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ブログタイトル
穢銀杏狐月
ブログURL
https://fox-moon.hatenablog.com/
ブログ紹介文
日本でしか生きていけないと悟った男の、日々の想痕。
更新頻度(1年)

236回 / 365日(平均4.5回/週)

ブログ村参加:2019/02/02

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ハンドル名
山岳嶺峰さん
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穢銀杏狐月
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穢銀杏狐月

山岳嶺峰さんの新着記事

1件〜30件

  • トルコアヘンは大人気 ―イスタンブールの日本人―

    「ウチのアヘンはもの(・・)が違う。紛れもなく、世界最高品質だ。一度でもその味を知ってしまえば、二度と再び他国製では満足できなくなるだろう――」 そのトルコ人の自慢話がまんざら誇張でもないことを、大阪朝日の特派員・高橋増太郎は知っていた。 彼が派遣されたこの当時、トルコ共和国は国際連盟に未加入な立場を最大限活用し、アヘンの輸出に極めて積極的な状態にある。1927年だけでも三十五万七千六百キログラムを生産し、その輸出額は千四十四万リラに上ったというから大したものだ。 建国間もないトルコにとって、これほど好都合な「特産品」もなかったろう。 彼らはまた、自分たちの商品が如何に高品質を保っているかを科…

  • 英雄的独裁者 ―特派員の見たトルコ―

    1927年10月28日、トルコは死の如き静寂に包まれた。 政府がその威権を発動させて、全国一斉に外出禁止を布(し)いたのだ。 目的は、戸口調査こそにある。 オスマントルコ時代に行われていたような不徹底さを全然廃し、今度こそ完全に己が姿を直視せんと、当局者たちはよほどの覚悟で臨んだらしい。そのことは、医者や消防隊といった急を要する職種の者まで例外とせず、所帯表の取り纏めが終わるまで、断固として戸外に出るを禁じたという一事からでもよくわかる。 よほど強力な中央集権が前提になくば、とてもやれない措置だろう。 幸いこの時期のトルコにはムスタファ・ケマル・パシャという英雄的独裁者が君臨しており、この試み…

  • 山吹色の幻夢譚 ―昭和七年のゴールドラッシュ―

    昭和七年はゴールドラッシュの年と言われた。 水底(みなそこ)に沈んだ宝船、山奥に秘められし埋蔵金、海賊どもが無人島にたっぷり集めた略奪品――。 未だ見ぬ幻の黄金を求めて。遥かな時の砂の中から我こそそれを掘り出さん、と。日本全国津々浦々、誰も彼もが寄ると触るとその話題で持ちきりで、度を失った狂奔ぶりは、恰も熱病の集団感染の観すらあった。 必然として、この状況を利用しようと企む連中が出現(あらわ)れる。 金貨やプラチナを満載したまま日本海海戦の砲火に沈んだナヒーモフ号引揚會を皮切りに、 リューリック号、スワロフ号、アンナ・ローザンヌ号、神力丸の金塊引揚げ、 小栗上野介が赤城山麓に隠したという金塊探…

  • 南の島のレッド・パージ ―緑の魔境の収容所―

    ある日、牛が盗まれた。 ジャワ島東部、日本人和田民治が経営するニャミル椰子園に於いてである。 これが日本内地なら、迷わず警察に通報する一択だろう。一時間もせぬうちに附近の交番から巡査が駈けつけ、同情の意を表しながら現場検証に取り掛かってくれるはず。その程度の機能及び構造は、当時に於いて既に確立されていた。 が、ここはオランダの植民地、南洋遥かなジャワである。 この地を統治するオランダ人は、牛泥棒程度でいちいち真面目に動かない。理由は彼らの怠慢というより、政府の方針からしてそうなのだ。原住民同士の面倒は原住民同士でカタをつけろと言わんばかりに、村長に巨大な権限を投げつけ、事の処理を一任していた。…

  • 切腹したがる子供たち ―志村源太郎・岡本一平―

    志村源太郎という男がいた。 山梨県南都留郡西桂村の産というから、神戸挙一の生まれ故郷たる東桂村とはごく近い。 ほとんど袖が触れ合うような隣村関係といってよく、志村が日本勧業銀行総裁に、神戸が東京電燈社長の椅子に就いて以降は、互いに意識し合うところが大きかったに違いない。 この両人は、年齢までもがほど近かった。 1862年生まれの神戸に対し、1867年生まれの志村。共に御一新以前の年号であり、甲斐絹の取り引きでさんざ儲けた家系の裔である点も、いよいよ似ている。 その財産が父の代にてきれいさっぱり雲散霧消したところまで神戸と志村は共通しており、ここまでくると瓜二つとしか言いようがない。天の作為を、…

  • 盲人による美術鑑賞 ―寺崎広業、環翠楼にて按摩を試す―

    箱根塔ノ沢温泉に環翠楼なる宿がある。 創業はざっと四世紀前、西暦1614年にまで遡り得るというのだから、よほどの老舗に違いない。 「水戸の黄門」こと徳川光圀をはじめとし、多くの著名人がその屋根の下で時を過ごした。 秋田県出身の日本画家、寺崎広業もそのうちの一人に数え入れていいだろう。 (Wikipediaより、寺崎広業) 「放浪の画家」と呼ばれた彼は、しかし箱根に立ち寄る場合いつも決まって環翠楼に投宿し、ほとんど例外というものがなかった。 「絵筆を執り、丹青のわざをふるうのに、これほど適した場所はない」 と、太鼓判を押していた形跡がある。 肩が凝ると、按摩を呼んだ。 その按摩にも贔屓の揉み手が…

  • 天穂のサクナヒメ ―青木信一農学博士をかたわらに―

    『天穂(てんすい)のサクナヒメ』を購入した。 『朧村正』を夢中になってプレイした過去を持つ私にとって、決して見逃せぬタイトルである。和を基調とした世界観といい、横スクロールアクション的な戦闘といい、かの名作を彷彿とさせる要素がてんこ盛りであったのだ。 良き米を作ることが主人公の強化に繋がるという、あまりに独特な成長システムにも惹きつけられるところ大だった。そう、きっと日本人にはこの穀物を、一種神聖な存在として崇めたがる向きがある。今は遥かな上古の昔、稲作を以って王化の証となさしめた大和朝廷にその淵源を見出せるであろうこの偏りは、むろん私の中にもあって、そこを大いに刺激された格好である。 ところ…

  • 続・植民地時代のジャワの習俗 ―道路・散髪・美容術―

    お国柄というものは、植民政策の上に於いても如実に反映されるらしい。 たとえばオランダ人は道路を愛する。 左様、その重視の度合いは最早偏愛としか看做しようのないものであり、このためたとえば和田民治が根を下ろしたジャワ島などは、網目の如く車道が四通八達し、ほとんど汽車を圧倒する勢だったという。 主要幹線は悉くアスファルトで舗装され、道幅も至って広々として、極めて近代的なつくりであった。この豪華さは、当時のインドネシアの活発な産油事情と無関係では有り得ない。原料ならば、いくらでも手に入ったというわけだ。 街路樹としては、ネムノキが専ら活用された。この落葉高木が大きく腕を広げたその下を、エンジン音も高…

  • 植民地時代のジャワの習俗 ―出産・育児篇―

    和田民治という男がいた。 明治十九年生まれというから、ちょうどノルマントン号事件が勃発した年である。 三十路を越えてほどもなく、蘭印――オランダ領東インドに渡った。 以後、およそ二十年もの長きに亘り、彼の地で開墾・農園経営に携わり続けた人物である。 (和田民治氏) 千古斧鉞を加えざる原生林を切り拓き、東ジャワ州ブリタール市南方に彼が築いた農園は、名をニャミル椰子園と称し、その外郭を概説すると、 2100ヘクタールの面積――東京ドーム450個分に相当――を有し、 2000人近くのジャワ人を労働者として定住せしめ、 600頭の牛を耕耘用に飼育しており、 主要作物は椰子とカポック綿であり、前者だけで…

  • 続・文明堂と帝国海軍 ―軍縮をきっかけとして東京へ―

    宮崎甚左衛門が人に使われる立場から、人を使う立場に移行したのは、大正五年十月二十五日のことである。 この日、彼は佐世保の街に文明堂の支店を開いた。 一国一城の主になったのである。男としての本懐であろう。それはいい。ここで疑問とするべきは、 ――何故、佐世保を選んだか。 ということだ。 実のところこの判断の背後にも、海軍が大きく関係している。 (Wikipediaより、佐世保湾) 半年前のことだった。春爛漫たる佐世保の港に連合艦隊が入港すると小耳に挟んだ甚左衛門は、すわ商機ぞと一念発起、担げるだけの品を担ぎ、現地に向かって急行したのだ。 むろん、紹介も何もあったものではない。 ただもうひたすら当…

  • 文明堂と帝国海軍 ―長官室にフリーパスのカステラ屋―

    地下鉄三越前駅から文明堂東京日本橋本店に行く場合、A5出口を使うのが、経験上いちばん手っ取り早く思われる。 ここを出たら、後は右手側に直進するだけでいいのだ。 二分もせずにこの看板が発見できることだろう。 先日カステラを買った際には、おまけとして「黄金三笠山」がついてきた。 この「おまけ」の伝統を作ったのも宮崎甚左衛門その人で、如何にも彼らしい哲学性が底にある。 『まける』ということは、お客さまにとってはこの上ない魅力である。商人が負けるのであるから、お客さまは勝つのである。勝って気持のよくない人はいない。ところが、百円の値段を八十円にまけて、二十円が財布に残ったというのでは、まだ魅力の度が薄…

  • 「今に見てろ」という言葉 ―踏まれても根強く保て福寿草―

    宮崎甚左衛門の『商道五十年』を読んでいると、「今に見ていろ」等逆襲を誓う意味の言葉が散見されて面白い。 前回の記事からおおよそ察しがつく通り、この東京文明堂創業者は極めて律義な性格で、しかしながらそれゆえに、劫を経た古狐のように悪賢い世間師どもの手練手管にやり込められて、煮え湯を呑まされることが多かった。 甚左衛門は偽善者ではない。 そういう場合、しっかり憤りを催している。 情なさと、口惜しさで、腹の中は煮え返るようであった――あのおやじは、おれをひどい目に会わせているが、人を苦しめるお前さんが出世するか、苦しめられるおれが出世するか、今に見ていろ――と、私はひそかに歯噛みしたのであった。(7…

  • 焼け野原での墓参り ―宮崎甚左衛門の孝心―

    ――カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂。 「有名」などという言葉では、慎まし過ぎてとても現実に即さない。 あまりにも人口に膾炙されきったキャッチフレーズ。それを発想した男、東京文明堂創業者・宮崎甚左衛門。 現在私の知る限りの範囲に於いて、この男より孝心豊かな人物というのは存在しない。 日本どころか全世界を見渡しても、彼が最上ではないかと思う。 なにしろ親の戒名を、常に懐に忍ばせていた人物だ。 順を追って説明しよう。――甚左衛門の財布には、紙片がいちまい、何時々々(いついつ)だとて収まっていた。 三つ折りにされたそれを開くと、何よりもまず真っ先に、中心線にぴたりと合った「南無阿弥陀仏…

  • 夢路紀行抄 ―間違い電話―

    夢を見た。 埒のあかない夢である。 直前まで何をしていたかは憶えていない。鮮明なのは、携帯がけたたましく鳴り響いてからである。 着信を知らせる音色であった。 私は特に発信元の番号を確かめもせず、半ば反射でそれに出る。後から思えば迂闊としか言いようがない。悪徳業者のトラップだったら何とするのか。 果たしてスピーカーから聴こえて来たのは、 「――さん?」 しわがれて、変に間延びのした、知らぬ老婆の声だった。 むろん、私の苗字ではない。 (間違い電話か) 今の時代珍しいなと思いつつ、差し当たり穏当な対応を心がけることにする。 が、よほどお年を召されているのか。違います、どちら様ですか、と繰り返し答え…

  • 酒、酒、酒、酒 ―このかけがえなき嗜好品―

    ドイツがまだワイマール共和国と呼ばれていたころの話だ。 第十二代首相ブリューニングの名の下に、ビール税の大幅引き上げが決定されるや、たちどころに国内は、千の鼎がいっぺんに沸騰したかの如き大騒擾に包まれた。 もともと不満が鬱積している。 政治家としてのブリューニングは典型的な緊縮財政の信徒であって、世界恐慌の狂瀾怒濤をひとえに政府支出の削減と増税によって凌ごうとした。 彼の手によって引き上げられた関税たるや小麦・大麦・燕麦、澱粉・鶏卵・牛乳に、シャンパン・葡萄酒・コンデンスミルク等々と、農産物に限っても列挙するのが面倒になるほどである。 冷凍肉五万トンの無税輸入制度も廃止され、鮮肉の関税も五割増…

  • 令和二年の東京受胎

    本日発売のゲームソフト、『真・女神転生Ⅲ NOCTURNE HD REMASTER』を買って来た。 「リマスター」とあるからには、当然元々のソフトが存在している。 2003年にアトラスから発売されたPS2のタイトルで、その中古品が秋葉原の店頭に並んでいるのを幾度か見た。 が、購入はしなかった。 六千数百円という、法外な値札を付けられていた所為だった。二世代前の――もうすぐ三世代前になるが――機体のソフトがこれほどの高値を維持している現実に、驚きを禁じ得なかったものである。 ゲームを発売日に購入するのは、否、それどころかコンシューマーゲームに触れる自体、ずいぶんと久々なことである。 『ゴーストオ…

  • パナマ運河と黄熱病 ―文明国の面目躍如―

    医療行為の最善が予防にあるということは、いまさら論を俟たないだろう。 孫子の兵法になぞらえるなら、戦わずして勝つの極意そのものである。 日本でも早くからこのあたりの要諦に気がついていた人はいて、中でも高野六郎という医学博士は、その最も熱烈な信徒であった。 彼は文明というものを、極めて明快に定義していた。 病人の少ないことを指すのである。 文明国なるものは病気の少い国である。疾病予防の最も発達した国である。予防し得る病気を悉く予防し尽すといふことが文明の目標である。而して病気の予防が進歩し、健康が能く保たれる国民が今後の世界に於て優位を占めるであらうことは疑を容れない。(昭和六年発行『予防の出来…

  • 医者の随筆 ―将棋・外套・原子爆弾―

    医者の随筆は面白い。 医者を(・)書いた文章ではなく、医者が(・)書いた文章である。 高田義一郎、式場隆三郎、正木不如丘、渡辺房吉、福島伴次――結構買ったが、今のところハズレを引いたことがない。どれもこれも、最後の一ページに至るまで、私の興味を捉えたまま放さなかった。 現在向かい合っている『研究室余燼』も、そんな「医者の随筆」の一冊である。 昭和十八年発行。 著者の名前は貝田勝美。 九州帝国大学で第三内科の教授職を務めていた人物だ。 カルテよろしく話の筋が明晰で、かといって無味乾燥というわけでもなく、厭味にならないユーモアがふんだんに散りばめられており、目を通している間中(あいだじゅう)、まず…

  • 続・米田実という男 ―マスター・オブ・アーツ―

    上京して暫くの米田実の生活というのは、まったく「苦学生」を絵に描いたようなものである。 朝はまだ星の残る早くから、新聞売りとして声を張り上げ駈け廻り、それを済ますと図書館に突撃、自学自習を開始する。 さてもめまぐるしい肉体労働と頭脳労働のサイクルだった。 似たような経歴の持ち主に、トーマス・アルバ・エジソンがいる。かの発明王も少年時代、自宅のそばに鉄路が敷かれたのを幸い、デトロイトで新聞を仕入れては地元の田舎――ポート・ヒューロンの街角で売り捌くという商売法を編み出して、結構稼ぎ、実験器具や薬品を買う資本(もとで)としたそうである。 (Wikipediaより、少年時代のエジソン) 朝七時半の電…

  • 米田実という男 ―忘れ去るには惜しき者―

    前回、せっかく米田実に触れたのだ。 この人についてもう少しばかり掘り下げてみたい。 私はこれまで彼の著作に何冊か触れ、しかもその都度、得るところ甚だ大であった。半世紀以上も前に著された本であるというのに、その知識は鮮度を保ち、みずみずしい驚きを与えてくれた。 戦前に於ける名ジャーナリストを五人挙げろと言われたら、私は即座に米田実と杉村楚人冠に指を屈することだろう。 まあ、要するに好きなのである。ファンなのである。 そんな米田実の名前が歴史にすっかり埋没し――なにせ、Wikipediaに項目すら見当たらない――、思い出す者も稀というこの現状は痛惜に堪えぬものがある。 そうした想いが、私にこの稿を…

  • 「ドルの国」との交際術 ―戦前の「アメリカ通」な男たち―

    訴訟大国アメリカといえど、これはなかなか珍しい例に属するのではあるまいか。 ロビイストが企業を相手に、法廷闘争を挑んだのである。 1929年8月24日のことだった。 この日、ウィリアム・B・シャラーという人物がにわかに世の表舞台に躍り出て、三つの大造船会社の名前を次々に挙げ、 「目下、これらの企業で建造している一万トン級の巡洋艦八隻の建造案を議会に可決させたのは、自分がさんざん骨を折って運動した結果であり、その運動は右造船会社の社長たちの連名で依頼されたものだった。にも拘らず、私は立派に仕事を果たしたというのに、彼らは未だ約束の報酬金を払おうとしない」 仰天すべき主張を展開、未払いの報酬257…

  • 繁栄の条件 ―国際場裡の腹黒さ―

    来るべきものがついに来た。 大日本帝国が帝政ロシアに国交断絶を突き付けたのだ。 もはや極東を舞台として一大戦火が巻き起こるのは誰の眼にも不可避であった。風雲急を告げるこの秋(とき)、もしも彼らに発声機能があったなら、 「俺たちはどうなるんだ」 と、腸を引き絞るようにして叫んだろう。 二隻の軍艦、日進・春日のことである。 (Wikipediaより、日進) いや、船というのは女性名詞(She)で扱うのが一般的らしいから、彼女たちと呼ぶべきか? まあいい。とまれかくまれ、この二隻は新造艦。アルゼンチンの注文を受け、イタリアのアルサンド社が建造していたものであり、それを大日本帝国が横から買い取った形で…

  • ジョン・ラスキンのシェイクスピア評

    セシル・ローズの恩師に当たるジョン・ラスキンは、あるときシェイクスピアの作品群を批評して、 「碌な男がいない。この中にはただの一人も、大丈夫がいないのだ」 と吐き捨てた。 (Wikipediaより、ジョン・ラスキン) ラスキンの眼光にかかれば、たとえばロミオなど短絡的でこらえ性のない青二才、ヴェニスの商人は逆境に出くわして為すことを知らず、ハムレットに至っては、夢と現実を混同しがちな空想的人物に過ぎないという。 なにやら『賭博黙示録カイジ』冒頭の、利根川幸雄の演説を彷彿とするのは気のせいだろうか? ラスキンの舌鋒、なおも止まない。 「反対に優れているのは女性である。シェイクスピアのどの戯曲をの…

  • 赤羽橋のいまむかし ―芝東照宮参詣余録―

    芝東照宮へ参詣したあと。折角ここまで来たのだからと、しばし四辺(あたり)を散歩した。 で、芝公園の隅の芝生に見出したのがコレである。 横の看板には、「災害用マンホールトイレ」と記されていた。非常の際には蓋を開いて便座を据え、テントか何かで囲いを付ければすぐにトイレとして機能するとか。 災害によって電気・水道・ガス等のライフラインが麻痺せしめられ、水洗トイレが流れなくなり、屎尿処理に大苦労した過去の惨憺たる経験から発想されたものらしい。尾籠なれど、人間にとって紛れもなく一大事である以上、こういう備えは頼もしかろう。 そこでふと、思い出した。そういえばこの近くの赤羽橋は昭和の昔、東京市内最大の人肥…

  • 芝東照宮参詣記

    先日、芝東照宮へ参詣(おまいり)に行った。 東京都港区は芝公園の一角に在る、四大東照宮の一角だ。残る三社は、上野東照宮、久能山東照宮、日光東照宮。 そのことについて書こうと思う。 東照大権現神君徳川家康公の御霊を祭るこのお宮には、本来もっと早く来てよかった。 具体的には昨年度、東京タワーを上下したあの時に、である。 両施設は目と鼻の先といっていいほど至近に位置し、なんとなればタワーの展望台からその屋根が、ありありと見えていたやも知れないからだ。それが事前のリサーチ不足で、みすみす機会を逃してしまった。返す返すも不覚である。 それで今回、漸く訪れる機会を得た。 コンクリ製の鳥居をくぐる。 むかし…

  • 大切小切ものがたり・後編 ―その始末―

    慈悲に縋ろうとした。 だが拒絶された。 ならば力に訴えて、無理矢理にでも然諾を引き出すより他にない。 (先祖代々、我らはそうして生きて来たのだ) それを想うと、血が酒に変わるほどのくるめきを感じる。 甘美な陶酔というものだろう。この陶酔は、家を保つことが最大の徳行とされた時代の人間でなくばわからない。 古めかしい言い方を敢えてするなら、小我を去って大我に至る心境である。己が背後に連綿と続く血脈を自覚し、そこにひたひたを身をすり寄せてゆく場合、彼らは決まって無上の悦びに包まれるのだ。 この先、甲府の街中で、たとえどのような乱暴狼藉を働こうと、それは狭矮な自分一個の欲からではなく、祖霊の集合意識が…

  • 大切小切ものがたり・中編 ―新旧衝突―

    大小切という「信玄公以来の祖法」消滅の危機に直面し、ただ身を寄せ合い、コマッタコマッタと首をかしげているだけが甲州人の能にあらず。 一張羅に袖を通して、えっちらおっちら峠を越えて、県庁へと馳せ参じ、陳情の声を上げる「有志」がそこかしこから出現(あらわ)れた。 が、効がなかった。 このあたり、再び水上文淵翁の記録を参照すると、 茲に東山梨郡松里村、旧小屋敷の長百姓に小澤留兵衛なるものあり、同郡の諏訪村旧隼の倉田利作同郡岡部村旧松本の嶋田富十郎と相謀り、八月八日甲府へ出張、武田氏の祖法を存置せしめられんことを歎願せしも、県庁聞かざるを以て、十日各村の者出張して再び歎願せんとす(昭和五年発行『維新農…

  • 大切小切ものがたり・前編 ―武田信玄以来の祖法―

    いやしくも山梨県民を、甲州人を名乗るなら、大小切騒動にまつわる知識はごく当然なたしなみ(・・・・)として具えておかねばならないだろう。 現に私は義務教育でおそわった。 忘れもしない中学生の頃のこと。当時の私の日本史教諭は教科書をありがたがらない性格で、しばしば授業を脱線させては豪傑たちのあられもない私生活、法律の意外な運用実態等々、いわゆる「歴史の裏話」談議に熱を上げる人だった。 日教組の影響極めて強い山梨県の教師としては、めだって異例な人だったろう。 受験にはまるで役に立たない知識であるため、級友の中にはあからさまに辟易し、「いやな先公に当たってしまった」と不平がる輩も少なくなかった。が、私…

  • 浜名湖小話 ―「ゆるキャン△」二期に向けての予習―

    日に日に機会が増えている。 『ゆるキャン△』アニメ二期の広告を目にする機会が、だ。 漫画で予習は済んでいる。一期が思い切りツボに嵌ったいきがかり上、手を出さずにはいられなかった。アニメから原作にポロロッカする、典型的な例であろう。 就中、五巻に収録されている、浜名湖の鰻をかっ喰らうあのエピソード。あれの映像化が待ち遠しくて仕方ない。一日千秋とはこのことか。 ここはひとつ、「浜名湖の鰻」にまつわる小話でもして、待つ身のじれったさを紛らわしてみるとしよう。 鰻が浜名湖の名物となった契機(きっかけ)は、だいたい明治三十年ごろ、愛知へ下る汽車の窓から一人の男がこの汽水湖を見下ろして、 ――これはよき土…

  • 最期の言葉・外伝 ―「夢」を含む辞世撰集―

    辞世の句を刻むとき、「夢」の一字を挿みたがる手合いは多い。 なんといっても、天下人からしてそうである。豊臣秀吉が 露と落ち露と消えにし我が身かな浪速のことも夢のまた夢 と吟じれば、徳川家康、 うれしやと二度(ふたたび)さめてひとねむり浮世の夢は暁の空 といった具合だ。 それにしても、この対照の妙ときたらどうであろう。 陽気そのものの如くであった生前の燥(はしゃ)ぎっぷりは何処へやら、秀吉の句には諦観と無常感とがあからさまに付き纏い、彼がどれほどおのれの死んだ後のこと――我が子秀頼の将来を不安がっていたものか、一目で判別がついてしまう。 実に豊臣秀吉は、莫大な未練を抱えて逝った。ともすればその重…

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