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  • 1969年、「マンガ・ブーム」

    1969年は個人的に高校進学もあった年なのだが、マンガ以外の本も少しは多く読むようになったと思う。マンガ関係で何冊か選ぶとすると、5月25日発行の『ぼくはマンガ家』(手塚治虫、毎日新聞社)。 これは活字の本だが、漫画家の自叙伝というのが、これまではなかったと思う。内容は個人的なことを書くというより、本人を含め戦後のマンガが目指してきたものを、論評を加えながら整理して述べた「戦後マンガ史」というべきものだった。 ぼくはマンガ家(手塚治虫) ちょうど昨年秋から小学館の『手塚治虫全集』が毎月2冊のペースで刊行されていた。「全集」の名のつく漫画本はこれまでもあるにはあったが、毎月2冊というペースから相…

  • 『ザ・クレーター、生けにえ』

    数年前から「時間SF」のことを考え始めたのは、老年を迎えたためもあるのだが、高校生のころに見たSF漫画で「いけにえ」の場面のある作品を思い出していた。古代のインカ帝国のようなところで少女が「いけにえ」になるストーリーだった。 それが気になっていたのだが、当初は、藤子不二雄の短編だと思った。 調べてみると、『ミノタウロスの皿』という短編が、それらしく、ファンの人気も高いようである。しかし短編集の本を取り寄せて読んでみると、何か違うのである。 藤子の短編は、宇宙旅行物で、宇宙の遥か遠い星での物語になっている。 その星では、牛とヒト、いわば食べられる動物と食べる動物の関係が、地球と逆になっている。牛…

  • 1968 『火の鳥』と『グランドール』

    自分史的漫画50年史(8) 1968年はCOMでは手塚治虫の『火の鳥 第2部未来編』。人類史の終局において地球の全生命が全滅してしまうストーリーなのだが、その前に、マサトとタマミの逃避行の場面が、懐かしい。手塚の同時期の連載の『グランドール』(少年ブック)にも、男女の逃避行の場面があった。 『火の鳥』では、全生命が絶滅したあとは、ふたたび単細胞生物から長い年月をかけて進化して、人類の誕生まで進んで第一部の黎明編の話に循環してゆくのは、それで良いのだが、生命の歴史の長い年月を、2度繰り返せるほど、地球の時間には余裕があるだろうかという問題がある。「やり直しが効く」というのは、敗戦を経験したあとに…

  • 『ワンダースリー(W3)』と時間SF

    「時間」とは何だろうと漠然と考えるようになって、昔のSF漫画を思い出しながら、いくつか良いSF小説(時間をテーマにしたものを「時間SF」というらしい)があれば探して読んでみようかと思っていたところ、あるとき、「日本を代表するSF作家は手塚治虫である」と、何かで読んで、なるほど、手塚のSF漫画なら今まで数多く読んできたので、何か書けるのではないかと思った。 最初に思い浮かんだSF作品は、『W3』(ワンダースリー)である。 『W3』は、老人にも受け入れやすいものだと思う。内容をふりかえってみよう。 ワンダースリー 登場人物 地球人が戦争ばかりしていることが、銀河連盟で大問題とされ、3人の調査隊を派…

  • 『望遠鏡2024』

    『望遠鏡2024』が完成し、発刊になりました。 A6判、本文96ページ。 本ブログ掲載の記事から、文章を直し、追加・削除したものが多いです。 母物についての稿は、わかりにくい部分が多かったので、かなり手直しをほどこしました。 送料とも550円。申込・お問い合わせは、メールフォーム まで。 望遠鏡2024 目次

  • 「影」12号の表紙

    昭和30年代に貸本の世界では、『影』や『街』などの短編誌ブームが起り、大阪の辰巳ヨシヒロらの短編作品によって、劇画の勃興期といわれる時代になったされる。 佐藤まさあきの自伝『劇画の星をめざして』(文藝春秋1996)を読んでいると(再読)、きっかけは松本正彦が、東京のつげ義春の『生きていた幽霊』という短編集に着目し、辰巳ヨシヒロに二人で短編集を作らないかともちかけたことが始りらしい。先輩亥格の久呂田まさみが世話を焼いて、大阪の日の丸文庫から雑誌のような形で『影』第一集が出たのが、1956年4月。 毎月1回発行されて盛り上がってゆき、10号が出た翌年2月頃、日の丸文庫は突然倒産する。若い劇画家たち…

  • 1967年の雑誌『COM』創刊

    雑誌『COM』(虫プロ商事)を手にしたのは、7月号からだった。COM(コム)は『ガロ』に対抗意識をもった手塚治虫自身が主導したものといわれるが、中学生としては、マンガも研究の対象になりうるものであることを認識するきっかけとなったと思う。[ 同じころに『ガロ』も書店で見かけたと思うが、半分が白土三平の連載で、ほかに時代小説やら時代劇マンガがあり、そういうジャンルの雑誌かと思ったかもしれない。(ただし、つげ義春が「李さん一家」や「紅い花」を発表した年ではあるが、知らなかった) そのころのCOMの掲載作品で、記憶に残るものは、次の2つ。掲載号を調べてみた。 佐藤まさあき 「猫」 1967年8~9月号…

  • つげ義春インタビュー対談集、アックス160号の安部慎一特集

    『アックス』160号(9月上旬発行予定 青林工藝舎)は、安部慎一特集であり、「『孤独未満』のころ」と題した一文を載せてもらうことになった。 その一文の内容については、購読していただくしかないが、その文中に「友人の作家・戸矢学氏」という記述がある。戸矢氏は、今年4月に筑摩書房から刊行された 『つげ義春が語る 旅と隠遁』 という「インタビュー対談集」の161ページの「直径三キロがリアリズムの素」というインタビュー記事を担当している。本の帯に印刷された「自分にとっての リアリズムは 家庭にしかないんですから……」は、このインタビューでのつげ氏の言葉である。 筑摩のインタビュー対談集は同時2冊の発行で…

  • 『懐かしのヒーローマンガ大全集』

    『懐かしのヒーローマンガ大全集』(1987)は文春の文庫漫画の第三弾。「ヒーローマンガ」とはよくわからない言葉だが、「月光仮面」や「赤胴鈴之助」など、テレビドラマになった探偵物や時代劇などが収録される。昭和30年代の別冊付録を1冊分掲載のものもあるが、多くは長編連載の一部分の掲載である。おおむね団塊世代に読まれた少年マンガであろう。 手塚治虫の『アトム大使』は完全収録である。時代は昭和20年代で最も古いが、絵はやはり一番モダンで上手い。 団塊世代の人のコメントで、「丸っこい絵」として手塚や福井英一などを一括してしまう傾向が一部にあるが、同質の絵とは思えない。昭和30年代初めに手塚の絵に最も近か…

  • 1966年 「別冊」と新書判

    自分史的漫画50年史 (6) 1966年は、新書判コミックスの元年といわれるが、蔵書リストを見ると、後年の収集本だが、66~67年の新書判は半分以上が白土三平で、他に水木しげると永島慎二。どれも貸本時代の作品がほとんどである。手塚治虫は『ロック冒険記』(コダマプレス)のみで、これは鈴木出版のB6単行本が元である。つまり、B5の雑誌サイズの原稿を、小さな新書判サイズに縮小することに漫画家たちも抵抗感があったためだろうと想像できる。手塚漫画の新書判化は翌年になっても他の漫画家よりも遅れていた。貸本出身の劇画勢にとっては有利に働いたようだ。 とはいえ中学1年生の私にはそれらを買うゆとりはなかった。そ…

  • 少年ブック 1965年9月号

    自分史的漫画50年史(5の2) 1965年に集英社の雑誌『少年ブック』9月号を買うために、本屋まで30分以上を歩いたのは、小学校6年生の夏休みのことだった。 きっかけは前年の光文社のカッパコミックス『鉄腕アトム』がだんだん飽きてきて、65年は集英社のテレビコミックス『ビッグX』を8号まで読んだところで、連載中の最新作を読みたくなったからである。付録が満載の月刊雑誌を自分で買うのは初めてのことだった。 今回、この9月号を、古本として比較的良心的な値段で入手できた。私の記憶では、この号には「マンガの描き方」の特集記事があるはずで、その内容を見てみたかったのだった。 本を開くと、「特集 きみもマンガ…

  • 『ビッグX』~戦争の傷痕と愛の物語

    自分史的漫画50年史(5)1965年 『ビッグX』は、手塚マンガとしては『鉄腕アトム』に続く2つめのアニメ化作品だった(制作は虫プロではない)。 1つめの『鉄腕アトム』は、放映開始1年後(1964年1月)から、光文社からカッパコミックス版が毎月出版され、『ビッグX』も1965年1月から集英社の「テレビコミックス」として10冊まで出版された。どちらもB5版100ページ程度の本である。 手塚作品では他に『W3』『ジャングル大帝』も小学館から同じ形式で出版されたが、この形式がブームとなり、各社から、手塚以外の多くのアニメ化作品がこぞって出版された。一部の評論などで、「絵本版」などと表現してこれらを低…

  • 『幻の貸本マンガ大全集』

    幻の貸本マンガ大全集 『幻の貸本マンガ大全集』 (文春文庫ビジュアル 1987)は、『マンガ黄金時代』(1986.6)に続く第2弾。第1弾が、ガロ・COM傑作集のようなものなので、次に「貸本漫画(劇画)」とは、面白いシリーズが現れたと、当時は思った。貸本はマイナーなものと見られているが、読者の数は多かったわけだし、読者でなかった人にとっても1冊でその分野の多数の作品を読めるのはありがたいのではないか。 劇画の初期からの作家である辰巳ヨシヒロそのほか劇画工房の面々。松本正彦の掲載の短編も読める。つげ義春は『おばけ煙突』が収録。桜井昌一は未収録だが、青林堂長井勝一との対談で参加。佐藤まさあきの中編…

  • モダニストについて少し

    手塚治虫とモダニズムについては、われながら新しい見方で面白いと思ったが、これまで日本のモダニズムなるものについて、論評などはあまり読んだことがないので、最近になって少し本をあさっている。昭和初期の日本モダニズムは、あまり思想的なものはなく、風俗重視が特徴だという通説の通り、評論類はあまり面白いものが見つからない。 自分自身の読書歴をふりかえってみると、モダニストといってもよい著者のものを好んで読んできたような気がする。たとえば、マンガや美術評論では、石子順造。石子のことを、要するにモダニストだと高野慎三氏が対談か何かで語っていた。高野氏も銅板建築の写真集を出すくらいだから、モダニスト的なところ…

  • モダニズムと手塚治虫

    手塚治虫の初期の習作のいくつかは、文庫全集の1冊で読むことができるようになった。それらを読むと、可愛らしい少年少女は登場しないことに気づく。大人たちばかりが出てくるストーリーである。女性は、羽根が生えて空を飛んだりするが、洋装の大人である。男性は、美形ではなく、中にはグロテスクな顔立ちの人物が目立つ。 それは一つの違和感であったのだが、そのとき思ったのは、日本の昭和モダニズムの「エログロナンセンス」という言葉だった。手塚治虫の基本にあるものは、昭和モダニズムではないかと思った。 晩年の作、という言い方は一般にはされないが、グロテスクを感じることがあり、好みではなくなったように思ったのだが、手塚…

  • 手塚治虫の低調期と「のっていた時期」

    ●1954~59年の低調期手塚漫画で本当に退屈でしかたなく、我慢してなんとか読み通したものが、いくつか記憶にある。「我慢して」というのは、鈴木出版発行の貴重な本を1970年頃に運良く手に入れることができたので、とにかく目を通そうと思ったからである。 作品タイトルでいううと、『スリル博士』。これは1959年の週刊少年サンデー創刊号からの連載物。 『ハリケーンZ』はその数年前の作だが、これは手塚自身が再刊したくない作品としていた。 『ケン1探偵長』などは少しはましだったが、変装シーン以外はやはり退屈だった。 この時代、1950年代中盤は、手塚治虫の低調期だったといえる。 低調の原因を考えてみると、…

  • 『マンガ黄金時代』

    『マンガ黄金時代』は、かつての『ガロ』と『COM』を主体に、1960年代後半~70年代前半の記憶に残る短編32編を750ページにまとめた文藝春秋の分厚い文庫本である。当時では、つげ忠男や鈴木翁二までが文庫本で読める画期的な本だった。一種のアンソロジーといっても良いかもしれない。 発行の1986年は昭和61年、昭和も最後のころである。個人的には、1986年の当時は、ゆっくり読む余裕のなかった時期だったが。 今回、青柳祐介の『いきぬき』を読んでみた。最初に読んだのは1967年の末で、中学2年生だったので、大学浪人の青春の話は、よくわからなかったかもしれない。センチメンタルな青春ストーリーである。青…

  • 紙芝居と広場

    紙芝居と広場 『貸本屋とマンガの棚』(高野慎三著、ちくま文庫)だったと思うが、「紙芝居の衰退の原因をテレビの影響とする説には大きな無理がある」(38p)という一文が目に入り、その前後などを読んでみた。 紙芝居とは、自転車の荷台に紙芝居の道具と駄菓子などを積んで、おじさんがやってくると、子どもたちが集まった、あの紙芝居のことである。紙芝居の衰退は、1953年ごろから急速に始まったらしい。テレビも1953年から開始された。だが、当時のテレビの普及率は微々たるものであって、テレビが紙芝居を衰えさせたという説には確かに無理がある。原因は、映画と貸本マンガのブームにあるだろうという。なるほどと、ひざを打…

  • つげ義春の『四つの犯罪』は

    つげ義春の『四つの犯罪』は、1957年の貸本マンガであるが、たいへん優れた作品である。96ページ四話の短編のオムニバス形式なのだが、先日ぱらぱらめくっていて気づいたことがある。4話のうち3話は、アパート住まいの独身男をめぐる事件だということ。このままで、、単に4話を並べるだけでは、そのことがすぐにわかってしまい、評価も下がったかもしれないのである。そこで作者は、温泉宿の宿泊客の4人が、作り話をふくむ怪談話を順番に語るという全体のストーリー構成を思いついたのではないかと思う。上手いと思う。 1話は、舞台となる古い洋館の雰囲気がモダンである。犯罪計画は、人の錯覚を利用したトリックを使って、綿密に語…

  • アトム今昔物語

    アトム今昔物語は、1967年1月から69年2月まで、サンケイ新聞に連載されたものだが、単行本化のときに100ページもカットされたとのことで(全集版も同じ)、そのノーカット版がこの「復刻版」ということになる。2000年代に出版されたものだが、取り寄せて読んでみた。新聞連載当時は、中学生として毎日読んでいた記憶がある。 物語は、2017年に太陽に突入(?)したかと思われたアトムが、イナゴ星人に救出され、その星のスカラという女性とともに地球へ戻るとき、50年前の1967年へタイムスリップしてしまう。1967年とは連載開始の年である。アトムはその時代の四畳半のアパートに暮らしたり、当時の日本の生活が懐…

  • 自分史的漫画史~1964 鉄腕アトム

    ●1964年 鉄腕アトムのテレビ放送の開始から1年になろうというころに、カッパ・コミクス『鉄腕アトム』が創刊された。 「光文社のカッパ・コミクス鉄腕アトムは日本ではじめてのコミック雑誌です」と謳われ、内容は「鉄腕アトム」の連載初期のものを収録した単行本のようでもあった。アトムの漫画が約100ページ、科学記事や、読者投稿、「アトムクラブ」などで10ページ程度である。付録にシールが付いて、定価120~130円。66年9月まで2年9か月続いたが、最初の1年余りだけでも初期の鉄腕アトムに触れて熱中できたことは好運だったと思う。 カッパ・コミクスは外見は子供向け絵本のようなところもあったが、漫画単行本の…

  • 冊子印刷での画像の解像度について

    近年、安価な冊子印刷が普及している。冊子には画像を多く使いたいが、画像の解像度はどの程度が適切かという問題である。 冊子作成の流れは、ワープロだけでも十分であり、ワープロ文書に画像を挿入しページ番号なども整えて、文書保存はPDF形式で保存し、そのPDFファイルを印刷ショップに送るだけである。ワープロでは、編集画面での画像表示は小さくても、実際の画像データは保存文書内でしっかりオリジナルサイズのままなので、巨大画像を多く使えば、ワープロの操作が重くなり、ワープロが停止してエラーになることもある。可能な限りオリジナル画像を小さくすることで、編集作業を円滑にすることができるはずである。 一般に、印刷…

  • 新年、このブログの今後

    昨年の春から始めたこのブログであるが、アクセスはいたって少なく、あまり読まれていない。別のブログでなまじ成功体験のようなものがあったので(学研ブログランキング評論部門1位)、書けばそこそこ読まれると思っていたが、甘いのだろう。 しかしこの分野(ガロ系漫画など)は、もともと一般の関心の高いものではなかったと思う。1970年代中盤以後、鈴木翁二や安部慎一の単行本は限定版で部数は1000部以下だったように記憶する。つげ義春の新作が発表され続けた『夜行』は、第1集が3000部だったという。筆者は気づかなかったが、近年のことで、北冬書房のブログというのがあったらしく、未公表のつげ義春氏の旅行写真多数が発…

  • 自分史的漫画50年史(3)1963年

    ●1963年 週刊少年キングなど 63年2月号で『日の丸』が休刊になったあと、3月か4月ごろ、叔母がまちがって『少年ブック』ではなく『少年画報』を買ってきてくれた。それでも『少年画報』の懸賞に応募すると、当選はなかったが、少年画報社から『週刊少年キング』の創刊の案内の葉書が届いた。葉書には割引券が数枚ついていて、割引券があると創刊号の定価40円が30円になるという。だが実際は予定日より1日か2日早く書店に出て、それを見た友達が、券がなくても30円だったと言った。 創刊号から何冊かは、自分の小使いで買ったと思う。4年生になってから我が家では、低額の小使い制度が始まっていた。子供用自転車を買っても…

  • 自分史的漫画50年史(2)1962年

    ●1962年~63年 子供時代の記憶について 1962年は小学3年生。ときどき集英社の『日の丸』を買ってもらったが、記憶に残るものはない。 学校の図書館から、ときどき本を借りていたと思うが、ほとんど内容を記憶していない。記憶にあるのは、3年生かは曖昧だが『ピノキオ』と『野口英世』の伝記くらいだ。 『ピノキオ』は、悪戯をすると鼻が長く伸びてしまうときの恐怖感が、記憶にある。『野口英世』も、囲炉裏に落ちて火傷を負うときの恐怖感であろう。2年生のときの手塚漫画『ナンバー7』でも記憶にあるのは恐怖の場面だった。子供時代に強く記憶に残るのは、恐怖感なのであろうか。しかし楳図かずおや古賀新一などの恐怖漫画…

  • 自分史的漫画50年史(1)1961年

    ●1961年~62年 子どものころに見た漫画の最も古い記憶は、雑誌『日の丸』に連載されていた手塚治虫の「ナンバー7」のある1ページである。小学2年生のときだった。 『日の丸』は集英社の低学年向けの少年誌であり、高学年(小学上級~中学)向けが『少年ブック』だった。 「ナンバー7」のその場面は、病室で少女が隠そうとしている脚が、無気味だった。それは彼女が宇宙人であることの証拠なのである。 「ナンバー7」とは、地球防衛隊の7番めの隊員という意味で、宇宙人の侵略から防衛する任務にあり、主人公の七郎のことである。七郎の友達のキミコには、宇宙人のスパイではないかという疑いがあった。実際に宇宙人だったのだが…

  • 万力のある本棚(つげ義春編)

    『つげ義春漫画術』は、つげ氏の全作品をふりかえってのインタビューが中心の本で、索引は特にない。そこで、話題に出た本と著者の名前を、リストアップしてみた。当時つげ氏が読んでいた本、作品のヒントになったり影響を与えたかもしれない本などの一覧ということになる。いくつかを我が家の、ミニチュアの万力のある本棚に並べてみた(★印)。 (つげ義春漫画術 上巻)122p 生きていた幽霊 江戸川乱歩「二銭銅貨」「心理試験」〔『江戸川乱歩傑作選』(新潮文庫)など〕154 ある一夜 手塚治虫『罪と罰』〔『手塚治虫漫画全集』など〕169 太宰治「ダス・ゲマイネ」〔★太宰治『走れメロス』(新潮文庫)など〕(下巻)28p…

  • つげ義春作品の探偵物的要素

    つげ義春について、短編が主ではあるが、物語やストーリー展開の「上手さ」ということは、たびたび指摘されている。『つげ義春漫画術』という長時間インタビューの本によれば、つげ氏の若い時代には、探偵小説では、横溝正史のようなおどろおどろしいものは好まず、江戸川乱歩のような構成が論理的できっちりしたものを好んだと語っている。対談相手の権藤晋氏は、つげ氏が意外に論理的で科学的な思考をする人だという再認識の弁を述べている。 つげ氏のある単行本の巻末に付いていた「自分史」を読んだとき、自身の作家活動にはあまり触れず、貧困や悲惨な話ばかりを書いたものを読んだことがあるが、時折り再読しながら思ったことは、これはつ…

  • 水木しげるの「妖怪について」というエッセイ

    あまり知られていないかもしれないが、昭和の終りのころ『民族宗教研究』という雑誌があり、創刊号は昭和55(1980)年12月1日発行、 創刊号の巻頭には、水木しげるの「妖怪について」というエッセイが掲載された。https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=146187693 肩書は「劇画家」になっている。エッセイの内容は、水木氏があちこちで語っているようなことなのだが、珍しい雑誌なので、1ページ分だけご紹介。

  • 「母もの」と継子物語

    『寺山修司対談集 浪漫時代』(河出文庫)の中に、「母」と題する石子順造との対談がある。石子氏の晩年の『子守唄はなぜ哀しいか』(1976)が出た直後のものだろう。「母もの」といわれる映画や文芸をめぐっての内容である。「母もの」についての辞典的な説明はここでは略す(映画でいえば『瞼の母』に代表されるもののことである)。 石子氏によると、母もの作品は明治30年以後に現れ、社会の近代化の過程で、西洋型の神をもたなかった日本人が、自立よりも孤立へ向かったしまった結果ではないかという。なるほど、西洋では絶対神があり悪であるサタンは排除すれば済んだようなところがあるが、日本には八百万の神があり、貧乏神もあれ…

  • 手塚治虫について

    手塚治虫について、代表的な作品を10~20程度選んでみるのも一興かと思い、作品を思い出してみると、昭和20年代の単行本では『化石島』と『罪と罰』が良いと思う。どちらも20年代後半(1950年代前半)の作品で、手塚人気は20年代前半からすごかったらしいが、今読んで面白いのはこの2つだろう。『化石島』は新書判ブームのときに復刻され、『罪と罰』は同じころCOMの付録として復刻された。単行本時代の作が新書判で復刻されたのは『化石島』だけだと思う。 1950年代後半の雑誌連載物としては、『ロック冒険記』と『アトム大使』で、どちらも手塚らしいスケールの大きいSF物で、異人類・異文明との交流やペシミズムが基…

  • つげ義春大全 別巻1

    『つげ義春大全 別巻1 (随筆)夢日記 僕の漫画作法』(講談社) 発行は2021年2月。帯裏に「つげ義春大全 堂々完結」と書かれる。大全のうち初期作品のカラーのものを何冊か揃えていたが、そろそろ完結したのではと思って調べてみると、とっくに完結していたわけだ。 内容については、エッセイなどをまとめた本であり、これまでにない詳細な「年譜」があり、『COMICばく』の毎回のあとがきなどもまとめて読める、そのほか単行本未収録のものも多いのではなかろうか。 『ばく』7号のから文には、「今月の『ばく』の発売日が四十八歳の誕生日。」と書かれる。ばく7の発行日は1985年12月、発売日は10月30日だったこと…

  • ストリートビューで「つげ義春」を旅する

    『つげ義春を旅する』(高野慎三著、ちくま文庫)は、つげ作品の舞台となった地を訪ね歩いた本である。 『池袋百点会』という短編に登場する錦糸町の「ランボウ」という喫茶店は、実際は「ぶるぼん」という名で、1960年前後のころに作者が毎日通った店らしい。 そこでグーグルのストリートビューで探してみた。錦糸町駅から北へ進み太平4丁目交差点を(蔵前橋通りを)渡ろうとして左方向を向いたら見えたという。交差点より左(西)、通りの南端のようだが、見つからなかった。 本の初版の1997年ごろは、あったらしく、その十数年前(80年代?)につげ氏が近くへ寄ったときに見つけて「まだあったのでびっくりした」とのことで、9…

  • 石子順造的世界

    『石子順造的世界』(美術出版社 2011)は、著作では知りえない氏の横顔などが見えて興味深い。『漫画主義』の同人3人(高野慎三、山根貞男、梶井純)による座談会では、石子氏の思想の"ルーツ"ないし思想形成過程などに話が及んでいる。 だが、氏に強く影響を及ぼした人物というのは特になさそうだとのこと。独学ということなのだろう。 学生時代から大変な読書家だったようで、氏の学生時代の話がある。 「東大の経済学部でマルクス経済学をやって、それは共感したんだと思う」(高野)。しかしそれは必ずしも政治的なものというより、「まさに理論としてのマルクス主義に傾倒したのかもしれない」「資本論における分析がすぐれてる…

  • 石子順造を読む

    久しぶりに、石子順造氏の本を取り寄せて読んだ。 『マンガ/キッチュ 石子順造サブカルチャー論集成』小学館クリエイティブ 2011年発行「単行本未収録」の小論などを集成した本である。 氏の生前の「単行本」は、共著をふくめて15冊ほどだが、その全部を読了したもので、今も蔵書にある。全部ということは、一種の「ファン」ということになるのだろう。氏が亡くなった年もはっきり記憶にあり、1977年だった。 さて、本をぱらぱらとめくって拾い読み。「存在論的アンチ・マンガ」とか「アクチュアリティ」とか、今はあまり使うことのなくなった言葉にふれるのは、懐かしい。他にも時代を感じさせる用語が少しあるので、再版して大…

  • アトムの子世代 の続き

    アトムの子世代といえば、1953年前後の生れ。1953年生れの有名人といえば、大相撲の世界で、若手のホープ時代に「花のニッパチ組」と呼ばれて注目された力士たちがいて、(ニッパチとは昭和28年生れから)、横綱となった北の海や二代目若乃花などがいた。 芸能人は広くは知らないが、二人の女性が思い当たる。 吉田美奈子。『夢で逢えたら』という人気曲があり、シングル盤で発売すれば大ヒット間違いなしといわれたが、シングル盤の発売は拒否したという。自分の目ざしてきた音楽とは異なる傾向のものが代表曲にされるのは不本意だから、という理由だと聞いた。この世代らしいのではないかと思う。 寿ひづる。1954年の早生れ。…

  • 「アトムの子」世代とUターン現象

    団塊世代に続く1950年代前半生れは、シラケ世代の名で呼ばれてきた。シラケという言葉にマイナス感があるなら、代替案はどうだろう。 ヒット曲というほどではないかもしれないが、1953年生れの山下達郎の曲に『アトムの子』というのがある。「大人になっても、ぼくらはアトムの子供さ」という歌詞で、平和や弱者を助けたり夢を追うことを歌う歌詞である。 アトムとは、手塚治虫の連載漫画としては、1951年の『アトム大使』、1953年からの『鉄腕アトム』の主人公のロボットのことである。『鉄腕アトム』は作者晩年の1980年代にもアニメ化され、昭和の戦後の子供漫画のスターであり、「アトムの子」とは広義には戦後生れのこ…

  • シラケ世代と世代論(1)

    世代論について書き始めて、中断してしまったのだが、再開しなければならない。 とりあえず、『世代論の教科書』(阪本節朗著)という本をぱらぱらめくってみた。次のように分類されていた。 団塊世代 47-51 (5年) ポパイJJ世代 52-60 (9年) 新人類世代 61-65 (5年) バブル世代 66-70 (5年) (以下略) 「ポパイJJ世代」という見慣れぬ言葉が使われている。こうした特定の雑誌名=商品名を冠した新造語が、今さら定着してゆくとは考えにくい。ましてポパイは1976年創刊、1953年生れが大学を卒業した後にできた雑誌である。JJも月刊誌となって定着したのはポパイより更に遅い。この…

  • 菊地信義の『装幀の本』

    菊地信義氏は本の装幀でおなじみの人だが、『装幀の本』(リブロポート1989年4月)という本がある。その年は平成元年なので、内容は昭和時代の(菊地氏にとっては初期の)本の装幀の仕事のことになる。いくつか気になる本が載っていた。漫画家の絵をデザインに採用した装幀である。同書からスキャナしようかと思ったが、ネットから借りた画像にした。 最初の絵は、鈴木翁二『少年手帖』(1982)にも収録された絵。鈴木翁二の絵 平出隆詩集 思潮社(1977) 途方にくれて 立松和平 集英社(1978) 熊猫荘点景 金子兜太 冬樹社(1981)〔猫の絵〕安部慎一の絵 愛より速く 斎藤綾子 JICC出版局(1981)佐々…

  • シラケ世代と自律神経失調症

    中学高校生時代というのは、何かスポーツなどで少しは体を動かしたほうが良いのだろうということを、自身の反省をこめて、いつか子孫などに言い残そうと思っていた私の若い日があった。 学生のころは体調が悪いと何事も欠席が多くなり、おそらく「つきあいの悪い人」ということになっていて、研究分野でも助けられたり助けたりが少なくなっていたように思う。 体が弱い人でも立派な業績を残す人があるが、短命な人が多いのではないか。たとえ命を縮めてもという判断なのだろうか。そうした判断以前に、私の場合は、疲れることは今日はやめにしようということになっていた。 平均並みの体力があったほうが、文系の仕事にもプラスになるだろうと…

  • 「『ガロ』と北海道のマンガ家たち展」記念誌

    「『ガロ』と北海道のマンガ家たち展」記念誌(市立)小樽文学舘 2016年ガロの元「編集長長井勝一没後20年」での企画があり、その記念のパンフレットを借りたので読んでみた。 類似の特集雑誌などを読んではいないが、本書は小冊子ながら、充実した内容になっていると思う。武田巧太郎、高野慎三、山中潤、各当事者たちの文は、単なる回想にとどまらず、この分野の歴史の重要なひとコマをよく描いている。微妙な意見の食違いや、本人の反省の弁なども書かれ、2016年当時ガロについて一般誌ではとりあげられることもあまりなかったとすれば、この一冊は貴重なものであろう。(内容については略) 作家代表として鈴木翁二氏の10代の…

  • 『最後の空襲 熊谷』、反戦とは何か

    終戦の日の前夜、8月14日に、埼玉県熊谷市の市街地が米軍の空襲を受けて、甚大な被害をこうむった熊谷空襲について、70数年を経て可能な限りの人々の記憶を残そうとした書である。 『最後の空襲熊谷 8月14・15日 戦禍の記憶と継承』熊谷空襲を忘れない市民の会、社会評論社2020 本を開いてすぐ、当日の被災状況を示す地図はないかと探すと、巻末の資料編にあった。地図を見ると、中山道を中心に市街のほとんどは焼け野原となったようだが、駅や鉄道施設に被害はない。ほかに熊谷寺から東の役所の多いエリアも空襲を受けていない。本文によれば、終戦前夜の急な空襲の理由について、4つの理由を想定しているが、そのうちの1つ…

  • 手塚治虫の『グランドール』

    『グランドール』とは、手塚治虫のSF漫画(異星人の侵略物)である(1968年「少年ブック」連載)。 侵略者は、グランドールというあやつり人形を、人間の姿に変えて人間たちのなかに紛れ込ませ、人間全体を操ろうとする。 哲男少年が助けた少女は、グランドールだった。少年はふだんから意志の弱いような性格だったので、自分はグランドールではないかと信じこまされようとする恐怖。少年と少女は、交流をもつうちに、少年は自分の意志をしっかり持つようになり、少女はグランドールであることをやめたいと思うようになる。 結末は、少年はグランドールではなく、少女は、グランドールであるどころか、侵略者そのものであって、少年を実…

  • 談 100号記念選集

    『談 100号記念選集』は、『談』という雑誌が2014年に通巻100号を記念して発行されたアンソロジーである。500ページ超の厚い本。 いくつか拾い読みして目についたページは、「ガストロノマドロジー事始め」(石毛直道・樺山紘一・対談)。見なれないカタカナ語だったが、読んでみると、食文化について西洋と日本の比較、日中の比較などから、それぞれの民族の歴史や文明論ほかさまざまに語られ、最後は性の問題にもふみこんでいる。性については、新しい研究のためにはフィールドワークが重要との認識で一致したが、両対談者とも、そのためには年齢的に時期を失したという、落語のようなオチもついている。 石毛 そういう意味で…

  • 『少年手帖』の思い出

    鈴木翁二著『少年手帖』(望遠鏡社版)は、1982年6月30日の発行である。本の奥付にある雨影知逢という人物が、本ブログの管理人ことわたくしのことであるが、ちょっと出過ぎの感があり恥入るばかりであるので、もし再刊の折りには該当かしょは目立たなくするのが希望である。個人的な話になるが、小学生のころから雑誌のようなものを作るのが趣味で、あるときは弟を巻き込み、あるときは同級生たちを集めて作り、あるときは一人に戻り、編集長は自然にわたくしになっていた。高校1年で立ちあげた漫画研究会は翌年に下級生も若干加わった。漫画が多いのは、最初に手本にした少年雑誌に漫画が多かったからであろう。(学生時代に参加した某…

  • つげ義春の『長八の宿』

    つげ義春の『長八の宿』は、ある青年が、西伊豆にある「長八の宿」と呼ばれる旅館に宿泊したときの話になっている。 旅館の女中さんたちや下男のジッさんたちと、青年とのユーモラスなやりとりが、ほほえましく楽しい。 女中頭のお金さんは、建物のしっくい細工について、自慢げに説明する。青年が温泉に入ると、下男のジッさんから、旅館のお嬢さんのマリちゃんが作ったパンフレットがあることを聞く。ジッさんは、東京の大学を出たマリちゃんのことが自慢げである。 夕食になり、女中のトヨちゃんにパンフレットのことを質問してみると、トヨちゃんは急に恥かしそうな態度になるのもユーモラスな場面だが、パンフレットには温泉に入る女性の…

  • つげ義春と私の「童謡詩集」

    私の20代のころの作文は、ボキャブラリ不足のため注釈なしでは読めない難文が多いが、『童謡詩集』は例外である。 中学生時代は手塚治虫風の漫画を書いていたが、高校1年の秋につげ義春の漫画にふれて、手塚風のタッチから脱却をこころみるようになったのだった。 しかし一人旅をしたこともない高校生に何が書けるか。『ねじ式』を真似するくらいのところだった。 数年後につげの『大場電気鍍金工業所』などの少年時代を回顧する漫画作品を見て、その影響でできたのが私の『童謡詩集』だと思うのだが、私が『大場電気鍍金工業所』を見たのはいつであろうか。 童謡詩集は、1977年2月に謄写版で文庫サイズ50頁弱で印刷したものだが、…

  • 空想科学漫画『忘れられた小道』(銀音夢書房)

    印刷ショップへ送ったデータを取り違えてしまって、表紙と背に作者の名がのらないなどのミスが出たため、背表紙の一部から裏表紙の一部にかけてシールを貼ることになった。発行元(銀音夢書房)の名義はシールの背と裏の2か所に載る。 以下は、後書き風の「解説」の一部。 『忘れられた小道』は、一九六八年、作者の十四歳から十五歳にかけての習作である。「空想科学漫画」と銘打ち、物語の舞台は197X年の近未来の日本。内容は無邪気で、絵も粗雑なものだが、手塚治虫の強い影響のもとに、ユーモアも満載の楽しい昭和漫画だという感想もあるようだ。 第三巻に「数年前の1970年」に起こったベトナムの核戦争で被災した少女が登場する…

  • 「しらふ倶楽部」について

    新しいブログを始めることにした。タイトルは、なかなか良いのが思いつかず、「しらふ」+ラフ の語呂合わせが浮かび、 しらふLOVE(ラブ) しらふ狂詩曲(ラプソディ)などが思い浮かんだが、けっきょく しらふ倶楽部(クラブ)ということになった。

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