんのや。俳句で表現できるかね」一瞬ぼくは立ち停まった。びっくりしたというよりも考えるところがあってのことであった。青玄人の幾人かが伊丹三樹彦主幹の写真に対するものの見方を複雑にしているのは、このへんのことだと思ったのである。見えていないものまで見えるように表現する。――これは批判的リアリズムの基本理念ではなかったか。やはり三樹彦先生は俳人なのだと思った。写真と取り組むときも、いつもは俳人の目を失ってはいない。これは大変なことだと思った。俳句と写真は総合作用なのだと...写俳とは

  • 前衛作品俳句考…その意味するもの(再掲載)

    前衛俳句を論考するに及びよく聞かれることがある。その俳句たるやもう亡び去ってどこにもないではないかと、よく聞かれる。確かに…そのように正面切って詰められると答えに困ってしまうことがある。答えと言っても理論らしく説明したところで解ってもらえるような単純なものでないのが前衛だと思っているので別に気にはならない。ただ言えることは誰にでも作れるものではない句。過去より現在までにおいて誰も作ってはいない句、その人のみの独特の発想なり感受で、その人でなければ絶対作れない句が前衛俳句だと、私は思っているから現在も前衛俳句は人それぞれにいっぱいあると思いたい。ところで当時、物議をかもした前衛俳句と呼称された作品が如何なるものであったかを紹介することから論考に入りたいと思う。雨をひかる義眼の都会死亡の洋傘島津亮帰る円盤孵る...前衛作品俳句考…その意味するもの(再掲載)

  • 隠れているものまで見えたように書く

    私の少年時代の俳句の師匠、伊丹三樹彦は、私達に俳句を作ることの意義や目的を、克明に示し続けた俳人だった。その目的とは俳句で私を語る、私の思いを詩情で奏でる純粋性を多くの若者に示す人であった。極限した言い方をすれば作者個々人の思考をはっきりと示すことであったように思う。謂わば生活俳句の実践であり、作者本人の思考に純粋性の方向性をもたすことであった。…これら一連の私の心を純粋に導く方向性を分かり易くすること、そのことそのものを私性の句体と言えるのだろう。「青玄」一〇〇号で主宰者・伊丹三樹彦としての立場での発言、その中で次のように明記されていた。隠れているものまで見えたように書くこれは従来からの見えているものを見えたままに書くと言う素朴リアリズムの思考に対しての発言であったのだ。つまり従来からの写実主義に対して...隠れているものまで見えたように書く

  • 分かち書き(一字空き)導入前後の情勢について

    切株はじいんじいんとひびくなり富澤赤黄男新興俳句時代にも個人としては分ち書きは行われていた。その頃の結社やグループとしてではない。ただ言えることはそのことの程の確固たる意味はなっかたようです。その頃は一字空きまたは空けと言う呼び方のようでした。語呂合わせのように、舌に転がせていて読み、切りやすいところで切っていたようです。神野紗希さんは「切株」の句について次のように語っている。「ひろびろとした大気の中で思い切り呼吸する」ための、小さな小さな風穴なのかもしれない。この空白を抜けて、切株のひびきは、無限に広がってゆく。上記のように述べているのだが、このことは…一字の空白を置くことは、ブレス(呼吸)をするための息継ぎなのだろうとのこと。だが、この考え方は、句の必然性にはならないように私には思える。…と言うのは俳...分かち書き(一字空き)導入前後の情勢について

  • 癒しのこころで俳句する

    毎日の生活のなかで他人の言葉に傷つき、社会から疎外された時、私たちはどうして自分自身を復旧回復させているのだろうか。ときどき思うことがある。私たちの青春はフォークソングに身を投じ音楽喫茶に群がっていた。いまでは喜多郎のシルクロードのテーマの音楽に惹かれ、姫神や富田勲の演奏に我を忘れて浸る。ここには安らぎと癒しの心が強くあり、そうして自分自身を慰めているのであろうか。このようなとき、俳句することの意義や意味はいったいなになんだろうと思う。もっと素晴らしい社会参加があるのではないかとも。もっと良い生き方があるのではないかとも。でも、私たちは俳句を書いてゆくことの持続性を思い、日々努力している。その魅力とはいったい何なんだろうと思う。そして、どうして短詩形に魅了されているのだろうかとも思う。いま俳句は生活の或い...癒しのこころで俳句する

  • 私性の文体(句体)は…俳人伊丹啓子

    句集「あきる野」ありがとうございます。何よりも句集の装幀が素晴らしいのには感動しました。この本の感覚は句集とは思わないでしょう。タイトルの書体も細アンチック体ですっきりとしていてとても繊細な思考を思わせる理知的な引き締まったものですね。本の表紙は本全体を象徴するもの。読者に読む意欲を喚起するもの。そしてこの装幀は…私性の主張の濃ゆい俳句を奏でるものともなっていますよね。さて、その私性とは、月蝕にわが身削れてゆくような伊丹啓子作者の目視の中に読者を引き込む感性は何を誰に向かって語りかけているかを、直感として知らせていて、この句の存在感を示しているのではないかと私には感じられました。その俳句言葉は「わが身削れて」。この俳句言葉にはパーパス(存在意義)があります。今は共生社会の中で生きてゆく時代。作者は何を誰に...私性の文体(句体)は…俳人伊丹啓子

  • 人間の心を感じる言葉…を示す俳人倉橋羊村

    象徴的表現の具体性は作者の内心と結びつき、もっと心の奥へ…人間の心を感じる言葉…を示すことにもなる。晩年の全景ならむ裸の木倉橋羊村句集『有時』(平成13年)より。この句には作者の歴史ともいえる時間の存在感の心を感じる言葉として強く表示されている。その俳句言葉は「晩年の全景ならむ」。ここには作者のこれまで生きてきた時間の懸命な一途な心の有様が克明に刻み込まれているようにも私には感じられた。その俳句言葉が「晩年の全景」であるのだろう。また同時に私が思うのには現実の在りのままの「晩年の全景」なのではないか、ふとそんな気持ちがする。「晩年の全景」は…人間の心を感じる言葉…でもあるのではないか。この句の目視は「裸の木」なのだが、ここに作者自身の人生を見つけてしまったのだろう。読者は句の中に人間の匂いを感じなければ、...人間の心を感じる言葉…を示す俳人倉橋羊村

  • 芭蕉には虚の世界があると言った俳人…森 澄雄

    俳人は神仏を信じなくてもいいが、「虚」を信じなければ駄目だ。でないと巨きな世界が詠めない。今の俳人は最も大事な「虚」が詠めなくなった。「虚にゐて実を行ふべし」の名言を芭蕉は残したが、詩の真実としては、「実」よりも「虚」のほうが巨きい。芭蕉の多くの句は、空想句つまり「虚」である。子規、虚子の言う写実ではない。しかし、虚でありながら実以上の「詩の真実」を見出したのだ。この上記の言葉は森澄雄さんが角川春樹さんに語った言葉である。森澄雄さんが語った内容は、『詩の真実俳句実作作法』(角川選書)という対談の中でのもの。一九八七年に出版された対談形式の中での言葉であった。果たしてこの発言を素直に受け止めなければならいほど写実がオンリーワンになっていたのであろうか。もっともこの写実至上主義であったのは昭和六十年代であった...芭蕉には虚の世界があると言った俳人…森澄雄

  • その一句には多くの削り落とされた言葉がある

    あなたが俳句の形式を選択したのであれば、全ての作品を俳句で書きましょう。最近目立って顕著になってきたのが、俳句を作っているあなたが、俳句作品ではなくなっていること。観念思考が先行して、意味だけが重要視され、説明言葉になっていて散文になってはいませんか。…これを正述心緒と言う。遠く病めば銀河は長し清瀬村石田波郷句集『惜命』(昭和二五年)より。この句は清瀬村での療養所生活で生まれた句である。清瀬村とは東京北多摩の奥地である。波郷は結核治療のため、この地で大切な生活の殆どをすごしているのである。この句では十七音よりはみ出し表現されてはいない言葉。表現上には出ていない言葉がある。それは「遠く病めば」の表現言葉の裏にあり、奥に秘められた言葉としてある「日常から」或いは「世間から」の言葉。「遠く」の俳句言葉の奥に秘め...その一句には多くの削り落とされた言葉がある

  • 俳句の想像力それにはアイデアの施しが

    発想とは発想力の有り無しにその多くを期待する時、俳人はそのどの部分に注目するのだろう。発想とも思える、思いつきは俳人と呼べる人は、どなたでも持っているのだが、一句を纏めるのに、新しさが含まれているのかいないのかの違いは何に由来するのだろう。ふと私は思う。次の句を見ていただきたい。如月や耳貸していて疲れる福島靖子「歯車」333号より。この句の特色は表現が従順ではないのである。「耳貸していて」なのである。身近にいるであろう人の話を聞いているのであるが、そのようには受け取らず「耳貸していて」なのである。多くの俳人は発想はしっかり出来ているのであるが、何かが足りないために新しくないのである。その足りていないものはと問い詰めてゆくとき、私はそのヒントらしきものがわかってきた。想像力なのである。想像力と発想力との違い...俳句の想像力それにはアイデアの施しが

  • 直情とそれを抑えようと意識…俳句とは

    俳句には、直情と、それを抑えようと意識する、批判的な心が何時も同居して作者の胸中を苦しめる。そのときの方向性を示すのが、動詞の存在である。ときに作者の思いとは全く違う情感を示し突然の直情を奏でて句を定着させてしまうことがある。…その修正に次の句を思い出す。峡深し夕日は花にだけ届く稲畑汀子ふたりして月の匂いの森に入る鳴戸奈菜秋は白い館を蝶が食べはじめ西川徹郎私はこの三人の句を思い出しては私を修正してきた。何れも動詞主体の句である。ここに採録した三句はどの句も終結部分に使われていて工夫することの意味が見事にその効果を示すものであると私は思ってきた。「峡深し」の句は二〇〇四年「俳句研究」年鑑自選句で出会うことが出来た句。この句を見た瞬間に私の常日頃の句に対する悩みがいっぺんに吹っ飛んでいた。いったいこれは何なん...直情とそれを抑えようと意識…俳句とは

  • イメージ俳句の実態

    名詞には従来からの固定されたイメージがあって、私たちの日常の生活のなかで何時も同じく変わることのない感覚がある。その感覚から生まれた俳句がイメージ俳句である。従来からの固定された名詞のイメージと作者独特の感覚による新しいイメージの対比が心の緊張感や臨場感を生むのである。蟬時雨餅肌の母百二歳金子兜太この句、二〇〇四年「俳句研究年鑑」自選欄より抽出。これは名詞主体の句である。何がこの句を面白くしているのか。勿論、名詞の言葉である。兜太独特の感性により句を支えているのだが、それは「餅肌の母」である。百二歳の母を見つめる兜太の心の緊張感が読み手に伝達されていての言葉の機能が果たされているのだ。全く新しくて従来の生活感覚ではないもの。新鮮な機能伝達を完璧にまで尽くした句である。病得てどんどん優しくなれる秋岩淵真智子...イメージ俳句の実態

  • 俳句の世界にもキャッチコピーはある

    昨今の句会の現状は、何人かが集まってその場所で行われる句会も、インターネットを使っての句会も、最高点句と言われるものは、挙ってキャッチコピーに類するものが多くなった。何故だろう。社会一般を通じて、新聞も街の看板も、必ず目立つようなコピーが大きく人目を惹く。そして人を吃驚させるような奇抜なものまである。いろんなアイデアを工夫してのコピーがある。先日も、昼寝と言う文字を印象づける意味もあってだろうが、昼寝の字そのものが横向きに書かれていて、人体そのものが横になって眠っているような感覚になる。これも一種のキャッチコピーなのである。俳句の世界でも、このキャッチコピーに等しいものもある。例えば、♀・♂、↓・∞、♭、☆、など。このような記号を音数に読み一句の中に登場してくる。いまやキャッチコピーが俳句の王道を突き進ん...俳句の世界にもキャッチコピーはある

  • 赤尾兜子のモンタージュ俳句の基本

    いま思えば兜子はモンタージュ俳句の基本を忠実に実践していたのであろうと私は思う昨今である。ここに私の記憶に残る思いを述べた記述があった。壮年の暁(あけ)白梅の白を験(ため)す赤尾兜子昭和46年「歳華集」の中に収録されたこの句。兜子の存在そのものを問いかける姿のなんと純粋で悲しく痛々しいことか。壮年期の始まりに汚れきったこれまでの人生を白い梅花に問いかける仕草こそ素直であり、より必死に生きてゆこうとする姿でもある。人間の一生を考えていてふと思うことがある。幼年期、少年期、青年期、壮年期、晩年期と経てゆく過程で生まれたままの素直な心はその社会経験を得てどれ程変化してゆくものなのか。とてつもない過去に帰り私自身のことを考えてみる。純朴な精神は多くの競争社会の中でずたずたにされ、打ちのめされ、放り出されて最後には...赤尾兜子のモンタージュ俳句の基本

  • 一番短い言葉…それが俳句

    心の不安定感をすこしでもすくなくしようと、日々の生活の糧になるのが、心を満足させる言葉なのです。多くの文芸言葉の中で、最も身近で関わりやすい言葉が俳句言葉なのです。何故かと言えば一番短い言葉であるから。それには、…人間の心を感じる言葉…が表示されているから。嬉しいことも悲しいこも寂しいことも、人間ならでの感情表現である。その感情を細かく克明に、より具体的に目視表現可能なのが短詩形であり、単的に集約されて理解しやすいのが俳句なのです。難しく考えないで欲しい。より具体的に克明に事実を感覚で受け取ればいい。それが一番短い言葉の本心なのです。感覚で受け取るとは、終戦直後の句ほど具体的に克明に事実を目視で感じとることが出来ている句はないのではないかと思った。それは人間の心を感じる句でもあった。その句とは昭和20年時...一番短い言葉…それが俳句

  • ヒロシマに原子爆弾が投下された記録より…俳人上野敬一

    絵ではなく八月六日原子雲庸晃1945年8月6日午前8時15分…ヒロシマに原子爆弾が投下された時刻である。毎年のようにめぐってくるこの事実を世界は忘却の彼方へと棄てようとして時が過ぎる。平和国家のように見える日本の隅々にまで原爆症患者はいて手術は繰り返し生き延びている。なんとも言えないこの悲惨をはじめて知ったのは高校生の時だった。当時の原爆体験を編纂した長田新氏の「原爆の子」だった。子供たちの原爆体験を纏めて一冊にしたものだった。六つのデルタからなる大田川に水を求めて入水し死んでゆく状態を当時5歳の子の眼に焼きついた記録であった。子供たちは原子爆弾をピカドンと言い、腸や脳、内臓の身体より飛び出した悲惨を語る。…私はこの幼い眼にとどまる語らいを今でも覚えている。戦争は人を殺すだけと言ったのは母だった。戦争を終...ヒロシマに原子爆弾が投下された記録より…俳人上野敬一

  • ヌーベルバーグ時代の俳句…ふたたび(再掲載)

    目視して物を受け取る時、その感覚は意味で受け取っているのではなかろうか、と思う時がある。それらは頭で判断していると思われているのだろうか。だが、実際は情感で物を見ているのである。俳句が意味の句の表現になってしまうのは、その意味が頭の中に残ってしまっているからである。俳句は情感の支えがしっかりしていなければ、ただの言葉でしかなくなる。俳句は意味で作ってはならないのである。俳句が説明になってしまう理由でもある。私の二〇代初めの頃、映画の世界にヌーベルバーグ(新しい波)と言う新しい表現の実感直感のフランス映画が、日本の若者の心を捉えていた。その代表的映画は、「勝手にしやがれ」。ジャン=リュック・ゴダール監督。ジャン=ポール・ベルモンド主演。その映画とは町の中をただひたすらに歩いて行くだけのもの。ベルモンド主演の...ヌーベルバーグ時代の俳句…ふたたび(再掲載)

  • 感情…それが文芸である

    私達の心には…襞(ひだ)…がある。その襞に多くの物がひっかかる。その時の感触を、私達は…感情…と呼んでいるのではないかとも私は思う。物事に共感するとそれそのものが自分自身の経験と重ね合わさる。そのことによって初めて生まれる感情…それが文芸である。あらゆる文芸の中で最も強く端的に表に出てくるのが短詩系である。その短詩系の中において緊張感を伴うのが俳句である。この5・7・5の定型では無駄な言葉は許されない。ここには臨場感や緊迫感がこめられていなければ読者の心を呼び込むことは出来ないのだ。心の襞に物事が触れた瞬間の新鮮な感動。それが俳句の最も大切な瞬間なのである。多くの俳人は物事に感動する心を忘れている。感動するって…どんなことなのか?日々の生活や日常の出来事にどれだけの感動を覚えることがあるのだろうか。考えて...感情…それが文芸である

  • 感動は『ああ』という叫びである

    山口誓子は「俳句・その作り方」において書いている。「感動が先立たねばならぬ。感動は『ああ』という叫びである。事物と出会って、思わず『ああ』と叫ぶその叫びから、俳句は生まれる。俳句の感動は事物の上にではなく、事物と事物との結合の上に成立する」。ここには『感動』がなければいくら上手い結合がなされていても、それは報告にすぎない。『寄物』の心がなされていても『感動』の心が伝わらなければ俳句作品にはならない。それゆえに『寄物陳思』を誓子は諭している。私達は日々の多忙に追い回されて、物事に接し、物事を心に取り入れていても殆ど感動すと言う心にはなっていないのが現状ではないかとも私は思っている。よく俳句が作れない、と言う言葉を聞く。それは物事に感動することが出来なくなっている事を作者自身が心得ていないからだろうと私には思...感動は『ああ』という叫びである

  • 俳句における潜在意識とは

    心の準備と言えば、目視に際し潜在意識を発見することかもしれないと思うことが私にはある。目視とは作者の目に最初に飛び込んでくる事柄でもあるが、作者にとっては一番に興味をひくことでもある。何故興味を引くのか。その事柄は作者の体験したことや出会ったことである。ふとしたことでそれらを思い出す。新しい体験ではなく作者の思い出の中にあるもの…それを潜在意識と言う。炎天を槍のごとくに涼気すぐ飯田蛇笏第八句集「家郷の霧」より。この句は昭和29年69歳の時の句である。蛇笏は飯田龍太のお父さん。「雲母」の初代主宰者。私がこの句を知ったのは高校時代でまだ伝統俳句の全盛期であった。何が私の心に飛び込んできたのかと言えば、「槍のごとくに涼気」の比喩であった。この比喩は作者の体験に基づくもので、そこに住みつき日々体に染みついたもの。...俳句における潜在意識とは

  • 潜在意識を顕在意識に変革させた俳人…

    実感の重みと言えば、そこには必ずと言っていいほど潜在意識を内包している作者の意志が色濃くある。その潜在意識を顕在意識に変革させたのが次の句である。あやとりのエッフエル塔も冬に入る有馬朗人俳句総合誌「俳壇」2005年8月号より。作者は「天為」主宰者。元東京大学総長、元文部大臣。ここにある作者の抒情は句の発想においての思考の中に顕在意識→連想→潜在意識の心の流れがとても強くある。作者の見えている光景を、ただ単に見ているだけなれば、何の感情などは発生しないのだが、作者が興味をもつに至った見えている光景には感情が生まれる。このとき作者の心には潜在意識があっての興味が生まれる。この句の場合には「あやとり」の目視より「エッフエル塔」の発想がなされている。「あやとり」の動作により出来上がるまでの過程の中に、幼い頃お母さ...潜在意識を顕在意識に変革させた俳人…

  • 俳句の感情表現とは

    普段の日常生活の慣らされた習慣の中で物事をよく見届けるのは、よほど心の中を純白していなけば見えてはこない。物事は心には飛び込んではこないもの。俳句の感情表現は心が無で白くなけれは、本心は表には出てきにくいもの。それらは直情表現になり、全ては説明言葉になる。俳人個々の信条は私言葉になり、真実感がない作り言葉になる。内心が無色透明だからこそ、すべてを目にする俳人の心に受け入れられるのである。俳句言葉は作者自身の存在感を正面で受け止めた瞬間の純粋感である。ここには感覚としての無色透明な気持ちを感じさせてもくれる。だが、疲れた心を真っ白の心へと変革する過程で心を磨き損ねると作者自身、自分自身を見失ってしまうこともある事を考えねばならない。自分自身が純白へと抜けきれないで命を絶った俳人もいることを私は思い出していた...俳句の感情表現とは

  • 心を無色透明にしておかねばならない…俳句の心

    俳句は無心の心の在りようが作者本人に宿っていなければ、一句の受け入れは出来てはいなかったのではないかと何時も私はこれまで思ってきた。私自身の心を無色透明にしておかねばならないことは、1970年当時の時代性にあった。感情表現をする時、如何に心を無にしていることが、目視に際し大事であるかを当時の事として知る。無心の心でなければ、周辺の物事を目視しても何も感じないのである。心が汚れていれば何も感じなくなる。目視しても何も心には入ってこないのである。私の記憶に強烈に残る一句がある。空賊遠く鏡中泳ぐ平和な髪児島庸晃私の句集『風のあり』より、1970年頃だったか。よど号ハイジャック事件が起こった。その背景にあったのが魔女重信房子の存在だった。その事件をラジオの臨時ニュースで聞く。その時の句である。この時代は若者の自殺...心を無色透明にしておかねばならない…俳句の心

  • 俳句には二つの『何故』がある

    それぞれの俳句には…その句を作ろうと思った『何故』がある。上記の言葉は「青玄」主宰、伊丹三樹彦が私に語った言葉である。この言葉は私が社会へ飛び出した20代前期の頃である。現実社会の中で、その現実についてゆけず悩んでいた趣旨の句に対しての時の文言であった。それぞれの俳句に含まれる『何故』とは何なのか。どうして「何故」が『何故』を生むのか。白寿を前にして亡くなった伊丹三樹彦が残してくれた文言に改めて深い重さを受け取っているのである。そこで俳句における『何故』を考察検証しようと思った。本来の「何故」は物事に対して疑問を感じたときに思う謎ときの言葉なのである。そしてもうひとつの『何故』はその疑問が解けたとき、納得できたときの回答のことばなのである。17音律の一句の中には常に「何故」と『何故』を表現する二つの俳句言...俳句には二つの『何故』がある

  • 俳句表現の話し言葉と書き言葉

    昭和三五年頃のことである。俳句の散文化現象である。この頃は俳句の勃興期であり、また乱立の時期でもあった。有季・無季。超季・自由律・多行形式(三行書き)とその表現においても乱立の時期である。この頃俳句を日常の感覚、感情で受け取り、その緊張感をそのまま俳句の中へ導入しようと立ち上がる俳人がいた。俳句を日常の話し言葉として捉えその緊張感の重さをもって一句としたのである。当時この俳句手法は散文の一部のように思われ歓迎されなかった。だが当時の若者には、この感情の緊張感は受け入れられる。若者には俳句の良さが浸透されてゆく。このように俳句が現代化されてゆく。自らを俳句現代派と称した。この現象は関西俳壇からであった。その存在を強烈にアピールする俳人がいた。伊丹三樹彦である。ひとりぼっちの泊灯ね寒いわお父さん伊丹三樹彦この...俳句表現の話し言葉と書き言葉

  • ヌーベルバーグ時代の俳句…ふたたび(再掲載)

    目視して物を受け取る時、その感覚は意味で受け取っているのではなかろうか、と思う時がある。それらは頭で判断していると思われているのだろうか。だが、実際は情感で物を見ているのである。俳句が意味の句の表現になってしまうのは、その意味が頭の中に残ってしまっているからである。俳句は情感の支えがしっかりしていなければ、ただの言葉でしかなくなる。俳句は意味で作ってはならないのである。俳句が説明になってしまう理由でもある。私の二〇代初めの頃、映画の世界にヌーベルバーグ(新しい波)と言う新しい表現の実感直感のフランス映画が、日本の若者の心を捉えていた。その代表的映画は、「勝手にしやがれ」。ジャン=リュック・ゴダール監督。ジャン=ポール・ベルモンド主演。その映画とは町の中をただひたすらに歩いて行くだけのもの。ベルモンド主演の...ヌーベルバーグ時代の俳句…ふたたび(再掲載)

  • 俳人は一体何のために俳句を作っているのか

    昭和の句も、昭和後期に入ると、目視の心はより深く象徴的に物事を静かに鎮静させて、読者の想像を期待しているかの表現に変革する。物音は一個にひとつ秋はじめ藤田湘子句集「一個」昭和59年より。「秋はじめ」の素直な心の在りようをそのまま俳句言葉にしているのであるが、ここには偽りのない寂しさが私には迫るように心を動かせて強く響いてくるのである。その具体的事実は「物音は一個にひとつ」の言葉より理解出来た。作者は「物音」に耳を傾けて聞いているのだが、ここにも作者の真剣な心の動作の本物感がある。それは俳句言葉「一個にひとつ」なのである。つまり一個一個の動くときに発生する音を克明に心で記述しているのであろう。これから到来する秋の一抹の寂しさを物音より感じ受け取っているのです。この表現に…人間の心を感じる言葉…が強く存在。そ...俳人は一体何のために俳句を作っているのか

  • 俳句の一句が成立するまでの過程とは…再掲載

    最近になってのことだが良い句には、作者独自の思考の形があるのではないかと思うことが私には多くなってきた。そのように思うようになった根拠には、人間本来の底に棲みついている、潜在意識としての姿が心にあってその一つ一つが感情をコントロールしているのではないかと私は思う。その感情が、普段は隠され目には見えてはいないのではないかと。その心を呼び起こす行動・動作が顕在意識によって目覚め、それらの具体的な「物」が目視することにより眼前に見えてくるのだろう。その「物」の引き出しは連想を重ねて広がるのではないのか。…私なりの理論である。つまり一句が完成するには顕在意識↓連想↓潜在意識を経ているのではないかと。良い句だと思える俳句に巡り合えた瞬間の感想は顕在意識↓連想↓潜在意識を経ていることだったのではないのかとの検証を得た...俳句の一句が成立するまでの過程とは…再掲載

  • 俳句における感情とは

    私達の心には…襞(ひだ)…がある。その襞に多くの物がひっかかる。その時の感触を、私達は…感情…と呼んでいるのではないかとも私は思う。物事に共感するとそれそのものが自分自身の経験と重ね合わさる。そのことによって初めて生まれる感情…それが文芸である。藁塚に一つの強き棒さされ平原静塔総合俳句誌「俳壇」2005年8月号、時代をとらえた俳句表現特集より。作者は和歌山県出身の精神科医。その評論の中で「俳人格」を述べた俳人でもある。この句、作者は何に感動したのであろうか。実にその感動は単純である。「強き棒」の俳句言葉である。作者の心の状態が素直である。この素直な状態を成していられるのは、作者自身が純粋であるから…。この純粋になりきれているからこそ物事がよく見える。俳句の中に強く「人間性」をこめての心の在りようが「強き棒...俳句における感情とは

  • 俳句におけるパーパスとは…(再掲載)

    最近になって世の中を賑やかにする言葉がある。その言葉に私は緊張した。パーパス(存在意義)と呼ばれる言葉である。もともとは企業の人々によって生み出された言葉なのだが、大変重要なことである。その企業の存在理由を明示して社員の存在する理由を問うものであった。その社員の価値感として働く意欲を盛りあげるものでもあった。「何のために、我社は存在するのか」という問いの答えが、パーパスなのである。それでは私達文芸人は、このパーパスをどのようにとらえればいいのか、と思考する私の存在があった。何のために俳句を作っているのだろうかであると私は考える。それぞれの俳句には…その句を作ろうと思った『何故』がある。上記の言葉は「青玄」主宰、伊丹三樹彦が私に語った言葉である。この言葉は私が社会へ飛び出した20代前期の頃である。現実社会の...俳句におけるパーパスとは…(再掲載)

  • 俳句は発想力

    その感性は一句の出来具合を決めることにもなる。…それが想像力なのである。それにはアイデアの施しがいる。号令が解除されない蟻の烈堀節誉「歯車」389号より。この句には発想力の転換がある。目視力の素晴らしさも際立っているのだが、その基本になっているのが発想力である。この句での思いつきは普通の目視ではなく、作者独自の心の転換がなされている。「蟻の烈」の目視での発想が「号令」をかけられ直進しているのだろうと思う作者の目視がある。これは「蟻の烈」より「号令」へと連想を呼び起こしているのである。これが作者のアイデアなのである。そしてそれは「解除されない」ままの「号令」なのだろうと、発想の転換がされている。こういう発想の変革は、数多いる俳人の中においてもされてはいない。新しい発想の魅力は読者の想像を広げて心へ染み入る。...俳句は発想力

  • 俳句の本物とは「私」の生き方

    俳句には思想が込められていて、そこには個々人の生き方が存在する。若者はその生き方の良い部分を個人に引き付けて取り入れるもの。かっての「青玄」青春俳句が…そうであった。この若者たちの根底には個々人の若者の生き方の主張があったのだ。次のそれぞれの句を見ていただきたい。戦争ははじまりませんよ手籠にねぎ中永公子ラ・タラッと階段雪の青年待ってます坂口芙民子唇吸われるも孤独石階の白い傾斜山下幸美嫉妬が黙らすコーヒーカップの底の白諧弘子恋ふたつレモンはうまく切れません松本恭子春の宵は黒いビロード母と腕組む穂積隆文朝は思考研ぎにだ便器に座りに行く児島庸晃(照夫)これらの俳句には時代を背負った思想が力強くある。ここには日々を生きる生き抜くための時代の感覚が鋭く発信されていた。まだこの頃は(昭和40年前後)俳句には自然諷詠が...俳句の本物とは「私」の生き方

  • 言葉が機能化していなければ俳句ではない

    俳句の発想において実感の強い句は、その句自身が説明言葉のように思われてしまうが、そうではない句もある。月光にいのち死にゆくひとゝ寝る橋本多佳子句集「海燕」(昭和15年)この句は実感そのものが読者の感情をピークへ導くように作られた俳句である。何よりも句における作者のいま居る位置がはっきりと確認できることがこの句のポイント。言葉が説明言葉にはならなかった。作者がどの位置にいて、何にポイントを置いているのかは「死にゆくひとゝ寝る」の俳句言葉で表現されているので、いまそこにあることを作者は目でしっかりと見ている。ここには作者の思いは言葉としてはないが、情感は読者に繋がる。表現された言葉は機能していると言える。言葉の機能化は説明言葉にならないことだが、この句には真実感・緊張感がある。発想とは新しい思考にもとずくもの...言葉が機能化していなければ俳句ではない

  • 一般大衆の哀歓を昭和ロマンにした俳人下村槐太

    昭和は言葉の引き出しをいっぱい保持出来た時代であった。それだけに人間の心が豊かな時代であったと言えるのだろう。精神的なものが取り残され物質だけが進んだ歪んだ日本の姿。世の中に批判的な心をもって生活している人には生きるのが大変な思いをする。アウトサイダーな人間をつくっていく時代。それが今の日本の姿である。そして平成の俳句も…。昭和の俳人は心の何処かに、すこしでも持つ事の出来る楽しみを託した夢を魔法にしていたのかもしれない。昭和は未来へ向かって俳句を革新させる俳人たちでいっぱいだった。ここには生活に魔法をかける言葉で溢れていたのだ。そのずーっと昔に大正ロマンがあったように、昭和にも、それに匹敵するロマンがあった。時代は戦争と言う、とてつもない暗いイメージが思い出されるが、人の心は夢を求めて生活をしていた。私は...一般大衆の哀歓を昭和ロマンにした俳人下村槐太

  • 俳句における助詞の使い方

    助詞の中でも、いろんな要素の多い使い方をされて複雑なのが、副助詞である。代表的なものには「は、こそ、も、さえ」。普段は見慣れているのだが、俳句としてのこれらの言語は実際の場合は使うのが難しい。使い方や使う場所を誤ると単なる散文になってしまう。それはあまりにも日常語であるから…。そのような中にありながらも私の脳中に眠り続けている句がある。お訣れは夜行バスにて参ります勝又千惠子句集『夜行バス』より。句集名にもなっている俳句である。「歯車」の代表として大変な苦労をされた鈴木石夫先生の、その死去に際しての心溢れる気持ちの句である。この句の副助詞は「お訣れは」の「…は…」である。ここでのこの「…は…」は強調の心を込める気持ちとして使われている。本来は「…は…」には三つ使い方がある。他と区別する意味、繰り返しの意味、...俳句における助詞の使い方

  • 助詞は言葉に意味を肉付けする言語である

    助詞は言葉に意味を肉付けする言語である。格助詞・接続助詞・副助詞・終助詞とその使用する場所によって使い分けられる。その中で最も沢山使用されているのが格助詞。天界への各停羊雲の駅魚川圭子合同句集『阪神心景』より。この句の格助詞は「へ」。ここでの「へ」は連用修飾語であり、「へ」の後にくる言葉につながり、そのつながった言語を強調している。この句の場合は「各停」です。つまり作者の主張したい意味がここに置かれていることが読者には理解できる。俳句言葉「天界」は「へ」の使用にて「各停」を修飾していることになる。俳句そのものが説明言葉にはなってはいない。大切な作者の意思としての意味を含んでいるのです。充分な想像がイマージュできて印象が心に残る。目視で得られた俳句言葉「羊雲の駅」の感覚受け取りが無理なく心を擽る詩情へと真実...助詞は言葉に意味を肉付けする言語である

  • 現代語使用の工夫に新鮮な文体を見せた句…伊丹公子

    JR神戸線を走り更に西へ眼を向けていると海峡が。明石海峡である。明石大橋の下を大型の船舶が通過してゆく。ここは軍艦が行き来していた終戦までの海上があったのだと思う時、ある日の伊丹公子の姿を思い出していた。火のついた受話器軍艦が見える部屋公子処女句集「メキシコ貝」より。1993年9月10日、牧羊社より発行されたこの句集は俳句界にあっては画期的な出来事であった。何よりも感覚が従来の俳句感では到底表現出来得ない内容をもっていて、しかも詩情の深い内容が現実と絡みあった真実によるもので決して作り物ではない本物俳句であった点において他を許さなかったものでした。この頃関西からは前衛俳句の兆候が現れ始めていたころでした。女性俳句といえば八木三日女さん率いる「花」の全盛期であったように思います。ちなみにその作品「満開の森の...現代語使用の工夫に新鮮な文体を見せた句…伊丹公子

  • 俳句は感覚で理解する

    思考をどのようにして察知すのかと思うのだが、それは感覚である。人間には五感があるのだ。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚。そのうち俳句は視覚の部分が殆んどである。これらの部分より、俳句は感覚で理解するのである。青空に茫々と茫々とわが枯木金子兜太『現代俳句年鑑』二〇一七年版より。この句の俳句言葉の素晴らしさは「茫々と」。しかも二回使ってのリフレインである。日常でありながら、作者は日常の風景としては受け取ってはいない。日常の風景を作者自身の心象風景として感受。つまり、俳句言葉としての「茫々と」なのである。そこにはぼんやりとしてはっきりすっきり見えてはいない現実の景色なのだが、俳句言葉となると「茫々と」なのだ。このように感受することが俳句言葉なのである。ここには作者ならではの感覚があり、この身に迫ってくる厳しい寂しさ...俳句は感覚で理解する

  • 「事」俳句の正当性を示す俳人…坪内稔典

    「事」俳句とは。聞きなれない言葉かもしれない言葉。文章表現には「正述心緒」と言う方法がある。この「正述心緒」と言うのは俳句では誰も試みてはいないし斬新な短詩形の道であった。つまり、景物を媒介せず、心を直接表したものであり、作者の心の中で演出、演技されていたのだ。それが「事」俳句であった。前衛俳人阿部完市以後、多くの俳人が「正述心緒」の方向へ心を切り替えてゆく。「事」俳句の正当性を示し堂々と俳壇の王道を歩み始めるのである。その中から忽然と次の句が俳壇を賑やかにし騒がしく君臨する。三月の甘納豆のうふふふふ坪内稔典この作品、私は作者とは「青玄」時代を共にしてきただけに凄い変貌ぶりには吃驚。もともと俳句よりも愛媛県川之石高校時代は現代詩の優秀な詩人であったので、ここに表現されている一行詩的発想は理解出来ていた。こ...「事」俳句の正当性を示す俳人…坪内稔典

  • 俳句を作るのに実感は共通の認識

    俳句を作るのに実感が、どれほど大切であるのかはそれぞれの俳人の共通の認識であることは承知の事実である。しかしこの実感がなされるのにテクニックは必要としないことはあまり知られてはいない。何故ならば作者自身が受け取った感覚は素直な作者自身の情感だからである。へんな技巧を労すると実感そのものが壊れてしまい出来上がった句そのものに情感が残らないからである。そこには素直な俳句言葉がなくなっているのである。次の句を見てもらいたい。父と母正座していた敗戦日広瀬孝子「歯車」342号より。この句のどこを見ても技巧らしき工夫はない。だが作者の受け取った実感は、読者に充分に伝達されている。それも目に見えるようにその時の表情まで実感出来ている。その心を象徴する俳句言葉が実感の強さまで伴ってあり、それゆえの作者の心情まで理解出来る...俳句を作るのに実感は共通の認識

  • モンタージュ理論俳句とは

    このモンタージュ理論なるものは無声映画の時代にロシアで起こった映画表現理論だった。「戦艦ポチョムキン」の中で使用された編集理論なのである。1925年に製作・公開されたソビエト連邦のサイレント映画。映画作家セルゲイ・エイゼンシュテインに代表されるヨーロッパ型のモンタージュの中での理論。その映画シーンとは。乳母車が石段を下る場面で、その表現において、乳母車・石段・乳児と交互にスクリーン一杯にカットバックでだぶらせてゆく手法。これをモンタージュ編集とも言うのである。このそれぞれの大写しの表情が重なって緊張感の重みを目いっぱいだすものだった。ずーと後になって日仏合作映画、アラン・レネ監督「ひろしまわが恋」にも使われていた。原爆投下の広島の街の景色に、愛し合うふたりの身体がオーバーラップで重なってゆくモンタージュ編...モンタージュ理論俳句とは

  • 俳句を書き続けていることの大切さ

    そういえば俳句を長く書き続けていることの大切さと言えば、何だろうと思っていると以前に感銘を頂いた句を思い出していた。私の頭の中にまだ残っていた。草笛を吹いている間は大丈夫高橋悦子第9回現代俳句協会年度作品賞「シュトラウス晴れ」より。この句は口語発想の形式なのだが、日常語使用の口語体でのものではない。それは心の取り入れが散文化されてはいないからだろう。その根拠は、日常生活意識ではない行動に伴って表れる感情の変化が普段の行いとは異なったものとして発想されているからである。分かり易い表現をすれば心が浄化されているからなのである。その俳句言葉とは「吹いている間」。この俳句言葉は作者自身が自分自身へ向かって確認して心を浄化させている言葉なのである。ここには人間としてのあるべき生活意識態度が汚れてはいないこと、そのこ...俳句を書き続けていることの大切さ

  • 真面目に生きている自己を正す俳句言葉

    俳句の純粋性が俳句を長く作り続けてゆくことに如何に大切であるかを思わせてくれる。…だが自分自身を俳人の心として保持してゆくことの難しさは、作者本人が一番よく知っている。大変なことことなのだ。人間に生まれたことを花に告ぐ和田悟朗句集『人間率』(平成17年8月)より。この句は作者自身が自分自身に向かって素直になれる心の程を句に作したのだと私は思った。いろんな場でいろんな句を求めてきた過去に戻してもこれ程率直に自分の真心を正直に見つめた俳句を私は読んだ事はない。これぞ人間の純粋性を「花に告ぐ」だったのだ。作者本人の何時もの詩精神の発露であったのだろう。そして「花に告ぐ」の言葉はソロピース(個体)言葉へと発展する過程での自分自身の苦しみを抜けきった状態でもあったのだろう。人間本人に生まれたことへの感謝の気持ちであ...真面目に生きている自己を正す俳句言葉

  • 現実共生社会の中での心の回復…俳句は

    俳句的思考は人生共生の中で如何に生きて行ったのかを見事に実証したのが次の句である。社会生活で疲れ果て、そのことが故に生存意識への生き様を魅せる。コスモスに青空帰郷のシャッポ脱ぐ伊丹三樹彦「関西俳誌連盟年刊句集」平成元年版より。作者の故郷は兵庫県三木市。幼少時を過ごした三木市は神戸市より北へ延びるローカル線神戸電鉄が走る。電鉄三木駅で下車、今も自然の残る長閑な緑が広がる町。そこには「コスモス」畑が自然を豊かに魅せて広がる。青年時代を神戸市で仕事に専念、その後俳句界の大改革へと率先して立ち上がる。その時の伝統派俳人との強烈な抵抗阻止に耐えた俳人としての心の苦しさは如何ほどのものであったのだろう。この気持ちを察するに、「帰郷のシャッポ脱ぐ」の俳句詩語は共生の意識より自力してゆく心の浄化であり、人間再生の仕草、ま...現実共生社会の中での心の回復…俳句は

  • 俳句は一過性の共鳴であってはならない

    そもそもキャッチコピーは文芸とは何の関りもないものだった。広告の世界のことで人の気持ちを心のままに伝え、多くの大衆の心を引き込むことなのである。相手に届けたいメッセージを凝縮した言葉がキャッチコピーなのである。俳句言葉と通じ合うのは相手に届けたいメッセージの凝縮言葉だからなのであろう。だが、俳句との基本的に相違しているのは、キャッチコピーには真実感が薄くて本物の心が感じられず薄っぺらさが、言葉そのものの緊張感を弱めてしまうのである。キャッチコピー言葉には思いつきの部分から言葉を深めているので、それ以上の人の心を深めて入ってはこない。人の心への入り口で言葉の重みが止まってしまう。そのように思っても何故、句会での最高点句になるのだろう。それは一瞬の言葉の閃きにあり、強烈に目立つ言葉を俳句の中心に置き心憎い程に...俳句は一過性の共鳴であってはならない

  • わが思い出の神戸…北野坂(再掲載)

    この文書は読者の要望があり再び掲載します。神戸は坂の街である。元町より下山手通り、中山手通り、山本通りを斜めに横切るとこのあたりより坂の道に出る。更に先へと坂を上ると北野町に出る。洋風建築のテラスがまぶしく輝く。風見鶏のある館が目に届く。かって私はここへ何回も鬱を棄てに来た。はるかぜにとびのる構え風見鶏庸晃人間関係に疲れ果て現実の社会にもついて行けず、身も心もボロボロになったとき一人きりの時間を求めて佇んでいた。20代後半の青春期をこの坂道を歩くことによって心を癒していたのだった。この思い出の坂道を今ゆっくりと上り、眼前の海原を見ている。今しがたまで覆われていた霧はいつか姿を消していた。青い海が、そして坂の上に暖かくある春林が私をかっての青春へと誘う。死んでもいいなど云い合う霧笛のおおんおん芙民子坂口芙民...わが思い出の神戸…北野坂(再掲載)

  • 俳句結社「青玄」青春俳句をふりかえって

    俳句には思想が込められていて、そこには個々人の生き方が存在する。若者はその生き方の良い部分を個人に引き付けて取り入れるもの。かっての「青玄」青春俳句が…そうであった。昭和43年4月28日。全国から若者が京都に集結された。新人サークルの全国大会であった。当時の国鉄京都駅前には胸にプラカードをつけた俳句集団が闊歩し、道行く人の目を驚かせた。胸にまといついた俳句スローガンを世間へ見せつけたのだ。「俳句現代派・青玄」2メートル程もある横断幕に書き込まれた言葉に、道行く人は唖然とした。「今日までの俳句を古流と呼ぶ」…横断幕に書かれたスローガンは道行く人を吃驚させた。若者の胸より吊るされたゼッケンの言葉はその大半は伊丹三樹彦の青玄前記である。当時の国鉄京都駅前でのビラ配りを若者は必死で行なった。これまで俳句を市民に直...俳句結社「青玄」青春俳句をふりかえって

  • 固定観念もしくは固定概念を棄てる俳句の法則

    アイデアの施しが一句の成否を遂げるのに、どれほど重要であるかを考える時、ここに大切な基本があるのではないかと私が思い出してから、やっとその思考判断が出来る事柄が解ってきた。私たち俳人はずーっとこれまでの過去の引例に拘り過ぎていたのではないかと私自身も思ってきた、やはり過去の俳句作品に私自身も拘り過ぎていたようにも思う。…固定観念を棄てること。そして、一句の中に異質のものを施すこと、異質のものを組合すことが、想像力におけるアイデアを生み出す基準ではないかと思うようになった。今までに例を見ない俳句作品を作る術のように思えてきたのである。ではどうして固定観念もしくは固定概念を棄てるのかなのである。その方法として…連想…の意識を強めること。物には既に決まった意味なり意識がある。これらの持つ価値観を…連想…により別...固定観念もしくは固定概念を棄てる俳句の法則

  • 俳句には表言葉と、裏言葉があ…俳人宮川三保子

    句集「黄砂」拝受。ありがたく感謝の気持ちをこめて読ませて頂きました。一句集にするまでの、纏め上げる苦心、苦労の果てに出来上がったであろう一冊を思うと、私の心も緊張してしまいました。何よりもその一句一句は三保子さんの心を存分に尽くした句であろうと私は思って、できるだけ丁寧に読みたいと思ってしまったからです。「私」の存在の必要性が、一句の中に色濃く滲み出ている詩情をとても強く感じました。詩情といっても、実に具体的に、克明に表現されていて、それぞれが三保子さんそのもの姿として一句一句の中に表示されているのではないかと…。次の句にはそのことがよくわかりました。花合歓やわが魂を提げておく宮川三保子身の内の芯までゆるむ春の雨宮川三保子この二句には観念語は含まれていませんよね。物事を受け止めるのに観念で進めてはいません...俳句には表言葉と、裏言葉があ…俳人宮川三保子

  • 老いを見つめ続ける桂信子の一句

    常に死を見つめ、生を見つめ、老いを見つめ続ける桂信子の生前の一句。水に浮く蛾が生きていて西日さす桂信子句集「新緑」の中の句である。主宰誌「草苑」、昭和45年作である。ここには心情を素直に表出する信子がいる。見つめている対象を自分自身に引き付け、引き寄せ、身体に取り入れくぐらせる信子がいる。これほど全てを純粋に見つめる信子とは…当時私は何時も句会で見ていた信子像とはすこし違うものをこの句から感じていたのだ。細かい神経を句座においても使い頭を深々と下げて室内に入ってくる姿には謙虚な必然を感じていた。だがこの句は信子自身の身体を潜り抜けてしまった後には非情なまで突き離して見つめる信子に変身しているのではないかと思った記憶である。このことは「草苑」第11号(昭和46年1月号)の自解にも伺えるのだが、「過去・未来」...老いを見つめ続ける桂信子の一句

  • 「何故」が『何故』を生む

    それぞれの俳句に含まれる『何故』とは何なのか。どうして「何故」が『何故』を生むのか。伊丹三樹彦が白寿を前にして亡くなり、三樹彦が残してくれた文言に改めて深い重さを受け取っているのである。そこで、今回は俳句における『何故』を考察検証しようと思った。本来の「何故」は物事に対して疑問を感じたときに思う謎ときの言葉なのである。そしてもうひとつの『何故』はその疑問が解けたとき、納得できたときの回答のことばなのである。17音律の一句の中には常に「何故」と『何故』を表現する二つの俳句言葉が存在する。この「何故」にはパーパス(存在意義)があるのだ。ここには作者の存在する理由があった。この理由そのものの存在にこそ俳人としての価値観がある。杭打って一存在の谺呼ぶ伊丹三樹彦この句は青玄合同句集12(2005年11刊)に収録され...「何故」が『何故』を生む

  • 俳句…分ち書き導入前後の内外部情

    この文章は「青群」59号に掲載されたもの(令和3年12月1日発行)切株はじいんじいんとひびくなり富澤赤黄男新興俳句時代にも個人としては分ち書きは行われていた。その頃の結社やグループとしてではない。ただ言えることはそのことの程の確固たる意味はなっかたようです。その頃は一字空きまたは空けと言う呼び方のようでした。語呂合わせのように、舌に転がせていて読み、切りやすいところで切っていたようです。神野紗希さんは「切株」の句について次のように語っている。「ひろびろとした大気の中で思い切り呼吸する」ための、小さな小さな風穴なのかもしれない。この空白を抜けて、切株のひびきは、無限に広がってゆく。上記のように述べているのだが、このことは…一字の空白を置くことは、ブレス(呼吸)をするための息継ぎなのだろうとのこと。だが、この...俳句…分ち書き導入前後の内外部情

  • 「青群」六十号の秀句・青玉集より

    近くの公園で蝉が鳴き始めた。夏の始まりである。…だが現実社会は暗いニュースばかり。心の壊れてゆかない事を願った。文芸人は心を正さねばならない。いま必要なのはパーパス(存在意義)である。私達は何故俳句を作っているのか。…私は三樹彦先生の「それぞれの俳句には何故がある」を思い出していた。踏み惑う森ぜんまいの手招きに伊丹啓子この句にあるものは、都会人の汚れちまった悲しみかも。…ふと、そんな気が。「踏み惑う森」とは、都会暮らしの作者が、眩しい光りの森に入ってゆけない時なのであろうか。「踏み惑う」時の踏み入る作者の純粋さを感じる。ここには私性の強さのパーパス(存在意義)がある。作者にとっての「何故」である。この句の「何故」は「踏み惑う森」の私性の強さである。振り返る間もなく歩き続ける秋瓜生八頼子この句は人生詠嘆の句...「青群」六十号の秀句・青玉集より

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