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ブログタイトル
食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/t-shintani
ブログ紹介文
脳と食の研究者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。
更新頻度(1年)

146回 / 365日(平均2.8回/週)

ブログ村参加:2020/04/28

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食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命
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T-Shintaniさんの新着記事

1件〜30件

  • 女王の海賊フランシス・ドレイク-イギリス・オランダの躍進(2)

    女王の海賊フランシス・ドレイク-イギリス・オランダの躍進(2)今回は、イングランド女王エリザベス1世が重用した海賊フランシス・ドレイクを取り上げます。彼はイギリスがスペインの無敵艦隊(アルマダと呼ばれた)を打ち破ったアルマダの海戦で大活躍したことで有名ですが、それ以外にもエリザベス女王のために様々な功績を残しています。彼がいなかったら、イギリスが大国へと成長することは無かったと考える学者も少なくありません。エリザベス1世の頃は、ブリテン島の南半分がイングランドで、北半分はカトリック国のスコットランドでした。また、南のドーバー海峡をはさんだ対岸にはカトリックの大国フランスがあり、両国は断続的な戦いを続けていました。それに加えて、海洋帝国として日が昇る勢いを見せていたスペインがイングランドへの侵略の機会をうかがって...女王の海賊フランシス・ドレイク-イギリス・オランダの躍進(2)

  • スペインの失敗-イギリス・オランダの躍進(1)

    4・6イギリス・オランダの躍進スペインの失敗-イギリス・オランダの躍進(1)歴史に「if」は無いと言われます。でも、「もし織田信長が本能寺の変で死んでいなかったら、その後の日本の歴史は大きく変わっていただろう」などと考えると、いろいろな妄想が頭の中を駆け巡って、少しワクワクするものです。今回取り上げるスペイン王フェリペ2世も、「もし彼があの時しくじっていなかったら、その後の世界史は大きく変わっていただろう」と思えるほどの、歴史の転換点にいた重要人物です。彼に相対したのがイングランド女王のエリザベス1世で、彼らの時代にスペインとイギリスはいくたびもの戦いを繰り広げました。その中でもっとも有名なものが「アルマダの海戦」で、スペインが誇る無敵艦隊がイギリス海軍に敗れるという大番狂わせが起こったとされています。フェリペ...スペインの失敗-イギリス・オランダの躍進(1)

  • イギリス(イングランド)の宗教改革と食-戦争と宗教改革と食の革命(5)

    イギリス(イングランド)の宗教改革と食-戦争と宗教改革と食の革命(5)今回はイギリスの宗教改革と食について見て行きます。イギリスでは他の国とは異なった原因で宗教改革が起こりました。その原因を作り出したのはヘンリ8世です。彼は歴代のイギリス国王の中ではかなり有名で、これまでに何冊もの本になっています。今回はまず簡単にイギリスの歴史を振り返ってから、ヘンリ8世が始めた宗教改革と彼の時代の食について見て行きます。ヘンリ8世**************イングランド王国は1066年にヴァイキングで知られるノルマン人によって建国された。これをノルマン朝と呼ぶ。国王はフランス北部のノルマンディーにも所領を持つノルマンディー公であり、イギリス王であると同時にフランス国王の家臣だった。このため宮廷ではフランス語が主に使用されてい...イギリス(イングランド)の宗教改革と食-戦争と宗教改革と食の革命(5)

  • カラバッチャを作りました

    今日は昼ごはんにルネサンス期のイタリア・トスカーナ地方で食べられていた「カラバッチャ」を作りました。いわゆるオニオングラタンスープの原型です。(材料)材料は下の写真のように、パンと玉ねぎ、パルミジャーノチーズ、そして野菜スープの素です。本当は野菜をじっくりと煮込んで野菜スープを作りますが、今回はスープの素で手抜きです。それ以外に、塩、コショウ、ニンニク、ハチミツです。(作り方)・玉ねぎをくし切りにして鍋に入れ、オリーブオイルで10分ほど炒めます。・水を加え、スープの素、塩、ハチミツ、ニンニクを入れて20分ほど煮ます。・玉ねぎスープを耐熱皿に入れてトースターで焼いたパンを乗せ、コショウとパルミジャーノチーズを振りかけたらオーブンに5分入れて出来上がり。(感想)なかなか素朴な味ですが美味しかったです。でも、少し味付...カラバッチャを作りました

  • カルヴァンの宗教改革と質素な食事-戦争と宗教改革と食の革命(4)

    カルヴァンの宗教改革と質素な食事-戦争と宗教改革と食の革命(4)宗教改革の指導者としてルターと並び称されるのがカルヴァンです。カルヴァンの教えはルターの教えよりも厳格と言われています。ルターの教えは主にドイツ北部とデンマーク、スウェーデン、ノルウェーなどの北欧諸国に広まりました。一方のカルヴァンの教えは主にオランダ(ネーデルラント)とイギリス(イングランドとスコットランド)、そしてフランスに広まりました。なお、フランスではその後カトリックが再び主流になります。また、スペインやポルトガル、イタリアなどのそれ以外の西ヨーロッパの国々はカトリックのままであり、東ヨーロッパではギリシア正教が信仰されました。このようなキリスト教の宗派の違いは人々の日々の食事にも影響を与え、それは現代でも残っています。今回はカルヴァンの宗...カルヴァンの宗教改革と質素な食事-戦争と宗教改革と食の革命(4)

  • ルターの宗教改革と食の変化-戦争と宗教改革と食の革命(3)

    ルターの宗教改革と食の変化-戦争と宗教改革と食の革命(3)宗教では特定の食べ物を食べることが禁じられていることがあります。例えば、日本の仏教では葬式などで肉食をひかえるなど、動物性の食べ物を口にすることが禁じられており、昔のお坊さんは日常生活でも肉を食べることはできませんでした。また、イスラム教やユダヤ教では豚肉など特定の食品を食べることが禁じられています。現代のキリスト教では聖職者を除いて食の制限はほとんどありませんが、中世には断食日に肉を食べることが禁じられていました。この断食日は1年間に93日もあり、特に復活祭の前の46日間は四旬節と言って、肉に加えて乳製品や卵なども禁止されていました。このようなキリスト教の食の戒律を大きく変えるきっかけとなったのが、ルターが始めたとされる「宗教改革」です。今回は宗教改革...ルターの宗教改革と食の変化-戦争と宗教改革と食の革命(3)

  • フランス王の戦い-戦争と宗教改革と食の革命(2)

    フランス王の戦い-戦争と宗教改革と食の革命(2)前回はハプスブルク家の始まりのお話をしました。今回はハプスブルク家と激しい戦いを繰り広げたフランス王家のお話です。フランスの歴史が分かるように、少し時代をさかのぼって、ゲルマン民族の大移動後から話を始めたいと思います。なお、今回も食の話は少なめです。************4~6世紀のゲルマン人の大移動の後、ゲルマン人の部族ごとに複数の国家が形成された。それらはお互いに覇権を競い合ったが、最終的にフランク王国が戦いに勝利する。フランク王カール大帝(在位:768~814年)の時代には、フランク王国はイベリア半島とイタリア南部、ブリテン諸島を除く西ヨーロッパのほぼ全域を支配した。なお、カール大帝はキリスト教を国教とし、ローマ教皇より帝冠を授けられたことから初代の神聖ロ...フランス王の戦い-戦争と宗教改革と食の革命(2)

  • ハプスブルク家の興隆と食-戦争と宗教改革と食の革命(1)

    4・5戦争と宗教改革と食の革命ハプスブルク家の興隆と食-戦争と宗教改革と食の革命(1)北イタリアを中心にルネサンスが花開いていたちょうどその頃、ヨーロッパでは2つの大きな戦いが始まりました。1つ目はハプスブルク家とフランス・ブルボン家の戦いで、2つ目はカトリックとプロテスタントの戦いです。戦いの当事者たちは気づいていなかったと思いますが、この2つの戦いはヨーロッパ社会を大きく変えるきっかけになりました。今回からのシリーズでは、この2つの戦いの経緯をたどりながら当時のヨーロッパの食について見て行きます。今回は、ヨーロッパの超名門一族であるハプスブルク家の始まりの歴史についてです。************16世紀後半にフランスとイギリスを除くヨーロッパのほとんどを支配していたのがハプスブルク家だ。その支配地の大部分...ハプスブルク家の興隆と食-戦争と宗教改革と食の革命(1)

  • ミラノのヴィスコンティ-ルネサンスと宗教改革と食の革命(5)

    ミラノのヴィスコンティ-ルネサンスと宗教改革と食の革命(5)『ベニスに死す』という映画をご存知でしょうか?静養のためベニス(ヴェネツィア)を訪れた初老の音楽家が、とある貴族の美少年に恋をしてしまうというお話です。音楽家は少年の姿を追って日々ベニスの街をさまよいます。しかし、この時ベニスではコレラがはやり始めていました。それでも音楽家は少年から離れることができません。やがて音楽家もコレラにかかってしまい、死んでしまいます。彼は老いをかくすために髪を黒く染め、顔には白い化粧をしていたのですが、それが死化粧となったのでした。本作は全編にわたって美しい映像があふれる傑作ですが、ラストシーンは特に秀逸です。きらきら輝く海辺で遊ぶ美少年。それを見ながらベンチに座る音楽家。少年に手を伸ばすも届くわけもなく、満たされない想いを...ミラノのヴィスコンティ-ルネサンスと宗教改革と食の革命(5)

  • ローマ教皇の料理番スカッピ -ルネサンスと宗教改革と食の革命(4)

    ローマ教皇の料理番スカッピ-ルネサンスと宗教改革と食の革命(4)前回はルネサンス期のイタリア・フェラーラで活躍した天才料理人メッシスブーゴのお話をしましたが、今回はもう一人の天才料理人バルトロメオ・スカッピ(BartolomeoScappi)のお話です。スカッピはメッシスブーゴと同じルネサンス期にローマで活躍した料理人です。そして、彼の名を有名にしたのもメッシスブーゴと同じようにスカッピ自身が書いた料理本でした。ルネサンス期にはヨハネス・グーテンベルグ(1398年頃~1468年)が開発した活版印刷技術が普及してきており、良い本が出版されるとまたたく間にヨーロッパ中で読まれるようになっていました。そして、その著者の名は後世まで語り継がれることになったのです。このように新しい印刷技術は情報の伝達速度を著しく高めると...ローマ教皇の料理番スカッピ-ルネサンスと宗教改革と食の革命(4)

  • ルネサンスの天才料理人メッシスブーゴ-ルネサンスと宗教改革と食の革命(3)

    ルネサンスの天才料理人メッシスブーゴ-ルネサンスと宗教改革と食の革命(3)ルネサンス期の絵画・建築の分野ではミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチのような「天才」と呼ばれる人物が出現しました。料理の世界でも彼らと肩を並べると言われている天才がフェラーラというイタリア北部の都市に現れます。その名は「クリストフォロ・ディ・メッシスブーゴ(CristoforodiMessisbugo)」と言い、彼はフェラーラを治めた貴族エステ家の料理人として腕を振るいました。今回はメッシスブーゴの足跡をたどることで、ルネサンス期の貴族の食を見て行きます。************フェラーラはイタリア半島の付け根あたりにある都市で、ここから北東90㎞くらいのところにはヴェネツィアがある。フェラーラはフィレンツェよりも先にルネサンスの文...ルネサンスの天才料理人メッシスブーゴ-ルネサンスと宗教改革と食の革命(3)

  • トスカーナ料理とフランス料理-ルネサンスと宗教改革と食の革命(2)

    トスカーナ料理とフランス料理-ルネサンスと宗教改革と食の革命(2)ルネサンス期にフィレンツェは芸術や文化の中心となりましたが、食の世界でも当時の最先端の地でした。フィレンツェを含む一帯の地域は古代ローマ時代から「トスカーナ」と呼ばれ、ここで発展したのが「トスカーナ料理」です。そして、このトスカーナ料理がフランスに伝えられることで「フランス料理」の原型が作られます。例えば、日本で「オニオングラタンスープ」の名で有名な「スーパ・ロワニョン・グラティネ(soupeàl’oignongratiné)」は、トスカーナのカラバッチャ(carabaccia)という料理が原型と言われています。スーパ・ロワニョン・グラティネ(ImageparRitaEdePixabay)カラバッチャ今回はトスカーナ料理について見たあと、それがフ...トスカーナ料理とフランス料理-ルネサンスと宗教改革と食の革命(2)

  • ルネサンスとは何か-ルネサンスと食の革命(1)

    4・5ルネサンスと宗教改革と食の革命ルネサンスとは何か-ルネサンスと食の革命(1)「ルネサンス」は日本人になかなかインパクトのある言葉のようで、とある芸人コンビのネタとして使われたり、某会社の社名として使われたりしています。歴史的にもルネサンスはとても重要で、近世以降にヨーロッパが大発展する先駆けとなったと考えられています。また、ルネサンスは食の世界にも重要な影響を及ぼしました。今回は西洋の歴史を語る上で絶対にはずせないルネサンスについてざっと見て行こうと思います。************ルネサンスとは、14世紀にイタリアから始まった「古代ギリシア・ローマの文化の復興」を目指した運動のことだ。大航海時代やプロテスタントを生み出した宗教改革とともに、ヨーロッパ近世の出発点となったと考えられている。なぜ古代ギリシア...ルネサンスとは何か-ルネサンスと食の革命(1)

  • チョコレートの歴史②-ヨーロッパにやって来た新しい食(6)

    チョコレートの歴史②-ヨーロッパにやって来た新しい食(6)私は毎日昼食後にチョコレートを食べています。また、朝と昼にコーヒーを飲み、夜にはお茶を飲んでいます。実は、チョコレート(カカオ)・コーヒー・茶がヨーロッパに入ってきたのは同じ頃です。カカオは中南米、コーヒーはエチオピア、茶は中国を原産地としていますが、まったく異なる出自の作物が同時期にヨーロッパにやって来たのです。さらに、この3つはいずれも、カトリック国であるスペイン・ポルトガル・イタリア・フランスなどにまず広まり、その後にイギリス・オランダなどのプロテスタント国に広まりました。この裏には、スペインとポルトガルの海外進出で始まった大航海時代の主役がイギリス・オランダに移って行くという歴史の流れがあります。今回は「チョコレートの歴史②」として、カカオがスペ...チョコレートの歴史②-ヨーロッパにやって来た新しい食(6)

  • グヤーシュを作りました

    本日は前回お話したハンガリーの国民的料理のグヤーシュを作ってみました。材料は次の通り。ポイントはパプリカパウダーです。それ以外に、牛肉(今回はタンシタという舌の下のお肉)カットトマトタマネギジャガイモニンジンニンニクそれと、写真には乗っていないローリエとキャラウエイ。調理の仕方は簡単です。あらみじん切りしたタマネギとニンニクを油で軽く色付くまで炒めます。パプリカパウダーを加え、さらに軽く炒めます。次にお肉を加えて炒め、野菜とカットトマト、ローリエ、キャラウエイとお水を入れて肉が柔らかくなるまでしばらく煮込みます。最後に塩・コショウで味をととのえて出来上がりです。パプリカの風味が独特で、とても美味しくいただきました。パプリカパウダーさえあれば簡単にできるので、皆さんも機会があったらぜひ試してみてください。グヤーシュを作りました

  • トウガラシ-ヨーロッパにやって来た新しい食(4)

    トウガラシ-ヨーロッパにやって来た新しい食(4)世界の人口の約4分の1の人が毎日トウガラシ類を食べていると言われています。このトウガラシ類には辛いトウガラシだけでなく、シシトウやピーマン、パプリカのようにトウガラシの品種改良から生まれた甘味種も含まれています。一般的に熱帯などの暑い地域では辛いトウガラシをよく食べて、それ以外の地域では辛くないシシトウやピーマン、パプリカなどを食べるようです。例えば、インドや東南アジア、アフリカ、中南米などの熱い地域ではトウガラシをたくさん使った辛い料理が多く食べられています。熱い地域で辛い料理を食べるのは、発汗を促して体を冷やすためと、食欲を増進するためと言われています。一方、ヨーロッパではパプリカなどの甘味種が主に使われ、また、辛いトウガラシが使われる時でもかなりマイルドな辛...トウガラシ-ヨーロッパにやって来た新しい食(4)

  • トマト-ヨーロッパにやって来た新しい食(3)

    トマト-ヨーロッパにやって来た新しい食(3)皆さんはトマトをよく食べますか?総務省の家計調査よると、日本の家庭ではトマトの購入金額が野菜の中でもっとも高いそうです。年間の消費量について見てみると、日本人一人あたり約4.4kgトマトを食べているそうです。たくさん食べているようにも見えますが、世界を見回してみると下の図のように日本人よりずっと多くのトマトを食べている国がたくさんあります(国連食糧農業機関の統計FAOSTATより)。最も消費量が多いトルコでは1年間に88kgものトマトを食べていて、何と日本人の20倍にもなります。この図から分かるように、トルコも含めてスペインやギリシアのように地中海に面した国々ではトマトをたくさん食べるようです。この理由は、地中海の温かい気候がトマトの生育に適していたからだと考えられま...トマト-ヨーロッパにやって来た新しい食(3)

  • ジャガイモ-ヨーロッパにやって来た新しい食(2)

    ジャガイモ-ヨーロッパにやって来た新しい食(2)ジャガイモは現代社会ではなくてはならない食材です。日本でよく食べられるジャガイモを使った料理を思い浮かべてみても、肉じゃが・ポテトコロッケ・ポテトサラダ・ポテトチップス・フライドポテト・ビーフシチュー・カレーライス・クリームシチューなど、皆が大好きな料理ばかりです。他の国々でも同じように、ジャガイモ料理は人気のメニューになっています。例えば、スペインの代表的な料理にトルティージャ・エスパーニャというジャガイモを使ったオムレツのような料理があります。トルティージャ(unserekleinemausによるPixabayからの画像)このように大人気のジャガイモですが、ヨーロッパに伝えられてしばらくの間は食べられることはほとんど無かったということです。今回はこのようなジャ...ジャガイモ-ヨーロッパにやって来た新しい食(2)

  • 食の歴史 第四章 目次

    第四章近世の食の革命1大航海時代の始まりと食(1)大航海時代のはじまり(2)大航海を支えた保存食(3)大航海時代の帆船(4)香辛料を探し求めた男たち(5)ヨーロッパの奴隷の歴史2ヨーロッパ人到来以前の中南米の食(1)アメリカ大陸の新しい食(2)アステカの食とチナンパ(3)インカの食と段々畑(4)チョコレートの歴史①(5)ナス科の作物(6)サツマイモとカボチャ3ヨーロッパにやって来た新しい食(1)トウモロコシ食の歴史第四章目次

  • トウモロコシ-ヨーロッパにやって来た食べ物(1)

    4・3大航海時代にヨーロッパにやって来た食べ物トウモロコシ-ヨーロッパにやって来た食べ物(1)今回から大航海時代に新たにヨーロッパにもたらされた作物について見て行きます。第1回目の今回は、コメ・コムギとともに世界三大穀物と呼ばれている「トウモロコシ」です。(AndreyGrachevによるPixabayからの画像)現在の全世界のトウモロコシの生産量は11億トンを越えていて、約5億トンのコメや約7億トンのコムギよりもずっと多く作られています。この理由の一つとしてあげられるのが、トウモロコシの利用用途がとても広いことです。トウモロコシは人がそのまま食べたり粉にして食べたりする以外に、デンプン(コーンスターチ)やコーンオイル、コーンシロップなどの原料になります。また、家畜の飼料としてよく利用されており、トウモロコシを...トウモロコシ-ヨーロッパにやって来た食べ物(1)

  • サツマイモとカボチャ-ヨーロッパ人到来以前の中南米の食(6)

    サツマイモとカボチャ-ヨーロッパ人到来以前の中南米の食(6)「芋栗南瓜(いもくりなんきん)」という言葉があるように、昔から日本人の女性の多くはサツマイモとクリとカボチャ(南瓜)が大好きと言われています。例えばある調査では、85%の女性がサツマイモを好きと答えており、男性の65%を大きく引き離しています。また、好きな野菜を尋ねると、10~30代女性ではサツマイモとカボチャが上位2位を占めます。今回は女性に大人気のサツマイモとカボチャについて見て行きます。すでにお話ししたように、どちらもアメリカ大陸が原産地となっており、ヨーロッパ人が新大陸に到達したのちに世界中に広まりました。************・サツマイモサツマイモはヒルガオ科サツマイモ属の植物で、私たちは「塊根(かいこん)」と呼ばれる肥大化した根を食べてい...サツマイモとカボチャ-ヨーロッパ人到来以前の中南米の食(6)

  • ナス科の作物-ヨーロッパ人到来以前の中南米の食(5)

    ナス科の作物-ヨーロッパ人到来以前の中南米の食(5)ナス、トマト、ジャガイモ、トウガラシは私たちの食卓によく上る野菜ですが、すべて「ナス科」に属しています。そして、このうちナス以外はみなアメリカ大陸が原産地となっています。これらの新大陸の食材はコロンブスがアメリカ大陸に到達した以降にヨーロッパ人によって西洋に持ち込まれ、品種改良されながら世界中に広がって行きました。そして現在では各国の料理に無くてはならないものになっています。例えば、トウガラシの無い韓国料理やトマトが無いイタリア料理は想像できません。今回は現代の料理には欠かせない新大陸のナス科の作物について見て行きます。************ナス科植物は100属、2500種の植物が知られているが、主なものとしては食用となるナスやトマト、ジャガイモなどが属する...ナス科の作物-ヨーロッパ人到来以前の中南米の食(5)

  • チョコレートの歴史①-ヨーロッパ人到来以前の中南米の食(4)

    チョコレートの歴史①-ヨーロッパ人到来以前の中南米の食(4)皆さんには、しばらく食べないとどうしても食べたくなる食べ物は無いでしょうか?日本人は海外の生活が長くなってご飯が食べられなくなると、ご飯を食べたくて食べたくて仕方がなくなるという話はよく聞きます。このように、特定の食品をどうしても食べたくなることを「食物渇望」と呼びます。日本ではご飯が食物渇望を生み出す食べ物の上位にきますが、世界的にはチョコレートが食物渇望を生み出す食品のNo.1の座を占めています。チョコレートの原料はカカオ(カカオノキ)の種子です。カカオの原産地はメソアメリカで、メソアメリカ文明では紀元前2000年頃からカカオの種子は飲料の原料として利用されていました。今回は前半部でチョコレートの作り方をお話した後に、後半部分でアメリカ大陸でのカカ...チョコレートの歴史①-ヨーロッパ人到来以前の中南米の食(4)

  • インカの食と段々畑-ヨーロッパ人到来以前の中南米の食(3)

    インカの食と段々畑-ヨーロッパ人到来以前の中南米の食(3)前回はアステカ帝国のお話でしたが、今回はインカ帝国の食と農業について見て行きます。インカ帝国はアンデス中央高原やその周辺部に興ったアンデス文明に属しています。アンデス文明はスペイン人によって消滅しますが、その最後の国家となったのがインカ帝国です。有名な世界遺産のマチュピチュはインカ帝国の遺跡です。アンデス文明が栄えた地域は基本的に雨が少ない乾燥地帯でした。そのため、限られた水を効率的に利用するための灌漑技術がアンデス文明では発達しました。また、山岳地帯では地形の高低差から起こる土砂の流出を防ぐために「段々畑」がたくさん作られました。ちなみに、段々畑はマチュピチュ遺跡でも見ることができます。************アンデス文明は紀元前1000年頃にペルー北...インカの食と段々畑-ヨーロッパ人到来以前の中南米の食(3)

  • アステカの食とチナンパ-ヨーロッパ人到来以前の中南米の食(2)

    アステカの食とチナンパ-ヨーロッパ人到来以前の中南米の食(2)コロンブスがアメリカ大陸に到達した頃の中南米において勢力を誇っていたのが「アステカ帝国」と「インカ帝国」です。アステカ帝国はメソアメリカであるメキシコ中央高原に築かれ、インカ帝国は中央アンデスである現代のペルー・ボリビア・エクアドルにまたがる地域で栄えていました。この2つの帝国ではヨーロッパ人が驚くほどの高度な農業が営まれていました。2つの国では「水」の使い方が非常にうまかったため、作物の生産性がとても高かったのです。今回はメソアメリカのアステカ帝国における食と農業について見て行きます。************アステカ帝国は、15世紀前半から1521年までメキシコ中央高原に栄えたメソアメリカ文明に属する国家だ。アステカについてお話する前に、メソアメリ...アステカの食とチナンパ-ヨーロッパ人到来以前の中南米の食(2)

  • ヨーロッパ人到来以前の中南米の食(1)ーアメリカ大陸の新しい食

    4・2アメリカ大陸の新しい食ヨーロッパ人到来以前の中南米の食(1)「ラテンアメリカ」という言い方がありますが、これはコロンブス以降にスペインとポルトガルが中南米を支配した結果、使用する言語や文化がラテン系(イベリア系)になったからです。また、スペインとポルトガルがカトリック国であったことから、ラテンアメリカではカトリックの信者が大部分を占めています。それに対して北米はアングル人が基礎を築いたイギリスが支配したため「アングロアメリカ」と呼ばれます。そしてイギリスはプロテスタント国であったため、北米では大部分をプロテスタントが占めています。さて、今回はスペインとポルトガルによって支配される以前の中南米の農作物について見て行きますが、もしアメリカ大陸が無かったら、世界の料理は今日とはかなり違ったものになっていたことが...ヨーロッパ人到来以前の中南米の食(1)ーアメリカ大陸の新しい食

  • ヨーロッパの奴隷の歴史-大航海時代のはじまりと食(5)

    ヨーロッパの奴隷の歴史-大航海時代のはじまりと食(5)今回は人類史の暗部ともいえる奴隷の話です。中世までのヨーロッパ各国の国力は、イスラム諸国や中国などに比べてかなり見劣りするものでした。それが近世に入るとヨーロッパの力が徐々に大きくなり、他の地域と肩を並べるようになります。その原動力の一つとなったのが奴隷だと言われています。多数の奴隷を植民地で使役することで農作物などの大量生産が可能になったのです。例えば、アメリカ大陸へはアフリカから膨大な人数の奴隷が運び込まれましたが、彼らを綿花やサトウキビのプランテーションの労働力として利用することで莫大な富を築くことができました。ところで、奴隷を使役することは大航海時代になって急に始まったことではなく、古代から行われてきました。今回は少し歴史をさかのぼって、ヨーロッパに...ヨーロッパの奴隷の歴史-大航海時代のはじまりと食(5)

  • 香辛料を探し求めた男たち-大航海時代のはじまりと食(4)

    香辛料を探し求めた男たち-大航海時代のはじまりと食(4)ポルトガルやスペインの海外進出の最大の目的は「金儲け」でした。海外から金目の物を持ち帰って、自国や外国に売って大儲けをしようとしたのです。そのような金目の物の中でも筆頭に挙げられるのが「香辛料」でした。香辛料はヨーロッパ人にとってなくてはならないものでした。香辛料は肉の保存のためや肉の臭みを消すために必要だったと言われることが多いですが、第一の理由は香辛料が「薬」として使用されていたからです。現代のような優れた医薬品が無かった当時は、香辛料は体の調子を整えるための貴重な薬だったのです。しかしその頃は、オスマン帝国がアジアとの香辛料貿易を支配していたことから、ヨーロッパに入って来る香辛料はごくわずかで、また価格も高騰していました。このため、アジアからヨーロッ...香辛料を探し求めた男たち-大航海時代のはじまりと食(4)

  • 大航海時代の帆船-大航海時代のはじまりと食(3)

    大航海時代の帆船-大航海時代のはじまりと食(3)人類は様々な道具を作り出してきました。そのような道具の歴史を眺めていると「必要は発明の母」という言い方はもっともだなと思うことがよくあります。今回は大航海時代の初め頃に使用された帆船を取り上げますが、当時の帆船も必要に迫られた結果生まれてきたことがよくわかります。なお、今回は番外編のようなもので、食の話はほとんどありません。************大航海時代の初め頃に主に使用されていた帆船のタイプは、「カラック船」と「カラベル船」と呼ばれるものだった。コロンブスがアメリカ大陸を発見した航海では、1隻のカラック船(サンタマリア号:コロンブスの乗船)と2隻のカラベル船(ピンタ号とニーニャ号)が使われた。マゼランの世界一周ではビクトリア号(マゼランの乗船)を始めとする5...大航海時代の帆船-大航海時代のはじまりと食(3)

  • 大航海を支えた保存食-大航海時代のはじまりと食(2)

    大航海を支えた保存食-大航海時代のはじまりと食(2)大航海時代に帆船でヨーロッパからアジアやアメリカに行くには長い時間がかかりました。例えばコロンブスはアメリカ大陸への航海を4度行っていますが、いずれも片道に2カ月ほどを要しています。かかった時間と距離から計算すると、1日100km進むのがせいぜいだったようです。このような長い航海で問題になったのが食料です。当時は冷蔵庫が無かったため、高い気温でも長期間にわたって保存できる食べ物が必須でした。それでは、当時の海の男たちは船の上で何を食べていたのでしょうか?今回はこのような長期間の航海を支えた食について見て行きます。************ヨーロッパから中南米に行くのにも喜望峰を回ってアジアに行くのにも、高温の熱帯の海域を通る必要がある。さらに海の上なので湿度も高...大航海を支えた保存食-大航海時代のはじまりと食(2)

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