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2020/12/06

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  • タケちゃん

    今日は、ノブさんがベッドに引きこもり出てこなかった。ので、ひたすらタケちゃんを撮ってみた前脚前脚マズル今日はこれといった話題がないのでこの辺で😅御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。タケちゃん

  • 日本書紀 巻第二十八 天命開別天皇 十六 ・大伴連吹負の策

    日本書紀巻第二十八天命開別天皇十六・大伴連吹負の策この日、大伴連吹負(おおとものむらじふけい)は、密かに、留守司(とどまりまもるつかさ)の坂上直熊毛(さかのうえのあたいくまけ)と、議(はか)り、一、二の漢直(あやのあたい)等にのべて、「我が詐(いつわ)って、高市皇子(たけちのみこ)と称して、數十騎を率いて、飛鳥寺の北の路から出て、營に臨む。乃ち、汝は内応させるように」といいました。既に、兵(つわもの)を百濟の家で繕い、南門から出ました。先に、秦造熊(はだのみやつこくま)に、犢鼻(とくび)だけにさせて、馬に乗せて馳(は)せさせ、寺の西の営中で、俾(にら)み唱えさて、「高市皇子が、不破から至った。軍衆(いくさのひとども)の多くが、したがっている」といいました。ここに、留守司の高坂王(たかさかのおおきみ)及び兵...日本書紀巻第二十八天命開別天皇十六・大伴連吹負の策

  • ノブさんとタケちゃん 仲良し?

    見つめ合う二匹仲良く、くつろいでいるね。微笑ましく見つめるワイ🥰しかし、実状は、タケちゃんの後脚が拒否っている〜そりゃ、一人用の猫ベッドですから結局別々に寝る二匹でした。ちょこっと奈良市鹿バトル中角切りされた鹿VS逃げ回っている鹿角切りされた鹿が、劣勢で、鳴きまくっていました😅それではまた。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ノブさんとタケちゃん仲良し?

  • 日本書紀 巻第二十八 天命開別天皇 十五 ・高市皇子に軍事を授ける ・野上に行宮をおこす ・うけいをする ・和蹔の軍事を検校する

    日本書紀巻第二十八天命開別天皇十五・高市皇子に軍事を授ける・野上に行宮をおこす・うけいをする・和蹔の軍事を検校する既に、天皇は、高市皇子(たけちのみこ)に語って、「その近江朝には、左右の大臣及び智謀(ちぼう)の群臣が、共に定議(ていぎ)している。今、朕には、計り事を與(くみ)する者がいない。幼少の孺子(じゅし)が有るのみ。どうしたらよかろうか」といいました。皇子は、臂(ひじ)をはらい、剣を案じて、奏して、「近江の群臣は、多いといえども、なぜ、敢えて天皇の靈に逆らうというのでしょうか。天皇は独りといえども、則ち、臣、高市は、神祇の靈を頼りに、天皇の命を請け、諸將を引率し、征討いたします。どうして、ふせぐことができましょうか」といいました。天皇は誉めて、手を携(たず)さえて、背を撫でて、「慎んで、怠ることがな...日本書紀巻第二十八天命開別天皇十五・高市皇子に軍事を授ける・野上に行宮をおこす・うけいをする・和蹔の軍事を検校する

  • ねこ日記と主のつぶやき 奈良市グルメ

    最近、いつもワイの足元で眠っていたノブさん。何故か、昨日の夜はやってこなかった。タケちゃんもお布団に入れてください、と言ってこなかった。寂しい😭どうしたんだ、ノブさん、タケちゃん今日は添い寝してくれるかな。ちょこっと奈良市たまうさぎ尼ヶ辻駅の側にある「たまうさぎ」さん。きなこ団子が有名な橿原市の老舗和菓子店「だんご庄」で修行し、唯一独立を許された方が営んでいます。買って気がつく、消費期限の短さ。その日に食べないと〜10本も買っちまった。その日のうちに食べきれるのか?きなこだんご柔らかいお団子が、きな粉をたっぷりとまとっています。さらに、小袋においきな粉が付いていました。ワイ、最初はそのままでいただきました。ほんのり甘く、きな粉の味がダイレクトに感じられました。とても優しいお味。お団子は柔ら...ねこ日記と主のつぶやき奈良市グルメ

  • 日本書紀 巻第二十八 天命開別天皇 十四 ・高市皇子の進言 ・小子部連鉏鉤、帰順する ・駅使を捕らえる

    日本書紀巻第二十八天命開別天皇十四・高市皇子の進言・小子部連鉏鉤、帰順する・駅使を捕らえる二十七日、高市皇子(たけちのみこ)は、桑名郡家(くわなのこおりのみやけ)に遣使(つかわしめ)して、奏して、「御所から遠くに居て、政(まつりごと)を行うのに不便です。宜しく、近いところにいるべきです」といいました。卽日、天皇は皇后を留めたまま、不破(ふわ)に入りました。郡家(こおりのみやけ)に及ぶころ、尾張国司守(おわりのくにのみこともちのかみ)の小子部連鉏鉤(ちいさこべのむらじさひち)が、二萬の衆(いくさ)を率いて帰しました。天皇は、卽ち、ほめて、その軍を分けて、所々の道を塞ぎました。野上(のがみ)に到り、高市皇子は、自ら和蹔(わざみ)から、迎えに参って、便ち奏して、「昨夜、近江朝が駅使(えきし)を馳せて至りました。...日本書紀巻第二十八天命開別天皇十四・高市皇子の進言・小子部連鉏鉤、帰順する・駅使を捕らえる

  • 猫ちゃん日記と主のつぶやき 予想通り

    久しぶりに、冷蔵庫の下をモップで掃除してみた。想像通りノブさんがシュートした、紙くずボールが出てくる出てくる。この後、ノブさんが再び冷蔵庫の下にシュートしたのは言うまでもない。さて、タケちゃんは、新しく購入した、猫ベッドに早速お試し中どうやら気に入っていただけた様子。ただ、やはり安もん。深さが足りず、フィット感がイマイチ。まぁ、どうせタケちゃんのことですから、このベッドもそのうち破壊するに違いない。だから、多少目を瞑ろう。ちょこっと奈良市喜光寺喜光寺(きこうじ)は、奈良県奈良市菅原町にある法相宗の別格本山の寺院。山号は清涼山。本尊は阿弥陀如来。この一帯は菅原といい、菅原氏の治領であったことから「菅原寺」とも呼ばれています。奈良時代の僧・行基が没した地とされています。喜光寺・南大門それではまた。御訪問ありが...猫ちゃん日記と主のつぶやき予想通り

  • 日本書紀 巻第二十八 天命開別天皇 十三 ・東方の驛使の失敗 ・大伴連馬来田と弟の吹負、大皇弟側につく

    日本書紀巻第二十八天命開別天皇十三・東方の驛使の失敗・大伴連馬来田と吹負、大皇弟側につく東の方への驛使(はゆまづかい)の磐鍬(いわすき)等は、まさに不破に及ぼうとしていました。磐鍬がひとり、山中に兵が有ると疑い、後から緩行(かんこう)しました。時に、伏兵が自ずと山から出て来て、藥(くすり)等の後ろを遮りました。磐鍬は、これを見て、藥等が捕らわれたのを知り、則ち、返り逃走しました。僅かながら脱け出すことができました。この時にあたり、大伴連馬来田(おおとものむらじまぐた)、弟の吹負(ふけい)は、時の否を見て、並びに病気と称し、倭の家に退きました。然るに、嗣位(しい)に登る者は、必ず吉野に居る大皇弟(まうけのきみ)であると知りました。ここをもちて、馬来田(まぐた)は、先に天皇に従いました。ただ、吹負(ふけい)は...日本書紀巻第二十八天命開別天皇十三・東方の驛使の失敗・大伴連馬来田と弟の吹負、大皇弟側につく

  • ねこ日記と主のつぶやき ちぇ〜

    あれ?何か、聞こえてくるよ。鳥さんの声だ。お外が見たい。でも、シャッター閉められた。ちぇ〜っ。ちょっと不機嫌になったタケちゃんでした。ノブさんは、猫ベッドでお昼寝寝起きの顔が怖い。ちょこっと奈良市宝来山古墳(垂仁天皇陵)垂仁天皇菅原伏見東陵拝所入り口湟内陪冢(伝田道間守墓)橘?田道間守にちなんででしょうか、近くに植えられていました。ちなみに、垂仁天皇陵ですが、今回はあまりしませんでしたが、春先に訪れた時には、鳥の鳴き声がすごかったです。今回一番気になったのは、壕の側お米と雑草が入り混じったこの場所。どうして、こうなった?こうごちゃ混ぜだと、機械を使えないですよね。どうやって稲刈りするのでしょうか?気になる〜それではまた。御訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきちぇ〜

  • 日本書紀 巻第二十八 天命開別天皇 十二 ・広嶋の暗殺 ・栗隈王の対応

    日本書紀巻第二十八天命開別天皇十二・広嶋の暗殺・栗隈王の対応ここにおいて、磐手は、吉備国に到り。苻(おしてのふみ)を授ける日、広嶋をあざむいて、刀を解かせました。磐手は、乃ち、刀を抜いて殺しました。男は、筑紫に至る時、栗隈王(くりくまのおおきみ)は、符を承り答えて、「筑紫国とは、元より、辺りの賊(あた)の難(わざわい)から戍(まもる)ところ。その城はけわしく高くし、深隍(しんこう)にして、海に臨んで守るのは、どうして、内の賊のためだろうか。今、命を畏(おそ)れ、軍を発したなら、則ち、国を空にすることになる。もし、不意に外から倉卒(そうそつ)な事が有ったなら、にわかに社稷(くに)が傾くだろう。然るが後に、百の臣を殺したとしても、何の益があるだろうか。どうして、敢えて背德(はいとく)するだろうか。すなわち、兵...日本書紀巻第二十八天命開別天皇十二・広嶋の暗殺・栗隈王の対応

  • ノブさんとタケちゃん つぶす

    また、主、僕の写真と撮ってる。うざいあれ?兄貴の尻尾ねえ、兄貴遊ぼうよ俺は、今忙しい。ムキムキ。ゴロゴロ。ねえねえってばがっつり、ノブさんをつぶす、タケちゃんでした。ちょこっと奈良市田道間守と橘の木近鉄橿原線の線路の側に橘の木が植えてありました。田道間守と橘の木垂仁天皇は田道間守に命じ、非時香菓すなわち橘を求めに不老不死の理想郷常世国(中国南部からインド方面に)遣わした。9年後、やっと手に入れた橘の八竿八縵(やほこやかげ)を持ち帰ったが、すでに垂仁天皇は崩御され、嘆き悲しんだ田道間守じゃ墓前で自害したという。その後、景行天皇が田道間守の忠を哀しんで、垂仁天皇陵近くに葬ったとされている。(垂仁天皇陵の周濠内小島)私たちは、この地の里地里山に携わる者として、古の教えを人々に伝えていく一助となればと、ここにひと...ノブさんとタケちゃんつぶす

  • 日本書紀 巻第二十八 天命開別天皇 十一 ・近江朝の謀

    日本書紀巻第二十八天命開別天皇十一・近江朝の謀この時、近江朝では、大皇弟(まうけのきみ)が、東国に入ったと聞いて、その群臣は、悉(ことごと)く愕(おどろ)いて、京内は震え動きました。或いは、遁(のが)れようと東国に入り、或いは、退き山や澤に匿(かく)れました。ここに、大友皇子は群臣に語って、「何を計るべきか」といいました。一の臣が進んで、「謀が遅ければ、後になります。急ぎ、驍騎(ぎょうき)を集めて、それに乗り、跡を逐(お)いましょう」といいました。皇子は従いませんでした。則ち、韋那公磐鍬(いなのきみいわすき)、書直薬(ふみのあたいくすり)、忍坂直大摩侶(おしさかのあたいおおまろ)を東国に遣わしました。穗積臣百足(ほずみのおみももたり)、弟の五百枝(いほえ)、物部首日向(もののべのおびとひむか)を倭の京に遣...日本書紀巻第二十八天命開別天皇十一・近江朝の謀

  • ねこ日記と主のつぶやき 冷えるね〜

    仕事を終えて帰宅。疲れを癒そうと座り込んだワイ。その膝の上に乗るノブさん。ずっと退かない。はっと気がつく。ノブさん、ワイの膝で暖をとっていないかい?猫の寝相で、秋を感じる今日この頃それではまた。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ちょっと覚書数日前ですが、InDeepさんがこのような記事をアップしていました。「新型コロナウイルス感染症とは結局どのような疾患なのか」が中国の研究で結論付けられる。それは100%「血管内皮の機能障害に他ならない」と。ネイチャーに論文が掲載される-InDeep新型コロナウイルス感染症は、血管内皮の機能障害に他ならないですと😳てっきりワイ、風邪の一種と思っていましたよ。しかし、中国の研究者が論文をネイチャーで発表...ねこ日記と主のつぶやき冷えるね〜

  • 日本書紀 巻第二十八 天命開別天皇 十 ・迹太川で天照大神を望拜する ・不破道を塞ぐ ・桑名郡家に宿る

    日本書紀巻第二十八天命開別天皇十・迹太川で天照大神を望拜する・不破道を塞ぐ・桑名郡家に宿る二十六日の旦(あけがた)、朝明郡(あさけのこおり)の迹太川(とおがわ)の辺で、天照大神を望拜(ぼうはい)しました。この時、益人(ますひと)が到り、奏して、「関に置いていた者は、山部王(やまべのおおきみ)、石川王(いしかわのおおきみ)では、ありません。これ大津皇子(おおつのみこ)でした」といいました。便ち、益人を隨えて参り来ました。大分君恵尺(おおきだのきみえさか)、難波吉士三綱(なにわのきしみつな)、駒田勝忍人(こまだのすぐりおしひと)、山辺君安麻呂(やまのへのきみやすまろ)、小墾田猪手(おはりだのいて)、泥部眡枳(はずかしべのしき)、大分君稚臣(おおきだのきみわかみ)、根連金身(ねのむらじかねみ)、漆部友背(ぬりべ...日本書紀巻第二十八天命開別天皇十・迹太川で天照大神を望拜する・不破道を塞ぐ・桑名郡家に宿る

  • ねこ日記と主のつぶやき なるほど〜

    朝の事、暑くて目が覚めました。なんでや〜と、足元を見ると、珍しく二匹揃って添い寝していました。嬉しいけれど、アチ〜🥵今日の二匹ちょこっと奈良市唐招提寺南大門唐招提寺の門唐招提寺の説明掲示板唐招提寺古都奈良のお寺の中でも、唐招提寺は火災などの被害が比較的少なく、創建当初の建物が多く残っています。金堂は奈良時代(780年頃)に建立された現存する唯一の本格的な金堂遺構として、寺院建築の研究にも非常に貴重な存在です。同様に、朝敵から朝集殿を移築した講堂は、現存している唯一の平城京建築例です。日本人僧侶を教育するために、そして国内で仏教をさらに広めるために、聖武天皇が唐から招待した中国人僧侶の鑑真和上が、唐招提寺を759年に建立しました。仏教の導入に鑑真は多大なる影響を与え、唐招提寺における鑑真の教...ねこ日記と主のつぶやきなるほど〜

  • 日本書紀 巻第二十八 天命開別天皇 九 ・伊勢の鈴鹿に到着する

    日本書紀巻第二十八天命開別天皇九・伊勢の鈴鹿に到着する会明(あけぼの)に、莿萩野(たらの)に至り、暫(しばら)く駕(が)を停めて、食事をしました。積殖(つみえ)の山口に到り、高市皇子(たけちのみこ)が、自ら鹿深(かふか)を越えてきたのに遇いました。民直大火(たみのあたいおおひ)、赤染造徳足(あかそめのみやつことこたり)、大蔵直広隅(おおくらのあたいひろすみ)、坂上直国麻呂(さかのうえのあたいくにまろ)、古市国麻呂(ふるいちのくろまろ)、竹田大徳(たけだのだいとく)、胆香瓦臣安倍(いかごのおみあへ)が従っていました。大山(おおやま)を越えて、伊勢の鈴鹿に至りました。ここに国司守(くにのみこともちのかみ)の三宅連石床(みやけのむらじいわとこ)、介(すけ)の三輪君子首(みわのきみこびと)、及び湯沐令(ゆのうなが...日本書紀巻第二十八天命開別天皇九・伊勢の鈴鹿に到着する

  • ノブさんとタケちゃん 仲良し〜?

    今日の二匹仲良し〜🥰、と微笑ましく見守っていた主。しかし、よくよく見ると…ノブさんの後脚が、タケちゃんを拒絶していた。案の定、その後バトルが始まりました。幾つになってもプロレスはやめないのね。今日も可愛い二匹でした。ちょこっと奈良市秋篠川・唐招提寺橋秋篠川・下極楽橋それではまた。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ノブさんとタケちゃん仲良し〜?

  • 日本書紀 巻第二十八 天命開別天皇 八 ・天下が二分する祥

    日本書紀巻第二十八天命開別天皇八・天下が二分する祥卽日、菟田吾城(うだのあき)に到ました。大伴連馬来田(おおとものむらじまぐた)、黄書造大伴(きふみのみやつこおおとも)は、吉野宮から従い、追って至りました。この時、屯田司(みたのつかさ)の舎人の土師連馬手(はじのむらじうまて)は、從駕(じゅうが)の者の食を供えました。甘羅村(かむらのむら)を過ぎると、獵者(かりびと)、二十余りの人が有りました。大伴朴本連大国(おおとものえのもとのむらじおおくに)は、獵者の首(おびと)です。則ち悉く喚び、從駕させました。また、美濃王を徵(め)し、乃ち、参り赴いて、従いました。湯沐(とうもく)の米を運ぶ、伊勢国の駄(においうま)五十匹と、菟田郡家(うだのこおりみやけ)の頭で遇いました。なお、皆、米を棄てて、歩いていた者を乗せさ...日本書紀巻第二十八天命開別天皇八・天下が二分する祥

  • ねこ日記と主のつぶやき

    秋の物アウターを持っていないワイ。急激に寒くなったら大変、としまむらに行き購入してきました。袋を床に置き、買い物した物のタグを外していたらノブさん、やっぱり入るんだ。でもね、レジ袋は危ないんだよ。かつて、実家のネコちゃんが、袋で遊んでいて、うっかり取手から首を出して、自力で脱出できなくなり、パニクって家中走りまわり、壁に激突。怪我をしたことがあるんだよ。というわけで、すぐに袋から追い出しました。今日の二匹昼寝をした猫ちゃんずの横でゴロンと寝転んだら…そのままワイも寝てしまいました😴おかげでやろうと思っていたことを全くできなかった主でした。ちょこっと奈良市秋篠川尼ヶ辻付近より撮影奈良県北部を流れる、佐保川の支流です。それではまた。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになりま...ねこ日記と主のつぶやき

  • 日本書紀 巻第二十八 天命開別天皇 七 ・東国に入る

    日本書紀巻第二十八天命開別天皇七・東国に入るこの日、発途(はっと)して、東国に入りました。事は急で、駕(のりもの)は持たずに行きました。すぐに、県犬養連大伴(あがたいぬかいのむらじおおとも)の鞍馬(くらおけるうま)に遇(あ)いました。よってもって、御駕(ぎょが)し、すなわち皇后は輿に載って、従いました。津振川(つふりがわ)に逮(およ)び、車駕(しゃが)が始めて至りました。すなわち、これに乗りました。この時、元から従っていた者は、草壁皇子(くさかべのみこ)、忍壁皇子(おさかべのみこ)、舍人の朴井連雄君(えのいのむらじおきみ)、県犬養連大伴(あがたのいぬかいのむらじおおとも)、佐伯連大目(さえきのむらじおおめ)、大伴連友国(おおとものむらじともくに)、稚桜部臣五百瀬(わかさくらべのおみいほせ)、書首根摩呂(ふ...日本書紀巻第二十八天命開別天皇七・東国に入る

  • ねこ日記と主のつぶやき お前ら〜

    今日はワイ、お仕事がお休み😆二匹はというと…仲良く二度寝中。そんな、二匹にお留守番をお願いして、ワイは運動不足にならないように、奈良市散策へと出かけてきました。散策終え帰宅。二匹はどんな様子かとみてみたら…二匹は同じ場所で寝ていました。その後も、その後、場所を変えて再び昼寝。天気がいいのにお前らときたら、少しは動かんかい。運動不足ならないかと心配する主でした。ちょこっと奈良市尼ヶ辻駅尼ヶ辻駅(あまがつじえき)は、奈良県奈良市尼辻中町にある、近畿日本鉄道(近鉄)橿原線の駅です。駅周辺には、菅原天満宮、宝来山古墳(垂仁天皇陵)、安康天皇陵、喜光寺、唐招提寺などがあります。散策の様子は、後日ちょっとづつご紹介します。本日はこの辺で御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。...ねこ日記と主のつぶやきお前ら〜

  • 日本書紀 巻第二十八 天命開別天皇 六 ・高坂王に驛鈴を乞う

    日本書紀巻第二十八天命開別天皇六・高坂王に驛鈴を乞う二十四日、まさに東に入ろうとした時、一の臣が有り奏して、「近江の群臣は、元より謀の心が有ります。必ず天下を害するでしょう。則ち、道路を通ることは難しいでしょう。何を、一人の兵徒も無く、東に入りましょうか。臣が恐れるのは、事が就(な)らないことです」といいました。天皇はこれに従って、男依等に返ってくるよう召し出そうと思いました。卽ち、大分君恵尺(おおきだのきみえさか)、黄書造大伴(きふみのみやつこおおとも)、逢臣志摩(あうのおみしま)を、留守司(とどまりまもるつかさ)の高坂王(たかさかのおおきみ)の元に遣わして、驛鈴(えきれい)を乞うようにいいました。よってもって、恵尺(えさか)等に語って、「もし鈴を得ることができなかったなら、すなわち、志摩に還り覆奏(ふ...日本書紀巻第二十八天命開別天皇六・高坂王に驛鈴を乞う

  • ねこ日記と主のつぶやき もうそんな季節?

    昨晩のこと。ワイが寝ていると、誰かが肩をポンポンと叩きました。あ〜もうそんな季節ですか。肩をポンポンとするのは、タケちゃんのお布団に入れてください、の合図です。寒くなってきたもんね。ちなみに、ノブさんは、まだお布団の上で寝ています。そのうち、お布団の中、争奪戦が始まるのかなぁ。ちょこっと奈良市JR奈良駅旧駅舎平成15年まで国鉄奈良駅・JR奈良駅として使用されてきた建物です。昭和9年国鉄奈良駅駅舎として建てられました。現在は奈良市総合観光案内所として活用されています。それではまた。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。にほんブログ村備忘録・雑記ランキングねこ日記と主のつぶやきもうそんな季節?

  • 日本書紀 巻第二十八 天命開別天皇 五 ・不破道を塞ぐように詔する

    日本書紀巻第二十八天命開別天皇五・不破道を塞ぐように詔する六月二十二日、村国連男依(むらくにのむらじおより)、和珥部臣君手(わにべのおみきみて)、身毛君広(むげつきみひろ)に詔して、「今、聞いたところによると、近江朝庭の臣等は、朕を害することを謀っている。ここをもって、汝等三人は、急ぎ美濃国に往き、安八磨郡(あはちまのこおり)の湯沐令(ゆのうながし)の多臣品治(おおのおもほむじ)に告げて、機要(きよう)を示し宣べて、先に、郡で兵を発ち、なお国司等を経(おさ)めて、諸々の軍を発し差(つか)わし、急いで、不破道(ふわのみち)を塞ぐように。朕は今、路を發(た)つ」といいました。・安八磨郡(あはちまのこおり)岐阜県安八郡と海津郡・湯沐令(ゆのうながし)日本の飛鳥時代に置かれた官職で、皇族の領地である湯沐邑を管理し...日本書紀巻第二十八天命開別天皇五・不破道を塞ぐように詔する

  • ねこ日記と主のつぶやき まいったね

    今日はお仕事がお休みでした😆おかげで、お掃除もできたし、夏布団を洗い、冬支度もできました。サッパリした😆今日の二匹今日は、猫ちゃんのおやつにお口内ケアのカリカリをあげました。これで、歯磨きしなくても大丈夫かな?そこで気づいたこと。ノブさんは、カリと齧ってゴックン。歯磨きになって良し👌しかし、タケちゃんは…ぺろ、パク、ゴックン。おい、丸呑みかよ〜😥タケちゃん、虫歯になっちゃうよ〜タケちゃんに関しては、歯磨きしないとダメかな😓ちょこっと奈良市荒池荒池は、水に乏しい奈良公園に明治時代に築造されました。バルブがポツン。それではまた。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。にほんブログ村...ねこ日記と主のつぶやきまいったね

  • 日本書紀 巻第二十八 天命開別天皇 四 ・皇大弟への忠告

    日本書紀巻第二十八天命開別天皇四・皇大弟への忠告この月、朴井連雄君(えのいのむらじおきみ)は、天皇に奏して、「臣は、私事が有り、ひとり美濃に至りました。時に、朝庭は美濃と尾張の両国司に、『山陵(みさざき)を造るため、あらかじめ人夫を定め、つかわすように』と宣べました。則ち、人別(にんべつ)に兵(つわもの)を執らせました。臣が思うに、山陵のためではなく、必ずや有事(ゆうじ)があるでしょう。もし、早く避けなければ、危うくなるでしょう」といいました。或るいは、ある人が奏して、「近江京(おうみのみやこ)から、倭京(やまとのみやこ)に至るまで、所々に、候(うかみ)を置いています。また、菟道(うじ)の橋者(はしもり)に命じて、皇大弟(まうけのきみ)の宮の舍人が、私粮を運ぶことを遮ろうとしています」といいました。天皇は...日本書紀巻第二十八天命開別天皇四・皇大弟への忠告

  • 奈良市をちょこっとご紹介

    今日も奈良市をちょこっとご紹介奈良ホテル明治42年10月に営業を開始したホテル。本館は辰野金吾、片岡安の設計です。美しい建物。泊まってみたい。レトロな建物に人力車が似合います。人力車、一度乗ってみたいものです。今日は、仕事が忙しく、帰宅が遅くなりました。おかげで、猫ちゃんの写真を撮影している時間がありませんでした。本日はこの辺で。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。にほんブログ村備忘録・雑記ランキング奈良市をちょこっとご紹介

  • 日本書紀 巻第二十八 天命開別天皇 三 ・元年三月の出来事

    日本書紀巻第二十八天命開別天皇三・元年三月の出来事元年春三月十八日、内小七位(うちのすなきななつのくらい)の阿曇連稲敷(あずみのむらじいなしき)を筑紫に遣わして、天皇の喪(みも)を郭務悰(かくむそう)等に告げました。ここにおいて、郭務悰等は、ことごとく喪服を着て、三遍(さんべん)し、舉哀(きょあい)をしました。東に向いて稽首(けいしゅ)しました。二十一日、郭務悰等が、再拜して、書函(ふみばこ)を進め、信物(くにつもの)を献りました。 夏五月十二日、甲冑弓矢を郭務悰等に賜りました。この日、郭務悰等に賜ったものは、総じて合わせて、絁(ふときぬ)、一千六百七十三匹、布、二千八百五十二端、綿、六百六十六斤。二十八日、高麗は、前部(ぜんほう)の富加抃(ふかべん)等を遣わして、調(みつぎ)を進めました。三十日、郭務悰...日本書紀巻第二十八天命開別天皇三・元年三月の出来事

  • ノブさんとタケちゃん うっかり

    うっかり。保護主さんに、一年に一度、タケちゃんの近況を報告をする約束をしていたのですが、うっかり。忘れていました💦気がついたら、タケちゃんがうちにやってきて2年が過ぎていました。記念日を忘れるとは😅急ぎ、保護主さんに近況を報告しました。来年は忘れないようにしないとね。今日の二匹ちょこっと奈良市遣唐留学生阿倍仲麻呂公の礎(春日大社境内)天の原ふりさけ見れば春日なる御笠の山にいでし月かもそれではまた。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ノブさんとタケちゃんうっかり

  • 日本書紀 巻第二十八 天命開別天皇 二 ・天智天皇に後事を託されるも固辞する。 ・出家し吉野へ行く

    日本書紀巻第二十八天命開別天皇二・天智天皇に後事を託されるも固辞する。・出家し吉野へ行く四年冬十月十七日、天皇は、病に臥しました。痛みは甚だしいものでした。ここにおいて、蘇賀臣安麻侶(そがのおみやすまろ)を遣わして、東宮を召して、大殿に引き入れました。時に。安摩侶(やすまろ)は、素(もと)より、東宮と好(よしみ)でした。密かに、東宮に顧みて、「意して、言ってください」といいました。東宮は、隠された謀があることを疑い、ここは愼(つつし)みました。天皇は、東宮に勅をして、鴻業(あまつひつぎのこと)を授けようとしました。乃ち、これを辞譲(じじょう)して、「臣は、不幸にして、元々多くの病をもっています。何を、よく社稷を保つことができましょうか。願わくは、陛下は、天下を挙げて、皇后に附けてください。なお、大友皇子を...日本書紀巻第二十八天命開別天皇二・天智天皇に後事を託されるも固辞する。・出家し吉野へ行く

  • ねこ日記と主のつぶやき

    本日は、お仕事がお休み😆久しぶりにゆっくりとできました。今日の二匹枕に頭をのせて寛いでいたタケちゃん。最近、タケちゃんの中身は、おっさんが中に入っているのではないか、と思う今日この頃。ちょこっと奈良市宇奈多理坐高御魂神社奈良市法華町にある神社です。平城宮跡の東端部、「東院庭園」に隣接。創建年代は不詳。本殿は室町時代の遺構を残し、三間社、流造、檜皮葺で、国指定の重要文化財です。御祭神高御魂尊天太玉命思兼命厳かで、かなり良い神社です。ただ、神門は通常閉鎖されており、門が開かれるのは毎月1日と15日のみです。本日はこの辺で。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ねこ日記と主のつぶやき

  • 日本書紀 巻第二十八 天命開別天皇 一 ・出自

    日本書紀巻第二十八天命開別天皇一日本書紀巻第二十八天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)天武天皇(てんむてんのう)・出自天渟中原瀛真人天皇は、(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)(渟中は、これ農難(ぬな)といいます)天命開別天皇(あめみことひらかすわけのすめらみこと)の同母弟です。幼いころには、大海人皇子(おおあまのおうじ)といいました。生まれながらにして、岐㠜(いこよか)なる姿あり、及び壯(さか)んになると、抜きん出て雄(まさ)っており、神武(じんぶ)でした。天文(てんもん)や遁甲(とんこう)が、能(よ)くできました。天命開別天皇の女の菟野皇女(うののひめみこ)を納て、正妃としました。天命開別天皇元年に、東宮に立ちました。・いこよか生まれつき、しっかりしていて立派なさま。...日本書紀巻第二十八天命開別天皇一・出自

  • ねこ日記と主のつぶやき

    今日は、お仕事が早く終わったのでいつもより早く帰宅できました😆ノブさんとタケちゃんといつもより、長くいられて幸せな1日でした🥰ちょこっと奈良市重要文化財旧奈良県物産陳列所現在奈良国立博物館仏教美術資料研究センター奈良公園内にあります。和洋折衷の洋館。好きです。一度見学してみたいものです。それではまた。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ワイが最近、あれ?っと思ったことを覚書胡散臭い呟きなので、興味のない方は無視してください。・春先に春日大社に参拝に行ったら、春日さんの鎮守の森の木の葉っぱが、ハラハラと散っていたこと。ワイは農村部の出身で、森が遊び場でした。春先に枯葉が舞うなんて初めてみました。・他のブロガーさんの薔薇の写...ねこ日記と主のつぶやき

  • 日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 二十六 ・崩御

    日本書紀巻第二十七天命開別天皇二十六・崩御二十四日、近江宮で災がありました。大蔵省(おおくらのつかさ)の第三の倉から出ました。二十九日、五の臣は、大友皇子を奉じて、天皇の前で盟(ちか)いました。この日、新羅王に、絹五十匹、絁(ふとぎぬ)五十匹、綿一千斤、韋(なめしかわ)一百枚を賜りました。十二月三日、天皇は近江宮で崩じました。十一日、新宮で殯(もがり)をしました。この時、童謠はいう、 み吉野(えしの)の吉野の鮎(あゆ)鮎こそは島傍(しまヘ)も良(え)き苦(くる)しゑ水葱(なぎ)の下(もと)芹(せり)の下(もと)吾(あれ)は苦しゑ その1臣(おみ)の子の八重の紐解く一重だにいまだ解かねは御子(みこ)の紐解くその2赤駒(あかごま)の行(ゆ)き憚(はばか)る真葛原(まくはら)何(なに)の伝言(つてこと)直(ただ...日本書紀巻第二十七天命開別天皇二十六・崩御

  • ねこ日記と主のつぶやき 冬支度

    今日はお仕事がお休み😆ゆっくりしたいところですが、来週の天気予報の気温をみると、一気に寒くなる。これは冬支度をしないとまずい。、ということで、夏物から冬物へと模様替えをしました。ノブさんの下に敷いてある布団は、夏物から冬物へ変えました。これで一気に寒くなっても大丈夫かな。今日は、タケちゃんがヘソ天するほど暑いけどね。気温の変動が激しいです。皆さんも体調にお気をつけて。ちょこっと奈良市長屋王邸跡ミ・ナーラ長屋王邸跡は現在商業施設になっています。それではまた。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ねこ日記と主のつぶやき冬支度

  • 日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 二十五 ・天智天皇10年の出来事 四

    日本書紀巻第二十七天命開別天皇二十五・天智天皇10年の出来事四十一月十日、對馬国司は、遣使(つかわしめ)して、筑紫大宰府に、「月が生まれて二日に、沙門(ほうし)の道久(どうく)、筑紫君薩野馬(つくしのきみさちやま)、韓嶋勝娑婆(からしまのすぐりさば)、布師首磐(ぬしのおびといわ)の四人が、唐から來きて、『唐国の使人の郭務悰(かくむそう)等六百人、送使の沙宅孫登(さたくそんとう)等一千四百人、総じ合わせて二千人が、四十七隻に乗船して、倶に比智嶋(ひちしま)に泊まり、たがいに語り合って、今、われわれの人と船の数は多い、忽然と彼の地に到れば、彼の防人(さきもり)は恐れ、驚駭(きょうがい)して、射って戦うだろう。すなわち、道久等を遣わして、あらかじめ來朝の意を陳べておこう』といいました」といいました。二十三日、大...日本書紀巻第二十七天命開別天皇二十五・天智天皇10年の出来事四

  • ノブさんとタケちゃん

    今日の二匹仲良しな二匹でした。ちょこっと奈良市角切りを逃れ続ける鹿。逃げられるのか?今日は、これといったネタがないのでこの辺で失礼しま〜す。それではまた。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ノブさんとタケちゃん

  • 日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 二十四 ・天智天皇10年の出来事 三

    日本書紀巻第二十七天命開別天皇二十四・天智天皇10年の出来事三九月、天皇は、不豫(ふよ)の疾(やまい)となり,寝込んでしまいました。(或る本は云う、八月に天皇は疾病したと)冬十月七日、新羅は、沙飡(ささん)の金万物(きんまんもつ)等を遣わして、調(みつき)を進めました。八日、内裏で、百佛(ももほとけ)の眼を開けました。この月、天皇は,遣使(つかわしめ)して、袈裟、金鉢、象牙、沈水香(じむこう)、栴檀香(せんだんこう)及び諸々の珍財(めずらしきもの)を法興寺の佛に奉りました。十七日、天皇は疾病が彌留(りう)しました。勅して、東宮を喚び、臥内(おおとの)に引き入れて、詔して、「朕は、疾(やまい)が甚だしい、後の事を汝にまかせる」といいました。云々。ここにおいて、再拜(さいはい)して、稱疾(やまい)であると称し...日本書紀巻第二十七天命開別天皇二十四・天智天皇10年の出来事三

  • ノブさんとタケちゃん おそらく

    今日もお仕事。帰宅が何時になるのかわからないので、おるすばん食器のタイマーをセットして出かけました。帰宅後確認してみると、今日は二つとも完食されていました。今のところ問題なし。しかし、ご紹介したおるすばん食器ですが、レビューを調べてみると、蓋が開かない不具合がある、と書かれていました。ちょっと心配ですが。ワイが購入した物は、きちんと蓋が開いています。今のところ、大丈夫そうかな。今日の二匹仕事が忙しくて、二匹と接する時間が取れない。ちょっと欲求不満です。早くお休みにならないかな。ちょこっと奈良市春日大社の石灯籠和紙が奉祝若宮正遷宮に変わっていました。日向に集まる鹿さんそれではまた。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ノブさんとタケちゃんおそらく

  • 日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 二十三 ・天智天皇10年の出来事 二

    日本書紀巻第二十七天命開別天皇二十三・天智天皇10年の出来事二二月二十三日、百濟は、台久用善(だいくようぜん)等を遣わして調(みつき)を進めました。三月三日、黄書造本実(きふみのみやつこほんじつ)は、水臬(みずばかり)を献りました。十七日、常陸国は、中臣部若子(なかとみのべのわくご)を貢ました。長さは一尺六寸、その生まれた年は、丙辰(ひのえたつのとし)からこの歳に至まで十六年です。夏四月二十五日、漏剋(ろこく)を新しい臺に置きました。始めて候時(こうじ)を打ちました。鍾鼓(かねつづみ)を動かしました。始めて漏剋(ろこく)を用いました。この漏剋は、天皇が皇太子になった時に、始めて自ら製造したものです。云々。この月、筑紫が、「八つの足がある鹿が生まれて、すぐに死にました」といいました。五月五日、天皇は西の小殿...日本書紀巻第二十七天命開別天皇二十三・天智天皇10年の出来事二

  • ノブさんとタケちゃん これはいいかも?

    最近、仕事が忙しく、残業になることもしばしば。となると、猫ちゃんのお昼ご飯が遅くなることが頻繁に😓これは、いかん。そこで、自動給餌器を買うことにしました。近所のペットショップを訪れると、取り扱っていたのは3種類の商品。いきなり高額の品物を購入して失敗するのも嫌だと思い、お試しにと、お手頃価格の商品を購入してきました。ドギーマンおるすばん食器タイマーをセットしておくだけで、決まった時間にフードを与えることができますドギーマン 乾電池式でセットした時間に蓋がパカんと開くタイプです。朝、ドライフードを入れて、蓋を閉めようとしたらノブさんが、フライングして食べてしまった💦当のノブさんは、注意されて、どこかへ消えてしまいました。残るタケちゃんは、セットされたおるすばん食器の前で僕食べ...ノブさんとタケちゃんこれはいいかも?

  • 日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 二十二 ・天智天皇10年の出来事 一

    日本書紀巻第二十七天命開別天皇二十二・天智天皇10年の出来事一十年春正月二日、大錦上の蘇我赤兄臣(そがのあかえの臣)と大錦下の巨勢人臣(こせのひとのおみ)が、殿の前に進み出て、賀正の事を奏じました。五日、大錦上の中臣金連(なかとみのかねのむらじ)に命じて、神事のことを宣べさせました。この日、大友皇子(おおとものみこ)を太政大臣に拝しました。蘇我赤兄臣を左大臣としました。中臣金連を右大臣としました。蘇我果安臣(そがのはたやすのおみ)、巨勢人臣(こせのひとのおみ)、紀大人臣(きのうしのおみ)を御士大夫(ぎょしたいふ)としました。(御史はおそらく今の大納言でしょうか)六日、東宮太皇弟(ひつぎのみこ)は奉宣(みことのり)して、(或る本は云う、大友皇子が宣命(みことのり)をしたと)冠位(かうぶりくらい)、法度(のり...日本書紀巻第二十七天命開別天皇二十二・天智天皇10年の出来事一

  • ねこ日記と主のつぶやき

    今日は、お仕事がお休みなので、お出かけをしておりました。そのため、更新が遅くなりました。今日の二匹ベッドの一階で寛ぐノブさんベッドの2階で寛ぐタケちゃんどんなに狭い家でも、一定の距離を開けるようになった二匹でした。ちょこっと奈良平城京跡歴史公園・復元遣唐使船と駐車場修学旅行のシーズンです。駐車場に観光バスが沢山並んでいました。学生さん、楽しんでくださいね。それではまた。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ねこ日記と主のつぶやき

  • 散策日記・三ノ輪駅周辺

    鷲神社を参拝した後は、国際通りを北上して三ノ輪駅方面に向かいました。三ノ輪駅三ノ輪駅は、東京都台東区三ノ輪二丁目にある、東京地下鉄(東京メトロ)日比谷線の駅です。三ノ輪駅の近くにある浄閑寺を訪ねました。浄閑寺浄閑寺(じょうかんじ)は、東京都荒川区南千住にある浄土宗の寺院。山号は栄法山。投込寺(浄閑寺)説明書き投込寺(浄閑寺)浄閑寺は浄土宗の寺院で、栄法山清光院と号する。安政二年(一八五五)の大地震の際、たくさんの新吉原の遊女が、投げ込み同然に葬られたことから「投込寺」と呼ばれるようになった。花又花酔の川柳に、「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と詠まれ、新吉原総霊塔が建立された。檀徒の他に、遊女やその子供の名前を記した、寛保三年(一七四三)から大正十五年(一九二六)にいたる、十冊の過去帳が現存する。遊女の暗...散策日記・三ノ輪駅周辺

  • 日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 二十一 ・天智天皇9年の出来事

    日本書紀巻第二十七天命開別天皇二十一・天智天皇9年の出来事九年春正月七日、士大夫(まへつきみ)等に詔して、宮門内で大射(おおきにゆみいる)をしました。十四日、朝庭の礼儀と行路(みちゆきびと)の相避を宣べました。また、誣妄(ふぼう)と妖偽(ようぎ)を禁断しました。二月、戸籍を造りました。盜賊と浮浪(うかれびと)を断じました。この時、天皇は、蒲生郡の匱迮野(ひさのの)に幸して、宮地を観ました。また高安城を修めて、穀(もみ)と塩を積みました。また、長門城一つ、筑紫城二つを築きました。三月九日、山御井(やまのみい)の傍らで、諸々の神の座を敷いて、幣帛(みてぐら)を班(わ)け、中臣金連(なかとみのかねのむらじ)が祝詞(のりと)を宣べました。夏四月三十日の夜半之後(あかつき)に、法隆寺で災となりました。一つの屋すら余...日本書紀巻第二十七天命開別天皇二十一・天智天皇9年の出来事

  • ねこ日記と主のつぶやき

    今日は、菅原天満宮のお祭りだったようで、家族が写真を送ってくれました。3年ぶりの開催とのことです。無事開催されてよかったですね。しかし、あいにくの雨。ビニールに包まれてお神輿がどのような姿なのかわからない。ちょっと残念😔今日の二匹今日も可愛い二匹でした。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ねこ日記と主のつぶやき

  • 散策日記・千束周辺

    台東区立山谷堀公園を散策した後は、かつて新吉原があった千束周辺を散策しました。見返りの柳見返りの柳説明書き見返り柳台東区千束四ー一〇ー八旧吉原遊郭の名所のひとつで、京都の島原遊郭の門口の柳を模したという。遊び帰りの客が、後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、この柳のあたりで遊郭を振り返ったということから、「見返りの柳」の名があり、きぬぎぬのうしろ髪ひく柳かな見返れば意見か柳顔をうちなど、多くの川柳の題材となっている。かつては山谷堀脇の土手にあったが、道路や区画整理に伴い現在地に移され、また、震災・戦災による焼失などによって、数代にわたり植え替えられている。平成八年七月台東区教育委員会よし原大門新吉原説明がき新吉原明暦の大火(1657年)後に、日本橋にあった元吉原から浅草北部の農村部に移転してきたことにより、新吉...散策日記・千束周辺

  • 日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 二十 ・天智天皇8年の出来事 二

    日本書紀巻第二十七天命開別天皇二十・天智天皇8年の出来事二冬十月十日、天皇は、藤原内大臣の家に幸し、自ら患ったところを問いました。しかし、憂悴(ゆうすい)が極めて甚だしく、すなわち詔して、「天の道が仁(めぐみ)を輔けるとは、虛說(いつわりこと)であろうか。善を積み、慶があるが、なおこれは、徵(しるし)ではない。もしなすべきことがあるのなら、すぐに聞いておこう」といいました。答えて、「臣はすでに敏くありません。また、言うべきことなどありません。ただ葬事のことは、よろしく、軽易に用いていただけますよう。生きている間は、軍国(おおやけ)の務めは、ありませんでした。死んでから何故に、敢えて重ね難しくすることがありましょうか」といいました。云々。時の賢いものはそれを聞いてほめて、「この一言は、ひそかに、往来の哲の善...日本書紀巻第二十七天命開別天皇二十・天智天皇8年の出来事二

  • ねこ日記と主のつぶやき

    仕事帰り、バスの車窓から外を眺めると、観光客の方が沢山いて、道がめっちゃ、混んでいました。涼しくなってきたので、観光日和の上に三連休ですからね。みなさん楽しんでください。ちょこっと奈良春日大社の杜の切り株今日の二匹今日も癒しをありがとさん。それではまた。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ねこ日記と主のつぶやき

  • 散策日記・浅草周辺 台東区立山谷堀公園と日本堤

    台東区立隅田公園を見学した後は、台東区立山谷堀公園を散策しました。台東区立山谷堀公園入り口台東区立山谷堀公園説明山谷堀公園ここは、かつては山谷堀と呼ばれる水路であったが、経済成長に伴う水質汚濁と悪臭が問題となり、東京都により昭和51年(1976)頃から暗渠化された。区がその上部を公園として整備し、昭和52年以降に山谷堀公園として開園した、幅約9メートル、ながさ約740メートルの公園である。平成29年(2017)から令和2年(2020)、老朽化により全面改修工事を実施した。隅田公園から桜の並木が続き、春は桜越しに東京スカイツリーを眺めることのできるビューポイントとなっている。埋め立てられる前の山谷堀には、下流から、今戸橋・聖天橋・吉野橋・正法寺橋・山谷堀橋・紙洗橋・地方新橋・地方橋・日本堤橋の9つの橋が架け...散策日記・浅草周辺台東区立山谷堀公園と日本堤

  • 日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 十九 ・天智天皇8年の出来事 一

    日本書紀巻第二十七天命開別天皇十九・天智天皇8年の出来事一八年春正月九日、蘇我赤兄臣(そがのあかえのおみ)を筑紫率(つくしのかみ)に拝しました。三月十一日、耽羅(たむら)は、王子の久麻伎(くまき)等を遣わして、貢(みつき)を献りました。十八日、耽羅王に五穀の種を賜りました。この日、王子の久麻伎等が罷帰(まかりかえる)しました。夏五月五日、天皇は、山科野(やましなのの)で、獵(かり)をしました。大皇弟(ひつぎのみこ)と藤原内大臣(ふじわらのうちつまへつきみ)及び群臣は、皆、悉く従いました。秋八月十三日、天皇は、高安嶺(たかやすのたけ)に登り、議(はか)り、城を修めようと思いました。なお、民が疲れるのをあわれんで、作るのをやめました。時の人は、感心してほめて、「これすなわち、仁愛の德がゆたかであるといわずして...日本書紀巻第二十七天命開別天皇十九・天智天皇8年の出来事一

  • ねこ日記と主のつぶやき 失敗した

    朝、時間がなくて、天気予報を見ずに、服を選び外に出ました。思わず、寒い〜🥶今日の奈良市の最低気温は14度、最高気温は18度。やはり服選びは、天気予報を見てから選ばないといけませんね。今日の二匹今日はお仕事が忙しくて残業。二匹で長い間お留守番をしてもらったのですが、ワイがいない間、二匹は何をしているのか気になります。ペット見守りカメラが欲しい今日この頃(しかし、お金がないので無理だな)それではまた。御訪問ありがとうございました。ちょこっと奈良霞がかかる若草山ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ねこ日記と主のつぶやき失敗した

  • 散策日記・浅草周辺 待乳山・台東区立山谷堀公園

    猿若町跡を見学した後は、待乳山聖天を参詣しました。待乳山聖天本龍院(ほんりゅういん)は、東京都台東区浅草にあるにある聖観音宗の寺院です。本尊は歓喜天(聖天)・十一面観音です。待乳山聖天(まつちやましょうでん)とも称されます。待乳山・今戸橋説明山谷堀ヒストリカルツアー待乳山・今戸橋待乳山は現在の浅草7丁目にある小高い丘で、真土山・真乳山とも書かれた。聖天様をお祀りする「待乳山」は、地中より突然隆起して現れた霊山で、その時金龍が天より降って守護したと伝えられている。江戸時代には東都随一の眺望の名所と称され、多くの浮世絵や詩歌の題材にもなっている。池波正太郎生誕の地池波正太郎は、1923年(大正12年)1月25日、東京市浅草区聖天町(現在の東京都台東区浅草7丁目)に生れました。池波正太郎さんの作品は、読んだこと...散策日記・浅草周辺待乳山・台東区立山谷堀公園

  • 日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 十八 ・天智天皇7年の出来事 二

    日本書紀巻第二十七天命開別天皇十八・天智天皇7年の出来事二秋九月十二日、新羅は、沙㖨(さとく)の級飡(きゅうさん)の金東厳(きんとうごん)等を遣わして、調(みつき)を進めました。二十六日、中臣内臣(なかとみのうちつまへつきみ)は、沙門(ほうし)の法弁(ほうべん)、秦筆(じんひち)を使わして、新羅の上臣(まかりだろ)の大角干(だいかくかん)の庾信(ゆしん)に、船を一隻を賜って、東厳(とうごん)等に付けました。二十九日、布勢臣耳麻呂(ふせのおみみみまろ)を遣わして、新羅王に、御調(みつき)を輸(おく)る船を一隻賜って、東厳等に付けました。冬十月、大唐(もろこし)の大將軍の英公(えいこう)が、高麗を打ち滅ぼしました。高麗の仲牟王(ちゅうむおう)が、初めて建国した時に、千歲治めたいと思いました。母夫人(いろはのお...日本書紀巻第二十七天命開別天皇十八・天智天皇7年の出来事二

  • ねこ日記と主のつぶやき ちょっと違った

    先日、衣替えをしようと、クローゼットの整理を行ったのですが、どうも秋物が少ない。そこで、今日はお仕事もお休みですし、買い物に行くことにしました。そのついでに、昨日食べたかった天丼を食べようとお店を探しました。そこで、そば屋さんのメニューに天丼があることを発見。早速行ってきました。さて、関西の天丼はいかに…一口頬張ると。あぁ、ちょっと違う😓ワイの好みは少しとろみのある甘じょっぱいタレ。今日のタレはサラサラとしたしょっぱ味の強い、甘味が足りないタレ。違う、ワイの食べたい天丼は、これじゃない😭あ〜、天丼てんやの天丼が食べたい〜。てんや、関西にも進出してくれないかな。さて、買い物に出かけたワイですが、今日はなんだか、観光客の方に道を聞かれることが多かった。しかしワイ、奈良市に引っ越...ねこ日記と主のつぶやきちょっと違った

  • 散策日記・浅草周辺 浅草寺と浅草神社

    隅田川テラスの散策を終えた後は、浅草寺と浅草神社を参拝しました。前回の記事散策日記・浅草周辺2隅田川テラス-リートリンの覚書散策日記・浅草周辺の続きです。駒形橋を見学した後は、隅田川テラスを歩いてみました。隅田川テラス隅田川テラスは、東京都を流れる隅田川両岸に沿って整備された親水テラ...gooblog 雷門現在の大提灯は、2020年にパナソニック株式会社より寄進されたものです。仲見世通り仲見世通りは、東京都台東区浅草の浅草寺参道にある商店街です。浅草寺金龍山浅草寺(きんりゅうざんせんそうじ)は、東京都台東区浅草二丁目にある寺院です。聖観世音菩薩を本尊としています。浅草寺に関しましては、私の別ブログにて詳しく記事にしております。興味のある方は是非ご覧ください。散策日記・金龍山浅草寺 リートリンの温故知新金...散策日記・浅草周辺浅草寺と浅草神社

  • 日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 十七 ・天智天皇7年の出来事 一

    日本書紀巻第二十七天命開別天皇十七・天智天皇7年の出来事一夏四月六日、百濟は、末都師父(まつしぶ)等を遣わして、調(みつき)を進めました。十六日、末都師父等が罷帰(まかりかえる)しました。五月五日、天皇は、蒲生野(かまふの)で、獵(か)りをしました。この時、大皇弟(ひつぎのみこ)、諸王、内臣及び群臣が、皆、悉く従いました。六月、伊勢王(いせのおおきみ)とその弟王が、日を接して薨(みまか)りました。(官位は未詳です)秋七月、高麗は、越の路に従い、遣使(つかわしめ)して、調(みつき)を進めました。風浪(なみ)が高く、故に、帰ることができませんでした。栗前王(くるくまのおおきみ)を、筑紫率(つくしのかみ)に拝しました。この時、近江国は、武(つわもの)を学び、また、多くの牧を置き、馬を放ちました。また、越国は、燃...日本書紀巻第二十七天命開別天皇十七・天智天皇7年の出来事一

  • ねこ日記と主のつぶやき 困ったな

    仕事を終えて、クタクタになって帰宅😵‍💫玄関を開けて直ぐに目に入ったのは、誰かのゲロ😓あぁ。手を洗ってうがいをして、疲れているのにゲロの始末。そして、買い物したものを片付け、やっと座れる〜と思ったら。今度はノブさんのイタズラ。少しは休ませろ〜今日の二匹さて、他の方のブログで美味しそうな天丼を見かけました😋あぁ、ワイも天丼が食べたい〜!調べてみると…近所に天丼を取り扱う店が見つからなかった(T_T)関東では最低、一駅に一件はあったのに😭天丼、食べたい〜!ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ねこ日記と主のつぶやき困ったな

  • 散策日記・浅草周辺2 隅田川テラス

    散策日記・浅草周辺の続きです。駒形橋を見学した後は、隅田川テラスを歩いてみました。隅田川テラス隅田川テラスは、東京都を流れる隅田川両岸に沿って整備された親水テラスの総称です。何度も訪れた、隅田川テラス。今回歩いていると錦絵を発見。浮世絵師歌川國安錦絵浮世絵師歌川國安錦絵説明浮世絵師歌川國安錦絵「御藏前八幡宮二於而奉納力持」この錦絵は、文政7年(1824年)の春に、御蔵前八幡宮(現・蔵前神社、旧・石清水八幡宮)で行われた「力持」の技芸の奉納を描いたもので、作者は初代歌川豊國門下の三羽烏と言われた歌川國安(1794年から1832年)です。素人の力持は文化後期より流行し、この浮世絵が描かれた頃に絶頂期を迎えたように素人の力持を称える文化がありました。左の絵の「大関金藏」は、当時有名な素人の力持で、神田明神下の酒...散策日記・浅草周辺2隅田川テラス

  • 日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 十六 ・即位 ・皇后と嬪と子どもたち

    日本書紀巻第二十七天命開別天皇十六・即位・皇后と嬪と子どもたち七年春正月三日、皇太子は、天皇の位に卽きました。(或る本は云う、六年の歲の三月に卽位したと)七日、群臣と內裏で饗(とよのあかり)をしました。二十三日、送使(そうし)の博徳(はかと)が服命(かえりこともうす)しました。二月二十三日、古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)の女の倭姫王(やまとのひめおおきみ)を立てて、皇后としました。遂に、四の嬪(ひん)を納ました。蘇我山田石川麻呂大臣(そがのやまだいしかわまろおおおみ)の女があり、遠智娘(おちのいらつめの)といいます。(或る本は云う。美濃津子娘(このいらつめの)と)一男二女を生みました。その一は、大田皇女(おおたのひめみこ)といいます。その二は、鸕野皇女(うののひめみこ)といいます。及び天下有り、飛...日本書紀巻第二十七天命開別天皇十六・即位・皇后と嬪と子どもたち

  • ねこ日記と主のつぶやき 今年、最後かな

    今日はお仕事がお休み😆今日は家のお仕事を頑張りました。まずは、明日から天気が崩れるので、もう着ないであろう夏物を漂白して綺麗に洗濯。クローゼットにしまってある秋物と交換しました。これで急に寒くなっても大丈夫。お掃除も年末に焦りたくないので、今から大掃除開始。今日はリビングの棚の掃除をしました。たった半年で結構な汚れっぷり。もう少しマメに掃除をすればよかったと後悔しました。次回から気をつけよう。綺麗になって気分爽快になりました😁今日の二匹仲良く寛ぐ二匹午後はタケちゃんはお気に入りの猫タワーの上でお昼寝。ノブさんはヘソ天を披露。暑い日も今年最後かな。ヘソ天も見納めかもしれません。ヘソ天好きとしては寂しい😔本日はこの辺で。御訪問ありがとうございました。ランキングに...ねこ日記と主のつぶやき今年、最後かな

  • 散策日記・浅草周辺

    久しぶりの散策日記ですが、浅草を訪れたのは去年の12月。かなり前のことですが、覚書として記事にしました。今回の散策のスタート地は、浅草駅です。浅草駅浅草駅(あさくさえき)は、東京都台東区にある、東京地下鉄・東武鉄道・都営地下鉄の駅です。東京を代表する観光地・浅草の玄関口です。浅草駅を出ましたら、まずは駒形堂を目指しました。駒形堂駒形堂(こまかたどう)は、東京都台東区雷門二丁目にある堂です。馬頭観音を祀っています。駒形堂に関しましては、私の別ブログにて詳しく記事にしております。興味のある方は是非ご覧ください。散策日記・駒形堂 リートリンの温故知新駒形堂概要駒形堂(こまかたどう)は、東京都台東区雷門二丁目にある堂です。馬頭観音を祀っています。本尊馬頭観世音菩薩創建天慶5年(942)大祭四月十九日略縁起天慶五年...散策日記・浅草周辺

  • 日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 十五 ・天智天皇6年の出来事 二

    日本書紀巻第二十七天命開別天皇十五・天智天皇6年の出来事二十一月九日、百濟の鎭將(ちんしょう)の劉仁願(りゅうじんがん)は、熊津都督府熊山縣令上柱国の司馬(しば)の法聡(ほうそう)等を遣わして、大山下の境部連石積(さかいべのむらじいわつみ)等を筑紫都督府に送りました。十三日、司馬法聰等が罷帰(まかりかえる)しました。小山下の伊吉連博徳(いきのむらじはかとこ)、大乙下の笠臣諸石(かさのおみもろいわ)を、送使(そうし)としました。この月、築倭国に高安城(たかやすじょう)、讚吉国の山田郡に屋嶋城(やしまじょう)、對馬国に金田城(かねだじょう)を築きました。潤十一月十一日、錦十四匹、纈(ゆはた)十九匹、緋二十四匹、紺布(はなだのぬの)二十四端、桃染布(つきそめのぬの)五十八端、斧二十六、釤(せん)六十四、刀子六十...日本書紀巻第二十七天命開別天皇十五・天智天皇6年の出来事二

  • ノブさんとタケちゃん えっ?

    晩御飯を食べていると…何やらピーピー、と音が聞こえてきます。何の音?鳥の鳴き声?もしくは、ネズミの鳴き声。その音の主を探してみると…流し台の上にあるタッパーを発見したノブさん。匂いを嗅ぎまくるノブさん。そう、タッパーには今日の晩御飯のカレーが入っていました。相変わらず、カレー好きだな。しかし、ノブさんピーピーって鼻詰まっているでしょうタケちゃんはいつも通り、ゴロンゴロンゴロン本日はこの辺で。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ノブさんとタケちゃんえっ?

  • 日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 十四 ・天智天皇6年の出来事 一

    日本書紀巻第二十七天命開別天皇十四・天智天皇6年の出来事一六年春二月二十七日、天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)と間人皇女(はしひとのひめみこ)とを小市岡上陵(おちのおかのうえのみさざき)に合葬しました。この日、皇孫の大田皇女(おおたのひめみこ)を陵の前の墓に葬りました。高麗、百濟、新羅は、皆、路で哀しみを奉じました。皇太子は群臣に語って「我が、皇太后天皇が勅(みことのり)したことを奉じて、萬民を憂恤(ゆうじゅつ)した故に、石槨(いわき)の役(えだち)を起こさなかった。冀(こいねが)う、永代の鏡誡(きょうかい)とするように」といいました。三月十九日、近江に遷都しました。この時、天下の百姓は遷都することを願わず、諷諫(ふうかん)する者が多く、童謠もまた多かったです。日々、夜...日本書紀巻第二十七天命開別天皇十四・天智天皇6年の出来事一

  • ノブさんとタケちゃん あのね

    今日は、仕事が早く終わったので、いつもより、早めに帰宅することが出来ました😆帰宅後、オヤツをいただき、まったりしていると…カバンをガサガサ、レンジフードの線を引っ掻いたりと悪さばかりするノブさん。ついにワイ、ブチ切れ🤬抱っこして、お説教を開始。しかし、当のノブさんはというと怒られているのに、喉をゴロゴロ〜😸もう、怒る気も失せたは😔抱っこしたら、イタズラが治った。イタズラも構って欲しいサインだったのかな。それではまた。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ノブさんとタケちゃんあのね

  • 日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 十三 ・天智天皇5年の出来事

    日本書紀巻第二十七天命開別天皇十三・天智天皇5年の出来事五年春正月十一日、高麗は、前部能婁(ぜんほうのうる)等を遣わして、調を進めました。この日、耽羅(たむら)は、王子の姑如(こにょ)等を遣わして、貢獻(こうけん)しました。三月、皇太子は、自ら佐伯子麻呂連(さえきのこまろのむらじ)の家に赴き、その患(わずら)いを問いました。元から従って来た功を慨歎(がんたん)しました。夏六月四日、高麗の前部能婁(ぜんほうのうる)等が罷歸(まかりかえる)しました。秋七月、大水(たいすい)となりました。是秋、また、租調(たちからみつき)しました。冬十月二十六日、高麗の臣の乙相奄部等を遣わして、調を進めました。(大使は臣の乙相奄鄒、副使の達相遁(だちそうどん)、二位の玄武若光(げんむにゃくこう)等)この冬、京都の鼠は、近江に向...日本書紀巻第二十七天命開別天皇十三・天智天皇5年の出来事

  • ねこ日記と主のつぶやき あれ?

    今日の二匹出かける準備をしてバタバタしているワイを観察するタケちゃん。見送りにきたノブさん。君たちのご飯代を稼ぐために頑張ってくるよん。さて、職場では、社員さんがお客様にお出している座布団のカバーを必死に外していました。🙁?何事と思ったら、今日から夏仕様から秋冬仕様に衣替え、とのこと。はっ!そういえば、暦の上では衣替えですね。日中暑いので、10月に入ったことに気づきませんでしたよ。でも、ウッカリ者のワイとは違って、自然界では金木犀の花が咲き、着実に秋へと移っていますね。ちなみに、ウチではノブさんだけが、冬仕様へと移っていました。(暑くないんかい)それではまた。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ねこ日記と主のつぶやきあれ?

  • 日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 十二 ・天智天皇4年の出来事 二

    日本書紀巻第二十七天命開別天皇十二・天智天皇4年の出来事二九月二十三日、唐国(もろこし)は、遣朝散大夫(ちょうさんだいぶ)の沂州(きしゅう)の司馬(しば)の上柱(じょうきゅうこく)の劉徳高(りゅうとくこう)等を遣わしました。(等とは、右戎衞郎将上柱国(せきじゅうえいろうしょうじょうちゅうこく)の百濟禰軍(くだらのねぐん)、朝散大夫柱国(ちょうさんだいぶちゅうこく)の郭務悰(かくむそう)のことをいいます。凡そ、二百五十四人。七月二十八日、對馬に至りました。九月二十日、筑紫に至りました、二十二日、表函(ふみひつ)を進めました)冬十月十一日、菟道(うじ)で、大いに閲(けみ)しました。十一月十三日、劉徳高(りゅうとくこう)等を饗賜(きょうし)しました。十二月十四日、劉德高等に物を賜りました。この月、劉德高等は罷歸...日本書紀巻第二十七天命開別天皇十二・天智天皇4年の出来事二

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