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ブログタイトル
長編歴史小説 尚巴志伝
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http://suwiun.hatenablog.jp/
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沖縄の英雄、尚巴志の物語です。
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長編歴史小説 尚巴志伝

酔雲さんの新着記事

1件〜30件

  • 目次 第一部

    尚巴志伝 第一部 月代の石 このイラストはは和々様よりお借りしました。 誕生(改訂決定稿) 尚巴志、佐敷苗代に生まれる。 馬天浜(改訂決定稿) サミガー大主とヤマトゥの山伏、クマヌ。 察度と泰期(改訂決定稿) 中山王の察度、過去を振り返る。 島添大里グスク(改訂決定稿) 島添大里グスク、汪英紫に奪われる。 佐敷グスク(改訂決定稿) 尚巴志の父、佐敷按司になる。 大グスク炎上(改訂決定稿) 大グスク、汪英紫(島添大里按司)に奪われる。 ヤマトゥ酒(改訂決定稿) 早田三郎左衛門、馬天浜に来る。 浮島(改訂決定稿) 尚巴志、早田左衛門太郎と旅に出る。 出会い(改訂決定稿) 尚巴志、伊波按司の娘と剣術…

  • 目次 第二部

    尚巴志伝 第二部 豊玉姫 このイラストはは和々様よりお借りしました。 山田のウニウシ(第三稿) 護佐丸、尚巴志を頼って首里に行く。 胸のときめき(第三稿) 護佐丸、島添大里で恋をする。 恋の季節(第三稿) サグルーとササ、山田で魂を抜かれる。 キラマの休日(第三稿) 尚巴志夫婦、毎年恒例の旅で慶良間の島に行く。 ナーサの遊女屋(第三稿) 中山王の家臣たちの懇親の宴。 宇座の古酒(第三稿) 尚巴志、宇座の御隠居の倅と古酒を飲む。 首里の初春(第三稿) 中山王となった思紹の初めての正月。 遙かなる船路(第三稿) 尚巴志、ウニタキ、懐機、明国に行く。 泉州の来遠駅(第三稿) 明国に着いた尚巴志たちは…

  • 第二部 主要登場人物

    サハチ 1372-1439 尚巴志。島添大里按司。マチルギ 1373- 尚巴志の妻。伊波按司の娘。サグルー 1390- 尚巴志の長男。妻は護佐丸の妹、マカトゥダル。ジルムイ 1391- 尚巴志の次男。後の尚忠。妻はサムの娘、ユミ。ミチ 1393- 尚巴志の長女。島添大里ヌル、サスカサ。イハチ 1394- 尚巴志の三男。妻は具志頭按司の娘、チミー。チューマチ 1396- 尚巴志の四男。妻は山北王の娘、マナビー。マグルー 1398-1453 尚巴志の五男。妻は兼グスク按司の娘、マウミ。マチルー 1399- 尚巴志の次女。ウニタルの妻。ウリー 1401-1464 サハチの六男。尚布里。思紹 1354…

  • 2-238.今帰仁グスクに雪が降る(第三稿)

    三の曲輪(くるわ)の本陣の仮小屋で、サハチとファイチと苗代大親(なーしるうふや)が今後の作戦を練っていた時、突然、不気味な音が鳴り響いたかと思うと大雨が降って来て、稲光と共に雷が鳴り響いた。 今帰仁(なきじん)グスクの絵図を見ていたサハチたちは、驚いて外を見た。「凄いな」と苗代大親が言った。 土砂降りに打たれて、一休みしていた兵たちはびしょ濡れになって立ち尽くしていた。大将たちは仮小屋にいても、兵たちが雨宿りをする場所はなかった。鉄炮(てっぽう)(大砲)に破壊されてボロボロになった屋敷はあるが、二の曲輪に近いので、そこに逃げ込むのは危険だった。 本陣の仮小屋のそばにいたサハチの護衛兵が、「雷が…

  • 2-237.奇跡の復活(第三稿)

    アキシノ様を助けるために、ササがいる島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに向かったタマ(東松田の若ヌル)、シンシン、ナナは、サグルーたちが志慶真曲輪(しじまくるわ)を攻め落とした四月八日の夜、名護(なぐ)の木地屋(きじやー)の親方、ユシチのお世話になっていた。 翌朝早くに出発して、日が暮れる前には島添大里グスクに着いた。東曲輪(あがりくるわ)では娘たちの剣術の稽古が始まっていて、鎧姿(よろいすがた)の三人のヌルが馬に乗って駈け込んで来たので、皆が驚いた。ササも若ヌルたちと一緒に娘たちの指導をしていた。 馬から下りた三人の顔を見て、ただ事ではないと悟ったササは、三人を連れて安須森(あしむい)ヌル…

  • 2-236.クーイの若ヌル(第三稿)

    お祭りをクーイの若ヌルのマナビダルと楽しんだ山北王(さんほくおう)の攀安知(はんあんち)は、武芸試合もうまく行って、強い若者たちを集められた事に満足した。さらに鍛えて、中山王(ちゅうざんおう)を攻めるために瀬長島(しながじま)に送ろうと考えていた。 翌日もマナビダルと一緒に城下の屋敷で、のんびりと過ごしていた攀安知は、中山王が攻めて来るとの噂を聞いた。しかも、羽地(はにじ)、名護(なぐ)、国頭(くんじゃん)の按司たちが裏切って、中山王と一緒に攻めて来るという。 そんな事があるはずはない。 でまかせを流しているのは誰だ? もしかしたら、奥間(うくま)の奴らか‥‥‥ 直ちに真相を確かめなければなら…

  • 2-235.三の曲輪の激戦(第三稿)

    外曲輪(ふかくるわ)を奪い取った翌日の朝、サハチはサグルーたちが志慶真曲輪(しじまくるわ)を攻め落としたとの知らせを受け、順調に行っていると満足そうにうなづいた。 しかし、サハチにとってサム(勝連按司)の死は大きな衝撃だった。昨夜はサムの枕元に座ったまま一睡もしていなかった。伊波按司(いーふぁあじ)、山田按司、安慶名按司(あぎなーあじ)の兄たちは、必ず、サムの敵(かたき)を討つと誓っていた。 サハチは志慶真曲輪を奪い取った事を兵たちに知らせて士気を上げた。中山王(ちゅうざんおう)の孫の活躍に、按司たちも大したものだと喜んだ。 朝食を済ませると総攻撃が始まった。外曲輪の中程に楯(たて)が並べられ…

  • 2-234.志慶真曲輪(第三稿)

    外曲輪(ふかくるわ)を攻め落とした日の朝、サグルー、ジルムイ、マウシ、シラー、タクが率いる兵たちは、搦(から)め手の志慶真御門(しじまうじょう)に向かった。 総大将はサグルーだった。サグルーは島添大里(しましいうふざとぅ)の若按司だが、三年前の十一月に与那原大親(ゆなばるうふや)に任命され、翌年の四月に山グスク大親に任命された。ジルムイ、マウシ、シラーの三人はサムレー大将としてサグルーに従った。 山グスクには険しい崖があり、大岩もあって、今帰仁(なきじん)グスクを攻めるための岩登りの訓練をするのに最適な場所だった。キラマ(慶良間)の島から来た若者たちで編成された山グスクの兵は、二年余りも岩登り…

  • 2-233.戦闘開始(第三稿)

    四月六日の正午(ひる)頃、一千五百人の兵を率いて今帰仁(なきじん)に着いたサハチは城下を見て驚いた。焼け跡に驚いたのではない。焼け跡に造られた陣地を見て驚いていた。 焼け跡の中に高い物見櫓(ものみやぐら)が三つも建っていて、グスクの前には楯(たて)がずらりと並んでいた。本陣となる仮小屋もできていた。 兵たちを待機させて、サハチはファイチが造った道を馬で進んで本陣に向かった。朝鮮(チョソン)の綿布を使って造られた仮小屋の周りは綺麗に片付けられていて、その周りには焼け跡の残骸が、まるで石垣のように積み上げられてあった。仮小屋の隣りに物見櫓があって、上を見上げるとウニタキがいた。ウニタキが手招きした…

  • 2-232.出陣(第三稿)

    首里(すい)グスクの石垣の上に『三つ巴』の旗がいくつも風になびいていた。 法螺貝(ほらがい)の音が鳴り響いて、西曲輪(いりくるわ)に武装した一千二百人の兵が整列した。胸に『三つ巴』が描かれた揃いの鎧(よろい)を着て、頭にも『三つ巴』が描かれた白い鉢巻きをしていた。全員がヤマトゥの刀を腰に差して、弓矢を背負った者、投げ槍を持った者、棒を持った者たちが晴れ晴れしい顔付きで、正面に立つ中山王(ちゅうざんおう)の思紹(ししょう)と世子(せいし)のサハチを見ていた。 中山王は明国の帝王、永楽帝(えいらくてい)から贈られた赤い皮弁服(ひべんふく)を着て王冠をかぶり、サハチは総大将らしい華麗な鎧を身に着けて…

  • 2-231.逃亡(第三稿)

    運天泊(うんてぃんどぅまい)に帰った湧川大主(わくがーうふぬし)は武装船に積んである鉄炮(てっぽう)(大砲)の半分、六つをはずして、今帰仁(なきじん)グスクに運ぶようにサムレー大将のナグマサに命じると、そのまま馬にまたがって、玉グスク村に向かった。 玉グスクヌルのユカは湧川大主が来る事を知っていて待っていたが、何となく、顔付きが変わったような気がした。「ミサキがあなたに会いたがっているわよ」とユカは言った。「どこに行ったんだ?」「長老の所に行って、読み書きを習っているわ。あの子、あなたに似て賢いのよ」「ミサキが賢いか」と湧川大主は嬉しそうに笑った。「今、今帰仁が大騒ぎになっているのを知っている…

  • 2-230.混乱の今帰仁(第三稿)

    今帰仁(なきじん)でお祭りが最高潮の頃、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクではトゥイ(前山南王妃)の母親ウニョン(先々代中山王妃)を偲ぶと称して、家族たちが集まっていた。トゥイの夢枕に母が出て来て、急遽、家族を呼び集めたのだった。その中には保栄茂按司(ぶいむあじ)夫婦と子供たちもいて、保栄茂按司の家族は保栄茂グスクに帰る事なく、そのまま島尻大里グスクで暮らす事になる。 島尻大里の城下の屋敷で暮らしていた仲尾大主(なこーうふぬし)は島添大里(しましいうふざとぅ)のミーグスクにいるヤンバルの長老たちに呼ばれて、妻と娘を連れてミーグスクに行った。我部祖河(がぶしか)の長老は仲尾大主の叔父で、喜如嘉…

  • 2-229.今帰仁のお祭り(第三稿)

    ササたちが乙羽山(うっぱやま)でマジムン(悪霊)退治をしていた頃、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに珍しい客がサハチを訪ねて来た。瀬長按司(しながあじ)だった。 わざわざ訪ねて来るなんて、瀬長按司の娘、マカジと苗代之子(なーしるぬしぃ)(マガーチ)の長男、サジルーの婚約に何か問題でも起きたのだろうかと思いながら、サハチは大御門(うふうじょう)(正門)まで迎えに出た。 瀬長按司はサハチの顔を見ると手を上げて、「ここに来たのは二十年振りじゃ」と笑った。「二十年というと、汪英紫(おーえーじ)殿がいた頃ですか」とサハチは聞いた。「そうじゃ。汪英紫殿は姉(トゥイ)の義父だったので、よく出入りしていた…

  • 2-228.志慶真ヌル(第三稿)

    庶民の格好に戻ったササたちは、朝早く勢理客(じっちゃく)村を発って、充分に気を付けながら今帰仁(なきじん)に向かった。 何事もなく、一時(いっとき)(二時間)足らずで今帰仁城下に着いた。城下の賑やかさにササたちは驚いた。交易に来ているヤマトゥのサムレーたちが大勢行き交っていた。城下の人たちの表情は明るく、すでに、奥間(うくま)の噂をしている人たちもいなかった。 ササたちは『まるずや』に顔を出した。『まるずや』にもお客がいっぱいいて、欲しい物を買い求めていた。店主のマイチがササたちに気づいて、裏にある屋敷に案内した。 屋敷にはウニタキがいた。絵図を眺めていたウニタキはササたちを見ると、「おっ、早…

  • 2-227.悪者退治(第三稿)

    昨日は雨降りだったが、今日は朝からいい天気で、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクのお祭りに大勢の人たちが集まって来た。 ミーグスクに滞在しているヤンバルの長老たちとクチャとスミも、マナビー夫婦と一緒にお祭りを楽しんだ。ナコータルーの娘のマルもマナビーと一緒にいた。 山南王妃(さんなんおうひ)のマチルーも女子(いなぐ)サムレーの格好で馬に乗って、トゥイ様(前山南王妃)と一緒にやって来た。佐敷大親(さしきうふや)のマサンルー、平田大親のヤグルー、玉グスク按司の妻のマナミー、知念按司(ちにんあじ)の妻のマカマドゥ、八重瀬按司(えーじあじ)のマタルー、手登根大親(てぃりくんうふや)のクルーもやって来…

  • 2-226.見果てぬ夢(第三稿)

    ウニタキはヤンバルの按司たちの書状を持って、真喜屋之子(まぎゃーぬしぃ)とキンタ(奥間大親)を連れて首里(すい)に向かった。今後の作戦を思紹(ししょう)と練るために、サハチも一緒に行った。 首里グスクの龍天閣(りゅうてぃんかく)に行くと、思紹と一緒に早田(そうだ)五郎左衛門も彫り物に熱中していた。何気なく役行者(えんのぎょうじゃ)像の顔を見たサハチは呆然となって立ち尽くした。「親父、これはクマヌなんですか」とサハチは聞いた。「自然にこうなってしまったんじゃよ」と思紹は笑った。 山伏姿のクマヌと一緒に旅をした若い頃が鮮明に思い出されて、知らずにサハチの目は潤んでいた。クマヌと一緒に旅をしなかった…

  • 2-225.祝い酒(第三稿)

    ミーグスクでヤンバルの長老たちの歓迎の宴(うたげ)をしていた頃、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクの一の曲輪(くるわ)の屋敷の二階で、サハチとウニタキが、キンタと真喜屋之子(まぎゃーぬしぃ)の話を肴(さかな)に酒を飲んでいた。「奥間(うくま)炎上を聞いたのは翌日の事でした」と真喜屋之子が言った。「今帰仁(なきじん)の城下でお芝居を上演していたら、急に騒がしくなって、奥間炎上の噂が流れたのです。奥間村が大火事になって、大勢の人たちが亡くなったという噂で大騒ぎになって、お芝居も中断されました。その時は何でそんな事になったのかわからず、しばらくして、山北王(さんほくおう)の仕業だとわかって、また大…

  • 2-224.長老たちの首里見物(第三稿)

    首里(すい)グスクの北、会同館(かいどうかん)の西側には赤木が生い茂った森があった。赤木を伐り倒して整地をして、そこに大きな穴を掘って大池を造り、庭園として整備する事に決まった。 キラマ(慶良間)の島から次々に来る若者たちが、掘っ立て小屋を建てて暮らしながら、奥間(うくま)の杣人(やまんちゅ)たちの指示に従って、赤木を伐り倒していた。炊き出しをしている娘たちもいて、新しい村ができたかのように賑やかだった。 二月三日に旅から帰って来たファイテとジルークは各地を巡って、やるべき事は色々と見つかったが、最初にやるべき事は首里の城下の御門(うじょう)を造る事だと言った。明国の都は城壁で囲まれていて、入…

  • 2-223.大禅寺(第三稿)

    二月一日、ジクー寺の落慶供養(らっけいくよう)が行なわれ、ジクー禅師によって、『大禅寺(だいぜんじ)』と名付けられた。 龍の彫刻がいくつもある立派な山門に、ジクー禅師が書いた『大禅寺』という扁額(へんがく)が掲げられ、本堂には新助が彫った釈迦如来(しゃかにょらい)像が本尊として祀られた。境内には法堂、庫裏(くり)、僧坊があり、『漢陽院(かんよういん)』という朝鮮(チョソン)交易の拠点もあった。 鐘撞(かねつ)き堂もあって、子供たちが楽しそうに鐘を撞いていた。去年の正月に琉球に来た鋳物師(いもじ)の三吉が造った梵鐘(ぼんしょう)で、あまり大きくはないが、いい音が響き渡っていた。 首里(すい)の城…

  • 2-222.東松田の若ヌル(第三稿)

    美浜島(んばまじま)(浜比嘉島)から勝連(かちりん)に戻ったササたちは、勝連若ヌルを連れて、東松田(あがりまちだ)の若ヌルに会うために読谷山(ゆんたんじゃ)の喜名(きなー)に向かった。 美浜島でササの弟子の若ヌルたちが神様の声を聞いたのに驚いた中グスクヌルと勝連若ヌルは、ササの弟子になりたいと言い出した。中グスクヌルのマチルーは二十二歳、勝連若ヌルのマカトゥダルは十八歳、二人は従姉妹(いとこ)で、サハチの姪だった。十二歳のキラの妹弟子になるけど、それでもいいのとササが聞くと、二人は真剣な顔でうなづいた。 一緒に南の島に行ったチチー、ウミ、ミミ、マサキの四人にカミーが加わり、キラも加わって六人に…

  • 2-221.シネリキヨ(第三稿)

    中山王(ちゅうざんおう)と山南王(さんなんおう)の進貢船(しんくんしん)が船出した日、ササたちは沢岻(たくし)に向かっていた。 母の馬天(ばてぃん)ヌルは沢岻ヌルを知らなかった。浦添(うらしい)ヌルのカナも知らなかったし、アキシノ様に聞いても、真玉添(まだんすい)で会って、一緒に与論島(ゆんぬじま)に逃げたけど、その後の事は知らないと言った。沢岻ヌルのウタキを見つけて、マサキが持っているガーラダマ(勾玉)の持ち主を探さなければならなかった。 須久名森(すくなむい)の山頂で笛を吹いた翌日、安須森(あしむい)ヌルとササたちは須久名森ヌルになったタミーと別れた。タミーは平田ヌルのサチと一緒に須久名森…

  • 2-220.被慮人探し(第三稿)

    ササと安須森(あしむい)ヌルが須久名森(すくなむい)の山頂で笛を吹いた翌日の夕方、首里(すい)の『まるずや』で四度目の戦評定(いくさひょうじょう)が開かれた。安須森ヌルと一緒にササも加わっていた。奥間(うくま)から帰って来たウニタキはサタルーを連れていた。「奥間の状況を知らせてくれ」と思紹(ししょう)が言った。 ウニタキはうなづいて説明した。「家々はすべて焼け落ちました。残っているのは諸喜田大主(しくーじゃうふぬし)がいる長老の屋敷とヌルの屋敷と八幡(はちまん)神社だけです。サタルーが村人の半数余りが殺されたという噂を流したので、ヤンバルの按司たちは心配して、配下の者に様子を見に来させました。…

  • 2-219.須久名森(第三稿)

    首里(すい)から呼んだサムレー大将の田名親方(だなうやかた)と楽隊に先導されて、李芸(イイエ)と早田(そうだ)五郎左衛門は連れて来た役人や護衛兵と一緒に首里へと行進した。マチルギが連れて来た女子(いなぐ)サムレーたちが、沿道の家々に朝鮮(チョソン)から使者が来たと触れ回ったので、小旗を振った人たちが李芸たちを歓迎した。 朝鮮の使者たちの後ろに愛洲(あいす)ジルーの船に乗っていたササたちが続いて、最後尾にサハチとマチルギと安須森(あしむい)ヌルが従った。サハチとマチルギが並んで馬に乗っているのを見た沿道の人たちはキャーキャー騒いでいた。「お兄さんとお姉さんが一緒にいるのが珍しいので、みんなが喜ん…

  • 2-218.李芸と再会(第三稿)

    浮島(那覇)にヤマトゥから帰って来た交易船、李芸(イイエ)を乗せた朝鮮船(チョソンぶに)、ササたちを乗せた愛洲(あいす)ジルーの船が着いて、馬天浜(ばてぃんはま)にシンゴ、マグサ、ルクルジルーの船が着いた。 いつもなら、交易船の事は思紹(ししょう)とマチルギに任せて、馬天浜に行くサハチも、李芸が来たので浮島に行き、馬天浜の事はサミガー大主(うふぬし)と佐敷大親(さしきうふや)に任せた。『那覇館(なーふぁかん)』が忙しそうだから一緒に行くと言って、安須森(あしむい)ヌルが付いて来た。 浮島に行く途中、首里(すい)に向かう交易船の行列と出会って、サハチと安須森ヌルは馬から下りて見送った。大勢の見物…

  • 2-217.奥間炎上(第三稿)

    仲宗根泊(なかずにどぅまい)から三隻の船に乗って奥間(うくま)沖に来た諸喜田大主(しくーじゃうふぬし)が率いる兵たちは、小舟(さぶに)に乗って砂浜に上陸した。 諸喜田大主は配下の仲尾之子(なこーぬしぃ)に奥間村を偵察するように命じて、全員が上陸するのを待った。「何も知らせずに、突然、攻めるのか」と並里大主(なんじゃとぅうふぬし)が諸喜田大主に聞いた。「いや。全員に逃げろと命じる」「逃がすのか」と仲宗根大主(なかずにうふぬし)が驚いた顔をして諸喜田大主を見た。「奥間の人たちを殺したら、わしらが恨まれる。村を焼き払って、皆殺しにしたという事にするんじゃ」「山北王(さんほくおう)にばれたらどうするん…

  • 2-216.奥間ヌルの決断(第三稿)

    正月気分も治まって来た正月の十日、ファイテとミヨン、ジルークと女子(いなぐ)サムレーのミカ、ウニタルとマチルーが旅に出て行った。南部を一回りしてから北に向かう予定だった。一行は目立たないように庶民の格好をしていた。 同じ日に、『油屋』のユラが今帰仁(なきじん)のお祭りの準備のために旅立って行った。島添大里(しましいうふざとぅ)のミーグスクに滞在していたクチャとスミの二人も武当拳(ウーダンけん)を身に付けて、ユラと一緒に故郷に向かった。油屋の者が一緒なので、恩納(うんな)の城下の『油屋』に一泊して、翌日に名護(なぐ)に着いた。松堂(まちどー)の屋敷に泊まって、クチャとスミと別れて、ユラは今帰仁に…

  • 2-215.それぞれの新年(第三稿)

    ファイテとジルークは島添大里(しましいうふざとぅ)に帰って来た。年が明けたら旅に出て、旅から帰って来たら首里(すい)に移り、とりあえずは報恩寺(ほうおんじ)の師匠として修行者たちを指導するという事に決まった。 ジルークは女子(いなぐ)サムレーのミカと再会して、二人の婚約が決まった。島添大里でも帰国祝いの宴(うたげ)が開かれ、一緒にソウゲン寺(でぃら)で学んでいた仲間が集まって、ファイテとジルークを祝福した。年末の島添大里の城下は二人の話題で持ちきりだった。 年が明けて、永楽(えいらく)十四年(一四一六年)になった。綺麗な日の出が見られて、今年はいい年になりそうだった。 新年の儀式も無事に済んだ…

  • 2-214.ファイテとジルーク(第三稿)

    十二月七日に奥間(うくま)のサタルーと一緒にヤンバル(琉球北部)に行ったハルたちは、十四日に無事に帰って来た。知らせを受けて、サハチが安須森(あしむい)ヌルの屋敷に行くと、シジマを囲んで、みんなが騒いでいた。「按司様(あじぬめー)、シジマさんが神人(かみんちゅ)になったのよ」とハルがサハチに言った。「何だと?」とサハチはシジマを見た。 確かにシジマは変わっていた。旅に出る前と顔付きも変わり、神々しい光に包まれているように見えた。「一体、何があったんだ?」とサハチは驚いた顔をして安須森ヌルに聞いた。「シジマはアキシノ様の子孫だったのよ」と安須森ヌルが信じられない事を言った。「子孫と言ってもただの…

  • 2-213.湧川大主の憂鬱(第三稿)

    ハルたちが屋嘉比(やはび)のお婆と別れて、奥間(うくま)に着いた頃、運天泊(うんてぃんどぅまい)に鬼界島(ききゃじま)(喜界島)から帰って来た湧川大主(わくがーうふぬし)の武装船と三隻の船が着いた。 台風で座礁(ざしょう)した四隻の船のうち、一隻は修理して何とか使い物になった。四隻の船に二百五十人の兵が乗っていた。かなりの戦死者が出たが全員が乗る事はできず、根謝銘大主(いんじゃみうふぬし)と国頭(くんじゃん)の兵二十数人が奄美大島(あまみうふしま)に残されていた。 座礁した三隻の船は山北王(さんほくおう)の船が二隻と国頭按司(くんじゃんあじ)の船で、名護按司(なぐあじ)と羽地按司(はにじあじ)…

  • 2-212.志慶真のウトゥタル(第三稿)

    十二月になって、そろそろ湧川大主(わくがーうふぬし)が鬼界島(ききゃじま)から帰って来るだろうとウニタキは今帰仁(なきじん)に向かった。 鬼界島に何人の兵がいるのか知らないが、四百の兵と鉄炮(てっぽう)(大砲)で攻めれば、今年こそは鬼界島を攻め取って来るだろうとサハチは思った。鬼界島の次はトカラの島々だろう。一番手前にある宝島はすぐに占領されてしまうに違いない。山北王にトカラの島々を奪われたらヤマトゥに行けなくなってしまう。来年、トカラ攻めの船が出る前に今帰仁を攻めなければならなかった。 その日、奥間(うくま)のサタルーが国頭按司(くんじゃんあじ)の材木を運んで浮島(那覇)に来た。すでに、ナコ…

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