これまでのあるの成長を思い返しながら、 言葉を話し始めた頃の謎の言葉を思い出していました。 これは例えば、少しだけ登るのが大変な場所へ登る時や、 大きなおもちゃなんかを運ぶ時に、いつもあるが口にしていた言葉でした。 何故だか、今になって、あの頃の言葉を鮮明に思い出しながら、 漸く、その言葉の意味を見つけました。 これは、頑張れ、頑張れ、と自分自身に向けた言葉であったのだと思います。 思えば、私たちは、何かを成し遂げようとするあるを、 頑張れ、頑張れと、手を出さずに見守ってきました。 まだ上手に言葉が話せなくとも、あるは、その言葉の意味を理解していたのでしょう。 上手く聞き取ることが出来ず、意味…
あるの動きが活発になってきた頃から、 公園へ出掛けた時のあるの遊び相手は、主にみーくんが。 そして私は、主にカメラマンという形がありました。 私は、みーくんとあるが楽しそうに遊ぶ様子を、 カメラの画面越しに見るのがとても好きでした。 2人とも、本当に良い顔をしています。 私はいつも、そんな2人を画面のこちら側から、 笑いながら見つめていました。 この時間は、私にとっての暫しの休憩の時間でもありました。 みーくんは、何も言葉にはしなかったけれど、 私に休む時間を作ってくれていたのだと思います。 何も言葉にしないままに、 それが自然であるかのように、 私たちにとっての当たり前の形を作ってくれていた…
あるが初めてモルモットを抱っこしたのは、2歳の頃でした。 動物園へ出掛けた日の写真を見返してみると、 動物たちと触れ合うことの出来る場所で、 あるがモルモットを抱いた写真が残っていました。 動物園での思い出。 とても楽しかった記憶しか残っていませんが、 モルモットを抱いたあるは、 何故だか今にも泣き出しそうな顔をしていました。 一体、何があったのだろうかと、記憶を辿ってみても、 特に、あるが嫌がったような記憶はありませんでしたが、 写真の中のあるは、ものすごく切ない顔をしているのです。 なんというか・・・ そんなあるの姿にも、 いつもとはまた違った可愛さを感じたので、 ここに残しておきたいと思…
みーくんが仕事へ出掛ける前になると、 あるが玄関先で泣き出すようになったのは、 いつの頃からだっただろう。 泣いているあるを宥めて、行ってきますの挨拶をしていたみーくんが、 やがて考えついたのは、 ハイタッチと、 ギュー!!の挨拶。 この挨拶を始めるようになってから、あるは、 泣かずに、みーくんを見送ることが出来るようになりました。 みーくんが何気なく始めたことでしたが、気が付けば、 この挨拶は、我が家でのいつもの挨拶となりました。 www.emiblog8.com emiblog8.hateblo.jp
眠そうな目を擦りながら、眠くないと主張するようになったのは、 いつからだっただろう。 いつまで経っても最長4時間を眠ると起きてしまうあるに、 悩んだり、そのペースに慣れる努力をしたりしてきた私たちですが、 あるが、自分の主張が出来るようになった頃になって初めて、 この子は眠るのが嫌いな子なのかも知れないと、 こんなことに気付かされた日がありました。 emiblog8.hateblo.jp
私の実家は、家からすぐ側にあります。 有り難いことに、 時々には、実家であるを預かって貰って、 自分だけの好きな時間を過ごすことが出来ていました。 あの日は、サウナへと出掛けた日でした。 ママは、サウナにお出掛けしてくるね。 綺麗になって帰って来るからね。 帰って来たら、ママ、綺麗だねって言ってね。 こんな私の言葉に、あるは、楽しんできてねとでも言いたげに、 手を振って見送ってくれました。 暫しの休息に癒されて、実家へと戻ると、 私の姿を見つけたあるが、一目散に駆け寄ってきてくれました。 そうして、言ってくれたのです。 数時間前に言った私の言葉を、 覚えてくれているなどとは、全く思ってもいませ…
お話が上手になってくると、遊びの幅も広がってきます。 今日は、あると一緒に、手あそびをしてみたいと思います。 とんとんとんとん ひげじいさん 私たちを真似て、 あるもやってみますが・・・ 『ひげじいさん』が、 どうしても『ひべじいさん』になってしまうある。 そんなところもまた、あの頃の可愛かったあるの姿でした。 emiblog8.hateblo.jp
あるは、人見知りをしない子に育ちました。 優しそうな年配の男性に心惹かれていたあるですが、 成長と共に、同年代くらいの子たちへと興味が移っていきました。 例えば、公園などで、 同じくらいの年頃の子と出会うと、 いつの頃からか、このように、 自分から声を掛けて、遊ぶようになりました。 初めて会ったばかりの子とも、すぐに仲良しに。 この子には、いつまでもこんなふうに、 人が好きでいて欲しいなと願いながら、 楽しそうに遊ぶあるの姿を見守っていた頃がありました。 emiblog8.hateblo.jp
良いお天気の時に、また来ようね 例えばこんなふうに、 天気に関する話が理解できるようになってきました。 そんなある日のこと。 あると同じ年頃の子を持つ友人と、 公園へピクニックへ出掛けた日のことでした。 2人とも、ピクニックがとても楽しかったのでしょう。 帰り間際になると、 2人並んで、今度の約束をしていたのです。 幼い頃は、その子によって、言葉の発音が異なることも多く、 我が子以外の言葉は、 時に汲み取るまでに時間が掛かってしまうこともありますが、 お天気の時に=おでんきとき という発音の仕方は、 幼い子たちの間での共通の言葉であるのかも知れないと、 こんな発見をしました。 あの日のあるを形…
自我が芽生えたあるは、なんでも自分でやりたがるようになりました。 そんなあるを回転寿司店へ連れて行った日のことでした。 今はタッチパネルでの注文が主流ですが、 当時は、インターフォンを押して、流れていないお寿司を注文するスタイルでした。 私たちが注文する姿を見つめていたあるは、 自分の分は自分で注文したいと言い出しました。 たまごといくらが大好きだったある。 2皿ずつ欲しかったのでしょう。 予期せぬ注文の仕方に私たちの方が驚いて、 一瞬、固まってしまいましたが、 店員さんの対応は、素晴らしいものでした。 インターフォンの向こう側の店員さんが、 とても優しかったことに今でも感謝しています。
あるには、おしゃぶりをさせていましたが、 いつ頃、おしゃぶりを卒業させれば良いのだろうかと、 こんな疑問を持ったのはいつの頃だっただろう。 幼稚園に入るタイミングなのか、 それとも、もっと早い時期なのか。 夜、眠る前には、おしゃぶり必須。 こんなあるにとって、 おしゃぶりなしで寝てくれるのだろうかと、こんな不安もありました。 そんなある日のことでした。 夜、寝かしつけのために、お布団に入ろうとすると、 こう言って、 突然に、あるがおしゃぶりを布団の下へ隠しました。 これは、おしゃぶり卒業のタイミングなのかも知れないと、 この日は、おしゃぶりなしで寝かしつけ、 その後、あるの目の届かないところへ…
あるを病院へ連れて行った日のことでした。 あの日は確か、熱が出ることはなかったけれど、 咳が出るというような比較的、軽い風邪のような症状であったような気がします。 咳をしながらも元気なあるは、診察室へ呼ばれると、 なんと患者用の椅子に座ってクルクルと回り始めたのです。 こんなことは初めてでした。 ある。やめて 私の声には耳を貸さずに、椅子に座ったまま、 クルクルと回り続けるあるを見つめた先生は言いました。 第一次反抗期の頃だねと。 この後、すぐにあるを止めて、診察をして貰いましたが、 先生の言葉から初めて、 あるが第一次反抗期を迎えていたことに気が付きました。 思えば、少しずつ自己主張が増えて…
あるは、お味噌汁を何故か『ももしる』と呼んでいました。 間違えて、ももしると覚えてしまったのかも知れません。 そんなある日の食事時のこと。 いつも通り、お味噌汁をももしると呼ぶあるに、 これはお味噌汁だよと、 そう話し掛けると、あるに叱られてしまいました。 これは・・・ お味噌汁ではなく、ももしるが正しい呼び方なのでしょうか。 俄かにこんな疑問を持った私たちは、あるが成長するまでの間、 お味噌汁をももしると呼ぶことにしました。 時には、私たちがあるに寄せて、その名を変更した なんてこともありました。 今となっては、ちょっと笑ってしまう思い出です。
あるがたくさんの言葉を話し始めた頃の中で、 特に私たちのお気に入りだった言葉がありました。 これは、お風呂の時間の中でのあるの言葉です。 体を洗って湯船に入ったあるに、 毎回、みーくんは、桶でお湯を掛けてあげていました。 いつの頃からか、そんなみーくんに言うようになったのです。 体は洗ったから、もうお湯は掛けなくても良いよ というような意味だったのだと思います。 この、あるの言葉が可愛くて、 みーくんがもう一度お湯を掛けると、 怒り口調でのこの言葉です。 あるは、怒っていましたが、私たちにとっては、 この言葉も、怒っているあるの姿もまた、 お気に入りの可愛い瞬間でした。 あの日のあるを形にしま…
私があるを産んだ頃は、半年から1年ほど前後で、 周りの先輩や友人たちも出産をしていました。 そんな中で、 私が最も、頻繁に時間を共に過ごしていたのは、 あるよりも半年ほど後に出産した先輩でした。 先輩の子の名前は、けいとくん。 先輩とは、家が近所であったこともあり、 振り返ってみれば、 毎日のように、先輩とけいとくん、私たちの4人での時間を過ごしていました。 あるが少しずつお話が上手になっていったことも、 けいとくんが上手に歩けるようになったことも、 私たちは互いに、見守っていました。 2人の息子たちにとっての2人のお母さん。 あの頃の先輩との時間は、そんな時間でもあったように感じています。 …
ちょっと待っててね 私の言葉を理解し、少しの間、待っていてくれるようになったあるですが、 そんなあるの姿に楽になったと感じたことも束の間に、 今度は、 待ちたくないと意思表示をするようになりました。 ちょっと待っててね の私の声に、ある日突然、 言うようになったのです。 こんなあるの姿もまた、 私にとって、可愛さを感じた瞬間でした。 emiblog8.hateblo.jp
例えば、奥の部屋で掃除をしている時など、 訪問者が来ても、気が付かないことがありました。 そんなある日のこと。 あるが知っている言葉を使って、 人が来ていることを教えに来てくれた日がありました。 この日は、 情熱的なセールスを丁重にお断りしながらも、 あるの大きな成長に、感動した日となりました。 あの日のあるを形にしました↓↓ https://suzuri.jp/emisora/10066564/towel-handkerchief/l/white emiblog8.hateblo.jp
ある。 キミは気付いていたかな。 キミはね。 素敵な才能を持って生まれてきたんだよ。 キミは、本当に凄いね。 キミは生まれたその日に、その素敵な才能を開花させたんだ。 アルバムをめくれば、所々に見つけるのは、 パパと小さなキミの変顔の写真。 キミが生まれる前までのパパは、こんなこと、絶対にしなかったよ。 だって、キミが生まれる前までのパパは、写真が嫌いだったもの。 キミはいつから、 パパにこんな顔をさせられるようになっていたのだろう。 ふと、そんなことを考えさせられたよ。 そうして気が付いたんだ。 キミは生まれた日から、毎日、毎日、パパのクールさを崩して、 その裏に隠されたパパの別な顔を見つけ…
いつの日か、あるのお話が上手になったら、 ひとつだけ、あるに聞いてみたいことがありました。 それは、お腹の中にいた頃の記憶。 あるのお話も随分と上手になってきました。 あるをゆったりと抱いていた時間に、 今なら、聞いてみても良いのかも知れないと、 ふと、そんなふうに思った瞬間がありました。 ある。 ママのお腹の中にいた時のこと、覚えてる? こんなふうに静かに話し掛けると、あるは答えてくれました。 それはまだ、あるが生まれる前に、 お腹に手を当てて、そこにいるあるに語りかけていたみーくんの言葉でした。 あるはあの頃、 きっと静かに、みーくんの声に耳を傾けていたのでしょう。 赤ちゃんは、お腹の中に…
一時期のあるは、マイクのおもちゃがお気に入りで、 家の中では勿論のこと、何処に行くにも一緒でした。 マイクを片手に、 この言葉の意味は、未だに謎ではありますが、 あの頃のあるは、マイクに向かって、必ず呪文のように、 『からばからば』と、唱えていました。 時には、みーくんと私に、マイクを向けて。 そして、実家や友人宅へ遊びに行けば、 皆にマイクを向けて『からばからば』を要求。 マイクを向けられた人は、必ず唱えなければならないのです。 からばからば と。 ですが、何故でしょうか。 あるにマイクを向けられ、この呪文のような言葉を唱えていると、 何故だか楽しい気持ちになってしまうのです。 これは、私た…
神様、私に眠らない体をください。 あるが生まれてからというもの、 私は何度、こんなことを願ったでしょうか。 あるが初めて4時間眠ってくれたのは、床上げの頃のことでした。 そこから、あるの睡眠時間が長くなることはなく、 あるは何故、4時間以上眠らないのだろうかと悩みながらも、 二十歳になれば皆同じだと、こんな視点を見つけ、 それに対する追求を辞めたのは、この頃よりもずっと小さなあるを抱いていた頃。 あの頃よりも大きくなったあるは、 上手に歩けるようになって、走ることだって出来るようになりました。 お喋りも上手になりましたが、相変わらず、夜は、4時間程を眠ると起き出しました。 授乳間隔から夜泣きと…
あるが、おもちゃを散らかし放題で遊んでいます。 あるの仕事は遊ぶこと。 そして、部屋中を散らかすことも、 その一部とも言えるのかも知れません。 さて、ご飯の前に、お片付けをしたいと思います。 ある。お片付けしようね。 あるに声を掛けてみますが、お片付けをしようとはしません。 ほんの少し前までは、お片付けも楽しんでいましたが、 これもまた、あるが成長した証拠なのだと思いました。 そこで思いついたのは、 あるくーん!こんにちは! 僕と一緒にお片付けをしようよ!と、 お人形を使ってあるに声を掛けるということでした。 いつもとは違う調子の私の声に振り向いたあるは、 お人形と一緒に、楽しそうにお片付けを…
あるに折り紙を折ってあげました。 隣で静かに、出来上がりを待ってくれています。 何を折っても喜んでくれるあるの姿が嬉しくて、 勢いに乗った私は、 折り紙の本を参考に、色々と折りながら、 やがてオバケの折り方に辿り着きました。 オバケとは言っても、とても可愛らしいオバケです。 それなのに、なんということでしょうか。 ある、見て?オバケだよ こんな私の声に、あるは泣き出してしまったのです。 可愛いでしょ?という私の声は届かずに、 オバケを指差して泣き続けるある。 私たちは、オバケを怖いものとして教えた記憶はありませんが、 あるはいつの間にか、オバケを怖いものとして覚えていたようです。 ふとした時に…
私の実家へ遊びに行くと、あるが一目散に駆け寄って行くのは、 ママじいちゃんのところ。 あるは、ママじいちゃんに、とてもよく懐いていました。 渡したいものがあるから届けに来たよ 今日は玄関先で帰るよ あれは、ママじいちゃんが、 ほんの少しだけ家に顔を出してくれた日のことでした。 玄関先にママじいちゃんの姿を見つけたあるは、 じいちゃん、じいちゃんと、 ママじいちゃんの手を両手で掴んで離そうとはしませんでした。 私の父は、とても無口で、 あまり感情を表に出すことをしない人でしたが、 あるのこんな姿に、 照れたように、とても嬉しそうに笑っていたことを、 ふと思い出しました。 あの日のあるを形にしまし…
あるの写真を撮りたくて、 少しだけ私が離れただけで泣いていたあるも、 少しずつ、ひとりで遊ぶことが出来るようになってきました。 あると遊ぶ前に家事を済ませたい時には、 ちょっと待っててねと声を掛ければ、 その意味を理解し、私の言葉を真似ながら、 待っていてくれるようになりました。 思えば随分、楽になったな。 あるの成長を感じながら、 ひとりで遊んで待っていてくれるあるを、 影から、そっと静かに見守った時間がありました。 emiblog8.hateblo.jp
あるは男の子だから。 そんなふうに決めないで、色々な遊びをしようね。 男の子だって、おままごとやお人形遊びに興味を持っても良いと思うんだ。 これは、いつかのみーくんの言葉でした。 確かに、あるがこれから、 どんなことに興味を持つかなんて、分かりません。 様々な遊びの中で、 物事へ対する関心の幅も、広がっていくものなのかも知れません。 我が家では、あるが男の子だからという概念を捨てて、 どちらかと言えば女の子向きの遊びも積極的に取り入れました。 そんな中で、私が特に好きだったのは、おままごと遊びでした。 あるがお料理をしてくれます。 さて、どんなお料理を作ってくれるのでしょうか。 幼い頃の私は、…
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