chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 剣の舞

    「剣の舞」の連弾版小さなお嬢さんが練習をはじめています。オーケストラ版をスマホのY−tubeで聴かせましたら画面に食い入るように観ていました。練習しているメロディを色々な楽器が奏でるのが面白かったようです。✨✨✨✨✨1942年に作曲されたバレエ「ガイーヌ」ガイーヌは主人公の女性の名前です。「剣の舞」は黒海の南岸に住む勇猛なクルド族が出陣する時に踊る舞曲です。作曲者のハチャトゥリアンは少数民族のアルメニア人でした。↑舞台はアルメニア。コルホーズで綿花を栽培しているガイーヌと夫のギコたちの農場に国境警察隊長のカルサコフがやってきます。人々は歓迎しますがギコは密輸業者達と国外に逃亡しようと企てます。自首するように促すガイーヌを監禁しギコ達は山中に逃げますがガイーヌの兄アルメンの機転で密輸業者はカルサコフにとらえ...剣の舞

  • ローマの噴水

    昨日も蒸し蒸しと暑い日になりましたね。夜は熱帯夜になったようですが噴水の写真と音楽を聴きながらローマを旅行している気分です。✨✨✨✨✨1916年イタリアの作曲家レスピーギが書いた「ローマの噴水」この作品は4楽章で構成されています。1.「夜明けのジュリアの谷の噴水」2.「朝のトリトンの噴水」3.「真昼のトレヴィの泉」4.「黄昏のメディチ荘の噴水」ローマの名所の4つの時間の噴水を描いています。レスピーギは古都ローマの栄光を噴水・松・祭りという3つの角度から描き「ロ―マ三部作」としました。この交響詩「ローマの噴水」は恩師リムスキー・コルサコフゆずりの絢爛豪華なオーケストレーションとドビュッシー風の印象主義の手法で描かれましたがトスカニーニの指揮で演奏されて真価が認められました。ロリン・マゼール四季(15‘56‘...ローマの噴水

  • 背高のっぽ

    我が家の泰山木大きくなりすぎて花が開花しても見ることができません茶色に変色して地面に落ちた残骸を掃除するばかりでしたが、今朝ようやく脚立に乗ると見える場所で一輪開花しました。(*^^*)杏は少し早いですが鳥達に食べられるので収穫しました。カナブン達にも分け前を。✨✨✨✨✨狂詩曲「スペイン」エマニュエル・シャブリエ19世紀のフランスの作曲家で40歳近くまで平日はフランス内務省のお役人で休日に作曲するという「日曜作曲家」でした。1880年にワーグナーのオペラ「トリスタンとイゾルデ」を聴いて内務省を退職して音楽の道に専念することを決意しました。それからヨーロッパ各地を旅行して回りましたが1882年にスペインで情熱的なスペイン音楽に強烈な印象を受けその感動をもとに狂詩曲「スペイン」を作りました。冒頭は弦のピッチカ...背高のっぽ

  • 梅雨どき

    曇り空の蒸し蒸しする毎日。昨夜お風呂に入ろうとシャワー・キャップをかぶったところ頭からポトッと何かが落ちました。洗面台をみると小指ほどのMukade君洗面台の水を流していたのであっという間に流れていきましたがドキっとします。お風呂まわりに彼の苦手な樟脳を置きました。✨✨✨✨✨1892年にドヴォルザークはアメリカに招かれてニューヨーク・ナショナル音楽院で教鞭を取ることになりました。この音楽院は「現代の常識」を先取りしていました。女性・有色人種・身体障害者など当時厳しい状況に置かれているマイノリティの人々の支援・擁護していたのですがそれが「新世界より」の誕生のきっかけになるのです。当時音楽院で奨学金を受けながら学んでいた黒人学生ヘンリー・バーリーが音楽院のホールを掃除しながら歌っていた歌がドヴォルザークの耳に...梅雨どき

  • ピ―タ―と狼

    1936年の春プロコフィエフは11歳と7歳の息子を連れてモスクワの子供音楽劇場を訪れました。この劇場の指導者はナタ―リヤ・サッツという30歳そこそこの女性で子供たちから「お話のおばさん」と親しまれていました。プロコフィエフはにぎやかにはしゃぎまわる子供達を眺めていましたがサッツから童話による交響曲を書いてほしいと頼まれると大賛成。彼は自分で台本を書き4日後にやってきて備え付けのピアノで劇場のスタッフ達に聴かせたのです。1週間後にはナタ―リヤ・サッツにオ―ケストラ・スコアが届けられました。サッツが曲間にナレ―ションをつけたことで大人気をよび翻訳されて世界中に広まりました。✨✨✨✨✨≪ものがたり≫ある朝、ピ―タ―(弦楽四重奏)は牧場へと遊びに出かけました。しかし、門を閉め忘れたためにアヒル(オ―ボエ)も外に出...ピ―タ―と狼

  • 『ロンドン』

    ロイヤル・アスコット競馬が開幕です。キャスリン妃は今年は赤のお帽子とドレスでした。✨✨✨✨✨1790年、エステルハージ家が財政難から宮廷楽団を解散し、年金暮らしをしていたハイドンですが有能な興業師ザロモンに依頼されてロンドン公演を大成功させます。2回の渡英で傑作といわれる交響曲12曲を作曲。この交響曲は「ザロモンセット」とよばれロンドンで初演されました。最後の交響曲第104番は「ロンドン」の通称で呼ばれています。又、ハイドンは1792年6月14日にアスコット競馬を訪れ、レ―スに興奮したことを書き残しています。ハイドン交響曲「ロンドン」アンドレ・プレヴィン指揮ウィ―ン・フィル(9‘21‘‘)『ロンドン』

  • 早口言葉

    絶頂期に引退した美食家のオペラ作家ロッシーニ。1816年に発表した「セビリアの理髪師」で一躍有名になりました。あらすじはスペインのセビリアを舞台に強欲な医師ドン・バルトロに閉じ込められている美女ロジーナと彼女に恋するアルマヴィーヴァ伯爵が理髪師フィガロの知恵で結ばれるまでを描いています。第1幕のフィガロが登場する場面で歌われるアリアはトムとジェリーにも登場しました。(笑)このアリアはフィガロのコマーシャル・ソングなのですが最高難度の早口言葉なのです。バリトンのアリアでは最難関のようで早口に加えてある版では裏声を含めて2オクターブと完全4度の声が必要でしかも舞台上をせわしく動き回りながら歌います。こんな楽しい動画がありました。早口言葉

  • ダダダ・ダ−ン

    今日はコロナ化以来の楽しいランチタイム。パリからの素敵なお土産頂きました。✨✨✨✨✨誰もが知っている有名な曲ですが期末試験に出るようですので楽譜を眺めながら生徒と楽しみました。「ダダダダ−ン」を楽譜で書くとこのようになりますが弟子のシンドラーが「何を表しているのですか」と尋ねると「運命が扉を叩く音」とべ―ト―ヴェンが答えたと伝えられています。この曲にはピッコロやコントラファゴットトロンボ―ンが初めて使われました。教会で神聖な楽器とされていたトロンボ―ンを3本第4楽章だけに導入されているのです。当時、トロンボ―ンは聖なる教会の音楽の伴奏用に使用される楽器でしたから世俗の交響曲に導入したことはさぞ物議を醸したと思われます。指揮カラヤンベルリンフィル冒頭の3分間のみダダダ・ダ−ン

  • アンデルセン

    「みにくいあひるの子」や「おやゆび姫」「マッチ売りの少女」「はだかの王様」など子供の頃に親しんだ童話ですがこれを書いたのはアンデルセン。有名な童話ばかりですがこれらを題材にした音楽はほとんどなくオ―ストリアの作曲家のアレキサンダー・ツェムリンスキーが1903年に交響詩「人魚姫」を書いているだけのようです。ツェムリンスキーの没後、楽譜が行方不明になり演奏ができなくなり80年間も埋もれていました。彼は作曲家であると同時に音楽教育家でもありのちに12音技法を創始するアルノルト・シェーンベルクが、彼の元で対位法を学んでいます。又、のちにマ―ラ―と結婚するアルマ・シンドラーなど数多くの音楽家がツェムリンスキーに学びました。✨✨✨✨✨「人魚姫」第3楽章(13‘17‘‘)アンデルセン

  • 魔境の開拓(笑)

    我が家の荒庭と隣家の境にこの時期は大変な勢いで竹が生い茂ります。毎朝、少しずつ片付けていましたが今朝、ようやくすっきりしました。切ったはずの杏の木に実がなっています。鳥に発見されなければ杏酒になります。(笑)泰山木の花も次から次ヘと開花中。✨✨✨✨✨世界最高峰のオ―ケストラの一つであるウィ―ン・フィルハーモニーを創設したのは作曲家のオット―・ニコライです。ベルリンで作曲家ツェルターの指導を受けて教会音楽を学びます。ロ―マで教会オルガニストになりオペラの作品も初演されました。1841年に転機が訪れ活動の拠点をウィ―ンに移します。ケルンナ―ト―ア劇場の楽長を務め宮廷楽団員達を集めて自主演奏団体を組織し「フィルハーモニー・アカデミー」という名で演奏会を開きます。これが現在のウィ―ン・フィルハーモニー管弦楽団にな...魔境の開拓(笑)

  • アフター・コンサート

    無事に演奏を終えステージを降りてきた男声合唱の皆さまと握手をして健闘をたたえました。メンバーも高齢化したのでこれだけの大人数での演奏は最後となります。残念ですが打ち上げは失礼して芸文の楽屋口から新幹線乗車口までタクシーで。おかげさまで思ったよりも早く自宅に戻りゆっくり下鴨茶寮のお弁当を頂きました。昼食の天むすはそのまま冷凍庫へ。シベリウスの交響曲途中からでしたが「クラシック音楽館」を聴くことができました。指揮パーヴォ・ヤルヴィ①交響曲「第4番」シベリウス②パガニーニの主題による狂詩曲ラフマニノフ③幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」チャイコフスキーダンテの神曲「地獄篇」第5歌を題材とした交響詩です。✨✨✨✨✨パガニーニの主題による狂詩曲1934年に作曲されたパガニーニの主題と24の変奏曲から成るピアノ協奏...アフター・コンサート

  • 終わりました。

    久しぶりの芸文の楽屋。のんきに写真など撮っていましたがリハーサルが始まるとな、な、なんとオルガンの担当者が管理しているはずの先日3時間半かけて作り上げたレジストレーションのメモリーが全て消えている。責任者は平謝りですが35分しか時間がないのでリハーサル開始。時間を延長して15分間で組み直しですが果たして間に合うのか。最初は手が震えていましたがコンピュータを信用していない小心者の私はストップ全て本番用の楽譜に書き留めているのでなんとか完了。確認したいけれど時間切れとなり開演です。緊張のまま迎えた本番でしたが1箇所、直しそびれたところがあり冷や汗ものでしたが何とか無事に終わりました。しかし胃はギュッと固まったまま。(笑)終わりました。

  • 今日は本番。

    昨日は梅雨の晴れ間ですがなんと33度の真夏日でした。そんな暑さの中昨日はピアノを使用してのゲネプロでした。✨✨✨✨✨今日も真夏日のよう。午前中にリハーサル。始めて合唱団とオルガンと合わせます。大変な暑さですが良い演奏会になりますように。今日は本番。

  • 蚤のうた

    ↑(帝国ホテルのシャリアピン・ステーキ)有名なロシアの大歌手フョードル・シャリアピン。1936年に来日した時歯痛で悩まされていた彼のために帝国ホテルのシェフが考案したレシピなのです。「歌の帝王」ともてはやされいた史上最高のバス歌手である彼の十八番はムソルグスキーの「ボリス・ゴドノフ」でしたがそれ以外に彼の歌曲「蚤のうた」が大得意でした。原詩にない「ハハハ、、」の笑い声の歌詞をシャリアピンが歌ったことで大ヒットしたのです。≪蚤のうた≫『昔、一人の王がいて大きな蚤を飼っていた。王はそいつを息子のように愛していた。ある日、王は仕立屋を呼びこの貴公子の服を仕立てよズボンも作れと命令する蚤は今ではビロードと絹の服を纏い上着にリボンを飾りおまけに十字架もぶら下げるかくてお城の紳士淑女は蚤の苦しみお妃と侍女たちはチクリ...蚤のうた

  • ドン・ファン

    昨日は雨の予報でしたが少し降った程度で蒸し暑い一日でした。✨✨✨✨✨「ドン・ファン」とは理想の女性を求めて遍歴を重ねたとされる17世紀スペインの伝説の人物です。イタリア語では「ドン・ジョバンニ」フランス語では「ドン・ジュアン」「ドン・ファン」のあらすじは簡単でプレイ・ボーイで有名な貴族の男ドン・ファンが貴族の娘を誘惑し、その父親を殺害。その後、殺した父親の石像をふざけて宴会に招待したところ石像の姿をした幽霊として現れ大混乱になりドン・ファンは石像によって地獄に引き込まれるというのがあらすじです。この伝説は西洋において多くの音楽や文学の題材になりました。モリエールの戯曲「ドン・ジュアン」バイロンの詩「ドン・ジュアン」モーツァルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」グルックのバレエ音楽「ドン・ジュアン」などが有名です...ドン・ファン

  • ジュ・トゥ・ヴ

    フランスのオンフルールに生まれたサティはパリ音楽院や軍隊に居場所を求めますがどこにも馴染めず除隊後はモンマルトル近くの酒場でピアノを弾いていました。27歳の時にシュザンヌ・サランドンという子連れの画家と同棲しますがほどなく彼女は去ってしまいます。このシュザンヌはルノワールの元愛人。連れていた子供はのちの画家ユトリロでした。↑ルノワールの絵「都会のダンス」に描かれたシュザンヌ。✨✨✨✨✨✨転機となったのは1905年スコラ・カントル厶に入学し作曲法を一から学び直したのです。サティはドビュッシーやラヴェルに影響を与えたいたずら好きの奇人の音楽家です。シャンソンはフランス語で「うた」を意味していてフランスの歌謡曲や小唄のことです。「ジュ・トゥ・ヴ」はスローワルツの女王と呼ばれていた人気シャンソン歌手ポートレット・...ジュ・トゥ・ヴ

  • チェネレントラ

    ↑ロッシーニ・ステ―キ(ステーキ+フォアグラ肥満間違えなしのレシピですね。)✨✨✨✨✨オペラ作家として喜劇性の高い作品を次々に発表し、イタリアオペラの最盛期を築いたロッシーニですが人気絶頂期に突然引退しました。引退の理由は美食と料理、トリュフを探す豚の飼育のためで76歳で亡くなるまで悠々自適のグルメ生活を送ったのです。↑ディズニ―版シンデレラ≪ラ・チェネレントラ≫童話のシンデレラをもとにしたロッシーニ版シンデレラです。彼のオペラ・ブッファ作品で最高傑作といわれています。健気な娘アンジェリーナは母が亡くなったあと義理の父ドン・マニ―フィコと継姉2人に「灰かぶり娘」と言われながら召使いのように暮らしています。ある日、お妃選びの舞踏会が開かれることになりますが王子自身を愛する娘を探すために王子と従僕ダンディ―ニ...チェネレントラ

  • プレスリーのヒット曲

    今朝は雨が上がり良いお天気?と思っていましたが庭掃除を済ませた時間には又、曇天に戻りました。💦ジャン・ポ―ル・マルティ―ニ「愛の喜び」キャスリン・バトル(3'05'')マルティ―ニは18世紀後半から19世紀初頭にかけて活躍したドイツ出身の作曲家です。この名前は本名ではなくフランスに渡ってから自分でつけた名前です。本名はヨハン・パウル・エギディウス・シュヴァルツェンドルフと何ともドイツらしい名前彼の作品は現在はほとんど演奏されませんが「愛の喜びは」だけは今でもとても人気があります。歌詞の内容は「愛の喜びはたった一日だが、愛の苦しみは一生」というものです。作詞はフランスの詩人ジャン・ピエール・クラリス✨✨✨✨✨エルヴィス・プレスリーが1961年に歌って大ヒットした「好きにならずにはいられない」...プレスリーのヒット曲

  • バローロ

    昨夜は赤ワインを開けました。ヒレカツにバローロです。濃いガーネット色のワイン。複雑な味わいでワイングラスに2杯を楽しみました。✨✨✨✨✨✨イタリアワインのあとはクラシック音楽館でフランス音楽。✨✨✨✨✨1.ルーセル「弦楽のためのシンフェニエッタ」2プーランク「シンフォニエッタ」3楽章のチャーミングなこと。色とりどりの音に耳を奪われました。続く4楽章の楽しさ。コーダもおしゃれ。3.イベール「室内管弦楽のためのディヴェルティスマン」①序曲ピアノも加わりにぎやかで楽しい始まり。②行列曲中にメンデルスゾーンの結婚行進曲(笑)③夜想曲④ワルツ⑤パレード⑥終曲楽しさ爆発。パーヴォ氏もポケットからホイッスルをを取り出し演奏に参加。真面目な団員さん達もニコニコ。最後にブラボーが掛かりました。イベ―ルはクラシック音楽に半旗...バローロ

  • 誕生日

    今週はグリーグと息子の誕生日です。✨✨✨✨✨✨エドヴァルド・グリーグ(1843ー1907)ノルウェーのベルゲンに生まれたグリーグは15歳でライプツィヒ音楽院に留学します。帰国後、国民楽派へと転換して組曲「ペールギュント」を生み出すなどノルウェー独自の曲作りに務めます。1867年に結婚し、同年にオスロに音楽院を設立しました。グリーグは北欧のショパンと呼ばれるくらい繊細で抒情的な音楽を書きました。同じノルウェーの文豪イプセンの戯曲「ペールギュント」のために書いた劇音楽を作曲して初演は大成功。その後、オーケストラの作品として二つの組曲に編曲されましたが現在ではこの組曲の方が有名で演奏される機会が多くなっています。↑(グリークの部屋)ペールギュント組曲より「朝」この組曲の中で一番有名な曲です。全てを失った暴れん坊...誕生日

  • 薔薇色の空

    昨日の夕焼けです。部屋もピンクに染まりました。✨✨✨✨✨一仕事を終え10時半頃にTVをつけるとディズニー映画「美女と野獣」のラストダンスのシーンで惹き込まれて観てしまいました。「美女と野獣」といえばラヴェルがマ・メール・ロワの第4曲目に作曲しています。もともとはラヴェルの友人のゴデフスキー夫妻と二人の子供のために書かれたピアノ連弾用の曲で「美女と野獣の対話」を作曲していますが魔女ののろいで野獣に変えられてしまった王子と姫との対話を描いています。姫はクラリネットのメロディで野獣の方はコントラ・バスーンの重低音で演奏されますがその後、シンバルの一撃で魔法が解けることになり野獣の求婚を受け入れたことを表しています。ハープのグリッサンドの後に野獣は王子の姿に戻ります。シンプルですがラヴェルらしい繊細で美しい音楽で...薔薇色の空

  • 清らかな女神

    ↑(薔薇マリア・カラス)昨日は午後から雨が降り始めました。大雨との予報なので買い物を済ませました。近くにある可愛いパン屋さんです。✨✨✨✨✨シチリアの音楽一家に生まれたヴィンツェンツォ・ベリーニ(1801ー1835)6歳で作曲を始め神童ともてはやされます。進学したナポリの音楽学校でも卒業作品として発表したオペラ作品が評価されそのままオペラ作曲家になりました。哀愁を含むメロディの美しいオペラで一世を風靡して国際的な名声を獲得します。ロッシーニやリストショパンとの交流があり10年ほどの間に「海賊」「異国の女」「ノルマ」など立て続けに悲劇的なオペラ作品を発表しています。「清教徒」ではレジョン・ドヌール勲章を受けて絶頂期を迎えます。しかし同年に数年前にかかった病が再発して34歳でこの世を去りました。34歳で書いた...清らかな女神

  • 明け方にリアルでしあわせな夢をみて眠っているのがもったいなくて飛び起きてしまいました。おかげさまで夢を反芻してゆたかな気分です。✨✨✨✨✨✨フォーレ「夢のあとに」バロック期からロマン派期にかけての音楽は「機能和声と調性」の音楽でこれが大原則でした。ロマン派も後期になるとやるべきことはやり尽くしたという機運でワーグナーの楽劇がヨーロッパ全土を熱狂の渦に巻き込んでいきます。しかし独立心とプライドの強いお国柄のフランスで口火を切ったのはサン・サーンスでした。その後にフランク・シャブリエ・デュパルクなどが現れますが中でもフォーレはフランス音楽を初めて確立するなど独自の境地を開きドイツ・ロマン派音楽とは明らかに異なる作風を示しました。教会オルガニストを長く務めた彼はグレゴリオ聖歌をはじめとする中世音楽を取り入れるこ...夢

  • レジストレーション

    ホールをお借りしてオルガンの音色を本番用に組立てます。オルガンはカール・シュッケ。ベルリン・オルガン製作所のものです。パイプの総数は6883本。ストップの数は93で5段鍵盤です。舞台中央に演奏台(コンソール)を設置して頂き音を聴きながらストップを選びます。ホールを借りきって3時間半贅沢な時間です。時間の経つのをすっかり忘れていました。✨✨✨✨✨✨レジストを終えてお食事をしたいと思いましたがまだ少しばかり時間が早くてどこも空いていませんが資生堂パーラーはOK。枝豆の冷製ポタージュ海老2本とホタテのフライ鯛のポワレピラフ帰宅してゆっくり眠りました。レジストレーション

  • パイプオルガン

    さて今日も名古屋に出かけオルガンの音色を決める作業を(レジストレーション)をする予定です。そのためにホールをお借りしていますが3時間半で仕上げなければなりません。合唱と合わせるのは本番当日のゲネプロでの30分のみですから真剣勝負です。✨✨✨✨✨ヴェネツィアの裕福な製紙業者の長男として生まれたトマーゾ・アルビノーニは歌とヴァイオリンのレッスンを始めると非凡な腕前を発揮します。生涯に50曲以上のオペラを作曲しヴィヴァルディと共にヴェネツィアオペラの牽引役となり器楽曲も数多く残しました。そんな偉大な音楽家として知られたアルビノーニですが当時としては珍しく職業音楽家ではなく音楽愛好家でした。弦楽とオルガンのためのアダージョはクラシック音楽の入門の曲として知られていますが実はアルビノーニの作品ではないのです。イタリ...パイプオルガン

  • クタクタ

    今日は名古屋で男声合唱の練習でした。70人のパワーに力を使い果たして新幹線に乗りました。食事の仕度をする余力はないので夜はお寿司です。なすと新玉ねぎと三度豆の天ぷらスイスの白ワイン。食事を終えるとそのまま眠り込んでしまいましたがクラシック音楽館の時間に目が覚めました。リヒャルト・シュトラウスの「ヨセフの伝説」交響的断章を聴いていると止められなくなりました。旧約聖書のヨセフの物語がバレエ音楽に仕立てられています。そしてアルプス交響曲も聴いてしまいました。最も魅力的なのがゆっくりゆったりした箇所とは指揮者のパ―ヴォ・ヤルヴィ自身の言葉でしたが眠気が飛びました。夜→日の出→登り道→森に入る→小川のほとりのさすらい→滝→まぼろし→花咲く牧場で→山の牧場で→林の中で道に迷う→氷河で→危険な瞬間→山の頂きで(渾身の演...クタクタ

  • 素敵なプレゼント

    名古屋に向かっています。大雨の影響で昨日は大混雑でしたが今朝はどうでしょうか。✨✨✨✨✨✨「コジマ」リストとマリー・ダグ―伯爵夫人の娘のコジマはもともとリストの弟子で指揮者であるハンス・フォン・ビューローの妻でしたがワ―グナ―と深い仲になり不倫関係の末結婚します。リストはワ―グナ―に対して当然カンカンに怒りました。そしてワ―グナ―とビューローとは仲違いをしてしまいます。✨✨✨✨✨ワ―グナ―の作品は楽劇とオペラ作品がほとんどですがその例外的な作品に「ジ―クフリ―ト牧歌」があります。これは妻コジマへの誕生日と長男を産んでくれた感謝を込めてプレゼントした曲で小編成の室内オ―ケストラ用に書かれました。ジ―クフリ―トとは二人の間に生まれた長男の名前です。コジマを驚かせるために寝室に上がる螺旋階段に譜面台を立て15人...素敵なプレゼント

  • 第2の国歌

    今朝は良いお天気に恵まれました。昨日は大雨の中重装備(笑)で歯医者さんにお伺いして検診とクリ―ニングですっきりです。✨✨✨✨✨今日は第2の国歌と国花です。(*^^*)「フィンランディア」はシベリウスの33歳の時の作品で彼の作品の中でもっとも演奏頻度の高い曲です。当時帝政ロシアの圧政下にあったフィンランドでは独立運動が高まっていて新聞社が主催した愛国的な歴史劇のために作曲されたのです。特に中間部のメロディには歌詞を添えて「フィンランド賛歌」として歌われフィンランド第2の国歌として親しまれています。そして国花はスズランです。そして英国はエルガ―作曲の「威風堂々第1番」は初演の際にエドワ―ド7世に気に入られ「中間部のメロディに合唱を入れては?」と提案されます。翌年、「希望と栄光の国」に威風堂々のメロディを使い第...第2の国歌

  • 大雨警報発令中

    朝、窓を開けると泰山木の大きな花が開きかけていて吃驚。6月1日の朝にピッタリの開花でした。昨夜来の雨で線状降水帯発生の予報が出ています。屋上やベランダの排水溝の掃除は済ませました。✨✨✨✨✨✨カルル・マリア・フォン・ウェ―バ―ドイツの国民オペラの草分けともいわれるウェ―バ―。彼の音楽家人生は父の旅回り劇団への同行から始まります。各地で著名な音楽家から教育を受け13歳で最初のオペラを作りました。若い頃は歌劇場の学長につくものの銅板印刷に使う硝酸をワインと間違えて試飲し喉をつぶしてしまうのです。シュツゥットガルトで事務員の職を得た時にはなんと破天荒な父に横領されて共に投獄され獄中生活を送りました。又、女優にだまされたりさんざんな目に遭っています。荒んだ生活を送っていましたが彼の人生の転機になったのは1817年...大雨警報発令中

  • Hello june

    今日から6月なんと早いこと。梅雨入りしましたが昨日の昼間は青空が広がり気持ちの良いお天気でした。今朝も朝日が射し込んでいますが午後から雨の予報です。✨✨✨✨✨ラヴェルが残したオペラ2作品。音楽喜劇「スペインの時」と「子どもと魔法」で共に50分の短い作品です。「子どもと魔法」は作家コレットの依頼で1920―1925年にかけて作曲され初演で大成功を収めました。子供が大好きだったラヴェルがオペラとバレエを融合させて夢の世界を描いています。≪あらすじ≫聞き分けの悪い少年が母親に怒られたことに腹を立てポットや壁紙時計を壊し猫やリスにいたずらをします。すると壊された物やいたずらされた動物が動き出し少年の行いを責め悲しみを伝えるのです。最後に少年は「優しさ」を知り人として一つ成長するというスト―リ―です。(2'48''...Hellojune

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、m-shaさんをフォローしませんか?

ハンドル名
m-shaさん
ブログタイトル
SHAンパンでもいかが?
フォロー
SHAンパンでもいかが?

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用