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  • 源平合戦の舞台に立つ鑑真創建のお寺 香川県高松市「屋島寺」(その103)

    第八十四番札所 南面山 屋島寺 (なんめんざん やしまじ) 住所 高松市屋島東町1808 電話 087-841−9418 一宮寺から屋島寺まで 距離 16.3km 標高差 +322m -76m 一宮寺から屋島寺まで 寺は鑑真により開創されたと伝わる。鑑真は唐の学僧で、朝廷の要請を受け五度にわたって出航したが、暴風や難破で失明。天平勝宝五年(753)に苦難の末鹿児島に漂着する。翌年、東大寺に船で向かう途中、屋島の沖で山頂から立ちのぼる瑞光を感得し、屋島の北嶺に登る。そして、山の頂に普賢堂を建立し、持参した普賢菩薩像を安置して経典を納める。後に弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が堂塔を建立し、屋島寺と称…

  • 源平合戦の舞台に立つ鑑真創建のお寺 香川県高松市「屋島寺」(その103)

    源平合戦の舞台に立つ鑑真創建のお寺 香川県高松市「屋島寺」(その103)

    第八十四番札所 南面山 屋島寺 (なんめんざん やしまじ) 住所 高松市屋島東町1808 電話 087-841−9418 一宮寺から屋島寺まで 距離 16.3km 標高差 +322m -76m 一宮寺から屋島寺まで 寺は鑑真により開創されたと伝わる。鑑真は唐の学僧で、朝廷の要請を受け五度にわたって出航したが、暴風や難破で失明。天平勝宝五年(753)に苦難の末鹿児島に漂着する。翌年、東大寺に船で向かう途中、屋島の沖で山頂から立ちのぼる瑞光を感得し、屋島の北嶺に登る。そして、山の頂に普賢堂を建立し、持参した普賢菩薩像を安置して経典を納める。後に弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が堂塔を建立し、屋島寺と称…

  • 地獄の釜が煮えたぎるお寺 香川県高松市「一宮寺」(その102)

    地獄の釜が煮えたぎるお寺 香川県高松市「一宮寺」(その102)

    第八十三番札所 神毫山 一宮寺 (しんごうざん いちのみやじ) 住所 高松市一宮町607 電話 087-885-2301 香西寺から一宮寺まで 距離 8.9km 標高差 ほぼ平坦 香西寺から一宮寺まで 縁起によると大宝年間(701〜704)、法相宗の祖・義淵(ぎえん)僧正が寺を開基したと伝わる。義淵は奈良仏教の礎を築き、行基や東大寺初代別当の良弁僧正を教えたことで知られる高僧である。年号にちなみ寺を大宝院と称する。和同年間(708〜715)、諸国に一宮寺が建立された際、田村神社が讃岐一宮として建立され、寺はその別当となる。その後、行基が堂宇を修築し、寺名を一宮寺へと改める。大同年間(806〜8…

  • 移転と寺名改称を繰り返したお寺 香川県高松市「香西寺」(その101)

    移転と寺名改称を繰り返したお寺 香川県高松市「香西寺」(その101)

    別格第十九番札所 寶幢山 香西寺 (ほうどうざん こうざいじ) 住所 高松市香西西町211 電話 087-881-2337 根来寺から香西寺まで 距離 7.2km 標高差 +12m -377m 根来寺から香西寺まで 寺は天平十一年(739)に行基により創建される。初めは勝賀(かつが)山の山中にあり、宝幢山勝賀寺と号した。弘仁八年(817)には弘法大師が寺を現在の地へと移転し、地蔵菩薩を刻んで安置する。行基が開創した元の地は奥の堂と称されるが、勝賀山の北麓にて奈良期の瓦が出土する古代寺院跡が発見されたことから、この地が奥の堂であったと考えられている。寺は嵯峨天皇(在809〜823)の勅願寺に選ば…

  • 空飛ぶ人食い怪獣牛鬼を退治したお寺 香川県高松市「根来寺」(その100)

    空飛ぶ人食い怪獣牛鬼を退治したお寺 香川県高松市「根来寺」(その100)

    第八十ニ番札所 青峰山 根来寺 (あおみねさん ねごろじ) 住所 高松市中山町1506 電話 087-881-3329 白峯寺から根来寺まで 距離 15.3km 標高差 +437m -330m 白峯寺から根来寺まで 寺伝によると、弘仁年間(810〜824)にこの地を訪ね、五色台の五つの峰に金剛界曼荼羅の五智如来を感得した弘法大師は、密教修行の場として青峰に「花蔵院」を建立し、五大明王を祀ったとされる。天長九年(832)、大師の甥にあたる智証大師が花蔵院を訪れると、山の鎮守である一之瀬明神に出会い、「この地にある毘沙門谷、蓮華谷、後夜谷に道場を作り、蓮華谷の木で観音像を作りなさい」とお告げを受け…

  • 崇徳上皇の御陵を有するお寺 香川県坂出市「白峯寺」(その99)

    崇徳上皇の御陵を有するお寺 香川県坂出市「白峯寺」(その99)

    第八十一番札所 綾松山 白峯寺 (りょうしょうざん しろみねじ) 住所 坂出市青海町2635 電話 0877-47−0305 国分寺から白峯寺まで 距離 12.9km 標高差 +312m -78m 国分寺から白峯寺まで 寺伝によると弘仁六年(815)、白峯山に登った弘法大師が山頂に如意宝珠を埋めて井戸を掘り、衆生済度を祈願する。貞観ニ年(860)、大師の妹の子である智証大師が瑞光に導かれて白峯山に登頂し、地主神である白髪の老翁から御神託を授かる。智証大師は、補陀洛山から流れ着いた光明に輝く霊木で千手観音像を彫造し、これを本尊として佛堂を創建する。保元の乱(1156)に破れ讃岐へ流された崇徳上皇…

  • 「鐘がものいうた国分の鐘が」のお寺 香川県高松市「国分寺」(その98)

    「鐘がものいうた国分の鐘が」のお寺 香川県高松市「国分寺」(その98)

    第八十番札所 白牛山 国分寺 (はくぎゅうざん こくぶんじ) 住所 高松市国分寺町国分2065 電話 087-874-0033 天皇寺から国分寺まで 距離 6.7km 標高差 ほぼ平坦 天皇寺から国分寺まで 寺は天平の時代、聖武天皇の勅願により一国一寺建立された官寺。寺伝によると行基が丈六の十一面千手観世音菩薩を本尊として刻み、開基したとされる。その後、弘仁年間(810〜823)に弘法大師が本尊千手観音像を修繕して四国霊場と定める。大師は修繕のための霊木を探すと、北の国分台、赤峰の麓で木が空から落ちてきたため、それを刻んだと伝わる。寺にはその残木があるが、何の木か学者も分からないとのこと。天正…

  • さすらいの崇徳上皇ゆかりのお寺 香川県坂出市「天皇寺」(その97)

    さすらいの崇徳上皇ゆかりのお寺 香川県坂出市「天皇寺」(その97)

    第七十九番札所 金華山 天皇寺 (きんかざん てんのうじ) 住所 坂出市西庄町天皇1713−2 電話 0877-46−3508 郷照寺から天皇寺まで 距離 6.1km 標高差 ほぼ平坦 郷照寺から天皇寺まで 天平年間(729〜749)に四国巡錫のため当地を訪れた行基は、この山がカナヤマビメとカナヤマヒコの鎮座する山であると感得。山の中腹に薬師如来を本尊とする金山摩尼珠院を建て、山を金山と名付ける。この金山は四国で唯一、アルミニウムの鉱床があることで知られる。弘仁年間(810〜824)には弘法大師がこの地を訪ね、古くから霊泉と知られた八十場(やそば)のほとりに光放つ霊木を見つける。すると一人の天…

  • 二つの法門を奉じる厄除うたづ大師のお寺 香川県宇田津町「郷照寺」(その96)

    二つの法門を奉じる厄除うたづ大師のお寺 香川県宇田津町「郷照寺」(その96)

    第七十八番札所 仏光山 郷照寺 (ぶっこうざん ごうしょうじ) 住所 綾歌郡宇多津町1435 電話 0877-49−0710 道隆寺から郷照寺まで 距離 7.2km 標高差 ほぼ平坦 道隆寺から郷照寺まで 縁起によると寺は神亀ニ年(725)、行基により開創されたと伝わる。行基は一尺八寸の阿弥陀如来像を刻んで本尊として安置し、仏光山道場寺と称する。御詠歌に「道場寺」と詠まれているのはその名残である。大同ニ年(807)、弘法大師が四国巡錫の際、寺が仏法有縁の地であると感得。大師自身の像を彫造して厄除けの誓願を行う。この大師像は「厄除うたづ大師」として今も篤く信仰されている。寺は高僧・名僧との由縁も…

  • 眼なおし薬師のお寺 香川県多度津町「道隆寺」(その95)

    眼なおし薬師のお寺 香川県多度津町「道隆寺」(その95)

    第七十七番札所 桑多山 道隆寺 (そうたざん どうりゅうじ) 住所 仲多度郡多度津町北鴨1−3−30 電話 0877-32−3577 神野寺から道隆寺まで 距離 17.2km 標高差 ほぼ平坦 神野寺から道隆寺まで 縁起によると、和銅五年(715)、この地方の領主和気道隆が、周囲5m近い桑の大木が夜ごと妖しい光を放っているのを見る。この光を怪しみ矢を射ると、女の悲鳴が聞こえ乳母が倒れて死んでいた。これを嘆き悲しんだ道隆がその桑の大木を切り、小さな薬師如来像を彫造。草堂に安置し、供養したのが寺の始まりとされる。不思議なことに、この乳母は供養が終わると生き返ったという。大同ニ年(807)、道隆の子…

  • 満濃大師が静かに湖畔を見下ろすお寺 香川県まんのう町「神野寺」(その94)

    満濃大師が静かに湖畔を見下ろすお寺 香川県まんのう町「神野寺」(その94)

    別格第十七番札所 五穀山 神野寺 (ごこくざん かんのじ) 住所 仲多度郡まんのう町神野字神野45−12 電話 0877−75−0875 金倉寺から神野寺まで 距離 13.5km 標高差 +151m -8m 金倉時から神野寺まで 縁起によると、弘仁十二年(821)に弘法大師が嵯峨天皇の勅命により満濃池の修築を行った際、池の守護として建立したのが寺の始まりとされる。池の修築に係る由来は第七十四番札所甲山寺で記したのでここでは省略するが、甲山寺と同様、寺の建立費用は朝廷から授かった報奨金で賄ったとされる。中世時代には寺は当地の豪族である矢原家の保護を受けて隆盛し、一時は広大な寺域を誇っていたが、天…

  • 智証大師誕生のお寺 香川県善通寺市「金蔵寺」(その93)

    智証大師誕生のお寺 香川県善通寺市「金蔵寺」(その93)

    第七十六番札所 鶏足山 金倉寺 (けいそくざん こんぞうじ) 住所 善通寺市金蔵寺町1160 電話 0877-62-0845 善通寺から金倉寺まで 距離 3.4km 標高差 ほぼ平坦 善通寺から金蔵寺まで 縁起によると、弘法大師が生まれた宝亀五年(774)に智証大師(円珍)の祖父・和気道善が如意輪観音像を刻んで堂宇を建立し、「自在王堂」と名づけたのが寺の開創とされる。智証大師とは弘法大師の甥で、天台寺門宗の開祖である。その後、仁寿元年(851)に道善の子宅成によって寺名が「道善寺」へと改称される。宅成の子が智証大師で、唐から帰朝した智証大師は天安二年(858)、唐の青龍寺にならって伽藍を造営し…

  • 大師生誕の地に建つお寺 香川県善通寺市「善通寺」(その92)

    大師生誕の地に建つお寺 香川県善通寺市「善通寺」(その92)

    第七十五番札所 五岳山 善通寺 (ごがくざん ぜんつうじ) 住所 善通寺市善通寺町3-3-1 電話 0877-62-0111 甲山寺から善通寺まで 距離 1.6km 標高差 ほぼ平坦 甲山寺から善通寺まで 唐から帰朝した弘法大師が先祖の菩提を弔うため、地元の豪族であった父・佐伯田公が寄進した四町四方の地に、師である恵果和尚の住した長安の青龍寺を模して建立したのが寺の始まりとされる。大同ニ年(807)に斧始めを行い、六年近い歳月をかけて金堂、講堂、法花堂など十五堂宇を建立する。寺名は父の諱(いみな:現在の戒名に相当)「善通」をとって「善通寺」と称する。山号の五岳山は、香色山・筆山・我拝師山・中山…

  • 満濃池の修築を果たしたウサギのお寺 香川県善光寺市「甲山寺」(その91)

    満濃池の修築を果たしたウサギのお寺 香川県善光寺市「甲山寺」(その91)

    第七十四番札所 医王山 甲山寺 (いおうざん こうやまじ) 住所 善通寺市弘田町1765-1 電話 0877-63-0074 出釈迦寺から甲山寺まで 距離 2.7km 標高差 ほぼ平坦 出釈迦寺から甲山寺まで 平安時代初期、弘法大師が善通寺と曼荼羅寺の間に伽藍を建立する霊地を探していると、甲山の麓の岩窟から一人の老人が現れる。老人は「私は昔からここに住み、人々に幸福と利益を与え、仏の教えを広めてきた聖者だ。ここに寺を建立すれば私がいつまでも守護しよう」と言い立ち去る。老人がこの地の守護、毘沙門天の化身と悟った大師は、岩を割って毘沙門天像を刻み、岩窟に安置。堂宇を建立して像を祀ったのが寺の起源と…

  • 大師七歳にて仏門を目指し捨身を決意したお寺 香川県善通寺市「出釈迦寺」(その90)

    大師七歳にて仏門を目指し捨身を決意したお寺 香川県善通寺市「出釈迦寺」(その90)

    第七十三番札所 我拝師山 出釈迦寺 (がはいしざん しゅっしゃかじ) 住所 善通寺市吉原町1091 電話 0877-63-0073 曼荼羅寺から出釈迦寺まで 距離 0.6km 標高差 +47m -0m 曼荼羅寺から出釈迦寺まで 弘法大師がまだ「真魚」と呼ばれていた七歳の時。当時は倭斬濃山(わしのやま)と呼ばれていた我拝師山に大師は登り、「我は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救わん。我が願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じる。すると紫雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り大師を抱き止め、「一生成仏…

  • 西行の昼寝石のあるお寺 香川県善通寺市「曼荼羅寺」(その89)

    西行の昼寝石のあるお寺 香川県善通寺市「曼荼羅寺」(その89)

    第七十二番札所 我拝師山 曼荼羅寺 (がはいしざん まんだらじ) 住所 善通寺市吉原町1380-1 電話 0877-63-0072 海岸寺から曼荼羅寺まで 距離 4.9km 標高差 ほぼ平坦 海岸寺から曼荼羅寺まで 縁起によると、寺の創建は四国霊場で最も古い推古四年(596)。弘法大師の祖先である讃岐の領主佐伯家の氏寺として創建され、当初は世坂寺と称していた。大師が寺を訪れたのは唐から帰朝した翌年のこと。亡き母玉依御前の仏果菩提を祈るためと伝わる。唐の青龍寺を模した伽藍を三年がかりで建立。本尊に大日如来を祀り、唐から持ち帰った金剛界と胎蔵界の曼荼羅を安置し、寺名を曼荼羅寺へと改める。平安末期に…

  • 弘法大師の母玉依御前のお寺 香川県多度津町「海岸寺」(その88)

    弘法大師の母玉依御前のお寺 香川県多度津町「海岸寺」(その88)

    別格第十八番札所 経納山 海岸寺 (きょうのうざん かいがんじ) 住所 仲多度郡多度津町西白方997-1 電話 0877-33-3333 弥谷寺から海岸寺まで 距離 5.4km 標高差 +3m -110m 弥谷寺から海岸寺まで 寺伝によるとこの地は弘法大師の母である玉依(たまより)御前の出身地で、方亀五年(774)に産屋を設けて大師を出産したと伝わる。大同二年(807)大師がこの産屋後に本堂を建立し、正観音又は弥勒菩薩を安置したのが寺の開創とされる。弘仁六年(816)に大師は四十二歳の厄除けのため再度寺を訪ね、自身の像を刻んで大師堂を建立する。保延五年(1139)の住職観應の時には寺勢盛大をき…

  • 死霊の行くお寺 香川県三豊市「弥谷寺」(その87)

    死霊の行くお寺 香川県三豊市「弥谷寺」(その87)

    第七十一番札所 剣五山 弥谷寺 (けんござん いやだにじ) 住所 三豊市三野町大見乙70 電話 0875-72-3446 本山寺から弥谷寺まで 距離 12.1km 標高差 +196m -18m 本山寺から弥谷寺まで 寺伝によると天平年間(729〜749)、聖武天皇の勅願により行基菩が堂宇を建立。光明皇后の菩提を弔うため「大方広仏華厳経」を祀り、寺を創建したとされる。また、寺宝の経典の中には神亀元年(724)頃に作られた経典が残され、それ以前に建立されていたとも言われる。その後、唐から帰国した弘法大師が大同二年(807)に入山し、真言密教の秘法を勤修する。その満願の日に五柄の剣が天から降り金剛蔵…

  • 太刀受けの弥陀(みだ)が守ったお寺 香川県三豊市「本山寺」(その86)

    太刀受けの弥陀(みだ)が守ったお寺 香川県三豊市「本山寺」(その86)

    第七十番札所 七宝山 本山寺 (しっぽうざん もとやまじ) 住所 三豊市豊中町本山甲1445 電話 0875-62-2007 観音寺から本山寺まで 距離 5.0km 標高差 ほぼ平坦 観音寺から本山寺まで 大同ニ年(807)平城天皇の勅願により弘法大師が開基。大師は馬頭観世音菩薩像を本尊、阿弥陀如来と薬師如来を脇侍として、一刀三礼で刻んだとされる。尊像を安置する本堂には、大師が一夜ほどの短期間にて建立したという「一夜建立」の伝説が残る。当時の寺名は「長福寺」であった。天正の兵火では諸堂を焼失するが、本堂と仁王門は焼かれずに残る。これは、長宗我部軍が本堂に侵入の際に住職を刃にかけたところ、脇仏の…

  • 弘法大師が住職を務めたお寺 香川県観音寺市「観音寺」(その85)

    弘法大師が住職を務めたお寺 香川県観音寺市「観音寺」(その85)

    第六十九番札所 七宝山 観音寺 (しっぽうざん かんのんじ) 住所 観音寺市八幡町1-2-7 電話 0875-25-3871 神恵院から観音寺まで 距離 標高差 なし(同一境内内) 大宝三年(703)、日証上人が琴弾八幡宮を開創したのは前の札所・神恵院と同じであるが、このとき八幡宮の神宮寺として建立したのが寺の始まりで、当時は神宮寺宝光院と称していた。大同ニ年(807)、弘法大師は琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来像を寺に奉納し、第七世住職として入山する。大師は、奈良の興福寺に倣って中金堂、東金堂、西金堂の様式で七堂伽藍を建立し、本尊となる聖観世音菩薩像を彫造して安置。さらに仏塔を建て、瑠璃・…

  • 同じ境内に二つの札所となった寺 香川県観音寺市「神恵院」(その84)

    同じ境内に二つの札所となった寺 香川県観音寺市「神恵院」(その84)

    第六十八番札所 七宝山 神恵院 (しっぽうざん じんねいん) 住所 観音寺市八幡町1-2-7 電話 0875-25-3871 萩原寺から神恵院まで 距離 9.6km 標高差 +32m -74m 萩原寺から神恵院まで 大宝三年(703)、法相宗の高僧日証上人この地で修行中、宇佐八幡宮のお告げを受けて、かなたの海上にて神船と琴を発見。これらを琴弾山に引き上げて祀り、琴弾八幡宮を開創する。このとき、別当寺として建立したのが寺が始まりとされる。大同ニ年(807)、弘法大師が琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来を描いて本尊として祀り、「琴弾山神恵院」と名付け霊場と定める。その後、明治初年の神仏分離令で宇佐…

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ロードバイクとスーパーカブで巡る四国八十八霊場と別格二十霊場
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