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  • 日本にも世界から惜しまれて亡くなった女性がいた・・・

    日本は世界から女性の地位が低いと指摘されてきた。人口の半分を占める女性の活躍する場が、まだまだ少ない。その典型が、女性議員の数が少ないのが、それを証明している。女性の活躍する場は、徐々に拡大しつつはあるが、未だしの感がある。そんな中で国連で活躍された元高等弁務官だった「緒方貞子」さんが亡くなった。残念でならない。世界から惜しまれて亡くなった。その人道主義は目を瞠るものがあった。日本にもこんな立派な女性がいたことを忘れてはならない。国連をはじめとして、世界各国から惜しまれている。惜しい人を亡くしたものだ。彼女の業績を称え、ご逝去を悼む。広島・三滝寺の秋日本にも世界から惜しまれて亡くなった女性がいた・・・

  • 脳・心臓の疾患には、初動が肝心…

    10月も残すことわずかになりました。外では祭り囃子の音が鳴り響いている。朝・夕めっきり涼しくなり、行楽の時季が到来した。この時期にわが友が、脳梗塞で倒れ、リハビリも適わず、「寝たきりの状態」と聞いた。聞けば、朝の歯磨き中に倒れ、ドクタ・ヘリで遠隔地まで運ばれた。そのため、初期の処置も遅れて、重度の後遺症が残ったと聞く。私と同じ症状にもかかわらず、初動の遅れが致命傷になってしまったようだ。私の場合は、すぐさま救急車を呼び、適格な処置をしてもらったので、事無きを得た。脳や心臓等緊急を要する疾患には、最初の的確な処置がいかに大切かを痛感した。何事においても、最初の第一歩が肝心なのだ。田沢湖の秋脳・心臓の疾患には、初動が肝心…

  • 韓国政治の風向きが変わってきた・・・

    日韓関係は時が経っても硬直状態である。互いに譲り合う気配が見えてこない。天皇陛下の即位礼の際に行われた「日韓の首脳会談」においても、進展の兆しが見えてこない。韓国の国内では、文大統領の支持が急速に陰りが見え始めたようだ。この支持率の低下には、曺国氏一家をめぐるスキャンダルが大きく影響していると思う。日韓関係を始めて、米韓関係、経済の疲弊、北朝鮮問題等と難問を抱え、政権は八方ふさがりの状況である。如何に「自国ファースト」とはいえ、国際ルールに反してだめだ。日本は辛抱強く様子を見て、基本姿勢を変えないことだ。長期的には、隣国同士仲良くすべきとは思うのだが・・・。青島海岸の岩場韓国政治の風向きが変わってきた・・・

  • 余裕が無くなったアメリカ・・・

    終戦後、アメリカは豊かでロマンに溢れ、世界のリーダーとして君臨していた。貧しく貧困に喘ぐ日本から見れば、憧れの国だった。映画にしても文化にしても、市民の生活にしても、われわれ日本人にとっては羨望の的であった。まさに、唄にあったように「アメリカ良いとこ、アメリカ大好き・・・」と理想郷に見えた。映画をはじめ庶民の娯楽にしてもと夢とロマンに溢れ、文化面でも世界のリーダーに相応しいものがあった。しかし、朝鮮戦争・ベトナム戦争・イラク戦争などにより、次第に国力が疲弊していった。国力の低下とともに、文化面でもアメリカン・ドリームが失われていった。最近の「アメリカ・ファースト」のエゴを見れば、如何にアメリカが余裕を無くしてきたかが分かる。思わず「盛者、必衰の理をあらわす・・・」が思い出される。日米貿易摩擦、米中貿易戦争も象徴...余裕が無くなったアメリカ・・・

  • 人は迷いながら歩く・・・

    心は「コロコロ」変わるから「ココロ」ともいわれる。不動の心というが、余程の信念の持ち主でない限り、状況によって移り変わっていくものだ。丁度「静止画」を信念居士とすれば、次々と変わりゆく「動画」のようなもの。凡人は絶えず「迷い」の道をさまよいながら毎日を生きている。心の定まっている状態を「悟りの境地」とでもいうのだろう。信仰者には、確かな心の拠り所が存在するのだろう。頑固ではない「不動の境地」を願うのだが、わが心は日々彷徨い続けている。富士を仰ぎ見る人は迷いながら歩く・・・

  • 隠しても、お天道様は見てござる・・・

    国会中継を見ていると重要参考人たちは、肝心なところで「知らぬ存ぜぬ」「記憶にない」を連発する。優秀な方たちが、「・・覚えがない」「忘れた」はずがないのにひた隠しにする。いくら隠蔽しても、「お天道様が見ている」ことを忘れないでほしい。誤魔化しても誤魔化しても、いずれは化けの皮は剝れるものだ。正直に真相を話せば良いのにと思ってしまう。「お天道様」はすべてをお見通しなのだ。小細工しても、所詮は一時逃れなのだ。人間「素直で正直」なのが肝要だ。厳島の朱隠しても、お天道様は見てござる・・・

  • 子供は未来の宝だ…

    最近、教職員の不祥事が報じられている。教職員間のいじめの問題は、まるで不良少年たちの集団的暴力行為のように思えてならない。「仰げば尊し、わが師の恩」とは、およそかけ離れた行為だ。教師は子供たちにとっては模範となるべき立場にある。その立場にある教師たちは、教師にあるまじき行為だ。子供へのの先生の影響力は絶大であり、かのノーベル賞受賞の吉野彰先生の言を待つまでもない。教師の方たちには、子供達は未来を背負って立つ「宝の育成」に携わっている責任感を持ってもらいたい。旧家の座敷から子供は未来の宝だ…

  • 血圧は、健康のバロメーター・・・

    10年ほど前に、「高血圧症」と診断されて、毎日、血圧を測定している。5年ほど前から「降圧剤」は不要となったが、現在も継続中である。測定するごとに、数値は変化する。「血圧」は精神的にも肉体的にも、敏感に反応する。一寸した心の動揺にも、敏感に表れる。人間の体は、精神と一体になっていることが解る。人体は精巧に作られているものと感心させられる。心の持ちようがいかに大切かがわかる。毎朝起床時と、就寝前に測定しているが、その日の健康状態が解って有り難い。これからも続けていこうと思っている。遥照山天文台血圧は、健康のバロメーター・・・

  • 老後は、心の友が必要だ・・・

    年を重ねるに従って、親しくしていた友人達が鬼籍へと旅立っていく。心から話したい相手も次第次第に少なくなっていく。寂しい人生に変わり行く。寂しさとともに、孤独死や引き籠り症候群が増加する。「去る者日々に疎し」と言うが、老後は打解けて話し合える「友人」が必要になる。思いをため込み、発散させなければ、ストレスになっていく。コミュニケーションこそ人間の証だ。小鳥達さえもが盛んに囀り合っているではないか。そのためには若い頃から、人間関係をしっかりと築いておくべきだ。八方美人になる必要はない、少数でも真の友を持つことだ。本心で語り合える真の友人が必要になってくる。友が少なくなっていく今、話し合える友達の有り難さをしみじみ思う今日この頃である。久住山の雄姿老後は、心の友が必要だ・・・

  • 凡人は愚痴をこぼす・・・

    人は予期せぬ不幸や災難に出会った時、こぼしたくなるのが「愚痴」や「ぼやき」である。子供の頃には、男の子は辛くとも「泣いたり」「愚痴をこぼすな」とと言われて躾けられた。しかし、大人に成長してから、辛い時、困った時には、ついつい愚痴が出てしまう。「愚痴」とは文字通り「愚かさ」を意味している。愚かさを意識していながら、つい、喋ってしまう。父や祖母はその点流石に立派だったと思う、明治気質からか、家訓だったのか、子供の前では、絶対に弱音を吐かなかった。戦中、戦後の食べるに困った時期、一言も「愚痴」を聞いたことがなかった。今ならば何とかしてあげれたと思うと、悔しい思いがしてならない。ストレス発散のため、私は時には「愚痴を言ってしまうが、愚痴は自戒したいものだ。寒霞渓から瀬戸内を凡人は愚痴をこぼす・・・

  • 自然災害は常識を遥かに超えた・・・

    天災は、忘れた頃にやって来ると云われたのは昔のことであった。今では気候変動のためか、世界中で毎年発生している。その都度、設計の基準値は上昇させてきているが、イタチごっこになっている。科学と自然の追いかけっこだ。スポーツの世界では、「記録は、破る為にある」といわれるが、この激しい気象変動にどう対処すれば良いのか。50年に一度の発生基準は、通用しない時代になった。この勢いをどう止めるのか。常識も変えていく時代が到来したのか。人間の生活を見直すべきか。それが問われている最大の課題と思えてならない。ダヴィンチ象inミラノ自然災害は常識を遥かに超えた・・・

  • 自然災害の激甚化は年々脅威に・・・

    台風19号による被害は甚大となって、各地に拡散した。これほど甚大な被害を誰が想像しただろうか。近年、自然災害の規模と頻度は増してきているように思う。国土の保全は、過去50年間の実績に基づいて、計画・設定されてきたようだが、この基準では、対処しきれなくなっている。全面的に見直さないと、近年の自然災害には対処できない。それほど自然環境が破壊されてきたのだ。インフラの全面的見直しとともに、我々の足元も再考する必要がある。GNPオンリーの成長路線に赤信号が灯ったのではないか。今からでも遅くない、「地球温暖化対策」の即時実行を期待したい。自然は、牙をむいて待ち構えている。帝釈峡にて自然災害の激甚化は年々脅威に・・・

  • 東京五輪のマラソンコース等の変更について・・

    1964年の東京オリンピックは、快晴の秋空のもとで開催された。空に描かれたジェット機の軌跡が印象的だった。それを記念して、毎年、10月10日を「体育の日」として祝日に制定された。今年の10月10日は見事な秋晴れであった。例年この日は不思議と快晴に恵まれる。来年からは10月10につは「スポーツの日」に改められるようだ。ところで、2020年の東京オリンピックは、猛暑の真夏に挙行されるという。暑さ対策のためにマラソンコースを札幌に変更するよう検討されているようだ。何を今更、と言いたくなる。JOCは、初めから日本の事情を何故強く主張してこなかったのか。受け容れなければ、返上しても良かったのではないか。唯々諾々として動いているJOCに少しは主体的に活動してほしいものだ。オリンピック開催の返上も視野に入れて欲しい。国家の財...東京五輪のマラソンコース等の変更について・・

  • 教職は聖職か・・・

    昔のこと、学校の先生と僧侶は「聖職者」として、尊敬されてきた。高学歴化とともに、「先生」は「教職員」と言われるようになり、「デモシカ先生」と呼ばれるようになった。教育者が一般の就職と同等に扱われ、尊敬される「聖職」でなくなってきたように思う。先生もその自覚を失い、教育者として自覚が薄れてきたのではないか。神戸の「教師によるイジメ」をみていると、教育者にあるまじき行動に思える。教育者の子供に与える影響は絶大だ。教師も雑事に追われて、教育本来の姿に徹しきれずに、苦労されていることは容易に想像できる。教育とは、人間形成上、重要な仕事なのだ。「聖職者」の自覚をもってもらいたい。未来を創っていくのは、子供たちなのだ。大歩危渓谷の清流教職は聖職か・・・

  • 投票権行使に当たって・・・

    10月20日投開票の廿日市市長選挙の期日前投票に行ってきた。市長候補は2名だった。いずれも未知の候補者だった。選挙前から多少の予備知識はあったが、候補者の人間性・人柄・信用等個性については、全く無知であった。国会議員の選挙に際しても、選挙公報や、党派別の政策によるしか判断材料がない。候補者の人物評を最も知りたいところだが、知る術がない。人物の本質を知らないままに投票してしまうことになる。問題になった時に初めて候補者の本質を知ることとなる。我々も投票する前から予想される候補者の「人物像」をしっかりと見定めておく必要がある。1票の行使に当たっては、無責任な投票は許されない。投票後そんな感想を持った。あなた任せの投票では、投票率も上がらないし、良き政治は期待できないように思った。イタリヤ・ベローナの川辺で投票権行使に当たって・・・

  • 苦楽を共にするのが、人間関係の要諦・・・

    喜び、悲しみ、苦しみ、悩み等人生の苦楽を共有できる人間関係ほど、尊いものはない。普通、人間の喜怒哀楽は個人に帰着すことが多いが、特に、辛い・苦しい時ほど人の情けのありがたさが判る。体が元気な時にはなかったことだが、病んだ時、見舞ってもらえることほど、嬉しく勇気づけられることはない。喜び、悲しみを共にしてくれる友ほど有り難い存在はいない。勇気と再起する意欲が沸々と湧いてくる。共に寄り添うことは、弱い我々人間にとって、大事なのは人の情けだ。病に臥して、初めて知った「人の温もり」であった。若い頃の自己中心的な生き方に、反省することしきり・・・。松山城の石垣苦楽を共にするのが、人間関係の要諦・・・

  • 日本国民は従順・・・

    聖徳太子の頃から、日本は「和をもって貴し」としてきた歴史がある。争い事は無いに越したことはない。和をもって治めるのが最善の方法だろう。香港のデモ、韓国の混乱など他国の騒乱を見るにつけ、日本は平和であり、争いを好まない民族だ。「君子危うきに、近寄らず」が徹底しているのだろうか。沖縄・辺野古の問題は、他国ではどのように扱うのだろうか、気にかかる。香港も辺野古もともに民主主義が問われている問題とすると、大変な問題だ。内地の人間は、「われ関せず」で他所事のように思ってはいないか、気にかかる。日本国民は、従順で統治し易い民族なのだろうか。かつては、一揆が盛んな時期もあったのだが・・・。沖縄の基地問題を考える時、日米の関わり方にもっと真剣に考えてみる必要がある。ミヤマキリシマの群生日本国民は従順・・・

  • 村木厚子元厚労省事務次官に敬意・・・

    先頃、テレビで元厚労省事務次官のインタビューを拝見した。彼女は在職中に身に覚えのない「濡れ衣」で、裁判沙汰になった。結果、無罪を勝ち取った人である。霞が関の「エリート官僚」だった人だが、自然体で堂々とインタビューに応じる姿には、感銘を受けた。「釈明」も「勝ち誇った驕り」も無く、爽やかなインタビューだった。霞が関にも、有能で素晴らしい人財がいようとは、思いも及ばなかった。いかに責任を放棄して、保身を図る官僚が多い中で、彼女は、意外なほど淡々語っていた。着実に仕事をこなしている役人もいるものだと感心したのは、私だけではないだろう。立身出世と保身が重なった時に、役人は「記憶にない」等言い逃れをいうのだろう。行政は立法(国会)とは一線を画すべきことを示してくれた。阿蘇・仙酔峡にて村木厚子元厚労省事務次官に敬意・・・

  • 自然が牙をむいた・・・

    台風19号が過ぎ去っていった。関東を中心に甚大な被害だ。ここ数年の自然災害の発生を見ると、その頻度も規模も、かつてとは比べようがない程だ。私見になるが、「自然」と「文明」が正面衝突しているように見える。「文明」は地球環境を破壊しているように思えてならない。人間の欲望は限りなく「便利さ」と「贅沢」を追求している。水害の濁流は、自然が「牙」をむいて怒っているように見える。「地球温暖化」は何とか止められないか。経済も便利も大事だが、生存環境こそ自然から突き付けられている課題ではないか。身近なところから、資源の浪費を避けていきたい。矢掛町の陣屋跡自然が牙をむいた・・・

  • 支え合うことの尊さ・・・

    人という字は、人が互いに支え合っている姿から来ているという。確かに、人間は一人では生きていけない存在である。大病を患って、心底、その意味が身に浸みて判った。脳梗塞を患って、約3年近くになるが、未だにその後遺症は残っていて、不自由な身だ。少しの「フラツキ」が未だに残っているが、外出時には「杖」と「手摺り」が支えになっている。小さな「家族の支え」と小道具が、私を支えてくれている。人は精神的にも肉体的にも、一寸した支えで生活できるとしみじみと思える昨今である。健常者であっても、共に支え合ってこそ人間だと痛感した。弱者にとって、もっともっと住み易い世の中であって欲しい。帝釈峡にて支え合うことの尊さ・・・

  • 自国中心主義は世界を破滅させる・・・

    世界同時多発的に「自国中心」を主張するリーダー達が多くなってきている。外交は、「本来、自国の利を主張する場だが、協調する場でもある。何とか妥協して、纏めてきた協定を反故にして、「自国のエゴ」を主張する国が多くなってきた。その典型が米国の「パリ協定」破毀、英国の「EU」からの離脱だろう。国連は調整能力を失くし、大国のエゴが罷り通っている。この時こそ日本の果たすべき役割は大きい。その日本は「日和見主義」を決め込んでいる。世界は「サタン(悪魔)」達が跋扈しているように見えてならない。何とか平和裏に収拾させるリーダが表れないものか。今、地球は「瀕死の重傷」に陥っている。第三次世界大戦が勃発せぬことを祈るばかりだ。飛び立ちの準備自国中心主義は世界を破滅させる・・・

  • 他人と比較する勿れ・・・

    人生は或る意味でマラソン競争といわれる。長距離を我慢しながら耐え抜いてゴールへ向かう。他選手の状況を見て、たがいの疲労度等を考慮する駆け引きを繰り広げる。そこには他選手と比較しながらの駆け引きである。人生の長丁場の競争も同様に例えることが出来よう。他人との絶えざる比較が付いて廻る。人には本来、それぞれ違った存在であり、異なる役割・役目があるはずだ。他人と比較して「一喜一憂」するのはナンセンスかもしれない。凡人の我々には、ツイツイ他人と比較してしまう。自分は自分で良しとしたいものだ。樹木希林さんの「人と比較する勿れ」は、傾聴に値する名言だ。大山堂々と聳える他人と比較する勿れ・・・

  • 実存主義に憧れて・・・

    或る時期、イデオロギーが盛んに言われた時があった。戦後の社会不安が背景にあったのか、「資本主義」か「マルクス主義」か「実存主義」か等イデオロギー論争があった。イデオロギーを持たない人は、人に非ずという風潮であった。私はイデオロギー絶対視には、疑問だった。己の生き方として、何が正しいのか五里霧中だった。そんな時、個の実存が重視される「実存主義」に魅せられた時期があった。「劣等感」に苛まれていた頃だったと思う。人間の実存を哲学の中心におく思想的立場で、サルトルやヴォーボワールに心酔した時期があった。然し根底には、イデオロギーも万能ではないとの認識もあった。ソ連邦崩壊してからは、イデオロギー偏重の社会では無くなってきたように思う。思想とは、かくも時の流れに脆いものかと驚いている。厳島神社の回廊実存主義に憧れて・・・

  • 想定外は方便・・・

    「ウソも方便」という格言がある。その場凌ぎの言い訳だ。その道の専門家は、安易に「想定外」を使ってはならない。間違えば素直に謝罪する謙虚さが欲しい。自然には、まだまだ解からないことだらけだ。特に、地球温暖化による自然災害には、注意する必要がある。専門家は常に、人間の想像力には限界がある事を肝に銘じておく必要がある。我々も、専門家の言を「鵜呑み」にしてはならない。自然には、経験を遥かに超えることを認識すべきだ。優秀な科学者ほど謙虚で控え目だ。「想定外」は聴きたくない釈明だ。久住の湿原想定外は方便・・・

  • 人口減少は最大の不安材料・・・

    敗戦後日本は、経済を最優先課題にして、経済大国と云われるまでに発展してきた。然しその勢いもここに来て止まり、すべての指標に停滞感がみられる。「GNP」の数値はあまり気にならないが、財政破綻と社会福祉に人口減少が心配される。中でも最も心配なのは、人口減少の問題だ。人口が減って栄えた国家は見当たらない。欧米の先進国諸国も共通の悩みとなっている。一時的に栄えたとしても、未来に明るい希望は期待できない。国家にとって何が最も大切かを考える時、必ず遭遇するのは「人口問題」だ。国の成り立ちを考えれば、最優先課題は人口問題ではないか。経済も財政も地域格差もその他すべては、人口問題に係っている。「人工問題」こそ国の未来を左右する最大の課題だ。阿蘇・米塚と雲海人口減少は最大の不安材料・・・

  • 不審なメールとお気に入りバーには要注意・・・

    パソコンを攻撃目標にしたウィルスは、依然として、暗躍しているようだ。先日、「お気に入りバー」に見慣れぬ表示が出ていた。早速削除したところ、緊急を告げるメッセージがアナウンスされた。処理するのに困ったので、相談センターに照会した結果、「ウイルス」の疑いなしと診断された。ウィルスの悪さ無しとして、事無きを得た。不意に飛び込んでくる「メールの添付ファイル」「お気に入りバー」等には、注意していないとウィルスに侵され、詐欺に遭う危険がある。知らないメッセージに手を出すと、「悪魔」が手ぐすね引いて待ち構えている。電話するにしても、余程注意してかかる必要がある。「君子、危うきに近かず」に限る。サボテンの群生不審なメールとお気に入りバーには要注意・・・

  • ブログ投稿1000回を目指して・・・

    ブログの投稿も本日900回目を迎えた。期間にすれば約2年半になる。よくぞ続いたものだと、我ながら感心している。毎日の日課にしているのが、継続できた原因かもしれない。格言に「継続は力なり」とあるが、まさしく力になっているのだろう。それに加えて毎日、100名以上の方々の訪問もあって、励みになっています。これから1000回を目指して、スタートすることになります、ご支援賜りますよう、よろしくお願いします。今はただ「継続は、力なり」を実感するとともに、読者の皆様に感謝しています。老骨にムチ打ちながら、一層努力してまいりたいと思います。秋に咲くブログ投稿1000回を目指して・・・

  • 離婚の多きを憂う・・・

    最近、離婚が増えているそうだ。凡そ3分の一のカップルが離婚していると聞く。聞けば、「性格の不一致」が最も多いようだ。これだけ便利で豊かになっても、離婚は増える一方だ。喰うに困り果て、経済的な理由で破綻したケースが多かった時代に比べて、何と我儘なことか。夫婦円満とは、一生かけて互いに築いていくものではないか。「相手を思い遣る心」に「互いに譲り・補いあう心」と「「忍耐する心」が無ければならない。互いの主張が衝突し、喧嘩になることもあろう。後味の悪さを残さないことだ。性格が違っても、辛抱しながら、一生かかって築くのが「円満な家庭」と言えるのではないか。雨が降って、地固まることもある。何事も辛抱が肝腎だ。暑さにも耐えて九重湿原離婚の多きを憂う・・・

  • 涙は癒しのしずく・・・

    涙には、二つの作用があるようだ。嬉しい涙と悲しい涙だ。特に死別の涙は、忘れがたいものがある。肉親との別れほど辛いものはない。私は生まれて以来、三度の肉親との別れを体験した。一度目は、母との別れだ。三歳の葬儀の際、はしゃぎまわったことを微かに覚えている。物心がついていなかったからだろう。二度目は祖母、三度目は父との別れであった。この時だけは号泣した。悲しくて悲しくて、涙が枯れんばかりだったと記憶している。泣き終ると心が静まり、気持ちが癒された、「涙」は癒しの妙薬なのかもしれない。人生でこの二度の慟哭は、辛い辛い悲しい思い出だった。九重大吊橋の絶景涙は癒しのしずく・・・

  • 人は何を信じて生きるのか・・・

    この世の中には、信じられない出来事が、次から次へと発生している。それでも何事も無かったかのように日々過ごしている。人は何を心の拠りどころにして生きているのだろう。生活に困った人、体にハンディのある人、病苦、災難等で困っている人達が大勢存在している。彼らは、精一杯努力しながら、どんな希望をもって生きておるのだろう。困り果てて、最後に「神様」を頼るようになる。その結果、弱い立場の人達が「信仰の道」へと誘われる。最後に神により縋って、「信仰の道」を選ぶのだろう。「信仰」は理屈で認識する対象ではなく、ただ無条件に「神様」を信じることだ。文明科学が如何に進もうが、人は困り果てた時には「神様」に助けを求めたくなるものだ。救いの手を差し延べて下さるのは、「神様の恵み」だ。青海島の海岸にて人は何を信じて生きるのか・・・

  • 働くとは、人に尽くすこと・・・

    働き方改革が云われている。「働く」ということは「人が動く」=「仕事の仕方」を変えることを意味している。仕事の態様を変えることだが、物の本によると「仕事」とは両文字とも「仕える」ことを意味しているらしい。つまり、「働き方改革」とは仕事を通して「他人への仕え方」を変えることを意味している。会社は本来、人のために存在するものだが、「働き方改革」とは、個人の有り方が求められる。議論百出疑いなし、我々の有り方が根本的に問われているように思う。大いに議論すべし、そして、我々の日々の営みを見直す絶好のチャンスである。「人の為に、如何に尽くすか」がテーマになれば、「世の中の改革」に資するようになるだろう。あまり大きな期待はできないが・・・。彼岸花の頃働くとは、人に尽くすこと・・・

  • 知が働けば、悩みが増す・・・

    知識は万能で、増えれば増える程に良いと思ってきた。そのために懸命に努力もしてきた。知識は一面では努力の成果であり、貴重な宝物ではあるが、反面「悩み」も増えていくようだ。人生には、山もあれば谷もあって、顧みれば、「虚しさ」だけが残るのかもしれない。過ぎ去れば、達成した喜びも・感動も雲散霧消して、懐かしさのみが残る。人は「懐かしさ」を陽炎のように追い求めて、生きているのかもしれないと不図思う。テレビで「なんでも鑑定団」を見ていて、人の価値観の多様さに驚く。骨董収集に生き甲斐をかけている人達もいるのだ。現代科学の進化にしても、驚き感動はするものの、一瞬に終わってしまう。世のすべての出来事は、「夢のまた夢」なのかも知れない。夏の忘れもの知が働けば、悩みが増す・・・

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