千年の影引く影や姫小松 高山れおな さわらびや何を握りて永き日を 同 玉苗のふるへたふとし水は空 同 地球より溢れ荒川雪の夜を 同 昭和百年源氏千年初鏡 同 我が狐火も霜夜は遊べ狐火と 同 息白き別れは星の匂ひかな 同 時の日の湖光りつつ眠る 同 挽歌降るべし雲雀ほど高きより 同
芭蕉百句の評釈と英訳(漸次更新中) 100 haikus of Basho selected and translated into English by Takatoshi Goto
ほととぎすいまははいかいしなきよかな 延宝末年〜貞享初年の作(推定)。ホトトギスは古来より和歌に詠まれてきたが、今、この声を聞いてもそれを句にすべき真の俳諧師はもはやいない世であると嘆いているのである。 延宝年間(1673年〜1681年)には、貞門俳諧を抑えて談林俳諧が隆盛していたことが背景にあるのかもしれない。両者とも和歌の伝統的な措辞に拠りながらも、前者ではあくまでも形式主義に拘泥し、後者では、「軽口」「無心所着」といった言語遊戯的な趣向に傾斜していくことになる。 当初、貞門派であった芭蕉も、「上に宗因なくんば,我々が俳諧今以て貞徳が涎をねぶるべし。宗因はこの道の中興開山なり」(『去来抄』…
はすいけやおらでそのままたままつり 貞享5年(1688)7月、尾張・鳴海の下里知足邸での作。折しも下里家では精霊会が行われており、その庭の池には蓮の葉が繁っていたのであろう。それは折り取られることもなく、先祖へそのまま手向けられているのである。そうした自然をそのまま愛する主の優しい心根に感銘したのであろう。蓮は泥土より生じて清らかな茎を伸ばして葉を広げて花を咲かせる。それは開悟や仏の智慧や慈悲を象徴するものであり、まさに精霊会に相応しい。中七から下五へ連なるa音も快い響きを添えている。 季語 : 玉まつり(秋) 出典 : 『千鳥掛』(『風の前』) Lotus pond —leaving the…
はつあきやうみもあをたのひとみどり 貞享5年(1688)初秋の作。前書に「鳴海眺望」とある。鳴海は東海道五十三次四〇番目の宿場であったが、現在では埋め立てにより、歌枕の鳴海潟は消失し、海を見ることはできない。掲句は、当時、そこにあった児玉重辰亭で詠まれた発句であり、おそらくその席上から見える青田の先に海が見渡せたのであろう。遠く青田と海の接するあたりでは両者の色合いも近く、あたかも、海が青田の一部として同化しているように捉えたのが「一みどり」という措辞に表れている。 ちなみに、「みどりの黒髪」「みどり児」などの言葉があるように、本来、「みどり」とは、「緑」や「青」という色彩ではなく「瑞々しさ」…
おもしろうてやがてかなしきうぶねかな 貞享5年(1688)、岐阜長良川で鵜飼を見ての作。『笈日記』には「稲葉山の木かげに席をまうけ盃をあげて」とあり、芭蕉は闇夜に篝火が灯る鵜舟を河畔から眺めた。初めは、その珍しい漁に興味が湧いて酒も進むが、やがて漁が終わり篝火も消えて舟も去り、もとの暗い静寂に包まれる。古来からの漁法とはいえ、捕らえられる魚はもちろん、「疲れ鵜」という傍題季語があるように鵜にとっても難儀なことであろう。そう考えると、「面白さ」から「悲しさ」へと変わる心境に人生の辛さや儚さも重なってくる。もっとも、芭蕉には謡曲『鵜飼』における仏教的無常観が掲句の下地にあったことは多く指摘されてい…
このあたりめにみゆるものはみなすずし 貞享5年(1688)5月、美濃長良川河畔での作。『笈日記』には、この前文として「十八楼ノ記」と題した次のような記載がある。 みのゝ国ながら川に望て水楼あり。あるじを賀嶋氏といふ。いなば山後にたかく、乱山兩に重なりて、ちかゝらず遠からず。(中略)暮がたき夏の日もわするゝ計(ばかり)、入日の影も月にかはりて、波にむすぼるゝかゞり火の影もやゝちかく、高欄のもとに鵜飼するなど、誠にめざましき見もの也けらし。かの瀟湘の八つのながめ、西湖の十のさかひも、涼風一味のうちに思ひためたり。若此楼に名をいはむとならば、十八楼ともいはまほしや。 つまり、『笈の小文』の旅からの帰…
たこつぼやはかなきゆめをなつのつき 貞享5年(1688)4月、明石での作。蛸壺は、蛸を捕らえるための素焼の壺で、浮標をつけて海に沈めて、そこに入った蛸を引き揚げる。潮目が変わる際に天敵から身を守るために蛸が穴に隠れ潜む習性を利用したもので、多くは夜に仕掛けて朝に引き上げて蛸を捕らえる。 蛸は明石の名産であり、海岸には蛸壺が多く見られたのであろう。そして、今まさに海底で蛸壺に入った蛸に思いを寄せれば、その一夜かぎりの命はもちろん、芭蕉自らも含めた有情の一生は、下天のうちを比べれば夢幻のようなものであることが今さらながら思い知られる。折しも、暑苦しい浮世にあって一服の涼をもたらす夏の月が、真如の月…
わかばしておんめのしづくぬぐはばや 貞享5年(1688)4月、奈良での作。『笈の小文』の前書に「招提寺鑑眞和尚来朝の時、船中七十余度の難をしのぎたまひ、御目のうち塩風吹入て、終に御目盲させ給ふ尊像を拝して」とある。また「灌仏の日(旧暦4月8日)は奈良にて爰かしこ詣侍る」とあるので、和歌浦から奈良に着いた頃には季節はすでに夏となっていた。 唐招提寺は南都六宗の一つである律宗の総本山で、天平宝字3年(759)、鑑眞和上の私寺として創建された古刹である。鑑眞は、聖武天皇の招聘を受け、度重なる様々な艱難を乗り越えた末に、伝戒師として唐から来朝した高僧である。芭蕉は船中七十余度の難と記しているが、実際に…
ゆくはるにわかのうらにておいついたり 貞享5年(1688)の作。『笈の小文』旅にて、吉野、高野山と山路を経て、ようやく3月末に和歌浦に着いた際に詠まれたもの。紀伊山地ですでに春を見送ったと思ったが、大海に開けた和歌浦における暮春の佳景に巡り会った喜びが「追付たり」にうまく表現されている。 和歌浦は、古くから景勝の地であり「若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして 鶴(たづ)鳴きわたる」(『万葉集』919)と山部赤人が詠んで以来、歌枕の地として広く知れ渡ることとなる。ちなみに、近くに鎮座する玉津島神社は、住吉大社、柿本神社と並んで「和歌三神」を祀る社として崇敬されている。もっと、和歌浦はかつて「…
ちちははのしきりにこひしきじのこゑ 貞享5年(1688)春、高野山での作。長くなるが、『枇杷園随筆』に記された掲句の前文を次に示す。 高野のおくにのぼれば、霊場さかんにして法の燈消る時なく、坊舍地をしめ仏閣甍をならべ、一印頓成の春の花は、寂寞の霞の空に匂ひておぼえ、猿の声、鳥の啼にも腸を破るばかりにて、御庿を心しづかにをがみ、骨堂のあたりに彳(たゝずみ)て、倩(つらつら)おもふやうあり。此処はおほくの人のかたみの集れる所にして、わが先祖の鬂髪をはじめ、したしきなつかしきかぎりの白骨も、此内にこそおもひこめつれと、袂もせきあへず、そゞろにこぼるゝ涙をとゞめて、 顧みれば、5年前に母を亡くし、この…
しばらくははなのうえなるつきよかな 貞享5年(1688)、吉野での作とされている。(『蕉翁句集』)咲き誇る桜の上に、朧に花を照らす春の月が輝いている。そして、やがて月は西に傾いて、この花月の照応による佳景も消え去ることが「しばらく」という措辞から覗われる。儚いから風雅も極まるのであり、このことは生生流転における「さび」の美意識に繋がっている。もっとも、「しばらく」は月の運行や花の時期のみならず、月へと羽化登仙するかのような芭蕉の心境にもかかっているのではないだろうか。このことは、まさに芭蕉が喝破した「発句の事は行きて帰る心の味ひなり」ということと深く関わっていると思われる。 余談であるが、以前…
ほろほろとやまぶきちるかたきのをと 貞享5年(1688)の作。『笈の小文』では「西河(にしかう)」と前書がある。そこは、音無川が吉野川に合流するあたりの地域であり、「滝」は、川の激流や早瀬も指すことから、そのいずれかの河畔で詠まれたものと思われる。『笈の小文』では、掲句の直後に、「蜻蛉が滝」という前書らしき記述があるが、発句は見当たらず、「布留の滝は布留の宮(石上神宮)より二十五丁の奥也 布引の滝 箕面の滝、勝尾寺へ越る道に有」という文章が続いている。従って、『笈の小文』は未定稿である可能性も指摘されている。 『日本古典文学大系-芭蕉句集』では、吉野川の激流となって岩の間を滾り落ちる瀬音につれ…
ひばりよりそらにやすらふたうげかな 貞享5年(1688)、『笈の小文』の旅での作。同年2月、伊賀上野で父の三十三回忌法要を済ませた芭蕉は、3月19日、伊勢で再会した杜国を伴い、吉野を経て、父母の菩提を弔うために高野山へ向かった。「臍峠 多武峰ヨリ龍門ヘ越道也」の前書があり、談山神社のある多武峰(桜井市)から龍門(吉野郡吉野町)へ抜ける険峻な山道にある細峠(臍峠)で詠まれたと考えられ、同所に掲句が刻まれた芭蕉の句碑がある。ちなみに当時からこの峠は細峠と呼ばれていたことから、「臍峠」とはその別称か、あるいは芭蕉の誤記もしくは改作した表記かもしれない。亡き母の菩提がある高野山と芭蕉の生地である伊賀上…
さまざまのことおもひだすさくらかな 貞享5年(1688)3月の作。『笈日記』には「同じ年の春にや侍らむ、故主君蟬吟公の庭前にて」と前文があり、伊賀上野へ帰郷した際に藤堂良忠(蟬吟)の嫡男・良長(探丸)に招かれて、その別邸(下屋敷)で詠まれた句である。ちなみに、頴原退藏は次のように述べている。「芭蕉は脱藩の罪を犯した身だから、正式に藤堂家に出入りすることは許されなかった。『笈の小文』の本文に、芭蕉がこの句について何も語っていないのも、やはり憚った為であると思われる」(『芭蕉俳句新講』)と。しかし、芭蕉は、良忠の死後、その弟に仕えることを潔しとせず、脱藩したのだから、すでに二十余年を経て、五千石の…
なんのきのはなとはしらずにほひかな 貞享5年(1688)2月の作。『笈の小文』には「伊勢山田」、『真蹟集覧』には「外宮に詣ける時」とそれぞれ前書があり、伊勢神宮参拝の時に詠まれたものと思われる。もちろん、西行の「何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」(『西行法師家集』)が踏まえられている。 神域から溢れる清気を花の香に重ねながら、そこに分別や名前(言葉)を超えた万物の化育を司る神の恩沢を感じ取っている。西行の歌がやや観念的なのに対して、芭蕉の句では、「花」の香に「物の微」を求めて「情の誠」に通じるものがあり、そこに神の気吹も伝わってくる。まさに「造化随順」による詩境がそこに立…
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千年の影引く影や姫小松 高山れおな さわらびや何を握りて永き日を 同 玉苗のふるへたふとし水は空 同 地球より溢れ荒川雪の夜を 同 昭和百年源氏千年初鏡 同 我が狐火も霜夜は遊べ狐火と 同 息白き別れは星の匂ひかな 同 時の日の湖光りつつ眠る 同 挽歌降るべし雲雀ほど高きより 同
鎌倉の人の涼しき胡坐かな 林誠司 母の日や遠くまあるく土星の輪 同 江の島へ向かつて水を打ちにけり 同 人は座し水はいそげり春の山 同 わたつみへ雲かぶせたり富士の秋 同
吃音のあとの静寂に小鳥来る 福本啓介 月朧抱きしめられてゐたりけり 同 昼月と共に過ごせり保健室 同 小春日の昨日に我を置いて来し 同 さくら咲き記憶喪失終はりけり 同
また回り出す年越の換気扇 高野ムツオ 無辺へと千手を垂らし菊枯れる 同 不立文字風に渦巻く落葉こそ 同 天の狼咆哮雪が降り出せり 同 冬の蝿昨日の朝日今日も浴び 同 終末に備え固まる黒海鼠 渡辺誠一郎 数え日や終わらぬ旅の旅衣 同 産声を忘れ宣戦布告かな 同
障子貼りゐていつの間に囲まれし 今瀬剛一 冬の星糸で繋いで贈らむか 同 瀧凍り始める寒さかと思ふ 同 ショール巻いて母が見えなくなりしかな 同 やがて会ふはずの枯野の二人なり 同 瀧深く隠して山の眠るなり 今瀬一博 鮟鱇の腹の白さよ雪催 同 目瞑れば吾も大柚冬至風呂
ペンギンの胸の広さや春隣 大木あまり 霜の花忘るるために歩きけり 同 鎌倉の水羊羹と無常観 同 マスクして逢ふや双子座流星群 同 立ち泳ぎするかに揚羽飛ぶことよ 同 入院も旅と思へば冬うらら 同
くらい水すきとほらせる花火かな 大屋達治 大年の街の音聞く橋のうへ 同 大山に脚をかけたる竈馬かな 同 海に出てしばらく浮かぶ春の川 同 泳ぎより立つとき腕を翼とす 同 日蓮が妙と叫びし初日かな 同 捨てし田を豊葦原へ還しけり 同
薔薇咲くや抜歯のあとのあをぞらを 鈴木総史 とんばうや蝦夷にあをぞらあり余る 同 背広にも晩年のあり漱石忌 同 薬飲むみづのまばゆし風信子 同 実石榴や触れればくづれさうな家 同
山上の雲の厚さや田水張る 藺草慶子 水底のかくも明るく冴返る 同 水渡り来し一蝶や冬隣 同 片雲の遠く光りて夏きざす 同 光陰のなだれ落ちたるさくらかな 同
火柱の見えしと思ふ白雨かな 石田郷子 暗がりに人詰めてをる里祭 同 寄せ合へる椅子のまちまち天の川 同 冬林檎剝けば夕べの月の色 同 万の枝けぶらふバレンタインの日 同
にんげんの回転木馬さくら散る 増田まさみ 何処へも戻らぬひとよ冬花火 同 手花火の手の入れ代わるニルバーナ 同 空蝉にまだ陽の残る浅きゆめ 同 二つ折り厳禁とあり天の川 同
街灯は待針街がずれぬよう 月野ぽぽな 真水汲むように短夜のFM 同 松茸に太古の空の湿りあり 同 まだ人のかたちで桜見ています 同 太陽は遠くて近し芒原 同 手袋に旅立ちの指満たしけり 同
ころがしておけ冬瓜とこのオレと 坪内稔典 長崎に住もう枇杷咲く五、六日 同 リンゴにもオレにも秋の影ひとつ 同 ねじ花が最寄りの駅という日和 同 夕べにはすっかり晴れて栗ご飯 同
友情にイルカが跳ねる時を待つ 十文字潤 夕焼けが捨てた光に救われて 栗原知也 誰が夢を空へ紡ぎて五重塔 星野煌太
地平の目まだ半びらき真葛原 佐怒賀正美 乗るによき父の背いつか天の川 同 地球まだ知られぬ星か磯焚火 同 亀鳴くや天の沖には磁気嵐 同 くねりだす街の石みち鳥渡る 同 青嵐や骨のみで立つ電波塔 同
黒海は波高くして春遠し 田中信行 空白を控へめに埋め冬すみれ 同 夕立に打たれ心の解毒かな 同
覚悟なき死のおびただし核の冬 大井恒行覚めているほかは眠りぬ鈴の風 同ひかりなき光をあつめ枯れる草 同赤い椿 大地の母音として咲けり 同行方わからぬ光放てり手の林檎 同
春満月戦車渋滞していたり 中内亮玄 微笑みの凄まじきこと落椿 同 曼珠沙華火の骨組みに緩み無く 同
この星の春を盡すや又震ふ 高橋睦郞 踝に雲さやりつぐ川禊 同 變若水や有爲の奥山㝱深く 同 春惜む綾取りの橋壊しては 同 三界は火宅風宅三の酉 同 山や水有情無情や皆目覺む 同 高橋睦郞先生より句集『花や鳥』(ふらんす堂)を頂きました。先生には昔より要所要所で大変お世話になっております。ご上木をお祝い致しますとともに併せて心よりお礼申し上げます。「芭蕉一代の表現行爲を継承しようと志すなら、その爲事を尊敬しつつ、各人自分一代の爲事を志さなければなるまい」と帯文にあり、深く首肯致します。
菜種梅雨パレードにひつような橋 田島健一 山桜なにも言わずについてくる 同 人をさがしてと奉じてゐる遅日 鴇田智哉 菜の花の群れが空気を膨らます 同 つま先に春の闇から届く波 福田若之 ゆく春に折り目があれば分けやすい 同 ほんたうはつばきのなかにあることば 宮﨑莉々香 星ぼしや見えなくなつた手に手を振る 同 こゑが地に届いて枝垂桜かな 宮本佳世乃 ともに夜を生き桜蘂降りつづく 同
覚悟なき死のおびただし核の冬 大井恒行覚めているほかは眠りぬ鈴の風 同ひかりなき光をあつめ枯れる草 同赤い椿 大地の母音として咲けり 同行方わからぬ光放てり手の林檎 同
春満月戦車渋滞していたり 中内亮玄 微笑みの凄まじきこと落椿 同 曼珠沙華火の骨組みに緩み無く 同
この星の春を盡すや又震ふ 高橋睦郞 踝に雲さやりつぐ川禊 同 變若水や有爲の奥山㝱深く 同 春惜む綾取りの橋壊しては 同 三界は火宅風宅三の酉 同 山や水有情無情や皆目覺む 同 高橋睦郞先生より句集『花や鳥』(ふらんす堂)を頂きました。先生には昔より要所要所で大変お世話になっております。ご上木をお祝い致しますとともに併せて心よりお礼申し上げます。「芭蕉一代の表現行爲を継承しようと志すなら、その爲事を尊敬しつつ、各人自分一代の爲事を志さなければなるまい」と帯文にあり、深く首肯致します。
菜種梅雨パレードにひつような橋 田島健一 山桜なにも言わずについてくる 同 人をさがしてと奉じてゐる遅日 鴇田智哉 菜の花の群れが空気を膨らます 同 つま先に春の闇から届く波 福田若之 ゆく春に折り目があれば分けやすい 同 ほんたうはつばきのなかにあることば 宮﨑莉々香 星ぼしや見えなくなつた手に手を振る 同 こゑが地に届いて枝垂桜かな 宮本佳世乃 ともに夜を生き桜蘂降りつづく 同
何度開けてもないものはない冷蔵庫 高橋亜紀彦 仙人掌の永き夢から醒めて赤 同 曼珠沙華汝もサイコパスかも知れず 同 白梅や詩人は生くるために書く 同 長き夜や使ひみちなき砂時計 同 出目金の泪に誰も気づかざる 同
月に住む時代それでも白子干 仲寒蟬 入口のとなりに出口牡丹園 同 息止めて水着売場を抜けにけり 同 バイナップルすら爆弾に見えてくる 同 出目金の赤は黒より不幸せ 同
雪もよい湯気のにおいのからだかな 越智友亮 気を抜くと雨粒こぼす春の空 同 噴水の水やわらかく水に消ゆ 同 駆け足や宇宙は秋の空の上 同 金木犀両手で握手して別る 同 数学をやめ台風を待っている 同 河童忌の鉄のにおいの掌よ 同 稲咲いて朝をくださる光かな 同 革ジャンの鈍きひかりやうまごやし 同 白玉や今が過ぎては今が来て 同 相槌うって君は話さずオリオン座 同 川幅に橋おさまらず枯葎 同
わだつみの道の遠のく秋入日 加藤哲也 顔見世を出て風となる一と日かな 同 宵闇に紛れ込みたる夏館 同 新涼やロダンの肘のあたりより 同 大人にもこどもにも降る木の実かな 同 蠟梅や知覚過敏を憂ひつつ 同 菜の花や月光菩薩立ち上がり 同
ぶらんこの裏まで見せて跳びにけり 蜂谷一人 心太突いて夜空を滴らす 同 龍骨のかたちに日本南吹く 同 林檎むくまあるくほどけゆく時間 同 もう土へかへる桜でありしもの 同 蒼き灯の底を聖夜の魚となる 同 蛤の舌夕暮に触れてをり 同 馬跳びの最後冬夕焼と遭ふ 同 ひぐらしや波の広がる心字池 同 空蟬を残して声となりにけり 同 昼点いて白熱灯や虚子忌なる 同
噛みてなほ七面鳥の皮の照り 佐藤文香 ぬかるみのあかるみを踏み友なりけり 同 にはとりのはぐれて一羽春の中 同 夏霧を鳥おりてきて馬となる 同 終の住処鉄扉に薔薇を這はせあり 同 こゑで逢ふ真夏やこゑは消えるのに 同 音楽のあをく膨らむ熱帯夜 同
事切れてまだ虫籠のなかにいる 福田若之 手に木の葉てんごくにも俳句はあるよ 宮﨑凜々香 木犀の届いてゐたる自動ドア 宮本佳代乃 心地よく浮かぶ月かたむき沈む 田島健一 星あかり豆腐の壁にゆきあたる 鴇田智哉
髙野公一先生よりご著書を頂きました。お手紙では、拙著『芭蕉百句』への温かいご批評を賜り、重ねて心よりお礼申し上げます。先生は「芭蕉の天地」で、ドナルド・キーン賞優秀賞を受賞された碩学にして恐縮至極に存じます。いずれにしましても、現代にあって、芭蕉の俳諧精神を探求する者同士として心強い思いがしました。深謝まで。
冬の蝶まばゆき方へ飛びゆけり 橋本石火 鳶の輪の崩れて小春日和かな 同 父の空母の空あるなづな粥 同
卒業の丘からのぞむガスタンク 小林かんな 来た路を金魚とともに引き返す 同 にんじんの太くて書架にトルストイ 同 大人になってからの友達梅三分 仲田陽子 ピーマンの中へ本音を詰めておく 同 白鳥の遺伝子をもち自由なる 同 灰色の象の背に乗る朧月 中田美子 フラスコに残る触媒昼の月 同 黄落のあちらこちらに庭師立つ 同 少しづつ空気を吐いて百合の花 岡田由季 数へ日の母はさつさと助手席に 同 初旅の関東平野のびてゆく 同