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  • 100日を切りました。

    7月26日に開幕するパリ五輪の採火式のニュースが流れました。巫女達の衣装が黒と白のツ―トンに変わっていましたね。✨✨✨✨✨✨クーベルタン男爵の提唱で近代オリンピック第1回アテネ大会が開かれたのは1896年でしたが開会式の音楽としてスピロ・サマラス作曲の≪オリンピック賛歌≫が作曲されました。その後、埋もれがちでしたが1964年に東京大会が開かれることに決まったときギリシャで発見された古い楽譜が日本に届けられました。オリンピック・マ―チを作曲することになっていたあの朝ドラ「エ―ル」の古関裕而氏がオ―ケストラ用に編曲されました。IOC総会で山田一雄氏指揮NHK交響楽団の演奏で披露したところ各国の委員達を感動させ以後、公式の賛歌となっています。パリではどのように演奏されるのでしょうか。100日を切りました。

  • 春霞

    昨日は黄砂で街が霞んでいましたマスクは必須ですね。ツツジの花が綺麗ですがどうも身体が重だるくて調子がでないのです。今朝は目か覚めるとなんと8時。ゴミ収集車と同時でなんとか間に合いました。(笑)✨✨✨✨✨シューマン交響曲第1番「春」初めてシューマンがピアノの先生の娘であるクララに出会ったのは18歳の時クララはまだ9歳でした。やがて2人は恋に落ちますがクララの父が猛反対で最後には裁判所に訴えを起こしようやく2人か結ばれたのはシューマンが29歳の時でした。1841年結婚がかない幸せの絶頂期にシューマンは初めての交響曲をわずか4日間で書き上げます。初演はメンデルスゾーンが指揮をしてゲヴァントハウス管弦楽団で行われ高評を得ます。「春の交響曲」と題名がつけられた交響曲第1番は幸せに満ちた音楽です。演奏はゲヴァントハウ...春霞

  • 名教師

    モーツァルトが16歳の時に書いた愛らしく美しい曲斉藤秀雄氏のお弟子さんたちの思い出の曲がこのディベルティメントだそうです。斉藤秀雄氏英語学者として有名な斉藤秀三郎氏の次男として生まれ暁星中学校から上智大学に入学するも音楽に専念するために退学し近衛秀麿氏に随行してドイツに留学。ライプツィヒとベルリンで指揮とチェロを学び最初はオーケストラのチェロ奏者としてのちには指揮者として活躍されました。斉藤秀雄氏の功績はなによりも教育者として小澤征爾氏を筆頭に世界に通用する演奏家を数多く育てられたことでした。名教師

  • そうそうたる顔ぶれ

    「パラード」は音楽がエリック・サティ原作はジャン・コクトー衣装担当はパブロ・ピカソという当時の最先端の芸術家によって生み出された作品です。「パラード」とは芸人が人寄せのために街頭で行うパレードのことだそうです。サティ「パラード」(2‘02‘‘)20世紀を代表する偉大な興行師セルゲイ・ディアギレフが主宰するバレエ・リュスのためにサティが作曲した全一幕のバレエ音楽で初演は高評価を得たものの第1次世界大戦のさなかでバレエどころではなくなってしまいました。ピストルやタイプライターの音に混じってサイレンやラジオの音などの色々な音が使われています。そうそうたる顔ぶれ

  • カンタービレ

    「のだめカンタービレ」二ノ宮知子氏のマンガがとてもおもしろくて音楽仲間で回し読みしていました。変態天才ピアニストと天才肌の指揮者のドタバタの恋ですが音楽や演奏のシーンで描かれていることが全て本物で読みごたえがあったのです。映画化された時は封切りと同時に観に行きました。(笑)このシーンで流れた音楽はエルガー作曲の「エニグマ(謎)変奏曲」の第9変奏「ニムロッド」なんとも心憎い演出でしたがクラシック音楽を楽しめるこんな映画が又、できないかしら。カンタービレ

  • 夏日

    昨日は夏日。あまりに暑くてもう着ることはないと仕舞込んでいたタンクトップのインナーを引っ張り出しました。暑さには勝てません。(笑)冬から夏にひとっ飛び。あたたかい毛布と夏ものが混在しています。(笑)✨✨✨✨✨昨夜の「クラシック音楽館」の前半はソヒエフ指揮のロシア音楽でした。①リャードフ作曲「キキモラ」作品63初めて聴きました。②プロコフィエフ作曲「ロミオとジュリエット」重厚な音で始まった冒頭からロシア音楽の骨太さを堪能。静かな場面は隅々まで美しく細やかな表現に飽きることなく音楽は進み最後の「タイボルトの死」は一糸乱れず疾走し圧巻でした。✨✨✨✨✨後半はマウリツィオ・ポリーニ追悼①プロコフィエフピアノ協奏曲第3番②シューベルト作曲ピアノ・ソナタD.9602楽章③べートーヴェン作曲熱情ソナタ1楽章④バルトーク...夏日

  • 頂上

    アルプスへの登山口のひとつであるガルミッシュ・パルテンキルヘンに山荘を建てたリヒャルト・シュトラウス。壮大な景観を臨みながら雄大な交響曲を書きました。「アルプス交響曲」です。危険を乗り越えた登山者が頂上に立ってみた雄大な眺めをあらわした音楽。「景観(頂上)」朝比奈隆指揮(5‘44‘‘)「指揮者は60歳から」を座右の銘にした朝比奈隆先生は年齢を重ねられるにつれ神業のような演奏を聴かせて下さいました。2001年12月29日に93歳で世を去られました。頂上

  • 40年ぶりに。

    昨日は久しぶりにデパートに出かけ「なだ万」で買い物ふと隣をみると学生時代の先生が…お声をかけると瞬間、怪訝な表情でしたがすぐに思いだして下さいました。88歳になられたそうですが奥さまが倒れられて車椅子の生活となり3食全てを作っておられるとのこと。カートには山のような食料品。2日に一度は買い物にいらしているそうですがスマホを取りだしてお料理の数々を見せて下さいました。奥さまの介護で大変な毎日だろうと想像はつくのですが相変わらずオシャレ。真っ白になられた御髪に明るい色のシャツがとても映えます。グチ一つない前向きなお姿にこんな風に年を重ねられたらと思いつつの帰宅でした。✨✨✨✨✨天才指揮者カルロス・クライバークライバーは劇場やコンサートホールで演奏することが好きではなくレパートリーも多くなく≪気まぐれな完璧主義...40年ぶりに。

  • 料理好き

    ヴェルディが作曲したオペラ「リゴレット」テノールのアリアの「女ごころの歌」は「ミスター・ハイC」と謳われたパヴァロッティの十八番でした。パヴァロッティがオペラ歌手引退後に住んでいた家で今は博物館です。スタインウェイが置かれたリビングルーム。✨✨✨✨✨パヴァロッティは世界のどこに行ってもホテルのスイート・ルームでパスタを調理して仲間達に食事をふるまっていたようです。湯水のようにお金を使えるパヴァロッティですがお金のかからない簡単な素材でシンプルで美味しいお料理を作っていました。主に彼のふるさとであるモデナの家庭料理です。レシピを見つけましたので試してみます。(*^^*)料理好き

  • ヒッチコック劇場

    朝晩は気温が低く昼間は半袖でも大丈夫なあたたかさこの気温差は堪えますね。お気をつけてお過ごし下さいませ。✨✨✨✨✨フランスの作曲家シャルル・グノーは高名な画家とピアニストの母の間にパリで生まれました。大バッハの曲に美しい名旋律をつけた「アヴェ・マリア」は彼の名を高めます。1859年にパリで初演されたオペラ「ファウスト」はドラマティックなゲーテの原作とグノーの流麗で美しい音楽がパリの聴衆に受けいれられました。最終の第5幕に長大で華やかなバレエ音楽も入った名作でした。「ファウスト」のバレエ音楽ベルリン・フィル(1‘47‘‘)グノーの管弦楽曲「操り人形の葬送行進曲」は1957年から始まったアルフレッド・ヒッチコックのテレビ・シリーズ「ヒッチコック劇場」のテーマ音楽に用いられ有名になりました。毎週観ていましたので...ヒッチコック劇場

  • パリの桜

    昨日の朝は大変な嵐でしたがその後気温が下がり夜は冬に逆戻り。気温の変化の影響でしょうか。眠くてたまらず昨夜は10時半に就寝朝8時までまるで冬眠のクマのようにたっぷり休みました。(笑)✨✨✨✨✨パリのサンジェルマン・デュ・プレにあるガブリエル・ピエルネ広場の桜です。カブリエル・ピエルネ(1803ー1947)フランスの作曲家あまり有名ではなかったのですが≪私の子供達のためのアルバム≫と題したピアノ曲の第6曲を管弦楽用に編曲したところ大人気になりました。小太鼓のリズムやトランペットが愛らしくエンディングは遊び疲れた子供が眠りに落ちるようすが可愛い作品です。パリの桜

  • 歴代1位

    早朝に嵐の音で目覚めました。強風で咲いたばかりの桜は花びらを散らしています。✨✨✨✨✨✨2019年英国BBCが調べた歴史上最大のピアニストはラフマニノフ2位はホロヴィッツ3位はリヒテルでした。ロシア貴族の家に生まれたラフマニノフ12歳の時に従兄の紹介で出会ったのは当代一のピアノ教師でニコライ・ズヴェーレフ。内弟子として住み込みズヴェーレフが教授をつとめるモスクワ音楽院に入学します。住みこみの内弟子はピアノ・レッスンドイツ語、フランス語演奏会、演劇、オペラ鑑賞日曜日は一流音楽家との晩餐会付きでしたが費用は全て先生持ち。朝は6時起床で朝食前に3時間のピアノの練習のスパルタ教育でした。その甲斐あって卒業試験では大金メダルを授与されます。ラフマニノフは作曲家、指揮者としてだけではなくピアニストとしても超一流であっ...歴代1位

  • 春爛漫

    桜が満開で街はピンクのヴェールに包まれたようですね。昨夜のクラシック音楽館フランス音楽特集でした。指揮トゥガン・ソフィエフ①バレエ音楽「カルメン組曲」ビゼー作曲(シチェドリン編)弦楽器と打楽器を使っての演奏でとてもカッコ良く面白いボレロも楽しかった。②「マ・メール・ロワ」管弦楽版楽しみに待っていました。室内楽的な演奏で夢の世界を描きだしてくれました。③バレエ音楽「ラ・ヴァルス」ヨハン・シュトラウスのような美しいワルツではありません。戦争の悲惨な体験もあるラヴェルが当時の崩壊しそうなヨーロッパを描きました。不穏な音で始まり次第に賑やかで明るいワルツになりますがワルツのかたちが崩れていきます。マ・メール・ロワとは対照的な作品を並べての演奏でした。指揮者やオケのメンバーの一人一人の表情をつぶさに観れるゆたかな時...春爛漫

  • 天国と地獄

    オペラの台本は大体がいい加減。オペレッタ(喜歌劇)になると奇想天外なストーリーに呆れることがあります。オッフェンバック(1819ー1880)フランス最高のオペレッタ作曲家です。1819年にケルンで生まれましたが14歳の時に父は彼をパリに連れてきました。ここで彼はロッシーニによると「シャンゼリゼ通りのモーツァルト」になってしまいます。彼は30歳の頃にはコメディ・フランセーズな作曲家兼指揮者になります。30代の終わりに書いた≪天国と地獄≫はギリシャ神話をパロディ精神いっぱいに描きました。音楽院長のオルフェオは妻のエウリディーチェが地獄に連れ去られたのをいいことに浮気に精を出しますが世論と名乗る人物の説教があまりにうるさいので妻を戻して欲しいと天国に直訴しますが天国も家庭争議の真っ最中!序曲もハチャメチャの話に...天国と地獄

  • 天才中の天才

    ヤッシャ・ハイフェッツ20世紀を代表するヴァイオリニストであり「ヴァイオリニストの王」と呼ばれていました幼い頃からヴァイオリニストの父が練習中に音を外すと泣き出したエピソードがあります。ベルリンの演奏会でエフレム・ジンバリストと共に偶然に居合わせたフリッツ・クライスラーは13歳のハイフェッツの演奏を聴き「私も君もヴァイオリンを叩き割ってしまった方が良さそうだ」と評価したエピソードも残っています。ハイフェッツのあまりの天才ぶりに同時代の多くのヴァイオリニストが絶望したと言われています。彼の演奏はそれほど凄まじくハイフェッツへの劣等感から「ハイフェッツ病」が流行したそうです。元首相の小泉純一郎氏は御著書に『12歳の時にヴァイオリンを始めて家でも学校でも毎日一生懸命練習して高校生まで続けたのだがハイフェッツの録...天才中の天才

  • 奥方次第!

    ウィーン出身のフリッツ・クライスラー(1875〜1962)「愛の喜び」「愛の悲しみ」「美しきロスマリン」の親しみやすい名曲の作曲とロマンティックで情緒溢れる演奏で20世紀前半にジャンルを超えて愛された名ヴァイオリニストでした。7歳でウィーン音楽院に入学10歳で首席で卒業します。12歳でパリ音楽院も首席で卒業後世界で活躍しました。そんな彼が26歳の時に船旅の途中で聡明なアメリカ人の女性ハリエット・リースと出会い船内で婚約します。まるで映画「めぐり逢い」のようですね。翌年2人はニューヨークで結婚式を挙げました。独身時代のクライスラーは酒やギャンブルが大好き。音楽家でありながら大の練習嫌いでした。ハリエットはクライスラーに対して決められた時間まで部屋に閉じ込めて練習させるなど徹底してクライスラーの生活を厳しく管...奥方次第!

  • 猫さん集合

    スマホからの画像投稿の不具合が解決するのは4月8日になるそうです。首をなが〜〜くして待っています。✨✨✨✨✨ドミニコ・スカルラッティ(1685ー1757)マリア・バラバラ妃に宛てた手紙に「一匹の猫が私の部屋の窓枠に飛び上がりチェンバロの上に飛び乗ると優雅に鍵盤の上を歩き始めたのです。私はそのメロディーに飛びついて完成した曲を≪猫のフーガ≫と名付けました」と書き送っています。スカルラッティ「猫のフーガ」ルロイ・アンダーソン(1908ー1975)「ワルツィング・キャット」アメリカの作曲家でハーバード大学で音楽を学びました。「トランペット吹きの休日」「シンコペィテッド・クロック」「タイプライター」などの作品があります。「ワルツィング・キャット」とても明るく可愛い作品で最後にワン君に吠えられます。(笑)イスラエル...猫さん集合

  • チョコレートが高騰する?

    チョコレートの起源は紀元前1900年の古代マヤ文明で彼らはカカオからビターな飲み物を作り出しました。この飲み物は1544年にドミニコ会の宣教師に伴われたマヤの貴族達のスペインのフェリペ皇太子への献上品でした。作曲家のスカルラッティは1729年にバラバラ妃に随伴してスペインに移住しましたのでチョコレートを飲む習慣に馴染んだようです。↑ホットチョコレートのカップ1712年のロンドンで活躍していたヘンデルはホットチョコレートを好み使用人が毎朝運んでいたというエピソードが残っています。ショパンの大好物でもありジョルジュ・サンドが作る「ショコラ・ショー」に毎朝、スミレの砂糖漬を添えて楽しみました。そのチョコレートが地球温暖化のために2050年には食べられなくなるかもしれないとのニュースが流れました。サティ作曲「アー...チョコレートが高騰する?

  • 洋上の小舟

    昨日もあたたかい一日。午後は1時間ばかり草抜きでした。✨✨✨✨モーリス・ラヴェルカクテルがお気に入り自宅でパーティを開きカクテル片手に長電話を楽しむモダンな生活だったようです。ラヴェル作曲「洋上の小舟」波と小舟のイメージは葛飾北斎の冨嶽三六景の「神奈川沖浪裏」から得ています。この浮世絵には大波に翻弄される3隻の舟が小さく描かれていますがラヴェルは富士山ではなくこの舟の方に目を向けました。若い頃にかいた「水の戯れ」は精緻な水の描写でしたが「洋上の小舟」は舟を描いたのではなく周囲や社会に流される人々の悲しさや愚かしさや可笑しさを描いています。洋上の小舟

  • Hello April

    今日から4月ですね。昨日のあたたかさで桜が一気に開花しました。先週の水曜日から画像が入らなくなりましたが編集画面もだんだん使いづらくなっています。💦💦PCからは可能ですがスマホ投稿に慣れている身には面倒💦早く解決しますように。YouTubeは取り込めます。ドビュッシー作曲「春」この曲はドビュッシーがローマ賞を受賞してローマに滞在していた若い頃の作品です。ボッチチェリの「プリマヴェーラ(春)」からインスピレーションを得ています。HelloApril

  • イースター

    HappyEaster❗今日は温かい?暑い一日になりそうですね。東京は27度の予報です。神戸は20度ですが…そこでプロコフィエフの「春の精と夏の精」はいかがでしょうか。プロコフィエフ作曲バレエ音楽「シンデレラ」より組曲第2番良い一日をお過ごし下さいませ。イースター

  • 旅の思い出

    昨日は雨が上がり良いお天気になりました。芦屋川の桜はまだですが春の陽気で子供達は半袖でした。✨✨✨✨✨今夜は復活祭徹夜祭一番懐かしい思い出はフランスのソレム修道院の典礼です。ソレム修道院は世界の数ある修道会の中でも典礼が最も美しいのです。ソレムの影響を受けた作曲家は多くメシアン、バルトークストラヴィンスキーなどがグレゴリアンのリズムをとり入れています。ドビュッシーもソレムに滞在していました。パリからTGBでサブレの駅に降り立つとタクシーで10分位。アンジューといわれるこの地方はフランスの庭といわれるほど風光明媚で葡萄の名産地です。男子修道会ですので私は修道院の前にあるホテルにチェック・インします。可愛いらしく設えられたお部屋。荘厳ミサはラテン語で唱えられグレゴリアンが歌われますが磨き抜かれた歌とオルガンで...旅の思い出

  • 聖週間

    3月31日の日曜日はイースターですがこの1週間は聖週間と呼ばれキリストの受難を記念する典礼が行われます。昨夜は聖木曜日最後の晩餐を記念しました。「Ubicaritas」オラ・イエイロ作曲今日は聖金曜日良い一日を過ごせますように。聖週間

  • しあわせなサプライズ

    面白い動画を見つけました。①日本フィルハーモニー交響楽団山田和樹氏②大阪フィルハーモニー井上道義氏はお茶目にタ〜〜〜ン。③バイエルン放送交響楽団マリス・ヤンソンス氏すっごくおしゃれ!観客も一緒に満喫④サイトウキネンオーケストラ打ち合わせと違う出だしにあわてるコンマス氏小澤征爾氏が足をバタバタさせて可愛いこと。④ジャスミン・アラカワピアノ協奏曲のカデンツの中に。⑤ベルリン・フィルホルン奏者の方がお誕生日だったのですね。指揮はドュダメル氏⑥トロント交響楽団観客総出でお祝い!⑦ロサンゼルス・フィルハーモニックジョン・ウィリアムズ指揮・編曲かな?指揮者のドュダメル氏のお祝いでした。✨✨✨✨✨ツィメルマン氏のお誕生日。べートーヴェンのピアノ協奏曲第3番が始まっと思ったら…。(笑)しあわせなサプライズ

  • 子守歌

    1868年ブラームス35歳の時にウィーン音楽院の教授に就任。友人べルタ・ファーバーに次男が生まれたことを記念して「子守歌」を作曲しました。ファーバーはハンブルクでブラームスが指導していた女声合唱団の一員で親しかったようです。初演はウィーンでルイース・ドゥスレマンとクララ・シューマンによって行われました。こちらは懐かしいディズニーの「わんわん物語」1955年の制作ですが小学生の時に映画館で観ましたがこの作品の中に素敵な子守歌がありました。「ラ・ラ・ルー」子守歌

  • 誰が書いたの?

    「おもちゃの交響曲」小学校の教科書に載っていてハイドン作曲と習った楽しい交響曲です。1951年この作品はモーツァルトの父レオポルドの作曲とされるカッサシオン(全7曲)がバイエルン州立図書館から発見されそのうちの3つが「おもちゃの交響曲」と同じであったためにレオポルドの作曲との説が定着します。しかし1992年に驚くべきことが起こります。オーストリアのチロル地方のヴェネディクト会のシュタムス修道院の音楽蔵書の中から1785年に神父であったシュテファン・パルセッリが写譜した「おもちゃの交響曲」の全ての楽譜が発見されました。そこにはチロル出身のエトムント・アンゲラーが1770年頃に作曲したと記されていたのです。(゚∀゚)誰が書いたの?

  • 雨の休日

    菜種梅雨が続く中ポリーニ氏の訃報が報じられました。現代最高のピアニストのお一人。はじめてショパンのエチュードの全曲演奏を聴いた時はあまりの完璧さと精緻な美しさに唖然!打ちのめされるほどの衝撃でした。✨✨✨✨✨昨夜のクラシック音楽館は「バレエの饗宴」①東京シティ・バレエ団「ルール・ブルー」バッハモーツァルトボッケリーニバッハのパルティータのメヌエットや前奏曲、ジーグなどのピアノ演奏に合わせて絵画の中から飛びだして踊る演出。②眠りの森の美女から「グラン・パ・ド・ドウ」マリンスキーバレエより永久メイ&スチョーピン③くるみ割り人形「グラン・パ・ド・ドウ」英国ロイヤルバレエ団より金子扶生&ムンタギロフ④創作バレエ「幻灯」中村祥子&小尻健太暗い中、白い衣装が印象的。床に影が映って幻想的な美しさです。⑤新国立劇場バレエ...雨の休日

  • イタリア

    昨日は冷たい雨の一日でした。今朝も曇天ですので明るい曲を選びました。メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」です。彼は21歳の時にイタリアを旅します。ベネチア・フィレンツェ・ローマなどイタリアの自然や芸術などにメンデルスゾーンは衝撃を受けます。この上もなく温かい太陽の光・青い空・澄んだ空気。創作意欲をかき立てられた彼はローマで「イタリア」を書き始め初演は大成功でした。幸福感と躍動感にあふれた曲です。指揮リッカルド・シャイーベルリン・フィルメンデルスゾーンの父は銀行家祖父は現代のプラトンと謳われた大哲学者モーゼスという教養と資産の豊かなユダヤ人のブルジョア家庭に生まれました。受けた教育は当時としては第一級のものでした。彼は旅先で多くの風景画を残していますが少年時代から絵画の専門教育を受けていました。↑アマ...イタリア

  • 春の声

    昨日から水に漬けておいた夏ミカンの皮でピールを作りました。お紅茶と共に楽しみます!ワルツの帝王ヨハン・シュトラウス2世「美しく青きドナウ」など普墺戦争に敗れた国民を勇気づけるワルツを170曲も作曲しました。1882年親友だったピアニストのフランツ・リストとパーティで同席しますがリストの前で即興で作曲した曲が「春の声」でした。この頃のシュトラウスは新しい恋が3回目の結婚に向けて発展しつつあった時期で若々しく溢れるばかりの幸福感に満ちています。お相手のアデーレは26歳シュトラウスは62歳。のちにソプラノ歌手のビアンカ・ビアンキのためにオーケストラ伴奏付きの歌曲として発表され大成功を収めました。歌詞は劇作家ジュネの詩をもとに春の訪れを喜ぶ気持ちが表現されています。歌詞の要約は「春が来てひばりが舞い夜はナイチンゲ...春の声

  • 不倫が生んだ傑作

    ↑エリンジウム花言葉は「不倫」「トリスタンとイゾルデ」はリヒャルト・ワーグナーが作曲した楽劇です。この作品に取り掛かっていた時期ワーグナーは妻ミンナとの関係が破綻寸前でした。そんな時にワーグナーは若くて美貌の人妻マティルデと出会います。↑不倫の相手マティルデ・ヴェーゼンドンク「トリスタンとイゾルデ」は不倫が生んだ音楽史上まれにみる傑作になりましたがそれはこの作品の特徴が「調性の破壊」だったからです。転調による転調終始することなく限りなく続く転調によって展開していく無限旋律は不倫という結末の見えない愛現世では成就しない愛を表現しているかのようです。ワーグナーは純粋に自分の気持ちを音楽で表現したに過ぎなかったのですがこれは20世紀の音楽を無調という音楽に導くきっかけとなりワーグナの偉業のひとつになりました。「...不倫が生んだ傑作

  • ミルテの花

    今日は遅れに遅れての樹木の剪定です。朝8時から夕方まで一日がかり。お天気になり良かった!21歳の誕生日を翌日に控えた1840年9月12日クララ・ヴィークは裁判の末にクララ・シューマンとなりました。結婚の年シューマンの創作力はこんこんと湧きあがり「ミルテの花」「詩人の恋」などの歌曲が生まれその翌年から彼の創作意欲は交響曲に向かいます。結婚に続く数年は作曲家シューマンにとってもっとも充実した時期でした。ミルテの花花言葉「愛」「愛のささやき」↓歌曲「ミルテの花」よりくるみの木フィッシャー・ディスカウイェルク・デームスおうちの前に青々と葉を茂らせたくるみの木さわやかに軽やかに葉を広げている。枝には可愛いお花がいっぱいやさしい風が吹いてきてお花を温かく包みこむ。花たちは風に吹かれそのたびに口づけを交わす風と共に愛の...ミルテの花

  • 春へのあこがれ

    昨夜も冷たい雨夜半には風の音で目が覚めてしまいましたのでモーツァルトの「春へのあこがれ」を聴いてみました。子供の頃に歌った懐かしい歌です。歌シュワルツコップピアノギーゼキング(2‘04‘‘)ピアノ協奏曲27番の3楽章の主題を使って1791年モーツァルトが亡くなる年に作曲されました。ピアノマレイ・ペライヤ(8‘34‘‘)ドイツの詩人クリスチャン・オーヴァーベックの童詩集「フリッツヒェン」の詩が歌われています。ヨーロッパの春は5月にやってくるのです。『来てね、5月さんそして木々をまた緑にしてねそして小川の岸に小さなすみれを咲かせてね本当にお願いね私はまた、すみれを見たいのねぇ、5月さん私は本当にまた散歩に出かけたいのよ』春へのあこがれ

  • 三寒四温

    土曜日・日曜日は春の陽気でしたのに昨日は一転して冬の寒さに戻りました。アメリカの作曲家アーロン・コープランド(1900−1990)彼はリトアニア系ユダヤ人の移民の子供としてニューヨークに生まれました。8歳から作曲を始め15歳でポーランドのピアニスト、パデレフスキーの演奏を聴いて感動し音楽家になることを決心します。21歳でパリに留学。ブーランジェに師事して帰国するとアメリカ的な音楽を模索し古謡を取り入れた親しみやすい曲を作曲しました。「アパラチアの春」は1944年に書いたバレエ音楽です。オーケストラ用組曲に編曲されたのは1945年でした。「アパラチアの春」指揮バーンスタインニューヨーク・フィルアメリカ開拓時代の質素な暮らしを描いたこの曲からはアメリカの民謡が沢山聴こえてきます。コープランドはこの作品でピュー...三寒四温

  • 千人の交響曲

    ≪N響2000回定期公演≫交響曲第8番「1000人の交響曲」指揮ファビオ・ルイージ記念の演奏会らしく滅多に聴くことの出来ない演目です。一人住まいをよいことにクラシックの演奏を聴く時にはボリュームを上げます。以前はテレビをスピーカ―に繋いでいましたが一人になってからは取り外してそれなりの音量に上げて聴くことにしています。独唱者は8人。コンマスは篠崎史紀氏OBも総出で懐かしいお顔を拝見することができました。第1部「来たれ、創造主なる聖霊よ」客席から演奏するステレオ効果の金管群。第2楽章「ゲ―テ「ファウスト第2部」から最後の場」合唱とオ―ケストラの天国的な演奏が続きましたが「栄光の聖母」はオルガン席より三宅理絵さんが歌われました。素晴らしい合唱。児童合唱は全員暗譜です。マーラーが作曲を終えた時に『宇宙がふるえ、...千人の交響曲

  • 180cmを越す長身

    フランコ・コレッリ(1921−2003)1921年イタリアのイタリア生まれのテノ―ル歌手テノ―ルの貴公子(PrinceofTenore)と呼ばれ映画スターのような端正で彫りの深いマスク180cmを越える長身とスラリとした長い足で女性に圧倒的な人気がありました。輝かしい声の魅力と優れた歌唱力で主にオペラの世界で活躍しました。マリア・カラスともたびたび共演しています。オペラ「トスカ」より「星は光りぬ」(2‘25‘‘)ロ―マのサンタンジェロ城の牢獄に捕われている画家カヴァラドッシ。夜が明けると教会の鐘が鳴り刑の執行を受けるために城の屋上へと連れていかれます。カヴァラドッシはトスカと過ごした日を回想して辞世の歌を歌います。180cmを越す長身

  • 一番乗り

    今夜は久しぶりの音楽仲間との会食です。一足早く桜づくしで和食と日本酒を堪能させて頂きました。残念ながら天麩羅は写真を取り忘れました。✨✨✨✨✨小学生の生徒がこの時期に弾く平井康三郎氏の幻想曲「さくら」です。一番乗り

  • 8億人を魅了

    1990年サッカー・ワールドカップイタリア大会決勝戦の前夜祭としてローマの世界遺産カラカラ浴場で開催されたコンサートがパヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスの3人のテノ―ルが同じステージに立つ初舞台でした。その模様は世界54ヶ国に中継されて8億人が視聴しました。ルチア―ノ・パヴァロッティ声だけで人の心をわしづかみするテノ―ルで「キング・オブ・ハイC」「イタリアの国宝」と呼ばれる美声。オペラ界に君臨しソロでもド―厶球場を満員にするほどの人気ものでした。イタリアモデナ生まれプラシド・ドミンゴ研究熱心でピアノの腕前も確かでロマンチックなオペラのヒ―ロ―に相応しい端正な顔立ちと高身長に恵まれていました。スペインのマドリ―ド生まれホセ・カレーラス熱唱型のテノ―ル白血病に罹ったが奇跡的に復活し「ホセ・カレーラス国際白血...8億人を魅了

  • 乙女の祈り

    ピアノを習い始めてからバッハやハイドンモーツァルトなどの作品を教えて頂きましたが作曲家は男性ばかり。作曲は男性の仕事だと思い込んでいました。女性作曲家で音楽史に名前を残す人はきわめて少ないのですが史上初の作曲家はヒルデガルト・フォン・ビンゲン(1098−1179)という預言者で女子修道院長だった人物とされています。女性として初めてオペラを書き残したフランチェスカ・カッチーニその後ナンネル・モーツァルトやファニー・メンデルスゾーンクララ・シューマンアルマ・マーラーなどが作曲していました。彼女達の才能は弟や夫との影に隠されながらも伝えられてきましたが残念ながら出会うチャンスなく過ごしていました。「乙女の祈り」の作曲家が女性だと知ったのはずっとあとのこと。ポーランド生まれのテクラ・バダジェフスカ。18歳の時に書...乙女の祈り

  • シノーポリ

    冷たい雨の午後「徹子の部屋」のゲストは堺正章さんでした。お父さまはコメディアンの堺駿二氏。新宿コマ劇場で公演中に急逝されたお話を伺いました。音楽の世界では指揮台上で亡くなったマエストロがいらっしゃいます。ヴェルディの「アイーダ」を演奏中に心筋梗塞に襲われ亡くなられたのはイタリア出身のジュゼッペ・シノーポリ氏。パドヴァ大学で心理学と脳外科を学び学位を取得。指揮者・作曲家として活躍されていました。死の直前に考古学の学位も取得。明るくて料理もお得意なマエストロ。54歳でした。「アイーダ」の前奏曲リカルド・厶ーティ(3‘34‘‘)シノーポリ

  • 万博の赤字

    小雨の朝裸木に沢山の鳥たちが集まってきてペチャ・クチャ賑やかなおしゃべり。何か良いニュースでもあったのかな。✨✨✨✨✨1873年にシュトラウス2世は「ウィーン気質」を作曲フランツ・ヨ―ゼフ1世の長女ギ―ゼラとバイエルンの王子レオポルドのために作られた曲で4月に楽友協会で開かれたた宮廷オペラ舞踏会で初演されました。又、この年には5月1日―10月31日までウィーン万国博覧会が開催されましたがプラ―タ―公園に設けられた会場は4年前に開かれたパリ万博の5倍の広さでした。↑メインパビリオンの大ド―厶シュトラウス2世も万博成功のためにワルツ「わが家で」を作曲して初演しています。しかし万博初日の5月1日、ウィーンは季節はずれの寒波と風雨に見舞われます。悪天候は5月いっぱい続きその間に株価が暴落して景気は一変しコレラの流...万博の赤字

  • パンとワイン

    休日の午後はピアノを弾きながらお肉をグツグツ煮込みました。ビゴのバケットと赤ワイン。クラシック音楽館はファビオ・ルイ―ジ指揮①交響曲100番「軍隊」ハイドン作曲②ピアノ協奏曲第1番リスト作曲ピアノ独奏はアリス・紗良・オット真っ赤なドレスにやはり素足です。ペダルが冷たくないかと心配になりますが優雅にオケとアイ・コンタクトを取りながらの演奏。とても面白い!14歳で弾いた大好きな協奏曲だそうですが、私の先生も同じ頃に弾かせて下さいました。トライアングルで始まる3楽章がお洒落で好きです。4年前に多発性硬化症を発症されました。チェリストのジャクリーヌ・デュプレがかかった病気ですが今のところ無症状が続いているそうです。病を乗り越えて演奏される姿に涙ぐみましたがステ―ジの出入りはなんと軽やかな駆け足!アンコ―ルはグノシ...パンとワイン

  • サラサ―テ

    今日はヴァイオリンの名手サラサ―テがスペインのパンプロナで生まれた日です。8歳で演奏会を開き10歳の時にはマドリ―ドの宮廷でイザベラ女王の前で演奏してストラディバリウスを下賜された上に女王陛下の援助でパリ音楽院に留学させてもらいました。サン・サ―ンスから「序奏とロンドカプリチオ―ゾ」「ヴァイオリン協奏曲第3番」から献呈されています。ドヴォルザークからは「マズルカ」など多くの作曲家からヴァイオリン曲を捧げられました。サラサ―テ自身の作曲は「ツィゴィネルワイゼン」で管弦楽伴奏付きのヴァイオリン曲です。「スペイン舞曲」や「バスク奇想曲」などスペイン風の情緒溢れるメロディーが特徴です。1883年に作曲されたヴァイオリン独奏と管弦楽のための作品「カルメン幻想曲」はビゼ―のオペラ「カルメン」のモチ―フによる演奏会用の...サラサ―テ

  • 白内障

    眼科検診に伺いました。20年ほど前から遠近両用のコンタクトを使用しています。白内障が進んできましたが手術すると明るく見えるようになりコンタクト使用時と同じくらいの視力がでると説明を受けました。現在、使用中のコンタクト4.75は細かい譜面はとても良く見えますが少し離れたTVの画面の字が読みづらいと申し上げると3.5の度数のものを試してご覧なさいと勧めて下さいました。3.5にするとTVの画面がはっきり見えるではありませんか。以前の視力に戻っている?いよいよコンタクトの度数が限界にきていたので手術が必要かもと考えていましたが先伸ばしになりそうです。✨✨✨✨✨1685年の同年生まれのバッハとヘンデル晩年の同じ頃にイギリスのジョン.テイラ―という眼科医に白内障手術を受けて失敗失明しました。↑ジョン・テイラ―白内障

  • ミモザの日

    今日はミモザの日。イタリアでは男性から普段お世話になっている女性にミモザをプレゼントする習慣があり「ミモザの日」とも呼ばれています。そして3月8日は国連によって定められた「国際女性デ―」こんな1曲はいかがでしょうか。プッチ―の初期の出世作「マノン・レスコー」そのオペラの中に修道院に入ろうとする純情な娘マノンを目にして瞬時に恋に落ちた若い騎士デ・グリューが歌う美しいアリアがあります。「なんと素晴らしい美人」パヴァロッティ(3‘02‘‘)そのデ・グリューとの貧しい生活に耐えきれずマノンは兄から紹介された裕福な老人の庇護を受けることになりますがそんな豪華な暮らしに飽きてしまうのです…。ミモザの日

  • 『フィラデルフィア』

    2月に戻ったかのような寒さでしたが晴れ間が戻ってきてあたたかくなりました。寒い時には買物にも出かけずビ―フシチューを煮込んだり粕汁を作ったりとキッチンで過ごしていましたがそろそろ冷蔵庫のお野菜も終わりですので今日は買物ディです。昨日は久々の休日になりましたのでBSの映画を観ました。『フィラデルフィア』エリ―ト弁護士アンドリュ―はエイズに罹患し解雇されます。エイズ患者への不当な差別として訴訟を決意します。トム・ハンクスの痩せ衰えた姿での演技の凄さ。この映画ではデンゼル・ワシントンが普通に見えてしまいました。圧巻はアンドリューがマリア・カラスの歌うアリアにのせて死に直面している心情を語る場面。マリア・カラス「Lamammamorta」ジョルダーノ作曲オペラ「アンドレア・シェニエ」フランス革命が舞台です。主人公...『フィラデルフィア』

  • 『パイプのけむり』

    昔の愛読書のひとつにパイプのけむりがありました。作曲家の團伊玖磨氏が36年間書き続けられた随筆1842本です。今でも覚えているのがシラミの歌。戦争中、陸軍音楽隊の上等兵だった團氏と芥川也寸志氏。ある日の午後、虱が一匹、机の上を這い回っているのを見つけました。シラミは音階になっているところから2人で作曲?「ソラソラシラミ」「ドラドラシラミ」「ミレドミレドシラミ」「シ・ラ・ミっ!」大笑いした楽しい思い出です。團伊玖磨氏は上皇さまと上皇后さまのご成婚のときに『祝典行進曲』を作曲されました。『コンサート用の優雅な曲想の行進曲を作曲してこれからの希望あふれる日本を祝福したかった』と語られていました。初演はご成婚の日の夕方国立競技場での「皇太子さまご結婚お祝いの夕」で陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊、警視庁、東京消...『パイプのけむり』

  • 超スロー!

    昨日は歯科健診にお伺いしました。虫歯は無いとのことでクリーニングが始まりました。顔は柔らかなタオルで覆われていて真っ暗ですが耳には優しい音。聴き覚えはあるけれど何の曲?しばらくしてシュ―べルトだと気づきました。(笑)シュ―べルト「楽興の時第3番」シュ―べルトが亡くなる年に書いたシンプルで可愛らしい曲が別物に変身です。ポップな音でしかも原曲がわからないほどの超スローテンポ。(笑)確かにリラックスできますね。❣️超スロー!

  • 躍動感溢れて

    ひな祭りの夜はチラシ寿司。少し物足りないので小海老のフライとお吸い物。あとはチーズとシャンパンでクラシック音楽館でした。前半は「ヘンゼルとグルーテル」前奏曲指揮はファビオ・ルイージ。うすもやのかかる森の朝を思わせるホルンのやわらかな音色で始まりました。🥀🥀🥀🥀🥀後半のプログラムはベルリオーズの「幻想交響曲」①1楽章「夢、情熱」②2楽章「舞踏会」③3楽章「野の夢」④4楽章「断頭台への行進」⑤5楽章「魔女の夜宴の夢」ファビオ・ルイージの端正な指揮で美しい。4楽章からラストに向かっての演奏は管楽器の「ディエス・イレ」の旋律の凄さ。迫力満点の演奏で「ブラヴォー」が響き渡りました。躍動感溢れて

  • 3月3日

    今日はおひなさま。昨日は雪が舞っていましたが今朝は少しあたたかくなりました。✨✨✨✨✨カロリーネ・ヴィトゲンシュタイン夫人1847年36歳のリストのコンサートを聴きにきた8歳年下の大地主カロリーネ・ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人がリストの才能に深く感動します。リストは彼女の深い教養ともの静かで控えめな態度に魅せられます。ワイマールの宮廷指揮者に招かれていたので先に移住し間もなくカロリーネを呼びよせました。2人の住む館にはヨーロッパ中から芸術家が訪れるようになりました。聡明なカロリーネはリストに演奏活動よりも作曲に身を入れるように助言します。彼は2曲のピアノ協奏曲や「ピアノソナタ」を書きあげ更に「交響詩」というジャンルを創り上げ「前奏曲」を作曲しました。ベルリン・フィル「前奏曲」(3‘06‘‘)リストはカロリ...3月3日

  • くじ運

    昨日の午前中は芸術文化センターの抽選会でした。ラッキーなことに3番を引きあてて春休みの土曜日に演奏会ができることになりました。✨✨✨✨✨ゲオルク・フィリップ・テレマン独学で音楽を学び4000曲以上を作曲しました。1702年ライプツィヒに演奏団体「コレギウム・ムジクム」を創設してオーケストラをつくってコンサートを行いオペラ座の音楽監督に就任しました。20代前半ですでにマルチプレーヤーでした。中でもよく知られているのがターフェル・ムジーク(食卓の音楽)で楽しさに溢れた組曲、四重奏曲、協奏曲などで構成される祝宴や饗宴のための音楽です。饗宴は富と権力の見せ場で豪華に飾りつけた食卓で洗練された給仕は大切なパフォーマンスでした。ロースト肉を切り分けるのは見目麗しい身分の高い貴族の若者で彼らは優雅な肉の切り分け方を練習...くじ運

  • ファツィオリ

    昨日は滋賀県までファツィオリのフルコンサート弾きにお伺いしました。ショパン・コンクールでブルース・リュウが弾いた楽器です。べーゼンドルファやスタインウェイとは全く違う弾き心地とホールの響きは格別でした。チッコリーニ氏のサイン↓✨✨✨✨✨✨今日はショパンの誕生日。ワルシャワ音楽院在学中に『諸君、脱帽したまえ天才だ』とシューマンに言わしめた飛びぬけた天才であったショパン。しかし1829年にウィーンでコンサートを開いた時には才能は評価されたものの注目されるにはいたりませんでした。「シュトラウスのワルツという太陽が全てを翳らせてしまう」となげいたようです。その後、パリへと渡って行きますが「ピアノの詩人」と呼ばれ世界中のピアニストから愛され続けています。薔薇ショパンファツィオリ

  • ローン・レンジャー

    今日で2月も終わり。早かったですね。そして2月29日はロッシーニの誕生日です。イタリアのオペラ作曲家で軽妙洒脱で喜劇性の高い作品(オペラ・ブッファ)を次々と発表しましたが40作目のオペラ「ウィリアム・テル」を発表後、引退しました。絶頂期真っ只中でしたが引退の理由は美食と料理で大好きなトリュフを探す豚を飼育するためでした。(゚∀゚)彼はすでに築いた巨万の富でパリにサロンを開きましたが彼の名の付いた数々のレシピが残っています。トゥルヌドロッシーニロッシーニカクテル彼の最後の作品である「ウィリアム・テル」序曲日本では運動会の定番曲として親しまれてきましたが1958年からTVで放映されていた「ローン・レンジャー」のテーマ音楽でしたのでとても懐かしいです。ローン・レンジャー

  • お菓子の家

    ヨーロッパではクリスマスの時期に「ヘンゼルとグレーテル」のオペラが上演されます作曲はフンパーディンクでライン川の支流ジークブルクに生まれケルン音楽院で学んだのちイタリアに留学しました。イタリアではワーグナーに出会いバイロイトで「パルジファル」の上演の助手をつとめてワーグナーの仕事から多くのものを学びます。「ヘンゼルとグレーテル」の作曲のきっかけは妹から夫の誕生日に子供達が演じるための音楽を依頼されたからです。グリム童話の残酷な部分をのぞいて明るい台本を書いたのは依頼した妹でした。森の朝を思わせるホルンの音色で始まる序曲子供から大人までハッピーになれるオペラです。初演はリヒャルト・シュトラウスの指揮で行われました。唯一のメルヘン・オペラでドイツ圏では現在でも上演回数上位の人気作品です。「ヘンゼルとグレーテル...お菓子の家

  • エリザベートと美しく青きドナウ

    革命後の不安定なオ―ストリア帝国の皇帝に18歳で即位したフランツ・ヨ―ゼフ。一目惚れを実らせて妃に迎えたのが16歳の美貌の皇妃エリザベートでした。身長は172cm、ウエスト51cm体重45kgの体型を保つために激しいトレーニングとダイエットにのめり込みますがお菓子も大好きでした。エリザベートはハプスブルク家の家風や厳格な宮廷が肌に合わずさまざまな口実を見つけてはウィーンを離れて旅を続けていました。彼女はハンガリ―で人気があり彼女自身もハンガリ―贔屓でした。エリザベートが愛したハンガリ―の陶器ヘレンド↓1867年オーストリアがプロイセンとの戦争に負けて落ち込んでいる国民を励ますためにシュトラウス2世が「美しく青きドナウ」を作曲しました。同年の4月―10月にかけて開かれた第2回パリ万国博覧会でシュトラウス2世...エリザベートと美しく青きドナウ

  • 莫大な財産を後ろ楯に。

    ヨ―ロッパのルネサンス時代にドイツで大きな出来事がふたつ起こりました。ひとつはグ―テンベルクの活版印刷、もうひとつはルターによる宗教改革でした。この頃に活躍した作曲家がジョバンニ・ダ・パレストリーナでした。サン・ピエトロの聖歌隊の楽長として11人の教皇に仕えます。最初の妻が世を去り宮廷出入りの裕福な毛皮商の未亡人と再婚し莫大な財産と土地と家を手に入れます。100以上のミサ曲と250曲を超えるモテットを書いて「教会音楽の父」と呼ばれカトリック教会ではグレゴリオ聖歌に次いで重要視されています。ルターによる宗教改革でカトリック教会に対する批判の動きはヨ―ロッパ各地にひろがりカトリック教会の普遍的な権威はゆらぎますがカトリックもこれを機に教義の明確化と内部改革をおこないます。パレストリーナの≪教皇マルチェルスのミ...莫大な財産を後ろ楯に。

  • 紳士の国の紳士

    近代イギリスの音楽の父サ―・エドワ―ド・エルガ―ほぼ独学で作曲を学びました。大作曲家にはワイルドで奔放な人生を生きた人が多い中、エルガ―は愛妻家で紳士でした。1899年「エニグマ変奏曲」の初演の大成功で世界的に有名になります。当時の国王エドワ―ド7世は母ヴィクトリア女王が長寿であったため58歳まで皇太子でした。彼はヨ―ロッパ中で浮き名を流し放蕩息子で過ごしたことで有名でした。ヴィクトリア女王の崩御に伴い王位に就くことになったエドワ―ド7世の戴冠式のガラ・コンサ―トへの楽曲の依頼を受けたエルガ―は「威風堂々」第1番を作曲します。初演を聴いたエドワ―ド7世はたいそう気に入り「中間部分のメロディーに合唱を入れては?」と提案しました。翌年の国王の戴冠式。「戴冠式頌歌」の終曲の「希望と栄光の国」に威風堂々のメロディ...紳士の国の紳士

  • シャム猫達

    中学生のお嬢さんがラヴェルの「水の戯れ」の練習をしています。「無理しないで。」と言っていますが少しずつ譜読みするのが楽しいようです。✨✨✨✨✨ドビュッシーとラヴェルは近代フランス音楽の代表的作曲家です。1901年に完成したラヴェルの「水の戯れ」は音楽史上初の印象主義の手法による作品でした。ラヴェルより13歳年上のドビュッシーが完全な印象主義の手法による初の作品「版画」を書いたのはその2年後でした。ドビュッシーは幼い頃から感受性が強く異常なほど神経質でした。上等な版画や書物に囲まれていなければ我慢できずプライバシーを頑なに守り知らない人と同席すると落ち着かなくなりました。人間よりも猫が好きでシャム猫を飼っていました。✨✨✨✨✨そしてラヴェルはもっとも凝り性で洗練された作曲家でした。ダンディで一分の隙もない身...シャム猫達

  • レモン アイスクリーム

    4月並みのあたたかさと思ったら一転して冬の寒さに逆戻り。着るものに迷いますね。昨日は厚めのジャケットにロング・ブ―ツで出かけました。手袋を片方落としたので買いに出かけましたが靴売り場にも寄り道です。✨✨✨✨✨ウィーン郊外リヒテンタールに生まれたシュ―べルト。子供の頃から抜群の才能を発揮して8歳で難関の国立神学校コンヴィクトの試験を受けます。この学校はアントニオ・サリエリの指導下にありウィーン楽友協会音楽院の前身校でした。試験官の一人であるサリエリはシュ―べルトに一番をつけています。サリエリは異例の要請を行い寮の外出禁止の規則を特例で免除して週に2度サリエリの自宅でレッスンを受けられるようにはからいます。15歳のシュ―べルトはサリエリの熱心なレッスンを受けたあと甘いものの好きなサリエリと共にグラ―ベン通りの...レモンアイスクリーム

  • ピ―チ・メルバ

    ワ―グナ―のオペラ「ロ―エングリン」結婚式でお馴染みの「結婚行進曲」が演奏されるオペラです。初演はリストが指揮しましたがパトロンであるル―ドヴィヒ2世のお気に入りの作品でした。✨✨✨✨✨アントワ―プを治めていたブラバンド公の息子ゴットフリートは魔法使いに白鳥の姿に変えられてしまいますがゴットフリートを殺害したと妹のエルザがぬれぎぬを着せられます。エルザが自分のために戦ってくれる勇者を探していたところ謎の騎士(ロ―エングリン)が現れエルザとの結婚と自分の素性を聞かないことを条件に助けてもらいます。約束通り二人は結婚することになりますが結婚式を終えたエルザは謎の騎士に素性を聞いてしまうのです。謎の騎士は「ロ―エングリン」と名前を明かしますが約束を破られたためエルザの元を去ります。去り際、ロ―エングリンは白鳥に...ピ―チ・メルバ

  • マーマレード

    夏ミカン3個でマーマレードを作りました。今朝はトーストとマーマレードの朝食です。↑朝食といえば懐かしい山の上ホテルが閉館です。カザルスホールや文京シビックホールの時に宿泊しました。夕食はカウンターの天麩羅がとても楽しみでしたが若かったのですね。(笑)✨✨✨✨✨ゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデル↑(薔薇ヘンデル)25歳の時にハノーファーで宮廷楽長として仕えていましたがその職を捨ててイギリスに渡ります。2週間で書き上げたオペラ「リナルド」が大成功をおさめ、アン王女から厚遇を受けてロンドンに居着いたのです。アン王女が急逝し、ハノーファー選帝侯ゲオルグがジョージ1世として即位します。ヘンデルは船上で「水上の音楽」を演奏しましたが巧みな演出で王に気に入られ宮廷付きの音楽家となりオペラのプロデュース業でも名声を得ました...マーマレード

  • パリのサロン

    ↑バロン・ド・ロスチャイルドドイツのフランクフルトに生まれたユダヤ人マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが開いた銀行はヨーロッパの主要都市に拠点を構えて19世紀には世界最大規模となり桁外れの巨大財閥に成長します。ビジネスで得た莫大な資産で芸術を庇護しサロン文化の中心的な存在となりました。サロンでは女主人が取り仕切る場合が多く食事や飲み物が出され音楽演奏、政治や芸術談議などが行われましたがロスチャイルド家のサロンは当時パリに多数存在したサロンの中でも最上級でした。屋敷を改装して40人編成のオーケストラが演奏できる舞台を持ち3000人収容可能な舞踏会場を作ります。当時、人気絶頂だったリストの演奏会を開き料理やお菓子でもてなしました。リストがニコロ・パガニーニの演奏を聴いて自らも超絶技巧を目指しますがその演奏を...パリのサロン

  • ウィーン楽友協会ホール

    ドイツのお土産に頂いたシュトレン。一口サイズで柔らかくてとても美味しいです。3月末までの日持ちということはイースターまでを意識してなのかしら…✨✨✨✨✨✨クラシック音楽館は追悼マエストロ小澤征爾2002年ニューイヤーコンサートのダイジェスト版です。指揮棒を持たないで指を自由自在に操り目からも顔からもビー厶が出ている❗全曲、頭に入れていて譜面台には曲順を書いた小さなメモが置いてあるだけ。ウィーン・フィル相手に「ウィーンかたぎ」も小澤ワールド全開。凄い❗中央の座席に美樹夫人、征良さん、征悦氏楽しそうな様子が何度も映し出されました。✨✨✨✨✨この楽友協会の大ホールは27年前から毎年多くの合唱団と共に弾かせて頂いた懐かしいホールです。客席はこんなに満席ではなくお花はありませんが名演奏が染み込んでいるホールの響きに...ウィーン楽友協会ホール

  • 初恋の味

    ルードヴィヒ・ヴァン・べートーヴェン1770年ドイツ西部の町、ボンで生まれました。父ヨハンは宮廷歌手として働いていましたかお酒が好きで毎日浴びるほど飲んでいました。母のマリア・マグダレーナは料理上手でしっかりものでしたが肺病で世を去ります。その時に往診に来てくれた医学生ヴェーゲラー。ルードヴィヒより5歳年上でしたが生涯切り離せない友情で結ばれます。母親の死後はヴェーゲラーからブロイニング家の子供達にピアノを教えてほしいと頼まれ多くの時間をブロイニング家で過ごしました。当主は若くして未亡人となったヘレーネでルードヴィヒを我が子のように扱い遊びに連れていったり礼儀作法、ドイツ文学、ラテン語の初歩も教えました。哲学書や文学書が揃うブロイニング家でルードヴィヒはゲーテやシラーの詩に出会います。ブロイニング家は彼に...初恋の味

  • 愛犬家

    リヒャルト・ワーグナー利己的で尊大しかし革新的で魅力的な天才作曲家です。彼は詩、音楽、絵などあらゆる芸術の一体化を目指しました。しかし初めは苦難の連続で借金まみれのワーグナーは妻ミンナを連れて逃亡を企て一旗揚げようと花の都パリへ行くことを決めます。しかし60kg近い巨大な愛犬のせいで馬車に乗ることができないのです。それでも犬を絶対に手放そうとせずにロンドンまで船に乗りそこから又、船でパリに向かうことにしました。ようやく乗り込んだ船が大嵐に見舞われ難破寸前になり地獄のような船旅を体験しますが何とかパリに到着します。この経験により出世作になる「さまよえるオランダ人」が作られたのです。≪さまよえるオランダ人≫ベルリン・フィル指揮クラウディオ・アバド(3‘08)このように亡命生活で各地を移動するときもコジマと再婚...愛犬家

  • ミドルネームはヴォルフガング

    昨夜のクラシックTVは若い演奏家達。ピアノにヴァイオリンチェロの演奏でしたが特に印象に残った曲はコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲の第1楽章でした。エーリッヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト20世紀のモーツァルトと讃えられ子供の頃から才能を存分に発揮してウィーンの音楽界に確固たる地位を築きます。10歳で書いたカンタータ≪金≫はマーラーに絶賛されR・シュトラウスは14歳で書いた管弦楽曲≪演劇序曲≫と≪シンフォニエッタ≫を手放しで褒めました。18歳で書いたオペラ≪ヴィオランタ≫プッチーニを感動させます。23歳で作曲したオペラ≪死の都≫はヨーロッパ中の話題になり30歳でウィーン国立アカデミーの作曲科教授に就任しました。そんな輝かしい人生に影が射します。ナチス・ドイツのオーストリア併合に伴いアメリカに亡命。疎開先に選...ミドルネームはヴォルフガング

  • ボンボン・ワルツ

    昨日はバレンタイン・ディ。可愛いチョコレート❣️を頂きました。(*^^*)✨✨✨✨✨ヨハンシュトラウス2世「ボンボンワルツ」op.307ウィーンの祝祭舞踏会でパウリーネ・フォン・メッテルニヒ侯爵夫人に献呈されました。彼女の夫はパリのオーストリア大使でありヨハン・シュトラウスとヨーゼフ・シュトラウス兄弟がパリで開催される万国博覧会に出席することを望んでいました。そしてヨハンはパリのオーストリア大使館でガラ・コンサートを指揮することになりましたがその時のオーケストラがのちのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が誕生するきっかけとなるのです。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が1900年のパリ万国博覧会に参加するときにはパウリーネ・フォン・メッテルニヒ夫人から支援を受けて初めての海外ツァーを行いました。世を去る少...ボンボン・ワルツ

  • 親の七光り届かず

    ↑モーツァルテウムフランツ・クサ―ヴァ・モ―ツァルト1791年、ウィーンに生まれました。モ―ツァルトの息子ですが彼が生まれて4ヶ月後に父親は世を去ります。母のコンスタンツェは息子を一流の音楽家に習わせてウィーンで勉強させました。父モ―ツァルトのピアノを作った職人でもあるシュトライヒャ―、父の弟子の一人であるフンメルウィーン音楽界の重鎮のサリエリなどウィーンの音楽界が総出でサポートしましたので青年時代までは良かったのですがその後は教授陣から教わった流行遅れのスタイルが影響したのか名声を得ることは出来ませんでした。1841年ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの没後50年の年にモーツァルテウム(現在の音楽大学)が設立され母のコンスタンツェは初代楽長は息子にと思っていましたが願いはかなわず53歳で世を去りま...親の七光り届かず

  • 連休

    1月はお正月以降毎週、東京泊りでハイ・テンションで過ごしましたが年ですね。疲れは1週間後にやってきました。右肘と左肩・首の痛みでブログも連休?です。腰痛にもドキッとしましたがこれは思いがけない方法で治りました。2度目の東京行き新幹線。京都を過ぎたあたりですでに腰が痛い。スマホで検索した結果椅子に角度をつけるとよくないことがわかり背もたれを倒さず太い大きなベルトをウエストに巻いた事で腰痛解消しました。肩や腕は日薬でしょうか。🥀🥀🥀🥀🥀昨夜、レッスンにやってきたお嬢さん。学校コンサートを終えたばかりですが又、新たな伴奏を引き受けてきました。今日の音楽の時間に弾くそう。「美女と野獣」1時間たっぷり楽しんで帰りました。ピアノ清塚信也連休

  • 訃報

    先日、ピアニストの江戸京子さんの訃報を知ったばかりでしたのに昨日は小澤征爾氏。中学生の頃から憧れていた指揮者が世を去られ寂しい限りです。目覚ましがいつ鳴るのかと思われるくらい長い夜になりました。訃報

  • 年に一度

    ドイツから帰国している方がレッスンにおいでになりました。レッスン後はご主人も加わりランチ・タイムです。焼き立てのビゴのパンのガーリック・フランス、明太子フランスにアン・プー・ドゥのふわふわのエッグ・コッペを召し上がって頂きました。デザートはダニエルのケーキ。混雑のまえに買うことが出来てラッキー。✨✨✨✨✨バッハ家の始まりはファイト・バッハという人物でボヘミアのドイツ系移民で白焼きパンの職人でした。プロテスタントでしたのでカトリックの迫害から逃れてルターの地である中部ドイツに落ち着きます。無類の音楽好きで仕事の傍らチターを手放しませんでした。その子供たちもパン職人をしながら音楽の修行に励んで町の楽士になります。さらにその子供達の中には教会のオルガン奏者を務めるものも出てきます。ヨハン・セバスティアン・バッハ...年に一度

  • 水仙 サー・ウィンストン・チャーチル

    今頃、五十肩?左腕が全く上がりません。右肘と首の痛みで今日はダウン。BSで「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」を観ました。✨✨✨✨✨✨若き日のチャーチル。この写真は良く覚えています。チャーチルは絵が上手くパブロ・ピカソは「チャーチルは画家としても充分食べていけるだろう」と言っていたそうです。約830万ポンド(12億4000万円)で落札されたチャーチル作の絵画「クトゥビーヤ・モスクの塔」チャーチルが第2次世界大戦中に米国のルーズベルト大統領に贈った絵ですが複数の人の手に渡ったあと米女優アンジェリーナ・ジョリーのコレクションになっていました。水仙サー・ウィンストン・チャーチル

  • ぶっつけ本番

    1789年のフランス革命で多くの教会が破壊されました。19世紀のフランスでは国が資金を提供して各地で新しい教会が作られていましたがそれに合わせてパイプ・オルガンも制作されることになりました。この時代に活躍したのがオルガン制作家のアリスティド・カヴァイエ・コルでした。コルは音の強弱が操れるようにあるいはオルガン1台でオーケストラの音色が出せるように改良したのです。先日、東京の教会で弾かせて頂いたオルガンは真新しいフランス製のオルガンでしたがこの機能が無くてデリケートな音は出せないのです。急遽、本番にはリードオルガンを使う事にしました。しかしお客様はパイプオルガンの音色を楽しみにしておられるとのこと。開演2分前に突然、ソロのリクエスト❗無茶振りでしたがオルガンへの階段を上がりながら曲目を考え💦...ぶっつけ本番

  • 弦が切れて!

    ↑チェコの国花菩提樹交響曲「新世界より」を作曲したチェコのボヘミアに生まれたアントニン・ドヴォルザーク音楽家でもあったドイツ語の先生が彼の音楽の才能に気づきます。息子を家業の肉屋にしようとする父親を説得しプラハのオルガン学校に進学できるように取り計らってくれました。プラハの管弦楽団にヴィオラ奏者として入り沢山の音楽を演奏する機会に恵まれます。音楽の手ほどきを受けると同時に常に音楽の現場に身を置いていました。オーストリア政府の奨学金を得るため交響曲第3番を提出しますがこれが審査員の1人であったブラームスの目に留まり強力な推薦を得て奨学金を獲得したほかブラームスの紹介で≪スラブ舞曲集≫を出版しますがヨーロッパ中で大ヒットしたのです。ブラームスとドヴォルザークの兄弟のような付き合いはこの時から始まりました。すべ...弦が切れて!

  • 余韻の中で…

    休日の朝は少しゆっくり起きて演奏会の余韻に浸りながらゆったりとした時間を過ごしました。ベルギー・ワッフルトースターであたためました。2枚も頂いてしまったあとの写真です。素敵な薔薇の花のチョコレート。✨✨✨✨✨夜のクラシック音楽館は後半のシベリウスの交響曲第1番から楽しみました。指揮はユッカ・ペッカ・サラステ最後はサラステの過去の演奏から①「トゥネラの白鳥」シベリウス作曲②「カンツォネッタ」シベリウス作曲③「悲しいワルツ」フィンランド出身の指揮者ですので母国語を話すように自然に音楽が流れてしかもクール。お若い頃よりも現在の方が断然、素敵でした。今日はお休みしたレッスンの補講で夕方から夜までびっしり。💦💦余韻の中で…

  • あっと言う間に。

    楽屋に荷物をおいてすぐにリハーサル開始。リハーサルが始まると終演まではあっと言う間。あたたかい沢山の拍手頂いて無事に終了しました。以前はステーキを頂いたりしっかり栄養補給して本番にのぞんでいましたが最近は年のせいでしょうか。お腹一杯だと集中できないので水分を取るくらいにしています。打ち上げで乾杯したあと帰りの新幹線でビールとともにゆっくり一人宴会(笑)となりました。あっと言う間に。

  • 今日は本番

    昨日、東京入りしました。今朝、カーテンを明けると青空ですがガラスが雲っていてとても寒そう。9時にホール入り。どうか良い演奏会になりますように。今日は本番

  • その後…

    学校のコンサートが無事に終わったと断崖君のお母さまから連絡が入りました。✨✨✨✨✨一日早く「月光」のソナタを演奏したお嬢さんは今までの弾いた中で一番気持ち良く弾けたそうです。終わってしまうのが残念だと思うくらい楽しかったと息をはずませながら報告してくれました。そして「こんなダサい曲弾きたくない」とむくれていた断崖君。本番前日のレッスンは今までにないくらい綺麗な仕上がりでしたが本人は気になるようで何回も弾いては前奏の音色やペダリング遠くに消えていくようなパッセージなどを確認していました。(゚∀゚)日頃、運動部で活躍していますがピアノが弾けることを音楽の先生も友達にも内緒にしていたようで皆は吃驚❗「完璧だったと自画自讃です」とのお母さまからのメッセージに大笑いしてしまいました。鼻高々でやってくるであろう断崖君...その後…

  • 冬の旅

    能登半島の地震で大変な幕開けとなった1月も終わり今日から2月。✨✨✨✨✨シューベルト作曲の「冬の旅」は最晩年に書かれた傑作歌曲集です。シューベルト自身が死を意識しながら作ったといわれる曲集で恋に破れた青年が生きる望みを失いあてどもない旅に出るのですが全曲は24曲からなっています。この歌曲集を半分まで書いたときに友人達を自宅に招き出来上がったばかりの作品を聴かせたところ内容があまりに暗すぎるので仲間達は当惑したと言われています。しかしシューベルトは「いや、今に君たちもきっとこの歌の良さがわかるようになる」と言っていたそうです。シューベルトの万感の思いが込められた「冬の旅」は彼が世を去ったあとにようやく出版されました。🥀🥀🥀🥀🥀ち...冬の旅

  • 世界を二分した人気者

    レナ―ド・バ―ンスタイン20世紀後半のアメリカを代表する作曲家です。交響曲や合唱曲、声楽、器楽、クラシックやポピュラーを問わず沢山の作品を書き世界中で活躍した指揮者でありピアニストでした。ウクライナ系ユダヤ人の移民の子供として生まれ文化的ではない家庭環境でしたが10歳からピアノ習い始めハ―バ―ド大学に進学。卒業後はカ―ティス音楽院でピアノ・指揮・作曲を学びますがこの頃の興味は指揮だったようです。↑タングルウッドマサチューセッツ州のタングルウッドで指揮者ク―セヴィッキ―に認められニューヨ―ク・フィルハ―モニ―の副指揮者として招かれますがブルーノ・ワルタ―という大指揮者の代役で大成功を収めカラヤンと並ぶスター指揮者となりカラヤンと共に世界を二分する人気指揮者となりました。レナード・バーンスタインヘルベルト・フ...世界を二分した人気者

  • 料理上手

    ↑薔薇の花(エクセレンツ・フォンシュ―ベルト)昨日は久しぶりにビ―フ・シチューを頂いて思い出したのがグラッシュでした。フランツ・シュ―ベルト音楽好きの父は学校を経営し校内のホ―ルで演奏会を開いていました。母は元料理人で家庭でも美味しい料理を時間をかけて作っていました。そんな母の姿を見ていたからでしょうか。友達や仲間を呼ぶ時には必ず自分で料理したようです。グラッシュを手間をかけて作っていましたが仲間達には大評判だったようです。美味しい食べ物が大好きでワインを飲みすぎるので肥満気味。ついたあだ名は「マッシュル―ムちゃん」31年の短い生涯でしたが神々しい美しさを表現した作曲家でした。クリムトが描いたシュ―ベルト料理上手

  • ホ―ル練習

    朝9時からオルガンのレジストレーションでした。今夜はオ―ケストラの演奏会でしょうか。ステージ上に準備しています。✨✨✨✨✨✨遅目のランチは東京駅で牛頬肉のビ―フシチューとカニクリームコロッケに赤ワインとパンをプラスして頂きました。あとは新幹線で爆睡です。💦💦富士山が雲の中に隠れているのを確認して安心して眠りました。(笑)ホ―ル練習

  • 放浪の旅

    今朝は早起きしてミサのオルガンを弾かせて頂きました。午後はレッスンを終えたあと東京に向かいます。雨の予報ですが電車、新幹線を乗り継ぎホテルまで雨でも雪でも濡れずに到着予定ですが万が一を考え前日入りします。✨✨✨✨✨旅好きの作曲家はサン・サ―ンス。39歳の時に19歳のマリ・ロ―ル・エミリと突然、結婚して周囲を驚かせました。その年の暮には長男が2年後に次男が誕生しました。長男が自宅の窓から転落死。そして6週間後に生後7ヶ月の次男が病死してしまいます。父親が早くに世を去り母子家庭で育ったサン・サ―ンスはフォーブル・サントノ―レ大きなアパートに住んでいましたが母がこの結婚を認めませんでした。休暇中に妻と旅に出ますが突然、ホテルから失踪してしまい彼は2度と妻のもとに戻りませんでした。6年の結婚生活でしたがその間にオ...放浪の旅

  • 2刀流

    寒さは少し緩みましたが寒い日にはホット・チョコレ―ト。板チョコを削って溶かしミルクたっぷりで頂きます。✨✨✨✨✨ハンガリーを代表する音楽家のバルト―ク。父は校長で熱心なアマチュア音楽家でした。母はピアノ教師で幼い頃から音楽に慣れ親しんでいましたが早くに父が世を去り女手一つで子供を育てることになります。しっかりものの母は学校教師として赴任先を転々として現在のウクライナ西部に移ります。この街でピアノを教えて子供を養いました。9歳のバルト―クにピアノの手ほどきをした母はバルト―クを本格的に音楽家に育てようと決心します。演奏会にデビューさせ成功を見届けたあとはスロヴァキアの首都プラチスラヴァに移り住みます。良い教師に恵まれ演奏活動で舞台度胸を磨き音楽修行を積みました。17歳の冬にブタペスト王立音楽院入学母の元を離...2刀流

  • \(^o^)/)

    断崖君、本番5日前に暗譜できました❗はじめての快挙。(笑)✨✨✨✨✨高校の「音楽会」断崖君ソロを弾けば良いものを突然、友達5人とアンサンブルをすることになり曲目変更。「こんなダサい曲」とむくれていましたが友人達のために一念発起したかな?先週まで片手でハラハラでしたが昨夜は暗譜できれいに弾きご満悦でした。(*^^*)もう一人のお嬢さんは月光ソナタの3楽章を弾くことになりましたが本番が近づくにつれとても緊張しています。AWholeNewWorld「アラジン」べ―ト―ヴェン「月光ソナタ」3楽章楽しい良い時間になりますように願っています。\(^o^)/)

  • 名教師

    ドイツ北部のハンブルクで生まれたブラ―ムス。父はオ―ケストラのコントラバス奏者でした。7歳のブラ―ムスをピアノ教師のオット―・コッセルのところに連れて行きます。メキメキと腕を上げたブラ―ムスは10歳で公開演奏会にデビューします。その客席にいたアメリカ人の興行師の目にとまりアメリカ演奏旅行を持ちかけられますが実のところは神童の見世物興行だったのです。師のコッセルはこの計画にストップをかけ父の野望を思いとどまらせます。優れた教師のおかげで音楽とじっくり取り組む大器晩成の大作曲家となりました。ブラ―ムスの母がよく作っていたザルツブルガ―ノッケル(ザルツブルク風スフレ)名教師

  • 自己流

    ↑甘いものが好きなワグナー。バイエルンのババロアです。ほとんど独学で音楽の勉強をはじめたワグナー。正式な技術を身につけることはありませんでした。人から言われたり決められたことをやることが大嫌いでピアノは幼い頃に自己流でマスターしピアノ教師が正確な指使いを教えようとしても絶対に従わない頑固ものだったようです。職人的な技術を持たなかった故に無謀ともいえる常識外れの作品を次々と書きあげます。才能があったのは確かですがバイエルン国王からお金を引き出すことも天才的で詐欺師のようでした❗国王は約9億近いお金をワグナー一人のために使いました(゚∀゚)ワグナーが設計したバイロイト祝祭劇場自己流

  • 出発は人形劇

    「Sound・of・music」の人形劇のシ―ン。楽しそうでしたね。ワグナーは1811年にドレスデンに引っ越してここでアイドルに出会います。カルル・マリア・フォン・ウェ―バ―。9歳のワグナーはウェ―バ―の歌劇≪魔弾の射手≫に憧れ自己流の指使いでピアノを弾き人形芝居のセットを見つけて10歳の時には人形劇を書き上げます。12歳になると学校の友人達と舞台を手作りして見よう見まねで≪魔弾の射手≫を上演しました。その後、芝居への情熱が高まって行きオペラを総合プロデュースし楽劇を創始するのです❗タンホイザー序曲ベルリン・フィル指揮アンドリス・ネルソンス出発は人形劇

  • まったり。

    忙しい週末でしたのでクラシック音楽館を楽しみに待っていました。リストの「ハンガリー幻想曲」は大学卒業後の若かりし頃初めて大フィルと共演した懐かしい曲です。又、ハ―リ・ヤ―ノッシュもツィンバロンとピアノの両方をフェスティバル・ホ―ルの大フィル定期演奏会で弾かせて頂きましたがステージで弾いたものには特別な思い入れがあります。指揮ゲルゲイ・マダラシュ①バルト―ク「ハンガリーの風景」②リスト作曲「ハンガリー幻想曲」ピアノ阪田知樹③コダ―イ作曲「ハ―リ・ヤ―ノシュ」✨✨✨✨✨オペラ・シティタケミツホ―ルでの①フォーレ作曲バイオリン・ソナタ第1番を聴きました。②モ―ツァルト「ロンド」打って変った音色に思わず聴き入りました。③フォ―レ「子守歌」フォ―レらしいやさしい音色の美しい曲。ヴァイオリンギル・シャハムピアノ江口玲...まったり。

  • 雨の東京

    昨夜は練習を終えてホテルに戻り日にちが変わって就寝したにもかかわらずなんと5時半に雨の音で目が覚めました。雪は免れましたが今朝は大雨です。ホテルは新宿ですが全く濡れずにどこにでも行くことができるのでも便利です。自宅まで傘無しで帰れるかな?富士山は雨で見えないので心静かです。(笑)名古屋を過ぎると晴れ間が見えました。雨の東京

  • 演奏会。

    昨日は教会のパイプオルガンを弾かせて頂きました。フランス製の新しいオルガンでとてもコンパクトでさまざまな工夫がこらされています。上鍵盤は引っ張り出せるようになっていて(゚∀゚)フル・オルガンになりますが、、。思いがけない操作に本番までに間に合うかな?今日はハ―ドな一日になります。午後本番を終えたあと移動して夜にもう一つの本番のリハ―サルです。昨日の暑さ?とは違い気温はぐっと下がりました。もしかして雪かも。演奏会。

  • 東京へ。

    今朝は早くに東京に向かいます。晴れや雪の予報に着るものに悩んでいます。車内販売は無いので飲みものを購入。お弁当は吉野のお寿司にしました。✨✨✨✨✨昨日のクラシックTVはフランスの作曲家フォ―レでした。子供の頃からレクィエムが一番好きです。何度聴いても弾いても心が落ち着く曲です。ラシ―ヌ讃歌はオルガンの出番はありませんがレクィエムと一緒に演奏することが多いです。東京へ。

  • まるで天使

    沢山の作曲家を拝見していますが肖像画や写真を載せたくないかな。(笑)西洋の方々は若い頃は天使のように可愛らしいのですが年を重ねるにつれ容貌は大変化。リストも中年以降の肖像画は威厳はあるけれど、、、。💦そんな作曲家の中でイケメンだったのはベンジャミン・ブリテン(1913−1976)でしょうか。イギリスを代表する作曲家で子供達のためには健康で明るい音楽を残しました。「青少年のための管弦楽入門」や「クリスマス・キャロルの祭典」この曲はクリスマスの伝統的な歌でイギリスの子供達はこの歌を歌ってお小遣いをもらうのです。ベンジャミン・ブリテンという名の薔薇の花がありました。また、1984年にはアメリカのアリゾナ州にあるロ―ウェル天文台のエドワード・ボ―エルが自ら発見した小惑星に「ブリテン」の名を付けましまるで天使

  • 小麦粉?

    寒い毎日は朝起きると温かいシチューやス―プなどをせっせと作るのが楽しみで副菜の用意もしておきます。✨✨✨✨✨ザルツブルク生まれのモ―ツァルト。父レオポルドはザルツブルクの宮廷作曲家でヴァイオリストでした。姉のナンネルによるとモ―ツァルトは4歳の時に父から鍵盤楽器を習い始めたようです。父は現役の演奏家で売れっ子の作曲家大ヒット教則本を書く教育家でした。ナンネルやモ―ツァルトのために≪ナンネルの音楽帳≫という楽譜集を作っていました。幼いモ―ツァルトにとって楽しみだったのは父の稽古が「遊びがてら」で始まったことでした。父の音楽帳への書き込みやナンネルの回想によると5歳のモ―ツァルトはくつろいだ雰囲気の中で30分くらいで新曲をたやすく弾けるようになったようです。6歳の時にはハプスブルク家の宮廷でピアノを演奏しまし...小麦粉?

  • 現代音楽の始祖?

    こちらは始祖鳥↓こちらは現代音楽の始祖↓ア―ノルド・シェ―ンベルク(1874−1951)ヨ―ロッパの音楽は1つの音(主音)が支配して音階を作りだしていましたが1911年にシェ―ンベルクは新しい方法を考え前衛と言われる時代に入ります。それまでの中心になる音(主音)を決めて作曲するのではなくオクタ―ブ内にある12音の音をすべて平等に扱うのです。もしピアノがありましたらドからシまでの音を数えて下さい。白鍵7と黒鍵5の12の鍵盤があります。作られた音列は順序を保ったまま逆行したり展開したりしますがこれによって作られた音楽を「12音音楽」といいます。調性が感じられないので「無調音楽」とも呼ばれます。シェ―ンベルクの12音技法は世界中に広まり近代音楽の手法として定着しました。新しもの好きのシェ―ンベルクは卓球が好きで...現代音楽の始祖?

  • 抜けるような青空に。

    雪と強風から打って変った休日は雲一つない晴天に恵まれ車窓からの富士山を堪能しました。そのあとはビ―ルを飲んで爆睡(笑)✨✨✨✨✨✨クラシック音楽館はキリル・ペトレンコとベルリンフィルハ―モニ―管弦楽団来日公演①モ―ツァルト交響曲第29番ウトウトしていましたが歯切れの良い演奏で目が覚めました。ペトレンコのメリハリのきいた見事な指揮。楽しそうな表情で微笑みながらの演奏です。②アルバン・ベルク管弦楽のための3つの小品大編成に変わり迫力のある大作をラクラクと演奏し本領発揮。最後は大音響。③ブラ―ムス交響曲第4番繊細な出だしから始まり重厚なブラ―ムスに圧巻の演奏に眠気はすっかり吹っ飛んでいました。このプログラムのコンサ―トマスタ―は樫本大進氏ではなくベルリン・フィル初の女性コンマスでしたがさすが演奏、堪能しました。...抜けるような青空に。

  • 雪と強風

    昨日のお天気東京は雪。夕方、練習場に出かけようと思いましたらなんと風も強い。新宿のホテルから駅までは地下道でしたがとりあえずコンビニで大きなビニール傘を買いましたが開いた途端に裏返しに…。(笑)なんとか無事に練習場に到着。1回だけの合わせですから緊張の時間です。あとはホテルでバタンキュー。(笑)✨✨✨✨✨今朝は良いお天気です。雪と強風

  • ドジ❗

    昨日、早く目覚め用事を済ませ新幹線に乗ろうとスーツケースを閉めたところで電話。「今日の9時のお約束でしたが…」とホールからの着信でした。「えぇっ❗」新しい手帳に変えた時に間違ったようです💦💦💦ホテルをキャンセルし新幹線を変更しました。私のオルガン・レジストであったのがせめてもの慰め。今日は心して東京に向かいます。ドジ❗

  • もう一人の巨匠

    バロックの2人の巨匠バッハ、ヘンデルが生まれた1685年にもう一人偉大な作曲家スカルラッティが生まれています。スカルラッティは若い頃はローマで活躍していましたがやがてポルトガル王室礼拝堂の音楽監督としてリスボンに移ります。そして10歳になったマリア・バルバラ王女の音楽教師になりました。その後、彼女がスペイン王室に嫁ぐとスカルラッティも王女と共にマドリードに移ります。↓マドリード王宮そこで王女のための練習曲としてチェンバロのための「ソナタ」を500曲以上作曲しました。どの曲もバルバラのために書かれ高度なテクニックを駆使する演奏困難な曲があるのはバルバラの腕前か相当なものであったと窺い知ることができます。マリア・バルバラスペイン王妃↓「ソナタK141」マルタ・アルゲリッチスカルラッティは博打が好きでしばしば借...もう一人の巨匠

  • 先駆者

    瀧廉太郎(1879−1903)明治12年瀧廉太郎は東京で生まれ生家は新橋と虎ノ門の間でした。官僚だった父の転勤にともなって横浜に移り暫く暮らします。横浜は外国人が住み教会が多くありました。隣に住む松川家はカトリック信者の一家で家庭音楽会に招かれます。その後、父の転勤で富山、東京と移り1891年には大分の竹田市で高等小学校に転入します。彼はこの学校にあったリードオルガンに触れることを許さるた唯一の生徒でした。1894年14歳の時に一人で東京に戻り現在の東京芸術大学音楽学部に合格します。4年後には本科を首席で卒業して研究科に進みピアニストとしてデビューこの頃には作曲も初めました。留学を決めたのは1901年その前年に日本聖公会の教会で洗礼を受けます。留学先はドイツ・ライプツィヒ。メンデルスゾーンが設立したライプ...先駆者

  • 敬愛された国王

    昨日は美容室に伺いさっぱりしました。気温が下がってきて寒くなりましたね。✨✨✨✨✨✨フランツ・ヨーゼフ1世(1830ー1916)オーストリア帝国の最後の皇帝で国民から敬愛されました。68年に及んだ在位中に帝国は衰退が進み家族に次々と先立たれ苦難の人生でした。弟はメキシコで銃殺され長男ルドルフは恋人と心中し、美しい妻のエリザべートは暗殺され皇位継承として指名した甥のフランツ・フェルディナンド夫妻も第1次世界大戦のきっかけとなるサラエボ事件で暗殺されました。フランツ・ヨーゼフ1世は外交面では手腕は発揮できませんでしたが文化芸術の面ではウィーンの音楽文化を絢爛たるものに発展させました。在位中に現国立歌劇場やニューイヤーコンサートの会場である楽友協会やコンツェルト・ハウスなどの劇場を完成させました。その他にウィー...敬愛された国王

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