昨年4月、石川県輪島市で全日本競歩輪島大会を観戦した。その競歩大会に併設する形で実施されたスピードウォーク in 輪島大会3kmの部に、私も選手として初参加。2020年東京オリンピック開催が決まったが、競歩競技の普及、過疎化の進む地方における鉄道復権など
蒸気機関車とブルートレインを買い取り、JR線上を走る「動く寺子屋」設立という大目標に向けて教育研究に歩む熱血先生のブログサイト! 機関誌ガンバレール9は第2号まで発刊。第3号作成中。RM誌にも寄稿の、色えんぴつによる鉄道人物絵が伝家の宝刀!
昨年4月、石川県輪島市で全日本競歩輪島大会を観戦した。その競歩大会に併設する形で実施されたスピードウォーク in 輪島大会3kmの部に、私も選手として初参加。2020年東京オリンピック開催が決まったが、競歩競技の普及、過疎化の進む地方における鉄道復権など
本年4月、石川県輪島市で全日本競歩輪島大会を観戦した。競歩大会に併設する形で実施されたスピードウォーク in 輪島大会3kmの部に選手として初参加。東京での、2020年オリンピック開催が決まったが、競歩の普及、過疎化の進む地方における鉄道復権などを願い5
富山地鉄がJRをオーバークロスする場所で約30分待ったけれども、ついに両方の電車が交差する瞬間は見れなかった。なので帰京後に絵を作ることにした。 製作中の、ガンバレールナイン第2号(拙ブログ本)に掲載予定のマンガを作る手をいったん休めて着手。
今亡き祖父母の故郷でもある北陸本線・黒部で途中下車。 走っているのは、681(683)系はくたか。駅からそう遠くない位置に、このように富山地鉄がオーバークロスする部分がある。 まず、JRの普通電車が来た。 地鉄の電車が
今年4月、石川県輪島市にて開催された全日本競歩輪島大会を観戦、その競歩大会に併設する形で行われたスピードウォーク in 輪島大会3kmの部に選手として初参加した。東京オリンピック開催が本日決まったが、競歩の普及も願い輪島スピードウォーク、およびSL寝台
東京駅のこの場所に、日曜日の午前中出かけるとなれば、飽きもせず、14系さくら号が来る11時半まで私はカメラを構えてた。これは、父が写してくれた1枚。今思うと、上下黒っぽいファッションのせいか、地味に感じる。真冬なので、さすがに半ズボンでは
最近、くろしお号用の国鉄色381系が岡山に来て、やくも号に連結されたという情報を得ている。懐かしい姿をぜひ見てみたいものだ。 写真はもちろん国鉄時代の物である。写っている小学校6年生当時のガンバレールは、冬2月だったせいもあるが珍しく長ズボン姿
今、出雲区の国鉄特急形381系電車には3種類のカラーがある。 1枚目が、従来からのやくも号カラー。2枚目写真の右側に連結されている車両がスーパーやくも号色で、この画像のように緑色のやくも車と混色で運転されることもある。 3枚目の写真は、新見駅
新大阪まで高いグリーン料金を支払っていたし、一人で、ずっと以後も食堂車に居座るのはさすがにまずいだろうということで、名古屋の前で飲食代を清算。数両近くの自席へ。ところがだ、予約してた一人掛け席には見知らぬおばあさんが、座ってて驚いた。
2000年3月10日・金曜日新幹線・食堂車営業の下り最終列車は静岡県を順調に進んでいくところだった。もちろんのこと私は、2階建てグリーン車の1人掛けを東京→新大阪で手配しての旅だった。しかし名残惜しい新幹線168食堂車を
2000年3月10日撮影博多側に2つほどあった、2人向かいわせの席のひとつに、座れた。一人旅で動きやすかったからだろう。銀ボタン五個を第1ボタンまでしっかりとじた、濃紺の詰襟を着た男性が向かい側に座って、ジュースを注文していたが、
最後まで活躍中だった新幹線の食堂車は、グランドひかりという、JR西日本の2階建て4両連結の編成だった。発車前から、食堂車の前や、階下の通路だって順番待ちで盛況。食堂車は、最後の日まで一日4往復の東京発博多行きとしてのダイヤ設定
2000年3月10日は、新幹線から食堂車が消えた日である。もう18年以上前になるけれども、放送大学卒業記念を兼ねて、最終営業列車に乗った。連続シリーズ5回で、最終日の食堂車168形3004番車内などをアップ。(つづく)
美しい風景〜列車がみえる場面、列車からみた風景、いろいろとご覧になってください。
北陸本線黒部付近山口線東北本線黒部峡谷鉄道餘部鉄橋立山のダム
ビル清掃の仕事を深夜未明にかけて担当したあと、ミニ旅行に出かける機会がある。この日は上野から、女性アテンダントが乗務する2Fグリーン車にゆられて東北線の久喜まで遊びにきた。 成田エクスプレスの旧型車両として活躍した253系が、 回送列車として久喜駅の
千葉県(房総)方面の特急「わかしお」「さざなみ」に使われる車両。中央本線の臨時特急に担当されることもある。東中野付近にて2007年1月1日撮影。 ガンバレールは、にほんブログ村 (鉄道部門)に参加しています。https://railroad.blogmura.com/in
10年前に、神田の古本屋で5500円で購入したガンバレールのお宝本である。ちなみに、当時の価格は250円なり。 最新号であるNo502号と見比べてみると、41年という時の差をかみしめることができ、ページ数が少なくて背表紙が無かったことや、裏
489系の夜行急行“能登”は、かつては福井駅まで乗り入れていた。 到着後、能登号編成は進行方向を変えて東金沢まで回送していたようだ。今は無き加越号・国鉄色485系と、交直流近郊形電車413系との並びである。北陸本線においても、こうして国鉄型が3
キハ65を改造し700番台、1700番台とした特急列車エーデル北近畿。1998年 城崎にてにほんブログ村https://blogmura.com/
これまで撮ってきた鉄道の動画名場面1。103系スクリーンショット各種ごらんいただきましょう。
1999年ごろの103系です。
ブログは、記事タイトルを32文字以上にすると検索される、というらしいから、さっそく、やってみる。
ブログは、記事タイトルを32文字以上にすると検索される、というらしいから、さっそく、やってみる。E231系
熱いお茶にお吸物とデザートつき。部屋で気がねなく食事できるのもロイヤルの長所である。夕立の宇都宮を発車し、北をめざす。2007/08/17 18:31
選挙カー騒音煩い大都会の駅前を離れて伊豆か、箱根へ逃れたくても仕事忙しい今は駅弁を食べガマンしたい。この、北からの駅弁はうまかった。海鮮は疲れた体にいい。都心部から簡単にでれなくとも海の香りは大事だね。魚介類と言え
夏の青春18きっぷ・利用期間ラストである9月10日(木)に、横浜へ行きました。 18歳のときの浪人生時代を含めれば、18切符を買ったのは今回で3回目でしたが、かろうじて有効期限内に使い終わった次第です。 夕方5時に仕事を中断して、ますは新宿
札幌の日航ホテル客室から見た、寝台特急北斗星1号編成ふかん(上空からの撮影)。 屋根が低い食堂車を中央に、寝台車の高い屋根が連続して輝き、美しい姿である。夜は、札幌を発車した北斗星4号を流し撮りしてみた2004年4月撮影
この絵を描いた2008年は、ブルトレ50周年という記念すべき節目だった。あさかぜ号の遺志を受け継ぐ24系25形金帯車“北斗星”は、当時1往復のみの運行になるなど先行きが非常に心配された。 クルーズトレインを除く、夜行列車の伝統は、ブルーの車
次世代の豪華寝台車として、1988(昭和63)年に試作された24系25形900番台「夢空間」が、ついにこの3月を最後に引退することとなった。 東北・北海道ブルートレイン「夢空間北斗星」に連結されることも多かったが、その設定も2003年の
エックスのポストも数をこなすことは大事なため、この深夜帯もなにかしらつぶやきたいが、本当に残念なことになっている。やむを得ずこのライブドアブログ経由で引き続きつぶやくことにする。理想としては、話題作りにE8系とか新幹線敦賀駅を撮りに行くとかしてもよいが、若
何の欲ももたず、とりあえずは、朝6時ごろとされるロック解除の時刻を待つとしよう。今夜はこんなとこにあれこれ書いても逆効果というか、大きな意味はもたぬつぶやきが繰り返されるのみだ。今日、朝が来て明るくなったあと、エックスをとりあえずいじってみて、またポス
今回の状況をなげく最新動画のアクセス数が3、エックスのいいねも3である。残念だが誰一人として自分を気にもとめておらぬとわかる数値。それぞれが30とかならば違ってくるが、世間は週末でもガンバレール9 を思う人はほぼ皆無に等しい現実がある。コロナ禍前ならば、
昨日2/2の夕方18時14分前に出したポストでエックスの更新は止まっているから、今夜は通知自体が非常に少な い。それでも、この、わずかお2人に感謝している。ゼロよりは数段マシだ。
この人の言っているとおりになれば幸いだ。そうなると自分はカトーのクハネ583 20を買えばよいことになりそうだ。
あと5時間台になったか。明け方明るくなる頃にようやくロックがはずされると思われるが、今この瞬間がいちばんつぶやきたいのに、つぶやけぬ、というのは痛いね。しかし、こんなところにいくら書いても誰一人としていいねしてくるわけじゃあな い。今回のような仕打
きよう2024年2/2の18時14分に突然、この文面が送られてくるのと同時にロックがかかった。自害しろ、という言葉が脅迫と判定された可能性が非常に高い。
このように表示される。まだ約9時間か。長い。しかし、昨年1月10日からの3日半は、ログインさえ不可となり、閲覧さえムリだった。あの時の状況よりは、まだ、こうして残時間は出るのだから数段マシと、みることはできる。
おもしろい。案外そうかもしれな い。この人のつぶやきにも、いいねを押しておきたい。
いいねを押すことならばできる。ならば、似たような悩みをもっている人のポストにいいねしょう。異議申し立てだけですり減っている人もいる。反応待ちの人もいる。そうした人にいいねを送るのだ。可能性は低いが、この拙ライブドアブログのつぶやきを読んでくるかもしれ
【鉄道】 あさかぜ1号の旅路 (その5) デュエット元年最後の出発!
昭和62年も大晦日、本年最後の「あさかぜ1号」の出発時刻はせまる。今年はB寝台、食堂車のアコモ改良、日本で始めてのシャワー付き車両「デュエット」の連結など、あさかぜ1号が大変身した年でもあった。もちろんのこと、日本一美しいブルートレインだが、
ふと、9番ホームを見ると、この「あさかぜ1号」の後続列車である「あさかぜ3号」が入線してきた。やはり風格の違いというものは歴然としており、こちらは綺麗なブルーに金帯3本だが、あちらは薄汚れたブルーとはいえないブルーに銀帯が2本だ。 だがしかし、
「今晩は。本日は寝台特急あさかぜ1号にご乗車ありがとう御座います。この列車、博多までまいります。えー、乗車券のほかにこの列車に指定されました寝台券が必要です。車掌がこのあと、皆様のお席にうかがい、切符を拝見させて頂きます。 次に、編成のご案内
さあ、4号車カルテットの5番室に向かおう!「おっ、ムードたっぷり!」 カルテット4人用B個室寝台の車内は、暖かみのあるジュータンがしかれ、オーディオもある。まあ、とにかく座ってみよう。そうしたら、ホームの客がいっせいに注目する。こっちは「いいだろう
まえがき・・ この書庫は、富士はやぶさ号の偉大なる先輩とも言える今は無きブルートレインあさかぜ号の、最も輝いていたJR発足直後の博多あさかぜ1号の旅路を、1989年当時は中学3年生であった私ガンバレールが色鉛筆で作画をつけて記録しておいたものである。
小樽到着後は、天気も良いため歩いて有名な小樽運河まで行った。小樽は、私ガンバレールは高校生時代から何度も訪れているが、こんなに天気がいいのも珍しい。 この日は小樽築港まで海岸沿いに歩いたり、石原裕次郎の記念館をたずねたりしているだけで、とくに「鉄
大宮駅発車後、食堂車から放送が入り、第1回目の予約客を受け付けるのもまた通常の北斗星と同じであった。 食堂車では、私ガンバレールは和風コース(懐石ご膳)を食べている。宇都宮駅に停車している時、通勤客がうらやましそうに食堂車の中を覗いていたのを懐かし
北斗星小樽号は、カシオペア号と同じ1999〈平成11〉年7月16日より運行を開始した列車であることを知るファンは、今日では少ないであろう。 定期列車である北斗星1号の、札幌~小樽間を延長した形での運転であったが、残念ながら2003年ごろに設定された
EF81-95と言えば、スパーエクスプレスレインボーの無き後もブルートレイン北斗星のけん引で有名であるが、常磐線でも貨物列車や団体臨時列車等の先頭に立つことがしばしばある。1996年10月、常磐線の開業100周年を記念し、上野~水戸間にレトロトレイン
エキスポライナーは、1985年の科学万博開催に合わせて運転された、常磐線のシャトル輸送快速列車であった。上野~万博中央・土浦間を、長編成キハ58系、403系やボックス席583系で運転されたが、画像のように引退間近のEF80が12系や20系をけん引する運用
地味なブルートレインだった彗星だが、赤い機関車に輝く青いマークは美しかった。 ED76は、下り列車の場合は大分以南をけん引し、下関~大分間はEF81が担当するという異色のパターン。上りの京都行きは、門司までED76が先頭に立っていた。九州内の機
ED79は国鉄時代末に、余剰ぎみだったED75を改造してデビュー。青函トンネル貨物用だ。しかし好景気で機関車不足になり、50番台をバブル期に投入。改造でなく、新製で何台かつくられた。性能はほぼ同じで国鉄型の増備だ。しかしEF81形450
DE10にそっくりな形状のため、遠くから見たら見間違えそうな機関車だ。 おもに客車区や貨物ヤードでの編成入れ替えに従事し、本線での列車牽引はないと思われる。尾久車両センターに在籍するものは、このように田畑機関区との連絡線(踏切)を通過することも
水戸岡氏の車両は大好きでないけど、ゆふいんの森は高く評価してる。さっそく、入線させた。かつて九州管内ではブルトレにもソロが連結はじまるなど、輝き、鉄道ルネッサンスの時代がきたと言われた。こうして両者を連結してみれば、高い
教師時代は城下町の現地調査、歴史めぐりを兼ねて中国地方等を年に何回か巡った。この頃、まだ富士はやぶさ等も健在だったが、個室主体の285系は新車同然。東京からの往路よりも、帰京に寝台特急サンライズ瀬戸か出雲を使うことが多かった。にほんブログ村 https:
九州新幹線の、新大阪へ直通する列車の愛称に「さくら」が採用されることが決定して約1年、今度は、東北新幹線の新しい愛称名として「はやぶさ」の名が返り咲くこととなった。 廃止されたブルートレインの名前が、2年連続で新幹線の愛称として「昇華」するのは、
JR東日本が担当したあさかぜ1号・4号は、1991年ごろから機関車交換が下関駅のみとなって、関門トンネル用のEF81-400番台けん引で博多駅へ乗り入れていた。 2009年現在もあけぼの号や、日本海号で活躍する折戸の金帯24系25形編成で、電源
民営化後、毎夏、お盆休みごろに常磐線は上野~平(現・いわき)間に、臨時急行レインボーときわ号が設定された。 しかし、89年夏は、初めて機関車が虹釜でなく、星釜の番号違いが毎日けん引。さらには、上野寄りに種車であるスハ
奥久慈(おくくじ)号は、常磐線・水郡線経由で上野~郡山間を結んだキハ58系の急行列車であった。画像は、臨時列車化されて編成が5両と短くなり、行き先も水郡線の磐城石川止まりとされた晩年の姿であるが、1988年以降は、白地に緑とオレンジの新塗装車両を連
常磐線の中距離特急“フレッシュひたち”の車両。「赤」「青」「黄」「緑」「朱」の各編成が存在し、11両もしくは14両編成による併結運行の場合、色違いの編成が連結されることが多い。青色の編成には、塩屋崎海岸と灯台のマークが描かれている。美空ひばり
常磐線の特急用車両。「赤」「青」「黄」「緑」「朱」の各編成が存在し、11両もしくは14両編成による併結運行の場合、色違いの編成が連結されることが多い。鶯谷にて2007年1月7日撮影車体側面のシンボルマークは、同日に上野駅にて撮影。
常磐線の、特急フレッシュひたち号用の車両として1997年に登場した車両。 車体のカラーが「赤」「青」「黄」「緑」「朱」の各編成が存在し、11両もしくは14両編成による併結運行の場合、色違いの編成が連結されることが多く楽しい列車だ。この中でも朱
マラソン大会からの帰路、日暮里駅を発車中のE531系に2階建てグリーン車が2両連結されている編成と遭遇。山手線で上野駅まで追いかけて撮影に成功。1月6日から運用に入ったばかりで、来る3月のダイヤ改正までは普通車代用となりますので乗車するチャンス!
ゆうづる号は、常磐線経由で上野~青森間を結んだ寝台特急である。最盛期には、583系を使用するゆうづるは3往復設定され、24系客車などの4往復と合わせて最大7往復を運転。ひたち号とは対照的な存在として、常磐線の、夜のエル特急もしくは夜の女王と呼ばれた
国鉄時代最後の月、1987(昭和62)年3月にデビューした大胆なレタリングが特徴のEF81-95号機は、レインボー指定機もしくは「虹釜」と呼ばれている。 21世紀に入る直前に、14系客車のスーパーエクスプレスレインボーは引退したが、機関車のほう
車体側面のレタリングが、まだ明り取り窓部分には描かれていなかった頃のEF81-95号機(北斗星2号)である。 2000年4月、北海道の有珠山噴火により、北斗星は函館山線経由で迂回運転されたが、この関係で道内を走行中に編成が逆向きとなった。東北
運転室の窓ガラス縁取り部分などが、灰色Hゴムだった時代のEF81-95号機である。 今は無き、14系欧風客車スーパーエクスプレスレインボーの専用機関車として、国鉄時代の1987年3月にこの塗装を身にまとい、今年で早くも21年になる。 画像は、J
尾久客車区に在籍した12系お座敷車「なごやか」をけん引し、武蔵野線の江戸川橋梁を東進する星ガマである。 EF81-88号機は他の★釜と同様に、北斗星仕様に塗装変更されてから18年、もしくはそれ以上が経過している。 最初に流れ星塗装となったのは、
十和田号は、常磐線経由で上野~青森間を結んだ12系(14系)の臨時夜行急行列車であった。昭和57年秋までは20系寝台車編成を含む3往復運転、戦前は201・202列車を名乗り、進駐軍のアメリカ人が編成中の豪華寝台車に乗ってた時代も。 画像は、昭和60年
TDL(東京ディズニーランド)最寄りの舞浜駅が開業した1988年12月1日、武蔵野線経由で大宮~舞浜間を結ぶ臨時快速“メルヘン大宮”の運転が始まった。 リクライニングシートを設置した167系の4両編成で、全車座席指定。ノンストップで快走していたが、
ブルートレイン9(10)列車こと、寝台特急あさかぜ(4号)。 JR発足前夜より、B寝台個室車や豪華食堂車の連結を始め、長大な15両編成の全車両が金帯3本の塗装であったことも、大きな特徴である。その遺志は北斗星に受け継がれてた。 EF66基本番
富士はやぶさ号の東京駅18時3分発というダイヤは、JR化後はみずほ~さくら号が使用していた。18時12分には西鹿児島行きのはやぶさ号・単独編成が発車していたので、このように14系さくらが西へと旅立って行くのと入れ違いに,24系はやぶさが出雲の担
上野駅に到着すると、私は山手線電車でとなりの鶯谷駅へ一駅戻った。ここで尾久客車区に推進回送される《はくつる》編成を撮影するのだが、電気機関車EF81ー137号機が横を通過した瞬間、はくつる編成の背後に甲高い汽笛が鳴り響いた。これは、もしかしたらっ!と
午前7時30分、車掌が朝の放送を始めて目が覚めた。屋根に積もっていた雪のせいか、暖房を強風にして寝ていたのに2度ほど寒くて目が覚めたことを覚えている。しかしよく眠った!良い天気の日曜日である。8時10分に宇都宮駅を発車すると、下り線に豪華快速電車〈フ
お座敷列車ふれあいみちのく号が留置されている盛岡駅を発車。私は先頭の1号車オハネフ25-129へと向かう。驚いたことに1~9号車のB寝台車はほぼ満席であった。1号車のデッキに来ると、貫通路の窓の向こうから電気機関車EF81の顔がにらんでいる。フロントガラ
まえがき(まもなく消えるヤフーブログからの転送中、何らかのエラーによりこの書庫の、その4~5が転送されてないことが判明。手作業によりその4~5をアップしてまいります。)連絡船で賑わってたころの、青森駅北端は誰ひとり歩いてなかった。洞爺丸事故、
青森駅で買った「十和田」正宗という日本酒を友にして、まつたけ弁当を食べる。私の個室は10号車3番だが、2つ隣の1番には若い男女4人が乗り込み、ビールを持ち込んで乾杯しているようだ。でも、大きな笑い声が私の部屋まで聞こえてくるのには困った。BGMでもつ
21時23分、上野行き〈はくつる〉はゴトリと動き始める。トワイライト号のBコンパートメントの少年二人と若い父親が手を振ってくれる。屋根に『大盛り』の雪をのせた我が《はくつる号》の青い車体を見て感激にひたっているようだ。私の、上野駅までの旅は今始まった
まえがき・・ この書庫は、栄光の金帯あさかぜの客車を使い、ゆうづる号の遺志を受け継いで走っていた今は無きブルートレインはくつる号の旅路を、1998年当時は大学3年生であった私ガンバレールが記録しておいたものである。 11月下旬まで、連続7回シリーズでの投
2002年秋、復活運転された特急みちのくの12両編成を南千住付近で記録したときの一枚。1982年秋まで走った特急みちのくは、はつかりを支え終始1往復であったが、常磐線最後の食堂車を営業してた定期列車でもあった。その後、583系は減便・短編
東京都葛飾区の、江戸川と中川の間というよりも、かなり中川沿いに、金町と新小岩を結んでいる新金線がある。これは今も貨物列車は走っているが、、多くが、新八柱・南船橋経由に変更された関係で本数が減り、この北松戸を通る新金線貨物列車は少なくなってい
在来線初の130キロ運転で水戸~上野間をノンストップ等、常磐線の未来を象徴。白い車体は、別称、タキシードボディの凄(すご)い奴(やつ)と呼ばれて、雪の日はもちろん、高速通過する北松戸駅では、撮影し難い列車だった。長らくスーパーひたちで活
14系の欧風客車スーパーエクスプレスレインボーは、国鉄時代最後の月である昭和62年2月に登場した。 運転開始間もない頃、今から21年も前になる。団体旅行で乗車した際に、車内で開催されたクイズ大会で優勝し、その際にもらった長さ45センチ特製定規だ。機関
祝!90000ヒット御礼 “国鉄型万歳! 下関駅にて昭和61年”
ありがとう御座います! このたび、ガンバレールナインは訪問者90000名を達成いたしました!! 9万名のキリ番を踏まれた方はご一報ください。ささやかながらもプレゼント(Nゲージ鉄道模型・国鉄型貨車トラ90000形)を送らせて頂く予定です! 下
レイル・マガジン誌に2011年ごろ寄稿した拙イラスト等もアップして、本日、連続15回シリーズの最終回。なお、初回から読みたい方はこちらをクリック ↓ ↓http://ganba3671.livedoor.blog/archives/18735017.html 令和元年ラグビー祭典や東京五輪(予定)も近い。ト
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昨年4月、石川県輪島市で全日本競歩輪島大会を観戦した。その競歩大会に併設する形で実施されたスピードウォーク in 輪島大会3kmの部に、私も選手として初参加。2020年東京オリンピック開催が決まったが、競歩競技の普及、過疎化の進む地方における鉄道復権など
本年4月、石川県輪島市で全日本競歩輪島大会を観戦した。競歩大会に併設する形で実施されたスピードウォーク in 輪島大会3kmの部に選手として初参加。東京での、2020年オリンピック開催が決まったが、競歩の普及、過疎化の進む地方における鉄道復権などを願い5
富山地鉄がJRをオーバークロスする場所で約30分待ったけれども、ついに両方の電車が交差する瞬間は見れなかった。なので帰京後に絵を作ることにした。 製作中の、ガンバレールナイン第2号(拙ブログ本)に掲載予定のマンガを作る手をいったん休めて着手。
今亡き祖父母の故郷でもある北陸本線・黒部で途中下車。 走っているのは、681(683)系はくたか。駅からそう遠くない位置に、このように富山地鉄がオーバークロスする部分がある。 まず、JRの普通電車が来た。 地鉄の電車が
今年4月、石川県輪島市にて開催された全日本競歩輪島大会を観戦、その競歩大会に併設する形で行われたスピードウォーク in 輪島大会3kmの部に選手として初参加した。東京オリンピック開催が本日決まったが、競歩の普及も願い輪島スピードウォーク、およびSL寝台
東京駅のこの場所に、日曜日の午前中出かけるとなれば、飽きもせず、14系さくら号が来る11時半まで私はカメラを構えてた。これは、父が写してくれた1枚。今思うと、上下黒っぽいファッションのせいか、地味に感じる。真冬なので、さすがに半ズボンでは
最近、くろしお号用の国鉄色381系が岡山に来て、やくも号に連結されたという情報を得ている。懐かしい姿をぜひ見てみたいものだ。 写真はもちろん国鉄時代の物である。写っている小学校6年生当時のガンバレールは、冬2月だったせいもあるが珍しく長ズボン姿
今、出雲区の国鉄特急形381系電車には3種類のカラーがある。 1枚目が、従来からのやくも号カラー。2枚目写真の右側に連結されている車両がスーパーやくも号色で、この画像のように緑色のやくも車と混色で運転されることもある。 3枚目の写真は、新見駅
新大阪まで高いグリーン料金を支払っていたし、一人で、ずっと以後も食堂車に居座るのはさすがにまずいだろうということで、名古屋の前で飲食代を清算。数両近くの自席へ。ところがだ、予約してた一人掛け席には見知らぬおばあさんが、座ってて驚いた。
2000年3月10日・金曜日新幹線・食堂車営業の下り最終列車は静岡県を順調に進んでいくところだった。もちろんのこと私は、2階建てグリーン車の1人掛けを東京→新大阪で手配しての旅だった。しかし名残惜しい新幹線168食堂車を
2000年3月10日撮影博多側に2つほどあった、2人向かいわせの席のひとつに、座れた。一人旅で動きやすかったからだろう。銀ボタン五個を第1ボタンまでしっかりとじた、濃紺の詰襟を着た男性が向かい側に座って、ジュースを注文していたが、
最後まで活躍中だった新幹線の食堂車は、グランドひかりという、JR西日本の2階建て4両連結の編成だった。発車前から、食堂車の前や、階下の通路だって順番待ちで盛況。食堂車は、最後の日まで一日4往復の東京発博多行きとしてのダイヤ設定
2000年3月10日は、新幹線から食堂車が消えた日である。もう18年以上前になるけれども、放送大学卒業記念を兼ねて、最終営業列車に乗った。連続シリーズ5回で、最終日の食堂車168形3004番車内などをアップ。(つづく)
北陸本線黒部付近山口線東北本線黒部峡谷鉄道餘部鉄橋立山のダム
ビル清掃の仕事を深夜未明にかけて担当したあと、ミニ旅行に出かける機会がある。この日は上野から、女性アテンダントが乗務する2Fグリーン車にゆられて東北線の久喜まで遊びにきた。 成田エクスプレスの旧型車両として活躍した253系が、 回送列車として久喜駅の
2009年6月現在、寒冷地仕様の200番台も含めて全車両が健在しており、まだ置き換えの話はない。 しかし、成田エクスプレスの新車E259系が完成したことにより、踊り子号は253系に変更されるのかもしれない。 万一、そうなった場合、このオリジナル
糸魚川駅での、今は無き大阪~青森間の特急「白鳥」と、寝台電車583系を改造した419系の並びである。この写真を撮影した数分後に、上りの大阪行き「白鳥」も入線してきた。 日本海縦貫線といえば、先日の新潟県中越沖地震による青海川駅の土砂崩れなどによ
419系は、世界初の寝台座席両用電車である581・583系を改造した近郊形電車である。 画像のように、種車クハネ581の特急形先頭車をそのまま使用したクハ419のほか、中間車サハネ581を改造した切妻先頭車クハ418も存在する。クハとは反対側の
419系は、北陸本線の富山・金沢地方で活躍する、元寝台車改造の近郊型電車である。 相次ぐ寝台特急の廃止により、余剰となっていた581系・583系の寝台を折りたたんで4人がけボックス座席仕様として固定の上、乗降ドアを増設している。 国鉄時代の末期
2010年に拙著創刊号を出したころの話題を先ほど再掲しました。
すでに皆さまもご承知おきのように、3月末完成を目指して作成中のヤフーブログ本(創刊号)には、ブログ上では未発表の鉄道記事や、オリジナル連載マンガも掲載いたします。 塾長の私自らが、約15年の歳月をかけて描き上げてきた劇画ガンバレールナインを、ペ
ヤフーブログ本(創刊号)にて初公開となる連載マンガ 「ガンバレール9」 が本日、完成しました。 今回特別に、主人公のゆきちゃんがお父さんに怒られている24ページの部分を公開いたします。 第1話 「ゆきちゃん」 は大増45ページ構成で、カラー
現在、ヤフーブログ本にて初公開のマンガはシャープペンシルによる下絵描きの作業が終わり、ペン入れや黒ベタ塗り、そして一部のページはこのように色塗りに入りました。 しかし、パソコンには全く頼らず、とくにカラーページの場合は色えんぴつによる手塗り作業
アメリカの生物化学者アイザックアシモフ氏の遺作となった一冊を紹介。亡くなる数年前1992年ごろにかけて執筆してた文章を本にしてある。数千年先に人口が75兆人にも増える可能性があるが、風力発電の推進、出生率を抑えれば
これは、2001年ごろ尾久フェスで撮影した1枚。。臨時・夢空間北斗星のほか、金沢経由で上野~大阪・神戸を結ぶ臨時寝台車にも夢空間は活躍した頃。いま、北陸新幹線は先般の水害やコロナにもマケズ人気高く、ダイヤほぼ定刻運行に戻った。それを、背後から盛り上げる意
キハ38は当初、八高線で活躍していたキハ35系グループの車体更新車である。この頃は、クリーム色の車体に赤帯を巻いており、まるで京王線の電車みたいな感じだったと言えよう。 現在は久留里線などに転属し、菜の花カラーをまとって活躍している。 写真は、高校
昭和62年春の、中京地区211系。クモハ211ー0番台車。この拙作品は7年半ほど前、レイル・マガジン2011年始まりの頃のイラストテーションに掲載されました。東海道線東京駅では見かけなかった、中京地区ならではのクモハ有 0番台は2編成のみながらも新生JRを
2017年9月発売の、レイル・マガジン11月号に掲載された拙イラスト作品「寝台車大集合」。小坂鉄道より元あけぼの、285系、九州からななつ星も加わり、賑わう展示会場内は、子供たちの歓声に、大盛況!!にほんブログ村 https:
終着駅上野を目前に、日暮里(にっぽり)駅を高速通過する寝台 特急北斗星。E2系新幹線も運よく顔合わせ。左奥の山手線が2世代前の205系電車なため、平成12年前後の撮影だったと記憶。にほんブログ村https://blogmur
いそかぜ号は、山陰本線経由で九州へ乗り入れる唯一の特急列車であった。 編成は常時3両と短く、往年のキハ82系まつかぜ号のように食堂車も組み込んでいた頃の迫力は既に無かったが、山陰本線西部の美しい海岸線をゆっくりと走る姿には、鉄道ファンならずとも
やくも号とは逆に、現在は愛称名に「スーパー」をつけているおき号は、かつてはキハ181系による運転であった。写真は、多客期にもかかわらず短い3両編成で入線してきたところだが、それでも利用客が少なかった記憶がある。 今日では、特急列車らしくない切妻
国鉄色緑帯のキハ185系に、トロッコ車のキクハ32をつないだ2両編成の観光列車であった。現在はアンパンマン列車として活躍しているようだ。 1枚目・・1998年7月に大歩危駅で撮影ガンバレールは、にほんブログ村 (鉄道部門)に参加しています。ht
このプリントの裏面には、北斗3号キハ183×9と書かれてある。 鉄道ジャーナル社が協力する団体旅行・YTCレールメイトツアーに参加した時の撮影で、9両編成とは今の北斗号ではあまり実現しない長編成である。7号車に、逆向き連結の中間先頭車が組み込ま
比較的最近まで、国鉄色の381系しなの号は活躍していたようである。 しかし、このように貫通型0番台のものはほとんどが廃車され、今では現存しないと思われる。往年のしなの号運用では、多客期にこの貫通路が生かされ、クハ381が向き合ったりして10~1
ノースレインボーエクスプレスは、キハ183系として最終新製車だが、バブル期終わりの92年製で古い。排気ガス防止のため、青函トンネルを貨物用機関車にけん引されて青森まで乗り入れしてた臨時便を下車して撮影。98年ごろのことである。東日本1