プロフィールPROFILE

山岳嶺峰さんのプロフィール

住所
未設定
出身
未設定

自由文未設定

ブログタイトル
穢銀杏狐月
ブログURL
https://fox-moon.hatenablog.com/
ブログ紹介文
日本でしか生きていけないと悟った男の、日々の想痕。
更新頻度(1年)

299回 / 356日(平均5.9回/週)

ブログ村参加:2019/02/02

本日のランキング(IN)
読者になる

新機能の「ブログリーダー」を活用して、山岳嶺峰さんの読者になりませんか?

ハンドル名
山岳嶺峰さん
ブログタイトル
穢銀杏狐月
更新頻度
299回 / 356日(平均5.9回/週)
読者になる
穢銀杏狐月

山岳嶺峰さんの新着記事

1件〜30件

  • 日本国の物流史 ―華やかな海、ふるわない陸―

    日本国は海洋国家と俗に言われる。 間違いではない。なにしろこの大八洲の地形ときたら、山を越えればまた山が出現(あらわ)れるといったような塩梅で、それがどこどこまでも続くのである。 ――平野など、どこにあるか。 古代人にとって、この叫びはより痛切だったことだろう。 このような国土に置かれた民が、それでも移動・交通の利便を図ろうと欲したならば、勢い水上に活路を見出す以外ない。 このあたりの消息を小笠原長生は『鐵桜漫談』中に於いて、 三十三反、帆を巻きあげて 蝦夷地離れりゃ、佐渡ヶ島 何といふ晴ればれした情詩だらう。斯うした短い俗謡をも翫味し来ると、そこに海国民の面目が躍如としてゐるでは無いか。現今…

  • 日仏無心状奇譚 ―亀田鵬斎とヴェルレーヌ―

    古川柳に、 鵬斎も 無心の手紙 読めるなり というものがある。 江戸時代、書と儒学とをよく修めた亀田鵬斎を諷した歌だ。 (Wikipediaより、亀田鵬斎) いったい鵬斎という人物は独特な、曲がりくねった草書体を好んで使う癖があり、欧米収集家の間では「フライング・ダンス」と形容されるほど墨痕に個性が躍如としている。よって普通人には何と書いてあるのかさっぱり解せず、また解せない(・・・・)ということ自体が、なにやら俗世離れしていて高尚であると見たがる向きも存在し、人気を呼びもしたようだ。 ところがその鵬斎だろうと、いっそ斜め読みが可能なほどに読み易い、簡単な字体で手紙を作る場合があった。 それこ…

  • 中条流川柳私的撰集 ―「ママにあいたい」の衝撃から―

    つい先日、「ママにあいたい」というフリーゲームをプレイした。 オープニングの時点で両腕を欠損している主人公が、母親にあいたい一心で、同じく色々と失っている兄弟姉妹の力を借りつつ、ひび割れや血痕の目立つ謎空間から脱け出そうと奮闘する作品だ。 劇中では「タネ」だの「受精卵」だのといった単語が飛び交い、おまけに時折、触れると即死な「カンシ」なる異形の存在が出現し、追いかけられる破目になる。 ここまで書けば、おおよその方が何事かを察するだろう。――このゲームが「何処」を舞台としていて、主人公は「何者」なのかを。 ゲームでここまで戦慄したのは本当に久しぶりだった。 この余韻が残っているうちに何か書きたい…

  • 夢路紀行抄 ―牙を剥く脳みそ―

    夢を見た。 何をやっても上手くいかない夢である。 蛍光灯の冷たい光。 意匠というものを一切凝らさぬ堅い壁。 無機質なことこの上ない、どこか病院を思わせる一室で、ふと気が付くと、私は太巻き寿司をつくる作業に従事していた。 部屋には私以外にも十人前後の人がいて、うち幾つかは見覚えのある顔だった。 十数年ぶりにお目にかかる奴もいる。 皆せっせと巻きすだれを丸めては、右手の皿に太巻き寿司を積み上げていた。 遅れはとらじと私も仕事に取り掛かったが、どういうわけか私の作る太巻き寿司は、猿の拵えた手巻き寿司みたく不格好な扇形を呈したり、少し動かしただけで両端からぼろぼろ米粒が溢れたりと、いいところがまるでな…

  • 続・ハワイ王国と日本人 ―猛烈なるかな野村貞―

    1894年3月29日、東郷平八郎率いる戦艦「浪速」はホノルルを抜錨、日本へ去った。 彼から任を引き継いだのは、戦艦「高千穂」。艦長は野村貞海軍大佐。 世間ではあまり知られていないが、この野村艦長がハワイで見せた挙動には、ともすれば前任者を遥かに凌ぐ、ある種猛烈なモノがある。 (Wikipediaより、野村貞) 例を挙げよう。 着任から二ヶ月半後の、6月11日に於ける出来事だ。 ハワイ王国の創業者であり、旧王朝を偲ぶ者にとっては心の支えといって差しつかえのない、カメハメハ大王の誕生日に当たるこの日。野村艦長は「金剛」とも打ち合わせ、軍艦旗を挙げると同時に両艦一斉に満艦飾を施した。 去る1月17日…

  • ハワイ王国と日本人 ―『日本魂による論語解釈』和歌撰集・番外編―

    【不如諸夏之亡】 詳しくは、「夷狄之有君、不如諸夏之亡也」。夷狄の君有るは、諸夏の(君)亡きが如くならず――夷狄でさえ君主を戴くこと、その重要さを心得ており、みすみすそれをぶち壊しにしてしまった我が中華のようではない。 もっともこの項には別の解釈も存在する。「夷狄の君有るは、諸夏の亡きに如かずなり」と読み下し、たとえ君主不在の状態でも諸夏――中華は君主の治める夷狄に勝る、上下の真理は絶対にして揺らぐこと無し、と主張しているとするものだ。 が、『日本魂による論語解釈』では別項にて孔子の発した「子欲居九夷」――いっそのこと東の九夷の国に渡りたい、弟子は野蛮できたなくどうしようもない場所だと止めるが…

  • ドイツ精神と猫のエサ

    昨日の記事で、せっかく尾崎に触れたのだ。 ついでにこのことも話しておこう。やはり『咢堂漫談』中の一幕である。 欧州大戦以前――すなわち帝政ドイツ時代に於いて、ベルリンからおよそ300キロ南東に位置するブレスラウ市で起きた事件だ。 (ブレスラウ) この街には元々官立病院と武器庫とがそれぞれ設置されており、これらの施設は「官」の統制下にあるだけあって、毎年その所有財産目録と経費要求予算書を中央政府へ差し出すのが決まりであった。 しかるに某年、両施設が提出した財産目録中には、共に「猫一匹」の記述があったにも拘らず、その飼養料――すなわちエサ代――を請求したのは病院側のみであって、武器庫側の予算書には…

  • 『日本魂による論語解釈』和歌撰集 ―尾崎行雄と「事君尽礼」―

    【事君尽礼】 詳しくは、「事君尽礼、人以為諂也」。君に事(つか)ふるに礼を尽くさば、人以ってへつらいと為すなり。 礼儀正しくふるまう姿を斜めに見、なにをおべっか使っていやがる、鼻持ちならないゴマすり野郎めと冷笑する手合いというのは確かに居る。 だからといってこんな思潮が主流となっては世も末だ。真面目で忠実な勤め人が、しかしその美質ゆえに公然嘲りを受けるなど考えるだに胸糞が悪い。そんなものはどう考えても、健康な社会とは言えないだろう。 孔子も同意見であったればこそ、弟子たちに対してこのように、態々語り聞かせたのではなかろうか。 「礼」に関してはトマス・ホッブスも「リヴァイアサン」中で言及していて…

  • 『日本魂による論語解釈』和歌撰集 ―文献不足・壁の中の書―

    【文献不足】 詳しくは、「子曰、夏禮吾能言之、杞不足徴也、殷禮吾能言之、宋不足徴也、文献不足故也、足則吾能徴之矣」。 孔子は夏の国の礼について、十分語ることが出来た。しかしながら夏の後に興った杞国については、詳しく検証することが出来なかった。 また殷王朝の礼についても彼は通暁していたが、殷の後に隆盛した宋については、やはり確かな研究を施せなかった。 これみな今日に伝わる文献が、圧倒的に不足しているゆえである。もし文献が十二分に保全され、今日に伝わっていたならば、わしはそこから更に知見を深めることが出来ただろうに、惜しいかな――と、大意をまとめればこんな具合か。 (孔子) まこと、書物とは貴いも…

  • 『日本魂による論語解釈』和歌撰集 ―巧言令色・吾日三省―

    【吾日三省吾身】 詳しくは「曾子曰、吾日三省吾身、 為人謀而忠乎、 与朋友交言而不信乎、 伝不習乎」。 孔子の高弟に曾子という人物が居た。 (曾子) 彼は日に三度、欠かさず我が身を振り返ったという。即ち、 一、人の為に真剣に物事を考えてあげられただろうか。二、朋友に対して誠意をもって付き合えたろうか。三、なまっかじりの知識を弟子に教えなかったろうか。 の三点についてだ。 書店「三省堂」の名の由来にもなった、かなり有名な一節である。 それゆえか、『日本魂による論語解釈』で紐付けされている歌群も、高名な人の作品が多い。 日に三度 身をかへりみて いにしへの人の心に ならひてしがな(昭憲皇太后) 日…

  • 『日本魂による論語解釈』和歌撰集 ―孝道編―

    論語は天下第一の歌書なり、歌を詠まんと欲せば、先づ論語を読むべし。 江戸時代後期の歌人、香川景樹の言葉である。 景樹に限らず、難解な哲学書を解読するにうたごころ(・・・・・)を以って鍵と為し、更には噛み砕いた内容を、五・七・五の形式に仕立て直す者とて珍しくない。 かの生田春月もその一人だ。彼は『ツァラトゥストラかく語りき』をフリードリヒ・ニーチェの一大歌集と看做し、豊かな詩的感性なくしてこれを理解するのは不可能であると判断している。 そして今、私の手元に置かれている四冊の書。 『日本魂による論語解釈』というこれら和綴じの古本を著した伊藤太郎なる人物も、どうやら景樹や春月と、同種の男であったらし…

  • 永遠に忘れじ、志田周子

    村人の感情面以外にも、志田周子の悩みの種は多かった。 無数に及んだといっていい。今回は、それらの中でも大粒のモノを点描してみる。 まず真っ先に挙げられるのは、彼女自身の医師としての未熟さだろう。東京女子医専卒業後、二年あまりにわたって今村内科に勤務したといえど、それはあくまで「助手」としての経験で、やや乱暴な言い方をすれば「上役」である今村医師の指示に従って動いていたまでのことであり、自主的な判断を下す余地に乏しかった。 それが大井澤村に赴任するや、一転して診療所の最高責任者である。 勝手の違いに困惑しないはずがなかった。 「なにしろ、はじめはずゐぶん間誤つきましたわ。器具が不揃ひな上に、薬の…

  • 仙境の嫁姑戦争

    いまさら言うに及ばぬことだが、大井澤村は田舎である。 繰り返し何度も書いてきた、「仙境」という単語は伊達でないのだ。出羽三山の小天地、標高一五〇〇尺(およそ450メートル)の山峡(やまあい)に細長く軒を連ねる寒村――。 世の風雲から切り離された土地であるといってよく、それが証拠にこの村では、志田周子が赴任した昭和十年の時点でさえも未だに五人組制度が現役で活用されていた。 そう、五人組。 言わずと知れた江戸幕府の農民統制政策で、一部では現在の「町内会」の原型と看做す向きもある。なるほど「原型」なだけあって、その拘束力はこんにちの町内会より遥かに強い。 大井澤村の住民たるもの、この自治組織に不参加…

  • 志田周子、苦闘の歳月 ―間口六間、奥行四間の診療所―

    これまで触れて来た通り、大井澤村という山形県の仙境で、とにもかくにも医師としてやっていくことになった志田周子。しかしながらその足取りは決して順調とは言い難く、どころか逆に、のっけからしてつまずいたとさえ言っていい。 なにしろ「前提」ですらある、診療所建設の段階から難航している。 間口六間、奥行四間のこじんまりとしたこの建物――。 診療所の位置は、ほぼ村の中央にあり、そのすぐ後ろには、滔々と流れる寒河江川をへだてて截りたった前山の断崖が迫ってゐた。(『甦へる無醫村』157頁) と福岡隆が描写したこの木造建築を現出するのに、要した費用はおよそ3000。 むろん、日本円である。 それに加えて、ハコだ…

  • 志田周子の背景 ―父・荘次郎翁の軌跡―

    山形県の農村で名家の娘として生まれた周子は、努力して東京女子医専(現・東京女子医大)に入学し、医師になった。父からの「スグカエレ」という電報を受けて8年ぶりに故郷に戻った周子は、父・荘次郎が勝手に周子名義で診療所を建設していることを知る。無医村の大井沢村に医師を置きたいと願っていた父は、代わりの者を見つけるまでの3年間だけでも、村で医者をしてほしいと周子に頭を下げる。未熟な自分に診療所の医師が務まるのか不安だった周子も、父の頼みを聞き、3年間だけ頑張ろうと心に決める。2015年11月、山形県で先行公開。 ――以上、映画.comより引用させていただいた、『いしゃ先生』のあらすじである。 「代わり…

  • 仙境のナイチンゲール ―山村と死亡診断書―

    昨日に引き続き、『甦へる無醫村』についてである。 本書は「仙境のナイチンゲール」と呼び名の高い志田周子を軸としながら、しかしそれのみにとどまらず、無医村の悲惨な実態や、我が国に於ける女医の系譜を縷々と綴った――それこそ『古事記』の昔にさかのぼってまで――、非常に広範な内容を包括する本である。 そうした背景の認識なくば、志田周子の真価は理解できないと、著者である福岡隆は見たのだろう。そしてその判断は正しかった。 特に死亡診断書の一件なぞは、私にとっても完全に盲点であったので、大いに蒙を啓かれる思いがしたのだ。 事のあらましはこうである。明治維新後、何がやかましくなったかといっても戸籍関連以上にや…

  • 仙境のナイチンゲール ―2020年最初の読書―

    2020年最初の読書は、1944年刊行の、『甦へる無醫村 ―雪国に闘ふ女醫の記録―』という古書だった。 1944年といえば、すなわち昭和19年。 敗戦の前年度に他ならず、既に末期的様相を呈しつつある日本に於いて出版された書籍ときては、いきおい身構えざるを得ない。 一行一行、丹念に読んだ。 それに相応しい、力の入った書であった。 全町村の実に三分の一近くが無医村だったというかつての日本。山形県の中央部、寒河江川上流・出羽三山中の小天地に広がる大井澤村もそうした「医者なき僻村」の一つであって、いやむしろ典型的といってよく、衛生設備の不足によって、今日ならば造作もなく救かる命がばたばたと失われてゆく…

  • 甲州葡萄悲喜交々

    「甲州」という名のブドウがある。 だいたいシーズン終盤ごろに成熟し、収穫されるこの品種。特徴としては果皮の厚さと、種の周りに酸味だまりがあることか。国内生産量の90パーセント以上を山梨一県が占めていることも加え入れてもいいかもしれない。 生食よりもワイン醸造が主な用途で、斯く言う私自身も口にした覚えがあまりない。我が生家でも大抵食卓に上がるのは、巨峰かピオーネあたりであった。 ところがこの「甲州」こそが生食第一の品種と看做され、西洋ブドウなにするものぞと山梨県人が大気焔を上げていた時代が確かにあった。 (Wikipediaより、甲州) それも一過性の風聞でなく、明治初期から大正の中期あたりまで…

  • 「ポッポ」と「鳩一」 ―華麗なる一族のアダ名事情―

    大正の御代も終盤にさしかかったある日のことだ。東京都、交詢社の食堂で、二人の男が顔を合わせた。 いや、互いに予期した接触ではなく、あくまで「偶然の出会い」に過ぎなかったわけであるから、「鉢合わせした」と書いた方が相応しかろうか。 男たちの名は、波多野承五郎と鳩山一郎。 ともに議会で国民の意思を代弁する「代議士」という立場である。 (Wikipediaより、波多野承五郎) そも交詢社とは、福沢諭吉の肝煎りで明治初期に発足した日本最初の実業家社交クラブに他ならず、しぜん彼らのような立場の者も出入りすることが多かった。 とまれ、出会った以上は無視するわけにもいかぬであろう。特に波多野承五郎には、鳩山…

  • 昭和レトロ商品博物館を堪能す

    首都東京の西郊外たる青梅市に、昭和の器物を蒐めた博物館があると聞きつけ俄然私は興味を惹かれた。 電車を乗り継ぎ、ホームに降りれば、早速のこと右から左読みの古式ゆかしい看板が。 街の方でも何が求められているのかよく心得ているらしく、相応しい二つ名が刻まれている。 駅前の様子。曇り空だが、これはこれで雰囲気が出て悪くない。 路地を通り、 まずは住吉神社へ。 応安二年(1369)からこの街を見守ってきたという由緒正しいこの社は結構な高台に位置しており、参拝を済ませて振り向くと、 このように、広く街を見渡すことが出来るのだった。 さて、こちらが今回の目当てである昭和レトロ商品博物館。 奇しくもこのとき…

  • 三たび諫めて聴かざれば ―歌の背景―

    三たび諫めて聴かざれば腹に窓あけ死出の旅 四書五経の一つでもある『礼記』には、次のように記されている。 「君に過ち有れば則諫め、三度諫めて聴かざれば去るべし」と。 臣下たるもの、主君の過ちに気付いたならば三度まではこれを諌めよ。もし三度諌めてなお聞く耳を持たぬような迂愚であるなら、そんな主は見棄ててしまえ――そのように教えているわけだ。 (Wikipediaより、礼記) が、日本男児の流儀は違う。三度諌めてそれでも主君が頑迷不霊変わらぬならば、みずから腹を掻っ捌き、溢れ出る血と臓腑を以ってなおも諫めよ――冒頭に掲げたのは、そんな意気の古歌である。 おそらくは、江戸時代の中期以降に詠まれた歌であ…

  • 預言者郷里に容れられず ―クリスマスに因んだ小噺―

    折角のクリスマス・イヴである。 清しこの夜にあやかって、イエス・キリストにまつわる小噺でもさせてもらおう。 イエス様が神の子たる自分自身を発見し、この地上を救済すべく方々で奇蹟をふるまいながら伝道に努めていた頃のこと。彼の足は、たまたま生まれ故郷たるベツヘルムの村へと向いた。 ところがこの村落の人々は、イエスの幼年時代をようく見知って記憶しているだけあって、成長した彼が如何に高尚なことを説いても――いや、その内容が高尚であればあるほど却って――、 「大工のヨセフの倅ふぜいが、何を偉そうに語ってやがる」 とせせら笑い、ひたすら滑稽がるのみで、まともに耳を傾けようとしなかったという。 「預言者郷里…

  • 異文化交流滑稽譚 ―旅行記の醍醐味―

    「男女七歳にして席を同じゅうせず」とは儒教に於ける教えだが、似たようなモノは西洋にもある。 結婚しているわけでもない男と女が二人っきりで一つの部屋に居てはならぬということが、彼等にとって重要な礼法だった時代があった。 滅多にドアを閉じないのは現代でも往々見られる欧米人の生活習慣だそうだが、これはその淵源にあたる一つであろう。 が、長きに亘る鎖国から解き放たれたばかりの日本人には、そんな作法など知る由もない。 外遊先で婦人がせっかく開けっぱなしにしていたドアを、そんなことをしていたらいつまでたっても部屋の中が寒いまんまじゃあないかとか、或いは単純にだらしのない真似捨て置けぬと義憤に駆られ、態々立…

  • 等々力渓谷探勝記

    都会の喧騒から手っ取り早く逃れたいなら、あそこ以上の場所はない――そんな触れ込みに背を押され、先日の午後、私は等々力渓谷を訪れた。 東急大井町線等々力駅から二分足らずでもうこの看板にぶちあたる。なるほど、確かに手っ取り早い。 「23区唯一の渓谷」の風景。 このあたりの鳩どもはよほど人馴れしていると見えて、私が如何に迫っても知らぬ顔の半兵衛を決め込み、地面を突っつきほじくり返して餌を探すのを止めなかった。 水の清さは想像以上。 その流れの中を、鴨が悠々と泳ぎ回る。 稚児大師御影堂。奥に鎮座ましますは、幼き日の弘法大師空海の姿。 手水に紅葉が映えること、その絶妙さはとても言葉で表しきれない。ほとん…

  • 原田実、ニューデール政策下のアメリカへ

    イギリスに於いて見るべきものをあらかた見終えた大日本帝国の教育学者、原田実が次に足を運んだ先は、大西洋の向こう側――アメリカ合衆国に他ならなかった。 日本から上海を経てインド洋を南回りに航行し、地中海からイタリアに入り、ドイツ、フランス、イギリスと見てまわったわけだから、彼の旅程はほぼ世界一周旅行と言える。 さて、原田実の外遊期間は昭和十年から同十一年にかけての約一年半。 西暦に直すと1935年から1936年という数字。 この当時の合衆国は、ちょうどフランクリン・ルーズヴェルトを大統領に戴いて、世界恐慌を克服すべくニューディール政策に邁進していた時期である。 (Wikipediaより、フランク…

  • 原田実、英国にて舌禍事件を目撃す ―「世界中で最も立派な国である」―

    その少女の作文は、同時期に発表された如何なる英国文学の大論文より甚だしく世を揺さぶったと評された。 1935年5月16日、マンチェスターのセント・ポール女学校に通うモード・メイスンなる13歳の一生徒が、皇帝戴冠25周年を記念するため出題された、「我が国土」というテーマの下執筆した作文だ。 彼女はその作文中でイギリスを、 「世界中で最も立派な国である」 と書いたのである。 担任教師はべつに何の違和感も覚えず、この課題を採点した。 (Wikipediaより、南から望むマンチェスター) 話がこじれ始めるきっかけは、それから6日後の22日、文部省の視学官がこの学校を訪れて、視察の最中、たまたまモード・…

  • 夢路紀行抄 ―お墨付き―

    夢を見た。 二度寝の合間の夢である。 一度は目を覚ましたにも拘らず、寒さと惰性に押し切られ、再び布団にもぐり込んだ私の意識はあっという間に夢の中へと旅立った。 その世界の情景は、現実世界の私の部屋とほとんど何も変わらない。机には炬燵布団が被せられ、窓からは燦々と陽ざしが差し込んでいる。 主だった差異はただ一つ。ぜんぜん見覚えのない白髪あたまの老人が本棚の前に陣取って、詰め込まれた古書の背表紙をじろじろ眺めていたことだ。 夢の中特有の茫洋とした気分も相俟って、私はこの事態にどう処せばいいのかさっぱりわからず、声をかけることも出来ぬまま、阿呆の如く呆然と老爺の背中を見詰めるばかり。この寒いにも拘ら…

  • 原田実という男 ―世界に誇る日本人―

    立ち読み中にふと目についた、 ――自分の経て来た生涯のどの部分を顧みても愉快に率直に過ごせたとは思へない という一文に惹かれた。 いかにも私好みの、厭世的な香りがする。 それがこの、昭和十六年刊行、原田実著『閑窓記』を購入した主因であった。 果たして本書の内容は、私の趣味を大いに満足させてくれるものだった。 私は日記をつけないことにしてゐる。曾てはつけたこともある。詳細に心持ちの起伏まで書きつけたこともある。然し今日では敢てつけないことにしてゐる。ひたむきに自分の心持ちに見入ることは、自分のやうに悔いの多い日を重ねがちのものには、重荷過ぎて堪へられないことが多く、反省が自分の精神力に一層の振起…

  • 迷信百科 ―盟神探湯―

    少し前、インドからこんなニュースが伝わってきて世を騒がせた。 警官が集団強姦殺人事件の容疑者たちを皆殺しにしたという。 現場検証に赴いた先で、容疑者の一人が銃を奪って逃走しようとしたがゆえの、やむを得ぬ措置であったという。 たまたま目についた二十代の女性を相手に集団暴行を加えた挙句、生きたまま焼き殺すという人非人の所業を犯した者どもゆえに、インドの人々はこの展開を大歓迎。よくぞやったりと警察官を褒め称え、花びらを撒き、万歳が木霊したという。 是非善悪はさておいて、この事件は私の中の、とある記憶を刺激した。 享保十二年(1727年)、前田武兵衛という人物によって出版された、『万物故事要決』なる書…

  • 身を焼くフェチズム、細胞の罪

    1911年、英国ロンドンにたたずむセント・メリー病院に、一人の女性が駆け込んだ。 頻りに胃の不快感を訴える彼女を診察してみると、確かに腹の上部に於いて、異様な手応えの瘤がある。 早々と手術の日取りが決まり、いざ腹腔を開いてみると、予想だにしない光景に執刀医は目を剥いた。彼女の胃には大量の人の髪の毛が、しかも複雑に絡み合い、塊になって詰め込まれていたのである。 患者が重度の食毛症であることを、雄弁に物語る証拠であった。 髪の塊は摘出できても、精神の病巣はそう簡単に除けない。案の定、彼女はこの先セント・メリー病院外科の、謂わば「常連」になってしまう。 再入院は9年後の、1920年に。やはり同様の手…

カテゴリー一覧
商用