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ブログタイトル
穢銀杏狐月
ブログURL
https://fox-moon.hatenablog.com/
ブログ紹介文
日本でしか生きていけないと悟った男の、日々の想痕。
更新頻度(1年)

184回 / 365日(平均3.5回/週)

ブログ村参加:2019/02/02

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山岳嶺峰さん
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穢銀杏狐月
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穢銀杏狐月

山岳嶺峰さんの新着記事

1件〜30件

  • 総督府の農学博士 ―加藤茂苞、朝鮮を観る―

    米の山形、山形の米。果てなく拡がる稲田の美こそ庄内平野の真骨頂。 古来より米で栄えたこの土地は、また米作りに画期的な進歩をもたらす人材をも育んだ。 加藤茂苞(しげもと)がいい例だ。 大正十年、日本最初の人工交配による品種、「陸羽132号」を創り出し、やがて「コシヒカリ」や「ササニシキ」へと派生してゆく壮大な系譜を拓いた人物。 紛れもない東北農業の大功労者、わが国品種改良の父。そういう男が庄内藩士の長男として生まれたことは、あんまりにも順当過ぎて天の作為を感じたくなる。 まあ、それはいい。 今回重要となる情報は、この加藤茂苞農学博士の経歴中に「朝鮮総督府」の五文字が見出せることだ。 昭和三年から…

  • 入浴以外の温泉利用 ―薩摩の場合、奥飛騨の場合―

    入浴ばかりが温泉の利用法でない。 鹿児島県の指宿温泉あたりでは、大正時代の後半ごろから昭和中期に至るまで、これを製塩に活用していた。 四角ばった呼び方をすれば泉熱利用製塩法。 発案者は黒川英二工学士。 80℃を超す高熱の湯を鉄管に引き、その鉄管を海水槽の中に巡らし、漸次あたため、蒸発させて塩を製する。言葉にすれば単純な仕組み。指宿温泉の特徴――豊富な湯量と場所によっては100℃に届く湧出温度はこの仕組みの実現に十分な条件を整えていた。 幸運にも、草創期の写真が残されている。 昭和四年、未だ同業者のない時代。もっともらしい科学知識をタテマエにした詐欺事件はこのころ既にありふれている。これはいった…

  • 夢路紀行抄 ―亜大陸―

    夢の中では往々にして感覚器官が鈍磨する。 特に舌はその影響が顕著であろう。 今朝方とても、酒瓶ほどの太さを有するソーセージに齧りついていたのだが、何の味もしなかった。 そこはインドの料理屋で、いや日本にあるインド人が経営する店でなく、本当にあの逆三角の亜大陸の上に立つ、どのチェーンにも属さない、個人経営のこじんまりしためし屋であった。 古い馴染みの友人二人と観光旅行の道すがら、たまたまこれを発見し、そろそろめし時、小腹も空いた、おあつらえ向きではないかねと、暖簾をくぐることにしたのだ。 その結果、私は濡れた厚紙を延々咀嚼するかの如き拷問を味わわされている。 そう、 されて(・・・)いる(・・)…

  • ポルトガルの独裁者 ―外交官のサラザール評―

    1910年、ポルトガルで革命が勃発。 「最後の国王」マヌエル2世をイギリスへと叩き出し、270年間続いたブラガンサ王朝を終焉せしめ、これに代るに共和制を以ってした。 ポルトガル共和国の幕開けである。 (Wikipediaより、革命の寓意画) この国が「ヨーロッパのメキシコ」と渾名されるに至るまで、そう長くはかからなかった。 「彼等の首は三ヶ月ごとに挿げ替わる」と英国人が言ったのは、必ずしも皮肉のみとは限らない。 実際問題、ポルトガルでは1910年から1926年――たかだか16年かそこらの間に、内閣の更迭されること、実に48回の多きに及び。 大統領中、四年の任期を全うし得た者たるや、アントニオ・…

  • 英霊への報恩を ―日露戦争四方山話―

    胆は練れているはずだった。 間宮英宗は臨済宗の僧である。禅という、かつてこの国の武士の気骨を養う上で大功のあった道を踏み、三十路の半ばを過ぎた今ではもはや重心も定まりきって、浮世のどんな颶風に遭おうと決して折れも歪みもせずに直ぐさま平衡を取り戻す、そういう柳の如き精神性を獲得したと密かに自負するところがあった。 その自負が、試されるべき秋(とき)が来た。――明治三十七年、鉄の暴風吹き荒れる、屍山血河を歩むという形で以って。 日露戦争に従軍したのだ。 (東鶏冠山敵堡塁爆破の様子。明治三十七年十一月二十六日撮影) 神職と異なり、仏教徒には徴兵上の優遇措置など存在しない。国家が必要としたならば、否応…

  • 待ちわびた黎明の物語

    『テイルズオブアライズ』を購入。 ゲームを新品で買うのは久しぶりだ。『サイバーパンク2077』以来ではないか。およそ九ヶ月ぶりの決断になる。 このブランドとの付き合いも長い。 一番最初に触れたのは、確か『ファンタジア』のps1移植版であったはず。呪文の詠唱を暗記するという、現代式の日本男児の通過儀礼も本作によって――インディグネイションによって済ました。 私の趣味の形成に、大きく寄与した作品といっていいだろう。 以来、タイトルの殆どを網羅してきた。 六年前、『ゼスティリア』という地雷も地雷、超特大の核地雷をまんまと踏み抜かされた際に於いては、流石に愛想も尽きかけたが。――続く『ベルセリア』の出…

  • 滑雪瑣談 ―石川欣一の流行分析―

    日本スキーの黎明期。人々は竹のストックでバランスを取り、木製の板を履いていた。 材質としてはケヤキが主流。最も優秀なのはトネリコなれど、ケヤキに比べてだいぶ値が張り、広くは普及しなかったという。 そうした素材を、まずはノコギリで挽き切って大体の形を整えて、次いで入念に鉋がけして面をとり、適当な厚さと幅とに仕上げる。下の写真は更にのち、蒸気の作用で曲げをつくっているところ。 大正末から昭和にかけてのスキーブームの真っ只中では、これが飛ぶように売れたのだ。 老いも若きも紳士も淑女も、みな炬燵の誘惑を振り切ってまで肌刺す寒気の戸外へ飛び出し、雪の斜面を滑りまくった。 皇族とても例外ではない。 昭和三…

  • 今に通ずる古人の言葉 ―「正史ならぬ物語は総て面白きが宜し」―

    楚人冠がこんなことを書いていた。 物の味といふものは、側に旨がって食ふ奴があると、次第にそれに引き込まれて、段々旨くなって来るもので、そんな風に次第に養成(カルチベート)されて来た味は、初から飛びつく程旨かったものゝ味よりも味(あじはひ)が深くなる。(『十三年集・温故抄』151頁) 料理漫画を片手に持しつつめしを喰うとやたらと美味く感ぜられる現象とも、これは原理を同じくすまいか。 この用途に具すために、『孤独のグルメ』や『鉄鍋のジャン』、『食いしん坊』等々を常に手元にひきつけている私である。 (『孤独のグルメ』より) むろん、礼儀作法の上からいったら落第もまた甚だしいのは承知の上だ。 しかしな…

  • 越後粟島、環海の悲喜 ―「大正十六年」を迎えた人々―

    1927年1月1日。 たった七日の昭和元年が幕を閉じ、昭和二年が始まった。 が、越後粟島の住民はすべてを知らない。 (笹川流れから粟島を望む) 定期航路の敷かれている岩船港から、沖へおよそ35㎞。またの名を粟生(あお)島、櫛島とも呼びならわされるこの環海の孤島には、医者もおらねば駐在所もない。 明治、否、江戸時代がほとんどそのまま続いているといってよく、情報伝達速度というのもそれに従いまことに緩やか至極であって。 結果、去る十二月二十五日に先帝陛下が崩御なされた現実も。 新帝践祚も、それに合わせて「昭和」と改号が成されたことも。 もろもろ一切、知ることはなく、従って喪に服すなど思いもよらず――…

  • 日本南北鳥撃ち小話 ―蝗と鴉の争覇戦―

    山鳥を撃つ。 すぐさま紙に包んでしまう。 適当な深さの穴に埋(うず)める。 その上で火を焚き、蒸し焼きにする。 頃合いを見計らって取り出して、毛をむしり肉を裂き塩をまぶしてかっ喰らう。 「山鳥を味わう最良の法はこれよ」 薩摩の山野に跳梁する狩人どもの口癖だった。 (Wikipediaより、ヤマドリ) なんともはや彼のくにびとに相応しい、野趣に富んだ木強ぶりであったろう。 中学生のころ、図書室に置いてあった『クリムゾンの迷宮』でこれとよく似た調理法を目にしたような気もするが、なにぶん遠い昔のはなし、うろおぼえもいいとこで、ちょっと確信を抱けない。 当時は未だ、気に入った箇所、忘れたくない知識等を…

  • 薩州豆腐怪奇譚 ―矢野龍渓の神秘趣味―

    朝起きて、顔を洗い、身支度を済ませて戸外に出ると、前の通りのあちこちに豆腐の山が出来ていた。 何を言っているのか分からないと思うが、これが事実の全部だから仕方ない。江戸時代、薩摩藩の一隅で観測された現象だ。「東北地方地獄変」や「江戸時代の化石燃料」でお馴染みの、橘南渓その人が『西遊記』に記録している。 ――狐狸がたぶらかしよるんじゃろ。 どうせ正体は馬糞か何かだ。迂闊に口に入れてみよ、ほどなく真の姿を暴露して、悶え苦しむこちらの姿を密かに眺めて嗤い転げる。そういう心算(つもり)に相違ない。 ――誰がその手に乗るものか。 むかしばなしで訓育された人々は、当然に用心深かった。 しばらくの間は触れる…

  • 鮎川義介の長寿法 ―建国の 礎となれ とこしへに―

    誰もが永遠に憧れる。 (『東方虹龍洞』より) 不老不死は人類最高の夢の一つだ。「それにしても一日でも長く生きたい、そして最後の瞬間まで筆を執りたい」。下村海南の慨嘆はまったく正しい。生きれるものなら二百年でも三百年でも生きてみたい。かてて加えて最後まで五体の駆動は滑らかで、他人の手を借りずとも、自分の始末は自分でつけれるようでありたい。 それが叶うのであれば、肉体の機械化、魂の電子化、何を厭うことやある。アーサー・C・クラークは、生命とは組織されたエネルギーだと道破した。パターンのみが重要で、それを織り成す物質がなんであろうとそんなことは些末だと。私もこれに同意する。 炭素への執着を超克してで…

  • 夢路紀行抄 ―飛翔体―

    夢を見た。 夜天を焦がす夢である。 眠りに落ちて暫しの後。ふと気がつくと、見晴らしのいい場所にいた。 どうやらビルの屋上らしい。 それもかなりの高層ビルだ。 地球の丸みを実感できるほどではないが。 地面を行き交う自動車が、豆粒に見えるほどではあった。 周囲に比肩し得る建物はなく、顔を上げればのっぺりとした暗い夜空が広がっている。 月はどこにも出ていなかった。 そのことに、淡い失望を感じている暇もなく。 突然、まったく唐突に。――視界の果てに広がる山並み、そのたおやかな稜線が、ぱっと紅く色づいた。 すわ払暁かと錯覚するほど、その色彩は強烈だった。 が、違う。そうではないとすぐ知れた。 ロケットで…

  • 北海道机上遊覧 ―札幌・開拓・雪景色―

    暑い。 八月の半ば、一度は去るかと期待された夏の暑さは、しかしまだまだ健在で。あっという間に勢力を回復、捲土重来を全うし、変わらず私を苛み続ける。 先日、神保町にてこのような本を手に入れた。 『南洋諸島巡行記』、著者の名前は佐野実。 刊行年は大正二年と、手持ちの中でも相当古い。 帝政ドイツが南洋圏の広範を、未だ植民地として確保していた時分の記録。欧州大戦終結後、日本の委任統治下となって以降の書物なら、かねてより結構な冊数を持ってはいるが、この時期のモノは無きに等しい。 俄然興味をそそられた。 で、購入に踏み切った次第であるが――正直に言おう。間が悪い。 この酷暑の中、さんざん痛めつけられた身体…

  • 福澤諭吉と山崎闇斎 ―「孟子なりとも孔子なりとも遠慮に及ばず」―

    山崎闇斎の知名度は、目下どの程度の位置にあるのか。 百年前と引き比べ、著しく低下したことだけは疑いがない。その当時、彼が説いた「孔孟の道」は日本人が当然もつべき心構えの一つとされて、小学校の教科書にさえ載っており、ごくありきたりな「常識」として誰しもに受け容れられていたからだ。 その筋書きは、だいたいこんなモノである。 (比叡山大講堂、明治四十年代撮影) 山崎闇斎、京都の大儒。 垂加神道を創始して日本人の思想界に重大な波紋を広げるに至るこの人物は、あるときその弟子たちに、こんな問いを投げかけた。 「もしも今、孔子孟子が大将・副将格となり、兵を率いてこの日ノ本へ押し寄せてきたとするならば、我々孔…

  • 外交官の恩師たち ―夏目漱石、小泉八雲―

    笠間杲雄のペンは鋭い。 さえざえとした切り口で、現実を鮮やかにくり抜いてのける。 なにごとかを批評するに際しても、主題へのアプローチに態と迂遠な経路を使う――予防線を十重二十重に張り巡らせる目的で――ような真似はまずしない。劈頭一番、短刀を土手っ腹にぶち込むような、そういう直截な手段を好む。 外務省暮らしの最後を飾ったポルトガルを評すにも、 ポルトガル人といふのは、嘗て世界の半を領した輝かしい過去の追憶に今日でも生きてゐて、非常に感傷的で、現実から遠い夢幻や詩の世界を求める国民である。その歌も音楽も、華やかさの底に云ひ知れぬ憂鬱なものが流れてゐる。(『東西雑記帳』147頁) 斯くの如き遠慮会釈…

  • 流石々々の紳士道 ―英国人の賭博好き―

    イギリス人は賭博を愛す。 目まぐるしく廻る運命の輪、曖昧化する天国と地獄の境界線、伸るか反るかの過激なスリル。その妙味を愉しめぬようなやつばら(・・・・)風情に紳士を名乗る資格はないと、本気で考えている節がある。 「あの連中の競馬好きは度を越している。なんといっても、欧州大戦の極端な物資欠乏期でさえ、競走馬に喰わせる秣畑はしっかり確保し、寸土といえど他の目的への転用を許さなかった国民だ」 長きに亘る外務省勤めの過程に於いて、笠間杲雄はそういう景色を幾度となく見た。 (西部戦線にて、命令を待つ英国騎兵) 競馬やサッカー、カードや賽の目の配合にベットするなどまだまだ序の口。たとえば空を見上げては、…

  • 赤旗 vs 三色旗 ―1936年パリの抵抗―

    世の中には色々なつらあて(・・・・)の方法があるものだ。 昭和十一年の夏である。 笠間杲雄は、たまたまフランスを訪れていた。そう、腕利きの外務官僚で、赤玉ポートワインの存在が日葡関係に及ぼす意外な影響について知らしめてくれたあの(・・)彼だ。 三泊四日の短い旅路は、しかし事前の予想を大きく裏切り、極めて鮮やかな印象を彼に残すモノとなる。 (はて? …) パリの街に入って早々、笠間は首をかしげざるを得なかった。 見渡す限り、あらゆる屋並みの窓という窓、玄関という玄関に、三色旗(トリコロール)が翻っている。青、白、赤の三色から成る、大革命期以来の国旗が。 (キャトルズ・ジュイエ(革命記念日)には、…

  • 至誠一貫 ―終戦の日の愛国者―

    昭和二十年八月十五日、玉音放送――。 大日本帝国の弔鐘といっても過言ではない、その御言宣(みことのり)がラジオを通じて伝わったとき。小泉信三は病床に横たわっていた。 せんだっての空襲で体表面をしたたかに焼かれ、ほとんど死の寸前まで追い詰められた所為である。幸い急場は脱したが、元通りの生活を――自分で自分の面倒を見切れるようになるまでは、まだ相当の時日を要した。 今はとにかく身体をいたわり、安静を心がけねばならぬ時期。ラジオの前で正座など、到底可能な業でない。 (Wikipediaより、玉音放送を聞く日本国民) 何日かして、田中耕太郎が見舞いがてらやってきた。 時節柄、話はしぜんとポツダム宣言受…

  • 津軽海峡機雷原 ―テンヤワンヤの青森港―

    最初は本気にしなかった。 てっきり何かの冗談とばかり思ったのである。 通済道人お得意の諧謔趣味がまたぞろ顔を出したのだろうと、その程度にしか考えなかった。 通済道人、本名を菅原通済。 やあやあ我こそは菅原道真――天神さまの血を受け継いだ三十六代目の子孫なりと自称して、大正・昭和の政財界に暗中飛躍を試みた、当代きっての曲者である。 (菅原通済、原節子と共に) そういう男の口唇から、 ――津軽海峡が麻痺している。 ――ソ連の機雷が出没する影響で、青函連絡船の運航は大いに支障を来しつつあり。夜間の便に至っては、既に絶えたも同然だ。 こんなニュースを説かれたところで、どうして鵜呑みに為し得よう。 が、…

  • 春月ちぎれちぎれ ―流水・友情・独占欲―

    「私は、水の恋人と云ってもいい位、水を眺めるのが好きな性癖があって、橋の上を通るときは、そこから下を流れる水を見下ろさずにはゐられないし、海岸に 彳(たたず)んで、いつまでもいつまでも、束の間の白い波線の閃きを眺めるのが、私は好きであった」 一見、穏当な内容である。 四辺を海に囲まれて、降雨量もまた多く、水の豊かな日本だ。接触の機会が多ければ、目覚める率もいや増そう。こういう趣味の持ち主は、決して少なくないはずだ。 ただ、これが生田春月の言葉と知ると、ちょっと身構えずにはいられない。 (ユーシン渓谷にて、2015年5月撮影) この男の死に様が入水自殺である以上、当然の反応といっていい。昭和五年…

  • 夢の分解 ―小氷期を希う―

    夢を見た。 北海道の夢である。 かの試される大地の上を、北条沙都子と古手梨花――『ひぐらしのなく頃に』の主要登場人物二名がバイクに乗って突っ走ってる様を見た。 互いに成長した姿であること、言うまでもない。 バイクは一台。運転する沙都子の腰を梨花がこう、両手でグッと挟む感じで確保して、つまりはタンデムツーリングの格好で。叫びあげたくなるような青空の下、本州ではまずお目にかかるのは不可能な、むきだしの地平線めがけて単車は一路進みゆく。 それはそれは美麗至極な眺めであった。 材料が何であるかははっきりしている。単純に当該作品――『卒』を視聴中であることと、目下読み込んでいる本が、昭和二十一年刊行『随…

  • すべてはよりよき芸術のため ―手段を選ばぬ男たち―

    紀元前、文明の都アテネに於いて。 ある彫刻家が裁判所に召喚された。 容疑は、我が子に対する過度の折檻、虐待である。 当日法廷に姿を見せた彫刻家は、妙なものを携えていた。 石像である。 彼自身の新作で、少年が苦悶する有り様を表現したものだった。 その身振りといい、表情といい、何処をとっても真に迫らざるものはなく、今にも魂切る叫びが聴こえるようで、あまりの出来に百戦錬磨の法官たちも息を呑み、皮膚を粟立てずにはいられなかった。 彫刻家、反応をとっくり確かめてから徐に唇を動かして、 「私が息子を虐待したのは、偏にこれを完成させんが為でした」 悪びれもせず、そんな陳述を敢えてした。 開き直りといっていい…

  • 迷信百科 ―明治十二年のコレラ一揆―

    明治十二年八月というから、ざっと百四十年溯った今日あたり。 埼玉県北足立郡新郷村が、にわかに爆ぜた。目を怒らせた住民どもが竹槍を手に筵旗を押し立てて――つまりは伝統的な百姓一揆の作法にのっとり、鬨の声を上げながら、警官隊と一大衝突を演じたのである。 世に云うコレラ一揆のはじまりだった。 (埼玉県志木町の市場) 「馬鹿馬鹿しくてお話にもならない騒動ですよ」 東京日日新聞浦和支局長、北条清一の取材に対し、苦笑交じりに返答したのは押田庄之助なる白髪あたまの大じじい。安政二年に産声を上げ、以来七十九年間、土地に寄り添い生きてきた。その経歴には新郷村の村長職も含まれるから、まず長老株といっていい。 コレ…

  • 親バカ諭吉 ―「子供は先生のアキレス腱」―

    昨夜炉辺談笑親病床今日看酸辛家門多福君休道吾羨世間無子人 福澤諭吉の詩である。 書き下しは、 昨夜は炉辺に談笑親しかりし 病床に今日は酸辛を看る家門多福なりと君いふを休(や)めよ吾は羨む世間の子なき人を およそこのような具合いになるか。 明治二十二年、長女「さと」が腸チフスで倒れた際に綴ったものだ。 (Wikipediaより、福澤諭吉・明治二十年ごろの肖像) 和やかに談笑していた昨日の景色はどこへやら、娘はいまや病床から一歩も動けず、高熱を発し、生死の境に呻吟している。 医師はきっと持ちこたえると診察したが、そんなことで綺麗さっぱり拭われるほど、福澤の心配は浅くなかった。 自慢の思慮も叡智も何…

  • 浪漫の宝庫、埼玉県 ―陛下の乳母の日記帳―

    関ヶ原の戦勝に天下を掴んだ家康は、そののち思うところあり、氷川神社に神輿を奉納したという。 直筆の願文を、そっと中に納めて、だ。 (家康直筆、剣法伝授起請文) 国家安泰を念ずる内容だったというが、真実(ほんとう)のところはわからない。 ――みだりに開けば、目がつぶれる。 人々は正気でそう信じ、権現様の霊威を前にただひたすらに恐れ入り、敢えて触れようとするものは、徳川三百年の全期を通してただの一人もなかったからだ。 幕府瓦解後も、暫くの間はこの畏怖の心が生きていた。 生きていたどころの騒ぎではない。 ――もうよろしかろう。 一つの史実として、家康がどんな文章を書いたか確かめようと。 調査が認めら…

  • 夢の欠乏 ―かねて血を恐れたまえ―

    どうも近ごろ、夢を見ない。 もしくは、見てもすぐに忘れてしまう。 今朝方からしてそうだった。何か、長大なドラマの展開を目の当たりにした感じがするが、さてその詳細はというと、言葉に詰まらざるを得ぬ。 唯一はっきり憶えているのは、『彼岸島』の主人公――不死身の男宮本明がだだっ広い草原で、ゴーレムの群れと戦っている情景だけだ。 そのゴーレムというのも『ドラクエ』シリーズに出てくるような直線的なヤツでなく、もっとこう、曲線多めで丸みを帯びた、ずんぐりむっくりしている感じの、そう、『ダークソウル』で廃都イザリスに犇めいていたデーモン像にこそ近い。 いったいなんだってそんな奇天烈な取り合わせが実現したのか…

  • 武藤山治の地獄耳 ―「海老を煮るのは動物虐待」―

    人間というのはなんとまあ、一ツところを飽きもせず、堂々巡りばかりしているいきものか。 ロブスターを生きたまま茹でるのは動物虐待、人非人と呼ぶ以外にない言語道断の所業なりと、こう批判する風潮は、べつだん昨日今日に出来上がったものでない。 九十年前の合衆国で、既に痕跡が見て取れる。 そろそろ「毎度おなじみ」と化しつつある武藤山治が、やはり自身の主宰する『時事新報』に書いている。正確な日付は昭和七年十二月十七日。以下その部分を切り抜くと、 米国マサチューセッツの動物虐待防止会で、海老の煮方を規定した話がある。元来何処の国でも海老は大抵生きたまゝのものを料理する。そして沸騰せる湯の中でうでるのが通例で…

  • 魅力的な密造事業 ―敗戦直後の闇煙草―

    犯罪ではあるのだが、否、むしろ犯罪であるがゆえにこそ。 密造という行為には、妙に浪漫を掻き立てられるものがある。 敗戦直後、苛酷なまでの課税によって価格が鰻登りに高騰したのはなにも酒のみに限らない。 煙草もまた同様だった。 具体例をとって示そう。ここに白黒広告がある。例によって例の如く、昭和二十六年の『酒のみとタバコ党のバイブル』に掲載された代物だ。 二段目に着目していただきたい。「ピース」十本入りが五十円。ラーメン一杯二十五円のご時勢に、たった十本で五十円だ。この時点で馬鹿にされているようなものだが、更に内訳をたどってみると、なんと四十円九十二銭が税金から成っている。 全体の、実に八割以上の…

  • 慶應生の家康評 ―極めて稀なる思慮の人―

    所詮私も人畜生。 己に近きを貴(たか)しとし、逆に遠きを卑(ひく)しと見たがるこの厄介な性質を、厄介と承知しておきながらしかしどうにも振り払えない。 これまでにも幾度か触れたが私は徳川家康を、日本史上最大最強の英雄として心の底から敬慕している。 (Wikipediaより、徳川家康像) だから偶々、読書中、この気分を共有できる人物を紙面の上に見出すと、そいつに対する好意というのがにわかに弾けて、評価自体を二・三段、引き上げずにはいられなくなる。 おや、お前さん話せるねえ、よくわかってるよ大したもんだ、といった具合に。 肩でも組んで褒め称えてやりたくなるのだ。 直近では小泉信三の書きもの(・・・・…

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