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kame710のブログ https://kame710.hatenablog.com/

55歳の時 胃がんと仕事中に頭部外傷、の人生の大きな転機があり、後遺症とつきあいながら まるで「カメ」のような歩みでここに至っています 出来ることは少ないけれど 日々の想いを書き連ねています

カメキチ
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2019/02/15

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  • 2025.1.31 『人口減少社会の…』がクソトランプに

    『人口減少社会のデザイン』 広井良典・著 (グーグル画像より) 読みたい本を探すときの私の尺度のいちばんは、分野はいろいろでも 「生きる」ことを感じたり考えさせてくれること。 (あくまでも「いちばん」) 若いとき人生の名言・格言を知り、「すばらしい!」と感激するだけどまりで 実践されず達成されず、「自分ってダメだなぁ」と自信を喪失してばかり。 これ以上、自分を信じられないことになりたくないので、できそうにないことは 初めから諦めた。 でも、「できる/できない」というのは他ならぬ自分自身のこと。 その自分が生きているという事実、死んでいない限り生きているという現実だけは しっかり、ていねいに見つ…

  • 2025.1.28 森永卓郎氏からの…

    私の敬愛するブログ「recoca1940のブログ」の4日前の記事を 是非ともクリックしてください。 recoca1940.hatenablog.com (ずっと前、『ニュースステーション』というテレビ番組を観ていたときコメンテーターとして キャスターの久米宏さんの相手になっておられました。 ちょっと角ばった丸顔で、笑顔のステキな、ゆっくりと穏やかなしゃべり方をされていたのが 印象に残っています。 私は『ニュースステーション』より筑地哲也さんの『ニュース23』の方をよく観ていたが、 障害者になってからは10時過ぎには寝るようになったのでどっちも観ないようになりました。 お名前を久しぶりに聞くこと…

  • 2025.1.24 慈悲の心

    この前、「小欲知足」を書いたばかりだったけれど、読みたいものを図書館の HPで探していたところ、「サンデル」「中国哲学」という言葉を見つけた。 (「サンデル」はどうでもよかったけれど「儒教」がとてもよかった) 『サンデル教授、中国哲学に出会う』 (グーグル画像より) 中学生のとき国語で教わった孔子の言葉の一つ「巧言令色鮮し仁」。 語感の調子が心地好くて「バカの一つ覚え」のように覚えていた。 (子どものころのこういう「バカ…」をは大切なものだと大人になって気がついた。 語感の好さだけではなく、「巧言令色…」とやるたびに意味が思われ自分を律してくれた。 すぐに思い出すもう一つ、小学2年生のとき、当…

  • 2025.1.21 ボケたらごめんね

    今日は「ボケたらごめんね」です。 「誰もが人に迷惑をかけている。 (だから)「ボケたらごめんね」でいいんです。 … いまのうちに、嫁や娘たちに、”ボケたらごめんね、 でもボケるかボケないかは仏さまの決めることで…許してね…”」 ーーーーーーーーーー 「ボケたらごめんね」 すばらしい言葉、言い方を教えてもらった気分! 漫才なら別だけど、普通は自分の意思で、好んでボケになれるわけじゃない。 ボケ、認知症は病気だから仕方のないことなのだ。 (広い意味で「不可抗力」。 自分で責任をとれることではない) まだなったわけじゃなく、これからなるかどうかは「仏さまの決めること」なので わからない。 (なった「…

  • 2025.1.17 競争なんて捨てよう

    ひろさちやさんの本は、現代社会で否応なく誰もが出あうような身近な悩み、 悲しみ苦しみに、仏さんはどうおっしゃるか、仏の教えは何かということを ほんとうにわかりやすく、ときにはユーモアもまじえて語られる。 (とても面白いので、よくこの方の本を読み、取り上げます。 拙記事をお読みの方は「またか」と思われるでしょうが、心でうなずく簡単なことも、 行動、態度にまでにはならない自分への言い聞かせのつもりで繰り返し書いています。 ひろさんはもう故人となられました。 今日は阪神淡路大震災30年目。合掌) 『ポケットに仏さまを』 ひろさちや (「グーグル画像」より) 「競争なんて捨てよう」と「ボケたらごめんね…

  • 2025.1.14 俳句と人間

    気に入った俳句を記事の終わりに載せている。 自分で作った時期もあったけど、納得のできるものが作れずいつのまにかやめた。 やめても俳句も短歌も好き。 18年前、長く入院していたときベッドで短歌をよく詠んだ。 自分の気持ちを五・七・五・七・七の言葉で表してみると、その自分を もう一人の自分が見ている感じがし、何だかおもしかった。 (上手いとか下手とかはどうでもよかったので、巧拙にこだわることはあまりなかった。 『一握の砂』など啄木に惹かれていたので真似してみたわけだが、退院してからそのときの わが「作品」を見ると、つまらながくてガッカリした。 床に就いていたときはただ作る、詠うこと自体に必死だった…

  • 2025.1.10 「小欲知足」を思う ③

    働いていたとき、職場は子どもの生活施設だったので、彼らを通して地域の姿、 移り変わりが本当によく見えた。 (自分の若かったころは地域には人が多く、子どももよく見かけた。 が、だんだんと人は減り、子どもも減って《残念ながら施設に入ってくる子どもたちは減らない》 地域の祭の際、神輿かつぎの子どもが足りないので《それまで施設は地域に疎まれることもあった のに》施設の子どもたちを出してほしいと頼まれるまでになった。 「人口減少」は、もちろん働いていた地域だけのことではなく全国的な「問題」となっていた。 どういうわけで日本国では《戦争もないのに》人が減ったのだろうか? 《国ともあろうものが、私が子どもの…

  • 2025.1.7 「小欲知足」を思う ②

    「小欲知足」を初めて知ったときすばらしい! そうありたいと心から思った。 そのときは真実思ったけれど、翌日には忘れていた。 忘れても心を打った言葉はときどき思い出す。 思い出しても若いころは心の中で言い訳し、実行は棚上げした。 老いとともに意図しなくても自然に(自分流だが)「小欲知足」できるようになった。 (欲望が減ったというより、たぶん、欲望を持つことが面倒くさくなったのだと思う。 そう思えば欲がある、ギラギラしているのは生のエネルギーに満ちあふれているから。 枯れつつあるいまの自分を顧みて思う。 だけど天気に晴れだけでなく曇り、雨…それぞれあるように、老いは老いだけのもの。 《と、こんなこ…

  • 2025.1.3 「小欲知足」を思う ①

    明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。 ブログはやっぱり日記のようなものと思うので(特に社会、国に対しては) 老人的な怒りに支配された一方的な主張をし、読者の方はいろいろな思い、考えを お持ちなことを忘れたかのような書き方をし、エラそうな奴、イヤな奴、不快だ! とお感じになることがあるかと思いますが、どうぞお許しください。 (そう思っているなら言わなきゃ、書かなきゃあいいのに、ということですが、 「言う《書く》」ことは大切だと思うし、何事かを言おうとしたら考えなければなりません。 《屁理屈かもしれないけれど》「思考停止」に陥りたくないのです) ーーーーー ときどき、いま…

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