う〜ん最近、思うにタケちゃんの顔2024・42023・42022・42021・4お顔の模様が。少し色が濃くなったような?それとも、ことちゃんのことちゃんの見過ぎでタケちゃんの色が濃く見えるだけなのか?ちょっと疑問。ノブさんは、どう思う?それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきう〜ん
う〜ん最近、思うにタケちゃんの顔2024・42023・42022・42021・4お顔の模様が。少し色が濃くなったような?それとも、ことちゃんのことちゃんの見過ぎでタケちゃんの色が濃く見えるだけなのか?ちょっと疑問。ノブさんは、どう思う?それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきう〜ん
古事記上つ巻現代語訳四十四古事記上つ巻国譲り天照大御神の命書き下し文天照大御神の命以ち、「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国は、我が御子正勝吾勝勝速日天忍穂耳命知らす国」と、言因さし賜ひて、天降したまふ。是に天忍穂耳命、天の浮橋に多多志て詔りたまはく、「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国は、伊多久佐夜芸弖有那理」と告りたまひて、更に還り上り、天照大神に請したまひき。尓して高御産巣日神・天照大御神の命以ち、天安河の河原に八百万の神を神集へに集へて、思金神に思はしめて詔りたまはく、「此の葦原中国は、我が御子の知らす国と、言依さし賜へる国なり。故此の国に道速振る荒振る国つ神等の多に在りと以為ほす。是れ何れの神を使はしてか言趣けむ」とのりたまふ。尓して思金神と八百万の神議りて白さく、「天菩比神、是れ遣はすべし」とまをす。故天...古事記上つ巻現代語訳四十四国譲り天照大御神の命
だいぶ、家に慣れて来たことちゃん。ついに、ワイの膝の上にも乗ってくるようになりました。嬉しい。でも、ワイの腹をフミフミ、うどん職人するのはやめてほしい😖そりゃ、ワイの腹。たっぷん、たっぷんだけどそれでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき複雑
古事記上つ巻現代語訳四十三古事記上つ巻大年神の系譜書き下し文故其の大年神、神活須毘神の女、伊怒比売を娶ひて生める子、大国御魂神。次に韓神。次に曽富理神、次に白日神。次に聖神。五の柱の神。また、香用比売を娶ひて生める子、大香山戸臣神。次に御年神。二柱。また、天知迦流美豆比売を娶ひて生める子、奥津日子神。次に奥津比売命、またの名は大戸比売神。此は諸人の以ち拝く竃の神ぞ。次に大山咋神、またの名は山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐す。また葛野の松尾に坐す、鳴鏑を用ゐる神ぞ。次に庭津日神。次に阿須波神。次に波比岐神。次に香山戸臣神。次に羽山戸神。次に庭高津日神。次に大土神。またの名は土之御祖神。九の神。上の件、大年神の子、大国御魂神より以下、大土神より以前は、幷せて十六神。羽山戸神、大気都比売神を娶ひて生...古事記上つ巻現代語訳四十三大年神の系譜
何見てんのよ!やんのか〜!こりゃ〜!おりゃ、おりゃ〜!どう、あたちの蹴りは。立ち去る、タケちゃん。以前は、前脚で軽〜くあしらわれていたことちゃん。今では、ほぼ互角に戦えるようになりました。まぁ、タケちゃんが手加減してあげているだけですけどね。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきやんのか〜
古事記上つ巻現代語訳四十七古事記上つ巻国譲り天若日子の葬儀書き下し文故、天若日子の妻下照比売の哭く声、風と響き天に到る。是に天在る天若日子の父が天津国玉神及其の妻子聞きて、降り来て哭き悲しぶ。其処に喪屋を作りて、河鴈を岐佐理持と為、鷺を掃持と為、翠鳥を御食人と為、雀を碓女と為、雉を哭女と為、如此行ひ定めて、日八日夜八夜を遊ぶ。現代語訳故に、天若日子(あめわかひこ)の妻・下照比売(したでるひめ)の哭(な)く声が、風とともに響き、天に到りました。ここに、天に在た、天若日子の父が天津国玉神(あまつくにたまのかみ)及びその妻子が聞いて、降り来て、哭き悲しみました。其処(そこ)に喪屋(もや)を作って、河鴈(かはかり)を岐佐理持(きさりもち)とし、鷺(さぎ)を掃持(ははきもち)とし、翠鳥(そにどり)を御食人(みけびと...古事記上つ巻現代語訳四十七国譲り天若日子の葬儀
古事記上つ巻現代語訳四十二古事記上つ巻大国主神と御諸山の神書き下し文是に大国主神愁へて告りたまはく、「吾独して、いかにか能く此の国を作り得む。孰れの神と、吾と能く此の国を相作らむ」とのりたまふ。是の時に海を光らし依り来る神有り。其の神の言りたまはく、「我が前を能く治めば、吾能く共与に相作り成さむ。もし然あらずは、国成り難けむ」とのりたまふ。尓して大国主神曰りたまはく、「然あらば治め奉らむ状はいかに」とのりたまふ。答へ言りたまはく、「吾を倭の青垣の東の山の上に伊都岐奉れ」とのりたまひき。此は御諸の山の上に坐す神なり。現代語訳ここに、大国主神(おおくにぬしのかみ)は、愁いて、「吾、独りで、いかにか能(よ)く、この国を作り得ようか。いずれの神と、吾と能くこの国を相作ったらいいのだろうか」とおっしゃられました。こ...古事記上つ巻現代語訳四十二大国主神と御諸山の神
雨の日は、眠い。三匹とも食ったら寝るの1日でした。わいも眠い。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき雨の日は
古事記上つ巻現代語訳四十一古事記上つ巻小名毗古那神との国作り書き下し文故大国主神、出雲の御大の御前に坐す時に、波の穂より、天の羅摩の船に乗りて、鷦の皮を内剥に剥ぎ衣服に為て、帰り来る神有り。尓して其の名を問はせども答へず、また従へる諸神たちに問はせども、皆知らずと白す。尓して多邇具久白して言さく、「此は久延毘古かならず知りてあらむ」とまをす。久延毘古を召して問ひたまふ時に答へ曰さく、「此は神産巣日神の御子小名毗古那神なり」とまをす。故尓して神産巣日神に白し上げしかば、答へ告りたまはく、「此は実に我が子なり。子の中に、我が手俣より久岐斯子なり。故汝葦原色許男命と兄弟と為りて、其の国を作り堅めよ」とのりたまふ。故、尓より、大穴牟遅と小名毗古那神と二柱の神相並び、此の国を作り堅めたまふ。然ありて後は、其の小名毗...古事記上つ巻現代語訳四十一小名毗古那神との国作り
ノブさんは、今日もねこちぐらに避難中一方、もうひとりの兄貴は?カプカプ齧られまくり中。タケちゃん、反撃するかと思いきや〜プイっと高いところへ逃げてしまいました。兄貴達に相手をしてもらえず、つまらなそうなことちゃん。後で遊んであげるから、待っててね。可愛い。ほっぺ、タプタプ〜。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきほっぺタプタプ
古事記上つ巻現代語訳四十古事記上つ巻系譜書き下し文故此の大国主神、胷形の奥津宮に坐す神、多紀理毘売命に娶ひて生みませる子、阿遅鋤高日子根神。次に妹高比売命。またの名は下光比売命。此の阿遅鋤高日子根神は、今迦毛大御神と謂うぞ。大国主神、また神屋楯比売命を娶ひて生みませる子、事代主神。また八島牟遅能神の女、鳥取神を娶ひて生みませる子、鳥鳴海神。此の神、日名照額田毘道男伊許知邇神に娶ひて生める子、国忍富神。此の神、葦那陀迦神またの名は八河江比売に娶ひて生める子は、速甕之多気佐波夜遅奴美神。此の神、天之甕主神の女前玉比売を娶ひて生める子、甕主日子神。此の神、淤迦美神の女比那良志毘売を娶しひて生める子、多比理岐志麻流美神。此の神比々羅木之其花麻豆美神の女活玉前玉比売神を娶ひて生める子、美呂浪神。此の神、敷山主神の女...古事記上つ巻現代語訳四十系譜
本日は、ネタが無いので、ことちゃんの写真を載せてみよう。、と思ったら…寝顔が。ぶちゃいくだった。ことちゃん、いつも半目びらきして寝ているんだよね。それから、起きている姿を狙ってみたがどんどん近づいてきてピントが合わせずらい。とにかく、動くやっとまともな写真が撮れた〜。けど、目力強すぎて、顔が怖い。ことちゃんを写真に収めるのは難しい。兄貴達も元気です。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき難しい
古事記上つ巻現代語訳三十九古事記上つ巻須勢理毘売命の歌書き下し文尓して其の后、大御酒坏を取り、立ち依り指挙げて、歌ひ曰く、八千矛の神の命や吾が大国主汝こそは男にいませばうち廻る嶋の埼埼かき廻る磯の埼落ちず若草の妻持たせらめ我はもよ女にしあれば汝を除て男は無し汝を除て夫は無し綾垣のふはやが下に帔被にこやが下に栲衾さやぐが下に沫雪のわかやる胸を栲綱の白き臂そだたきたたきまながり真玉手玉手さし纏き股長に寝をし寝せ豊御酒たてまつらせ如此歌ふ。宇伎由比為て、宇那賀気理弖、今に至るまで鎮まり坐す。此れを神語と謂ふ。現代語訳しかして其の后、大御酒坏を取り、立ち依り指挙(ささ)げて、歌い言うことには、八千矛(やちほこ)の神の命(みこと)吾が大国主(おほくにぬし)汝こそは男にいませばうち廻る嶋の埼埼かき廻る磯の埼落ちず若草...古事記上つ巻現代語訳三十九須勢理毘売命の歌
食いしん坊のことかさま。自動エサやり機の入り口に御御足を突っ込んでいらっしゃいます。ここから、いつもご飯出てくるのよね。出てこなかった。横に落ちていないかなぁ、クンクン。ご飯の時間か?もう、ご飯の時間?いや〜、君たちさっき晩御飯を食べたばかりでしょう。出てくるわけない。ご飯、もっと食べたい。なに、見てるの。ご飯出しなさいよ。自動エサやり機の真横に陣取ることか様。そりゃ、毎回一番乗りするわけです。ほんと、シャム系は、食いしん坊さんが多いですね。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきいやいや、出ません。
古事記上つ巻現代語訳三十八古事記上つ巻須勢理毘売命の嫉妬八千矛神の歌書き下し文また其の神の適后須勢理毘売命、いたく嫉妬為たまふ。故其の日子遅神和備弖、出雲より倭国に上り坐さむとして、束装し立たす時に、片御手は御馬の鞍に繁け、片御足は其の御鐙に蹈み入れて、歌ひ曰りたまはく、ぬばたまの黒き御衣をまつぶさに取り装ひ沖つ鳥胸見る時はたたぎもこれは適さず辺つ波背に脱き棄て鴗鳥の青き御衣をまつぶさに取り装ひ沖つ鳥胸見る時はたたぎもこも適はず辺つ波背に脱き棄て山県に蒔きしあたたで舂き染木が汁に染め衣をまつぶさに取り装ひ沖つ鳥胸見る時はたたぎも此しよろしいとこやの妹の命群鳥の吾が群れ往なば引け鳥の吾が引け往なば泣かじとは汝は言ふとも山処の一本薄項傾し汝が泣かさまく朝雨の霧に立たむぞ若草の妻の命事の語りごともこをば現代語訳...古事記上つ巻現代語訳三十八須勢理毘売命の嫉妬八千矛神の歌
先日、廊下の片隅に、コロリとうんぴ〜が落ちていた。💩あれ〜?ノブさんが失敗したかなぁ。と思いながら片付けました。しかし、別の日にも、部屋の片隅にまたまたコロリと落ちていた。最近、頻発しているなぁ。何でだろ?…と考えていたら、😱以前見たYouTubeの動画を思い出した。ウンコサッカーをする猫ちゃんの動画。まっ、まさか。最近、頻発しているという事は、お前の仕業か。まっ、まさかウンコサッカーしてないよね。ことちゃん。疑惑が浮上のことちゃんでした。疑ってごめんよ、ノブさん。通常営業のタケちゃんそれでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき疑惑
古事記上つ巻現代語訳三十七古事記上つ巻沼河比売の返歌その2書き下し文青山に日が隠らばぬばたまの夜は出でなむ朝日の笑み栄え来て栲綱の白き腕沫雪のわかやる胸をそだたきたたきまながり真玉手玉手差し纏き股長に寝は寝さむをあやにな恋ひきこし八千矛の神の命事の語りごともこをば故其の夜は合はさずて、明日の夜御合為たまふ。現代語訳青山に日が隠れたならぬばたまの夜に出でてください朝日の笑み栄え来て栲綱の(たくづの)白き腕沫雪のわかやる胸をそだたきたたきまながり真玉手(またまで)玉手を差しまき股長(ももなが)に寝(い)は寝(な)さむをあやにな恋ひきこし八千矛の神の命事の語りごともこをば故に、その夜は会わずに、明日の夜に御合(みあう)しになられました。・ぬばたまの「ぬばたま」のように黒い意から、「黒」「夜」「夕」「髪」にかかる...古事記上つ巻現代語訳三十七沼河比売の返歌その2
最近、仕事が忙しく猫ちゃんたちを構ってあげられない日々が続いていました。そのせいか、みんなの機嫌がちょっと悪い。特にノブさんの機嫌がすこぶる悪い。久しぶりにガブリと噛みつかれました。😖明日は、久しぶりのお休み。猫ちゃんたちとゆっくりしたいと思います。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきイタタ〜!
古事記上つ巻現代語訳三十六古事記上つ巻沼河比売の返歌書き下し文尓して其の沼河比売、いまだ戸を開かず、内より歌ひ曰く、八千矛の神の命ぬえくさの女にしあれば吾が心浦渚の鳥ぞ今こそは吾鳥にあらめ後は汝鳥にあらむを命はな死せたまひそいしたふや天馳使事の語りごともこをば現代語訳しかして、その沼河比売(ぬなかわひめ)は、いまだに戸を開かず、内より歌って曰く、八千矛(やちほこ)の神の命(みこと)ぬえくさの女(め)ですから私の心は浦渚(うらす)の鳥です今こそは吾鳥(わどり)にあらめ後は汝鳥(などり)にあらむを命は殺さないでくださいいしたふや天馳使事の語りごともこをば・ぬえくさの萎草(ぬえくさ・しなやかな草。なえた草。しおれた草)のしなやかなところから、「女(め)にかかる枕詞)・吾鳥(わどり)自分の思うままになる鳥・汝鳥(...古事記上つ巻現代語訳三十六沼河比売の返歌
4月15日は、ノブさんの誕生日です。4歳になりました。今日は、お祝いにチュールを一本あげました。うちの子になってくれてありがとうノブさん。これからもよろしくね。他の子も元気です。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき一本喰い
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十八・醴泉の試飲十一月五日、吉野宮に幸しました。七日、耽羅(たむら)の王子の佐平等に賜りましたが、各々差がありました。十日、車駕が、宮に還りました。十四日、沙門の法員(ほういん)、善往(ぜんおう)、真義(しんぎ)等を遣わして、試しに、近江国の益須郡(やすのこおり)の醴泉(れいせん)を服飲(ふくいん)させました。二十三日、直大肆を直廣肆の引田朝臣少麻呂(ひけたのあそみすくなまろ)に授けました。かさねて、食封・五十戸を賜りました。十二月二十一日、陣法博士等を遣わして、諸国に教習(きょうしゅう)させました。・耽羅(たむら)済州島・醴泉(れいせん)甘い味の泉。中国で、太平の世にわき出たといわれる・服飲(ふくいん)薬やサプリメントなどを飲むことを意味する表現・教習(きょうしゅう)特...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十八・醴泉の試飲
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十七・天武天皇のために無遮大會を設ける・兵器を観閲する・仁王經を説く八月一日、藤原の宮地に幸しました。十七日、吉野宮に幸しました。二十一日、車駕が、宮に還りました。九月一日、日蝕がありました。五日、多武嶺(とうのみね)に幸しました。六日、車駕が、宮に還りました。十日、淸御原天皇(きよみはらのすめらみこと)のために、無遮大會(かぎりなきおがみ)を內裏で設けました。繋囚(けいしゅう)を悉く原遣(げんけん)しました。十六日、直廣參を蚊屋忌寸木間(かやのいみきこのま)に贈りました。あわせて賻物(ふもつ)を賜りました。壬申の年の役の功を褒めました。冬十月二日、詔して、「今年から、親王から始まり、下の進位に至るまで、儲(たくわ)えた兵(つわもの)を観ようとおもう。淨冠から直冠に至るま...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十七・天武天皇のために無遮大會を設ける・兵器を観閲する・仁王經を説く
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十六・内裏で無遮大會を設ける・福嘉を還俗させる五月一日、吉野宮に、幸しました。七日、天皇が、吉野宮からかえりました。十五日、無遮大會(かぎりなきおがみ)を內裏で設けました。六月一日、高麗の沙門の福嘉(ふくか)に詔して、還俗(げんぞく)させました。四日、直廣肆を引田朝臣広目(ひけたのあそみひろめ)、守君苅田(もりのきみかりた)、巨勢朝臣麻呂(こせのあそみまろ)、葛原朝臣臣麻呂(ふじわらのあそみおみまろ)、巨勢朝臣多益須(こせのあそみたやす)、丹比真人池守(たじひのまひといけもり)、紀朝臣麻呂(きのあそみまろ)、七人に授けました。秋七月七日、吉野宮に、幸しました。十二日、使者を遣わして、廣瀬の大忌神と龍田の風神を祀りました。十四日、大夫、謁者を遣わして、諸社を詣でて、祈雨しま...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十六・内裏で無遮大會を設ける・福嘉を還俗させる
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十五・雨乞い・坐贓夏四月十七日、大夫、謁者(えっしゃ)を遣わして、諸々の社に詣でて、祈雨(きう)をしました。また、使者を遣わして、廣瀬の大忌神と龍田の風神を祀りました。二十二日、詔して、「內藏寮(うちのくらのつかさ)の允の大伴男人(おおとものおひと)が坐贓(さぞう)した。位を二階、降ろし、見任官を解く。典鑰(かぎつかさ)の置始多久(おきそめのおおく)と菟野大伴(うのおおとも)も、また坐贓した。位を一階、降ろし、見任官を解く。監物(けんもつ)の巨勢邑治(こせのおおじ)は、物を己に入れないとしても、その情を知りつつ、盗ませた。故に、位を二階、降ろし、見任官を解く。然るに、置始多久(おきそめのおおく)は、壬申の年の役(えだち)に勤労した、故に赦す。ただし、贓(ぬすみもの)は、律...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十五・雨乞い・坐贓
ご訪問ありがとうございます。ワイですが、先日、引越しをいたしました。前回の引越しでは、文句を一切言わず、黙ってキャリーバックに揺られていた二匹ですが…今回は、ず〜っと文句をいいっぱなし。一緒に電車に乗りあった皆様には、多大なるご迷惑をおかけいたしました。駅で休憩中の二匹さて、無事引越しを終えたワイら。前回の引越しでは、タケちゃんが一晩中、徘徊をしていたのですが、今回は、すんなりなじんでくれました。😁(ノブさんは、別室で休憩中)とは言え、まだ作業が途中なんですけどね。収納する場所がなくダンボールが未開封のまま。(引越しの際には、アート引越センターさんには大変お世話になりました。みなさん、作業が手早く、引越しがスムーズに進みました。ありがとうございました)さて、引越しを無事終えたのですが、解決...お知らせよっわ!
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十四・新羅王の訃報・日蝕・桑、紵、梨、栗、蕪菁の推奨二月三日、新羅が、沙飡(ささん)の金江南(きんこうなん)、韓奈麻(かんなま)の金陽元(きんようがん)等を遣わして、來て赴き、王の喪をしらせました。十日、造京司(ぞうきょうし)の衣縫王(きぬぬいのおおきみ)等に、詔して、掘った尸(かばね)を収めさせました。三十日、流れて来た新羅人の牟自毛礼(むじもれ)等・三十七人を、憶徳(よくとく)等に付けて賜りました。三月一日、日蝕がありました。五日、大學博士の勤廣貳の上村主百済(うえのすぐりくだら)に、食封・三十戸を賜りました。儒道(じゅどう)に優れていたからです。六日、吉野宮に幸しました。十一日、直大貳の葛原朝臣大嶋(ふじわらのあそみおおしま)に賻物を賜りました。十三日、天皇は、吉野...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十四・新羅王の訃報・日蝕・桑、紵、梨、栗、蕪菁の推奨
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十三・百姓に黄色の衣、奴に皁衣を着させる・80歳以上の者に布を与える七年春正月二日、淨廣壹を皇子高市に授けました。淨廣貳を皇子長と皇子弓削に授けました。この日、詔して、天下の百姓に、黃色の衣を、奴には、皁衣(くりぞめのきぬ)をきさせました。七日、公卿、大夫等を饗(もてな)しました。十三日、京師(みやこ)、及び畿內で位があり、年が八十以上に、人ごとに、衾(ふすま)・一領、絁(ふとぎぬ)・二匹、綿・二屯、布・四端を賜りました。十五日、正廣參を百濟王の善光(ぜんこう)に贈りました。あわせて賻物(ふもつ)を賜りました。十六日、京師(みやこ)の男女で年が八十以上、及び困乏(こんぼう)している、窮者(きゅうしゃ)に、布を賜りましたが、各々差がありました。船瀬(ふなせ)の沙門の法鏡(ほ...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十三・百姓に黄色の衣、奴に皁衣を着させる・80歳以上の者に布を与える
修性院(しゅうしょういん)概要修性院は、東京都荒川区にある日蓮宗の寺院です。1573年(天正元年)に開山しました。開山当時は、武蔵国豊島郡田中村(現在の東京都練馬区田中)に位置していました。1663年(寛文3年)に現在地に移転しました。 日ぐらしの布袋(修性院)修性院の布袋は、谷中七福神の一つで、「日ぐらしの布袋」ともよばれる。谷中七福神めぐりは、江戸市中で最も古い歴史をもち、年始めにあたって江戸市民が行う年中行事の一つであった。江戸時代の中期ごろから、このあたり一帯は俗に「ひぐらしの里」とよばれ、江戸近郊の行楽地として賑わった。ことに修性院・妙隆寺(修性院に合併)・青雲寺は、境内に多数の花樹を植えて、「花見寺」の名にふさわしい庭園をつくり、四季折々の草花を楽しむことができたという。境内には、江戸時代の...参拝日記・修性院
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十二・吉野への行幸冬十月八日、山田史御形(やまだのふびとみかた)に務廣肆を授けました。前に沙門となり、新羅で學問をおさめました。十二日、吉野宮に幸しました。十九日、車駕(しゃが)が宮に還りました。十一月八日、新羅が、級飡(きゅうさん)の朴億徳(ぼくよくとく)、金深薩(きんしんさち)等を遣わして、調(みつき)を進めました。遣新羅使(けんしらぎし)に擬(なぞら)えた、直廣肆の息長真人老(おきながのまひとおゆ)、務大弐の川内忌寸連(かふちのいみきつら)等に祿を賜りましたが、各々差がありました。十一日、新羅の朴憶德を難波館で饗祿(きょうろく)をしました。十二月十四日、音博士(おんはかせ)の続守言(しょくしゅげん)、薩弘恪(さつこうかく)に、水田を賜りました。人ごとに四町。二十四日...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十二・吉野への行幸
湯島聖堂概要東京都文京区湯島一丁目にある史跡です。江戸時代の元禄3年(1960年)、江戸幕府5代将軍徳川綱吉によって造営された、孔子廟です。後に幕府直轄の学問所となりました。・孔子廟、神農廟と昌平坂学問所跡・現在地東京都文京区湯島一丁目4番25号・敷地面積13,915㎡・国の史跡指定大正11年(1922)3月8日・所管国有財産文化庁・東京都教育員会・文京区教育委員会・管理者公益財団法人斯文会(しぶんかい)■湯島聖堂と孔子孔子は、2500年ほど前、中国の魯の昌平郷(現山東省済寧市曲阜市)に生まれた人で、その教え「儒教」は東洋の人々に大きな影響を与えた。儒教に傾倒した徳川五代将軍綱吉は、元禄3年(1690)この地に「湯島聖堂」と創建、孔子を祀る「大成殿」や学舎を建て、自ら『論語』の講釈を行うなど学問を奨励した...参拝日記・湯島聖堂
諸事情よりしばらく、ブログおやすみします。皆さまのブログにも、しばらく、ご訪問できません申し訳ございません🙇お知らせ
井の頭弁財天大盛寺概要都立井の頭恩賜公園内・井の頭池にあります。創建不詳別名井の頭辨才天本尊弁財天像789年(延暦8年)平安時代の僧・最澄の作と伝えられています。略縁起平安時代の天慶年間(938~947年)に源経基(みなもとのつねもと)が創建したものと伝えられ、その後、源頼朝が1197年(建久8年)に再建し、別当となる坊宿が建てられたと伝えられています。一時、衰退していましたが、江戸時代に入り、江戸幕府三代将軍徳川家光により再興されました。境内弁財堂1923年(大正12年)の関東大震災の被害を受け、現在の堂舎は昭和初期に再建されたものです。 太鼓橋 手水鉢 狛犬 銭洗い弁財天 七井不動尊 宇賀神 住所東京都三鷹市井の頭4丁目26-1アクセスJR中央線・総武線東京メトロ東西線京王井の頭線吉祥寺駅徒歩9分最後...参拝日記・井の頭弁才天大盛寺
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十一・飛鳥皇女の田莊への行幸・班田大夫を四畿内へ派遣する・笥飯神の封を増やす八月三日、罪を赦しました。十七日、飛鳥皇女の田莊(でんそう)に幸しました。卽日、宮に還りました。九月九日、班田大夫(たたまいのまえつきみ)等を四畿內に遣わしました。十四日、神祇官が奏して、神寶の書四卷、鑰(かぎ)・九箇、木印・一箇を上しました。二十一日、伊勢国司が、嘉禾(かか)・二本を献(たてまつ)りました。越前国司が、白蛾を献りました。二十六日、詔して、「白蛾を角鹿郡(つぬがのこおり)の浦上(うらかみ)の濱で獲た。故に、笥飯神(けひのかみ)に、封を二十戸、増やし、前と通する」といいました。・田莊(でんそう)古墳時代に設けられた土地や人民の支配制度の一つで、豪族が支配した私有地のことを指す。田所と...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十一・飛鳥皇女の田莊への行幸・班田大夫を四畿内へ派遣する・笥飯神の封を増やす
明治神宮(めいじじんぐう)概要東京都渋谷区にある神社です。明治天皇と昭憲皇太后が祀られています。初詣では例年日本一の参拝者数となっています。神紋・社紋御祭神明治天皇(めいじてんのう)昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)創建大正9年(1920年)例祭日11月3日略縁起明治天皇崩御後、内務省が『明治天皇奉祀の神宮創設に関する件』を閣議に提出し、閣議決定されました。東京府内の候補地の内から、「風致」を理由として代々木御料地が決定し、大正9年(1920年)11月1日に鎮座祭が行われ、この日に創建されました。境内外拝殿南神門西神門手水舎大鳥居正参道南参道鳥居西参道社務所夫婦楠住所東京都渋谷区代々木神園町1−1アクセスJR山手線原宿駅徒歩1分東京メトロ千代田線・副都心線明治神宮前駅徒歩1分東京メトロ副都心線北参道駅徒...神社参拝日記・明治神宮
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十・大赦・熒惑と歲星秋七月二日、天下に大赦しました。ただし、十惡(じゅうあく)、盜賊は赦しの例に入れませんでした。相模の国司の布勢朝臣色布智(ふせのあそみしこふち)等、御浦郡少領(みうらのこおりのすけのみやつこ)(姓名は欠けています)と、赤い烏を獲た、鹿嶋臣櫲樟(かしまのおみくす)に、位、及び祿を賜りました。御浦郡(みうらのこおり)の調役(えつき)を二年、免除しました。七日、公卿を饗(もてな)しました。九日、吉野宮に幸しました。十一日、使を遣わして、廣瀬と龍田を祀らせました。二十八日、車駕が宮に還りました。この夜、熒惑(けいこく)と歲星(さいせい)が、一步の內に、たちまち光り、たちまち没しました。互いに近づいたり、避けたりすること四遍。・十惡(じゅうあく)大化前代、国家社...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十・大赦・熒惑と歲星
ご無沙汰しておりました。久しぶりの猫日記です。ちょっと、仕事や引越しの準備等で更新が遅れておりましたが、二匹とも元気です。猫ネタがなかったということもありますがね。😅さて、もうすぐ、仮住まいを終えます。二匹には、不便な思いをさせました。今度は、思いっきり追いかけっこできます。引越しの様子は後日ご報告します。それでは、また。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。MIX多頭飼いランキングにほんブログ村久しぶりの猫日記と主のつぶやき
東郷神社(とうごうじんじゃ)概要東郷神社は、東京都渋谷区神宮前一丁目にある神社です。日露戦争で連合艦隊司令長官として指揮をとり日本海海戦で完勝し、国内外で英雄視された、東郷平八郎が祀られています。神紋・社紋御祭神東郷平八郎命(とうごうへいはちろうみこと)創建昭和15年(1940年)例祭日5月28日略縁起東郷平八郎が昭和9年(1934年)5月30日に亡くなると、全国から東郷を顕彰する神社の創建の要望と献金が相次いつぎ、当時の海軍大臣大角岑生(おおすみみねお)が、財団法人東郷元帥記念会を設立。寄せられた献金によって神社の創建が計画され、昭和15年(1940年)に創建されました。境内社殿神門鳥居階段手水舎東郷蔵境内霊社海の宮御斎神海軍・海事・水産関係者また崇敬者の諸霊住所東京都渋谷区神宮前1-5-3アクセスJR...神社参拝日記・東郷神社
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇三十九・名のある山、岳、瀆に祈る・雨乞い・直丁・8人に官位を与える六月九日、郡国の長吏(ちょうり)に勅して、各々名のある山、岳、瀆を祈らせました。十一日、大夫、謁者を遣わして、四畿內を詣でて、請雨(しょうう)させました。二十一日、直丁(じきてい)・八人に官位を賜りました。その大内陵(おおちのみさざき)を造った時に、勤めて、怠らなかったことをよしとしました。三十日、天皇は、藤原の宮地を観ました。 ・長吏(ちょうり)県内を主管する長官・請雨(しょうう)日照り続きの時、雨の降ることを神仏に祈ること。雨乞い・直丁(じきてい)律令制で、仕丁(じちょう)のうち、諸司の雑役に奉仕する番に当たった者。立丁(りってい) ・大内陵(おおちのみさざき)天武天皇の陵(感想)(持統天皇6年)6月9日...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇三十九・名のある山、岳、瀆に祈る・雨乞い・直丁・8人に官位を与える
小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ)概要小野照崎神社は、東京都台東区下谷二丁目にある神社です。「学問・芸能」の神様として有名です。神紋・社紋主祭神小野篁命(おののたかむら)菅原道真命(すがわらみちざね)創建仁寿2年(852年)例祭日5月19日に近い土日略縁起852年(仁寿2年)、小野篁公が御東下の際に住まわれた上野照崎の地に創建されました。寛永寺の建立のために幕府より移転を命じられ、現在の地に遷されました。境内社殿鳥居手水舎授与所神楽殿境内末社富士浅間神社庚申塚稲荷神社・織姫神社住所東京都台東区下谷2-13-14アクセス東京メトロ日比谷線入谷駅徒歩3分JR線鶯谷駅徒歩7分最後に樋口一葉の「たけくらべ」に「小野照さま」の名で出てくる神社です。神社の印象として、残っているのは、猫ちゃんが多い。猫好きにはたまら...神社参拝日記・小野照崎神社
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇三十八・大雨・大隅と阿多に仏教を伝える閏五月三日、大水となりました。使を遣わして、郡国を循行(じゅんこう)させました。災害にあい、自ら生きていけないものに、禀貸(ひんたい)をしました。山林池澤で漁や採ることができるようにしました。詔して、京師(みやこ)及び四畿內で、金光明經を講説させました。四日、沙門の観成(かんじょう)に、絁(ふとぎぬ)・十五匹、綿・三十屯、布・五十端を賜りました。その造った鉛粉(えんぷん)を美(ほ)めたのです。十三日、伊勢大神が天皇に奏して、「伊勢国の今年の調役を免(ゆる)しましたが、然るに、その二つの神郡から応え輸(おく)るべき、赤引の絲・三十五斤は、來年に、その代りを折(さだ)めるようにすべきです」といいました。十五日、詔筑紫大宰率の河內王等に詔して...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇三十八・大雨・大隅と阿多に仏教を伝える