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  • 感謝

    2020年9月28日帰天感謝

  • 暑中お見舞いとお詫び・・・

    暑中お見舞い申し上げます。長梅雨に続いてのこの猛暑、どうぞお元気でお過ごしくださるようお祈り申し上げます。病人からのお見舞いに、首を傾げつつ発信していますが、この夏の猛暑は格別につき、ご容赦ください。ところで、私、この暑さもあって体調が思わしくなく、ブログの発信を暫く休ませていただきたいと存じます。体調と気力が快復した後に再開したいと思っています。何とぞご理解賜りますように、お願い申し上げます。元気で再会できることを楽しみにして療養に努めます。2020.08.10広瀬亮石鎚山全景暑中お見舞いとお詫び・・・

  • ツィッター政治に戦略なし・・・

    ツィッターは、瞬時にリーダーの意思表示ができる。使い方によっては有効な戦略兵器になりうる。半面、リーダーの感情の入り込む余地が大いにあり、「話し合い」もせずに、成り行き次第で「報復合戦」になってしまっている。危ういことこの上なしだ。専門家による協議と戦略性に欠ける危険性が待ち受けている。重要な政治案件は、「場当たり足り的」であってはならないし、長期視点に耐えるものでなければならないはずだ。メディアによって発せられる政治的判断は、思い付きであっては混乱を招き、危険極まりないように思う。相手の出方を伺う「牽制球」の意味もあるのだろうが、危険球を投げ合うのは、止した方がよい。大事は「蟻の一穴」からも起こりうるのだ。ツィッターと軽く扱う勿れ・・・。寂地峡の滝ツィッター政治に戦略なし・・・

  • 口は禍のもと・・・

    昔から「口は禍のもと」と言われてきた。一寸した不注意な発言が思わぬ災いを招くことがある。悪気がないと油断して発言した心算のジョークが、相手の心に思わぬ傷を与えてしまうこちともある。身近な家族でも、不容易な発言は相手に大きなダメージを与えることがある旨諭された。言葉使いには、油断があってはならないと心に刻むこととなった。言葉使いには気を付けてきた心算だが、気を許した仲でも油断があってはならないのだ。狎れ合ってはならないのだ。ザルツブルグの大聖堂口は禍のもと・・・

  • オーバーシュート(爆発的感染)が始まっている…

    緊急事態宣言が解除されて、「GoーToーTravel」が実施されて、コロナの感染が全国的に広がってきた。自粛規制が解除されて以降、政府は重い腰を上げようとしない。このまま経済優先策を継続すれば、先々、オーバー・シュートが懸念される。政府は専門家の意見を無視したと聞くが、自信あっての判断とは到底思えない。経済と感染防止の2兎追うものは、失敗るように思えてならない。先ずはコロナ退治に徹するべきではないか。連日発表される数値が心配でならない。手遅れになってしまえば、取り返しがつかないことになる。シェーンブルン宮殿の庭オーバーシュート(爆発的感染)が始まっている…

  • 広島に原爆が投下されて四半世紀が・・・

    本日、広島に原爆が投下されてから、四半世紀を迎えた。広島の街が、最も熱くな日だ。世界各国から多数の来賓を迎え、盛大に平和を祈念する式典が行われる予定であった。今年はコロナの流行も影響して、式典は縮小されて寂しい集会になってしまった。しかし、式典が小規模になっても、平和の宣言は世界に向かって高らかに発したい。如何なる理屈があろうとも、「戦争=核兵器の使用」は止めなければならない。核兵器は「人類抹殺の兇器」となるからだ。声を大にして叫ぼうではないか。被爆者の遺影広島に原爆が投下されて四半世紀が・・・

  • お国柄アラカルト・・・

    国語の教科書で習った言葉に、今でも、強烈な印象が残ってのがある。元朝日新聞の論説主幹だった笠信太朗さんによる「ヨーロッパ人の性格を見事に表した言葉だった。曰く「イギリス人】は歩きながら考える【フランス人】は考え終わると走り出す【スペイン人】は走り終わってから考える【ドイツ人】はみんなが走り始めると走り出す【イタリヤ人】は情熱で走り出す」短い言葉で彼らの特徴を見事に表現している。イギリスのE・U離脱等現代にはそぐわない事項も散見されるが、言いえて妙である。日本人は、思考が停止して、動こうとはしない、と言えるのではないか。昨今のコロナ対策に見られるように、スピード感がないのに象徴される。世界の旗振り役を担おうとすれば、せめてイタリア人並みの「情熱」が求められる。東京駅ー丸の内南口お国柄アラカルト・・・

  • コマーシャルの低俗化・・・

    日本のテレビ・コマーシャルは何故、かくも品性に欠けるのが多いのだろうか。ただ、騒々しいのみで、何を訴えようとしているのか意味不明なものが多い。折角、高額な費用をかけて、逆効果になってはいないか。視聴者のレベルに合わしているのだろうか。経営者の品格を疑いたくなる。私は、下品なコマーシャルをやっている会社の製品は、絶対に、購入しないことにしている。美しい音楽、優雅で気品あふれる画面、ユーモァのあるコマーシャルには、思わず魅せられてしまう。コマーシャルを提供している会社の経営陣は、気にかけて御覧になっているのだろうか。経営陣には、厳しい目で観察している人間のいることをお忘れなく・・・。ザルツブルグのトロリーバスコマーシャルの低俗化・・・

  • 大自然の見えざる秩序が破壊される・・・

    大自然は大きな秩序によって守られてきた。その秩序が、いま、危険に晒されているのではないか。自然には、本来、自然回復力があって、バランス良く保たれている。自然回復力を遥かに超える力が加わって、秩序が破壊されているのではないか。地球温暖化がその最たるものである。世界各国のエゴによる国家間紛争、経済優先策、ゴミ処理問題等々秩序を破壊する動きが急ピッチで進んでいる。この勢いで進めば、見えざる「大きな秩序」によって守られている地球は間もなく終焉の時を迎えることになるだろう。地球が生き物であるとするならば、暫しの休養と癒しの時間が必要ではないか。ノイシュバンシュタイン城大自然の見えざる秩序が破壊される・・・

  • 新聞は、社会の木鐸というが・・・

    デジタルメディアが普及する以前は、新聞がしゃかいの木鐸と言われたいた。新聞が社会を映しだす、鏡とされたきたからだ。メディアの普及と「活字離れ」の結果、様子が様変わりしてきた。社会正義を主張するツールが多々登場して、今や、スクープは「誌週刊」の独壇場になっている。インターネットで知識は吸収できるが、この先、活字文化はどのように展開していくのか、想像もできない。新聞活字文化は、何か新機軸を打ち出さない限り、廃刊に追い込まれてしまう。「漫画」や「アニメ」等劇画が主流の世界になっていくのか。「頭脳」で記憶して、思考する能力は衰退していくのか。かつて「漫画」に描かれたきた頭でっかちの火星人のようになってしまうのか。「思考力」が無くなれば、漫画の世界になっていくのは、必然のように思えてならない。レマン湖からの眺望新聞は、社会の木鐸というが・・・

  • 日本人は清潔好き・・・

    私が現在住んで街は、宮島の対岸にある閑静な住宅地である。散歩をしていると道路に塵一つ落ちてないし、犬と散歩している人達は銘々、糞を処理する袋を持参しており、犬の糞の痕跡は全くない。風で飛び散った木の葉も、翌日には掃き清められており、整然としている。そこには、日本人の几帳面さと美意識が表れていて、清々しい。海外旅行で他国の道路事情を見て、初めて、日本人の美意識に気付いた。この美的習慣が、公衆衛生に好影響をもたらしているのだろか。また、コロナの感染者を少なくしているのかもしれない。良き生活習慣は、受け継いで行きたいものである。ミュンヘンの街角で日本人は清潔好き・・・

  • 庶民の暮らしの中の文化遺産を・・・

    一昔も以前のこと、海外旅行が盛んだった頃、憧れの欧州旅行をした。格安のチケットを利用しての旅行だったが、日欧の文化の違いを比べて見る絶好の機会であった。過去の文化遺産を大切に保存しているのには、驚かされた。文化遺産が、全て観光資源として生かされていることと、国策で保護されていることだった。特に、ヨーロッパ諸国に共通する印象だった。日本が観光立国を目指すなら、日本特有の生活文化の遺産を前面に打ち出すべきと思う。日本は後発グループに甘んじることになるが、庶民の暮らしの中にこそ文化遺産があることを忘れないで・・・。日本には伝統的な精神文化遺産がある。ザルツブルグの街庶民の暮らしの中の文化遺産を・・・

  • ペットに癒される・・・

    我が家では、これまでペットを飼ったことがなかった。娘が愛玩犬を連れてきてくれた。よそでペットを可愛がっているのを見ると、欲しくなることも屡々あった旅行等で家を空けられないし、不幸に際しては辛い思いをする等の理由でペットは飼ってこなかった。もともと動物好きの我が家では、すぐになついてくれた。その仕草の愛らしいこと、可愛がっている内に、癒されているのが解ってきた。食わず嫌いというものがあるが、まさに食わず嫌いであった。友人がペットとの別れは辛いと嘆いていたのを覚えているが、ペットは家族の一員になることが理解できるようになった。家族になれば、別れは辛いだろな・・・。大濠公園の庭ペットに癒される・・・

  • どんな企業が栄えるか・・・

    観光産業振興に「GoToキャンペーン」が、外食産業の需要喚起を図る目的で「GoToEatキャンペーン」が次々に行われる。経済再生のための官民挙げての試みだが、小さなトラブルが見込まれているが、成功を願いたい。アフター・コロナに向けての生き残り競争が繰り広げられると思うが、企業・店舗の知恵比べになるだろう。乗り損なうと倒産の憂き目を、成功すれば栄えていくことと思われる。コロナが作った「踏み絵」に違いない。生存競争が展開される。角館の旧家どんな企業が栄えるか・・・

  • 人作りこそが国民を幸せに・・・

    選挙の度に思ってきたことである。それは、日本には国創りのビジョンがないことだ。どんな国にしたいのか、グランド・デザインが全く見当たらないだ。先頃、北欧の小国フィンランドの教育について学ぶ機会があった。フィンランドでは、教育費は無償で、すべての国民に平等に与えられている。国家の屋台骨に「教育」を据えていることに注目した。「人作り」こそ、国家の基本方針にしている点だ。日本の庶民は、「寺子屋」で教育され、人間教育も行なわれてきた。「寺子屋」が教育の基盤となっており、日本の民度を上げて、近代国家を築いてきた。日本が世界に伍していけるのは、教育以外には見当たらない。教育=人作りに徹するべきではないか。フィンランドには、シベリウスの名曲「フィンランディア」の魂が宿っているように思えてならない。北欧の小国ではあるが、中立国を...人作りこそが国民を幸せに・・・

  • 梅雨明けの兆しが・・・

    今年の梅雨は異常な長雨で豪雨続きだった。ここに来て、晴れ間が見えるようになり、蝉時雨が始まった。クマゼミが競う合うようにして、けたたましく、合唱を始める。シャン・シャンと泣き叫ぶ。昔はミン・ミーン蝉や油蝉が混じっていて混声合唱だったが、今は、クマゼミの独演会だ。我が家の庭からも、蝉の抜け殻が散見される。自然界にも変化が起きたのだろう。蝉しぐれに出会うと、騒音が周りの音を掻き消してしまう。いよいよ真夏の到来を知らせてくれたのだろう。蝉しぐれは、季節の風物詩かも知れない。やがて訪れる酷暑を、予告してくれているようだ。石鎚山の天狗岳梅雨明けの兆しが・・・

  • 断固として行えば、鬼神もこれを避ける・・・

    緩慢なな動作をしていると「魂が入ってない」と叱られたものだ。気持ちの入った機敏な動作をするには「気合い」がいるようだ。政府や東京都に国民が求めているのは、断固とした強い姿勢が伝わって来ない。専門家の意見には、謙虚であって欲しいが、政治家には腹の据わった高度な決断が求められる。政治的判断には、断固とした姿勢が大切だ。総花的であってはならない。「メリハリ」が必要なのだ。東京都と政府間の意思疎通ができていないようだが、意識統一した上で、明確な指針を示して貰いたい。「断固として行えば、鬼神もこれを避ける」というではないか。政治のリーダー・シップが求められる。優柔不断な姿勢こそ、大敵だ。鞆の浦・仙酔島を前に断固として行えば、鬼神もこれを避ける・・・

  • 予期できぬ事が多くなってきた・・・

    世界各地で想定外の自然災害が発生している。かつて、経験したことがない甚大な災害が続出している。自然の猛威は怖ろしいばかりだ。これも人間が作り出した自然破壊の結果だ。人類はここで自然に対して謙虚になる必要があるのではないか。コロナが大切な反省の機会を与えてくれたのではないか。人間が自然を勝手放題に征服してきた傲慢さにある。古来から人間は自然を愛で、恐れ、へりくだる謙虚さがあっだはないか。コロナ禍を機に、自然との関わり方を根本的に見直す必要がある、自然と共生する世界だ。乱開発で自然を破壊してはならない。自然は生きとし生けるものすべての無くてならぬ住み家なのだ。オランジェリー美術館にて予期できぬ事が多くなってきた・・・

  • クレジット・カードの保管には厳重気注意を・・・

    先日、突然クレジット・カード会社から電話があった。私のカードに不正利用の疑いがあり、確認の電話だった。セキュリティー・チェックにかかり、利用の有無の確認だった。使用していない旨回答した。カード会社から、即座にカードを再発行するので、旧カードを廃棄して欲しいとの依頼だった。クレジット・カードの不正使用には、十分注意する必要がある。そのため、毎月、利用明細を送ってもらい、確認することにした。自分には無関係と思ってきたが、油断していたら、痛い目に合うところだった。クレジット・カードには常に厳重気注意を怠ってはならない。昼下がりのカフェテラスにてクレジット・カードの保管には厳重気注意を・・・

  • それでも民主国家と言えるか・・・

    人種差別の抗議デモが続いている。銃規制と人種差別の問題はいずれ解決せねばならない大問題である。しかし、繰り返し繰り返し発生する問題が未解決のまま放置されている。国民の多くは、何とかして解決せねばならないという切実な願いがあるのでしょう。願いが適わないのは、社会に見えない「闇」が存在するのか、政治の力不足かに違いない。地球温暖化の問題にしろ、リーダーが率先して、解決を進めてもらいたい。社会の分断化が進み、収拾できない状況なのか。世界のリーダーを自認するからには、何としても解決しなければならない問題だ。国民の意識改革を期待したい。ありし日のノートルダム寺院の聖人達それでも民主国家と言えるか・・・

  • Go Toキャンペーンは政府の焦り・・・

    GoToキャンペーンの強行に、各方面から反対論が出ている。政府が経済のテコ入れのために、観光産業の回復を目指すのは理解できるが、何故そんなに急ぐのか、理解に苦しむ。確かに、観光産業の疲弊は明白だが、コロナが全国的に猛威を振るい始めた今、急いでは事を仕損じると思えてならない。コロナの感染拡大が懸念されている今、身を危険に晒してまで、旅行を願う人がいるだろうか、いささか疑問だ。東京都をはじめ医師会も疑問を呈していいる。この際焦りは禁物だ、冷静になって判断してもらいたいものだ。オランジェリー美術館にてGoToキャンペーンは政府の焦り・・・

  • 二兎を追うものは、一兎も得ず・・・

    日本政府は緊急事態宣言を解除するとともに、経済と感染防止のバランスを採ると言いつつ、経済重視に舵を切った。本来、コロナ対策は、最優先課題に向けて取り組むべき事案である。経済とのバランスを重視すれば、感染防止は疎かになってしまう。東京都の感染が増加して、再度自粛要請の復活が言われ始めている。ここに政治判断の良否が問われている。「二兎を追うものは、一兎も得ず」の例えが、頭を掠める。感染対策を揺るがないようにしてこその「経済」ではないか。「焦っては、事を仕損じる」というが、少し焦りすぎたのではないか。多くの国民が、心配し始めたように思う。通勤・通学の満員電車が怖ろしくなってきたというではないか。経済再生相がリーダーなのは気掛りである。本来は厚労相がもっと前面に立つべきではないのか。パリのオペラ座正面入り口二兎を追うものは、一兎も得ず・・・

  • 他所ごとは無責任の始まり・・・

    これまで、諸悪の根源は自己中心にありと言ってきた。自己中心=エゴであり、自己の利益ばかり求める人のことを言う。自己中は「利他の精神」とは相容れぬ概念である。人間どうしても自己中心に考えてしまう。己の利害に直結しないことに対しては、無関心であり、「他所事」として扱ってしまう。無関心=他所事=自己中心主義=エゴに陥りやすい。最近になって「利他の精神」が言われるようになってきた。無関係と思っていたことが、意外なところで自己につながっていることがある。いわゆるブーメラン効果である。森羅万象何処かで繋がっているものだ。「他所ごと」と軽く考えないことだ。ベルサイユ宮殿他所ごとは無責任の始まり・・・

  • 心を鬼にして・・・

    東京都のコロナ感染者が4日連続200人を超えた。打つ手がないのか、経済の回復を優先するのか、無為無策になっている。政府も都も策がなくて立ち往生しているようだ。かかる時こそ、有能なリーダー・シップがいるのではないか。政権の力量が問われる。日本は放置国家になってしまったようだ。先手必勝と期待したいが、期待できそうにない。ごり押しする政権も、我慢の一手か。大阪府の吉村知事のような、強いリーダシップのある責任者の出現が待たれる。無為無策は重大な結末を迎えることになる。失敗を恐れてはならない。断固として行えば鬼神もこれを避けるというではないか。優柔不断こそ大敵だ。出発を待つ心を鬼にして・・・

  • 健康志向は歓迎すべし・・・

    テレビ・コマーシャルを見ても、新聞雑誌の広告欄を観ても、健康に関する記事が、所狭しと掲載されている。世はまさに、「健康ブーム」と言っても過言でない。私は、健康体だった頃には、今ほど健康に関心は無かったように思う。病んでみて、初めて健康の大切さと有難さが身に染みて解るようになった。多くの人が病み、不安を抱えながら、毎日を暮らしてるのが分かる。病院に行ってみて、その切実さが伝わってくる。元気そうに見えても、薬に頼っている人のなんと多いことか。本来、人間には自然治癒力がが備わっていて、健康が維持されているはずなんだが・・・。薬石に頼らぬ健康を求めたいと切に願いたい。薬には必ず「副作用」があることを、心にとめておいて欲しいもの。シャンデリヤ煌めく健康志向は歓迎すべし・・・

  • 知行合一は陽明学・・・

    「知即行」「行即知」は、陽明学の教え、「知行合一」が必要かつ十分な条件だろう。知識はあっても、行動が伴わないことには意味がないということだ。「知の学問」といわれる朱子学に対し、「心の学問」と呼ばれることもある陽明学は、中国の明代に、王陽明が興した学問であり、実践を重んじる。現代社会にあっても通用する実践的な学問である。世の多くの有識者は、口は達者だが、行いはどうだろうか。実践して初めて価値あるものとなる。選挙における「公約」がそれに該当するのではないか。実行あって価値が産まれるのだ。世の政治家達に言いたい、「言うは易し、行うは難し」と・・・。美辞麗句は不要、誠実な実践を望みたい。瑞巌寺境内知行合一は陽明学・・・

  • 諦めることと、希望を持つこと・・・

    巷間、「人間、諦めが肝腎」と人はいう。これは、金銭欲、物欲、名誉欲等執着心を放棄させるための言葉だろう。無駄な所有欲を持つなという教えだ。諦めれば、無駄な欲望を持たずに済むということだ。諦めることは、明るい希望とは相容れず、マイナス思考に陥りがちだ。実現できる希望がある時には、希望に燃えプラス思考を持つようになる。人は何に希望を抱き、執着心を捨てるかが、その人の人生観にかかっている。「諦めること」と「希望を持つこと」は、背反関係にあり、人の価値観を決定的にする。希望は野望になってはならない。家族と共に一日でも長く生き続けたいと淡い希望をもって、今日も懸命に生き続ける私である。猪苗代湖から磐梯山を遙かに諦めることと、希望を持つこと・・・

  • 悪い奴ほどよく眠る・・・

    1960年の頃のこと、黒澤明監督の「悪い奴ほどよく眠る」という題名の映画を観た記憶がある。「隠し砦の3悪人」とともに、現代の社会悪を糾弾する作品として記憶している。ところで、先ほど逮捕された河合前法務大臣が、自民党幹部に猛然と抗議をしたと聞く。誰もがやっているのに、私だけが何故という抗議だったようた。盗人猛々しいとはこのことだ「説明責任を果たす」と宣言しておきながら、梨の礫になってしまっている。広島県選出の議員諸氏にも、90数人に現金を配ったとされるが、罪の意識は全くないようだ。つい思い出したくなったのが、前記の黒澤作品である。安倍政権に与えるダメージは大きいだろう。広島県人として広島政界の浄化を強く望みたい。羽田空港の出発便悪い奴ほどよく眠る・・・

  • 先憂後楽ということ・・・

    先憂後楽とは、常に国民に先立って国民のことを心配し、国民が楽しんだ後に己が楽しむことをいう。北宋の忠臣范仲淹が為政者の心得を述べた言葉と聞く。転じて、先に苦労して心配事を取り除いておいた者は、後に安楽が待っているということだ。昨今の政治情勢を見ていると、国民に将来に向けての安心感を与えているだろうか。先行き心配事ばかりが累積している。当面の難題に四苦八苦ているように見える。想像するに、政治家の多くがこの国をどのような国に導きたいのかのビジョンがないからではないか。強国と同盟を結び、安穏としてはおられない時代になってきた。他国のことばかり忖度していると、目指す道のりを見失ってしまう。政治家は身を捨てて、国造りに邁進して欲しい。政治家の「私利私欲」と「保身」に汲々としている姿を見るにつけ、純真だった「初心」を問いた...先憂後楽ということ・・・

  • コロナ対策は、船頭多くして、船山に登る・・・

    東京都のコロナ新規感染者が遂に243名なり、これまでの最高を記録した。緊急事態宣言解除後の人々の緊張感が緩んだように見える。テレビでは、連日、感染者対策を中心に、専門家、コメンテータ諸氏が激論を交わしているが、甲論乙駁しているばかりで、決定打に乏しい。政府は、緊急事態宣言を解除して以来、完全に、経済復興に舵を切ったようだ。専門家会議や分科会の答申を尊重するように見せかけ、経済優先に軸足を移したようだ。専門家会議も、おそらく、小田原評定に終始し、決定打を欠いたと言えよう。政治のリーダーシップと責任感も欠如しているし、ビジョンも示されていない。コロナは正体が解らないまま、今日に至ったのだろう。後は、国民の自粛に期待する外に決め手がないということか。コロナ対策に打つ手なしと思わざるを得ない。石鎚山全景コロナ対策は、船頭多くして、船山に登る・・・

  • イージス・アショア撤退の英断・・・

    かねてから、「日米関係」の不合理を見直すべきと言ってきたが、今回のイージス・アショアの撤退は英断だったように思う。日米関係の不合理と思われる点は、幕末の「日米修好通商条約」を初めとして、敗戦後の日米安保条約、駐留軍の地位協定等々、米国から強要された多くの条約がある。そんな歴史的背景の中で、イージス・アショア撤退は、画期的な出来事と言えよう。日米が完全に対等の立場で締結した条約ならば、厳守するのは当然だが、いずれも米国の圧力を受ける中で締結されたものだ。不平等の条約は、見直すべきと考えたい。イコール・フッティングの中で全面的に見直しを進めて貰いたいものだ。当面の課題は、沖縄の「辺野古」の埋め立て問題だ。与党内からも見直すべきとの声が出ているという。この際、自国は自国で守る気概を持って、交渉に当たって欲しいものだ。...イージス・アショア撤退の英断・・・

  • 自然の猛威をまざまざと見た・・・

    今年も、梅雨末期の集中豪雨が襲ってきた。九州をはじめ日本各地に多大な被害をもたらせた。自然の猛威は脅威であり、恐怖さえ感じた。線状降水帯は次から次へと隊を連ねて襲ってきて、日本国中に甚大な被害を被った。中でも、球磨川、筑後川、飛騨川の氾濫は凄まじく、まるで猛獣が牙をむいて襲ってくるかのような脅威を覚えた。日頃は穏やかな風情を装っている河川も、一旦、牙をむくと恐怖の激流と化す。いくら「国土強靭化計画」を進めようとも、自然の脅威には太刀打ちできるとは思えない、所詮、蟷螂之斧ではないか。人間の自然に対する向きあい方が問われている。阿蘇五山自然の猛威をまざまざと見た・・・

  • 報道発表にも疑いの眼差しを・・・

    我々は日頃、マスコミから多くの情報を受けている。しかし、真実が報道されているか十分吟味する必要がある、虚偽の情報が仕組まれているかもしれないから・・。特に誤報の疑いがあるのは、当局から発表されるニュースだ。報道操作の疑いがあるからだ。大切なのは、受け手の受ける影響から考えてみる必要があることだ。特に、国際問題では愛国心を煽る報道が意図的に流されることがあるし、民意を誘導するする狙いがある。そこには大本営発表に見られたように、虚偽が仕組まれているからだ。微妙な日韓関係、日中関係、日米関係など特に注意を要する。コロナに関する発表にも注意深く見守る必要がある。報道は信用したいのだが、陰でどんな操作が行われているのか判らない。与える影響は、計り知れないものがある。報道発表には物事を洞察する慧眼が必要だ。蔵王連山を遥かに報道発表にも疑いの眼差しを・・・

  • 線状降水帯に要注意・・・

    今年も梅雨末期の集中豪雨の季節がやってきた。毎年、線状降水帯が九州地方に、次から次に襲ってくる。熊本、鹿児島の球磨川流域に甚大な被害をもたらせた。専門家は、50~100年に一度に襲ってくる想定外の豪雨だという。毎年襲ってくるのが常態化している。簡単に、に「想定外」として扱ってもよいものか。東北大震災を初めとして、世界の気象の異変は発生している。今や、時系列に基づく常識は通用しなくなっている。有識者、専門家の頭も切り替えないと。彼等の常識も通用しないことを、肝に銘じておこう。それほど、気象の世界は変化してきているのだ。松山城のやぐら線状降水帯に要注意・・・

  • クルマの優越感は危険-あおり運転・・・

    あおり運転が社会問題となって、法律も改正されたが、依然として後を絶たない。多分、煽り運転をする人達は、運転技術の優越感と短気な性格の持ち主ではないか。そんな変な心理が働いているように見受けられる。運転する時には精神が高揚するし人格が豹変するという。得意とする「運転技術」に優越感を抱き、イラついては煽ったり、無暗に警笛を鳴らす。日頃の欲求不満が爆発することになる。運転の得意な人も、苦手の人も、公道においては対等なのだ。高級車で運転技術に優越感を抱く人に多く見られる。問題になっても後を絶たないのは、そんなところに原因が潜んでいるのではないか。こけし館にてクルマの優越感は危険-あおり運転・・・

  • スーパー・シティー構想に期待する・・・

    東京都のコロナ感染者が再び増え始めたようだ。夜の従事者と游興客に多く発症していると聞く。東京は異様な巨大都市だ。地方が廃れた分、繁栄し続けてきた都市でもある。私もかつては憧れた街ではあったが、今では異常にさえ映る。田舎の荒廃は目を覆うばかりとなっている。商店街はシャッター通り化し、鉄道は廃線に追い込まれ、国土は荒れ放題になっている。そんな中で、スーパー・シティー構想が持ち上がり、云わば国土再編計画が始まっているようだ。同構想では、生産性より棲みよい社会を目指しているという。文明も、行き着くところまできたようで、この辺で再構築の時期を迎えたのかもしれない。痛みを伴うと思うが、大胆にやって欲しいものだ。知覧の街並みスーパー・シティー構想に期待する・・・

  • コロナは人間社会の弱点を突いてくる・・・

    東京都のコロナ感染者が2日連続で100人を超えた。下火になったと安心ていたが、気の緩みが出たか注目してみていた。行動の自粛、休業要請が緩められた途端に、感染が拡大し始めた。コロナは人間の弱点を巧みに突いてくるようだ。そのためには、戦略性が求められる。これまでの対策には、徹底した戦略性に欠けた居たのではないか。例えば、検査体制の強化、診療機関の整備と経営上の保障等韓国・ドイツに見られるような戦略性が必要だったと思えてならない。コロナは社会の弱点を暴いてくれているようだ。社会の清掃をやってくれているように見える。今後は第2波、第3波の襲来が懸念されるが、戦略性を以て備えて貰いたいものだ。夕陽のビルの谷間でコロナは人間社会の弱点を突いてくる・・・

  • 狎れ狎れしくする勿れ・・・

    ある訓練受講中に教官から、人間、狎れ狎れしくしては駄目だ、人間関係も長続きしない、と諭されたことがある。確かに、狎れ合う関係は傍から見ていても好ましいものではない。親しき中にも礼儀ありで、友情も長続きはしないだろう。日常生活で、慣れ親しむことは大切だが、ケモノ編の付く「狎れ」はいただけない。親しみを込めるという行為は、親愛の情の表れなのだが、度が過ぎると嫌らしくさえなってしまう。人間関係にも、ほど良い距離を保つことが大切なのだ。ジャレ合っても、終生の朋には成り得ないのかもしれない。ソーシアル・ディスタンスも捨てたものではないのかも・・・。ピンカートンinグラバー邸狎れ狎れしくする勿れ・・・

  • 画家はデッサンに始まり、デッサンに終わる・・・

    何事を始めるにも、最初が肝心で、「有終の美を飾る」と言うが如く、終わりも大切だ。有名な画家ほど、デッサンを殊更重要視されるそうだ。そしてデッサンを片時も忘れない。何を為すにも、基礎作りが最も大切で事の成否を握っているようだ。美しい豪華な建造物も、雄大な万里の長城も、基礎工事がさぞや大変だったと想像する。画家がデッサンを大切にするように、あらゆる分野においても、グランド・デザインの大切さが分かるような気がする。人間も人格形成上、幼児期の躾と教育が肝要であり、老後のありようが重要になってくる。生きている限り、優れた人生のデッサンを持ち続けたいものだ。東京駅ー丸の内口正面画家はデッサンに始まり、デッサンに終わる・・・

  • 世界は新時代を模索し始めている・・・

    コロナの感染は未だ収束を見ず、拡大の一途をたどっている。感染者は1000万人を超えてさらに拡大が続いている。経済を重視するあまり、感染対策が疎かになり、感染が急増している国々も見受けられる。一方、一部の国々では、コロナ収束後の新しい社会を如何に構築するかを真剣に模索し始めている。「グリーン・リカバリー」と言って、人間の生存を中心の据えた「包摂的な政策」を進めようとするものと聞く。経済成長優先の政策から決別して、地球環境に配意した食料、エネルギー、福祉等様々な政策が包摂的にされることになる。地球環境にも、地域循環型社会にも応えようとするもので、暮らし易い社会を実現しようと試みるものである。日本では「新しい生活様式」が言われているが、まだまだ検討の余地があるのではないか。日本も出遅れてはならない。日本のリーダーシッ...世界は新時代を模索し始めている・・・

  • 正義感もほどほどに・・・

    コロナ患感染防止策して、緊急事態宣言が発せられ、国民に対して、行動の自粛や休業自粛が要請された。そんな中で突如として現れたのが、「自粛警察」に「マスク警察」である。自粛していない人に対して、過度な抗議を行い、マスクを着用していない人に対しても暴言を浴びせる等するとのとのことだ。当人は、社会正義と錯覚しての行為だと思うが、一般人からすれば大迷惑千万だ。正義感に欠ける現代社会に於いても、独善的な正義感は迷惑以外の何物でもない。変な風潮が横行しているものだと嘆きたくなるう。正義感が欠如している皮肉なのかな・・・。こけし館にて正義感もほどほどに・・・

  • 漢方薬にも副作用が・・・

    漢方薬は効き目が穏やかにして、副作用の心配は少ないと考えていた。主成分は「生薬」が中心であり、効能も穏やかで、長期間服用する場合が多いと思ってきた。1か月ほど前に、頻尿の薬として「八味地黄丸」を服用し始めたが、最近になって異変に気付いた。インターネットで「副作用」について調べてところ、①発疹・発赤②胃部不快感③食欲不振④むくみ⑤動悸等数々の自覚症状が出ていた。早速、服用を中止して数日間様子を見たが、間違いなく症状は軽くなってきている。漢方薬は遅効性の薬品と承知していたが、油断ならないものと認識を新たにした。薬品は必ず副作用をチェックすることにしているが、漢方薬もサプリメントにも注意を怠ってはならない。蔵王のお釜漢方薬にも副作用が・・・

  • 長幼の隔たりを善き隣人に・・・

    子供の頃、年長者と目上の人には敬語を使い、敬いなさいと諭された。十分に納得せぬままに従ってきた。粗野な言葉遣いを指摘されてからは、強く意識するようになった。その習慣が身に付いてしまったのか、社会人になってからは他人行儀だと人から煙たがられた。丁寧過ぎる言葉遣いは不自然で、親近感を損なうし、少し戸惑った。養成訓練で、昭和6年~15年生まれのメンバーでクラスが編成され、年長者とも自然に融和できるようになった。年齢コンプレックスから完全に開放され、年齢差を意識せずに、自然に振舞えるようになった。長幼の序が善き人間関係の基となり、阻害要因にならないで欲しい。石見銀山の街角で長幼の隔たりを善き隣人に・・・

  • 愚か者はすぐに怒る・・・

    以前、「短期は損気」と書いたが、未だに短気は収まっていない。瞬間湯沸かし器になってしまう。愚かな人はすぐに怒りだし、賢い人は我慢強く怒りを堪える術を知っている。条件反射的に怒りがこみ上げてくる人は、堪え性が無いということか。怒りは体に少なからず悪影響がある。感謝と気配りとは素早く、怒りはおそくするのが賢い人の要件だろう。怒りをはやくして得るものはなく、相手を傷つけ、不快な思いをさせるだけだ。争いを留める人は勇者にも優るともいう。怒ってはただ反省が残るのみである。健康の為にも、怒りはおそくしようと思う。「ならぬ堪忍するが堪忍」は至って名言だ。石見銀山の街角で愚か者はすぐに怒る・・・

  • 日本の風俗・習慣は・・・

    久しぶりに日本の歴史小説を読んでみた。ある時期、戦国時代から江戸時代にかけての歴史ものを集中的に読んだことがある。この国の成り立ちと精神文化を学ぶのが動機だった。日本の主だった風俗・習慣は、この時代に形成されたと思われる。60余州の各藩が善政を競い合ってきたのだ。そして驚くべきは、武士道精神だった。貧しさを恥とせず、清廉潔白でその潔さには感服させられた。現代人も大いに見習うべきところがある。いわゆる封建制度には与したくないが、政治家にはこの武士道精神を見習ってほしい。侍魂は純真で清らかで潔さがあったように思う。温故知新の精神で旧き良き風習は受け継ぎたい。日御碕灯台聳える日本の風俗・習慣は・・・

  • 能ある鷹は爪を隠す・・・

    諺に「能ある鷹は爪を隠す」とあるが、道を究めた人ほど謙虚になるようだ。ノーベル賞受賞者のインタビューを聴くたびに、この格言を思い起こす。箴言にも「聡き人は知識を隠す」とあり、愚かな者は自分の「愚かさ」をさらけ出すとある。日常の会話でも、ツイツイ「知ったかぶり」が顔を覗かすことになる。知っていても、ただニッコリと笑っていればよいものを、「知ったかぶり」をしてしまう。やはり自分は愚者なんだと、後で反省することになる。心にユトリがあれば、微笑んで人の意見を聞き流したいものだ。「知ったかぶり」は愚の骨頂だ。小賢しく知識は披露するものではない。「知識」は小出しにすべし・・・。石見銀山の坑道能ある鷹は爪を隠す・・・

  • 習慣はルーチン化から・・・

    三日坊主の私が、ブログをこんなに長く続けられようとは、夢にも思わなかった。「継続は力なり」というが、コンスタントにやり続けることは、私には至難の業と言える。これも元気を取り戻そうという強い意気込みと、毎朝のルーチンにしたことが大きい。五時に起きて、血圧・体温を測定した後、足湯を約10分、ブログを処理してから、約20分間足の筋肉を鍛える。これが私の一日の始まりであり、ルーチンになっている。ルーチン化すれば習慣となり、続けることがそれほど苦にならない。ルーチン化=習慣化⇒継続になったのではないか。ルーチン化は不思議なことに苦痛を取り去ってくれる。オフィス街の憩いの場習慣はルーチン化から・・・

  • 目は口ほどに物をいう・・・

    目力という言葉がある。目には見えざるエネルギーがあるという。目は口ほどにものを言うといわれるが、目は心の思いを伝えているようだ。相手を真っすぐ見れない時には、何か後ろめたいものが潜んでいる。嘘や誤魔化しがあるときには、目は空ろになっている。テレビで被疑者の表情を見ていると、日を追って人相が悪く変わっていくように思う。何かヤバいことがある人の目には、言い知れぬ不安に怯えている。確かに目は心の鏡である。疑いがある時には目を見るようにしている。ファチマの聖母像目は口ほどに物をいう・・・

  • AIは働き方に大革命をもたらすか・・・

    テレワークの普及とともに、AI(人工知能)と結びついて、どのような進展を見せるか。恐らく、AIは学習を重ねて進歩し、大変革をもたらすに違いない。社会活動全般に関わっていくことが想定されので、社会が根底から変えられていくだろう。AIは、IT(InformationTechnology)と結びついて、今後、飛躍的進化が期待されている。人間の知能が自動化され、人間にしかできない分野のみが残されるだろう。その時、残されるのは人間の五感と閃き(第六感)が重視される社会になるだろう。それは、読む・書く・記憶する・理解する能力ではなく、人間のもつ感性が尊ばれるようになっていでしょう。大濠公園の風景AIは働き方に大革命をもたらすか・・・

  • 原罪という恐ろしき罪・・・

    人間には生れつき、原罪があると聞く。人祖アダムとイヴに発しているという。確かに我々は生まれながらにして、「自己中心」という厄介な罪を背負っている。罪にも①法律に触れる罪②人の道に外れた道徳的な罪とがある。原罪は後者に属する。生きているとことは、人を傷つけているということだ。①舌で人を刺すか②憎しみや敵意の目で人を見るか③人を裁くかしている。幼児期からの行動を考えても、「自己中心」そのものだった。諸悪の根源は、このエゴにあったと言えよう。我々はこのエゴの中で暮らしているという自覚をもって、日々を暮らしていく必要がある。「自己中心」というほど怖ろしい虫はいない。他人を思い遣る心がこれを救ってくれる。浦上礼拝堂原罪という恐ろしき罪・・・

  • 仕事は自分のため、社会のため・・・

    最近になって初めて知ったことがある。それは「仕事」とは人に仕える事を意味していることだ。「仕事」の本来の意味を見過ごしてしまってきたが、最近になって、書物によって教えられた。事業は社会の為だと承知していたが、本来の意味を理解しておれば、仕事に取り組む姿勢も変わっていたかもしれない。何となく義務感でやってきたように思う。人のため、社会の為にやったと思えば、取り組む姿勢が変わっていただろう。明治を生きた人達が、「世のため、人のため」と言っていた気持ちが分かるような気がする。「仕事」は自分の為であり、人の為にもなっているのだ。球状のバラ仕事は自分のため、社会のため・・・

  • 自由という不自由・・・

    何かのテレビドラマで「自由とは不自由」というセリフが印象に残っている。確かに人生には、節目節目には、自由な選択肢が無限に存在する。選択肢が多いほど、迷ったり、悩んだりする。右往左往して、悩みは果てしなく続く。自由にも制約条件があって、勝手気ままには自由は行使出来ない。社会的規範が制約条件となってくる。「自由」そこには自ずと限界があり、そこには拘束されて不自由さも存在する。制約条件が、自由を不自由にしてしまうのだ。最終的には、個々人の価値観が決め手となる。美しかった大濠公園の松自由という不自由・・・

  • 総理の任命責任を問う・・・

    河合杏里夫妻の逮捕により、総理が国民に向けて謝罪した。たびたびの謝罪である。遺憾の意と責任詫びながら、口先だけの謝罪に終わっていないか。心底お詫びしているのか疑問だ。心がこもっているようには見受けられない。よくも次から次に任命した大臣が、不祥事により辞職したものだ。総理の見識を問いたい。安倍政権にとっとも、大きなダメージとなっているようだ。心無いお詫びは何度聞いても、心に響いてこない。本心から反省しているとは思えない。任命は、事の重大さを鑑みて、性根据えてやってもらいたいものだ。人事を軽く扱ってはならない。長崎の夜総理の任命責任を問う・・・

  • 総理の任命責任を問う・・・

    河合杏里夫妻の逮捕により、総理が国民に向けて謝罪した。たびたびの謝罪である。遺憾の意と責任を詫びながら、本人による説明責任をもとめて、口先だけの謝罪に終わっていないか。心底お詫びしているのか疑問だ。心がこもっているようには見受けられない。よくも次から次に任命した大臣が、不祥事により辞職したものだ。総理の見識を問いたい。安倍政権にとっとも、大きなダメージとなっているようだ。心無いお詫びは何度聞いても、心に響いてこない。本心から反省しているとは思えない。任命は、事の重大さを鑑みて、性根据えてやってもらいたいものだ。人事を軽く扱ってはならない。長崎の夜総理の任命責任を問う・・・

  • 選挙は人気投票に非ず・・・

    東京都知事選が告示され、候補が出揃った。小池現都知事が有力視されているようだ。いつも思うことだが、選挙は人気投票や知名度やイメージで投票されてきたようだ。候補者の、人格、識見、政策、統率力等総合的判断の上、慎重に投票しなければならない。人気投票や、知人等に依頼されての投票は、避けて貰いたいもの。自分で冷静に見極めて、後々、悔いの残さぬようにしたいものだ。(己の投票行動を反省して・・・)選挙戦は公明正大に戦ってもらいたい、後顧に憂いを残さぬように・・・。能登・国分寺跡選挙は人気投票に非ず・・・

  • 虚無感という厄介な代物・・・

    夢と希望が断たれてしまった時、空しい気持ちに陥ってしまう。幸せの絶頂感の次に来るあの虚脱感をいうのだろう。何とも空しい気持ちになることがある。満足して満ち足りた後にも、次から次に襲ってくる虚無感とは、一体、何者だろう。きっと、人間のどこかに満足しきれない何者かが潜んでいるのだろう。新たな刺激を求めるようになり、このサイクルが暫く続く。これが「MoreAndMore」になって表れる。欲望の連鎖となっては、往きつく先がなくなる。求めなければ「空は空」に陥ってしまう。足るを知って満足を得たいたぃものだ。呼子漁港にて虚無感という厄介な代物・・・

  • 知識を求め過ぎれば、悩みも多く・・・

    現代人は、知識ばかりを追い続けているようだ。私もそのために努力してきた。書棚を見れば、雑学の書ばかりが山積みになっている。残したい本は数少ない。断捨離で多くの本を処分した心算だが、随分と無駄をしたものだ。知識を求めて、近年になるまで彷徨したものだ。結果、残ったものは数少なくなった。下手に知識ばかり求めれば、悩みが増すばかりだ。不要な心配までしてしまう。知識は、所詮、知識であり、活かしてこそ価値がある。知識を求める方法は様々だが、何を求めたいかにかかっている。無駄な回り道をしたものだ。ガクアジサイ知識を求め過ぎれば、悩みも多く・・・

  • 複眼で洞察力を・・・

    現役時代、ある上司から重要な事柄は複眼で観るようにしなさいと指導された。単純に近視眼的に物事を観れば、本質を見誤ることがある。大所高所に立って、複眼で観る習慣を身につけなさいと注意された。政治や世界情勢等を観る時、とかく視野が狭くなりやすいが、俯瞰して複眼で判断しなさいということだ。以来、直感を重要視しつつも、複眼でチェックする習慣が身に付いたように思う。直感力も大切だが、冷静に複眼で物事の本質を見抜く目が、重要になってくる。ある先輩からいただいた貴重な一言だった。複眼で考察する洞察力を・・・。バイキング-火星探査機複眼で洞察力を・・・

  • ツィッター等の発信は慎重に・・・

    米国の大統領が、ツィッターによる発言で物議を醸している。過日、その危うさを指摘しておいたが、案の定その通りになった。コロナに対する甘い見通し発言といい、人種差別を黙認するような偏見発言等ツィッターによる軽々しい発言が混乱を招いている。世界のリーダーや大統領が軽々に感情的な発言はすべきでないと思う。大統領選にも悪影響が出ていると聞く。デモの制圧に軍隊を出動させる発言には、身を挺して思いとどまらせたエスパー国防長官の勇気ある発言を讃えたい。海賊船・海王ツィッター等の発信は慎重に・・・

  • 生きている限りは使命感が・・・

    たとえ、回復見込みのない重病人や身体の不自由な障害者となって、生きる希望を失っても、生きている限り人間は人間である。生きるより死んだ方が楽と思えても、「生きるのは義務であり、使命」である。物品は廃物になっても、人間は決して廃物にはならないからだ。当人が、輝くばかりの喜びに生きているとしたら、多くの人を励まし、勇気と希望を与え続けることだろう。人間は生きている限り、いかなる悲惨な状況にあっても、命は尊いのだ。私は、大病を患って不自由な身になって、初めて、恵まれない人の気持ちが身に染みて分かるようになった。年老いて身体が弱っても、何某かの使命(役割)があるはずだ。単なる「穀潰し」にだけにはなりたくない。唐津城の天守閣生きている限りは使命感が・・・

  • リモートワークは過疎化を阻むか・・・

    東京一極集中が進み、過疎地域の激増が心配され、リモートワーク(在宅勤務)が注目されている。離れていても、自宅で仕事ができる可能性を秘めており、今後、どんどんと導入されていくことだろう。テレワークの有効性が立証されて、地方移住希望者が増加したと聞く。テレワークの普及が都市集中化の国土を一変させる可能性を秘めている。東京一極集中化は極めて異様と言えよう。20年の東京勤務の経験から、地方への分散は歓迎すべきだ。過疎化が解消されて、バランスの良い国土と地方創生を実現する絶好の機会だ、大いに賛同したい。烏賊の活き造りー唐津にてリモートワークは過疎化を阻むか・・・

  • 心を開けるか、ソーシアル・ディスタンス・・・。

    人と出会ったとき、挨拶は大切な礼儀である。挨拶は心を開くという意味がある。コロナの感染予防に、ソーシアル・ディスタンスをとるよう求められているが、人間関係にどのような影響が出るか・・・。親しく握手ができない、喜びを分かち合うハイタッチ、ハグも控えよということだ。人間らしい触れ合いが暫くできないことになる。長期間にならなければ良いのだが・・・。人間間に距離を置けば、コミュニケーション・コンタクトを取り辛くなる。ソーシアル・ディスタンスも早々に終わせて欲しいものである。虹の松原ーin唐津心を開けるか、ソーシアル・ディスタンス・・・。

  • 党議拘束の是非について・・・

    通常国会も終盤を迎えている。終盤には多数の案件が成立する。与野党の対決法案は、強行採決されることが多い。与党は党議拘束をかけて、法案の成立に全力を注ぐ。議員個人の考えには関係なく採決される。「党議拘束」には、議員個人の考慮の余地が与えられていない。良心に反していても、拘束されてしまうことがままある。ここに党議拘束の隘路があるように思えてならない。2大政党の米国では議員の良心が尊重され、自由が保障されている。「党議拘束」は余程慎重でなくてはならない。マーキュリー計画のロケット党議拘束の是非について・・・

  • リモートワークと人財育成は・・・

    新型コロナウィルスに出現により、リモートワークにアクセルが入った。リモートワークは人の働き方を根本から変えることになるが、人財育成が可能なのか懸念される。マニュアルや説明書により、育成しているが、人財は育にくいのではないだろうか、気になるところだ。山本五十六の名言「やってみせ、やらせてみて、褒めてやらねば人は動かない。任せなければ人は育たない。」は消え去るのだろうか。それでなくとも、現代は人財育成が疎かになりがちだ。リモートワークも良いが、人財育成と人間同士の接触の仕方に大きな課題が残されている。いずれにしても、アフターコロナの企業には真剣にとり組むべきテーマである。紫陽花の頃リモートワークと人財育成は・・・

  • 会社人間よさらばか・・・

    コロナ対策として、リモート・ワーク(在宅勤務)が推奨され、実用に供されている。民間の調査会社によると大企業で約80%、中小企業で約50%で使われたという。リモートワークは企業の仕事の仕方をがらりと変容させる。コロナ収束後にも、仕事の在り方をがらりと変えるのに違いない。通勤地獄の解消、仕事の見直し、通勤時間の節約、等メリットも多い。半面、情報の漏洩、労務管理・人事管理方法、コミュニケーション不足等デメリットも想定され、課題も多い。世界的にも「ニュー・ノーマル」として改革が進められるだろう。これまでの「会社人間」も一掃されるかもしれない。在宅勤務が会社人間を締め出すか。川のせせらぎ会社人間よさらばか・・・

  • 人生は重き荷を背負う遠き道か・・・

    徳川家康の名言に、「人の一生は、重き荷を背負うて遠き道を行く如く、急ぐべからず」とあるが、現代人の我々にはどうか。呱々の声を上げてからを顧りみると、我が人生には大いに浮き沈みがあったように思う。先ず太平洋戦争だろう、物心ついた頃のことで暗い出来事だった。空襲警報に明け暮れ、成長盛りの子にとって、空腹ほど辛いことはなかった。戦後は貧しい暮らしが続き、進学が断たれたのが悔しかった。人生の前半は暗い思い出しか残っていない。社会人となってからは、貧しいながらも、妻に支えられて、順調に過ごして来られたように思う。若き日に読んだ、山岡荘八の著作「徳川家康」の幼少の頃の不遇に耐えた時期に感銘を受けた。色鮮やかに紫陽花人生は重き荷を背負う遠き道か・・・

  • 日本の産業構造が変わる・・・

    近年、日本の生産体制はグローバル化して、国内中心から低賃金のアジア地域にシフトしてきた。コロナの襲来により、海外との交流は閉ざされ、国内生産を余儀なくされている。生産体制の再構築が必要となり、国内での生産が求められ、生産拠点の国内回帰が始まった。いわゆる、サプライ・チェーンの見直しが進み、産業構造の再編成が始った。安値より、安定供給が求められるようになる。安売り競争も終わりを告げるかもしれない。消費者も適正価格による消費を心掛けたい、安物買いの銭失いになりたくない。鮮やかに紫陽花咲く日本の産業構造が変わる・・・

  • 集合意識は時に凶器に・・・

    またしても、米国では人種差別に抗議しての暴動が起きている。白人の警官が、黒人の被疑者を取り押さえて、殺害したという事態が発生した。YouTubeやSNSで情報が発信されて、暴動に発展したらしい。情報が「集合意識」に火をつけて、各地で抗議デモや暴動に拡がって行った。個人の意識だけでは動かない「現実」が、ある一定数以上人の集合意識の力によって、動いてしまうことがあるのだろう。米国では、黒人の人種差別に対する不満が、意識下でフツフツとして燃えたぎっているのだろう。銃乱射の問題と人種差別の解決なくして、果たして民主国家と言えるのだろうか。米国にも救い難い「病根」が存在しているのだ。色づく紫陽花集合意識は時に凶器に・・・

  • 足湯は健康のもと・・・

    娘に勧められて「足湯」を始めた。足湯バケツを購入して、10~15分間40°Cのお湯に足を浸す。約1週間試みたが、非常に心地よいし、体温が約1度上がった。これまで35度の前半だった体温が36度まで上がった。体温は免疫のバロメータという。体温が高くなれば免疫は向上し、健康維持の鍵を握っていると聞く。大病を患って、恢復が遅れている私にとっては、朗報になるかもしれない。免疫の向上には、血流を良くすることと、体温を上げる努力にあるようだ。冷えきった足を温めることは心地良いものだ。「足湯」を継続して、一日も早い健康の快復を願いたい。紫陽花の季節足湯は健康のもと・・・

  • 言葉は神からのプレゼント・・・

    高校時代の教科書で、「初めにに言(ロゴス)があった、言は神と共にあった、言は神であった」という文章を学んだ。意味が哲学的で、理解不能であった。教師からの説明があって、どうにか理解できたように思った。言葉遣いを意識するようになって、真の意味が分かるようになった。人間にとって、言葉は神から授かった宝物と思うようになった。心を開いて優しく語りかける言葉は、話相手の心に響くし、怒りで発した言葉は、相手に凶器となって突き刺さる。言葉には見えない不思議なエネルギーが隠されている。言葉使いはその人の人格を示している。不用意に発する言葉には注意したいものだ。言葉は時には相手を刺す凶器にもなるからだ。アヤメ美しく佇む言葉は神からのプレゼント・・・

  • コロナ禍は雇用形態を変えるか・・・

    日本の雇用形態は、終身雇用制を基本としてきた。近年、非正規社員・パート社員等の増加により、雇用形態が大きく変貌してきた。また、年功序列賃金も「職能給」の導入等により、大きく変わってきた。コロナ・ウィルスの来襲によって、生活様式も根源的に見直すことになる。社会の生活様式が変わって、雇用形態も変化する可能性がある。企業も、退職金を準備する余力がなくなると思うからだ。池田湖から開聞岳を仰ぎ見るコロナ禍は雇用形態を変えるか・・・

  • 日本にもベーシックインカムが必要になる・・・

    格差社会が言われて久しくなる。世界的に格差が進み、62人の大富豪が、全人類の過半数の富を保有しているという。ベーシックインカムとは、最低限の生活に必要なお金を、所得制限や年齢制限なしに国が支給する仕組みである。フィンランドで試行されていると聞くが、コロナウィルスの襲来により、企業の倒産と失業者の増加に、どのように対処するのだろうか。コロナに対した支払う給付金、休業補償費、失業補償等考慮すると、莫大な財政支出が見込まれ、いずれは国民から課税することになる。コロナに遭遇した今こそ、ベーシックインカムについて世界的に真剣に取り組むべき時期に来ているのではないか。人類にとって、平穏な暮らしを続けたいならば、必ずベーシックインカムの制度が必要であり、生存権の保障になる。格差社会の是正の好機だ、歪んだ社会を終わらせたい。フ...日本にもベーシックインカムが必要になる・・・

  • 同盟関係と言えど、助言と提言はすべし・・・

    日独伊のような軍事同盟がある。日米同盟やNATOのような同盟もある。国家目標を達成するために、2つ以上の国が、軍事上の義務を伴った提携関係をいう。軍事同盟は、仮想の敵国を想定したもので、政治と連動して結ぶ協約だ。加盟国は対等であるべきだが、上下関係は存在しないはずだ。アメリカ等覇権国には、強いリーダーシップが求められ、他は従属的になりがちである。日米の同盟関係は久しいが、日本は敗戦国としての従属的な地位は依然として続いている。米国の属国のような感がある。日米安保や地位協定に縛られ、対等な関係に見えても、自由な言動が許されていない。米国の理不尽な言動にも、必要な助言もできないようだ。同盟国としての勇気ある助言をすべきと思う。従属的な同盟はいずれ破綻の道を辿るだろう。米国・中国間の覇権争いの中にあって、同盟の在り方...同盟関係と言えど、助言と提言はすべし・・・

  • 政治家よ、声なき声に耳を傾けよ・・・

    一級の政治家の資質に、「批判に耳を傾ける姿勢」があるといわれる。世界の政治家を見渡しても、稀有な存在と言えるかもしれない。稀には存在しているように思うが・・・。反対する勢力の声に、耳を傾けることは、事の是非に関して、謙遜な姿勢でなければならない。民の声を天の声として謙虚に聴き入れる姿勢の政治家は、後世の歴史家が高く評価することになろう。党利党略の強引な施策は、いずれは排斥されることになろう。無理を通して道理が退くような政治では、後々、通過した法律も、邪魔な存在になりかねない。「悪法も、また、法なり」というが、悪法は勘弁願いたい。ミヤマキリシマ華やかに政治家よ、声なき声に耳を傾けよ・・・

  • 覇権による権力者は、王道を・・・

    権力者には覇権争いで権力の座に就いた人もいるが、人民から慕われて権力者になった人も居る。統治能力が優れておれば未だしも、権力をかさに、悪政の限りを尽くす権力者には、歴史家から惨いしっぺ返しを食うこともある。覇権争いや謀略で勝ち得た権力は、いずれは滅びの道を辿ることになる。後世の歴史家から高く評価された人は、王道を歩んだことになる。覇権争いによる悪政は「下の下」と言わざるを得ない。王道を歩んで貰いたいものだ。現政権の支持率は、経済政策、森友・加計問題、文書改ざん問題、さくら問題、検察法問題、コロナ対策等で低迷している。果たして立て直しが効くか。国民がどのように裁くのか。新緑に囲まれて覇権による権力者は、王道を・・・

  • マージャンの麻は【麻薬の麻】だ・・・

    元東京高検の検事長黒川さんは「賭け麻雀」で辞職された。法の番人がやるべきこととは思えない。前代未聞の不祥事であり、「訓告処分」になったものの、各方面から「懲戒処分相当」と異論が出され、国会でも紛糾している。「麻雀」くらいと軽い気持ちで始めたに違いないが、法の番人としては自覚が足りない。私も現役時代に、「賭け麻雀」に嵌まった経験があるが、文字通り「麻雀の麻」は「麻薬の麻」と思っていた。人並みのことは経験しておこうと、麻雀とお酒と煙草を25歳の頃から始めた。一度始めると、面白くて依存症に陥りやすく、罪の意識も希薄になり、中毒にに陥ってしまった。亡国のゲームと言われる所以である。部下を抱える身になって、一切しなくなったが、今でもバカだったとと反省している。黒川さんも、麻雀と出会ったのが、不運だったのかもしれない。深紅...マージャンの麻は【麻薬の麻】だ・・・

  • 雑学と言葉は日々の積み重ね・・・

    若かったころ、企画書等文書が書けなくて悩んだ時期がある。会社に出勤して一日一行も書けなかった日があったことを記憶している。スランプだったのかボキャ貧だったのか分らなかったが、読書による克服を試みたことがある。片手に「朝日ジャーナル」を抱えて、颯爽と歩くのが夢だった。その時覚えた言葉が、役に立っていようとは、思いもよらぬことだった。ジャーナリストの使う言葉は、簡潔にして無駄がないことだ。それを学んだように思う。思い出されるのが母校の校是だった「KnowledgeAdvancesStepByStepNotByLeaps」だ。日本語にすれば「ローマは一日にして成らず」とでもいえようか。言葉は日々の積み重ねだ。桜島全景雑学と言葉は日々の積み重ね・・・

  • 日本も訴訟社会に・・・

    人々の社会生活が複雑になるにつれ、トラブルも増し、訴訟が増加する。近代化とともに、先進国の訴訟件数が多くなっている。ゲマインシャフトの世界では訴訟は少ないが、ゲゼルシャフトの世界は多くなる傾向がある。欧米は「契約社会」であり、利害関係の絡む訴訟を誘発するようだ。欧米が日本に比べて訴訟が多いのは、国家の成り立ちからきているのではないか。人口に対する法曹界(検察官、弁護士、裁判官)の人数の割合は、日本は低い。しかし、日本も右肩上がりで、欧米の後塵を追いつつある。ギスギスした「訴訟社会」の後追いはしたくないものである。アヤメしめやかに日本も訴訟社会に・・・

  • 行き詰ったグローバル化と新自由主義・・・

    ソ連邦の崩壊とともに、経済のグローバル化と新自由主義が始まった。新コロナの襲来により、ロックダウン(都市封鎖)が実施され、国家間の交流が遮断された。結果として、国際間の交流が遮断されることになった。経済への影響は、計り知れないこととなった。経済の新自由主義も、腰折れとなってきた。これまで築いてきた経済システムはどうなるのだろうか。自然回復を待ちながら、新たな道を模索せざるを得ないように思う。この際、強いもの勝ちと格差社会は、避けて通ってもらいたいものだ。新コロナが新たな世直しを始めようとしている。新緑の樹々行き詰ったグローバル化と新自由主義・・・

  • 党首討論に物申す・・・

    党首討論があまり行られないようになった。過去に数回拝聴したが、当面の政策課題が中心となり、低調に終わってきた感がある。野党は各論で揚げ足取りに走り、与党は身を躱す展開になりがちになる。将来のビジョンや気宇雄大な理想を語り合ってもらいたいのだ。志を以て政治の世界に身を投じたならば、堂々と己の世界観になり国家間を堂々と述べて貰いたいものだ。何時もそんな思いで討論を聴くのだが、期待に応えてくれない。党首は国の舵取りであることを自覚して欲しい。大坂城を遥かに党首討論に物申す・・・

  • 温和・善良・真面目は日本人の誇りか・・・

    パンデミックの来襲により、緊急事態法が発せられた。日本は外出自粛と休業要請で対処してきた、強制でなく、自粛で対応をした。世界に目をやれば、ロックダウンや移動禁止等が強制措置が取られたのに対し、日本は自粛でまず乗り切ったようだ。本日(5月25日)全国的に緊急事態が解除されるが、日常が少し戻りそうだ。第二波、第三波の襲来に備えなければならない。よくぞ自粛要請で乗り切ったものと驚く。これも、日本人の「温和・善良・真面目」で従順な国民性と思わずにおられない。助け合う精神とともに、この自信をもって、コロナ危機を克服していきたいものだ。「温和・善良・真面目・従順」は日本の誇りかもしれない。世界の評価が注目される。知覧の街角で温和・善良・真面目は日本人の誇りか・・・

  • 任命責任・説明責任は逃げ道か・・・

    内閣に不祥事が発生すると、必ず、時の総理は任命責任が問われる。総理は、被疑者の説明責任と自らの任命責任を口にするが、責任を取ったためしがない。不祥事を起こした当人は、捜査中を理由に、説明しようとはしない。これぞ、まさに、「無責任時代」といえよう。子供からはどのようにうつるのだろうか。「説明責任」は果たしてもらいたいものだ。説明も謝罪もしないで居座るのは、最悪のパターンだ。選挙人を欺いたことになる。公職に就けば「責任」が厳しく求められるのは当然だ。流れる水は清らか任命責任・説明責任は逃げ道か・・・

  • 三権分立の危機・・・

    「検察庁法改正案」を巡って、国会は紛糾した。しかしながら、意外な決着を見た。時の人と注目された黒川検事長の「賭け麻雀」に対して「訓告処分」と「辞職」で幕引きが行れそうだ。法律違反を摘発する責任者が、世間を欺いて隠れて「賭博行為」をしていようとは、お粗末極まりない。余人をもって代えがたいと主張して、閣議決定した責任はどうなるのか。責任を問う必要はあるが、最も懸念されるのが民主主義の根幹をなす「三権分立」の危機である。与野党を問わず、徹底的に究明して、再発せぬようにしてもらいたい。マスコミとの癒着も併せて究明することを期待したい。岡山・吉備津彦神社三権分立の危機・・・

  • コロナ対策コンペが始まった・・・

    緊急事態宣言の解除に伴って、各都道府県知事は独自政策を競い合うようになってきた。首都を中心とした3県と北海道は緊急事態を継続することとなったが、他府県は解除されることになった。大阪府をはじめとして、各知事さんによる知恵比べが始まろうとしている。独自性があって、興味深い、知事の実力が試されることになる。政府の方針に従順だった各府県が、独自性を競い合うことになる。地方自治の競い合いが始まり、コロナ対策が地方の甦るチャンスかもしれない。大いに知恵を絞り合って、地方の活性化になることを期待したい。桜島の夜明けコロナ対策コンペが始まった・・・

  • コロナ収束後の新しい社会は・・・

    コロナ禍は少し感染が静まってきたようだ。各県知事は経済の回復に向けて、緊急事態を解除し始めた。論客により、収束後の社会を展望する見通しが語られ始めている。印象的だったのは、経済のV字快復は困難であり、終戦後の原点に立ち返るべきとしている点だ。久しく続いてきた経済成長優先から、人間の生存を重視する政策に転換すべきという。そのためには、社会機能を都市集中型から、地域の独自性を重視する政策に舵を切り変えることだ。地域の活性化と都市集中型社会からの脱皮が同時に達成されることとなる。日本社会の歪を、走りながら国民の知恵と努力で乗り切りたい。松の木変奏曲コロナ収束後の新しい社会は・・・

  • 断捨離を試みてみたが・・・

    一昔前のこと、「断捨離」が盛んに言われた時期かある。身の周りに余分な物を持つなということだ。私も思うところがあって、早速実践してみた。書籍を中心に整理した。段ボール箱2個分を処理した。その他にも使用しない物を、思い切って処分した。処分した時には、多少とも身軽になったように思えたが、あとが続かなかった。その後は、便利な品物が次々と増えることになって、現在に至っている。今、所有する時代から、レンタル・リース等利用する時代に移りつつある。貧困に育った我々には、所有する欲が残っている。便利さを求めて気軽に買ってしまう。身軽でありたいと願いつつ・・・。色彩豊かに断捨離を試みてみたが・・・

  • 声なき声が、怒った・・・

    世間を騒然とさせた「検察庁法改正案」が先送りされることになった。コロナ禍の緊急事態の最中に、急いで法案を通過させるべきか、聊か疑問であった。多くのツイートや、著名人の反対、元検事総長等の反対により、今国会では見送られることとなった。これは日本で、民主主義が正常に機能したことを意味する。無理な「横車」は通らないということだ。国民が挙げて反対している案件は、成立しないし、させてはならないということだ。60年安保反対運動を想起させることとなった。日本にも、民主主義が機能したことを喜びたい。今後の国会の動向にも注目していきたい。爛熟のアヤメ声なき声が、怒った・・・

  • 何を血迷ったか安倍政権・・・

    コロナ禍で、自粛解除をめぐって、混沌としている。先ずは何をおいても、コロナの収束が最優先課題だろう。政府も全力を挙げて、取り組むべきところ、「検察庁法」や「憲法」の改訂が話題になっている。抗議ツイートが急拡大している。この緊急時に何を狙っているのだろうか、疑いたくなる。どさくさに紛れた「火事場泥棒」呼ばわりされても仕方ない。じっくりと審議すべき法案が、軽く扱われ過ぎと思う。施政者の良識と冷静さを期待したい。嵯峨野の竹藪何を血迷ったか安倍政権・・・

  • 心身ともに元気は健康の証・・・

    平穏な日常を、病むこともなく過ごしていることを、健康と錯覚する。ただ、病気でないだけでは、健康とは言えないことがある。心の健康があって初めて、心身ともに健康な状態といえるだろう。心が心配事で鬱々して、悩みがあれば、決して健康な状態とは言えない。顧みれば、所謂「半病人」であった期間の長かったように思う。身体は元気に働いていても、心に闇があれば、心身ともに健康とは言い難い。晴れやかな気持ちとともに、身体も元気でありたいと願うのだが・・・。石見銀山の入り口心身ともに元気は健康の証・・・

  • 国会は良識を・・・

    民主主義は多数決が基本になっている。多数決には、大きな落し穴がある。多数であっても、誤って議決することがある。特に注意しなければならないのは、利害が絡む案件である。党利党略が絡むときには、強行採決が行られ易い。後々歴史的評価に耐えるものでなければならない。最近、国会では、強行採決が多く、審議が尽くされないままに通過した案件が多いのではないか。野党も大所高所に立った、十分な審議を願いたい。真っ白なアヤメ咲く国会は良識を・・・

  • ツィッター政治の危うさ・・・

    SNSやツィッターが登場して、人々の意思の伝達が頻繁に行われるようになった。政治の世界にも、利用されるようになってきた。世界のリーダー達が、十分な協議もせずに、軽々に発信することには、聊か危うさを覚える。即断して発信すると、とかく感情的になり易い。重要な政治案件は、理性的に関係先と十分な協議の上、発信すべきではないか。即断即決は、時には必要だが、重要案件の取り扱いには、慎重であって貰いたい。「急いではことを仕損じる」という格言もあるではないか。明治維新の志士達ツィッター政治の危うさ・・・

  • 新型ウィルスと共存の時代へ・・・

    先頃、非常事態宣言の1か月延長とともに、コロナ禍収束後の「新しい生活様式」の具体例がが示された。内容について評価する心算はないが、やや机上の空論になってはしないか気にかかる。台湾や韓国が成果を上げたのは、サーズ・マーズの経験から得た教訓であったように思う。人類は有史以来、ウィルスや細菌との闘いの歴史がある。ウィルスは約30億年以前から生存してきたという。人類は(ホモ・サピエンス)、登場してから1%の生存期間にも満たないという。人間の知恵と努力が優れていたとすれば、今回のコロナが残す教訓は計り知れない。世界の万民が、この教訓を生かしてくれると期待したい。経験による教訓に勝る知恵はない。吉備津神社の長い回廊新型ウィルスと共存の時代へ・・・

  • 休業自粛は各県マチマチ・・・

    「緊急事態宣言」が発せられてから、1か月余が経過した。その結果、約1か月が延長され、5月末まで続くことになった。13の「特定警戒都道府県」には、同様の自粛要請が続くが、休業要請は、各県の知事ら委ねられた。その結果、地域の状況により、自粛要請を継続する県や、解除する県が区々になってきた。経済の復興を優先する県とコロナ封鎖を優先する県に別れてきたように思う。「✖✖方式」というのが登場してきた。一日も早く日常を取り戻したい各県の事情は理解できるが、誘惑に負けぬよう、くれぐれも慎重を期して貰いたい。コロナの収束を最優先に、願ってやまない。油断があってはならない。南国の夕べ休業自粛は各県マチマチ・・・

  • 長寿は是か非か・・・

    長寿社会と言われて久しい。人は何歳まで生き伸びれば満足出来るのだろうか。生死は、人の意志とは無関係に決ると承知している。男性の平均寿命81歳を超えたが、親しく交わった友人・知人は次々と世を去り、淋しくなる一方だ。意識はしっかりしており、自分ののことは自分で処理出来ているが、緩慢な身のこなしは如何ともしがたい。不自由な身で、どこまで長生きしたものか思い悩む。晩節は汚したくないが、長寿はどの辺りまで願うべきか迷いが募る。人間の生死は、やはり、自然に委ねる以外にないのだろうか・・・。カイヅカの古木長寿は是か非か・・・

  • コロナは歴史的大変革の使者かも・・・

    スウェーデンの16歳の少女・グレタさんが、世界のリーダーに向けて、地球温暖化の阻止を強く訴えた。丁度、第2次世界大戦中に、ナチス・ドイツに迫害されて、屋根裏で書かれた「アンネの日記」を思い起こされた。グレタさんは地球の危機を訴えて、アンネの再来を思わせた。今、世界はコロナ対策で戦争状態にある。コロナ収束後の世界の変容が論じられ始めている。コロナの出現により、世界中でロックダウン等、人の交流が制限されている。その結果、地球を取り巻くオゾン層の破壊が縮小しているという。一日も早く「緊急事態」を脱し、穏やかな日常生活を取り戻したいところだ。グレタさんは、アンネの再来を思わせ、地球再生の使者になるかもしれない。開聞岳を背にコロナは歴史的大変革の使者かも・・・

  • 困難は知恵と親切と感謝する心を・・・

    現代は便利な時代に生きている。自ら考えなくとも、他が考えてくれる便利な時代だ。新型コロナ対策に、人と人との接触を避けるよう要請され不便になると、生活の知恵が湧いてくるものだ。「マスク不足」になれば、布製の手縫いのマスクが作られ、多くのミシンが使われたと聞く。生活の変化に応じて、人は相応の知恵を出して生活をしていくものだ。困難に遭遇すれば、人は助け合うようになるし、感謝する気持ちにもなれる。大震災にしても、コロナ禍にしても、人の適応能力には頭が下がる。自信を以て、コロナの後に備えよう。阿蘇のミヤマキリシマ困難は知恵と親切と感謝する心を・・・

  • 緒方貞子さんの偉業を讃える・・・

    JICA(国際協力機構)が、「緒方貞子平和開発研」と名称を改める。国連の高等弁務官として、世界的に活躍された功績を讃えられての、名称変更に感動を覚えた。貧困に喘ぐ人々や難民の救済に全力を注がれてきた彼女の功績を讃えたい。世界平和に貢献すべき日本人が、独力で頑張ってくださったのだ。多くの国民が誇らしく思ったに違いない。勇気と信念の持ち主で、正義感の強い方だったと思う。日本は、緒方さんに続いて核兵器の禁止や世界平和のリーダーとして、その役割を果したい。倉敷の街並み(2)緒方貞子さんの偉業を讃える・・・

  • 時は逃げ去る・・・

    療養中、寝たり起きたりの生活が続く。疲労を感じればベッドに横になる。そんな暮らしを続けていると、時の経つのが猛烈に早いと感じる。良きにつけ悪しきにつけ、時は無常に過ぎ去っていく。朝起きたと思ったら、就寝の時が待ち受けている。これを称して「光陰矢の如し」というのかな。のほほんと暮らしていると、時の過ぎ去る速さを痛感する。同時に、人生は、一瞬一瞬のの積み重ねと悟った。時は戻って来ぬ宝物と心得た。吉備津神社の威容時は逃げ去る・・・

  • げに怖ろしきは薬害・・・

    或る時、我が友人が体調不良を訴えてきた。聞けば、脚がむくんで歩けないという。医者に診てもらったが、検査の結果は正常値だったようだ。脚の「ムクミ」の原因が皆目見当がつかない状況で、数日間は歩行不能の状態であった。毎日飲んている数種類の薬やサプリメントをストップしたところ、快復に向かったとの報告を受けた。結果、薬剤の相互作用による体調不良だったようだ。医者が処方した薬、売薬、サプリメント等多用すると、思わぬ結果を招く。無暗やたらに薬を服用することには、厳に慎むべきだ。その後は順調に回復したと聞く。倉敷の街並みげに怖ろしきは薬害・・・

  • 人間は行動が制約されると・・・

    コロナの感染予防のため、このゴールデン・ウィークが「StayHome週間」になってしまった。人々は行楽にも出掛けられずに、さぞかしストレスが溜まっていることだろう。家に閉じ籠れば、普段遠ざかっている「読書」や「家庭奉仕」でもすれば気が紛れると思うのだが・・・。パチンコ・マニアは、他県の開店している店まで押し掛ける始末だ。全県対象の「緊急事態宣言」は約1か月延長される。ストレスが溜まりすぎないか、懸念される。国民の冷静な行動を期待するしかない。ストレスが爆発しないことを願うばかりだ。倉敷の街角で人間は行動が制約されると・・・

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