2024年4月2日に佐渡島に戻ることにしました。 64歳であちこちガタが来てますが気はまだまだ若いつもり。 北端の村で海はもちろん山野を歩きながら何か珍しいも…
新型コロナ禍の(非日常)からその後の(新しい日常)という暮らしはたぶんですが今までの日常の(価値観)は変えざるを得ない状況。(以前には戻れない)といっても過言…
コロナ禍により海外に渡航するのは至難のわざになってしまった。 公共の場や建物内においての喫煙の禁止により愛煙家はますます肩身が狭い。 パリ市内が汚い!路上喫煙…
佐渡島に味覚の秋が近づく。 先頭を切って登場するのが九月から十月ススキの穂がでる頃に産卵のため磯の岩場に真蛸が姿を見せる。決して大きくない小型の蛸父たちはこの…
蟹の種類にあらずタラバガニやアブラタラバに近いハナサキガニが根室の友人から届いた。送り主は女性料理人としてミシュランガイドにも掲載星を獲得している凄腕。 実は…
まーまー田舎蕎麦の話である。 母方の曽祖母ひーばーさんのタマばあさん夏のさなかは自分で麻を紡いで作った服を好んで着ていた。 このタマばあさんが何かの行事に手打…
69歳で亡くなった神職の父。 なんたるもんら!※何も問題ない平気だよの佐渡弁 神職でありながら神様がどうであるか見えないものの力とか周りの叔母や祖母達が口にす…
一つ隣のムラに伝説の漁師がいた。 この語りはプロジェクトXだー。 どこの沿岸もそうであろう村々には川や岩瀬の境目で漁業権を設定してある。それがいつ決まったのか…
人類のさまざまな(発明)のなかで食に関わる発明ほど永い年月をかけた発明は他にないでしょう。 酒の発明もパンの発明もそうです。 それだけに一度発明されたものはず…
田楽というと今の時代木の芽時だから春の料理というのが当たり前になった。 この料理は南北朝時代京都祇園神社にその記述がある結構古い料理である。 水を切った豆腐に…
直訳すると(白い食べもの)というフレンチのデザートがある。ババロアやパンナコッタと似ているようでつくり方や材料が違う。 今では洋菓子として扱われているが元々は…
昭和51年佐渡島の高校に入学した。 佐渡島には当時県立高校がたしか6つあった確かに高校入学できない子もいたが殆ど合格したであろう。 入学と同時に汗臭い野球小僧…
ダラドロデレの表現があいまいである海府弁だから何だ意味は十分すぎるほど伝わるそれが方言の良さ。 的確にその状態を言い表す標準語ではまどろっこしくて言えない微妙…
秋口になるとこのアブラメが至る所で釣れる。 アブラメと佐渡島で呼んでいるがクジメというのが正式な呼び名料理の世界では東京市場ではアイナメ大阪市場ではアブラメ佐…
福島の白河へ行ったてっぺんに向かって車を走らせる。 まだまだ稲の穂は青いカーブを曲がるたびに高度も上がりあんまり丈夫でない左耳が何となく聞こえが悪くなってきた…
姫津という漁師の村が佐渡島にある。 どうだろうか月一回くらいなのか二週間に一回くらいだったと記憶しているが今でいうところの移動店舗モバイルカーかな?魚の移動販…
代々受け継いだ畑が山の上にある。周囲約八百メートル程だったのか足はブヨにやられかきむしって化膿し(こびしょげーな)※汚い・汚らしー・めちゃくちゃの佐渡弁包帯の…
人の名前ではないヤマブロウ。 佐渡島に収穫の秋がやって来たー田圃の青いじゅうたんが黄金色に染まる素敵な原風景なんて眺めているわけにはゆかない。あのいまいましい…
佐渡島の北端外海府といわれる地域がありその中に我が家がある。 海岸は砂場というところは川のそばのほんの一部あとは荒波にもまれた小石の粒が海岸を覆っている。 泳…
佐渡島にも多く自生する山椒。日本料理の中で一番使われる山椒。 和歌山県が最も多く次いで高知県などが有名な産地。 山朝倉竜神高原ブドウなどが原種含めて世界には2…
アゴ出汁がにわかに全国区に広がっている。昔は佐渡島で獲れて獲れて仕方がない時代もあった。アゴという呼び名は九州そして山陰側でそうよばれ佐渡島ではトビと言うだか…
佐渡島から始まり東京中野神奈川葉山そして東京荒川区そしてまた葉山今は松戸に暮らす。 引っ越し貧乏とは私のことかれこれ引っ越した回数は18回を重ねるなー。 まだ…
足元で飼い猫のシロが座っている横で母は忙しそうに寿司を巻いている。寛政年間に遡る太巻き寿司であるがルーツはどうも千葉県の九十九里。 鰯を追って北上した紀州和歌…
竹輪も蒲鉾も出所は一緒両方とも竹に魚肉を巻き付けて蒸したものという。その記述の歴史は室町時代に遡る。 その形が蒲の穂に似ていたので蒲鉾いう名前が付いた。その後…
小国アイスランドとイギリスで起きた戦争にあの魚のタラが原因というから不思議。 1958年から1976年というから昭和33年から8年間争われた海洋資源のタラをめ…
発酵は第何次ブームなんでしょう? コロナ禍で益々テヅクリ・アンシン・アンゼンそして発酵の食生活の復権である。 2012年のNHK今日の料理で紹介された塩麹のち…
夏が終わったお盆が終わるとすっかり佐渡島ではひと時の喪失感の後に秋の収穫の支度が始まる。 賑やかだったそれぞれの家には使った水中メガネや浮輪が置いてある黒いマ…
お盆の送りは物悲しい。 昭和の頃佐渡島から東京に帰るには道路がラッシュで混むだから舟を流さないで早めに帰る。 母はいつものようにササゲ豆をたっぷりいれた赤飯を…
といってもハクション大魔王の話ではない。 秋に美味しいアケビのこと。 母たちはアクビという。 確かに大きな口をあけてる。 鮎が採れる川をさかのぼる道路際の木に…
父が亡くなって30日も過ぎないころ四つ離れたムラで割烹旅館をしている店主の息子が電話をくれた。 おいちゃんが昨日夜白い馬に乗って神主の装束で寄って行った。 (…
1960年頃というから佐渡島で私が生まれた年。 アメリカで(セルエード、アースムーブメント)という考え方から出発したアウトドアファッションが流行っていた。伝統…
昭和57年の秋だった。 日本経済はバブル。 3Kが言われだしている。 私がいた葉山の飲食店も深刻な人手不足。 新卒を求めて人事役員と佐渡島の母校を訪れることに…
昭和という名前が翌年に平成という時代になる頃のことである。京都の南禅寺に店を構える老舗中の老舗として名高い四百余年の歴史を誇る名店瓢亭の朝粥を賞味した。苔むし…
最近気になる言葉にレポーターなどが使うあちらこちらがある。 判で押したかのように皆が丁寧な言葉として使っている。 正しい使い方だと思うがなんとなくしっくりこな…
亡くなった父は糠漬けが好きだった.母はというと何度かの失敗を経験したせいかやっけら!(メンドクサイ)と言ってなかなか作らない. 母の名誉のために一言添える. …
父の影響で無類の味噌汁好き味噌汁がない食卓は味気ない考えられない。 今でもカレーライスにも味噌汁は必需。 真夏の暑い日が続く昭和の頃夏の味噌汁の具といえばニロ…
イソヌカカという虫を知ってますか?佐渡島の海府では海ブトとよんでいる小さいくせにこいつにやられると蚊なんてもんじゃない痒さ百倍そしてメンドクサイ指先とかも平気…
秋刀魚とは書くが春刀魚なんて文字はない。 佐渡島に生まれた私はサンマは春から初夏の魚と思ってる。 久しぶりに母から電話。来た来たーバンジョウ。 バンジョウとは…
週末に山にこもっていた福島の白河。 毎日雨と霧それでも合宿は強行視界6メートルどこにグリーンがあるのかまったくわからない標高900メートル天空のゴルフ場とはよ…
佐渡島は海のトレトレの魚と貝そんなイメージで島を訪れる相当新鮮で旨いんだろうなー。確かに旨いものが多いでも地元に親戚があれば別だがお店で提供されるものはよほど…
ムラのはずれにある磯場。 ワシリ(走り)と呼ばれている。 山が走り出たかのような平らな磯場をそのように表現したのが語源らしい。 海府のりスガモ(ハバノリ)銀葉…
居酒屋や割烹の献立に利き酒セットなるものがある。今はコロナ禍の緊急事態宣言下アルコールの提供もできない本当に世の中どうなってしまう。 昭和59年に酒プロデュー…
子供の頃秋から冬になると我が家の食卓にのぼった汁の中で醤油ベースでとろみの付いた汁が時よりでてきていた。 豆腐人参干し椎茸ゴボウが入ってる。 出汁はトビだった…
今朝の日経流通新聞フードのコーナーより。 明太子もたらこの塩漬けも知らなかった昭和40年代我が家の食卓におぞましい禁断の食べ物があった。一口食べたら死んでしま…
私のお昼はお弁当と決めて昨年7月から1年が経ちました。 さすがに色んな方が毎日アップ出来る程の仕上りにはならないまー爺さんがつくるモノだから自分が食べたいもの…
土壁の納屋に牛がいた。昔は農耕の助けは家族親類そして牛であった。どこの家にも牛はいた。小学校2年生のころだから昭和42年頃には一軒また一軒と牛がいなくなった。…
父よりも母よりも家のことをみてきたどっしりしたヤツが今でも現役で頑張っているはず。 叔母が嫁ぐ時に買って実家に残したと聞く。 母が嫁いでからもずっとそれは我が…
今年いくつになるんだろう母は食器が大好きであるそれもコレクターに近いそしてなかなか使わない食器棚は陳列棚瀬戸物屋でもはじめるつもり? 私が贈った京焼もあるう…
さー夏休み! 宿題をもらって来たー!朝顔の鉢もらって来たー!めどくさい名前忘れたノート自由研究絵日記。 さー泳ぐぞー!今年はくらげが多い。 泳ぐのに邪魔になる…
さーこの猛暑が終われば天高く馬肥える秋茸の秋である。ナラタケが正式な名称であるが父や母はそう呼んでいたと思う。イチゴ坂という場所に棚田がありそこに行くにはさほ…
札幌でも連日猛暑が続いている友人が昨日電話してきてこんなこと初めてで北海道がこんなに熱いなんてとぼやいていた。 先月石狩でゴルフをしてきたクラブハウスの植栽…
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2024年4月2日に佐渡島に戻ることにしました。 64歳であちこちガタが来てますが気はまだまだ若いつもり。 北端の村で海はもちろん山野を歩きながら何か珍しいも…
師走に突入した。 雪の年には海苔の量も質もいい昔から母たちはそう口にする。 二酸化炭素Co2の削減地球温暖化という大きな問題が生態系の変化や海水温度上昇ハリケ…
越中バイ加賀バイ大越中バイ秋田バイなど呼び名がいろいろあるバイ貝。 五月から七月前までの梅雨の期間は産卵期であるので味は落ちると言われる。 深い海に棲み夜行性…
昭和43年かと記憶している。海府のでこぼこ道が真っ黒い平らな道になっている。 思わずサンダルを脱いで歩いた。まだあったかい。初めてアスファルトに舗装されたムラ…
その昔お総菜に困ったら豆腐芝居に詰まったら忠臣蔵なんて言われた国民的食品の豆腐。 江戸時代には豆腐百珍などの料理本があるほど古くから親しまれた豆腐生よし煮てよ…
亥の子餅とは旧暦10月亥の日に食べるとされるお菓子。 平安時代の宮中で亥猪餅(げんちょうもち)というお餅を使った儀式が元になっている。 茶道では11月1日の亥…
佐渡にもいい酒を造る熱心な酒造メーカーが散見されますやっぱり地元で飲むとまた格別に旨い! 居酒屋や割烹の献立に利き酒セットなるものがあるデギスタション試飲や試…
確か以前にも綴ったかもしれません鯖にあたってしまった話です。 その日は若い板前がつくったしめ鯖を手土産に家に戻った。久しぶりのしめ鯖と熱燗で夕餉を終えた旨み…
昭和53年の三月に私はへなちょこ板前として(食に関わる生き方)が始まった。父と一緒に上京をした。 悪ガキ三人の巣立ちに父は必ずついて行ったと記憶している本当に…
相模の国足柄山で山姥に育てられた強き男の子。 熊と相撲をとって勝ってしまう怪童と言えば鉞担いだ坂田金時。誰それ?そう金太郎である。 後に源氏の総帥の源頼光の四…
ひと時女性のインナーのCMに寄せて盛るみたいなワードがありました。 今年の佐渡は何やら暖かい。 昭和の頃は11月に入ると霰が降るそして沖合の海に雷ゴロゴロ雪下…
晴れると信じ込んでる文化の日である。 カレーライスとライスカレー一緒なのか別物なのか? 大した問題ではないだろう私のイメージは真ん中にご飯があってその上からま…
昭和53年の4月佐渡島の高校を卒業し東中野の結婚式場で新社会人の料理人として仕事を始めた。 いきなり春の結婚式シーズン2週間のオリエンの後各席セクションに振り…
昭和42年だから私はピカピカの一年生だったと思う。 古い家は母屋と納屋そして牛の小屋鶏小屋そして便所真ん中にはカロ(中庭)があった。 納屋と牛の小屋の間は通り…
昭和の頃には佐渡島の舟小屋には少なからず何個かガラス製の浮き玉(ビン玉)が転がっていたと記憶している。 ロープで網目のように編んで結ばれて床や舟の上に置いてあ…
昭和40年頃。私はといえば小学生。悪ガキ全開の頃である。ムラの沢庵用に干してある大根を木刀の切れ味の試し切りしてこっぴどく叱られるなど悪さのし放題。 その…
村のはずれに小さな小さな小川がある。 二畳ほどのところに芹が自生している。たぶん田圃にも田芹があった気がする。 芹の仲間には毒ゼリというのがあり意識障害などを…
父からの電話。当時の電話はプッシュではないダイヤルを回す真っ黒なタイプ。何やら持ってくるらしい。 2月の極寒の頃であった。夕食も済ませてコタツの四隅に悪ガキ三…
すっかり寒くなった。 こうなると料理屋の献立には魚に寒という文字がつけられる。 寒の鰤寒の鯖寒の鮃寒の鯔(ボラ)寒の鱈などなど何となく脂がのって旨そうに見える…
佐渡島の方言いや海府独特の言い回しなのか今では使わないかもしれないちゃらくらげいな!たぶん漢字で書くとお茶羅家ということになろういい加減ふざけた嘘っぽいなど比…
2024年4月2日に佐渡島に戻ることにしました。 64歳であちこちガタが来てますが気はまだまだ若いつもり。 北端の村で海はもちろん山野を歩きながら何か珍しいも…