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  • 智証大師誕生のお寺 香川県善通寺市「金蔵寺」(その93)

    第七十六番札所 鶏足山 金倉寺 (けいそくざん こんぞうじ) 住所 善通寺市金蔵寺町1160 電話 0877-62-0845 善通寺から金倉寺まで 距離 3.4km 標高差 ほぼ平坦 善通寺から金蔵寺まで 縁起によると、弘法大師が生まれた宝亀五年(774)に智証大師(円珍)の祖父・和気道善が如意輪観音像を刻んで堂宇を建立し、「自在王堂」と名づけたのが寺の開創とされる。智証大師とは弘法大師の甥で、天台寺門宗の開祖である。その後、仁寿元年(851)に道善の子宅成によって寺名が「道善寺」へと改称される。宅成の子が智証大師で、唐から帰朝した智証大師は天安二年(858)、唐の青龍寺にならって伽藍を造営し…

  • 大師生誕の地に建つお寺 香川県善通寺市「善通寺」(その92)

    第七十五番札所 五岳山 善通寺 (ごがくざん ぜんつうじ) 住所 善通寺市善通寺町3-3-1 電話 0877-62-0111 甲山寺から善通寺まで 距離 1.6km 標高差 ほぼ平坦 甲山寺から善通寺まで 唐から帰朝した弘法大師が先祖の菩提を弔うため、地元の豪族であった父・佐伯田公が寄進した四町四方の地に、師である恵果和尚の住した長安の青龍寺を模して建立したのが寺の始まりとされる。大同ニ年(807)に斧始めを行い、六年近い歳月をかけて金堂、講堂、法花堂など十五堂宇を建立する。寺名は父の諱(いみな:現在の戒名に相当)「善通」をとって「善通寺」と称する。山号の五岳山は、香色山・筆山・我拝師山・中山…

  • 満濃池の修築を果たしたウサギのお寺 香川県善光寺市「甲山寺」(その91)

    第七十四番札所 医王山 甲山寺 (いおうざん こうやまじ) 住所 善通寺市弘田町1765-1 電話 0877-63-0074 出釈迦寺から甲山寺まで 距離 2.7km 標高差 ほぼ平坦 出釈迦寺から甲山寺まで 平安時代初期、弘法大師が善通寺と曼荼羅寺の間に伽藍を建立する霊地を探していると、甲山の麓の岩窟から一人の老人が現れる。老人は「私は昔からここに住み、人々に幸福と利益を与え、仏の教えを広めてきた聖者だ。ここに寺を建立すれば私がいつまでも守護しよう」と言い立ち去る。老人がこの地の守護、毘沙門天の化身と悟った大師は、岩を割って毘沙門天像を刻み、岩窟に安置。堂宇を建立して像を祀ったのが寺の起源と…

  • 大師七歳にて仏門を目指し捨身を決意したお寺 香川県善通寺市「出釈迦寺」(その90)

    第七十三番札所 我拝師山 出釈迦寺 (がはいしざん しゅっしゃかじ) 住所 善通寺市吉原町1091 電話 0877-63-0073 曼荼羅寺から出釈迦寺まで 距離 0.6km 標高差 +47m -0m 曼荼羅寺から出釈迦寺まで 弘法大師がまだ「真魚」と呼ばれていた七歳の時。当時は倭斬濃山(わしのやま)と呼ばれていた我拝師山に大師は登り、「我は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救わん。我が願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じる。すると紫雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り大師を抱き止め、「一生成仏…

  • 西行の昼寝石のあるお寺 香川県善通寺市「曼荼羅寺」(その89)

    第七十二番札所 我拝師山 曼荼羅寺 (がはいしざん まんだらじ) 住所 善通寺市吉原町1380-1 電話 0877-63-0072 海岸寺から曼荼羅寺まで 距離 4.9km 標高差 ほぼ平坦 海岸寺から曼荼羅寺まで 縁起によると、寺の創建は四国霊場で最も古い推古四年(596)。弘法大師の祖先である讃岐の領主佐伯家の氏寺として創建され、当初は世坂寺と称していた。大師が寺を訪れたのは唐から帰朝した翌年のこと。亡き母玉依御前の仏果菩提を祈るためと伝わる。唐の青龍寺を模した伽藍を三年がかりで建立。本尊に大日如来を祀り、唐から持ち帰った金剛界と胎蔵界の曼荼羅を安置し、寺名を曼荼羅寺へと改める。平安末期に…

  • 弘法大師の母玉依御前のお寺 香川県多度津町「海岸寺」(その88)

    別格第十八番札所 経納山 海岸寺 (きょうのうざん かいがんじ) 住所 仲多度郡多度津町西白方997-1 電話 0877-33-3333 弥谷寺から海岸寺まで 距離 5.4km 標高差 +3m -110m 弥谷寺から海岸寺まで 寺伝によるとこの地は弘法大師の母である玉依(たまより)御前の出身地で、方亀五年(774)に産屋を設けて大師を出産したと伝わる。大同二年(807)大師がこの産屋後に本堂を建立し、正観音又は弥勒菩薩を安置したのが寺の開創とされる。弘仁六年(816)に大師は四十二歳の厄除けのため再度寺を訪ね、自身の像を刻んで大師堂を建立する。保延五年(1139)の住職観應の時には寺勢盛大をき…

  • 死霊の行くお寺 香川県三豊市「弥谷寺」(その87)

    第七十一番札所 剣五山 弥谷寺 (けんござん いやだにじ) 住所 三豊市三野町大見乙70 電話 0875-72-3446 本山寺から弥谷寺まで 距離 12.1km 標高差 +196m -18m 本山寺から弥谷寺まで 寺伝によると天平年間(729〜749)、聖武天皇の勅願により行基菩が堂宇を建立。光明皇后の菩提を弔うため「大方広仏華厳経」を祀り、寺を創建したとされる。また、寺宝の経典の中には神亀元年(724)頃に作られた経典が残され、それ以前に建立されていたとも言われる。その後、唐から帰国した弘法大師が大同二年(807)に入山し、真言密教の秘法を勤修する。その満願の日に五柄の剣が天から降り金剛蔵…

  • 太刀受けの弥陀(みだ)が守ったお寺 香川県三豊市「本山寺」(その86)

    第七十番札所 七宝山 本山寺 (しっぽうざん もとやまじ) 住所 三豊市豊中町本山甲1445 電話 0875-62-2007 観音寺から本山寺まで 距離 5.0km 標高差 ほぼ平坦 観音寺から本山寺まで 大同ニ年(807)平城天皇の勅願により弘法大師が開基。大師は馬頭観世音菩薩像を本尊、阿弥陀如来と薬師如来を脇侍として、一刀三礼で刻んだとされる。尊像を安置する本堂には、大師が一夜ほどの短期間にて建立したという「一夜建立」の伝説が残る。当時の寺名は「長福寺」であった。天正の兵火では諸堂を焼失するが、本堂と仁王門は焼かれずに残る。これは、長宗我部軍が本堂に侵入の際に住職を刃にかけたところ、脇仏の…

  • 弘法大師が住職を務めたお寺 香川県観音寺市「観音寺」(その85)

    第六十九番札所 七宝山 観音寺 (しっぽうざん かんのんじ) 住所 観音寺市八幡町1-2-7 電話 0875-25-3871 神恵院から観音寺まで 距離 標高差 なし(同一境内内) 大宝三年(703)、日証上人が琴弾八幡宮を開創したのは前の札所・神恵院と同じであるが、このとき八幡宮の神宮寺として建立したのが寺の始まりで、当時は神宮寺宝光院と称していた。大同ニ年(807)、弘法大師は琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来像を寺に奉納し、第七世住職として入山する。大師は、奈良の興福寺に倣って中金堂、東金堂、西金堂の様式で七堂伽藍を建立し、本尊となる聖観世音菩薩像を彫造して安置。さらに仏塔を建て、瑠璃・…

  • 同じ境内に二つの札所となった寺 香川県観音寺市「神恵院」(その84)

    第六十八番札所 七宝山 神恵院 (しっぽうざん じんねいん) 住所 観音寺市八幡町1-2-7 電話 0875-25-3871 萩原寺から神恵院まで 距離 9.6km 標高差 +32m -74m 萩原寺から神恵院まで 大宝三年(703)、法相宗の高僧日証上人この地で修行中、宇佐八幡宮のお告げを受けて、かなたの海上にて神船と琴を発見。これらを琴弾山に引き上げて祀り、琴弾八幡宮を開創する。このとき、別当寺として建立したのが寺が始まりとされる。大同ニ年(807)、弘法大師が琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来を描いて本尊として祀り、「琴弾山神恵院」と名付け霊場と定める。その後、明治初年の神仏分離令で宇佐…

  • 萩の花が咲き乱れる寺 香川県観音寺市「萩原寺」(その83)

    別格第十六番札所 巨鼇山 萩原寺 (きょごうざん はぎわらじ) 住所 観音寺市大野原町萩原2742 電話 0875-54-2066 大興寺から萩原寺まで 距離 6.2km 標高差 ほぼ平坦 大興寺から萩原寺まで 縁起によると大同二年(807)、弘法大師が寺を開創する。この時、大師は千手観音とニ体の地蔵菩薩像を刻み、千手観音は第六十六番札所の雲辺寺に、地蔵菩薩は当寺に安置する。寺は雲辺寺の末寺で、同じ山号を用いている。延喜三年(903)に醍醐天皇の勅旨談義所となり、天慶ニ年(929)には朱雀天皇が讃州四箇談義所に定める。鎌倉時代に雲辺寺が火災による被害を受けた際には、末寺の当寺が寺務を執り行った…

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ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場
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