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きみの靴の中の砂 (サヨナラ —— 旧goo blog版) https://blog.goo.ne.jp/disinfectant1953

このサイトは "Creative Writing" の個人的なワークショップです。テキストは過去に遡り、随時補筆・改訂を行うため、いずれも『未定稿』です。

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2022/04/07

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  • どうなってるんだ?

    テキストでも絵でも、ぼくが作るものは、だいたいギミックでトリッキーだと水口イチ子が言う。自分でそこを目指してきたつもりはないのだが、長年色々といじりまわしていたら、結局そんなところに落ち着いてしまったというのが正直なところか。自分で自分のことはよくわからないものだが、『ギミックでトリッキー』と言われて全然悪い気がしない。自製の密造酒の瓶にラベルを貼ってもらったような気がする。それでも、密造酒であることには少しも変わりはないんだけどね。【TheLadyShelters-GetOffofMyCloud】どうなってるんだ?

  • 現場監督

    写真を撮ってみたくなったら『適当なカメラ(練習機)』を買って沢山撮り、それなりの習作期間を経て撮影慣れした頃、やっと本当に自分の撮りたいものが見えてくる。その時点でそれに適したカメラをチョイスすればいい。乗り物に例えるなら、戦場に行くなら自転車より防弾できる戦車なんかの方がいいだろうということだ。どうしても自転車で行きたいというなら止めないが。でも、ワシャ知らんで。ロッククライミングしながら写真を撮る友人達の間では、いわゆる『現場監督』系のカメラがいまだに定番である。古今東西、カメラの名前で『コニカ現場監督』は最高のネーミングだった。現場監督

  • 大きな声では言えないが

    パークアベニューをゲート通りへ向かって百メートル程入った飲み屋街にバー『壷屋』はあった。木造平屋建てで正面にダイナーを思わせる大窓があり、そこから店の奥へ伸びるカウンターが見通せた。COVID-19対策なのか店の作法なのかは知らないが、猛暑のこの時期でも空調は使われることはなく、店の扉は開け放たれ、内側の網戸が一枚、『壷屋』の提灯の灯りに紅く染まっていた。*今しがた驟雨が通り過ぎた。濡れた路面に、『壷屋』がぼんやりと蜃気楼のように浮かぶ。ぼくは、ある文筆家とそこで三密を避け、二十時半に会う約束をしていた。彼が自ら考案したカクテルを飲ませてやると連絡してきたからだ。時計が約束の時間を指す頃、文筆家は椰子の実を二個抱えて現れた。「久し振りだなぁ」と愛想が良いところをみると、既にどこかで飲んで来た様子である。執...大きな声では言えないが

  • 既存の手法を進化させるか、あるいは...

    芸術の手法は半世紀も経つとスッカリ刷新されてしまい、かつての最先端も陳腐なものになる。その点、斬新な解釈こそ発案されるが、古典音楽はよく古い形態を守っているもんだと感心する。古式ゆかしい伝統行事同様、古い形を維持、再現することこそがその芸術の本質だから、他の芸術と同じ土俵では語れないが...。さて、創作、制作の目標に既存のものを据えたままだと、その人の芸術はそこで終わっていると昔から言われるように、模倣していく中でやはり改変・改作する工夫は続けないと先はない。既存の手法を進化させるか、あるいは今までになかったものを編み出すか、このどちらかがクリエーターの使命である。先人の域に達するだけなら人手は要らず、複製技術とコピー機があれば済む。既存の手法を進化させるか、あるいは...

  • 必要条件ではない

    大学生になって初めて好きになった写真家が沢渡朔だった。どこが気に入っていたのかと聞かれれば、『女好き』なところと答えよう。撮る写真は、遂に似ることはなかったけれど、女の子を撮りたいという気持ちは、ズーッとその影響下にあった。ただ、写真はモデルが必要だが、絵画ではそれは必要条件ではないので、写真よりは手間がかかるが絵画も続けた。必要条件ではない

  • もう聞けない夏の音

    仕舞うときに割ってしまって、もう聞けない夏の音。旅の思い出に買ったものは、通販で再び手に入っても、それはもう別のもの。もう聞けない夏の音

  • 何もしないいち日

    何もしないことが楽しいいち日だってある。何もしないいち日

  • きみの声が聞こえる

    ハーフムーンビーチの夏のいち日。*「これから午前九時頃までの七里ヶ浜は、北北東がオフショア、南西から南東向きのオンショアでサイズアップするわよ」朝も早いこの時間、今日もカーラジオからきみの声が聞こえる。きみの声が聞こえる

  • たまに聴いているのを知ってる

    食事の支度をしながら、たまに聴いているのを知ってる。「クールだね」とぼく。「あたしのこと?」とイチ子。たまに聴いているのを知ってる

  • 女房子供に隠すべきことがない

    英語圏では一般的に日記はダイアリーといわれ、それがより文学的な場合にジャーナルと呼称される、と研究社の新英和辞典にある。要するに没後、他人に読まれることを前提として書かれるか否かにより、そのクオリティと内容に差がでるようだ。さて、過去の作家の場合、他人に読まれることを想定せず本音が書かれたものは、人生のある時点で全文焼却処分されるか、不都合のある頁が廃棄されるのがほとんどという中、面白いのは、没するまで毎日休まず書かれた永井荷風の日記で、生涯ほとんどを独身で過ごした彼は、女性関係についても女房子供に隠すべきことはなく、興味深い描写がある反面、戦中の極端な反体制的記述は胡粉(ごふん)で徹底的に判読不能なまで塗りつぶした——彼は、毛筆書きで自ら和本綴じにしていた。人それぞれ立場により、他人に見られてはならない...女房子供に隠すべきことがない

  • 寄付金付き赤い最終ヴァージョン

    超昔、ガラケーやスマホのカメラの解像度が低かったから、コンデジでそれを補おうというわけで各メーカーが随分な機種をリリースした。カメラ好きならカードサイズを初めとして何台かは持っていたもんだ。そして常に一台ポケットに入れて移動していたこともあって、いつしか総て迷子になってしまった。解像度についてはとやかく言わないから、とにかく手に持ったまま歩きたい。ただ撮るだけだからiPhoneさえ大きく、重く、不満がある。先日、『お道具箱』をゴソゴソしたら、iPodtouchの寄付金付き赤い最終ヴァージョンを見つけた。800万画素あるから用は足りる。初期のコンデジは500万画素程度で、そんなのに充分慣らされていたことも幸いしている。寄付金付き赤い最終ヴァージョン

  • 楽しいことしかしなかったいち日

    日曜日。楽しいことしかしなかったいち日。ランチに白ワインを飲んで、昼寝の夢も見た。あとは夜更しをするだけ。楽しいことしかしなかったいち日

  • スランプに陥ったら基本に返れ!

    この半世紀、フォトグラファーで立派なテキストを書ける人達が増えた。写真業界は、それまで叙情的なものを下に見る風潮があったが、自分の写真集にテキストを添えることで作品への理解が寄り深まるのに気付いた写真家が出現し始め、今となってみれば、それは実証されるに至った。『写真+テキスト』の裏返しで、その頃からテキストのみの活字本が衰退し始め、よりヴィジュアルなものが重要とされる時代になっていった。<fontcolor="#ff9900">*</font>活字業界は未だにそれに気付いた風もなく文字の衰退を嘆いているが、昔の巨人V9時代の川上監督に名言がある——『スランプに陥ったら基本に返れ!』。テレビ出現以前の時代、人々の重要な娯楽のひとつに新聞小説があり、人気作品掲載中に発行部数が伸びることすらあったほどだ。さらに...スランプに陥ったら基本に返れ!

  • ブツ撮り

    半世紀の昔、好景気が続いていた頃、修行中の写真小僧には『ブツ撮り』というアルバイトがあった。高級レストランのメニュー撮影などで、写真の単価計算をするとかなり割が良かったようだ。その伝手で、何軒かのクライアントから注文をもらえる生活を続けていると、自分の好きに撮影して生活できる写真家への道は遠くなる。そんな写真青年を、かつて何人か知っているし、聞くところによれば世の中には随分いたらしい。であっても、まあ、人生の幸不幸とは大して関係はないようだが...。ブツ撮り注意!

  • ベストセラーよりもロングセラー

    後世に名を残す作家かどうかは、一過性の実売部数、愛読者数には支配されない。それでは、何によるのか。多くは、後世、決定版と言われる日本文学史に記載されるかどうかによる。つまり、ベストセラーよりも数十年にわたるロングセラーであるかに関わる。しかし、文学史に記載されているからといって、重要な作家かどうかとはまた別問題で、時代が変われば常識も変わるため、文学史も然程当てにならない。存命の作家は例にとりにくいので故人でいうと、例えば上司小剣とか黒岩涙香などは文学史に名を残している大家ではあるが、彼等を知る読書家はほとんどいない。日本文学を教える大学教授が守備範囲とする作家である。古い写真にこんなモノを見つけたので、感想を書いた。ベストセラーよりもロングセラー

  • みんなひとつだけ

    古いポラロイド写真から笑いかける1980年頃の水口イチ子——ヘアスタイルからわかる(あの頃流行っていた)。画用紙に描いているようだが、何を使って描いたか思い出せない。水彩画のようにも見えるが、髪の質感からは違うようだ。一部クレヨンでも使ったか。もう一度描けと言われても無理な一枚。水口イチ子も、複製の利かない絵も、複製の利かないポラロイドも、世界に存在するのは、みんなひとつだけ。【TheLeftBanke-WalkAwayRenee】みんなひとつだけ

  • ぼくにはナイショで...

    茅ヶ崎のアメリカンダイナーからテイクアウトしてきたチリコンカンをトッピングしたバーガーを、昼にイチ子とふたりで空きっ腹の胃に詰め込んでいたときだった。「プルメリアの花って毒があるの?」とイチ子が聞く。続けて、「プルメリアの仲間の夾竹桃には毒があるって、どこかで読んだことがあるよ」ぼくの知識では、「どうなんだろう...。南の島じゃレイを作るくらいだから、樹液にさえ触れなければ平気なんじゃないのかなぁ」そんな、聞いてもどうでもいいような答えしか出来なかった。*イチ子が気にしていたわけは、その日の夕方、判明した。どこから種子が運ばれてきたのか想像するにも及ばないが、家の南側の石垣の下で西日に影を伸ばした三十センチばかりのプルメリアらしき苗木を見つけた。イチ子は早いうちからそれに気付いていたのだろう、ぼくにはナイ...ぼくにはナイショで...

  • ぼくの古いワーゲンのバンにはラジオしか付いていなかった

    1980年。ぼくの古いワーゲンのバンにはラジオしか付いていなかったから、好きなシティポップを聴きたければラジカセを持ち込むしか方法はなかった。エアコンのないのもみんなは笑ったけれど、それは開け放した窓から吹き込んでくる海風の涼しさを知らない者の言うことだ。みんなはボードをぼくのバンのルーフキャリアに乗せてしまうと、それぞれにエアコンのある他の仲間の車に乗り込んでしまい、バンの中は、いつもぼくとイチ子のふたりっきりだった。【KiyonoriMatsuo-MoonlightRendezvous】ぼくの古いワーゲンのバンにはラジオしか付いていなかった

  • バーナード・ウェイのどこか

    またまた古い写真をどこから見つけてきたの?車は右側通行だし、道路に側溝はないし、きっとバーナード・ウェイのどこかね。プレスリーが亡くなった夏だから1977年じゃない?  バーナード・ウェイのどこか

  • 写真では実物以上に奇麗には撮れない

    商品としてのカメラの知識は、写真学校へ通っている学生さんなどと比べれば明らかに少ないけれど、でも、新製品の広告を見て『コリャ使いこなせる、買ってもいいな』という閃きは確かで、新しいものを(値段を別にして)何でも欲しがる、よくいる『提灯YouTuber』とは異次元の人間だ。カメラなんて写れば何でも良いじゃないか、などと言うと、通常大いに軽蔑される。そりゃあ、水口イチ子を少しでも奇麗にとってあげたいとは思うけれど、実物を知っているだけに、写真では実物以上に奇麗には撮れないこともよくわかっている。  写真では実物以上に奇麗には撮れない

  • 英語が話せない

    沖縄には父親が白人のアメリカ人、母親が日本人という子供が珍しくなくいるが、二、三十年前は今より更に沢山いて、県内で普通に就業していた。ハーフと言っても母親の遺伝子を多く引くと日本人寄り、父親似だと白人寄りの顔立ちになるのだが、父親の血をもっと色濃く引くと、どう見ても(まったく)白人にしか見えない場合がある。それは、大人になって外国からの観光客も泊まるホテルに宿泊することがあると、チェックインの時に英語で話しかけられてしまうというレベルだ。肌が白く、髪は金色で目が青ければやむをえない。ところが彼等は、アタシ等同様英語が不得手というか、話せない。沖縄には観光客も滅多に迷い込まない、地元の街の商店街がある。高校の放課後にそういうところの喫茶店に入ると、子供達が溜まっていて、ここはアメリカかと思わされることがある...英語が話せない

  • 積乱雲が湧いている辺り

    府中四谷橋の下の多摩市側から四谷五丁目方面を見ている。夏の暑い盛りの撮影。川沿いに住む者にとっては見慣れた河原の風景だ。ところで、新宿区四谷や渋谷など谷の付く地名は地形に由来し、詳しい人ならその谷筋を想像するのは難しくない。しかし、府中四谷はそういう地形とは異なり、甲州街道下の河岸段丘に突き当たるまで穏やかな氾濫原である。仮に小川が多摩川に注いでいる地点があっても、せいぜい落川か落合という呼称になろう。府中市史に当たってみたら、かつて移住してきた四軒の家があって、四家と呼ばれていたことに寄るとあった。中央に写る高圧鉄塔の向こう、積乱雲が湧いている辺りは、埼玉県所沢か狭山丘陵辺りだろう。積乱雲が湧いている辺り

  • 意味不明

    みすぼらしく見える前に古着は始末するとか、あるいは家の中だけの普段着に限定にするなど、必要な段取りをせずに新調もしないでいると、いつか着るものがなくなり、仕舞いには度を超した古着というよりもボロを着て出かける時が来る。自分が良ければそれで良いかというとあながちそうでもなく、周囲の人に要らぬ心配をされかねない。近所に住む七十代後半で、数年前に奥さんに先立たれた先輩がいる。それまでは奥さんが着るものの管理をされていたのか、亡くなられてからはそれが停止し、たまに自転車に乗って暇をつぶしているところを見かけることがあるが、気の毒になるくらい貧相なカッコだ。近所の人達は、彼にお金があることはみんな知っているからまだしも、そうじゃない人達からは不本意に可哀相に思われても仕方ないような風体だ。家の中もどれだけ掃除が行き...意味不明

  • ご機嫌ななめクラブ

    風祭の頃の『ご機嫌ななめクラブ』。ご機嫌ななめクラブ

  • 『秋に燃える』または『静止画の秘密』

    『秋に燃える』または『静止画の秘密』『秋に燃える』または『静止画の秘密』

  • まだ食べたことのないもの

    今、花盛りのツワブキ。全国的にフキは煮て食べるが(大人の味だ)、長崎県方面ではツワブキも普通に煮て食べると出身者が言う。最初は耳を疑った。いったい、どの部分を食べるのか尋ねると、ワラビなど春の野草同様、柔らかい部分を選別するそうだ。少し納得できた。まだ食べたことのないもの

  • 『庄司船長と五木の子守歌』はどこへいった?

    蔵書を大量に処分するとき、何冊かの始終紐解きたい愛読書は当然残すが、その範疇に入るかどうかの判断に迷う、いわゆる汽水域にある本もまた沢山あるから、それらの扱いに苦慮する。しかし、それを丸ごと残すと処分にならない。わかり易く言えば、本のゴミ屋敷になりかねない。そんな知人が二、三人いる。そこで、たまに思い出したときに拾い読みしたくなるであろう本は、備忘に表紙を撮影してから処分した。今の時代、どうしても再読したければ、方法はいくらでもある。知識欲と所有欲とを履き違えないことだ。また、時折表紙の写真を見る機会があれば、その時、記憶にある内容を反芻できて、すっかり忘れてしまうことは余程年寄りにならない限りないだろう。まあ、箸にも棒にもかからない年寄りになった時、果たして本が相変わらず大切なものなのかどうか、それはわ...『庄司船長と五木の子守歌』はどこへいった?

  • インプットの方法が違うのだから

    世の中には、それまでに学んだ専門知識やテクニックが、後の新しい思考・発想に繋がらず、むしろ活動の手かせ足かせになることがよくある。その裏返しに、予備知識も初歩技術もないのに好結果が手に入る、いわゆるビギナーズラックというのもある。道具も敢えて最新の機材を使わずに腕を磨けば、新しい技術を駆使する人との差別化が期待できる。インプットの方法が違うのだから、当然アウトプットされてくるものにも差異が生じ、そこに独創性が生まれる。【DaveEdmunds-DoYouWannaDance】インプットの方法が違うのだから

  • この秋は、ちょっと違ったものになっていたかもしれない

    同じバイト先の年上の大学生だった。連絡先も聞けないままサヨナラしたのは、腰越のビーチハウスでのアルバイト最後の日。わたしに少しだけ特別な言葉の用意があったら、この秋は、ちょっと違ったものになっていたかもしれない。夏の夕暮れ、恋する気持ちは夢見るような想いの中で、今日もまだ、寂しげにときめくのだった。この秋は、ちょっと違ったものになっていたかもしれない

  • 何かが足りない

    いろいろと足りてくると気力は衰えるらしい。であるなら、いつも何かが足りない状態に身を置くことは、むしろ大切なことかもしれない。すべてに充足を求めないことだ。  何かが足りない

  • 名物ランチと名物ウエイトレス

    日本で、この写真集を持っている人はかなり少ないはずだ。印刷技術大国の日本では売り物にならないレベルで(全部が全部、退色したような緑がかったカラーバランス)、洋書店はサンプル以外、店頭用には輸入しなかったはずだ。ぼくは中身を見ずにアメリカから取り寄せたので、届いた後のビックリ箱だった。だがしかし、その致命傷に目をつぶれば、他は申し分のない企画だった。撮影者は、キャンピングカーで全米を旅しながら、トラック野郎がランチに立ち寄るロードサイドの食堂で、名物ランチと名物ウエイトレス、他に場所と代金、ワンプレートの接写を載せている。この一冊で、アメリカの外食文化は一目瞭然で資料的価値は高い。蔵書をほとんど始末したときの選別にも残ったから、ぼくの気に入り様も相当だ。なお、この裏表紙の色合いは補正したので、もし、購入しよ...名物ランチと名物ウエイトレス

  • ミートボールの親方

    洋食の起源をたどると、国としての成立が古いとその影響力も大きく、欧州ではギリシア、イタリアあたりに元祖となる料理が多い。日本ではイタリア料理店は多いながら、このイタリア伝統料理をメニューに載せている店はほとんどない。それほど小難しいものではなく、言わば、トマトソースで煮込んだハンバーグで、形が小判型ではなく、直径7、8センチのボール状に成形されているだけのことである。大量に煮込むので肉のエキスがトマトソースに染み出し、これはこれで独特のソースになる。ミートボールの原初とも言われている。配膳後、ナイフを入れて崩れたなら崩れたでソースと一緒に口に運べば、デミグラスソースを掛けたハンバーグやスパゲッティの上に載ったミートボールとも異なる味だ。他にパンとサラダと飲物があれば、これだけをメインにパーティーを完結でき...ミートボールの親方

  • 手の中に

    大盛りの栗の葉の枯れたやつ。【DaveMason-OnlyYouKnowAndIKnow】手の中に

  • 琥珀の海

    公園の銀杏並木に積もった落ち葉が美しい——そんなことを水口イチ子がどこからか聞いてきたようだ。「是非見に行きましょう」と七五三も近い、ある土曜の朝、有無を言わせずに連れ出された。*広い遊歩道沿いに銀杏の大木がそれぞれ十数本——無数の落ち葉が風に吹き寄せられている。曇った晩秋の空から薄陽が映して、そこだけひときわ明るい。まるで磨き上げられた琥珀の海だ。イチ子は自転車に乗ると、アンバーの波を切って、しばしのクルーズに出る。【JimPhotoglo-MoreToLove】琥珀の海

  • 学校の廊下

    暇だから散歩がてら写真を撮ってこよう❗️はアリだ(外出しなきゃならないから読書よりは手が掛かるが...)。他に『小説を書く』や『油絵を描く』などもありそうだが、暇つぶしとしては手数が掛かり、面倒臭く、ほぼナイ。その点、写真はシャッターを押すだけだから、シロウトにも入門のハードルは低い。ガラケーが発明されて写メが生活の常識になってからはハードルが低いどころか敷居もなくなり、学校の廊下みたいになってしまった。だからか、この半世紀、やたらと詩人、写真家、文化人、コンサルタント、評論家などの肩書きが増えた。学校の廊下

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