「かにママABA療育日記」第15作です。 妻の療育マンガは1年4カ月ぶりです。昨年は、妻はPTA役員としての活動や商業団体、町内会の用務が重なって多忙でしたし、ぼくも資格試験があったりと、慌ただしい一年でしたが、今年度に入ってからは夫婦ともちょっと心身に余裕が出てきました。 このマンガは「つみきの会」に入ったばかりですので、息子が2歳、今から10年前の頃の話です。見ていると、妻が一番苦しんでいた時期を思い出しま
「重度自閉症」「重度知的障害」と診断された息子の子育てや日常生活などをつづっています。息子は現在、特別支援学校中等部1年。2歳で診断を受け、ABA(応用行動分析)に基づく家庭療育を続けています。新潟県在住。「つみきの会」メンバー。
「重度自閉症」「重度知的障害」と診断された息子(2011年生まれ)との日常生活や療育などについて、夫婦で書いていきます。息子は非常にゆっくりと、しかし着実に「できること」が増えてきていて、将来のことを悩み始めたらきりがありませんが、いまは夫婦共々、たぶん息子も「幸せ」です。
家族全員が新型コロナウイルス・デルタ株の免疫を手に入れるのに17日間かかった
わが家で最後の感染者だった息子がようやく完治しました。明日(31日)から自由に外出できるようになります。 既往歴があったぼくは入院して「抗体カクテル療法」の点滴を受けましたが、妻と息子は丸10日間、自宅に閉じこもっただけで、薬を処方されることもなく、何の医療行為も受けていません。勝手に治ったのです。 PCR検査で陽性が出て、保健所から「熱の出始め(発症)はいつか?」と聞かれ、その発症日から10日後に保健所から電話があり、症状がなければ「翌日から外出してもOK
せっかくの家庭菜園が「新型コロナウイルスで家族全滅」という非常事態に全然役に立たなかった〜ととママは完治、残るは息子だけ
息子が発熱し始めたのは20日ですが、最初の頃に夜中に39.4℃を記録しただけで、ずっと平熱が続いています。たまに咳をしますが、苦しがっている感じはありません。 平熱なのに寝るときにはアイスノンを枕元に持って来て、「つめたーい」などと言っては喜んでいます。そんな平和な日々が続いています。 たぶん明日(30日)に保健所から電話が来て、「一日経過観察をして問題ないなら翌日(31日)から外出OK」となるはずです。あと一息。 いや本当に長かった。 われ
サイクリングロードで出られない日常をすんなり受け入れてくれたことにビックリ〜ととママは完治、残るは息子だけ
ついにママも完治しました。あとは、病気にかかっているようには決して見えない息子だけです。 息子がコロナに感染しておらず、妻とぼくの濃厚接触者にとどまっていた場合、ここから14日後の9月9日まで外出自粛が続いていたわけです。 妻としては、自分は外出ができるのに、息子だけさらに2週間も外に連れ出せないことを想像するだけで「気が狂いそう」と言っていました。確かに、想像を絶する恐ろしさです。 息子は20日に発熱し始めましたので、「完治」認定はたぶん30日、
味覚・嗅覚が戻ってトロロ汁と貝柱の刺身、牛タン塩焼きが食べられるようになった〜ととは完治、妻と息子は感染中②
退院して自宅に戻ってきてからは、ほぼ一日中息子と一緒に過ごしています。 会社からは「退院後1週間ぐらいは自宅療養を」と言われていて、もともと妻が完治するまでは仕事には出られなかったので、ちょうど良かったです。 職場から家庭に新型コロナウイルスを持ち込み、全員に感染させてしまっていち早く完治した家族としては、まだ治っていない2人をしっかりと支えなければいけません。 息子は、自分の要求を通すために何度も何度も同じことを言う習慣がなくなっていました。一時は
息子もコロナに感染して本当に良かった〜ととは完治、妻と息子は感染中①
新型コロナウイルスが完治し、自宅に帰ってきました。自宅療養を続けている妻と息子がずっと気掛かりでしたので、帰ってこられて本当に良かったです。 妻は、発熱のピークは過ぎたようですが、症状がいろいろと出る中での息子の世話で疲れ果ててしまい、。ずっと寝ています。食欲もあまりない、というか、味覚と嗅覚が失われてしまったそうです。 6日ぶりに会う息子は、少し大人びた感じに見えました。 ぼくの発熱が始まる前の13日午前を最後にサイクリングロードに出ていないため、
家族3人、何とか生き延びることができ、新潟県立新発田病院の皆さんと新潟県新発田地域振興局の保健師さんたち、新潟県行政にただただ感謝〜コロナ感染隔離生活・最終日
17日夕方から始まったぼくのコロナ感染隔離生活もようやく、23日午前で終わります。 入院直後に打っていただいた「抗体カクテル療法」の点滴がきいたことから、入院3日目(19日)からはずっと平熱です。ホテルに移ると思っていたのですが、結果的に完治するまで病院に居ることになりました。ありがたいことです。 この間、妻と実家の父親の陽性が確認(18日)、高熱とめまいで妻が倒れる(19日)、息子も発熱開始(20日)、息子が2回目のPCR検査(21日)、県の自宅療養キット
ととの退院が決まり、ママは家で何とか持ちこたえていて、今度は息子が発熱した〜コロナ感染隔離生活・5日目
20日夕方、息子も発熱を始めたました。ぼくが入院する直前の17日夕方に受けたPCR検査で陰性でしたが、「鉄人」もついに感染したようです。 すぐに保健所に連絡したところ、21日の午前に保健所のスタッフの方が来てくださり、自宅前でPCR検査を受けることになりました。 妻が感染していることと、息子の障害を考慮してくださった形です。 最初のPCR検査でも、一般的?な「プラスチックのチューブに唾を大量に出す」方法が息子には難しいかもということで、「綿棒で鼻の穴
「ひとりで子育てしている親が感染したら生活が詰んでしまう可能性が高い」問題をどう乗り越えていくか〜コロナ感染隔離生活・4日目
家族全員が新型コロナウイルスに感染する例が増えているようです。夫が外部で隔離療養して妻と子どもが自宅療養という、うちと同じようなケースもテレビで報じられていました。 妻とぼくも痛感していますが、ひとりで子育てしている親が感染してしまったら、生活が詰んでしまう可能性が高いのです。 親子ともに感染が確認された場合、一緒に入院できればベストです。しかし、医療資源が逼迫しているので、実現の可能性は低いのではないでしょうか。 「大人の受け入れ先は見つかったけ
入院とホテル療養の違いについて保健師さんから事前に受けた説明〜コロナ感染隔離生活・3日目
入院初日(17日)の夜に受けた抗体カクテル療法の点滴のおかげか、この日(19日)は体温が終日、37℃を超えることがありませんでした。 変化といえば、鼻水が出なくなり、その代わりに咳が少し出るようになったぐらいです。 前回のタイトルが「だるくて退屈だけど苦しくはない」でしたが、今はただ退屈なだけです。 ここまで急速に回復するのには驚きました。明日(20日)の血液検査で問題が見つからなければ、退院してホテル療養か自宅療養になると思われます。 入院
PCR検査の結果が伝えられ、妻も陽性でした。しかし、息子は陰性! 4年前の冬、妻とぼくが同時にインフルエンザにかかったことがあるのですが、この時も息子はずっと元気でした。 自閉症と「感染症へのかかりにくさ」は何か相関関係があるのでしょうか。それとも、わが息子だけの特殊能力なのか、よく分かりませんが。 入院2日目(18日)は、前日に比べて少し楽になったような気がします。 発熱のピークが39.0℃にとどまってくれています。39.5℃と39.0℃で
陽性判明から入院までのバタバタした8時間半を振り返る〜コロナ感染隔離生活・初日
昨日(17日)夕方、無事に入院することができました。 PCR陽性の連絡から入院に至るまでの流れを時系列でまとめました。08:30 PCR陽性の連絡が来る。「保健所から電話が来ますので、指示に従ってください」08:40 妻も発熱し始める09:00 勤務先に電話し状況を説明(入院まで数回電話あり)10:50 保健所から電話。感染状況、最近の行動について詳しく聞かれる13:00 保健所から電話。濃厚接触者である妻と息子、実家の両親の検査の段取りを決定。「入院かホテ
昨日PCRを受けた医療機関から今朝連絡があり、新型コロナウイルスの陽性が判明しました。 ゆうべは39.5℃とかなりの高熱となり、「これでコロナじゃなかったら何だろうね〜」と言い合っていたのですが、やっぱりそうでした。今は38℃台で落ち着いています。 たぶん11日に会社でうつされ、お盆初日の13日夜から発熱が続いていたこともあって、仕事を休んで家にこもっていたため、発症後の濃厚接触者は妻と息子、実家の両親の計4人にとどまりました。 しかし、妻は今朝から
効果抜群の強化子がある時にそれを提供できない事態になるとABA療育は難しくなってくる
お盆初日の13日夜から発熱が続いています。夜になると38℃台まで上がり、日中は平熱から37℃前半までを行ったり来たりと、ダラダラとした症状です。 先ほど近所の医療機関でPCR検査を受け、風邪薬を処方していただき、PCRの結果が出るまでは自宅軟禁の生活となりました。暇です。 13日午前、雨の中を息子とサイクリングロードに出掛けたことが原因の夏風邪だとは思いますが、夏風邪にしては長引くことと、時節柄、発熱には慎重にならなければいけません。 もし新型コロナ
一部の「撮り鉄」の方が攻撃的でキレる理由はなんとなく理解できたし、アンガーマネジメントにはたぶん自閉症児(者)への療育の手法が効果的ではないかと思う
前回取り上げた「江ノ電撮り鉄トラブル」の現場写真について、ネット上で論じられていました。 「原田浩司/Koji Harada」(@KOJIHARADA)さんのツイートを引用します。https://twitter.com/kojiharada/status/1424972044446273546?s=1 いやホントにおっしゃる通り。 プロの写真家である原田さんの評価と解説は、素人のぼくにも合点のいくものでした。 そして、現場で撮影し
重度自閉症児の親としては、社会とトラブルを起こし続ける一部の「撮り鉄」が他人とは思えない
またしても撮り鉄のトラブルが話題になっています。 今回の現場は神奈川県藤沢市内の江ノ電で、「鉄道ファンらが深夜の試運転列車の撮影で、通りがかりの自転車に乗った男性に罵声を浴びせる動画がツイッターに投稿され、物議を醸している」というものです。 J-CASTニュースの記事「『チャリ乗ってんな!』『どけ!』『金だろ』撮り鉄が通行人に次々罵声 深夜の江ノ電で何が起きた」に顛末がまとめられています。 ぼくがたまたま「5ちゃんねる」を眺めている時にこのトラブルの
日本スイミングクラブ協会「泳力認定」のチラシがなぜモヤモヤするのか考えていたら、歴史的な炎上CMや「24時間テレビ」「パラリンピック」との共通点が浮かんだ
いまブログで時事ネタを取り上げるのであれば、東京五輪の閉幕や医療崩壊が始まりつつある首都圏のこと、小田急線刺傷事件など重くて暗いテーマがいくつもある中で、今回はそれらと全くリンクしない話を。 日本スイミングクラブ協会「泳力認定」のチラシについてです。 いつもブログを読んでくださっている方から一昨日、「日本スイミングクラブ協会のチラシを見たときに、なんかモヤッとしたんだけど、何にモヤッとしているのかわからない」とのメッセージをいただいたことをきっかけに調べ、思
「地元のドライバーは優しい人が多いなぁ」と思っていたけど、交通ルールを調べたら真逆の印象に変わってしまった〜息子とサイクリングをしている時に行っている自己流の療育について②
粟島のホースセラピーから帰ってきてからも毎日、息子とのサイクリングを続けています。 夏休みに入ってからは、夜勤明けで起きると息子が「自転車に乗りたい!」とうれしそうに寄ってきて、往復約15キロ・約1時間半のサイクリングをしてから一緒にシャワーを浴び、昼メシを食べ、クーラーのきいた部屋でしばらくゴロゴロしてから出勤ーというルーティンを繰り返しています。 連日の猛暑日でしかも平日の昼前となると、サイクリングロードですれ違う人はほとんどいません。 健康的と
馬の賢さと美しさ、馬に関わる人々の優しさに感動〜粟島ホースセラピー1泊2日・後編
前回の記事は泡姫ちゃんネタで終わってしまいましたが、ここからは、本題である「障がいのある子どもたちのための『ホース(馬)セラピー体験事業』in粟島」(JRA日本中央競馬会特別振興資金助成事業)の参加レポートです。 結論から申し上げますと、重度自閉症・中度知的障害がある息子は乗馬することができました。しかも、自ら「もう1回馬に乗りたい!」と意思表示をして、計2回も乗ることができました。 親としては、馬には乗れなくとも馬に親を持ってくれればOK、という気持ちで臨
9年ぶりに訪れた「近所の離島」は、ほんの少しオシャレになっていた〜粟島ホースセラピー1泊2日・前編
障害のある子どもを対象にした「ホースセラピー」で、新潟県の粟島に行ってきました。 手元にある資料によると、正式な事業名は「障がいのある子どもたちのための『ホース(馬)セラピー体験事業』in粟島」で、JRA日本中央競馬会特別振興資金助成事業として運営され、対象は「小・中学生の障がいのあるご本人とその介助者」です。 ホースセラピーが開催されることは、毎月郵送される地元の「手をつなぐ育成会」の会報で知り、すぐに申し込みました。 育成会に入った理由については
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「かにママABA療育日記」第15作です。 妻の療育マンガは1年4カ月ぶりです。昨年は、妻はPTA役員としての活動や商業団体、町内会の用務が重なって多忙でしたし、ぼくも資格試験があったりと、慌ただしい一年でしたが、今年度に入ってからは夫婦ともちょっと心身に余裕が出てきました。 このマンガは「つみきの会」に入ったばかりですので、息子が2歳、今から10年前の頃の話です。見ていると、妻が一番苦しんでいた時期を思い出しま
支援校中等部への登下校はバスのため(しつこい)、4月上旬の入学式以来、一度も学校に行っておりません。妻は先日、保護者面談で行ってきましたが、近所の小学校に通っていた6年間はずっと妻かぼくが一緒に登下校していたので、いまだに不思議な感覚です。 小学生の頃は、妻が5年間ずっとPTA役員をやり、図書館ボランティアを続けていたことから、学校とは極めて濃密な付き合いで、ぼくもそれなりに顔が知られていたようです。 ぼくは夜勤を含むローテ勤務のため、平日休みのことも多く
もういなくなってしまいましたが、先月の上中旬にかけ、家の近所にずいぶんと鳴くのが上手なウグイスが居ついて、楽しませてくれました。田舎とはいえこんな住宅街には珍しい。 今回は、息子の「鳴き声」について。「泣く」ではなく、「鳴く」。 こちらは昨日サイクリングに出かけた際に録音したものです。 この「鳴き声」を発するようになったのは半年ぐらい前からで、それほど声が甲高くない息子が、裏声?を使って「ぴよ~ん」と発声しています。ぼくも、真似しようとずっ
いよいよゴールデンウイークも後半!というか、ぼくの場合はローテーション勤務でカレンダー関係ないのですが、ようやく休みに入りました。市内のホームセンターには野菜苗が大量に出回り、そろそろ買ってきて庭の家庭菜園に植えないと出遅れてしまいます。 ことし何を植えるか、ラインナップをまだ決めていませんが、「これだけは二度育てない!」という野菜ははっきりしています。備忘録も兼ねてそれらを挙げていきます。イラストは、AI(Microsoft Copilot)に描いていただきまし
息子が支援学校中等部に入って3週間が過ぎました。それなのに、親はというと、まだ飽きずにバス通学の話をしています。この世は美しい。なぜなら、バス通学があるからバス通学はリリンが生んだ文化の極みだね 下の言葉は、エヴァオタじゃないと意味不明かと思われますが、説明は省略いたします。バス通学がうれしすぎて夫婦ともども「頭がいかれている」ことさえ伝われば十分ですので。 サイトを整理していたら、2年半前に書いた記事を見つけました。ht
われわれ家族が住んでいる市の祭りは毎年、8月末に3日間の日程で行われます。で、小規模ですが町内会の神輿渡御が祭り初日に合わせる形で催されます。そうなのです、社労士試験ともろにバッティングするんです。 初めて受験した一昨年(2022年)、祭り担当の町内会役員の方に電話しました。神輿の日の前後にちょうど県外で用事がありまして、地元を離れますので、ことしは参加できません。申し訳ないです m(__)m この年は不合格で、「早く受からないと、いつまでたっ
新卒で今の会社に入って20年間ずっと外勤でした。交換した名刺はすべて、もらった順にナンバリングしてJpeg画像に変換して保管してあります。 6000枚超あります。このうち、社労士の肩書が入っている名刺は、20世紀末に仕事でお世話になった方の1枚だけです。調べ直しておりませんが、はっきり記憶していて間違いありません。 この方はもうお亡くなりになっていますが、当時は市会議員でその関係でやり取りしただけで、社労士の業務について話題にしたことはありません。身内にも
新卒から現在まで続けている仕事に関連した業種でフリーランスor起業というのを将来の選択肢から消して、「障害者福祉系」という方針を定めたのはいいんだけれど、今までの職歴を捨てたアラフィフの全裸中年男性に今さら何ができるのか? いま流行っているみたいだし、放課後等デイサービスの経営とかはどうか? グループホームみたいな福祉系アパートはどうか? でも経営とかの知識はないし資格もないし、そもそもカネがないからなぁ。宝くじが当たるか大地主に転生すれば可能か。だけど
「アムステルダムの朝は早い」なんてコピーを使ったインスタントコーヒーのテレビCMが昔ありましたが、どこの国だろうと都市だろうと朝は早いわけで、これは今で言うところの「進次郎構文」(小泉進次郎さんがいかにも使いそうな言い回し)の「走り」だったという位置づけになるかもしれません。 「アムステルダムの朝は早い」に匹敵する「当たり前のことだから言われなくて分かっているわ!😤」ってのに、「障害児の親にリタイヤはない」があります。ええ、ぼくは死ぬまで息子の面倒をみますし、死ぬ
前回の⓪とは別の観点から書いてみます。 障害者、とりわけ知的障害者は「流動性に乏しい」と言われることがあります。 生まれた街で親とずっと暮らし、親が転勤族(死語か?)で一緒に引っ越しを繰り返す方もおられるでしょうが、多くは生まれたまちでそのまま年を重ね、「ついのすみか」として決めた施設が遠方にあれば引っ越してそこで生涯を終えるーというケースが一般的なのではないでしょうか。 わが息子に引き付けて考えてみても、自動車の運転免許を取る可能性はないでしょう
以前も書いたような気がしますが、社労士試験に向けた学習を始めた2年以上前からこのブログはほったらかしにしていました。その間は旧Twitterがオンライン上の主な居場所となり、息子の子育てのことなども、そちらに書いてきました。 合格して少し時間に余裕ができてブログを再びいじり始め、リニューアルして「労働・社会保険、福祉」「資格・学習」と新たなカテゴリーも新設したため、それに合わせた記事も書こうと思います。これがその1本目です。 このブログを以前からご覧になっ
息子が市内の特別支援学校中等部に通い始めて4日が経ちました。 これまでは自宅から歩いてすぐの小学校で、同じ顔ぶれの同級生と6年間過ごしてきました。それゆえ、学校が遠いわ知らない人ばかりだわでストレスをため込み、不安定になるかもと覚悟していましたが、全くそんな様子はありません。さすがサイクリングで鍛えているだけあるわ。 またバスの話です。 妻はといえば、バス通学が許可されたことがうれしすぎて、家で5分おきぐらいに「バスに乗って学校に向かっているんだね
息子は無事に市内の支援学校中等部に入学することができました。 「地域の子どもたちと同じ場所で過ごす経験を」ということで、小学校は自宅から歩いて3分の小学校(支援学級)に通わせました。これまでの6年間は大勢の健常児に交じる形でしたが、これからは生徒みんなが何らかの障害があって、先生方やスタッフも「障害児・者と関わるプロ」ですので、いろいろと安心です。 近所の小学校(支援級)から市内の支援校中等部というコースは息子を小学校に入ったことから決めていましたが、妻と
1月に受けた発達検査の結果を聞きに、自宅から100キロほど離れた医療機関(療育園)へ家族3人で行ってきました。帰りに職場に寄ってそこから夜勤でしたので、なかなかハードな1日でした。 結果としては、知的障害は重度ということで、評価は変わっていませんでした。この医療機関で5年前に受けた時より発達年齢が1歳ちょっと上がっていたので、息子はこの5年間で健常児換算すると1年分の成長をしたことになります。 結果自体は、親として常に接している中で「実感通り」といったところ
数日前、息子とサイクリングロードを走っていたら、聞いたことがない呪文のような言葉を繰り返していました。うっすらとメロディーも付いていました。 「君が代」でした。そうか、卒業式の練習で覚えたのか。「苔のむすまで」の部分だけヘビーローテーションしていましたので、全体を通して歌えるようになったのかは分かりませんが… 早いもので、息子が近所の小学校(支援級)に通ってもう6年となりました。 障害の種類も傾向もいろいろですので、比べても意味はないのですが、この
先日コメントをいただいたのを機に、5カ月ぶりぐらいにWordPressを開いてみました。 このブログを立ち上げてから数年が経ち、息子も再来週には小学校(支援学級)を卒業し、来月からは支援学校中等部に進みます。親の加齢と比較して、子どもの成長は早いものです。 ブログを立ち上げ、定期的に記事を書いていた当時とは、取り巻く状況が大きく変わってきています。 息子はもう12歳で、「早期療育」という年齢はとっくに過ぎております。とはいえ、妻は療育的アプローチは続
先日コメントをいただいたのを機に、5カ月ぶりぐらいにWordPressを開いてみました。 このブログを立ち上げてから数年が経ち、息子も再来週には小学校(支援学級)を卒業し、来月からは支援学校中等部に進みます。親の加齢と比較して、子どもの成長は早いものです。 ブログを立ち上げ、定期的に記事を書いていた当時とは、取り巻く状況が大きく変わってきています。 息子はもう12歳で、「早期療育」という年齢はとっくに過ぎております。とはいえ、妻は療育的アプローチは続
サイトのメンテナンスをしたついでに、もう1本書いてみます。 ことしの春、息子は初めて美容院で髪を切ることができました。2歳から家庭療育を始めて9年余、偏食はほぼなくなりトイトレも完全終了しましたが、「髪を切る」はずっと進展がありませんでした。 偏食ややトイレに比べ、それほど切羽詰まっていなかったため、「是が非でも」という気持ちが薄かったということもあります。 息子の散髪については、過去にも書いたことがあります。https://lovebee
前回の投稿から約半年ぶりになりました。ことしの8月下旬に社会保険労務士(社労士)試験を受け、今月上旬に合格が発表され、ようやく落ち着いてきました。 試験勉強を始めた2021年末から常に「心ここにあらず」といった状態が続いていて、子育てブログを書く心理的余裕がなく、ほかにもいろんなことをほったらかしにしていました。ようやく日常が再開され始めた感じです。 社労士に関しては、身近に資格を持っている人もおらず、全くなじみのない分野だったのですが、「息子が20歳になっ
前回の投稿から約半年ぶりになりました。ことしの8月下旬に社会保険労務士(社労士)試験を受け、今月上旬に合格が発表され、ようやく落ち着いてきました。 試験勉強を始めた2021年末から常に「心ここにあらず」といった状態が続いていて、子育てブログを書く心理的余裕がなく、ほかにもいろんなことをほったらかしにしていました。ようやく日常が再開され始めた感じです。 社労士に関しては、身近に資格を持っている人もおらず、全くなじみのない分野だったのですが、「息子が20歳になっ
支援校中等部への登下校はバスのため(しつこい)、4月上旬の入学式以来、一度も学校に行っておりません。妻は先日、保護者面談で行ってきましたが、近所の小学校に通っていた6年間はずっと妻かぼくが一緒に登下校していたので、いまだに不思議な感覚です。 小学生の頃は、妻が5年間ずっとPTA役員をやり、図書館ボランティアを続けていたことから、学校とは極めて濃密な付き合いで、ぼくもそれなりに顔が知られていたようです。 ぼくは夜勤を含むローテ勤務のため、平日休みのことも多く
もういなくなってしまいましたが、先月の上中旬にかけ、家の近所にずいぶんと鳴くのが上手なウグイスが居ついて、楽しませてくれました。田舎とはいえこんな住宅街には珍しい。 今回は、息子の「鳴き声」について。「泣く」ではなく、「鳴く」。 こちらは昨日サイクリングに出かけた際に録音したものです。 この「鳴き声」を発するようになったのは半年ぐらい前からで、それほど声が甲高くない息子が、裏声?を使って「ぴよ~ん」と発声しています。ぼくも、真似しようとずっ
いよいよゴールデンウイークも後半!というか、ぼくの場合はローテーション勤務でカレンダー関係ないのですが、ようやく休みに入りました。市内のホームセンターには野菜苗が大量に出回り、そろそろ買ってきて庭の家庭菜園に植えないと出遅れてしまいます。 ことし何を植えるか、ラインナップをまだ決めていませんが、「これだけは二度育てない!」という野菜ははっきりしています。備忘録も兼ねてそれらを挙げていきます。イラストは、AI(Microsoft Copilot)に描いていただきまし
息子が支援学校中等部に入って3週間が過ぎました。それなのに、親はというと、まだ飽きずにバス通学の話をしています。この世は美しい。なぜなら、バス通学があるからバス通学はリリンが生んだ文化の極みだね 下の言葉は、エヴァオタじゃないと意味不明かと思われますが、説明は省略いたします。バス通学がうれしすぎて夫婦ともども「頭がいかれている」ことさえ伝われば十分ですので。 サイトを整理していたら、2年半前に書いた記事を見つけました。ht
われわれ家族が住んでいる市の祭りは毎年、8月末に3日間の日程で行われます。で、小規模ですが町内会の神輿渡御が祭り初日に合わせる形で催されます。そうなのです、社労士試験ともろにバッティングするんです。 初めて受験した一昨年(2022年)、祭り担当の町内会役員の方に電話しました。神輿の日の前後にちょうど県外で用事がありまして、地元を離れますので、ことしは参加できません。申し訳ないです m(__)m この年は不合格で、「早く受からないと、いつまでたっ
新卒で今の会社に入って20年間ずっと外勤でした。交換した名刺はすべて、もらった順にナンバリングしてJpeg画像に変換して保管してあります。 6000枚超あります。このうち、社労士の肩書が入っている名刺は、20世紀末に仕事でお世話になった方の1枚だけです。調べ直しておりませんが、はっきり記憶していて間違いありません。 この方はもうお亡くなりになっていますが、当時は市会議員でその関係でやり取りしただけで、社労士の業務について話題にしたことはありません。身内にも
新卒から現在まで続けている仕事に関連した業種でフリーランスor起業というのを将来の選択肢から消して、「障害者福祉系」という方針を定めたのはいいんだけれど、今までの職歴を捨てたアラフィフの全裸中年男性に今さら何ができるのか? いま流行っているみたいだし、放課後等デイサービスの経営とかはどうか? グループホームみたいな福祉系アパートはどうか? でも経営とかの知識はないし資格もないし、そもそもカネがないからなぁ。宝くじが当たるか大地主に転生すれば可能か。だけど
「アムステルダムの朝は早い」なんてコピーを使ったインスタントコーヒーのテレビCMが昔ありましたが、どこの国だろうと都市だろうと朝は早いわけで、これは今で言うところの「進次郎構文」(小泉進次郎さんがいかにも使いそうな言い回し)の「走り」だったという位置づけになるかもしれません。 「アムステルダムの朝は早い」に匹敵する「当たり前のことだから言われなくて分かっているわ!😤」ってのに、「障害児の親にリタイヤはない」があります。ええ、ぼくは死ぬまで息子の面倒をみますし、死ぬ
前回の⓪とは別の観点から書いてみます。 障害者、とりわけ知的障害者は「流動性に乏しい」と言われることがあります。 生まれた街で親とずっと暮らし、親が転勤族(死語か?)で一緒に引っ越しを繰り返す方もおられるでしょうが、多くは生まれたまちでそのまま年を重ね、「ついのすみか」として決めた施設が遠方にあれば引っ越してそこで生涯を終えるーというケースが一般的なのではないでしょうか。 わが息子に引き付けて考えてみても、自動車の運転免許を取る可能性はないでしょう
以前も書いたような気がしますが、社労士試験に向けた学習を始めた2年以上前からこのブログはほったらかしにしていました。その間は旧Twitterがオンライン上の主な居場所となり、息子の子育てのことなども、そちらに書いてきました。 合格して少し時間に余裕ができてブログを再びいじり始め、リニューアルして「労働・社会保険、福祉」「資格・学習」と新たなカテゴリーも新設したため、それに合わせた記事も書こうと思います。これがその1本目です。 このブログを以前からご覧になっ
息子が市内の特別支援学校中等部に通い始めて4日が経ちました。 これまでは自宅から歩いてすぐの小学校で、同じ顔ぶれの同級生と6年間過ごしてきました。それゆえ、学校が遠いわ知らない人ばかりだわでストレスをため込み、不安定になるかもと覚悟していましたが、全くそんな様子はありません。さすがサイクリングで鍛えているだけあるわ。 またバスの話です。 妻はといえば、バス通学が許可されたことがうれしすぎて、家で5分おきぐらいに「バスに乗って学校に向かっているんだね
息子は無事に市内の支援学校中等部に入学することができました。 「地域の子どもたちと同じ場所で過ごす経験を」ということで、小学校は自宅から歩いて3分の小学校(支援学級)に通わせました。これまでの6年間は大勢の健常児に交じる形でしたが、これからは生徒みんなが何らかの障害があって、先生方やスタッフも「障害児・者と関わるプロ」ですので、いろいろと安心です。 近所の小学校(支援級)から市内の支援校中等部というコースは息子を小学校に入ったことから決めていましたが、妻と
1月に受けた発達検査の結果を聞きに、自宅から100キロほど離れた医療機関(療育園)へ家族3人で行ってきました。帰りに職場に寄ってそこから夜勤でしたので、なかなかハードな1日でした。 結果としては、知的障害は重度ということで、評価は変わっていませんでした。この医療機関で5年前に受けた時より発達年齢が1歳ちょっと上がっていたので、息子はこの5年間で健常児換算すると1年分の成長をしたことになります。 結果自体は、親として常に接している中で「実感通り」といったところ
数日前、息子とサイクリングロードを走っていたら、聞いたことがない呪文のような言葉を繰り返していました。うっすらとメロディーも付いていました。 「君が代」でした。そうか、卒業式の練習で覚えたのか。「苔のむすまで」の部分だけヘビーローテーションしていましたので、全体を通して歌えるようになったのかは分かりませんが… 早いもので、息子が近所の小学校(支援級)に通ってもう6年となりました。 障害の種類も傾向もいろいろですので、比べても意味はないのですが、この
先日コメントをいただいたのを機に、5カ月ぶりぐらいにWordPressを開いてみました。 このブログを立ち上げてから数年が経ち、息子も再来週には小学校(支援学級)を卒業し、来月からは支援学校中等部に進みます。親の加齢と比較して、子どもの成長は早いものです。 ブログを立ち上げ、定期的に記事を書いていた当時とは、取り巻く状況が大きく変わってきています。 息子はもう12歳で、「早期療育」という年齢はとっくに過ぎております。とはいえ、妻は療育的アプローチは続
先日コメントをいただいたのを機に、5カ月ぶりぐらいにWordPressを開いてみました。 このブログを立ち上げてから数年が経ち、息子も再来週には小学校(支援学級)を卒業し、来月からは支援学校中等部に進みます。親の加齢と比較して、子どもの成長は早いものです。 ブログを立ち上げ、定期的に記事を書いていた当時とは、取り巻く状況が大きく変わってきています。 息子はもう12歳で、「早期療育」という年齢はとっくに過ぎております。とはいえ、妻は療育的アプローチは続