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  • 朝型へ

    長年の習慣でブログの更新は夜でしたが寝る前のスマホの操作を止めて朝に変えてから良く眠れるようになっています。(*^^*)✨✨✨✨✨1847年ジョルジュ・サンドと破局後、ショパンは弟子のレッスンや演奏の仕事に打ち込みましたが体調を悪化させてしまいます。1848年フランスの2月革命を避けてイギリスへ渡りヴィクトリア女王の御前演奏などを行いましたが体調は悪化する一方でした。このイギリス滞在は彼の弟子であったジェ―ン・スターリングが率先してショパンの面倒をみましたが彼女の親切の根底にあったものはショパンへの恋心で彼がサンドと別れたのを機に結婚を想定してより親密になりたかったようです。しかし彼はサンドとの別れ以降精神状況が良くなることがなくイギリス滞在中には1曲も書くことが出来なかったのです。いかにサンドの力が大き...朝型へ

  • 贅沢時間

    昨日は素晴らしいリハーサルを聴かせて頂きました。フルートとピアノです。6月17日が本番ですが生憎お伺い出来ないので残念に思っていたところ声をかけて頂き目の前での息を飲むような緊迫感のある演奏。まるで王侯貴族になったかのような贅沢な気分でした。ピアノはウィーンから持って帰られたべーゼンドルファとメイソン&ハムリン。名調律師さんが10年間、手をかけ大切にされていた楽器が若いピアニスト氏のところにやってきたのです。15時半から18時までコーヒーブレイクを挟んで全プログラムを聴かせて頂きました。✨✨✨✨✨その後は音楽仲間がピアノを堪能したあとイタリアンへ。お料理もワインもデザートも酔いがまわり撮り忘れました。夜は爆睡するか興奮で眠れないかどちらかなと思っていましたが音楽の効果は絶大でたっぷり眠って目覚めました。(...贅沢時間

  • 演奏会へ。

    午後はいずみホ―ルにゲヴァントハウス合唱団の演奏会を聴きにお伺いさせて頂きました。プログラムはパレストリーナ/ミサ・プレヴィスバッハ/モテット「イエスわが喜び」フォ―レ/レクィエム指揮萩原寛明オルガン富田一樹✨✨✨✨✨バッハとフォ―レは以前にこの合唱団で弾かせて頂きましたので若い富田さんがどのように演奏されるのかとても楽しみでした。アンコ―ルはフォ―レの「ラシ―ヌ雅歌」✨✨✨✨✨終演と同時に飛び出しましたら阪神高速が空いていてレッスンにゆうゆうと間に合いました。✨✨✨✨✨レクィエムはラテン語で「安息を」という意味の言葉です。多くの作曲家がレクィエムを作曲しましたがモ―ツァルト、ヴェルディ、フォ―レの作品は「三大レクィエム」と呼ばれています。とても繊細優美な音楽でドイツやオ―ストリアの音楽とは景色が違うので...演奏会へ。

  • 真夏の夜の夢

    昨夜は暑かったのか何度か目が醒めてしまいました。そこで「真夏の夜の夢」の序曲です。✨✨✨✨✨ハンブルグのユダヤ系貴族の家に生まれたメンデルスゾーン。シェ―クスピアの戯曲「真夏の夜の夢」の劇付随音楽として12曲を作曲しています。「真夏の夜の夢」は森の中に出かけて行った貴族の若者たちの結婚をめぐる行き違いと妖精パックのいたずらが巻き起こすドタバタを描いた喜劇です。シェ―クスピアの戯曲に書かれた数多くの音楽の中でメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」は傑出していると言われています。全曲の完成は33歳ですが序曲は17歳のときに完成していました。もともと姉のファニーと楽しむために連弾曲として書いたものですがすぐにオ―ケストラに編曲したのです。序曲と本編に16年もの差がありながら音楽が寸分の隙もなく繋がっているのですが1...真夏の夜の夢

  • ダニーボーイ

    フルートの名人達ジャン・ピエール・ランパル黃金の笛のランパルは神さまのような存在でした。カールハインツ・ツェラー半世紀も前に大フィル定期で目の前に。残念ながら自分のことで精一杯でその日の演奏は覚えていないのです。💦ベルリンフィルで活躍中のエマニュエル・パユジェィムズ・ゴールウェイ1937年にアイルランドのベルファストのあまり裕福ではない家庭に生まれたゴールウェイですが抜群の才能の持ち主で音楽院で学びます。21歳でロンドンのオーケストラに入団。その後、ベルリン・フィルの首席奏者に就任しますが6年後にカラヤンの説得を振りきって退団しソリストとして活躍するすることを決断しましたが「カラヤンを袖にした男」と称賛?されるのです。1979年にエリザベス2世より大英帝国勲章を2001年にはナイトの称号を...ダニーボーイ

  • 庭の片隅に。

    庭掃除をしていましたら片隅にピンクのカタバミがあちこちに。✨✨✨✨✨ブラームスのヴァイオリン協奏曲。べートーヴェンメンデルスゾーンと並んで「3大ヴァイオリン協奏曲」と呼ばれる名曲です。ブラームスはピアノより先にヴァイオリンとチェロを学んでいましたが45歳になる1878年に作曲され親友の名ヴァイオリニストヨーゼフ・ヨアヒムに捧げられました。第2楽章は静かで美しいAdagioなのですがサラサーテは独奏ヴァイオリンが美しい主題を奏でる前にオーボエが前もってたっぷりと同じ旋律を奏でることにクレー厶をつけそんなに長々と待たされるのは我慢できないと言ってこの曲を弾きたがらなかったようです。ブラームスヴァイオリン協奏曲2楽章ヤッシャ・ハイフェッツシカゴ交響楽団(8’16’’)✨✨✨✨✨こちらはブラームス最大のヒット曲ハ...庭の片隅に。

  • シェスタ

    今日はレッスンは中間考査でお休み。窓を開けるとそよそよと気持ちの良い風が入りほどほどのあたたかさでソファに座るとコンコンと眠りました。朝のうちに庭掃除も終えダウンやソファ・カバーなどの大量の洗濯も済ませて久々の午睡でした。✨✨✨✨✨1844年、スペインに生まれたサラサーテは父の手ほどきでヴァイオリンを始めました。8歳で演奏会を開く腕前で10歳の時にはマドリードの宮廷でイザベル2世の前で演奏。この時、女王からストラディヴァリを下賜されそのはからいでパリ音楽院に留学しました。サラサーテの奏でるヴァイオリンの音色は澄んでいて超絶技巧を駆使した演奏は多くの聴衆を魅了したようです。しかも美男で社交家半世紀近くヨーロッパ中を演奏家として駆け巡りました。サラサ―テのの代表曲は民族音楽を取り入れた「ツィゴイネルワイゼン」...シェスタ

  • 寒い朝

    雨上がりの朝は気温が低く寒いでしたが雑草が気持ち良く抜けました。すっくと伸びた竹もゴシゴシ切りました。作業のあとにはあたたかいロイヤル・ミルクティとチョコで一息です。2番花になり小ぶりになった薔薇ですがまだ楽しませてくれます。そこで20世紀のオペラの傑作のひとつリヒャルト・シュトラウスの≪ばらの騎士≫初演は1911年にドレスデンで行われましたが大成功で評判を聞いて各地から訪れる聴衆を運ぶために臨時列車が増発されたのは前代未聞のことでした。✨✨✨✨✨あらすじ舞台は20世紀初頭のウィーン。元帥夫人は夫の留守に若い愛人の伯爵オクタヴィアンと密会中。そこへ従兄のオックス男爵が現れたのでオクタヴィアンを女装させ小間使いマリアンデルだと偽りその場をしのぎます。裕福な貴族の娘ゾフィーと婚約したオックス男爵はオクタヴィア...寒い朝

  • 嵐の夕方

    今日の夕方は突然、嵐のようなお天気でびっくりでした。✨✨✨✨✨べートーヴェンは5曲のピアノ協奏曲を書きましたが最後の作品である第5番には「皇帝」という親しみやすいニックネームが添えられています。これは作曲家ではなく出版社がつけたものです。✨✨✨✨✨これまでのピアノ協奏曲ではピアノ独奏が始まるまで比較的時間がありましたがこの協奏曲ではいきなりオーケストラがFFのTuttiを鳴らしたとおもうと間髪入れずにピアニストが華やかなタッチで一気に高音域までかけ上がります。初演を聴いた当時の人々はさぞかし驚いたことでしょう。ピアノ協奏曲でこういう始まり方は異例で作法を無視したピアノ協奏曲の傑作です。クリスチャン・ティメルマンバ―ンスタイン指揮ウィーン・フィルピアノ協奏曲第4番まではべートーヴェン本人が初演していましたが...嵐の夕方

  • 休日の夜

    気持ちの良いお天気に恵まれた休日。今日のコーヒーのおともはカヌレでした。✨✨✨✨✨今夜のクラシック音楽館指揮はチェコ出身で41歳のヤクブ・フルシャ。ピアノはアンデルジェフスキポーランドのピアニストです。カルロ・シマノフスキは1882年にポ―ランドに生まれましたがショパンがあまりにも有名なのであまり大物の作曲家は出なかったようですが「若きポーランド」という名の音楽集団が作られ代表するのがシマノフスキでした。初めて聴く「協奏交響曲」が楽しみです✨✨✨✨✨指揮ヤクブ・フルシャ①ドヴォルザーク「フス教徒」②シマノフスキ「協奏交響曲」ピアノアンデルジェフスキアンコールシマノフスキ「マズルカOp50.3」③ブラ―ムス「交響曲第4番」✨✨✨✨✨✨トヴォルザーク「フス教徒」は15世紀の宗教指導者ボヘミアのヤン・フスの支持...休日の夜

  • ブランデンブルク

    ベルリンのブランデンブルク門です。✨✨✨✨✨1685年にドイツのアイゼナッハで生まれてワイマールの宮廷オルガニストやケーテン宮廷楽長ライプツィヒ聖トーマス教会のカントルを務めたバッハは膨大な作品を書き上げました。彼はは幼い頃に両親を亡くしたのでオルガニストとして独立していた14歳上の兄のヨハン・クリストフのもとに身を寄せましたが勉強意欲が旺盛で生涯その姿勢は変わりませんでした。33歳でケーテンの宮廷楽長に就任します。ケーテンの宮廷を治めるレオポルド侯爵は幼い頃からおもちゃよりも「音楽家」を母にねだるほどの音楽好きでレヴェルの高い奏者を雇って質の高いオーケストラを抱えていました。バッハはそのために多くの器楽作品を作曲しました。ケーテンの宮廷楽団は18人でした。当時の町の人口はわずか2000人しかいなかったに...ブランデンブルク

  • 仔牛のカツレツ

    「フランツ・リスト」1939年にドイツで初めての長距離鉄道が開通し交通アクセスが飛躍的に向上するとリストはヨーロッパ中を演奏旅行に駆け巡ります。1939年3月8日に西洋の音楽史上初めてピアニストが演奏会全体をソロで弾く「リサイタル」というスタイルを定着させそれ以降30代後半まで約1000回の演奏会を開きました。又、指が6本あるのではないかと言われるほどの技術の持ち主でどんな楽譜でも初見で弾いたようです。唯一ショパンの「練習曲Op.10」の12曲は弾くことは出来なかったのですが少し練習して全曲を演奏しショパンを驚嘆させています。優れた技術と派手なステージパフォーマンスさらに美しい容姿も相まって華麗な恋愛遍歴で世間を騒がせました。ピアノの大スターとしてヨーロッパ中を旅して回る時代を経て36歳の時にワイマールの...仔牛のカツレツ

  • 花のパリで

    昨日は真夏日。学校ではエヤコンきいて涼しかったそうです。✨✨✨✨✨ウィナレッタ・シンガーはシンガーミシンの創業者のアメリカ人、アイザック・メリット・シンガーの娘でした。父は複数の女性達との間に25人の子供をもうけますがウィナレッタは20番目の子供で10歳の時に父が亡くなると母と共にパリに移住します。彼女は父から相続した莫大な遺産をフランスの文化芸術のために用いました。シンガーは同性愛者ですが2度、貴族の男性と結婚しています。2回目の相手はエドモン・ド・ポリニャック31歳も年上でやはり彼も同性愛者でした。二人が結婚したのはお互いの利害が一致したからなのですがシンガーは貴族の社会的に高い地位を獲得しエドモンは金銭面の苦労が一気に解消されたのです。芸術の素養のある二人はエドモンが亡くなるまで深い友情で結ばれてい...花のパリで

  • 名指揮者

    チェコのボヘミア地方のユダヤ人の家に生まれたグスタフ・マーラーはウィーン音楽院で学んだあと指揮者として活躍し37歳でウィーン宮廷歌劇場の芸術監督になりました。ウィーン宮廷歌劇場とは19世紀中期に皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が建てた宮廷歌劇場で管弦楽団は世界トップクラスのオーケストラでウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の母体です。ヨーロッパの音楽会での最高位のポストでした。仕事に没頭していたマーラーの前に突如ウィーンきっての美女であり高い教養を持ちあわせたアルマ・シンドラーが現れ恋に落ちたマーラーは4ヶ月後に結婚します。当時作曲中だった交響曲第5番に急遽加えたのが第4楽章「アダージェット」ハープと弦楽器だけで演奏されるこの曲は20歳年下の愛妻へ贈るラブレターでした。楽譜の表紙には「私の愛しいアルマ私の勇気ある...名指揮者

  • 最高峰からの転落

    夏のような陽射しの中久しぶりに映画を観に行きました。✨✨✨✨✨ベルリン・フィル初の女性マエストロリディア・ター。アメリカの5大オーケストラで指揮者を務めたあとにベルリン・フィルの首席指揮者に就任し盤石の地位を築いたはずがマーラーの交響曲第5番のレコーディングの重圧もあり少しずつ歯車が狂いはじめるのです。硬派の映画ですがケイト・ブランシェットの演技に惹き込まれ飽きることがありません。指揮もピアノも勉強されたようです。演奏場面は少ないですが音楽への熱量半端ない迫力でした。✨✨✨✨✨✨最高峰からの転落

  • リッチな気分

    パリ郊外にラヴェルが晩年を過ごした家があります。機械類や細かい飾り物をこよなく愛したラヴェル。自室には時計や機械仕掛けの人形や小さくてメカニカルなものが沢山置かれていました。彼は酒豪ではありませんが20世紀にフランスに入ってきて流行ったカクテル・パーティがお気に入りで自宅でも夕方5時から1時間はカクテル・タイムだったようです。✨✨✨✨✨今日の近畿は6月・7月上旬の暑さになるようですね。そんな夏日に簡単で美味しいカクテルはオレンジジュースにシャンパンを注ぐ「ミモザ」でしょうか。そして桃の季節には「ベリーニ」生の桃ジュースに飲み残しのシャンパンを注ぐとなんとも贅沢なカクテルに変身です。✨✨✨✨✨モダンな感覚でオシャレなラヴェルの「ソナチネ」マルタ・アルゲリッチリッチな気分

  • Eat Beau Tea

    台湾発の食べるお茶を母の日のプレゼントに届けてくれました。ありがとう!氷砂糖入りの甘酸っぱいルビー色のお茶。小豆やナツメ、ハトムギは眠る前のお茶に最適。山査子のスティックは食後の口直しにもなるデザートで早速、頂きました。✨✨✨✨✨兄弟のような付き合いの盟友ブラームスが「あいつがゴミ箱に捨てたメロディだけで私は1曲作れる」という位ドヴォルザークの作品には次々と美しいメロディが登場します。そんな彼の作品「母の教えたまいし歌」はジプシー歌曲集Op.55の第4曲目でフリッツ・クライスラーがヴァイオリンとピアノに編曲したことで有名になりました。✨✨✨✨✨毎年、母の日にコンサートを開いていた佐藤しのぶさん。2019年に61歳で世を去られました。✨✨✨✨✨✨アントニン・ドヴォルザーク「母の教えたまいし歌」うた佐藤しのぶ...EatBeauTea

  • 母の日に

    1816年に作曲された世界的に有名なシューベルトの「子守歌」15歳の時に母を亡くした母親への思いが込められています。日本語の歌詞は「眠れ眠れ母の胸に」で始まります。歌エリー・アメリンクピア丿ダルトン・ボールドウィン「シューベルティアーデ」シューベルトが就職したのは教員だった父の学校で補助教員を3年間務めただけで年俸はわずかに20万円ほどだったようです。それからはシューベルトの音楽に魅了された友人たちが自宅に滞在させ私的なコンサートを開催していました。18歳の時に「野薔薇」や「魔王」を発表。生涯に作曲した633の歌曲が後世に評価され「歌曲の王」と呼ばれますが死後50年後に明らかになったところ31年という短い年月の間に1000曲以上の美しい作品を書き残していました。(生前に発表されたのは200曲ほどだったので...母の日に

  • 最も大切な儀式

    アン王女↓戴冠式から間もなく1週間。ウエストミンスター寺院の聖別式の儀式がyoutubeにありました。✨✨✨✨✨戴冠式中の一番重用な部分の塗油の儀式ですが秘儀とされていて映像は放送されずに覆いの中で行われたのです。↓キリスト教国であるイギリスではカンタベリー大主教が新君主の手と腕と頭と胸に聖油を注ぎ神への忠誠を誓わせる儀式が行われます。新国王は儀式用のローブを脱ぎ白シャツの御姿です。鷲の形をした聖香油の容器とスプーン起源は旧約聖書の「列王記下」に記されていてソロモン王が王冠を受けた時に塗油され聖別式を行ったことが記されています。✨✨✨✨✨儀式に先立って歌われるのがグレゴリアン・チャントのVeniCreatorSpiritus(聖霊来たりたまえ)本来はラテン語ですがウエストミンスター寺院聖歌隊により英語で歌...最も大切な儀式

  • 悪魔と天使

    歴代のヴァイオリストの中で群を抜いているのがニコロ・パガニーニです。ジェノバ(現イタリア)出身のパガニーニは「悪魔と契約した」と言われるくらい人間離れした演奏テクニックで観客を魅了しました。11歳で演奏活動を始め18歳で家を飛び出して自分でプロデュースをして演奏会を開き名声を得ますが演奏技術の高さは「悪魔的」と畏怖されていました。一方でその生活は破天荒。演奏会の前に博打で出演料を失うのは日常茶飯事。奔放な恋愛遍歴も有名でトラブルの絶えない人生でした。世を去った時には教会が埋葬を拒否する事態になったのです。✨✨✨✨✨✨そのパガニーニが書いたヴァイオリン協奏曲は6曲ありますがいずれも至難の技術を散りばめた難曲揃いです。特に協奏曲第一番は激烈な彼の生き方そのままの作品ですがそれを11歳の天使のような吉村妃鞠ちゃ...悪魔と天使

  • 眠りの森の?

    ↑トロイメライ(夢)火曜日の夜半に体調を崩しまんじりともせず朝を迎えました。予定をキャンセルさせて頂き9時過ぎから眠りました。それから今朝の7時まで死んだように。(笑)おかげさまで今朝はすっきりです。✨✨✨✨✨✨そこで細密画のように美しいラヴェルの音楽にさせて頂きました。「マ・メール・ロア」以前にアルゲリッチとランランの連弾でご紹介しましたがオ―ケストラ版は色とりどりの情感を美しく高雅な書法で描いています。第1曲眠れる森の美女のパヴァ―ヌ第2曲親指小僧第3曲パゴダの女王レドロネット第4曲美女と野獣の対話第5曲妖精の園眠りの森の美女が王子の口づけで目を覚ますシーンです。ラヴェル作曲「マ・メール・ロア」眠りの森の?

  • 今でも人気作品の一つ

    べートーヴェンの初期のソナタの最高峰である「悲愴ソナタ」特に2楽章はドラマの中で使われそうで特に好きだと弾いてくれます。✨✨✨✨✨✨このソナタはリヒノフスキー侯爵に献呈されています。カール・アイロス・フォン・リヒノフスキー侯爵はモーツァルトやべートーヴェンを支えた人物です。プロイセンの地方貴族の息子でしたが、ウィーンに生まれ育ちウィーンの宮廷に仕えます。1792年にドイツのボンからウィーンに出てきたべート―ヴェンのためにリヒノフスキーは自邸の一室を提供しました。又、彼は1800年からべ―ト―ヴェンに対して年に300万円の年金を払うようになります。又、べートーヴェンにアマティ、グァルネリという高価な弦楽器を提供しさらにパリのエラール社にピアノをオーダーしています。リヒノフスキーなどの支援でウィーンでの生活は...今でも人気作品の一つ

  • ロン・ティボー国際コンクール。

    昨年、亀井聖矢さんがピアノ部門で優勝したロン・ティボー国際コンクール。先日、ご紹介したフランス生まれの名ピアニストのマルグリット・ロンがヴァイオリニストのジャック・ティボーと意気投合してマルグリットが長年、あたためてきたフランスの国際的なコンクールの実現に向けて手を握りあうことになりました。1947年に第1回ロン・ティボー・コンクールが開催されピアノ部門の第1位はサンソン・フランソワ。ヴァイオリン部門はミッシェル・オークレールが優勝しました。一躍有名なコンクールとなり、その後、1953年にはフィリップ・アントルモンが1位なしの2位。日本の田中希代子は4位に入賞しています。順調に軌道に乗っていた9月初めの朝、衝撃的なニュースがマルグリットのもとに飛びこんできます。3度目の来日のためにティボーの乗ったエール・...ロン・ティボー国際コンクール。

  • 108歳

    名古屋で仕事ですが大雨の予報ですのでしっかり対策をして出かけましたが練習場はホールのリハーサル室。全く濡れずに到着です。3年ぶりの男声合唱団との再会。FFの迫力すごいです。おかげで汗びっしょり。pppの集中で更に汗。あっという間の時間です。帰りの新幹線でカッチン・カッチンのアイスクリ―厶をアフォガードに。(笑)アイスクリー厶に熱いコーヒーをかけてホッと一息。(笑)✨✨✨✨✨✨帰宅してクラシック音楽館を少し聴きました。尾高尚忠氏作曲のチェロ協奏曲。40分の大曲ですが日本の手法を取り入れた美しい音楽に惹き込まれて聴いてしまいましたが疲れが吹っ飛ぶようでした。アンコールの「荒城の月」宮田大さんが毎日の練習の最後に弾いていると何かで読んだ記憶がありましたが最初の一音から涙。チェロ協奏曲に最高のアンコールでした。✨...108歳

  • 雨のロンドンで戴冠式

    チャールズ国王(74歳)私より1歳下とはいえ(笑)戴冠式を迎えられるには厳しすぎる御年齢かもとLIVEで拝見しています。ジョ―ジ王子が侍者として仕えています。ウエストミンスター寺院の聖歌隊が歌う聖歌、オルガン、オーケストラが美しい。首相の聖書第1朗読第2朗読は女性。「アレルヤ」はまるで「天使にラブソング」のウービーゴールドバーグ並?国王の笑みがこぼれました。そのあとにグレゴリアンチャントで「VeniCreator」(聖霊来たりたまえ)『戴冠式』覆いの陰でシャツ姿になられた王が金色のローブを纏われました。剣を持ちストラが掛けられ更に黃金のローブ。グローブをはめた手に王笏そして王冠。『聖餐式』参列者全員で主の祈りが唱えられ国王夫妻が聖体拝領をされました。『退堂』国歌が歌われる中ゆっくりと退堂され黃金の馬車へ。...雨のロンドンで戴冠式

  • 名ピアニスト

    (↑ラヴェルの散歩道)フランスの名ピアニストマルグリット・ロン。ハンサムな青年将校マルリアーブ大尉と結婚しましたが軍人ながら玄人はだしの音楽鑑賞眼の持ち主でフォーレやドビュッシーとも親しく彼女のピアノを中心に音楽談義に花を咲かせていたようです。2人の仲睦まじい生活は第1次世界大戦により暗雲が立ち込めます。戦場に向かったマルリアーブ大尉は命を落としてしまいました。✨✨✨✨✨夫の戦死から5年後45歳のマルグリットはラヴェルのピアノ組曲「クープランの墓」を初演します。この作品はフランス・バロック最大の作曲家フランソワ・クープランの記念碑というかたちを取りながら戦没した6人の友人たちに捧げる6つの小曲から構成されています。第6曲目の「トッカータ」がマルグリットの夫マルリアーブ大尉の霊に捧げられていたのです。最愛の...名ピアニスト

  • にぎやかな一日

    昨日は近くの神社のだんじり祭り。鉦や太鼓でにぎやかな一日でした。写真を撮りましたが目の調子が悪くてピンぼけで昨年の写真です。💦✨✨✨✨✨高校生になった断崖君達。最初の音楽の試験はイタリア歌曲「Caromloben」「OSolemio」ドイツ・リート「野薔薇」(シューベルト)から選択でいずれも原語で歌います。お嬢さんはさっさと決めて「Caromioben」の歌と伴奏の練習しています。断崖君は「OSolemio」が「まだましかな?」とか言いながらカッコつけています。(*^^*)歌が苦手な人は先生とマンツーマンでも大丈夫だそうですがさてどうするでしょうか。✨✨✨✨✨パバロッティ「Caromioben」シューベルト「野薔薇」フィッシャー・ディスカウにぎやかな一日

  • marriage Ceremony

    見出し画像は頂いたドラジェです。❣️先日は婚約の嬉しい報告を受けたばかりですが同じ時期にレッスンしていたお嬢さんの結婚式が行われました。仲の良かった二人が揃って新しい門出です。帰宅してゆったりと幸せな余韻に浸っていました。✨✨✨✨✨何年経っても忘れられない結婚式のシ―ンがあります。映画「サウンド・オブ・ミュ―ジック」マリアが修道院の院長から祝福を受けて大司教と大佐の待つ祭壇に向かうシ―ンです。半世紀以上も前の高校生の時に観た古い映画ですが。ザルツブルクにある撮影が行われた教会はとても綺麗でしたがこじんまりした教会でまるで大聖堂のごとくに撮影されていて技術の高さに驚かされた思い出があります。颯爽と大聖堂を歩いていくマリアのカッコ良さに憧れていました。(3‘50‘‘)marriageCeremony

  • 前菜?

    前奏曲って?美味しい前菜のようなものでしょうか。古くから礼拝などの儀式の式典に先立って演奏するオルガン曲として存在していました。前奏曲(Prelude)はラテン語のpre=「前に」ludere=「弾く」という言葉からきています。他の曲の前に弾いたり組曲の最初に弾くという序奏の役割をはたしていました。🥀🥀🥀🥀🥀バッハが作曲した「平均律クラヴィーア曲集」24曲の前奏曲にフ―ガがついています。しかし19世紀から20世紀にかけて前奏曲は他の曲を伴わない独立したかたちになりました。ショパン、ドビュッシ―、スクリャービン、ショスタコーヴィチなどが単独の形の「前奏曲」を書いていますラフマニノフも24の調すべてを用いて前奏曲を作曲しています。...前菜?

  • 魅力的なプリンス

    久しぶりのヨ―ロッパの香り。❣️素敵なお土産を頂きました。私のGWは家の片付けと伸びに伸びてきた荒庭のお掃除です。💦✨✨✨✨✨フェリックス・メンデルスゾーンについては以前に少し書きましたので今日は簡単に。彼はショパン、シュ―マン、リストと並ぶロマン派の中心人物の一人です。教養のある家庭環境で育ったメンデルスゾーン。祖父のモーゼスは18世紀の最も有名なユダヤ教の哲学者でラテン語に精通していました。ヘブライ語の「旧約聖書」をドイツに住むユダヤ人のためにドイツ語に訳す仕事を始めました。彼の著作物は合計7巻あり「ドイツのソクラテス」と呼ばれています。モーゼス一家はメンデルス銀行を創設しフェリックスの父であるアブラハムに引き継がれました。母は資産家の出身で才能ある音樂家でした。メンデルスゾーン邸では...魅力的なプリンス

  • 今日から5月

    薔薇の季節ですね。カトリックでは聖母月で聖母は英語では「OurLady」仏語では「NotreDame」と呼ばれていますのでパリのノートルダムは聖母マリアに捧げられた大聖堂ですね。✨✨✨✨✨まだルイ14世とリュリの話が続きます。💦ご辛抱下さいませ。✨✨✨✨✨リュリはモリエ―ルや優れた踊り手のルイ14世とバレエの発展に大きく貢献しました。又、前口上、芝居、歌唱、合奏、舞踊を組み合わせてコメディ・パレ(コメディとバレエを組み合わせた音楽劇)というジャンルを確立します。その代表作が「町人貴族」この楽しい作品を王は大層気に入って何度も上演させています。又、オ―ケストラをオペラやバレエの伴奏から「主役」に成長させました。その後、リュリはオペラの作曲にとりかかり新たに「叙情悲劇」というフランス・オペラを...今日から5月

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