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kame710のブログ https://kame710.hatenablog.com/

55歳の時 胃がんと仕事中に頭部外傷、の人生の大きな転機があり、後遺症とつきあいながら まるで「カメ」のような歩みでここに至っています 出来ることは少ないけれど 日々の想いを書き連ねています

カメキチ
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2019/02/15

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  • 2023.4.1 『デイゼロ 地球から水がなくなる日』

    スマホやパソコンはメディア機能がすばらしくなり、多様な楽しみかたができる ようになったので、テレビを見る人が少なくなったといわれる。 けれども、私のばあいは仕事を退いて自由な時間をもてるようになったし、 障害者になったこともあり、逆にテレビの視聴が増えた。 (見る番組はドラマ、自然や社会を描いたドキュメンタリー、地域ニュースくらいで、日に2~3時間。 障害のせいにし、面倒くさいので、自ら積極的に新しい楽しみを見つけることはしない。 そのこともテレビ視聴に向かわせている大きな要因になっている) ーーーーー テレビは、テレビ局からの一方向的な放送なので、本質は「押しつけ」。 でも「押しつけ」だから…

  • 2023.3.24 リベラルの「不寛容」

    その本のその部分に、衝撃をうけた。 ガーン… 私は、自分たちが生きている、住んでいるところ、社会、国が「自由」「平等」で あってほしいが、現実はそうではないと思っている。 私が思う「自由」「平等」な社会とは、誰もが生きやすい世の中だ。 私は、それは誰もが願っていることだと思っているので、リベラル顔をよそおって 生きにくいと感じられる世の中の出来事や動きを批判、ブーブー文句をいい、 ときには、「何でみなさん、文句いわないのかな?」とも感じてきた。 (その「みなさん」も「文句」も、自分を中心に、自分に都合よく解釈しながら) きょうの題名の「リベラルの『不寛容』」とはそういうこと。 ーーーーーーーー…

  • 2023.3.21 「脚下照顧」

    (また、連続朝ドラ『舞いあがれ』から) 最近の場面が印象にのこった。 (いまでは主人公舞ちゃんは幼友達の貴司くんと夫婦となり、プライベートでも幸せな日々を すごしている) ある風の強い日、停電になり、蠟燭をともして貴司くんと肩をならべていたとき、 彼がゆらめく仄かな蝋燭のともしびを見ながら、 「暗くて遠いところは見通せないけど、足元のような近くはよう見えんねんで」と (いう意味のことを)言った。 いっしょに見ていたツレが、「貴司くん、いいことを言うね」とつぶやいた。 同じように見ていても、ときどきボーっとするこちらは「いいこと」に 気がつかなかったが、彼女に聞いて後で深くうなずいた。 そして、…

  • 2023.3.17 「反・目的論」

    ②「反・目的論」 「自然選択には勝利という目的すら存在しない。 偶発的な異変とそれがもたらした幸運と不運があるだけだ-因果論的な運・不運ではなく、 結果論的な運・不運である。 一つの結論として、ヒトが自然から選ばれたわけではない、という教訓が得られる。… 人間は進化の目的でも終着点でもない。… 人は内輪の目的を追求しているだけであって、宇宙や自然の観点からは 人のどんな活動にも価値はないし、どんな人生にもそれ以外の意味はない。…」 生物・人類の進化というレベルだけではなく、一個人の人生にもいえることだと 老いたいまは深くうなづく。 若いときは、「自然選択」というのは、自然が自然に選り分けした結…

  • 2023.3.14 「不在の認知の困難」

    『絶滅の地球誌』 澤野雅樹・著 という本を読んだ。 (グーグル画像より) ちょっと難しかったので飛ばすところが多く、四分の一くらいしか読まなかった けれど、二つ、強く感じることがあった。 ①「不在の認知の困難」ということと、②「反・目的論」ということ (きょうは①です) ーーーーーーーーーー ①「不在の認知の困難」 不在(ない)ことを証明することの難しさ。 客観的に存在しない物事を「無」「ない」というが、人間は頭や心を自由に駆使し 想像する。 「想像」は「幻想」にもなり、客観的な有・無とは切りはなされることもある。 文化、芸術はそれでいいけれど、 科学技術、犯罪認定のように事実が問われるものは…

  • 2023.3.10 『舞いあがれ』

    「朝ドラ」というNHKの番組を見るようになったのは、脳外傷を負い、時を同じく 胃ガンにもなった2006年からのこと。 (退院前の栄養士さんの指導で、胃を全摘した者は食べた物がドロドロになるまで咀嚼、できるだけ 食事に時間をかけてと言われたこともあり、朝食と朝ドラ視聴の時間が重なり、食べながら見るのが 習慣となった。 それに、仕事への復帰はリハビリ勤務《「戦力」にはならず》で身体の都合に合わせて働く時間を 決められたので、見る時間がとれた) 退院後、長いあいだ読書は身体が受けつけず、テレビなら大丈夫だった。 翌年、『ちりとてちん』があった。 ある女性が福井から大阪に出て落語家になる話でおもしろく…

  • 2023.3.7 生物多様性

    (きょうは「生物多様性」についてですが、便宜的に四つに分けます) ■ 生物多様性 ①「〈生物多様性があるから人間社会はここまで発展できた〉 遺伝子の多様性 種の多様性 生態系の多様性 景観の多様性… 生物としてありえない能力が化石燃料によってもたらされた人間による自然環境への影響は、 これまでの生物進化の歴史の中では起こりえないほど大きいものとなってしまったのです」 … ②「ひとかたまりの大きな集団でいるよりも、…地方分散型の連結集団構造の方が、 環境変化によってどれかひとつの集団が滅んでも、ほかの集団によって補填・再生されるという形で 集団全体の絶滅リスクが低くなることが観察されています」 …

  • 2023.3.3 遺伝

    若いころ、自分は「人間」であって、「生きもの」「生物」とは思わなかった。 (あたり前すぎて意識しなかった) 今はまったく違う。 これは「老化」現象のひとつかもしれないが、人間であることを通りこし、 しばしば生物、動物としての自分を感じ、思うようになった。 (社会で生きる虚飾をはぎ落し、シンプル、身軽になったということ。 生物、動物としての血なまぐささ、脂ぎった活動的な部分は残すところ数%くらいか) こうなったのは老化と、仕事社会からの撤退のせいだけだろうか。 ただの生きものに過ぎないと強く思うようになったのは、あらゆる生命現象の源、 DNAが解明され、さまざまな場において、遺伝子の存在が大きく…

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