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  • 大師が護符を投げた伝説が今に伝わるお寺 香川県さぬき市「長尾寺」(その106)

    第八十七番札所 補陀洛山 長尾寺 (ほだらくざん ながおじ) 住所 さぬき市長尾西653 電話 0879−52−2041 志度寺から長尾寺まで 距離 6.9km 標高差 ほぼ平坦 志渡寺から長尾寺まで 縁起によると、天平十一年(739)行基がこの地を訪れると道端の楊柳(ようりゅう)に霊夢を感じ、その木で聖観音菩薩像を彫造して堂宇を建立、本尊として安置する。その後、弘法大師がこの寺を訪れ、入唐が成功するように年頭七夜に渡り護摩祈祷を修法、国家安泰と五穀豊穣を祈願する。祈祷の七日目の夜、大師が護符を丘の上から人々に投げ与えたとの伝説があり、これが毎年正月の七日の「大会陽(だいえよう)」の行事として…

  • 命をかけた海女の悲しい玉取り伝説が伝わるお寺 香川県さぬき市「志渡寺」(その105)

    第八十六番札所 補陀洛山 志度寺 (ほだらくざん しどじ) 住所 さぬき市志度1102 電話 087-894−0086 八栗寺から志度寺まで 距離 6.4km 標高差 +3m -227m 八栗寺から志渡寺まで 縁起によると、寺の開創は四国霊場の中でも古く、推古天皇三十三年(625)と伝わる。近江国から志度浦へとたどり着いた檜の霊木を凡園子(おおしそのこ)が草庵に持ち帰り、これを刻んで十一面観音像を造り、一間四面の小さな堂を建て祀ったのが寺の始まりとされる。天武天皇十年(681)には藤原鎌足の息子、藤原不比等が妻の墓を建立し、寺を「死度道場」と名付ける。持統天皇七年(693)には不比等の息子、房…

  • 八つの焼き栗が芽吹き生長繁茂したお寺 香川県高松市「八栗寺」(その104)

    第八十五番札所 五剣山 八栗寺 (ごけんざん やくりじ) 住所 高松市牟礼丁牟礼3416 電話 087-845−9603 屋島寺から八栗寺まで 距離 9.7km 標高差 +281m -336m 屋島寺から八栗寺まで 天長六年(829)、若き弘法大師が五剣山に登り虚空蔵求聞持法を修めると、五本の剣が天から振り注ぎ、山の鎮守である蔵王権現が現れる。蔵王権現は「この山は仏教相応の霊地なり」と告げたため、大師はそれらの剣を山中に埋めて鎮護とし、大日如来像を刻んで五剣山と名付ける。当時の山の頂きからは、讃岐、阿波、備前など四方八国が見渡すことができたため、寺名は八国寺と称したという。 延暦年代(782〜…

  • 源平合戦の舞台に立つ鑑真創建のお寺 香川県高松市「屋島寺」(その103)

    第八十四番札所 南面山 屋島寺 (なんめんざん やしまじ) 住所 高松市屋島東町1808 電話 087-841−9418 一宮寺から屋島寺まで 距離 16.3km 標高差 +322m -76m 一宮寺から屋島寺まで 寺は鑑真により開創されたと伝わる。鑑真は唐の学僧で、朝廷の要請を受け五度にわたって出航したが、暴風や難破で失明。天平勝宝五年(753)に苦難の末鹿児島に漂着する。翌年、東大寺に船で向かう途中、屋島の沖で山頂から立ちのぼる瑞光を感得し、屋島の北嶺に登る。そして、山の頂に普賢堂を建立し、持参した普賢菩薩像を安置して経典を納める。後に弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が堂塔を建立し、屋島寺と称…

  • 地獄の釜が煮えたぎるお寺 香川県高松市「一宮寺」(その102)

    第八十三番札所 神毫山 一宮寺 (しんごうざん いちのみやじ) 住所 高松市一宮町607 電話 087-885-2301 香西寺から一宮寺まで 距離 8.9km 標高差 ほぼ平坦 香西寺から一宮寺まで 縁起によると大宝年間(701〜704)、法相宗の祖・義淵(ぎえん)僧正が寺を開基したと伝わる。義淵は奈良仏教の礎を築き、行基や東大寺初代別当の良弁僧正を教えたことで知られる高僧である。年号にちなみ寺を大宝院と称する。和同年間(708〜715)、諸国に一宮寺が建立された際、田村神社が讃岐一宮として建立され、寺はその別当となる。その後、行基が堂宇を修築し、寺名を一宮寺へと改める。大同年間(806〜8…

  • 移転と寺名改称を繰り返したお寺 香川県高松市「香西寺」(その101)

    別格第十九番札所 寶幢山 香西寺 (ほうどうざん こうざいじ) 住所 高松市香西西町211 電話 087-881-2337 根来寺から香西寺まで 距離 7.2km 標高差 +12m -377m 根来寺から香西寺まで 寺は天平十一年(739)に行基により創建される。初めは勝賀(かつが)山の山中にあり、宝幢山勝賀寺と号した。弘仁八年(817)には弘法大師が寺を現在の地へと移転し、地蔵菩薩を刻んで安置する。行基が開創した元の地は奥の堂と称されるが、勝賀山の北麓にて奈良期の瓦が出土する古代寺院跡が発見されたことから、この地が奥の堂であったと考えられている。寺は嵯峨天皇(在809〜823)の勅願寺に選ば…

  • 空飛ぶ人食い怪獣牛鬼を退治したお寺 香川県高松市「根来寺」(その100)

    第八十ニ番札所 青峰山 根来寺 (あおみねさん ねごろじ) 住所 高松市中山町1506 電話 087-881-3329 白峯寺から根来寺まで 距離 15.3km 標高差 +437m -330m 白峯寺から根来寺まで 寺伝によると、弘仁年間(810〜824)にこの地を訪ね、五色台の五つの峰に金剛界曼荼羅の五智如来を感得した弘法大師は、密教修行の場として青峰に「花蔵院」を建立し、五大明王を祀ったとされる。天長九年(832)、大師の甥にあたる智証大師が花蔵院を訪れると、山の鎮守である一之瀬明神に出会い、「この地にある毘沙門谷、蓮華谷、後夜谷に道場を作り、蓮華谷の木で観音像を作りなさい」とお告げを受け…

  • 崇徳上皇の御陵を有するお寺 香川県坂出市「白峯寺」(その99)

    第八十一番札所 綾松山 白峯寺 (りょうしょうざん しろみねじ) 住所 坂出市青海町2635 電話 0877-47−0305 国分寺から白峯寺まで 距離 12.9km 標高差 +312m -78m 国分寺から白峯寺まで 寺伝によると弘仁六年(815)、白峯山に登った弘法大師が山頂に如意宝珠を埋めて井戸を掘り、衆生済度を祈願する。貞観ニ年(860)、大師の妹の子である智証大師が瑞光に導かれて白峯山に登頂し、地主神である白髪の老翁から御神託を授かる。智証大師は、補陀洛山から流れ着いた光明に輝く霊木で千手観音像を彫造し、これを本尊として佛堂を創建する。保元の乱(1156)に破れ讃岐へ流された崇徳上皇…

  • 「鐘がものいうた国分の鐘が」のお寺 香川県高松市「国分寺」(その98)

    第八十番札所 白牛山 国分寺 (はくぎゅうざん こくぶんじ) 住所 高松市国分寺町国分2065 電話 087-874-0033 天皇寺から国分寺まで 距離 6.7km 標高差 ほぼ平坦 天皇寺から国分寺まで 寺は天平の時代、聖武天皇の勅願により一国一寺建立された官寺。寺伝によると行基が丈六の十一面千手観世音菩薩を本尊として刻み、開基したとされる。その後、弘仁年間(810〜823)に弘法大師が本尊千手観音像を修繕して四国霊場と定める。大師は修繕のための霊木を探すと、北の国分台、赤峰の麓で木が空から落ちてきたため、それを刻んだと伝わる。寺にはその残木があるが、何の木か学者も分からないとのこと。天正…

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ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場
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