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  • 自分史的漫画史~1964 鉄腕アトム

    ●1964年 鉄腕アトムのテレビ放送の開始から1年になろうというころに、カッパ・コミクス『鉄腕アトム』が創刊された。 「光文社のカッパ・コミクス鉄腕アトムは日本ではじめてのコミック雑誌です」と謳われ、内容は「鉄腕アトム」の連載初期のものを収録した単行本のようでもあった。アトムの漫画が約100ページ、科学記事や、読者投稿、「アトムクラブ」などで10ページ程度である。付録にシールが付いて、定価120~130円。66年9月まで2年9か月続いたが、最初の1年余りだけでも初期の鉄腕アトムに触れて熱中できたことは好運だったと思う。 カッパ・コミクスは外見は子供向け絵本のようなところもあったが、漫画単行本の…

  • 冊子印刷での画像の解像度について

    近年、安価な冊子印刷が普及している。冊子には画像を多く使いたいが、画像の解像度はどの程度が適切かという問題である。 冊子作成の流れは、ワープロだけでも十分であり、ワープロ文書に画像を挿入しページ番号なども整えて、文書保存はPDF形式で保存し、そのPDFファイルを印刷ショップに送るだけである。ワープロでは、編集画面での画像表示は小さくても、実際の画像データは保存文書内でしっかりオリジナルサイズのままなので、巨大画像を多く使えば、ワープロの操作が重くなり、ワープロが停止してエラーになることもある。可能な限りオリジナル画像を小さくすることで、編集作業を円滑にすることができるはずである。 一般に、印刷…

  • 新年、このブログの今後

    昨年の春から始めたこのブログであるが、アクセスはいたって少なく、あまり読まれていない。別のブログでなまじ成功体験のようなものがあったので(学研ブログランキング評論部門1位)、書けばそこそこ読まれると思っていたが、甘いのだろう。 しかしこの分野(ガロ系漫画など)は、もともと一般の関心の高いものではなかったと思う。1970年代中盤以後、鈴木翁二や安部慎一の単行本は限定版で部数は1000部以下だったように記憶する。つげ義春の新作が発表され続けた『夜行』は、第1集が3000部だったという。筆者は気づかなかったが、近年のことで、北冬書房のブログというのがあったらしく、未公表のつげ義春氏の旅行写真多数が発…

  • 自分史的漫画50年史(3)1963年

    ●1963年 週刊少年キングなど 63年2月号で『日の丸』が休刊になったあと、3月か4月ごろ、叔母がまちがって『少年ブック』ではなく『少年画報』を買ってきてくれた。それでも『少年画報』の懸賞に応募すると、当選はなかったが、少年画報社から『週刊少年キング』の創刊の案内の葉書が届いた。葉書には割引券が数枚ついていて、割引券があると創刊号の定価40円が30円になるという。だが実際は予定日より1日か2日早く書店に出て、それを見た友達が、券がなくても30円だったと言った。 創刊号から何冊かは、自分の小使いで買ったと思う。4年生になってから我が家では、低額の小使い制度が始まっていた。子供用自転車を買っても…

  • 自分史的漫画50年史(2)1962年

    ●1962年~63年 子供時代の記憶について 1962年は小学3年生。ときどき集英社の『日の丸』を買ってもらったが、記憶に残るものはない。 学校の図書館から、ときどき本を借りていたと思うが、ほとんど内容を記憶していない。記憶にあるのは、3年生かは曖昧だが『ピノキオ』と『野口英世』の伝記くらいだ。 『ピノキオ』は、悪戯をすると鼻が長く伸びてしまうときの恐怖感が、記憶にある。『野口英世』も、囲炉裏に落ちて火傷を負うときの恐怖感であろう。2年生のときの手塚漫画『ナンバー7』でも記憶にあるのは恐怖の場面だった。子供時代に強く記憶に残るのは、恐怖感なのであろうか。しかし楳図かずおや古賀新一などの恐怖漫画…

  • 自分史的漫画50年史(1)1961年

    ●1961年~62年 子どものころに見た漫画の最も古い記憶は、雑誌『日の丸』に連載されていた手塚治虫の「ナンバー7」のある1ページである。小学2年生のときだった。 『日の丸』は集英社の低学年向けの少年誌であり、高学年(小学上級~中学)向けが『少年ブック』だった。 「ナンバー7」のその場面は、病室で少女が隠そうとしている脚が、無気味だった。それは彼女が宇宙人であることの証拠なのである。 「ナンバー7」とは、地球防衛隊の7番めの隊員という意味で、宇宙人の侵略から防衛する任務にあり、主人公の七郎のことである。七郎の友達のキミコには、宇宙人のスパイではないかという疑いがあった。実際に宇宙人だったのだが…

  • 万力のある本棚(つげ義春編)

    『つげ義春漫画術』は、つげ氏の全作品をふりかえってのインタビューが中心の本で、索引は特にない。そこで、話題に出た本と著者の名前を、リストアップしてみた。当時つげ氏が読んでいた本、作品のヒントになったり影響を与えたかもしれない本などの一覧ということになる。いくつかを我が家の、ミニチュアの万力のある本棚に並べてみた(★印)。 (つげ義春漫画術 上巻)122p 生きていた幽霊 江戸川乱歩「二銭銅貨」「心理試験」〔『江戸川乱歩傑作選』(新潮文庫)など〕154 ある一夜 手塚治虫『罪と罰』〔『手塚治虫漫画全集』など〕169 太宰治「ダス・ゲマイネ」〔★太宰治『走れメロス』(新潮文庫)など〕(下巻)28p…

  • つげ義春作品の探偵物的要素

    つげ義春について、短編が主ではあるが、物語やストーリー展開の「上手さ」ということは、たびたび指摘されている。『つげ義春漫画術』という長時間インタビューの本によれば、つげ氏の若い時代には、探偵小説では、横溝正史のようなおどろおどろしいものは好まず、江戸川乱歩のような構成が論理的できっちりしたものを好んだと語っている。対談相手の権藤晋氏は、つげ氏が意外に論理的で科学的な思考をする人だという再認識の弁を述べている。 つげ氏のある単行本の巻末に付いていた「自分史」を読んだとき、自身の作家活動にはあまり触れず、貧困や悲惨な話ばかりを書いたものを読んだことがあるが、時折り再読しながら思ったことは、これはつ…

  • 水木しげるの「妖怪について」というエッセイ

    あまり知られていないかもしれないが、昭和の終りのころ『民族宗教研究』という雑誌があり、創刊号は昭和55(1980)年12月1日発行、 創刊号の巻頭には、水木しげるの「妖怪について」というエッセイが掲載された。https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=146187693 肩書は「劇画家」になっている。エッセイの内容は、水木氏があちこちで語っているようなことなのだが、珍しい雑誌なので、1ページ分だけご紹介。

  • 「母もの」と継子物語

    『寺山修司対談集 浪漫時代』(河出文庫)の中に、「母」と題する石子順造との対談がある。石子氏の晩年の『子守唄はなぜ哀しいか』(1976)が出た直後のものだろう。「母もの」といわれる映画や文芸をめぐっての内容である。「母もの」についての辞典的な説明はここでは略す(映画でいえば『瞼の母』に代表されるもののことである)。 石子氏によると、母もの作品は明治30年以後に現れ、社会の近代化の過程で、西洋型の神をもたなかった日本人が、自立よりも孤立へ向かったしまった結果ではないかという。なるほど、西洋では絶対神があり悪であるサタンは排除すれば済んだようなところがあるが、日本には八百万の神があり、貧乏神もあれ…

  • 手塚治虫について

    手塚治虫について、代表的な作品を10~20程度選んでみるのも一興かと思い、作品を思い出してみると、昭和20年代の単行本では『化石島』と『罪と罰』が良いと思う。どちらも20年代後半(1950年代前半)の作品で、手塚人気は20年代前半からすごかったらしいが、今読んで面白いのはこの2つだろう。『化石島』は新書判ブームのときに復刻され、『罪と罰』は同じころCOMの付録として復刻された。単行本時代の作が新書判で復刻されたのは『化石島』だけだと思う。 1950年代後半の雑誌連載物としては、『ロック冒険記』と『アトム大使』で、どちらも手塚らしいスケールの大きいSF物で、異人類・異文明との交流やペシミズムが基…

  • つげ義春大全 別巻1

    『つげ義春大全 別巻1 (随筆)夢日記 僕の漫画作法』(講談社) 発行は2021年2月。帯裏に「つげ義春大全 堂々完結」と書かれる。大全のうち初期作品のカラーのものを何冊か揃えていたが、そろそろ完結したのではと思って調べてみると、とっくに完結していたわけだ。 内容については、エッセイなどをまとめた本であり、これまでにない詳細な「年譜」があり、『COMICばく』の毎回のあとがきなどもまとめて読める、そのほか単行本未収録のものも多いのではなかろうか。 『ばく』7号のから文には、「今月の『ばく』の発売日が四十八歳の誕生日。」と書かれる。ばく7の発行日は1985年12月、発売日は10月30日だったこと…

  • ストリートビューで「つげ義春」を旅する

    『つげ義春を旅する』(高野慎三著、ちくま文庫)は、つげ作品の舞台となった地を訪ね歩いた本である。 『池袋百点会』という短編に登場する錦糸町の「ランボウ」という喫茶店は、実際は「ぶるぼん」という名で、1960年前後のころに作者が毎日通った店らしい。 そこでグーグルのストリートビューで探してみた。錦糸町駅から北へ進み太平4丁目交差点を(蔵前橋通りを)渡ろうとして左方向を向いたら見えたという。交差点より左(西)、通りの南端のようだが、見つからなかった。 本の初版の1997年ごろは、あったらしく、その十数年前(80年代?)につげ氏が近くへ寄ったときに見つけて「まだあったのでびっくりした」とのことで、9…

  • 石子順造的世界

    『石子順造的世界』(美術出版社 2011)は、著作では知りえない氏の横顔などが見えて興味深い。『漫画主義』の同人3人(高野慎三、山根貞男、梶井純)による座談会では、石子氏の思想の"ルーツ"ないし思想形成過程などに話が及んでいる。 だが、氏に強く影響を及ぼした人物というのは特になさそうだとのこと。独学ということなのだろう。 学生時代から大変な読書家だったようで、氏の学生時代の話がある。 「東大の経済学部でマルクス経済学をやって、それは共感したんだと思う」(高野)。しかしそれは必ずしも政治的なものというより、「まさに理論としてのマルクス主義に傾倒したのかもしれない」「資本論における分析がすぐれてる…

  • 石子順造を読む

    久しぶりに、石子順造氏の本を取り寄せて読んだ。 『マンガ/キッチュ 石子順造サブカルチャー論集成』小学館クリエイティブ 2011年発行「単行本未収録」の小論などを集成した本である。 氏の生前の「単行本」は、共著をふくめて15冊ほどだが、その全部を読了したもので、今も蔵書にある。全部ということは、一種の「ファン」ということになるのだろう。氏が亡くなった年もはっきり記憶にあり、1977年だった。 さて、本をぱらぱらとめくって拾い読み。「存在論的アンチ・マンガ」とか「アクチュアリティ」とか、今はあまり使うことのなくなった言葉にふれるのは、懐かしい。他にも時代を感じさせる用語が少しあるので、再版して大…

  • アトムの子世代 の続き

    アトムの子世代といえば、1953年前後の生れ。1953年生れの有名人といえば、大相撲の世界で、若手のホープ時代に「花のニッパチ組」と呼ばれて注目された力士たちがいて、(ニッパチとは昭和28年生れから)、横綱となった北の海や二代目若乃花などがいた。 芸能人は広くは知らないが、二人の女性が思い当たる。 吉田美奈子。『夢で逢えたら』という人気曲があり、シングル盤で発売すれば大ヒット間違いなしといわれたが、シングル盤の発売は拒否したという。自分の目ざしてきた音楽とは異なる傾向のものが代表曲にされるのは不本意だから、という理由だと聞いた。この世代らしいのではないかと思う。 寿ひづる。1954年の早生れ。…

  • 「アトムの子」世代とUターン現象

    団塊世代に続く1950年代前半生れは、シラケ世代の名で呼ばれてきた。シラケという言葉にマイナス感があるなら、代替案はどうだろう。 ヒット曲というほどではないかもしれないが、1953年生れの山下達郎の曲に『アトムの子』というのがある。「大人になっても、ぼくらはアトムの子供さ」という歌詞で、平和や弱者を助けたり夢を追うことを歌う歌詞である。 アトムとは、手塚治虫の連載漫画としては、1951年の『アトム大使』、1953年からの『鉄腕アトム』の主人公のロボットのことである。『鉄腕アトム』は作者晩年の1980年代にもアニメ化され、昭和の戦後の子供漫画のスターであり、「アトムの子」とは広義には戦後生れのこ…

  • シラケ世代と世代論(1)

    世代論について書き始めて、中断してしまったのだが、再開しなければならない。 とりあえず、『世代論の教科書』(阪本節朗著)という本をぱらぱらめくってみた。次のように分類されていた。 団塊世代 47-51 (5年) ポパイJJ世代 52-60 (9年) 新人類世代 61-65 (5年) バブル世代 66-70 (5年) (以下略) 「ポパイJJ世代」という見慣れぬ言葉が使われている。こうした特定の雑誌名=商品名を冠した新造語が、今さら定着してゆくとは考えにくい。ましてポパイは1976年創刊、1953年生れが大学を卒業した後にできた雑誌である。JJも月刊誌となって定着したのはポパイより更に遅い。この…

  • 菊地信義の『装幀の本』

    菊地信義氏は本の装幀でおなじみの人だが、『装幀の本』(リブロポート1989年4月)という本がある。その年は平成元年なので、内容は昭和時代の(菊地氏にとっては初期の)本の装幀の仕事のことになる。いくつか気になる本が載っていた。漫画家の絵をデザインに採用した装幀である。同書からスキャナしようかと思ったが、ネットから借りた画像にした。 最初の絵は、鈴木翁二『少年手帖』(1982)にも収録された絵。鈴木翁二の絵 平出隆詩集 思潮社(1977) 途方にくれて 立松和平 集英社(1978) 熊猫荘点景 金子兜太 冬樹社(1981)〔猫の絵〕安部慎一の絵 愛より速く 斎藤綾子 JICC出版局(1981)佐々…

  • シラケ世代と自律神経失調症

    中学高校生時代というのは、何かスポーツなどで少しは体を動かしたほうが良いのだろうということを、自身の反省をこめて、いつか子孫などに言い残そうと思っていた私の若い日があった。 学生のころは体調が悪いと何事も欠席が多くなり、おそらく「つきあいの悪い人」ということになっていて、研究分野でも助けられたり助けたりが少なくなっていたように思う。 体が弱い人でも立派な業績を残す人があるが、短命な人が多いのではないか。たとえ命を縮めてもという判断なのだろうか。そうした判断以前に、私の場合は、疲れることは今日はやめにしようということになっていた。 平均並みの体力があったほうが、文系の仕事にもプラスになるだろうと…

  • 「『ガロ』と北海道のマンガ家たち展」記念誌

    「『ガロ』と北海道のマンガ家たち展」記念誌(市立)小樽文学舘 2016年ガロの元「編集長長井勝一没後20年」での企画があり、その記念のパンフレットを借りたので読んでみた。 類似の特集雑誌などを読んではいないが、本書は小冊子ながら、充実した内容になっていると思う。武田巧太郎、高野慎三、山中潤、各当事者たちの文は、単なる回想にとどまらず、この分野の歴史の重要なひとコマをよく描いている。微妙な意見の食違いや、本人の反省の弁なども書かれ、2016年当時ガロについて一般誌ではとりあげられることもあまりなかったとすれば、この一冊は貴重なものであろう。(内容については略) 作家代表として鈴木翁二氏の10代の…

  • 『最後の空襲 熊谷』、反戦とは何か

    終戦の日の前夜、8月14日に、埼玉県熊谷市の市街地が米軍の空襲を受けて、甚大な被害をこうむった熊谷空襲について、70数年を経て可能な限りの人々の記憶を残そうとした書である。 『最後の空襲熊谷 8月14・15日 戦禍の記憶と継承』熊谷空襲を忘れない市民の会、社会評論社2020 本を開いてすぐ、当日の被災状況を示す地図はないかと探すと、巻末の資料編にあった。地図を見ると、中山道を中心に市街のほとんどは焼け野原となったようだが、駅や鉄道施設に被害はない。ほかに熊谷寺から東の役所の多いエリアも空襲を受けていない。本文によれば、終戦前夜の急な空襲の理由について、4つの理由を想定しているが、そのうちの1つ…

  • 手塚治虫の『グランドール』

    『グランドール』とは、手塚治虫のSF漫画(異星人の侵略物)である(1968年「少年ブック」連載)。 侵略者は、グランドールというあやつり人形を、人間の姿に変えて人間たちのなかに紛れ込ませ、人間全体を操ろうとする。 哲男少年が助けた少女は、グランドールだった。少年はふだんから意志の弱いような性格だったので、自分はグランドールではないかと信じこまされようとする恐怖。少年と少女は、交流をもつうちに、少年は自分の意志をしっかり持つようになり、少女はグランドールであることをやめたいと思うようになる。 結末は、少年はグランドールではなく、少女は、グランドールであるどころか、侵略者そのものであって、少年を実…

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