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kame710のブログ https://kame710.hatenablog.com/

55歳の時 胃がんと仕事中に頭部外傷、の人生の大きな転機があり、後遺症とつきあいながら まるで「カメ」のような歩みでここに至っています 出来ることは少ないけれど 日々の想いを書き連ねています

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2019/02/15

  • 2023.4.25 こんなことがあった ②

    妻籠宿への旅を無事おえて、「ほんとうによかったね」と言い合った。 (「合った」は半分ホント、半分はウソ。そう口にしたのは私だけでツレはうなずいただけ) 今年の桜はとても早く、三月の終わりなのに、しかも木曽は山ぶかい土地なのに 見事に開いていた。 ーーーーー (木曽路は、古い民家や少し離れた野原、山の麓に一本のシダレ桜がよく見られた。 しかし、ソメイヨシノの並木はほとんどなかった。 妻籠宿もそうだった。桜だけでなくユキヤナギ、レンギョウ、コブシ、モクレン、花桃などが いっせいに咲き、当日は快晴だったので真っ青な空を背景に、「春が来た」という感じが強くした。 ツレに気を向けていなければならないのに…

  • 2023.4.22 こんなことがあった ①

    3月の終わりにツレが脳梗塞(医者に言わせれば軽いとのこと)を起こした。 脳卒中はよく聞く。 別に(私の障害のようには)珍しくはないのだろうが、大慌てに慌てた。 (自分が健康であることが当り前、普通、平常で、そうでないときのことを余り想ってみることが ないと、突然、重篤ではなくとも風邪ではない何かの異常が訪れたとき、「何で自分が?」 「何で私たちが?」と慌て、戸惑う。 「異常」、広くいえば身体に限らず「健康でないこと」はいつでも「他人ごと」なのだ。 わが身の実際問題になってみて初めて自分の問題となる) ーーーーー その日の朝、起きると(いつもならすぐ布団を出るのに)布団の上で両方のこめかみを 両…

  • 2023.4.18 親の事情? 大人の事情? クソくらえ!

    桐野夏生の『路上のX』という小説を読んだ。 (グーグル画像より) 物語に出てくる「JK」という言葉、流行の言葉かもしれないがどこかで聞いた。 小説はたまに読むくらい。 先の大江健三郎さんもその一人として書いていた『大震災の中で』という本に 桐野さんも東日本大震災について書いておられたので、読んでみようともうと 思ったわけだ。 この小説で描かれた「JK」とは、きわめて現代的かつ都会的な日本の風俗だけど ごくごくごく一部の現実でしかないにしても、(ロシアのウクライナ攻撃、戦争で死ぬ などの被害を受ける人たちと同じように、ごくごくごく一部かもしれず)ほとんどの人には 関係のない世界の出来事にしても、…

  • 2023.4.14 希望

    希望。 ここでの「希望」は、『人生の終わりをしなやかに』という本にあるので、 重篤な病気を前にしての希望ということ。つまり、治癒の可能性など。 だが、この言葉自体はいろいろなとき、とくに危機に陥った場合、 そこから脱出しようとするとき使われる。 病気が治る、よくなる可能性だけではなく、希望を持つことの大切さをあらためて 強く思った。 「希望」を想っていたら、突然、若いとき聞いた「♪希望という名のあなたを たずねて…」という歌が脳の奥底で響いてきた。 www.youtube.com この歌は恋の希望だけど、「希望(きぼう)」というのは、ほんとうにいい言葉。 ーーーーーーーーーー 「〈希望は現在の…

  • 2023.4.10 インフォームドコンセント

    『死について-あらゆる年齢・職業の人たち63人が…』スタッズ・ターケル著 という本を読んで、死についての感想を書いたけれど、また死についての本に 出あった。 『人生の終わりをしなやかに』 清水哲郎 浅見昇吾 アルフォンス・デーケン とてもよかった。 二つのことだけ書きます。 (きょうは、よくいわれる「インフォームドコンセント」に関したこと。 次回は、「希望」ということについて) ーーーーーーーーーー 「インフォームドコンセント」とは、ウィキペディアによれば 「「医師と患者との十分な情報を得た上での合意」を意味する概念。 医師が説明をし、同意を得ること。 特に、医療行為や治験などの対象者が、治療…

  • 2023.4.7 死について

    『死について-あらゆる年齢・職業の人たち63人が堰を切ったように語った』 スタッズ・ターケル 著という本を読んだ。 死がせまった歳になったからではなく、若いころは(誰でもそうかもしれないが) 個人の「生と死」、それが営まれる社会というものが気になった。 (私は16,7の頃、死を怖がるというよりも、それが何なのかがわからないことが不安で、 自分だけの「信仰」《寄りすがれる存在、神仏のようなものに祈る》を持ったことがあった) 本でも題名に「死」とあれば、飛びつきたくなる。 「死」は、頭や心の問題である前に、頭や心をふくむ身体ぜんたいの問題、 事柄だといえそうな気がする。 死についての本を読むとき、…

  • 2023.4.4

    『大震災のなかで-私たちは何をすべきか』 内橋克人編 という本を読んだ。 本は東日本大震災が起きてから3か月後の6月にさまざまな方によって書かれた。 いちばん初めが大江健三郎。 その人が先日、亡くなった。 (つい先には坂本龍一さんも亡くなった。 「いい人」と自分が思う方が早く死ぬと、これだけはどうしようもないと、いつものように 深いため息がでてしまって仕方ない。 文学、音楽と活躍されていた場は異なっても、お二人とも戦争反対の声を強くあげる人だった) 大江健三郎さんの小説は読んだことないので、何を書かれているのか知らない けれど、憲法九条を守れ、原発反対など社会のたいせつな問題への意思表示を き…

  • 2023.4.1 『デイゼロ 地球から水がなくなる日』

    スマホやパソコンはメディア機能がすばらしくなり、多様な楽しみかたができる ようになったので、テレビを見る人が少なくなったといわれる。 けれども、私のばあいは仕事を退いて自由な時間をもてるようになったし、 障害者になったこともあり、逆にテレビの視聴が増えた。 (見る番組はドラマ、自然や社会を描いたドキュメンタリー、地域ニュースくらいで、日に2~3時間。 障害のせいにし、面倒くさいので、自ら積極的に新しい楽しみを見つけることはしない。 そのこともテレビ視聴に向かわせている大きな要因になっている) ーーーーー テレビは、テレビ局からの一方向的な放送なので、本質は「押しつけ」。 でも「押しつけ」だから…

  • 2023.3.24 リベラルの「不寛容」

    その本のその部分に、衝撃をうけた。 ガーン… 私は、自分たちが生きている、住んでいるところ、社会、国が「自由」「平等」で あってほしいが、現実はそうではないと思っている。 私が思う「自由」「平等」な社会とは、誰もが生きやすい世の中だ。 私は、それは誰もが願っていることだと思っているので、リベラル顔をよそおって 生きにくいと感じられる世の中の出来事や動きを批判、ブーブー文句をいい、 ときには、「何でみなさん、文句いわないのかな?」とも感じてきた。 (その「みなさん」も「文句」も、自分を中心に、自分に都合よく解釈しながら) きょうの題名の「リベラルの『不寛容』」とはそういうこと。 ーーーーーーーー…

  • 2023.3.21 「脚下照顧」

    (また、連続朝ドラ『舞いあがれ』から) 最近の場面が印象にのこった。 (いまでは主人公舞ちゃんは幼友達の貴司くんと夫婦となり、プライベートでも幸せな日々を すごしている) ある風の強い日、停電になり、蠟燭をともして貴司くんと肩をならべていたとき、 彼がゆらめく仄かな蝋燭のともしびを見ながら、 「暗くて遠いところは見通せないけど、足元のような近くはよう見えんねんで」と (いう意味のことを)言った。 いっしょに見ていたツレが、「貴司くん、いいことを言うね」とつぶやいた。 同じように見ていても、ときどきボーっとするこちらは「いいこと」に 気がつかなかったが、彼女に聞いて後で深くうなずいた。 そして、…

  • 2023.3.17 「反・目的論」

    ②「反・目的論」 「自然選択には勝利という目的すら存在しない。 偶発的な異変とそれがもたらした幸運と不運があるだけだ-因果論的な運・不運ではなく、 結果論的な運・不運である。 一つの結論として、ヒトが自然から選ばれたわけではない、という教訓が得られる。… 人間は進化の目的でも終着点でもない。… 人は内輪の目的を追求しているだけであって、宇宙や自然の観点からは 人のどんな活動にも価値はないし、どんな人生にもそれ以外の意味はない。…」 生物・人類の進化というレベルだけではなく、一個人の人生にもいえることだと 老いたいまは深くうなづく。 若いときは、「自然選択」というのは、自然が自然に選り分けした結…

  • 2023.3.14 「不在の認知の困難」

    『絶滅の地球誌』 澤野雅樹・著 という本を読んだ。 (グーグル画像より) ちょっと難しかったので飛ばすところが多く、四分の一くらいしか読まなかった けれど、二つ、強く感じることがあった。 ①「不在の認知の困難」ということと、②「反・目的論」ということ (きょうは①です) ーーーーーーーーーー ①「不在の認知の困難」 不在(ない)ことを証明することの難しさ。 客観的に存在しない物事を「無」「ない」というが、人間は頭や心を自由に駆使し 想像する。 「想像」は「幻想」にもなり、客観的な有・無とは切りはなされることもある。 文化、芸術はそれでいいけれど、 科学技術、犯罪認定のように事実が問われるものは…

  • 2023.3.10 『舞いあがれ』

    「朝ドラ」というNHKの番組を見るようになったのは、脳外傷を負い、時を同じく 胃ガンにもなった2006年からのこと。 (退院前の栄養士さんの指導で、胃を全摘した者は食べた物がドロドロになるまで咀嚼、できるだけ 食事に時間をかけてと言われたこともあり、朝食と朝ドラ視聴の時間が重なり、食べながら見るのが 習慣となった。 それに、仕事への復帰はリハビリ勤務《「戦力」にはならず》で身体の都合に合わせて働く時間を 決められたので、見る時間がとれた) 退院後、長いあいだ読書は身体が受けつけず、テレビなら大丈夫だった。 翌年、『ちりとてちん』があった。 ある女性が福井から大阪に出て落語家になる話でおもしろく…

  • 2023.3.7 生物多様性

    (きょうは「生物多様性」についてですが、便宜的に四つに分けます) ■ 生物多様性 ①「〈生物多様性があるから人間社会はここまで発展できた〉 遺伝子の多様性 種の多様性 生態系の多様性 景観の多様性… 生物としてありえない能力が化石燃料によってもたらされた人間による自然環境への影響は、 これまでの生物進化の歴史の中では起こりえないほど大きいものとなってしまったのです」 … ②「ひとかたまりの大きな集団でいるよりも、…地方分散型の連結集団構造の方が、 環境変化によってどれかひとつの集団が滅んでも、ほかの集団によって補填・再生されるという形で 集団全体の絶滅リスクが低くなることが観察されています」 …

  • 2023.3.3 遺伝

    若いころ、自分は「人間」であって、「生きもの」「生物」とは思わなかった。 (あたり前すぎて意識しなかった) 今はまったく違う。 これは「老化」現象のひとつかもしれないが、人間であることを通りこし、 しばしば生物、動物としての自分を感じ、思うようになった。 (社会で生きる虚飾をはぎ落し、シンプル、身軽になったということ。 生物、動物としての血なまぐささ、脂ぎった活動的な部分は残すところ数%くらいか) こうなったのは老化と、仕事社会からの撤退のせいだけだろうか。 ただの生きものに過ぎないと強く思うようになったのは、あらゆる生命現象の源、 DNAが解明され、さまざまな場において、遺伝子の存在が大きく…

  • 2023.2.28 トイレなき経済成長のインド

    先日、よく聞くようになった「キッチンカー」の特集をテレビでやっていた。 1台では、限られた料理、メニューしか用意、供給できないけれど、 たくさん集まれば災害時に大活躍できるという。 その放送と前後して、「トイレカー」というものが紹介されているのをみた。 「トイレカー」は「キッチンカー」と似ているが、造りがちょっと大き目。 荷台にはキッチンではなくトイレが設置され、排せつ物をためなくてはならない。 (グーグル画像より) なんで「トイレカ―」? これはまったく災害目的に開発され、すでに、九州北部豪雨や熊本地震でも 避難場所の被災者のみなさんに利用してもらい、たいへん喜ばれたという。 (地球から見れ…

  • 2023.2.24 『ファシズムの教室-なぜ集団は暴走するのか』

    ファシズムはヒトラー、北朝鮮のような国だけのものではないということを 強く思った。 身近に、それとわからぬよう、そっと潜んでいるものだと痛感した。 ファシズムはヒトラー、キム・ジョンウンだけの「専売特許」、彼らだけが 体現しているのではない。 神さまとして崇め、親のように慕う無垢の国民一人ひとりがいてこそ可能なこと。 国民の圧倒的な支持がなければ、ファシズムという奇怪な現象はあり得ないことを この本で強く教えられた。 ーーーーー 『ファシズムの教室-なぜ集団は暴走するのか』 田野大輔・著 筆者、田野大輔さんは大学の先生。 この本は、田野さんが勤務先の大学の広い教室で長い間にわたり毎年実践された…

  • 2023.2.21 『ガラパゴス』

    あまりにすばらしいテレビドラマをみた。 『ガラパゴス』という。 NHKのその番組HPには、 働くこと。生きること。誰もが、幸せになっていいはずだ。 団地の一室で発見された、青年の遺体。自殺とされたその死は、大きな悪の構図によって仕組まれた殺害だった。刑事は、ある派遣労働会社の謎へと鋭く迫る! とあった。 残念なことを一ついうなら、BSプレミアムの番組だったこと。 (いつか総合で放送されてほしい。されたら是非とも見てください!) ともかく、見ごたえのあるほんとうにすばらしいドラマだった。 (原作は本。活字という味気のない媒体で表された物語が、すべてが音や映像をとおし、 つまり動画として生きている…

  • 2023.2.17 『「人新世」の資本論』

    前回のはじめに「人間はもともと孤独」と書いたけれど、独りであっても 人は社会の中でしか生きられないから、社会のことは気になり、知りたい。 どうしたらいいのかわからなくても、そういう問題があるという事実だけでも 知りたい。 人が生きるということは、実際は個人が自分自身を生きることだから個人の数だけ さまざまな世界、事情があるけれど、何らかの社会問題にぶち当たることがある。 しかし、そのぶち当たる物事や障害を、「問題」とするかどうかは人によって違う (たとえば「非正規雇用」。 日本は資本主義社会だからあって当然、という人には問題とされるどころか意識にものぼらない) 先日の、悲惨きわまるトルコ・シリ…

  • 2023.2.14 「孤独」は本当に悪いことなのか?

    私は全寮制の学校にいたとき、ある級友に「八方美人」と非難された。 誰とでもつき合うので、その友には「無節操」「要領のよい」ヤツに見えたらしい 表は「八方美人」に見えても、その裏にはノイローゼになるほど深刻でなくとも それなりの相手への気遣い(的外れ?しかも過剰だったか?)もあってか人間関係が わずわらしくなり、それに進路も迷うようになったことも重なり学校は中退した。 社会に出てからは家庭、仕事が精いっぱいで、いわゆる「つき合い」はほとんど したことがない。 家庭、仕事のことを自分が納得のいくようだいじにすれば、それだけで精いっぱい 他の世界に首をつっ込む余裕も器用さ、能力もなく、人間関係を新た…

  • 2023.2.10 本心は(努力)したくない

    (前に「ボケてきても安心な社会」の記事を書きました。 きょうはそのダメ押しで、二つの話です) ① 数日前、地域のテレビニュースにあったこと。 「県民割の第2弾も大好評のうちに、予算枠に達したので終了しました。 受けつけ後、30分で終わったところもあったそうです。 店の前には長い行列ができ、また、その店に向かう道路は車で混雑していました」 街の人の声。 「得をした」「利用してよかった」と相好をくずす人がほとんどだったが、 なかに(損こそしないけれど)利用したくてもできなかった小父さんの 悔しそうに話す顔が印象的だった。 (取材者にも小父さんの悔しさが伝わってきただろうに。 そうなら、このニュース…

  • 2023.2.7 そもそも

    「(○○は)そもそもどういうことだろうか?」と考えてみることは、 とてもたいせつな態度だと思う。 いまの自分を、その自分から離れ、すこし高いところから第三者的に見つめてみる (「幽体離脱」みたい)、観察し認識するのを「メタ認知」というけれども、それと 通じるところがある。 『考えるとはどういうことか-0歳から100歳までの哲学入門』 梶谷真司・著 という本を読んだ。 「哲学」は観念・想念の遊び、生活に密着していないと思われ敬遠されがちだ。 (そもそも「哲学」という言葉がよくないと思う) ほんとうは、生活に根ざした日常的なものなのに。 (「哲学」という呼び名を変え、義務教育のカリキュラムに取りい…

  • 2023.2.3. 「自由」か「幸福」 どっち?

    書名にひかれ、 『自由か、さもなくば幸福か? 21世紀の〈あり得べき社会〉を問う』 大屋雄裕・著 という本を読んだ。 「自由」も「幸福」もとてもたいせつだけど、どちらも客観的でもあり 主観的でもある。 「ある」といえばあるし、「ない」といえばない。 (実際は程度の問題かもしれない) 主観のほうに目をむければ、感情の問題になる。 「自由(不自由)」な感じ、「幸せ(不幸せ)な」感じというふうに。 個人のレベルではそうだとしても、(自分が生きている)社会ではどうだろうか。 (社会というものは客観的に存在する。「感じ」ではない。 「貧困」「差別」など何らかの社会問題が存在すれば、その被害者は《第三者か…

  • 2023.1.31 ボケてきても安心な社会

    ネットの買いものは、前なら支払いに「代引き」があったのに、 いつのまにかなくなっていた。 いまでは(「銀行振り込み」などもあるが)コンビニ設置の機械の指令にしたがい、 必要な情報を正確に(機械が読みとれるよう)入力しなければならない。 複雑で繊細な(と私は感じる)操作をくり返し、やっとのことで支払いできる。 (うまくいくとホッとするが、疲れる。うまくいかずイラつき、店員さんを呼んだこともある。 それに懲り、いまは支払いに複雑な動作を要求する商品の購入は避けている) 買いものの支払いに限らず、よく似たことがますます増えていっている 現在のコンピュータ全盛のデジタル化社会。 目や耳がよく、頭もまわ…

  • 2023.1.27 「あんたかてアホや、うちかてアホや」

    『日本精神史-自然宗教の逆襲』 阿満利麿・著 という、「宗教」とか「精神」への関心とヒマがないと読まないような本を読んだ 読んでほんとうによかった。 とてもおもしろかった。 帯に「日本人とははたして何者か?」とあったが、 よくある日本人論の切り口とは違って新鮮だった。 私たち日本人は、自然の物事には神(霊魂)がやどり、その神を感じるという アニミズム信仰に古代からなれ親しんできたが、「科学技術」万能の現代でも 心にはしっかり息づいている。 (頭では「非科学的」「迷信」とはわかっていても、たとえば《やむをえない理由があっても》 食べものを捨てたり、《「土の肥やしになる」と自分に言いわけしても》用…

  • 2023.1.24 軍事費大増大→戦争の危険 「杞憂」だろうか?

    「クリスマス停戦」の記事に養老孟司さんの言葉を載せました。 「ヒトには悪い癖がある。 それは可能なことならやろうとする、という習性である。…動機はさまざま… 行為には、行われてしまえばそれまで、という面がある。 ヒト社会は、どれだけ長期にわたって、殺人を禁止してきたか」 ーーーーー 昨年の12月。ある日のヤフーニュースにはこういうのがありました。 一つ目 「政府は2023年からの5年間の防衛費を、これまでの約1.5倍となる総額43兆円に増額… 追加財源が必要となる2027年度以降は、年間約4兆円分のうち1兆円余りを増税で確保する… 防衛費増額の議論が進む背景には、ロシアによるウクライナへの軍事…

  • 2023.1.20 生活を支えるトラック

    子どものころ、近くには一軒の食料品が主のごく小さな雑貨店しかなかった。 衣類や文房具などがいるときは、7㎞ほど離れた田舎町の中心部に出かけなければ ならなかった。 (当時はこれがふつうで、こういう状態しか知らなかったので、「不便」と感じたことはなかった) ーーーーー 動物は、たえず食べ物、獲物をさがし、狙っている。 (「生きる」ことは「食べる」ことなのだ) 「食」は人間にも、過去とか現代、未来をこえて絶対的。 豊富でなくても「食べる」ことは欠かせない。 (食料品を中心にさまざまな生活必需品がいつでもおかれているスーパーやコンビニなどは 安心して生きてゆくためになくてはならない。 いまは必要なも…

  • 2023.1.17 「クリスマス」と「停戦」

    先日、ニュースでプーチンが「クリスマス停戦」を提案していると聞き、 心でも、実際でも舌うちした。 プーと同じく、(しかたないのに)「クリスマス停戦」という言葉そのものにも 腹がたった。 「クリスマス停戦」が気になりネットで調べ、考えてみた。 (注:ロシアもヨーロッパに含めます) ーーーーーーーーーー 「クリスマス停戦」。なんという矛盾した言葉。 分解すれば、「クリスマス」と「停戦」。 人にもっとも大事なのは「愛」「隣人愛」と説いたイエスが生まれためでたい日、 祝福された日だけは、国家による集団的殺人行為、戦争はしないでおこうという。 陸続きのヨーロッパ(続いていなくともイギリスは海峡トンネルで…

  • 2023.1.13 「インフォスフィア」

    「インフォスフィア」 初めて聞いた言葉だ。 何のことかチンプンカンプン…。 本にはこうあった。 「この時代において人間が住まう共時的環境が情報圏(インフォスフィア)である。 先に、ICTが高い自律性を獲得し、人間のほうがそれに依存するようになると述べた。 そこでは我々はICTを通して世界を見るだけでなく、ICTに適合した観点で見るようにうながされる」 (ちなみに「ICT」とは、「通信技術を活用したコミュニケーション」。 また「インフォスフィア」とは「情報空間」のこと。 (英: infosphere、インフォスフィア)とは、information(情報)と sphere(球・空間)の混成語であり…

  • 2023.1.10 「デフォルト設定」

    きょうは②「デフォルト設定」 (本の内容からは離れますが、この言葉について考えさせられました。それを書きます) 「デフォルト」という言葉はパソコンをやるようになって初めて聞いた。 (ネットの「コトババンク」によれば→ 「英語で、怠ける、怠るといった意味。 金融やスポーツ、コンピュータの分野などで使われる。 (1)金融では、債務不履行をいう。 (2)スポーツでは、棄権をいう。 (3)コンピュータの分野では、機器の出荷時における初期設定状態や、ソフトウェアを インストールしたときの、あらかじめ設定された標準的な動作条件や値のことをいう。 デフォルト値やデフォルト設定などともいう。 電子機器や電化製…

  • 2023.1.6 「合理」と「本性」

    (『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』という本の感想で、 「次回からふかく感じいった三つのこと…」と書いて休んでいました。 再開したので続きを書きます。 ①「合理」と「本性」②「デフォルト設定」③「インフォスフィア」の三つ。 きょうは①) ーーーーーーーーーー 「合理」 「合理的」とか「合理性」とかよくいう。 それは経済と相性がいいと、本には述べられていた。 経済学での「人間」は、「合理的」に考え行動するものとされている。 つまり、人間は「合理的」存在ということが前提に経済学は成りたっている。 (人間だけが「合理的」というだけでなく、資本主義の市場には見えないところで「合理」という 「神…

  • 2023.1.3 明けおめ

    明けましておめでとうございます。 ことしもよろしくお願いします。 しばらく休んだのは、引っこしという突然の出来事と、それに関したあれやこれの ためだった。 (こんどのことでは、障害者になったときと同様、人生には思わぬことが起きるものだとあらためて 感じています。 新年いちばんはこのことをネタにしました) 老いて引っこしすることになろうとは夢にも思わなかった。 生活に気楽な自分でも、住みなれたところを離れることになるので、引っこしを 決めるまでには迷い考えることが、それなりにいろいろあった。 いまは、アパート(コーポ)に住んでいる。 (6戸だけの小さな2階建ての1階部分。階段に人があがる音、小さ…

  • 2022.11.25 しばらく休みます

    題名に書いたとおりしばらくブログを休みます。 (体調を崩したわけではないです。ちょっと突然の用事が起こり、それへの対処のため。 いろいろ考え思うこともあり、不器用な自分には「ブログやりながら…」はむずかしいのです。 また「お会いする」日を楽しみにしています) ちりとてちん

  • 2022.11.22 ハラリとニーバーの言葉

    (前回の続き) 自分も人類のひとりなんだなぁと感慨にふけっていたら、「大したことないなぁ」 という思いと「いや、大したことある」という思いがわき、ふたつが争った。 そして、「大したことある」が「…ない」に勝った。 私は「ひとり」ではあっても、自分と同じ人間は「ふたりといない」という 当たり前をあらためて感じた。 『人間の解剖は…』は、人類の歴史を描いたハラリの世界的に有名な 『サピエンス全史』への著者の思い入れが強く、ある意味、それを前提に 書かれていた。 ーーーーー ハラリによれば「認知革命」は、7万年前に起こったという。 ↓ 「フィクション、…存在しないものを信じる能力(想像《創造》力)に…

  • 2022.11.18 人類が生物系統図でいちばん上におかれているから

    『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』(吉川浩満・著) すごい本だった。 「人間の解剖はサルの解剖のための鍵である」という題名は、 「より低級な動物種類にあるより高級なものへの予兆は、このより高級なもの自体が すでに知られているばあいにだけ、理解することができる」 というマルクスの言葉をヒントに著者が考えたもの。 本は、地球に生きるすべての生物のうち、いちばん進化したものが人間、人類、 その「人間」そのものについての最新の見かた、考えかたの紹介と、それらへの 著者の態度が述べられていた。 ーーーーー 読んですぐ、南米コロンビアのデザナ族の言葉(9月23日の記事で紹介)を思いだした ↓ 「人…

  • 2022.11.15 体外受精

    『1999年に生まれて』(シャルロッテ・ケルナー著)という本(小説)を読んだ。 衝撃的な中身だった。 この作品の舞台は1999年のドイツ。 2022年の現在からは23年前の過去だが、バイオ技術の応用が大きく進んでいた。 (「バイオ」は生命のこと。人間のことならきわめて個人的で、プライバシーにかかわるので 世には大ぴっらにされにくい。 生命倫理に抵触しそうなことなので、世間にかくれるよう密かに実験されているのでは?と疑う。 この本のなかだけでも、関連した生殖技術として他に「代理出産」「代理母」も出てきた) 小説は、思春期をむかえた主人公(カール)は自分が「体外受精」技術で生まれた ことは養父母(…

  • 2022.11.11 つながる(社会)

    ④つながる(社会) 「つながり」「縁」のいちばん直接的で身近なものは、いうまでもなく「血縁」。 次に身近なものは「地縁」。 (本ではさいごに「社縁」、つまり勤め先など血縁でも地縁でもないものもありました) ーーーーーーーーーー はじめは血縁にもとづく「イエ」、「家族」。 【引用】「〈家族-自然と文化をつなぐもの〉 家では人は自由に、恥ずかしげもなく振る舞う。 →ヒトの「生き物」としての側面を「家族」に留め置くことで、それを「社会」の側に持ち込ませず 「社会」が「社会」であることを可能にする。 ヒトの「自然」を安全に囲い込むことによって「社会」を可能にするシェルターないし安全弁、 それが「家族」…

  • 2022.11.8 知る、伝える(情報)から、「自由」の話へ

    ③知る、伝える(情報) 著者によれば「はこぶ【交通・運輸】」には、 「ヒトを運ぶのが交通、モノを運ぶのが運輸、情報を運ぶのが通信」の三つがあり きょうは三つ目の「情報を運ぶのが通信」の話です。 ーーーーーーーーーー 【引用】 「〈「利便」に捕らわれる(現在)〉 (交通の発達によって便利快適になった現代社会。 だが、それに引きかえられ失われたものごとにも目を向けなければならない。 「中間をカットした交通形態」ということに、著者は高取正男という人の言葉を引用) 「自動車に乗るということは、一見して自由な選択のようでありながら、 結果的には近代の機械文明の一環に、より強く繋がれることをも意味している…

  • 2022.11.4 移動する(旅)

    ②移動する(旅) (ここでの「旅」は乗りものを使ってのものに限っています。 私は旅が大好きで、文句タラタラいいながらも節操がないので「GOTOトラベル」に乗っかかって この間もいった。こんなオトクがなくてもいく) これは人間の生活の中心の一つ、「はこぶ【交通・運輸】」に出てくる話だった 「はこぶ【交通・運輸】」には、 「ヒトを運ぶのが交通、モノを運ぶのが運輸、情報を運ぶのが通信」の三つがある と述べられる。 (次回は③「知る、伝える(情報)として、三つ目の「情報を運ぶのが通信」を述べます) ーーーーー 「ヒトを運ぶ…交通」の最大の特徴は、科学の技術への応用、 その技術自身の進化、発展。 (①の…

  • 2022.11.1 着る(衣)

    『民俗学入門』(菊池暁・著)という本を読んだ。 民俗学はいろいろ定義されようけれど、要は庶民の生活、文化を見つめる学問。 私には有名な柳田国男の『遠野物語』よりか、6年前に読み、それを記事にした 六車由実さんという女性の『介護民俗学』のほうが身近で数段よかった。 (これは、もと民俗学者の著者が、まったく畑ちがいの老人介護という施設職員となり、 民俗学の基本的な手法、相手からの「聞きとり調査」というものを用いて入所のお年寄りに働きかけ、 それまでボゥーとしてばかり、生気のなかった方々が昔、若かった、活動的だったころの自分を 思いだされることによって変化してゆく取りくみ、実践を著したもの) 今度の…

  • 2022.10.28 『国会議員を精神分析する』

    『国会議員を精神分析する』(水島広子・著)という本を読んだ。 (前回の記事とシンクロしたかのようなもので、ビックリした) 題名をみたときはハッとしたが、直感で借りていた。 投票率にあらわれているように(私もそうであるように)「国会議員」ときくだけで 横暴、やりほうだいの自民党を連想する。 借りたけど、国会議員の精神を分析してもしかたないので読まないで返そう としたが、いちおうページのはじめだけパラパラめくっていたら、 「自己愛パーソナリティー」「人格障害」という言葉が出てき、これに惹きこまれ 読みだした。 読むと新鮮な切り口がとてもおもしろく、最後までやめられなくなった。 (本は2003年出版…

  • 2022.10.25 想像する

    よんばばさんの『あとは野となれ山となれ』という愛読ブログがあり、 10月14日の記事に強く刺激された。 その一部にこうあった。 「以前「アファンタジア」という脳内でイメージを視覚化することが できない症状を持つ人のことを書いたが、きっとこの世には、 人の痛みを想像するという機能を持たない種類の人が一定数存在する のだろうと思う」 ーーーーー で、コメントを書いた。 「『きっとこの世には、人の痛みを想像するという機能を持たない種類の人が 一定数存在するのだろうと思う』 まったくそう思います。 最近読んだ本はまったく政治には関係なさそうな「理性の進化」について 述べられたものだったのですが、「想像…

  • 2022.10.21 なぜ、アフリカには直線の国境が?

    ③ 欧州列強の遺産→「最悪」 子どものとき、はじめて世界地図を見て「アフリカには定規でまっすぐ国境を 引いたような国が多い。 何で?」と、すこし疑問を感じた。 が、それに問題意識をもつような利発ではなかったのですぐに忘れ、そのまま 大人になった。 (こんな重大な事実を教わらないはずないので、習っていても私が忘れていただけだろう) アフリカ(だけではありません)など「開発途上国」といわれる多くの国、地域の 不幸の根源は「欧州列強の遺産」にある事実、その「最悪」な現実に 腹がたってしかたない。 (テレビの『世界遺産』という番組をよくみる。個人的には「自然遺産」が好きだ。 「文化遺産」のほうは名も知…

  • 2022.10.18 「無教養」

    ②「無教養」 「教養」は知識の有無とか多寡とか、理解力など能力とは関係ない。 もちろん「常識」も。 (ついでにいうなら「知性」とかいわれるものも。 みんな紹介したいのですが、少しだけ) ーーーーー 【引用】 「①〈人格をゆがめる可能性〉 (「貧困」に陥ると)薬物の売買を手伝わされたり、縄張り争いの暴力に巻き込まれたり、 食べるために体を売ったりしなければならなくなる。 一度こうした体験をしてしまった子供が、学校教育などをまったく享けぬまま自力で更生し、 一般社会に溶け込んでいくのは至難の業です。… 勉強は後からでも間に合うけれど、人格や社会性はそうではない。 … ②〈公用語のしゃべれない子供た…

  • 2022.10.14 「善悪を決めつけてはならない」

    前回、『冴えてる言葉(2-2)』のはじめに、 「いまの日本のように平和で安全、おおかた衣食住に困らない状況にあるなら 「幸福と不幸」は私たちが思うほど大きなひらきがあるわけじゃないけれど…」 と書いたけれど、そうでなかったら(衣食住に困るほど貧困だったら)どうだろう? 「『幸福と不幸』は私たちが思うほど大きなひらきがあるわけじゃない」とは 決していえない気がする。 (ユニセフの募金をよびかけるアフリカなどの実態) ーーーーー 「発展途上国」といわれている国々の現実。 日本人には想像をぜっする「貧困」があふれる世界がある。 そんな世界の姿は、通りいっぺんの情報だけではわからない。 感じられない。…

  • 2022.10.11 冴えてる一言 (2-2)

    きょうは④から終わりの⑥まで。 ④「人間の幸福と不幸…それは人間が思うほど大きなひらきがあるわけじゃない… それは今の日本が安全で恵まれた状況にあるからだ。 戦争とか、飢饉とか、疫病とかで、大量の死が発生すると、印象も変わる。 そんなことはないと言い張る人もいるだろうが、 人間はどんなことにも慣れるものだ」 平和な日常。 心配や不安のない(なかった)一日のありがたさ。 その「ありがたい」ことに気づくと幸せになる。 幸せは、「タイクツだ」「ヒマだ」…と思うときにも潜み、隠れているのだ。 (「タイクツだ」「ヒマだ」…と思えることも幸せになる) ただ、掘りおこしてやらなければ見つからない。 (幸も不…

  • 2022.10.7 冴えてる一言 (2-1)

    前回の記事は、この本に刺激されてのことだった。 久坂部羊さんの、 『ゲゲゲの鬼太郎』で有名な水木しげるの言葉ばかりを集めた『冴えてる一言』 「偶然」、たまたまということの人生における重みをあらためて痛感した。 「偶然」は人生の「パスワード」。 あの戦争でいちばん悲惨だったといわれる南方で、地獄さながらの体験、 この世とは思われぬ悲劇、悲惨をなめつくした水木しげるの目をとおした思い、 言葉がたくさん紹介され、それらへの著者の熱い心が語られていた。 言葉としての「偶然」は少なくても、それが潜み、隠れていることを感じた。 ーーーーーーーーーー 六つだけ紹介します。 (きょうは三つ) ①「この世に生ま…

  • 2022.10.4 「偶然」「偶有性」

    「偶然」ということによく触れるけれど、 頭のなかにと棲みついている感じがある。 で、「偶然」についてちょっと真面目に考えてみた。 ーーーーーーーーーー 極言すれば、ある意味、生きていること、世界、すべてが「偶然」という気がする 人間で生まれたこと、生まれたのがある親のもと、ある時代、ある国、ある地域、 というような大きな、まったく受け身の「偶然」から、 自分の人生は自分のものだから自分で切りひらくという小さいけれど唯我独尊的な 少しは主体的な関与がみられる「偶然」まで。 ーーーーー 自分をふくめ、世界は「偶然」というしかたでしか存在しえない。 あれこれいろいろ、多様多彩な可能性のなかから、たま…

  • 2022.9.30 「病気を分け持つ」

    とても強く感じたことの三つ目は、 「病気を分け持つ」ということだった。 この話は「病と癒し」という大きな項目のなかにある。 重い病気やわけのわからない病にかかると、誰しもたまらなく不安になる。 癒しがほしい。 癒しとなるものは人それぞれでも、「病気を分け持つ」ということも、 病気からの痛みを減らし取りのぞくこととともに、 誰にとってもの癒しとなるにちがいない。 ーーーーーーーーーー 本では「病気を分け持つ」の前に、「病気は代替不可能」と述べられていた。 【引用】 「病気は、…(病人自身のものにもかかわらず)他の人々をも脅かす。 人間にとって病気が持っているこのような矛盾した属性を極力無視するの…

  • 2022.9.27 いのち (2-2)

    前回(2-1)は、 すべての生きものたちに対する人間の責務を実行するには人間の数、人口が 多すぎてはいけない(少なすぎてもダメ。ほどほどがよい。ほかの生物たちとのバランスが だいじ)ので、デザナの人々は自分たちの世界観にもとづき、産児制限している と述べた。 ーーーーー 下線のような理念・目的があってのこと。 日本はちがう。 じつは、デザナの人々の「産児制限」の話は、(日本の人工中絶における「いのち」の あり方を考えた)「胎児の生命-水子供養と「いのち」の個別化ー」という項目の なかで述べられていた。 ↓ 【引用】「幼くして死んだ子のいのちは、次に生まれたきた子のいのちとは別個のものであり、 …

  • 2022.9.23 いのち (2-1)

    ひと口に「いのちはいちばんたいせつ」と言っても、たいせつにするし方は、 人々がどこで暮らし、いつの時代に生きているか、つまり文化により 形はさまざまであることを、この本はつよく教えてくれた。 ーーーーー いのちを失う、無にするものとして、ありふれた身近なものは病気やケガ。 いまの日本では、これまでなら死ぬしかなかったものも助かるようになった。 ありがたい。 (日本の「世界に自慢できるものは?」と訊かれたら、私は迷わず「国民皆保険制度」と答える。 《原則ではあるけれど》いのちは平等に扱われ、お金によって差別されない) 医学・医療面での科学・技術の進歩、発達は、直接いのちにかかわることなので あり…

  • 2022.9・20 生むのは女性

    戦後の、いちおう民主主義社会といわれている世のなかで育ったので、男女平等、 差別はいけないと教わった。 教わっていても、これは「差別じゃない、区別」と言いわけしたくなるような、 差別くさいしぐさが(ほんのたまではあっても)出て、ドキッとすることがいまだある 東京オリンピックの森喜朗発言のように表にでたかどうかの違いだけで、 行為にまで進まないだけで、意識だけなら私にもある。 恥ずかしい。 机のうえだけ、ちょっとだけ、頭だけ「男女平等」「民主主義」を教わり、 それだけで「人間みな平等、民主主義はたいせつ」となるわけではない。 正直、ここまで長く生き、いまの日本(だけではないけれど)を見ていると …

  • 2022.9.16 「信じる」 「疑う」

    前回の記事ともに、『貝と羊の中国人』を読みおえてもう一つ強く感じたことに 「信じる」「疑う」がある。 政治を信じるというのと、何かの誘い(たとえば「統一教会」、「オレオレ」)にのる というのは同列には扱えないけれど、「信じる」点では同じことで、結果として ダマされた、詐欺だったということに終わることがある。 「信じる」ことは恐ろしい。 信じたことが裏切られる、ダマされるということがある。 そういうことまで考えて、なおかつ覚悟をもてるなら、信じていいのだと思った。 ーーーーー そうではあっても、 人は「信じる」ことで安心し、生きる。 突きつめれば、信じなければ毎日の生活だって成りたたない。 (そ…

  • 2022.9.13 「タテマエ」と「ホンネ」

    「タテマエ」と「ホンネ」ということを、 愛読している爽風上々さんのブログ、『貝と羊の中国人』(加藤徹)という本の 紹介記事から強く感じた。 書名の「貝と羊」がとてもおもしろく感じられて読んだ。 sohujojo.hatenablog.com (上の爽風上々さんのブログが本全体について詳しくわかりやすいのでクリックしてください) 中国の人については前にも、別な本を読んでの感想文を書いたことがあった。 (2021.2.26から3回連続記事「爆買い中国人」。「中国人はなぜ声が大きいのか?」など生活慣習、 社交、風俗など外から目に見えて感じられやすいものを「Q&A」形式で著したもの) ーーーーー 本は…

  • 2022.9.9 また「贈与」

    前の記事で「贈与」について自分なりに考え、思ったことを書いてみたけれど、 それは人生に当てはめてみたようなもので、少しまえに読んだ『日本の文脈』 (内田樹・中沢新一の対談)という本に強く刺激されてのことだった。 (きょうは本に述べられていた社会からみた「贈与」についての話です) ーーーーーーーーーー 「基本的人権」「民主主義」「平和」「自由・平等・博愛」など 社会制度や理念など目に見えないものも「贈与」だ。 目に見えず、空気のようなそれらは、あってあたり前と思われている。 ふだんは意識することがないほど慣れている。 それらは、先人たちが限りない血と涙を流して得たもので、子孫の私たちに 受けつが…

  • 2022.9.6 「贈与」という考え方

    (「贈与」。たいそうな表現ですが、要するに「贈りもの」「プレゼント」「寄付」などいろいろ 《「物」の形はとらなくても「ボランティア」なども》 お金を仲だちにした「売買」、物と物との「交換」とは違い、一方的にタダであげる、もらうこと。 祝いの誕生日やクリスマスのプレゼント、つき合いのお歳暮などでなじみ深い。 当ブログは「プロ」ではなく無料のほう。考えれば「はてな」も「贈与」のひとつ。 みなさんとの出あいも「贈与」) プレゼントされれば嬉しく、相手が身内なら「ありがとう」ですむ。 が、他人なら(相手との親密度によるとはいえ)そうはいかない。 義務はなくても相応の「お返し」をしなければ、「借り」(ま…

  • 2022.9.2 「生きる希望を感じる社会」

    ー おことわり ― 当ブログはほとんど読書感想です。 読んで感動したこと、新たに知りとてもよかったと感じたことなど、そういうことは自分のためだから 普通の日記に書けばいいことですが、せっかくブログがあるので…と思いやっています。 (じつは障害者になって直筆が苦手となり、後で読める文字が書けなくなったこともありますが) で、読みやすい紹介の書き方はできないかと迷い推敲をかさねていますが、本全体をわかりやすく まとめる能力は自分にはないとあきらめ、強く感じたいくつかだけを取りだし書いています。 これからもそれは変わりませんが、【引用】の注意書きは煩雑なのでやめ、書き方も工夫してみます。 これからも…

  • 2022.8.30 「私」という輪郭を弱めてみる

    精神科医の片田珠美さんという方との対談から。 ちょっと強引に、「「私」という輪郭を弱めてみる」とまとめてみた。 【引用】 「〈禅や精神分析は、無意識とどう向き合うか〉 煩悩は同じ生命エネルギーなのに、自分にとっていま邪魔になっているので煩悩と呼んでいるだけで、 調子のいいときは生命力と言っているわけですよ。 だから禅は、邪魔になっているときだけ煩悩と呼ぶのはけしからん、という立場なんです。 … 〈「私」という輪郭を弱めてみる〉 仏教では不幸の根源は「私」というものだと認識しているんです。 「私の都合に合わない」という感覚が「苦」となる。 だから、「私」の輪郭を弱めたり、「私」の都合を解く訓練こ…

  • 2022.8.26 中途半端

    「中途半端」 ものごとを最後までやろうとせず、イヤになったら投げだす。 いい加減な、私のような者を見るだけなら「中途半端なヤツ」といえばすむけど、 「中途半端」は、人生を見るなら一個人の評価をこえて当てはまることが多い。 そこは思うようにならないことがいっぱいで、「妥協」しなければならない場合が 起きる。 (「中途半端」は「妥協」と違うけれど、似たところがある気がする) 生きるうえでは「中途半端」は避けられない。 『玄侑宗久対談集』 (グーグル画像より) 玄侑宗久さんは福島県、有名な「三春の滝桜」に近い禅寺の和尚であり小説家。 言葉に宗教者としての深い、したたかな目、世界観や人生観を感じる。 …

  • 2022.8.23 人だけが「醜い」作る

    「醜い」は、「見にくい(難い)」「見に苦い」が語源のような気がする。 (「正視しがたい」ということだろう) 3年前に亡くなられた橋本治という小説家のちょっとだけのファンで、好きなので また読んだ。 『人はなぜ「美しい」がわかるのか』 私は「原理主義者」ではないが、「常識」「普通」といわれていることでも、 本質(原点、根本)に立ちかえって考えてみる態度、姿勢がたいせつだと、つねづね 思っている。 橋本治さんは想像力ゆたかな小説家らしく、理屈で構えるのはなく直感にまかせ ひょうひょうと物事の勘どころ、本質に迫られる(ように感じる)ので惹きこまれる 私には想像できない視点がとても新鮮に感じられる。 …

  • 2022.8.19 4日前は8月15日

    戦争を思うと、かならず「狂気」を連想する。 (「狂気」とは、何かを妄信したときの気迫のようなものだろうか) 狂わずして、殺戮できる者がいようか。 狂わずして、大声あげて藁人形を、竹やりで突き刺さす女や子どもがいようか。 人を殺す行為を「これは戦争」「お国のため」と自分を納得させようとしても、 狂わなければできない。 躊躇っていては、できない。肝心なのは一気飲みみたいな「一気」ということ エエィ、ヤッチ(殺してし)マエ! ーーーーー 私のいる関西のテレビ局では、制作スタッフの意欲がひしひしと伝わってくる 終戦記念日特集が放映された。 (いつもの地域ニュースの中で終戦特集として流されたもので二つみ…

  • 2022.8.16 また「在るものを愛すること」

    自分のブログは「読書感想」がほとんどで書き終えればだいたい忘れるが、 5月3日の記事「在るものを愛すること」はずっと心に引っかかっていた。 「在るものを愛すること」 漠然とした表現でわかりづらいが、何かたいせつなことのような気がし、 心に引っかかり続けていた。 ーーーーー 『倫理という力』(前田英樹・著)という本の感想記事で「在るものを愛すること」 (=「よく生きる」)を『東京物語』の紀子の姿にみたものだった。 (『東京物語』は、上京した老いた両親と東京に住んでいる子どもたちの姿をとおして家族の絆、 老いと死などを描きだした小津安二郎監督の1953年制作の名画。 忙しさを理由に老いた両親との対…

  • 2022.8.12 信心

    また禅僧の南さんの本を読み、「信心」という、宗教ではあまりにあたり前、 前提のように扱われていることについて考えさせられた。 これは対談本で、相手は作家の高村薫さん。 『生死の覚悟』 高村 薫 南 直哉 という。 「覚悟して生きなさい」「覚悟して死になさい」とのお二人の、まっすぐな対話が すごく印象的だった。 南さんは前に読んだ本でも「生きるか死ぬか以外は、大したことではない」と いわれ、『ポストコロナ期を…』の本では三砂ちづるさんが、「COVID-19禍に よって私たちが気付くべき不変の真理は(1)人は必ず死ぬ。(2)自分が本当に しなければいけないことは何もない、の二つ」といっておられたの…

  • 2022.8.9 またブログのこと

    きょう9日は、77年前、戦争でアメリカに長崎に原爆が投下された日。 広島も長崎も、そのときはアメリカしか原爆をもっていなかったら使えなかったけれど、いまは違う。 ずっと昔、そのときどきの原爆使用の可能性、平和の危機度(人類の「持続可能性」の特大指標)を 時計の針であらわし、それを見る人々が「人類滅亡」までの残された時間がごく僅かなことを知り、 迫りつつある危機を実感するというテレビ映像があった。 (時計は、原子爆弾が登場してセットされた。 きのう、ウクライナの原子力発電所が砲撃されたと聞いた…) 日本の総人口は去年で1億2550万人くらい。 そのなかの30数名の方が当ブログをお読みくださってい…

  • 2022.8.5 『あずかりやさん』

    前に『あずかりやさん』(大山淳子)という小説を読んだことがあるけれど、 同じ書名で新しい作品集が出たので読んだ。 (一つひとつの小話が、本全体の主人公「あずかりやさん」につながる) ほんわり心が温かくなってくる物語なのでまた読んだ。 (隠居老人になってからは、ほとんどの時間が自由なので、テレビの好きなドラマで感動をもらい、 『あずかりやさん』で心を温めた。 昔、「統一教会」の霊感商法による悲惨な家庭崩壊が新聞やテレビなどで大きく報道された。 いつの間にか騒がれなくなったので私は解決されたのかと勘ちがいし、忘れていた。 私のように、多くの国民が忘れているあいだに、彼らは権力の中枢を取りこみ、 「…

  • 2022.8.2 『生かさず殺さず』

    『生かさず殺さず』 久坂部羊・著 という医療小説を読んだ。 たまたま見つけた本だったが、読んでほんとうによかった。 長く生きることはいいことだと思う。自分も長生きしたい。 が、個人によりいろいろな現れ方があるらしいが、痴呆症になる可能性もある。 痴呆症になったうえに、入院しなければならない病気にもなる可能性もある。 健康なままの長寿が望ましいけれど、そうはいかないところもあるのが人生。 だからこそ、こんなおもしろい物語が生まれるのだろう。 さまざまな病気をかかえた痴呆患者さんの専門病棟。 そこの医長を務める中年の誠実な男性医師が主人公。 (痴呆専門病棟は、さまざまな病気の痴呆症患者の治療を内科…

  • 2022.7.29 スマホ

    (この前、芹沢俊介・著『家族という意志―よるべなき時代を生きる』からの引用をしましたが) 本の一節に、携帯電話の汎用が人々の「自己本位主義的志向と個人化」をうながし 「家族を壊す」という意味のことが述べられており、ふかく考えさせられました。 ーーーーーーーーーー 【引用】 「〈自己本位主義的志向と個人化〉 携帯電話は、自己本位主義的志向がきわめて強度をおびた社会状況と呼応したアイテムである。… 携帯電話なくしては自己存在の同一性を保ちえないと感じている、 それくらい依存度を高めているひとたちが大量に出現してきているのである」 … 「〈携帯電話の汎用〉 →「自己領域化」→自分の周りの他者のニード…

  • 2022.7.26 かたつむりの佇まい

    もうすぐ8月だけど今年はいまのところ、夏特有の大雨による多くの人にあたえる 酷い自然災害は聞かない。 そのことがすごくありがたく思われる。 (といってもこれは日本。45°を超える熱波で森の火災が発生、たくさんの人が死亡というスペイン。 ニュースで聞き、信じられない思いにとらわれる) 災害、災難というものは、事件、戦争のように人間が起こすものはどうしようも なく強い怒りがわくが、自然によるものは怒り(もっとしっかり防災対策をとれば 防げたのに)よりも、相手は自然、しかたがないというあきらめのほうが先にくる 自分自身はこれまでウンよく地震、大雨、台風などの被害に遭わずにきても、 先のことはわからな…

  • 2022.7.22 『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』-後-

    今日で終わり。 三人の方です。 雨宮処凛 ―「助け合い」が大切にされる社会― 「出会ってしまったらしかたない」 このひと言が、つよく胸に響いた。 (この人は社会的に弱い立場におかれた人々を援ける活動をされている) コロナ禍がなくても、もともと不安定な、苦しい生活を強いられてきた人たち。 コロナがあろうとなかろうと、雨宮さんは変わらない。 人生は「出会い」の連続ともいえる。 「出会ってしま」ったことに、ごくたまに何かピピっとくるときがある。 それを「運命」と受けとめ、その偶然的な出来事をたいせつにしていくこともある (裏がえせば、その「ピピ」に「縛られる」ことだといえる。 雨宮さん、きっと昔、自…

  • 2022.7.19 「国葬」に絶対反対

    (きょうは『ポストコロナ期…』の「後」を書く予定でしたが、「国葬」というニュースを知って 啞然としたので、そっちにします) 一国民の私は絶対に反対です。 ーーーーーーーーーー 安倍元総理が銃弾に倒れるという事件のとき、 『刑事弁護人』 薬丸岳・著 という小説を読んでいた。 ある事件を追う主人公の弁護活動が、ともかくていねいに描きこまれ、読んでいて 何度もなんどもドキドキ、ハラハラさせられたが、納得させられる結果となって 安堵した。 小説は架空の物語だが、ありそうな話で深くうなずいた。 ーーーーー 「ありそう」というのは、実際にはありそうもないことでも、あって(起きて) しまうと、後で「あり得た…

  • 2022.7.15 『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』-前-

    コロナは感染が急激にふえてきて「第7波」に入ったようだ。 ニュースで東京や大阪では1万人をこえたと報じられても、以前のような緊迫感は 感じられない。 (その正体がよくわからず、感染力におびえていたころとは違う。 不明なことはたくさんあっても、いずれはインフルエンザのように落ちつくだろうと楽観している) 『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』 内田樹 編著 を読んだ。 たくさんの方が書かれており、みんなよかったのですが、 とくに5人の方からは胸に響くような言葉を聞いた気がしているので それだけを紹介し、感想を述べます。 (2回に分けて書きます) ーーーーーーーーーーー 内田樹 ―まえがき― 【引用…

  • 2022.7.12 お化け、怪獣、ゾンビより恐ろしい

    参議院選挙が終わった。 直前には安倍元総理が撃たれ死ぬという衝撃もあってか(なかってか)、 マスコミが「自民圧勝」(私のパソコンの「ワード」では「じみん」と入力しただけで「 自民圧勝」に変換された)と報じる結果となった。 選挙権をえて50年になるし、欠かさず懲りず、弱小政党に一票を投じてきた。 (弱小な者の一票なんか効かなかったようで、50年たってもその政党はちっとも大きくならない 《が、なくなってはいないのでヨシ》) ーーーーー いま、政治について自分なりにたどり着いた考えは ① 国民はだれも政治を逃れて生きることはできない ② 人間は誤る。まちがえる。 だから独裁は絶対いけない。 独裁を許…

  • 2022.7.8 ちゃんと老人になれて

    ウチに鏡は洗面所と風呂場にしかない。 顔や手を洗うときチラリ、浴室では髭もそるので注視する。 目がわるいので鏡にうつった姿はぼやけているけれど、自分だとわかる。 が、ときには一瞬、お化けが…と勘ちがいすることも。 (長年つき合ってきたわがフェースのこと、まちがうはずはない。霊など信じないが存在するとしたら 「背後霊」かもしれない) 鏡をみれば、「ほうれい線」や目ジリのさがった顔がうつっている。 老いれば皮膚がたるみ、垂れ、肌のツヤやハリが減るのは自然なこと。 いたしかたないことなのだ。だからそれはかまわない。 それらには目をつぶれるけれど、目の働きは一番、ガマンならない。 (グーグル画像より)…

  • 2022.7.5 『禅僧が教える 心がラクになる生き方』

    『禅僧が教える 心がラクになる生き方』 南 直哉・著 という本を読んだ。 とてもやさしいわかりやすい内容で、自信をもって薦められる本です。 (近ごろでは前に書いた『人間が生きるってこういうことかしら』以来のことでした) あまり多くはないので、初めに付箋したところのみ引用し、 後から感想を少し書きます ーーーーーーーーーー 【引用】 「〈「自分を大切にする」ことをやめる〉 ふだん、あなたが「私」と呼んでいるものは、突き詰めれば、「記憶」や「人とのかかわり」で 成り立っている存在にすぎないのです。… 人はこの世に「たまたま」生まれ、他人から「自分」にさせられたのです。 〈「生きる意味」は見つけなく…

  • 2022.8.23 人だけが「醜い」作る

    「醜い」は、「見にくい(難い)」「見に苦い」が語源のような気がする。 (「正視しがたい」ということだろう) 3年前に亡くなられた橋本治という小説家のちょっとだけのファンで、好きなので また読んだ。 『人はなぜ「美しい」がわかるのか』 私は「原理主義者」ではないが、「常識」「普通」といわれていることでも、 本質(原点、根本)に立ちかえって考えてみる態度、姿勢がたいせつだと、つねづね 思っている。 橋本治さんは想像力ゆたかな小説家らしく、理屈で構えるのはなく直感にまかせ ひょうひょうと物事の勘どころ、本質に迫られる(ように感じる)ので惹きこまれる 私には想像できない視点がとても新鮮に感じられる。 …

  • 2022.7.1 「分人」という人の見かた

    老いれば自分が何者か、どれほどの者かがだいたい見えてくる。 意外な自分を「発見」して驚いた、という若いころのような胸の高鳴り、 ちっともない。 意外な自分を感じることは滅多に(というよりほとんど)ない。 ーーーーー いつだったか平野啓一郎さんという作家の「分人」という人間の見かたを聞いて 興味を感じ、 『「生命力」の行方―変わりゆく世界と分人主義』 という本を読んだ。 が、私には難解だった。わかりにくかった(で、おすすめしません)。 ーーーーー ちなみに「分人」について、本にはこうあった。 【引用】 「「人には色々な顔がある」と慣用句的によく言われるように、個々人の中の分人の存在には、 誰もが…

  • 2022.6.28 人間は考える葦?

    5.3に「在るものを愛すること」という記事を書いた。 前田英樹さんが書かれた本の感想で、道徳や倫理というものについてのもの。 その本で初めて考えたこともあり、またこの人の本を読んでみたくなった。 見つけたのは 『独学の精神』 という。 この中の一つ、「葦のように考えるとは、どうすることか」という項目で、 パスカルに触れた部分がとても強く心に響いたのでそのことだけを書きます。 【引用】 「人間は、葦のように弱いけれど、葦であることを超えて考えることができる、 そんなことを彼(パスカル)は言っているのではない。 我が身が葦のように弱いものなら、そのまま葦のように考え続けよ、と言っているのである。 …

  • 2022.6.24 『人間が生きているってこういうことかしら?』

    写真(バラ)記事のとき、生きものの命をたいせつにする「生命誌」という研究、 啓発の活動をされている中村桂子さんと、死にゆく人の看取りをされる訪問医の 内藤いづみさんとのステキな対談本、 『人間が生きているってこういうことかしら?』 のことを書きます。 読んでいる最中は、お二人の温かな人柄が随所に感じられ、心が温められた。 読みおえたときは、「いのち」「生きている」ことのありがたさ、不思議を 深く感じた。 (すべてがよかったのですが、①「いる」だけでいい ②科学と倫理 二つのことだけ述べます) ーーーーーーーーーー ①「いる」だけでいい (「いる」=「生きている」。 「いる」だけでいい《読んで字…

  • 2022.6.21 皮 膚

    「足の裏など自分の身体を、他人からくすぐられたらこそばくてたまらないのに 自分でやったらマシなのはどうしてか?」 ありふれた不思議なことは身近にいっぱいだ。 (ただ、子どものころ感じた「不思議」の多くは、忘れている。 不思議なことを忘れず、探求するような利発な子どもだったら科学者になっていたかもしれない) 子どものころの完全に忘れていた疑問がよみがえり、解けて納得したばかり でなく、皮膚についていろいろなことを知り、読んでホントによかった。 『皮膚感覚と人間の心』 傳田光洋 「皮膚」は肉体、身体そのもの。 詳しくいえば身体の表面なのだが、目に見えるのである空間を占め、 「ここは自分の場所だぞ」…

  • 2022.6.17 「中流」のごまかし-後-

    きょうは③について。 ーーーーーーーーーー 【引用】 「③〈階級格差をどう縮小するか?〉 まず近代産業の基幹産業、たとえば製鉄、自動車や電子部品の製造などを、個人企業が担うことは 不可能である。旧中間階級が手がけることができ、大企業と対等に競争できるのは、 精密加工や工芸品の製造、小売業やサービス業、農林漁業など一部に限られる。… 自営業者の減少によって、失われたものは多い。 地域の商店街で廃業が相次ぎ、シャッター通りが増え、買い物が不便になった。 … ーーーーー ③〈階級格差をどう縮小するか?〉と述べる前に、 前記事の②で書いたように、著者は「「総中流」はなぜ受け入れられたのか」 と問い、「…

  • 2022.6.14 「中流」のごまかし-前-

    はじめは①と②です。 ①〈まえがき〉 新型コロナ禍の直撃を受けたのは、まず非正規労働者、そして自営業者や個人事業主だった。 ここに新型コロナ感染症の「階級性」があらわれている。 … 一般に現代社会には、資本家階級と労働者階級という二大階級のほかに、二つの中間階級がある。 →新中間階級(大・中企業《事業所》の中間管理職など経営・支配に少し関わっている労働者) 旧中間階級(小さな商店や町工場など) 小さな商店や町工場が多数あるからこそ、多様で個性的な商品が流通し、ニッチな分野での商品開発も 進んできた。…だから窮地に陥っている自営業者や個人事業主を社会全体で支えなければならない … ②〈「総中流」…

  • 2022.6.10 「中流」かぁ…

    日本銀行のトップ、黒田総裁が、これぐらいだったら庶民は値上げしても たいして痛みを感じずガマンするだろうというような発言をし、 大きなヒンシュクを買っている。 あまりに明快でわかりやすいことを発言したことに、本人は後悔しているだろうが わかりやすい言葉だったので国民はありがたい。 (あなたがどんな庶民生活感覚をお持ちなのか、よーくわかった) 考えれば、金融をはじめ政治権力のトップクラスに「下級国民」が入ることは あまりない。黒田という男は何者なのか?(履歴は知らないし知ろうとも思わないが) 庶民感覚からズレた人物であることがはっきりわかったのだ。 国民は、彼が権力側、支配者側の人物であることは…

  • 2022.6.7 バラ

    やっぱり、バラは美しかった。 (歩いていけるに市立の庭園があり、毎年、この季節にはバラなどが咲きほこるので観にいく。 記事にするつもりはなかったけど、そのとき写したものをパソコンに取りこみ見たら「おー、いい!」 おめでたい私は自己満足した。で、気に入ったのだけ載せた写真記事にします) これは前に散歩したとき近所の民家の庭でみたもの(オマケです) 現地に着く前の街路樹のイチョウの葉っぱに「撮って、撮って」と言われている 気がして ここからが現地でのもの この前、以前にも記事にした中村桂子さん(いのちのたいせつさを「生命誌」という言葉で 啓蒙されている)と内藤いづみさんという在宅医との対談本『人間…

  • 2022.5.24 「想像を絶する未来」を想像する

    愛読ブログの爽風上々さんの記事(5.8)を読み、深いため息をついた。 sohujojo.hatenablog.com このブログを読んで、しばらくたってから思った。 「スパン」という言葉があるけれど、現在のイヤなことなどを耐え忍ぶための 「工夫」「手段」としてでもいいから、想像力を駆使し、想像を絶するくらいの 長いスパンで人間の未来を想像して現在を生きることも、なければならないと。 (もちろん、「下みて暮らせ、上みて暮らすな」という処世術は昔からあるけれど) これからも生きていくには、想像することが必要だと。 (それで神さまは人間に「想像力」を与えられたのか) 少し気が楽になった。 -----…

  • 2022.5.20 遊び、スポーツ

    最後の③は「遊び」、「スポーツ」。 この本では、それらの原型も狩猟採集時代に遡れるという。 いま私たちが「遊び」、「スポーツ」といっているものの起源も狩猟採集生活に あるとのこと。 ニュースで「eスポーツ」というコンピュータゲームを知って (「グーグル画像」より)「エッ、これがポーツ?」と驚いたけれど、 スポーツがいつまでも「狩猟採集時代」の「名残り」みたいなものである 必要はないのだった。 身体能力(技を含め)に決定的な影響を受けなくてもいい。 (とはいっても、ゲーム全体を見通す冷静な判断力、瞬時に理解する感覚知的な能力とともに、 ボタンを操作する反射能力、そのための指先能力《?》も要るのだ…

  • 2022.5.17 バイオフィリア

    ② バイオフィリア (ネットによると「バイオフィリアとは、「バイオ = 生命・生き物」と「フィリア = 愛好・趣味」を 組み合わせた造語…生物・あるいは生命のシステムに対する愛情) 日本語で簡単にいえば、「生きもの好き」ということ。 多かれ少なかれ、人は誰でもバイオフィリア、「生きもの好き」だと思う。 (私もバイオフィリアだと思っているが、ペットに対するお姿の記事から、自分とは比較にならぬほど 生きものに愛情ぶかい読者がおられることをブログをするようになって知った) 本を読み、バイオフィリアは人類の理想だと思うようになった。 これからも長くホモ・サピエンスとしての人間が続いていくならば、 私た…

  • 2022.5.13 ホモ・モビリタス

    生きるということは「今・ここ」にいる自分を生きること。 なので、「今・ここ」をたいせつに生きなければならないのだ。 と、エラそうなことは言えるのは気もちが落ちついているときだけのこと。 ケンカで感情がたかぶっているとか心配事があるときなど、情緒不安定なときは ダメに決まっている。 自分を失ない、心はしどろもどろ…。 ----- 長い人生をふり返ってみればそんな心、気もちの乱れは無数にあった。 (「どうにでもなれ!」と自棄になったことも一度や二度どころではない) 心や気もちの変化、移り変わりはあたり前のこと。 取りたててどうのこうのと言うものではないだろうけれど、 「今・ここ」の心の乱れはいつま…

  • 2022.5.10 『歴史と人生』

    お名前を知って以来、ずっと気になっていた方(いまは故人)がおられ 最近、その方の本を読んだ。 半藤一利さん。 『歴史と人生』という新書。 2018年出版なのでそれほど古くはなかった。 折々の重要な(結局は個人の人生に影を落とすけれど直接は目に見えにくい)社会・政治の 問題について言及されたものだった。 亡くなられて1年以上になるので、ロシア、プーチンがしかけたウクライナ戦争 (宣戦布告はしていないので「戦争」とはいっていないが戦争とどこが違う?かつての日本の侵略、 「〇〇事変」みたい)の現実は見ないですまされたけれど、生存なさっていたら、 どう思われただろう。 ----- 「プーチンが悪い」「…

  • 2022.5.6 スズメ…

    今月10日からの1週間は愛鳥週間(バードウィーク)。 それに合わせたわけではないが野鳥(といっても身近な三つの鳥)、スズメ、ハト、 カラスについて書かれている本を、おもしろくて2冊も続けて読んだ。 『身近な鳥の生活図鑑』 三上 修・著 『スズメの少子化、カラスのいじめ―身近な鳥の不思議な世界』 安西英明・著 動かなかったら身体がかたまりホントに寝たきりになるので、退院したときは車イスも用意したが ♪「歩こう 歩こう わたしは元気」という歌が頭の奥でグルグル聴こえ、杖など何かを支えにすれば 歩けたので、せっかく用意した車椅子はどこかに寄贈した。 (で、天気が好ければいつもというわけないが、よく散…

  • 2022.4. 在るものを愛すること

    ただある(いる)こと、ただ存在する(している)ことの不思議や神秘を 感ずることは誰にもあるだろう。 私にもある。 静物画。 テーブルの器に盛られたリンゴを描いた静物画というのは、その絵のまん中は リンゴなので主役はリンゴかもしれないが、今ここにある器やテーブル、 またその部屋と一体となって存在することの不思議、神秘をかもし出し、 見る者の感覚に訴えてくる。 きょうは「在るものを愛すること」。 ーーーーーーーーーー 初めに引用を。 【引用】「どんな理性も、この世に存在を与えることはできない。 … 〈「忙しい」と言うな〉 行動や生活や政治のなかに探し回る倫理よりも、もっとはるかに根本的な倫理がある…

  • 2022.4.29 〈人様〉という考え方は重要である

    「歩いていたら道に何か落ちていた。何だろう? 財布のようだ。拾いあげたまでは自然な動作だったが、 次には反射的にあたりを見まわし、誰もいないのを確認し、財布の中を見た」 ネコババするか?警察に届けでるか? それとも、中の額によって決めるか? 拾った人の徳、倫理度があらわれているという、そんな単純なものではないと思う けれど、このとき〈人様〉は確かにその人の心に生きている。 きょうは②「〈人様〉という考え方は重要である」 (私はいつも本の文章、書かれていることを引用しますがきょうはやめます。 ここのところは理屈っぽくわかりにくかった) ----- この本を読んで、(とくにきょうのところでは)倫理…

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