アルコール依存症の夫を持つアラフィフ妻です。これまでの経緯と心境の変化について綴っていこうと思います(現在、共依存脱却中でございます)
現在、私は離婚をしてから9か月を過ぎようとしている。 正確にいうと別居も含め、家を出て約3年足らずというとこです。 過去の事はほとんど振り返らず脳裏から忘れている。 あれほど苦しんでいたのが嘘みたいに今を生きてます。 経済的にも何とか普通に暮らしていけてる。 一人暮らし用の1K賃貸で不便に暮らしているが不便を便利に変換していく作業も案外楽しいもんだと気付た。 自分のことは自分で解決できるので悩みも消えた。 今後、何かの壁にぶち当たっても何とか乗り越えていけそうな気がするから 不安もたいして感じない。 未来の不安ほどあてにならないことを知っているから。 さようなら過去の私。 アルコール依存症とい…
私は50代になって全て失った。 自分の50代を20代のころの私が描いた未来とはかけ離れている。 家族がいて家を持ち、子供が成人して余生を過ごしている。 どれもない。 しかし不思議と嘆いていない。 なぜなら他人と比べている自分はもういないから。 ずっと他人と比べ、あの人は持っているけど私にはない。 あの人は持っていないけど私にはある。 どーでも良いことだった。 何にもなくてもその人が幸せで日々満たされていたらそれで良いのだ。 自分以外の人間に満たしてもらおうと思うから幸せではないのだ。 自分の欲求は自分で満たす。 自分は裏切らない。 自分を信じる力が大切だと実感している。 だから二度と人と比べる…
『自立』というと経済的に人を頼らず自分でやりくりしていくことだと思っていたので自分は自立している立派な大人だと信じていた。 しかし『自立』ということは精神的に自立している人間のことだとカウンセリングを通して知った。 本当に自立している人は一人でも幸せを抱きながら責任を持ち覚悟している。 そう、私は夫とともに歩む人生を思い描き、この人がいないと生きていけないと思い込んでいたのだ。 一人では楽しめないのだ。 だから潜在的に自分を頼ってくれているうちは夫のことをコントロールできるのだ。 一人ではない人生、依存した人生。 カウンセリングで知った。 無意識に願っていたことが叶っていただけ。 アルコール依…
離婚が成立してから夫とは一度も連絡を取り合っていない。 もちろん向こうからも連絡はない。 だからといって寂しいとか悲しいという気持ちは一切なかった。 離婚前は不安で一杯だったけど不思議とそういう感情は芽生えなかった。 夫との生活を振り返ることもなかったし夫に対する恨みもない。 未来しか見ていない。 カウンセリングの時も振り返って自己憐憫するような感情は一切芽生えずにこの先、自分がどのように幸せに生きていくかのほうが重要だった。 何か大きな分厚い壁を乗り越えたようなそんな気分だった。 その壁はネガティブだった自分をポジティブに変換したような感じだった。 依存体質だったけど新しい恋人を作る気分でも…
別居して中途半場な状況からやっと脱出できた。 嫌な現実のドラマから抜けれた。 このドラマを作ったのは夫だけではない。 私の思考から作り上げた現実だ。 なぜなら自分自身がアダルトチルドレンであり、誰かに必要とされたい、そして愛されたいと潜在的に願っていたから。 だから依存的な相手を引き寄せてこの苦しいドラマを作り上げてしまった。 アルコール依存症という課題から導き出された自分自身の人生の課題であるという答えに辿りついた。 気付かされるために見ないといけないドラマだった。 ずっと何故このような現実にぶち当たらないといけないの? なぜ私だけと夫のアルコール問題で悩んで嘆いてた。 夫がお酒さえ飲まなけ…
約束の日がきた。 本当に約束の時間、場所にきてくれるのだろうか? 嘘ばかりつかれてきたから全く信頼していない自分がいた。 約束の場所に待ち合わせ時間より早く到着したので夫が来るのを待った。 約束の時間が過ぎた。 来ない。。。 10分、20分、30分待っても来ない。 ラインしても既読がつかない。 電話しても繋がらない。 最後の最後まで裏切られた。 くやしかった。 どうしよう。 このまま待っていてもなんの進展もない。 意を決して家まで行こう。 玄関でドアに手をかけたら鍵が開いていた。 あれ?居てる。 大きな声で呼んでも出てこない。 居留守? それとも今日は離婚届けにサインしてもらうという約束の日だ…
また落ち着いたら連絡すると言って電話を切ってから一か月音沙汰なし。 また裏切られた。 こんなことばっかりだったよな。 自分が情けなくなってきた。 このまま待っていても向こうから連絡はこないであろうと判断した。 また私から電話した。 私『まだ状況は落ち着かないの?』 夫『足の調子が悪くてもうしばらく待ってほしい』 私『いや待てない。そちらまで行くので日時を設定する』 夫『では来週の火曜日で』 私『わかった』 といって電話を切った。 それから約束の前日に電話が鳴った。 嫌な予感。 夫『お袋の調子が悪く救急で運ばれたから日を伸ばしてほしい』 私『では〇月〇日10時に最寄りの駅前で。これ以上は待てない…
勇気を出して電話した。 出なかった。 まさか着信拒否? このまま拒否されたら状況が変わらない。 焦る。 そしたら携帯が鳴った。 夫からだった。 私『元気にしてる?』 夫『階段からすべり落ちて足を骨折して入院経て現在リハビリ中』 相変わらずトラブル続きだな。 聞いてるだけで心が締め付けられるというより心苦しい。 それは共依存的な心苦しさというよりトラウマに近い心苦しさ。 トラブルばかりだったから。 異常な世界にいたんだな。 そう思った。 私『離婚してほしいから離婚届にサインしてほしい』 夫『もちろん、もちろん』 以外にあっさりと承諾してくれた。 安堵した。 私『ではいつがいい?』 夫『今、こんな…
家を出て一人暮らしを始めた私は、もうかれこれ一年以上夫に連絡を一切取っていない。 しかし、このままでは何にも進展しないとモヤモヤ考えている日々を過ごしていた。 一年も連絡取っていないし勇気いるよなーと自問自答している自分。 そろそろ決着つけないと。 どうやって離婚を切り出そうか。 今、どんな生活をしているのだろうか。 お酒は止めれているのか、それとも廃人状態なのか。 色んな意味で連絡を取るのを躊躇してしまう。 まずは保健所でお世話になった担当のケースワーカーさんに現在の様子を確認してみよう。 電話した時期は年度末で異動がある時期だ。 異動していたらどうしよう。 そして電話した。 私『ご無沙汰し…
カウンセリングを受けている中で私のように幼少時代、愛情を受けずに育った家庭の子供が成長し大人になった場合のことをアダルトチルドレンと呼ぶ。 そう、私はACである。 はっきりとそう思うし認めている。 その類の本はたくさん読んだから生きづらさがどこから来ているのかが何となく理解できる。 夫のアルコールの問題に関わってきて家庭を守りたいという一心で頑張ってきた。 しかし家庭を守りたいではなく自分の役割がなくなる恐怖のほうが大きかったことに気付く。夫の世話をすることが生きがいなのであった。 自分の生きるテーマから頑張れた。 自分に自信がないから頑張れた。 夫に依存されて役割を持てていたことが喜び。 こ…
カウンセリングで感情が凍り付いていると言われたものの自分ではわからない。 どうのように凍り付いているのかわからない。 わからないことが既に凍り付いているんだろうね。 先生は自分の好きな物を手に取り幸せを感じる事。 幸せというものは大きく遠くにあるのではなく、手のひらを目の前にして開いた手の中ここにある。 仕事帰りに雑貨屋さんに寄って殺風景な一人暮らしの部屋に色を付けてみようと立ち寄った。 もうすぐクリスマスだ。 クリスマスの雰囲気を出せる小さなツリーを買ってみて部屋を彩ってみよう。 暗い部屋にツリーの装飾である電球を灯してみた。 心が温かくなったような気がする。 この温かいものが幸せなのかもし…
朝焼けを見て感じた感情をカウンセリングで伝えたら『自分の感情が凍りついている』と言われた。 『それを一度に溶かしていくと危険なので徐々にカウンセリングで溶かしていく』と先生が言ったのである。 えっ? 感情が凍り付いている? どういうこと? そういう事を考えたことがなかった、確かに自分がこれをしたいとか、楽しいとか、うれしい、悲しいという感情が薄すぎるかもしれないと気付かされた。 自分のことは二の次だった。 いつも人の顔色や感情を優先してた。 私は置き去りだった。 異常だったのかもしれない。 だから夫が飲酒でやらかした後始末を何年も出来たのかもしれない。 自分の心を感じることが鈍感だったから我慢…
家を出て実家に帰った。 実家には高齢の母が一人で暮らしている。 しばらく暮らしてみて落ち着かないなと感じていた。 これまで一人暮らしの経験はなかったが、この先の人生どうせ一人で生きていかなければならないし、一人で暮らす部屋を借りようかと頭によぎった。 何から手を付けたら良いのかしら。 母は認知症があり、一人暮らしが限界を迎えようとしていた矢先に私が帰ってきた。 とりあえず、母の家周辺辺りで住もう。 ある日、近所の人が母を訪ねてやってきた。 玄関で対応したのが私だったので『この辺りで良いマンションはないですか?』と聞いてみた。 そしたら○○マンションはいい人が何人か住んでいるよと。 早速、マンシ…
なんで私のほうがカウンセリングを受けなきゃいけないのか?と納得がいかない気持ちと受けないと自分が何も変わらないという複雑な思いを抱えながらカウンセリングに行った。 受付してカウンセリング室に入るというイメージをしていたのですが、古いビルの一室で先生一人だけが迎え入れてくれた。 特に質問攻めにあうこともなくアルコール依存症の夫との経緯を軽く話した。 (あれ?色々聞かなくて大丈夫なの?) そして私の親との関係などもさらりと。 私は家を出てもう帰るつもりはないということも伝えた。 その日は特にこれといった手ごたえもなく終了した。 この時は、何が何でも離婚したいというより離婚しなければ辛いだけの人生で…
泥酔している間に家を出た翌日から毎日のように夫から電話が鳴った。 無視は出来ないので電話に出た。 『寂しい』と訴えてくる。 胸が締め付けられる。 でも決めたんだ。 アルコールに振り回される生活をやめようと。 だから『家にはもう帰らない』 ある日、夜中の3時に携帯が鳴った。 普通に電話に出たけど、少し怖くなってきたし耐えれない。 夜中の電話に出てしまう自分もどうかと思う。 ある日、意を決して叫んだ。 『もうこれ以上、私を苦しめないで~』 『これ以上、私を苦しめると着信拒否するから~』 そしたら次の日からピタっと連絡が途絶えた。 私の心は限界に達していた。 どうしたらよいのだろうかと考えた末に以前…
家に帰るのが苦痛になってきた私はなるべく帰宅時間を遅らせたり、休日は外に出るということをしていった。 ある日、帰宅したら再飲酒し泥酔状態でひっくり返っていた。 料理酒を飲んで空っぽになったパックが台所に転がっていた。 私の行動がそうさせたということだ。 うん、そうかもしれないね。 いつもなら私が悪いんだと罪悪感を抱くのだが、なかった。 もう、こんな生活をやめると心に決めていたからだ。 泥酔しているうちに荷物を車に押し込んで出よう。 前回にも家を出た時に持ち出した荷物は最低限必要なものを持ち出したけど 今回は荷物の内容が本気だ。 購入したばかりのベッドマット、こちらも購入したばかりのオーブンレン…
私の心が揺らいでいる時。施設にいる義理母が帰りたいという意向を示していると夫が言い出した。 呼び戻そうと思っている。。。とのこと えっ⁉言葉がでない。 断酒して間もない上に仕事も復帰していない状況で介護がのしかかってくるとどうなるのよ。 私のことは二の次なんだと思った。 その日から家に帰るのが本当に嫌になった。 仕事が休みの日は、なるべく用事を作って家に帰らなかった。 夫の顔を見るのも嫌だった。 そんな日を重ねていくうちに家を出たいという気持ちが色濃くなっていった。
夫が退院後、日中働かず家にずっといることが私の心の負担になってきた。 コロナ禍で商売も厳しい状況であり、復帰したところで思うような収入に繋がるかといえばそうでない。 しかし、今の商売を辞めて外で働くといっても年齢も年齢でせいぜいアルバイトかなと。 アルバイトでも良いから働いてほしい。 いや、どんな仕事でも良いから働いてほしい。 本人は医者にストレスがかかることは危険だと言われているとのこと。 出口の見えないトンネルの中にいるみたい。 考えても考えても答えが出ない。 友人から以前、とてもよく当たるスピリチュアルな占い師(霊視ができる)の話が頭に浮かんだ。 そうだ、相談に行こうと。 ドキドキしなが…
心療内科を受診し、処方された睡眠導入剤で不眠が和らげた。 心療内科の先生が断酒会に参加しないと、という言葉が頭によぎり、それとなく行くように促した。 しかし、行きたくないと頑なだ。 私も家族会に行くからと伝えたら『あんただけが行けばよい』と。 はぁ??カチンときた。 心の中で『お前のせいでどれだけ苦しんでいるのかわかっているのか』とね。 言いたいけどグッと我慢。 再飲酒されるから我慢。 我慢? なぜ私だけ? なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。 この時から離婚が頭によぎるようになった。 一人で生活することの覚悟を決めていかなければと。 不安だけど、このままも不安。 どっちの不安を取ろうか。 そりゃ…
不眠症になって心療内科を予約し、先生に眠れない経緯を説明した。 そして私の不安を打ち明けた。 何が不安というと断酒会に参加しようとしないこと。 私から断酒会に行くことを促してはならない、あくまでも本人の意思。 もちろん、わかっている。 全ては本人の意思だとね。 先生は断酒会にいかないといけないと言ってた。 私もそう感じていたから再飲酒が始まるかもと不安になり不眠症になった。 入院に繋がり退院後にお酒を止めているにも関わらずスッキリしない。 つづく。。。
複雑な思いを抱えながら夫が退院し、再び一緒に生活することが始まった。 退院してすぐに仕事は無理ということで日々の日課にウォーキングを取り入れた。 最初は距離を歩けなかったが、徐々に距離を伸ばしていった。 そして、毎日ウォーキングを重ね一日1万歩を目標になっていきました。 午後からは自由時間。 一方、私は仕事をこなす日々。 帰宅したら夫がいる、急いで夕飯の支度をする。 そういう生活が続いた。 私は、またいつ再飲酒が始まるのかと怯えながら過ごしているうちに不眠症になってしまった。 寝る時間が近づいてきたら目がぱっちり。 寝るための夜の過ごし方を努力したけど寝る時間が近づいてきたら目がぱっちり。 全…
やっと入院まで繋がったのに、何故か私の思いは複雑。 その複雑な思いは何故なのかは、わからない。 でも、せっかく入院までして本人に自覚が芽生えたんだから支えなければ。 支えなければならないという呪縛に心が苦しいのかもしれない。 退院後の生活を想像したら悪いイメージしか浮かばない。 退院しても仕事をすぐに始めないだろうし、また私が頑張らないといけないのかと思うとしんどい。 依存症の治療といっても本人にプレッシャーをかけてはいけないというご法度がある。 その分、私にプレッシャーがかかる。 退院後に一緒に暮らすということは夫がスリップしないように心掛けないといけないという私へのプレッシャーだ。 自分の…
入院してからは、退屈なせいか一日に一回は必ず電話がありました。 同じように入院している人のことが気になるようで、その様子を私に説明してきました。 夫が悟ったことは、社会で凄い経歴を持っている人も入院しているということ。 だから、誰でもアルコール依存症になる可能性を秘めているんだと。 私は、夫がアルコールに溺れている姿を横で見ていて感じたことは、ストレス耐性にかなり弱いと思いました。 生きていたら嫌なことや辛いことなどは誰にでも起こりうることだと思います。 一つ一つ乗り越えて人は前に進んでいるのですが、夫の場合は立ち向かわない、その前に酒へ逃げてしまいます。 問題から目をそらし回避してしまいます…
夫が入院直後に義母は施設へ、私は実家から3か月ぶりに家に戻りました。 コロナ禍ということで、私は実家の母と暮らし感染させてはいけないということと仕事の都合、あとは世間体という理由で誰もいない家に戻りました。 入院生活が暇である夫から毎日電話がありました。 そして、入院している周囲の人達の様子を話してました。 色々な人がいる、おかしくなりそうだと。 いやいや、あなたも同じだよと思ってました。 入院したものの退院後ってどうなるんだろうって疑問に思ってきました。 ある施設に相談の電話をしました。 『入院して帰ってきたら、仕事は普通に出来るのですか?』と尋ねたら、衝撃な答えが返ってきました。 『無理で…
底付き体験を経て、アルコール依存症であることを認め、入院を決意しました。 この時、私は大変うれしく思い、治療する夫の力になりたいとまで思いました。 しかし、入院中に義母を誰が面倒みるのかが問題でした。 また、ケアマネジャーさん、保健所のケースワーカーの方、地域包括支援センターの職員が集まり、義母について今後どうするのか話合いをしました。 退院後も義母の介護より依存症を回復させることを優先的に行わないといけない状況であることを義母に説明し施設に入所してもらうことを説得しましたが、自分の家に帰りたいと受け入れません。 義母の家は、階段が急で一人暮らしは無理だと説得しました。 もちろん、私もアルコー…
保健所の方の話によると夫が酔っぱらい玄関でふらついて下駄箱ごと倒れ下敷きになり、義母がケアマネジャーさんに助けを求め連絡したようです。 ケアマネジャーさんが駆け付けたものの玄関を開ける鍵がないのでドアが開かない。 警察を呼んだみたいです。 警察も駆けつけて鍵屋さんに頼んで合鍵を作製し、ようやく玄関が開いて下駄箱を男3人がかりで持ち上げたようです。 凄い迷惑をかけているのに後日、家の前で倒れてるのを近所の人が見つけて救急車を呼んでくれて運ばれる始末。 救急隊員から電話があった後、悩んだあげく私は行かないと決めました。 しかし、心の中で自殺でもしたらどうしようと葛藤してました。 結果、行かないと決…
実家に戻った私は、退院したばかりの義母の状況が気になり、担当のケアマネジャーさんと夫のアルコール問題でお世話になっている保健所のソーシャルワーカーさん両方に連絡を取り、一度みんなで今後の事を話し合いたいと伝え、日程を設定しました。 そして、集まって話し合いが始まりました。 保健所のソーシャルワーカーさんに相談していたのは、私だけで夫は初対面でした。 アルコールの飲み方について、質問をいくつかされました。 まず、飲む量について聞かれ、答えた量と実際に飲んでる量が異なってました。 少なく見積もってます。 そして、病院に入院することを勧められましたが、入院は嫌だと拒否。 義母も息子に同意。 ケアマネ…
荷物をまとめ家を出て実家に帰った私は、翌日も仕事だったので疲れてすぐに床につきました。 翌日の朝、仕事に行く途中に携帯が鳴り、見たら夫からだった。 酔っぱらいながら『今日はお袋が退院だから車を今すぐに返して』ということだったが、引き返せないのでタクシーで迎えにいくように促した、しかも飲酒運転になってしまうことも伝えましたが、そのまま返事もせずに一方的に切られました。 その日の仕事を終えて帰宅したら携帯が鳴り、出たら義理母の入院先の病院だった。 『今日、退院の日なのですが、息子さんが迎えにきません』とのこと。 看護師さんに夫のアルコールの問題を伝え、私は家を出ており関係ないと伝えました。 翌々日…
アルコール依存症について勉強していると『底付き』という言葉が出てくる。 回復過程のグラフで底付き体験してから線が上昇していくのを目にしたことがありました。 底付きってなんだろう? なんとなく理解しているようで漠然とした感覚でした。 ある日、仕事から帰宅したときにリビングで夫がうめき声を上げて泥酔している姿は、廃人でした。 それは、まるで地獄の中にいるよう。 『私がいるのは地獄だ、地獄はこの世にあるんだ』 ここにはいられない、気が狂いそうだ。 思考は停止してましたが、明日も仕事だから必要最小限の荷物を持ってここを出よう。 いや、すべての荷物を持って出ようと決めました。 車に荷物を詰め込んで無我夢…
家族ミーティングという場で当事者家族が、それぞれの経験を語るという場に参加しました。 言いっぱなし、聞きっぱなしという状況。 家族の立場はバラバラでお子さんが依存者の場合は、健康面を大変心配されている様子が伺えました。 場の雰囲気は、どんより暗いです。 皆さん共通していることは、出口の見えないトンネルの中でもがいている。 明るい兆しが見えたと思ったら、ドン底にまた突き落とされる。 突き放そうと思っても、それ以上の大波に襲われる。 自分のことなら解決できるのに本人の意思に任せるしかない。 本人の意思が、なかなか進まない。 家族は一日も早くこんな状況から脱出したいと願ってます。 家族会で悩みを吐き…
夫は、とうとう仕事までしなくなった、とういうより仕事よりお酒優先だったもんね。 看病で一日を過ごすんだ。 納得いかない。 私が、仕事を終え帰宅すると泥酔状態で寝ている。 もう、耐えれない。 私は、仕事帰り義母の入院先に出向き、仕事をするように説得してほしいとお願いしました。 しかし、返ってきた返事は『あの子は一人では出来ない』とのこと。 二日後に手術を控えているのに何を言いに来たのという態度でした。 そして、明日は手術の説明を夫が受けにくるというのです。 泥酔していることを伝え、この先問題が起きることを想定し病院のほうへアルコール依存症だと伝えていたほうが良いのでは、と義母に提案しましたが、そ…
私が、仕事から帰宅すると夫から着信がありました。 義母が転倒して動けないから、すぐに来てくれという電話でした。 到着すると義母は、座ったままで立てずにいたので、私は救急車を呼びました。 救急隊員の方が到着して救急車へ運ばれ車内で病院先を探している間に夫は準備するので待ってくれということでした。 そして、病院が決まり、救急車に乗り込んできた夫はお酒を飲んでました。 私が飲んでいるのかを問い詰めると、飲んでいないと返答。 『ありえない...こんな時に』 しかし、夫は救急車で付き添うので、私は後から車で迎えにきてほしいと言われ病院に向かいました。 病院に到着して夫の顔を見るとやっぱり飲んでいる顔でし…
アルコール依存症の勉強会に参加して知れば知るほど落ち込みました。 苦しめられている自分が、責められているようでした。 まずは、『こんなに苦しめられている自分は可哀そう』 これは、自己憐憫という負の感情。 これぐらい思ってもいいくらいの事をされているではないのでしょうか? 飲酒で起こした問題の後始末。 アルコールの問題は本人に返す。 色んなパターンがあるかと思いますが、私の場合は、夫が家で一人で飲みトイレに立ち上がる度にひっくり返り部屋の中を汚して後始末をしてしまうこと。 こんな汚れた部屋で暮らすのは、不快だから片付けてしまう。 こんなに泥酔しているのに後始末なんかできるのか?という思いでしてい…
私はクリニックで学んだことを夫に伝えると『ふーん』と他人事。 まだ否認中。 いやいや、あなたは立派なアルコール依存症ですから・・・と心の声が叫んでる。 そして、本人の責任は本人に返す。 う~ん、頭では理解しているつもりですが、どうやって本人に返すの?と疑問でした。 いつものようにグデングデンになり、部屋が乱れた様子を私は片付けたい衝動をぐっと我慢しそのままにした。 夫は一応、適当な形で片付けるが汚いまま。 はあ~やっぱり最後までキレイに片付けてしまう。 ダメだダメだと思いつつ片付けてしまう。 本人に返しても回復は、出来ないのではないかと心のどこかで思っていたかもしれません。 その時はキチンと理…
私はアルコール依存症家族の勉強会に参加しました。 飲酒をコントロールできない、アルコール依存症を否認する、隠れて飲むなどなど夫の飲酒の行動はマニュアル通りではありませんか。 そして、何よりも驚いたのが、私がしていた行動がアルコール依存症を助長させていたなんて夢にも思っていませんでした。 本人の飲酒問題は、本人に返すということです。 頭では理解できても、本当の意味を心で捉えて行動に移すことができたのは、かなりの時間が経過してからでした。 知れば知るほど恐ろし病気であるし、目の前が真っ暗になりました。 なぜなら、回復するには断酒しかないということです。 夫の飲酒を見ていると断酒なんてありえないと思…
夫は仕事中にも飲酒をするようになりました。 帰宅したときに顔を見たら、いつもと目が違うので飲んでいるなと感じました。 お酒を隠し持っているのではないかと思い探したら飲みかけの缶チューハイを見つけ出しました。 どうしたら、この状況を変えれるのだろうかと悩みパソコンで検索しました。 そしたら、保健所がアルコールの問題についての相談先になっていたので早速、電話して面会の日程を決めました。 状況を説明するとアルコール依存症の可能性は高いと言われました。 本人は病院に繋がる気が全くありません。 それどころか、アルコール依存症であることを否認します。 すると、アルコール専門のクリニックで家族会があると教え…
いつしか生活のリズムの境界線が無くなりだしました。 営むお店に突然、同級生が現れ平日の夜、飲み会に誘われました。 明らかに1分1秒でも早く飲み会に参加したいがために仕事を早く終わらせ飲み会場所に飛んでいきました。 私は、今後の飲酒が悪化しないか心配でした。 明日は、仕事だというのに日付が変わっても帰宅しません。 私も翌日は仕事があるにもかかわらず、帰宅するまで寝れず。 帰宅は深夜2時くらいでした。 翌朝、二日酔いと寝不足で起こしても起きません。 私は、起きない夫を放って仕事に出発しました。 夫は大遅刻したそうです。 次回の飲み会は、生活リズムのコントロールができるだろうと思いました。 飲み会の…
夫の飲酒は、相変わらず酷い。 『次に酷い飲み方をしたら別れる』と脅しましたが、全く状況は変わりませんでした。 ある年のお正月の出来事、 我が家のルールで喫煙は外でという決まり事があり、深夜、缶ビール片手に喫煙していたのですが、私の怒りが最高潮に達し、玄関ドアを施錠し締め出しました。 すると、ドアをガチャガチャとした挙句、玄関付近に置いていたブロックでガラスを割って鍵をあけ入ってきて何食わぬ顔でベッドに入り就寝しました。 玄関はガラスの破片だらけ。 また、これを片付けなければならないのかと思うと愕然としました。 この時は、もうこれ以上の事を考える力はありませんでした。 朝に考えようと思い疲れ果て…
2008年に起きたリーマンショックの時、夫が営む飲食店が大きな転機を迎えました。 それまでは、そこそこ順調であったのですが、今までのようにお客さんが来なくなりました。 『時代に合わせてやり方を変えてみるのはどう?』とアドバイスしましたが、聞く耳を持とうとしませんでした。 そして、お酒を飲む頻度が増え追い詰められていたような様子で心配しました。 夫は凄く逆境に弱いというより弱すぎるのです。 『今まで通りの生活費を渡せない』と言われました。 提示してきた金額では生活ができないので、私はキャリアアップして現在のパートから契約社員へと転職しました。 その時は、一時的に対処してほしいということだと受け止…
お正月の期間だけだった連続飲酒は、やがてゴールデンウイーク、お盆休みまでするようになりました。 酔いが回ると足がふら付き転倒し物が壊れたり、コップがひっくり返ってこぼしたり、失禁して床を汚したりと大変でした。 その度に後片付けをしなければなりません。 ’’後片付け,, と文字にすると簡単ですが、肉体も精神も極限まで疲れ果てます。 転倒したことによって顔にあざができているのに、本人は何も覚えていません。 『痛くないのかな?本当に幸せだな』と思いました。 怒りと情けない感情が湧き出てきますが、否認と記憶がないということで私の一人相撲になってしまうのです。 なんとも言えない気持ちになります。 私の感…
いつの間にか、夫の飲酒を監視してしまう自分がいました。 何故か胸騒ぎがするんです。 案の定な出来事が起きるのです。 酔い方が酷くトイレに立つときにひっくり返り、その拍子で物が壊れたり食卓の物が落ちたりと私の余計な仕事が増え、腹が立ち本人の目の前で捨てることもありました。 ウイスキーの瓶は、捨てるのに抵抗があるので隠しました。 夫も応戦し飲みきれないビール缶を隠し飲みしたり、隠したことを忘すれてしまい後日、掃除をしたときに発見するのです。 あれ?あちらからも、こちらからも発見という感じで。 何故、そこまでして飲むんだろうと疑問でした。 しかし、捨てたり隠したりしてしまうと自分自身とても後味が悪か…
夫の連続飲酒は、年に一度のお正月だけだったので一週間は辛い思いをしますが、それ以外の日々は平穏に過ごしていました。 この時は、まだ連続飲酒という言葉を知りませんでした。 そして時が過ぎ、子供に恵まれませんでしたので、私は生活費の足しに近所へパートに行くようになります。 夫は週に一度の休みだけアルコールを摂取してすぐ寝る、そして夜中目が覚めて缶チューハイを2,3本飲んで朝まで寝るをくり返してました。 しかし、お正月になると約一週間は連続飲酒になり、必ず失禁が付いてきます。 お正月の間は失禁の処理で追われます。 私は、何度かシーツを干すベランダでボー然としたことを記憶してます。 いつの間にか、クリ…
結婚前、アルバイト先で一緒に働いていた母に近い年齢の方で当時60歳くらいの女性が話していたのを思い出しました。 その方のご主人は、アルコール依存症で新婚当時に仕事を辞めてしまい、奥さんの稼ぎと寝たきりのお姑さんの年金を当てにして飲んでいたそうです。 一緒に働いていた当時は数年前、肝臓がんになってしまいお酒を止めざる得ない状況で療養中だとおっしゃってました。 私が衝撃だったのは、家にお酒を置かないようにしているというのは理解できましたが、台所のミリンまで隠していたということでした。 ミリンまで飲むんだと。。。 そして気の毒だと思ったのは、仕事が終わり主婦だったら一刻も早く帰って家事をしたいという…
一連の飲み方で疑念を抱いた私は周辺の人に相談した。 『変な飲み方をするんだけどアル中かな?』 『楽しみの一つだよ』とか『ストレス発散だよ』と返ってきました。 私自身もやっぱりそうなんだと思い直し疑った自分に反省までしてしまった。 日頃のストレス発散のために長い休みが続いたら連続的に飲むんだと。 夫の母も『他に楽しみがないし、お酒くらい』と一滴も飲めない私は依存症の疑念を打ち消した。 私はご馳走を作った時は夫の大好きなビールを買ってきたり、ビールを人から頂いたら喜ぶと告げ有難く頂戴しておりました。 今思うと、とんでもない行動でした。 その頃は、アルコール依存症という言葉だけを知っていただけで本当…
正月中の飲み方は、一瞬『アル中?』と頭をよぎりました。 しかし、私が持っていたアルコール依存症のイメージは仕事もせず朝から一升瓶を抱えてグデングデンに酔っぱらい酒が切れたら奥さんに『酒買ってこい』とおじさんが暴言を吐く最悪な姿でありドラマのワンシーンで観た印象。 後に、ドラマのワンシーンが現実になるとは疑わずにやり過ごしました。 正月明けは、いつもの生活に戻り仕事のある平日には、アルコールを一滴も飲まず週末の休みである日曜日だけ飲んでパタンと横になり雑魚寝するパターンでした。 雑魚寝した後は、寝室で本格的に朝まで眠るとういう体制に入るのですが、時に夜中に目が覚めるといい冷蔵庫にあるビールや缶チ…
初めて迎えたお正月は、お酒を飲んで寝る、酔いが覚めるとまた飲んで朝起きると失禁するという繰り返し。 問い詰めるとそんなに沢山は飲んでいないと否認される。 量の問題ではなく飲み方の問題なんだけど。。。 (困惑する私) 何が辛いかというと、私はキレイ好きで汚されることが好きではありませんでした。 床やお布団が汚されることは、とても不快でした。 キレイ好きではなくても普通の神経をしていると不快だと思います。 世間様は年末に大掃除を済ませ、楽しいお正月を過ごしているというのに元旦から汚れたシーツを洗うのに洗濯機を何度も回しお布団を干して大仕事です。 もうクタクタです。 しかし、本人は何も覚えていません…
結婚して初めてのお正月を迎えました。 お掃除が大嫌いな夫は、年末のお店の大掃除だけはしました。 大掃除終了後、今年の仕事は終わった~とばかりに大晦日へ突入します。 そして、紅白を観ながら晩酌がスタート。 まあ、お正月だからお酒が入るのは普通だと別に違和感を感じませんでした。 私の家族は誰も飲めないのでお正月にお酒が登場することはありませんでしたが、世間一般的にはお酒があってのお正月ですよね。 しかし、元日から呑んでは寝る、呑んでは寝るの繰り返しではありませんか。。。 あれ?こんなに寝る? お正月を一緒に楽しむという私の理想とは、かけ離れていました。 呑んでは寝るとういう場所は、テレビの置いてい…
結婚を機に、私は職場を退職し将来に向けて夫の手助けにならないかと ハローワークの公共職業訓練で飲食コースを選んで3か月の間、学んでいました。 夫の仕事は、日曜日と祝日だけのお休みでした。 休みの日は、翌週のお店の買い出しと内風呂は狭いので疲れが取れないとのことだったので、スーパー銭湯に行くのが週に一度の癒しだったようです。 それ以外は、どこへ行くともなく、夕飯時に晩酌を嗜んで寝るというのが 常でした。 たまには、何処かへ出掛けたいという思いがあり、 少し寂しい気持ちはありましたが、週に一度しかない休みだし 身体を休めてもらおうと言い聞かせて我慢をしてました。 つづく
お付き合いして、一年後に入籍しました。 特に、お互い意見がぶつかり合うこともなく、喧嘩もなかったので 結婚までの道のりはスムーズでした。 でも、少し飲み方に違和感を感じた時がありました。 外での飲食時は普通でしたが、家で缶チューハイを飲んでいる時にです。 具体的にどのような違和感かというのは、言葉にすることは難しいのですが、 そのように肌で感じた、ただ、それだけです。 その違和感が、地獄の未来を予測していたのかもしれません。 つづく。
夫の初めての印象は、穏やで優しい人だなと思いました。 仕事は小さな飲食店を義母と二人で営んでおり、 話を聞いている限り、仕事が好きで真面目に取り組んでいる様子で この人なら安心して結婚生活が送れると確信しておりました。 デートをする頻度は、お互いの休みである週一度の日曜日でした。 夫も私も外でアクティブに遊ぶのは好きなほうではなかったので 家で一緒にテレビを観たり、外食を楽しむのが中心でした。 飲食時、夫はアルコールを必ず注文します。 まずは、お決まりのビールからと。 しかし、注文も生中を二杯から三杯まで。 特に問題なし。 私は一滴も飲めない体質でウーロン茶を。 世間一般の方となんら変わらず問…
初めまして 私は、アルコール依存症の夫を持つアラフィフ妻です。 夫婦だけの家族で結婚して16年が経ちます。 数年前に、夫がアルコール依存症だったということと 私たちは、共依存関係だったということに気づきました。 この気付きに至るまでの経緯と心境の変化を今後ブログで語っていこうと 思っています。 ブログ初心者で不慣れですが、頑張って続けていこうと思っています。 今後も宜しくお願い致します。
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