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2021/04/19

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  • 手習い 真似

    ちょっとスケッチして見た、ずいぶんと下手になった絵になっていない、線をうまくひけない、曲線にならない、顔にならない体の動きが角ばって棒状になるこれでは絵とは言えない筆字を書いてみた、ちびった鉛筆の字みたいだペン字を書いても先を急ぐばかりで、なめくじの通ったあとのよういったいなんでこんなに書くことが下手くそになってしまったのかちょっと考えたどうして絵をかくことが好きになったんだろうかと生前、母が言うには「5歳ごろ、家の前の小路に、木の枝で毎日汽車の絵を書いていた」と時々、いなくなるので、ある時、後を追って行ったら5分ほど歩いて寺の裏の小路へ行き、少し先の田んぼの中を行く汽車が来るまで待っていたとそれをじっと見て、また急いで家に戻り汽車の絵に何かをつけ足していたのだそうだ見に行くたびに汽車の絵は、細々と部品が...手習い真似

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (126) 長尾家 39

    砦を作り、しばし兵を休ませて再び長尾平六俊景の勢は栃尾城に攻めかかったされども城はびくともせず、攻めあぐねている三条勢に、長尾景虎十五歳が率いる百騎余りの勢が間道を通って、突如、敵の本陣の横合いから突き入れた同時に火矢を飛ばし、一同に鬨の声をあげ攻め入れば、本陣は突如の事とて慌てふためき混乱に陥った。陣中は猛火に包まれ、切って出ることもならず、上を下へと騒ぎ立てるのみ景虎は、直ちに下知してさっと兵を引く引き上げながら敵先陣の背後から矢を射かける、城中ではこれを見ていて、本庄美作守が再び城門から打って出た敵の先陣は、本陣より火の手が上がるのを見て、浮足立っており、本陣の方に引き上げるところだったので、今度は本庄勢に背後を襲われ手も打てず、本庄の成すがままになったそこに景虎勢も挟み撃ちに攻め立てるので、討たれ...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(126)長尾家39

  • こころ落ち着かぬ16日間

    ブログ人からgooブログに変わって3500日が過ぎた、あと半年足らずで10年か・・・。病院に入れば元気百倍になる私だが、家にいるとあれこれ必要ないことまで考えてしまい憂鬱になる。24,25と二日間の検査も楽しく難なく済ませたが、25日の大腸検査の結果はその場で技師先生の説明を受けたが、24日のMRIの結果は来月2日に、外科の担当医からの説明まで待つことになるその後は9日から、抗がん剤治療が始まるのは結果に関係なくほぼ決まっているので、それもまた未知の領域ガンの先輩から少しは様子を聞いているので、そっちの覚悟は定まっているが、それでも初物は少し不安を思う。2日の結果発表もじらされているようで、さっぱりしない検査で腸内が空っぽになり、60㎏ジャストまで落ちた体重翌日から、少し固めのものや肉も取り入れて、体力回...こころ落ち着かぬ16日間

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (125) 長尾家 38

    照田常陸介、黒田和泉守、金津伊豆守の親子は府内の城を攻め落としたのち、蒲原郡に去って、三条の長尾平六郎俊景に合流したので、俊景は大いに喜んだ。俊景の勢いはますます増して、中郡から下郡にかけての広い範囲に勢力を張ったまずは河西の城に照田常陸介、金津伊豆守の親子を入れて守らせ、黒滝の城には森備前守、新川砦には山下又左衛門、刈羽には世良田九左衛門を込めて、中郡の敵を防がし、村松の城には野本大膳、安田砦には篠塚憁左衛門、菅名砦には蔵王堂式部少輔、新潟の砦には森岡十左衛門を込めて下郡の上杉方をけん制する。なおも近郡を従えるために、大将平六郎俊景中軍に備え、黒田和泉守、八条左衛門大夫、五十嵐小文四、風間河内守を先手として、西古志山東郡を討って威を示し、降参してくる者も多く、今は恐れる敵は無しといえども、まじかの栃尾に...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(125)長尾家38

  • 車と仕事とドライブ

    74歳になった、私と自動車との付き合いも長い自動二輪の免許を取って57年、普通自動車免許が56年、大型免許は38年になるいずれも趣味のためと言うより、仕事のためにとったという方が正しい高校生の時には家業の配達のためにとった自動二輪と普通免許それまでは自転車で配達していたから、足腰はそれで強くなったともいえる家業は魚屋+仕出し店で魚の配達を手伝っていたが、自動車免許を取ってからは仕出し料理の配達も手伝うようになった。板前修業に行った時も、傍らその店の仕出し配達もした個人宅への法事や祝い事の料理を運んだり、寺へも法事や葬式料理を20人前、30人前と運んだ、御膳一式すべて届ける時代だったもっと大変だったのは、結婚式場への配達で、これは普通でも50人前以上だったからワンボックス営業車で二台くらいで運んだ、一人前が...車と仕事とドライブ

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (124) 長尾家 37

    さて、二郎吉と別れた景虎一行は、いよいよ甲斐国に入り、あまねく地理を調べて白峰にさしかかる。ところが深い山道で迷い、道を失い行けども行けども、獣道すら見えない森の中に入り込み、もはや見えるのは木々の重なり、背丈を超える木草、蔦は絡み、枯れ木は足を痛め、木々の枝は目丈にあって顔を打つ上を見ても覆い茂る木の葉、幾重にも重なり高低さえもわからず、昼七日夜なのかもしれず、かすかに木々の合間からこぼれる光、あるいは星の瞬きで、昼夜を知る。草露を飲み、樹汁をすすり、草の実、木の実で上を凌ぐすでに日数は5日を超えて、いまだ道は見えず、木こりの一人にも出会うことがないさすがに主従壮健といえども、足は疲れ気根も費える頃、谷の彼方に、一筋の煙たなびくを見た大いに力を得て、そこを目指すが行けども行けどもたどり着かず、相変わらず...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(124)長尾家37

  • 体は元気なので

    *本日は「甲越軍記」お休みします今日は午前中に「山の神社」にお願いして厄払いをしてもらいました。実は倅が42歳の本厄なので付き添いで行って来たわけです。この神社の巫女さんとはもう40年の付き合いです、なかなかの女丈夫で話やすくて頼みやすい。結婚式場の仕事をしていた時に、先代の神主さんが結婚式の挙式で来ていて、そのとき娘の巫女さんも来ていたのでした。ともあれ静かな山の林の中にある神社は清々しく、心を現れるようでお祓いの後生まれ変わったような気分になりました。その後で、入院以後初めて体慣らしで往復200kmほどのドライブをしてみました体は元気なので、どの程度行けるかと思いましたが、以前と同じように走ることが出来ました。天気も良かったし、気温も28度くらいで海岸沿いは風があって、散歩していても気持ちよかったです...体は元気なので

  • 病後の体、気持ちと現実

    体と気持ちは元気なのだが、数字はやはり病体に見える体重は手術前の68㎏から退院直後を比べると5㎏痩せた、そして退院直後から今度の検査前日までで2㎏減り、検査の朝から帰って来た夜までの2日で1㎏痩せたつごう8㎏痩せて60㎏になってしまった。2日で1㎏痩せたのは2日間飲まず食わずの上に、検査の為、お腹を空っぽにしたのだから当然である、今日からどれだけ取り戻すかだ。それでも今より身長も高かった高校時代に比べるとまだ8㎏は太っている腹囲も10cm近く減ったので、これはキープしておきたい。体温はずっと平熱の35.5度前後だったが、検査の日は36.5度に上がった、たった今、計ってみたら35.8度に戻った、一安心。今日から食事を平常スタイルに戻した、ただし、ご飯は全粥にした、まだ固いものや脂っこいもの、もたれるものや刺...病後の体、気持ちと現実

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (123) 長尾家 36

    景虎は、二郎吉の異様な姿を見て歩みを止めて仔細を聞くと、二郎吉はこれまでの事の次第を細かに語ったので、景虎は二郎吉に猛勇を感じて「汝、出世の志あるなら、我に仕えてみぬか」と言った二郎吉は、それを聞いて「かっか」と笑い、「我は漢(おとこ)なり、武士となって敵の首を取り、名を輝かさんとは思えども、なんで汝らのような乞食坊主に従うことがあろうか、くだらぬことを言っている暇があるなら在所を巡って食を乞うべきであろう」と相手にしないで立ち去ろうとした。鬼小島弥太郎は、これを聞いて大いに怒り、「汝は何も見えぬのか、長尾家の大将の御前をはばからず奇怪な言葉を吐きおって、舌の根を失うでないぞ」二郎吉も目を怒らせて、「汝がいかに偽っても、我がこのような出たらめを信じるわけがない、本当だと思う方がおかしいなり、長尾家と言えば...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(123)長尾家36

  • 今日は検査の第二段、大腸の内視鏡検査

    大腸の腸閉塞だったため、その先までカメラは入らず検査できなかった開通したので今日は大腸と小腸の境目までカメラを入れて検査した(1.5mくらいあるらしい)9時に病院で受付、血圧を測り、自販機でペットボトルの水3本買ってくるようにと言われた。それをもって案内されたのが普段いかない廊下、そこに4畳半の畳の部屋があって、向かいはトイレになっている。「ここで下剤を飲んでもらいます、15分ごとにコップ一杯で1時間かけて4杯飲んでください、終わったらペットの水、1本飲んでください」とのことテレビもあるし、クーラーも聞いているし悪くはない、ちょうどドジャース戦が始まったばかりで時間もあるし、ゆったりしようと思ったら「部屋の中を歩いてください、廊下に出て歩いてもいいです」歩いてばかりいれば飲む時間が無くなるし、なかなか面倒...今日は検査の第二段、大腸の内視鏡検査

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (122) 長尾家 35

    ここ信濃、甲斐の国境白峰の麓に二郎吉という若者がいる五歳の時に父母と離れ、叔父に養われていたが幼い時より腕力強く、大胆不敵な童子にして、尋常の子供の遊びには親しまず、常に山野を駆け巡って猪、猿を相手に修練すれば、叔父はこんな風に勝手我儘な二郎吉を説教すれども、聞く耳持たず、あきらめて放っておいたが、次第に二郎吉は家に寄り付かぬようになった。この辺りは山深く、峰々が幾重にも重なり、谷が幾筋も流れ、人が入るなど稀な場所である。悪鳥、猛獣の棲み処となってはびこる、里を襲って幼子を連れ去って喰らうことも度々で、この度は叔父の愛子までも連れ去られ、夫婦は嘆き悲しみ「せめて亡骸だけでも」と言うのを二郎吉が聞き、悪鳥を殺して叔父夫婦の嘆きを慰めようと、悪鳥が巣くう奥山の断崖絶壁を目指した。夜は岩を枕に、昼は谷を下り、峰...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(122)長尾家35

  • 初めてのMRI

    MRI、人間の臓器を輪切りにした映像を撮る、体が丸ごと入る大きな機械だ。一度だけ母がこれで検査した時、立ち合いをしたが廊下まで「が~んが~ん」とブリキの一斗缶をバチで叩き続けるような音が聞こえた。これは機械にかかっている母は、そうとうダメージだなと思っていたが、わりとケロリとしていたのを覚えている。そして今日は、いよいよ私がその機械にかかることになったまずは内科の準備室で点滴の準備、ガドリニュウム造影剤を入れるので太さも針の長さも普通の点滴より大きい。最初は失敗、まだ若い看護師だった、針を刺した途端に親指の先に電気が走った、針先も痛い「電気が走ったよ」と言ったら、本人も気づいて「すみません針を抜きます」と言って抜いた。私は、こんなことは慣れっこだ、入院中も二度血管からはみ出て液漏れした私の血管は細くて、看...初めてのMRI

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (121) 長尾家 34

    旅脚絆に草鞋がけ、勧進柄杓を腰に差した姿で五人は益翁に付き、廻国修業に身をやつしての密かな旅立ちであった。ついに敵地を凌いで府内にたどり着き、兄晴景に対面して晴景を責めた。「御父、越中にて討死して早六年の歳月が過ぎました、越中は永遠の敵国、黒田、金津は御舎弟の仇である、景康、景房討死ありてから当年まで、兄上は義兵を揚げて、父と舎弟の仇を討とうという気配を見せませぬ御年四十一になるというのに、安然と年月を無為に送り給うこと、敵から見れば長尾家の武威を落すことではありませぬか速やかに義兵を揚げてまずは黒田、金津を討つべし、それから越中に入り父、為景公の弔い合戦あるべし某も本庄、宇佐美を催して旗を揚げ申さん」と言った。しかし晴景は末弟に辱められたと、これを悪意にとり、心中怒りで一杯になったが、景虎の理は誰もが認...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(121)長尾家34

  • 私がパンをあまり食べなかったわけ

    今日は、さっぱり朝の4時半から時間が進まない。最近の決め事、「5時前に間が覚めても布団の中で、まどろみながら5時半過ぎまではじっとしている」それが今日は守れなかった、外では早くも鳥たちが夜明けと共に活動を始めている決め事をするまでは、5時でもおかまいなくチュン太たちに朝ご飯を提供していたが、さすがに今は早く起きても、そこまではやる気は無いこの頃は6時から7時の間で定まって来た。朝のルーティンも定まって来て、まずは顔を洗って神棚の榊の水と、水を取り替えて拝礼をする。それから、仏壇のご飯を取り替え、花の水を新しくする、そして焼香と朝の挨拶をする。その後で、庭の畑の空き地でチュン太に朝ごはんを振る舞い、楽チェアーに足を延ばして10分ほどチュン太たちを見ている頭を空っぽにして眺めて居るだけの、この時間が至福の時、...私がパンをあまり食べなかったわけ

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (120) 長尾家 33

    三人は「いや儂らは何もしてはおらんが」と言ってから、夕べの不思議な怪女の事を主に話した。すると主は顔色を変えて「これは・・・心に覚えがある」と言い「恨みの報いとは逃れがたいものだ、あなた方には、隠し立ては致さずすべてを話しましょう某の妻は気性激しくて少しの事でも頭に血が上り、見境がつかなくなり下女奉公の娘たちの些細な過ちにも腹を立てて、むごい折檻を繰り返していましたそんなおり、一人の下女がまたしても犠牲になり、激しい折檻に耐えられず首をくくって死んでしまったのです世間に漏れることを恐れて、あの榎の木の下に埋めたのですされども無念の死を遂げた娘の執念は妻の業となって、夜な夜な妻に復讐していたのでありましょう」と話しその日のうちに、無念の娘の供養を丁重に行い霊を祀った。そして「我とても遊侠の暮らし気ままに行い...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(120)長尾家33

  • 終活開始

    退院後、終活をゆっくりと始めている、入院中から手術にかけても重要事項だけはノートに書いておいたのだが。それにしても「終活」「エンディングノート」「遺言」「断捨離」と、なんか寂しい響きだね、ほかにもっと楽し気なネーミングは無いのかね。「人生満足ノート」「残りの人生やることノート」「やり残しノート」「みんなへの伝言版」「ありがとう、これからもノート」「老いの一押しやったるでぇ」「100歳までの人生プラン」なんてのはどうだろう。人は知らねど、わが気概はかくあるべし。ともあれ始めたのは、がちゃがちゃに、あちらこちらに散らばっている「紙」相変わらず「紙」の多いこと電子書面が横行する時代だが、スマホやパソコンであっても、望みの資料を一瞬で引き出せる人間はどれだけいるだろうか、ましてや70歳過ぎでは結局、紙であれ、パソ...終活開始

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (118) 長尾家 31

    越後国主、上杉兵庫頭定実は府内の落城を聞き、賊軍が上杉館へも攻め寄せるのではと危惧を抱いた。直ちに諸将を呼び寄せて備えを固めた、だが待てども照田親子は攻め寄せてこないで、ひたすら府内城を守る姿勢に見えた。兵庫頭の元には、日増しに軍勢が集まるので、兵庫頭は「敵の来るのを待つよりも、我らが府内城に攻め寄せて賊徒を討つべし」と勢を揃えて時を待った。一方、府内城にある照田、黒田、金津らは上杉館に大軍が集まって、今にも攻め寄せる気配と聞き、とても大軍には当たりがたしと思い、三条の長尾平六郎俊景と謀りを共にしようと城を出て蒲原郡に兵を進めた。これによって屋形、上杉兵庫守は一人の手負いも出さずに府内の城に入城したそして城主であった長尾弾正左衛門を城に呼び戻す使者を送った晴景が城を抜け出て、笠島に備えを立てた時には僅か八...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(118)長尾家31

  • 先輩からのアドバイス

    今日は昼に大腸がんの先輩、寅姐さんと、昔、看護士だった中姐さんの二人から、ガン治療に関するアドバイスを三時間にわたって聞かせてもらった。虎姐さんはステージ2で抗がん剤治療はしていないが、手術終了後に二度にわたって新たな転移ガンが発見されて、都度手術をしている。年齢も今年で86歳になるが、持ち前の負けず嫌いと根性で日舞の講師として今も活躍している。最近は86の手習いで、習字を始めたという。酒は飲むし、よく外出もするし、諸団体に顔を出すのも大好きだ中姐さんは今日初めて知ったが、糖尿病持ちなんだそうだ私の周囲でも、こんな風に病院の世話になっている人が10人を下らない70歳も過ぎれば、何かかんかの病気はあるようだ、だが例外だってある私の旧宅、8歳から70歳まで住んでいた家は、今は空き家だが、神棚には地元の神社の神...先輩からのアドバイス

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (117) 長尾家 30

    一行は林泉寺に至り、景虎守護のことを願い出ると、僧徒らは方丈に集まり「当寺は長尾家代々の菩提所にて恩を被ること永し、大壇那の一大事であるから、力の限りを尽くして若君を守りましょう」と言ったそして「もし敵勢が個々に押し寄せれば、若君を害し、寺は乱暴狼藉の上、灰燼とされるでしょう、各々心を一つに合わせてこれを防ぎ、叶わざる時は本堂を枕に討死すべし、速やかに用意せよ」と申し付けた。時に栃尾の浄安寺の僧門察西堂は、ちょうど林泉寺に滞在していたが進み出て、「衆僧菩提所の由緒を以て、景虎殿を守って討死とのこと、まことに勇ましく思う、されども僅か一寺の兵を以て大敵に当たるのは、卵をもって大石に当たるが如し也、せっかくの勇気も、その甲斐なく若君は害され、寺は焼き尽くされるであろう、これは栓無きことである」息を継ぎ「わが栃...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(117)長尾家30

  • ラジオ放送 便秘について

    わが生活圏に於いて聞こえてくるラジオ放送は富山県のKBS「北日本放送」新潟県のBSN「新潟放送」、長野県のSBC「信越放送」である。夜ともなると海沿いの地では日本海を超えた中国語や韓国語がラジオを占領してしまう。長野に行けば新潟や富山の放送はあまり聞こえないが、文化放送など東京のラジオ放送が何局も鮮明に聞こえる。どこの曲にも名物アナがいて面白い番組を聞かせてくれる私は主に木曜と金曜の昼前しか聞かないので、その範囲であるが「新潟放送」は「近藤丈靖の独占ごきげんアワー」、近藤丈靖、表佳世「北日本放送」は「とれたてワイド朝生!」佐藤栄治、大沢綾子「信越放送」は「坂ちゃんのずくだせえぶりでぃ」、坂橋克明、峯岸悦子聞き比べていると、それぞれ県民性が見えて面白い。「ごきげんアワー」はベテラン近藤アナが福山雅治、宮澤ミ...ラジオ放送便秘について

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (116) 長尾家 29

    佐平治景房は本丸を攻め落とされ、景虎と共に二の丸に引き入るところを、金津の士卒、大槻半弥が良き敵を求めて廊下を飛び回っていたが、景房を見つけると拳を握りしめ槍の柄を捻って躍り上がり、景房の腰のあたりを突くと景房十九歳、痛手を受けてどっと倒れたところに、藤井源八が駆け寄って来て、たちまち景房の首を掻き切った。喜平二景虎は時に十三歳なれど駆け戻り、兄の仇、藤井源八を一刀のもとに切り伏せた大槻半弥は、これを見て景虎に突きかかるところに、二の丸の番士、戸倉興八郎、曽根半兵衛が駆け寄り大槻の槍を切り落とし、さらに大槻をも縁より下に切り落とした。両士は景虎を守って、二の丸に入ったが敵が満ち満ちており、今は外へ逃れること叶わず、二の丸の板敷をはがして「しばらくここに身を隠し賜え、夜には必ずお迎えに参ります故」と景虎を隠...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(116)長尾家29

  • 次回検査までにやっておくこと

    一昨日の久しぶりの雨で気温が下がり、30度越えの日々も二日にわたって涼しい日和となったそれなのに私は半袖ポロシャツで病院を訪れて2時間も冷房きいた廊下にいたから、寒くて仕方なかった。今日はまた暑さがぶり返して日中は30度近くなった、だが日没前には東風涼しく、気持ちよく散歩が出来た。医師の説明の中に冒頭で、私のS字直腸がん、別の患者の直腸がんの結果を並べて「yottinさんと、この患者さんは奇跡の患者さんです、部位は多少違いますが同じ状態なので、彼の患者さんの資料で説明します」なぜ奇跡かというと二人共、きわめて肛門に近い手術だったが、人工肛門を免れたのが奇跡だという、そして回復が早いこれを聞いて私も、まだまだ「ツイてる」と神様に感謝するばかりであったこの先もきっと良い方に向かって進めるであろう。私も守ってく...次回検査までにやっておくこと

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (115) 長尾家 28

    長尾為景には四人の男子がある、嫡男晴景、二男平蔵景康、三男佐平二景房、四男喜平二景虎である。既に敵勢は本丸に攻め寄せ、城中に満ち満ちている主だった城方は多くが討死していたが、晴景の周りには未だ屈強な旗本がこれを守り、「ここで反逆人の手にお屋形を討たしてはならぬ、一刻も早くここを落ち延びさせねばならぬ」と言えば臆病風に吹かれた晴景はこれに従って、近習の士ら百五十人に守られて、金津勢が攻め入った搦め手門へ向かった幸いに金津勢も多くが大手や本丸に向かって、ことのほか搦め手は手薄だったので、これに勇気を得た近習らは勇み出て敵を薙ぎ払い、脱出に成功した。一方、府内の勇士は千騎が一騎になっても引くまいと奮戦する中でも高尾遠江、斉藤佐々衛門は今日を限りと向かう敵を縦横に切り据え、薙ぎ伏せて柄も刃も折れるまでと討って回り...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(115)長尾家28

  • 大腸がん手術から三週間、次の段階に入って来た

    予約時間に病院へ行って、すぐに血液採取したものの、外科の前で待つこと2時間、やっと順番が来たこれは想定内10年くらい前に母のMRI検査の時は、朝8時半の予約時間で行って、実施されたのが午後2時頃だったこともある田舎の病院事情は、これが普通、検査機器が一台、医師も少ないでやむを得ないだから田舎の住民もみな気が長くなるし我慢強くなる。さて、手術をしてくれた外科医と二週間ぶりの再会、あいかわらず頼もしい風貌の50前後の先生だ。血液検査の結果は全て良しで、順調に言っているとのこと、リンパ節への転移も無いというだが、これで安心してはいけない、ガンのレベル判定には三つの基準があって、一つは忘れたが、これは問題ない、次のガン患部の状態であるが腸管の深く第三層まで達していたことで、これはレベル3もう一つは他臓器への転位が...大腸がん手術から三週間、次の段階に入って来た

  • 退院後初めての外来診療

    退院の時、外来予約券を渡されたのが今日の診察予約であった。何が、どうなり、どのような話や診察があるのか、まったくチンプンカンプンだが少しの不安と、ワクワク感がある。退院後、今日で2週間、相変わらず七分がゆ、全粥、柔らか野菜の食事を続けている体重は入院前より6㎏、退院直後から1㎏減って62㎏弱になった入院前の体重には腸内に在った不要物が2~3㎏含まれていたから、差し引けば3~4㎏減である胃の下からのポッコリお腹が手術後、10cm近く減って、すっきりとなった、これが痩せたという言い方にもなるが、普通の体形になったということだボランティアの会合でも女性陣から「すご~い、すっきりしたわね」などと言われて「惚れちゃいけないよ」と調子に乗って。「・・なわけ無いでしょ」とやり返された。高校1年の時にはウェスト67cmだ...退院後初めての外来診療

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (114) 長尾家 27

    神保並びに越中諸将の起請文を見て、常陸介は心を決した元より野心満々だった照田親子である、早々に味方を募ると。八条左衛門大夫、風間河内守、五十嵐小文四、野本大膳等と時節を計っていると、府内の諸将諸兵は相次いで三条征伐に府内を発向していった。これにより、城内は空虚となり「これぞ天が与えた好機なり」と常陸介は喜び、兵を揃えて整え、天文十一年三月十三日の夜、にわかに府内の城を取り囲み、冑の兵らは一斉に城内になだれ込んだ。城中では「すわ、なにごとぞ!」、晴天の霹靂、もってのほかに驚き、甲冑をつける間もなく、素肌の上に太刀を履き、城門に切って出て一人も城内に入れぬ構え、切っ先揃えて黒田勢を切って落とす三度まで押しては引き、引いては押す展開に、黒田和泉守は大いにいらだち「不甲斐なき者めらめ、敵は素肌武者と言うに、ここま...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(114)長尾家27

  • 日本有数のミニ畑の近況

    畳二枚分の一坪畑+畳半分の分室畑しかない我が畑十坪強の庭を掘り起こして畑と花壇を作った、その周囲には前の持ち主が植えた梅の木、サルスベリ、紅葉、クロガネモチ?、牡丹、バラ、藤、ツツジ、アジサイ、スズラン、が狭い庭を彩るクロガネモチは甘い樹液が出るというし、実はヒヨドリら野鳥の好物だという今は朝のうちに様々な蜂が集まって来て、ブンブンとすごい羽音がする足元にはチュン太たちが朝食中で賑やかな朝になっている一昨日はドジャース戦が始まる前に一仕事、30分ほどかけて一人で防鳥ネットを張った、これでトマトなどが食いしん坊の鳥から守れるようになったサイドは防虫ネットで囲ってある、但し受粉のために土面から50cmほどは空けて在り、その上からも防鳥ネットをかけた。9m×3.6mの大きなネットを、高さ2m×横幅2m×縦幅2m...日本有数のミニ畑の近況

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (113) 長尾家 26

    城戸を叩く音に、番兵が出てみると怪しき男がそこにいた番兵が咎めると男は「某は常陸介殿と同国の者で、松野小左衛門と申す者である見参申したく、急ぎここに参ったので、御取次願いたい」と言った番兵は直ちに、これを常陸介に取り次ぐと、元来越前では深き友であったので、すぐに中に招いて、しばし別れたのちの話で時を過ごした。そのうちに松野は常陸介の膝元ににじり寄り、小声で囁いた「貴殿の存亡は此のときにありまする、某はこれを見るに忍びず密かにやって来て是を告げるのです、貴殿はこれを思慮なさるか?」常陸介は眉を潜めて「某には何の思い当たるところが無い、今少し詳しく話し賜え」松野は、さらに一歩進み出て言うには「貴殿父子が長尾家に在って朝日が昇る如く勢いを増していることは承知している、これは為景殿の寵愛深き故である、しかし為景殿...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(113)長尾家26

  • 「虎に翼」花岡判事の餓死

    一時、寅に恋慕の情を持っていた真面目で清廉潔白な花岡判事が「食管法」を守って飢え死にした。一年間、米汁だけの食事を続けた挙句だという。花岡判事のモデルは大分出身の山口良忠判事である、亡くなった時は34歳だったそうだ。昭和20年8月、日本はアメリカ、中国、英、仏、蘭、豪などとの戦争に負け、アメリカに国土を占領されて食糧難の時代を迎えた。アメリカ支配下の日本政府は「食糧管理法」を制定して、米や主力食材を国がいったん吸い上げて、それを国民に平等に(眉唾?)配給した(配給制)そうはいっても農家だって、苦労して作った米、野菜を「はいはい」と100%政府に出すわけがない、当然我が家が不自由しないだけの米は隠しただろう政府も。そこらあたりは目をつぶったに違いあるまい。ともあれ、配給された米や食糧だけでは空腹を満たすこと...「虎に翼」花岡判事の餓死

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (112) 長尾家 25

    三条で長尾平六郎俊景が謀反の兵を挙げたと、早々に府中に注進があった屋形の兵庫守定実(さだざね)は長尾晴景に、俊景註伐の兵を出すように命じた。晴景は老臣諸将を招き軍議を開き、俊景討滅の兵を起こすことと定め、早速に先軍が出発した。そんなとき、景虎が兄、晴景に密かに囁いた「某が考えるに、城中の動静に不穏な空気を感じます、特に照田親子の動きに不審在り、その顔相には父為景討死の虚をはかり反逆を企てるのではないかと思います。今、三条の反乱に兵を送っていますが、三条俊景がいかに謀るとも勢いは恐れるに足らず、三条周辺の城々に命じて囲ませておけば事足りすと思われます府内の兵は、この度は三条に送らず城中を固めることが肝要と存じます照田には間者を入れて動向を探り万一、照田親子が反逆してもたちまち鎮圧して首を刎ねることができます...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(112)長尾家25

  • 退院後の食事と体作り

    食べて良い食材と、食べてはいけない食材に二分したので結構気を遣う当初は病院で出ていたのをまねて数日食べていたが、ほとんどが軟らかく煮た野菜ブロッコリー、大根、人参、キューリ、玉ねぎ、ジャガイモ、長ネギ2年前までならブロッコリー。玉ねぎ、長ネギは食べれなかったが、今は平気で食べることができるようになったしかも空腹の病院で慣らされたから、今は家でも毎日食べている、それも大嫌いだった柔らかいとろける食感で・・・変われば変わるものだ。それにしても、牛肉が食べたい、ウナギを食べたい、いかの天ぷらを食べたいだけど全てダメ、脂がある食材、消化が悪い食材、揚げ物はすべてNG刺身は脂が無い物なら良いというので、退院後初めて食べた一人前パックで500円していたから、2匹入り300円の丸ものを買って、自分で刺身にしたから、安く...退院後の食事と体作り

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (111) 長尾家 24

    この三条長尾家に金津新八という士が仕えていたが、彼は景虎の幼き時からの守役の金津新兵衛の弟である。新八は近頃の主人平六郎の暴悪を憎み、しかもこれから討とうとしている景虎に従う唯一の従者が兄であることを知り、この危機を知らせねばと百姓に身をやつして、浄安寺に走り、このことを告げた。景虎は、これを聞いても少しも慌てず「さようなこともあろうかと思っていた、速やかにここを出て府内に戻ることとしよう」と言って、新兵衛と寺を去った。その後に間もなくして股野荒河内が三十人の士卒を率いて馬を飛ばし、浄安寺に着き、寺内をくまなく調べたがどこにも景虎主従の姿は無かった。「これは気が付いて既に逃亡したのであろう、ここで取り逃がしては館に顔向けできぬ、直ちに街道を追って、何が何でも首を取らねばならぬ」と揉みに揉んで後を追った。景...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(111)長尾家24

  • 暑いので浜辺へ行って来た

    この数日は30度前後が続き、不快感極まりないそれでも夜になれば涼しくなり、昨日はシャワーを浴びて少し寒さを感じていたから、まだ夜の寝苦しさは無い。私が20日近く入院したことで、我が家のルーティンもいささか狂ってきた特に食事の事と、毎週の息子とのドライブの二点が大きく変わった食事は特に食べて良いものと悪いものが決まっていて、それは女房殿と私が、管理栄養士さんから指導を受けたので理解したが、作業分担が最初はかみ合わなかったが、そこは栄養士と調理師の夫婦だから今はようやく分担がうまくいきだしている。もう一つの息子とのドライブは、今までは長野と高岡へ毎週交互で行っていたが私の体調からみて、距離的に無理があるし、毎週もきついだろうそれで片道15km以内に決めて、更に隔週と言うことにした隔週案は私の入院以前から考えて...暑いので浜辺へ行って来た

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 110 長尾家 23

    越中で守護代の長尾信濃守為景が討死、松倉城に在った宇佐美定行も越後に撤退してきて、府中の城内では「越中勢が勢いのまま府内に攻め込む」という噂が広がり、上へ下への混乱となった。事実、神保、江波、松岡の越中の軍勢は国境を遥か超えて府内に迫っていたしかし越後は大国である、たちまち府内には、まずは長尾の一族古志駿河守秀晴、長尾平六俊景、上田越前守房景、館四郎兵衛景高、上田修理進景国、刈羽相模守景親、栃尾佐渡守景冬、飯野右馬允景久をはじめ、長尾与力の諸将、追々府内にかけ集まり城中の詰まり詰まりを厳重に固めたこれを見て、府内に在った為景の家士、照田常陸介、同将監、その子、黒田和泉守、金津伊豆守を始め、大いに力を得た。そして越中勢が攻め寄せたなら、我らは真っ先に打って出て駆け散らさんと勇み立つ。神保ら越中勢は国境に陣を...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた110長尾家23

  • 退院して一週間過ぎた

    50年前、盲腸の手術で入院した時は、オナラが出るまでは退院できないと確か5日位入院していた。手術後の1~2日間は患部の痛みが強くて、何度も痛み止めの注射を太ももだったに射ったので、退院後には今度は足がこわばって、なかなか歩くのに苦労した正常に戻るのに数日を要した記憶がある。あれから50年後に大腸がん(腸閉塞)で二度目の手術をしたわけだが、手術前も手術後も少しの痛みも無かったそれは当然で、全身麻酔と背骨からの点滴麻酔で手術をしたあと、背骨の麻酔(痛み止め=麻薬成分入り)は退院まじか迄ずっと外さず点滴を続けたこれは腕からの点滴と違い、ボトルタイプの液ビンから液体がくるもので、流し込む量を調整できる手術直後の夜には、血圧が70にまで下がったので、ある意味一回目の危機だったのだが背骨点滴量を半分にしたことで血圧が...退院して一週間過ぎた

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(109) 長尾家 22

    攻寄る越石に、若武者も声を上げて応え、物々しやと思う間に槍を上げて突きかかってくる縦横に討ち合うが、越石は新手でしかも老練の武者、ついに若武者の冑は突き落とされたすると大童(おおわらわ)となった髪を振り乱し、その丈までの長い黒髪、よくよく見れば、年頃二十ニ、三の女である眉を抜き、化粧して黒々と歯を染め、唇に紅を施した若武者は、小姓ではなく、為景の妾、松江という女であった。この女、姿は妖艶美貌といえども、性質は勇力あって男子に勝れば、為景はことに寵愛して常に戦場に伴い、その都度、高名の手柄を上げていた此度、為景の最期を見て、その身も討ち死にと定めているためその勇威には、当たりがたく、冑を飛ばされながらも松江は越石をも突き殺した松江の勇威は、古の木曽義仲の愛妾、巴山吹と並び立つと思うほどのものであったもはや一...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(109)長尾家22

  • 動き回った一日

    今日は夏日で28.5度まで上がった、夕方もなお西陽は暑く、畑に水をやるでさえ汗をかいた。午後7時半になっても二階のわが部屋は29度のまま、風も無く、ぼ~とした暑さに不快指数は上がるばかり。退院後のブルーな気持ち、ネガティブなブログ日記とは裏腹に、日中の活動は、また元気を取り戻しつつある朝は相変わらずの病人食を作り、10時からヘアカットに美容院へ行き、帰り道に病院へ寄って保険の手続きを済ませた。また昼ご飯を作り、食べてからしばしテレビを見てから昼寝、しかし熟睡する前にかって取引があった業者から、自販機の引き取り日時の打ち合わせ電話が入って起きてしまった。それで、もう寝る気も無くなり車に乗って、県の役所に自動車税の減免申請に行って来た、その後、入院時に励ましてくれた友人二人の会社と自宅、それぞれを訪ねて回った...動き回った一日

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(108) 長尾家 21

    長尾為景討死再び、越後長尾勢は越中勢の罠に陥り、大軍も粉々に打ち砕かれ、日頃は勇武を競う強兵も、今は我先に逃げんとして右往左往する始末大将、長尾信濃守為景は逃れるところがないと知ると、死賊となって群がる敵の中に喚き叫んで切り裂いて進んだ神保左京進は千騎を率いて越後勢を斬りまくったが、遥か向こうに為景の姿を認めると、部下の中から精兵を選りすぐり「あれに見えるは敵の大将長尾為景である、あれ一騎を討ち取るは百騎、千騎の雑兵を討ち取るよりも勝るべし、手柄を立てよ」と励ますと、精兵は我先に為景めがけて馬を飛ばした。為景は既に今日が最後と覚悟を決めたので、よせ来るこれら敵の精兵をもものともせず斬りまくり、早くも六、七騎をたちどころに切り落とした阿修羅の様なその姿に、神保勢は誰一人近づくこともできず、遠くより矢を射かけ...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(108)長尾家21

  • 前の生活、後の生活

    春のドラマ「くるり誰が私と恋をした」を見ているあるOLが階段から転落して記憶喪失になり、性格まで変わってしまう以前は結構嫌な女だったらしいが、今は性格も良く周りからも愛される女性になっている彼女を巡って三人の男が争奪戦を繰り広げるドラマ、そして多少のサスペンスもにおわせる。まったく違う話になるが、私も入院前の生き方と、今の生き方がかなり違ってきたと自覚しているそれより、入院前の自分が考えていたことや、やっていたことがだんだん記憶から抜けていく、しかも入院前の考えを否定し始めている中途半端な断捨離で一向に進まなかったのが、今は未練も無くどんどん思い出の品や、生涯保存版だった品をゴミ箱に捨てている。やはり死生観が大きく変わったのだと思う、かなりリアルに現実的に思うようになってきたそうなると持っていても仕方ない...前の生活、後の生活

  • 人生設計の変更

    初入院は父同様に80歳過ぎと勝手に決めつけていたのだが、まさか74歳でこうなるとは予想もしなかった。まさに人生は一寸先が見えないのだと思った。同級生の仲良しグループも15名ほどいるが、一昨年に元気印一番で、体育協会の県の理事をしていた、メンバー中一番若いY子がスポーツ審判中に倒れて半月後に亡くなったことはここでも書いた。そして次いで元気印の私が大手術をしたので、友達の間にも少しショックがあったようだY子といい、私と言い突然だったので毎日元気でいても、数時間後に命の危険が訪れる年代になった誰もが自覚せざるを得まい。メンバーの中には遥か向こうから心臓や尿器を患って病院通いをしている人、乳がん、子宮がんと10年以上付き合いながら元気に暮らしている人ヘルニア、骨折といとまない手術をしながら現役で働いている人、みな...人生設計の変更

  • 静養の意味がわかった昨日

    昨日の夕方少し体調崩して夕方6時病院へ行ってきたそれで知ったのは病み上がりというのはこういうことなんだ無理をするなというのをこういうことなんだということがわかったいつも自分で判断しているのだが、今回はこんな症状が起きたのですぐに妹に電話して相談したら「病院へ電話して相談するとか一番いい」と言われたそして「もしかしたら『すぐ来なさい』と言うから急ぎなさい」その通りにやって新しい薬をもらって症状は収まった「手術後の患者さんには普通にあることだから心配ない、慣れてください」と言われた今日になって少しは行動を控えている、そもそも昼寝と寝る時以外はベッドにはいないので、これから1ヶ月くらいはベッドで休む時間も増やそうと思っている今日は畑で収穫第1号が採れた私が入院してる間に女房殿と妹の2人で苺を収穫したのを別として...静養の意味がわかった昨日

  • ドジャース 対 ヤンキース 第2戦

    ドジャースは開幕直後の20試合ほどの間の、MVPトリオのミラクル打線も今は影をひそめた特に最近は別ベッツと大谷は貧打に陥って打率も最近の試合は1割台ベッツは外野に良い当たりを飛ばしているが距離が足りずアウトになっている、大谷の場合はフォームが崩れて外角に対応できない大谷の方が重症だ何とかフリーマンがいい場面で打つことはあるし、四番を打つスミスと髭ヘルナンデスはチャンスにも強く、打撃も好調なので一二番の不振を補って余りある今日は大谷が第2打席のチャンスでようやくレフトへタイムリーヒットを打った、今シーズンはチャンスに弱い大谷だが大谷のヒットでドジャースが1点リードしたかその裏、ヤンキースはジャッジの22号ホームランが出た、リーグは違うが大谷に7本差だそれでもソロホームランだったから2対2の同点ジャッジはしっ...ドジャース対ヤンキース第2戦

  • 激闘!名勝負 ドジャース対ヤンキース

    いやあ~今日は見ごたえがあった素晴らしい名勝負に感動したドジャースは山本由伸が先発、ホームラン15本のスタントン。21本、55打点のジャッジ、控えであるが17本、53打点のソトなど屈指の打者と対戦する。ドジャースはナ・リーグ西地区首位。ヤンキースはア・リーグ東地区首位、どちらもプレーオフ進出は堅いチーム同士、今シーズンはヤンキースタジアムの3連戦が全ての対戦だ。山本は「気合が入っていた」というよりいつも以上に落ち着いていた、その投球には日本を背負っていた投手の風格、日本一のままメジャーに来たプライドが感じられた。日本での最終戦、そのままの投球が目に浮かんできて感動した。結局、山本は強力なヤンキース打線を7回2安打無失点、7奪三振という好成績で終えたしかし対するヤンキースの先発ポテートも4回3分の2を投げて...激闘!名勝負ドジャース対ヤンキース

  • 入院記録 最終回 明日に向かって

    ありがたかったのは、入院、手術前、手術後、退院後とほぼ休むことなく入院記録を書き続けることが出来たことだ、これが無ければ、どれほど退屈で不安だっただろうか。またブロ友さんからの励ましのコメントをいただいて、これほど心強く、日本各地と繋がっている感をもてたのは勇気になった。ありがとうございました。今日を持って「入院記録」は終わります、また通常のブログに戻ります。骨折などと違って、完治という言葉をいただくには5年以上様子を見ないとだめらしいかといって5年間、病人として生活するのもよろしくない日々快方に向けて努力していくことだろう友達や家族も「無理しないで」という、初めての手術で「無理」のレベルがわからないでも畑作業、散歩などについて言っていると思う、やはり私がやりだすと止まらない性格を知っているからだ私もそれ...入院記録最終回明日に向かって

  • ともだちのこと 散歩のこと

    19日間の間、15人くらいの友達からかわるがわる励ましや、いたわりのメール、LINE、電話が来たスマホを持っているだけで動けなくても連絡できるのだから、良い時代になった。おまけに同日に、同じ病院に入院したともだちまでいたのだから、大阪の姪の言葉でないが「どこまで友だちなん?」である。入院時でこれだから、退院後も電話は止まず「いつ会える?」「退院祝いだ飲もう!」とかびっくりするようなメールや電話も来る。中姐さんの訪問は何とか食い止めたが、昨日は大きな声が玄関に響いた後輩で50年来の友達、日本そば屋の親父だったしゃがれた声で大声と来てる、「上がれ」と言っても「すぐ帰るから良い」と言いながら20分近く話していった彼も大腸がん手術では1年半の先輩だから、その経験談だ昨日と言えば・・・退院してから軽い散歩をしている...ともだちのこと散歩のこと

  • 甲越軍記 前半のまとめ

    甲越軍記、そろそろ再開しようかと思っています病院では原本も無く、ましてスマホではとても無理マイクモードにしても大部屋ではダメ、面談室でも人がいますからねえパソコンなら、ばしばし打てるのでやはり家でないとだめですね。今日は、これまでのまとめ日本の16世紀はまさに全国で戦の無い場所は無く、特に前半は今でいうところの市や郡ごとに地方豪族が居て、隣の郡や市に攻め寄せて、敵を皆殺しにするか支配下におさめて拡大していった16世紀、中期にはかなり大きな単位にまでまとまり、現代の県ひとつを支配する者が現れた甲斐(山梨県)では、源氏の一族である守護(県知事)武田信虎が一国を支配したさらに信州(長野県)で反抗する同じ源氏の一族を攻めて滅ぼして、長野県の佐久地方まで占領しただが信虎は異常なほど残虐を好み、領民を恐れさせた。これ...甲越軍記前半のまとめ

  • 入院記録 守られている

    ありがたいことに私は誰かに守られている気がいつもするのだ。今度の突然の発病だって、一日前なら長野の山の中か、高速を走行中だったし、一日後なら新潟市を目指して各駅停車の電車の中の可能性が高かった。それが中間の日、家にいたのだからラッキーとしかいいようがない。体調は順調だが、行動はスローだ、それでも廊下散歩は一日30分くらいやる、今日は同室の温厚なMさんと歩いて、部屋に来てからも20分くらい話した。私の母の生まれた町の人だった、時代は違うが母と同じ工場で働いていた、今は詩吟を教えているそうだ、町の文化団体の会長もやっている趣味多彩の方だった。年齢は82歳、また80代の仲良しが出来た。畑も最近始めたと言うから、畑レベルはおなじくらい畑談義で盛り上がった脳梗塞で入院したが幸いに、私が見ても聞いても普通で、軽症で済...入院記録守られている

  • 退院二日目の朝から夜まで

    もうしばらく入院ネタが続くと思います夕べは22時に寝て、目が覚めたのは4時、もう遮光カーテンの外は明るい病院では手術後は夜、何度も起きて実際には3時間くらいしか寝てなかった、それでも昼間寝れるから焦ることも無かった退院がほぼ決まってからの2日間は、グッスリ眠れたからやっぱり心境の変化は起るのですね。4時に起きてカーテンを開けて脳を目覚めさせ、それからブログを書き始めた5時に台所へ行って自分の朝食の準備をして、6時から庭に下りてスズメのちゅんたたちにエサやり相変わらず数十羽のスズメたちが入れ代わり立ち代わりやってくる、愛くるしくてベランダから見ていると何もかも忘れてしまう。7時から30分、畑をかまって、それから朝食をとったバターを使わずオリーブオイルで焼いたオムレツ風卵焼き、野菜料理2品、具の無い味噌汁、全...退院二日目の朝から夜まで

  • 退院後の食生活

    おはようございます病院生活に慣れて22時に寝て4時に起きました、これで1時間昼寝をすれば睡眠はバッチリですね。退院翌日のyottinです、体調はお腹が好調とは言えない軽い違和感(あって当然)手術後9日目にしては痛みも無く(今も痛み止め薬は飲んでいる)お腹以外、気になるところはありません、薬は3日間は4種類、その後は痛み止めも無くなり2種類になります2週間後に外来で外科で説明や検査があるようです。現在は一般的には闘病生活というのでしょうか、「闘病」というと悲痛なイメージがありますから今の私は「治療中」あるいは「解放運動」というのは変か?まあ、そんなとこかな。先の事は神様以外わからないので深くは考えません、感謝の日々を送っていきたいと思いますさて昨日は退院前の最期の仕事、管理栄養士さんと家庭での食生活を指導い...退院後の食生活

  • 入院記録 退院しました

    朝飯が待ち遠しい深夜三時寝そけてしまった入院患者暇つぶし考えるうちに寝ている朝が遠い今日は雨降り(雨の夜の思いを書きました)今日の午後3時頃に19日ぶりで帰宅しました家に帰ると途端に体をかばうようになって、行動がスローになっていますやることがたくさんあって、まとまりませんそれでも畑から始めました、三週間近くなるのでずいぶん大きくなっています女房殿と妹で管理していてくれたので思ったほどひどくはなっていません明日はスイカを整理します、ソンキョの姿勢を取るのは怖いので椅子を用意して座ってやります一本できたキューリが今朝は丸々無くなったとのこと、たぶんカラスかと思い、今日は防鳥の仕掛けを作りました野菜はもう少し芽かきと追肥が必要なので。これも明日私の部屋の様々な書類や道具は乱雑にしまってあるので、これを断捨離と分...入院記録退院しました

  • 入院記録 決断、生死の分かれ目

    腹が渋るが通じが無く、冷や汗が出て貧血で起きていられなくなる以前も二回、同じ症状があり二度とも三十分後には収まった。しかし今回はなぜか、治らない感じがして救急をそく決断した三度目の正直、その決断で助かった。また、その夜は内科医が二名待機していて、ほかの救急患者もいなくて早い手当が受けられた深夜3時まで、手術並みの六時間の緊急バイパス処置をうけられたのは幸運としか言えないその後も適切な処置を受け、内臓が手術を受ける状態になるまで10日間気長に一日二回の腸内洗浄作業を続けてくれたそして、その間に3人の担当外科医から手術の心得を聞き、信頼が高まっていき、安心して手術台に上がった麻酔科部長も信頼に足る女医先生で安心して任せられたあとは目が開けば、そこが数時間後の現世か、はたまた時も無いほど経った今の記憶が失われた...入院記録決断、生死の分かれ目

  • 入院18日目の2 入院生活の楽しみ方

    四人部屋の大部屋も当たり二つに外れ二つ窓際が当たり、廊下側が外れ決めるのは病院だから、三度の部屋替え全て窓際の私は、やはり運が良い。今朝も三時半に目覚めた、窓の外が早くも朝の気配だ。これが朝飯の8時前になれば、窓の外の景色はまさにはるはあけぼのやうやうしろくなるやまぎはすこしあかりてむらさきだちたるくものほそくたなびきたるそのものである東西数百メートル、南北十数キロの渓谷を眺めていただく病院食は、他では味わえない、おいしさがあるああ人生の休日こんなことも、幸せのひとつなのだ。楽しみといえば人との出会いも入院中には4つの部屋替えがあったが、最後に入った部屋でしりあった80台のmさんと意気投合一緒に廊下を散歩して、窓際で長話をしたり、部屋でも親しく話すようになったなぜか私には80台の友達も多い、年上の人は許容...入院18日目の2入院生活の楽しみ方

  • 入院18日目 看護師の仕事

    今朝六時半、久しぶりに地震があった、震度3看護師、介護士の別がよくわからない言葉では何となくわかる、看護師は医療行為、検査を医師のサブ的に、行う介護士は、患者の身の回りの世話をする、と思うがどうか?ただ、この病院を見ていると、その区別がないほど看護師さんは忙しい。飛行機のスッチー同様、仕事は多岐にわたる七変化朝は朝飯前に病室をまわり担当患者に、今日の昼担当の誰々ですと挨拶しながら血圧、体温、血中酸素、問診を調べていくそのあと、前掛け手袋で朝飯を配る、終われば食器回収、そして担当患者からナースコールが鳴る度に忙しく飛び回り介護や補助医療をおこなう、常に笑顔と励ましを絶やさないトイレ、入浴、排出、歩行訓練の補助的散歩、薬配り、点滴交換、採血、時には泣き叫んだり、怒鳴ったりする軽度の認知患者の対応、部屋替え、頭...入院18日目看護師の仕事

  • 入院記録 運の強さ

    まさか74歳で、こんな大病にかかり手術とは思ってもいなかった、しかも突然。だが逆に早くてよかったとも思う。歳行ってからなら果たして耐えられたのか、完治したのか?今だから25年先まで語れる、80歳なら先をかたれたか?疑問だ。はっきり言って病気を舐めていた、健康診断は受けていたが、基本だけ、内臓の病気なぞならないと思っていたから、がん検診も受けなかったそして挙げ句、このざまだでも良い体験をした、運良く順調にきているが少しずれれば命の危険もあった、また人工肛門で余生をおくることになったかもしれない神様に守られ、我が体の仲間に助けられ、自然治癒力と潜在意識に救われた。また優れた外科医トリオに最善の手術をしてもらい、麻酔医の最高技術で少しの痛みもなくすごさせてもらった。思い起こせば、始めての手術で何もわからず、医師...入院記録運の強さ

  • 入院記録 同病傷をなめ合いましょう

    何度もブログに登場した一まわり歳上の寅年の大姐さんA氏86歳(日本舞踊指導)が、あなた聞いたわよ、たいへんだったんだねぇ、と電話をくれたK子さん(76歳華道師範、茶道)から、あなたの入院を、お聞きして腸閉塞と聞いたから、私と同じ手術じゃないかと電話をしたんだよ、奥さんにかけようと思ったけど、泣かれる可能性もあるからやめたんだわ。彼女は若い時は、保母さんで女房殿の受け持ちだった現役時代は高級着物チェーンの店長、今も背筋が伸びて着物が似合う彼女は私と同じ寅年、回りくどい話し、駆け引き嫌いのストレートな性格だからありのままに、腸閉塞で緊急処置のトンネル作りまで同じしかもS字結腸にできた大腸のガン外壁に迫る深くまで浸透、これで少しガク!ときたが、しかしその性質、範囲などからステージ2と聞き少し安心部位が直腸に近い...入院記録同病傷をなめ合いましょう

  • 入院記録 閑話休題

    手術終了時に見ていた夢は内容は忘れたが楽しい夢だったことはすでに書いたが、それからも奇想天外なアクションドラマの連続だ。追われたり、命の危機に出会ったり、それに逆転勝ちしたり、しかも私を裏切るのは友達だったりと、支離滅裂なのだ。私も、すっかり危機に慣れてジェームズ,ボンド並に、愛した女や、友を非情にも半殺しにしてしまう強さをみにつけた。だが今朝の夢は、そんな殺伐としたものではなくバラ色ムービーなんと結婚したのだ海辺の家に暮らしていて、私はなにかをつくっている、干物なのか手仕事だ、そして女房は誰とお思いか?なんと限定はできないが、佐久間良子か、三田佳子のどちらかだ、どっちにしても、よしこさんだ。友だちが私の奇跡的幸運をくやしがって、歳を取ってるとか挑発するが、おまえの畑のジャガイモを持ってきて比べて見やがれ...入院記録閑話休題

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