昨年4月、石川県輪島市で全日本競歩輪島大会を観戦した。その競歩大会に併設する形で実施されたスピードウォーク in 輪島大会3kmの部に、私も選手として初参加。2020年東京オリンピック開催が決まったが、競歩競技の普及、過疎化の進む地方における鉄道復権など
蒸気機関車とブルートレインを買い取り、JR線上を走る「動く寺子屋」設立という大目標に向けて教育研究に歩む熱血先生のブログサイト! 機関誌ガンバレール9は第2号まで発刊。第3号作成中。RM誌にも寄稿の、色えんぴつによる鉄道人物絵が伝家の宝刀!
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昨年4月、石川県輪島市で全日本競歩輪島大会を観戦した。その競歩大会に併設する形で実施されたスピードウォーク in 輪島大会3kmの部に、私も選手として初参加。2020年東京オリンピック開催が決まったが、競歩競技の普及、過疎化の進む地方における鉄道復権など
本年4月、石川県輪島市で全日本競歩輪島大会を観戦した。競歩大会に併設する形で実施されたスピードウォーク in 輪島大会3kmの部に選手として初参加。東京での、2020年オリンピック開催が決まったが、競歩の普及、過疎化の進む地方における鉄道復権などを願い5
富山地鉄がJRをオーバークロスする場所で約30分待ったけれども、ついに両方の電車が交差する瞬間は見れなかった。なので帰京後に絵を作ることにした。 製作中の、ガンバレールナイン第2号(拙ブログ本)に掲載予定のマンガを作る手をいったん休めて着手。
今亡き祖父母の故郷でもある北陸本線・黒部で途中下車。 走っているのは、681(683)系はくたか。駅からそう遠くない位置に、このように富山地鉄がオーバークロスする部分がある。 まず、JRの普通電車が来た。 地鉄の電車が
今年4月、石川県輪島市にて開催された全日本競歩輪島大会を観戦、その競歩大会に併設する形で行われたスピードウォーク in 輪島大会3kmの部に選手として初参加した。東京オリンピック開催が本日決まったが、競歩の普及も願い輪島スピードウォーク、およびSL寝台
東京駅のこの場所に、日曜日の午前中出かけるとなれば、飽きもせず、14系さくら号が来る11時半まで私はカメラを構えてた。これは、父が写してくれた1枚。今思うと、上下黒っぽいファッションのせいか、地味に感じる。真冬なので、さすがに半ズボンでは
最近、くろしお号用の国鉄色381系が岡山に来て、やくも号に連結されたという情報を得ている。懐かしい姿をぜひ見てみたいものだ。 写真はもちろん国鉄時代の物である。写っている小学校6年生当時のガンバレールは、冬2月だったせいもあるが珍しく長ズボン姿
今、出雲区の国鉄特急形381系電車には3種類のカラーがある。 1枚目が、従来からのやくも号カラー。2枚目写真の右側に連結されている車両がスーパーやくも号色で、この画像のように緑色のやくも車と混色で運転されることもある。 3枚目の写真は、新見駅
新大阪まで高いグリーン料金を支払っていたし、一人で、ずっと以後も食堂車に居座るのはさすがにまずいだろうということで、名古屋の前で飲食代を清算。数両近くの自席へ。ところがだ、予約してた一人掛け席には見知らぬおばあさんが、座ってて驚いた。
2000年3月10日・金曜日新幹線・食堂車営業の下り最終列車は静岡県を順調に進んでいくところだった。もちろんのこと私は、2階建てグリーン車の1人掛けを東京→新大阪で手配しての旅だった。しかし名残惜しい新幹線168食堂車を
2000年3月10日撮影博多側に2つほどあった、2人向かいわせの席のひとつに、座れた。一人旅で動きやすかったからだろう。銀ボタン五個を第1ボタンまでしっかりとじた、濃紺の詰襟を着た男性が向かい側に座って、ジュースを注文していたが、
最後まで活躍中だった新幹線の食堂車は、グランドひかりという、JR西日本の2階建て4両連結の編成だった。発車前から、食堂車の前や、階下の通路だって順番待ちで盛況。食堂車は、最後の日まで一日4往復の東京発博多行きとしてのダイヤ設定
2000年3月10日は、新幹線から食堂車が消えた日である。もう18年以上前になるけれども、放送大学卒業記念を兼ねて、最終営業列車に乗った。連続シリーズ5回で、最終日の食堂車168形3004番車内などをアップ。(つづく)
北陸本線黒部付近山口線東北本線黒部峡谷鉄道餘部鉄橋立山のダム
ビル清掃の仕事を深夜未明にかけて担当したあと、ミニ旅行に出かける機会がある。この日は上野から、女性アテンダントが乗務する2Fグリーン車にゆられて東北線の久喜まで遊びにきた。 成田エクスプレスの旧型車両として活躍した253系が、 回送列車として久喜駅の
2009年6月現在、寒冷地仕様の200番台も含めて全車両が健在しており、まだ置き換えの話はない。 しかし、成田エクスプレスの新車E259系が完成したことにより、踊り子号は253系に変更されるのかもしれない。 万一、そうなった場合、このオリジナル
糸魚川駅での、今は無き大阪~青森間の特急「白鳥」と、寝台電車583系を改造した419系の並びである。この写真を撮影した数分後に、上りの大阪行き「白鳥」も入線してきた。 日本海縦貫線といえば、先日の新潟県中越沖地震による青海川駅の土砂崩れなどによ
419系は、世界初の寝台座席両用電車である581・583系を改造した近郊形電車である。 画像のように、種車クハネ581の特急形先頭車をそのまま使用したクハ419のほか、中間車サハネ581を改造した切妻先頭車クハ418も存在する。クハとは反対側の
419系は、北陸本線の富山・金沢地方で活躍する、元寝台車改造の近郊型電車である。 相次ぐ寝台特急の廃止により、余剰となっていた581系・583系の寝台を折りたたんで4人がけボックス座席仕様として固定の上、乗降ドアを増設している。 国鉄時代の末期
2010年に拙著創刊号を出したころの話題を先ほど再掲しました。
すでに皆さまもご承知おきのように、3月末完成を目指して作成中のヤフーブログ本(創刊号)には、ブログ上では未発表の鉄道記事や、オリジナル連載マンガも掲載いたします。 塾長の私自らが、約15年の歳月をかけて描き上げてきた劇画ガンバレールナインを、ペ
ヤフーブログ本(創刊号)にて初公開となる連載マンガ 「ガンバレール9」 が本日、完成しました。 今回特別に、主人公のゆきちゃんがお父さんに怒られている24ページの部分を公開いたします。 第1話 「ゆきちゃん」 は大増45ページ構成で、カラー
現在、ヤフーブログ本にて初公開のマンガはシャープペンシルによる下絵描きの作業が終わり、ペン入れや黒ベタ塗り、そして一部のページはこのように色塗りに入りました。 しかし、パソコンには全く頼らず、とくにカラーページの場合は色えんぴつによる手塗り作業
アメリカの生物化学者アイザックアシモフ氏の遺作となった一冊を紹介。亡くなる数年前1992年ごろにかけて執筆してた文章を本にしてある。数千年先に人口が75兆人にも増える可能性があるが、風力発電の推進、出生率を抑えれば
これは、2001年ごろ尾久フェスで撮影した1枚。。臨時・夢空間北斗星のほか、金沢経由で上野~大阪・神戸を結ぶ臨時寝台車にも夢空間は活躍した頃。いま、北陸新幹線は先般の水害やコロナにもマケズ人気高く、ダイヤほぼ定刻運行に戻った。それを、背後から盛り上げる意
キハ38は当初、八高線で活躍していたキハ35系グループの車体更新車である。この頃は、クリーム色の車体に赤帯を巻いており、まるで京王線の電車みたいな感じだったと言えよう。 現在は久留里線などに転属し、菜の花カラーをまとって活躍している。 写真は、高校
昭和62年春の、中京地区211系。クモハ211ー0番台車。この拙作品は7年半ほど前、レイル・マガジン2011年始まりの頃のイラストテーションに掲載されました。東海道線東京駅では見かけなかった、中京地区ならではのクモハ有 0番台は2編成のみながらも新生JRを
2017年9月発売の、レイル・マガジン11月号に掲載された拙イラスト作品「寝台車大集合」。小坂鉄道より元あけぼの、285系、九州からななつ星も加わり、賑わう展示会場内は、子供たちの歓声に、大盛況!!にほんブログ村 https:
終着駅上野を目前に、日暮里(にっぽり)駅を高速通過する寝台 特急北斗星。E2系新幹線も運よく顔合わせ。左奥の山手線が2世代前の205系電車なため、平成12年前後の撮影だったと記憶。にほんブログ村https://blogmur
いそかぜ号は、山陰本線経由で九州へ乗り入れる唯一の特急列車であった。 編成は常時3両と短く、往年のキハ82系まつかぜ号のように食堂車も組み込んでいた頃の迫力は既に無かったが、山陰本線西部の美しい海岸線をゆっくりと走る姿には、鉄道ファンならずとも
やくも号とは逆に、現在は愛称名に「スーパー」をつけているおき号は、かつてはキハ181系による運転であった。写真は、多客期にもかかわらず短い3両編成で入線してきたところだが、それでも利用客が少なかった記憶がある。 今日では、特急列車らしくない切妻
国鉄色緑帯のキハ185系に、トロッコ車のキクハ32をつないだ2両編成の観光列車であった。現在はアンパンマン列車として活躍しているようだ。 1枚目・・1998年7月に大歩危駅で撮影ガンバレールは、にほんブログ村 (鉄道部門)に参加しています。ht
このプリントの裏面には、北斗3号キハ183×9と書かれてある。 鉄道ジャーナル社が協力する団体旅行・YTCレールメイトツアーに参加した時の撮影で、9両編成とは今の北斗号ではあまり実現しない長編成である。7号車に、逆向き連結の中間先頭車が組み込ま
比較的最近まで、国鉄色の381系しなの号は活躍していたようである。 しかし、このように貫通型0番台のものはほとんどが廃車され、今では現存しないと思われる。往年のしなの号運用では、多客期にこの貫通路が生かされ、クハ381が向き合ったりして10~1
ノースレインボーエクスプレスは、キハ183系として最終新製車だが、バブル期終わりの92年製で古い。排気ガス防止のため、青函トンネルを貨物用機関車にけん引されて青森まで乗り入れしてた臨時便を下車して撮影。98年ごろのことである。東日本1