馬鹿な模倣者もいたものだ。 大正五年十月十二日、神奈川県の東南部、藤沢町は若尾銀行前の踏切にて自殺があった。まだ若そうな兄ちゃんが、線路に飛び込み殺到してくる列車に轢かれ、鉄道往生一丁あがりと相成ったという次第(ワケ)である。 (Wikipediaより、藤沢駅南口) 寸断された「部品」中、上半身の懐あたりを探ってみれば、お定まりの書き置きが。 開けばやっぱり遺書である。内容に曰く、 「死をもって最大の快楽とす、光なき死は吾人之を排すと雖も主義の為めに死するは余光ある者と認む、主義とは何ぞや、人生の不可解なり、噫(ああ)敬慕す藤村操君、君人生の不可解を絶叫して眠る、我亦人生の不可解を絶叫して永遠…