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2021/07/23

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  • 悪意の中でも善意でいる勇気。

    悪人を救うためにはどうしたらいいか?・自分が悪意に合ったとしても悪意に染まらないこと、悪意の中でも善意でいること。・自分信じて、真我を心の拠り所とします。他人には期待しません。もし世の中の全ての人が悪人になってしまったら誰が悪人を助かるというのでしょうか?歴史の中で過酷な時代であっても世の中すべての人々が悪意には染まりませんでした。もし、すべての人々が悪意に染まってしまったならば誰が畑を耕すのでしょうか?誰が赤ちゃんを育てるでしょうか?歴史に善意の人々がいたから人類は継続しました。もし悪意一色なら人類はすでに滅びています。ですから自分は悪意に合ったとしても悪意に染まらなず善意でいることが結果的に悪人を救うことになるのです。避けなければならない悪人もおりますので現実問題として物理的な距離を開けるのが理想的で...悪意の中でも善意でいる勇気。

  • 自分の生活を守りましょう。

    善意の人間もいれば、悪意の人間もいます。今日は悪意の人間の話ついてです。悪意の人間とは、真我が心の奥に閉ざされて悪意で人に対応する人のことです。昔であれば悪意の人にも気づきがあり善意の人間へとなることもありました。しかし、現在は時代の波動から悪意の人は善意に気づきにくいように感じられます。もし善意に気付いたならば反省して感謝の道に行けば良いと思います。しかし、中には人からの善意を当然として環境を破壊する人もいます。私たちも自衛が必要です。そう言う奴は、もう善意の気づきが起きないことを前提に対応した方が良いと思います。気づきのない悪意の人間を諦めます。そう言う奴の死後は地獄でしょう。私たちの生活を守りましょう。なんとか自分の生活を頑張りましょう。ありがとうございます。自分の生活を守りましょう。

  • お休み

    本日も記事の更新はお休みです。楽しみにされていた方申し訳ないです。お休み

  • お休み

    本日の記事の更新はお休みです。楽しみにされていた方申し訳ないです。お休み

  • お休み

    本日の記事の更新はお休みです。楽しみにされていた方申し訳ないです。お休み

  • 私たちは土の上で生活させてもらっています。

    私たちは土の上で生活させてもらっています。土=地球土から作物ができ家が建ち、人が歩きます。土の山があり、土に沿って川が流れ、土の支えに海が成り立ちます。けど、土が崩れると今の人類はひとたまりもないです。これを土の被害を事前に想像して、土=地球に感謝ができる人類なのか?はたまた土が被害があっても反省もしない人類なのか?これを天は見ていると感じます。これからは災害が増え出します。それでも土=地球に感謝して生活したいものです。ありがとうございます。私たちは土の上で生活させてもらっています。

  • うまくいかない、不調も時間経過とともに変わっていくものです。つまり慌てるなということです。

    うまくいっている、順調ということについて考えてみました。私は、うまく行かない不調も含めてうまくいっている、順調なのだと思いました。短期的な視点ですとどうしてもうまくいかない、不調は悪く思えます。しかし、人生は短期的な視点ではなくて、長期的な視点での評価です。つまり、人生を点で見るのでなく、全体で見ます。では、そう考えますとうまくいかない、不調は悪いことなのでしょうか?いいえ、そんなことはないと思います。短期のうまくいかない、不調が後年に良く転じることがあります。また、うまくいっている、順調もいくらでも逆転するものです。ですから、今起こっている顛末は誰にでもわからないのです。天ですらその生きゆく先を未知であるのです。それならば、うまくいかない、不調にも感謝している方がお得なのです。うまくいかない、不調の時の...うまくいかない、不調も時間経過とともに変わっていくものです。つまり慌てるなということです。

  • 自分が辛い時に本当の自分が出てくると思います。

    本当の自分と向き合うときはどんなときか?私は、自分が辛い時に本当の自分が出てくると思います。余裕のない時に本当の自分が出てくると思います。ギリギリとした綱渡りの時の自分とはどんな自分か?これを観察していきたいと思います。強い自分もいれば弱い自分もいるものです。怒ってしまうこともあるし、悲しむし、引きこもるし、泣いてしまうし、八つ当たりしてしまうかもしれません。人に当たってしまったとしても、また反省して成長していきます。まだまだまだまだな自分がいます。いくらでも成長できる自分がいます。自分だけではなくて生き物全ては成長しているものです。あの嫌な人も、あの全然成長していないと思う人も少しずつ少しずつ成長しています。マイペースに目の前のことに感謝をしてきましょう。ありがとうございます。自分が辛い時に本当の自分が出てくると思います。

  • 感謝=幸運=幸福(降伏)

    人の正しい姿として、最後は病気で死んでいくのだと思います。お金を持っても、異性といても、モノをどれだけ持っていても、最後には捨てていきます。どんなに愛着があっても、愛していてもです。ですから途中で見える景色に執着することはないです。欲しいものもありますが、時間の経過と共にコロコロ変わっていきます。もし、手にれたとしてもやがて飽きてきます。盗まれる心配も出てくるし失くす心配、壊れる心配もあります。ですから、もし幸運にも手に入ったら感謝して楽しんで味わうことが大切です。有るのが当たり前だと、当たり前すら失っていくものです。失ってから「あれ?あれは幸運であり幸福だった」と思っても遅いことがあります。しかし、あれも欲しいけど手に入らないことが大半です。そんな時は、降伏します。現状に参ったします。(降伏します)自分...感謝=幸運=幸福(降伏)

  • 私たちは苦しみの世界に生きているので、何をしても何もなくても苦しみがあるのが当然です。

    仕事や家庭や学校での悩みがあったらどうするか。この時期は悩みが出やすいです。大切に思うのは、私たちは苦しみの世界に生きているので、何をしても何もなくても苦しみがあるのが当然です。だから悩みや心配や苦しみがあるのは基本なのです。では、その上でどうするか?・悩みや心配や苦しみに答えはないと諦めること・諦めた上で目の前の残されたものを感謝すること・これを理解したら、それでも生きられることに感謝をすること。感謝の継続をすること現状の苦しみがなくなっても次の展開では新たな苦しみが始まるものです。だから、慌てなくて良いのです。人生には、ダメな時期があるものです。だから、慌てなくて良いのです。自分のことがダメでしかたないと誰もが思うものです。だから、慌てなくて良いのです。苦しくても、ダメでも、それでも生かされているので...私たちは苦しみの世界に生きているので、何をしても何もなくても苦しみがあるのが当然です。

  • 人生は気楽で元々です。

    やってみたらダメだったことがあります。うまく行くのが当然だと思っていると、ダメな自分が苦しいです。これと同じように、何事も有るのが当然、できて当たり前と思っていると苦しくなるものです。環境的にできて当然を要求されることもありますが、目の前に集中して心は安静にしていれば良いです。生きていればどうにもならないことがあるのも事実です。どうにもならないときは目の前のことに集中しつつ、ダメでもしかたないと諦めている方がお得です。仕事をするために生まれてきたのではなくて、幸せになるために、真の人間になるために私たちは生まれて来ました。けど、仕事も家事も勉強も頑張りましょう。つまり、気楽で元々なのです。ありがとうございます。人生は気楽で元々です。

  • 非常によく頑張っているよと感謝を思う。

    太陽は、私たちに与え尽くしてくれています。地球は、私たちに与え尽くしてくれています。不思議なものでもっている↓頂いている↓与え尽くされていると考えますと心が静かになるものです。「私はまだまだ不満です」と言う方もおられることでしょう。不満も不足、苦しみも、悩みも与え尽くされています。短期の視点で見ると不幸に思えるものでも、長期の視点ではあの時の短期の不幸が幸福になっていた、と言うのはよくある話です。慌てずに目の前のことをこなしましょう。以上のことから与え尽くされているのはわかりました。では、あとは何をしたらいいのか?・もう、十分だよいう感謝の心が幸運と幸福を呼びます。・自他へのこれでいい、これでもういいよというか感謝の心が目の前のことをちょうど良くする。・自分の今くらいの頑張りを認めてあげる。自分によく頑張...非常によく頑張っているよと感謝を思う。

  • 今日を一緒に頑張ろうね。

    人生はゆっくりゆっくりで良いのだと思います。急展開や次の展開が次々ときたり、時には退屈だったりするものです。家庭でもあるものですが社会での出来事もあります。ですから、心は安静にしてマイペースにゆっくりゆっくりが良いのだと感じます。先の先を見たくなるものですが未来が未知なのはお楽しみです。この世は、飢餓も戦争も犯罪も交通事故もなんでもあります。慌てない慌てない一休み一休み。生きる努力はしますが、執着はしないです。死ねば安心の世界に行く可能性があります。どんなに頑張っても努力しても区切りなどなくて途中で捨てていくのがこの世です。だからマイペースで良いのですよ。生と死の区切りもなく、心は永遠です。だから、今日を頑張れます。一緒に頑張りましょう。ありがとうございます。今日を一緒に頑張ろうね。

  • 今年もなんとか桜が見れました。ありがとうございます。

    人生には、寿命というこの世での肉体の終わりがあります。その時には、裸一つで物を捨てお金を捨て人を捨ててあの世へ旅立ちます。0歳から100歳までフルで自分の時間をフルで使えるわけではないです。怪我や病気で布団の上にいる時間もあることでしょう。後年には、肉体の制限から施設にお世話になるかもしれません。そう考えると「健康で元気なうちに」出来ることは限られてきます。無理は不要ですが、後悔なく日々を過ごしたいものです。ところで今年は桜を見ましたか?「桜を見れた」もあれば「今年もなんとか桜が見れた」もあります。無事に過ごせる日々にありがとうございます。今年もなんとか桜が見れました。ありがとうございます。

  • あの時はごめんね。あの時はありがとう。

    人が素直になるとは、ごめんなさいとありがとうが言えることなのだと思いました。地球さんごめんね。お父さんさんごめんね。お母さんごめんね。太陽さんありがとう。この言葉を読むだけでも気持ちがすーっとしませんか?それは、私たちの本質は、素直だから誰もが心中で言いたいけど言えずにいるのだと思います。生きている間くらいありがとうと言いたいものです。素直に謝りたいものです。けど、誰が死んで本当のことを知ると「もう良いよ。がんばっているんだね」と思ってくれるのかもしれません。亡くした方は今頃、あの時の私たちの心の中での謝罪と感謝をわかっていてくれるでしょう。あの時はごめんね。あの時はありがとう。あの時はごめんね。あの時はありがとう。

  • お休み

    本日の記事の更新はお休みです。楽しみにされていた方申し訳ないです。お休み

  • 質素倹約するともったいないことに気づき、感謝の継続ができるようになります

    この二日間(8日、9日)で心身がとても軽くなっている感じを受けます。体が浄化された印象を受けます。やはり、日々に大切なのは感謝の継続です。自分なりの言葉で良いので感謝の継続が将来の運勢を作ります。私は占いや霊感などの占いはしませんし興味はありませんが自分の運勢は自分で作っていると考えています。私は私を信じています。日々の生活態度、生活習慣が自分の運勢に大きく影響を与えていると思えてなりません。運勢を改善する必須条件は、自分なりの質素倹約です。栄養バランスの良い多種目を食べて、食を8分目、できれば7分目を心がけます。これだけでも運勢の改善が見られると想定します。一回や二回ではなくて「生活態度」「生活習慣」のように質素倹約の継続です。しかし、質素倹約の本心の部分は運勢改善ではなくて、もったいないくらいの日常の...質素倹約するともったいないことに気づき、感謝の継続ができるようになります

  • 神様、今日も食事をいただくことができます。ありがとうございます。

    最近に、気になることは食前、食後の挨拶です。いただきます、とご馳走様が言えるかどうかという話です。近年は、食事の場でのこの言葉を話すことが少なくなりました。外食する時はなおさらで、近年のマスク事情にしましても、この文化はかなり減ったような気がします。いただきますとご馳走様は人の目もあり言えずとも心中では、自分なりの感謝の言葉で良いので食材の命に感謝を捧げたいものです。お米と水への感謝が特に大切に思います。太陽と地球をそのままいただいている印象です。私は、食事とは、太陽と地球との同化現象だと考えています。理由は、食事とは、太陽と地球が生み出してくれたものだからです。また、感謝しながら食べるのと感謝をせずに食べるのとでは栄養吸収の意味で違う印象を受けます。ならば自分なりの言葉で良いので食材に感謝する方を私は選...神様、今日も食事をいただくことができます。ありがとうございます。

  • 自分の不幸を認めていいよ。自分が感じている憎しみを認めていいよ。

    人が認めたくないこと。人が目を逸らしたくなること。それは自分の不幸だと思います。人を憎んでいる自分を認められないし、無価値観を感じている自分を認められないし、無力感を感じている自分を認められないものです。しかし、心の問題とは、認めたくない自分の不幸を認めればたいがいは問題は解決するはずです。つまり自分のオリジナルの感じ方ではない、作られた感じ方をしている可能性があります。〇〇であるべき、〇〇するべきと自分を縛っているのです。これは真我とは違う話ですが、私が虐待から立ち直るのに参考になりました。不幸とは環境ではなく、不幸とは自分の心が作り出していたのです。もちろん、悲惨な事件や不幸なことはあります。そうではなくて、人間としての心が幸せになる心理的な話です。これからも書いていきたいと思っています。ありがとうご...自分の不幸を認めていいよ。自分が感じている憎しみを認めていいよ。

  • 太陽の紫外線への対策。それへの対策はするが心には太陽の感謝の歌があります。

    これから太陽光が強まる季節に入ります。私は、太陽からも感謝の歌が聞こえてくる気がします。宇宙からも感謝の歌が聞こえてきます。人の呼吸からも感謝の歌が聞こえてきます。太陽の歌も、またポカポカしてて気持ち良いものです。しかし、太陽光の紫外線による皮膚ガンの影響は懸念点です。背の低い子供の太陽の紫外線からの後年の目の病気のためにも、サングラスが必要になってくると思います。やはり今年の夏も大人も子供も紫外線対策が必須のように思えてなりません。けど、心には太陽の歌があります。私たちもまた太陽です。ありがとうございます。太陽の紫外線への対策。それへの対策はするが心には太陽の感謝の歌があります。

  • 避けようとしても避けらなれないものから逃げない覚悟。不安の中で逆に安心します

    この世で幸福になるとはどう言うことか?私なりに感じたことは ・目の前のことに慌てて逃げないこと・生きている間だけの喜怒哀楽ならば、逆に不安の中で安心して目の前のことから逃げない覚悟をすること・つまり、この世にどっぷり肩まで浸かること これで良いのではないかと思います。嫌な人も、嫌な出来事を避けても何も生まれないものです。確かに避けなければいない人や物事はありますが、避けようとしても避けられないなら一緒に生きる道もあると思います。共存共生です。仮に目の前の嫌な人や嫌な出来事を避けたとしても別のことで嫌な思いをするものです。ならば自分にできることは?この世に肩までどっぷり浸かり逆に安心します。大切なのは目の前のことから逃げない覚悟だけです。今日も自分なりに感謝をして頑張りましょう。ありがとうございます。避けようとしても避けらなれないものから逃げない覚悟。不安の中で逆に安心します

  • 感謝が継続できていれば、もういいよ〜、それでいいよ〜、これでいいよ〜

    心中での感謝を忘れてしまいがちですが、安心して食事をいただけたり、最後まで食事をいただけたり、安心して睡眠がとれたりするのは見逃してしまいがちです。 この感謝を深めていきますと、今日を生かされていることがありがたいのです。 つまり宇宙のビッグバーンから始まり命の継続がありがたいのです。 ありがたいとは宇宙の始まりに対していっているのかもしれません。 もっと前は、全てを生み出した神様への感謝だとも思います。 日常生活への感謝=もういいよ〜、それでいいよ〜、これでいいよ〜 と聞こえてきそうです。 今日も自分の日常生活ができることに感謝です。 ありがとうございます。感謝が継続できていれば、もういいよ〜、それでいいよ〜、これでいいよ〜

  • お休み

    本日の記事の更新はお休みです。楽しみにされていた方申し訳ないです。お休み

  • 人類、負けるな〜〜

    海の底の高低差は様々ですが、海の水面はどこも均等です。つまり、悪いことをしてその時は、得したような気分になっても、人生のどこかで均等になれされるのです。心が辛いと罪を犯してしまいがちですが、罪を犯した次の展開があります。罪を犯して、それだけでは終わりません。心が辛い時こそ、自分の心の強さが試されています。天から試されています。どんな時も真我が自分を見ていてくれています。今の心の辛さも10年後、20年後から今を見たら笑い話です。欲しい物が手に入らなくても、10年後、20年後も過ぎれば欲しい物がコロコロと変わっています。子供の頃欲しかったおもちゃが成人した今も欲しいわけではないです。そんな欲しい物がコロコロ変わることに、一時的な衝動で罪を犯すのは割りに合いません。では、どうしたらいいのか?赤塚不二夫さんという...人類、負けるな〜〜

  • 大小の罪を犯したら終わりではなく。深く反省して、悪の道から離れます

    神様の気持ち、地球の気持ち、太陽の気持ち、全ての生き物の気持ち。そう思いやってゆくとわかることがあります。生かされてありがたいという気持ちに行き着きます。苦しい人生の人も他界すれば「よく生き切った。また挑戦したいな」と生きる努力をした魂は誰もが思うことを想像します。それだけこの世で生きるとは奇跡なのです。けど、人は弱いところもあります。生活や心が苦しいとつまらぬことをしてしまいますし、魔が刺すこともあります。もし、行為で罪を犯してしまったならば、・自分の罪を「反省」します。・自分の残された時間は、犯した罪以上に他の人や物へ善意の継続をします。神様の気持ち、太陽の気持ち、地球の気持ちとは、罪を犯したとしても、反省して、悪の道から離れる思いだと思います。私も悪の道から離れる人類を信じています。ありがとうござい...大小の罪を犯したら終わりではなく。深く反省して、悪の道から離れます

  • もういいよ、これでいいよ。生かされていることに感謝の継続ができればそれでいいんだよ

    悟り、目覚め、覚醒とは、その後があります。目覚めの継続です。つまり感謝の継続です。目覚めとは、生かされている奇跡に気づいて感謝することだと私は思います。そして感謝の継続です。感謝の日常生活の継続です。それでいい、これでいいと直感でわかると言うことです。つまり、生かされていることに感謝を継続できていればもう良いのです。悟りとか目覚めとか覚醒とか、名前の上ではない奇跡を生きることになります。感謝が継続しますと、そこには救われている自分が在ります。今日もありがとうございます。もういいよ、これでいいよ。生かされていることに感謝の継続ができればそれでいいんだよ

  • 不安の中で安心すること

    不安だし心配だし苦しみがありますね。しかし、不安や心配や苦しみの中に安心も存在します。この限定された中で、心の安心を見つけます。元気がない時は、残されたものを見ます。不幸な時は、残されたものを見ます。苦しい時は、その中の残された安心を見ます。つまり一時的な変化で全てを決めてしまわないこと。この世とは苦しみなのだから、慌てないことです。苦しみ、悩みがあるとは、まだまだ成長できるということです。足りないから不足分が満たされることを楽しめます。一緒に成長していきましょう。ありがとうございます。不安の中で安心すること

  • 自分の方が他人よりもすごいとすぐにいい気になってしまう自分だけど、人は死ねば皆仏様です

    過去に嫌ってきた人が誰にでもおられると思います。今有るものを見ずに無いもの数えて悲観したこともあると思います。人や物を嫌っても、残ったものの可能性ではなく物悲しく悲観に暮れてもそれっきりです。人や物も常に変化し続けて、いつかはこの世から消えます(死にます)。悲観しても悲しい気持ちになるばっかりで明るい気持ちになりません。笑えません。嫌いな人、物はそれはそれとして一緒に仲良く暮らしていけたらいいなと思います。嫌いな人、物とは仏様の化身かもしれません。地球が産んだ子供達です。死ねば皆、仏様です。いちいち気にしていたたら生きている短い間の楽しい人生が台無しです。けど、現実問題として、避けなければいけない人もいるのも事実です。避けようとしても避けられなかった人のことです。悲観も同じです。無いなら無いで良いです。不...自分の方が他人よりもすごいとすぐにいい気になってしまう自分だけど、人は死ねば皆仏様です

  • 誰もがいい人、優しい人でいたい。けど、それができないこともあります

    人の悪意に遭った(合った)ときどうするか?昔は、悪事を反省する人もおられましたが今の時代は悪事を反省「できない」人が多い気がします。年齢を重ねてもやはり難しい人はいます。けど、私は、物理的な距離を持って、相手を慰めてあげたいです。悪意のある人の悪意をさせられている家庭環境、社会の厳しさ、孤独、寂しさ。。。私も悪意のある人たちに囲まれていた過去があります。昔の話ですが、悪意のある人たちは人が困るのを喜んでいました。まるで何かのうさ晴らしをするように。。。今ではその人たちのことを許していますが、当時を思い出すとその人たちを気の毒に思います。人には役割があります。自分が今の役割を演じられることに感謝します。悪意のある人もそういう役割を演じているだけです。状況や立場が変われば正気に戻るでしょう。けど、避けなければ...誰もがいい人、優しい人でいたい。けど、それができないこともあります

  • お休み

    本日の記事の更新はお休みします。楽しみにされていた方申し訳ないです。後日によろしくお願いします。お休み

  • 神様。私は降参します。自分の力で変えられないことは諦めます。

    生きていれば悩みも不安も苦しみもあるものです。楽だったこともやがて苦しみに変わります。逆に悩みも解決するし苦しみも楽になるものです。不幸が幸福になり、幸福が不幸になることもあることでしょう。つまり、目先のことで人生を結論づけないことが大切です。心を安静にすることとして悩みも不安も苦しみも諦めることだと思います。悩みも不安も苦しみは生きているから、ずっと続くのです。これはそういうものなのです。人生の仕組みだと思った方が、自分では変えられないものを変えようとする努力をしないで済むと思います。何を言いたいのかというと、自分の力では変えられないものを変えようとすることが苦しみなのです。これを諦めます。神様に降参します。心がホロリと楽になる音が聞こえた気がします。ありがとうございます。神様。私は降参します。自分の力で変えられないことは諦めます。

  • できることは少ないけれど優しい目線で見てあげる。心中では相手に感謝をする

    生かされてありがたい。ふと、そう思いました。この感謝の思いは森羅万象に貫徹していると想像します。宇宙もありがとうございます。太陽もありがとうございます。地球もありがとうございます。ありがとうございますというビッグバーンにより私たちは生きています。生きていますと細いことはいろいろありますが、生死の視点に立てば、細かいいろいろとはありがたい笑い話です。私たちもいつか死んでしまいます。いつか死んでしまう自分なら誰かの、何かに喜んでいただきたいです。特別なことはできないかもしれませんが、見ているだけ、何もできなくても、心中では相手に感謝をしてあげたいです。心中での感謝がビッグバーンとなり相手を応援するような気がします。無関心ではなく優しい眼差しをあげる、心の目での視点です。ありがとうございます。できることは少ないけれど優しい目線で見てあげる。心中では相手に感謝をする

  • 心の余裕を取り戻しましょう。それには笑いです

    楽しい、嬉しい、ありがたいは心の余裕があるときに感じることかもしれません。心の余裕が無くなってくると顔の表情から微笑みが消えるようです。顔の表情から微笑みが消えると険しい表情になることと想像します。そんな時私ならばどうするか?自分の心の余裕のなさに気づくのが前提ですが、一般論として軽いストレッチや笑いを意識します。ストレッチは怪我や事故に注意をしてスローな動きを意識します。笑いは、ネットにはさまざまな笑いが無料でありますのでこれを見て「楽しみます」。笑いをくだらないと思うかもしれませんが、そんな時こそ注意です。微笑みが無い=余裕が無いこれが言えます。ですから、くだらない笑いを見て笑いましょう。くす、うふふ、えへへ。と笑いが出ればしめたものです。今が辛くても生きていればなんとかなります。なんとかなるとは笑い...心の余裕を取り戻しましょう。それには笑いです

  • 太陽さん、地球さんありがとうございます

    最近に感じますことは、太陽、地球への感謝を忘れていないか?ということです。人の心に余裕がなくなってきてはいないでしょうか?感謝はすぐに忘れてしまいますが、無心で感謝をすることが大切に思います。一回や二回の感謝ではなくて、日常での感謝の継続です。これを太陽、地球へ奉納します。自分なりの感謝の言葉で良いです。太陽への感謝とは自分の真我への感謝にも通じると感じます。もちろん、神様、家系の先祖への感謝の継続も大切です。私たちの呼吸とは感謝です。吐いて吸ってとは感謝です。地球さんは今どんな気持ちだろう?と思っても地球に通じます。太陽さん、地球さんありがとうございます。太陽さん、地球さんありがとうございます

  • 不足という余裕に新しく入ってきます

    幸福になると不足するものです。満たされても同じです。幸福と思われる条件が揃ったとしても不足するものです。理由は、幸福=不足と言えて、幸福になっても何かが足りないような気がするのです。しかし、これが人の本来の姿です。足りないから足らせる余裕ができるのです。満腹まで食べ続けたら病気になって早死にするようなものです。ですから不足とは神の恩寵であり、別の何かが入ってから余裕であり、楽しみなのです。ですから、何かが不足していると感じればその人なりの幸福が目の前にあるのです。この不足に感謝できるかどうかです。感謝できる時点でいろんなものが満たされていることでしょう。本当に不足であれば感謝する気持ちは遠いものです。それはお腹を空かした子供に、食事を食べて満腹な大人が「ほら、ごらん笑顔はこんなに素晴らしいんだよ」というよ...不足という余裕に新しく入ってきます

  • 一回の少量で心は満足です

    求める気持ちとは、他人も所有しているから自分も欲しいと思う欲求のことを言うのでしょう。私には、欲しいものはあります。誰にでも欲しいものがあると思います。食事が欲しい、睡眠がしたい、トイレに行きたい、遊びたい、お金が欲しい。。。真我に目覚めましても食事もしますし睡眠もします。借家に住んでいれば家賃も払うことでしょう。真我に目覚めても欲しいものがあります。私が言いたいのは求めることは生きていく上であるけれども、際限なくもっともっと求めることは地獄だと言いたのです。初めは1000円で満足していたのが、やがて5000円、1万円となるように人の欲求は放っておくと底なしです。この欲求は、異性でも、物でも、仕事でも、家族でも、健康でも、お金でも、称賛でも、チヤホヤされたい、などがあります。ですからほどほどで良いのです。...一回の少量で心は満足です

  • 地球から御蔭様をいただいています

    御蔭様という言葉があります。誰もがこの御蔭様で生かされています。昔の日本人は、この言葉通りで生きていたと思います。それもそうです。食事一つとっても菌や虫や命を数えきれないほど命を殺生しているわけです。私は、男性ですが精子も殺生しているわけです。これも御蔭様です。食事という命を殺して、命と自分が同化して共に生きることをしていますね。私とは、動物であり、虫であり、魚であり、です。私が動物であり、虫であり、魚であるなら、それらを生み出した地球も自分です。地球さんの悲鳴が聞こえてなりません。地球さんの御蔭様で生かされていることを忘れてはいけないと思います。地球さんの子供の人類に母性の地球が殺されようとしています。できることは少ない自分だけど、心の中だけでも地球さんに感謝を奉納したいです。私たちも地球なのです。我が...地球から御蔭様をいただいています

  • 人生の問題を無理に解決しない、人生の問題と共存する

    忙しい現代人には、人生の問題は山積みです。生死、仕事、家族、健康、お金、異性、所有、家、近所付き合い、学校の人間関係、勉強、家事、借金、、、しかし、これだけ問題があるということは、人生の問題は無くならないと思った方が良さそうです。人生の面白いところで、人生の問題が一つ解決すると、次の問題が次々とやってくることです。このことからも問題は無くならないと思った方が良さそうです。何を言いたいのか?人生の問題があるなら、それを無理に解決にせずに人生の問題と一緒に生きる視点、人生の問題と共存していく生き方が良いと思います。人生の問題がある=生きている=目の前の問題が今の自分にはちょうどいいこれも言えそうです。つまり、生きることを無理するなということです。目の前のことに感謝して楽しんで脱力していましょう〜ありがとうござ...人生の問題を無理に解決しない、人生の問題と共存する

  • 目の前のことに努力しましょう

    人生は、人間の計画通りにはいきにくいです。大きな流れでは、計画通りなのでしょう。計画を壊してしまうので自殺だと思います。生きましょう。では、どう生きるか?自分なりに努力をして、結果はお任せします、天に委ねます、という態度で良いと思います。努力することは大切ですが、結果には執着しません。結果という決まったものはなく、流れていきます。努力するのであれば病気で布団の上にしても努力することができます。病気であっても養生する努力ができます。もし、それが難しくても、心の中で努力「しよう」と気持ちがあれば十分です。今日も目の前のことを努力しましょう。ありがとうございます。目の前のことに努力しましょう

  • 自分の嫌いなところを受け入れる、自分を好きになる、自分を愛情を持って育てる

    何事も愛情を持って育てる視点が大切です。人も、草花も、動物も、何より自分をです。自分の都合の悪いところを拒否しても仕方がないです。自分の都合の悪いところも含めて自分です。人の都合の悪いところも含めてその人です。このような時は、そのままを受け入れてあげる、欠点を含めてそのままを愛してあげる。自他ともにです。自分を好きになっても良いです。自分とは自分に、人に好かれる価値があります。その価値を信じて良いです。けど、人に好かれても仕方ないこともあります。自分で自分を好きでいることだと思います。自分を嫌いになったら一体誰が自分を愛するのでしょうか?こんな自分でちょうど良いのです。他人と比べてこんな自分で良いのです。この自分が好きであり、大好きなのです。欠点を受け入れることも大切ですが、社会生活があります。欠点を改善...自分の嫌いなところを受け入れる、自分を好きになる、自分を愛情を持って育てる

  • そんなに自分を責めるなよ〜、誰も自分を責めていないよ

    人に思うことは自分に思っていることだった。他人=自分以上でも言えることですが心理学の用語では、これを投影と呼ぶみたいです。つまり人を責めているのは、実は自分を責めていた人に求めていたのは、自分に求めていた人に不満だったのは、自分に満足できずに自分に不満を感じていたこれが言えると思います。心理学では、自分の自然な感じ方を抑圧していると人に投影しやすいとのことです。つまり、自分の価値を信じていいのです。自分は、人生を喜んで生きる価値があると信じていいし自分は、喜んで生活していい価値があると信じていいし自分は、愛される価値があると信じていいのです何かに変化するのではなく、何かに成るのではなく、何かを達成するのではなくて今の感じ方のまま、今の自分をそのままを信じて良いのです。上から目線でいると「もっともっと」と思...そんなに自分を責めるなよ〜、誰も自分を責めていないよ

  • 人を思いやりで観る

    人を見るときには思いやりが大切です。好きな人には思いやりを持ちやすいものですが、苦手な人、嫌いな人には思いやりは持ちにくく感じられます。嫌いな相手。ここに人生の希望が隠されているように思えてなりません。嫌いな人がいる=自分の思いやりが足りない。自分の思いやりが足りないから、嫌いな人がいるとも考えられそうです。しかし、そんなに単純でもないですから避けなければならない人もいるのも事実です。その場合は、距離をとって不干渉です。では、嫌いな人にはどうするか?この場合も距離をとって不干渉ですが、思いやりの視点でみてあげたら良いと思います。思いやりを持つというのは情緒で考えるということです。相手のそうなるまでの背景を想像します。日常のストレスでいっぱいなのかもしれません。借金の有無、家族に病人がいる、自身の健康、仕事...人を思いやりで観る

  • 神は、自然な流れとなって現れる

    神様は、どのようにして私たちの生活に現れるでしょうか?全ては神様の手の内で起こっていることですが、私は紙一重のように偶然に、自然に、そうなるように、たまたまそうなったこのようになっていくのが神様の現れだと思います。つまり、自然な流れになっていくのです。自然な流れ=大自然一見無駄に見えるけど、それぞれがバランスを取り合っていたのです。これを私たちは普段から目にしています。ありがたいです。今日も目の前のことに集中しましょう。ありがとうございます。神は、自然な流れとなって現れる

  • 心が辛いとき、大自然に溶け込みます

    生きていると心が辛い時があります。誰かにわかって欲しいけど、言葉にして話ては心の辛さが陳腐に感じます。そして、黙ります。黙って目の前のことをします。そこには大自然が無言で在りました。心をが辛いとき、心が大自然に溶け込む瞬間があります。私は、それが人の本来の姿だと思います。今の社会はそれだけ大自然から離れた生活なのです。心が辛いとき、大自然を思い出して、大自然に感謝です。地球、太陽、宇宙。。。それらは皆私なのです。私とは大自然です。今日も目の前のことを頑張りましょう。ありがとうございます。心が辛いとき、大自然に溶け込みます

  • 心が硬い時は、笑いです

    心が萎縮していると、魔がしてしてまうことがあります。そんな時には笑いです。今は、娯楽がありますのでネットでも無料の動画やテレビでも映画でも書籍でも、ラジオでも、とにかく何にでも笑いがあります。最近、笑顔が少ないと思ったらとにかく笑いましょう。くすっでも良いし、ガハハでも良いし、えへへでも良いです。心をほぐしてあげましょう。つまり、心が硬いから魔が刺して、普段ならしないようなつまらないことをしてしまうのです。笑いで心を休ませてあげましょう。お腹が減ったら食事をいただくように、心が硬くなっているなら柔らかくします。え?このブログが面白すぎるし、心に残るし、何度も記事の内容を考えてします?人生が変わった?病気が治った?彼女ができた?仕事が見つかった?それは言い過ぎ〜嘘のつけない素直な方ですね〜笑ありがとうござい...心が硬い時は、笑いです

  • 生かされているとは歓喜、貧乏な生活でも心までは貧乏にしない

    自分もいい。相手もいい。これが良いです。自分も喜んでいいし、相手も喜んでいいのです。相手がOKで自分がダメなことはないです。相手がOKなら自分もOKです。犯罪はダメですが喜びながら生きることをです。いい、ダメを決めているのは他人や環境ではないです。自分の心です。ですから限られた中でも喜びを見つけられたらいいね。生かされているとは歓喜なのです。あれも手に入らなくていいし、これもいらないです。心が感謝して喜んでいれば人生はそれで良いのです。貧乏でも心を喜ばすことは可能です。ありがとうございます。生かされているとは歓喜、貧乏な生活でも心までは貧乏にしない

  • 自分は喜んで「いい」

    喜びとは、自分がどれだけ喜びを自分に許可しているかだと思います。つまり、自分は喜んで「いい」という許可です。よくある言い方をすると自分が喜びを受け取るのです。ここでは喜んで「いい」の方が私にはしっくりくるのでこの表記で記事を書きたいと思います。喜んで「いい」とは、自分とは喜ぶ価値があると認めること。喜んで「いい」とは、自分とは今のままで喜んで「いい」と認めること。喜んで「いい」とは、当たり前とは当たり前ではなく当たり前の感謝をすること。喜んで「いい」とは、上から目線で考えるのではなく、下から目線で心を喜ばせること。これらを総合すると心理的な不安がなくなると喜ぶ時間が増えるのです。心の不安とは、自分が認めたくないことを認めずに心の無意識に追いやっているから起こる不安なのです。ですから、自分の否認している現実...自分は喜んで「いい」

  • お金がなくとも、それなりの生活になっていく

    私は、子供の頃から親の教育でお金持ちになれと教えられてきました。子供の頃からお金持ちにならなければいけないと思っていたし、お金持ちになるのが当然だと思っていました。しかし、家庭の家計は火の車でした。父が日々にギャンブルに依存し、母が買い物依存だったのです。そういう家庭でしたから自分をお金持ちに見せるような言動や行動をしていました。勘違いしてはいけないのは私がこうは書いても、自分の意思でやっていたのです。親に責任はないのです。しかし、今の生活を考えてみるとお金がなくともそれなりに生活ができるものです。お金持ちでなければいけないと思うのは「お金持ちが良い」という理想、期待があるからです。つまり、お金が有無ではなく、自分のお金に対する期待感が今の生活を苦しめているのです。もちろん、年収をあげるための勉強や仕事は...お金がなくとも、それなりの生活になっていく

  • 大自然に溶け込む

    最近に感じるのは大自然へと帰りたい欲求です。生活があるのでかんたんにはいきませんが大自然に溶け込む懐かしさを思い出します。子供の頃、初めて靴を履いて草を踏んだときの足裏に感じる草のくしゃっとした感覚を今でも思い出します。子供の頃から私は大自然だったのです。私たちは子供から大人になりました。その間には遊びを覚え、仕事をし、たくさん言葉を覚えてたくさん考えます。大自然から遠く離れてしまいました。今更、ガスも上下水道も電気もインターネットもない生活は難しいと思います。けど、心の、大自然に溶け込む感覚は忘れたくありません。私たちも大自然の一部だからです。大自然さんありがとうございます。大自然に溶け込む

  • お休み

    本日の記事の更新はお休みです。楽しみにされていた方申し訳ないです。お休み

  • お休み

    本日の記事の更新はお休みです。楽しみにされていた方申し訳ないです。またお会いしましょう。お休み

  • 仕事の思い出、なんとかなるものだね

    私が社会人に成り初めの頃に勤めていた会社は、今でいうブラックでした。よく暴言や暴力を振るわれたものです。社会の、他人の中で生きていく厳しさを教えてもらったものでした。この時に、仕事に対する集中力も養われたように感じます。目の前のことに集中しないとミスが多くなってしまうのです。ですから目の前のことに集中でした。上司からの恫喝の中、厳しさの中にもその人の愛情や誠実さを感じたものです。相手も同じ人間であり、生活に余裕がなくストレスがいっぱいだったのです。ですから、相手の背景を想像する力もこの時培われたように感じます。今でも頑張ってよかったなと思うのは、厳しい仕事の中でも、その中で楽しさを見つけることと、心を安心させるようにしたことです。何が幸いし何が不幸になるかは未知です。上司のニコッとした笑顔を今でも思い出し...仕事の思い出、なんとかなるものだね

  • 現実が面白くなってきた、楽しくなってきた

    人生は受け身の姿勢ですと不平不満が増えると思います。何を言いたいのかと言いますと、その限られた中でも自分から楽しむ心を姿勢が大切なのだと思います。いつもの生活が楽しいのは、「自分から」楽しんでいるからです。辛い仕事だけれども、心が楽しいのは、「自分から」仕事を喜んでいるからです。問題だらけの家庭だけど、微笑んでいられるのは家族を「自分から」愛しているからです。心の楽しさ、心の喜びなのです。「自分から」この先を見てやれば良いのです。苦しいのもそのうち忘れます。悩みもそのうち忘れます。苦しみも今だけと思えば違う視点が持てるかもしれません。人生を諦めるなんてまだまだ早いです。今の苦しみはいつかの思い出であり、いつかの話のタネです。現実を七転八倒してる私たちを、真我は微笑んでいます。真我と共に現実を体験してやりま...現実が面白くなってきた、楽しくなってきた

  • あわてなくていいよの続き

    人の意地悪、悪意の対象になってしまったらどうしたいいのでしょうか。私は、ある程度のことは微笑ましく笑いながら、法的な手段も取りながらの生活が良いと思います。意地悪や悪意を受けて自分の心が辛いと自分のことばかり考えてしまいがちです。これは当然の反応だと思いますが、その時の過ごし方をして相手への慈悲を思うことが大切に思います。誰にでも生活のストレスがあるし、人に言えない不幸や悩みがあるものです。そういうことをしてしまうとは社会の被害者なのかもしれません。たまたま自分がそうならなかっただけかもしれません。。。相手への思いやりは持ちつつも、法的な手段も必要な時もあることでしょう。相手への思いやりが持てなくても、自分の出来ることをすることだと思います。今の被害もやがて過去になるからあわてずに自分の出来ることをしてい...あわてなくていいよの続き

  • あわてないでいいよ

    それがなんなの?いう色を付けない話です。生きていると人からの意地悪、悪意があります。それは誰も避けては通れないです。ですから、そういうものだとして体験をします。意地悪や悪意に対して過剰に反応してしまうこともあります。そういうときはそれがなんなの?という視点です。意地悪は意地悪だし、悪意はただの悪意です。意地悪や悪意に影響力があるのではなく、影響を受けている私がいます。相手はそういうことをする人なのです。意地悪はただの意地悪であって、悪意はただの悪意です。そんなこと気にせずに自分の生活をしましょう。つまり、意地悪、悪意にあわてなくてよいということです。ありがとうございます。あわてないでいいよ

  • 心身をゆるめる、脱力している

    心身をゆるめることを感じます。つまり心身を脱力させるということです。これは真我に目覚めますと体も心も脱力します。もっと目覚めが深りますと体が透けます。ですから、今の現状で心身が脱力して感謝して生活できていたならば、目覚めの美味しいところだということです。緊張もしますし脱力もします。その緩急で良いのだと思います。この体験を良い、悪いと色をつけずとも、体験するだけだ、感謝して通過するだけだと思えればいいですね。目にみえる景色もやがて過ぎ去っていきます。景色に対して執着していると心身は無理な緊張をするものだと思います。体験も景色も流していけたらよいです。今日も太陽、地球、大自然に感謝です。ありがとうございます。心身をゆるめる、脱力している

  • 第三の視点とは

    第三の視点とはなんでしょうか?これを見事に解明したのが日本の湯川博士です。中間子を発見しました。湯川博士は、老子を嗜んでいたと思われます。では、私たちにとって第三の視点とはなんでしょうか?遊ぶこと、楽しむこと、感謝すること、掃除すること、質素倹約すること、控えめな発言、控えめな態度でいること、育てること、善意、思いやり、予算内でのおしゃれ、栄養バランスの良い食事、筋トレ、体幹、安心感。。。人により様々ですが以外な視点が発展を呼ぶかもしれません。今日もこの生活の中で感謝して楽しみます。ありがとうございます。第三の視点とは

  • 自分を喜んで欲しい、自分をお喜びいただきたい

    人は、人に自分を喜んで欲しいものだと思います。子供の頃の気持ちを思い出しましても、親に自分を喜んで欲しかったものです。大人になりますと、子供の頃の誰かに喜んでもらいたい気持ちも薄れてしまうかもしれません。しかし、いつでもあの時の喜んでもらいたい気持ちは思い出せるはずです。その思いは動物へかもしません大自然へかもしれません公共の施設の掃除かもしれません家族の住まう自宅の掃除かもしれませんどんなことにせよ、喜んでくれる人がいるというのはなんと嬉しいことでしょうか。もし、嫌な人、嫌な過去があっても相手に喜ばれているならそれでいいやという奉仕も良いでしょう。これで憑物が抜けるように肩の力が抜けるかもしれません。皆様の参考になれば幸いです。ありがとうございます。自分を喜んで欲しい、自分をお喜びいただきたい

  • 体を動かしながら心は安心していていいよ

    人の希望を一言で表現するならば「安心したい」ということだと思います。生活に困る「かも」しれないから生活の努力をします。収入に困る「かも」しれないから仕事を努力します。人生に困る「かも」しれないから生きることに努力します。そのどれもが「安心したい」からだと思います。楽しい、暇、美しさに感動している、飽きた、感謝をしている。これらは安心しているからこそできる感情なのだと思います。安心とは、身近にあるのです。つまり、体は動かして生活の努力をしますが心は安心していていいのです。ほっとする瞬間が誰にでもあるものです。努力の中を楽しみながら頑張りましょう。ありがとうございます。体を動かしながら心は安心していていいよ

  • お休み

    本日の記事の更新はお休みです。楽しみにされていた方申し訳ないです。お休み

  • 恨まないことは幸運を兆し

    相手の立場を考えてみると、そうなるのもしかたないよな、と思えることがあります。自分だけの視点だと加害者ー出来事ー被害者となります。自分が被害者であるのは当然なのですが、それだけだと自分が被害を受けた上に加害者を恨んで幸運を無くします。恨みの気持ちもわかりますが加害者の立場になってみるのです。相手に無防備になるのではなく、もう被害を受けないように想定と対策をします。相手に人に言えない悲しみ、不幸があったのかもしれません。相手の立場を思いやって慈悲をかけることは、相手に効くものです。慈悲をかけた上で、自分の生活をします。出来事は忘れられないものです。相手のことは法的に淡々と済ましたら、あとは天に委ねます。恨みに自分の人生を支配させてはダメです。けど、慈悲や誠実さで対応しても相手に通じないこともあります。そうい...恨まないことは幸運を兆し

  • ちょうどよくなっていくよ

    以外に思われるでしょうか?苦しみも楽しみも悲しみも喜びも今の自分にちょうどいいのです。つまり浮かれることなく現状への感謝をして逝くのです。苦しみがあれば平時を感謝でいられます。何事もないとは幸福であるのがわかるからです。苦しみがあれば苦しみをこのくらいで済んでありがたいと感謝でいられます。苦しみは、自分のところに来るまでは、もっと大きな苦しみかもしれなかったのがご先祖様やなんらかによって、この程度で済んでいます。だから、幸福も不幸も生まれる時も死ぬ時期も自分にとってちょうどいいのです。この時代に生まれ、生きられることもありがたいですね。ありがとうございます。ちょうどよくなっていくよ

  • 心のご馳走とは大自然への感謝の気持ちであった

    心のご馳走とは、感謝の心です。全ての生き物の幸福とは、今日もお日様が登ることです。これに感謝をすることが心の贅沢です。物もお金も服も異性も欲しい。けど、お日様が今日も登るからそれらを欲しがれるのです。大自然こそが私たちです。他人と大自然と私という区切りはないです。言葉は独立していますが心にはそれらを区切るものはないです。けど、犯罪や事故や災害もあるから無理はダメです。つまり、大自然への感謝です。心とは大自然です。心の宇宙に感謝をします。ありがとうございます。心のご馳走とは大自然への感謝の気持ちであった

  • 地獄を見ると逆に微笑みます

    自分の子供の頃を思い出しますと、ある時までなにかあると泣き叫んだりしていたと思います。けど、虐待がひどくなるにつれて泣き叫ぶこともなくなったと思い出します。つまり、泣き叫んでいるうちはまだまだ元気があるということです。地獄を見ると人は泣くのをやめて、静かに微笑むようになるようです。それもよいか、と笑顔の苦労になります。中途半端な苦労は人を泣かせますが、地獄は人を微笑ませます。これは逆に言いますと微笑んでいる人は注意が必要ということです。静かな微笑みとは怖いですね。私たちもこの世という地獄=天国を微笑みながら生きてやりましょう。どんなこともちょうど良いようになります。どんなことも自然な流れになります。生きていることに感謝をします。ありがとうございます。地獄を見ると逆に微笑みます

  • 脱力するんだよ〜

    心と体を脱力する。余計な力が入っていない。これが良いと思います。剣道の達人の無料の動画を見ましても、腹にビリビリと感じるものがあります。けど、そのお方は体に力みがないのです。危機の数秒に潜在能力が出るのは、脱力状態と言われています。では、なぜ脱力できないのか?それは、人によく思われたいからという他人の視線を意識しすぎているから体に余計な力が入っているのではないでしょうか?つまり、人に愛されたい気持ちがあるのでしょう。私は、今のそのままの状態でも十分に愛されていると思います。ですから今まで生きてこられました。「愛されるのをやめよう」と思うだけでも体が脱力するものです。皆様の参考になれば幸いです。ありがとうございます。脱力するんだよ〜

  • 体験=神様

    人間に名前を付けられた神様とは本当に神様なのでしょうか?私は、人間に知覚された時点で違うと思います。神様=真我=宇宙=母性だと思います。これは経験であり、存在です。ですから直感的にわかる、個人で経験するとしか言いようがないのです。名前や知識ではないのです。今も直感的にわかっている人が増えています。ありがとうございます。体験=神様

  • 生きるとはプレゼント

    人生とは、プレゼントです。楽しさもプレゼントです。苦しみもプレゼントです。人生も神様からのプレゼントです。ですから、楽しさにも苦しみにもありがとうなのです。しっかりもまだまだ、ぜんぜんもちゃんともできなくて良いのです。しっかりもまだまだもぜんぜんもちゃんともできない自分だからありがたいのです。人生や自分に問題があるからありがたいのです。つまり、良し悪しを決めるより目の前の人生のプレゼントに感謝しているのが良いのです。理由は?生きるとはプレゼントだからです。これでいいのです。今日も自分にもありがとうです。ありがとうございます。生きるとはプレゼント

  • 続、自分を信じること

    今日の記事は短めです。自分を信じるとは、つまるところ「私は在る」「私は真我で在る」を直感でわかるということだと思います。自分の正体を知るとも言うのでしょう。私は在る。ありがとうございます。続、自分を信じること

  • 自分を信じる

    自分を信じるとは、どういうことでしょうか?心理系の本に書かれているのは自分のどんな「イメージ」を信じているかです。ダメな自分を信じている人もいますし、良い自分を信じている人もいます。不幸な自分を信じている人もますし、幸福な自分を信じている人もいます。信じている対象に対して、しっかりした理由もあることでしょう。しかし、私が思うに、足りない自分を信じるのではなくて、今のままで足りている自分を信じることなのだと思います。今のままで足りている自分とは、言葉通りで信じる対象を足りてないくらいで十分だと感謝し信じることです。足りないという不足感は、いつでも急に充足感になります。不足感は、感じ方だからです。言葉で書くなら不足している自分、不足感を信じているのです。他人比べての充足ではなく、このくらいの自分にとっての充足...自分を信じる

  • お休み

    本日の記事の更新はお休みです。楽しみにしてくれてた方申し訳ないです。お休み

  • 真我の目覚めとは、自覚があるかないかだけ

    真我に目覚めるとはなにか?私は、生きるだけだと思います。つまり、自分の日常を、目の前のことを頑張るだけです。だから、誰もが目覚めているのです。誰もが自覚がないだけで目覚めています。真我に目覚めているとしても、日常に帰るだけです。真我に目覚める自覚が有無でなんら違いはないです。えらい人になるわけでもなく、すごい人になるわけでもないです。普通の人のままです。等しく、同じように死んでいくのです。目覚めとは、自覚があるかないかの違いだけです。もう救われているのに、なにを救われるのでしょうか?救われていない私はどこにもいないです。救われている私が実在です。今日も自分の生活ができることに感謝です。ありがとうございます。真我の目覚めとは、自覚があるかないかだけ

  • 全ての帳尻は合わされるから、自分の人生を生きましょう

    海はどんなに底が深くても水面は水平に保たれます。つまり天の意思は、どんなことも水平にならされるのです。生きている間だけの不満、不公平だけでは考えるのではなくて、死んだ後のことを考えれば、全ての帳尻は合います。この世で得をしてもあの世での損もあるのです。ですから、あわてずに自分の人生を歩めればいいのです。職場、学校、家庭にあっても自分一人で歩く覚悟です。花は外側に向けて咲くのではなくて、自分の内面、内側に咲かせます。見るべきは真我です。今日も真我に感謝をします。ありがとうございます。全ての帳尻は合わされるから、自分の人生を生きましょう

  • たまには日常の話

    最近は、モーツァルトやバッハを聞きます。この二人の音楽は、心身が楽になり、幸運の兆しを感じさせます。そのまま何時間と聞きたいものですが、途中でロックを聞いたりアニソンを聞きます。たまには動画配信で映画も見ます。最近は、鬼滅の刃を見ました。面白いですね。生活の途中で踏み台昇降や腕立て伏せをします。体幹もゆっくり育ててます。あわてずにするのが良いです。義務感であれをしなければいけない、というよりその時の自分に合ったことをして感謝して楽しむ視点が幸運を招くでしょう。せっかく目の前にあるのだからありがたくいただきたいですね。ありがとうございます。たまには日常の話

  • 同じ感謝なら、感謝しなければソンソン〜

    私たちの心の歌は、なんでしょうか?私は、ありがとうございます、だと思います。自分なりの感謝の言葉で良いのです。良いことがあっても、良いことをいただいてありがたい。嫌なことがあっても、これくらいで済んでありがたい。感謝が私たちの心の歌なのです。目の前のことに不満があることもあります。けど、自分の因果に応じた目の前のことなのです。誰もが自分の因果に応じた考えや体験を持ちます。ある人は感謝であり、ある人は不満であります。私たちは、自由意志があるのでいつも感謝ができるチャンスがあります。感謝できるかどうかは、「自分から」感謝をすることです。何にでも感謝する力が私たちにはあるのです。今日も心の歌は感謝で溢れています。ありがとうございます。同じ感謝なら、感謝しなければソンソン〜

  • 自分の生活できること、食べられること、住宅に住めること

    ニュースや家族の話を聞いていて思うことがあります。ニュースや家族の話題に上がる人物に、自分がなっていたかもしれないと思うのです。きっかけはちょっとしたことでいくらでもニュースになると思います。けど、自分はいつも通りに日常生活をさせていただいているのです。病気や怪我や貧乏でありましても自分の生活があります。ですから、ニュースを見ると相手の人を心配すると同時に、自分が生活できることに感謝をします。たまたま自分の生活ができています。この奇跡は言葉にできないです。説明もできません。ただ、そのありがたさに涙を流し感謝をするだけです。忙しい日常生活の中で、自分にできることは少ないけれど、心中だけは相手の人を思いやっていたいです。自分の生活ができることに感謝しながら。ありがとうございます。自分の生活できること、食べられること、住宅に住めること

  • 幸運も奇跡も自分の心が作っていた

    幸福も続くと飽きるものです。苦痛も続くとうんざりするものです。つまりどちらにしても飽きたり、うんざりするものです。どちらにも共通するのが自分の受け身の姿勢です。幸福が続いて飽きてきた時に、「想像力」を使って感謝ができるかどうか。苦痛が続いてうんざりした時に、「自分から」悟ろうとしたのかどうか。これの継続が幸福の継続、苦痛の変化になると思います。どちらも目の前のことに感謝です。文句を言ってしまう時もあるし、不平不満が出る時もあります。それでも心中だけでも感謝できれば大したもんです。生きるとは苦しみなので、誰もが文句を言ってしまうように作られている世界だし、不平不満が出てしまうように作られた世界なのです。そこで心中でも感謝を一言思い、感謝を継続できるとは奇跡です。つまり、幸運も奇跡も自分の心が作っていたのです...幸運も奇跡も自分の心が作っていた

  • ギリギリの生活だから自分の本性が出てくる

    ギリギリだからその人の本性が出る。ギリギリだからその人の本性が炙り出される。確かにそうです。余裕があればいい人になれます。しかし、苦しく余裕のない様であれば陰陽の自分のどちらかが出るでしょうか?これを真我は見たいのです。余裕がないと罪を犯してしまうかもしれませんし、自分の心の弱さが出ることでしょう。けど、罪を犯して、心が弱いままではないです。これからいくらでも罪を償えるし、心の弱さを克服できます。だから今は余裕がないとしても生きていましょう。ギリギリの自分を見てご先祖様は頑張れ〜っと応援してくれています。ご先祖様と一緒に頑張りましょう。ご先祖様と一緒に生きましょう。ありがとうございます。ギリギリの生活だから自分の本性が出てくる

  • 生死という区切りはないのです。在るのは意識、存在、感謝です

    終わりがあるという区切りはないのです。これが終わればひと段落ということはないです。また日常が続きます。これは生死の視点からも言えます。人に生死という区切りはないのです。「生まれる」から「死」があるように「生まれるという名前」がなければそれは何になるのか?名前で区切っているから、まるでそれが実在するような気がするが、本当は名前が生み出した幻なのです。私たちは名前、ネームバリューを比べて考えているだけなのです。名前の印象に騙されています。生まれた、死ぬという名前も本来はないです。生まれた、死ぬという名前の印象から実在すると思い込んでいます。私たち人間も大自然の一部です。継続するのは意識です。継続するのは存在です。継続するのは感謝です。今日も私は生かされていることに感謝をします。ありがとうございます。生死という区切りはないのです。在るのは意識、存在、感謝です

  • みなその人なりの心の弱さ、寂しさがあるんだね。けど、生きているから心の弱さに寄り添えるね。

    私は、子供の頃に実の親から虐待を受けていました。今はこの歳まで餓死することもなく、5体満足でいることができます。あの時助けてくれた社会やみなさんのおかげです。今、思うに逆説的な発想でありますが、あの時苦しかったからよからぬことをせずにすんだのかもしません。もし、あの時、生活に余裕があったら道を踏み外す可能性が高かったのでしょう。今は自分の生活をさせてもらっていますが、苦しい時に手を抜いてしまったのが悔やまれます。自分の肉体が強いと勘違いして立場の弱い弱者を見捨ててしまうこともあったと思います。けど、その苦しい体験が私を育ててくれました。まだ生きているつもりなので、あの時の人にしてしまった嫌な態度の自分を改めることが出来ます。両親には、あれをして欲しい、これがして欲しいという要求は、自分を産んでくれただけで...みなその人なりの心の弱さ、寂しさがあるんだね。けど、生きているから心の弱さに寄り添えるね。

  • 少しずつ少しずつ努力を続けます

    成長とは目に見える成長よりもわからないくらいの成長が良いのです。目に見える成長とは、その裏に衰退も隠れているものです。ゆっくりゆっくり。少しずつ少しずつ。一休み一休み。このように努力を楽しみます。成長も海の凪のように一進一退なのです。しかし、長い人生を生きていますと病気や怪我で動けないときがあります。そんな時は、頑張ろう、努力しようという思いが大切です。頑張った、努力した、という結果ではなくて頑張っているという今努力している最中を重視します。これならば生きている間、病気や怪我でも頑張ることや努力ができます。「しよう」「やろう」とする思いを大切にしたいですね。ありがとうございます。少しずつ少しずつ努力を続けます

  • 友達、家族といても自分一人で歩く覚悟

    友達とは、どういう人を言うのでしょうか?裏切らない人でしょうか。仲の良い人でしょうか。ここでは子供の気持ちになってみましょう。子供のとっても、私たちにとっても友達とは森羅万象(この世に在る全て)だと思います。いつも一緒にいるぬいぐるみが友達です。川の魚が友達です。庭の草や花が友達です。動物が友達です。虫が友達です。雲が友達です。雨が友達です。真理こそが友達です。友達と友達で「無い」を分けているのは区別する気持ちだけなのでしょう。しかし、現代社会で生きていますと避けなければいけない人も実際にいるものです。そこは冷静に、です。しかし、本当に大切なのは、友達の中でありましても一人でも進むことです。友達がいれば楽しいです。けど、友達がいても寂しいことはります。家庭があれば楽しいです。けど、家庭がありましても寂しい...友達、家族といても自分一人で歩く覚悟

  • 苦しみと友達になるくらいで十分です

    今が良いとずっと続けば良いと思うのは人情です。今が苦しいと、嫌だ現状を変えたいと思うのは人情です。けど、その後どうするのでしょうか?良いことは続いて欲しい気持ちや嫌な現状を変えたい気持ちはわかります。良いことはずっとは続かないです。同じように嫌なこともずっとは続かないです。ところで私には何かが足りない気がします。それは現状への感謝とその中で楽しむことではないでしょうか?良いことに感謝して、嫌なことに感謝して、その中で楽しむのです。避けようとして避けられないものだったからです。ですから、ありがたくいただきます。私たち一人一人は蓮の花です。清らかな水の中に咲いている蓮の花はどこにもありません。みんな泥(現状=苦しみ)から栄養を得て咲いています。自分だけが苦しいわけではないです。家族も、子供も、恋人も、友達も、...苦しみと友達になるくらいで十分です

  • ごめんねが言いたいね

    ありがとうございます。ありがたい。感謝。これらは感謝の言葉です。ここでは感謝という言葉に注目したいと思います。音も大切ですが日本語の漢字(感じ)を見てください。「感」と「謝」です。私は「謝」に注目します。謝るですから素直に謝ること大切なのだと思いました。語源や漢字の意味はあるだろうと思いますが、ここでは私の感じたことです。もしかしたら相手を見て「謝る」ことも感謝になるのかもしません。怒っている時に相手に謝られたら、相手も振る袖がありません。つまり、争いが起こりたくても起こりません。けど、法的なことは自分の正当な主張をするべきだと思います。日常生活には、感謝という謝ることをしたいね。人はただ謝って欲しいだけかもしれないです。ありがとうございます。ごめんねが言いたいね

  • 些細なことは相手に譲ってあげましょう

    私たちの心は真我=母性であると思います。地球は母性です。地球の大自然は母性です。太陽は母性です。宇宙は母性です。宇宙の中にいる私たちは母性です。つまり、転んでも母性の中にいるのです。安心の中で安心して転ぶことが出来ます。「いや、私の仕事は一度でも転んだら次はない」という方もいるかもしれません。体は動かして仕事に集中しつつ、心は安心していれば良いのだと思います。潜在能力が発揮されるのは、力んでいる時ではなくて、無駄な力のない脱力している時です。ダメダメな自分=脱力している私なのです。ごめんねと謝る自分=脱力している私なのです。誰も争いたくないものだね。法的なことは自分の正当な主張をしながらできればいいね。譲るが勝ち。論より譲歩。ありがとうございます。些細なことは相手に譲ってあげましょう

  • あの時の誰かごめんね

    因果の糸は、どんな色の糸でしょうか?一色でしょうか?三色でしょうか?それとも、虹色の美しい織物でしょうか?因果の糸とは、今の自分にちょうど良いようになっています。今日の落ち込みは、過去に自分がしたことの積み重ねだったのかもしれません。今日の不幸は、なるべくしてなった過去の因果からの不幸だったのかもしれません。自分「が」自分「が」と「自我」を出すと、今日の不幸も自業自得なのに自分が被害者のように感じられます。目の前の、記憶の中の過去のあの人が悪いって思うものです。けど、そんなことないです。過去に、過去世でどこかの誰かを傷つけていたのかもしません。因果の糸は見えなくとも、自分に不幸があったら心中で「あの時の誰かごめんね」と手を合わせたいものです。不幸とは、不幸の顔をした幸福かもしれません。自分にはまだまだ気づ...あの時の誰かごめんね

  • ダメダメな自分だから愛おしい

    うおおお!ダメな自分がいいんだ。ダメな自分に満足しているのだ。ダメな自分だから今まで生きてこれたし、これからも生きていけるんだ。つまり、ダメな自分でも良いということです。少しでも自分を良くしたいと思い、努力することは大切です。自分を良くする努力はするけどもダメな自分を認めてあげるのです。ダメな自分を認めてあげたら、ダメになることを恐れなくて良いです。ダメだけど、良くなり、またダメになり、また良くなる。一進一退をします。刺激のない優しい海の凪のようにです。成長してないようで成長している自然体。これが良いという正解はないのです。自分なりに良い人間を努力します。ダメな自分を愛しながら、ね。ダメダメな自分だけど、ダメダメだから愛おしいのだ。ありがとうございます。ダメダメな自分だから愛おしい

  • 軽運動とストレッチ

    最近に響きますのは、軽運動です。1日に10分だけでもいいので軽運動が良いです。(ここでの軽運動は、軽く汗ばむくらいかです)苦しくならないくらいが良いです。特に体幹を育てることです。軽運動ができない場合は、無理のないストレッチも良いです。これが習慣になればしめたものです。血流を意識です。私も真面目に頑張っていますよ。ありがとうございます。軽運動とストレッチ

  • 落ち込んで、元気になって、また落ち込んで、また元気になっての繰り返しです

    落ち込んで、元気になって、また落ち込んで、また元気になっての繰り返しです。これは真我に目覚めても同じです。もし、今落ち込んでいるとしたら、それは目覚めの最中でしょう。もし、今落ち込んで元気になっている最中だとしたら、それは目覚めの最中でしょう。頑張れないこともあるし、努力出来ない日もあります。けど、頑張れない、努力出来ない中で頑張ろうと「思い」、努力「しよう」と思えるなら、目覚めの最中でしょう。あの人の方が私より価値がある。お金の方が私より価値がある。そんなことはないです。神の前では等しく同じ価値です。だから、私もあの人も、お金も同じ価値です。皆同じ=全体で一つで在る。これに気づいたら目覚めの最中でしょう。今日も落ち込みます。明日は元気になっているといいなあ。明日、元気になってなくても明後日や明明後日にで...落ち込んで、元気になって、また落ち込んで、また元気になっての繰り返しです

  • それでも明日はやって来ます

    それでも明日はやって来ます。悲しくても辛くても、楽しくても幸福でも。つまり、どんなことも変化していくということです。ずっと続くような錯覚を抱きがちですが長くても数十年です。ここに救いがあります。永遠は真我です。目の前の現象に自分が一喜一憂して、自分が不機嫌になり、自分が不機嫌な理由を他人にしているのです。いい機嫌、不機嫌も変化していきます。だから、あわてないこと。運が良くなるには、人になにかしてあげるのです。心中でも思いやりのある言葉を思ってあげるのです。現状もコロコロと変わりやすいものです。どのくらい生きられるかはわからないので今のうちに出来ることはやっておきましょう。私は、脱力しながら努力します。ありがとうございます。それでも明日はやって来ます

  • 人を責めなくてもいいんだよ

    自分が「被害者」になりますと人を責めたくなるものです。自分は「被害者」なので心中、言葉、態度で相手を責めてしまいがちです。後日、冷静になってみますと、相手を責めすぎたな、やりすぎたなと自己嫌悪になりがちです。ここで注意することは、自分は確かに被害者ですし、誰に非があるかはわかりますが、いつまでも引きずることはないです。相手を責めたい気持ちや謝って欲しい気持ちはわかりますが、そればかりに囚われてはダメです。自分が損をします。相手を見てから、こちらから一歩下がってみる必要もあるでしょう。相手を責めるのではなくて、自分は人を裁けるほど、責める資格が有る人間ではないことに気づくかもしれません。相手の心の不幸や日常生活のどうしようもなさ、しかたなさに気づける余裕が欲しいです。理由は、もうお互いに悲しい思いはしたくな...人を責めなくてもいいんだよ

  • 深く悟ると体は透明になります。体験するだけです

    人は深く悟ると透明になります。意識的には体が透けているように感じられます。誰がも悟っているのですが、気づいていないだけなのです。ここがポイントです。透明なのですから嫌なこと、苦しいこと、楽しいこと、嬉しいことを通過させるのです。つまり、どんな体験も一瞬だけのこととして透明な体に体験させるのです。受け止めれるのではなく、体験の通過です。嫌なことを自分が受け取りません。嫌なことを受け取らなければ誰に返るか?嫌なことの送り主に返ります。嫌な相手に同調せずにいれば良いのです。今日も自分なりに頑張ります。ありがとうございます。深く悟ると体は透明になります。体験するだけです

  • 光る人が増えています

    根拠のない私の感覚ですが、今、日本では光る人が増えている印象です。光る人=真我に目覚めた人です。意外と近所のあのおじさん、おばさんが光っている人かもしれません。これから生まれる子供、孫が光っている人かもしません。親戚の人が光っているかもしれません。私たちの人生はまだまだこんなもんじゃないです。生きている間に、今のうちにできることがあります。雑多な日常生活に追われて、できることは少ないかもしませんが自分なりできたらいいですね。100歳まで生きたとして、病気にもならず、怪我もせず、入院もせず、老後に施設にも入らず、寝たきりにならないのは稀です。動ける今のうちに頑張りたいね。私も今日を頑張ります。ありがとうございます。光る人が増えています

  • お休み

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  • 「無い」なら、あとは新規が入って来るだけ

    無(む)、無い。これは幸運です。なぜ幸運なのか一緒に考えてみましょう。コップに中身がないから飲み物が入ります。つまり、コップに中身が「無い」からです。これは、コップに中身が無いから新規が入って来るのです。この天下の法則は、何におきましても確かです。人間がよくなりたいと思っている頭にしてみても同じです。頭が空っぽで何も「無い」ように見えていても、無いから新規の知恵が入って来るだけです。あの人やこの人のような自分が期待するような新規ではないかもしれません。しかし、自分なりの新規が入って来るのです。これは「無い」から起こることです。ですから、今が「無い」としても慌てることはないです。新規が入って来るように日常生活を頑張りながら新規を待ちます。「無い」ならば必ず入って来る法則ですのでおおらかな気持ちでいれば良いの...「無い」なら、あとは新規が入って来るだけ

  • どんな問題もやがて消え去ります。慌てずに今を生きていましょう

    どんなに人生が行き詰まっても、思い詰めないおおらかさがあればいいね。これがダメなら全部ダメなのではなくて、これはダメだけどあれは出来る、これが出来る。この表現がダメでも、逆に表現する。一つや二つがダメでも、それ以外は良いから慌てない。でも今がダメでも長い視点ではどうなるかはわかりません。ですから今がダメでも短期の視点で見るのではなくて、時間の経過を待つ視点です。慌てない慌てない。一休み一休み。どんな困難も問題もやがては消え去っていく運命なのです。同じように幸福も喜びも消え去っていきます。ですから今は慌てずに生活をしていましょう。生きているだけでも大したもんです。ありがとうございます。どんな問題もやがて消え去ります。慌てずに今を生きていましょう

  • 生かされていることに感謝できればいい

    挫けそうなときがあります。辛いときがあります。苦しいときがあります。挫けそうなものは挫けそうですし、辛いときは辛いですし、苦しいときは苦しいです。痛いものは痛いです。どんなこともなぐさめにならないときもあります。励ましても元気のでないときもあります。頑張ろうとしても頑張れないときもあります。それはしかたないです。できないこともあります。けど、心中で感謝できたならばそれでいいのではないでしょうか?その一言に全てが現れているのではないでしょうか?生かされてありがたい。この一言に全てが現れています。生かされていることに感謝できればそれで良いのです。苦しいときこそ、辛いときこそ本当の自分が現れます。苦しいとき、辛いとき感謝している自分でしょうか?自分の本性を見てやりましょう。ありがとうございます。生かされていることに感謝できればいい

  • お休み

    本日の記事の更新はお休みします。楽しみにされてた方申し訳ないです。お休み

  • 現実が辛いときは、自分を励まします

    太陽を見るのです。太陽とは何?とお思いでしょう。東から登り、西沈黙する太陽です。この太陽は私たちの真我のことでもあります。真我(心)の太陽を感謝して太陽を授かった人生を楽しみます。自分を励まします。自分に頑張ったね、努力したね、大したもんだ、と言葉をかけます。何事にも満腹にならずにほどほどを知り、これを守ります。今は心が辛い方が増えていると思いますから、自分を励ましてあげて欲しいです。自分を励ます言葉が1年後、10年後、50年後の笑顔だと私は信じています。今日を頑張りましょう。ありがとうございます。現実が辛いときは、自分を励まします

  • 心が辛いとき

    心が辛い時、人の励ます言葉も辛く聞こえるときがあります。そんな時は、無言で大自然に溶け込みます。葉の落ちる音が聞こえますか?風が肌に当たる優しい感触を感じますか?冬の朝の雪が降った時の静寂を感じますか?あなたという大自然を感じていますか?今日を頑張って生きましょう。ありがとうございます。心が辛いとき

  • 辛いとき、苦しいとき、自分を励ますのです

    「頑張っている」「努力している」「そうなるのも無理はない」このような言葉を自分にかけてあげるのです。つまり、自分を認めて、愛するのです。辛いとき、苦しいとき、自分を励ますのです。「自分はがんばっている」「自分は努力している」「その中でも自分はよくやっている」他人を信じる何倍以上も自分を信じてあげましょう。ありがとうございます。辛いとき、苦しいとき、自分を励ますのです

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