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2021/04/19

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  • 入院記録 ついに解放された

    ジャンルを探していて笑った、老人介護でもいいかもとだが、同室のたくましい80代を見ていると田舎では、まだ若手なんだと思うさて31日、介護士さんがきて点滴を外しますと外してくれた、これで上着は一人で着替えできる外科医4人回診に見えた、管外しますねと言って腸内ドレーンを外した、それから看護師さんが尿道ドレーンも外してくれたあとは背骨の針だけと思ったら、すでに外科医がさっきぬいたんだって全然わからなかった、もう私を束縛している器具は無くなった。だけど麻酔性の痛み止め点滴針が抜けて、腹の中の引っ張り感が出てきたこの違和感や患部の接着確認、別部位の検査、排尿の安定などが確認されるまで入院は続くと思う。まだ先は長い、でもシャワーができるようになって嬉しい。カーテンも張り替えてくれてアジサイ色の明るいピンクになった私の...入院記録ついに解放された

  • 入院記録 手術後2日目まで

    17日21時女房殿の運転で緊急搬送すぐに内科医二人が緊急措置。深夜2時半までかかる、入院18日から27日まで点滴のみ、毎日検査漬け外科医の勧めで毎日院内を10から20分散歩27日12時から20時まで手術21時目覚め10数カ所、繋がれている28日器具が外されて6カ所になる200カロリー栄養剤看護師と20m歩行練習29日昼大部屋に移動一人で歩行練習重湯でる30日一人で4fから1fへ買い物許可流動食三分粥おかず付き尻の管を外した入院記録手術後2日目まで

  • 入院記録 無法地帯

    今朝は3時に目が覚めて眠れない昨夜から寒くなり、今朝は13度、平熱が低いから寒さに弱い。昼から20度超えだから、今日は昼寝だな。看護師さんたちの献身的な働きに頭が下がる、夜中も2時間ごとにドレーンと点滴のチェックにきてくれるし、頼み事も笑顔で聞いてくれる入院前の噂で印象点は30点くらいだったのに、今は75点は行ける感謝するのみ。同室のもう一人は82歳、あらたに夜、アジア系外国青年が入った、今日手術とのこと、82歳マイペース、確か病室内は電話禁止のはずだが延々30分の長話、看護師が食事を持って来ても眼中になく話している内容は大東亜戦争の終戦頃の思い出話、相手はいとこらしいテレビを見ないから、次々に思い出してね、と私と話しが合いそうだかだが1時間も続けば体が持たないからパスだな。ある意味、この部屋の電話ルール...入院記録無法地帯

  • 入院記録 慌ただしい移動

    手術2日目、ナースステーションから大部屋に移動、狭い仕切りから一人部屋と同じ景色の窓際に早速、隣の人と挨拶してお話しをしました。穏やかな同年代の人、脳梗塞で入院、見たところ軽症の様子。それにしても次々に手術終了患者がナースステーションに入ってくる。大部屋に来て、看護師さんに頼んで歩いてみた、足腰はバッチリ、廊下にいた看護師さんたちも、すご~い、ちょっと得意なyottinです。昼からランチスタイルの食事になった、重湯、具の無い味噌汁入院記録慌ただしい移動

  • 入院記録 自由を私に

    手術部位は大腸S字結腸今、繋がれているのは針二カ所、管系三カ所針は背骨の腰の辺りに痛み止め点滴、麻薬成分があるあとは点滴、管系は尿道カテーテル、患部から外へのドレーン、患部バイパスのドレーンが尻からとにかく、これがはずれないと自由が得られない。食べ物は昨日からジュース系栄養剤、6月から手術食が出ると栄養士さんが説明にきてくれた。今は検査検査の毎日、でも数値検査だから気楽だが風邪が治った、なんて軽いものじゃない、油断大敵なり。入院記録自由を私に

  • えっ? 血圧 70って

    Kさん手術に行ってきます、はい頑張って同室のKさんに挨拶して歩いて手術へ向かうドラマのようにベッドで看護師さんに運ばれる姿でなく、ちょっと拍子抜け妹と女房殿も歩いて行くのとびっくり麻酔の女医さんが声をかけてくれた痛くないようにお願いしますとお願いした痛いという注射を痛くないうちに寝落ちた楽しい夢を見ていたもう少し見たかったけどそこで起こされたどこも痛くない麻酔だけで3種類やってるから多分そうだろうナースセンターの前の経過観察室に連れられてきた酸素マスク排出ドレーンカテーテル両足にはマッサージ機点滴背中の痛み止め点滴お尻にも細い管その他検査用の線がたくさん心電図のもう感じがらめにされている夜中、血圧高い方が70にさがる痛み止め点滴半分にして90台にもどるが、まだ低い代わりに体温が35.1度にさがるだけど、ぐ...えっ?血圧70って

  • 入院 記録

    9時間の大手術帰ってきました元気です入院記録

  • 入院記録 手術の朝

    いよいよ今日は手術の日です夕べは、光、を見て清少納言のさわやかな文学の一節に触れてなんともほのぼのとした気持ちのまま、九時の消灯で寝付きました。夜中は連日同様に二時間半毎にトイレに起き、今四時半に起床しました。外は入院以来初めて風がうなっています、海が近いので北風でしょう。今日、私は74年間の人生で溜まった体の毒と、心の煩悩を切り取っていただき、新たな25年間に向けて第一歩を踏み出します。私の隣の人は今日退院で北海道に帰ります、仕事でここに来ていたら、たまたま腹痛を起こして、この病院で手術となったようです。前述の友だちも、今日富山の大学病院に行きます、それぞれがまた新たな人生に向かいますまさに楽しきかな人生今日まで10日間の入院生活が充実していたのもブログとブロ友さんたちとの力があったからこそと感謝してい...入院記録手術の朝

  • 手術 前 日

    今日は日曜日で医師も看護師も少ない逆に言えばナースコールが鳴る時間が多くなる私はといえば暇になりそうで午前中はほとんど定期的な検診検査だけで終わった昼からは明日の手術に備えての準備8日ぶりにお風呂に入って体を洗い頭も洗ってさっぱりした、大きな浴槽はあるけれどシャワーで終わったその後病室に戻って着替えをして手術用の大きな点滴針に変えたここでまたミルクローションみたいな点滴が1本増えたそれから看護師が来ておへその掃除をしてくれた朝寝に朝湯これで1本お銚子がつけば大原庄助さんの気分なんだがナー残る仕事はお腹にマーキングすることだけあとは相撲とひかる君を見て寝るだけ野菜は女房殿と妹の二人でにぎやかにやっているから心配しないでとライン心臓を大学病院で見ることになった、友だちは明日、転院とのこと彼を知る、大阪の姪から...手術前日

  • 入院記録 えっ!血糖値64?

    明後日に手術を控えて、準備の為の準備が始まった。体調はすこぶる良い、点滴を外せばすぐに家に帰って中途半端にしてきた整理や準備をしたいほどだ。大部屋は明日一人退院する、私と仲良しになったKさんは糖尿病からきた脳の病気で既に2カ月、まだ先は長いとのこと、自力で車椅子を動かすのが課題、歩くリハビリを行けっている。心臓で救急入院した友だちは、大学病院に転院となった、ずいぶん不安がっていた。彼も高校時代は相撲部、大ノ里の大先輩にあたる、負けずに乗り切れとエールを送りたい。私の課題は、硬い風船を吹いて膨らませて肺の強化だが、あっという間にクリア、あと歩いて腸の動きを活発にすること、土曜日は休みなので誰もいないフロアを点滴を押して30分歩いてきた、後半はずいぶん早足になった。明日は、お風呂に入って臍の周りにマーキングす...入院記録えっ!血糖値64?

  • 初入院 初手術 てんこ盛りの一日

    す5月24日、朝6時半1回目の血圧血糖値酸素濃度体温計測7時半朝の薬1往復散歩9時麻酔の女医師先生がやってきて手術の時の麻酔の説明全て初めての麻酔全身麻酔手術終了後の痛みを減らすための項目がいます硬膜がいますの痛みを取るための麻酔この3つの麻酔をするらしい一人でレントゲンに行き、戻れば腸内洗浄、そしてついに管を外してくれた、すごい開放感、下着とパジャマの着せ替え、掃除、点滴増加、2回目の検査、今日からお風呂も入れる、頭を洗いたい15時、突然の部屋移動、外国人介護士が入って来て、ベッド移動します寝耳に水、どういうことかわからず説明を求めるが要領を得ず、上司に来てもらいやっと理解私は手術後、落ち着いたら大部屋と思っていたから心の整理がたいへんすぐにベッド毎、移動、アァやっと風呂に入って頭も洗えると喜んだのに、...初入院初手術てんこ盛りの一日

  • 入院 6日目

    23日の朝は5時に起きた今日も天気がいい5時から1時間ピアノと弦楽器の三重奏を聞いていた音楽を聴きながらいろいろ考えていたまずは家に帰ったら今回の自分の腸の中と同じ今度こそいらないものを全部出して身軽な生活をしていこうと思った物がなくなれば部屋のスペースが広くなり掃除も楽になり探し物も少なくなる満75歳を持って生活の環境を一転させようと思った朝6時になると看護師さんが来て血圧体温酸素濃度を調べていく病室の窓を開けて光が入ってくる確か昨日の夜は満月のようなのが見えたこの部屋の景色は東から西までパノラマでとても気持ちがいい腸の中がスッキリして他の臓器への圧迫が減ったせいで頻尿感もなくなりスムーズな生理作用になっている退屈しのぎに本を読み始めた面会の時に妹に頼んで3冊買ってきてもらったミステリーがいいかと言うか...入院6日目

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(107) 長尾家 20

    越中勢の謀など知らず、長尾為景は長尾勢を率いて越中勢と向かい合った天文十一年四月十一日、怒涛の勢いの長尾勢に向かって松岡長門は三百騎で矢を打ちかけると長尾勢も打ち返し、矢合戦が終わると互いに鬨を上げて攻め寄せたもとより松岡勢には勝負を決する目的無く、まもなくしどろに乱れて逃げ出した長尾勢は勝ちに乗じて、松岡勢を負うと入れ替わって江波五郎が四百を率いて長尾勢に攻め寄せた長尾勢は、これもまたものともせず打ち破れば、江波勢は早くも崩れて後方に逃げ出した、長尾勢はますます勢いを増して、大将の長尾為景も真っ先に馬を走らせて「者ども、この勢いのままに魚津城も攻め取るぞ、進めや」と喚き馬を走らせるいったん下がった江波勢は、再び馬首を長尾勢に向けて走らせて激しく攻め立てた、しかしこれもつかの間の抵抗に過ぎず、またもや打ち...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(107)長尾家20

  • 人生初の入院 手術に向けて

    22日久しぶりに朝日、気持ちが良い。4時に起きた5時に寝てしまった午前中ベッドのまま運ばれてCTとレントゲン検査CTは女性技師でベッドから検査ベッドに移動する時女性3人では大変だわ、と言ったすると看護師さんが、よっちんさんは自分で移動できますよ、技師さんびっくりレントゲンは二人の男性技師、寝たままのベッド移動はさっきと同じで、レントゲンは立ってするので立てるか心配していたでも看護師さんは、よっちんさんは立てますよ、そしたら主任技師が立てるの?ええ歩くことも出来ますよ、技師びっくり準備していたサブの技師もまた、ええ!立てるんですか?と一体どれだけの重病患者に見えるんだろう?部屋に戻るとじきに外科医とスタッフがやってきてレントゲン結果を見て、これなら来週早々に手術はできる、歩いてますかと聞いたから、1日700...人生初の入院手術に向けて

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(106) 長尾家 19

    松倉の城が陥落して、宇佐美駿河守の軍はここに入って暫しの休憩を取る。長尾為景は、更に放生津の城を乗っ取ろうと大軍を率いて攻め寄せた当時、京の都は戦乱に明け暮れていて、公家たちは戦乱を避けるために、それぞれの地方の領地に避難していた。この放生津(ほうしょうづ)の城にも、徳大寺大納言は畠山尚慶の娘の子で畠山尾張守種長の甥であったので、畠山の分国である越中へ一門の公卿と共に乱を避けて来ていたのである。ところが、その城に長尾為景の大軍が越後から攻め寄せて来た越後勢は恐ろしい程の鬨の声を高々と上げて、怒涛の如く乱入してきて、おびただしい数の鉄砲を撃ち込んできた。城内は戦を知らぬ堂上人(公家=貴族)と僅かな国侍ばかりで、とても防ぎきれず途方に暮れていた為景は城方の手ごたえ無いことを感じて、ますます勇気まして柵を打ち破...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(106)長尾家19

  • 人生初めての入院 縁は奇なもの

    医師が腸閉塞の原因は80%くらいは大腸がんだと言ったなるほど納得これも天命なら慌てても仕方ないさて前日の瞬間湯沸かし器の請求書が届いたというので早速先輩社長に電話をして支払いの方法を話したその時先輩がOくんも同じ病院に入院してるよと教えてくれた、このOくんはもう一人のK君と一緒に50年前から魚屋組合の仲間として若い頃遊び回った友達電話をしてみようと思ったけどためらっていたら向こうから電話がかかってきた私と同じ17日に救急で入院したんだと心臓肥大のために体が激しく震えてどうにもならなくなったそうだそれで同病あい哀れむではないがしばらく話をしていた。面白いことに検査の時、そこでばったり会った、互いにエールを送ったもう一人のK君は10ヶ月くらい前にこの病院で大腸がんの手術をしているまあ仲良しの3人が同じような状...人生初めての入院縁は奇なもの

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(105) 長尾家 18

    長尾為景が宇佐美と和睦して以来、越後は戦も起らず穏やかになったしかし為景は、かって上杉と戦を行った時、敗れて越中の国士を頼って落ち延びたが、逆に裏切られて危うくなり、佐渡へ逃れたことがあったが、その時の越中勢のことをずっと恨みに思っていた。天文七年三月、ついに越中退治を屋形の上杉兵庫頭定実に告げて、軍勢を整えて、宇佐美駿河守と両大将となって越中国へ乱入した。まず唐人兵庫、山下佐馬介が籠る、松倉の城へ宇佐美駿河守が二千騎で攻め寄せて、ひたひたと城際まで攻め寄せて攻撃を始めたが、越中勢は少しも屈する気配がない矢石を飛ばして抵抗する、やがて城門が開き、山下佐馬介が郎党二百騎を率いて寄せ手の中に攻め寄せた。越中勢は左右、前後当たるところで切りまわり、両軍互いに揉み合えば手傷死人多くなり、ついに勝敗はつかず、その日...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(105)長尾家18

  • 入院 スタッフのこと

    この病院にはあまり良いイメージがなかったでも緊急の痛みで救急で入るのはここしかなかったこれも天命仕方ないと来たのは午後9時だったが私の様子を見て2人の男性内科医師がすぐにCTとレントゲンで検査を始めた、女性看護師も二人、その後も造影剤を入れたCT検査などをしてくれて実に手術並みの6時間も手をかけてくれた腸閉塞で破裂寸前だったことで緊急で閉塞部分をバルーンと拡張管で広げて中にドレーンを通して腸内洗浄を始めた終わって寝付いたのはもう朝方だったが看護師さん、内科医、介護士さん清掃の人いろんな人が1日にのべ20数人行ったり来たりして24時間体制で仕事をしてくれた20代から40代くらいの女性看護師さんはみんな良い対応をしてくれる今までの印象は180度変わった外科の担当医もなかなかイケメンの先生でもう全て任せる気持ち...入院スタッフのこと

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(104) 長尾家 17

    景虎の一行は街道の難所「米山峠」に差し掛かったこの峠は上り四里、下り四里で峠の頂に米山寺という薬師堂があるこの堂から見下ろせば、眼下には越後国中が見渡せる新兵衛は景虎を縁に下ろして、各々休憩に入り手弁当を勧め、従者にも勧めた皆が昼食をする間、景虎八歳と言えども同年の子らより小柄であり、堂の周りを走り回って遊んでいる、そして眼下の景色を見てから新兵衛に言うには「この度、追放された無念をいずれ晴らすときが来るであろう、その時は、この山こそ良き陣所となるだろうこの筋にて合戦すべきである、さようにある時は越後府内を眼下に見下ろす良き陣場となろう」と囁けば新兵衛は涙を流して「必ず、そのお言葉を忘れ賜うな、新兵衛もその時は、お供して力の限り御用に立ち申さん、されば末頼もしき若君である」と喜んだ。これより景虎を三条に移...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(104)長尾家17

  • 人生初の入院 記事 3

    今日初めて外科医にあったまずは腸の中をきれいに来なければならないので腸内洗浄が毎日続く手術はそれからのことなので多分10日以上先になるそれまでは退屈で何もできない日々が続きそう頼りはメジャーリーグと大相撲それとドラマ今は個室なのでLINEやブログや電話も気軽にできるからなんとか人と繋がっていられる毎日友達から多くの連絡が来るでも多すぎるのも困る家族とも面会できないのが不自由である人生初の入院記事3

  • 最悪続報

    腹の張りを感じていたんだが急に金曜日の夜痛くなってとても我慢できなくて夜8時に病院へ行ったそして色々なCTやレントゲンなど夜中の2時半まで続けたそして大腸の下の方が閉塞していて大腸の上の方が破裂寸前だったそれで肛門から管を入れてとりあえず閉塞部分をバルーンやトンネルで広げてそこから管を入れてそれでようやく終わったトンネルを入れるのはものすごく痛くてとにかく散々わめいていましたもう夜は全然痛くて眠れませんでした手術はまだ未定です生まれて初めての入院手術です最悪続報

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(103) 長尾家 16

    虎千代が戻って来たので「父の言いつけを守らず出家を嫌って戻るとはいかなることか」と大いに怒って厳しく折檻したが、虎千代は意思を曲げず、ついに根負けして城にそのまま置いた。その年、八月十五日に七歳にして元服した、名を長尾喜平二景虎と号すこれよりますます勇威が備わり、まなざしは凡人に非ず、智才においても三人の兄を遥かに超えているので、為景はますます景虎を忌み嫌い、このままでは国の災いとなると思って、追い出すことにして、守役の金津新兵衛に預けた景虎が近所の童と遊んでいた時、祈祷僧松岩院が通りかかり、景虎に目をやると不思議なことに景虎から英気があがるのを認めた彼の僧は高名な相者(人相見=易者)でもあったので立ち止まって景虎を一目見て大いに驚いた「この童の人相は只者ではない、英名を海内に輝かす名将となるであろう、こ...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(103)長尾家16

  • 最悪です

    腸閉塞で緊急手術回復するまでお休みします最悪です

  • 犬と猫のこと

    僕が小学生だった時、学校の帰りはいつも一人だった300メートルくらい続く古い木製の雁木の一直線を家に向けてずっと歩いたきっと明治時代から続いている、いや江戸時代からかなだってそこの町名は戦国時代の名残り(例えば古河の白壁町みたいな)が残っているのだから。雁木は突然T字路にぶち当たって左右の選択僕の家は右に曲がってまたT字路にぶつかってまた左に曲がって、すぐに右に曲がって、またT字路になって左に曲がって100mこれは城下町の名残りなんだが・・・この最初の右に曲がったとたん八田さんの玄関先のブルドッグが、わめき出したそれはものすごい威圧感で思わず腰が引けて一歩(ポーン)と飛んで下がったこの頃はまだ昭和のど真ん中で、飼い犬も、野良犬も放し飼いで町の中を闊歩していた首輪をしているのが飼い犬で、していないのは野良犬...犬と猫のこと

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(102) 長尾家 15

    虎千代は七歳と言えども性質勇猛な童なので、少しも怖れることなく現場の細道に差し掛かると、足で草むらを探りようやく死骸の傍らに着いた手を持って首を探り、乱れ髪をつかむとそれをひき掴んで館に向かって戻りだしたが、童の細腕では重くなり、父よりもらった脇差で草藪の木の弦を斬って、首に括りつけて引きづって府内の城まで持ち帰った。それ以前に為景に命じられた士が戻って来たので、為景は「虎千代の様子はどうであった」と聞けば顔色青ざめたこの者は「某は先回りして木陰に潜んでいましたが、若君は恐れる様子もなく暗闇の中に首を探って見つけ、ただ一人で戻ってまいりましたこの時ぞと思い立ちふさがろうと思い、若君の姿を求めましたが暗闇で何も見えず、されども若君の御眼の中の光だけが闇の中に浮かび、その瞬間、今立ち塞がれば切り殺される恐怖を...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(102)長尾家15

  • 早朝の思考

    電灯は文明の利器ではあるが機械的に人の思考を奪ってしまう今朝はカーテンの外に薄明かりを認めて僕は目を覚ました夕べは22時に寝たので、そうなったのだろう起きて、トイレに向かったが(4時45分だな)そう思って階段を下りて時計を見たら4時15分だった。(そうか今日は5月16日)、もう一か月ほどで夏至がやってくる、一番昼が長い日だ、それから一日ごとに嫌いな冬に向かっていくのだ。目が覚めると毎回(今は何時だろう)ゲームを始める階段を下りながら今の時間を当てるのだ、朝方だと外の光で見当をつける真っ暗だと自分の今の覚醒状態で時間を計るあるいは外の音に耳を傾ける薄明るいものの4時15分は何の音も聞こえなかったところが4時30分になったら小鳥のさえずりが少しだけ聞こえて来たそれから電車の音が遠くに聞こえるが、まだ通勤電車の...早朝の思考

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(101) 長尾家 14

    府内の城外の西北八・九町ばかり樹木が茂る、昼でも薄暗い一方は上り下りの細道、一方は渓水流れ、婦女子はここを恐れて近づくことができないされども、この道は近道で、ほかの道は八、九町の遠回りとなるので、しばしば通る者が在るここに四人のあぶれ者が巣くって、鬼の面をかぶって通行人を襲っては金品衣服を奪い取っていた今はこれを恐れて通行する者も少なくなったが府内の士、小島弥太郎は急の用でこの道を通ったすでに半ばに差しかかった頃、案の定髪を振り乱し、鬼の面の四人が現れた強剛の士、小島弥太郎ゆえものともせず、前からくるのを袈裟に切り、左右を薙ぎ切り、よくよくみれば面を被った盗賊であったされば大江山の鬼などというのもこれら盗賊の類であったかと、彼らの首を切り取って矢立の筆を取り出し仔細を認めて通った。為景はある雨の夜に子息ら...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(101)長尾家14

  • 理想の生き方

    学生の頃には、将来の事や、ベターハーフ、あるいは恋愛だの恋だの友だとか、いろいろ思っていた。社会に出て、組織の歯車となってからは現実しか見ないようになって、夢や憧れは並の人間より遥かに小さなものになっていった。穏やかで睦まじいい家庭環境も望んだけれど、一年365日ひっきりなしに仕事をしている自営業になって、どこが休みで、どこが仕事かもわからない状況旅行していても観光業でもあったから、それは勉強であり遊びでもあったまた商工会などの宴席に出ても、営業であり接待でもありリップサービスに終始して疲れるばかり。そんな日々も楽しくもあり、辛くもあったが、今この時となってすべては幻のように消え去った。あまりの180度転換に2年ほど戸惑っていたが、今はあるがままを受け容れて、自分の意志でやりたいことをやりたい時間に、やり...理想の生き方

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(100) 長尾家 13

    ここに諸国を巡って賭けをして金銭を奪う士が居た。いささかの異術を学び、人の目をくらます法を習得した、これを隠形の術という元は九州の者であったが、無頼の性質ゆえ九州におられなくなり、北国を巡って仕官を望んでいた。その術というのは、武士を数十人並ばせて弓を持たせ、十四・五間(約27m)離れたところから矢を射させて、裸になった自分に一本の矢も当たらなければ武士から金銭をいただくという賭けである。命がけの賭けであるがこれまで一本の矢も命中せず、みな二・三寸手前で落ちてしまう、こうして男は数多の金銭を得ていた。越前の朝倉家で一儲けして、いよいよ越後にもやって来た越後でも諸国同様に武士を欺いて多額の金銭を奪い取っていた武士たちは日頃から豪勇を誇りとしていたからみな悔しがり、面目なしと再び男を招いて同じことを繰り返すが...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(100)長尾家13

  • 雨降る月曜日に高齢者入居施設で「女性デーサービス」

    例の5人の仲間と、高齢者入居施設を訪れて入居者の女性に「化粧、ヘアメイク、マニュキュア」を施すサービスをしてきた。およそ20名が参加して、より美しくなって喜んでいただいた。中には、外から来た私たちと、お話ししたくてうずうずしている方もおられた美容師が主体となっての活動だが、他のメンバーもみな、お化粧やマニュキュアができる。私は初参加でカメラマン、でも男は私だけなので、一緒に写真を撮りたいという女性もいて、それなりに貢献できた。お化粧で顔が明るくなって、みなさん感激、「お互いに10歳若返ったねぇ」と話し合っている人もいた。短時間の単色簡易的だけど、働きづくめでマニュキュアなんか初めてという方も多くて、喜んでいただいた。終わってから、昼食を食べて次回の行事の打ち合わせ、次は施設にお花を届けるイベントが待ってい...雨降る月曜日に高齢者入居施設で「女性デーサービス」

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(99) 長尾家 12

    上杉謙信誕生国家が興らんとするときに必ずや翔瑞ありここに為景の内室がある夜に夢を見た、身の丈八尺(2.4m)ばかりの異相の神人、身には甲冑を帯びて、左の手には戈(ほこ)を突き、右手には光明の珠を捧げて枕元に立ち給い、「この珠は、これ明星なり、今汝に授ける」と言えば、珠は光明を放って内室の口の中に飛びいるのを驚いて目が覚めた。あまりにも不思議な夢なので、占いの為に府内の多門寺に詣でて本尊を拝むと、その面貌、尊き姿、持ち物までもが夢の中の神人のままであった。「ああ夢に現れた神人は毘沙門天であったかと、そのお告げに驚き、いと尊くねんごろに拝み、経を上げて帰れば、懐妊の心地して十月満ちて男子が誕生した。時は後奈良院の御宇、亨禄三年庚寅正月二十一日であった懐妊のうちに様々な奇異の瑞相多くあり、中にも臨月に至って幻の...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(99)長尾家12

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(98) 長尾家 11

    此度の長尾勢の勝利は、柿崎弥二郎の活躍によるところなりと為景は賞して、一門の領地を弥二郎に与えて、柿崎和泉守景家と号した。宇佐美駿河守定行は柏崎の砦に戻り、勇威を落さず長尾勢に備えていた長尾為景は、弟の越前守と軍議を行い、今の勢いに乗じて大軍で柏崎に攻め寄せ、宇佐美を滅ぼさんと考えた。先陣に柿崎和泉守、栃尾信濃守、長尾平六郎、飯野右馬之允、刈羽相模守を五段に構えて柏崎に打って出て急に砦に攻めかかった。しかし宇佐美は少しも怖れず、打って出ては敵を追い、籠っては敵を追い払うまた夜討ち朝駆け、千変万化、大奇大正の術を持って日夜敵勢を悩ませた。これには柿崎を始め、長尾勢は最初の勢いは失せて軍卒多く討たれ、砦を攻める元気もなく夜も昼も寝ることさえ叶わず、今ははかばかしい戦もできぬと、上田の城に援兵を求めた。これを聞...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(98)長尾家11

  • 大相撲5月場所初日の珍記録

    小結朝乃山休場〇前頭翔猿引き落とし関脇阿炎●一方的に押し込む阿炎が有利だが翔猿は土俵を使って逃げ、最後は引き落とし〇前頭高安押し出し関脇若元春●がっぷり四つからの激しい攻防、更に押し合い高安がいなして押し込む〇前頭豪ノ山押し出し大関霧島●豪ノ山が一方的一直線に押し出す〇前頭平戸海押し出し大関貴景勝●平戸海が突いてから一方的に押し出す〇前頭大栄翔押し出し大関琴櫻●激しい突っ張り合いから次第に大栄翔が押し込む〇前頭熱海富士上手出し投げ大関豊昇龍●がっぷりの四つ相撲から最後は熱海富士が圧倒〇小結大の里すくい投げ横綱照ノ富士●揉み合いながら大の里がもろ差し、そのまま土俵際まで攻める何たることか、私の人生で初めて見る珍事平幕力士が6番続けて関脇、大関を破り、とどめは小結が横綱を倒した関脇、大関、横綱が0勝7敗で金星...大相撲5月場所初日の珍記録

  • 畑も本格的に始まった

    先日、瞬間湯沸かし器のことで先輩の配管会社に行った時、わが家からずっとタラタラとしたわりと平坦な上り道を数百m行くのだけど、最後が急坂で「yottinは元気だなあ、おれは足が痛くて坂を歩けんで困るわ」と言った確かに同年代では元気っちゃあ元気だが、それでも時々原因がわからない疲労感が来ることもあるそれでもGWが終わって、日ごとに温かくなってきて畑仕事もうかうかしていられなくなってきた。僅か一坪(3.3㎡)しかない畑は日本全国でも小さな畑を争えるだろうその一坪にトマト1本、ナスの二本仕立て2本、キューリの三本仕立て1,スイカ3株、スナップエンドウ2株、万能ねぎ数株、以上をコンパクトに1.8mX1.8mの中に収めている従って足の踏み場もない状態だが、実がなりだしたらこの畑の周りを防虫ネットで更に覆うのだ、もちろ...畑も本格的に始まった

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(97) 長尾家 10

    思いがけなく後ろの我が陣より火が上がり、前線にいる上杉の諸将は「何事!」と驚く間もなく、後より柿崎勢が裏切りの兵を挙げて襲い掛かって来たので上杉勢は大混乱となった。しかも前からは長尾為景、長尾房景、栃尾信濃守、直江酒椿の大軍が引き返して勇んで攻め寄せて来た上杉勢は四方八面に敵を受け、必死に押し返そうとするが取り込められて討死する者が相次いだ風間河内守は深入りしすぎて為景に討ち取られ、五十嵐一斉は奮戦して多くの敵を斬りまくったが手傷は数か所に及び、人も馬も朱にまみれ、なおも奮戦するところに長尾房景の士、栗林肥前守と一騎打ちとなり死闘の末、両者相打ちとなって死す。柿崎の一党、柿崎七左衛門、須磨靱負(ゆきえ)、団久蔵、牟礼覚之進は柿崎兄弟の逆心を憎み、弥三郎景家勢の中に切り込み、同族同士の恥をそそぐ同士討ちとな...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(97)長尾家10

  • ドラマ「老害の人」と白川和子

    春のドラマのラインナップも出そろったようで、一時は15本くらいHDDに録画したので、前々の駅伝やマラソン、WBCなども録画のままなので残量がほぼなくなった。急いで全部見たが、とてもじゃないが見きれるものではない、大谷も見なきゃいけないし、畑作業に、ドライブに、散歩に時間が足りない。それで選考基準を厳しくして安っぽい恋愛ドラマや、謎が薄っぺらい復讐劇、ミステリー、ホームドラマを次々退場させたら、なんとか7~8本に落ち着いたそれらは後日書くとして、最近始まったNHKの「老害の人」は私にも密着したホームドラマで興味津々、伊東四朗を始めベテラン味のある出演者でなかなかの良い出来である。そんな中に、白川和子も主役の伊東四朗の友達なのか縁者なのかの役で出ていた、流石に歳をとって、それなりの役だが、それでも若いころの色...ドラマ「老害の人」と白川和子

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(96) 長尾家 9

    長尾越前守房景は兵をまとめると城内に逃げ込んだこれより長尾勢は手を変え品を変えて上杉勢に立ち向かうが、ただただ死者が増えるばかりで上田の城は危うく見えた上田の兵は心がくじけ始めて、富山隼人、林、丹羽などは、ぬけぬけと城を抜け出て上杉の陣に投降した。為景は、これをみて心を痛め何かの策は無いかと頭を巡らせたそして謀がひらめいた(上杉の将の中にも、柿崎弥二郎景家は生まれついての豪勇であるが、精力人並外れた壮年の男盛りであるから、女をもって彼の心をとろかせて、裏切りの術で味方にすることは可能だろう)と考えて、照田久二郎を密かに柿崎の陣へ送り、金銀の器物ならびに巻物数百巻、美女二人を添えて柿崎に贈り「わが陣営に来れば、数多の所領を与えようではないか」と弁舌を持って誘えばさすがの弥二郎も欲と色に負けて説き伏せられ、裏...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(96)長尾家9

  • 物知らずにもほどがある

    何十年使っていたのか知らないが、台所の給湯器がとうとう壊れた仕方なく、皿洗いの度にお湯を沸かして水洗いの食器を浸していたが、そうそういつまでもこうしているわけにいかない。高校の先輩のガス工事会社に問い合わせたら、給湯器だけで20万円だという「なんぼなんでも、それは高い」と言ったら、工事費込みで16万位にはできるというが納得できない、私的には5~6万がいいところだそれでいったん話を保留にした、それから同級生の工務店の社長にも聞いたら、やっぱり同じ数字を言ったので愕然とした。なんでもこの頃は、こうしたものも値上がりが激しくて、見積もり有効期間も1~2か月にしないと、発注したころにまた値上がりということもあるという。いくら高くても必要なのは必要、それで直談判して大幅な下げを要求しようと、給湯器の写真をスマホで撮...物知らずにもほどがある

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(95) 長尾家 8

    上田の城に、為景自らの後詰が来るという話が伝わると城方は大いに沸き立ち「さらば城からも打って出て上杉勢を挟み撃ちにしよう」と五郎政景に城を守らせて、越前守房景は二千騎を率いて打って出るその勢を二段に備えて、六日市に進み、風間河内守が備える陣へ無二無三に討って入り、追いつ帰りつ戦う勢いまことに竹を割る勢いにて、風間勢は破られまいと勇兵小島三左衛門、宅間若狭守、友田藤右衛門、切っ先から火を出して数十騎をなぎ倒し、ついに討死するそのほか風間勢、手負い討ち死に多くなり後方に下がれば、柿崎弥二郎、弥三郎柿崎七左衛門、須磨靱負、牟礼覚之進、団久蔵など柿崎一党が入れ代わり各所で激しい戦となった長尾の勇士、名護屋、大堀らは柿崎に押されて乱れて引き下がると、代わって勢いよく攻め寄せたのは、長尾為景大将自ら柿崎勢の中に突き進...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(95)長尾家8

  • バードコレクション 今日はプラス1

    ここ数日は急激に気温が下がって毎日寒い富山では昼近くまで一時本降りになって寒く、車は暖房を入れたけれども正午になると晴れ渡って暑い日差しに代わり、今度はクーラーに目まぐるしい一日だった、夜に入ってまた寒くなった。新湊の野鳥観察センターではサギが一羽だけで、鴨の類は全くいなかった別の池で見たコガモの群れも全くいなくなったサギが狩りをしていた何かを咥えているセンターの森でこんな鳥がいたくちばしが黄色いこちらはペア家に帰ってきたら「フーテンの寅ねこ」が遊びに来ていた前回から1か月以上来なかった、なんか太ったみたいだ住居が決まって食べるに事欠かないから太ったんだろうでもたまに顔を見せに来るから、恩義は感じているようだ。GreenGrass(Remastered)バードコレクション今日はプラス1

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(94) 長尾家 7

    永正七年、長尾信濃守為景は上杉顕定を討ち、猛威ますます震い越後国府内の城を本城として、越後の諸将を帰伏させようと考えて、上条の城に籠る上杉兵庫頭定実を取り込もうとして、神余越前守を遣わして定実と和睦して、屋形と仰ぎ、証として為景の娘を送って縁を結んだ。続いて、上州白井の上杉憲房とも和睦したので、越後の諸将は招きもしないのに集まって来て、為景を祀り上げたこれより越後国は為景のもとに平定され、誰もこれに異議を唱える者はいなくなた。否、ここにただ一人、宇佐美駿河守定行だけは、為景に屈することなく、松之山家柏崎の城に籠り、顕定の討死を憤り、為景を討たんと願う遺臣を招き入れ古河公方、足利高基の若君龍王丸を武州鉢形城に迎えて、上杉四郎顕実と改名して、顕定の跡を継がせた。宇佐美は兵を率いて越後国柏崎から沖野庄内にある為...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(94)長尾家7

  • 大江健三郎「奇妙な仕事」

    大江健三郎の本は文学全集の中の一冊として、私の本棚にもう55年以上鎮座している。それなのに開いたことが一度も無かった、聞くところによれば大江健三郎の作品は意味不明の難解風変わりなのが多いらしい。それが先入観になっていて買ったまま放ってあったのだ、だがしかし百聞は一見にしかずこの目で読むのが正しい、それで今日のたったさっき本を開いた文字の細かいのに辟易した(読めるのか?)20歳前後には、これを普通に読んでいたのだから老眼とはひどいものだ今は本や新聞を読むのは裸眼が一番だが、乱視もあるのですらすらとはいかない、ただ読書は入り込んでしまえばすべてを忘れて一気に読める、そこまで集中するのが大事なのだ。とりあえず巻頭の長編は辞めて、短編から始めたその短編の一番にあったのが「奇妙な仕事」だ。5ページほど読んでみて、こ...大江健三郎「奇妙な仕事」

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(93) 長尾家 6

    もう一方の大将、上杉顕定は敵中深く切り込んだ上に、率いる諸士も過半が討死して城に戻ることもかなわず、敵中を突破して信州妻有の長森原の城にたどり着いて、追々集まって来た敗将を収容したところに、早くも長尾.高梨勢が押し寄せて長森城を十重二十重に取り囲んだ。山をも崩すような攻城軍の鬨の声、だが上杉方もこれに負けじと矢を放てば、一矢も外すことなく高梨兵を射て殺す。高梨の兵は城門をこじ開けようと攻め立てるが、上杉軍は近くによる敵を寄せまいと逆襲する、そのすさまじさに高梨軍は辟易し浮足立ったそこに「いまぞ!」と上杉軍は門を開いて打って出る、これによって高梨勢は散々に打ち破られたが、小勢の上杉方は深追いせず軽々と城内に引き上げた。長尾、高梨は軍議を開いた、このままここに長居すれば、下越後から上杉方の宇佐美ら諸将が後詰に...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(93)長尾家6

  • 激痛! ふくらはぎ痙攣

    早朝に右のふくらはぎが突然痙攣したこの痛みは、なった人にしかわからない、とにかく動けないし足を動かせない下手すれば上肢の筋肉まで痙攣すると経験者に聞いたことがあるふくらはぎが、かちんかちんになって、どこまでも締め付けれて収縮していく感じだ。とにかく耐えるしかない、その間に「イタタタタ!」と唸っているしかない2分くらい経って、少しずつほぐれて、ようやく歩けるようになったが、今日は一日中ふくらはぎに違和感を感じていた。水分が不足とか聞いた気がするが定かではない、2年くらい前に初めて経験してブロ友さんから薬を紹介してもらった、あれの残りがあったので飲んだが、有効期限は見なかった、もう飲んでしまったから有効期限は確かめないことに昨日は散歩して居酒屋で昼飯を食って、冷酒300mlを一本飲んだ酒をほとんど飲まなくなっ...激痛!ふくらはぎ痙攣

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(92) 長尾家 5

    為景が越後に攻め込んだという知らせを越後府内で聞いた上杉顕定(あきさだ)は、憲房(のりふさ)を救おうと府内を発って兵部大夫憲房が籠る、椎谷の城に入り軍勢を集め始めた。この時、出羽との国境辺りに蜂起する為景方を討伐するため、上杉勢の宇佐美駿河守、中条越前守など味方の諸将の多くが下越後に出張していて、顕定の陣に駆けつけることが出来ず、椎谷の城に集まった加勢は僅かであった。そこに為景勢が潮の満ちるがごとく攻め寄せ、昼夜を問わず攻めかかるが、上杉勢は少しもこれを恐れず、矢石を飛ばし、厳重に防戦するので攻め手の死者、負傷者おびただしく攻めあぐんだ。顕定は城中の勇士を選りすぐり、朝駆け夜討ちに不意を打って為景勢を混乱させた、それは神出鬼没で寄せ手を悩ませたそんな攻防が三か月も続いたが一向に城は落ちる様子はなく、守備方...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(92)長尾家5

  • まだまだ物価上昇は続く

    大谷の4打数4安打2ホーマーには驚いた早くもホームラン、打撃の二冠王を走っている、移籍直後の10試合までの不調や心配はどこに行ってしまったのか、まったく絵になる天才だ。食事にオリーブオイルは欠かせない私が使っているのはスーパーに売っているごく一般的なオイルだが、去年まで900円くらいだったのが昨日見たら、同じ品が1600円にもなっていた。あまりモノの値段は気にならない方だが、これだけはっきりすると知らん顔ですまされない。今日も大衆居酒屋&食事処で昼飯にラーメンを頼んだが、オリジナルラーメンが一昨年には490円だったのが690円になっていた。僅かな単品だから、「仕方ないな」で済ませているが、一か月トータルすればいったい・・・例えば30%平均に値上がりしていれば、10万円あるとして10%は消費税で1万円が消え...まだまだ物価上昇は続く

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(91) 長尾家 4

    為景を裏切った大須賀、石田は越後国に立ち帰り、猿ケ馬場にたむろして上杉頼定に従った。信州高梨城主、高梨播磨守は為景の婿であったので、古志駿河守秀景と示し合わせて石田、大須賀、五十嵐八郎が籠る猿ケ馬場に攻め寄せた。しかし大須賀は勇をふるってこれを撃退した、高梨勢は崩れ黒田長門守、金津外記の勇将が討ち死にした。古志駿河勢も打ち破られて逃走した。高梨播磨守は、これを大いに憤り、その夜再び勢を整えて密かに間道から、石田、大須賀の陣の後ろから攻め込んだ石田らは驚き、防戦に努めたが高梨勢の切っ先は鋭く、石田備中は討死、大須賀、五十嵐勢も散々に打ち破られ上越後(今の上越市方面)を目指して逃げたそして柏崎の向こうの笠島に陣を張った。長尾為景は佐渡に落ち延びて、姪の婿である羽茂三河守高信を頼って、その年は佐渡で越年した。そ...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(91)長尾家4

  • ちゅん太と菜園とゴールデンウィーク

    朝6時に庭を見たら、新芽を吹き始めたサルスベリの枝でヒヨドリが低い声で鳴いていた。そのうちに、いつもの甲高い「ピーピー」が始まると、もう一羽やって来たやはり近くで見るヒヨドリは大きい、去年の秋から見えるようになったヒヨドリは野菜を食べるので招かれざる客だ。5月になって早朝からちゅん太の仲間が数羽、庭の偵察に来るようになった去年も5月から仏様のお下がり米をいただきに来ていたので、彼らの記憶にはそれがあっての事だろう。今はまだ畑の野菜を植えたばかりで露出しているので、鳥害が心配でお下がりは、お預けだったが今日試しにやってみた。去年スズメは野菜を食べないので安心だが、お下がりを撒いたあと10分くらいでまた見に行ったら、ブロックで大きなカラスが一羽にらみを利かせていた。スズメたちは怖くて遠巻きに、あっちこっちで見...ちゅん太と菜園とゴールデンウィーク

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(90) 長尾家 3

    長尾六郎為景は、主を殺して勢いは越後国中にはびこり、信濃守と自ら改名した。これが鎌倉に聞こえ、管領上杉顕定(あきさだ)は大いに驚き、弟民部大輔の仇を討たんと一万五千の兵を率いて、武州鉢形城を発って上州から越後に入った同国白井の城主、上杉兵部大輔憲房は顕定の従弟なので、これもまた八千の兵を率いて同じく越後に入った。これを聞いた越後の上杉譜代の軍将、中条越前守藤資、新発田五郎長敦、八条左衛門大輔景国、宇佐美駿河守定行、柿崎弥三郎景持、風間河内守信綱、大熊備前守朝秀、庄新左衛門尉実為、五十嵐子文尉友常、鳥倉内匠介、長與三盛連、山吉弥右衛門、斉藤八郎、上野源六、篠塚惣左衛門、世良田九左衛門などが顕定のもとに続々と集まった。軍議が終わり、先陣は上条の上杉兵庫守定実を大将として、宇佐美駿河守がこれを助けて市振に陣をと...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(90)長尾家3

  • 海辺で会った鳥たち

    昨日は、またしても決定シーンを逃してしまったスポーツ番組を見ていて「こりゃあ、もう駄目だ」と決めつけてテレビを途中で消してしまうポカがよくあるそれは以前も書いたのだが、特に野球で中盤までに大差がついたとき、あるいはサッカーで強豪相手の場合、リードされた時が多いでも駅伝や、マラソンの場合は、どれだけ差が開いても最後まで見るのだから、私の我儘な部分もあるのだろう。前置きはさておき、昨日の・・というのはJ1での新潟対広島戦の実況中継今年の広島は4位ながら、唯一黒星が無い。一方、新潟は負けが先行して10位台を下降気味昨年は新潟が広島に2戦2勝と圧倒したが、今年はどうかところが開始36分くらいでイエローを2枚連続で出されて退場、55分を10対11で戦うことになった新潟ただでさえ広島が有利なのにハンディまで背負ってし...海辺で会った鳥たち

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(89) 長尾家 2

    己に対抗する勢力が無いのを良いことに、為景はついには主である越後守護の上杉民部大輔房能を殺して越後を奪おうと密かに謀っていたが、同国琵琶島の領主、宇佐美越中守孝忠は沈勇謀略の将で、彼がいるうちはさすがの為景も実行に移すことが出来なかった。永正四年二月に宇佐美越中守が病にかかって亡くなった屋形の上杉民部大輔房能は為景の逆心を知らず、その頃、諸国は乱れに乱れた戦乱の中にあったけれど、先代の上杉相模守房定入道は近代の名将であり、その政治は正しく士卒は富み栄え、百姓、商人は繁栄し数年は穏やかであったそれに比べて房能は武の道に疎く、明けては鷹野にひたり、月下の宴、連歌の会など逸楽にふける日々を過ごしていた。為景は(ようやく時至れり)と思い、永正六年三月、八千騎を従えて俄かに府内の館を攻め立てた。屋形の者たちは思いが...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(89)長尾家2

  • 続「PERFECT DAYS」

    もう一度見たいと思った「PERFECTDAYS」がGWに再上映されることになり是が非でも見ようと思っていた。一週間足らずの上映日数であったが、私は29日からおばさんの法事、漁師の手伝い、闘病の先輩との再会、そして長野ドライブ、昨日は半日浜辺で息子にお付き合いとずっと日程が埋まっていて、とうとう今日3日を残すだけとなった。それで行く気満々だったのだが、三か月前から慢性的に消化器系に不調が続いていて今日は行く自信が無いそれにずっと出ずっぱりの日が続いたので、気持ちを休めるためにも今日は急用が必要だった。温かい日が続き、どうせ家にいるなら予定より三日早いが野菜の苗の植え付けをすることにしたまた樹木の葉が茂りすぎているので、それらの剪定もすることにした。そんなわけで気持ちだけ「PERFECTDAYS」に持って行き...続「PERFECTDAYS」

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(88) 長尾家 1

    ここ越後の国に一人の英雄が生まれた軍法を内外に余さず行き渡らせ、数百年の今に至っても、その英名を残す。名を上杉弾正大弼(だんじょうのだいひつ)輝虎入道謙信と云う。その先祖は桓武天皇より出でて、村岡五郎良兼の末葉なり良兼より六世の孫を太郎景明と云う、景明の二男次郎景弘、初めて長尾と改称する。代々、上杉家の老臣なり、そもそも上杉家と言うの足利鹿苑院殿義満公の時代、上杉民部太夫憲顕の末子、左近将監(さこんしょうげん)憲栄に越後国を賜るしかし憲栄には出家遁世の志があって伊豆国大石の郷、如意輪寺に閑居した。これによって越後国内は国中の諸士が蜂起して上杉家を争って奪おうとした。上杉家の老臣、長尾筑前守高景は大いに驚き、鎌倉の古主上杉左近将監憲栄の兄、上杉安房守憲方の子、龍命丸を越後府内の城に迎えて、上杉民部大夫房方と...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(88)長尾家1

  • 海を見ていたジョニー・クロウ

    今日はとても良い天気で昼前にトマト、ナス、キューリの苗を植えた午後からは久しぶりに地元の海へ行った温かいけど風が涼やかで、何kmか歩いたけれど汗はかかなかった駐車場には長野、松本、諏訪ナンバーが多く、他では足立、多摩、八王子など東京ナンバーが。魚釣り、石拾い、バーベキューなど食べて、飲む系の人が多い上半身裸で日光浴をしている人もいたが風は冷たいので、どうなんだろう地元民はウオーキングがほとんどだ。そんな中で私一人がカメラを持って、鳥を追い掛け回し、草花や海を撮って、飽きると本を読み、車の中で30分ほど寝たりして4時間を海岸で過ごした。鳥は撮るのが難しい、でもカラスだけは逃げずにポーズをとってくれる街のカラスと違い、海のカラスはおおらかで、のんびりしていて好きだ今日も海を見ているカラスに出会った。AWhit...海を見ていたジョニー・クロウ

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 87

    さて板垣信形は、上州上杉勢の抑えとして軽井沢に居たが、元来勇気限り無き老将であったから此度の戦に対する兵たちの功労をねぎらおうとして、広い仮屋を建てて、大いに戦功をあげた者も、何の働きも無かった者も一同に招き入れた。そして、集まった者たちを上中下の三段階に分けて、大いに手柄を立てた上の者には三の膳付、そこそこに働いた中には二の膳付、そして何の働きもない下の者には一の膳のみこれは黒椀に精進料理が乗っている。特にめざましい働きの三科肥前守、広瀬郷左衛門の如き敵の大将首を取った二人には優劣無く、くじにて最上段の左右の座を与えたそのほかの者は思い思いに座り、功によって三の膳、二の膳を賜った功ある人々には大椀に溢れるばかりの大鯛の焼き物、功なき者は精進の淡白な豆腐汁に毛も取らぬ山芋の平皿、功ある者の前にあえて座らせ...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた武田家87

  • キジに出会った

    車の免許を取った18歳からずっとドライブ好きだ。正確に言えば修業を終えて、家に帰った記念に父が買ってくれた車(マツダファミリア)を得た時からドライブが始まった。最初は一桁、二桁の国道を走っていたが、そのうちに三桁国道や、主要県道を走る様になり、慣れてくるといよいよ長野県を走る様になり、山の道を走る楽しさを覚えた。夕暮れ時の山道を走る気分はみょうに懐かしいノスタルジックなもので、心細い初めての道から、突然県道や国道に出た時の驚きは、新しい道を発見した喜びでもあった、それは今も全く同じで、分け入る道はよりハードで、より細い道へとなっていった。何度も行き止まりや、これ以上行けば崖転落の恐れがあるようなところへ出て戻ったりもした。今日は何度も行き渋っていたわき道にとうとう入った長野県の高原は今日は20m先がやっと...キジに出会った

  • 「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 86

    羊の刻、上州勢の新手は「エイエイ」と声を上げて攻めあがるまさに陽は西に傾き武田勢は夕日を背にしての布陣晴信は東より攻めあがってくる敵に「かっか」と笑い「いかにも戦を知らぬ者どもよ、蹴散らして捨ててくれようぞ」と飫富兵部を先陣に鉄砲を少し打ちかけて間もなく、槍衾の隊列で乗り下し、下からくる上州勢を当たるを幸いに突きまくる上州勢の先陣は倉賀野六郎、疲労困憊の板垣勢と侮って攻め寄せたものの、思いもよらぬ勢い十倍の敵その数も倍に増して、更には諏訪の旗、八幡大菩薩の旗はまさに甲州の大将、武田晴信の本陣倉賀野勢は驚きおののいた、そこを突き崩して攻め寄せる飫富の先陣道は後下りの難所、頭の上に前の味方の足が乗りかかるそこに逃げ降る馬の脚までもが頭に乗りあげて、倉賀野勢は総崩れ山道の迷い込んで行き止まり、あるいは深い谷に転...「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた武田家86

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