竈の神・・・8を揚げました。白虎の話からなぜか、後継ぎのはなしになってしまったのですが・・・これ、いったんは、消そうかと思ったのですが、善嬉から、明かされる「話」にちょっと、かかわりがあるのでは?(ないかもしれないが・・・)と、思い、そのまま、書いたのです。なんで、白虎から、こういう話が出て来るのかとー出て来るような設定にもっていってしまうー我ながら不思議です。取り合えず、善嬉の「話」は、思いついている訳で・・・それを、書かないと、かかわりがあると、いう意味合いが伝わらないと思います。まあ、こういう書き方後だしじゃんけんみたいに、あとから、これを出せば勝つと、くっつけていってしまう書き方。うまくないというか。成り行き任せなので、いたしかたないというか。よく、作家さんは構想を練って、筋道をたててと、おっしゃ...変??
政(まつりごと)など、もう問わないさ、と、歌ってたのは、拓郎だったか。
安倍元首相に対して、中傷・暴言の類になると思われた記事を書いている方を読者登録から、外させてもらった。批判は、かまわないと、思っているが感情論に成ってしまっては、ちょっと、読んでるこちら側がへげる(判らない言葉だね)安倍さんのことを、賛成とか反対とかいう考え方ではない。別に、安倍さんでなくても、岸田さんでも同じ。こんな考えの大本は祭りからかもしれない。ご神体を載せて、練りまわす神輿。ここと、政(まつりごと)、同じものがあるとおもえた。なんの神さまか、本当に神様が乗って来るのかとんでもない狐狸の類かもしれない。だけど、ー信じるーそして、神輿。担ぐものが一致団結しなきゃ神輿は担げない。もっと、高度な技(投げ揚げるとか、回転させるとか・・)なんて、とんでもないことで、下手すれば、神輿が地面にたたきつけられる。こ...政(まつりごと)など、もう問わないさ、と、歌ってたのは、拓郎だったか。
ルーティーン(かな?)4で、さも、そのまま竈の神・・8を書くかのように言っておいて・・・別の記事が上がる。実は、すぐ、書き始めた。10行ほどかいたか?負けた。眠気に・・・・あれこれ、人物像や、情景(ムード)を膨らます余計なwww挿話(説明)が入るので、いっそう、眠気に負けた。善嬉の祀りは、白虎であるが・・・これは、絵・・掛け軸?のようなものを祭壇の本尊の如くに置いてある。(ことにする)で、この白虎、善嬉自ら、書いた(描いた)もの。その白虎、本物(陰陽師らは見たことがあるのだろう)とみまがうばかりの出来栄え。仏道でいう「魂入れ」?のような儀式は当然行っていると推測するが・・・(詳しく調べるどころでは無いので、勝手で書く)なぜ、このような事ができるのか?と、いうところを軽く流し書きにしようとしたが・・・負けた...負けた話
読みづらさの中ー今回思い切り()ふりがなのはいった作品に遭遇してじつによみづらく、文章の流れにいちいちはどめがかかり、ながれるように書いていきたいと思う裏側である耳で読んで心地よい作品をつぶしているように思え、ロゴ、文章の心地よさというところへの立地がいかに意識されにくいものであるのかと思わされた。これもまた憂生ができうる限り()をいれないようにする理由である。ーと、書いた。そして、今回、()を使っている場面。この通り越しが「実」(じつう)になっている法祥の心の内を気取って(けどって)澄明が竈の神と明かした。「実」(じつう)気取って(けどって)これを()を入れないと「実」ーじつー気取ってーきどってーと、読んでしまいやすい。「じつう」「けどって」共に、日本語の良いところがでてくる。「実」を「じつう」とは、読...「実」「気取る」の(読み)の話
竈の神・6竈の神・7と揚げました。書きながらミステリー(推理)小説を解きながら、書いているに似ていると思えます。矛盾がある。つじつまが合わない。それをつぶしていくともっと、奥に真相があるんじゃないか?と、思える。潰して行った末に見える。解決でなく、初めに出てきた矛盾が片付けられるともっと、大きな矛盾?疑問が見えてくる。ーわけのわからない説明だーこれから、8を書くつもりなのでここに、詳細(とは、いえないのだが)は、書けないけどもっと、大きな疑問?矛盾が見えてきて・・・はっきし、言ってもっと、ややこしいことを解決せねばならなくなってしまった。こんな調子で、最初に設定したラストにもっていけるのだろうか?なにが、みえてくるか、まずは、書くしかない。行ってくる。(8を書く投稿スレッドに)ルーティーン(かな?)4
竈の神・・・5を揚げました。揚げましたよ。確かに・・・が、内心やっちまった~~~~!!と、いう気分です。いや、すでに、法祥をだしたところから、やっちまった~~~~!!でしたが。この法祥は、以下に登場してくる人物で井戸の柊次郎・弐白蛇抄第9話(12)法祥回向せしむるかや白蛇抄第10話(43)井戸の・・・の時でも、ひょいと、白銅・ひのえ(澄明)の元にあらわれ古の柊二郎を、浮かばせる手伝いをするわけです。ひょいと、現れたわけは、法祥回向せしむるかやで、繋がってくるのですが・・・このひのえという陰陽師、ひのえ・・・「ひ」の「江」なのです。「ひ」は霊それが、河口(江)に集まると、いう・・性分をもって生まれている。ので、それを見極めた正眼により、ひのえと名付けられている。で、銀狼の中でも、***********切った...ルーティーン3
俺の胸の中の陽だまりへの、評価コメントに「文章はこういうのが今、流行っているのかなあって思いました。」と、言うのがある。実は、「こういうの」の「こう」が、さっぱり、判らず返事はスルーしてしまったような。時期的に、白蛇抄14編を、書き終えたころに書いたものです。流行りとか?そういうものがあったのか、どうか、判らないのですが初のショート・ショートだったと思います。流行っていた文体?を真似しようとしたものでないのですがしいて言えば、縦書きのワープロ環境から横書きのブログ環境に代わってきたことによりこういう、書き方がふえてきたと考えます。下に蟷螂の1章を張り付けますが、これは、縦書きで書いていた物です。ブログでは1行文字数を制限せず、キリの良いところで改行しましたが。御覧のように、1小節・1文が、ながく眼が左から...「こういうの」の「こう」
読んでくれてありがとう。fukkatumaroさま。俺の胸の中の陽だまり・読んだでごじゃるよぉ。の、足跡コメント、ありがとうございます。神戸地震に遭遇したある浮浪者がもう一度、普通?の生活を取り戻してゆく。そんな話を構想にもっていたのですが、「俺の胸の中の陽だまり」はその浮浪者が地震に遭遇するほんのちょっと前の出来事を書いてみたものです。まだ、全部を物語に出来るか、どうか、わかりませんが、いつかは、書いてみたいと思っております。憂生俺の胸の中の陽だまり投稿者:さらさら主人公の弱者の立場から来る、不安や葛藤がよく描かれていると思います。案外、本人の被害者妄想で、そこまで皆にひどく思われていないのではないかとか、警察だってそんなにひどい対応をしないのではないかなど、思わず主人公を応援したくなります。投稿者:あ...俺の胸の中の陽だまり・神戸にてに寄せて
銀狼をかきながらひとつのことが頭によぎる。それは、ある方のブログによる。よくわからないがご兄弟のことをひどくののしっている。正直、そういう「憎しみの思い」をむけてしまう相手にご兄弟がいっそうかたくなになるだけだろうと思う。そして、一方で、山の神のように呪詛をあたえてしまう。と、いうことをしているとも思える。なおさら、ご兄弟の心ははなれていくだろう。そして、ご本人は・・・。白峰大神の章ですこしだしている言葉。妹・・鼎が山童に襲われたのを見つけた白銅に父雅がいう。「憎むな。堕つるぞ」と・・・・。間違っているのは山童であるし、白銅もかまいたちをおこして、山童に制裁をあたえている。制裁を与えても、鼎にしでかされたことが元にもどるわけでなく白銅の思いをいえば、山童への「怨念」がわいてきて当然である。それを「憎むな。...銀狼、停滞していた頃
憂生の作品の中でSO2シリーズというゲームからの二次創作があります。BL仕立てなものがはいるので、ちょっと物議物ですが/笑この中でのカップル。レオンとクロード。いわゆるしょたもので、13歳と19歳だったか(早、忘れている)レオンのもともとの設定が天才科学者だったかな。これも、蛮蛇よろしく、まともにしらない。ーーレオンのうなじを這った舌がレオンの耳に・・---「憂生さん、レオンの耳は頭についてます。猫耳のような感じです。けむくじゃらです」なぬ?ーークロードとアシュトンと・・もうひとり(はや忘れ)3人で地球の裏側にでかけることになったー「憂生さん。この星は地球じゃありません。それとも、地球にいくのですか?クロードはこの星に不時着(だったか?)して、ロケットがこわれていて地球に帰れなくなってるんですけど」なにぬ...何もかも自分じゃないか
某出版社から作品の書評と出版推奨を貰ったときに二つの漢字が判らなかった。一つ目は概・・。概、出揃う。と、ある。天気概況の「がい」であるが、一言の言葉がわからず、辞書をひいた。結果。「おおむね」言われてみればなるほどと判る漢字である。もう一つは上梓。貴方の作品を上梓されたし・・。と、あるのだから、出版、発行のことと、わかるのだが、何故、上梓なのかわからない。梓2号に~~~。なんて、歌があったが・・。これとは、何の関連もなかろう。結果、辞書でひいた。梓の木の皮に文章を書く。記録を旨としたもので、人に読んでもらうための的確な手段であったようである。こういうところから多くの人に読んでもらうという出版・発行と同意語であるが、もう少しおもいいれ?その文章は価値あるものだからこそ、梓の木の皮に書き記すと言う感情が込めら...粋な言葉
又も、考え中で上手く、まとまるか判らないまま吐き出してみる。問題の言葉は「縁を切る」と、いう言葉であるが、これは、例えば放蕩息子・放蕩娘・・?などに対して「お前とは親と子でもない。縁を切る」と、いう具合に使われる場合を想定している。縁を切る。程に愛想をつかした。こういう風にうけとめていたのであるが、この縁というものを考え直してみる。息子・娘の放蕩三昧・・・。この原因が因縁と言う血によって引き起こされるものだと考えた時息子・娘の放蕩・・の原因は親子と言う縁・・・因縁によって湧き出されている。と、取れる。そうなると「縁を切る」というのはこの悪行の因縁というつながりを断ち切ってやるしかない。という、救いの法なのではないかと考えた・・・。つまり、「縁を切る」と、一般的に言われる表側の愛想尽かしの裏にあるのは、仏道...「縁を切る」
竈の神・・・3をあげましたが・・・続きが、でてこぬこと、この上も無し。朝からずっと、頭から離れない。で、竈(竃)の字をみていますと、(竃)の字など、特に、竜とか、亀とか思わせるわけです。まあ、竈の形をみても、甲羅を背負ったようにも見えます。竜宮城とかの御宮?にも見えます。で、竈かえる(あおがえる)の意味もあるのですね。じゃあ、蛙が甲羅をもったら、亀で(竃)か?と、思いたくなってくる。何を、亀に拘っているかというと玄武です。中国古代の想像上の動物。古代の中国では、東西南北の四方を青竜(せいりゅう)、白虎(びゃっこ)、朱雀(すざく)、玄武の四神がそれぞれ守護していると考え、玄武は北方に充当されていた。五行思想は北方を水と関係づけたため、玄武はまた水神ともみなされ、その姿はヘビとカメの合体像という奇怪なものであ...ルーティーン・・2
ちょっと、どういうんだろうなあ。同じタイプの人が3人↑いるということは、かんがえなおしていくべきか・・・。うん。え~~と、前世の話しな。どうも、ある人は、前世からの影響というものを考え始めて、じっさい、夢みたりその夢というのが、かなりリアルでしらべていくと、いつごろか判るという手合いのもの。この服装はペルシャのものでとか、この髪型は500年ころのものでと、いう具合にしらべあげれば、かなりのところまで判るらしい。で、その前世の悔い?とかが、やっぱ、残っているというわけな。それが、今の自分に影響を及ぼす。これは、そのとおりだとは思う。ただ、憂生が思うのは、そういう前世を見通しさせる前世の差配をうけていることがよくないと思うわけなんだ。前世の心残りを晴らしてやる。などというと、とても、すばらしいことにきこえるか...さよならを言おう
思うところあって、竈の神白蛇抄第18話書き始めました。で、思うところあって・・・なので、実は、「思うところ」と、いう「部分」しか、構想がないのです。書けば出て来る・・・と、いうパターンでちょっと、かいてみたら、起承転結の「起」の「起」部分が、すんなり出てきた。喜んでいいのやらwwwこれから、もう少し、「起」部分と「承」部分を練り込まなきゃいけない。あとは、成り行き任せ。で、書くのだが・・・設定が確立していないので、たぶん、もたつく。良い話し相手である、白銅がいるので澄明が話している間に、設定が出来上がる・・(出来上がってほしい)まあ、こういうパターンで毎度書いてきているいきあたりばったり、でたとこ勝負で頓死しないかと、いつも、不安である。と、ぐずぐず言って、書くのもいつものパターン。不安をふりはらうためか...ルーティーン
ジンクスや占い(予言)は、当たれば良いと、思う物と当たらない方が良いと、思う物がある。当たらない方が良いのは、ババヴァンガの予言英紙「DailyPost」(16日付)によると、1979年に作家のバレンティン・シドロフと面会したババ・ヴァンガは次のことを予言したという。「氷のように全てが溶ける。しかし、一箇所だけ手つかずの領域が残るだろう。それは、ウラジミールの栄光、ロシアの栄光である」「多すぎる犠牲者が出るが、誰にもロシアを止めることはできない」「ロシアが全てを取り去ってしまう。そして、ロシアは残るだけではなく、世界の覇者となる」当たれば良いと、思う物ジンクスだが、独裁者死亡説歴史的に見て独裁者には、年齢的な限界が必ず訪れる。イラクのフセイン、リビアのカダフィ、北朝鮮の金正日が死去したのは、不思議なことに...こっちの精神が腐る
さる方の作品を読みにいっていた。なかなか、読ませる表現をされていて、感心しきりだったのであるが、非常に読みづらさをかんじてしまった。文章の構成がわるいなどというのでなく、読み方を()でいれているのが、どうにもめざわりというか、文章を追いにくくしてしまっていて、途中で断念してしまった。憂生自体が小説を読むとき、読み方にあまりこだわらない。前後の文章でどういう意味かわかれば、良いと思っている。ひとつの文字にこだわるより、先先によんでいくのとその文節、文章全体にかかれていることを把握するほうがさきにたつのである。書くときもできるだけ()ルビは使用しない。あえて書くよりも、たとえば澄明をたとえにする。これをどこかで、誰かの台詞で「澄明というたかの」「と・・うみょう?」「おおよ」などという形でもっていきたいのである...読みづらさ
生徒が、亡くなったとかで、KUMINAさんが、ひどく憔悴している時に、私が、なにか、声をかけた(と、いう)その「言葉」に、励まされもう1度、指標を掴みなおした・・と、いうことだったらしい。それを、後年、「ずいぶん、身に沁みて、ありがたかった」と、告げられついでに?「なに、いったか、覚えてる?」と、尋ねられた。ー申し訳ない。一言もおぼえてないーその言葉に、たぶん、KUMINAさん、怒った(と、思える)ーなんだ。その場限りの思い付きかーと、思われたのかもしれない。自分でも、もう1度、その場面を想定して何を言うか、考えてみたがそんな「身に沁みる」だろう言葉なぞ、浮かんでこない。「身にしみそうでもない」言葉でさえ、浮かんでこない。まあ、こういう事というのは、あるんだと、思う。似たようなのが、火事場の馬鹿力たぶん、...馬鹿知恵(ひらめき?)でも何でもない
いつだったか、憂生が何故時代物を書こうとするかを分析してみたいといった。答えは簡単なきがする。多分に今の観念では語れない心理を描きたいせいだ。今の観念で何故かたれないかというと、今の人々はあまりにも、頭が良すぎる。頭が良すぎる人をモチーフに使うと設定から覆される。極端に喩えてみるが、憂生の作品に木乃伊を扱うものがある。其の木乃伊の魂が抜け出していて、そこらを徘徊しているのであるが、是を現代観念にてらしあわせると、まず科学的な証明が必要になり、抜け出た魂の居場所を言い当てる陰陽師は人心不安誘発の罪にとわれるか、虚言癖もしくは妄想癖のある異常者にされ、さらにこんな誇大妄想の人間の言葉をあっさりと信じる村人もあやしい。と、こうなってくる。沼に沈んだ斧を取りに行く女神の話しがあるが、この女神の存在を素直に信じるの...時代物を書こうとするか
友人から、「前のアルバイト先で一緒だった人が自殺した」と、連絡が入ったと・・・・。気持ち落ち込み、半分モンク。「もう、縁がきれたことなのに、なんで、わざわざ、しらせてこなけりゃいけない?」憂生冷たし。「そいつがしゃべりたかっただけだ」「妻子がいて・・・」友人はやっぱり、そのニュースに心が振られる。「あのな・・・。」憂生は自分の経験を話さざるをえない。「憂生がネットでな、ひとりの狂人に言葉を掛けた。このままじゃいけないと思ってな。だけど、そいつは首をくくった。家族が見つけて、命とりとめてな。正気に戻って、俺は死にたくない。俺は病気だったんだ。って、大泣きして・・・。結局、今も、狂ったままだよ。もうひとり、自傷癖の男がいて、そいつ、本当、優しい人間で人を責められないから自分傷つけてな。その人間が言うんだ。「本...気がつける人間
お登勢のほうがよまれていると書いたところ、名前の持つイメージも大きいのでは?といただいたのであるが・・・。そんなことを振り返ってかんがえていたんだけど・・・。憂生の作品の中で登場人物の名前というのに、けっこう、理由?説明とか、おおいなと今更思い返しております。例えば勢・・・・。乳を飲む赤子のその姿、必死に生きようと乳を飲む姿に勢がある。と、その名前がつけられ、又、コレは伊勢の勢でもあったり・・・。ひのえも江とは、色々な思いが集まるところ。澄明。コレは「とうみょう」と読み。本来は燈明とつけたかったのですが。。。。、月と日は男を月、女を日と解し、みょうと、夫婦・・・を暗に示唆します。夫婦・・・明るい月と日が燈明・・・灯をともしてその灯が受け継がれてゆくのが子供。とうみょうとうみょうとうみょう・・・みょうと。在...ネーミング
どこかで書いたとおもうが、霊現象なるもののこと。憂生はこういう霊の存在とかは、否定とか?肯定とか?そういう段階で考えていない。憂生自身は霊能力者ではないし、白蛇抄の中で政勝にいわせているが、「某は何かの力を借りて、法力をもつのは好かない。己自らの力で・・・云々」であるわけで、まあ、己自らの力なるものは、誰にでもあり、その際たるものは、実に穏便に生活していける。と、いうこと。これが、一番すごい能力だと思っている。平々凡々、変な?能力もないし、ごく普通の人。こういう風にあるのが一番すごいことだと思うんだけど、世の中の人は、その「すごさ」に気がつかず、時に、霊能力者とか、神道家とかが持っている能力をすごい。と、思うわけで、そういう風に書くと、「いや、実際私も霊に取り付かれて、払ってもらった」とか「守護霊をみても...霊現象なるもののこと
随分前の話である。パソコン画面にふと、手をかざしてみた。メール画面であったため、ほぼ画面は白。ん?オーラがみえる。薄暗闇の中で手をじっとみつめてると、オーラが見えてくるというのを聴き、ためすがめすやってみたが、だめだった。以前、黒い紙だったとおもうが、紙の上に手を置いてみたときは薄い黄緑にみえたようなきがしていた。ところが、今回は薄い紫いろ。で、例のごとく、調べてきた。菫色の光線=神性の悟り菫色(バイオレット)は可視光線の中で、最も高い周波数を持ち、非常に高尚な、霊的で宗教的な感情、思考、達成をあらわします。青と赤、熱望と不屈の精神の組み合わせが菫色には混ざり合っています。このオーラの色は進化した意識を示します。初期のキリスト教会は菫色を贖罪の日々に使って、礼拝者の思いを世俗的な心配から天上の調和へ向上さ...たまたま・・見えた
たまに、くる方ですが、なにか、わけのわからないことをいっぱい書いて意識の次元がどうので宇宙の次元とつながって、どうのこうの。え~~~い!!めんどうくさい。読むのも面倒だが、実は真理なんて、とっても簡単なものだし人を説得する文章でもない。簡単にいわれてはっと判る。こう、読みながら「うん・うん」とうなづいてしまうようなもの。ま、そんなことはどうでもいい。身近な人間さえ、まともに理解できんのに、宇宙の次元などわかるもんか。これが、低い次元にいるということなら低い次元、万歳だよ!!親の気持ち、人の気持ち、わかるようになれるほうが目下、一大事である。一大事
たまに思う。世の中金金金。何でも、金。そういうけど、自分の考え方をそだててゆく?のに、金を払うことは無い。もしも、これが金だとしたらどうだろ?誰かからすばらしい考え方を教わったとする。その考え方を頂くことを金という形に置き換えて礼に変える。こうなると、もっと、考え方と言うものを手に入れるために慎重になる。金を出した以上はむだにしたくない。金を出していい、考え方か自分の中で考える。ときおり、価値付けとしての意味あいで現実的に金を払ってもいいと思う考え方に遭遇するときがある。それほどの考え方をもって居る「あの人」はすごい。惜しげもなく自分の考えをさらすけど、いっそう、金返還性の視点でみると、「あの人」の考え方を「憂生だったら幾らで買わせてもらうだろう」と、ふと思う。発想転換
さる女性から、いくつか、感想をいただいた。この感想にぶちぎれた。いくつかの感想のことごとく、随所随所に気分を害す。どれが最初だったかおぼえてないが、たとえば、「一人称をくずさず、最後までかけてるのがすばらしい」みたいなのとか。憂生にすれば、それほめられてるとはおもえないわけで・・。よほど、かけだしの若造におもわれたか?一人称をくずさない。そんなこと、あたりまえじゃないかって。あたりまえのことを(と、いいつつ、憂生の作品は多重一人称がおおいんですが)ほめるということは、たとえば、小学生が上手に書けたよというのに「うまいねえ。一人称がくずれてないねえ」と、ほめるににている。ところが、憂生は自分を駆け出しの若造だとはおもってないから(幸せな誤解かもしれんが)なに、この、上から目線。評論家というか、出版社の審査員...わがふりなおせ
過去日記から・・・まあ、まだまだ、自分だけの観念を振りかざしている、と、思う。その観念を、しっかり、説明しきれていない。だけど、その青臭さの中にちょっと、光るものがあると思うのは、自画自賛でしかないか(爆笑*********銀狼をかきながら、追従していることのひとつが見えてくる。言葉のエネルギーが発動するというのが、言霊であるとするならば、思いのエネルギーが発動するというのが、思霊であろう。と、いう部分であるが・・・。知らずに思ったというべきか、感情にふりまわされてしまったというべきか、「マイナス」な思いが発動するということがおうおうにしてある。以前の日記でかいたことであるが、「自分を苛めるものは、人にも苛められる。自分が苛めて良いような人間など、人がいじめて当然である」と、いう極論を書いた。様々な霊現象...過去日記から・・・・
蛙という作品をあげてみました。これを書いたのは10代半ばのころで、そのころ読んでいた大江健三郎の世界観にかなり影響されていたころだったと思います。後年、その構想を元に書き直したのが現在のものです。この作品は文芸社の書評でも、テーマがなんであるかわからないと理解されにくい作品である。と、いうような言い方をされた作品でした。実際、読者さまの反応はさまざまで少年をエゴのかたまりという人もいれば逆に、このうえもなくやさしいと受け止める人もいました。多く男性のほうが、優しいという受け止め方が多く女性のほうがエゴだという捕らえ方が多かったように覚えています。作者本人は実は、少年のほうでなくほとんど何も語らない、少年のいいなりのようにさえみえる少女が誰よりも、少年を支えているという思いでみていました。金持ちの紳士に金を...「蛙」に寄せて・・・
輝♪の作品をつづけてあげた。輝の作品の中にR指定にあたるものがある。でも、憂生はこの作品を、ただのR指定じゃないとおもっている。輝のいくつかの作品の中に、恋人が亡くなったという、設定がある。実際、輝は恋人を亡くしている。HARUSAKOから、輝に名前を変えたのも作品を書き始めた頃からだとおもう。おそらく、で、あるが、恋人の名前だったのではないだろうか。同じ字かどうかは、わからないが、「あきら」と読むんだといっていた。事故で恋人を亡くし、彼女も同乗していたのかもしれない。入院していたということを聞いたことがある。その彼女が亡くなった彼氏への追慕(悲しみ)からたちあがりかけているところで憂生と知り合った。そして、彼女は作品を書き始めた。「永遠の愛」それは、まさに彼女の投影だろう。憂生は、心の中から、投影を吐き...そうおもいたい。
渦夜の文章の上手さは、おそらく、時代物調のほうが、際立っている。こっそり、続きに1編/ショートをいれたけど、こっちのPCに保存した月日をみると、/つまり、もっと以前にかかれたもの・・。16才くらいで、かいている。と、いう事になる。この年齢という事がこちらの頭から、どうしても、離れない。*************哀しくなる程痩せた体に、陽(はる)は流行りの伊達紋様のきものを羽織らせた。煙管を手に取ってみたものの、煙草を切らせていたのを思い出し、枕元へと押し戻す。手持ち無沙汰になった陽は床を出ると、からり障子戸を開け放った。正月最中の冬の夜は、人人人で、賑やかで、けれども、陽の想いは寒さで白濁した息の様うら寂しい。「陽様、そんな格好では冷えますよ。ささ、障子を閉めておくんなさい…」茶と菓子を運んで来た園(その...渦夜の作品
蛇の霊的な意味合いは大きく分けて三種類。白=「良念による情念、財産」青=「天地の調和」黒・茶=「情がらみの怨念」である。蛇が自分自身を善と悪に分けた時、大抵は青蛇と黒蛇にわかれる。さて、白蛇は通常の動物霊である蛇が、大蛇の後に冬眠を経て白い姿になるわけだが、その蛇はここで究極の選択を迫られる。もし今まで憑いていた主がいるのであれば、その主を一生護るか、それとも神社の守護にあたるかを選ばなければならないのだ。蛇は元々ギブアンドテイク思想で人に憑く為、ここで人を選ぶ事は滅多にないが、今まで憑いていた主人の方が、蛇にとって神社の守護より価値があるならば、一生憑いてくれるのである。先に述べた蛇の選択というものが存在するため、ある日突然白蛇が人に憑くことはない。白蛇を憑けている人は大抵小蛇の頃から彼にその霊が憑いて...白蛇
別名、「ポリアンナ物語」どんなことでも、喜ぶように見る。たとえば、屋根裏部屋に住まわされる事になる。「此処は、素敵。お星様と一緒に眠れるわ」待遇は悲惨。期待は叶わぬ。だけど、どんなことでも、喜んで見せる。足の悪い老紳士の悲しみにもなにかいったっけ。両方の足が悪くなってなくて良かった。こうだったかもしれない。覚えてない。問題はどういったかじゃない。そのスタイル。どう喜ぶか。観を変えるしかない。どう、喜ぶか。考える。たとえば、よく見かける。自分のbbsに嫌な事を書かれた。嫌。どう取れば嫌じゃなくなる?それをつかんだとき、問題を提起してくれた嫌。にも、感謝できる。この世の中。目に映る物は全て自分にもとがある。自分の「なにか」嫌ととるか、喜んで受け止めるか。ああ。なんか、宗教臭くさくなっちまった。*******考...少女「パレアナ」
王仁三郎は教典『霊界物語』第64巻で日ユ同祖論を論じ、「王仁はユダヤのことを悪く書いたことはない」「ユダヤは神の選民、日本は天孫民族で直系。ユダヤは三分の一は良いので三分の二は○いので、之がフリーメンソンをやってゐるのである。今の戦いは之がやってゐる。イスラエルの十二の氏族は選ばれたのや。一番いいのが日本へ来てゐるので日本民族や」「ユダヤが暫く世界を統一する。それから○○の番だ」と語る********いろいろとおもうことを書こうとおもったのであるがこの一文をウィキからコピーしようとしたときに「無条件」という思いをもったので、そのまま、貼り付けるのみにする。「無条件」
富士とは神の山の事ぞ。神の山はみな富士(二二)と云うのぞ。見晴らし台とは身を晴らす(張らす)所ぞ。身を晴らす(張らす)とは身の中を神にて張る事。臣民の身の中に一杯に神の力を張らす事ぞ。大庭(おおにわ)の富士を探して見よ。神の米(こめ・神土米)が出て来るから、それを大切にせよ。富士を開くとは心に神を満たす事ぞ。日向(ひむか)とは神を迎える事ぞ。ひむかはその使いぞ。ひむかは神の使いだから、九の道を早く開いてくれよ。早く伝えてくれよ。ひむかのお役は人の病を直して神の方へ向けさすお役ぞ。この理(みち)をよく心得て間違い無い様に伝えてくれよ。大本神兪*出口王任三郎*日月神示*岡本天明*ともに、国常立との中間に入っていると思われる存在の語り口が非常に、福井弁に似ている。双方とも福井にかかわりがない。福知山付近になると...第5帖
折口信夫によれば、河童の皿は「胞衣(エナ)」だった。「胞衣」は「胎盤」であり、これを蒙って生まれる子供には尋常成らざる力が宿っていると信じられていた。「河童」のイマージュも「小児」であり、また「水の精」。河童の異名は多くある。ガアタロ(壱岐)、カワッソウ(肥前)、カワロ(但馬)、ガタロ(播磨)、カワタロウ(畿内)、ミズシ(能登)、ガワラ・ガメ(越中)等々。そういう中で「エンコウ」と呼ぶ地方がある。出雲から長門にかけての山陰西部、および伊予・土佐の四国西方。これはたぶん「猿猴」(えんこう)、つまり猿のこと。柳田國男によれば、河童の駒引き(駿馬を河に引き込む)から駒を守るのが「猿」。「猿」も「水の精」であり「河童」に類する。--日吉のつかわしめの猿は水の良否をよく見分ける。そして最浄い水の至るのを待って、神に...鬼(無断拝借)
考えごと・・・の中の、彼女が最後に自分の作品を頼む・・と言っていた。その作品の中の一つ、いわゆる、官能小説っぽいものがあったのだが・・・ひとつ、奇妙な作品が有った。あまりの奇異さに、理解できないところがあり奇異だったところ、だけ、記憶に残っている。内容は、(おぼろげである)交通事故で彼氏が病院に搬送されその不安な状態の彼女が・・・彼氏との共通の友人だったかと、Hする。彼氏があるいは、危篤状態・・・これは、彼女の過去の現実だろう。それを、客観的(と、いいきれないが)に作品の設定に使う。話す、と、いう形ではないが作品の中で、心の鬱屈?を話す=離す/放すに思え良い兆候だと思った。だが、もうしわけないのだけど、そう考えてしまったのがいけなかったのだろう。(作品として、見たとき)ー見てしまったというべきか単純に、設...考えごと・・2
白い朝に・・の中の女医の科白。「人が狂気に陥るとき、必ず根っこに大きなきっかけ、いえ、傷があるのです。治らないほうが幸せかもしれないというのは、瞳子さんだけのことじゃないんですよ。たとえば、あなたがおっしゃったように、夫婦の行為を目撃したことがきっかけ、傷になって、瞳子さんが狂ったとするならば、このことを覚醒させたのがもとで、瞳子さんが完璧な廃人になってしまったら、瞳子さんも親ごさんをうとむでしょう。そして、そのことで今度は夫婦の間に亀裂が入り、貴方もご夫婦を憎み、瞳子さんに覚醒をもたらした自分をせめ、貴方も危うくなるのですよ。こういう危険性を持っているのですよ」********境界異常憂生中事実この中の彼女は、最初、ブロー・ザ・ウィンドを、読んで(だと思う)「お前も、死んだ人間としゃべれるのか」と、尋ね...考えごと・・・
FC2ブログ・ブログ人は1スレッド、文字数、無制限だった。これを良いことに、20万文字、12万文字・・の作品を1スレッドに投入!!しばらくすると、制限が入った。1スレッド6万文字・・・続きを読むをいれると、2スレッド12万文字。一方で、ブログ人が、なにもかも、無制限。カテゴリーも無制限。そのブログ人が、終了となり、昔・・2005年ころかに、取得していたFC2くらいしか、入れるところがなくなったのだけど・・・また、無制限に戻りカテゴリも無制限・・・(っぽい)結局、そこに納めていたのだけど・・・2015年くらいから、放置状態。で、今回、此方で、新たに書いたものを1スレッドにおさめ・・・SS~長編・書きかけと、全部掲げなおした。総数119編‥と、思う。自分の身に起きた不思議な事を解明したく一時、スピリチュアルに...FC2愛生文庫(119編)
どこかのスレッドに憂生はシャドウ部分が多いもの書きだとかいた。自分のつたなさを棚に上げて考えている。その考えとは読者様の文中に書かれていないものを読み取ってくれる読解力に支えられている物書きであること。と、そんな読者様に恵まれているありがたさということである。だが、実際、たとえば、どういう風に読解力があるかというか?どこが、シャドウか?つまり、物語にとりまぎれ、読者様も書かれていないものを読み取っていることを自覚して無いのではないかと思った。そこで、一文。先ほど挙げた物語から・・・。「明美。哲司の為にご馳走をつくろうよ・・・」明美の後姿を見つけてそういったとき、明美はないていたんだ。哲司の前で涙一つ見せず気丈に振舞った明美が肩を震わせてないていたんだ。「明美・・・」心配そうな声に明美はちょっとふきだして、...シャドウ
洩矢神(もりやしん、もれやしん)は、長野県諏訪地方を中心に信仰を集めた土着神。諏訪信仰の一翼を担う神であり、史料としては『諏訪大明神絵詞』にその存在が確認できる。ミシャグジと同一視されることもある。『諏訪大明神絵詞』などの伝承によれば洩矢神は古来諏訪地方を統べる神であった。しかし建御名方神が諏訪に侵入し争いとなると、洩矢神は鉄輪を武具として迎え撃つが、建御名方神の持つ藤の枝により鉄輪が朽ちてしまい敗北した。以後、洩矢神は諏訪地方の祭神の地位を建御名方神に譲り、その支配下に入ることとなったという。また、その名が残る洩矢神社(長野県岡谷市川岸区橋原)はこの戦いの際の洩矢神の本陣があった場所とされる。中世・近世においては建御名方神の末裔とされる諏訪氏が諏訪大社上社の大祝を務めたのに対し、洩矢神の末裔とされる守矢...洩矢神
下の本社(日沈の宮・日沉の宮、ひしずみのみや)村上天皇天暦2年勅命により祀り、上の本社(神の宮)安寧天皇13年勅命により祀られ、総称して日御碕大神宮とされた。出雲國神仏霊場20番。「日沈の宮」の名前の由来は、創建の由緒が、伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守れ」との「勅命」を受けた神社、である事による。出雲大社の「祖神(おやがみ)さま」として崇敬を集める上ノ本社「神の宮」祭神は素盞嗚尊とその娘達である三女神。下ノ本社「日沈宮」祭神は天照大神とその息子達である五神。素盞嗚尊が天照大神を見下ろしている構図になっている。「神の宮」の鎮座について、素盞嗚尊が「吾が神魂はこの葉の止まる所に住まん」と、柏の葉を投げ、占ったところ、当社背後の丘に止まったという。「日沈宮」の鎮座について、...日御碕神社
大阪。妙見さんと、北斗神剣(北極星・国常立命・金剛武人・仁王・うしとら金神・・・(スサノオとの関連)「出雲国風土記」の冒頭を飾る「国引き神話」は、綱をかけ海のむこうから土地を引き寄せ縫い合わせた国土生成の話である。長浜神社は、国引きの綱の「薗の長濱」の地に鎮座し、国引きの神「八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)」を主祭神としてお祀りしている。海のむこうの土地に綱をかけて引き寄せ大地を造られたご事跡により、綱引きの祖=スポーツ上達・不動産守護の神としてのご神徳が知られる。国引き終了の時に神は杖をたてられ、その後も杭を打って歩かれる。これが島根半島に点在する要石(かなめいし)であり、社地の妙見山にも土地鎮めの要石と子授け安産の夫婦石(めおといし)が祀られている。さらに神は石見国へも悪者退治に出かけられ...妙見信仰・・の元長浜神社
九頭龍(大神)伝承(くずりゅう(おおかみ)でんしょう)、九頭龍(大神)伝説(くずりゅう(おおかみ)でんせつ)は、日本各地に残る九頭龍(大神)に関する伝承・伝説の事である。神社が建立されることとなった事跡や奇瑞事象の、およその年代順に説明させて頂く。戸隠神社奥社本殿千葉鹿野山の九頭龍伝承千葉の鹿野山麓の鬼泪山(きなだやま)には、九頭龍という九頭の巨大な大蛇が棲みつき、村人を襲い人々を喰らっているという。村の長が都に使いをたて大蛇退治を願い出たところ、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が大蛇退治に遣わされた。村人がその恐ろしさをタケルに語ると、タケルは腰の剣を抜き「必ずこの草薙剣で大蛇を退治してみせる」と誓い、村人の案内で小川沿いの道を鬼泪山に分け入った。タケルは懸命に九頭龍を探すが一向に見つからない。疲れ果て...九頭竜伝承
『ミカサフミ』(漢字表記は三笠山紀)は、『ホツマツタヱ』と同様のヲシテ(神代文字のひとつとされる)を使い五七調の長歌体で記され、全64アヤ(章)で記述された日本の古文書である(ホツマツタヱの項参照)。現在9アヤ(章)が再発見されている。ミカサフミは景行53年8月1日、ホツマツタヱと同時にオシロワケ(景行天皇)に上呈され、その編纂は中臣氏の祖オオカシマ(クニナツ)と序文にある[1][2]。厳密には成立時期は不詳であり、ホツマツタヱと同様に確実に遡ることが可能なのは江戸時代までである。江戸時代に和仁估安聡(わにこやすとし)によって書写されたもので、現在発見されている文献は1973年に松本善之助ならびに研究者によって序文及び8アヤ(章)が再発見された。その後、龍谷大学大宮図書館において、同氏らによって溥泉(ふせ...ミカサフミ
ミシャグジ信仰は東日本の広域に渡って分布しており、主に石や樹木を依代とする神で蛇の姿をしているとも言われている。その信仰形態や神性は多様で、地域によって差異があり、その土地の神や他の神の神性が習合されている場合がある。信仰の分布域と重なる縄文時代の遺跡からミシャグジ神の御神体となっている物や依代とされている物と同じ物が出土している事等からこの信仰が縄文時代から存在していたと考えられている。諏訪地方では特に諏訪の蛇神であるソソウ神と習合されたためか白蛇の姿をしているともいわれており、建御名方神や洩矢神(モレヤ神)と同一視されることもある。また御社宮司、御左口など多くの漢字があてられる。この神を祀っていた守屋神社(もりやじんじゃ)では、神官に憑依して宣託を下す神とされた。また1年毎に八歳の男児が神を降ろす神官...ミシャグジ
王仁三郎氏の『霊界物語』には太古の歴史において「国常立之大神の神政は最初トルコのエルズレムであったものの、ヤマタオロチ、金毛九尾の狐が神人に憑依し、次第に神政も乱れて、遂には地球の東北にあたる日本に押し込められてしまった」という事が描かれています。1960年にメソポタミヤの、シュメール文明の首都ウルの遺跡から発見された粘土版の中から、古代の楽譜が発見されましたが、カルフォルニア大学のアンネ・D・キルマー女史は、それを現代の五線譜に再現する事に成功し、その再現された音楽を、評論家の岩田明氏がテープにダビングする機会がありました。私はこの古代のメロディを聴いた時に、初めて聴くにしては妙に懐かしいものを感じた。・・・(中略)・・・もしかしたら日本の古い音楽と関係があるのかもしれない。そう思った私は、このテープを...シュメール文明(無断借用
鶏頭なるとも牛尾なるなかれ・・・の中で―師事するーと、こっちにいってくるということは、自分の師事したい部分がこっちが目指してることに合致しない場合はこちらの目指していることに改めるという覚悟も含まれる。と、書いたが・・・別の場所でも、小説?をかく時、自分の移し身(現身)がはいるのは、当たり前。とも、書いた。ウィキによれば個人が持つ哲学的概念や人生観などの主張を、一般大衆に、より具体的に分かりやすく表現して示す******当然、自分の移し身がはいるに決まっている。ところが、ある時、あまりにも、陳腐な設定の、本人曰く「小説」に出会ってしまった。まだまだ、若い方なのだろう。(だが、主婦っぽい感じ・・)対立する少年グループがー金持ちーの御曹司たちとー(どちらかというと)貧困家庭ーの子供たちいや~~~~学校に通える...なんらかの移し身(現身)が、入る
昨年の春だったろうか・・・うちの毛の生えたおじょうさん10歳を越したから、おばあさんかもしれない。それが、まともに動かなくなって食べなくなって・・・病院につれていったら脱水症状だけだったら、良かったのだが腎臓がひとつ、機能していない・・(むしろ、腎臓が機能していないことが引き金で、脱水症状をおこした)落ち着いてからでも、周1回は点滴が必要と告げられ1年近く点滴と3か月おきくらいに血液検査・・・2500gまでになっていた体重も3300gになり毛艶もよくなったころ自宅で点滴することになった。ところが、2か月くらいは、おじょうさんもおとなしく、点滴をしていたのだが3か月めくらいになったら動く、動く。猫用の小さい籠にいれて、点滴していたのだが向きをかえたり・・・で、点滴がはずれてしまう・・・と、いうことが度重なっ...うちの毛の生えたおじょうさんー猫とも呼ばれるー
物語を書いていく中で逃げ場をうしない性におぼれる主人公を書くときがある。このときに、おぼれている状況をそのまま書く。憂生が不器用なせいでしかない。いかに性におぼれているか、その感覚に陶酔していく事実をもちだしてこないと、「おぼれてもしかたがない」「それが逃げ場所になる」を、説得、納得させられない。このため、全体的に読んでくれたら必要な場面だから、「いやらしさなど感じず官能小説が嫌いな私にもよめました」と、いうこともあったわけだけどいつだったか、文章力があり、表現力も卓越しているぜひとも、師事させてください・・・(ほかのとごっちゃになってるかな)と、小説を書いてらっしゃる方から申し込まれた(と、いうのか?)憂生はもしも、添削をゆるされるならこてんぱてんにやっつける(自分の拙さたなあげにして/笑)人生観から物...鶏頭なるとも牛尾なるなかれ・・・
ユニコーンー実話ー(8)を、読み直していた。小説・・と、呼べるものではない。が、小説にしたてたいと、(小説と呼ぶのは、おこがましいので、物語・作品と呼ぶのが常だが)設定を換えた。著作者本人の立場をー奧さん(私)ーオーナー(事業のオーナー)を、夫にして、実際にあった事から、気が付いたことそれにより、血だまりの主が、成仏??できた。と、いう普通に読んだら、単なるオカルト?ホラーっぽい話なのだけど・・・読み直して、思う。小説には、なってない。と。人、それぞれ、「小説」という物に対してどう定義しているかは、判らないので人によっては、「小説」と、受け止めてくれているかもしれない。小説もジャンルが広い。娯楽小説恋愛小説冒険小説推理小説歴史小説・・・その他・・いっぱい、あるので、無理やり????小説と、よぶことは出来る...書き手である自分にとって、「小説」とは、なんだ?
ふと、思い出したこと。そこから思ったこと。代金後払いの生活が当たり前になっている。電気代を始めに払いはしない。オークションなどは、その類じゃないけどおおく、品物が手に入ってから金を払う。それが、いけないと、言ってるんじゃない。大事な感覚・礼儀を欠損させていた。ある方に、蔵書の1部(こちらでは、何冊か欠けていた)を譲っていただくことになった。そして、次に、用事があって、ある方のもとに訪問した時、蔵書の1部が、きちんと用意され(書庫のようなものを、別地にもっていられてそこまで行って、用意されていた)渡された。代金は、こちらの価値買いで、決めていた。それほどに、価値をみいだしていたわけだけど・・・渡されて・・・こちらは、なにも、用意していなかったし上に書いた、考え・感覚がしみついていた。ー受け取ったあとから、渡...情けないことだった
近くのおっちゃんと話してた。おっちゃん、ふと、黙り込むと憂生の顔をまじまじ覗き込む。「なんや?おっちゃん?憂生に気ぃあるんか?」は、相変わらず相手かまわずの憂生の減らずくちであるが・・・。ま、おっちゃん相手にくらべると、おばちゃん相手の時がかわいいかも?しれん。「なんやあ?てれるやろ?みつめなや・・」ま、そんな話は棚にのけといて。おっちゃんは、いいだした。「あのな、おまえ、よう、見たら・・何とか・・「ごう」ににてるな・・」「って、それ?だれやん?若林豪?」「いや、むかしな・・。あのな、仮面ライダーやっとった奴や・・・」「むちゃくちゃ、古い話ちゃうんか?」「剛・・って言う字や」「剛・・?」・・・・・・・。頭の中に浮かんだのはこの字だったか定かでないが・・・。「剛田剛か?」「だれじゃ、それ?」憂生もしばらく考...*誰かに似てる?*
昨日のことや。公彦の事務所にいった。こっちの顔見た途端、「おお、待っとたで!そこに座って待っとってくれ!」や。こら、ちょっと、またんかい!待っとったんやろ?何で、まだこっちをまたせるんや。ま、まま、ま。と、手で合図をよこしておいて、事務の姉ちゃんに「あ、濃い目の珈琲いれたってや」って、妙なところでよくきがつく。珈琲運ばれて、飲み終えても、公彦はまだ、机の前にすわったきり、なんかやっとる。あほくさ。ソファーにそのまま、寝そべる事に決めた。ごろりと身体をなげだしたら、ほんまに、ようきがつく奴や。又、姉ちゃんに向かって、ブラインド、しめてやってくれいうつもりなんや。「あ、まぶしいやろさかい・・」そこまでは良かった。「マーロン・ブラインド、しめてやって・・・」姉ちゃん、おあいそにも、笑ってくれん。たんび、其の親父...殿堂、はいりや!
ひさしぶりに、キャメルのスノーグースをてにいれて、きいている。人によっては、ポール・ギャリコの『白雁』を読んで、何らかのきっかけでキャメルのコンセプト・アルバムに手を伸ばした人もいるだろうが、憂生は友人の推薦でキャメルの『スノーグース』をきいて、はまった。そして、いまさらになって、ポール・ギャリコをしらべてみた。まず、大きく出てくるのが映画「ポセイドン・アドベンチャー」の原作者であるという事である。これに、ちょっと、驚いたが「白雁」について、言えば人間味・・ヒューマニズム・・を深くえぐってる部分があってこの部分から照らし合わせると「ポセイドン・アドベンチャー」にみられる、ヒューマニズムに頷けるものが有る。心臓の悪い老婦人が命をかけて、脱出路を捜す最後の場面でも、ドアのコック?ハンドルをあけた男は死んでゆく...ポール・ギャリコの『白雁』
なにせ、車が怖いにゃこである。最近になって、道路を横切るようになった。が、だんだん、ふてぶてしくなる。飼い主に似るというから、ここはいたし方がないが、あまり車が通らないことを良いことに道路でごろりん、ごろりん。ばか者。苦々しく思って、見ていればちょっと、近くで轢死体をみただけで、にゃこめか?と、思いクラックションが鳴るとばかめ、が、と思う。と、こっちがいいほど、修練されて、非常に迷惑である。で、あるのに、ある雨上がりの午後。日差しが差し込んできたその路上で座り込んで、動かない、にゃこめを発見。車が来れば、どくだろうとほったらかしにしていたら、クラックション・・・何度、聞いたか。あげく、近所の人が教えに来る。「お宅のねこちゃん、道路に座ったきりであぶないよ」はあ?仕方が無いので、呼んだ。腹が減っていたのだろ...猫の着眼点
相変わらず、ここでも割り箸が活躍していたのであるが、過日の夜中。むかでがあらわれ「こんばんわ」ちが~~う!!けして、そんな悠長な状況ではない。ムカデの存在に目を覚ますと、同時に、憂生はダッシュ。台所に割り箸をさがしにいく。こんなときほど、7・11の「割り箸いりますか?」に、素直にうなづいた自分をほめてやりたくなり、さらに、もらった割り箸は使わず愛用の箸を使った自分の先見の明に舌を巻くのである。ムカデを割り箸でつかむと、ガス台に持っていき、一気に火であぶり、「なんまんだぶ」これで、ゆっくり寝れるというものである。ところがあああああ。この話を会社の同僚に話した。「あほ」はい?「あほ」へっ?「あほじゃ」なんでじゃああああ?同僚いわくである。真実はわからぬ。「あのな。火でやいたり、叩きつぶしたりすると、ムカデのに...むかでがあらわれ「こんばんわ」
黒さんは無類の子供好きだ。おまけにいかつい顔してるってのに、子供もふしぎとなつく。子供がなつくくらいだから、動物も黒さんになつく。気持ちのやさしいひとだから、邪気の無い者ほどよくわかるんだろう。この黒さんが友人ところにいった。「でな。犬をかってるんだけど、1匹、獰猛なのがいるから、玄関をあけるな。俺がむかえにいくって」と、伝言をもらっていたそうだ。で、黒さん。友人とこにいってチャイムをおしたんだ。すると、むこうから、犬が3匹とんでくる。犬好きな黒さんは思わず玄関をあけて、飛んできた犬の頭をなぜてやってたそうだ。どうやら、獰猛な1匹は向こうにつないでおいてくれたらしい。黒さんの犬好きを友人もよくよくかんがえたらしい。ところが、犬の頭を順繰りになぜてやっていると、むこうから、友人が大きな声をだしながら走ってき...犬は人の本性をみぬけるのかも?
何もかもお前の誤解じゃ。そも、最初、お前が妙なことにこだわるのがおかしい。嘘をつくなら、つきとおせ。とも、いおう。自分の良心の呵責に絶えかねて事実をさらけてみせても、解決にはならん。なぜなら、そんな事はちっともこっちはきにしてないからだ。いつか、憂生は師にいわれた。投網をうとうとして、何かの風でうんわるく、投網に自分がかかってしまう。そして、もがく。その手を離せば直ぐに抜けられるのに、しっかり投網を掴んでる。今のお前はそういう状態だ。真摯なのは結構。清廉潔白も良かろう。だが、清濁あわせのませる心の広さも持たねばならぬ。自分を赦してやれ。今のお前。一人相撲だ。憂生はそんな事より、気がかりな事を5つ6つ抱え込んでおった。自分の心配ばかりしておらず、ちょいと、憂生を助けてやろう。こうおもってくれまいか?自分がど...おまえ、もっと、おおきかろう?
さるお方のブログの中の言葉ー追体験ー因縁・カルマの納所という考えににている。憂生の白蛇抄の中で、政勝は陰陽師に言われた言葉を考える。ー因縁、通り越すーと、いう言葉である。これが、わからない。そこで、櫻井に尋ねる。すると、櫻井は「貴殿の家は代々、男子ひとりしかうまれない。そこで、男子ひとりしかうまれなければ、因縁通り。もうひとり、男子が生まれれば因縁通り越した。ということではなかろうか」よく、わからないと政勝はかんがえることをやめるが城主、主繕にまつわる因縁を陰陽師が通りこさせてしまう。この話はまた、続く話で戻る話でwww因縁通り越すということを解き明かしていく。すでに蟷螂でも、この因縁通り越すを蟷螂自体がおこなっているとかんがえていいとおもう。だが、ある意味、そこで、蟷螂の因縁は納所するが、蟷螂には、先の...1霊4魂を考えてみる・・・
夜中になって、帰ってきて、うにゃうにゃ♪うにゃうにゃ♪ゴーゴーゴー♪で、餌かとおもって、文句の出てくる袋(愛猫用って、かいてあるんだよ)から、餌を掬い取って与えるものの、あいかわらずうにゃうにゃ♪うにゃうにゃ♪思わず、ゴーゴーゴー♪だけど、うにゃうにゃ、いいながら、しきりと左足・・・いや、左手をきにする。そして、なにかをうったえるかのような声色になってくる。うにゃああ~うにゃああああ~~・・ははあ、さては、とげでもさしたか?怪我か?つかまえて、手を見る。なにもなさそうだし、触っても痛がる様子も無い。おかしいな。肉球の中?爪?もっと、よく見ようと顔をよせた。その時に吾輩は猫語になったね。うにゃ?・・・・おえ!げぼ!なんちゅう臭いじゃ、こりゃ!!原因はその臭いですぐにわかった。だが、つくづく、あほじゃ、こいつ...因果関係がわからない
マア。随分前のはなしだ。最近は通り魔事件や何やかやで防犯意識が高まったせいだろうか?個人宅へ(ボランテイで、※※救援基金への援助にご協力下さい〔長い科白だぜ))と、あらわれる奴をトンとみかけなくなった。これから書こうとしてることは随分前に見かけたそのトンの奴のことである。トンの出現は、夜の8時ころだったろうか?外はすでにまっくらだった。玄関のチャイムがビンボービンボーとなるので、玄関にでてみた。ドアを開けるとそこには女の子。お決まりの文句を玄関先でいいはじめた。これがトンだ。自分の熱意を精一杯話すトンの姿はある意味好感がもてるが、居合わせたバイク野郎がすっとんできた。女の子の声にでてきたか?と、思われるだろうか?否。バイク野郎は怒りだした。「あんたな。こんな時間にボランテイア活動か?ええかげんにしろよ」突...人の懐をあてにするなよ!!
「蛙」についても、二つの出版社におくったわけだけど、1社は、短編集という形式で、何人かの作家と共同で、1冊にするというもので、「特異性があり、短編集自体にセンテンスを与えることができる」だったかな・・・。そんな言葉で、電話で出版をすすめられたせいもあり、書評?なるものはない。で、もうひとつが、文芸社のものなのだけど、どこに、かきうつしたか、わからなくなってしまっていたのを、今回、発見。ただ、こうした表現方法の場合、主人公の「僕」の心境の推移がどこまで読者に伝わりうるかは難しい所である。「僕」の狂気めいた感情の内に潜む「真実」を見抜けなければ、読者にとっては受け入れがたい作品になってしまう可能性もあるだろう。と、いう評価があったが、おおむね、その通りで、書いた本人も、なんともいえぬ、読後感(執筆感?)が残り...自分の披瀝をしてしまうものなのだ
ワルシャワ蜂起の、中ソ連の裏切りヴィスワ川対岸のプラガ地区の占領に成功したソ連軍は市街地への渡河が容易な状況にあったにもかかわらず、蜂起軍への支援をせずに傍観を決め込んだ。ソ連軍と共に東方からポーランドへ進軍しプラガ地区に到着していたジグムント・ベルリンク将軍の率いるポーランド人部隊「ポーランド第1軍団」のみが対岸の蜂起軍支援のための渡河を許され、彼らポーランド人軍団はベルリンク将軍以下必死で蜂起軍の支援をしたものの、その輸送力は充分ではなかった。ソ連軍は輸送力に余裕があったにもかかわらずポーランド第1軍団に力を貸さなかった。のちにポーランド人民共和国最後の国家指導者で1989年の新生ポーランド共和国初代大統領となったヴォイチェフ・ヤルゼルスキはこのときポーランド第1軍団の青年将校として現地におり、物資補...ワルシャワ蜂起の記事の中から・・・
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』この項目では、1944年8月にワルシャワで発生した武装蜂起について記述しています。1943年4月にワルシャワ・ゲットーで発生した武装蜂起については「ワルシャワ・ゲットー蜂起」をご覧ください。ドイツ軍に占領されたビルを銃撃する国内軍兵士ワルシャワ蜂起(-ほうき、WarsawUprising)は、第二次世界大戦中ナチス・ドイツ占領下のワルシャワで起こった武装蜂起である。経過蜂起郵便局を巡る戦いで火炎瓶攻撃を受け、撃破された軽駆逐戦車ヘッツァー。後にポーランド国内軍により捕獲・修理された。1944年6月22日から開始された、ソビエト軍によるバグラチオン作戦の成功により、ドイツ中央軍集団は壊滅し、ナチス・ドイツは敗走を重ねた。ドイツ軍は東部占領地域に再編...ワルシャワ蜂起
ワイダーの地下水道の中でも、象徴的にくりかえされるのが、ドイツ軍が毒ガスをまいた。と、いう言葉なのだが、これは、地下水道、むしろ、地下下水道の水底からわきあがる瘴気・・例えば、メタンガスとか?この毒素とドイツ兵の襲撃による、毒ガス散布が、映画を見ている側にも、どっちが、事実かわからなくなる。閉じ込められた世界というものは、ただでさえ、人の精神を侵す。死の恐怖と閉鎖世界のなか、瘴気の毒素なのか、ドイツ軍の毒ガスなのか、認識することもできず、パニックになっているとも解釈できる。それをどちらとも、取れる表現にすることで、精神的パニックを描いてるのだと思うからこの手法にのみこまれ、後半で、精神崩壊をおこす人間がでてくるわけだけど、そこへの、暗黙的了解を観客にしきつめてしまう。見事な演出構成だと思う。こういうパター...ワイダとアールーヌーボー
アンジェイ・ワイダ出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』アンジェイ・ワイダAndrzejWajda2006年、ワルシャワにて生年月日1926年3月6日(83歳)出生地スヴァウキ国籍ポーランドアンジェイ・ワイダ(ヴァイダ、波:AndrzejWajda、1926年3月6日-)はポーランドの映画監督。経歴・人物1926年、ポーランド東北部のスヴァウキで生まれる。父はポーランド軍大尉で対独戦中にカティンの森事件に巻き込まれて亡くなる。青年時代に、浮世絵をはじめとした日本美術に感銘を受け、芸術を志す。第二次世界大戦中は対独レジスタンス運動に参加した。1946年、クラクフ美術大学に進学するも、その後進路を変え、ウッチ映画大学に進学。1953年、同校を修了。1954年、『世代』にて映画監督デビュー...アンジェイ・ワイダ
昨夜・・・いや、正確にいえば、まだ、今日だ。夜中に階下におりて、冷蔵庫をあさり・・。何気なくTVをつけた・・・。番組表をみわたすと、映画があった。「地下水道」今度は番組解説をみる。アンジェイ・ワイダの映画・・灰とダイヤモンド・尼僧ヨアンナは、名前だけはしっているし、アンジェイ・ワイダの名前もどこかで、ききかじっている。何気なく・・そのまま、みていた。モノクロ映画・・1958年だったか製作。アメリカは1945年ピノキオをカラーで製作していたと思う。日本にいたっても、1954年11月3日、同年3月1日にビキニ島の核実験によっておきた第五福竜丸事件をきっかけに製作された、第1作”水爆大怪獣映画”『ゴジラ』が公開される。と、ウィキにあるが、モノクロ映画だったと思う。第二次世界大戦の終幕が、1946年。ポーランドと...アンジェイ・ワイダの映画
地下水道のなかにも、ピアニストが登場する。祖国のために、レジスタンスに加わった彼も撤退を余儀なくされ、地下水道にもぐる。ラスト近く、逃げ場をなくした彼の精神は崩壊する。ふらふらとオカリナをふきながら、地下水道をさ迷うことになる。************************************************こののち、戦場のピアニストについての記事をよむことになるわけだ。おや?と思う。原作は1946年に刊行されている。ワイダの「地下水道」は、1958年の作品だったかな?(もはや、わすれてる)ワイダは刊行された本をよんでいる可能性がある。ワイダの心にうかんだのは、100万分の1の幸運より100万分の999999の不運だろう。どんなに多くの人間が犠牲になったか・・・。幸運のほうに目がむけられてし...「地下水道」と「戦場のピアニスト」
判らないことを判ろうとする必要はない筈なのだが・・・サイドバーのほうに、掲げている憂生中事実の不思議なことの他にも実にいろいろのことがあって、ま~~~~ケチだから・・・(転んでも、ただ、起きるな)みたいに、どう考えれば良いか・・と、考えるwwwあくまでも、不思議なことがいっぱい「おきた」だけで・・・本人、霊能力者とか、そういう人じゃない。なにが、なんじゃら不思議の「そのこと」の「理由」を、知りたいwww理由というか、そこから、何を掴むか。と、いうところ。(先の投稿が、例えば、そういうことになるか)実際、能力者?の人にきいても、判らない。般若心経を書写せよ・・とか。それは、そういう物事がおきる、と、言うこと自体そういう世界(霊界とか・・)に、ちかよっているということになるだろうから一種、精神的結界をはれとい...ーなにかの思いー
なんどか、公開しようとしながら、まだ、自分の中で結論がでなかったので、下書きのままにして、考え直していた。その内容は、あるいは、ご本人にはうけいれがたいものであるかもしれない。が、憂生自体の問題として、こう捉えたということは、しっかり、書き留めておきたいのであえて、公開することにする。さる写真家の写真の炎の中に蛇が映りこんでいて、霊能力者?にみせたら、白龍神だとか?蛇神だとかいって、ありがたいとかで?????写真をもっていったとか?大事にしなさいだったか?忘れたけど、この写真をみても、どれが、そうなのか、わからず、本人に教えてもらって、ああ、たしかに、蛇が映りこんでると判ったわけだけど神社のお焚きらしく、まあ、いわゆる怪しいオカルト的な場所ではない。で、その写真をみていると「じゃえん・ゆるすまじ」と、いう...試される
驚いた。仕事にかまけて・・(良いことではある)気が付いたら、1年近くな~~んにも更新していない。おまけに、書こうと思っていたことがあったのにど忘れしている。散文調に、書き留めておきたかったのだが、いったい、なにを思っていたかはわすれはて書き留めておきたかった。という妙な情熱?の温度だけが生々しく有る。確か・・・一人の女性がなにか、まくしたてていた。それが、なにか、心のひだの奥に染みついた「あく」をすっぱり拭い去ってくれたと思う。なんという、大事な局面であろう。なのに、その「セリフ」が思い出せない。ちょうど、夢の中・・のような。夢の中でひどく得心して、何らかの鬱積がきれいにはれてどっぷり眠りにはいりこむことができたその目覚めの朝に安心感と爽快感が身をつつんでいるのになにに得心したのかを忘れ果てている。小説も...かけら
およそ、7年前だった。捨てられていた猫はペットショップの入り口の前に籠にいれられて、放置されていた。籠の中に短い手紙があった。ー事情ができ、飼えなくなりました。どうぞ、よろしくお願いしますーその当時、捨て猫は殺傷処分の対象だった。元、飼い主はその受難をさけたくて、ペットショップを頼ったのかもしれない。だが、その当時、ペットショップも保健所に猫を連れて行くしかなかった。厳しいようだが、たとえ、そのペットショップで購入した猫であっても、ー捨てられた猫ーは保健所に連れて行くしかなかった。それは、もし、ペットショップが捨てられた猫をどんどん、拾っていったら飼い主?捨て主は、平気で(言い過ぎだと思うが)ネコを捨てていくだけになる。また、ペットショップでは小さな犬・猫がいて、どういう病気を持っているかわからない猫を一...保護猫の死
おもしろい。かあ・・・。君がくれた一言は、物書きにとって、最高の賛辞だなあ/笑結局、憂生が人のものを読むときでも、よみつづけてゆく、原点ってのは、そこだもんな。ただ、ひとそれぞれの好み?によって、何をもってして、おもしろいと感じるかは、かわってくるけど、おもしろいという公意義の言葉は、たとえば、前回の空に・・・でも当てはまると思うんだな。笑う意味合いの面白さで無く、興をひくというおもしろさというのかな。この面白いという言葉だけど、ある人にこう伝えられた。人の話を聞くに其の話が、仮に自分をしかるつけることばであったら、人はえてして、面/顔を下にむけてしまう。ところが、其の言葉をために成る。自分に生かそうと受止めだすと、面/顔は上を向き、話す相手をまっすぐ見つめる。上を向けば面は相手の顔に明るくはっきりと見え...君がくれた一言は・・・
どうにも、ならない。友人のアクシデント。なかでも、亭主の暴力。憂生の所に逃げ込んできた奴もいた。首に真っ赤な紐の跡。彼女の声はしゃがれてた。それでも、それでも、憂生の友人はどいつもこいつも男が逃げ出さないかぎり・・。自分からにげだしたりしない。憂生も別れちまえとはいわない。女が人生あずけたんだ。預けるのをやめると決めるなら自分ひとりできめてほしい。むしろ。どんなつもりで、一緒になったんだ?もうすこし、がんばれ。と、渦中におくりだすだろう。それでも、渦中にとびこんで、(別れる)と、きめたなら、憂生は「それでいい」と、いうだろう。憂生はこんな奴だ。やけぼっくいならとことんもやしきってしまえという。まだ、つかみ処のあるものを抱いて生きるセンチメンタルはかっこにならない。つかむにつかめなくなった灰ならば、火鉢の灰...少し・・・
よく、犬派?猫派?って、質問をみかけるけど、このあたりの細かいことと、理由と本人の性格をしってると、妙に「鋭い」ところにふれた回答がでているのに気がつく。心理学?的には、動物を好きな理由イコール本人の良いところであるらしく、口説きのテクニックとして、そこをポイントにする。なんてのがある。猫が好き。ーどのあたりが?-個人主義で神秘的なところ・・(とかあ?)と、答えられたら、その答えた人がそれを「良し」とかんじているわけだから、ーそうかあ。君もなんか神秘的な感じがするよねえ。でも、猫みたいにちかよってくれたと思ってもすぐどこかにいっちゃうと寂しいなあーなんて具合にいかにも歯のういた例えであるが、好きな理由を上手に応用することができるようである。問題の憂生である。(え?問題にしてない?)憂生は「犬派」なのである...があああああああああ
どこかに、我慢と辛抱の違いを書いたと思うけど・・・以前にも書いていたwww********辛抱と我慢。この言葉をみていて、発想の転換というのかな。我慢と辛抱をごっちゃにしていたところがあるなって思う。いやな物事に対し我慢する。辛抱する。この言葉の辞典的意味合いはしらべていないが。万葉集の刺す竹の大宮人は・・・などからしらべていった、音と漢字の合一というのかな。刺す竹は領主などに直訴するときに、使用される文書を竹にさしたもののことをあらわすと思う。転じて、ご意見申し上げたい。忠告したい。という隠し意味につかわれている。ご意見もうしあげたいような大宮人ということになる。ところが、万葉集の漢字での音。佐須抱能とかいて、「さすだけの」と読む。佐は精神的なものの意味合い。須は清める、正しくする。抱は護る、導く。能は...辛抱と我慢
あるスピリチュアラーがブログをやめた。いや、どこかで、まだやってるのかもしれない。どうも、当初から、気にいらなかった一言があった。ー地上の皆様へーと、いう表題だったかな。こいつ、自分を神さまか、なにかとおもってるんじゃないだろうか?本人、どういうつもりで、その言葉をえらんだのかは、判らない。だが、単純、人間の憂生は、たとえていえば、キリスト教の子羊よ・・というものの言い方と同じに思えて仕方がない。で、途中ではじまったのが、「みなさま、ライトワーカーなのです」ライトワーカーとして活躍してください。みたいな、言い方があり、(これも、どうかと思うが・・ww)憂生の中で、落ち着いた女性の声があった。ーライトワーカーになるのは、ご辞退しましょうねーと、いう。この段でいくと、そのスピリチュアラーはある意味、本物だとお...晒しー憂生中事実ー
ある人に送ったメールをその人がブログにのせてくれていました。もらってきました。護るものがある。すべて、これに感謝。君の子供達に・・・ありがとう。がんばってゆけ。親が子に残せるものはそれしかないんだから・・・。頑張ってゆく、姿を渡してゆく。憂生もそれで、おふくろに幾度となく助けられた。お袋の苦労を思ったら、こんなこと、しれたもの。そうおもえるようになった。それを賜させることができる、今にするか、しないか・・・。母親ってのは、「抱く」ものだから・・・。女ってものは「抱く」ものだから・・。強くならなきゃ、抱いてやれないものだけど、子供の人生もだんなの人生も抱いている自分だとよく、覚えておいてほしい。母は大地というけど・・。量りという字の如く。日を里の上に、乗せるほどの量りは既に里という台の中に日をもっている...だから、がんばれ!
ちょっと、前から、一つの言葉が引っかかっていた。まだ、旨く、把握できてないのだけど、この時点で出してみる。「晒し」で、ある。この言葉を思うと、マズ、友禅流しを思う。冷たい川の水に染め付けた反物を晒す。余分な顔料や糊がおちる。生地に絵付けした本来の物だけが鮮やかに浮かぶのである。が、冷たい水でなければいけないと、聞いたことが在る。このことから、「晒し」が、心の「晒し」に連想を生む。己の心に染み付いた汚い物、負な物。これをとりはらおうに、取り払えない。ところが・・・。「晒す」冷たい水。これは、晒す度合いのきつさだろうか?自分はこんなろくでもない、人間でした。こんな、バカをやってしまいました。思いきって、自分を晒す。あるいは、時に心の傷。ひとには、みせたくない部分。それをおしげなく晒す。晒すことこそ、きつい。自...友禅流し
これ、すなおに、答えたら、ぶんなぐられるだろうか?だけどな・・・。まあ、たとえばだな。物書きに「恋愛小説は好きですか?」って、たずねるのと同じなんだよね。通常は「はい、好きです(嫌いです)」なんだろうけどね。物書きの場合、二手あって、自分が書く場合と自分が読む場合とがあり、で、どっちかというと、物書きという、書き手部分がさきにでてくる。「恋愛小説?よく書くよなあ・・」とか。でね、牛丼に何をかける・・・てっさああああ。ここは、調理人憂生が反応しちゃうんだよな。別に牛丼だけじゃないけど、作る側の立場でネタを読んじゃうんだ。で、答えは「手間」をかける。あ?違う?それ、トッピングじゃない?そんなことあるもんか、トッピングだろ?判ってるよ。トッピング。それも、「ひと手間」かける~~~~~~ことじゃん!!牛丼には、なにをかける?
Moo_ooMさんの記事を読んで、なにか、ひっかかる憂生が居ます。なんじゃろうと?自分でもおもうわけで。。。このブログのアドレス・・創作談義からなまえをつけたのですが、実は捜索談義ではないかいな・・・と。で、まあ、おもうままにかんがえてみようと(わからん、日本語ですな)。憂生は歴史を齧ってみるのなかで、日本語は音と意味を同時にあらわすということがあるとかいたことがあります。羅馬船(かがみふね)のこともそうですが、万葉集の刺す竹という枕言葉も直訴の手段の文を竹に刺して掲げるという実際の意味合いと刺す竹の大宮人とかかるように、刺す竹で文を渡すような高貴な方という意味と苦言を呈したい方という意味が絡まった上に万葉集の原文をみると、刺す竹の・・は「佐須太気能」と書かれています。単に音を当てはめただけの漢字だと想わ...実は捜索談義
獲加多支鹵久しぶりに、見かけた名前獲加多支鹵のワカタケル読みは正しい?-直列☆ちょこれいつ(goo.ne.jp)獲加多支鹵については、ウィキから。江田船山古墳(えたふなやまこふん)は、熊本県玉名郡和水町(旧菊水町)に所在する前方後円墳。清原(せいばる)古墳群の中で最古・最大の古墳で、日本最古の本格的記録文書である75文字の銀象嵌(ぎんぞうがん)銘をもつ大刀(鉄刀)が出土したことで著名である。国の史跡に指定されている。この古墳は、5世紀末から6世紀初頭に築造されたと推測され、墳丘長62mあり、盾形の周濠をもつ。古墳は1873年(明治6年)以降発掘され、豊富な副葬品が出土している。これらの大部分は東京国立博物館に所蔵され、1965年(昭和40年)に国宝に指定されている。古墳の周りには、短甲を着けた武人の石人が...邪馬台国を滅ぼしたのは誰?
両面宿な(漢字変換せず)の伝説とは別に位山の主は、山を7巻きする巨大な大蛇であるという。この伝説の背景に位山のピラミッドの意味と力が寓意されている。かって大地のエネルギーは竜で象徴された。つまり、位山(ピラミッド)は巨大なエネルギー体であり近くの神社は、このエネルギーを封印するものであろう。酒井勝軍によれば、(日本の)ピラミッドには、頂上付近に球形の太陽石・それを取り巻く円形(方形)列石があるという。発見?認識?されていないピラミッドまで、数にはいっていないのは、いたしかたがないとして、酒井が見つけた萱獄山位山これらをうしとら線(鬼門の方角)のラインをひいていくと、いくつかのピラミッドがかさなってくる。出口王仁三郎の言葉に「うしとらの金神がめざめるとき、世界のたてかえ、たてなおしがあるぞよ」と、預言してい...けして、アメリカのせいではない
呪縛と、言うものがある。おもしろいもので、これにひっかかると次から次から呪縛にかかっていく。特に憂生みたいに、きついことをいわれるとなめくじのように塩をかけられると、へこむ・・・。つらい、苦しいという思いからにげたくなって頭でいろいろな理屈を考える。ところが、頭というのは、かしこいものでwwwまあ、たとえば人をたすけたい・・・という気持ちの裏は助けられていない自分がいるということになるのだけどこう、エンパス能力で人の窮地がわかって話をしたりして助けたつもりになっていたりする。すると、自分が書いた物語が物事を客観的にみているので「自分の因縁がきれいになってないから、たすけてやるような事がおきる」と、書いてある。おい?!と、なって助けたつもりをずっとかんがえていくと結局、自分の状態を言わされてたんだとわかる。...ばちあたりなやつ
どこかで、和の考えはすでにスサノオからあったということをかいた。以前書いたように、日本はいろんな精神を当たり前のように会得し生活にとけこんでいた。どこかで、それが、くずれだしたか?たとえば、聖徳太子が和をもって尊しと、明文化(意識化)しないとわけがわからなくなってしまっていたから、あえて、文字にしていたと思える。今回、どこかの文書をとってきてはりつけたのにも、いくつか、認識があやふただったことを思ったから。西郷隆盛の西南の役について司馬遼太郎は最初は決起をとめたという。だが、もうわきだしてしまった血がおさまらないとわかったときあえて、自分が陣頭指揮、担ぎ出されることを選んだ。このあたりは、すでに、古代史の中の国譲りのときに大国主命によっていわれている。「私がさからったら、多くの国津神(地方豪族)もさからっ...子(根)みたま
ここ、数日、考え込んでいたことがありました。相変わらず、批判することに、なるのだろうかと迷いこんでしまっていたのです。(相変わらず、批判することに、なるのだろうか、と、いう言葉は基本、批判したことを、自分に返す。と、いう考えでいますから、批判を自分に返せる「気づき」まで、いけるか、どうか?と、いう迷いです。)でも、この意識を自分でも客観視したいという気持ちが強くなったので書いてみます。その言葉はニューチルドレンたちが、人の嫌がるような仕事にも真剣に取り組んでいるという内容だったのですが・・・。ここで、かちんときていたと思います。ニューチルドレンだから、できるというような物言いに聞こえたのです。なにか、人種が違うような考えをもっているようでエリート意識といっていいか。実際、憂生も選民意識をもっていますが自分...精度
何人か、精神障害を羅病している人とかかわってきている。この中で、回復していった人に着目する。もちろん、前に書いた「愛してくれる人が抱きしめてくれたら治る」が一番おおきな要因だと思う。で、ぽつぽつ気が付いたことがふたつ。ひとつは、4歳児からの入園。もうひとつは、蟲きり。詳しく説明しないとなんのこっちゃらだな。4歳児入園は、保育所や幼稚園にはいる年齢。なんどか、とりあげたけど、これが、よいとおもうのは、マウス実験と保育園の保育士の話から。マウス実験で、最初に母鼠のそばにいさせる。母乳で育てる。タイプと(グループ)母鼠から離す。人口哺乳にきりかえる。タイプ。(グループ)に、わける。そして、実験できるまで成長したら、負荷をあたえる実験をする。足元が水に漬かった廻し車に閉じ込めたりする。水につかりたくなくて、鼠は必...歪み
日記を書くということは、自分の整理であるところが大きい。書くことで、はっきり、自分を意識できるところもある。つい、つい、こういうことをかいたら、みっともないなとかあほじゃとおもわれるだろうとか、間違いをかいとるかもしれんとかおもうわけですが、ここは、あえて、かいてみる。すると、考えていたことが、ぱっと、頭からとりはらわれたり、逆に頭で認識していることがはっきりしたり裏側の思いにきがついたり思いか考えかもわからなかったところがあとから、よみなおすとはっきりみえてきたり。まあ、そんなんで、こいつ、あほやろとおもわれることもかく。最近、不思議だと思ったこと。僕らはもう1人じゃないと、いう歌のフレーズ。実は憂生はこの歌を歌ってる人のドラゴン・ナイトだったかな、この曲が好きでついでに歌詞をしらべたんだけど・・・その...日記を書くということは
パンパンとチョコレートを再投稿しました。この作品も15,16歳のころにかいたもので、後年、書き直したものです。下地にかんじるものは、やはり大江健三郎の戦後の少年や芽むしり仔撃ちなどにみられる閉鎖的な状況下における精神というのに感化されたところと野坂昭如の蛍の墓・アメリカひじきなどがバックにあると思います。当初にかいたものは、原稿用紙2枚程度のおおまかなあらすじ程度の文章でしたがこの中の「安心の芽にこやしをかける」という表現がきにいって書き直しのときにも採用しました。書き直しのときにクローズアップしたのは「たとえ、盗みであっても、僕らを助けるのは日本人であるべきなのだ」と、いう部分です。盗人にも三分の利というわけではないですがアメリカ兵からチョコレートをねだってしまうという心が本当の敗戦ではないかという少年...「パンパンとチョコレート」に、寄せて・・
何をうすめようとしたのか本当は良一と敬史を対峙させて、沙夜に対しての最初の出来事が敬史の先の先を見通した布石であったことをポイントにして話を進めたかったのですが、沙夜の心理?が前に出すぎたので敬史の真相を沙夜に話さざるを得なくなりました。沙夜が他の男達で何をうすめようとしたのか、このあたりがうまく説明できず、沙夜の勝手な心理を前面に出すことでなんとなく、わからないでもない追い詰められた思いとして、曖昧に表現してしまったことをお詫びします。投稿ちょっと、失敗作 あれ?終わっちゃった?って感じで読ませてもらったよ^^やっぱり最後は、ハッピーで終わって欲しいずっとそう思ってた・・いろんなことあるけど。色んなこと乗り越えて生きて欲しいと・・・そう思うのは、私のエゴかも知れないけれど。身体に気をつけてね♪投稿みゅ~...「沙夜」に寄せて・・・
どうなるんでしょう~~~?nikope( ̄ ̄ ̄ ̄ii ̄ ̄ ̄ ̄)ノこんばんにゃ小枝読んできたじょ読んだ読んだ♪どうなってゆくの~!!小枝~って叫びながら・・・w投稿者:reichon917作品へのコメントに多く反応している憂生でございまする。構想はできあがってるのですが、設定が自然にうけいれてもらうために、いろいろと、心理追従をしているのですが、これが、なかなか。小枝の状況をかんがえると、コレは、複雑です。わずかな時の中で恋を燃焼するしかない小枝を描いてゆこうとしたとき、性描写もそれなりに必要でしょう。が、その場面ばかりが繰り返されると内容がえぐくなるし、かといって、与えられた性がどんなものであったか、わからないと、小枝の感情反応も現実味がない。小枝のこの先のひとつの決断?に、あわれさをにじませてもいけない...小枝に、寄せて・・・終
。・゜((T◇T゜)゜・。ありゃぁ~~~~~こんな話しもあったんやねぇ~!めっちゃ眠かってんけど、思わず読み切ってしまったやないのぉ~・・・(Po ̄)~最後の展開はみもざも小枝のお父さんみたいに「あっ!」って思ったぁ~!良かったぁ~って思うんと、でもやっぱ不憫やしとどのつまりは、「憂生しゃん、こういう設定で書かかんといてよぉーっ!頼むから!」って、もってきようのない感情の矛先は作者へっ!みたいな・・・ヾ( ̄▽ ̄;)安心するんと同時に心配になるのはその子もカタチは違っても小枝のような人生なんじゃ・・・そう思ってしまうんは「白蛇抄」の影響やで?(笑)おやすみぃ~~~えぇ話しやったぁwあ、えぇ職場見つかるといいねっ!!////////////////////////////////////邪宗の双神・・・このあ...小枝に、寄せて・・・5
読む人の幅にドンと甘えて小枝・・・・おわり。いつも、いつも、読んでくれてありがとう。憂生の文章って、歯抜けで丁寧に説明できてないのに、いつも、皆、書かれている以上のものを受け止めてくれます。そして、思い返してみると、やっぱり、これは、皆自分の人生をしっかり歩んできているからなんだと思うのです。自分の人生の中で辛い別れもあっただろうし、人に言わずそっと、思いを送って見守ったこともあっただろうし、その逆もあっただろう・・・etc。そんな一人一人の人生経験が憂生の作品をより以上に受け止めさせてしまうんだろうな。辛いことがあったからこそ人に優しくなれる。こんな言葉があるけど、作中の人物にさえ思いをはせてゆける。作品の出来、不出来にしばらく、悩んでた憂生ですが、読む人の幅にドンと甘えて、今までどおり書かせてもらおう...小枝に、寄せて・・・4
あー。今日もまた。ついうっかり。小枝あー。今日もまた。ついうっかり。たっくさんトラバ回りしてきちゃった~♪(^O^)/投稿レガ@不良おやじ ***********目覚めるといやな気分にとらまえられている自分がいる。文治は両手で顔をこすり上げ、その「いやな気分」を追い払う。だが・・・。いやな気分・・・・。それがどこから、わいてくるものなのか、文治には、その答えは分かっている。あのにゃ!!ちょと、解説。今回小枝・・・二十四で、十つごもりの音がなくなるという意味の事をかきました。これは、ある話で子供はいくつまでだというに、「つ」がつくまでが、こどものうちで、あとは、大人になってくる。???って事を題材にしました。十は別の読み方でつなしとよみます。それは、ひとつ、ふたつ、と、かぞえていったときに、十には、「つ」が...小枝に、寄せて・・・3
わかんねえええええ!!何故じゃ?今日・・・。某投稿場所に/何箇所あるんじゃああ?/いくつか・・・作品をあげてみた。どういうわけか・・・。お登勢の五十話までを最後にあげたんだけど・・・・。小枝とか・・・ほかの作品には入ってこず、かと、思えば、もう一つ前に挙げた作品はさっと、読みにきてくれてるんだけど・・・。お登勢がぽんぽんと読まれてる。一応、此処は入っただけじゃカウントされず、最後のスレッドまで全部開いて・・。つまり全部読む・・・のに、49回、次を読むをクリックしなきゃならないし、読みもせず次々ひらいていったら、カウントされない/時間を計ってるってとこかな?/だから、結構、長い作品だけど読んでくれてるってとこなんだけど・・・。なんでじゃ?お登勢って、名前・・・。小枝より・・・惹く?コメント---------...小枝に、寄せて・・・2
とりあえず捕獲?あとで、コメント編集します。nikopeお別れが近づいてるの?小枝(;;うるうるmayumayu16小枝の続き!やっと読めた~今日は日本酒。しぼりたてという宣伝にひかれ、買ったらうまい!ちゅうことで、また、出直します。****で直し***mayumayu16さん。ブログのほうにも、コメント、ありがとう。感情移入が出来る作品に仕上がっていてくれてるのだと、おふたりのコメントを読んで、ただひたすらに感謝です。小枝という盲目の女性が生き抜いた証。それは、言いかえれば、強さです。この先、小枝の強さが恋をどんな形で成就させてゆくか。一心不乱の心を神さまが/山の神?/どうすくいとってくれるか?悲しい結末でないように、うまく、表現できれば良いと思っています。小枝の境遇ごと、掬い取る結末をうまく、かききれ...小枝に、寄せて・・・1
私がこの病院にきて、もう、3ヶ月が経つ。ココに来た当初、ここは戦地から、程遠く、前戦から、やむなく撤退してきた兵士の手当てがおもな勤務だった。なのに、今、病院は戦地ととなりあわせになりつつある。世界協定だけはまもられ、核兵器や細菌兵器などをつかわないかわりに、文字通り、戦地は肉弾戦の修羅場とかし、いつのまにか、破壊されてはいけないはずの病院も砲弾を受け建物の片側からは青空がくっきり見える有様になっている。診察室の直ぐ隣の治療室・処置室までベッドが運び込まれ、今はそこが病室になっている。患者の多くは戦地から、離脱してきた兵士ばかりだけど、みんな、傷病がいえたら、前戦に戻ることになる。その中で源次郎さんという70過ぎたおじいさんだけが一般市民ということになるんだけど、源次郎さんは政府の勧告を無視して、この地に...空に架かる橋1
ココにいるスタッフは医師が2名とあたし達看護士が3名。ほんの3ヶ月前にココに派遣される事になったんだけど、千秋だけは、志願してここにきた。と、いうのも、外科担当である露木先生がココに来ることになったせい。つまり、千秋ははためからみたら、俗にいうおっかけ・・・?っていうことになるんだろうけどあたしからみたら、非常に難解なおっかけということになるかな。と、いうのも、千秋は露木先生の「仁術」を崇拝しているのであって、下衆な色や欲はない。尊敬の一文字なのよという。尊敬だけで、うら若き乙女が戦地にちかい病院についてこれるわけがない。それはやっぱり恋愛だよと言うんだけど千秋は「崇高な師弟愛を侮辱する気?」って、むきになって怒るばかりで、やけに熱っぽい尊敬のまなざしを露木先生に向けているだけで、随分幸せそうだから、あた...空に架かる橋2
明美の事を少し話そうと思う。明美は・・・。そうだね、千秋とちがって、目下恋愛道、驀進中ってとこだね。相手?それがあたしの一番、心にひっかかること。明美の相手はこの病院の入院患者。哲司って言う名前だけど、哲司は連隊から、ココに搬送されてきた男なんだ。怪我なんかじゃないんだ。虫垂炎が腹膜炎を併発させて、担架でかつぎこまれてきて、けが人の手術ばかりだった露木先生に「いやあ。平和な病気だ。ひさしぶりだなあ」なんて、変な事を言わせちゃった人なんだ。千秋がなんだか、嬉しそうだったのはきのせいかもしれないけど・・・。その哲司と明美はいつのまにか、恋仲になっていたんだ。でも、哲司は病がいえたら、また前戦基地に戻る人。それは、ひょっとしたら、哲司との永遠の別れになるかもしれないって事。明美はいっそ、ってわらったよ。「いっそ...空に架かる橋3
そして、もう一人の医師。佐々木先生。彼はもう60歳い近い年齢だから、この病院でのポストは、院長ってことになる。スタッフが総勢5名で院長って呼ばれるのも妙だろうけど、この病院自体はかなりおおきい。食料の保管庫も薬品のストックも充分だし、手術中に停電なんてことになっても自家発電機器にリターンできる。最新設備が整っていると言う事で、この病院がバックアップ基地として、えらばれたんだけど・・・。一番おどろくことは、地下室にフォルマリン浴槽があるということかもしれない。食料・薬などの追加搬入に2週間に一度トラックがやってくる。帰りの便でこの病院の治療でおいつかないものや、もう、戦線に復帰できない人間はつれかえってもらえるんだけど、フォルマリンの中に保管?した、亡骸もそのときに一緒に連れ帰ってゆくことになる。そのフォル...空に架かる橋4
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