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  • 地獄の釜が煮えたぎるお寺 香川県高松市「一宮寺」(その102)

    第八十三番札所 神毫山 一宮寺 (しんごうざん いちのみやじ) 住所 高松市一宮町607 電話 087-885-2301 香西寺から一宮寺まで 距離 8.9km 標高差 ほぼ平坦 香西寺から一宮寺まで 縁起によると大宝年間(701〜704)、法相宗の祖・義淵(ぎえん)僧正が寺を開基したと伝わる。義淵は奈良仏教の礎を築き、行基や東大寺初代別当の良弁僧正を教えたことで知られる高僧である。年号にちなみ寺を大宝院と称する。和同年間(708〜715)、諸国に一宮寺が建立された際、田村神社が讃岐一宮として建立され、寺はその別当となる。その後、行基が堂宇を修築し、寺名を一宮寺へと改める。大同年間(806〜8…

  • 移転と寺名改称を繰り返したお寺 香川県高松市「香西寺」(その101)

    別格第十九番札所 寶幢山 香西寺 (ほうどうざん こうざいじ) 住所 高松市香西西町211 電話 087-881-2337 根来寺から香西寺まで 距離 7.2km 標高差 +12m -377m 根来寺から香西寺まで 寺は天平十一年(739)に行基により創建される。初めは勝賀(かつが)山の山中にあり、宝幢山勝賀寺と号した。弘仁八年(817)には弘法大師が寺を現在の地へと移転し、地蔵菩薩を刻んで安置する。行基が開創した元の地は奥の堂と称されるが、勝賀山の北麓にて奈良期の瓦が出土する古代寺院跡が発見されたことから、この地が奥の堂であったと考えられている。寺は嵯峨天皇(在809〜823)の勅願寺に選ば…

  • 空飛ぶ人食い怪獣牛鬼を退治したお寺 香川県高松市「根来寺」(その100)

    第八十ニ番札所 青峰山 根来寺 (あおみねさん ねごろじ) 住所 高松市中山町1506 電話 087-881-3329 白峯寺から根来寺まで 距離 15.3km 標高差 +437m -330m 白峯寺から根来寺まで 寺伝によると、弘仁年間(810〜824)にこの地を訪ね、五色台の五つの峰に金剛界曼荼羅の五智如来を感得した弘法大師は、密教修行の場として青峰に「花蔵院」を建立し、五大明王を祀ったとされる。天長九年(832)、大師の甥にあたる智証大師が花蔵院を訪れると、山の鎮守である一之瀬明神に出会い、「この地にある毘沙門谷、蓮華谷、後夜谷に道場を作り、蓮華谷の木で観音像を作りなさい」とお告げを受け…

  • 崇徳上皇の御陵を有するお寺 香川県坂出市「白峯寺」(その99)

    第八十一番札所 綾松山 白峯寺 (りょうしょうざん しろみねじ) 住所 坂出市青海町2635 電話 0877-47−0305 国分寺から白峯寺まで 距離 12.9km 標高差 +312m -78m 国分寺から白峯寺まで 寺伝によると弘仁六年(815)、白峯山に登った弘法大師が山頂に如意宝珠を埋めて井戸を掘り、衆生済度を祈願する。貞観ニ年(860)、大師の妹の子である智証大師が瑞光に導かれて白峯山に登頂し、地主神である白髪の老翁から御神託を授かる。智証大師は、補陀洛山から流れ着いた光明に輝く霊木で千手観音像を彫造し、これを本尊として佛堂を創建する。保元の乱(1156)に破れ讃岐へ流された崇徳上皇…

  • 「鐘がものいうた国分の鐘が」のお寺 香川県高松市「国分寺」(その98)

    第八十番札所 白牛山 国分寺 (はくぎゅうざん こくぶんじ) 住所 高松市国分寺町国分2065 電話 087-874-0033 天皇寺から国分寺まで 距離 6.7km 標高差 ほぼ平坦 天皇寺から国分寺まで 寺は天平の時代、聖武天皇の勅願により一国一寺建立された官寺。寺伝によると行基が丈六の十一面千手観世音菩薩を本尊として刻み、開基したとされる。その後、弘仁年間(810〜823)に弘法大師が本尊千手観音像を修繕して四国霊場と定める。大師は修繕のための霊木を探すと、北の国分台、赤峰の麓で木が空から落ちてきたため、それを刻んだと伝わる。寺にはその残木があるが、何の木か学者も分からないとのこと。天正…

  • さすらいの崇徳上皇ゆかりのお寺 香川県坂出市「天皇寺」(その97)

    第七十九番札所 金華山 天皇寺 (きんかざん てんのうじ) 住所 坂出市西庄町天皇1713−2 電話 0877-46−3508 郷照寺から天皇寺まで 距離 6.1km 標高差 ほぼ平坦 郷照寺から天皇寺まで 天平年間(729〜749)に四国巡錫のため当地を訪れた行基は、この山がカナヤマビメとカナヤマヒコの鎮座する山であると感得。山の中腹に薬師如来を本尊とする金山摩尼珠院を建て、山を金山と名付ける。この金山は四国で唯一、アルミニウムの鉱床があることで知られる。弘仁年間(810〜824)には弘法大師がこの地を訪ね、古くから霊泉と知られた八十場(やそば)のほとりに光放つ霊木を見つける。すると一人の天…

  • 二つの法門を奉じる厄除うたづ大師のお寺 香川県宇田津町「郷照寺」(その96)

    第七十八番札所 仏光山 郷照寺 (ぶっこうざん ごうしょうじ) 住所 綾歌郡宇多津町1435 電話 0877-49−0710 道隆寺から郷照寺まで 距離 7.2km 標高差 ほぼ平坦 道隆寺から郷照寺まで 縁起によると寺は神亀ニ年(725)、行基により開創されたと伝わる。行基は一尺八寸の阿弥陀如来像を刻んで本尊として安置し、仏光山道場寺と称する。御詠歌に「道場寺」と詠まれているのはその名残である。大同ニ年(807)、弘法大師が四国巡錫の際、寺が仏法有縁の地であると感得。大師自身の像を彫造して厄除けの誓願を行う。この大師像は「厄除うたづ大師」として今も篤く信仰されている。寺は高僧・名僧との由縁も…

  • 眼なおし薬師のお寺 香川県多度津町「道隆寺」(その95)

    第七十七番札所 桑多山 道隆寺 (そうたざん どうりゅうじ) 住所 仲多度郡多度津町北鴨1−3−30 電話 0877-32−3577 神野寺から道隆寺まで 距離 17.2km 標高差 ほぼ平坦 神野寺から道隆寺まで 縁起によると、和銅五年(715)、この地方の領主和気道隆が、周囲5m近い桑の大木が夜ごと妖しい光を放っているのを見る。この光を怪しみ矢を射ると、女の悲鳴が聞こえ乳母が倒れて死んでいた。これを嘆き悲しんだ道隆がその桑の大木を切り、小さな薬師如来像を彫造。草堂に安置し、供養したのが寺の始まりとされる。不思議なことに、この乳母は供養が終わると生き返ったという。大同ニ年(807)、道隆の子…

  • 満濃大師が静かに湖畔を見下ろすお寺 香川県まんのう町「神野寺」(その94)

    別格第十七番札所 五穀山 神野寺 (ごこくざん かんのじ) 住所 仲多度郡まんのう町神野字神野45−12 電話 0877−75−0875 金倉寺から神野寺まで 距離 13.5km 標高差 +151m -8m 金倉時から神野寺まで 縁起によると、弘仁十二年(821)に弘法大師が嵯峨天皇の勅命により満濃池の修築を行った際、池の守護として建立したのが寺の始まりとされる。池の修築に係る由来は第七十四番札所甲山寺で記したのでここでは省略するが、甲山寺と同様、寺の建立費用は朝廷から授かった報奨金で賄ったとされる。中世時代には寺は当地の豪族である矢原家の保護を受けて隆盛し、一時は広大な寺域を誇っていたが、天…

  • 智証大師誕生のお寺 香川県善通寺市「金蔵寺」(その93)

    第七十六番札所 鶏足山 金倉寺 (けいそくざん こんぞうじ) 住所 善通寺市金蔵寺町1160 電話 0877-62-0845 善通寺から金倉寺まで 距離 3.4km 標高差 ほぼ平坦 善通寺から金蔵寺まで 縁起によると、弘法大師が生まれた宝亀五年(774)に智証大師(円珍)の祖父・和気道善が如意輪観音像を刻んで堂宇を建立し、「自在王堂」と名づけたのが寺の開創とされる。智証大師とは弘法大師の甥で、天台寺門宗の開祖である。その後、仁寿元年(851)に道善の子宅成によって寺名が「道善寺」へと改称される。宅成の子が智証大師で、唐から帰朝した智証大師は天安二年(858)、唐の青龍寺にならって伽藍を造営し…

  • 大師生誕の地に建つお寺 香川県善通寺市「善通寺」(その92)

    第七十五番札所 五岳山 善通寺 (ごがくざん ぜんつうじ) 住所 善通寺市善通寺町3-3-1 電話 0877-62-0111 甲山寺から善通寺まで 距離 1.6km 標高差 ほぼ平坦 甲山寺から善通寺まで 唐から帰朝した弘法大師が先祖の菩提を弔うため、地元の豪族であった父・佐伯田公が寄進した四町四方の地に、師である恵果和尚の住した長安の青龍寺を模して建立したのが寺の始まりとされる。大同ニ年(807)に斧始めを行い、六年近い歳月をかけて金堂、講堂、法花堂など十五堂宇を建立する。寺名は父の諱(いみな:現在の戒名に相当)「善通」をとって「善通寺」と称する。山号の五岳山は、香色山・筆山・我拝師山・中山…

  • 満濃池の修築を果たしたウサギのお寺 香川県善光寺市「甲山寺」(その91)

    第七十四番札所 医王山 甲山寺 (いおうざん こうやまじ) 住所 善通寺市弘田町1765-1 電話 0877-63-0074 出釈迦寺から甲山寺まで 距離 2.7km 標高差 ほぼ平坦 出釈迦寺から甲山寺まで 平安時代初期、弘法大師が善通寺と曼荼羅寺の間に伽藍を建立する霊地を探していると、甲山の麓の岩窟から一人の老人が現れる。老人は「私は昔からここに住み、人々に幸福と利益を与え、仏の教えを広めてきた聖者だ。ここに寺を建立すれば私がいつまでも守護しよう」と言い立ち去る。老人がこの地の守護、毘沙門天の化身と悟った大師は、岩を割って毘沙門天像を刻み、岩窟に安置。堂宇を建立して像を祀ったのが寺の起源と…

  • 大師七歳にて仏門を目指し捨身を決意したお寺 香川県善通寺市「出釈迦寺」(その90)

    第七十三番札所 我拝師山 出釈迦寺 (がはいしざん しゅっしゃかじ) 住所 善通寺市吉原町1091 電話 0877-63-0073 曼荼羅寺から出釈迦寺まで 距離 0.6km 標高差 +47m -0m 曼荼羅寺から出釈迦寺まで 弘法大師がまだ「真魚」と呼ばれていた七歳の時。当時は倭斬濃山(わしのやま)と呼ばれていた我拝師山に大師は登り、「我は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救わん。我が願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じる。すると紫雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り大師を抱き止め、「一生成仏…

  • 西行の昼寝石のあるお寺 香川県善通寺市「曼荼羅寺」(その89)

    第七十二番札所 我拝師山 曼荼羅寺 (がはいしざん まんだらじ) 住所 善通寺市吉原町1380-1 電話 0877-63-0072 海岸寺から曼荼羅寺まで 距離 4.9km 標高差 ほぼ平坦 海岸寺から曼荼羅寺まで 縁起によると、寺の創建は四国霊場で最も古い推古四年(596)。弘法大師の祖先である讃岐の領主佐伯家の氏寺として創建され、当初は世坂寺と称していた。大師が寺を訪れたのは唐から帰朝した翌年のこと。亡き母玉依御前の仏果菩提を祈るためと伝わる。唐の青龍寺を模した伽藍を三年がかりで建立。本尊に大日如来を祀り、唐から持ち帰った金剛界と胎蔵界の曼荼羅を安置し、寺名を曼荼羅寺へと改める。平安末期に…

  • 弘法大師の母玉依御前のお寺 香川県多度津町「海岸寺」(その88)

    別格第十八番札所 経納山 海岸寺 (きょうのうざん かいがんじ) 住所 仲多度郡多度津町西白方997-1 電話 0877-33-3333 弥谷寺から海岸寺まで 距離 5.4km 標高差 +3m -110m 弥谷寺から海岸寺まで 寺伝によるとこの地は弘法大師の母である玉依(たまより)御前の出身地で、方亀五年(774)に産屋を設けて大師を出産したと伝わる。大同二年(807)大師がこの産屋後に本堂を建立し、正観音又は弥勒菩薩を安置したのが寺の開創とされる。弘仁六年(816)に大師は四十二歳の厄除けのため再度寺を訪ね、自身の像を刻んで大師堂を建立する。保延五年(1139)の住職観應の時には寺勢盛大をき…

  • 死霊の行くお寺 香川県三豊市「弥谷寺」(その87)

    第七十一番札所 剣五山 弥谷寺 (けんござん いやだにじ) 住所 三豊市三野町大見乙70 電話 0875-72-3446 本山寺から弥谷寺まで 距離 12.1km 標高差 +196m -18m 本山寺から弥谷寺まで 寺伝によると天平年間(729〜749)、聖武天皇の勅願により行基菩が堂宇を建立。光明皇后の菩提を弔うため「大方広仏華厳経」を祀り、寺を創建したとされる。また、寺宝の経典の中には神亀元年(724)頃に作られた経典が残され、それ以前に建立されていたとも言われる。その後、唐から帰国した弘法大師が大同二年(807)に入山し、真言密教の秘法を勤修する。その満願の日に五柄の剣が天から降り金剛蔵…

  • 太刀受けの弥陀(みだ)が守ったお寺 香川県三豊市「本山寺」(その86)

    第七十番札所 七宝山 本山寺 (しっぽうざん もとやまじ) 住所 三豊市豊中町本山甲1445 電話 0875-62-2007 観音寺から本山寺まで 距離 5.0km 標高差 ほぼ平坦 観音寺から本山寺まで 大同ニ年(807)平城天皇の勅願により弘法大師が開基。大師は馬頭観世音菩薩像を本尊、阿弥陀如来と薬師如来を脇侍として、一刀三礼で刻んだとされる。尊像を安置する本堂には、大師が一夜ほどの短期間にて建立したという「一夜建立」の伝説が残る。当時の寺名は「長福寺」であった。天正の兵火では諸堂を焼失するが、本堂と仁王門は焼かれずに残る。これは、長宗我部軍が本堂に侵入の際に住職を刃にかけたところ、脇仏の…

  • 弘法大師が住職を務めたお寺 香川県観音寺市「観音寺」(その85)

    第六十九番札所 七宝山 観音寺 (しっぽうざん かんのんじ) 住所 観音寺市八幡町1-2-7 電話 0875-25-3871 神恵院から観音寺まで 距離 標高差 なし(同一境内内) 大宝三年(703)、日証上人が琴弾八幡宮を開創したのは前の札所・神恵院と同じであるが、このとき八幡宮の神宮寺として建立したのが寺の始まりで、当時は神宮寺宝光院と称していた。大同ニ年(807)、弘法大師は琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来像を寺に奉納し、第七世住職として入山する。大師は、奈良の興福寺に倣って中金堂、東金堂、西金堂の様式で七堂伽藍を建立し、本尊となる聖観世音菩薩像を彫造して安置。さらに仏塔を建て、瑠璃・…

  • 同じ境内に二つの札所となった寺 香川県観音寺市「神恵院」(その84)

    第六十八番札所 七宝山 神恵院 (しっぽうざん じんねいん) 住所 観音寺市八幡町1-2-7 電話 0875-25-3871 萩原寺から神恵院まで 距離 9.6km 標高差 +32m -74m 萩原寺から神恵院まで 大宝三年(703)、法相宗の高僧日証上人この地で修行中、宇佐八幡宮のお告げを受けて、かなたの海上にて神船と琴を発見。これらを琴弾山に引き上げて祀り、琴弾八幡宮を開創する。このとき、別当寺として建立したのが寺が始まりとされる。大同ニ年(807)、弘法大師が琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来を描いて本尊として祀り、「琴弾山神恵院」と名付け霊場と定める。その後、明治初年の神仏分離令で宇佐…

  • 萩の花が咲き乱れる寺 香川県観音寺市「萩原寺」(その83)

    別格第十六番札所 巨鼇山 萩原寺 (きょごうざん はぎわらじ) 住所 観音寺市大野原町萩原2742 電話 0875-54-2066 大興寺から萩原寺まで 距離 6.2km 標高差 ほぼ平坦 大興寺から萩原寺まで 縁起によると大同二年(807)、弘法大師が寺を開創する。この時、大師は千手観音とニ体の地蔵菩薩像を刻み、千手観音は第六十六番札所の雲辺寺に、地蔵菩薩は当寺に安置する。寺は雲辺寺の末寺で、同じ山号を用いている。延喜三年(903)に醍醐天皇の勅旨談義所となり、天慶ニ年(929)には朱雀天皇が讃州四箇談義所に定める。鎌倉時代に雲辺寺が火災による被害を受けた際には、末寺の当寺が寺務を執り行った…

  • 七日灯明とヒャッカうどんのお寺 香川県三豊市「大興寺」(その82)

    第六十七番札所 小松尾山 大興寺 (こまつおざん だいこうじ) 住所 三豊市山本町辻4209 電話 0875-63-2341 箸蔵寺から大興寺まで 距離 19.5km 標高差 +348m -430m 箸蔵寺から大興寺まで 縁起によると、天平十四年(742)熊野三所権現鎮護のために東大寺の末寺として、現在地より約1キロ北西に建立されたのが寺の始まりとされる。境内からは奈良時代の遺物が出土しており、この縁起を裏付けている。その後、弘法大師が延暦十一年(792)に四国巡錫で寺を訪ね、弘仁十三年(822)には嵯峨聖帝の勅願を受けて再度訪れ、本尊に薬師如来、脇侍に不動明王と毘沙門天を刻んで堂宇を建立・安…

  • 金毘羅さんの奥社であった大寺院 徳島県三好市「箸蔵寺」(その81)

    別格第十五番札所 宝珠山 箸蔵寺 (ほうしゅざん はしくらじ) 住所 三好市池田町州津蔵谷1006 電話 0883-72-0812 雲辺寺から箸蔵寺まで 距離 18.2km 標高差 +114m -847m 雲辺寺から箸蔵寺まで 寺の縁起によると、天長五年(828)に弘法大師が四国巡錫中、当地に霊気を感じ箸蔵山に登る。すると金毘羅大権現が現れ「箸を挙ぐる者、我誓ってこれを救はん」と御神託を大師に授ける。これを受けた大師は金毘羅大権現の像を刻み、堂宇を建立したことが寺の始まりとされる。金毘羅神のご神託によって、この山に寶珠と箸が神器として納められることになり、このことから山号寺名が「寶珠山箸蔵寺」…

  • 四国八十八霊場で最も標高の高い山寺 徳島県三好市「雲辺寺」(その80)

    第六十六番札所 巨鼇山 雲辺寺 (きょごうざん うんぺんじ) 住所 三好市池田町白地ノロウチ763 電話 0883-74-0066 椿堂から雲辺寺まで 距離 23.5km 標高差 +950m -164m 椿堂から雲辺寺まで 縁起によると弘法大師は雲辺寺に三度登っている。最初は延暦八年(789)大師が十六歳の時のこと。第七十五番札所の善通寺の建材を求めて登った際、霊山の深遠さに心打たれて一夜にして堂宇を建立したという。これが寺の創建とされる。ニ度目は大同ニ年(807)大師が三十四歳の時で、唐から請来した宝物で秘密灌頂の修法を行ったとされる。三度目は弘仁九年(818)大師が四十五歳の時で、嵯峨天皇…

  • 四国八十八霊場で最も標高の高い山寺 徳島県三好市「雲辺寺」(その80)

    第六十六番札所 巨鼇山 雲辺寺 (きょごうざん うんぺんじ) 住所 三好市池田町白地ノロウチ763 電話 0883-74-0066 椿堂から雲辺寺まで 距離 23.5km 標高差 +950m -164m 椿堂から雲辺寺まで 縁起によると弘法大師は雲辺寺に三度登っている。最初は延暦八年(789)大師が十六歳の時のこと。第七十五番札所の善通寺の建材を求めて登った際、霊山の深遠さに心打たれて一夜にして堂宇を建立したという。これが寺の創建とされる。ニ度目は大同ニ年(807)大師が三十四歳の時で、唐から請来した宝物で秘密灌頂の修法を行ったとされる。三度目は弘仁九年(818)大師が四十五歳の時で、嵯峨天皇…

  • 大師のお杖椿のお寺 愛媛県四国中央市「椿堂 常福寺」(その79)

    別格第十四番札所 椿堂 常福寺 (つばきどう じょうふくじ) 住所 四国中央市川滝町下山1894 電話 0896-56-4523 仙龍寺から椿堂まで 距離 13.8km 標高差 +266m -407m 仙龍寺から椿堂 常福寺まで 大同二年(807)に邦治居士という人物がこの治に庵を結び、地蔵尊を祀る。弘仁六年(815)には四国巡錫中の弘法大師がこの庵を訪れる。大師は当地で流行していた熱病(現在の流寒)を鎮めるため、庵に住民を集めて手にした杖を土に差して祈祷。病を土に封じ込めて立ち去る。その後、この杖から椿が芽を出し、枝を広げて大木へと成長する。椿の木は「大師のお杖椿」として信仰を集め、庵はいつ…

  • 別格らしい深山幽谷の霊場 愛媛県四国中央市「仙龍寺」(その78)

    別格第十三番札所 金光山 仙龍寺 (きんこうざん せんりゅうじ) 住所 四国中央市新宮町馬立1200 電話 0896-72-2033 三角寺から仙龍寺まで 距離 10.9km 標高差 +185m -274m 三角寺から仙龍寺まで 縁起によると寺の開創は七世紀の頃。天竺から訪れた法道仙人による。法道仙人は空鉢仙人とも呼ばれ、別格第十番札所の興隆寺や播磨の国の多くの寺を開いたことで知られる。延暦十三年(794)に弘法大師がこの地を訪れ、法道仙人から山を託される。弘仁六年(815)大師は四十二歳の時に再びこの地を訪れ、金剛窟に瀧沢大権現と開運不動尊を勧請する。大師は息災の護摩壇を築き、朝夕「きよめの…

  • 安産子安を願う子宝杓子のお寺 愛媛県四国中央市「三角寺」(その77)

    第六十五番札所 由霊山 三角寺 (ゆれいざん さんかくじ) 住所 四国中央市金田町三角寺甲75 電話 0896-56-3065 延命寺から三角寺まで 距離 18.4km 標高差 +343m -42m 延命寺から三角寺まで 聖武天皇(在位724〜49)の勅願を受け、行基が弥勒(みろく)の住む浄土兜率天(とそつてん)を具現するため寺を開創したと伝わる。兜率天とは、阿弥陀佛の極楽浄土と共に浄土思想における二大聖地の一つである。弘仁六年(815)に弘法大師が寺を訪れ、本尊の十一面観音像を彫造して安置する。大師は不動明王像も刻み、三角の護摩壇を築いて二十一日間、国家の安泰と万民の福祉を祈念し「降伏護摩の…

  • いざり松と千枚通しの霊符が伝わるお寺 愛媛県四国中央市「延命寺」(その76)

    別格第十二番札所 摩尼山 延命寺 (まにざん えんめいじ) 住所 四国中央市土居町土居895 電話 0896-74-2339 前神寺から延命寺まで 距離 26.4km 標高差 +161m -140m 前神寺から延命寺まで 弘法大師が四国巡錫の際、一人の病人が松の木の近くで苦しんでいるのを見て、千枚通の霊符を授ける。その霊験により病の癒えた病人は大師に付き従い、遂に得度を受ける。法忍という僧名を名乗り、この地で千枚通の霊符を継承したという。この千枚通は寺宝として伝わり、今も諸病平癒や安産を願って霊符を求める信者が絶えない。千枚通の霊符を授かった信者は、「南無大師遍照金剛」と書かれた薄い和紙を水に…

  • 役行者が開いた石鉄修行道の根本道場のお寺 愛媛県西条市「前神寺」(その75)

    第六十四番札所 石鉄山 前神寺 (いしづちざん まえがみじ) 住所 西条市洲之内甲1426 電話 0897-56-6995 吉祥寺から前神寺まで 距離 3.2km 標高差 ほぼ平坦 吉祥寺から前神寺まで 天武天皇(在位673~86)の時代、修験道の祖・役行者小角が石鎚山で修行を積んでいるときのこと。釈迦如来と阿弥陀如来が衆生の苦悩を救済するため石鈇山蔵王権現となって現われたことに感得した小角が、その姿を刻んで祀ったのが寺の始まりとされる。権現とは衆生を救うために色々な姿となって現れる仏や菩薩のことをいい、神仏習合のこの時代では神も仏も同じように崇められていた。その後、桓武天皇(在位781~80…

  • 四国霊場唯一毘沙門天を本尊とするお寺 愛媛県西条市「吉祥寺」(その74)

    第六十三番札所 密教山 吉祥寺 (みっきょうざん きちじょうじ) 住所 西条市氷見乙1048 電話 0897-57-8863 宝寿寺から吉祥寺まで 距離 1.4km 標高差 ほぼ平坦 宝寿寺から吉祥寺まで 弘法大師がこの地を巡教したのは弘仁年間(810〜824)のこと。大師は一本の光を放つ檜を見つけ、一帯に霊気が満ちていることを感得する。大師はこの霊木で本尊とする毘沙聞天像を彫造、さらに脇侍として吉祥天像と善膩師童子像を彫って堂宇を建立、安置したのが寺のはじまりとされる。寺は貧苦からの救済を祈念し開創されたと伝わるが、毘沙門天は財産を守るとされ、七福神の一つ。妃の吉祥天は衆生に福徳を与えるとさ…

  • 安産の観音様を祀るお寺 愛媛県西条市「宝寿寺」(その73)

    第六十ニ番札所 天養山 宝寿寺 (てんようざん ほうじゅじ) 住所 西条市小松町新屋敷甲428 電話 0898-72-2210 香園寺から宝寿寺まで 距離 1.4km 標高差 ほぼ平坦 香園寺から宝寿寺まで 聖武天皇(在位724~49)の勅願により諸国に一の宮が造営された際、この地に大国主大神ら三神を祀る伊予の一の宮神社が建立される。この時、大和の僧道慈律師が法楽所としての一の宮神社の別当寺を創建したのが寺のはじまりとされる。寺は天皇より「金光明最勝王経」を賜る。当時の寺名は「金剛宝寺」であり、現在地より1km程北にあったという。弘法大師がこの地方を訪ね、霊場を開設したのは大同年間(806~8…

  • 聖徳太子が開創したお寺 愛媛県西条市「香園寺」(その72)

    第六十一番札所 栴檀山 香園寺 (せんだんざん こうおんじ) 住所 西条市小松町南川甲19 電話 0898-72-3861 横峰寺から香園寺まで 距離 13.2km 標高差 +32m -789m 横峰寺から香園寺まで 縁起によると、用明天皇(在位585〜87)の病気平癒を祈願して、皇子である聖徳太子が霊夢に導かれてこの地を訪れ、堂宇を建立したのが寺の開祖とされる。このとき太子の前に金の衣を着た白髪の老翁が飛来し、大日如来像を本尊として安置したとされ、後に寺は快癒した天皇から「教王院」の山号を賜る。天平年間(729〜49)には行基菩薩が訪ね、大同年間(806〜810)には弘法大師が巡錫する。ある…

  • 石鎚山に建つ山岳信仰を支えたお寺 愛媛県西条市「横峰寺」(その71)

    第六十番札所 石鎚山 横峰寺 (いしづちざん よこみねじ) 住所 西条市小松町石鎚甲2253 電話 0897-59-0142 生木地蔵から横峰寺まで 距離 18.9km 標高差 +813m -66m 生木地蔵から横峰寺まで 寺伝によると白雉ニ年(651)に修験道の祖である役行者(えんのぎょうじゃ)が石鎚山の星ヶ森で修行中、山頂に蔵王権現が現れる。その姿を石楠花(しゃくなげ)の木に刻み、小堂を建て安置したのが寺の創建される。ちなみに役行者は奈良の吉野でも蔵王権現を感得し、桜の木に姿を刻んだとされ、以降、吉野では桜が御神木となる。延暦年間(782〜806)には石仙仙人という行者がこの地に住み、桓武…

  • 楠の霊木を祀るお寺 愛媛県西条市「生木地蔵」(その70)

    別格第十一番札所 生木山 生木地蔵 (いききざん いききじぞう) 住所 西条市丹原町高松248-1 電話 0898-68-7371 興隆寺から生木地蔵まで 距離 3.4km 標高差 +4m -175m 興隆寺から生木地蔵まで 寺伝によると、弘法大師が霊場開創のため四国を巡錫の折、四尾山の麓にて仮の夜を過ごした時に山が光り輝き、暁には紫雲がたなびく。山の楠に童子が現れたことから大師は霊感を感得し、「童子の化身を以て我に示し給う」と一刀三礼して霊刀をふるい、一夜のうちに楠の大木に延命地蔵の尊像を刻む。ところが天邪鬼が鶏の鳴き真似をしたため、夜が明けたと思った大師は地蔵の片耳を刻み残したまま立ち去る…

  • 東予随一のもみじのお寺 愛媛県西条市「興隆寺」(その69)

    別格第十番札所 仏法山 興隆寺 (ぶっぽうざん こうりゅうじ) 住所 西条市丹原町古田甲1657 電話 0898-68-7275 国分寺から興隆寺まで 距離 16.9km 標高差 +249m -57m 国分寺から興隆寺まで 寺伝によると皇極天皇元年(642年)に空鉢上人により寺が創建されたとされる。空鉢上人とはインドから中国・朝鮮半島を経て渡来した法道仙人のことをいう。播磨の国一体に法道仙人ゆかりの寺が多く、四国では同じ別格霊場の仙龍寺が法道仙人による開山と伝わる。その後は養老年間(712〜724)に行基が留錫。延暦年間(782〜806)には報恩大師が入山したところ、本堂西の杉の枝で本尊が光を…

  • 巨大な七重塔があったお寺 愛媛県今治市「国分寺」(その68)

    第五十九番札所 金光山 国分寺 (こんこうざん こくぶんじ) 住所 今治市国分4-1-33 電話 0898-48-0533 仙遊寺から国分寺まで 距離 7.1km 標高差 +2m -235m 聖武天皇が発出した国分寺建立の詔によって建立された諸国国分寺の一つであり、天平十三年(741)に行基が本尊の薬師如来像を彫造して安置し、寺を開創する。国分寺は「金光明最勝王経」による国家鎮護の寺であり、寺の山号はこれによる。第三世の住職智法律師の時に弘法大師が長く滞在し、「五大尊明王」の画像一幅を奉納して霊場と定める。また大師の十大弟子の一人である真如もニ年間留まり「法華経」の一部を書写して納める。当時は…

  • 仙人が雲間に消えたお寺 愛媛県今治市「仙遊寺」(その67)

    第五十八番札所 作礼山 仙遊寺 (されいざん せんゆうじ) 住所 今治市玉川町別所甲483 電話 0898-55-2141 栄福寺から仙遊寺まで 距離 2.9km 標高差 +217m -13m 栄福寺から仙遊寺 天智天皇(668〜671)の勅願により伊予の国主越智守興が堂宇を建立。天智天皇は大化の改新の仕上げを念じ、虎皮の太鼓を寺に奉納したとされる。本尊の千手観音菩薩像は海から上がってきた竜女が一刀三礼しながら彫り安置したと伝わる。このことから「作礼山」が山号となる。さらに、阿坊仙人という僧が四十年にわたって寺に籠り七堂伽藍を整えるが、養老ニ年(718)に雲と遊ぶが如く忽然と姿を消したと伝わる…

  • 海上安全祈願のお寺 愛媛県今治市「栄福寺」(その66)

    第五十七番札所 府頭山 栄福寺 (ふとうざん えいふくじ) 住所 今治市玉川町八幡甲200 電話 0898-55-2432 泰山寺から栄福寺まで 距離 3.1km 標高差 ほぼ平坦 泰山寺から栄福寺まで 嵯峨天皇の勅願により弘法大師がこの地を巡教したのは弘仁年間(810〜824)のこと。大師は瀬戸内海の風波による海難事故の平易を祈り、府頭山の山頂で護摩供を修法する。その満願の日に風波はおさまり、海上には阿弥陀如来の影向が漂う。この阿弥陀如来の尊像を府頭山頂に引き上げ堂宇を建て、本尊として安置したのが寺の創建とされる。大和大安寺の行教上人が宇佐八幡の霊告を受け、その分社を山城の男山八幡として創建…

  • 治水のため土砂加持を修した寺 愛媛県今治市「泰山寺」(その65)

    第五十六番札所 金輪山 泰山寺 (きんりんざん たいさんじ) 住所 今治市小泉1-9-18 電話 0898-22-5959 南光坊から泰山寺まで 距離 3.0km 標高差 ほぼ平坦 南光坊から泰山寺 弘法大師がこの地を訪れたのは弘仁六年(815)のこと。この地方を流れる蒼社川が毎年梅雨になると氾濫し、田地や家屋を流し人命を奪っていた。村人たちは川を人取川と呼び恐れ、災いは悪霊の祟りと信じていた。事情を聴いた大師は村人たちと堤防を築き、「土砂加持」の秘法を七座にわたり修する。土砂加持とは密教修法の一つで、土砂を死体や墓にまき亡者迫善の祈願を行うこととされる。大師は満願の日に延命地蔵菩薩を空中に感…

  • 大山祗神社の別当寺 愛媛県今治市「南光坊」(その64)

    第五十五番札所 別宮山 南光坊 (べっくざん なんこうぼう) 住所 今治市別宮町3-1 電話 0898-22-2916 延命寺から南光坊まで 距離 3.7km 標高差 ほぼ平坦 延命寺から南光坊まで 推古天皇に勅願により御代二年(594)大三島に大山祇神社の元となる遠土宮が造立される。その後、風波のため祭祀が疎かになるのを憂いた文武天皇の勅願を受け、伊予の国司越智玉澄が大山積明神を伊予国越智郡日吉村に勧請して別宮を造営する。別宮は和銅五年(712)に完成し「日本総鎮守三島の地御前」として奉祀される。この時、大山祇神社の法楽所として別当寺二十四坊を建立し、このうち八坊(中之坊・大善坊・乗蔵坊・通…

  • 美しい鐘の音のお寺 愛媛県今治市「延命寺」(その63)

    第五十四番札所 近見山 延命寺 (ちかみざん えんめいじ) 住所 今治市阿方甲636 電話 0898-22-5696 圓明寺から延命寺まで 距離 33.8km 標高差 +117m -98m 圓明寺から延命寺まで 養老四年(720)、聖武天皇の勅願により行基が大日如来の化身とされる不動明王像を彫造して本尊とし、現在地より北にある近見山の山頂に伽藍を建立して寺を開創する。弘仁年間(810〜24)には弘法大師が嵯峨天皇の勅命を受け、伽藍を信仰と学問の中心道場として再興。不動院圓明寺と名づけて勅願所と定める。鎌倉時代の文永五年(1268)には華厳宗の学僧凝然が寺の西谷の坊に籠り、初学者の仏教入門書とい…

  • キリシタン灯籠のあるお寺 愛媛県松山市「圓明寺」(その62)

    第五十三番札所 須賀山 圓明寺 (すがさん えんみょうじ) 住所 松山市和気町1-182 電話 089-978-1129 太山寺から圓明寺まで 距離 2.8km 標高差 +1m -59m 太山寺から圓明寺まで 天平勝宝元年(749)に聖武天皇の勅願により行基が本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像を彫造して安置し、七堂伽藍を備えた大寺として建立する。当時は和気浜の西山という海岸にあり、海岸山圓明密寺と称した。松山にある八寺のうち行基が開いたのは五寺となるが、圓明寺は行基最晩年の創建で、大仏建立のため諸国を勧進し回っていた頃に当たる。後に弘法大師が荒廃した諸堂を整備し、霊場の札所とし…

  • 真野長者の一夜建立のお寺 愛媛県松山市「善楽寺」(その61)

    第五十ニ番札所 龍雲山 太山寺 (りゅううんざん たいさんじ) 住所 松山市太山寺町1730 電話 089-979-0329 石手寺から太山寺まで 距離 10.8km 標高差 +101m -91m 石手寺から太山寺まで 用明ニ年(587)、豊後の真野長者が商いのため船で大阪に向かう時、暴風雨に遭遇する。真野長者はふいごの炭焼きであるが、神のお告げにより久我大臣の娘・王津姫と結婚して以来時運が開け、大富豪となった人物とされる。難を逃れるため観音菩薩に祈願したところ、瀧雲山の山頂から光が差し時化が静まり、高浜の岸に無事漂着する。その光の差した山頂に行ってみると、一寸八分の十一面観音を祀った小さな草…

  • 衛門三郎再生のお寺 愛媛県松山市「石手寺」(その60)

    第五十一番札所 熊野山 石手寺 (くまのざん いしてじ) 住所 松山市石手2-9-21 電話 089-977-0870 繁多寺から石手寺 距離 2.8km 標高差 ほぼ平坦 繁多寺から石手寺まで 神亀五年(728)伊予の豪族越智玉純が霊夢に二十五菩薩の降臨を見て、この地が霊地であると感得。熊野十二社権現を祀ったのを機に鎮護国家の道場を建立し、聖武天皇の勅願所となる。翌年の天平元年(729)に行基が薬師如来像を彫造して本尊に祀って開基し、寺名を安養寺とする。弘仁四年(813年)に弘法大師が寺を訪れ、宗派を法相宗から真言宗へと改める。寺名を石手寺と改称したのは、寛平四年(892)の右衛門三郎再来の…

  • 一遍上人も修行した厄除けと商売繁盛のお寺 愛媛県松山市「繁多寺」(その59)

    第五十番札所 東山 繁多寺 (ひがしやま はんたじ) 住所 松山市畑寺町32 電話 089-975-0910 浄土寺から繁多寺 距離 2.1km 標高差 ほぼ平坦 浄土寺から繁多寺まで 天平勝宝年間(749〜759)孝謙天皇の勅願により行基が三尺の薬師如来立像を彫造し、寺を建立したと伝わる。孝謙天皇より祭具として幡を賜ったことが寺名の由来とされるが、元の寺名は光明寺で大師が今の寺名に改めたとも伝わる。弘仁年間(810~824)この地を巡錫する弘法大師が寺に逗留し、霊場と定める。その後寺は衰微するが、伊予の国司源頼義や僧堯蓮の援助で再興を果たす。弘安ニ年(1279)には後宇多天皇の勅命を受け、聞…

  • 空也上人ゆかりのお寺 愛媛県松山市「浄土寺」(その58)

    第四十九番札所 西林山 浄土寺 (さいりんざん じょうどじ) 住所 松山市鷹子町1198 電話 089-975-1730 西林寺から浄土寺まで 距離 2.9km 標高差 ほぼ平坦 西林寺から浄土寺まで 聖武天皇の皇女、孝謙天皇(749〜758)の勅願を受けた恵明上人が、行基作の釈迦如来像を本尊として祀り、開創したのが寺の始まりとされる。当時は法相宗の寺院であった。のちに弘法大師がこの寺を訪ねて荒廃していた伽藍を再興し、真言宗に改宗。その頃から寺運は栄えて寺域は八丁四方に及び、最盛期には六十六坊の末寺を持つほどの大寺院となる。天徳年間(957〜961)には天台宗の僧空也上人が四国巡歴の際に浄土寺…

  • 川より低い水郷の寺 愛媛県松山市「西林寺」(その57)

    第四十八番札所 清滝山 西林寺 (せいりゅうざん さいりんじ) 住所 松山市高井町1007 電話 089-975-0319 文殊院から西林寺まで 距離 3.7km 標高差 ほぼ平坦 文殊院から西林寺まで 天平十三年(741)行基が聖武天皇の勅願により伊予に入り、国司越智玉純と共に一宮別当寺として堂宇を建立する。堂宇は現在の松山市小野播磨塚辺りの「徳威の里」にあり、本尊として十一面観音菩薩像を彫造して安置する。大同ニ年(807)弘法大師が四国の霊跡を巡礼した際寺に逗留する。大師は国司越智実勝と協議して寺を現在地に移して四国霊場と定め、伽藍を再建し国家安泰を祈願する。寺には水にまつわる弘法伝説があ…

  • 衛門三郎とその子らの位牌が伝わるお寺 愛媛県松山市「文殊院」(その56)

    別格第九番札所 大宝山 文殊院 (だいほうざん もんじゅいん) 住所 松山市恵原町308 電話 089-963-1960 八坂寺から文殊院まで 距離 0.7km 標高差 ほぼ平坦 八坂寺から文殊院まで 縁起によると、別格第十番札所「西山興隆寺」を創建した空鉢上人が、七世紀に八窪という地名の山の中腹に徳盛寺として開基したのが寺の起源とされる。天長元年(824)に弘法大師が文殊菩薩に導かれてこの地に逗留し、寺名を文殊院と改め現在の境内地に堂宇を移す。寺のある辺りは四国遍路の元祖とされる「衛門三郎」の邸宅があったと伝わる。衛門三郎にまつわる話は、第十二番札所焼山寺の麓にある杖杉庵の看板に些細が書かれ…

  • 可愛い猫が出迎えてくれるお寺 愛媛県松山市「八坂寺」(その55)

    第四十七番札所 熊野山 八坂寺 (くまのざん やさかじ) 住所 松山市浄瑠璃町八坂773 電話 089-963-0271 浄瑠璃寺から八坂寺まで 距離 0.9km 標高差 ほぼ平坦 浄瑠璃寺から八坂寺まで 縁起によると修験道の開祖・役行者小角が開基したと伝わる。大宝元年(701)に文武天皇の勅願により伊予の国司越智玉興公が堂塔を建立。八箇所の坂道を切り開いて創建し、益々栄える「いやさか(八坂)」にも由来することからこれを寺名とする。弘法大師がこの寺で修法したのは百余年後の弘仁六年(815)のこと。荒廃した寺を再興して霊場と定める。本尊の阿弥陀如来坐像は浄土教の論理的な基礎を築いた平安中期の名僧…

  • ご利益の万屋(よろずや) 愛媛県松山市「浄瑠璃寺」(その54)

    第四十六番札所 医王山 浄瑠璃寺 (いおうざん じょうるりじ ) 住所 松山市浄瑠璃町282 電話 089-963-0279 岩屋寺から浄瑠璃寺まで 距離 25.8km 標高差 +443m -796m 岩屋寺から浄瑠璃寺まで 日本初の流通貨幣である和同開珎が造られた和銅元年(708)、行基が布教のためにこの地を訪れ、仏法を修行する適地として伽藍を建立する。白檀の木で薬師如来像を彫り本尊とし、脇侍に日光・月光菩薩、眷属として十二神将を彫造して安置する。薬師如来は東方にあるとされる浄瑠璃世界の救主で、寺名はその名に因む。また山号も医王如来に因み「医王山」とされる。百年後の大同ニ年(807)、唐から…

  • 車遍路にとって四国最大の難所 天を突く奇峰がそびえるお寺 愛媛県久万高原町「岩屋寺」(その53)

    第四十五番札所 海岸山 岩屋寺 (かいがんざん いわやじ ) 住所 上浮穴郡久万高原町七鳥1468 電話 0892-57-0417 大宝寺から岩屋寺まで 距離 10.6km 標高差 +234m -140m 大宝寺から岩屋寺まで 弘法大師がこの地を巡錫したのは弘仁六年(815)のこと。山には法華仙人と称する土佐の女性が岩窟に籠り、法華三昧を成就。空中を自在に飛行できる神通力を身につけていたが、大師の修法に篤く帰依し全山を献上する。大師は木造と石造の不動明王像を刻み、木像は本尊として本堂に安置。石像は奥の院の秘仏として岩窟に祀り、全山をご本尊の不動明王として護摩修法を行う。山号の「海岸山」は空海の…

  • 八十八霊場の四十四番目、中札所と呼ばれるお寺 愛媛県久万高原町「大宝寺」(その52)

    第四十四番札所 菅生山 大宝寺 (すごうざん だいほうじ ) 住所 上浮穴郡久万高原町菅生1173 電話 0892-21-0044 十夜ヶ橋から大宝寺まで 距離 50.1km 標高差 +727m -198m 十夜ヶ橋から大宝寺まで 縁起によると、大和朝廷の頃、百済から渡来した聖僧が山中に十一面観世音菩薩を安置したのが寺の始まりとされる。大宝元年(701)広島の安芸から来た明神右京と隼人という兄弟の狩人が、菅草のなかにあった十一面観音像を見つけ、草庵を結び尊像を祀る。この奏上を聞いた文武天皇は勅命を下して寺院を建立させ、元号にちなんで「大寶寺」と称する。弘仁十三年(822)この地で密教を修法した…

  • 橋の下で大師が一夜を明かしたとされるお寺 愛媛県大洲市「十夜ヶ橋 永徳寺」(その51)

    別格第八番札所 十夜ヶ橋 永徳寺 (とよがはし えいとくじ) 住所 大洲市東大洲1808 電話 0893-25-2530 出石寺から十夜ヶ橋まで 距離 21.6km 標高差 +143m -913m 金山出石寺から十夜ヶ橋永徳寺まで 四国を巡錫中の弘法大師が菅生山(大寶寺)に向かう途中、この地で日が暮れ夜を迎えるが、村落人家至って少なく、泊まる家が見当たらない。このため小川にかかる土橋の下で一人野宿する。夜が明けるのを待ち願う大師は、一夜が十夜の長さにも感じ、「行き悩む 浮世の人を 渡さずば 一夜も十夜の 橋とおもほゆ」と詠じる。この伝えにより橋は「十夜ヶ橋」と呼ばれるようになり、たもとに大師堂…

  • 別格の中の別格 みかん畑の上にそびえる大寺院 愛媛県大洲市「金山 出石寺」(その50)

    別格第七番札所 金山 出石寺 (きんざん しゅっせきじ) 住所 大洲市豊茂乙1 電話 0893-57-0011 明石寺から出石寺まで 距離 34.9km 標高差 +846m -323m 明石寺から出石寺まで 縁起によると寺の開創は養老二年(718)である。旧宇和郷田中庄の猟師作右衛門が狩りに出て、一頭の鹿を追いかけて山に登り、まさに鹿を射殺そうとして弓を引き絞ったところ、突如として暗雲が垂れ込め全山振動して光明赫赫と輝き、鹿の姿をかき消す。鹿の立っていた足下の岩が真二つに割れ、地中から千手観音菩薩と地蔵菩薩の像が湧き出て金色の光を放つ。この奇瑞を目撃した作右衛門は、殺生を業とすることを悔い改め…

  • 住職がカレーの味を決めるお寺 愛媛県西予市「明石寺」(その49)

    第四十三番札所 源光山 明石寺 (げんこうざん めいせきじ) 住所 西予市宇和町明石205 電話 0894−62−0032 仏木寺から明石寺まで 距離 16.7km 標高差 +329m -256m 仏木寺から明石寺まで その昔、美しい乙女が願をかけながら深夜に大石を山に上げていたが、天の邪鬼が鶏の鳴き声を真似たため、乙女は夜明けと思い消え去る。乙女は千手観音菩薩の化身であった。以来この地は千手観音菩薩がこもった霊地とされ尊崇されてきた。寺の元の寺名である「あげいしじ」はこの数奇な伝説に由来する。縁起によると、欽明天皇(532〜571)の勅願を受け、円手院正澄という行者が唐伝来の千手観音菩薩像を…

  • 四国唯一 人も動物も一緒に祈祷するお寺 愛媛金宇和島市「佛木寺」(その48)

    第四十ニ番札所 一カ山 仏木寺 (いっかざん ぶつもくじ) 住所 宇和島市三間町則1683 電話 0895-58-2216 龍光院から仏木寺まで 距離 3.5km 標高差 ほぼ平坦 龍光寺から仏木寺まで 大同ニ年(807)弘法大師はこの地で牛を引く老人と出会う。誘われるまま牛の背に乗って歩むと、楠の大樹の梢に一つの宝珠がかかり、光を放っているのを目にする。よく見ると、これは大師が唐から帰朝する際に「有縁の地」が選ばれるよう三鈷とともに東方に向け投げた宝珠であった。この地こそ霊地であると感得した大師は堂宇を建立し、一カ山仏木寺と山号寺名を授ける。自ら楠で大日如来像を彫造し、眉間に宝珠を埋めて白毫…

  • 南予の田舎道にたたずむ龍の目の伝わるお寺 愛媛巻宇和島市「龍光院」(その47)

    第四十一番札所 稲荷山 龍光寺 (いなりざん りゅうこうじ) 住所 宇和島市三間町戸雁173 電話 0895-58-2186 龍光院から龍光寺まで 距離 9.7km 標高差 +172m -13m 龍光院から龍光寺まで 大同2年(807)弘法大師がこの地を巡錫中、稲束を背負ったひとりの白髪老人が現れ、「我この地に住み法教を守護し、諸民を利益せん」と告げて忽然と姿を消す。大師は、この老翁が五穀大明神の化身であると悟り、その明神を勧請して稲荷明神像を彫造、堂宇を建てて安置する。このとき、本地仏の十一面観世音菩薩と共に脇侍の不動明王・毘沙門天を造像して安置し、寺を「稲荷山龍光寺」と号し四国霊場の総鎮守…

  • 西日本随一の一石彫り大観音像があるお寺 愛媛県宇和島市「龍光院」(その46)

    格第六番札所 臨海山 龍光院 (りんかいざん りゅうこういん) 住所 宇和島市天神町1-1 電話 0895-22-0527 観自在寺から龍光院まで 距離 40.6km 標高差 +271m -270m 観自在寺から龍光院まで 江戸時代初期の元和元年(1615)に伊達秀宗が初代宇和島藩主として入部する。その際、宇和島城の鬼門に当たるこの地に鎮めとして、藩の安寧と領民の安泰を祈願する寺が建立される。これが龍光院の創始であり、寺領として百石を授かり伊達家の祈願寺と定められる。寛永十五年(1638)に京都大覚寺二品宮親王が四国を巡錫した際、この地の風光明媚を讃えて「臨海山福壽寺」の号を与える。龍光院は四…

  • 四国霊場の裏関所、カエルの石像のあるお寺 愛媛県愛南町「観自在寺」(その45)

    第四十番札所 平城山 観自在寺 (へいじょうざん かんじざいじ) 住所 宇和郡愛南町御荘平城2253-1 電話 0895-72-0416 延光寺から観自在寺まで 距離 27.9km 標高差 +181m -209m 延光寺から観自在寺まで 大同二年(807)平城天皇の勅令を受けた弘法大師がこの地を訪れ、一本の霊木から本尊の薬師如来と脇侍の阿弥陀如来、十一面観音菩薩の三尊像を彫造し、寺を開創する。三体は「一木三体」「一刀三礼」の像として知られ、一本の霊木を一刀入れる毎に三度礼拝して刻んだとされる。このとき大師は、残った霊木に「南無阿弥陀仏」と六字の名号を彫り、厄除諸難消除の舟形の宝判を造る。この宝…

  • 修行の道場最後、梵鐘を背負ってきた赤亀のお寺 高知県宿毛市「延光寺」(その44)

    第三十九番札所 赤亀山 延光寺 (しゃっきざん えんこうじ) 住所 宿毛市平田町中山390 電話 0880-66-0225 金剛福寺から延光寺まで 距離 53.3km 標高差 +416m -434m 金剛福寺から延光寺まで 神亀元年(724)に行基が聖武天皇の勅命を受け薬師如来像を彫造、これを本尊として本坊のほか十二坊を建立したのが寺の開創とされる。当時は薬師如来の瑞相にちなんで、山号を亀鶴山、寺名を宝光寺と称する。本尊の胎内には行基が感得した仏舎利が秘蔵されていると伝わる。弘法大師がこの寺を訪ねたのは延暦年間(782〜805)で、桓武天皇の勅願所として再興。脇侍の日光・月光菩薩像を安置し、七…

  • 天魔が蠢く地の果てに立つお寺 高知県土佐清水市「金剛福寺」(その43)

    第三十八番札所 蹉跎山 金剛福寺 (さださん こんごうふくじ) 住所 土佐清水市足摺岬214-1 電話 0880-88-0038 岩本寺から金剛福寺まで 距離 85.2km 標高差 +519m -674m 岩本寺から金剛福寺まで 弘仁十三年(822)に嵯峨天皇から「補陀落(ふだらく)東門」の勅額を受けた弘法大師は、足摺岬の突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地・補陀落の世界を感得する。岬を見下ろす丘の中腹に伽藍を建立し、三面千手観世音像を彫造して安置。寺名を金剛福寺とする。大師が唐から帰朝する際、日本に向けて投げた五鈷杵は足摺岬に飛来したと伝わる。五鈷杵は別名金剛杵と呼ばれ、寺名の…

  • モデルコース(スーパーカブ編)2

    2 足摺岬を周回し、南予から久万高原へとコース(高知駅発松山駅着) 高知市から一気に足摺岬へと向かい、岬を周遊した後に南予へと向かう。愛媛最南端の愛南町からは北上し、古都大洲から久万高原町へと駆け上って松山市街へと下るコース。ハイライトは断崖絶壁の足摺岬と宇和海を見下ろす山頂にある出市寺、夏でも涼しい久万高原町の岩屋寺。途中の札所も素朴な寺が多く、お遍路気分を十分楽しむことができる。 JR高知駅 ‖ 37.2km +138m -136m 別格五番 大善寺(だいぜんじ)須崎市 ‖ 30.8km(68.0km) +414m -209m 三十七番 岩本寺(いわもとじ)四万十町 ‖ 85.2km(15…

  • マリリンモンローの微笑みと空海の七不思議が伝わるお寺 高知県四万十町「岩本寺」(その42)

    第三十七番札所 藤井山 岩本寺 (ふじいさん いわもとじ) 住所 高岡郡四万十町茂串町3-13 電話 0880-22-0376 大善寺から岩本寺まで 距離 30.8km 標高差 +414m -209m 大善寺から岩本寺まで 天平年間(729〜749)、聖武天皇の勅令を受けた行基が七難即滅・七福即生を祈念し、現在地より北西にある仁井田明神の傍に建立。末寺七ヶ寺を有する寺は福圓満寺と言われていたが、仁井田明神の別当職(別当寺)であったため仁井田寺とも呼ばれる。弘仁年間(810〜824)にこの地を訪ねた弘法大師は仁井田明神のご神体を五つの社に分け、それぞれに不動明王像、観音菩薩像、阿弥陀如来像、薬師…

  • モデルコース(ロードバイク編)2

    2 徳島市内巡りの後、小松島市へと南下するコース(徳島駅発着) 徳島市内の五箇所参りは徒歩でも回れるほど近い距離。そこから小松島市までは徳島市内を大きく縦断し、バイパスを南下するため騒々しいルートとなるが、小松島市内のニ寺は田園地帯の外れたところにあるため、ゆったり散策できる。徳島駅への戻りは最寄り駅からの輪行がお勧め。 JR徳島駅 ‖ 10.9km ほぼ平坦 十三番 大日寺(だいにちじ)徳島市 ‖ 2.7km(13.6km)ほぼ平坦 十四番 常楽寺(じょうらくじ)徳島市 ‖ 0.9km(14.5km)ほぼ平坦 十五番 国分寺(こくぶんじ)徳島市 ‖ 1.7km(16.2km)ほぼ平坦 十六番…

  • 土佐の親知らずに立つ往来安全を願うお寺 高知県須崎市「大善寺」(その41)

    別格第五番札所 高野山 大善寺 (こうやさん だいぜんじ) 住所 須崎市西町1-2-1 電話 0889-42-0800 青龍寺から大善寺まで 距離 25.7km 標高差 +122m -127m 青龍寺から大善寺まで 弘法大師が四国を巡錫していた頃、須崎の海は今より広大で、大師堂が現在ある地は海に突き出た岬となっていた。岬の先端には「波の二ツ石」と呼ばれる二つの巨石があり、旅人は潮が引いた時には二ツ石の先を廻って往来した。しかしこの地は「土佐の親しらず」と呼ばれるほどの海の難所で、荒い波にさらわれ多くの者が命を落とし、また、同地は伊予石鎚山の末端に当たるとされ身に不浄ある者は怪異に出会うと恐れら…

  • モデルコース(スーパーカブ編)1

    1 阿波の山寺を巡り、室戸岬を周回コース(徳島駅発安芸駅着) 前半は阿波の三大難所に別格の二大山寺が加わった本格山岳コース。後半は関西方面からのツーリングで常にナンバーワンの人気を誇る室戸岬の周遊コース。海山ともに四国遍路の中で最もダイナミックなルートをスーパーカブで疾走することとなり、生涯の思い出となること間違いなし。 JR徳島駅 ‖ 22.0km +467m -20m 別格一番 大山寺(たいさんじ)上板町 ‖ 39.6km(61.6km) +849m -630m 十二番 焼山寺(しょうざんじ)神山町 ‖ 25.0km(86.6km) +236m -866m 別格第二 童学寺(どうがくじ)石…

  • かつては入り江をポンポン船で渡った「Blue Dragon」のお寺 高知県土佐市「青龍寺」(その40)

    第三十六番札所 独鈷山 青龍寺 (とっこうさん しょうりゅうじ) 住所 土佐市宇佐町竜163 電話 088-856-3010 清瀧寺から青龍寺まで 距離 13.5km 標高差 +55m -177m 清瀧寺から青龍寺まで 弘法大師は延暦二十三年(804)に唐へ渡り、長安の青龍寺で恵果和尚から真言密教の奥義を学ぶ。恵果は大師に遍照金剛の灌頂名を授け、その後入寂。大師は帰国の際、恩師に報いるため日本に青龍寺を作ろうと決意し、東の空に向かって独鈷杵を投げ、有縁の勝地が選ばれるよう祈願する。独鈷杵は紫雲に包まれて空高く飛び去ったという。帰朝後、四国を巡錫中の大師は独鈷杵がこの地の老松にあると感得し、とき…

  • モデルコース(ロードバイク編)1

    1 吉野川北岸を巡り南岸へと渡るコース(徳島駅発着) 古くから伝わる一番札所からの「十里十箇所参り」に吉野川南岸の十一番札所を追加したコース。寺と寺の距離が近く、真っ平らな道が続くため入門編にぴったり。吉野川を渡る沈下橋がコースのハイライト。十一番札所から徳島駅までは時間がなければ輪行でも構わないし、のんびり走るのであれば吉野川の河川敷を東向きに走るのがお勧め。 JR徳島駅 ‖ 12.9km ほぼ平坦 一番 霊山寺(りょうぜんじ)鳴門市 ‖ 1.2km(14.1km)ほぼ平坦 二番 極楽寺(ごくらくじ)鳴門市 ‖ 2.7km(16.8km)ほぼ平坦 三番 金泉寺(こんせんじ)板野町 ‖ 4.9…

  • 八方にらみの竜のある水清らかなお寺 高知県土佐市「青龍寺」(その39)

    第三十五番札所 医王山 清瀧寺 (いおうざん きよたきじ) 住所 土佐市高岡町丁568-1 電話 088-852-0316 種間寺から清瀧寺まで 距離 9.6km 標高差 +135m -8m 種間寺から清龍寺まで 養老七年(723)に行基がこの地にて霊気を感得し、薬師如来坐像を彫造。堂宇を建て本尊としたのが寺の始まりで、「影山密院釋本寺(たくもくじ)」と称する。弘仁年間(810〜824)に弘法大師が訪れ、五穀豊穣を祈願して閼伽井(あかい)権現と龍王権現を勧請するための壇を築く。十七日間の法を修めた大師が満願の日に金剛杖で壇を突くと、岩上から清水が湧き出て鏡のような池が現れた。そこで大師は寺の山…

  • 底が抜けた柄杓が並ぶ安産祈願のお寺 高知県高知市「種間寺」(その38)

    第三十四番札所 本尾山 種間寺 (もとおざん たねまじ) 住所 高知市春野町秋山72 電話 088-894-2234 雪渓寺から種間寺まで 距離 6.5km 標高差 ほぼ平坦 雪渓寺から種間寺まで 寺の創建は古く、寺伝では六世紀末の用明天皇(585〜587)の頃とされる。大阪の四天王寺を造営するため、百済から多くの造仏工や寺造工が来日する。落慶して帰途の航海中、土佐沖で猛烈な暴風雨に襲われ、寺にほど近い秋山の港に寄港する。その際、帰路の航行安全を願って薬師如来坐像を刻み、近くの山頂に祀ったのが寺の起源とされる。それから二百年余を経た弘仁年間(810〜824)、この地を訪れた弘法大師が堂宇を建立…

  • 「幽霊伝説」が残る長宗我部元親ゆかりのお寺 高知県高知市「雪渓寺」(その37)

    第三十三番札所 高福山 雪渓寺 (こうふくざん せっけいじ) 住所 高知市長浜857-3 電話 088-837-2233 禅師峰寺から雪渓寺まで 距離 8.3km 標高差 +41m -106m 禅師峰寺から雪渓寺まで 弘仁六年(815)に弘法大師により開基される。創建当時は真言宗で「高福寺」と称した。鎌倉時代には仏師、運慶とその長男湛慶がこの寺に滞在し、運慶は本尊の薬師如来像と脇侍の日光・月光菩薩像を彫造、湛慶は毘沙門天像と吉祥天女像、つぶらな瞳で小首をかしげるかわいい善膩師童子像を彫造して安置する。この頃、寺名を「慶運寺」に改称したと伝わる。弟子の道運、海覚作の十二神将共に十六体、これらはす…

  • 土佐沖を行き交う船の安全を祈願するお寺 高知県南国市「禅師峰寺」(その36)

    第三十二番札所 八葉山 禅師峰寺 (はちようざん ぜんじぶじ) 住所 南国市土市3084 電話 088-865-8430 五台山から禅師峰寺まで 距離 6.2km 標高差 +87m -121m 竹林寺から禅師峰寺まで 聖武天皇の勅命を受けた行基が、土佐沖を行き交う船の安全を願い堂宇を建立したのが寺の起源とされる。大同元年(806)にこの地を巡錫した弘法大師は、奇岩・霊石が立ち並ぶ境内が、観音の浄土・仏道の理想の山とされる天竺の補陀落山さながらの霊域であると感得。虚空蔵求聞持法の護摩を修法し、十一面観世音菩薩像を彫造して本尊とする。また大師は、峰山の山容が八葉の蓮台に似ていることから山号を八葉山…

  • 高知の観光名所・牧野植物園と五台山展望台があるお寺 高知県高知市「竹林寺」(その35)

    第三十一番札所 五台山 竹林寺 (ごだいさん ちくりんじ) 住所 高知市五台山3577 電話 088-882-3085 善楽寺から五台山まで 距離 6.7km 標高差 +211m -70m 善楽寺から竹林寺まで 神亀元年(724)唐の五台山で文殊菩薩に拝する夢を見た聖武天皇は、行基に五台山に似た霊地を探すように命じる。高知平野の海近くに立つ小高い山がその地であると感得した行基は、栴檀の木に文殊菩薩像を刻み、山上に堂宇を建立して安置する。その後、大同年間(806〜10)に弘法大師がこの地に滞在して瑜伽行法を修法し、荒廃した堂塔を修復、霊場と定める。江戸時代には歴代藩主の帰依が厚く、祈願所として寺…

  • 土佐神社と神仏習合のお寺 高知県高知市「善楽寺」(その34)

    第三十番札所 百々山 善楽寺 (どどざん ぜんらくじ) 住所 高知市一宮しなね2丁目23-11 電話 088-846-4141 国分寺から善楽寺まで 距離 7.0km 標高差 +44m -93m 国分寺から善楽寺まで 大同五年(810)に巡錫でこの地を訪れた弘法大師が、土佐国一ノ宮・総鎮守である高鴨大明神(現在の土佐神社)の別当寺として本寺を開創する。この地に霊威を感じた大師は、渓谷が百あれば入定の地に定めようと山々を調べた。ところが九十九谷だったため、寺を開創して一谷補ったことから寺の山号を百々山と定める。応仁年間(1467〜1469)に火災で焼失するが、神仏習合の寺院として信仰を集め、土佐…

  • 紀貫之とゆかりのある土佐の苔寺 高知県南国市「国分寺」(その33)

    第二十九番札所 摩尼山 国分寺 (まにざん こくぶんじ) 住所 南国市国分546 電話 088-862-0055 大日寺から国分寺まで 距離 8.8km 標高差 +18m -77m 大日寺から国分寺まで 聖武天皇が発した「国分寺建立の詔」を受け、行基が本尊の千手観音像を刻み天平十三年(741)に開創する。鎮護国家、五穀豊穣、万民豊楽を願う官寺である。弘仁六年(815)にこの地を巡錫した弘法大師は、真言八祖に相承される厄除けの「星供(ほしく)の秘法」を修め、沙門天像を彫造して奥の院に安置する。以来、土佐の国分寺は真言宗の霊場として「星供の根本道場」となり、明治に至るまで皇室と藩主のための星供の祈…

  • 紀貫之とゆかりのある土佐の苔寺 高知県南国市「国分寺」(その33)

    第二十九番札所 摩尼山 国分寺 (まにざん こくぶんじ) 住所 南国市国分546 電話 088-862-0055 大日寺から国分寺まで 距離 8.8km 標高差 +18m -77m 大日寺から国分寺まで 聖武天皇が発した「国分寺建立の詔」を受け、行基が本尊の千手観音像を刻み天平十三年(741)に開創する。鎮護国家、五穀豊穣、万民豊楽を願う官寺である。弘仁六年(815)にこの地を巡錫した弘法大師は、真言八祖に相承される厄除けの「星供(ほしく)の秘法」を修め、沙門天像を彫造して奥の院に安置する。以来、土佐の国分寺は真言宗の霊場として「星供の根本道場」となり、明治に至るまで皇室と藩主のための星供の祈…

  • 大師の御加持水が湧き出るお寺 高知県香南市「大日寺」(その32)

    第二十八番札所 法界山 大日寺 (ほうかいざん だいにちじ) 住所 香南市野市町母代寺476-1 電話 0887-56-0638 神峯寺から大日寺まで 距離 37.4km 標高差 +116m -446m 神峯寺から大日寺まで 天平年間(729〜749)聖武天皇の勅願により行基が大日如来坐像を彫造し、堂宇に安置して開創する。弘仁六年(815)には大師が境内から少し離れたところに立つ楠(クスノキ)に爪で薬師如来像を彫り、これを祀って荒廃した寺を復興させる。以後、七堂伽藍や末寺、脇坊が備わるなど隆盛を誇り、十七世紀初頭の慶長年間(1596〜1615)には土佐藩の祈願寺となって堂塔が整備される。明治新…

  • 「真っ縦」の上にある魔境のお寺 高知県安田町「神峯寺」(その31)

    第二十七番札所 竹林山 神峯寺 (ちくりんざん こうのみねじ) 住所 安芸郡安田町唐浜2594 電話 0877-38-5495 金剛頂寺から神峯寺まで 距離 30.9km 標高差 +474m -217m 金剛頂寺から神峯寺まで 三世紀頃に朝鮮半島へと兵を進めた神功皇后が戦勝祈願のため天照大神を祀った神社が寺の起源とされる。天平二年(730)に聖武天皇の勅を受けた行基が十一面観世音菩薩を刻んで本尊とし、神仏を合祀して開創する。大同四年(809)に大師が勅命により堂宇を建立して「観音堂」と名付ける。元和年間に火災で焼失、その後本堂と大師堂が再建されるが、厳しい山中のため麓の常行禅寺や前札所の養心庵…

  • 天狗伝説が残るお寺 高知県室戸市「金剛頂寺」(その30)

    第二十六番札所 龍頭山 金剛頂寺 (りゅうずざん こんごうちょうじ) 住所 室戸市元乙523 電話 0877-23-0026 津照寺から金剛頂寺まで 距離 5.0km 標高差 +136m -4m 津照寺から金剛頂寺まで 御詠歌にあるよう寺は「西寺」と呼ばれる。大同二年(807)平城天皇の勅願により大師が薬師如来坐像を刻み本尊とする。大師が唐から帰朝した翌年であり、大師にとって最初の勅願寺の建立となる。この坐像は、完成すると自ら立って厨子に入ったと伝えられ、開基以来永く秘仏とされてきた。大師が修業していた頃の当地は魔性の物の往来が激しく、大師との問答に破れた天狗は足摺岬の西方彼方へと駆逐されたと…

  • 藩主を助けた楫取(かじとり)地蔵のお寺 高知県室戸市「津照寺」(その29)

    第二十五番札所 宝珠山 津照寺 (ほうじゅざん しんしょうじ) 住所 室戸市室津2652 電話 0887-23-0025 最御崎寺から津照寺まで 距離 6.5km 標高差 +5m -147m 最御崎寺から津照寺まで 室津港を見下ろす小高い山に位置する津照寺は、通称「津寺」と呼ばれる。弘法大師が土佐巡錫の際、山の形が地蔵菩薩が持つ宝珠に似ていることからこの地が霊地であると感得。自ら地蔵菩薩を刻んで本尊とし寺を建立する。平安時代末期に書かれた今昔物語には「津寺」の名称で登場し、「地蔵菩薩火難二値ヒ自ラ堂ヲ出ルヲ語ル」と記されている。寺の本堂が火災に遭った際、本尊地蔵菩薩が僧に姿を変えて村人に知らせ…

  • 空海の七不思議の寺 高知県室戸市「最御崎寺」(その28)

    第二十四番札所 室戸山 最御崎寺 (むろとさん ほつみさきじ) 住所 室戸市室戸岬町4058-1 電話 0887-23-0024 鯖大師本坊から最御崎寺まで 距離 57.3km 標高差 +243m -94m 鯖大師本坊から最御崎寺まで 室戸岬にほど近い断崖絶壁の麓に、波の侵食で出来た洞窟がある。延暦十一年(792)、十九歳の弘法大師は五年間の山林修業を始めるが、この洞窟で修業した際の様子を二十四歳の時の著書「三教指帰(さんごうしいき)」に「土州室戸崎に勤念す 谷響きを惜しまず 明星来影す 心に感ずるときは明星口に入り 虚空蔵光明照らし来たりて 菩薩の威を顕し 仏法の無二を現す」と記している。洞…

  • 大師が塩漬けの鯖と大海原で戯れる寺 徳島県海陽町「鯖大師本坊」(ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場 その27 )

    別格第四番 鯖大師本坊 (さばだいしほんぼう) 住所 海部郡海陽町浅川字中相15 電話 0884-73-0743 薬王寺から鯖大師本坊まで 距離 19.7km 標高差 +141m -138m 薬王寺から鯖大師本坊まで 弘法大師が四国霊場開創の途中、この地が霊地であることを悟り修業を行う。ある朝、大師が通りかかった馬子に積荷の塩鯖を乞うと、馬子は「坊さんとは縁がない」と口汚く罵り断る。大師は「あふ坂や 八坂坂中 鯖ひとつ 大師にくれで 駒ぞ腹病む」と詠むと、馬引坂に至った馬が急に苦しみだし歩けなくなる。この歌を聞いた馬子は先程の僧が大師だったと悟り、すぐに引き返して非礼を詫び鯖を捧げる。大師は再…

  • 厄除根本祈願所 徳島県美波町「薬王寺」(ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場 その26)

    第二十三番札所 医王山 薬王寺 (いおうざん やくおうじ) 住所 海部郡美波町奥河内寺前285-1 電話 0884-77-0023 平等寺から薬王寺まで 距離 18.2km 標高差 +170m -201m 平等寺から薬王寺まで 聖武天皇の勅願を受けて神亀三年(726)に行基が本寺を創建する。弘仁六年(815)に平城天皇の勅命により弘法大師が厄除薬師如来を刻み、本尊を置き再興する。寺は官寺として厄除けの根本祈願所となり、嵯峨天皇や淳和天皇などの歴代天皇が勅使を遣わし厄除祈願を行っている。文治四年(1188)に火災により堂塔を焼失するが、この時、本尊自らが光を放ちながら奥の院である玉厨子山に向かっ…

  • 大師の霊水が人々を癒やすお寺 徳島県阿南市「平等寺」(ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場 その25)

    第二十二番札所 白水山 平等寺 (はくすいざん びょうどうじ) 住所 阿南市新野町秋山177 電話 0884-36-3522 太龍寺から平等寺まで 距離 13.0km 標高差 +104m -130m 太龍寺から平等寺まで 弘仁五年(814)に弘法大師がこの地を訪れ禅定に入ると五色の雲がたなびき、中から黄金色に輝く金剛界大日如来の梵字が現れる。大師は更に加持すると心に釈迦如来の姿が浮かぶ。大師は薬師如来に「あらゆる人々の心と身体の病を平等に癒し去る」と誓い、錫杖でその場に井戸を掘ると、乳白の霊水が湧き出す。大師はこの水で身を清めて百日間の修業を行った後、薬師如来を刻み、堂を建立して本尊として安置…

  • 西の高野山 徳島県阿南市「太龍寺」(ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場 その24)

    第二十一番札所 舎心山 太龍寺 (しゃしんざん たいりゅうじ) 住所 阿南市加茂町龍山2 電話 0884-62-2021 慈眼寺から太龍寺まで 距離 26.4km 標高差 +389m -886m 慈眼寺から太龍寺まで 延暦十二年(793年)に桓武天皇の勅願により阿波の国司が堂宇が建立。弘法大師が虚空蔵菩薩をはじめ諸仏を刻み開基する。大師が二十四歳の時に記した「三教指帰」によると、十九歳の頃、境内の奥にある「舎心嶽」という岩山で百日間の虚空蔵求聞持法を修行した。虚空蔵求聞持法とは虚空蔵菩薩の真言を一日一万回、百日間唱える難業で、この修業が大師の思想形成に大きく影響したと言われる。山号は修行地の舎…

  • 洞窟「穴禅定」のお寺「慈眼寺」(ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場 その23)

    別格第三番札所 慈眼寺 (じげんじ) 住所 勝浦郡上勝町正木字灌頂滝18 電話 0885-45-0044 鶴林寺から慈眼寺まで 距離 18.7km 標高差 +654m -547m 鶴林寺から慈眼寺まで 洞窟「穴禅定」の寺 延暦年代(782〜806)に十九歳の弘法大師が巡錫にてこの地を訪れ、霊気漂う不思議な洞窟を発見する。大師は邪気払いのため洞窟の入り口で加持祈祷を行ったところ、洞窟内で巣食っていた悪龍が飛び出し、猛然と襲いかかる。大師はひるまずに秘密真言を唱え続けたところ、その法力により悪龍は洞窟の奥へと封じ込められる。大師は更に十一日間の加持を行い、霊木に十一面観音を刻んで建立した堂宇に安置…

  • 雌雄二羽の白鶴が舞い降りたお寺「鶴林寺」(ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場 その22)

    第二十番札所 霊鷲山 鶴林寺 (りょうじゅざん かくりんじ) 住所 勝浦郡勝浦町生名鷲ヵ尾14 電話 0885-42-3020 立江寺から鶴林寺まで 距離 15.0km 標高差 +501m -19m 立江寺から鶴林寺まで 延暦十七年(798)に桓武天皇の勅願により弘法大師が開創。寺伝によると弘法大師がこの地へ廻遊の折、雌雄二羽の白鶴が老杉の梢へと交互に舞い降りては、黄金で出来た一寸八分の地蔵菩薩を守護していた。これを見た大師は近くの霊木で三尺の地蔵菩薩を刻み、胎内にこの小さな地蔵菩薩を納めて本尊とし、寺名を鶴林寺とする。さらに大師は、境内の雰囲気が釈迦が説法した霊鷲山に似ていることから、本寺の…

  • 阿波の関所寺 徳島県小松島市「立江寺」(ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場 その21)

    第十九番札所 橋池山 立江寺 (きょうちざん たつえじ) 住所 小松島市立江町若松13 電話 0885-37-1019 恩山寺から立江寺まで 距離 4.5km 標高差 +11m -73m 恩山寺から立江寺まで 聖武天皇の勅願寺。行基が光明皇后の安産を願い、一寸八分の延命地蔵を刻んで本尊とし堂宇を建立する。弘法大師巡錫の際、この小さな本尊を見た大師は後世失われる恐れがあるとし、自ら六尺ほどの延命地蔵像を彫り、胎内に行基作の本尊を納める。その際に寺名を現在のものへと改めたことから、以後「子安の地蔵尊」「立江の地蔵さん」と親しまれ安産祈願の寺となる。当時は現在地より山寄りの景勝地にあり、七堂伽藍を備…

  • 親孝行のお寺 徳島県小松島市「恩山寺」(ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場 その20)

    第十八番札所 母養山 恩山寺 (ぼようざん おんざんじ) 住所 小松島市田野町恩山寺谷40 電話 0885-33-1218 井戸寺から恩山寺まで 距離 17.6km 標高差 +68m -9m 井戸寺から恩山寺まで 聖武天皇の勅願によって行基が自ら刻んだ薬師如来像を本尊にして開いたとされる。創建時には「大日山福生院密厳寺」と称し、「花折り坂」より上は女性の立ち入りを許さない女人禁制の道場であった。弘仁五年(814)、弘法大師がこの地で修行をしている折に、大師の生母である玉依御前が讃岐の善通寺から訪ねてきた。子供に会えず嘆き悲しむ母親を見た大師は、寺の女人禁制を解くべく山門近くの滝に打たれて十七日…

  • 大師ゆかりの井戸覗きのお寺 徳島県徳島市「井戸寺」(ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場 その19)

    第十七番札所 瑠璃山 井戸寺 (るりざん いどじ) 住所 徳島市国府町井戸北屋敷80-1 電話 088-642-1324 観音寺から井戸寺まで 距離 2.8km 標高差 ほぼ平坦 観音寺から井戸寺まで 天武天皇が勅願道場として白鳳二年(673年)に創建。本尊の七仏薬師如来は聖徳太子の作、脇待の日光・月光の両菩薩像は行基の作と伝えられる。七仏ある薬師如来坐像は全国でも珍しく、七難即滅・七福即生の御利益があるという。当時の寺名は妙照寺といい、七堂伽藍や末寺十二坊を誇る壮大な寺院であった。弘法大師がこれらの像を拝むため寺を訪れた際、十一面観音菩薩を彫って安置した。右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に水…

  • 子供の健康と成長を願うお寺 徳島県国府町「観音寺」(ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場 その18)

    第十六番札所 光耀山 観音寺 (こうようざん かんおんじ) 住所 徳島市国府町観音寺49-2 電話 088-642-2375 国分寺から観音寺まで 距離 1.7km 標高差 ほぼ平坦 国分寺から観音寺まで 子供の健康と成長を願う寺 観音寺 聖武天皇が全国に国分寺・国分尼寺を創建した際、行基に命じて勅願道場として建立したのが寺の起源。弘法大師がこの地を訪ねたのは弘仁七年で、千手観音像を彫造して本尊とする。大師は脇待像として悪魔を降伏する不動明王像と鎮護国家の毘沙門天像を刻み、現在の寺名へと改める。他の阿波各地の霊場と同様、天正の兵火で焼失するも蜂須賀家の帰依を受け再興を果たす。大正初期、両親に連…

  • 下の病に霊験があるお寺 徳島県徳島市「国分寺」(ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場 その17)

    第十五番札所 薬王山 国分寺 (やくおうざん こくぶんじ) 住所 徳島市国府町矢野718-1 電話 088-642-0525 常楽寺から国分寺まで 距離 0.9km 標高差 ほぼ平坦 常楽寺から国分寺まで 天平時代、仏教に篤く帰依した聖武天皇の勅願により全国六十八箇所に国分寺、国分尼寺が設置されるが、四国の四つの国分寺はいずれも札所となる。奈良の東大寺がその総国分寺である。創建したのは行基で、聖武天皇からは釈迦如来の尊像と大般若経が納められ、行基自らも薬師如来を彫刻し本尊とする。創建当初は法相宗であったが、弘法大師巡教の際に真言宗へと宗派が改められる。天正の兵火によって焼失した後、長らく荒廃し…

  • ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場(その16 常楽寺)

    第十四番札所 盛寿山 常楽寺 (せいじゅざん じょうらくじ) 住所 徳島市国府町延命606 電話 088-642-0471 大日寺から常楽寺まで 距離 2.7km 標高差 ほぼ平坦 大日寺から常楽寺まで 弘法大師がこの地で真言秘法を修行していると、多くの菩薩を従え化身した弥勒(みろく)菩薩が出現する。大師は忽ち感得して霊木に尊像を彫造。堂宇を建立し本尊として安置する。その後大師の甥にあたる真然僧正が金堂を建立し、続く祈親上人が講堂・三重塔を建立し七堂伽藍の大寺院となるが、天正の兵火により全て焼失。徳島藩主蜂須賀光隆が今の場所より下った谷間に再興する。弥勒菩薩を本尊とするのは四国霊場で唯一この常…

  • ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場(その15 大日寺)

    第十三番札所 大栗山 大日寺 (おおぐりざん だいにちじ) 住所 徳島市一宮町西丁263 電話 088-644-0069 童学寺から大日寺まで 距離 8.3km 標高差 +68m -81m 童学寺から大日寺まで 弘法大師が寺の北にある「大師が森」にて護摩修行に励んでいると、大日如来が紫雲とともに舞い降りて「この地は霊地なり。心あらば一宇を建立すべし」と告げる。そこで大師は大日如来像を刻み、堂宇に安置し寺号を「大日寺」と定める。平安時代の末期、阿波の総鎮守である一宮神社が神山町から当地に移ると、当寺は神社の別当寺となり、別名「一宮寺」と呼ばれる。戦国時代には「天正の兵火」によって堂宇が全焼し、阿…

  • ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場(その14 童学寺)

    別格第二番札所 東明山 童学寺 (とうみょうざん どうがくじ) 住所 名西郡石井町石井字城の内605 電話 088-674-0318 焼山寺から童学寺まで 距離 25.0km 標高差 +236m -866m 焼山寺から童学寺まで 天武天皇の勅願により白鳳年代に行基が創建。童学寺という呼称は、弘法大師が幼少時代に神童と称されていた頃、この地で学問修行に励んだという縁起に由来する。七歳から十五歳まで寺で学んだ大師は、その間に「いろは歌」四十七文字を創作したと言われ、寺は別名「いろは寺」とも呼ばれる。大師は四十二歳の時に再び当寺を訪ね、厄除薬師如来、阿弥陀如来、観音菩薩、持国天、毘沙門天、歓喜天を彫…

  • ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場(その13 焼山寺)

    第十二番札所 摩盧山 焼山寺 (まろざん しょうざんじ) 住所 名西郡神山町下分字中318 電話 088-677-0112 藤井寺から焼山寺まで 距離 24.7km 標高差 +1,215m -579m 藤井寺から焼山寺まで 大宝年間(701〜704)に役行者が山を開き、蔵王権現を祀ったのが寺の始まりとされるが、この寺には寺名にちなんだ奇異な伝説が残されている。昔この山一帯に神通力を持つ大蛇が棲み、村里に出ては火を吐き害を与えていた。この地を訪れ一本杉で夜を過ごした弘法大師は、翌朝目覚めると燎原の火の海を目にする。大師が身を清めて山に登ると大蛇は全山に火を放ち抵抗するが、大師が真言を唱え進むと山…

  • ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場(その12 藤井寺)

    第十一番札所 金剛山 藤井寺 (こんごうざん ふじいでら) 住所 吉野川市鴨島街飯尾1525 電話 0883-24-2384 切幡寺から藤井寺まで 距離 10.6km 標高差 +31m -157m 切幡寺から藤井寺まで 御弘法大師が巡錫の折、三方を山に囲まれ渓流の清らかなこの地に心を惹かれ、薬師如来像を彫造して堂宇を建立。更に山へと二町ほど上がった八畳岩に金剛不壊と言われる護摩壇を築き、十七日間の御修法(みしほう)を行った。その堂宇の傍らに大師が五色の藤を植えたという由来から、金剛寺藤井寺と称される。真言密教の道場として七堂伽藍を有する隆盛を誇ったが、天正の兵火で焼失。承応二年(1653)に四…

  • ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場(その11 切幡寺)

    第十番札所 得度山 切幡寺 (とくどざん きりはたじ) 住所 阿波市市場町切幡字観音129 電話 0883-36-3010 法輪寺から切幡寺まで 距離 4.3km 標高差 +137m -9m 法輪寺から切幡寺まで 寺号はハタ(布)を織る娘の物語から生まれる。この娘が生まれる前のこと、娘の父は無実の罪により島流しとなり、母は京の清水寺の観音様に願をかけると「四国に渡れば報いあり」とのお告げを受ける。娘を身籠る女は阿波に渡ったが出産後間もなく亡くなり、生まれた娘が成長しこの地でハタを織っていると、旅の僧が「衣が破れた」と布切れを所望する。娘は惜しげもなくハタを切り取り差し出すと、僧は「望みあればか…

  • ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場(その10 法輪寺)

    第九番札所 正覚山 法輪寺 (しょうかくざん ほうりんじ) 住所 土成町土成字田中198-2 電話 088-695-2080 熊谷寺から法輪寺まで 距離 2.2km 標高差 +0m -61m 熊谷寺から法輪寺まで 弘仁六年(815)弘法大師は巡錫の道すがら、清水湧く泉のほとりに白蛇を見つける。この白蛇こそ仏の使いとみた大師は釈迦の涅槃像を刻んで本尊とし、堂宇を建立する。寺は白蛇山法淋寺といい、現在地より北に4kmほど離れた法地ヶ渓にあった。往時は壮大な伽藍を誇っていたが、長宗我部元親の兵火により焼失。正保年間(1644〜1648)に現在地に再建される。田んぼの中にあるため「田中法輪寺」と呼ばれ…

  • ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場(その9 熊谷寺)

    第八番札所 普明山 熊谷寺(ふみょうざん くまだにじ) 住所 阿波市土成町土成字前田185 電話 088-695-2065 十楽寺から熊谷寺まで 距離 3.8km 標高差 +62m -7m 十楽寺から熊谷寺まで 弘仁六年(815)弘法大師がこの地で修行していると紀州の熊野権現が現れ、一寸八分の金の観世音菩薩像を「末世の衆生を永く済度せよ」と言い授け、虚空を去っていった。大師はその場で堂を建て、霊木に自ら一刀三礼して千手観音像を彫造し、胎内に金の尊像を納め本尊とする。元禄二年(1689)の寂本著「四國禮霊場記」には「境内は清幽で谷が深く、水は涼しく、南海が一望できる。千手観音像の髪の中には百二十…

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