昨年4月、石川県輪島市で全日本競歩輪島大会を観戦した。その競歩大会に併設する形で実施されたスピードウォーク in 輪島大会3kmの部に、私も選手として初参加。2020年東京オリンピック開催が決まったが、競歩競技の普及、過疎化の進む地方における鉄道復権など
蒸気機関車とブルートレインを買い取り、JR線上を走る「動く寺子屋」設立という大目標に向けて教育研究に歩む熱血先生のブログサイト! 機関誌ガンバレール9は第2号まで発刊。第3号作成中。RM誌にも寄稿の、色えんぴつによる鉄道人物絵が伝家の宝刀!
糸魚川駅での、今は無き大阪~青森間の特急「白鳥」と、寝台電車583系を改造した419系の並びである。この写真を撮影した数分後に、上りの大阪行き「白鳥」も入線してきた。 日本海縦貫線といえば、先日の新潟県中越沖地震による青海川駅の土砂崩れなどによ
419系は、世界初の寝台座席両用電車である581・583系を改造した近郊形電車である。 画像のように、種車クハネ581の特急形先頭車をそのまま使用したクハ419のほか、中間車サハネ581を改造した切妻先頭車クハ418も存在する。クハとは反対側の
419系は、北陸本線の富山・金沢地方で活躍する、元寝台車改造の近郊型電車である。 相次ぐ寝台特急の廃止により、余剰となっていた581系・583系の寝台を折りたたんで4人がけボックス座席仕様として固定の上、乗降ドアを増設している。 国鉄時代の末期
2010年に拙著創刊号を出したころの話題を先ほど再掲しました。
すでに皆さまもご承知おきのように、3月末完成を目指して作成中のヤフーブログ本(創刊号)には、ブログ上では未発表の鉄道記事や、オリジナル連載マンガも掲載いたします。 塾長の私自らが、約15年の歳月をかけて描き上げてきた劇画ガンバレールナインを、ペ
ヤフーブログ本(創刊号)にて初公開となる連載マンガ 「ガンバレール9」 が本日、完成しました。 今回特別に、主人公のゆきちゃんがお父さんに怒られている24ページの部分を公開いたします。 第1話 「ゆきちゃん」 は大増45ページ構成で、カラー
現在、ヤフーブログ本にて初公開のマンガはシャープペンシルによる下絵描きの作業が終わり、ペン入れや黒ベタ塗り、そして一部のページはこのように色塗りに入りました。 しかし、パソコンには全く頼らず、とくにカラーページの場合は色えんぴつによる手塗り作業
アメリカの生物化学者アイザックアシモフ氏の遺作となった一冊を紹介。亡くなる数年前1992年ごろにかけて執筆してた文章を本にしてある。数千年先に人口が75兆人にも増える可能性があるが、風力発電の推進、出生率を抑えれば
これは、2001年ごろ尾久フェスで撮影した1枚。。臨時・夢空間北斗星のほか、金沢経由で上野~大阪・神戸を結ぶ臨時寝台車にも夢空間は活躍した頃。いま、北陸新幹線は先般の水害やコロナにもマケズ人気高く、ダイヤほぼ定刻運行に戻った。それを、背後から盛り上げる意
キハ38は当初、八高線で活躍していたキハ35系グループの車体更新車である。この頃は、クリーム色の車体に赤帯を巻いており、まるで京王線の電車みたいな感じだったと言えよう。 現在は久留里線などに転属し、菜の花カラーをまとって活躍している。 写真は、高校
昭和62年春の、中京地区211系。クモハ211ー0番台車。この拙作品は7年半ほど前、レイル・マガジン2011年始まりの頃のイラストテーションに掲載されました。東海道線東京駅では見かけなかった、中京地区ならではのクモハ有 0番台は2編成のみながらも新生JRを
2017年9月発売の、レイル・マガジン11月号に掲載された拙イラスト作品「寝台車大集合」。小坂鉄道より元あけぼの、285系、九州からななつ星も加わり、賑わう展示会場内は、子供たちの歓声に、大盛況!!にほんブログ村 https:
終着駅上野を目前に、日暮里(にっぽり)駅を高速通過する寝台 特急北斗星。E2系新幹線も運よく顔合わせ。左奥の山手線が2世代前の205系電車なため、平成12年前後の撮影だったと記憶。にほんブログ村https://blogmur
いそかぜ号は、山陰本線経由で九州へ乗り入れる唯一の特急列車であった。 編成は常時3両と短く、往年のキハ82系まつかぜ号のように食堂車も組み込んでいた頃の迫力は既に無かったが、山陰本線西部の美しい海岸線をゆっくりと走る姿には、鉄道ファンならずとも
やくも号とは逆に、現在は愛称名に「スーパー」をつけているおき号は、かつてはキハ181系による運転であった。写真は、多客期にもかかわらず短い3両編成で入線してきたところだが、それでも利用客が少なかった記憶がある。 今日では、特急列車らしくない切妻
国鉄色緑帯のキハ185系に、トロッコ車のキクハ32をつないだ2両編成の観光列車であった。現在はアンパンマン列車として活躍しているようだ。 1枚目・・1998年7月に大歩危駅で撮影ガンバレールは、にほんブログ村 (鉄道部門)に参加しています。ht
このプリントの裏面には、北斗3号キハ183×9と書かれてある。 鉄道ジャーナル社が協力する団体旅行・YTCレールメイトツアーに参加した時の撮影で、9両編成とは今の北斗号ではあまり実現しない長編成である。7号車に、逆向き連結の中間先頭車が組み込ま
比較的最近まで、国鉄色の381系しなの号は活躍していたようである。 しかし、このように貫通型0番台のものはほとんどが廃車され、今では現存しないと思われる。往年のしなの号運用では、多客期にこの貫通路が生かされ、クハ381が向き合ったりして10~1
ノースレインボーエクスプレスは、キハ183系として最終新製車だが、バブル期終わりの92年製で古い。排気ガス防止のため、青函トンネルを貨物用機関車にけん引されて青森まで乗り入れしてた臨時便を下車して撮影。98年ごろのことである。東日本1
1986年ごろの常磐線・北松戸駅の一コマ。 側面にJNRマークをつけた203系が新製投入され、すでに103系1000番台は緩行線(地下鉄千代田線)から快速線へと移動ずみ。一部は、国鉄の赤字経営で塗り替えがたいへん遅れ、前面に、常磐線・快速というステッカー
この拙作品は、レイル・マガジン誌通巻426号のイラストコーナーに掲載されています。 スハフ32を最後尾に上野駅に到着した常磐線100年号、こと、レトロトレインときわ。水戸~上野間を二日連続で虹釜がけん引。この1996年(平成8年)は、すでに、時刻表上に載
東に向かう5032M サンライズ瀬戸・出雲を描いたこの拙作品は、レイル・マガジン通巻413号イラストステーションにも掲載されています。スーツさんに叶わないまでも、285系は機会を見つけて乗っておきたいですね。8月から始めている鉄道動画のアップにもいろいろと回りた
放送大学院の単位認定試験を受験するため、海浜幕張駅前のホテルグリーンタワー幕張に宿泊した。 部屋から、走行する列車もバッチリ楽しめる。元山手線用205系の“田の字窓車”赤帯は初めての撮影だ。午前11時のチェックアウト寸前、天に願いは通じ
今日は、高尾~(新宿・秋葉原経由)~館山間に臨時快速「南房総水仙まつり号」が1日だけ走るということで、昨年末に買ったデジカメを持って撮影に出かけた。 駅撮りや列車内のシーンならば、去る11月の鹿児島旅行の時からガシガシと写してきたが、まだ、
これは、6両編成の両端に、クハ103-13と14という初期型クハ編成がいた1991年秋ごろの武蔵野線103系である。やがて江戸川橋梁に向かい発車しようとする写真の先頭がクハ103-13だったと記憶。この頃の武蔵野線は新製205系や8両編成は登場前夜。
月曜日の朝から、子どもたちは元気いっぱいに登校してきました。 国語の授業は、今日から「話し合って決めよう」という分野に入ったため、子どもたちが騒ぎ始めて授業にならないのではないかと心配しましたが、無事になんとか終了。4時間目の体育では、子どもたちと
キハ40+48を改造して活躍した常磐線の団体用お座敷気動車「漫遊」ご覧のように緑、紫、赤と、一両ごとに異なるカラーである。さながらフレッシュひたち短編成版だった。1996年ごろ 南千住駅にて撮影にほんブログ村
常磐線勝田の車庫にいた最後の651系電車・基本番台1本が勝田を去り廃車と聞いてる。。ゆうづる、みちのくなど、国鉄時代は583系特急が疾駆してた常磐線の、王座を譲り受けたように活躍続けたスーパーひたち。新型130キロ走行、輝かしい
ガンバレール運転所の四畳半には、鉄道に実際に使われた廃品グッズ類もある。もちろんのこと、客車寝台特急ゆうづるのヘッドマークは本物でないけど、5号車という20系客車タイプの号車表示板。これは、実際に使用されていた物。内側から光が灯って丸い表示器として輝き、
TDL(東京ディズニーランド)最寄りの舞浜駅が開業した1988年12月1日、武蔵野線経由で大宮~舞浜間を結ぶ臨時快速“メルヘン大宮”の運転が始まった。 リクライニングシートを設置した167系の4両編成で、全車座席指定。ノンストップで快走していた
北小金から武蔵野線に入り、南流山より進行方向を変えてた舞浜ゆき行楽臨。武蔵野線の東京駅延伸に際し、東京駅まで延長運転してた記憶もある。403系が4両編成で京葉線を爆走。にほんブログ村https://blogmura.com/
この拙作品は、レイル・マガジン誌通巻426号のイラストコーナーに掲載されています。 スハフ32を最後尾に上野駅に到着した常磐線100年号、こと、レトロトレインときわ。水戸~上野間を二日連続で虹釜がけん引。この1996年(平成8年)は、すでに、時刻表上に載
この、東の498号機と西の200号機の併走を描いた《デゴイチ夢の共演》 イラストは、レイル・マガジン誌No421(2018年8月発売)RMフォーラムに掲載されてます。小生、鉄道ルネッサンスの平成初期を取り戻すためには、SL寝台による鉄道復権をと、数十年以上
上越線の六日町駅と常磐線を、武蔵野線経由で結んでいた冬季限定の急行列車。 常磐線の始発・終着駅はいわき駅だったと記憶する。尾久客車区に在籍した14系ハザ6連を、全区間でEF81がけん引した。ガンバレールは、大宮から土浦まで1回だけ乗ったことがあ
上野駅の夜19時3分は、国鉄型が13~15番線に3本も並ぶゴールデンタイムであり、20年前に戻ったかのような雰囲気を味わえる。 昨日の下り北斗星も、EF81-95号機レインボー塗装“虹釜”だったが、21日の1レもけん引しているから、ここ
鉄道開業150年の2022年、初めてのE7系、初めてのグランクラス乗車を達成した。当初は、かがやき号で軽食付きを希望したが高崎に停車しないため、はくたか号としての短い約50分の体験になった。にほんブログ村 https://blogmura.com/
上越新幹線連絡の速達特急として、北斗星などが誕生した1988(昭和63)年3月改正で誕生した特急。 長岡~金沢間に、当初はオール普通車指定席で2往復を設定。北越号よりも停車駅が少なく、直江津、富山、高岡のみの停車であった。このため、ヘッドマーク
小生、二十歳のころ1・17の犠牲者が、深夜未明迄テレビで名前が流れ続けてて、未曾有の災害と凍てつく寒さに世の無常観をも感じた大地震から数日後のこと。夜勤のビル清掃を終えて、セブンイレブンで一冊買い求めた阪神大震災の写真集(当
グリーン定期券をもつ東海道本線のビジネスマンとは勝負にならないかも知れぬ。しかし小生、46年近く生きて来て今のところ、営団(現メトロ)の全線定期券が人生最大の(値段が高い)定期乗車券だ。もちろん、都内のビル清掃業務に故郷松戸から毎日勤務してた上、当時は放
近江舞子で一旦改札を出て、津までの乗車券を購入した。東京で旅行前に購入した高知からの乗車券を提示したので、気さくな駅員さんは私が遠くから旅をしている者と見たのだろう、「どうぞ良い旅を」と笑顔で語りかけてくれた。 小雨模様の琵琶湖を眺めつ
12月29日(土)の朝を迎えた。一睡も出来ず、夢遊病のような状態で京都駅0番線に下車し、ベンチに腰掛けてしばらくムーンライト高知の編成を眺めた。驚いたことに松山編成の併結がなく、EF65に客車3両だけという超ミニ編成であった。 今夜は幸
中野に住み始めたばかりのころ、全37巻を購入。夢中になって読んでいた「歴史めぐり」自転車マンガの代表作である。 主人公・丸井輪太郎君は中学卒業間もない、自転車店のドラ息子だ。 如何にも昭和という感じな、短い半ズボンスタイルに帽子をかぶり、あ
製作中の拙ブログ本(機関誌3号)の54~55ページになる部分、 宇宙特急平和号のマイネ24形702号を追い出される最悪の未来視が見える第3話半ば。中学生のころから、博士課程卒の教師を夢見て小6の理科と、体育教師補助としてバレーボールも教えてきた主人公ゆ
数年前の水害により、バス転換に なる、JR九州の日田彦山線キハ66系 急行日田と子ども達です。この拙作品は、レイル・マガジンNo441号のRMフォーラムに掲載されました。一鉄道ファンとしては、鉄道による復旧を願っていたのは言うまでも
昭和53年頃、夕暮れの水郡線。キハユニ26連結の鈍行列車。この拙作品はレイル・マガジン401号(2017年2月)イラストステーションに掲載されました。実りと収穫の季節。夕焼けに豊作を感謝しつつ秋深まる11月を愉しみたいものです。
小生、ひろしま県央競歩(コロナで2年連続中止)に参戦したときは、まだ、推し太郎(桃太郎)EF210形300番代は少数派だった。それが今や、337号機に至るまでの大量増備で、JR貨物を代表する電気機関車に急成長!!安全側線セットも購入してみた。正月ま
東北本線北部で、線路に何らかのアクシデントが発生した場合、北海道ブルートレイン北斗星やカシオペアは上越線を迂回運転することがあった。 まだ、E26系カシオペアが誕生して間もない1999年の秋、数日間にわたって上越国境を行く寝台特急を見ることが出
この拙作品は、レイル・マガジン誌 No429(2019年6月発売) RMフォーラムに掲載。書庫:イラスト鉄道人物絵 小生、数千人もの通勤通学客が乗るラッシュ時の山手線などを思えば、事実上の無人運転であるドライバーレス運転は賛成できません。九州のにちりん号
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昨年4月、石川県輪島市で全日本競歩輪島大会を観戦した。その競歩大会に併設する形で実施されたスピードウォーク in 輪島大会3kmの部に、私も選手として初参加。2020年東京オリンピック開催が決まったが、競歩競技の普及、過疎化の進む地方における鉄道復権など
本年4月、石川県輪島市で全日本競歩輪島大会を観戦した。競歩大会に併設する形で実施されたスピードウォーク in 輪島大会3kmの部に選手として初参加。東京での、2020年オリンピック開催が決まったが、競歩の普及、過疎化の進む地方における鉄道復権などを願い5
富山地鉄がJRをオーバークロスする場所で約30分待ったけれども、ついに両方の電車が交差する瞬間は見れなかった。なので帰京後に絵を作ることにした。 製作中の、ガンバレールナイン第2号(拙ブログ本)に掲載予定のマンガを作る手をいったん休めて着手。
今亡き祖父母の故郷でもある北陸本線・黒部で途中下車。 走っているのは、681(683)系はくたか。駅からそう遠くない位置に、このように富山地鉄がオーバークロスする部分がある。 まず、JRの普通電車が来た。 地鉄の電車が
今年4月、石川県輪島市にて開催された全日本競歩輪島大会を観戦、その競歩大会に併設する形で行われたスピードウォーク in 輪島大会3kmの部に選手として初参加した。東京オリンピック開催が本日決まったが、競歩の普及も願い輪島スピードウォーク、およびSL寝台
東京駅のこの場所に、日曜日の午前中出かけるとなれば、飽きもせず、14系さくら号が来る11時半まで私はカメラを構えてた。これは、父が写してくれた1枚。今思うと、上下黒っぽいファッションのせいか、地味に感じる。真冬なので、さすがに半ズボンでは
最近、くろしお号用の国鉄色381系が岡山に来て、やくも号に連結されたという情報を得ている。懐かしい姿をぜひ見てみたいものだ。 写真はもちろん国鉄時代の物である。写っている小学校6年生当時のガンバレールは、冬2月だったせいもあるが珍しく長ズボン姿
今、出雲区の国鉄特急形381系電車には3種類のカラーがある。 1枚目が、従来からのやくも号カラー。2枚目写真の右側に連結されている車両がスーパーやくも号色で、この画像のように緑色のやくも車と混色で運転されることもある。 3枚目の写真は、新見駅
新大阪まで高いグリーン料金を支払っていたし、一人で、ずっと以後も食堂車に居座るのはさすがにまずいだろうということで、名古屋の前で飲食代を清算。数両近くの自席へ。ところがだ、予約してた一人掛け席には見知らぬおばあさんが、座ってて驚いた。
2000年3月10日・金曜日新幹線・食堂車営業の下り最終列車は静岡県を順調に進んでいくところだった。もちろんのこと私は、2階建てグリーン車の1人掛けを東京→新大阪で手配しての旅だった。しかし名残惜しい新幹線168食堂車を
2000年3月10日撮影博多側に2つほどあった、2人向かいわせの席のひとつに、座れた。一人旅で動きやすかったからだろう。銀ボタン五個を第1ボタンまでしっかりとじた、濃紺の詰襟を着た男性が向かい側に座って、ジュースを注文していたが、
最後まで活躍中だった新幹線の食堂車は、グランドひかりという、JR西日本の2階建て4両連結の編成だった。発車前から、食堂車の前や、階下の通路だって順番待ちで盛況。食堂車は、最後の日まで一日4往復の東京発博多行きとしてのダイヤ設定
2000年3月10日は、新幹線から食堂車が消えた日である。もう18年以上前になるけれども、放送大学卒業記念を兼ねて、最終営業列車に乗った。連続シリーズ5回で、最終日の食堂車168形3004番車内などをアップ。(つづく)
北陸本線黒部付近山口線東北本線黒部峡谷鉄道餘部鉄橋立山のダム
ビル清掃の仕事を深夜未明にかけて担当したあと、ミニ旅行に出かける機会がある。この日は上野から、女性アテンダントが乗務する2Fグリーン車にゆられて東北線の久喜まで遊びにきた。 成田エクスプレスの旧型車両として活躍した253系が、 回送列車として久喜駅の
糸魚川駅での、今は無き大阪~青森間の特急「白鳥」と、寝台電車583系を改造した419系の並びである。この写真を撮影した数分後に、上りの大阪行き「白鳥」も入線してきた。 日本海縦貫線といえば、先日の新潟県中越沖地震による青海川駅の土砂崩れなどによ
419系は、世界初の寝台座席両用電車である581・583系を改造した近郊形電車である。 画像のように、種車クハネ581の特急形先頭車をそのまま使用したクハ419のほか、中間車サハネ581を改造した切妻先頭車クハ418も存在する。クハとは反対側の
419系は、北陸本線の富山・金沢地方で活躍する、元寝台車改造の近郊型電車である。 相次ぐ寝台特急の廃止により、余剰となっていた581系・583系の寝台を折りたたんで4人がけボックス座席仕様として固定の上、乗降ドアを増設している。 国鉄時代の末期
2010年に拙著創刊号を出したころの話題を先ほど再掲しました。
すでに皆さまもご承知おきのように、3月末完成を目指して作成中のヤフーブログ本(創刊号)には、ブログ上では未発表の鉄道記事や、オリジナル連載マンガも掲載いたします。 塾長の私自らが、約15年の歳月をかけて描き上げてきた劇画ガンバレールナインを、ペ
ヤフーブログ本(創刊号)にて初公開となる連載マンガ 「ガンバレール9」 が本日、完成しました。 今回特別に、主人公のゆきちゃんがお父さんに怒られている24ページの部分を公開いたします。 第1話 「ゆきちゃん」 は大増45ページ構成で、カラー
現在、ヤフーブログ本にて初公開のマンガはシャープペンシルによる下絵描きの作業が終わり、ペン入れや黒ベタ塗り、そして一部のページはこのように色塗りに入りました。 しかし、パソコンには全く頼らず、とくにカラーページの場合は色えんぴつによる手塗り作業
アメリカの生物化学者アイザックアシモフ氏の遺作となった一冊を紹介。亡くなる数年前1992年ごろにかけて執筆してた文章を本にしてある。数千年先に人口が75兆人にも増える可能性があるが、風力発電の推進、出生率を抑えれば
これは、2001年ごろ尾久フェスで撮影した1枚。。臨時・夢空間北斗星のほか、金沢経由で上野~大阪・神戸を結ぶ臨時寝台車にも夢空間は活躍した頃。いま、北陸新幹線は先般の水害やコロナにもマケズ人気高く、ダイヤほぼ定刻運行に戻った。それを、背後から盛り上げる意
キハ38は当初、八高線で活躍していたキハ35系グループの車体更新車である。この頃は、クリーム色の車体に赤帯を巻いており、まるで京王線の電車みたいな感じだったと言えよう。 現在は久留里線などに転属し、菜の花カラーをまとって活躍している。 写真は、高校
昭和62年春の、中京地区211系。クモハ211ー0番台車。この拙作品は7年半ほど前、レイル・マガジン2011年始まりの頃のイラストテーションに掲載されました。東海道線東京駅では見かけなかった、中京地区ならではのクモハ有 0番台は2編成のみながらも新生JRを
2017年9月発売の、レイル・マガジン11月号に掲載された拙イラスト作品「寝台車大集合」。小坂鉄道より元あけぼの、285系、九州からななつ星も加わり、賑わう展示会場内は、子供たちの歓声に、大盛況!!にほんブログ村 https:
終着駅上野を目前に、日暮里(にっぽり)駅を高速通過する寝台 特急北斗星。E2系新幹線も運よく顔合わせ。左奥の山手線が2世代前の205系電車なため、平成12年前後の撮影だったと記憶。にほんブログ村https://blogmur
いそかぜ号は、山陰本線経由で九州へ乗り入れる唯一の特急列車であった。 編成は常時3両と短く、往年のキハ82系まつかぜ号のように食堂車も組み込んでいた頃の迫力は既に無かったが、山陰本線西部の美しい海岸線をゆっくりと走る姿には、鉄道ファンならずとも
やくも号とは逆に、現在は愛称名に「スーパー」をつけているおき号は、かつてはキハ181系による運転であった。写真は、多客期にもかかわらず短い3両編成で入線してきたところだが、それでも利用客が少なかった記憶がある。 今日では、特急列車らしくない切妻
国鉄色緑帯のキハ185系に、トロッコ車のキクハ32をつないだ2両編成の観光列車であった。現在はアンパンマン列車として活躍しているようだ。 1枚目・・1998年7月に大歩危駅で撮影ガンバレールは、にほんブログ村 (鉄道部門)に参加しています。ht
このプリントの裏面には、北斗3号キハ183×9と書かれてある。 鉄道ジャーナル社が協力する団体旅行・YTCレールメイトツアーに参加した時の撮影で、9両編成とは今の北斗号ではあまり実現しない長編成である。7号車に、逆向き連結の中間先頭車が組み込ま
比較的最近まで、国鉄色の381系しなの号は活躍していたようである。 しかし、このように貫通型0番台のものはほとんどが廃車され、今では現存しないと思われる。往年のしなの号運用では、多客期にこの貫通路が生かされ、クハ381が向き合ったりして10~1
ノースレインボーエクスプレスは、キハ183系として最終新製車だが、バブル期終わりの92年製で古い。排気ガス防止のため、青函トンネルを貨物用機関車にけん引されて青森まで乗り入れしてた臨時便を下車して撮影。98年ごろのことである。東日本1
1986年ごろの常磐線・北松戸駅の一コマ。 側面にJNRマークをつけた203系が新製投入され、すでに103系1000番台は緩行線(地下鉄千代田線)から快速線へと移動ずみ。一部は、国鉄の赤字経営で塗り替えがたいへん遅れ、前面に、常磐線・快速というステッカー