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動く寺子屋のガンバレール9 https://ganba3671.livedoor.blog/

蒸気機関車とブルートレインを買い取り、JR線上を走る「動く寺子屋」設立という大目標に向けて教育研究に歩む熱血先生のブログサイト! 機関誌ガンバレール9は第2号まで発刊。第3号作成中。RM誌にも寄稿の、色えんぴつによる鉄道人物絵が伝家の宝刀!

ガンバレールナイン
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2019/05/27

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  • もちろん異議申し立てをしているが、、

    ツイッター画面が本日2025/04/23午後8時ごろから突然、あなたが人間であることを確認します、という画面になって固まった。すぐに異議申し立てをしようとしたが、処理中となったままこの画面もがつぎに進まぬ。

  • またもツイッターが不通

    現在、このようになっていて画面が進まぬ。

  • このシステムに書いても

    エックスが開通した以上、もうこのシステムに書いても無意味に等しいだろう。スーツさんの作品に記しておくか。

  • 22時7分、エックスが約24時間ぶりに開通!!

    約1日ぶりにロックがはずれ、エックスを利用可能となりましたが、よろこんでばかりいられません。フォロワーはさらに200人も減り、万垢から脱落するような勢いにあります。

  • 残念。しかしこれも誰一人として読んでくれな い。

    拍手も消えてゼロになっている。拍手はツイッターのいいねに相当するが、誰一人としてしてくれぬようじゃあ圏外孤独すぎる。このシステムはツイッターの代わりとしてはあまりにも弱小すぎる。これならばスーツさんのyoutubeにコメントを記すほうがはるかにマシだ。ロック

  • 285系を意識して

    シャワーを浴びる。

  • 広末涼子逮捕関連5

    高倉健と共演した鉄道員(ぽっぽや)のイメージが台無しと言われている。自分も映画館でみているが、セーラー服姿のヒロスエが好きだった。

  • 広末涼子逮捕関連4

    広末涼子容疑者を乗せた警察の車

  • 広末涼子逮捕関連3

    いろいろと自分からもこの際ヤフーコメントに記そう。

  • 広末涼子逮捕関連2

    ツイッターが使えぬならば、ヤフーのコメントを見て楽しむしかあるまい。

  • ツイッターにログインできな い その15

    回答にリアクションがあります、というのが数時間に一回だがある。いろいろと書き込んだから知恵袋経由でもなにかしらの動きは確認できる。

  • ツイッターにログインできな い その14

    発生から24時間すると解除されたという情報もある。自分の場合は今夜9時半ごろが24時間だ。さてどうなるんだろう。

  • 国民全員に現金給付を検討、4万~5万円の案 政府・与党が調整

    国民全員に現金給付を検討、4万~5万円の案 政府・与党が調整 という。あくまでも検討なため、実施に動くかは見て微妙だな。

  • マグロ丼

    マグロ丼を食べます😃

  • ツイッターにログインできな い その11

    このシステムでは、忘れた頃にわずかながら拍手がつくがツイッターのいいねほどの作用はな く、欲求不満がつのる。2度の異議申し立てをしたが返答も来ぬ。つぶやきたいニュースもたくさんあるが、それらも容易にできぬ。ツイッターが当たり前のように使えていたことがあり

  • これはだめだろう

    「腹立ちストレス発散」万博最寄り駅に「ダイナマイト爆破させるぞ」SNS上に書き込み…大学生逮捕 だってさ。ミャクミヤクに興味はな いけれども書いてはならぬ言葉というものがある。

  • サロンカーなにわが九州へ

    「サロンカーなにわ」九州への運行企画が進行中!?というニュースを2025/04/09ヤフーで得た。同列車は種車14系からだと53年目の長寿になるが、夜行列車として長距離を走るのは画期的である。

  • 拍手をしてくれた人がいる

    ツイッターでいうところのいいねにあたる、拍手をクリックしてくれた方が複数人いるとわかった。ありがとうございます😊

  • スーツさんのところに

    ツイッターが引き続き使えぬため、この際、youtubeを楽しむのがベターである。スーツさんがクハネ285系を特集しているならば、赤裸々に寝台特急への思いをコメント欄に記してみる。

  • 広末涼子逮捕関連

    いろいろと厳しく書かれているが、命が助かっただけでもよかったと言えよう。

  • ツイッターにログインできな い その10

    ツイッターでぶつぶつつぶやけたことが何もできぬから、ヤフーニュースのコメント欄を楽しんでいる。広末涼子逮捕のことで田代まさしに聞いてみろは、うーん、だなあ。

  • ツイッターにログインできな い その9

    きよう2025/04/09、15時22分現在も、ツイッターにログインできぬ状態が続いている。ただし、昨夜から繰り返してこのライブドアブログに記してきた記事を、複数人の人が読んでくれたことはわかった。それがわかっただけでもまだ救いである。

  • ゆきちゃんの未来視

    製作中の拙ブログ本(機関誌3号)の54~55ページになる部分、 宇宙特急平和号のマイネ24形702号を追い出される最悪の未来視が見える第3話半ば。中学生のころから、博士課程卒の教師を夢見て小6の理科と、体育教師補助としてバレーボールも教えてきた主人公ゆ

  • 信号機点灯よし

    製作中の拙ブログ本(機関誌)第3号の32~35ページになる部分より。宇宙特急平和号のマイネ24形702号に住んでる主人公ゆきちゃんは、赤梅学園の不良たちに立ち向かうも、見境無くし大爆発。夜ノ森が助けに入

  • 永遠なれブルートレイン

    ​​​​​​ この絵を描いた2008年は、ブルトレ50周年という記念すべき節目だった。あさかぜ号の遺志を受け継ぐ24系25形金帯車“北斗星”は、当時1往復のみの運行になるなど先行きが非常に心配された。 クルーズトレインを除く、夜行列車の伝統は、ブルーの車

  • 青森駅の旅情

    2002年12月改正以前の青森駅では、日本海号、はつかり号、はくつる号が顔合わせする瞬間があった。回送列車としてホームを離れる「はくつる」編成の最後尾がファインダーに入ったその時、午前8時半のことである。なお、この日のはくつる編成は12両全車が金帯

  • 3M

    1Mは既に臨時便になりスピードダウンも、夜行特急列車群の中で、宇都宮経由のはくつるに次ぐ俊足で、651系並の速さであった。弘前大学受験に、向かうための乗車の際、撮影。上野駅の今は無き18番線で発進をまつ常磐線経由青森ゆき3M、寝

  • EF80 エキスポライナー

    エキスポライナーは、1985年の科学万博開催に合わせて運転された、常磐線のシャトル輸送快速列車であった。上野~万博中央・土浦間を、長編成キハ58系、403系やボックス席583系で運転されたが、画像のように引退間近のEF80が12系や20系をけん引する運用

  • 11(12)号車のオハネフ25

    国鉄時代の九州ブルートレイン24系25形は、共通運用の出雲1・4号が2両短い編成で運転する都合上、11号車(ロビーカーのあったはやぶさの場合は12号車)にも緩急車オハネフ25が組み込まれていた。 最後尾から、オハネフ・オハネ・オハネフ・・と連

  • 上越スキー号

    上越線の六日町駅と常磐線を、武蔵野線経由で結んでいた冬季限定の急行列車。 常磐線の始発・終着駅はいわき駅だったと記憶する。尾久客車区に在籍した14系ハザ6連を、全区間でEF81がけん引した。ガンバレールは、大宮から土浦まで1回だけ乗ったことがあ

  • 北斗星の下敷き

    YTCレイルメイト魅惑のランナーと言う団体旅行に旅立つ前、上野駅でもらったと記憶する下敷き。。今思えば北斗星車中泊含め4泊という豪華旅行を毎夏、挙行してくれた関係者に感謝である。表面はクリアな青函トンネルをゆく北斗

  • ED79 50番台

    ED79は国鉄時代末に、余剰ぎみだったED75を改造してデビュー。青函トンネル貨物用だ。しかし好景気で機関車不足になり、50番台をバブル期に投入。改造でなく、新製で何台かつくられた。性能はほぼ同じで国鉄型の増備だ。しかしEF81形450

  • キハ40系 漫遊(まんゆう)

    キハ40+48を改造して活躍した常磐線の団体用お座敷気動車「漫遊」ご覧のように緑、紫、赤と、一両ごとに異なるカラーである。さながらフレッシュひたち短編成版だった。1996年ごろ 南千住駅にて撮影にほんブログ村​​

  • キハ38

    キハ38は当初、八高線で活躍していたキハ35系グループの車体更新車である。この頃は、クリーム色の車体に赤帯を巻いており、まるで京王線の電車みたいな感じだったと言えよう。 現在は久留里線などに転属し、菜の花カラーをまとって活躍している。 写真は、高校

  • 夢空間客車ラストラン!

    次世代の豪華寝台車として、1988(昭和63)年に試作された24系25形900番台「夢空間」が、ついにこの3月を最後に引退することとなった。 東北・北海道ブルートレイン「夢空間北斗星」に連結されることも多かったが、その設定も2003年の

  • 常磐線をう回する北斗星

    1998(平成10)年の8月下旬、東北本線の黒磯~新白河間が水害による路盤流失により運転不能となった。 このため、上野と札幌を結ぶブルートレイン北斗星も、当初は仙台~札幌間での折り返し運転とされたが、同年9月3日の始発駅発車分より、3~6号(当

  • カシオペア初列車

    2017年夏刊、拙ブログ本の第2号にも巻末へ、記事等を編さんしてるけど、この寝台券は・・21年前、カシオペアの札幌ゆき初列車に親友と2人で乗車できた時の宝物だ。奇しくも、この日、7月16日は小生25歳の誕生日。最高の夜

  • サンライズ出雲

    広島・西日本地区の水害により、7月上旬から運休中だったサンライズ出雲の個室寝台券である。10年前のこの日は、関西でフルマラソンを完走して夕方、まだ時間があったために、岡山まで新幹線で下って、やくも号に乗り換え。1時間でも長

  • 第2号

    2017年夏完成、拙ブログ本2号、出品継続中。今手元にある初版は数に限りあり、都合により増刷は早くて年度初めになります。ご希望の方、拙ブログ読者様にはお早めの入札を御願い致します。http://openuser.auctions.yahoo.co.jp/jp/user/ganbarail

  • 創刊号

    構想17年の、小生のオリジナル連載マンガ「はだしのゆきちゃん」第一話につづく形でまりも号等、日本一周2005などもまとめた131ページ構成の拙ブログ本2010年夏刊思い出の第1

  • 久喜で久しぶりに喜ぶ

    ビル清掃の仕事を深夜未明にかけて担当したあと、ミニ旅行に出かける機会がある。この日は上野から、女性アテンダントが乗務する2Fグリーン車にゆられて東北線の久喜まで遊びにきた。 成田エクスプレスの旧型車両として活躍した253系が、 回送列車として久喜駅の

  • 12系やすらぎ

    国鉄時代末期に、高崎に配備された6両編成のお座敷客車。 12系800番台グリーン車扱いで、当時たくさん作られていた仲間たちの中では、展望室の窓がとても大きな部類に入るだろう。すでに485系改造の電車編成に置き換えられて引退しているが、両端の展望

  • 14系サロンエクスプレス東京

    1983(昭和58)年に、14系座席車を改造して誕生した国鉄初の欧風客車。 7両編成の両端は、スハフ14の便所側に展望室を設けてあるが、そのうちの1両は定員外フリースペースのサロンとされ、寝台特急はやぶさのロビーカーの先駆けとなった。この車両以

  • 14系スーパーエクスプレスレインボーときわ

    ときわ号は、常磐線経由で上野~いわき(平)間を結んだ急行列車であったが、昭和60(1985)年のダイヤ改正で定期運用を終了している。画像は、臨時列車化されたあと、急行「スーパーエクスプレスレインボーときわ」という長い列車名として運行されたJR初期の

  • ED42

      ED42形は、碓氷峠(うすいとうげ)がアプト式ラックレールによる旧線だったころの直流機関車。国鉄の前身、鉄道省が製作。  昭和9年から計28両製造された。横川~軽井沢間にて、キハ82系白鳥の上野直通編成などの牽引を担当したが、昭和38年に碓氷峠が新線に

  • 211系

    東海道線の211系は、初期の編成については国鉄時代に落成している。 1989年以降に2階建てグリーン車を組み込んだ10両基本編成に、ラッシュ時は5両付属編成を増結するが、両者間の行き来は出来ない。 何故か、せっかく存在する貫通路を使っていない状

  • デュエット初日

    正月であるし、年頭に当たり運転「初日」のスハネ25 702デュエットを父が東京駅10番線で発車前に撮ってくれた、30年ほど前の一枚を初公開しよう。同じころデビューした14系レインボーの設計も担当したらしい技術者の方もこの日あさかぜ1号に乗っていた

  • 【鉄道】 あさかぜ1号の旅路 (その24) 博多到着!

    車掌のアナウンスが続いている。「皆様、(注)スーパーブルートレインあさかぜの旅は如何でしたでしょうか。間もなく、終着駅の博多です。えー、どなた様も今年一年、良い年をおすごしくださいませ。今後ともお客様のために、わたくしどもJRは努力してまいります

  • 【鉄道】 あさかぜ1号の旅路 (その23) 小倉発車!

    ピョ~~~~ッ! あさかぜ1号は小倉駅を出る。いよいよ終点博多駅に向かうだけとなった。残すところ博多までは約一時間だ。だが、九州の鉄道は色々な電車があるので、すれちがう列車も楽しいものだ。寝台電車を改造した近郊型電車715系、L特急にちりん、有明

  • 【鉄道】 あさかぜ1号の旅路 (その22) カートレイン九州と併走!

    ED76-42は、我があさかぜ1号を引いて門司駅を出発する。列車は、JR九州の鹿児島本線に入った。冬とは思えぬほど暖かい九州の大地を走る「あさかぜ」は輝いている。ゆっくりと、自席のカルテット5番室にもどっちて車窓をながめていると、カートレイン九州

  • 【鉄道】 あさかぜ1号の旅路 (その21) 二度目の機関車交代

    EF81が去ると、つぎの王者は九州専用のED76-42号機だ。車体の色はEF81-409と全く同じだから(注)、素人ならば間違えてしまいそうだ。しかしEF81に比べて古いため、車体は汚れていた。 なお、ED76-37号機という機関車は、JR貨

  • 【鉄道】 あさかぜ1号の旅路 (その20) 関門トンネル通過

    EF81-409が汽笛を高らかに鳴らす。 ピィ~~~~ッ! ゴオオォォ~~ッ・・・関門トンネルに入った。外は何も見えない。列車はただ、真っ暗なトンネルを走るのである。余談だが、昭和62年1月にはじめてあさかぜ1号に乗った時も、関門間は409号機

  • 【鉄道】 あさかぜ1号の旅路 (その19) 一度目の機関車交代

    9時31分、ドアは開く。「下関~、下関~!」電源車の音は、ガアアァ~~ァ~~ッと響き渡っているが、先頭のEF66-51は、もう車庫へと去ろうとしている。作業員が2~3名で、連結器をはずす。機関士が「ピョッ!」と汽笛を鳴らしたと思った瞬間、ウオォ

  • 【鉄道】 あさかぜ1号の旅路 (その18) 朝日を浴びて山陽本線をゆく

    では、そろそろ食堂車へ行こう。朝日のまぶしい通路を歩き、食堂車に入る。いやぁおどろいた、昨夜と同様に超満員だ。約5分ほど待合室で待たされて、席につく。夜とは違ったさわやかな感じがする。洋定食をとってみる。まあまあの味かな。・・・ 右のほうから山

  • 【鉄道】 あさかぜ1号の旅路 (その17) 1988年元旦・初日の出

    あさかぜ1号は、瀬戸内海の海岸線に沿う大カーブを激走する。通路の窓から、先頭に立つEF66-51がよく見える。力強い。グングンと加速している。 あさかぜは宮島口駅に到着、数人の乗客があさかぜに別れを告げて改札へと向かっていった。発車してしばらく

  • 【鉄道】 あさかぜ1号の旅路 (その16) オシ24から見たナシ20

    あさかぜ号32年の歴史の中で、最も長い間にわたって使われ、愛されたのは20系客車だろう。筆者はふと、山陽本線厚狭駅構内に今も残る20系の食堂車を思った。(ここに留置されていたナシ20形5両は、平成元年ごろに撤去されたという。残念!) こんなことを考

  • 50系客車

    レッドトレインと呼ばれた一般型客車50系も、JR線に残るのは、私ガンバレールの知る限りはJR九州の観光用客車700番台の3両程度だけであり、私鉄に売却された物も、今では真岡鉄道のSL列車用に残存するのみである。 旧型客車に代わって東北地方や山陰

  • 115系

    東北(宇都宮線)・高崎線は、すでに二階建てグリーン車を組み込んだE231系または211系に置き換えられており、画像のような国鉄型車両115系は、中央本線立川以西を除き首都圏からは全車両が引退している。 先頭車のクハ115に乗ると、いつもトイレのニ

  • 関西線201系

    201系は、この2009年夏現在、首都圏ではもはや絶滅危惧種であるが、JR西日本では主力車両として大活躍。 ウグイス色の物は、比較的最近のデビューだ。 国鉄時代、山手線に201系を投入する計画もあったがついに実現せず、長らく、きみどり色の物はN

  • 103系さよなら電車

    山手線のウグイス色103系が全廃されたのは、総武線から101系が引退した時と同じ1988(昭和63)年であった。 この時代、常磐快速線では103系の最長編成である15連運行が始まったばかりで、首都圏はまだまだ103系天国であった。 しかし、103

  • サンライズエクスプレスの東進♪

    東に向かう5032M サンライズ瀬戸・出雲を描いたこの拙作品は、レイル・マガジン通巻413号イラストステーションにも掲載されています。スーツさんに叶わないまでも、285系は機会を見つけて乗っておきたいですね。8月から始めている鉄道動画のアップにもいろいろと回りた

  • 285系

    寝台特急サンライズ出雲・サンライズ瀬戸は、東京~岡山間は併桔して長大14両編成で走っている。 7・8号車間は、このように側面から見ると観音開きの扉に描かれたシンボルマークが目立つ。連結部分でも列車名をアピールすることが出来るのは素敵だ。今宵も、

  • ED76 彗星

    地味なブルートレインだった彗星だが、赤い機関車に輝く青いマークは美しかった。 ED76は、下り列車の場合は大分以南をけん引し、下関~大分間はEF81が担当するという異色のパターン。上りの京都行きは、門司までED76が先頭に立っていた。九州内の機

  • キハ58日南線

    “青島”を初訪問するために日南線直通列車を利用したが、21世紀に入って間もない頃はまだ国鉄型キハ58系が活躍していた。 キハ58+キハ28という基本2両編成だったが、エンジンを噴かしてまったりと走り、短時間の乗車であったが、ボックスシートを独り

  • DD51とガンバレール

    機関車大集合というイベントだったと記憶。DD51形のデッキに立つ小6の私を父が撮影。昭和61年夏。品川駅。同じく夏休みに開催されていた銀座デパートの鉄道模型展示なみに酷い混雑もなく、貴重な1枚を残してくれた父には感謝したい。この他EF57

  • 0系とガンバレール9

    新幹線0系の横で、昭和61年ごろ流行していたハイソックスと、半ズボン姿の小生は当時6年生だ。 国鉄時代、東京からブルートレイン富士に乗って小倉まで行った後、新幹線こだまに博多駅まで乗車。博多滞在わずか。同駅から新幹線で夜行日帰りで帰京する際に父が

  • マニ24-502

    50系客車のマニ50荷物車を改造した異端児で、東日本の501号が2006年に廃車解体、JR北海道の502号車も今年3月のダイヤ改正で運用を離脱。すでに思い出の車両となってしまった。車体断面が垂直で、他の24系寝台車に比べて細身のボディが特徴であった

  • キハ183系“新国鉄色”北斗

    このプリントの裏面には、北斗3号キハ183×9と書かれてある。 鉄道ジャーナル社が協力する団体旅行・YTCレールメイトツアーに参加した時の撮影で、9両編成とは今の北斗号ではあまり実現しない長編成である。7号車に、逆向き連結の中間先頭車が組み込ま

  • 急行十和田

    十和田号は、常磐線経由で上野~青森間を結んだ12系(14系)の臨時夜行急行列車であった。昭和57年秋までは20系寝台車編成を含む3往復運転、戦前は201・202列車を名乗り、進駐軍のアメリカ人が編成中の豪華寝台車に乗ってた時代も。 画像は、昭和60年

  • 青森ねぶた号

    常磐線の佐貫と青森を結んでいた、臨時特急列車。 国鉄時代末期から、485系によって毎年8月の青森ねぶた祭りに合わせて数日運行されてきたが、1999年の運転からはフレッシュひたち用のE653系を使用。東北本線が第3セクターによって分断される直前の

  • 485系ムーンライトえちご

    長らく、新宿と新潟を結ぶ夜行快速電車として親しまれてきたが、去る2009年3月のダイヤ改正で臨時電車に格下げされた。 春の青春18きっぷ期間の終了とともに、本日現在は運転されておらず、今後はゴールデンウイークにかろうじて上下1便が設定されて

  • 覇王伝説タケル(20)

    革命軍の首脳である主人公タケルが、軍師四迷たちと協力、 幽閉されてたタケルの実父(先代王)を救いに行く最終巻。。関ヶ原の戦い並みに敵も、味方も相次ぎ星となる。。だけど、伊達政宗が父を殺さざるを得なかったように、人質に取られてた先代王を宿敵ごと倒してしまう

  • 品川運転所から消えた24系25形

    銀河号(写真左側の列車)の廃止により、ついに東京駅発着のブルートレインは電源車カニ24を連結する24系25形が全廃となってしまった。 まず、2005年3月改正であさかぜ号廃止、富士はやぶさからの24系撤退により大幅に数を減らしたのもつかの間、博

  • なは号

    関西~九週間のブルートレインとして、あかつき号とともに最後まで頑張っていた人気列車・なは号は、昇り列車は、新大阪に9時台に着くダイヤであった。 画像は、まだEF65形けん引のころであるが、単独運転における晩年は、2両増結されて9号車まである

  • 24系 なは 方向幕

    日本一周2007の旅で、熊本から寝台特急なは号を利用。カニ24のテール は白幕と間違える ほど列車名判読 不能も・・・側面方向幕は京都の表示が出るまでに クルクル回る。。 国鉄時代の旅情あふれる思い出 愛称!ああ懐かしいっ!!にほんブログ村​​​ ​https://blog

  • 雪の常磐線

    常磐線に大雪が降った4年前の1シーンである。 常磐線の馬橋に生まれ、25歳の時まで北松戸に住んでいたガンバレールナインだが、雪の降る中、常磐線を撮った機会はきわめて少なかった。   この撮影時、まさか203系よりも先にE501系が首都圏から消えてしまうな

  • E217系

    横須賀線・総武快速線のE217系は、JR東日本の電車としては、はじめて形式の頭に「E」をつけたことでも有名だが、1994(平成6年)デビュー当時は斬新なイメージで驚いた。ああ、国鉄型が一気に無くなるだろうなと感じたのももう、じつに17年も前になる。

  • E231系800番台

    103系1200番台を置き換えるために投入された、東京メトロ東西線乗り入れ用のJR車両はE231系の800番台として区分されている。青系統の帯を入れてある。このため、もし、鉄道に詳しくない人がこの電車を見たならば、京浜東北線と区別がつかないかもしれない

  • 285系

    列車の連結、連結面は鉄道​​​ファンでなくても魅力を​感じるものだ。在来線の代表例は、寝台特急サンライズエクスプレス瀬戸と、同・出雲だろう。連結時でも英語の列車名がわかる。にほんブログ村​https://blogmura.com/​

  • 185系

    2009年6月現在、寒冷地仕様の200番台も含めて全車両が健在しており、まだ置き換えの話はない。 しかし、成田エクスプレスの新車E259系が完成したことにより、踊り子号は253系に変更されるのかもしれない。 万一、そうなった場合、このオリジナル

  • 255系

    千葉県(房総)方面の特急「わかしお」「さざなみ」に使われる車両。中央本線の臨時特急に担当されることもある。東中野付近にて2007年1月1日撮影。 ガンバレールは、にほんブログ村 (鉄道部門)に参加しています。https://railroad.blogmura.com/in

  • 167系メルヘン大宮・メルヘン立川

    貨物線を通り、武蔵野線・京葉線経由で走っていたTDL(ディズニーランド)直通快速。 車内がリクライニングシートに改装された専用の167系4連を使用し、メルヘン立川2・3号が立川~舞浜間を、メルヘン大宮1・4号が大宮~舞浜間を結んでいた。途中駅

  • 日本海&出羽とガンバレール

    かつて、日本海2号は秋田駅にてED75からEF81への機関車交換を実施していた。このため、秋田始発の今は無きブルートレイン出羽号の客車と、数分間だが顔を並べている。 オハネフ25からホロを取り外したような表情の電源車カニ24-100番台とは、こ

  • おばけ電車とガンバレール

    2009年2月現在、この千代田線用6000系電車は未だに1両の廃車もなく、元気良く走っている。 初期の編成は、すでに製造後41年も経過するが、21世紀を先取りしたという正面のデザインは今もなお斬新ですらある。しかし、発車時にク~ンと鳴り響くチョ

  • みずほ号とガンバレール

    九州ブルートレイン、青い流れ星5人兄弟。その中でいちばん地味だとされ続けた寝台特急が、この、みずほ号である。これは、後続の富士号・4人用B個室カルテットに乗る前に、東京駅で小生ガンバレール9の父撮影。当時は、この、スハネフ14系みずほ号や

  • EF66 “赤富士”

    国鉄時代の末期からJR発足後の数年間にかけて、たまに、ブルートレイン富士のEF66には赤地のトレインマークがつくことがあった。 1987年の大みそかに、神田駅側から入線してきた瞬間を東京駅10番ホームでとらえた1枚であるが、当時は中学生で、撮影

  • 特急ゆうづると私の少年時代・・(最終回)

    東北本線の上野~日暮里(にっぽり)駅間は、常磐線の線路が完全に平行して並んでいます。日暮里駅を過ぎて常磐線が大きく右に分かれてゆくところまでの約2キロメートルを、23時に上野駅を同時刻発車した《ゆうづる3号》と《はくつる3号》の姉妹列車が仲良く3分

  • 特急ゆうづると私の少年時代・・(第10回)

    1993〈平成5〉年12月のダイヤ改正では、特急《ゆうづる号》以外にも、上野発夜行列車の老舗格とも言うべき青森行きの急行《八甲田号》に《津軽号》、秋田行きの寝台特急《出羽号》も廃止されています。平成のバブル崩壊は、青森行き夜行列車にもリストラと言う

  • 特急ゆうづると私の少年時代・・(第9回)

    結局、弘前大学の受験には失敗し、私は実家の松戸市を離れて、東京の三鷹市で下宿を兼ねながら浪人生活を送ることになりました。下宿の管理人が学習塾の先生であり、塾へ出かける前の早朝などには、下宿の食堂でもゼロ時間目の授業やテストを行うのです。中学受験時代

  • 特急ゆうづると私の少年時代・・(第8回)

    青函トンネルの開業と同時に、《ゆうづる号》の客車編成は電気機関車もろとも《北斗星号》専用となります。特急《ゆうづる号》は、毎日運転される定期列車が誕生当初と同じたったの1往復となってしまいました。これは583系(ゴッパーサン)電車編成で運転されます

  • 特急ゆうづると私の少年時代・・(第7回)

    私立中学校に通い始めてから約3ヶ月、日の出の早い初夏の頃には、24系客車編成の《ゆうづる4号》を見たくなる日が多くなりました。この場合、中学校には一番早く登校できたものです。 津軽海峡の海底トンネル(青函トンネル)の完成を翌年に控えて、24系の《

  • 特急ゆうづると私の少年時代・・(第6回)

    機関車が豪快な音を立てて迫り、青色一色の静かな車体が続くという点が客車編成の大きな特色です。ブルートレインとも呼ばれるこの24系編成は、元はわが国で最長距離を走破していた特急《富士号》として、はるか鹿児島と東京との間を連日連夜のように行き来する運用

  • 特急ゆうづると私の少年時代・・(第5回)

    昭和61(1986)年11月の国鉄最後となる時刻改正で、《ゆうづる》の2,3号が臨時列車となり、走らないことが多くなりました。冬も近づき、中学受験の勉強も追い込みの頃、毎日予備校に通い、帰りは十時半が当然でした。ところが線路ぎわで40分立っていても

  • 特急ゆうづると私の少年時代・・(第4回)

    私は私立中学校を受験するため、小学校4年生から駅前の進学予備校へ通いました。6年生になると授業の終わるのも遅くなり、居残りテストがあり、全問正解した者から順に帰宅を許されました。しかも不正解の度に、講師の先生から怒鳴られ、殴られるというスパルタ指導

  • 特急ゆうづると私の少年時代・・(第3回)

    私は、平成10年(当時)の今日も故郷の松戸に住んでいます。自宅から歩いて九分のところを常磐線が走っており、幼少のころ父や祖父に抱かれて列車を見に行ったものでした。中でも朝9時ごろに青森からやってくる《ゆうづる14号》の583系電車(ゴッパーサン)

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