ことちゃん。彼女はよく棚にジャンプしようとして、ズルっ、コケっと、ちょいちょい失敗します。最初は、幼いから失敗するのだろう、と思っていたのですが、もう、生後5ヶ月半。それ以外に理由がありそう。おそらく、このフサフサな足裏毛が原因ではないかと。ちなみに、タケちゃんの足裏毛は短い。やはり、カットするべきか。他の長毛猫ちゃんを飼っている方は、どうしているのかなぁ?それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきやはり、
本日は、お仕事がお休みだったので、午前中は家事をこなし、午後はまったりとしました。こんな日もいいよね。今日の二匹タケちゃんお猫様のよう一方のノブさんは今日は、ノブさんがヘソ天平穏な1日に感謝です。それではまた。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。高橋さんの動画を見て、納得。報道では、国葬は賛否両論とありましたが、数字は嘘をつかない。反対デモは15000人と新聞には書かれてあるそうですが、主催者発表の数字は信用できるのか?また、全国での統計なのか、一部の場所なのか書いていない。実際、ある所の場所で行われたデモは、警察発表で500人。一方、国葬で献花をされた方は、政府の発見で、25889名。賛否両論?マスコミの偏向報道なだけじゃん。やはり、反対者は少なかっ...猫ちゃん日記と主のつぶやきやっぱりね
日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 十一 ・天智天皇4年の出来事 一
日本書紀巻第二十七天命開別天皇十一・天智天皇4年の出来事一四年春二月二十五日、間人大后(はしひとのおおきさき)が薨(みまか)りました。この月、百濟国の官位の階級を勘校(かんこう)しました。なお、佐平(さへい)の福信(ふくしん)の功をもって、鬼室集斯(きしつしゅうし)に小錦下(しょうきんげ)を授けました。(その本の位は達率(だちそち)です)また、百濟の百姓(たみ)、男女四百人余りを、近江国の神前郡(かむさきのこおり)に居させました。三月一日、間人大后のために、三百三十人が度(わた)りました。この月、神前郡の百濟人に田を給(たまわ)りました。秋八月、達率(だちそち)の答㶱春初(とうほんしゅんそ)を遣わして、城を長門国に築かせました。達率(だちそち)の憶礼福留(おくらいふくる)、達率の四比福夫(しひふくぶ)を、...日本書紀巻第二十七天命開別天皇十一・天智天皇4年の出来事一
今日の二匹新しい、オモチャを出したのですが、反応がイマイチ。残念。それではまた。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ねこ日記と主のつぶやき
日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 十 ・天智天皇3年の出来事 二
日本書紀巻第二十七天命開別天皇十・天智天皇3年の出来事二この月、淡海国(おうみのくに)が、「坂田郡(さかたのこおり)の人の小竹田史身(しのだのふびとむ)の、猪の槽の水の中に、忽然と稲が生えました。身はそれを取り、収めました。日々、富に到りました。栗太郡(くるもとのこおり)の人の磐城村主殷(いわきのすぐりおお)の新婦の床席(しきい)の頭の端に、一宿の間に、稲が生えて穗がなりました。その旦(あした)には、頴(ほさき)が垂れて、熟しました。明日の夜には、さらに一穗が生まれました。新婦は庭に出ました。兩箇(ふたつ)の鑰匙(さじ)が、自ずと天から前に落ちて、婦はそれを取って殷(おお)に与えました。殷はそれから始めて富を得ました」といいました。 この歲、対馬嶋(つしま)、壱岐嶋(いきのしま)、筑紫国(つくしのくに)等...日本書紀巻第二十七天命開別天皇十・天智天皇3年の出来事二
仕事を終えて帰宅すると…😨流し台の上にポツンと晩御飯用のご飯が…あ〜朝に炊いたのだが、熱々だったので、タッパーに入れて冷ましてから冷蔵庫に入れようとして、そのまま忘れてしまった💦最高気温27度。まだまだ暑い、そんな中、9時間放置。あ〜😓今日の二匹毛づくろい直後のノブさんの太もも(やはり、薄いな)それではまた。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ねこ日記と主のつぶやきうっかり
日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 九 ・天智天皇3年の出来事 一
日本書紀巻第二十七天命開別天皇九・天智天皇3年の出来事一三月、百濟王の善光王等を、難波に居らせました。星が有り、京の北に殞(お)ちました。この春、地震がありました。 夏五月十七日、百濟の鎮将(ちんしょう)の劉仁願(りゅうじんがん)は、朝散大夫(ちょうさんだいぶ)の郭務悰(かくむそう)等を遣わして、表函(ふみひつ)と献物(けんもつ)を進めました。この月、大紫(だいし)の蘇我連大臣(そがのむらじのおおおみ)が薨(みまか)りました。(或る本は、大臣が薨ったのは五月だと注(さ)していると)六月、嶋皇祖母命(しまのすめみおやのみこと)が薨りました。冬十月一日、郭務悰(かくむそう)を発遣(はっけん)する勅の宣べました。この日、中臣内臣(なかとみのうちつまへつきみ)は、沙門(ほうし)の智祥(ちじょう)を遣わして、物を郭...日本書紀巻第二十七天命開別天皇九・天智天皇3年の出来事一
今日の二匹あれ?タケちゃん、太った?その横のノブさんも、腹がぽってり。あゝ、最近、仕事が忙しいので食事の管理をしていなかった。二匹ともダイエットする?おまけ先日の湯気が出ていた木は、次の日鹿の憩いのスポットとなっていました。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ヌシのつぶやき。今日はお仕事がお休みだったので、安倍元総理の国葬を見ました。改めて、日本の子どもたちの未来のために力を尽くしていた方だと思いました。安倍元総理。本当にお疲れ様でした。さて、国葬に関してですが、反対者が過半数だったとのことですが、それは本当?ワイは、7月に、西大寺で献花をしたのですが、その際、暑い中、若い人たちが沢山訪れ、長蛇の列でした。安倍元総理デジタル献花プロジェクト安倍氏国葬一...ねこ日記と主のつぶやき悲しいですね
日本書紀巻第二十七天命開別天皇八・甲子の宣三年春二月九日、天皇は大皇弟(ひつぎのみこ)に命じて、冠位の階名を増やし、換えること、及び氏上(このかみ)、民部(かきべ)、家部(やかべ)のことを宣べさせました。その冠は二十六階有ります。大織(だいしき)、小織(しょうしょく)、大縫(だいほう)、小縫(しょうほう)、大紫(だいし)、小紫(しょうし)、大錦上(たいきんじょう)、大錦中(だいきんちゅう)、大錦下(たいきんげ)、小錦上(しょうきんじょう)、小錦中(しょうきんちゅう)、小錦下(しょうきんげ)、大山上(だいせんじょう)、大山中(だいせんちゅう)、大山下(だいせんげ)、小山上(しょうせんじょう)、小山中(しょうせんちゅう)、小山下(しょうせんげ)、大乙上(だいおつじょう)、大乙中(だいおつちゅう)、大乙下(だい...日本書紀巻第二十七天命開別天皇八・甲子の宣
スマホを無くしたワイ。夜にiPhoneを探すを試してみようとしましたが、あれ?AppleIDってなんだっけ?と、ワタワタ💦探しまくり、やっとメモを見つけ、iPhoneを探すを試みました。現れた地図、指し示す場所を見ると…え?iPhoneちゃん、職場にいないじゃん😱君は、いったい何処にいるんだ?示された場所は、全く知らない場所。盗まれた?機能停止しないとダメ?ヤバイ😱パニックのワイ😵💫よくよく地図を見ると、あれ?この場所…あっ、昨日の帰り、職場の方に車で送ってもらったのですが、指し示す場所は、その方の住んでいる町でした。今日、その方と連絡が取れ無事にiPhoneちゃんが帰ってきました。よかった😭どうやらかばんの...ねこ日記と主のつぶやきアホなヌシの失敗談
日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 七 ・白村江の戦い ・大敗する
日本書紀巻第二十七天命開別天皇七・白村江の戦い・大敗する秋八月十三日、新羅は、百濟王が己の良將を斬ったので、直(ただ)ちに国に入り、先に州柔を取ろうと謀(はかりごと)をしました。ここにおいて、百濟は賊(あた)の計るところを知り、諸々の将軍に、「今、聞いたところによると、大日本国の救いの将軍の廬原君臣(いおはらきみのおみ)が、健児(ちからひと)一万余りを率いて、まさに海を越えて至ると。願わくは、諸々の將軍等は、まさに預(あらかじ)め図るべし。我が自ら白村(はくすき)に往きで待ち、饗(もてな)そうとおもう」といいました。十七日、賊(あた)は、將に州柔(つぬ)に至り、その王城を繞(めぐ)らしました。大唐の軍は、將に戰船百七十艘を率いて、白村江に烈しく陣をはりました。二十七日、日本の船師(ふないくさ)は、初めに至...日本書紀巻第二十七天命開別天皇七・白村江の戦い・大敗する
今日もお仕事。忙しくて、大変だった。やっと仕事が終わり、帰宅途中、買い物をしてお会計をしようとカバンを開けたら、スマホがない😱 帰宅後、カバンの中をひっくり返して見直したのですが、やはり見つからない。職場に置いてきた可能性が高いので、電話をして確認してもらったのですが、ないとのこと😭 あ〜スマホどこいった〜。もう、今日はショックで何もできません。しばらくの間、みなさんのところへ御訪問も出来ない。ごめんなさい。あ〜😭 ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。どこいったんだ〜
日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 六 ・新羅、百済の要所を取る ・将軍らを派遣し新羅を打つ ・福信の罪
日本書紀巻第二十七天命開別天皇六・新羅、百済の要所を取る ・将軍らを派遣し新羅を打つ ・福信の罪二年春二月二日、百濟は、達率金受(だちそちきんじゅ)等を遣わして、調(みつき)を進めました。新羅人は、百濟の南の畔の四州を燒き燔(あぶ)り、あわせて、安德等の要地を取りました。ここにおいて、避城(へさし)は、賊(あた)から近く、故に、勢いにより居ることはできませんでした。乃ち州柔(つぬ)に還り居ました。田来津(たくつ)の計ったところの如く。 この月、佐平の福信が、唐の俘(とりこ)の続守言(しょくしゅげん)等を、上するのに送りました。 三月、前の将軍の上毛野君稚子(うあみつけののきみわかこ)、間人連大蓋(はしひとのむらじおおふた)、中の将軍の巨勢神前臣訳語(こせのかむさきのおみおさ)、三輪君根麻呂(みわのきみねま...日本書紀巻第二十七天命開別天皇六・新羅、百済の要所を取る・将軍らを派遣し新羅を打つ・福信の罪
今日はお仕事の日。何時に帰ってこれるのか、わからないので、今日は、出かける前にお昼ご飯のカリカリを出していくことにしました。すると…おーい!出した矢先、ノブさんが全部食べてしまいました💦オイオイ!朝ご飯食べたばかりじゃないか。もう、しゃーないな😥再び、タケちゃんの分のカリカリを出すと、またまた、食べてしまうノブさん。ノブさん、タケちゃんの分残して〜バスの時間が差し迫っていたので、そのまま出勤してしまいました。果たして、タケちゃんはお昼ご飯食べられたのでしょうか?ご飯の管理が出来ない〜😭今日の二匹タケちゃんに、尻尾でビシビシ顔面を叩かれるノブさん普段の腹いせに違いないフン。でも、やはり仲良し今日も可愛い二匹でした。おまけ春日大社の境内で小さな秋を見つけました。...猫ちゃん日記と主のつぶやきオイオイ!
日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 五 ・豊璋とその臣の議 ・朴市田来津の諌め
日本書紀巻第二十七天命開別天皇五・豊璋とその臣の議・朴市田来津の諌め冬十二月一日、百濟王の豊璋とその臣、佐平(さへい)の福信等は、狹井連(さいのむらじ)(名を欠く)と朴市田来津(えちのたくつ)と議(はか)って、「この州柔(つぬ)は、田畝(でんぽ)から遠く隔たり、土地は磽确(こうかく)で、農桑(のうそう)の地ではありません。ここは、拒戰(きょせん)の場、ここを久しく処としたなら、民は飢饉となるでしょう。今、避城(へさし)へと遷るべきです。避城は、西北の帯(お)の古連旦涇(これんたんけい)の水をもって、東南は深泥巨堰の防ぎに據(よ)りて、周りに田をめぐらせ、降雨を渠(きょ)に決すれば、華、實、毛が則ち、三韓の上腴(じようゆ)です。衣食の源則は、二儀(にぎ)の奥まったところを分けるでしょう。地は卑しいとはいえど...日本書紀巻第二十七天命開別天皇五・豊璋とその臣の議・朴市田来津の諌め
今日は、お仕事お休み😆という事で、誰も起こさないことをいいことに朝寝坊。起きてからは、午前中に、洗濯、お掃除、買い物を済ませました。お昼ご飯を食べて、寛いだら〜あ〜れ〜😦気がついたら寝落ちして夕方になっていました。昨日の疲れが残っていたのかな。一日損した気分。まぁ、そんな日もありますよね😅今日の二匹来世は猫になりたい。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ねこ日記と主のつぶやきあ〜れ〜
日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 四 ・唐・新羅連合軍、高麗国を伐つ ・豊璋らを百濟国に送る
日本書紀巻第二十七天命開別天皇四・唐・新羅連合軍、高麗国を伐つ・豊璋らを百濟国に送る元年春正月二十七日、百濟の佐平(さへい)の鬼室福信(きしつふくしん)に、矢を十萬隻、糸を五百斤、綿を一千斤、布を一千端、韋(なめしがわ)を一千張、稲種を三千斛、賜りました。三月四日、百濟の王に布を三百端を賜りました。この月、唐人、新羅人が高麗を伐ちました。高麗は、救いを国家(みかど)に乞いました。なお、軍將を遣わして、䟽留城(そるさし)に據(よ)りました。これによりて、唐人はその南の堺を略(おか)し得ることができませんでした。新羅は、その西の壘(とりで)を輸(ま)かし獲ることができませんでした。夏四月、鼠が馬の尾に産みました。釋(ほうし)の道顯(どうけん)は、占いをして、「北国の人は、まさに南の国に附(つ)こうとしています...日本書紀巻第二十七天命開別天皇四・唐・新羅連合軍、高麗国を伐つ・豊璋らを百濟国に送る
最近、気温の変化が激しいせいでしょうか?今日は、仕事場で体調不良の方が続出。ワイ、てんてこ舞い😵💫通常より時間はかかりましたが、何とか仕事を終えることができました。まぁ、忙しかったけど、困った時はお互い様皆様も、季節の変わり目、体調にお気をつけてください今日の二匹帰宅が遅れて、お昼ご飯が遅くなってしまいました😅そのせいでタケちゃん。ご機嫌斜めのご様子。やはり、タイマー式のエサやり機を購入するべきか。今日は仕事が忙しく、日本書紀の編集を行うことができませんでした。本日はお休みします。楽しみにしていた方、申し訳ありません。それではまた。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。猫ちゃん日記と主のつぶやき疲れた〜
今日も仕事がお休みだったので、運動不足解消しようと「平城宮跡歴史公園」を散策してみました。朱雀門いつも正面からの撮影でしたので、今回は横から撮影して見ました。今日は風が強く、軒下に飾られた金具がブンブン揺れて、落ちて来そうで怖かったです。音も凄かった。朱雀門の裏側の土地では、雑草が鬱蒼と生い茂っていました。ワイの身長の倍ありそう。大極門(南門)現在も続々再建中どこまで再建するのでしょうか?また、再建した後はどうするのでしょうか?まさか、住む?まさか遷都?な〜んて公園内にはドングリも小川もありました。あまりにも広いので途中で断念😅もう少し涼しくなったら、別の場所も散策してみようと思います。今日の二匹ブログ編集中、タケちゃんがドンドン近づいてきました。ノブさんもやってきた〜そろそろ、遊んであげ...猫ちゃん日記と主のつぶやき散歩
日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 三 ・噬臍の恥 ・禾田の宝剣 ・滅びの徴
日本書紀巻第二十七天命開別天皇三・噬臍の恥・禾田の宝剣・滅びの徴十二月、高麗が、「十二月に高麗国は極めて寒く、浿(ばい)が凍ってしまいました。故に、唐の軍は、雲車(たかくるま)、衝輣(つきくるま)があり、然るに、鼓鉦(こしょう)を吼えさせました。高麗の士卒(いくさひと)は、胆勇(たんゆう)、雄壮(ゆうそう)で、故に、更に唐の二つの壘(とりで)を取りました。ただ、二つの塞(とりで)があり、また夜に、それを取る計(はかり)に備えていました。唐の兵は、膝を抱えて哭(な)いていたので、それを聞いた高麗の兵士は、鋭(するど)さが鈍(にぶ)り、力をなくし、拔くことができませんでした」といいました。噬臍(ぜいせい)の恥とは、これでなくて何だというのでしょうか。(釈(ほうし)の道顯(どうけん)が云うに、「春秋の志は、まさ...日本書紀巻第二十七天命開別天皇三・噬臍の恥・禾田の宝剣・滅びの徴
昨日は、主だけ良い思いをしたので、今日は、二匹にチュールをあげました。一匹につき一本と太っ腹しましたよ。満足して眠る二匹ノブさん、相変わらず舌出てるがな今日は、寝てばかりの二匹でした。さて、今日は敬老感謝の日ということで、義理の実家を訪ねる予定でしたが、台風の影響も考えキャンセルをして家に引きこもることにしました。楽しみにしていただろうに、申し訳ないことをしました。ワイの住んでいる地域。現在、雨は降っていませんが、これから降る予報です。被害が少ないことを祈ります。被害に遭われた方、お見舞い申し上げます。本日はこの辺で。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ノブさんとタケちゃん
日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 二 ・百済再興を救援する ・百済皇子の豊璋を衛送する
日本書紀巻第二十七天命開別天皇二・百済再興を救援する・百済皇子の豊璋を衛送する八月、前の將軍、大花下(だいかげ)の阿曇比邏夫連(あずみのひらぶのむらじ)、小花下(しょうかげ)の河辺百枝臣(かわへのももえのおみ)等、後の將軍、大花下の阿倍引田比邏夫臣(あへのひけたのひらぶのおみ)、大山下(だいせんげ)の物部連熊(もののべのむらじくま)、大山上の守君大石(もりのきみおおいわ)等を遣わして、百濟を救おうとしました。なお、兵杖(つわもの)、五穀を送りました。(或る本は、この末に続けて云う、別に大山下の狹井連檳榔(さいのむらじあじまさ)、小山下の秦造田来津(はたのみやつこたくつ)を津に来させ、百濟の守護させたと)九月、皇太子は、長津宮(ながつのみや)にいました。織冠(おりものかうぶり)を百濟の王子の豊璋に授けました...日本書紀巻第二十七天命開別天皇二・百済再興を救援する・百済皇子の豊璋を衛送する
今日は、昨日行きそびれた奈良クラフトビール祭りに行ってきました。会場の奈良公園登大路園地は、多くの人で賑わっていました。もちろん鹿さんもね参加は、奈良県と和歌山県のブルワリー合計10店舗専用のカップとチケットを購入し、いざ😆ワイはビール(注・写真撮る前にちょっと飲んでもうた)鹿さんは芝生で乾杯〜ワイが今回いただいたのは、和歌山県田辺市のボイジャーブルーイングさんJapanbeer日本ビール/ボイジャーブルーイングゴールド(GOLD)瓶330ml/24本.eボイジャーブルーイング奈良県北葛城郡広陵町の長龍酒造さん奈良県奈良市東向中町の大和醸造さん奈良県奈良市東寺林町のゴールデンラビットビールさんゴールデンラビットビール(そらみつ・あおによし・ひのひかり)3本箱セット奈良GoldenRabbi...猫ちゃん日記と主のつぶやき共存?
日本書紀 巻第二十七 天命開別天皇 一 ・出自 ・称制する ・長津宮に遷居
日本書紀巻第二十七天命開別天皇(あめみことひらかすわけのすめらみこと)天智天皇(てんじてんのう)・出自・称制する・長津宮に遷居天命開別天皇は、息長足日広額天皇(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと)の太子です。母は、天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)といいます。天豊財重日足姫天皇四年に、位を天万豊日天皇(あめよろずとよひのすめらみこと)に譲りました。天皇を立てて、皇太子としました。天萬豊日天皇は、後に五年十月に崩じました。明年、皇祖母尊(すめみおやのみこと)が天皇に位に即(つ)きました。七年七月二十四日、崩じました。皇太子は、素服(あさものみそ)で称制(まつりごときこしめす)しました。この月、蘇将軍と突厥(とつけつ)の王子の契苾加力(けいひつかりき)等が、水陸の二路から...日本書紀巻第二十七天命開別天皇一・出自・称制する・長津宮に遷居
お仕事がお休みだったワイ。朝ごはんを食べた後、家の仕事をこなしその後、まったりと寛いでいたら…ノブさんがお腹の上に乗ってきた。その後、何故かタケちゃんもやってきてワイの脇腹にピッタリと寄り添ってきました。最初は二匹に囲まれて嬉しいと思ったのですが、徐々に暑くなってきた。終いには汗がじんわり💦あゝ、ミツバチに囲まれたスズメバチの気持ちがちょっとわかったような気がする。アチ〜🥵今日の二匹洗濯物を畳もうと思ったら邪魔をする二匹ノブさんが尻尾ブンブンタケちゃんがそれを狙っています。猫パ〜ンチ外れいや〜、洗濯物が片付けられない。二匹とも別な場所でやってくれないかなぁ。おまけ待ち合わせの場所の定番近鉄奈良駅の行基像奈良市奈良公園で行われている、奈良クラフトビール祭りを見に行こうと思い最...ノブさんとタケちゃんあち〜
日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇二十三・殯十一月七日、天皇の喪を飛鳥の川原で殯(もがり)しました。これより先、発哀(はつあい)すること、九日に至りました。(日本世記は云う「十一月、福信(ふくしん)が獲た唐人の続守言(ぞくしゅげん)等が、筑紫に至りました」或る本は云う、「辛酉年、百濟の佐平(さへい)の福信が献(たてまつ)った唐の俘(とりこ)百六口を、近江国の墾田(はりた)にいらせました」庚申の年、既に、福信は、唐の俘を献(たてまつ)ったと云う。故に今、注を存(たも)つ、それをここに決めろ)・殯(もがり)日本の古代に行われていた葬送儀礼・発哀(はつあい)弔う・福信(ふくしん)鬼室福信・俘(とりこ)捕らえた敵・佐平(さへい)佐平は、百済の最高位の官職(感想)(斉明天皇7年)11月7日、天皇の棺を飛鳥の川原に...日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇二十二・殯
今日のノブさん。変な姿勢で寝ていました。ノブさん、君の前脚痛くないの?タケちゃんは香箱座り最近瞼が痒いのか、ガリガリと引っ掻いてついにはハゲが😨早く治りますように…おまけ春日大社の砂ずりの藤時々、霧がまかれます。幻想的な瞬間。それではまた。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。今日の奈良市、朝の空綺麗な青空でした😆先日の奈良、朝の空ほぼ同じ時間に、ほぼ同じ方向を撮影。今日は飛行機が飛んでいなかったということは…先日の飛行機は旅客機ではないということですね。あの飛行機はいったいなんでしょうね😑ノブさんとタケちゃん痛くないの?
日本書紀 巻第二十六 天豊財重日足姫天皇 二十二 ・伊勢王、薨去 ・崩御
日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇二十二・伊勢王、薨去・崩御六月、伊勢王(いせのおおきみ)が薨(みまか)りました。秋七月二十四日、天皇が朝倉宮(あさくらのみや)で崩じました。八月一日、皇太子は、天皇の喪を奉徙りて、還り、磐瀬宮(いわせのみや)に至りました。この夕、朝倉山の上に鬼が有り、大笠(おおかさ)を着て、喪の儀を臨み視ていました。衆は皆、怪しいと嗟(なげ)きました。冬十月七日、天皇の喪を帰そうと、海に就きました。ここにおいて、皇太子は、一つ所に泊まり、天皇を哀慕(あいぼ)して、乃ち、口號(こうごう)して、 君が目が恋しいばかりに泊して居てこのように恋(こ)うのも君が目を一目見たいから二十三日、天皇の喪は、還り、難波に泊まりました。・哀慕(あいぼ)愛する人の死を悲しみ、その人を慕うこと・口號(こうごう...日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇二十二・伊勢王、薨去・崩御
先月のこと。ノブさんが窓の外をガッツリと見つめていました。何がいるの?虫かな?それとも野良ちゃん?、と窓の外を眺めてみると…😳細長く茶色いフォルムに小顔フェイス、スッるんとした長い尻尾。「誰じゃ、お前は?」初めてみる動物。調べてみると、イタチでした。奈良市、市内にイタチが跋扈しているのね。ちょっとビックリしました。ちなみに、春日大社を参拝した際にも見かけました。奈良公園と興福寺・五重塔今日の二匹妖怪タケちゃん(欠伸しただけです)さて、トイレに行こうとリビングの扉を開けたら別室にいると思っていたノブさんが目の前にいた。ビックリしたなあ。そんなノブさんに近づくタケちゃん。たっ体格差が激しい。ノブさんがちっちゃく見えますが、先日ノブさんの体重を測ったら、4・5kgでした。タケちゃんとの体重の差は...のぶさんとタケちゃんと主のつぶやき
日本書紀 巻第二十六 天豊財重日足姫天皇 二十一 ・斉明天皇七年の出来事
日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇二十一・斉明天皇七年の出来事七年春正月六日、御船は、西征して、始めて海路に就きました。八日、御船は、大伯海(おおくのうみ)に到りました。時に、大田姫皇女(おおたのひめみこ)が女を産みました。なお、この女を名付けて、大伯皇女(おおくのひめみこ)といいます。十四日、御船は、伊豫の熟田津(にきたつ)の石湯行宮(いわゆのかりみや)に泊まりました。(熟田津、これは儞枳拕豆(にきたつ)といいます)三月二十五日、御船は、還って娜大津(なのおおつ)に到ました。磐瀬行宮(いわせのかりみや)に居ました。天皇は、これを改めて名を長津(ながつ)としました。 夏四月、百濟の福信(ふくしん)が遣使(つかわしめ)して上表して、その王子の糺解(くげ)を迎えることを乞いました。(釈道顯(どうけん)の日本...日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇二十一・斉明天皇七年の出来事
ワイの職場に、修学旅行生がやってきました。帰り際、「ごちそうさまでした」と元気に挨拶する生徒さんたち。いや〜、良い子たちですね😌彼らから、やる気をいただきました😆良い旅になりますように。さて、今日の奈良市は最高気温33度。9月中旬なのに。明日の予想最高気温は32度。明々後日の予想最高気温は31度。まだまだ暑い奈良市です。熱中症にお気をつけてくださいね。氷室神社の池と鹿さん今日の二匹仕事から帰宅後、寛いでいると側から離れないノブさん。結構、寂しがりやだね〜一方のタケちゃんは、昨日は、大量の涙を流していて焦りましたが、もしかすると異物が目に入って一時的に涙が大量に出たのかもしれません。今日は、目の調子が良くなってきたようです。本日はこの辺で。御訪問ありがとうございました。ランキ...ノブさんとタケちゃんと主のつぶやき
日本書紀 巻第二十六 天豊財重日足姫天皇 二十 ・ 難波宮へ行幸
日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇二十・難波宮へ行幸十二月二十四日、天皇は難波宮に幸しました。天皇は、福信(ふくしん)が乞う気持ちに隨い、筑紫に幸して、まさに救軍を遣わそうと思い。初めに幸して、諸々の軍器(つわもの)を備えました。この歲、百濟のために新羅を伐とうと思い、乃ち、駿河国に勅して、船を造らせました。すでに終わり、続麻郊(おみの)にひいて至った時に、その船は夜中に理由もなく、艫舳(へとも)があい反りました。衆は終には破れるだろうと知りました。科野国(しなののくに)は「蠅が群がり、西に向かって、巨坂(おおさか)を飛び越えていきました。大きさは十圍ほど、高さは蒼天(あめ)に届くほどでした」といいました。救軍が敗れると怪でさとりました。童謠があって、 まひらくつのくれつれをのへたをらふくのりかりがみわ...日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇二十・難波宮へ行幸
昨日、仕事帰りに「きたまちといろ」を見学しに行ってきました。「きたまちといろ」のイベントは、近鉄奈良駅から北側の「きたまち」一帯を会場として巡り楽しむイベント。期間は、9月9日~9月15日まで奈良公園バスターミナルでは「といろ市」きたまちの各お店独自の「といろ企画」話題のカレーを食べ歩く「種々カレー帳」カラフルなランタンが彩る「きたまち宵あかり」などのイベントが開催されています。今回のイベントでワイが一番気になるのは、カラフルなランタンが彩る「きたまち宵あかり」。開催時間は、18:30~20:00まで。開催時間まで時間がありました。そこで、まずは、カレー好きのワイ。時間までに腹ごしらえ😋話題のカレーを食べ歩く「種々カレー帳」のイベントに参加しようとパンフレットを見てみました。きたまちにはカ...「きたまちといろ」見学と猫ちゃん日記
日本書紀 巻第二十六 天豊財重日足姫天皇 十九 ・百済、王子の扶余豊璋の帰国を願う
日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇十九・百済、王子の扶余豊璋の帰国を願う冬十月、百濟の佐平(さへい)の鬼室福信(きしつふくしん)は、佐平の貴智(きち)等を遣わして、来て、唐の俘、百余人を献(たてまつ)りました。今、美濃国の不破(ふわ)、方県(かたあがた)の二つの郡の唐人(もろこしびと)等です。また、師を乞い、救いを請いて、あわせて王子の余豊璋(よほうしょう)を乞いて、(或る本は云う、佐平の貴智と達率(だちそち)の正珍(しょうちん)であると)「唐人が、我に悪い敵を率いて来て、我を疆埸(きょうえき)し、蕩搖(とうよう)させ、我が社稷を覆し、我が君臣を俘にしました。(百濟王、儀慈(ぎじ)、その妻・恩古(おんこ)、その子・隆(りゅう)等、その臣、佐平の千福(せんふく)、国弁成(こくべんじょう)、孫登(そんとう)...日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇十九・百済、王子の扶余豊璋の帰国を願う
こんばんは。今日は、9月9日から9月15日まで奈良市のきたまちで開催されているイベント「きたまちといろ」を夕方から、見学に行ってきました。(その様子は後日記事にアップしますね)そのため、更新が遅くなりました。すみません💦さて、帰宅後、タケちゃんがご飯早く出してとせがみます。ノブさんはというと高いところからワイを監視中急いでご飯の準備をしてご飯を出すとガツガツ夢中で食べるタケちゃんノブさんは別室でご飯中食いしん坊のタケちゃん、ご飯遅くなってごめんね😅本日はこの辺で御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ちょっときになる事。朝、出勤するため、バス停でバスを待っていました。暇なので空を眺めると、青空が見え気分爽快😆...ノブさんとタケちゃん
日本書紀 巻第二十六 天豊財重日足姫天皇 十八 ・百済の建率の某と沙弥の覚従らが来日
日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇十八・百済の建率の某と沙弥の覚従らが来日九月五日、百濟は、達率(だちそち)(名を欠く)の、沙弥(さみ)の覚従(さみかくじゅ)等を遣わして、来て奏して、(或る本は云う。逃げて来て難(わざわい)を告げたと)「今年七月、新羅が力をたよりにして、勢いを作り、隣と親しくなりませんでした。唐人の計画を引きいれて、百濟を傾覆(けいふく)させました。君、臣も総じて俘となり、ほとんど残ったものはありませんでした。(或る本は云う、今年七月十日、大唐の蘇定方(そていほう)は、船師(ふないくさ)を率いて、尾資(びし)の津に軍を進めました。新羅王の春秋智(しゅんしゅうち)は、兵馬(いくさ)を率いて、怒受利之山(のずりのむれ)に軍を進めました。百濟を挟み撃ちして、相戦うこと三日。我が王城を陥させま...日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇十八・百済の建率の某と沙弥の覚従らが来日
本日、春日大社を参拝してきました。春日さんの境内を歩いていると、よく見かける鹿さんたち。お〜立派な角ですなぁどれ、反対側にも沢山の鹿さんが、と反対方向を見たら、あれ?何やら違和感がお前、角、どうしたん?そういえば、猿沢池の近辺の鹿さんの角も無くなっていたなぁ。あゝ、鹿の角切りが行われているのね〜と調べてみたら、2022年の鹿の角切の時期・日程は10月8日・9日・10日の11:45〜15:00春日大社境内鹿苑角きり場にて行われるそうです。あれ?まだ9月じゃん。どういう事?気になりネットで調べてみましたが、この子のツノが既に無い理由がわかりませんでした。鹿のツノきりは、危険防止と樹木の保護のために始まった伝統行事です。鹿のツノは春頃から新しく生え出し、10月ごろに完成するため、この時期にツノきりが実施されるそ...どうしたん?
日本書紀 巻第二十六 天豊財重日足姫天皇 十七 ・賀取文ら、帰国する ・道顯の日本世記 ・伊吉連博徳の書
日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇十七・賀取文ら、帰国する・道顯の日本世記・伊吉連博徳の書秋七月十六日、高麗の使人の乙相賀取文(おつそうがすもん)等が、帰国しました。また、覩貨羅人(とからのひと)の乾豆波斯達阿(げんづはしだちあ)は、本土(もとのくに)に帰りたいと思い、送使に請い求めて、「願わくは、後に大国の朝したいと思っています。その表(しるし)として、妻を留めます」といいました。乃ち数十人とともに、西海之路(にしのうみつじ)に入りました。(高麗の沙門(ほうし)の道顯(どうけん)の日本世記はいう、七月に云々。「春秋智(しゅんしゅうち)は、大将軍の蘇定方(そていほう)の手を借りて、百濟を挟撃ちして滅ぼしました。或るいは、百濟が自ずと亡んでしまったと。君の大夫人(はしかし)の妖女(たわめのこ)が無道で国柄...日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇十七・賀取文ら、帰国する・道顯の日本世記・伊吉連博徳の書
本日は、お仕事がお休み〜😆と言ってもやる事がないんで、いつも通り、家のお掃除。掃除機をかけるついでに恒例の猫ちゃんのグルーミング。まずはノブさんの爪を切り、ノブさんは抜け毛が少ないのでウエットティッシュで全身を拭き取り終了。さて、お次は、タケちゃん😆と思ったら…タケちゃん、全速力で逃げていった〜💨それを走って追いかけるワイ💨しかし、タケちゃんはベッドの下へ逃げてしまいました。ちぇ〜っ!そこで諦めたふりをしたら、ベッドの下から出てきたタケちゃん。いや〜😏諦めてなんかいませんよ。つかさずタケちゃんを捕まえて、爪切りに、ブラッシングを敢行。ウエットティッシュで全身を拭き取りました。は〜、スッキリ😆しかし、先代の猫ちゃ...ノブさんとタケちゃんお〜い!
日本書紀 巻第二十六 天豊財重日足姫天皇 十五 ・高麗の使者が筑紫に到着する ・粛慎を討伐する
日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇十五・高麗の使者が筑紫に到着する・粛慎を討伐する六年春正月一日、高麗の使人の乙相賀取文(おつそうがすもん)等、百余りが、筑紫に泊まりました。 三月、阿倍臣(あへのおみ)(名を欠く)を遣わして、船師(ふないくさ)二百艘を率いて、粛慎国(みしはせのくに)を伐ちました。阿倍臣は、陸奧の蝦夷を己の船に乗せて大河の側に到ました。ここにおいて、渡嶋(わたりのしま)の蝦夷千余りが、海のほとりに集まり、屯(たむろ)して、河の向こうで営していました。営中の二人が進み出て、急ぎ叫びかけ、「粛慎の船師が多く来て、まさに我等を殺そうとしています。願わくは、河を渡り、仕官したいと思うのですが」といいました。阿倍臣は、船を遣わして、二箇所の蝦夷を喚び、賊の隠れている所とその船の数を問いました。二箇...日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇十五・高麗の使者が筑紫に到着する・粛慎を討伐する
久しぶりの出勤。いつもと同じく通勤路を歩いていると…たった、三日間でミンミンゼミの声が消えた。そしてツクツクボウシの声も二匹のみとなってしまいました🥲色付いた葉っぱも見られるようになって来ました。ああ、季節は巡る。わかっちゃいるけど、寂しいですね😔今日の二匹タケちゃんを見ていると栗が食べたくなる。食欲の秋、近し。今日はこの辺で御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ノブさんとタケちゃんわかっちゃいるけど
日本書紀 巻第二十六 天豊財重日足姫天皇 十六 ・高麗の使者、難波館に到着する ・初めて漏剋を作る
日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇十六・高麗の使者、難波館に到着する・初めて漏剋を作る夏五月八日、高麗の使人の乙相賀取文(おつそうがすもん)等が、難波館(なにわのむろつみ)に到ました。この月、有司は、勅を奉じて、百の高座、百の納袈裟(のうけさ)を造り、仁王般若の会を設けました。また、皇太子は初めて、漏剋(ろうこく)を造り、民に時を知らせました。また、阿倍引田臣(あへのひけたのおみ)(名を欠く)は、夷(えみし)五十余りを献(たてまつ)りました。また、石上池(いそのかみのいけ)の辺りに須彌山を作りました。高さは廟塔(びょうとう)の如く。粛慎(みしはせ)、四十七人を饗(もてな)しました。また、国を挙げて百姓が、故も無く、兵(つわもの)を持ち、道を往還(おうかん)しました。(国老は言う、百濟国が所を失う相である...日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇十六・高麗の使者、難波館に到着する・初めて漏剋を作る
お仕事三連休だったワイ。最終日の今日もお掃除頑張りました。今日は洗面所と猫トイレとお風呂場の掃除。臭〜い猫トイレを洗い、お風呂場のカビ取り、ゴシゴシ。洗面ボールと鏡を磨き、排水溝の汚れもゴシゴシ。掃除の後は、スッキリ、ピカピカ😆気分が晴れやかになりました。スッキリするのはわかっちゃいるけど体調が悪かったり、お仕事が忙しいとついついお掃除サボっちゃうんですよね😅ダメだなぁ。今日の二匹カメラから視線をそらす二匹最後まで視線を合わせてくれませんでした。それではまた。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ノブさんとタケちゃんわかっちゃいるけど
日本書紀 巻第二十六 天豊財重日足姫天皇 十四 ・盂蘭盆会を説かせる ・不吉な兆し ・羆の皮
日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇十四・盂蘭盆会を説かせる・不吉な兆し・羆の皮十五日、群臣に詔して、京内の諸寺に、盂蘭盆経(うらぼんきょう)を講じるよう勧め、七世の父母を報いました。 この歲、出雲国造(いずものくにのみやつこ)(名を欠く)に命じて、神之宮を修繕しました。狐が於友郡(おうのこおり)の役丁が執る所の葛(かずら)の末を、囓り断じて去りました。また、狗が死人の手臂を囓り、言屋社(いうやのやしろ)に置きました。(言屋、これは伊浮瑘(いうや)といいます。天子が崩じる兆しです)また、高麗の使人は、羆の皮一枚を持って、その價を称して、「綿六十斤」といいました。市司(いちのつかさ)が笑うと、避去(ひきょ)しました。高麗画師子麻呂(こまのえかきこまろ)は、同姓の賓を私家に設けたとき、官の羆の皮七十枚を借りて...日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇十四・盂蘭盆会を説かせる・不吉な兆し・羆の皮
先日のこと、台所の流しの下の扉を開けたらカビが大発生していた〜😱今の家に引っ越して来てから半年しか経っていないのに😫たった半年で何故にこんなにカビが〜💦面倒臭いけど放置しては健康に害があるので、今日は頑張って掃除をしました。でも、またカビが生えるんだろうな😔ち〜っ!今日の二匹みっちり、箱入り息子ぎゅうぎゅう、箱入り息子何故か、タケちゃんは、饅頭感が…かなり狭そうなのに、何故にこの箱に入り続けるのでしょうか?そこに箱があるからだ。本日はこの辺で。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ノブさんとタケちゃんち〜っ
日本書紀 巻第二十六 天豊財重日足姫天皇 十三 ・伊吉連博徳の書 三
日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇十三・伊吉連博徳の書三十一月一日、朝で冬至の会がありました。会の日、また、観ました。朝の所の諸蕃の中で倭の客が最も勝れていました。後に出火の乱があり、棄ててしまい、復(ふたた)び、検(かむがえ)することができませんでした。 十二月三日、韓智興(かんちこう)の傔人(ともびと)の西漢大麻呂(にしのやまのおおまろ)が、我が客の讒(そし)りをいい、枉(ま)げました。客等は、唐朝から罪をとわれ、もはや流罪と決まりました。その前に、智興(ちこう)を三千里の外へ流しました。客の中に伊吉連博徳(いきのむらじはかとこ)があり奏しました。よって、卽ち、罪を免じられました。事が了(お)わった後に、勅旨があり、「国家は來年に、必ず海東の政の有がある。汝等、倭客は、東に帰すことができない」といい...日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇十三・伊吉連博徳の書三
ワイは、今日から三連休。何処かへ出かけようかと思ったのですが、まだ、暑くて外に出たくない😔そこで、今日は、サボり気味だったお掃除を頑張りましたよ。そのついでに、猫ちゃんズのグルーミング。後脚の爪を切ろうと思ったら、流石に二週間以上もカットしていなかったので、もの凄い長さになっていました。二匹に嫌がられながらも、パチパチとカット。スッキリ😆ブラッシングもしたので、ちょっと綺麗になったかな。本日はこの辺で。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ノブさんとタケちゃんスッキリ
日本書紀 巻第二十六 天豊財重日足姫天皇 12 ・伊吉連博徳の書 二
日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇12・伊吉連博徳の書二三十日、天子と相見て問訊(もんじん)して、「日本国天皇は平安にしているのか」といいました。使人は謹み答えて、「天地が德を合わせて、自ずと平安を得ています」といいました。天子は問い、「執事の卿等は、健在かどうか」といいました。使人は謹み答えて、「天皇が重く憐(あわ)れむので、また健在でいられます」といいました。天子は問い、「国内は平か」といいました。使人は謹み答えて、「治めが、天地にかない、萬民は無事でおります」といいました。天子は問い、「これ等、蝦夷の国はどの方にあるのか」といいました。使人は謹み答えて、「国の東北に有ります」といいました。天子は問い、「蝦夷はいく種あるのか」といいました。使人は謹み答えて、「類は三種有ります。遠い者は都加留(つかる...日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇12・伊吉連博徳の書二
ワイの通勤路。ちょっと緑が多い場所を通ります。ここ数日、朝の通勤時に雨が降っていて、虫の音が聴こえませんでした。何だかちょっと寂しい。しかし、今日は、久しぶりに晴れました。気分良く通勤路を歩いていると…鈴虫の声とともにツクツクボウシの声が。癒される〜😌しかし、何でしょう、いつもと何かが違う。よくよく耳を澄ませると、今までは、クマゼミの声が凄かったのですが、クマゼミの声が全く聞こえず、今日は、ミンミンゼミの声が聞こえてきました。今までミンミンゼミの声を聞かなかったので、関西ではミンミンゼミが居ないのかなぁと思っていましたが、居たのですね。毎日暑い、暑いと思っていましたが、少しずつ、気温が下がり生息する虫たちが入れ替わっていたのですね。秋近し今日の2匹猫ちゃんの不思議何故でしょうか?シャッター...ノブさんとタケちゃんちょっとした変化
日本書紀 巻第二十六 天豊財重日足姫天皇 十一 ・唐国に使者を派遣する ・伊吉連博徳の書 一
日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇十一・唐国に使者を派遣する・伊吉連博徳の書一秋七月三日、小錦下(しょうきんげ)の坂合部連石布(さかいべのむらじいわしき)、大仙下(だいせんげ)の津守連吉祥(つもりのむらじきさ)を唐国(もろこし)に使者として遣わしました。なお道奥(みちのく)の蝦夷の男女の二人を唐の天子に示しました。 (伊吉連博徳(いきのむらじはかとこ)の書は云う、「同じ天皇の世に、小錦下の坂合部石布連(さかいべのいわしきのむらじ)、大山下(だいせんげ)の津守吉祥連(つもりのきさのむらじ)等の二船は、呉唐(くれもろこし)の路に使わされました。己未の年七月三日、難波の三津の浦から発しました。八月十一日、筑紫の大津の浦を発しました。九月十三日、百濟の南畔の嶋に行き到ました。嶋の名は、明らかではありません。十四...日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇十一・唐国に使者を派遣する・伊吉連博徳の書一
最近、遊べと、言ってくるわりに遊んでくれない2匹。おそらく家にあるオモチャに飽きたのでしょう。そこで、基本にかえり普通のネコジャラシタイプにしてみたら食いついてきたやはり、ネコジャラシは最強。しばらくは、これで遊んでくれるでしょう。今日も2匹は可愛い😍それではまた。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ノブさんとタケちゃんやはり
日本書紀 巻第二十六 天豊財重日足姫天皇 十 ・紀温湯から帰る ・吉野に行幸 ・陸奥と越の蝦夷を饗応 ・蝦夷国を討伐
日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇十・紀温湯から帰る・吉野に行幸・陸奥と越の蝦夷を饗応・蝦夷国を討伐五年春正月三日、天皇は紀温湯(きのゆ)から至りました。三月一日、天皇は吉野に幸して、肆宴(とよのあかり)をしました。三日、天皇は近江の平浦に幸しました。(平、これは毗羅(ひら)といいます)十日、吐火羅人(とからのひと)が妻と舍衞(しゃえ)の婦人と共に来ました。十七日、甘檮丘(あまかしのおか)の東の川上に、須彌山(しゅみせん)を造り、陸奧と越の蝦夷を饗(もてな)しました。(檮、これは柯之(かし)。川上、これは箇播羅(かわら)といいます)この月、阿倍臣(あへのおみ)(名を欠く)を遣わして、船師(ふないくさ)、百八十艘を率いて、蝦夷国を討ちました。阿倍臣は、飽田(あぎた)、渟代(ぬしろ)の二郡の蝦夷、二百四十一...日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇十・紀温湯から帰る・吉野に行幸・陸奥と越の蝦夷を饗応・蝦夷国を討伐
平城宮跡朱雀門広場で、「第11回なら奈良まつり」が開催されていました。家族連れで混み合っていましたよ。しかし…数多くのふわふわバルーンを見たことがあるのですが、1、2位を争う可愛げのなさ😑ワイ、せんとくんを見ると…何故かムカつくんですよね😡なんでやろ🤔今日の2匹猫ちゃんは可愛いのぉ😍本日はこの辺で。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ちょっと
日本書紀 巻第二十六 天豊財重日足姫天皇 九 ・沙門の智喩、指南車を作る
日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇九・沙門の智喩、指南車を作るこの歲、越国守(こしのくにのかみ)の阿倍引田臣比羅夫(あへのひけたのおみひらぶ)は、粛慎(みしはせ)を討って、生羆(しくま)二頭、羆の皮七十枚を献(たてまつ)りました。沙門(ほうし)の智踰(ちゆ)は、指南車(しなんしゃ)を造りました。出雲国は、「北の海の濱に、魚が死んで積みあがっています。厚さは三尺あまり。その大きさは鮐(ふぐ)の如く、雀のような口、針のような鱗で、鱗の長さは数寸。俗の人は、『雀が海に入り、化けて魚になった。名は雀魚をいいます』といっています」といいました。(或る本は云う、庚申の年の七月に至り、百濟が遣使(つかわしめ)して奏言して、「大唐、新羅は、力をあわせて、我を伐ちました。すでに義慈王(ぎじおう)、王后(こにおるく)、太子...日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇九・沙門の智喩、指南車を作る
かなり時間が経ってしまいましたが、8月19日(金)・20日(土)・21日(日)の3日間。平城京跡・朱雀門ひろばで開催された、平城京天平祭2022夏「天平たなばた祭り」の様子をご紹介します。まずは、燈花会奈良の夏の風物詩である燈花会。ろうそくを上からのぞいてみました。天の川に見立てたロウソクの灯りで朱雀門を彩っていました。朱雀門と燈花会幻想的で美しかったです。夕方からライトが点灯笹の葉がキラキラと輝いていました。そして、天平七夕行列が天平の衣装を身に纏った方々の行列。朱雀門の裏側美しいイベントでした。また、朱雀大路では、夏の七夕夜市&天平かき氷祭りやギョーザEXPOIN天平祭が開催されていました。写真では分かりずらいですが、どの店も大行列でした。奈良の夏の風物詩である燈花会。今年の夏は仕事が忙しかったり、コ...平城京天平祭2022夏「天平たなばた祭り」の様子
日本書紀 巻第二十六 天豊財重日足姫天皇 八 ・有間皇子を絞首刑
日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇八・有間皇子を絞首刑十一日、丹比小沢連国襲(たじひのおざわのむらじくにそ)を遣わして、有間皇子を藤白坂(ふじしろのさか)で絞めさせました。この日、塩屋連鯯魚(しおやのむらじこのしろ)、舍人の新田部連米麻呂(にいたべのむらじこめまろ)を藤白坂で斬りました。塩屋連鯯魚は、誅(ころ)されるに臨んで、「願わくは、右手で、国の宝器を作らせてください」といいました。守君大石(もりのきみおおいわ)を上毛野国へ、坂合部薬(さかいべのくすり)を尾張国へ、流しました。(或る本は云う、有間皇子は、蘇我臣赤兄(そがのおみあかえ)、塩屋連小戈(しおやのむらじおほこ)、守君大石(もりのきみおおいわ)、坂合部連薬(さかいべのむらじくすり)と、短籍(たんじゃく)を取って、謀反の事を占いました。或る本は...日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇八・有間皇子を絞首刑
気がつけば、9月。今年もあと4ヶ月となりましたね。時間が経つのが早すぎる〜😖今日の2匹カメラを向けると、必ず目を瞑るノブさん。無理やりつついたらものすごく、ご機嫌斜めなご様子で。でもね、可愛い姿を撮りたいじゃないですか。タケちゃんみたいに、ちょっとは協力してよね。ノブさん。さて、話題がないので本日はこの辺で。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。ノブさんとタケちゃん早いもので
日本書紀 巻第二十六 天豊財重日足姫天皇 七 ・蘇我赤兄が有間皇子謀反を通報
日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇七・蘇我赤兄が有間皇子謀反を通報(斉明天皇4年)十一月三日、留守官(とどまりまもるつかさ)の蘇我赤兄臣(そがのあかえのおみ)が有間皇子(ありまのみこ)に語って、「天皇が治める政事には、三つの失があるでしょう。大いに倉庫を起こし、民財(おおみたからのたから)を集積したのが、一つ。長く渠水(みぞ)を穿ち、公の粮を損ね費やしたのが、二つ。舟に石を載せて運び、積み上げて丘としたのが、三つ」といいました。 有間皇子は、乃ち、赤兄が己に善であることを知って、よろこび答えて、「吾の年になり、始めて兵を用いるべき時がきたのか」といいました。五日、有間皇子は、赤兄の家に向かい、樓に登り謀りごとをしました。夾膝(おしまづき)が自ずとおれてしまいました。ここにおいて、たがいに不祥(ふしょう)...日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇七・蘇我赤兄が有間皇子謀反を通報
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ことちゃん。彼女はよく棚にジャンプしようとして、ズルっ、コケっと、ちょいちょい失敗します。最初は、幼いから失敗するのだろう、と思っていたのですが、もう、生後5ヶ月半。それ以外に理由がありそう。おそらく、このフサフサな足裏毛が原因ではないかと。ちなみに、タケちゃんの足裏毛は短い。やはり、カットするべきか。他の長毛猫ちゃんを飼っている方は、どうしているのかなぁ?それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきやはり、
古事記上つ巻現代語訳四十六古事記上つ巻国譲り雉の頓使書き下し文故尓して鳴女、天より降り到り、天若日子の門の湯津楓の上に居て、委曲に言ふこと天つ神の詔命の如し。尓して天佐具売、此の鳥の言を聞きて、天若日子に語りて言はく、「此の鳥は、其の鳴く音甚悪し。故、射殺すべし」と云ひ進むるすなはち、天若日子、天つ神の賜へりし天之波士弓・天之加久矢を持ちて、其の雉を射殺しつ。尓して其の矢、雉の胸より通りて、逆に射上がり、天安河の河原に坐す天照大御神・高木神の御所に逮りぬ。是の高木神は、高御産巣日神の別の名ぞ。故、高木神、其の矢を取りて見たまへば、血、其の矢の羽に著けり。是に高木神告りたまはく、「此の矢は、天若日子に賜へる矢ぞ」と告りたまふ。諸神等に示して詔りたまはく、「もし天若日子、命を誤たず、悪ぶる神を射つる矢の至れる...古事記上つ巻現代語訳四十六国譲り雉の頓使
最近、この場所が、場所取り合戦が始まるくらい、猫たちに大人気。それは、何故でしょうか?答えは、自動エサやり機の近くだから〜。もう、時間になるとダッシュで駆けつけます💨ただ、タケちゃんだけは、遠いところに陣取るため、出遅れます。食いしん坊なのに何故?それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきそれは、何故でしょう。
古事記上つ巻現代語訳四十五古事記上つ巻国譲り天菩比神、復奏せず書き下し文是を以ち高御産巣日神・天照大御神また諸神等に問ひたまはく、「葦原中国に遣はせる天菩比神、久しく復奏さず。また何れの神を使はさば吉けむ」ととひたまふ。尓して思金神、答へ白さく、「天津国玉神の子、天若日子を遣はすべし」とまをす。故尓して天之麻迦古弓・天之波波矢を天若日子に賜ひて遣はしき。是に天若日子、其の国に降り到りて、即ち大国主神の女、下照比売を娶ひ、また其の国を獲むと慮ひ、八年に至るまで復奏さず。故尓して天照大御神・高御産巣日神、また諸神等に問ひたまはく、「天若日子久しく復奏さず。また曷れの神を遣はして、天若日子が淹留まれる所由を問はむ」ととひたまふ。是に諸神及思金神答へ白さく、「雉、名は鳴女を遣はすべし」とまをす。時に、詔りたまひけ...古事記上つ巻現代語訳四十五国譲り天菩比神、復奏せず
う〜ん最近、思うにタケちゃんの顔2024・42023・42022・42021・4お顔の模様が。少し色が濃くなったような?それとも、ことちゃんのことちゃんの見過ぎでタケちゃんの色が濃く見えるだけなのか?ちょっと疑問。ノブさんは、どう思う?それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきう〜ん
古事記上つ巻現代語訳四十四古事記上つ巻国譲り天照大御神の命書き下し文天照大御神の命以ち、「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国は、我が御子正勝吾勝勝速日天忍穂耳命知らす国」と、言因さし賜ひて、天降したまふ。是に天忍穂耳命、天の浮橋に多多志て詔りたまはく、「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国は、伊多久佐夜芸弖有那理」と告りたまひて、更に還り上り、天照大神に請したまひき。尓して高御産巣日神・天照大御神の命以ち、天安河の河原に八百万の神を神集へに集へて、思金神に思はしめて詔りたまはく、「此の葦原中国は、我が御子の知らす国と、言依さし賜へる国なり。故此の国に道速振る荒振る国つ神等の多に在りと以為ほす。是れ何れの神を使はしてか言趣けむ」とのりたまふ。尓して思金神と八百万の神議りて白さく、「天菩比神、是れ遣はすべし」とまをす。故天...古事記上つ巻現代語訳四十四国譲り天照大御神の命
だいぶ、家に慣れて来たことちゃん。ついに、ワイの膝の上にも乗ってくるようになりました。嬉しい。でも、ワイの腹をフミフミ、うどん職人するのはやめてほしい😖そりゃ、ワイの腹。たっぷん、たっぷんだけどそれでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき複雑
古事記上つ巻現代語訳四十三古事記上つ巻大年神の系譜書き下し文故其の大年神、神活須毘神の女、伊怒比売を娶ひて生める子、大国御魂神。次に韓神。次に曽富理神、次に白日神。次に聖神。五の柱の神。また、香用比売を娶ひて生める子、大香山戸臣神。次に御年神。二柱。また、天知迦流美豆比売を娶ひて生める子、奥津日子神。次に奥津比売命、またの名は大戸比売神。此は諸人の以ち拝く竃の神ぞ。次に大山咋神、またの名は山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐す。また葛野の松尾に坐す、鳴鏑を用ゐる神ぞ。次に庭津日神。次に阿須波神。次に波比岐神。次に香山戸臣神。次に羽山戸神。次に庭高津日神。次に大土神。またの名は土之御祖神。九の神。上の件、大年神の子、大国御魂神より以下、大土神より以前は、幷せて十六神。羽山戸神、大気都比売神を娶ひて生...古事記上つ巻現代語訳四十三大年神の系譜
何見てんのよ!やんのか〜!こりゃ〜!おりゃ、おりゃ〜!どう、あたちの蹴りは。立ち去る、タケちゃん。以前は、前脚で軽〜くあしらわれていたことちゃん。今では、ほぼ互角に戦えるようになりました。まぁ、タケちゃんが手加減してあげているだけですけどね。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきやんのか〜
古事記上つ巻現代語訳四十七古事記上つ巻国譲り天若日子の葬儀書き下し文故、天若日子の妻下照比売の哭く声、風と響き天に到る。是に天在る天若日子の父が天津国玉神及其の妻子聞きて、降り来て哭き悲しぶ。其処に喪屋を作りて、河鴈を岐佐理持と為、鷺を掃持と為、翠鳥を御食人と為、雀を碓女と為、雉を哭女と為、如此行ひ定めて、日八日夜八夜を遊ぶ。現代語訳故に、天若日子(あめわかひこ)の妻・下照比売(したでるひめ)の哭(な)く声が、風とともに響き、天に到りました。ここに、天に在た、天若日子の父が天津国玉神(あまつくにたまのかみ)及びその妻子が聞いて、降り来て、哭き悲しみました。其処(そこ)に喪屋(もや)を作って、河鴈(かはかり)を岐佐理持(きさりもち)とし、鷺(さぎ)を掃持(ははきもち)とし、翠鳥(そにどり)を御食人(みけびと...古事記上つ巻現代語訳四十七国譲り天若日子の葬儀
古事記上つ巻現代語訳四十二古事記上つ巻大国主神と御諸山の神書き下し文是に大国主神愁へて告りたまはく、「吾独して、いかにか能く此の国を作り得む。孰れの神と、吾と能く此の国を相作らむ」とのりたまふ。是の時に海を光らし依り来る神有り。其の神の言りたまはく、「我が前を能く治めば、吾能く共与に相作り成さむ。もし然あらずは、国成り難けむ」とのりたまふ。尓して大国主神曰りたまはく、「然あらば治め奉らむ状はいかに」とのりたまふ。答へ言りたまはく、「吾を倭の青垣の東の山の上に伊都岐奉れ」とのりたまひき。此は御諸の山の上に坐す神なり。現代語訳ここに、大国主神(おおくにぬしのかみ)は、愁いて、「吾、独りで、いかにか能(よ)く、この国を作り得ようか。いずれの神と、吾と能くこの国を相作ったらいいのだろうか」とおっしゃられました。こ...古事記上つ巻現代語訳四十二大国主神と御諸山の神
雨の日は、眠い。三匹とも食ったら寝るの1日でした。わいも眠い。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき雨の日は
古事記上つ巻現代語訳四十一古事記上つ巻小名毗古那神との国作り書き下し文故大国主神、出雲の御大の御前に坐す時に、波の穂より、天の羅摩の船に乗りて、鷦の皮を内剥に剥ぎ衣服に為て、帰り来る神有り。尓して其の名を問はせども答へず、また従へる諸神たちに問はせども、皆知らずと白す。尓して多邇具久白して言さく、「此は久延毘古かならず知りてあらむ」とまをす。久延毘古を召して問ひたまふ時に答へ曰さく、「此は神産巣日神の御子小名毗古那神なり」とまをす。故尓して神産巣日神に白し上げしかば、答へ告りたまはく、「此は実に我が子なり。子の中に、我が手俣より久岐斯子なり。故汝葦原色許男命と兄弟と為りて、其の国を作り堅めよ」とのりたまふ。故、尓より、大穴牟遅と小名毗古那神と二柱の神相並び、此の国を作り堅めたまふ。然ありて後は、其の小名毗...古事記上つ巻現代語訳四十一小名毗古那神との国作り
ノブさんは、今日もねこちぐらに避難中一方、もうひとりの兄貴は?カプカプ齧られまくり中。タケちゃん、反撃するかと思いきや〜プイっと高いところへ逃げてしまいました。兄貴達に相手をしてもらえず、つまらなそうなことちゃん。後で遊んであげるから、待っててね。可愛い。ほっぺ、タプタプ〜。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきほっぺタプタプ
古事記上つ巻現代語訳四十古事記上つ巻系譜書き下し文故此の大国主神、胷形の奥津宮に坐す神、多紀理毘売命に娶ひて生みませる子、阿遅鋤高日子根神。次に妹高比売命。またの名は下光比売命。此の阿遅鋤高日子根神は、今迦毛大御神と謂うぞ。大国主神、また神屋楯比売命を娶ひて生みませる子、事代主神。また八島牟遅能神の女、鳥取神を娶ひて生みませる子、鳥鳴海神。此の神、日名照額田毘道男伊許知邇神に娶ひて生める子、国忍富神。此の神、葦那陀迦神またの名は八河江比売に娶ひて生める子は、速甕之多気佐波夜遅奴美神。此の神、天之甕主神の女前玉比売を娶ひて生める子、甕主日子神。此の神、淤迦美神の女比那良志毘売を娶しひて生める子、多比理岐志麻流美神。此の神比々羅木之其花麻豆美神の女活玉前玉比売神を娶ひて生める子、美呂浪神。此の神、敷山主神の女...古事記上つ巻現代語訳四十系譜
本日は、ネタが無いので、ことちゃんの写真を載せてみよう。、と思ったら…寝顔が。ぶちゃいくだった。ことちゃん、いつも半目びらきして寝ているんだよね。それから、起きている姿を狙ってみたがどんどん近づいてきてピントが合わせずらい。とにかく、動くやっとまともな写真が撮れた〜。けど、目力強すぎて、顔が怖い。ことちゃんを写真に収めるのは難しい。兄貴達も元気です。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき難しい
古事記上つ巻現代語訳三十九古事記上つ巻須勢理毘売命の歌書き下し文尓して其の后、大御酒坏を取り、立ち依り指挙げて、歌ひ曰く、八千矛の神の命や吾が大国主汝こそは男にいませばうち廻る嶋の埼埼かき廻る磯の埼落ちず若草の妻持たせらめ我はもよ女にしあれば汝を除て男は無し汝を除て夫は無し綾垣のふはやが下に帔被にこやが下に栲衾さやぐが下に沫雪のわかやる胸を栲綱の白き臂そだたきたたきまながり真玉手玉手さし纏き股長に寝をし寝せ豊御酒たてまつらせ如此歌ふ。宇伎由比為て、宇那賀気理弖、今に至るまで鎮まり坐す。此れを神語と謂ふ。現代語訳しかして其の后、大御酒坏を取り、立ち依り指挙(ささ)げて、歌い言うことには、八千矛(やちほこ)の神の命(みこと)吾が大国主(おほくにぬし)汝こそは男にいませばうち廻る嶋の埼埼かき廻る磯の埼落ちず若草...古事記上つ巻現代語訳三十九須勢理毘売命の歌
食いしん坊のことかさま。自動エサやり機の入り口に御御足を突っ込んでいらっしゃいます。ここから、いつもご飯出てくるのよね。出てこなかった。横に落ちていないかなぁ、クンクン。ご飯の時間か?もう、ご飯の時間?いや〜、君たちさっき晩御飯を食べたばかりでしょう。出てくるわけない。ご飯、もっと食べたい。なに、見てるの。ご飯出しなさいよ。自動エサやり機の真横に陣取ることか様。そりゃ、毎回一番乗りするわけです。ほんと、シャム系は、食いしん坊さんが多いですね。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきいやいや、出ません。
古事記上つ巻現代語訳三十八古事記上つ巻須勢理毘売命の嫉妬八千矛神の歌書き下し文また其の神の適后須勢理毘売命、いたく嫉妬為たまふ。故其の日子遅神和備弖、出雲より倭国に上り坐さむとして、束装し立たす時に、片御手は御馬の鞍に繁け、片御足は其の御鐙に蹈み入れて、歌ひ曰りたまはく、ぬばたまの黒き御衣をまつぶさに取り装ひ沖つ鳥胸見る時はたたぎもこれは適さず辺つ波背に脱き棄て鴗鳥の青き御衣をまつぶさに取り装ひ沖つ鳥胸見る時はたたぎもこも適はず辺つ波背に脱き棄て山県に蒔きしあたたで舂き染木が汁に染め衣をまつぶさに取り装ひ沖つ鳥胸見る時はたたぎも此しよろしいとこやの妹の命群鳥の吾が群れ往なば引け鳥の吾が引け往なば泣かじとは汝は言ふとも山処の一本薄項傾し汝が泣かさまく朝雨の霧に立たむぞ若草の妻の命事の語りごともこをば現代語訳...古事記上つ巻現代語訳三十八須勢理毘売命の嫉妬八千矛神の歌
先日、廊下の片隅に、コロリとうんぴ〜が落ちていた。💩あれ〜?ノブさんが失敗したかなぁ。と思いながら片付けました。しかし、別の日にも、部屋の片隅にまたまたコロリと落ちていた。最近、頻発しているなぁ。何でだろ?…と考えていたら、😱以前見たYouTubeの動画を思い出した。ウンコサッカーをする猫ちゃんの動画。まっ、まさか。最近、頻発しているという事は、お前の仕業か。まっ、まさかウンコサッカーしてないよね。ことちゃん。疑惑が浮上のことちゃんでした。疑ってごめんよ、ノブさん。通常営業のタケちゃんそれでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき疑惑
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇五十・日蝕・鋳銭司の拝命・益須寺の醴泉三月一日、日蝕がありました。二日、直廣肆の大宅朝臣麻呂(おおやけのあそみまろ)、勤大貳の臺忌寸八嶋(うてなのいみきやしま)、黄書連本実(きふみのむらじほんじつ)等をもって、鋳銭司(ぜにのつかさ)に拝しました。十一日、詔して、「凡そ、位の無い人を、郡司に任するには、進廣貳を大領(こおりのみやつこ)を授け、進大參を小領(すけのみやつこ)を授けるように」といいました。十六日、詔して、「七年の歲次癸巳に、醴泉が近江国の益須郡(やすのこおり)の都賀山(つがやま)に湧き出た。諸々の病人が、益須寺(やすでら)に停まり宿り、療し、癒えた者がおおくいる。故に、水田・四町、布・六十端を入れる。益須郡の今年の調役・雜徭を除する。国司の頭(かみ)から目(さかん...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇五十・日蝕・鋳銭司の拝命・益須寺の醴泉
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十九・布勢朝臣御主人と大伴宿禰御行を氏上とする・漢人と唐人の踏歌・大射八年春正月二日、正廣肆を直大壱の布勢朝臣御主人(ふせのあそみみぬし)と大伴宿禰御行(おおとものすくねみゆき)に授けました。封を人ごとに二百戸増やしました。前と通して五百戸。並びに氏上(うじのかみ)としました。七日、公卿等を饗(もてな)しました。十五日、御薪(みかまぎ)を進めました。十六日、百官人等を饗(もてな)しました。十七日、漢人(あやひと)が、蹈歌を奏じました。五位以上が、射しました。十八日、六位以下が射しました。四日でおわりました。十九日、唐人が、蹈歌を奏じました。二十一日、藤原宮に幸しました。卽日、宮に還りました。二十三日、務廣肆等の位を、大唐・七人と肅愼(みしはせ)・二人に授けました。二十四日...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十九・布勢朝臣御主人と大伴宿禰御行を氏上とする・漢人と唐人の踏歌・大射
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十八・醴泉の試飲十一月五日、吉野宮に幸しました。七日、耽羅(たむら)の王子の佐平等に賜りましたが、各々差がありました。十日、車駕が、宮に還りました。十四日、沙門の法員(ほういん)、善往(ぜんおう)、真義(しんぎ)等を遣わして、試しに、近江国の益須郡(やすのこおり)の醴泉(れいせん)を服飲(ふくいん)させました。二十三日、直大肆を直廣肆の引田朝臣少麻呂(ひけたのあそみすくなまろ)に授けました。かさねて、食封・五十戸を賜りました。十二月二十一日、陣法博士等を遣わして、諸国に教習(きょうしゅう)させました。・耽羅(たむら)済州島・醴泉(れいせん)甘い味の泉。中国で、太平の世にわき出たといわれる・服飲(ふくいん)薬やサプリメントなどを飲むことを意味する表現・教習(きょうしゅう)特...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十八・醴泉の試飲
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十七・天武天皇のために無遮大會を設ける・兵器を観閲する・仁王經を説く八月一日、藤原の宮地に幸しました。十七日、吉野宮に幸しました。二十一日、車駕が、宮に還りました。九月一日、日蝕がありました。五日、多武嶺(とうのみね)に幸しました。六日、車駕が、宮に還りました。十日、淸御原天皇(きよみはらのすめらみこと)のために、無遮大會(かぎりなきおがみ)を內裏で設けました。繋囚(けいしゅう)を悉く原遣(げんけん)しました。十六日、直廣參を蚊屋忌寸木間(かやのいみきこのま)に贈りました。あわせて賻物(ふもつ)を賜りました。壬申の年の役の功を褒めました。冬十月二日、詔して、「今年から、親王から始まり、下の進位に至るまで、儲(たくわ)えた兵(つわもの)を観ようとおもう。淨冠から直冠に至るま...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十七・天武天皇のために無遮大會を設ける・兵器を観閲する・仁王經を説く
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十六・内裏で無遮大會を設ける・福嘉を還俗させる五月一日、吉野宮に、幸しました。七日、天皇が、吉野宮からかえりました。十五日、無遮大會(かぎりなきおがみ)を內裏で設けました。六月一日、高麗の沙門の福嘉(ふくか)に詔して、還俗(げんぞく)させました。四日、直廣肆を引田朝臣広目(ひけたのあそみひろめ)、守君苅田(もりのきみかりた)、巨勢朝臣麻呂(こせのあそみまろ)、葛原朝臣臣麻呂(ふじわらのあそみおみまろ)、巨勢朝臣多益須(こせのあそみたやす)、丹比真人池守(たじひのまひといけもり)、紀朝臣麻呂(きのあそみまろ)、七人に授けました。秋七月七日、吉野宮に、幸しました。十二日、使者を遣わして、廣瀬の大忌神と龍田の風神を祀りました。十四日、大夫、謁者を遣わして、諸社を詣でて、祈雨しま...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十六・内裏で無遮大會を設ける・福嘉を還俗させる
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十五・雨乞い・坐贓夏四月十七日、大夫、謁者(えっしゃ)を遣わして、諸々の社に詣でて、祈雨(きう)をしました。また、使者を遣わして、廣瀬の大忌神と龍田の風神を祀りました。二十二日、詔して、「內藏寮(うちのくらのつかさ)の允の大伴男人(おおとものおひと)が坐贓(さぞう)した。位を二階、降ろし、見任官を解く。典鑰(かぎつかさ)の置始多久(おきそめのおおく)と菟野大伴(うのおおとも)も、また坐贓した。位を一階、降ろし、見任官を解く。監物(けんもつ)の巨勢邑治(こせのおおじ)は、物を己に入れないとしても、その情を知りつつ、盗ませた。故に、位を二階、降ろし、見任官を解く。然るに、置始多久(おきそめのおおく)は、壬申の年の役(えだち)に勤労した、故に赦す。ただし、贓(ぬすみもの)は、律...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十五・雨乞い・坐贓
ご訪問ありがとうございます。ワイですが、先日、引越しをいたしました。前回の引越しでは、文句を一切言わず、黙ってキャリーバックに揺られていた二匹ですが…今回は、ず〜っと文句をいいっぱなし。一緒に電車に乗りあった皆様には、多大なるご迷惑をおかけいたしました。駅で休憩中の二匹さて、無事引越しを終えたワイら。前回の引越しでは、タケちゃんが一晩中、徘徊をしていたのですが、今回は、すんなりなじんでくれました。😁(ノブさんは、別室で休憩中)とは言え、まだ作業が途中なんですけどね。収納する場所がなくダンボールが未開封のまま。(引越しの際には、アート引越センターさんには大変お世話になりました。みなさん、作業が手早く、引越しがスムーズに進みました。ありがとうございました)さて、引越しを無事終えたのですが、解決...お知らせよっわ!
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十四・新羅王の訃報・日蝕・桑、紵、梨、栗、蕪菁の推奨二月三日、新羅が、沙飡(ささん)の金江南(きんこうなん)、韓奈麻(かんなま)の金陽元(きんようがん)等を遣わして、來て赴き、王の喪をしらせました。十日、造京司(ぞうきょうし)の衣縫王(きぬぬいのおおきみ)等に、詔して、掘った尸(かばね)を収めさせました。三十日、流れて来た新羅人の牟自毛礼(むじもれ)等・三十七人を、憶徳(よくとく)等に付けて賜りました。三月一日、日蝕がありました。五日、大學博士の勤廣貳の上村主百済(うえのすぐりくだら)に、食封・三十戸を賜りました。儒道(じゅどう)に優れていたからです。六日、吉野宮に幸しました。十一日、直大貳の葛原朝臣大嶋(ふじわらのあそみおおしま)に賻物を賜りました。十三日、天皇は、吉野...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十四・新羅王の訃報・日蝕・桑、紵、梨、栗、蕪菁の推奨
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十三・百姓に黄色の衣、奴に皁衣を着させる・80歳以上の者に布を与える七年春正月二日、淨廣壹を皇子高市に授けました。淨廣貳を皇子長と皇子弓削に授けました。この日、詔して、天下の百姓に、黃色の衣を、奴には、皁衣(くりぞめのきぬ)をきさせました。七日、公卿、大夫等を饗(もてな)しました。十三日、京師(みやこ)、及び畿內で位があり、年が八十以上に、人ごとに、衾(ふすま)・一領、絁(ふとぎぬ)・二匹、綿・二屯、布・四端を賜りました。十五日、正廣參を百濟王の善光(ぜんこう)に贈りました。あわせて賻物(ふもつ)を賜りました。十六日、京師(みやこ)の男女で年が八十以上、及び困乏(こんぼう)している、窮者(きゅうしゃ)に、布を賜りましたが、各々差がありました。船瀬(ふなせ)の沙門の法鏡(ほ...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十三・百姓に黄色の衣、奴に皁衣を着させる・80歳以上の者に布を与える
修性院(しゅうしょういん)概要修性院は、東京都荒川区にある日蓮宗の寺院です。1573年(天正元年)に開山しました。開山当時は、武蔵国豊島郡田中村(現在の東京都練馬区田中)に位置していました。1663年(寛文3年)に現在地に移転しました。 日ぐらしの布袋(修性院)修性院の布袋は、谷中七福神の一つで、「日ぐらしの布袋」ともよばれる。谷中七福神めぐりは、江戸市中で最も古い歴史をもち、年始めにあたって江戸市民が行う年中行事の一つであった。江戸時代の中期ごろから、このあたり一帯は俗に「ひぐらしの里」とよばれ、江戸近郊の行楽地として賑わった。ことに修性院・妙隆寺(修性院に合併)・青雲寺は、境内に多数の花樹を植えて、「花見寺」の名にふさわしい庭園をつくり、四季折々の草花を楽しむことができたという。境内には、江戸時代の...参拝日記・修性院
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十二・吉野への行幸冬十月八日、山田史御形(やまだのふびとみかた)に務廣肆を授けました。前に沙門となり、新羅で學問をおさめました。十二日、吉野宮に幸しました。十九日、車駕(しゃが)が宮に還りました。十一月八日、新羅が、級飡(きゅうさん)の朴億徳(ぼくよくとく)、金深薩(きんしんさち)等を遣わして、調(みつき)を進めました。遣新羅使(けんしらぎし)に擬(なぞら)えた、直廣肆の息長真人老(おきながのまひとおゆ)、務大弐の川内忌寸連(かふちのいみきつら)等に祿を賜りましたが、各々差がありました。十一日、新羅の朴憶德を難波館で饗祿(きょうろく)をしました。十二月十四日、音博士(おんはかせ)の続守言(しょくしゅげん)、薩弘恪(さつこうかく)に、水田を賜りました。人ごとに四町。二十四日...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十二・吉野への行幸
湯島聖堂概要東京都文京区湯島一丁目にある史跡です。江戸時代の元禄3年(1960年)、江戸幕府5代将軍徳川綱吉によって造営された、孔子廟です。後に幕府直轄の学問所となりました。・孔子廟、神農廟と昌平坂学問所跡・現在地東京都文京区湯島一丁目4番25号・敷地面積13,915㎡・国の史跡指定大正11年(1922)3月8日・所管国有財産文化庁・東京都教育員会・文京区教育委員会・管理者公益財団法人斯文会(しぶんかい)■湯島聖堂と孔子孔子は、2500年ほど前、中国の魯の昌平郷(現山東省済寧市曲阜市)に生まれた人で、その教え「儒教」は東洋の人々に大きな影響を与えた。儒教に傾倒した徳川五代将軍綱吉は、元禄3年(1690)この地に「湯島聖堂」と創建、孔子を祀る「大成殿」や学舎を建て、自ら『論語』の講釈を行うなど学問を奨励した...参拝日記・湯島聖堂
諸事情よりしばらく、ブログおやすみします。皆さまのブログにも、しばらく、ご訪問できません申し訳ございません🙇お知らせ
井の頭弁財天大盛寺概要都立井の頭恩賜公園内・井の頭池にあります。創建不詳別名井の頭辨才天本尊弁財天像789年(延暦8年)平安時代の僧・最澄の作と伝えられています。略縁起平安時代の天慶年間(938~947年)に源経基(みなもとのつねもと)が創建したものと伝えられ、その後、源頼朝が1197年(建久8年)に再建し、別当となる坊宿が建てられたと伝えられています。一時、衰退していましたが、江戸時代に入り、江戸幕府三代将軍徳川家光により再興されました。境内弁財堂1923年(大正12年)の関東大震災の被害を受け、現在の堂舎は昭和初期に再建されたものです。 太鼓橋 手水鉢 狛犬 銭洗い弁財天 七井不動尊 宇賀神 住所東京都三鷹市井の頭4丁目26-1アクセスJR中央線・総武線東京メトロ東西線京王井の頭線吉祥寺駅徒歩9分最後...参拝日記・井の頭弁才天大盛寺
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十一・飛鳥皇女の田莊への行幸・班田大夫を四畿内へ派遣する・笥飯神の封を増やす八月三日、罪を赦しました。十七日、飛鳥皇女の田莊(でんそう)に幸しました。卽日、宮に還りました。九月九日、班田大夫(たたまいのまえつきみ)等を四畿內に遣わしました。十四日、神祇官が奏して、神寶の書四卷、鑰(かぎ)・九箇、木印・一箇を上しました。二十一日、伊勢国司が、嘉禾(かか)・二本を献(たてまつ)りました。越前国司が、白蛾を献りました。二十六日、詔して、「白蛾を角鹿郡(つぬがのこおり)の浦上(うらかみ)の濱で獲た。故に、笥飯神(けひのかみ)に、封を二十戸、増やし、前と通する」といいました。・田莊(でんそう)古墳時代に設けられた土地や人民の支配制度の一つで、豪族が支配した私有地のことを指す。田所と...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十一・飛鳥皇女の田莊への行幸・班田大夫を四畿内へ派遣する・笥飯神の封を増やす
明治神宮(めいじじんぐう)概要東京都渋谷区にある神社です。明治天皇と昭憲皇太后が祀られています。初詣では例年日本一の参拝者数となっています。神紋・社紋御祭神明治天皇(めいじてんのう)昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)創建大正9年(1920年)例祭日11月3日略縁起明治天皇崩御後、内務省が『明治天皇奉祀の神宮創設に関する件』を閣議に提出し、閣議決定されました。東京府内の候補地の内から、「風致」を理由として代々木御料地が決定し、大正9年(1920年)11月1日に鎮座祭が行われ、この日に創建されました。境内外拝殿南神門西神門手水舎大鳥居正参道南参道鳥居西参道社務所夫婦楠住所東京都渋谷区代々木神園町1−1アクセスJR山手線原宿駅徒歩1分東京メトロ千代田線・副都心線明治神宮前駅徒歩1分東京メトロ副都心線北参道駅徒...神社参拝日記・明治神宮
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十・大赦・熒惑と歲星秋七月二日、天下に大赦しました。ただし、十惡(じゅうあく)、盜賊は赦しの例に入れませんでした。相模の国司の布勢朝臣色布智(ふせのあそみしこふち)等、御浦郡少領(みうらのこおりのすけのみやつこ)(姓名は欠けています)と、赤い烏を獲た、鹿嶋臣櫲樟(かしまのおみくす)に、位、及び祿を賜りました。御浦郡(みうらのこおり)の調役(えつき)を二年、免除しました。七日、公卿を饗(もてな)しました。九日、吉野宮に幸しました。十一日、使を遣わして、廣瀬と龍田を祀らせました。二十八日、車駕が宮に還りました。この夜、熒惑(けいこく)と歲星(さいせい)が、一步の內に、たちまち光り、たちまち没しました。互いに近づいたり、避けたりすること四遍。・十惡(じゅうあく)大化前代、国家社...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇四十・大赦・熒惑と歲星
ご無沙汰しておりました。久しぶりの猫日記です。ちょっと、仕事や引越しの準備等で更新が遅れておりましたが、二匹とも元気です。猫ネタがなかったということもありますがね。😅さて、もうすぐ、仮住まいを終えます。二匹には、不便な思いをさせました。今度は、思いっきり追いかけっこできます。引越しの様子は後日ご報告します。それでは、また。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。MIX多頭飼いランキングにほんブログ村久しぶりの猫日記と主のつぶやき
東郷神社(とうごうじんじゃ)概要東郷神社は、東京都渋谷区神宮前一丁目にある神社です。日露戦争で連合艦隊司令長官として指揮をとり日本海海戦で完勝し、国内外で英雄視された、東郷平八郎が祀られています。神紋・社紋御祭神東郷平八郎命(とうごうへいはちろうみこと)創建昭和15年(1940年)例祭日5月28日略縁起東郷平八郎が昭和9年(1934年)5月30日に亡くなると、全国から東郷を顕彰する神社の創建の要望と献金が相次いつぎ、当時の海軍大臣大角岑生(おおすみみねお)が、財団法人東郷元帥記念会を設立。寄せられた献金によって神社の創建が計画され、昭和15年(1940年)に創建されました。境内社殿神門鳥居階段手水舎東郷蔵境内霊社海の宮御斎神海軍・海事・水産関係者また崇敬者の諸霊住所東京都渋谷区神宮前1-5-3アクセスJR...神社参拝日記・東郷神社
日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇三十九・名のある山、岳、瀆に祈る・雨乞い・直丁・8人に官位を与える六月九日、郡国の長吏(ちょうり)に勅して、各々名のある山、岳、瀆を祈らせました。十一日、大夫、謁者を遣わして、四畿內を詣でて、請雨(しょうう)させました。二十一日、直丁(じきてい)・八人に官位を賜りました。その大内陵(おおちのみさざき)を造った時に、勤めて、怠らなかったことをよしとしました。三十日、天皇は、藤原の宮地を観ました。 ・長吏(ちょうり)県内を主管する長官・請雨(しょうう)日照り続きの時、雨の降ることを神仏に祈ること。雨乞い・直丁(じきてい)律令制で、仕丁(じちょう)のうち、諸司の雑役に奉仕する番に当たった者。立丁(りってい) ・大内陵(おおちのみさざき)天武天皇の陵(感想)(持統天皇6年)6月9日...日本書紀巻第三十高天原廣野姫天皇三十九・名のある山、岳、瀆に祈る・雨乞い・直丁・8人に官位を与える