高崎駅から、E231系の湘南新宿ライン・国府津行きの最終電車に乗って都心へ帰る。スイカグリーン券とおつまみ類を購入し、4号車の2階建てグリーン車サロE230は2階席に座った。 夕方から始まった青春18きっぷデビュー編の旅も、新宿駅でこの電車を降り
蒸気機関車とブルートレインを買い取り、JR線上を走る「動く寺子屋」設立という大目標に向けて教育研究に歩む熱血先生のブログサイト! 機関誌ガンバレール9は第2号まで発刊。第3号作成中。RM誌にも寄稿の、色えんぴつによる鉄道人物絵が伝家の宝刀!
水戸岡氏の車両は大好きでないけど、ゆふいんの森は高く評価してる。さっそく、入線させた。かつて九州管内ではブルトレにもソロが連結はじまるなど、輝き、鉄道ルネッサンスの時代がきたと言われた。こうして両者を連結してみれば、高い
教師時代は城下町の現地調査、歴史めぐりを兼ねて中国地方等を年に何回か巡った。この頃、まだ富士はやぶさ等も健在だったが、個室主体の285系は新車同然。東京からの往路よりも、帰京に寝台特急サンライズ瀬戸か出雲を使うことが多かった。にほんブログ村 https:
九州新幹線の、新大阪へ直通する列車の愛称に「さくら」が採用されることが決定して約1年、今度は、東北新幹線の新しい愛称名として「はやぶさ」の名が返り咲くこととなった。 廃止されたブルートレインの名前が、2年連続で新幹線の愛称として「昇華」するのは、
民営化後、毎夏、お盆休みごろに常磐線は上野~平(現・いわき)間に、臨時急行レインボーときわ号が設定された。 しかし、89年夏は、初めて機関車が虹釜でなく、星釜の番号違いが毎日けん引。さらには、上野寄りに種車であるスハ
常磐線の中距離特急“フレッシュひたち”の車両。「赤」「青」「黄」「緑」「朱」の各編成が存在し、11両もしくは14両編成による併結運行の場合、色違いの編成が連結されることが多い。青色の編成には、塩屋崎海岸と灯台のマークが描かれている。美空ひばり
常磐線の特急用車両。「赤」「青」「黄」「緑」「朱」の各編成が存在し、11両もしくは14両編成による併結運行の場合、色違いの編成が連結されることが多い。鶯谷にて2007年1月7日撮影車体側面のシンボルマークは、同日に上野駅にて撮影。
常磐線の、特急フレッシュひたち号用の車両として1997年に登場した車両。 車体のカラーが「赤」「青」「黄」「緑」「朱」の各編成が存在し、11両もしくは14両編成による併結運行の場合、色違いの編成が連結されることが多く楽しい列車だ。この中でも朱
マラソン大会からの帰路、日暮里駅を発車中のE531系に2階建てグリーン車が2両連結されている編成と遭遇。山手線で上野駅まで追いかけて撮影に成功。1月6日から運用に入ったばかりで、来る3月のダイヤ改正までは普通車代用となりますので乗車するチャンス!
ゆうづる号は、常磐線経由で上野~青森間を結んだ寝台特急である。最盛期には、583系を使用するゆうづるは3往復設定され、24系客車などの4往復と合わせて最大7往復を運転。ひたち号とは対照的な存在として、常磐線の、夜のエル特急もしくは夜の女王と呼ばれた
国鉄時代最後の月、1987(昭和62)年3月にデビューした大胆なレタリングが特徴のEF81-95号機は、レインボー指定機もしくは「虹釜」と呼ばれている。 21世紀に入る直前に、14系客車のスーパーエクスプレスレインボーは引退したが、機関車のほう
車体側面のレタリングが、まだ明り取り窓部分には描かれていなかった頃のEF81-95号機(北斗星2号)である。 2000年4月、北海道の有珠山噴火により、北斗星は函館山線経由で迂回運転されたが、この関係で道内を走行中に編成が逆向きとなった。東北
運転室の窓ガラス縁取り部分などが、灰色Hゴムだった時代のEF81-95号機である。 今は無き、14系欧風客車スーパーエクスプレスレインボーの専用機関車として、国鉄時代の1987年3月にこの塗装を身にまとい、今年で早くも21年になる。 画像は、J
尾久客車区に在籍した12系お座敷車「なごやか」をけん引し、武蔵野線の江戸川橋梁を東進する星ガマである。 EF81-88号機は他の★釜と同様に、北斗星仕様に塗装変更されてから18年、もしくはそれ以上が経過している。 最初に流れ星塗装となったのは、
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高崎駅から、E231系の湘南新宿ライン・国府津行きの最終電車に乗って都心へ帰る。スイカグリーン券とおつまみ類を購入し、4号車の2階建てグリーン車サロE230は2階席に座った。 夕方から始まった青春18きっぷデビュー編の旅も、新宿駅でこの電車を降り
元101系の黄色で寄居(よりい)駅まで来た。ここで秩父鉄道の切符を手放し、また青春18きっぷを使ってJRに乗り換える。 八王子に出て東京に帰ることも検討したが、せっかくの18切符・初体験でもある。八高線を北上して高崎に向かおう。 キハ110
すっかり日も暮れた。 その後、留置線にはスカイブルーの編成がやってきたけれども、何本待っても、ホームに入線してくる元101系国電は白地の標準色ばかり。あと1台待って国鉄復刻カラーが来なければ、白い1000形でもいいのでとにかく乗ろうと決めた。
熊谷駅に着くと、かろうじて空がまだ明るかった。 これから、八高線との接続駅である寄居(よりい)を目指すことにするが、もちろん寄居までは別途、秩父鉄道の乗車券が必要。 さっそく秩父線の改札を通って、元国電の101系改め秩父鉄道1000形の撮影に
ガンバレールは、まさに青春まっただ中だった「18」歳の時に1度だけ、青春18切符を買ったことがあったけれども、結局忙しくて使う時間がないために駅に返却した。 しかしこのたび、2009年3月31日にもなってようやく、生まれて初めて18切符の旅をす
JR東日本は10日、2027年春にも特急ときわ・ひたちで使用されているE657系1編成を改造し、新たな夜行特急列車を導入すると発表しました。
どうでもいい話題はなるべくこのライブドアブログに記していくこととなる。どうしてもエックスのほうに書きたくなった場合は、トレンドの言葉を文末に2、3記すことにする。収益を復活させるためには、インプはどのポストも数100を超すようにし、いいねが最低でも2、3つくよう
リスペリドンの効果が強いためか、最近は全く射精したいとは思わぬ。いまもボッキよりはポッキーである。いよいよ、伊予伊与明日ということになったが、きみはこの数年旅立ちがやはり全くできずにいる。まさか、夏の青春18きっぷ3日用を買って3日連続そこら辺の電車を乗り
いよいよ明日となった。もしもこのあと寝逃げをしてもせまるものはせまる。どうしようもな い現実である。きみは南のほうの私鉄線の近くまで歩き、きのうは石焼き芋をまた買ったが、夕方というものはただちに日没し、てんてん拍子に深夜がくる。口さみしさをまぎらわすため
エックスのフォロワーはさらに増えて、10680人にもなった。ブルバ2000人も早くも盤石と思え、1900人台に逆戻りはもうな いであろう。
食べすぎに気をつけたい。ラングリーというビスケットを食べるが少しでいい。
あしたですとなる瞬間がせまっている。いよいよ、とは、伊予や伊与が近づくことを意味し、西南への期待感や、後継者への希望がつながることでもある。そこまでにいたらずとも、ひらめきみたいなものは明日おとずれる可能性はある。
こっちのシステムに書くのはいいが、エックスに書くことはできな い。エックスにどうでもいい話題をふらっと書いてしまえばエンゲージメントが下がり、ますます収益から遠ざかるためだ。
リサーチも大事な収入源。毎月3000円は貴重。
家族のPCの電源をいれてecナビとペックスをやる。それが終わったらアイスを食べていい。
昼間のニュースみたいに、何時になりました、ニュースをお伝えします、で始めればよし。おはようございますやこんばんはを冒頭に入れる必要はな い。
このスマホを充電します。
バンドエイドがはがれた。
したからには、下に行き庭を見ることにした。
失敗した。したならば下に行くかはわからぬ。
419系は、北陸本線の富山・金沢地方で活躍する、元寝台車改造の近郊型電車である。 相次ぐ寝台特急の廃止により、余剰となっていた581系・583系の寝台を折りたたんで4人がけボックス座席仕様として固定の上、乗降ドアを増設している。 国鉄時代の末期
新宿から湘南新宿ラインを北上し、東北本線の栗橋駅付近から東武鉄道に直通する特急に使われる車両。 国鉄型485系の改造車であるが、車番はタネ車のままである。しかし、相互乗り入れする東武の100系スペーシアに塗装をあわせ、先頭車も電光愛称幕部分が埋
津のホテルをチェクアウト後、午前中はマラソン大会に参加。十キロを走った。午後に津を後にし、高速船フェニックスで中部国際空港へ。日本一周の旅は、空路で九州を目指すこととなる。 2007年12月30日
船についての知識は無く、タイタニックと青函連絡船くらいしか知らない。 しかし、この太陽のマークが描かれた船は子供の頃からよくテレビなどで見たことがあった。 さんふらわは、瀬戸内海を通って大分へ出入りしているようだが、いつかは豪華客船に乗ってゆ
1986(昭和61)年11月1日の、国鉄最後のダイヤ改正では、オハ24-700番台「ロビーカー」がはやぶさ号に引続き富士号にも連結を開始した。これを記念し、父と東京から小倉まで乗車した時の一枚である。写真右下に86・11・3とあるから、ロビーカー連
DE10にそっくりな形状のため、遠くから見たら見間違えそうな機関車だ。 おもに客車区や貨物ヤードでの編成入れ替えに従事し、本線での列車牽引はないと思われる。尾久車両センターに在籍するものは、このように田畑機関区との連絡線(踏切)を通過することも
国鉄改革の前年、昭和61年撮影の東京行き寝台特急出雲2号。左側に見えるは急行だいせんナハ21。当時出雲市駅も地平にあって、側線に色々な車両がいた。にほんブログ村 https://blogmura.com/
小生、航空機ファンではないので詳しくは存じ上げないが、2階建て飛行機のボーイング747ならば知っているし、よく利用してきた。あの1985年の御巣鷹山事故のときの機種としてもボーイング747は有名。 通称、ジャンボ機と呼ばれている。
14系15形の緩急車として、同時期に製作されていた24系25形オハネフ25-200番台と同一仕様で製作された。 国鉄時代は、おもに明星あかつき号などで使用されてきたが、JR発足前後からは日豊本線の彗星号にも担当。90年代までは、15形は関西ブル
北斗星用24系25形の電源車には、50系客車のマニ50荷物車を改造したものが2両あった。 その中でもJR東日本の所有していた501号車は、臨時寝台特急「夢空間北斗星」などとして24系900番台を連結した列車のしんがりに連結されることが多かったが
外でも見るか。
コメントをそれぞれに記してみたいが、まだエックスにロックがかかっていて書きこめぬ。へずまりゆうなんかが都知事になったら支離滅裂となりそうだ。
投票に行った夕方から繰り返しこのライブドアブログ経由でのつぶやきを行っているから、PV(アクセス) はきのうの10倍を超した。しかし、訪問者は増えず、いま日曜日の23時台に熟読者は一人もおらぬ。これではだめだ。拙YouTubeにもきようは目覚ましい動きが見られず、や
7/7(日) 20:00配信となっている。つまりマスコミなどはあらかじめ小池百合子氏三選がわかっていたということになる。池田大作氏が死去したとは言え創価学会の組織票はかなり強いということだ。
学校に行きたくても、気がついたら昼まで寝ていた、か。なんともいえぬ罪悪感だと思う。自分も過眠症であり、昼まで寝ていることが増えた。取り残されたような気分を味わったりする。この女の子のつらさがわかる気がする。
テレビでよる8時にこの瞬間をみれたのはよかったかもしれぬが、あらかじめわかっていたというか、ずばり創価学会による組織票がかなり強いとかんじたな。
このゆたぼんもよい写真だなあ。ポストを見た瞬間にコメントを入れてみたいのに、へっぽこ12時間ロックがかかっているせいでそれも行えぬ。
それぞれもう40にもなっていて当然、というか、そのくらい再生されていてよしなはず。4では話にならぬ。これでは地震の景況感は上がらぬ。
いつもだとこうした話題をみつけるとすぐにリポストしたり、コメントを記すものだが、それらは深夜2時ごろまで待たされる。気兼ねせずにどんどんポストができた状態がなつかしい。こんなところに書き続けていても数多くの人の目に触れず埋没し、2度目のエックス収益なども