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勝鬨美樹
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2020/12/27

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  • 熊野結縁#06/一言主神#02

    「タカマガハラから来た」と自称する一族が、日本列島最初の統一王朝になった。なぜなれたのか? 大きな要素が二つある。そのひとつは近畿地区の平野部の大きさである。九州/中国地方/東海地区を比べても、その作付け可能面積は圧倒的に大きい。自然生産量も列島内で最大なものだったはずだ。そしてもう一つは先進技術である。大半は華人が産み出したものだ。彼らは一歩先んじて、これらの先進技術を保持していた。後発の強みもあるが、渡来後も弛まなく新技術が持ち込めるルートを持っていたのではないか・・僕はそう考えてしまう。 そこに外戚である葛城氏の影を感じてしまう。 もちろん史書はない。あるのは記紀だけだ。ほかの史

  • 熊野結縁#06/一言主神#01

    ぽつぽつと、ひとつずつはぐれた好奇心が、突然予期なく繋がることがある。 僕は奈良にいた。積水さんの仕事だった。いつものようにオフは"時の彼方"をさ迷う出張だった。 そのときは僕の心は「葛城」をさ迷っていた。一言主神と雄略天皇の出会いである。 そのとき一言主神は「古事記」では「我は善言でも悪言でも一言で効験(こうけん)を表す神」と名乗ったという。雄略天皇は畏れて種々の物を献上した。一言主神は喜んでそれを受け,山の入り口まで天皇を見送ったとある。・・記紀には神が現身をもって出現し、人と話をする件(くだり)は、神婚以外ない。その意味でも極めて興味深いエピソードである。(僕は実はこの件は神婚/

  • 熊野結縁#05/古座川のぼり

    買ったばかりだった僕のBMW-R100Rsは、ランディングボジションが素晴らしくて、1000kmくらい連続走行しても全く疲れないバイクだった。同行した友人・拓のKawasakiはそうはいかない。それでも彼は耐えて僕に伴走してくれていた。 遅い夏だった。東名で大阪へ出た後、国道を走った。 日高町に到着したのは夕方だった。東京を出たのは、まだ陽が昇らないころだったのに・・ひたすら走っても、道は続く。ひたすら続く。 休むことなくひたすら走るオートバイ旅行は、ある種、動的な禅だと思う。心を雑念から切り離し、空と道だけにする。そして周囲を走るパイロン(四輪車のこと)たちの動向だけに気を向ける。だ

  • 熊野結縁#04/岩橋千塚古墳

    僕が和歌山市に入ったのは、リゾート博が始まる前の年だから1993年だったと思う。訪ねたのは土砂採掘現場だった下津町である。一週間ほど滞在した記憶がある。仕事は・・結局成立しなかった。客先予定だった松下はあまりにも日本的な企業体質でウチとはすり合わせが如何ともし難かったからだ。間を取り持ってくれた大倉商事も、最後は匙を投げた案件になった。 でも僕自身は、わりとエンジョイした。 紀の国を訪ねるのは10年ぶりだった。以前訪ねたのは熊楠の生家と熊楠の軌跡を追うために日高川町を訪れた時だ。 まだ阪和自動車道はなかったし「特急くろしお」もなかった。その時の足は、買ったばかりのBMW-R100Rsだ

  • 熊野結縁#03/紀北紀中紀南

    となると・・やはり徳川一族が見た紀北・紀中・紀南を俯瞰的に習ってみるのが順当なように思う。 書いてみる。 紀北は紀の川を中心に栄えた。和歌山平野は河口を真ん中に置いて大きく広がる。そしてそのすそ野はそのまま大阪に向けて淡路島を眼前に広がる。古代倭文明の掌である。 倭の民は、紀ノ川を遡り上・中流域に生活と産業の場を広げた。実は同地区には多くの旧石器時代の遺跡がある。そしてそれらは多くの集落はそのまま古墳時代に繋がっている。そして律令による紀伊国分寺は此処に置かれた。それはそのまま荘園時代へ続き、桛田荘/荒川荘など荘園が立ち上がっている。 そして紀ノ川の奥座敷には空海が、高野山に金剛峯寺を

  • 熊野結縁#02/紀州徳川家への疑問

    【徳川家康の十男である徳川頼宣が紀州藩主に封じられたのは元和5年(1619)だった。それまでは駿府藩主を務めていた。家康が死んだのは元和2年(1916)だったから、徳川秀忠のときだ。家康は慶長10年(1605)将軍席を秀忠に譲っている。家康が駿府城に移ったのは、この2年後である。その時の藩主が十男・頼宣である。頼宣は5歳だった。母は万。勝浦城主・正木頼忠の娘である。 徳川頼宣は紀州に赴いたのは17歳の時である。・・なぜ直系を紀州に置いたのか? 水軍と水利を説く人は多い。しかしもう一つ腑に落ちない。どう考えても、当時は今以上に山深く、産業が成立しにくい地域だったからだ。だと云って防衛の拠

  • 熊野結縁#01/地の恵みを商うこと

    地の恵みを商いとするとき、我々はどこに結縁を求めるべきなのか・・そのことばかりを考えていた。 そのときふと立ち上がったのが熊野の山深い杜である。神おわす地だ。 神は・・(神なき)仏の理屈をいとも簡単に呑みこむ。法理が/神仏が混ざり合うことに何のためらいもない。もともと神をもたないブッディズム側にも、神仏一体化することに対する抗いは、本来希薄だと思う。ブッディズムは八百万の神おわしますヒンドゥーの中に生まれた新興宗教だからだ。 ガリアの地(欧州)を彷徨しているとき、僕は何度も神仏一体(この場合、仏はキリスト教の神である)に触れた。ガリアの神は、キリストの神を呑みこんだ。そしてキリスト教

  • ポリマーとファイバーグラスで作られた「懐かしさ」はいらない

    日本昨今50年の激変は世界の500年に準ずる。 500年は言い過ぎだろうか・・しかしそういいたくなるほど隔世の感があるのは、僕の幼少期の風景が殆ど完膚なまでに消え去っているからだ。 日本文化は堆積しない。それが欧州文化との決定的な差だ。根こそぎ消えてしまう。人々の営みの跡、苦悩と歓喜のあとを訪ねて出かけても、有るのは行政が作ったプレート看板一つだったりする。何も往時の人々の心の動きをまさぐる手立てもないことが多い。その潔さが、おそらく日本の文化の特性なんだろう・・と僕は思う。しかし・・この50年である。この50年は、それがよりディフォルメされ列島を席巻した・・少なくとも東京では・・下町

  • 湯豆腐で わかるかかあの ありがたさ

    60まで、さ迷うのが人生のような生き方をしてきて、家にいないときは全てホテルの中だけで、生活に必要なものは済ませてきた。勢い食事もその延長線で、自炊なんてもンは前職時代も前々職時代も、一度もしなかった。 ・・考えてみると、70年間一度もしてない・・ だから前職時代は、東京出張のときだって、いつもホテル暮らしだったんが・・PCが二台も三台も同時使用せざるを得なくなってきて、致し方なくアパートなるものを借りるようになった。 で。冷蔵庫を置いた。もちろん中に入っているのは飲み物だけ。グラスはない。ワインはいつもラッパ呑みだし、コーラ類もラッパ呑み、コップなんかいらない。ウィスキーはペリエの瓶

  • 八重洲地下街にある「Bubby's」

    天気がいいから散歩に出た。 マロニエ通りをそのまま有楽町に向かって歩いた。人の流れは完全にもとに戻ってるね。でも全員マスクしてる。 こんな近未来を誰が予測したか?まるで三流のSF映画を観てるような気分になった。 「きっと世界中だれもマスクしなくなっても、日本人はし続けるだろうな・・」と僕がボソッというと 「日本人は潔癖だから」と嫁さんが言った。 そうかな??んん、そうなのかな・・そう思ったけど言い返さなかった。そのままガードを越えてDNタワー21まで歩いてお堀端まで出た。 第一生命ビルは何年か前にご招待いただいて6階を見学させていただいた。はじめて訪ねたところだったけど、はじからはじ

  • ゆく水や 何にとゞまる 海苔の味#06

    浅草海苔から始めて、海草のことにまで話は取っ散らかっております(^o^)最後は昆布で締めたい。昆布〆です。 昆布/和布などを食用とするのは、東北アジアで始まったものです。 日本人は神事にも昆布を使います。このことだけでも昆布の意味の重要性は分かる。 昆布は漢籍です。KUNBUと発音します。漢方(中医)で使用される言葉で本草学が由来です。「名医別録」の中に「昆布。味は鹹、性は寒。無毒。十二種の水腫、癭瘤、聚結気、瘻瘡をつかさどる。東海に生じる」とあります。海蒿子あるいは羊栖菜(いずれも海藻)と併用されると、より効果があるとされています。 https://www.amazon.co.jp/

  • 黒海の記憶#15/商いの道・北海岸

    アゾフの海にはまだ一度も訪れたことがない。クリミア半島を含めて黒海の北海岸未踏のままだ。海の恵み豊かに地で此処で獲られた魚は塩漬けにされて2000年以上前からアナトリアへ、バルカン半島へ送られているという話は聞いている。しかし、その市場には立っていない。・・未踏のままアゾフ海の話を進めたい。 アゾフ海は、黒海北部にある湾入でクリミア半島とクバン川三角州低地に囲まれて奥深い海だ。ケルチ海峡によって黒海とつながっている。平均水深 9mで最深部でも約14mしかない。そのため漁果は豊かだ。チョウザメ/カワカマス/コイ/ボラ/ニシンなどが獲れる。流れは黒海と同じで時計の逆回りである。そのため、

  • ゆく水や 何にとゞまる 海苔の味#05

    さて。浅草海苔以前の「食としての藻・海草」の類を見つめてみると、中華のように神仙思想からくる利用を外して、純粋に「食糧」という位置づけで考えると・・なかなか探る資料がなくて難渋する。 考古学的な視野から入ると、東京都北区にある「中里貝塚(縄文中期)」愛知県知多半島にある「松崎遺跡(古墳時代後期)」で発掘された土器から葉上性微小員類や珪藻などの微化石が発見されているが、他には出土の例がない。島根県の猪目洞窟遺跡。高知県の竜河洞遺跡。青森県の亀ケ岡遺跡などからも発掘されたといわれているが何れも証拠資料は未解決のままである。残念ながら、縄文人/弥生人がしたと確証できる絶対年代の測定が可能な乾

  • ゆく水や 何にとゞまる 海苔の味#04

    ところで「Nature」2010年4月7日号にRoscoff研究所の生物学者Jan-Hendrik Hehemann氏によるZobellia galactanivorans(ゾベリア・ガラクタニボランス:一般的な海洋細菌)についてのレポートが載っている。 https://www.nature.com/articles/nature08937 実は、海藻類は腸内に入っても分解しにくい。板海苔もそうだ。 同氏はこのレポートで「海洋細菌の中で、藻細胞壁の分解を行なう酵素を特定した」と発表している。そして「この酵素が見つかる場所は1つしかない。それは日本人の腸に見られる細菌の中だ」と書いている

  • ゆく水や 何にとゞまる 海苔の味#03

    浅草紙という。江戸時代に浅草山谷付近で生産された再生紙のことだ。原料は、吉原や浅草あたりで使用された和紙だった。浅草紙はこれを漉き返して作った紙だ。大抵は灰色で黒保と呼ばれていた。漉き返し前に石灰水で蒸解し直したものは白保と呼ばれていた。製法は一般的な和紙と同じで、一枚ずつ丁寧に作る。鼻紙や落し紙として江戸市中で広く使われていた。佐藤信淵の「経済要録(1827)」に「江戸近在の民は、抄(返し紙を製すること、毎年十万両に及ぶ」とあるからその需要は相当なものだったようだ。 その技術をそのまま干し海苔に転用した者が現れた。元禄年間直前・元和元年(1615)である。大森の海苔製造漁師・野口六

  • ゆく水や 何にとゞまる 海苔の味#02

    【いわゆる僕らが知ってい薄い乾燥海苔は「板海苔」という。基本形は縦7寸横6寸が本寸法、全形という。これを10枚合わせて1帖。うちの年寄りどもは「焼きのり」と言っていた。そういや、佃の叔母は裏表を煩く言ってたことを思い出した。海苔は簀に貼って乾かすが、もう片面は刷毛を使って撫ぜる。その刷毛跡が残るのだ。 「焼くときゃね、表を焼くんだよ。間違って裏から焼くと焦げ目ができるからね」と言ってたな。 ・・この稿を書きながら、気になってキッチンから山本山のいただきもンの箱を開けてみた。 ん~たしかに、裏表はあるな。真っ黒で裏表のない奴だと、勝手に思い込んでた。海苔見ながら、しきりに感心している僕を

  • ゆく水や 何にとゞまる 海苔の味#01

    元佃から佃島に渡る橋が、佃小橋。僕の記憶ではその袂(たもと)まで都バスが来ていた記憶があるんだけど・・勘違いか。 僕の生家は元佃側だったから、日の出湯(銭湯)へ行くにはいつも佃小橋を渡っていた。それを真っつぐ進むと、どん詰まりが佃の渡し、だ。 この佃小橋。子供のころには、ちっとは大きい橋に思えたンだけど・・いまみると、その名の通り小さい。元佃側右に公衆トイレが有って(写真に写ってる)左側はちょいと広場になっていた。ここに干し海苔作りのころ・・冬の始まり頃になると、一尺程度の四角い葦簀に漉いた海苔を貼った木の板が幾つも並んだ。天日で乾燥させてた。子供のころには普通にあった景色だ。

  • 銀座すみれラウンジ/グランブルー

    銀座すみれラウンジ/グランブルー

  • 甲州ワインの謎#15/✡甲州ワイン2000年の感傷旅行#02 A Sentimental Journey Through 2000 Years of Koshu Wine

    何回かお話ししていますが、ブドウ果汁がワインになるための適正な糖度があります。そのピンポイントのような糖度で酵母はすべて自分作ったアルコールで死滅し、果汁の中の糖はすべてアルコールに変わるのです。このピンポイントのような糖度を持つ葡萄の木ですが、実は「種」からは作れない。枝を折って植えなければできない。つまり、ワインのための葡萄の木は、ノアが箱舟に乗せて運び、そしてアララトの麓に植えた"あの葡萄"の木そのものだということ。その枝を折って次から次へ拡散したものだということ・・これをアタマに入れておかないと、ワイン話は最も重要な視座から外れてしまいます。 もちろん「ノアなんぞ、神話だろ」

  • 甲州ワインの謎#14・番外/スースの葡萄模様のモザイク#02

    館内は静謐だった。何もかも止まっているようだった。来館者はまばらだった。古いカスバを改装した美術館だった。 「ここのモザイクはチュニスのバルド国立博物館に継いで世界で二番目にコレクションが豊富なんです」Jが言った。「古いものはフランスのPierre Cintasが集めたものが中心です」 「ピエール・シンタス?」知らない人の名前だった。 「Jean Cintasと一緒で、兄弟そろってチュニジアの考古学者です。どちらかというとアマチュア色の強い学者です。フランスには多いタイプの考古学者です。Tebourbaの発掘なんかで有名な人です。ここにあるコレクションはシンタスがスースのトフェットとバ

  • 甲州ワインの謎#13・番外/スースの葡萄模様のモザイク#01

    そのとき、パリにいた。ハードネゴだったから一緒にいたのは通訳のフランス人と僕、そしてコーディネーターだった。仕事が思いのほか順調に片付いて時間に余裕ができた。いつもなら次の仕事に向けて、さっさとシンガポールへ戻る。でもその時にコーディネータが、最後の晩の会食の席で「マイクさんは西洋史に造詣が深いと伺っているのですが」と言われたのだ。 「いや気紛れに色々観て歩いてるだけだよ」と僕が返事すると、彼が笑った。「もしよろしければ、今回のお礼ということで、どちらか行かれてみたい場所がございましたら、弊行で手配いたしますが・・いかがですか?」 僕は即答した「スース博物館」彼は戸惑った表情をした「

  • 僕のベトナム戦争/僕のマンハッタン:

    大幅加筆しました。 「僕のベトナム戦争/僕のマンハッタン: 1970-1990」 僕のベトナム戦争/僕のマンハッタン: 1970-1990 www.amazon.co.jp 300円 (2022年05月17日 00:31時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する 本文「サイゴンのクリスマス/クラブ・トゥゾー」より 僕が最初にサイゴンを訪れたのは1970年のクリスマスだった。アメリカから戦場へ慰問に来る某有名歌手のバックバンドとしてKOZAから戻った直後に横田で雇われて、そのまま輸送機に乗せられた。

  • おはぐろ蜻蛉: 東京日和

    facebook勝ち散らかしおまとめ版 「おはぐろ蜻蛉: 東京日和」ですが4つめを出しました。 おはぐろ蜻蛉: 東京日和4つめ www.amazon.co.jp 300円 (2022年05月17日 00:27時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する 本文「蕎麦は身の丈に有ったものが良い」から 寿司屋の勘定は一万円perPだと思ってる。御あいそに「五万也」なんぞと書いてあると、寿司なんて重さから言ったって米90%に魚10%だろ。俺は米に4万5千円払うのか?!と思っちまう。娘に言わせると「料理1万円

  • 甲州ワインの謎#12/甲州ワイン2000年の感傷旅行

    ✡A Sentimental Journey Through 2000 Years of Koshu Wine 秦氏と共にユダヤ人が渡来したのではないか?という妄想話をしてます#^o^# 客観的な証拠はない。らしい話を繋ぎ合わせているだけです。そうしながら勝手に「かもしれない・・いやきっとそうだろう」と言ってるだけです。ファインマン先生が言うところの「パーティ哲学者」というやつですね。これとこれを繋ぐと‥どうだ?ありそうな話になるだろ・・というやつ。 でもですね、ウェゲナーだって、その辺から話を始めたわけですし、トロイを見つけてひと財産稼いだシュリーマンだってそうです。僕の場合、別

  • 無辜の民を救え!!

    岸田君、検討の時ではないよ。今すぐ指導者としての判断で北朝鮮を助けなさい。姑息に惑わず、そのくらいの漢(おとこ)としての気概は見せなさい。 いまこの瞬間、コロナで亡くなっている人に「拉致だ・ミサイルだ」は関係ない。命は救いなさい。もしそれに報恩がなくても・・救いなさい。 北朝鮮でコロナ発生受け…ワクチン供与・援助などの対応検討へ 韓国 北朝鮮で初めて新型コロナの感染者が確認されたことを受け、韓国の新政権もワクチン供与や援助などの対応を必要に応じ今後検討し news.tv-asahi.co.jp

  • 消費税を一時的に撤廃すればいい

    日本の近未来に近しいものを僕は戦後の英国の凋落に見ます。英国は先の大戦を消化するために大量の戦時国債を発行した。そして戦後は、そのデカい荷物のために青息吐息した。日本は、サブプライム破綻が原因で堕ちこんでしまった米国経済を支えるためにアベノミクスを実行した。そしてその膨大な負債を背負って、いま・・英国と同じ道を進んでいます。 資源価格の上昇は世界共通です。世界のいずれの国も物価(CPI)が上昇しています。しかし日本は2.6%と、米国より4.7ポイントも低いのです。(以前書いたように、これだけ金利格差があると円は徹底的に売られ、ドルに変わります。つまり円安はより加速する)理由は極めて簡

  • 黒海の記憶#14/商いの道・黄金の羊の毛皮

    アルゴナウタイArgonautaiが示すのは、黒海東海岸奥地に、山河から豊富な金を産出する地があるということである。 黄金の羊の毛皮を求めてアルゴ号で航海に出たイアーソーンは、リオニ川を遡りコルチス(現クタイシKutaisi)でそれを手に入れた。ギリシャ神話の多くは史実を孕んでいる。この冒険譚も、ベースとなるべき交易がギリシャ人とコルキス人の間で行われていたということの間接証明だと言えよう。・・それが僕らが(シュリーマンのように)ギリシャ神話に心ときめかす理由だろう。同地に、人々の魂の残滓を求めて旅する・・理由だろう。 ギリシャ人は、黒海の奥に神界があることを語る。僕らは、それが遥か

  • 黒海の記憶#13/商いの道・東海岸

    現グルジアの中央部を東西に走るリオニ川を使ってコーカサスの奥深くから様々な黒海海岸へ運ばれ、これらはリオニ川河口の街ファシス(現ポティPoti)に持ち込まれた。ファシスはミレトスの植民都市だった。紀元前7世紀の終わりごろにテミスタゴラスThemistagorasが率いるミレトスの入植者が交易を目的として作った町だ。現在でもグルジア国内で産出するマンガン/トウモロコシ/材木/ワインなどは、同地へ運ばれて輸出されている。いまでも同地は、グルジア有数の貿易都市である。 ギリシャ人たちの時代でも、その取扱品目は、鉱物であり麻であり木材だった。そして特筆すべきは、遙か彼方のインドなどからも様々な

  • しゃり粒を 数えたくなる 数寄屋橋#03

    勝どきサンスクエアの2階にある「直すし」さんに、嫁さんと行った。僕が好きな"まっとう”な寿司屋だ。 チョロチョロと姑息なお造りはない。ちゃんと寿司をいただける店だ。こういう店はムカシは普通にあったんだけどなぁ。板前について、頂いたおしぼりで手を拭いていたら嫁さんが言った。 「うちで、お寿司のことあんにゃもんにゃ言うのはあなただけよ。子供たちも私も、お寿司大好きよ」 「いやいや、僕だって嫌いじゃない。ただね、色々おまけがくっついてくるのと、平気でオスマシが出てくるのが納得できないだけさ。直さんみたいに赤だしじゃないと、いかん。サラダとかサーモンとか、江戸前に泳いでないものはなるべく遠慮し

  • しゃり粒を 数えたくなる 数寄屋橋#02

    ところで"鮨"は漢籍である。中国最古の類語辞典「爾雅」にその言葉を見ることができる。発音は"yìイー"だ。同じく"鮓"も漢籍だ。こちらは後漢末に劉熙が著した辞典「釈名」の中にその名がある。発音は"zhǎヂアー"だ。 ここで云う"鮨"とは、魚でつくった塩辛のことで"鮓"は魚を使った漬物のことを指す。別物だ。しかし三国時代の魏の張揖が編纂した辞書「広雅」を見ると「鮨は鮓なり」としている。東晋の郭璞が編纂した辞書「爾雅注」でも同じ説明をしている。どうやら中原の人々にとって、鮨も鮓もそれほどスタンダードな食べ物ではなく、南方の地方食だったようだ。してみると日本へ伝わったのも、中原からの渡来人

  • しゃり粒を 数えたくなる 数寄屋橋#01

    僕はあまり"食"としての寿司を選ばない。「行こう」と言われない限りは行かない。寿司屋に行くなら日本料理屋に行く。 嫌いじゃないよ。行けば、白身/貝類を中心に食べる。それで一緒に食べるのはガリだけ。ほかのニギヤカシはいらない。 どうも最近、寿司職人だか寿司調理人だかわからないシトが増えて、寿司屋に行ったんだか日本料理屋に行ったんだかわからなくなってる。・・だったら普通に日本料理屋へ行く・・と思ってしまうのです。 それとあのシャリの大きさ。なんであんなに小っちゃくなったの?この間、娘の馴染みの寿司屋に行って、じっくり寿司を見つめながら思ったんだ。寿司って、上に乗っかってる魚20%でシャ

  • 夜郎自大

    史記・西南夷伝を見る。昔、中国の西南地方に夜郎という国があった。辺境の地にあったが時の勢いを得て隆盛を誇った。BC200年後半、前漢武帝が使者を送った。王は慢心していた。なので使者に「夜郎と漢とどちらが大か」と尋ねた。ここから「夜郎自大」の諺が生まれた。 日本の話ではない。故事だ。 「そこそこの隆盛が慢心をもたらす」そしてその慢心は、判断の基準をまま「好悪」に導く。 好悪に置くから嫌いなものは正鵠に見ない、徹底的に欠点だけを探して、その積み重ねから過小評価する。そして小児的ラジカルに陥いるのだ。 プーチンもうすぐ失脚話/中国経済失速話の大半が、これだ。日本の外交が、四方に目を配らず

  • 黒海の記憶・番外/ウードゥルのアララト#04

    群青という言葉は大海原のためにあるんだろうが、雲一つないまるで遮るものがない半円の空は「群青」に染まっていた。からからに乾いた空気には舞う水蒸気も塵もなく、目を凝らして見つめれば星の瞬きさえ見えるような空だった。アララト山はその空を背景に在った。在った・・としかいいようのない重さで。 見つめても見つめても飽きない旧神、僕はその姿にノアの姿ではなく、先ず神に命じられて立ち現れた「天」に対比する「地」を/地祇の本性を見たような気がした。アダムの半身を司った"塵"のだ。 ひとしきり近況の報告が終わるとファーティフ/Fは沈黙した。僕は彼の家のテラスにいた。テーブルの上には奥さんが作った料理と

  • 黒海の記憶・番外/ウードゥルのアララト#03

    「俺の家からは、美しいアララトの姿が見える」と言うファーティフ/Fの表情が、微笑みながらも、まるで遠くを見るようだった理由が分かったのは何年も経ってからだった。彼は当時、イスタンブル新市街に拠点を置く彼の会社の近くに、家族と別れて一人で暮らしていたのだ。 「OK、ありがとう。次の訪欧の時にスケジュールを絞り出すよ」僕が言うと彼が大きくうなずいた。 「アララト以外は何も見るものがない街だがな、しかし他では絶対飲めないボガツケレやエキュツゲツュ、カレチクカラスで作ったワインはあるぜ」 「そりゃすごい!」 全てのワインのための葡萄を産み出した、母なる木の直系種だ。 「rakiを作るために植え

  • 【黒海の記憶・番外/ウードゥルのアララト#02】

    「アニスを混ぜるのは防腐効果を狙ってか?」と僕が聞くとファーティフ/Fがニヤリと笑った。 「かもしれないな。しかしどちらかというと常習性だろうな。生理的な常習性はないが、アニスにハマると何でもかんでもアニシードを使いたくなる。葉もそうだ」 「しかしもともと蒸留酒だから、それもかなり高濃度のものだから、本来腐らないと思うんだが」 「おそらく初期のワインを蒸留した酒は、これほど高濃度じゃなかったんだと俺は思うよ。高濃度のアルコールを摂取する習慣は、少なくとも一般的にはなかった。ミトラやディオニッソス信者みたいな邪宗邪教の間ではわからんがな。プラトンも『饗宴』のなかで、ワインは水で割って飲め

  • 【黒海の記憶・番外/ウードゥルのアララト#01】

    アゼルバイジャイのバクーには前職のとき、何回も行った。そのときのコンペチターがトルコ系だった。コンペチターと言っても同じSPCの中に入ったり対立したり、色々な関わり合いをしていたから、あながち犬猿の仲というわけではなく、たまたま同じホテルに泊まったりすると食事に出かける仲だった。ラクウrakuを初めて飲んだのは、彼の薦めだった。 ラクウはワインと同じく葡萄汁から作る。でも蒸留酒だ。アラックや、ギリシャのウーゾと同じ仲間なんだけど、トルコ人はラクウと呼ぶ。印象は・・呑み慣れてるウーゾより野性味ある、という印象だろうか。コンペチターのトルコ人がこれをお湯割りで出してくれた。お湯割りの焼酎

  • 【黒海の記憶#12/商いの道】

    黒海へ繰り出したギリシャ人の商船は、ワイン/オリーブを詰めたアンフォラ、織物、宝飾品を積んでいた。ボスポラス海峡を越えて、黒海に入ると海は数十センチ底も見えない暗黒色で、海流は東に向かって止まることなく流れていた。商船はこの海流に乗った。やがて黒海東海岸北海岸に到着。かれらは、ここで木材、金属製品、雑穀、小麦を贖った。すべてギリシャが交易のみで手に入れていたものだ。 こうした交易が定常化すると、自然に黒海沿岸各所にそのための集積拠点が生まれた。時期的にはBC700くらいからだろうか、幾つもの移植都市が生まれている。南岸のシノベ、コーカサス山麓のディオスクリアス、アビドス、キュジコス、

  • たゆたうは 鴨か鴎か 都鳥

    五月晴れとはよく言ったもンだ。風の優しさが変わった。 東京は四季が未分化しはじめてると云われるけど、まだまだ捨てたもんじゃないと思った午後でした。午後一番まで店のテラスでペコペコとPCを弄ってたんだけど、しまいに厭きて散歩に出た。 散歩ったって、銀座に出ればトンでもない人の群れにぶつかっちまうのは必須だから、そのまま店の前の柳通りから三吉橋を渡った。 昨日、amazon primeで川島さんの「銀座24帖」を観た。中に築地警察が出てくるけど、これはホンモノじゃない。ん~とたしか新佃にあったビルだ。あスこはよく映画のロケに使われたな。謎のGMを追いかけるサスペンスなんだけど、なんど見ても

  • 簒奪の80年#05

    先日のような、日銀/官製金融機関が保持している手持ちのドルを売って円を買い支え続けると、円金利上昇から国債価格は下落へ向かいます。 それがわかっていても、7月の総選挙を恙なく済ませるために、現政権≒日銀は今回のような無理な買い支えを夏までは続けます。 したがって、選挙が自民党勝利で終わったあとが問題です。 すでに130円となった円では(いかに基幹輸入品に援助金をつけようとも)物価の高騰は留まらないまま総選挙まで進むからです。スタフグレーションを力づくで、巨大なツケを残す方法で押さえこんでも(これは国民の為ではない党利党略です)選挙戦を勝ち抜いたとしても、そのタガは選挙後緩みます。 こ

  • ご府外新古細工欄外書き込み/夏の氷#02

    江戸の庶民の暑気払いといゃあ、甘酒・麦湯・飴湯に白玉・ところてんだった。 佃にからむ川柳で、 白魚の あとに生れる 心太 というのがある。 佃島の漁師たちは、白魚漁の季節が終わるとトコロテンをせっせと作った。 トコロテンは、テングサやオゴノリから作るから漁師仕事だったのだ。 これを外商(ぼてふり)が売って歩いた。 「トコロテーンやぁ、てんやっ」と言って売って歩いたというのは先代金馬の噺からの引用だ。 冷やした水に砂糖や団子を入れて「冷やっこい冷やっこい」と売って歩いた外商もいたが、こいつはすぐに温気でぬるまこくなって評判が悪かったらしい。となると甘酒・麦湯・飴湯なんだろうが、夏の麦湯は

  • ご府外新古細工欄外書き込み/夏の氷

    府外新古細工の中で、板橋宿の興隆を支えていたのは加賀藩だったという話をしながら、外様である加賀藩がなぜそこまで力を持ちえたのか、なぜその力を幕末まで持ち続けたのか、の話がいるなぁ~と思った。そう思いながら店のテラスでペコペコとPCを叩いているうちに・・あまりの天気のよさに「んんん、そろそろカキ氷の季節だなあ」と思った。 で、ここからは連想ゲーム。加賀/江戸を4日で駆け抜けた加賀飛脚。その飛脚が夏に運んだ氷。そういや氷献上というものがあった。 加賀の雪をぎっちりと固めて、これを臺に包んで運んだのである。 いつもならここで三田村鳶魚からの引用となるのだが、今日はオテヌキ。記憶を辿ってだけ

  • 簒奪の80年#04

    いまの日本政府/日銀は円売りに耐えられない。そんな話をします。 現在、外為市場では100兆円/日のドル円売買が行われています。この数字が如何ほど脅威か。理解するために2022年度の一般会計総額を思い浮かべてください。107兆5964億円です。つまり同額のドル円売買が、この瞬間も毎日、ほぼ一日で行われているのです。 これが売り越しに走った場合、それを支えるために・・緊急自衛として日銀が現在保有している外貨準備金1000億ドルをすべて注ぎ込んだとして・・先物を支えようとしたとして・・マーケットの1/10しかないこと。これを超える円売りには対応できないのです。これは、はっきりと心に留めておく

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