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2020/12/06

  • ねこ日記と主のつぶやき 危ない奴

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て24日が経ちました。ことちゃんは、布を齧って誤飲するウールサッキング常習犯。その始まりは、長時間のお留守番。爪研ぎ用にと置いておいた絨毯の端っこをガジガジに齧って、ボロボロに。すぐさま目の届かない絨毯は、全て撤去しました。これで安心と思ったら、今度は、ベッドパットをガジガジしてボロボロに。流石に寝具は撤去できない。ので齧られそうな部分は隠しておきました。これで安心と思ったら、今度は、食器拭き用の布巾をガジガジ、う〜。布巾は撤去できないので高い場所へ移動させました。今のところウールサッキングは治っています。ふと、ことちゃんがウールサッキングする時の共通点って何だろうと考えてみました。あっ!監視員(ワイの子ども)が寝ている時だ。「オイ、監視員。お前寝るな」と子ども言っ...ねこ日記と主のつぶやき危ない奴

  • 東京史跡巡り・人物編 勝海舟像

    東京史跡巡り・人物編勝海舟像墨田区役所の脇に、建てられた勝海舟の像です。平成15年に建立されました。勝海舟略年表建立の記勝海舟(通称・麟太郎、名は義邦、のち安房、安芳)は、文政六年(一八二三年)一月三十日、江戸本所亀沢町(両国四丁目)で、父小吉(左衛門太郎惟寅)の実家男谷邸で生まれ、明治三二年(一八九九年)一月十九日(発喪は二十一日)、赤坂の氷川邸で逝去されました。勝海舟は幕末と明治の激動期に、世界の中の日本の進路を洞察し、卓越した見識と献身的行動で海国日本の基礎を築き、多くの人材を育成しました。西郷隆盛との会談によって江戸城の無血開城をとりきめた海舟は、江戸を戦禍から救い、今日の東京の発展と近代日本の平和的軌道を敷設した英雄であります。この海舟像は、「勝海舟の銅像を建てる会」から墨田区に寄贈されたもので...東京史跡巡り・人物編勝海舟像

  • ねこ日記と主のつぶやき

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て23日が経ちました。ことちゃんは、布を齧って誤飲するウールサッキング常習犯。注意していたのですが昨日は、うっかり、布巾を齧られてしまいました。今日は、一日ことちゃんを監視。でも、今日は、兄貴達が遊んでくれたので、遊ぶ、食う、寝ると安心な1日でした。明日も頼むぜ兄貴元気よく遊び、食欲旺盛。うんぴ〜もしっかりと出ているので、誤飲の影響は今の所大丈夫そうです。もう、頼むから誤飲はしないでね。今日の出来事ことちゃんの食事を見守るタケちゃん僕、ことかのご飯なんて狙ってないよこの後、ワイの目を盗んでゲージに前脚を突っ込んでことかちゃんのご飯をかき出したタケちゃん。そのご飯はというと、溝に引っ掛かって取れませんでしたとさ。盗みはいかんよタケちゃん。それでは、また。ご訪問ありがと...ねこ日記と主のつぶやき

  • 東京史跡巡り・人物編 大田区立 勝海舟記念館

    東京史跡巡り・人物編大田区立勝海舟記念館海舟没後、海舟の墓所や別荘「洗足軒」の保存、海舟に関する図書の収集・閲覧、講義の開催等を目的として、財団法人清明会が昭和8年に開館しました。その後、平成24年に大田区の所有となり、令和元年に、勝海舟記念館として開館しました。勝海舟胸像胸像は、海舟の晩年の姿を表現したもので、彫刻家高村光雲の弟子で本山白雲の作品です。所在地東京都大田区南千束2丁目3-1最後に一階では、実物資料などをもとに、勝海舟の一生をたどることができます。二階は、洗足軒の説明や勝海舟の印章コレクション、清明文庫の歴史や建物の説明などの展示がされていました。清明文庫は、海舟に関する図書の収集・閲覧、講義の開催等を目的として、昭和8年に開館しました。外壁建物は、平成12年に国登録有形文化財に登録されてい...東京史跡巡り・人物編大田区立勝海舟記念館

  • ねこ日記と主のつぶやき ヤラレタ

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て22日が経ちました。現在、ことちゃんは、隔離部屋を卒業し、お留守番と寝る時以外は、好きな部屋で過ごしています。今日は、猫達のことを家族に任せ仕事へ行ってきたワイ。帰宅して猫ちゃん達のオヤツの準備しようと、食器を洗い、拭こうとしたら…あれ?布巾の一部が無いやんけ〜!おっ、お前だろ〜。何で布齧るかなぁ。どうやら、家族が昼寝をしている間にやらかしたようです。もう、ちゃんと監視しておけよ。今日の三匹それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきヤラレタ

  • 東京史跡巡り・人物編 勝海舟夫婦墓所

    東京史跡巡り・人物編勝海舟夫婦墓所勝海舟は明治32年(1899)に77歳で没しました。勝海舟は、洗足池畔に別荘を構えていました。後に遺言で、屋敷裏の台地に葬られたと伝えられています。妻である民子の墓は、後に青山墓地から移設されました。所在地東京都大田区南千束2丁目3アクセス東急池上線洗足池駅徒歩10分最後にお墓を撮影するのが憚られるので、入り口のみ撮影させていただきました。海舟氏がいなかったら、今の日本はなかったと思っています。墓前に向かい、感謝を捧げました。参考大田区HP東京史跡巡り・人物編勝海舟夫婦墓所

  • ねこ日記と主のつぶやき 新しい家族・その後

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て三週間が経ちました。現在、ことちゃんは、隔離部屋を卒業し、お留守番と寝る時以外は、好きな部屋で過ごしています。大分、お目目がまん丸に。大分お家に慣れてきたかなぁ。現在の三匹の距離大分縮まってきましたが、主としては、もう少し仲良くして欲しい。何とかなりませんかね、兄貴ズ。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき新しい家族・その後

  • 東京史跡巡り・人物編 勝海舟別荘(洗足軒)跡地

    東京史跡巡り・人物編勝海舟別荘(洗足軒)跡地勝海舟の別荘があった場所です。勝海舟別荘(洗足軒)跡地勝海舟(一八二三~九九)の別荘は戦後まもなく焼失しましたが、茅葺の農家風の建物でした。鳥羽・伏見の戦い(一八六八)で幕府軍が敗れると、徳川慶喜より幕府側の代表として任じられた海舟は、官軍の参謀西郷隆盛(南洲)と会見するため、官軍の本陣が置かれた池上本門寺に赴きました。その会見により江戸城は平和的に開けわたされ、江戸の街は戦禍を免れたのです。海舟は江戸庶民の大恩人と言えるでしょう。その際、通り掛った洗足池の深谷の趣のある自然に感嘆し、池畔の茶屋で休息したことが縁となり、農学者津田仙(津田塾大学創始者、梅子の父)の仲立ちで土地を求めました。明治二十四年(一八九一)自ら洗足軒と名付けた別荘を建築し次のような歌を詠ん...東京史跡巡り・人物編勝海舟別荘(洗足軒)跡地

  • ねこ日記と主のつぶやき お留守番できるかな?

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て20日が経ちました。現在、ことちゃんは、隔離部屋を卒業し、お留守番と寝る時以外は、好きな部屋で過ごしています。そのことかちゃん。ウールサッキングの疑いがあります。布製品をカジカジ。現在、ワイら家族で色々対策中です。今日はワイ一家みんなお仕事。久しぶりの長時間のお留守番です。かなり心配。ウールサッキングしないように隔離室から布製品を全て撤去して、齧っても大丈夫なオモチャを用意して出かけました。帰宅後点検しましたが、特に変わったこともなく、自由時間にも布を齧ったりしなかったのでホッとしました。色んな所で寛ぐ姿が見られるようになってきたのでうちに大分慣れてきたのかな。今日の三匹尻尾フリフリ、ノブさん。それを狙うことちゃん。場所を変えて何度もちょっかいを出します。ノブさん...ねこ日記と主のつぶやきお留守番できるかな?

  • 東京史跡巡り・人物編 江戸開城 西郷南洲 勝海舟 会見之地

    東京史跡巡り・人物編江戸開城西郷南洲勝海舟会見之地慶應4年3月13日、14日の両日薩摩屋敷において勝海舟と西郷隆盛の会見が行われ、無血開城がなされました。その勝海舟と西郷隆盛の会見が行われた場所とされる場所に建つ碑です。所在地東京都港区芝5-33-1アクセス浅草線・三田線「三田駅」徒歩1分JR線田町駅徒歩2分最後に会見の場所については諸説あるようですが、14日の最終会談は、田町の蔵屋敷で行われたようです。その場所には、西郷南洲の孫吉之助の筆による碑が建っているとの事で、訪れたのですが…私が訪れた時は、最寄りの建物の建て替えの真っ最中。なんてこった〜!碑は別の場所に保管され、写真のみが塀に記されていました。現物を見る事叶わず。ガックシ😔東京史跡巡り・人物編江戸開城西郷南洲勝海舟会見之地

  • 猫日記と主のつぶやき 困ったなぁ・再び・その後

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て19日が経ちました。現在、ことちゃんは、隔離部屋を卒業し、お留守番と寝る時以外は、好きな部屋で過ごしています。そのことかちゃん。ウールサッキングの疑いがあります。現在、ワイら家族で色々対策中。一つは、生タイプの量を減らし、ドライフードの分量を増やし噛む回数を増やす。これは、ちょっと効果があるようです。二つ目は、ご飯の量を増やすこと。ことちゃんのご飯の量を測りなおすと、ちょっと足りなかったことが判明。これも、効果がありました。あとは、布を噛みそうになったら、ナデナデ攻撃。これは、結構効いているようです。まだ、完全には治っていませんので、注意して行こうと思います。ことかちゃんを観察していると、猫からも人からも離れて座ることが多いです。甘えたい盛りの子猫ちゃんなのに。お...猫日記と主のつぶやき困ったなぁ・再び・その後

  • 坂本龍一さん

    昨日は、坂本龍一さんの命日。(出典・Wikipedia)40年来彼のファンだったワイ。昨年は、心にポッカリと穴が空いていた。一年たってやっと語れるようになりました。やはり、坂本さんの曲は、心に染みる。戦メリ、オリジナル。コンサートで生で聞いた時、迫力が半端なかったです。今でもその光景が思い出されます。ピアノバージョンいい曲です。EnergyFlowその他おすすめの曲AFlowerIsNotaFlowerAmoreちょっと変わった曲ですが、ワイのお気に入り。最後に坂本さんの曲の中で、ワイが一番好きな曲。Aquaご本人の演奏を見つけられなかったので、角野くんの演奏で。坂本さん。沢山の素晴らしい曲をありがとうございました。ご冥福をお祈りします。坂本龍一さん

  • ねこ日記と主のつぶやき 困ったなぁ・再び・その後

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て18日が経ちました。現在、ことちゃんは、隔離部屋を卒業し、お留守番と寝る時以外は、好きな部屋で過ごしています。さて、そのことかちゃん。歯の生え変わりでムズムズするのか色んな物を齧ってしまいます。昨晩は、ベッドパットをカジカジ。そこで、生タイプを減らしドライフードの量を増やしてみました。これは、少し効いたようです。しかし、色々と調べてみると、歯の生え変わりのせいだけでなく、どうもウールサッキングの疑いがあるようです。あぁ、ノブさんもそうだった。ノブさんの近況トライアル7日目大事件発生-リートリンの覚書おちびちゃんは元気いっぱいです。ノブさんにチョッカイを出しますが…しかし、ノブさんは相手してくれません。今日は一人遊びしています。そう、保護主さんから連絡がありま......ねこ日記と主のつぶやき困ったなぁ・再び・その後

  • 東京史跡巡り・人物編 勝安房邸跡

    東京史跡巡り・人物編勝安房邸跡勝海舟が明治五年(1872年)の49歳から満76歳で亡くなるまで住んでいた屋敷の跡地です。東京都指定旧跡勝安房邸跡この地は、幕末から明治にかけて、幕臣として活躍した勝海舟が明治五年(1872年)の49歳から満76歳で亡くなるまで住んでいた屋敷の跡地です。その間、参議・海軍卿、枢密顧問官、伯爵として顕官の生活を送り、傍ら有名な「氷川清話」などを遺しました。その時の屋敷跡は東京市に寄与され、平成五年(1993年)春まで港区立氷川小学校敷地として使用されていました。その後、氷川小学校が廃校となったため、その建物を生かしつつ改修を行い、平成十五年から区立特別養護老人ホーム及び子ども中高生プラザとして使用して現在に至っています。施設内には、屋敷跡の発掘調査で出土した当時の縁の品などが展...東京史跡巡り・人物編勝安房邸跡

  • ねこ日記と主のつぶやき 困ったなぁ・再び

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て17日が経ちました。現在、ことちゃんは、隔離部屋を卒業し、お留守番と寝る時以外は、好きな部屋で過ごしています。さて、そのことかちゃん。歯の生え変わりでムズムズするのか色んな物を齧ってしまいます。昨晩は、ベッドパットをカジカジ。睡眠妨害をしてきました。う〜ん、こりゃたまらん。そこで、ご飯を生タイプとドライフードの割合を、ドライフード多めにしてみました。歯ごたえのあるドライフードで歯のムズムズが少しでも緩和されるといいな。今日もイタズラっ子のことちゃん。台所用スポンジを流し台から運び出そうとして主に怒られた。何故か、自ら反省室へ。出して〜って、いや、自分から入ったんでしょ。今日もノブさんとタケちゃんは、二匹とも高いところで休憩です。少しは、子育てに協力して欲しいなぁ。...ねこ日記と主のつぶやき困ったなぁ・再び

  • 東京史跡巡り・人物編 勝海舟邸跡

    東京史跡巡り・人物編勝海舟邸跡勝海舟が安政6年から明治元年まで住んだ旧跡です。勝海舟邸跡の記港区赤坂六丁目一〇番三九号の「ソフトタウン赤坂」が建つこの地は、幕末から明治にかけて、幕臣として活躍した勝海舟が安政六年(一八五九)から明治元年(一八六八)まで住んだ旧跡である。海舟は終生赤坂の地を愛し、三カ所に住んだが、当所居住中の一〇年間が最も華々しいく活躍した時期に当たる。海舟は号で、名は義邦。通称麟太郎、安房守であったから安房と称し、後に安芳と改めた。夫人は民子。海舟は文政六年(一八二三)、本所亀沢町の旗本屋敷=現墨田区両国四丁目の両国公園の地=で、貧しい御家人の子として出生。長じて赤坂溜池の筑前黒田藩邸=の地の福吉町、現赤坂二丁目の赤坂ツインタワービルや衆議院赤坂議員宿舎などの地=に通って蘭学を学び、その...東京史跡巡り・人物編勝海舟邸跡

  • ねこ日記と主のつぶやき 困ったなぁ

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て16日が経ちました。現在、ことちゃんは、隔離部屋を卒業し、お留守番と寝る時以外は、好きな部屋で過ごしています。さて、そのことかちゃん。歯の生え変わりでムズムズするのか色んな物を齧ってしまいます。うっかり目を離した隙に兄貴達の寝床を破壊。う〜、こりゃたまらんと猫ベッドを高いところへ避難させると、今度は、主達の座椅子を齧ろうとする。こりゃたまらんと、齧っても良いオモチャを与えると、瞬殺。あぁ、今日だけでオモチャ二個、猫ベッド一個を破壊されました。頑丈なオモチャを買ってこないといけないな。主の悩みは尽きない。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき困ったなぁ

  • 東京史跡巡り・人物編 五柱稲荷神社・勝海舟揺籃之地

    東京史跡巡り・人物編五柱稲荷神社・勝海舟揺籃之地五柱稲荷神社(ごばしらいなりじんじゃ)には、勝海舟揺籃之地と書かれた木標が建てられています。所在地東京都墨田区緑4丁目11-6アクセスJR総武線・錦糸町駅徒歩10分最後に揺籃とは、赤ん坊を入れて、揺りうごかすカゴのこと。比喩的に幼少時代のことをいいます。勝海舟が住んでいたのは、旗本・岡野孫一郎の屋敷ですが、そこからちょっと離れた場所、五柱稲荷神社に五柱稲荷神社何故?「勝海舟揺籃之地」と書かれた木標が建てられたのか?疑問に思い調べたのですが、答えが見つからず。まぁ、この辺で幼少時代を過ごしたということで建てられたのかな?東京史跡巡り・人物編五柱稲荷神社・勝海舟揺籃之地

  • ねこ日記と主のつぶやき 新しい家族・その後

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て15日が経ちました。現在、ことちゃんは、隔離部屋を卒業し、お留守番と寝る時以外は、好きな部屋で過ごしています。ひとり、外を眺めることちゃん。兄貴達はというと、高い場所からことちゃんを見守ります。兄貴達、少しぐらい構ってやってよ。そんな思いが通じたのか、今日は、タケちゃんがことちゃんと遊んでくれました。もっと仲良しになると良いなぁ。何故か、ゲージの中でくつろぐことちゃん。どうも、ことちゃん。ふわふわ、あったか素材よりもツルツルした床などが好きなようです。個人的には、兄貴達と寄り添って眠る姿を見てみたい。思いは通じるのか?それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき新しい家族・その後

  • 東京史跡巡り・人物編 勝海舟居住の地・旗本岡野氏屋敷跡

    東京史跡巡り・人物編勝海舟居住の地・旗本岡野氏屋敷跡勝海舟が10代後半まで過ごした屋敷跡です。勝海舟居住の地ー旗本岡野氏屋敷跡ー所在地墨田区緑四丁目三十五番六号勝海舟(麟太郎)は、文政六年(一八二三)に両国にあった父惟寅の実家、男谷氏の屋敷(現区立両国公園)で生誕しました。その後、父母とともに本所の旗本屋敷を転々としましたが、天保二年(一八三一)頃ここにあった岡野氏の屋敷に落ち着き、十代後半までの多感な時期を過ごしたといわれています。麟太郎は後に幕臣として出世を果たし、激動の時代に活躍の場を広げてゆきます。麟太郎が世話になった岡野氏は、後北条氏の旧臣板部岡江雪を祖とする旗本で、文政九年十二月の屋敷替を経て、同十年三月ごろ当地に移住していました。家の経営費を捻出するための屋敷替であったようで、旧知行所に伝わ...東京史跡巡り・人物編勝海舟居住の地・旗本岡野氏屋敷跡

  • ねこ日記と主のつぶやき むっ、難しい。

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て二週間が経ちました。現在、ことちゃんは、隔離部屋を卒業し、お留守番と寝る時以外は、好きな部屋で過ごしています。今日は、ワイお仕事だったので、ことちゃんは隔離部屋でお留守番をしてもらいました。仕事を終え帰宅すると、兄貴達は各々、リビングの好きな場所でくつろいでいました。隔離部屋からは、ことちゃんの「出して〜」という鳴き声が。これは、かわいそう。急いでことちゃんの元へ。そして、ドアを開けると…リビングでくつろいでいた兄貴達が一斉に高いところへ逃げ出した〜💨ひとりで遊ぶことちゃん。ねえ、兄貴達。ちっちゃくて可愛いじゃない。少しは、構ってあげようよ。😥多頭飼いって難しい。改めて思う主でした。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきむっ、難しい。

  • 東京史跡巡り・人物編 ・勝海舟生誕の地

    東京史跡巡り・人物編勝海舟生誕の地東京都墨田区両国4丁目にある、両国公園に勝海舟生誕の地の碑があります。勝海舟は、文政6年1月30日(1823年3月12日)、江戸本所亀沢町、旗本小普請組の父・勝小吉(かつこきち)の実家、男谷家で生誕し、7歳までこの地で過ごしました。所在地東京都墨田区両国4-25-3アクセスJR東日本総武線両国駅徒歩6分最後に両国公園両国公園に勝海舟生誕の地の碑があります。公園には、勝海舟幕末絵巻が展示され、勝海舟の生涯をたどることができます。大変勉強になりました。参考墨田区観光協会東京史跡巡り・人物編・勝海舟生誕の地

  • ねこ日記と主のつぶやき そんな目で見つめられても

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て13日が経ちました。現在、ことちゃんは、隔離部屋を卒業し、お留守番と寝る時以外は、好きな部屋で過ごしています。ただ、ワイらが食事の時は、ゲージの中へ。出して欲しいの〜。目で訴えてきますが。だって君、テーブルに乗ってくるでしょう。ねえ、出してよ〜。うっ、そんな目で見つめられても。ダメなもんはダメ。タケちゃんが慰めてくれました。お外出たい。兄貴達のように、お家のルールを守れるようになったら、自由になれるからね。それまで、我慢してね。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきそんな目で見つめられても

  • 東京史跡巡り・人物編 南洲(西郷隆盛)留魂詩碑とその付近

    東京史跡巡り・人物編南洲(西郷隆盛)留魂詩碑とその付近南洲(西郷隆盛)留魂詩碑西郷隆盛の三回忌にあたる明治12年(1879)に、勝海舟が西郷を悼むために、私費で建立した石碑です。大正2年(1913)に洗足池公園内に移設されました。南洲(西郷隆盛)留魂詩碑勝海舟が、親交のあった西郷隆盛(南洲)の死をいたみ、詩とその筆跡を遺すため、三回忌にあたる明治12年(1829)に自費で建てたものです。もとは葛飾区の浄光寺にあったものが、大正2年(1913)の荒川開削工事に伴い当地に移設されました。内容は西郷が沖永良部島の獄中で作った七言律詩で、天皇に対する忠誠心が詠まれています。「願留魂魄護皇城」の文言から留魂詩(りゅうこんし)と称されました。背面には勝の撰文で由来が記されています。案内板より引用朝に恩遇を蒙り夕に焚阬...東京史跡巡り・人物編南洲(西郷隆盛)留魂詩碑とその付近

  • ねこ日記と主のつぶやき 新しい家族・あれれ?

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て12日が経ちました。現在、ノブさん、タケちゃん、ことちゃんは、普段は別々の部屋で過ごし、食事は同じ部屋でとっています。今日も別々部屋にいるだろう、と思って仕事から帰宅したところ。😳何故かみんな、リビングにいました。「もしかして、ずっと一緒にさせてたの、ノブちゃんが怒らなかった?」と、三匹を監視していた子どもに尋ねたところ。「平気だったから、ずっと一緒の部屋で過ごさせた」あっけらかんと答えてくれました。あ〜う〜。少しずつ一緒にいる時間を増やしていこうと思っていたのに、😣ずーっと一緒にいてみんな、ストレス感じてない?大丈夫かな?三匹の様子を見てみると、一人で遊ぶことかちゃん。ことちゃんのことが気にになるけど放置するタケちゃん。タケちゃん...ねこ日記と主のつぶやき新しい家族・あれれ?

  • 東京史跡巡り・人物編 志賀直哉居住の跡

    東京史跡巡り・人物編志賀直哉居住の跡作家・志賀直哉の14歳から29歳まで住んでいた場所です。志賀直哉居住の跡志賀直哉の父直温が、家族とともにここに移り住んだのは、明治三十年(一八九七)、直哉十四歳の時でした。当時の屋敷は千六百八十二坪(五五五〇・六平方メートル)もあり、雑木林の趣さえうかがえる広大なものでした。直哉は、ここで二十九歳まで、人間形成のもっとも重要な青春時代を過ごしました。そして、この間、処女作である「或る朝」をはじめ「網走まで」「正義派」「大津順吉」などの初期の名作を生み出しています。作品の中には当時の父とのいきさつを扱ったものや、「剃刀」「自転車」のようにこの土地にかかわりのあるものがみられます。なお、当時の家屋は、昭和二十年の戦災で全焼しました。昭和五十三年一月(平成十八年建替)港区教育...東京史跡巡り・人物編志賀直哉居住の跡

  • ねこ日記と主のつぶやき 新しい家族・あれ?

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て11日が経ちました。現在、ノブさん、タケちゃん、ことちゃんは、普段は別々の部屋で過ごし、食事は同じ部屋でとっています。そして、食事の後は、面会タイム。猫ちゃん達のストレスにならないように少しずつ面会時間を増やしています。今日の三匹は、どんな感じか、様子をうかがうと。あれ?ノブちゃんは、お気に入りの場所、寝室へ移動。新入りなんぞ、どうでもいい。タケちゃんは?リビングにいるのですが、ほとんど絡みなしの別行動。何故か、ことかちゃん。タケちゃんには、ちょっかいを出しません。なんだろう。思っていたのと、ちょっと違う。仲良くなれるかな?それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき新しい家族・あれ?

  • 東京史跡巡り・人物編 陸奥宗光宅跡

    東京史跡巡り・人物編陸奥宗光宅跡日本の幕末の武士で、明治期の外交官・政治家である、陸奥宗光(むつむねみつ)が明治5年(1872)から同10年(1877)までの間、住んだ跡地です。江東区登録史跡陸奥宗光宅跡(むつむねみつたくあと)陸奥宗光は、明治時代の外交官・政治家で、弘化元年(1844年)、和歌山藩士・伊達宗広(だてむねひろ・千広)の第六子として生まれ、明治30年(1897年)西ケ原(北区)の自邸で逝去しました。父宗弘は藩の要職にありましたが、政争により失脚、宗光は一五歳で江戸へ出ました。文久2年(1862年)に脱藩し、京都で尊王攘夷運動に加わり、のち坂本龍馬の海援隊に参加しました。このころより陸奥の姓を用いるようになりました。明治維新後は、外国事務局御用掛、神奈川県知事、大蔵省租税頭、元老院議官などを歴...東京史跡巡り・人物編陸奥宗光宅跡

  • ねこ日記と主のつぶやき 新しい家族・その後

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て10日が経ちました。現在、ノブさん、タケちゃん、ことちゃんは、普段は別々の部屋で過ごし、食事は同じ部屋でとっています。そして今日も、食事の後は、ちょっと面会タイム。ことちゃんが近づいても怒らなくなったノブさん。大人になったね。今日も元気に遊ぶことちゃん。そんなことちゃんをタケちゃんは、影からこっそり見守ります。兄貴ズ、そろそろ、ことちゃんを家族と認め始めたのでしょうか。さて、ノブさんがすねるので、ことちゃんのお世話は子どもに任せています。だから、ワイが近づくと逃げてしまう、ことちゃん。悲しいけど、日々遠くから見守ってきました。でも今日は、どんだけ近づけるか、チャレンジ。だんだんと近づくワイ。おっと!こんなに近づいても逃げない。心なしか、目つきもカワユクなってきたよ...ねこ日記と主のつぶやき新しい家族・その後

  • 東京史跡巡り・人物編 渋沢栄一宅跡

    東京史跡巡り・人物編渋沢栄一宅跡渋沢栄一が、1876~1888年まで住んだ、跡地です。江東区登録史跡渋沢栄一宅跡永代二ー三七渋沢栄一は、明治から大正にかけての実業界の指導者です。天保11年(1840)武蔵国榛沢郡血洗島村(深谷市)に生まれました。二十五歳で一橋家に仕え、のち幕臣となり渡欧しました。帰国後、明治政府のもとで大蔵省に出仕しましたが、明治六年(1873)に実業界に転じ、以後、金融・産業・運輸などの分野で近代企業の確立に力をそそぎました。晩年は社会公共事業に貢献し、昭和六年(1931)九十二歳で没しました。栄一は、明治九年(1876)に深川福住町(永代二)の屋敷を購入し、修繕して本邸としました。同二十一年(1888)には、兜町(中央区)に本邸を移したため、深川邸は別宅として利用されました。栄一と本...東京史跡巡り・人物編渋沢栄一宅跡

  • ねこ日記と主のつぶやき 新しい家族・その後

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て9日が経ちました。現在、ノブさん、タケちゃん、ことちゃんは、普段は別々の部屋で過ごし、食事は同じ部屋でとっています。そして、食事の後は、ちょっと面会タイム。早く、出してよと、ことちゃん。それを見つめる兄貴ズ。まだ、まだ!と、ことちゃん。はい、はい、自由行動の時間ですよ。遊んでいる、ことちゃんの写真を撮りたいけれど、しかし、自由の身となったことちゃんは、動きが早くて全く撮れない。やっと撮れた一枚がこちら、ノブさんと追いかけっこして疲れて休憩中のことちゃん。三匹は、だんだん、仲良くなってきました。でも、急な生活環境の変化は、猫ちゃんたちのストレスです。ちょっとづつふれあい時間を増やして行こうと思います。仲良くなるといいな。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき新しい家族・その後

  • 東京名所巡り・ 聖路加国際病院トイスラー記念館

    東京名所巡り聖路加国際病院トイスラー記念館昭和8年に聖路加国際病院の宣教師館として建設されました。竣工当初は、宿舎として使用され、戦後は一時的に病院本部として機能したものの、その後は主に職員宿舎や事務所などの用途で使用されてきた歴史ある建物です。現在は、初代院長の名を冠してトイスラー記念館と称されています。聖路加国際病院トイスラー記念館所在地中央区明石町一〇番昭和八年、トイスラー記念館は隅田川畔の明石町十九番地に聖路加国際病院の宣教師館として建設されました。設計者は米国人建築家のJ.V.W,バーガミニィで、施工は清水組(現在の清水建築株式会社)が行いました。建物の躯体は、昭和初期の住宅建築には珍しい鉄筋コンクリート造一部木造の二階建てで、ヨーロッパの山荘を思わせる重厚な風格のある建物でした。平成元年に解体...東京名所巡り・聖路加国際病院トイスラー記念館

  • ねこ日記と主のつぶやき 新しい家族・その後

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て八日が経ちました。引き続き、ノブさん、タケちゃん、ことちゃんは、普段は別々の部屋で過ごし、食事は同じ部屋でとっています。そして昨日は、直接対面したタケちゃんとことちゃん。タケちゃんとことちゃんはなんとなく大丈夫そう。残りの問題は、殿。殿の許しがなければ、お家の中を自由に歩けません。そこで、時々、シャ〜っと言いますが、ちょっかいを出されても怒らないようなので、ちょっと、リビングを散歩させました。はしゃぐことちゃん。ノブさんはというと、近づくと怒りますが、離れた高い場所からことちゃんを見守っていました。これは、いい兆し。みんな仲良くなれるといいな。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき新しい家族・その後

  • 東京史跡巡り・人物編 シーボルト胸像

    東京史跡巡り・人物編シーボルト胸像中央区立あかつき公園内にある、胸像です。明治時代、この地に外国人居留地が設けられていたことから、シーボルトの日蘭の橋渡し役としての功績に報い、ここに胸像が建てられました。シーボルト(一七九六~一八六六)フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、オランダの商館医員として文政六年(一八二三)七月、長崎に到着し、診療の傍ら長崎の鳴滝に塾を開くなどして活躍した。同九年正月、商館長と共に江戸へ向かい、三月四日、日本橋の長崎屋に止宿し、四月十二日出発するまでの間、江戸の蘭学者に面接指導し大きな影響を与えた。しかし、同十一年シーボルト事件が発生し、十二月に日本から追放された。後に安政六年(一八五九)幕府顧問として再来日したが、まもなく帰国しミュンヘンで没した。彼の江戸における指導は、...東京史跡巡り・人物編シーボルト胸像

  • ねこ日記と主のつぶやき 新しい家族・その後

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て一週間が経ちました。引き続き、ノブさん、タケちゃん、ことちゃんは、普段は別々の部屋で過ごし、食事は同じ部屋でとっています。今日は、おとなしいタケちゃんと新入りことちゃんを対面させてみました。小さい仔猫の登場で、ちょっと腰が引けているタケちゃん。でも、次第にゴロンと寝転んで大人の余裕。ちょっかいを出してくることちゃんを余裕の態度で交わします。でも、仁王立ちにはちょっとびっくりしたようです。三匹で遊ぶ姿を見てみたい。仲良くなるといいなぁ。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき新しい家族・その後

  • 東京史跡巡り・人物編 佐久間象山砲術塾跡

    東京史跡巡り・人物編佐久間象山砲術塾跡佐久間象山が西洋砲術塾を開いた信濃国(長野県)松代藩下屋敷があった場所です。嘉永3年(1850)7月から12月までこの地で砲術を教えていました。のちに江戸木挽町に兵法や砲術を教える私塾を開いています。江東区登録史跡佐久間象山砲術塾跡永代一ー一四付近この地は、佐久間象山が西洋砲術塾を開いた信濃国(長野県)松代藩下屋敷があった場所です。象山は松代藩士で、幕末の兵学者・思想家として著名です。文化八年(1811)松代城下で生まれ、名は啓、通称は修理、雅号は「ぞうざん」と称したともいわれています。天保四年(1833)江戸へ出て佐藤一斎に朱子学を学び、同十三年(1842)、藩主真田幸貫より海外事情の調査を命じられました。おりしも、イギリス・清国間で勃発したアヘン戦争(1840~4...東京史跡巡り・人物編佐久間象山砲術塾跡

  • ねこ日記と主のつぶやき 新しい家族・その後

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て6日経ちました。引き続き、ノブさん、タケちゃん、ことちゃんは、普段は別々の部屋で過ごし、食事は同じ部屋でとっています。今日は、隔離部屋でのことちゃんの様子何故か、いつ訪れても起きていることちゃん。君は、一体いつ寝ているんだい?普段、ことちゃんと一緒にいる、子どもに尋ねてみると、あんまり寝ていないとのこと。子猫はいっぱい寝るもんだと思っていたので、ちょっと不安。新しい環境で、ちょっと興奮気味なのかなぁ。もう少し、眠ろうね、ことちゃん。兄貴達は、ことちゃんに用意したハンモックで昼寝のタケちゃん。ハンモック好きだよね。ノブさんはお気に入りの場所で日向ぼっこ。三匹でお昼寝する姿が見てみたい。仲良くなるといいなぁ。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき新しい家族・その後

  • ねこ日記と主のつぶやき 新しい家族・その後

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て5日経ちました。引き続き、ノブさん、タケちゃん、ことちゃんは、普段は別々の部屋で過ごし、食事は同じ部屋でとっています。食事の後は、ちょっと対面時間。お外に出たい様子のことちゃんしかし、ことちゃんの安全の為です。もう、しばらく我慢してね。外には、大きいタケちゃんがいます。見つめ合う二匹タケちゃんに慣れだしたことちゃんタケちゃんの尻尾を狙っています。とりゃ〜っと、手を出しますが、ゲージの中ですからね。タケちゃんには届きません。仲良くなり出したタケちゃんとことちゃん。その二匹の視線の先には、ふん。俺は見ておらん。ご機嫌斜めのノブさんが。みんなが仲良くなるのにはもう少し時間がかかりそうです。仲良くなるといいなぁ。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき新しい家族・その後

  • ねこ日記と主のつぶやき 新しい家族・その後

    新しい家族、ことちゃんがやってきて、4日経ちました。動きは、チョロチョロとして子猫らしい可愛らしさ。しかし、見ればみるほど、ちょっとブチャ。お家に慣れて、目つきが変わってきたら…可愛くなるかな。引き続き、ノブさん、タケちゃん、ことちゃんは、普段は別々の部屋で過ごし、食事は同じ部屋でとっています。タケちゃんとの状況は、良好のようです。何と、鼻チューしていました。(よっしゃ〜!)ただ、ノブさんとことちゃんの状況はと言うと、お互いにシャ〜っ!ヤんのかこら〜っ!まだまだ、難しいようです。仲良くなって欲しいなぁ。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき新しい家族・その後

  • ねこ日記と主のつぶやき 新しい家族

    新しい家族、「ことか」ちゃんが家にやって来て3日が経ちました。ことちゃんですが、「シャ〜!」っと、ノブさんの威嚇がひどいので一人隔離部屋で生活しています。ここ数日、ノブさんの「シャ〜!」が大分減ったので次の段階に入りました。(ちょっと早めですが、試しに)まずは、同じ部屋で食事をすること。ことちゃんは、ゲージの中でお食事。食べ終わった兄貴達はことちゃんをじ〜っと見守ります。同じ部屋での食事は、まずまずといったところ。しかし、半径1mほど近づくと、ノブさんの威嚇攻撃が始まるので、もう少し様子を見ていきたいと思います。お互いストレスにならないよう、焦らずじっくりと慣らして行こうと思います。仲良くなりますように。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき新しい家族

  • ねこ日記と主のつぶやき むっ、難しい。

    ご訪問ありがとうございます。突然ですが、新しい家族が増えました。これ、タケちゃんの小さい頃だろ、って声が聞こえてきそうな。(タケちゃんの幼少期)似てますね。しかし、別猫ちゃんです。ハイ。「ことか」と命名しました。よろしくお願いします。さて、ここで問題が勃発。タケちゃんは新しい子の匂いを嗅いでもちょっと尻尾が太くなるだけで問題ないのですが…殿がね。匂いを嗅いだ瞬間シャ〜っ!う〜っ!って隔離部屋の前で連呼ですわ。割とすんなり仲良くなったノブさんとタケちゃん。彼らの前例があるため、すぐに仲良しになれるだろうと軽く考えていたワイ。間違いやった😓殿!ごめんよ〜😭新しい子が来ても君が一番だからさ。だから、家族にしてやってよ〜。あぁ〜改めて思いました。多頭飼いって難しい。みんなが仲良くな...ねこ日記と主のつぶやきむっ、難しい。

  • 東京史跡巡り 佐久間象山・桜の賦の碑

    東京史跡巡り桜の賦の碑佐久間象山の書いた「桜賦」を、門弟勝海舟の意で碑にしたものです。明治14年(1881)に建立されました。「象山先生櫻賦」の碑北区王子一ー一表面に佐久間象山作・書による「櫻賦」が、裏面に象山の門弟たちによる碑建立の経緯が記されています。信濃国松代藩士であった佐久間象山(一八一一ー一八六四)は、幕末の志士たちに影響を与えた儒者でした。櫻賦は、象山が門弟吉田松陰の蜜出国の企てに連座、松代に蟄居中の万延元年(一八六〇)に作られたといわれます。賦とは、古代中国の韻文の文体の一つで、都城の賛美に多く使われました。「皇国の名筆であり、九陽の霊和を集む」と始まる櫻賦は、日本の名華、桜が陽春のなかで光り輝く様を描写し、桜の花は見る人がいなくても芳香をただよわせる、と結んでいます。蟄居中だった象山が勤王...東京史跡巡り佐久間象山・桜の賦の碑

  • 東京史跡巡り・人物編 子規庵

    東京史跡巡り・人物編子規庵(しきあん)正岡子規のが約8年住んだ終焉の地です。東京都史跡指定されています太平洋戦争の空襲で焼失しましたが、昭和25年に、子規の門弟・寒川鼠骨により再建され、現在に至っています。東京都指定史跡子規庵所在地台東区根岸二丁目五番十一号指定昭和三十五年四月一日正岡子規(一八六七~一九〇二)は俳人・歌人・随筆家。幼名は升、本名は常規、別号を獺祭書屋主人、竹の里人などといった。伊予国藤原新町(現・愛知県松山市)に生まれ、俳句・短歌の革新を唱え、また写生文を提唱した。新聞「日本」及び俳誌「ホトトギス」により活動、子規庵での句会には森鴎外、夏目漱石も訪れ、歌会には伊藤左千夫、長塚節等が参加、歌誌「アララギ」の源流となる。著書には、俳論「俳諧大要」「俳人蕪村」、歌論「歌よみに与ふる書」、歌集「...東京史跡巡り・人物編子規庵

  • 東京史跡巡り・人物編 夏目漱石旧居跡

    東京史跡巡り・人物編夏目漱石旧居跡漱石はイギリス留学から帰国した後、明治36年3月から39年12月まで、3年10ヶ月間、この地に住んでいました。その間、漱石はこの地で初めて創作の筆をとりました。その作品『吾輩は猫である』の舞台として、’猫の家”と呼ばれ親しまれていました。夏目漱石旧居跡(区指定史跡)日本医科大学同窓会館文京区向丘2-20-7夏目漱石本名・金之助。慶応3年~大正5年(1867~1916)。小説家。この地に、漱石がイギリス留学から帰国後の、明治36年3月から39年12月、現在の西片1丁目に移るまで、3年10か月住んだ家があった。(家主は東大同期の斉藤阿具氏)当時、東京帝大英文科、第一高等学校講師として教職にあった漱石は、この地で初めて創作の筆をとった。その作品「我輩は猫である」の舞台として”猫...東京史跡巡り・人物編夏目漱石旧居跡

  • ねこ日記と主のつぶやき 難しい

    新居に移ったのを機に、家庭菜園を始めたワイ。夏場はトマトなどいっぱい収穫できてほくそ笑んでいたワイ。しかし、可愛い花でしょう。何の花か分かりますか?正解は、白菜の花です。って、全然白菜じゃないだろって。初心者のワイ。プランターに種を蒔けば、勝手に結球するだろうと思っていました。しかし、15度以下になると結球できなくなるらしい。ワイ、種まきの時期が遅すぎた模様。また、肥料不足、害虫の被害など、外葉の育成不足・枚数不足になると十分に光合成することが出来ず、結球出来ないそうです。肥料は上げていたのですが、虫がね。アイツら黄緑色で見つけ辛いんだよね。気がついたら、いっぱい食べられていたよ。う〜む、難しい。農家さんの苦労を知ったワイでした。フードロスはしないようにしないとね。今日のノブさんあれ?ノブさん顔がまん丸に...ねこ日記と主のつぶやき難しい

  • ねこ日記と主のつぶやき 圧

    待ちに待った、ファイナルファンタジーVIIリバースが2月29日に販売されました。発売日から家に引きこもってプレイをしようと計画を立てていたワイ。しかし、何故か発売日前日からず〜っと、仕事が入っていた。何故?今、職場暇だよね。ってか、ワイの他にも従業員いるよね。何故、ワイだけ5連チャンなんだ〜!ゲームプレイ出来ないじゃないか😭かなりストレスを感じるワイ。しかも、余りにも映像が綺麗すぎて、(上記の映像は、SQUAREENIXからお借りしました)ウプッ🤢3D酔いに悩まされるワイ。チキショウ、ゲーム進められない😭やっと、怒涛の5連ちゃんが終わり、画像に慣れてきたワイ。よし、どんどんゲームを進めるぜ!意気込んでいるワイ。しかし、ずっと仕事で家にいなかったよね。かまって...ねこ日記と主のつぶやき圧

  • ねこ日記と主のつぶやき うっわ!

    先日、カンカンが可愛いのでパケ買いしちゃいました。ワイ、缶好きなんですよね。可愛いですよね。んで、おやつに中身を食べちゃおうと開けて見たら…うっわ!スカスカやん。思わず、子どもの頃買った、おまけ付きお菓子を思い出しました。ビスケットが主役じゃなくて、缶が主役なのね。先日買った手ぬぐいをバックにノブさん。派手〜(インテリアに全く合っていない)タケちゃんは、ちょっと風邪気味です。あちこちに、鼻水を吹き飛ばし、テーブルが水玉模様。早く治りますように。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきうっわ!

  • 角野隼人 全国ツアー2024 "KEYS" に行ってきました。

    先日、角野隼人全国ツアー2024"KEYS"に行ってきました。以前から角野君のコンサートに行ってみたいと思っていたが、関西に引っ越したワイ。関東に比べるとコンサートの回数は少ないだろう、と諦めていた。だが、なんと、京都で二回も開催してくれるやんけ〜。これは、行かなきゃ、とチケットをゲットしました。ワイ、コンサートに行くのに何年ぶりだろう。しかも、ピアノのコンサートは、初めて。かなりの緊張。ドキドキしながら、コンサート会場のエントランスに入ると、ど、ど〜ん!、と角野君の看板。カッケ〜!改めてコンサートに来れたのだと実感。会場はすでに観客でいっぱい。ワイと同世代の女性のお客様が多い印象でした。そんな中、小学生などの学生もちらほら。それは、U25チケットがあるから。U25チケットとは、「多くの学生にも聴く機会を...角野隼人全国ツアー2024"KEYS"に行ってきました。

  • 東京史跡巡り・人物編 芥川龍之介文学碑

    東京史跡巡り・人物編芥川龍之介文学碑芥川龍之介文学碑は、芥川龍之介の出身校である両国小学校(旧・江東尋常小学校)の北西角に平成2年(1990年)に文化都市づくりの一環として建立されました。碑には、「杜子春」の一節が刻まれています。芥川龍之介文学碑芥川龍之介は、明治二十五年(一八九二)三月一日、東京市京橋区入船町に新原敬三、ふくの長男として生まれました。辰年辰の日辰の刻に生まれたのにちなんで龍之介と命名されました。生後七ヶ月の時、母ふくが突然発病したため、本所区小泉町十五番地(現両国三丁目)に住んでいたふくの長兄芥川道章に引き取られ、十三歳の時芥川家の養子となりました。芥川家は旧幕臣で江戸時代からの名家で、道章は教養趣味が深く、文学、美術を好み、俳句や盆栽に親しむとともに南画をたしなみ、一家をあげて一中節を...東京史跡巡り・人物編芥川龍之介文学碑

  • 東京史跡巡り・人物編 芥川龍之介生誕の地

    東京史跡巡り・人物編芥川龍之介生誕の地作家・芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)の生誕の地です。芥川龍之介生誕の地所在地中央区明石町一〇番付近昭和十六年(一八八三)ごろ、この付近(当時の京橋区入船町八丁目一番地)に「耕牧舎」という乳牛の牧場がありました。作家芥川龍之介(一八九二~一九二七)は、明治二十五年三月一日、その経営者新原敬三の長男として、ここに生まれました。龍之介は誕生後七ヶ月にして、家庭の事情から母の長兄芥川道章に引き取られて、本所区小泉町(現、墨田区両国三丁目)に移り、明治三十七年(一九〇四)、芥川家の養子になりました。東京帝国大学在学中から文筆に親しみ、第四次「新思潮」に発表した「鼻」が夏目漱石に評価され、文壇に出ました。「羅生門」、「地獄変」、「河童」、「歯車」など、多くの名作を遺しました...東京史跡巡り・人物編芥川龍之介生誕の地

  • 東京史跡巡り・坂本龍馬(品川)

    東京史跡巡り坂本龍馬(品川)京浜急行立会川駅の近く、諏訪神社所有地内にある児童遊園には、「坂本龍馬」像が設置されています。龍馬が世界と出会ったまち品川ペリーが初めて来航した嘉永6年(1853)、19歳の坂本龍馬は藩からの許可を得て江戸で剣術始業中でした。土佐藩は立会川で剣術始業中でした。土佐藩は立会川河口付近にあった下屋敷詰めの武士を動員し、龍馬もその中に加わりました。同年9月には「異国船異国船処々来り候へば、軍(いくさ)も近き内を存じ奉り候、その節は異国の首を打ち取り』と、父親に手紙を書いています。品川での黒船警固から、龍馬の幕末は出発したのです。立会川二十歳の龍馬像嘉永6年(1853)黒船4隻によるペリー艦隊来航の折、坂本龍馬(1835~1867)は土佐藩品川下屋敷の近くにあった浜川砲台の警護にあたり...東京史跡巡り・坂本龍馬(品川)

  • 散策日記・千葉県浦安市 境川

    散策日記千葉県浦安市・境川境川(さかいがわ)は、千葉県浦安市を流れる一級河川で、利根川水系旧江戸川の分流です。左岸の猫実(ねこざね)村と右岸の堀江村の境界をなすことから名付けられました。境川(さかいがわ)昭和三十三年(一九五八)、準用河川として指定昭和四十年(一九六五)、一級河川として指定境川は、江戸川の支流で、本市の中央を西から東へ流れ、東京湾に注いでいます。かつての境川は、長さ一・七キロメートルほどの小さな川でしたが、昭和四十年(一九六五)から海面埋立事業によって、川の長さも三倍の約四・八キロメートルになりました。江戸時代には、人々は境川の両岸に密集して民家を建て、北側が猫実村、南側が堀江村として、それぞれ集落を発展させてきました。川の水は、昭和二十年代ごろまでは、川底が透けて見えるほど美しかったとい...散策日記・千葉県浦安市境川

  • 京都名所巡り 旧三井家下鴨別邸

    京都名所巡り旧三井家下鴨別邸京都府京都市左京区下鴨宮河町にある豪商・三井家の旧別邸です。明治13年(1880)、木屋町に建てられた別邸で、大正14年に現在の場所に移築・増築されました。平成23年(2011)に重要文化財に指定。平成25年~平成28年(2013~2016)にかけて復元修理がされ、平成28年(2016)より一般公開が開始されました。旧三井家下鴨別邸は、旧財閥で知られる三井家の先祖を祀った顕名霊社への参拝の休憩所として大正14年(1925)に、三井家10代三井八郎右衛門高棟が建築しました。建築に当たっては、明治13年(1880)、建築の木屋町別邸の主屋を移築し、あわせて玄関棟を増築し、以前からあった茶室も修復し、別邸として整備しました。建物は、三階に四方を見渡せる望楼をもつ開放的な造りや、次の間...京都名所巡り旧三井家下鴨別邸

  • 京都散策日記・百万遍さんの手づくり市

    京都散策日記百万遍さんの手づくり市2月15日、京都市左京区田中門前町の知恩寺境内で、毎月15日(8月はお休み)に行われている「百万遍さんの手づくり市」に行ってきました。平日なので空いているだろうと思ったら、境内は人がいっぱいでした。しかも、外国の方もいらっしゃりました。こちらのマーケット、「素人が作った物を発表する場」として始まり、手づくり以外の物の販売は禁止となっているため、他のフリーマーケットとはちょっと違います。境内をくるりと回ってみましたが、パン屋さんやお菓子屋さん、かばんやアクセサリーや服、食器や石鹸などなど。様々なお店が出店していて、見るだけでも楽しい。😆関東に住んでいる時にも、クラフト市によく足を運んでいたのですが、お値段がちょっと高くて手が出せなかった。しかし、こちらのマー...京都散策日記・百万遍さんの手づくり市

  • 京都散策日記 黒木の梅

    京都散策日記黒木の梅京都御苑に現存する梅の名木のひとつです。九條家跡にあったものを大正天皇即位大礼の時現在の場所に移植されましたが枯れてしまい、現在の木は接木により植継ぎされたものです。黒木の梅「黒木の梅」は、九條家跡にあったものを大正天皇即位大礼の時現在の場所に移植されましたが枯れてしまい、現在の木は接木により植継ぎされたものです。原株は英照皇太后御幼少の時、ご生家で愛でられていたと言われています。花は濃紅色、大輪の八重咲きで重なり厚く多くの花をつけます。参考文献・京都園藝第十七輯・京都園藝第四十一輯所在地京都府京都市上京区最後に私が訪れたのは、2月21日。あいにくの雨模様の上に、梅の花もほとんど咲いていない状態でした。咲いている花を見る限り、満開時にはさぞかし美しいであろうと、残念に思いながら帰宅した...京都散策日記黒木の梅

  • 奈良散策日記・菅原天満宮・盆梅展

    奈良散策日記菅原天満宮・盆梅展今年も菅原天満宮の盆梅展に行ってきました。当日は、祈年祭(おんだ祭)が開催されていたようですが、すでに終わった後。😅どんなお祭りだったのか?気になります。機会があったら訪れたい。さて、去年に引き続き訪れた、盆梅展。菅原天満宮・盆梅展を見に行ってきました。-リートリンの覚書今日は、奈良県奈良市菅原町にある、日本最古の天満宮、菅原天満宮へ行ってきました。現在、菅原天満宮では盆梅展が2月5日〜3月5日まで開催されています。会場には、大...gooblog 去年は、ほとんどの梅が満開で、香りが辺りに漂い、素晴らしかったことを思い出します。しかし、今年は、あいにくの雨模様。しかも、一部の梅が、盛りを終えていました。ガックシ😔しかし、去年は殆ど咲いていなかった枝垂れ梅が、見頃を迎えていま...奈良散策日記・菅原天満宮・盆梅展

  • 東京橋巡り 東京メトロ東西線 江戸川第一橋梁

    東京橋巡り東京メトロ東西線江戸川第一橋梁(えどがわだいいちきょうりょう)旧江戸川に架かる、東京メトロ東西線を通す橋梁です。所在地東京都江戸川区東葛西4丁目ー千葉県浦安市最後に浦安市の境川西水門の辺りから望んだのですが、側には桜の木がありました。私が訪れたのは初春だったため、桜は咲いていませんでしたが、桜のシーズンには、桜と東西線のコラボが見られるので、中々の絶景ポイントではないかと思います。東京橋巡り東京メトロ東西線江戸川第一橋梁

  • 東京橋巡り 浦安橋

    東京橋巡り浦安橋(うらやすばし)浦安橋は、旧江戸川に架かる東京都江戸川区と千葉県浦安市を結ぶ道路橋です。初代の橋は昭和15年(1940)に架橋されましたが、橋の老朽化と交通量の増大により、現在の橋が昭和53年(1978)が建設されました。橋が架橋される以前は、「堀江の渡し」「浦安の渡し」がありました。渡し場跡江戸末期から明治初期にかけて、旧江戸川対岸の堀江飛地(現江戸川区南葛西)の農地耕作のため、「堀江の渡し」が内田平次郎によってはじめられました。待合所は、堀江四丁目六九番地地先(現境川西水門堀江側)にありました。その後、この渡しは廃止され、そのかわりにこの場所に待合所ができ、ここから対岸の東長島(現江戸川区東葛西)を往復する「浦安の渡し」が開かれました。所要時間は二〇から三〇分ほどかかったといわれていま...東京橋巡り浦安橋

  • 散策日記・京都市左京区岡崎最勝寺町周辺

    2月11日、京都市左京区岡崎最勝寺町周辺に散策に出かけました。きっかけは、車内広告で「にゃんと工芸」のポスターを見かけたこと。にゃんと工芸 イベント情報|京都市勧業館「みやこめっせ」京都最大級のイベント会場・展示場京都市勧業館みやこめっせで開催される「にゃんと工芸」に関するイベント情報です。京都市勧業館「みやこめっせ」は京都最大級のイベント会場・展示場です。みやこめっせ 猫好きとしては、是非訪れてみたいと思い、家族と出かけました。イベントが開催されているのは、岡崎最勝寺町の京都市勧業館みやこめっせB1Fの京都伝統産業ミュージアムショップ。訪れてみると…あれ?思っていたのとは、ちょっと違~う。ミュージアムショップの一画に、ちょろっと猫グッツが並んでいるだけでした😅車内広告がなされるぐらいだか...散策日記・京都市左京区岡崎最勝寺町周辺

  • ねこ日記と主のつぶやき 春近し・京都御苑の梅

    今日は、ねこの日ですね。うちの猫ちゃんたち。冬の間は、コタツにこもりっきりで、姿を捉えることが難しかったのですが、こたつの外に出ている時間が長くなりました。春が近いですね。外を眺めたり、色んな場所で、ワイの監視をしたり…そんなに見つめられると作業しづらいよ😖今日も元気な2匹でした。さて、昨日は、梅を愛でようと京都御苑に行ってきました。雨が降っていて残念でしたが、京都御苑の梅林は、白梅が満開でした。梅の香りが辺りに漂っていました。紅梅はこれからといった所。愛らしいメジロちゃんがいっぱいいました。(iPhoneでは、これが背一杯😖)名物の黒木の梅は、ポツリポツリと咲いていました。見頃はもう少し先のようです。春が近づいてきましたね。楽しみです。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき春近し・京都御苑の梅

  • 東京橋巡り 鎧橋

    東京橋巡り鎧橋(よろいばし)鎧橋は、東京都中央区を流れる日本橋川に架かる橋です。この地帯は、古くは茅の生い茂る沼地で、江戸時代に徳川家康の江戸城築城計画に合わせて埋め立てられました。鎧橋が最初に架けられたのは、明治5年。現在の橋は、1957年に架け替えられたものです。鎧橋鎧橋が最初に架かったのは明治五年で、当時の豪商が自費で架けたのが始まりです。橋が架けられたのと前後して米や油の取引所、銀行や株式取引所などが開業し、この地は大いに賑わいました。その後、明治二十一年には鋼製のプラットトラフ橋に架け替えられました。その頃の様子を文豪谷崎潤一郎は「幼少時代」でこんな風に書いています。「鎧橋の欄干に顔を押しつけて、水の流れを見つめていると、この橋が動いているように見える…私は、渋沢邸のお伽のような建物を、いつも不...東京橋巡り鎧橋

  • 東京名所巡り 三井本館

    東京名所巡り三井本館(みついほんかん)三井本館は、東京都中央区日本橋室町にある三井不動産の本社です。三井越後屋(三越)の跡地に旧三井財閥の本拠として建てられました。所在地東京都中央区日本橋室町2-1-1最後に昭和4年(1929)に竣工した、新古典主義様式に夜鉄筋コンクリート構造で、国の重要文化財(建造物)に指定されています。やはり、昭和初期に建てられた建物は、重厚感があって素晴らしい建物が多いですね。(現在の建物は、ノッペリとして、どれも同じに見える。しかも、ガラスの使いすぎで、災害時のことを考えると怖い怖い)東京名所巡り三井本館

  • 東京名所巡り 三越日本橋本店

    東京名所巡り三越日本橋本店(みつこしにほんばしほんてん)三越日本橋本店は、東京都中央区日本橋室町にある、三越伊勢丹が運営する百貨店です。所在地東京都中央区日本橋室町1-4-1最後に三越日本橋本店の建物は、大正3年(1914)に竣工されたものです。今年でちょうど、築110年ですね。国の重要文化財にも登録されてます。大正時代・昭和初期の建物は、カッコいい建物が多いですね。時間がなかったので、建物の中には、入らなかったのですが…調べてみると興味の湧くものがいっぱいありました。ほんと、入ってみるべきだと後悔しています。(また、言っているよ)東京名所巡り三越日本橋本店

  • 東京名所巡り 日本銀行本店

    東京名所巡り日本銀行本店(にっぽんぎんこうほんてん)日本銀行本店は、東京都中央区日本橋本石町2丁目にある、日本の銀行建築です。設計は辰野金吾で、ベルギー国立銀行を参考に明治29年(1896)に竣工しました。日本銀行本店本館所在地東京都中央区日本橋本石町2-1-1最後に江戸桜通りを散策している際に、かっこいい建物に遭遇。その日は、時間なかったので、数枚写真を撮影し、通り過ぎてしまいました。後日、建物を調べてみると、設計は、あの辰野金吾氏。あぁ、失敗した。様々な角度から撮影しておくべきだった。(いつもこんなことを言っているなぁ)しかも、見学ツアーがあると知りました。中も見学できたのね。しかし、引っ越してしまったので、気軽に行けない。あ~。東京名所巡り日本銀行本店

  • ねこ日記と主のつぶやき 参ったなぁ

    ご訪問ありがとうございます。久しぶりのねこ日記です。去年の年末、特発性膀胱炎になったノブさん。その後、水分補給を気をつけるようにしたら、再発もなく、元気にしております。タケちゃんも元気です。さて、ウチでは猫ちゃんたちにお留守番をさせる時、自動エサやり機を使っています。出かける前にお昼ご飯をセット。すると、蓋を開けようと、ツンツンするノブさん。それをジッと見つめるタケちゃん。まったくもう、餌やり機を元の場所へ戻す主。しかし、再び挑戦するノブさん。今度は、あれ?ダイヤルの辺りを突いているぞ。そして、本体を前脚でぐるりん。パカって。開けてるやんけ〜。ノブさん、器用にダイヤルを回してしまいました。どうやら、ダイヤルを回すと蓋が開くことを知ってしまったようです。その後毎回、自動エサやり機を開けてしまうようになってし...ねこ日記と主のつぶやき参ったなぁ

  • 東京・公園巡り 地蔵橋東児童遊園

    東京・公園巡り地蔵橋東児童遊園地蔵橋東児童遊園は、東京都千代田区にある公園です。所在地東京都千代田区岩本町最後に児童遊園と言う割には、遊具等がありません😅しかし、緑豊かな公園でした。公園内には、神田八丁堀跡の説明書きがありました。神田八丁堀跡1657年(明暦3年)に起きた振袖火事(明暦の大火)は、江戸城及び江戸市内に大きな被害をもたらしました。この大火の後に、防火のために八丁(約870m)にわたって土手が築かれ、そばに明地が作られました。1691年(元禄4年)に町人たちが自ら費用を負担して明地に堀を開削し、これが神田八丁堀であり、神田堀や銀堀とも呼ばれました。のちに竜閑川と名付けられ、千代田区と中央区の区界になりました。堀は現在の内神田二丁目にある千代田合同庁舎あたりで外堀(現在の日本橋川...東京・公園巡り地蔵橋東児童遊園

  • 東京・橋巡り 西河岸橋

    東京・橋巡り西河岸橋(にしがしばし)西河岸橋は日本橋川に架かる橋です。中央区道を通しています。西河岸橋このあたりは、江戸時代より我が国の商業・経済の中心地として、栄えてきました。この橋は、日本橋から一石橋までの日本橋川右岸地域が、西河岸町という地名であったことから”西河岸橋”と名付けられたものです。初代の橋(明治24年架設)は、弓弦形ボウストリングトラスという、当時最新式の鉄橋でした。関東大震災により被害を受けたこの橋は、大正14年に現在の橋に架け替えられました。区では、架設後65年を経過したこの橋を平成2年度において、痛んだ部分を修復し、さらに伝統的な木造建築様式の木組みを採りいれた意匠で整備しました。橋梁の諸元形式3径間連続鋼構掛橋橋長52・0m有効幅員11・0m(車道6・0m歩道2・5m×2)橋下日...東京・橋巡り西河岸橋

  • 東京・橋巡り 一石橋

    東京・橋巡り一石橋(いちこくばし)一石橋は、日本橋川に架かる橋です。東京都道405号外濠環状線を通しています。一石橋の歴史一石橋は寛永年間(一六二四~一六四七年)またはそれ以前から存在した橋である。左の写真に見られる一石橋の姿は、大正十一年に架け替えられた当時の姿で、アーチ部分の石積み、重厚な石の高欄や親柱、証明などの細部に至るまでデザインの施された橋であり、当時の時代を感じさせる西洋的でモダンな印象をかもし出している。一石橋の上流半分は、昭和四十八年にスチール製の桁橋に架け替えられ、平成十一年には下流側半分についても架け替え工事が行われ今日に至っている。大正時代当時の一石橋の姿を残しているのは上流側の大きい親柱と小さい親柱(当時の袖柱)のみとなり、残りの施設については、平成十一年の下流側架け替え工事に伴...東京・橋巡り一石橋

  • 東京橋巡り 常盤橋(常磐橋)

    東京橋巡り常盤橋(ときわばし)常盤橋は、日本橋川に架かる橋です。上流にある歩行者専用の石橋「常磐橋」と、下流にある関東大震災の復興計画で建設された道路橋の「常盤橋」が現存します。石橋の「常磐橋」は、旧常磐橋とも表記されます。常盤橋常磐橋(旧常磐橋)所在地東京都千代田区大手町最後に同じ川に架かる橋に、同じ名前を付けるとは。ややこしいですね。さらに、区別しやすいように、漢字を変える。って、逆に分かりづらいような。さて、旧常磐橋が、東京都内で現存する最古の石橋となっています。一時は、東日本大震災の影響の損傷で、通行禁止となっていましたが、約7年かけて修復工事が行われ、通行が再開されました。古き良きものが、失われるのは忍びないこと。修復されたことは、大変喜ばしいことです。その姿を後世まで残して欲しいと思います。東京橋巡り常盤橋(常磐橋)

  • 東京公園巡り 常盤橋公園

    東京公園巡り常盤橋公園 (トキワバシコウエン)日本橋川にかかる常盤橋にある公園です。1955年に再建された渋沢栄一像や、国指定史跡「常盤橋門跡」の石垣の一部が現存しています。所在地東京都千代田区大手町2丁目7-2最後に江戸城の城門の一つ「常盤橋門」があった場所にある公園。城門の石垣の一部が現存し、その横には、修復された常盤橋の姿が見られます。思わずタイムスリップをしたような感覚になりました。東京公園巡り常盤橋公園

  • 東京名所巡り 日本武道館

    東京名所巡り日本武道館(にっぽんぶどうかん)日本武道館は、東京都千代田区北の丸公園にある武道館です。1964年東京オリンピックの柔道競技会場として建設されました。所在地東京都千代田区北の丸公園2-3最後に日本武道館といえば、”光る玉ねぎ~”ワイ、学生のころ、爆風スランプの大ファンで、日本武道館の擬宝珠を見るとついつい、”大きな玉ねぎの下で”が思い出されます。とはいえ、武道館のコンサートに、一度も足を運んだことがないのですが😅思い出にと日本武道館の写真を数枚撮影しました。しかし、撮影当日のイベントのアーチストが誰なの全くわからず⁇掲載できそうな写真が数枚となってしまいました。ほんま、誰やったのか?東京名所巡り日本武道館

  • 東京史跡巡り 田安門

    東京史跡巡り田安門(たやすもん)東京都千代田区北の丸公園内にある、旧江戸城の門です。国の重要文化財(建造物)に指定されています。重要文化財旧江戸城田安門昭和36年6月7日指定江戸城は、長禄元年(1457)に太田資長(道灌)によって創られたとされる。天正18年(1590)徳川家康の居城となり、文禄元年(1592)から大規模な改修が実施され、慶長12年(1607)に天守閣が、寛永13年(1636)に総構が完成し、大城郭としての形が整えられた。その後、明暦3年(1657)をはじめ、数度の大火に見舞われものの、城郭の規模は幕末までほぼ維持された。田安門は、北の丸北部に位置する枡形門であり、正面の高麗門と、その右手奥の櫓門からなる。門の創建年代は明らかではないが、現在の門は高麗門の扉釣金具から残る刻銘から寛永13年...東京史跡巡り田安門

  • 東京名所巡り 常燈明台

    東京名所巡り常燈明台(じょうとうみょうだい)常燈明台は、東京都千代田区の靖国通りにある塔です。明治4年(1871)に靖国神社の灯籠として奉納されたものです。初めは九段坂をのぼった右側にありましたが、道路改修にあたり昭和5年(1039)に、現在地に移転しました。所在地東京都千代田区九段南2丁目2最後に今は、ビルしか見えませんが😅建てられた当時、九段坂の上からは、遠く筑波山や房州の山々まで見渡すことができ、東京湾の漁船の目印ともなっていたといいます。設計者などの詳細は不明ですが、下部は日本式、上部は西洋式という和洋折衷で、なかなか味がある建物です。もっと色々な角度から撮影しておくべきだったと後悔です。東京名所巡り常燈明台

  • 東京・駅巡り 原宿駅

    東京・駅巡り原宿駅(はらじゅくえき)原宿駅は、東京都渋谷区神宮前にある、JR東日本の山手線の駅です。竹下改札神宮側出入り口所在地東京都渋谷区神宮前1丁目最後に昔、習い事をしていたことがあり、その教室が原宿にあったことから、何度も訪れた場所原宿。私がよく利用していた頃は、まだ旧駅舎で趣のある姿で気に入っていました。その2代目となる旧駅舎は、1924年に竣工した木造建築で、都内で現存する木造駅舎で最も古いものでした。その木造旧駅舎、一度解体され、新駅舎の横に再現されるとのことです。東京・駅巡り原宿駅

  • 東京史跡巡り 高輪大木戸跡

    東京史跡巡り高輪大木戸跡(たかなわおおきどあと)東京都港区高輪2丁目にある交通遺跡です。史跡高輪大木戸跡所在地港区高輪二丁目十九番指定昭和三年二月七日高輪大木戸は、江戸時代中期の宝永七年(1710)に芝口門にたてたられたのが起源である。享保九年(1724)に現在地に移された。現在地の構造年には宝永七年説・寛政四年(1792)など諸説がある。江戸の南の入口として、道幅役六間(約十メートル)の旧東海道の両側に石垣を築き夜は閉めて通行止とし、治安の維持と交通規制の機能を持っていた。天和二年(1682)には、札の辻(現在の港区芝五の二九の十六)から高札場も移された。この高札場は、日本橋南詰・常磐橋外・浅草橋内・筋違橋内・半蔵門外とともに江戸の六大高札場の一つであった。京登り、東下り・伊勢参りの旅人の送迎もここで行...東京史跡巡り高輪大木戸跡

  • 東京・駅巡り 高輪ゲートウェイ駅

    東京・駅巡り高輪ゲートウェイ駅(たかなわゲートウェイえき)東京都港区港南2丁目にある、JR東日本の駅です。令和2年(2020)に開業しました。所在地東京都港区港南2-1-220最後に私が訪れた時、駅の周りは再開発の真っ最中で、工事現場ばかりでした。そのせいでしょうか、山手線内の駅とは思えないほど閑散としていました。しかし、高輪ゲートウェイ駅って、変な名前ですよね。公募でも人気のなかった、「高輪ゲートウェイ」、何故選ばれたのでしょうか?個人的には、全部漢字の名称の方がいいと思いますがね。東京・駅巡り高輪ゲートウェイ駅

  • 東京坂巡り 汐見坂

    東京坂巡り汐見坂(しおみざか)東京都港区虎ノ門にある坂です。しおみざか江戸時代中期以前には、海が眺望できた坂である。南側に松平大和守(幕末には川越藩)邸があって、大和坂ともいった。所在地東京都港区虎ノ門最後に東京にいくつかある汐見坂の一つです。江戸時代には海が見えたこの場所ですが、現在は、見渡す限り、ビルばかりとなっていました。東京坂巡り汐見坂

  • 東京坂巡り 本氷川坂

    東京坂巡り本氷川坂(もとひかわざか)本氷川坂は、東京都港区赤坂にある坂です。本氷川坂もとひかわざか坂途中の東側に本氷川明神があって坂の名になった。社は明治十六年四月、氷川神社に合祀された。元氷川坂とも書いた。所在地東京都港区赤坂6丁目10-29最後に勝海舟が住んでいた赤坂。勝海舟も歩いたであろう坂を感慨深く散策しました。東京坂巡り本氷川坂

  • 東京名所巡り 東京駅

    東京・駅巡り東京駅(とうきょうえき)東京駅は、JR東日本・JR東海・東京地下鉄の駅です。1日あたりの列車の発着本数は約3000本という日本を代表するターミナル駅の一つです。大正3年(1914)に竣工した赤レンガ造りの丸の内口駅舎は辰野金吾らが設計しました。国の重要文化財に指定されています。所在地東京都千代田区丸の内1丁目最後に東京大空襲により、レンガ造の壁、コンクリート製の床などの構造体は残りましたが、鉄骨造の屋根は焼け落ち、内道の大半が失われました。戦後、修復工事を行いましたが、安全性に配慮して一部変更されたそうです。辰野金吾氏が設計した本来の姿を見てみたかったのもです。残念でならない。東京名所巡り東京駅

  • 東京橋巡り 南高橋

    東京橋巡り南高橋(みなみたかばし)南高橋は、東京都中央区を流れる亀島川に架かる橋です。中央区道台416号線を通しています。南高橋この橋は、亀島川の河口に位置し、関東大震災の復興事業の一つとして、昭和7年(1932年)に架けられました。橋の主要部は、明治37年(1904年)に架けられた旧両国橋の材料を利用して作られたもので、都内に現存する鉄橋のうち道路橋としては、最も古い橋です。また構造上の特徴は、トラスの一部材の端に丸い環のついた”アイバー”が用いられており、全体はピントラス橋とも呼ばれています。このため明治期の技術を今に伝える貴重なものとして、中央区民文化財に登録されています。平成28年(2016年)に、土木学会選奨土木遺産として認定されました。「歌舞伎座前より乗合自動車に乗り鉄砲洲稲荷の前にて車より降...東京橋巡り南高橋

  • 東京橋巡り 高橋

    東京橋巡り高橋(たかばし)亀島川に架かる橋です。鍛冶橋通りを通しています。所在地東京都中央区八丁堀3丁目・4丁目ー中央区新川2丁目最後に高橋の周辺には、亀島川緑道や亀島公園などがあります。緑道は、綺麗に整えられていて歩きやすく、公園には桜が植えてあり、散策にはもってこいの場所でした。東京橋巡り高橋

  • 東京川巡り 亀島川

    東京川巡り亀島川(かめじまがわ)亀島川は、東京都中央区を流れる荒川水系の一級河川です。日本橋川から分流し、隅田川に合流する1・06㎞の河川です。所在地東京都中央区最後に河川環境の向上を目指し、護岸壁面やテラス部などの水辺空間の緑化を推進しており、近年では魚や底生動物が確認されるなど、水質が改善されつつあるそうです。亀島川沿岸は、船着場があり、リゾート地にいるような気分を味わうことができる場所でした。参考Wikipedia東京都建設局HP東京川巡り亀島川

  • 東京公園巡り 洗足池公園(改訂版)

    東京公園巡り洗足池公園洗足池公園(せんぞくいけこうえん)は、東京都大田区南千束にある公園です。公園内にある洗足池は、北千束の清水窪湧水などを主な水源とする都内屈指の広さを有する淡水池です。東京都指定名勝洗足池公園所在地大田区南千束二丁目1番四号外五三筆指定平成三一年三月一五日区立洗足池公園は、清水窪湧水などを主な水源とする淡水池の佳景で古くからよく知られています。「洗足」の名は日蓮聖人が手足を洗ったという伝承にちなむと言われています。江戸時代には数多くの文芸作品や絵画作品に取り上げられ、浮世絵師・歌川広重が描いた「名所江戸百景・千束の池袈裟懸松」はことに有名です。明治二三頃には、晩年の勝海舟が東岸に別荘「洗足軒」を築き、後に夫婦の墓地も造られました。公園近くの国登録有形文化財「旧清明文庫」は、昭和初期に海...東京公園巡り洗足池公園(改訂版)

  • 東京史跡巡り 聖路加ガーデン

    東京名所巡り聖路加ガーデン(せいるかガーデン)東京都中央区明石町にある2棟(聖路加タワー/聖路加レジデンス)の超高層ビルからなる複合施設です。所在地東京都中央区明石町8-1最後に対岸を歩いている際、カッコイイビルだなぁ、と思い撮影。ちなみに、こちらの聖路加ガーデンも「3月のライオン」で背景で登場していました。そう、自分、ずっと聖路加を「せいろか」と呼んでいたのですが…聖路加の正式な読み方は「せいるか」だったことを、今日知りました。恥ずかし💦東京史跡巡り聖路加ガーデン

  • 東京橋巡り 築地大橋

    東京橋巡り築地大橋(つきじおおはし)築地大橋は、東京都中央区にある隅田川に架かる橋です。東京都市計画道路幹線街路環状第2号線を通しています。隅田川でもっとも下流に位置する橋で、平成30年(2018)に開通しました。所在地東京都中央区築地5丁目ー勝どき5丁目最後に鋼3径間連続中路式アーチ橋、築地大橋。徒歩で渡ったのですが、私以外の人影は見当たらず、貸切状態でした。遠くを見渡すと、浜離宮の向こうに東京タワーが見えて、テンションが上がったのを思い出します。「つきじおおはし」の揮毫は、舛添要一前都知事です。東京橋巡り築地大橋

  • 東京橋巡り 勝鬨橋

    東京橋巡り勝鬨橋(かちどきばし)勝鬨橋は、東京都中央区にある隅田川に架かる橋です。東京都道304号日比谷豊洲埠頭東雲町線を通しています。昭和15年(1940)に竣工しました。日本で現存する数少ない可動橋(跳開橋)ですが、隅田川を航行する船の減少、交通量の増加などによって、昭和45年11月29日の開閉を最後に、現在では開かずの橋となっています。所在地東京都中央区築地6丁目ー勝どき1丁目最後に勝鬨橋。姿がかっこいいよく、何度も撮影したことを思い出します。その勝鬨橋、中央が開閉するのですが、現在は、開かずの橋となっています。再び跳開させようとの運動があるようですが、機械部等の復旧に莫大な費用(試算では約10億円)がかかることや多数の道路交通量があることから、実現のめどは立っていません。跳開する姿を見てみたいもの...東京橋巡り勝鬨橋

  • 東京川巡り 月島川

    東京川巡り月島川月島川は、東京都中央区に流れる川です。隅田川から月島川水門を経て分流し朝潮運河へと注ぐ小さな川です。所在地東京都中央区月島3丁目最後に水門は、流水を制御するとともに高水時には、堤防としての機能をもちます。東日本大震災では、水門操作に駆け付けた消防団員の方々が、津波を防ごうと駆けつけて犠牲になられたそうです。そのため、自動閉鎖式とするシステムが導入されてきているそうです。これ以上犠牲者が出ないよう、このシステムが全国の水門に導入されることを願います。東京川巡り月島川

  • 東京橋巡り 佃大橋

    東京橋巡り佃大橋(つくだおおはし)佃大橋は、隅田川に架かる橋です。東京都道473号新富晴海線を通しています。上流にある永代橋、下流にある勝鬨橋の交通量の増加、および1964年東京オリンピック開催に備えた関連道路の一部として、昭和39年隅田川に架橋された橋です。所在地東京都中央区佃1丁目・月島1丁目ー中央区湊3丁目最後に戦後初めて隅田川に架橋された橋、佃大橋。正直、シンプルすぎて、あまり記憶に残っていません😅東京橋巡り佃大橋

  • 東京橋巡り 佃小橋

    東京橋巡り佃小橋(つくだこばし)佃小橋は、佃川支川に架かる橋です。昭和59年(1984)に竣工されました。所在地東京都中央区佃1丁目最後に朱塗りの欄干の柱の上には、擬宝珠が施されています。外観が和風なので、昔からある橋だと思いましたが、意外に昭和59年に架橋されたもの。最近の橋は、シンプルな物が多い中、昔ならではのデザインの物は、嬉しいです。「佃小橋」赤くて可愛い橋で、テンションが上がったことを思い出します。その際、どっかで見たことがあるような、と思いながら撮影したのですが、それもそのはず、この橋も「3月のライオン」で度々登場していました。3月のライオン2(ジェッツコミックス)羽海野チカ白泉社 知らず知らずに、3月のライオンの聖地巡りをしていたのね。東京橋巡り佃小橋

  • 東京史跡巡り 石川島灯台

    東京史跡巡り石川島灯台石川島の灯台は、慶応2年(1866)、石川島人足寄場奉行清水純畸が、隅田川河口、品川沖を航行する船の安全ために常夜灯を築かせたものです。現在、中央区立佃公園の一角に石川島灯台を復元したものが建っています。所在地東京都中央区佃1丁目11-4最後に月島散策の際見つけた建物。何だか、立派な建物だが、何の建物だろうと撮影したのですが、灯台の復元だったのですね。今の灯台に比べると低い建物で本当に役に立っていたのか?、と疑問に思いましたが、江戸時代、佃島は今より小さく、周りは全て海。そう考えると、十分な高さだったのでしょう。東京史跡巡り石川島灯台

  • 東京橋巡り 中央大橋

    東京橋巡り中央大橋(ちゅうおうおおはし)中央大橋は、隅田川に架かる橋です。東京都道463号上野月島線中央大橋支線を通しています。平成6年(1994)に開通しました。所在地東京都中央区新川2丁目ー中央区佃1丁目最後に月島散策の際、この橋、どっかで見たことがある~、ってテンション上がり気味で撮影したのですが、その時は、何処で見たのか思い出せず⁇後日「3月のライオン」で度々登場していたことを思い出しました。3月のライオン1(ジェッツコミックス)羽海野チカ白泉社 バッチリ、1巻の表紙に出ていたよ〜。「3月のライオン」の聖地ですね。構造は、二径間連続鋼斜張橋で、フランスのデザイン会社の設計だそうです。主塔および欄干部分に日本の「兜」を意識した特徴的な意匠が施されているそうです。言われてみれば、兜っぽいような。東京橋巡り中央大橋

  • 東京橋巡り 相生橋

    東京橋巡り相生橋(あいおいばし)相生橋は、隅田川派川に架かる橋です。東京都道463号上野月島線を通しています。現在の橋は、昭和63年(1988)に着工し、平成11年(1999)に全通しました。所在地東京都中央区佃ー江東区越中島最後に写真整理をしていて出てきたこの写真。好みの橋なのに…いったいどこの橋なのか?さっぱり思い出せず。地図を見てやっと思い出しました😅改めて地図を眺めると、相生橋の周りには、明治丸など、面白そうな場所がいっぱいあったのに行かなかったことに後悔です。東京橋巡り相生橋

  • 東京橋巡り 大師橋

    東京橋巡り大師橋(だいしばし)大師橋は、多摩川に架かる橋で、東京都道・神奈川県道6号東京大師横浜線を通しています。現在の橋は、平成18年(2006)に架け替えられたものです。所在地東京都大田区羽田2丁目・本羽田3丁目ー神奈川県川崎市川崎区殿町1丁目・大師河原1丁目最後に中央の両側に建てた二つの塔から左右に7本ずつ、計28本で橋桁を吊る斜張橋である、大師橋。この細いケーブルで、橋桁を支えているとは、現代の技術に驚きです。しかし、かっこいい橋ですね。東京橋巡り大師橋

  • 東京史跡巡り 品川宿

    東京史跡巡り品川宿(しながわしゅく)品川宿は、東海道五十三次の宿場の一つで、東海道の第一宿です。西国へ通じる陸海両路の江戸の玄関口として賑わっていました。「東海道品川宿」「東海道五十三次」といわれる江戸から京都間の五十三の宿の中で、品川宿は諸街道の最初の宿場町である。旅人は、品川宿を経由して西を目指し、また家路についた事から「東海道の玄関口」として栄え宿内の家屋は一六〇〇軒、人口七〇〇〇人規模で賑わっていた。今でも品川宿周辺は、江戸時代と同じ道幅を保ち、かつての宿場町として、活気が息づいている。階段石垣の名残江戸時代の東海道は、品川宿に入ると海に近くなり、宿場通りから海岸通りの方へ行く横丁は、全て坂になっていました。昔の海岸線には護岸のための石垣が築かれていました。江戸時代には、ときどき波浪によってこの石...東京史跡巡り品川宿

  • 東京橋巡り 中川橋

    東京橋巡り中川橋(なかがわはし)中川橋は、中川に架かる橋です。東京都の都市計画道路補助第136号線を通しています。所在地東京都葛飾区亀有2丁目・3丁目ー東京都葛飾区新宿2丁目最後に中川橋。渡った記憶はあるのですが…川岸が緑豊かだなぁ、と言う印象しか残っておらず、コメントできません💦すみません。東京橋巡り中川橋

  • 東京史跡巡り 一里塚跡・亀有

    東京史跡巡り一里塚跡(いちりづかあと)亀有慶長9年(1604)2月、徳川家康は江戸日本橋を起点として全国の主要街道の一里毎に、榎を植えた塚を築かせ、街道の道程の目安としました。一里塚跡所在地葛飾区亀有三丁目12番地先葛飾区亀有一丁目28番地先一里塚は、江戸日本橋を起点に、一里(約4㎞)ごとに設けられました。塚は道路の両側に設置され、榎などが植えられました。榎は根を深く広げることから、塚の崩壊を防ぐ役割があったようです。一里塚の起源については諸説ありますが、現在では一里塚といえば、慶長9年(1604)に設置が命じられた江戸時代のものをさします。亀有の一里塚は、千住宿から一里、江戸日本橋からは三里のところに位置します。現在ではその様子を伺うことはできませんが、明治の末頃までは塚の跡が残っていたようです。塚の位...東京史跡巡り一里塚跡・亀有

  • 東京川巡り 石神井用水

    東京川巡り石神井用水(しゃくじいようすい)石神井川の水を王子神社と南の飛鳥山で間でせき止め、東へ流した用水です。別名王子川、音無川と言います。所在地東京都最後に以前、音無橋辺りから、石神井川沿岸をテクテクと散歩してみたのですが、舗装され歩きやすく、また紅葉が美しかった事を思い出します。また沿岸には、木々が癒しを与えてくれるさくら緑地や、川のそばまで行くことができるもみじ緑地などあり、飽きることなく散策できました。東京川巡り石神井用水

  • 東京橋巡り 音無橋

    東京橋巡り音無橋 (おとなしばし)東京都北区にある石神井川に架かる橋です。昭和5年(1930)に竣工され、1988年に改修されました。所在地東京都王子本町1丁目ー北区滝野川2丁目最後に長さ約50m、3径間鉄筋コンクリート固定アーチ橋です。欄干は桜の図柄で可愛いく、街頭もレトロで橋に合っています。見れば見るほど、美しいデザインの橋です。鉄筋コンクリートがこのように優美になるとは、もっと色々な角度から見ておけば良かったとちょっと後悔しています。東京橋巡り音無橋

  • 東京公園巡り 北区立音無もみじ緑地

    東京公園巡り北区立音無もみじ緑地すり鉢状の護岸構造のため川岸近くまで降りることができます。所在地東京都北区滝野川4丁目2最後にこの辺りは、滝野川と呼ばれ、さらに下流になると音無川と呼ばれていました。また、崖下の岩屋の中には、弘法大師の作と伝えられる弁財天像がまつられていましたが、像を納めていた岩屋は、石神井川の護岸工事によりその姿を消してしまいました。人々の暮らしを守るためには、護岸工事は必要なこととは思いますが、美しい景色が失われたことは残念に思えます。東京公園巡り北区立音無もみじ緑地

  • 東京公園巡り 北区立音無さくら緑地

    東京公園巡り北区立音無さくら緑地石神井川の旧川を利用して作られたのが音無さくら緑地です。所在地東京都北区王子本町1丁目6-14最後に緑地には木々が多く、また吊り橋があったりと、なかなか面白い緑地でした。秋に訪れたので、木々が寂しい感じでしたが、名前にさくらとあるので、春には美しい緑地になるのでは?と想像しながら緑地を後にしました。東京公園巡り北区立音無さくら緑地

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