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2019/02/02

  • 敗れたときこそ胸を張れ

    なかなか役者だ、床次サンは、床次竹次郎という人は――。 「時局重大な時だ、鈴木、床次と争ってゐる場合ではない、鈴木が総裁になり、又大命が降下した場合、僕は入閣せんでも党務に骨身を入れてやる決心だ、これからが本当に政治をやるのだよ」 総裁選に敗れた直後、大袈裟にいえば日本のトップに立ち損なったばかりであるにも拘らず、こんなセリフが吐けるのだから。 (Wikipediaより、床次竹次郎) 帝都を、否々、日本じゅうを震撼せしめた一大不祥事、五・一五事件。石山賢吉の筆法を借りれば「軍服を着た狂人」どもに暗殺された犬養毅は、むろんただの男ではない。 当時の与党・政友会総裁にして、現職の総理大臣である。 …

  • おれの葬儀は ―山脇玄は遺言す―

    冠婚葬祭の簡略化が口喧しく取り沙汰された時期がある。 大正から昭和にかけて、ちょうどエログロナンセンスの流行と被るぐらいの頃合いだ。 (増上寺霊屋) 自動車が街路を縦横し、 船のボイラーが石炭式から重油式へと移行して、 飛行機の航続可能限界が更新されつつある今日び、万事につけてスピード化のご時勢に、ひとり儀礼のみばかり何時々々までも昔のままの大仰な作法を保存してはいられない。切り詰める点は切り詰めて、世相に対応させなくば。大正六年、増上寺の公布した、件の仏前結婚式の謳い文句を見てみても、 ――「二十五分で式を済し」 云々と、その辺の気風の反映たること、明らかである。 (立川飛行場) 世間一般の…

  • 雅楽洋楽アレンジャー

    ざっくばらんに述べるなら、古代ギリシャ音楽の和風アレンジバージョンである。 遙かに遠く、紀元前。地中海にて誕生した旋律を、ほとんど地球の反対側の大和島根の楽器と感性(センス)で新生させる。 刺戟的な試みが、東京、ドイツ大使館の夜会に於いて実現された。 大正十四年、十二月十七日のことである。 (『アサシンクリード オデッセイ』より、オリンピア) 作曲者の名は吉田晴風。 演奏もまた、吉田晴風とその婦人。晴風が尺八を、婦人が琴を、それぞれ担当したそうな。 当時の大使、ヴィルヘルム・ゾルフは演奏に耳を澄ますうち、次第に夜魔に魅入られた如く恍惚とした心境へと導かれ、 ――素晴らしい、まさに世界的の企てだ…

  • 欲の焦点、色と金

    慰謝料をふんだくるのを目的とした離婚訴訟が俄然増加の傾向を示すに至った発端は、大正四年にあるらしい。 皆川美彦が説いている。このとし一月二十六日、大審院にて画期的な判決が出た。 (Wikipediaより、大審院) 実質的な夫婦生活を送っているが、しかし正式な入籍手続きは経ていない、いわゆる内縁の妻だろうとも、これを離縁する場合には慰謝料の支払い義務が生ずる。すなわち「婚姻予約有効判決」。結婚をエサに女心をたぶらかし、さんざん都合よく使い、いいように弄んだ挙句、飽きたら棄てて顧みぬ、人間失格野郎に対しそうは問屋が卸さぬと胸倉とって迫れるようになったというワケだった。 慶賀すべき展開だろう。 「大…

  • 湿気、鬱屈、アルコール

    どうも不調に陥った。 何も書くことが浮かばない。 連日の雨と湿気によって頭の中身が水っぽく、ふやけてしまったかのようだ。 (viprpg『さわやかになるひととき』より) 文章の組み立て方というものを見失っている状態である。こういう場合は下手に抵抗したりせず、むしろ思考能力を更に台無しにすべきであろう。どん底までゆくべきだ。経験から帰納して、そちらの方が再起が早いと知っている。そんな次第で駄目になってる脳みそにアルコールを浴びせかけてやることにした。 ワインは好きだ。 よく買って呑む。 禁酒法時代、デモに密輸に密造に、日を追うごとにヒステリックに傾斜する合衆国の大衆を冷ややかに横目で見やりつつ、…

  • 魚肉の恩 ―『どぜう文庫』と『鮭卵』―

    どじょう料理の老舗たる、東京浅草駒形屋。そこの御亭主、渡辺助七、あるとき奇特なことをした。 学芸振興の名目で、一万円をぽんと投げだしたのである。 投げ込み先は東京商大、やがて一橋へと至る、旧制官立大学である。時あたかも大正十四年が晩秋、霜月の頭ごろだった。 (Wikipediaより、東京商科大学) 筆者(わたし)の記憶が確かなら、日清戦争開幕時、福澤諭吉先生が軍資義捐金として財布から引っ張り出したのも、やはり一万円のはず。 俺がこれだけ出したんだから、てめえらもケチケチすんじゃねえとの、世の富豪らへの「呼び水」的なカネだった。 三十年弱を経て、円の価値もだいぶ変動しているが、それでもかなりの大…

  • 理屈生産、机上の遊戯

    まだ日露戦争が起こる前、すなわち明治の中葉期。東京の名所・旧跡は、多く富者の私有であった。 御殿山の桜林は山尾子爵の、 品川海晏寺は岩倉家の、 関口芭蕉庵は田中子爵の、 まだまだ他にも、向島小松島遊園なぞも――とかくそれぞれ有力者らの掌中に帰した状態だった。 (芝公園の梅) 既に私有地である以上、一般人の立ち入りを禁止するのは勿論である。 『報知新聞』はその状況を憂いている。憂いて、人心の統御上、経世上よろしからぬと切言し、行政の出動を請うている。東京市の財と力で、よろしくこれら私有地を買い上げ、大衆向けに広く公開すべきである、と。 「東京市たるものもし名所旧跡に志あらば、よろしく此等の土地を…

  • 光栄ですぞや勅使様

    明治三十年である。 大蔵省の役人が、関西へと赴いた。 現地に於ける銀行業の実態調査。それが出張の名目だった。 (Wikipediaより、初代大蔵省庁舎) なんとも肩の凝りそうな、生硬い話に聞こえよう。ここまでならば確かにそうだ。が、一行中に「勅使河原(てしがわら)」某という奴がいたこと。彼の存在、彼の名字が事態をだいぶ面白いものにしてくれる。 騒動は、奈良に於いて生起した。 その日、一行が宿泊したのは「三景楼」なる高級旅館。奈良三大家の一つにも選ばれるほど殷賑を極めた店舗だが、ふとしたものの弾みから、ここの番頭が宿帳記載の「勅使河原」を「勅使(ちょくし)・河原(かわら)」と誤読したのがつまりは…

  • 嵐の前の名士たち

    音頭役が菊池寛である所為か。 昭和六年開幕早々、文芸春秋社に於いて催された新春記念座談会の雰囲気は、明らかに暴走気味だった。 (Wikipediaより、株式会社文芸春秋) 出席者らのテンションはヒートアップの一途をたどり、鎮静の気(ケ)がまるで見えない。政治問題、宗教問題、挙句の果てには陰謀論と、あからさまにヤバいゾーンへ話頭が飛んで行こうとも、誰も引き戻さないのだ。 「日本社会の行き詰まりは戦争か社会革命による以外に展開の途がもはや無い」 右にも左にも刺されそうな沙汰事を一息に叫びあげたのは、なんと山本条太郎。 ちょっと前まで満鉄社長をやっていた、ことし六十四歳になる彼である。 これを聞くな…

  • 幼心と罪の味

    新学期が開始(はじ)まった。 まずは何にも先だって、級長を決定(き)めなければならぬ。 従来ならば指名制でカタがつく。担任教師が「これは」と思う生徒を選び、諾と言わせるだけであったが――。昭和八年、秋田県平鹿郡十文字町尋常高等小学校にては、少々事情を異にする。 「選挙制を導入しましょう」 そういう断が職員会議で下された。 (Wikipediaより、十文字駅) 広く世間を眺めれば、普通選挙も三度を重ね、社会に定着しつつある。 この際だ、公民教育の一環として、児童たちにも早いうちから慣らしておこう。誰を級長に選出するか、児童自身に、投票により決めさせるのだ。「一票の重み」という言葉、身を以って知っ…

  • アカの犬

    地獄の、悪夢の、絶望の、シベリア捕虜収容所でも朗らかさを失わぬ独軍兵士は以前に書いた。「我神と共にあり」と刻み込まれたバックルを身に着けお守り代わりとし、軍歌を高唱、整々として組織的統制をよく保ち、アカの邪悪な分断策にも決して毒されなかったと。 (ドイツ軍楽隊) 顧みるたび、げに清々しき眺めよと、感心せずにはいられない。 人間には、男には、たとえ生命(いのち)を奪われようと曲げない筋があるべきだ。 ドイツ人はそいつを持っていたらしい。 だからこそ獄中、転向し、ロシア人どもに媚びを売り、本来的な同胞兵士を叩き売る、腸(はらわた)の腐った人非人、裏切り者の下衆野郎に対する指弾は凄まじいまでのものだ…

  • マイト夜話 ―ニトロとアルコールの出逢い―

    酒の肴に工夫らは、ダイナマイトを嗜んだ。 その頃の鉄道省の調査記録を紐解けば、明らかになる事実であった。 「その頃」とは大正後期、日本に於いても津々浦々でトンネル工事が盛んになってきた時分。 掘削作業の能率を飛躍的に高めた発破、それを為すためのダイナマイトを、しかし現場の労働者らがしきりとちょろまかすのだった。 (Wikipediaより、ダイナマイト) それで何をするかと言えば、刺身にして食すのである。 このあたりで筆者(わたし)は一度、我が眼を疑い顔を上げ、眉間を強く揉みほぐし、二、三度深呼吸をした。 それで視線を紙幅に戻せど、むろん文面は変化せず。ダイナマイトを肴にして呑む酒は、酔いのまわ…

  • 堂々めぐり、暑い日に

    清澤洌は円安ドル高を憂いている。 あるいはもっと嫋々と、嘆きと表現するべきか。 昭和十三年度の外遊、十ヶ月前後の範囲に於いて、何が辛かったかといっても手持ちの円をドルに両替した日ほど消沈した例(ためし)はないと。 「…僕等にとっては千円といふ金は大変な額だぜ。その血の出るやうな千円が、ドルにすると二百八十何弗しか手に這入らないのだ。単位を下げてみても同じだが、百円が二十八弗なにがし、十円が二弗八十何セント。この為替をかへた時ほど淋しい気持になることはないよ。大きなゴム毬だと思って抱いてゐたのが、いつの間にか空気がぬけて、しぼんでしまったといふのがその感じだ」 前回同様、『現代世界通信』からの抜…

  • トリコロールは不安定

    フランスは難治の国なのか? 短命政権の連続に、しばしば暴徒と化す市民。 彼の地の政情不安については明治期既に名が高く、陸羯南の『日本』新聞社説にも、 ――仏人は最も人心の急激なる所、近二十一年間に内閣の交迭せる、前後二十八回の多きに及ぶ。 このような一節が確認できる。 (『世界国尽』より、パリ) 要所要所で政治的に死に体となり、一歩まかり間違えば、欧州すべての禍乱の震源地にもなる。これはもう、フランスという国民国家につきまとう、ある種の宿痾といっていい。 一九三〇年代に至ってはその傾向がますます酷く、当時欧州各国を巡歴していた清澤洌に、 ――世界の悲劇はフランスである。 と慨嘆せしめたほどだっ…

  • 志士の慷慨 ―不逞外人、跳梁す―

    外国人に無用に気兼ねし、何かと腰が低いのは、日本政府の伝統である。 明治政府もそうだった。 昨今取り沙汰されると同様、日本人が相手なら些細なルール違反でもビシバシ取り締まるくせに、外国人の違法行為に対しては、遠慮というか妙な寛大さを発揮して、いわゆる不起訴で済ませてしまう。それをいいことに当の外国人どもはますます増長の一途をたどる。 (『Ghost of Tsushima』より) 『エコノミスト』初代の主筆、佐藤密蔵という人は、学生時代たまたま遊んだ横浜で、立派な身なりの英国人が何か気に喰わぬことでもあったか邦人車夫をステッキで滅多打ちにしている現場に遭遇し、 ――これが「紳士」のやることか。…

  • 南洋に夢を託して

    小学校のカリキュラムにも地方色は反映される。 九州鹿児島枕崎といえば即ちカツオ漁。江戸時代に端を発する伝統を、維新、開国、文明開化と時代の刺戟を受けながら、倦まず弛まず発展させて、させ続け。昭和の御代を迎える頃にはフィリピン諸島や遠く南洋パラオまで、遥々船を進めては一本釣りの長竿をせっせと投げ込みまくったという、意気の盛んな港町。 (Wikipediaより、枕崎駅) かかる熱気はひとり港湾のみならず、小学校の授業風景にまで伝わり、浸潤し。通常の教科書以外にも、手製の海図を壁に張ったり、配ったり。カツオを乗せてやってくる暖流の長大を指し示し、 ――我らの活路は南方にあり。 と煽った教師もいたよう…

  • 遊廓に 乳飲み児連れて 登楼る馬鹿

    女房に先立たれてから後のこと。 文人・武野藤介は彼女の遺した乳飲み児をシッカと胸に抱きかかえ、遊里にあそぶを常とした。 誤字ではない。 遊里である。 (島原大門) 金を払って美人とたわむれる場所だ。 そこへ赤子連れで行く。 「こうすると芸妓(おんな)にモテるんだ」 それが理由の全部であった。 人間のクズといっていい。 とんだ「子連れ狼」だった。 更に輪をかけて度し難いのは、武野が己の行状を後ろめたく思うどころか、こんな巧みな遣り口を発見したこの俺は、なんて頭がいいのだろうか――と、むしろ自慢げに吹聴して廻っていたことである。 「芸妓はその職業的必要から女性としての母性愛を圧殺してゐる、だから赤…

  • 愛欲地獄

    「未亡人が喪服を着ている時ほど色っぽいものはありません」――マルキ・ド・サドはよくよく真理を衝いている。獣欲の虜となった野郎とは、ことほど左様に見境のない生き物だ。修道服でも喪服でも、彼らの眼にはただの単なるコスチューム、より一層の興奮を煽り立てる為だけの小道具でしかないだろう。 (フリーゲーム『イミゴト』より) むかし、成田勝郎という人がいた。 少年審判所――今でいう家庭裁判所の如き機関に長らく奉職した彼は、経験に徴してある傾向を見つけだす。 すなわち「どんな家庭環境が、不良少年を生み出しやすいか?」――子供がグレる条件とはどんなの(・・・・)か、大人は何に気を遣ってやるべきか。それに関して…

  • 完成された日本人

    「印度海の暑とて日本の書中よりも厳きことはなけれども、夜昼ともに同じ暑さにて、日本に居るときの如く、朝夕夜中の冷気に休息することの出来ざるゆへに、格別難渋なり」。いやいや先生、日本の夏も熱帯的になり申したぜ。ここ何年かは夜の夜中も熱気がこもって(・・・・)かないませんや。夕涼みなど、とてもとても――。 (viprpg『やみっちの服って暑そう』より) 慶應三年、福澤諭吉は都合三度目の洋行をした。 太平洋を横断し、北米合衆国の土を踏む。それに用いた船の名を、すなわちコロラド号と云う。 帰国後物した『西洋旅案内』中に、コロラド号のスペック等が載っている。日本人が「黒船」と呼んで恐れて且つ憧れた水の上…

  • 日本の眠りが覚めた街

    心に兆すところあり、浦賀を歩くことにした。 駅から出て暫くは、目前の大路、浦賀通りに添い、進む。左手側の空間を浦賀ドックの巨大な壁が圧している道だった。 ドックの壁にはこのように、 浦賀の歴史を象徴的に描き上げた看板が、幾つか掲げられていた。 榎本武揚と渋沢栄一。この施設を建てるのに多大な貢献をしたらしい。 福澤諭吉と勝海舟。背景(うしろ)で波を切っているのは、もちろん咸臨丸である。しかし何故、この両人がガッチリ握手しているのやら。友誼など薬にしたくも見当らぬ、犬猿と呼ぶに近い仲であったはずだが。 ちなみに山本権兵衛は勝海舟の為人(ひととなり)を評するに、 「自分が大西郷より添書を貰って勝安房…

  • 度し難き一族

    「鳩山サンは冷血だ。とかく義理ってもんを欠く」 とは、彼の農地の小作らが、常々こぼした愚痴である。 この場合の鳩山は、憲政史上の恥さらし、生きた日本の汚点そのもの、ルーピー由紀夫にあらざれば、友達の友達がアルカイダのメンバーだった、逝いて久しい邦夫くんでも、むろんなく。 彼ら兄弟の祖父である、「ハトイチ」こと鳩山一郎こそを示したものである。 (Wikipediaより、鳩山一郎) ハトイチくんは不在地主だったのだ。北海道の角田村、今の地名に換言(なお)すなら北海道夕張郡栗山町一帯に広大な土地を所有(も)っていた。 顧みれば明治二十七年度、一郎の更に先代である和夫があれこれ動き廻って、国有地の払い…

  • 諭吉の預言 ―もはや地主は割には合わぬ、避難するなら今のうち―

    また福澤が預言的な内容を『時事新報』に書いていた。 「田畑山林を人に貸すは、富人にありながら貧民を相手にして、貧乏人の銭を集めて富豪の庫に納る仕事にして、然かも貧富直接の関係なるが故に、人情として貧人の無理を許さゞるを得ず、之を許さゞれば怨府たらざるを得ず。仁と富と両立せざるものは正に地主の境遇にして、其苦心は如何ばかりなるべきや」 ――地主という商売は、これからどんどん割に合わなくなるだろう。 おっそろしく煎じ詰めて表現すれば、だいたいそんな風になる。 何故かと言うに、年を追うごと小作の側が理屈っぽくなるからだ。 「是れも封建時代に数百年の関係を生じ、人事都(すべ)て穏なる世の中なれば、地主…

  • リトマス試験紙、徳川氏

    一種の「リトマス試験紙」だ。 明治の書物を手に取る場合、著者が旧幕体制を、ひいては徳川家康を、どのように評価していたかにより買うか否かを決めている。後ろ足で砂をかける無礼を犯しちゃいまいな? と、立ち読みしながら常に気を遣うポイントである。 (フリーゲーム『芥花』より) 如何に維新の「負け組」に転落し去ったとは言えど、二百五十年の永きに亙り日ノ本を能く統治した、その実績まで葬り去られるべきでない。歴史には敬意を払わねば。江戸徳川の泰平を、暗黒時代と一蹴されてはかなわない。あまりに心が無さすぎる、人でなしの所業であろう――。 そうした点で植木枝盛は失格であり、陸羯南は合格だった。 左様、羯南、陸…

  • 大漁百萬燈

    一網に百萬燈や蛍いか 富山に伝わる歌である。 詠み手は知らない。 名も無き地元の民草か、いつかの旅の数奇者か。 はっきりと断言できるのは、ご当地名物、ホタルイカ漁を題材にした代物であるということだ。 (Wikipediaより、ホタルイカの辛子酢味噌和え) 今年――すなわち令和六年春季に於いては、またずいぶんと「爆湧き」だったと聞き及び、景気の良さに、ちょっと便乗したいというか、あやかりたい気分になった。 その衝動に誘われるまま、少し書く。 本来、深海を棲み家としている蓋し小形のこのイカが、日本の理学界隈に興味を持たれ出したのは、遡ること百二十年、明治三十七年時点。言わずと知れた日露戦争まっさか…

  • プロパガンダ ―ペンは一個の兵器也―

    日露の仲が急速に殺気を孕みはじめた時分――。 二葉亭四迷は誰に頼まれたわけでもなしに、全然己一個の意志で単身シベリアへと渡り、彼の地に俄然集結中の帝政ロシアの軍の規模、兵装の質、統制如何、士気の充実はどうだのと、彼らについてのありとあらゆる情報を血眼して蒐集(あつ)めるという、間諜めいた、否、間諜そのものの行為をやった。 (Wikipediaより、二葉亭四迷) その結果として、 ――これなら勝てる。 と、確信するに至ったらしい。日本内地に帰還(かえ)るなり、四迷はそりゃもう激烈にも程がある主戦論を打(ぶ)ちだした。 軍当局に報告書を上げもした。紙数にして三百枚を数えるほどの厚みがあって、専門家…

  • 真宗五人娘たち

    前回の補遺として添えておく。 かねてより報されていた通り、昭和六年九月十六日京都西本願寺にて得度式が行われ、真宗史上初となる女僧侶の集団がめでたく地上に現出(あらわ)れた。 (西本願寺) とち狂った男性優越原理主義者が金切り声を上げながらポン刀片手に乱入して来るだとか、そうした椿事も起こらずに、厳粛かつ円満なる雰囲気のまま一切は完了したようだ。 さて、この日。 誕生した女僧侶の群れの中、とりわけ強く異彩を放つ五人組の姿があった。 三重野知々子、関沢章子、大平悦子、林淑子、須田智嘉子。 この五名である。 彼女らは皆、等しく日本女子大学を卒業済みの、当時に於ける「インテリ女子」に他ならぬ。 (Wi…

  • 世に平穏のあらんことを

    例の「真宗に山寺なし」も然りだが――。 仏門諸流多しといえど、どうも福澤先生は、浄土真宗を買っている。その傾向が大である。 「真宗は由来久しくして、国民の信心最も深く、且その宗義も能く民情に適したるや、凡そ日本国中に於て宗門の勢は真宗の右に出る者なく、日本は仏法国即ち真宗国と云ふも不可なきが如し」。――御当人の文に徴して明らかである。大和民族の精神に至妙至当によくなじむ(・・・)、さりとてはのモノと心得、期待をかけていたようだ。 (Wikipediaより、親鸞筆「三帖和讃」) 何の期待か。 言うまでもない、日本国民の思想善導、特にいわゆる下層階級、智慧に乏しく迷信深い、世の大多数を占める人々の…

  • 渡島篤農ものがたり

    篤農家という単語自体が死語となりつつある現下、藤田市五郎の姓名を記憶している日本人が果たしてどれほどあるだろう。 北海道の農業を開拓したひとりだが、屯田兵ではないようだ。 それよりもずっと根が深い。 淵源は実に十八世紀、寛政元年時点にまで遡り得る。 徳川将軍は十一代目、家斉が治めるご時世で。――八五郎という人が、どうした事情に由るものか、盛岡藩領二戸郡から態々この地(渡島)にやって来て、荒れ地に鍬を打ち込んだ。 (『農具便利論』より、鋳鍬にて畑を耕す図) 以来由蔵、市五郎と、三代続けて土を掻く、「農」の家系を織りなして――。これだけ由緒を重ねれば、もはや地生えといっていい。 さて、藤田市五郎。…

  • Return to normalcy

    筆者(わたし)の中でハーディングが、今、熱い。 左様、ウォレン・ハーディング。 第二十九代アメリカ合衆国大統領。 共和党所属。 魅力的な人物だ。 (Wikipediaより、ハーディング) 彼の演説、あるいは談話を発掘すればするほどに、否が応にも興奮募り、体温上昇、脈拍加速を自覚せずにはいられない。 例えばコレなどどうだろう。 「今や軍備制限説は漸次世界に蔓延しつつあり、されども地球上の他の諸国が悉くその武器を地に委するまで、我が米国は、国防の第一線として、世界最大の海軍の支持を持続せざるべからず」 実に素敵なセリフであった。 第一次世界大戦終結後、払った犠牲の夥しさに胆を潰した各国は、かかる惨…

  • 九州火の国熊本城下、良縁求めてえんやこら

    集計が出た。 しめて一万二千四百十三件。この数字こそ1930年、元号にして昭和五年を通じての、九州火の国熊本一県下に於いて成立したる婚姻数に他ならぬ。 「減ったなァ」「ああ、去年と比較(くら)べて四百ばかりの減少だ」「不景気に歯止めがかからぬ以上、仕方あるまい」「結局それか。聞いたかね、岐阜の山奥あたりでは、貨幣経済が崩壊したぞ。物々交換が商取引の主流として復活したとの評判だ――」 実務に当たった吏員の間で、こんな会話が、きっと取り交わされたろう。 ちなみに昭和五年から数えてちょうど九十年目、令和二年時点に於ける熊本県内婚姻件数はというと、調べてびっくり「六千七百九十三件」! 五桁を逃すどころ…

  • 敵意の大地に種を蒔く

    維新以後、大和島根に文明国家を建てるため、大日本帝国はドイツを大いに範とした。 なかんずく、医療と軍事の両面で、その傾向が顕著であった。 田代義徳、佐藤三吉、入沢達吉、長井長吉、金杉英五郎、朝倉文三、鶴見三三、大沢岳太郎、そしてもちろん北里柴三郎。――「医」の方面に限っても、独国留学経験者たるや千人の大台を突破する。大正三年八月二十三日までの――欧州大戦勃発し、日本がドイツに宣戦布告を突き付けて、一度関係が破綻するまでの期間に於いてもう既に、だ。 (実験動物――兎の耳への静脈注射) ドイツのめしを喰い、 ドイツの水を飲み、 ドイツの空気を呼吸して、 ドイツの紳士淑女と交際(まじ)わり、 ドイツ…

  • 毎度おなじみ旱天飢饉、餓鬼が地上を練り歩く

    唐土に飢餓は稀有でない。 ぜんぜんまったくこれっぽっちも珍しからぬ現象だ。 定期的に発生(おこ)っては山の様な餓死体と流民の群れを作り出し、王朝の足下をグラつかせ、野心家に垂涎の機会を恵む。恒例行事の一環と看做すも可ではあるのだが、しかし1920年に生起した、「華北大飢饉」の名で知られるそれ(・・)は、「いつもの」と軽く流すを許さない――規模の面にて、あまりに常軌を逸脱しきったモノだった。 なんといっても、罹災民は三千万だ。 (支那の田舎の市場の様子) どうせいつもの誇大広告、実数はだいぶ落ちるだろうが、たとえ十分の一だとしても三百万人、相当以上の数である。 どこからどう手を付ければ良いのか、…

  • いつの間にやら、あと僅か

    高須梅渓は繰り返し、健康の重要性を説く。 強靭な肉体の中でこそ、雄渾な思想が練り上げられると、そう信じていたようだった。 (大日本帝国海軍、甲板上の相撲) あるいは斯かる傾向は、「人間五十年」という決まり文句すら満たせずに中途死なざるを得なかった、明治・大正の文士らを記憶に留めていたゆえの反動だったやもしれぬ。 梅渓自身が箇条書きっぽくしてくれている、 「樋口一葉女史は僅かに二十七歳で死んだ。『西洋哲学史』の大著を書いた大西操山氏は三十七歳で死んだ。『吾人は須らく現代を超越すべからず』と叫んだ高山樗牛氏は、三十三歳で死んだ。『病間録』に見神の実験を告白した綱嶋梁川氏は、三十六歳で死んだ。其の他…

  • 独り身たるの罪深さ ―共和国家の「独身税」―

    吉江喬松(たかまつ)。 早稲田大学に教鞭を執る仁である。 留学から帰ったばかりのこの人が、面白いことを言っていた。大正九年の秋に於いての御講義だ。 (Wikipediaより、昭和初頭の早稲田大学) テーマはズバリ、「フランスの人口政策について」。 その身を以って実際に見聞した四方山(よもやま)を論じてくれた次第(ワケ)だった。 「フランスの人口問題は漸く解決され掛って居ます。一時死亡率が出産率を越えましたが今は反対になりました。之は国民的な自覚と一方には政府の政策が行はれたので、即ち今年五月頃から三十歳以上の男子の独身者に独身税を課すると同時に、三人以上の子を持つ夫婦は多人数の家族として保護を…

  • 赤い津波に呑まれたる

    大正三年十一月十六日に認可の下りた特許二六八四九號、『四季常用魚類乾燥装置』の明細書を紐解くと、一目で面白い事実に気付く。 発明者の名が、日本人のそれ(・・)でない。 ゲオルギー・イワノヴィッチ・ソコロフ。 帝政ロシアの民である。 (樺太にて、鰊の「棚掛け」、乾燥過程) バーチャスミッション、スネークイーター作戦等々、『MGS』を知る者ならば、一種特殊な反応を示しそうな名であった。 生まれはオデッサ、黒海に面した、例の街。 「例の街」で十分罷り通るほど、ここ数年で急速に、一般的な日本人の鼓膜にも親しくなった名の土地だ。 ソコロフの家は、ここで代々、水産加工食品を作って売って稼業としてきたものだ…

  • 灼かれた脳から滲み出す

    脳を灼かれた。 ボロボロの校舎、 止まった時計、 やけにアナログな備品一式、 何故か外に出たがらない主人公。 勘の鋭い方ならば、これらの要素だけではや、何事かを察すであろう。 一連の画像は「夕暮れ時、廃校にて。」なるフリーゲームのスクリーンショット。もうタイトルの段階からして郷愁の念を刺戟する、セピア色に染まった世界を探索するアドベンチャーだ。 古書を偏愛する筆者(わたし)だが、同じ感性に基いて廃墟巡りも大好きである。 ゆえ、嬉々としてダウンロードし、プレイした。その結果として、益体もない、案に違わず呼び起こされたノスタルジックな感動に情緒をめちゃくちゃに掻き乱されて、のたうち回っているわけだ…

  • 乃木将軍の膝元へ

    春の終わりも近いころ、乃木神社を訪れた。 これまで散々ネタにさせてもらった手前、参拝し、礼を言わねば義理を欠く。そういう意識に背を押されてのことだった。 むしろ遅すぎたほどである。 心中密かに詫びながら、鳥居をくぐり境内へ。 立地は良い。地下鉄乃木坂駅から一分、迷いようのない場所に在る。 「真宗に山寺なし」という、俚諺めいたフレーズを連想せずにはいられない。福澤諭吉先生が講釈なさってくれていた、 「真宗の寺院は全国到る処、都邑の中央に建立して人の湊合に便利ならざるはなし。自然に成りたる位置か将た故意に謀りたるものか知らざれども、兎に角にも真宗に山寺なしと云ふ程の次第にして、他宗寺院の故(こと)…

  • 腹に詰まりし九キロの

    もうじき二十二歳を迎える未婚の娘の下腹部が、どうも最近、膨らみ気味だ。 月経も停止しているらしい。 (孕んだか) 両親は、造作もなく合点した。 事実、珍しい話ではない。 ここは大分、東国東(ひがしくにさき)郡に属する、とある山村、某農家。 (国東半島の山々) 開発から取り残された草深い田舎のことである。中央より吹く文化の風も、昭和の御代の人倫も、両子山の錯綜せる溶岩台地に阻まれて国東半島ことごとくには届かない。だからこういう、上古以来の夜這い・野合の習俗が、なお生々しく息づく土地が保存されていたりする。 それゆえ家族も特に騒がす、自然の流れに任せていたが。――どうもだんだん、様子が変だ。 十月…

  • 動物園に巡る死は

    日本で初めてゾウの解剖をやったのは、帝大農科大学教授、田中宏こそである。 明治二十六年の幕が開いて早々だった。新年いきなり、上野動物園に於いてはその「花形」を失った。寄生虫症の悪化によって、ゾウが一頭、死んだのである。石油缶に湯を注ぎ、藁を被せて湯たんぽ代わりにしてやったりもしたのだが、今やすべては無為だった。 (上野公園前) 動物園では悲しみつつも、 「せめて学術参考に」 と、愛獣の死を最大限活かすべく、解剖の手筈を整える。 なにぶん日本で最初の試みであるということで、見学希望は引きも切らずであったとか。 そして、当日。 衆人環視の只中で、田中宏は汗みどろになっていた。 たいへんな悪戦苦闘だ…

  • 愛だの恋だのよく飽きもせず、満足いくまでやりゃいいさ

    古い『読売新聞』にラブホテルの雛形めいたモノを見付けた。 昭和六年三月十二日である、記事が紙面に載ったのは――。 「最近『円宿ホテル』といふのが多数現はれ安っぽいコンクリートまがひのアパートにベッドを置いて、ホテル営業を表看板とし待合ともカフェーともつかぬつれ込み客専門の宿をして盛んにエロ時代を謳歌してゐるものがあるので警視庁保安部風紀係では取締の必要を認め、管下各署からの調査意見書を二十日迄に集めることになりこの旨十一日通牒した」 (Wikipediaより、読売新聞ホーロー看板) 嘗てフェミニズムの権威、スウェーデンの誇る思想家、エレン・ケイ女史はいみじくも言った、「性の問題は生命の問題であ…

  • 敗戦国のみじめさよ ―そしてハーケンクロイツへ―

    『読売新聞』は幸運だった。 大正十年、彼らは期するところあり、ちょっと特殊な展覧会を開催(ひら)くことに決めている。 特殊とは、むろん出展される品。 第一次世界大戦中に帝政ドイツが刷り出したプロパガンダ・ポスターである。戦意高揚、スパイ警戒、エトセトラ。偉大なる勝利に至らんと智慧の限りを振り絞り、作製された掲示物。センセーショナルな「張り紙」の、同社が蒐集・保管するありったけ(・・・・・)を世間の耳目に晒さんと、そういうことを企画した。 彼らの視角に基けば、今の日本に何より欠けているものは、宣伝戦の心得だからだ。 (プロパガンダに余念のないチャップリン) 仕掛けるにせよ、邀撃にせよ、技術的に拙…

  • 春畝を忍ぶ ―伊藤博文、その巨影―

    偉人が語る偉人伝ほど興味深いモノはない。 「評するも人、評せらるるも人」の感慨をとっくり味わえるからだ。 福澤諭吉は『時事新報』の記事上で、伊藤博文を取り扱うに「国中稀に見る所の政治家」という、きらびやかな言を用いた。「政治上の技倆を云へば多年間政府の局に当りて自から内外の事情に通じ、或は失敗もし或は成功もしたる其間に、あたゆる政界の辛酸苦楽を嘗め盡して今日に至りしことなれば、事の経験熟練の点に於ては容易に匹敵するものを見ず。殊に日本の憲法制定に参して最も力あるの一事は内外人の共に認むる所にして、其功労は永久歴史上に滅すべからず」云々と。 べた褒めである。 満艦飾といっていい。 まるで鳴りやま…

  • 「幻華在目十四年」 ―秋田小町と犬養毅―

    正岡子規とて身体が自由に動いた頃は遊里にふざけ散らしたものだ。 況や犬養に於いてをや。 明治十年代半ば、犬養毅は特に招かれ、東北地方の日刊紙、『秋田日報』の主筆として活動していた時期がある。「才気煥発、筆鋒峻峭、ふるゝ者みな破砕せり」とて衆の威望を萃(あつ)めたものだ。 (秋田のなまはげ) それと同時に土地の名歌妓・お鐵にめちゃくちゃ入れあげて、交情熱烈大紅蓮であったのも、蓋し有名な逸話(はなし)であろう。 明治の青年たちにとり、艶彩迷酒の歓楽はほとんど通過儀礼の一種。酒で腸を焼き鉄拵えにするのと一般、娼妓(おんな)の肌に触れてこそ、志は磨かれる――と、大真面目に主張したとて誰も不審に思わない…

  • どうせこの世は男と女、好いた惚れたとやかましい

    デモクラシーの掛け声がさも勇ましく高潮する裏側で、人間世界の暗い業、望ましからぬ深淵も、密度を濃くしつつあった。 『読売新聞』の調査によれば、改元以来、日本に於ける離婚訴訟の件数は、年々増加するばかりとか。 大正四年時点では八百十三件を数えるばかりであったのが、 翌五年には九百五件に上昇し、 次の六年、九百五十一件にまで跳ねたなら、 七年、とうとう千百四十二件なり――と、四ケタの大台を突破して、 更に八年、千二百十八件を計上と、伸長にまるで翳りが見えぬ。 (タバコを吸う夏川静江) なお、一応附言しておくと、上はあくまで訴訟を経ねば別れ話が纏まらなかった事例のみの数であり、離婚そのものの総数は、…

  • 女神が握っているものは

    移民が増えれば犯罪も増す。 両者はまさに正比例の関係にある。 アタリマエのお話だ。 一世紀前、この論法に疑義を呈する白人は、ほとんど絶無に近かった。「自由の国」の金看板を衒いもせずにぶちあげる、アメリカとてもその辺の事情はまったく同じ。揺るぎなき金科玉条として、日本移民排斥の十八番としたものだ。 (いわゆる「日系二世」たち) なんといってもスタンフォード大学の名誉総長サマまでが滔々として述べている、 「アジアから群がり来る大勢の移民を歓迎する事は米国に取っては政治的に好ましからざる事である、…(中略)…人種が異(ちが)へば異ふ程、そして特に新来者の野心が大なる程、両者の軋轢は大きくなるのである…

  • 利通の遺産

    大正九年のお話だ。 帝都は水に苦しんでいた。 「水道、まさに涸れんとす」――ありきたりと言えば左様(そう)、単純に渇水の危機だった。 (江戸東京たてもの園にて撮影) 当時の市長、田尻稲次郎は事態を重く見、市民に対して犠牲心の発露を願う。トンネルの出口が見えるまで――解決の目処が立つまでの間、「娯楽目的の水道利用」を禁止すると声明し、ために深川あたりの労働者らは満足に体も拭えなくなり、必然毛穴は閉塞し、皮膚の痒みで夜もまともに眠れない、散々な目に遭わされた。 皇居御苑を筆頭に、各地公園の噴水も軒並み停止させられる。節水、節水、節水で、堅っ苦しい雰囲気が帝都に覆いかぶさった。 然るにだ。この状況下…

  • ビバ・キャピタリズム!

    造り過ぎた。 無限の需要を当て込んで国家の持ち得る生産力のあらん限りを発動させた、その結果。 第一次世界大戦後のアメリカは、げに恐るべき「船余り」に苦しめられる目に遭った。 (終戦の日のアメリカ) サンフランシスコに、シアトルに、タコマに、ポートランドに、それから勿論ニューヨーク。――北米大陸東西沿岸、ありとあらゆる港湾に、外形(ガワ)だけ造って機関も何も入れてない、所謂半成状態の木造船がずらりと並んでいたものだ。 当時アメリカを旅行した日本人のほとんどが、およそこの種の豪華なる「船の寿司詰め」状態を目の当たりにして驚倒し、その感情の振幅を紀行文に記入(つけ)ている。 有名どころを挙げるなら、…

  • 酔わずに何の人生か

    アメリカ政府がジャガイモを「野菜」ではなく「穀物」と認定せんとしていると、そんな挙動(うごき)が濃厚なりと仄聞し、思い出したことがある。 そういえば明治時代にも、合衆国は食品の分類如何(いかん)で揉めていた。新規のとある輸入品、日本酒をどのカテゴリにぶち込んだらいいのかで、お偉方が意見を闘わせたものだ。 酩酊感を齎すが、あからさまにビールではない、蒸留過程も経ていない、シャンパンともどうやら違う、なら何だ(・・・・)。何の仲間に含めればいい? ――なにしろ事は関税率に直接関わる沙汰だけに、財務省の役人どもの関心たるや並でない。眼を血走らせ、眉間の皴も濃く、深く。本気の注意を向けていた。 豈図ら…

  • 便所と大臣

    文部大臣多しといえど、学校視察に向かう都度、便所の隅まで目を光らせて敢えて憚らなんだのは、およそ中橋徳五郎ぐらいのものであったろう。 話は尾籠に属するようで若干引け目を感じるが、これは至って真面目なことだ。 少なくとも中橋大臣本人は、猟奇趣味にも変態性欲を満たす為にもあらずして、己が職務を全うするのに不可欠なりと判断し、この上なく真剣に、信念を持ってやっていた。 (フリーゲーム『操』より) なんでも彼に言わせれば、便所の壁こそ学生が、もっとも赤裸に、明け透けに、言論戦を展開できる場所なのだとか。なるほど確かにSNSも、電子掲示板すらも未発生な彼の時代。心の澱を吐き出す場所は現代よりもずっと限定…

  • 壁に耳あり障子に目あり、ならもう全部焼き払え

    屋根に関して、まま行政はやかましい。 東京、神奈川、京都あたりの一部地域でソーラーパネルの据え付けが義務化されつつあるように。 明治四十年代も、市民の頭上に「官」が嘴を入れてきた。茅葺屋根の根絶を、「お上」の威光を以ってして推し進めんとしたものだ。 「家屋其他建物の新築改築又は増築を為さむとするものは、瓦石其他の不燃物質を以て其屋上を覆復し、現在の燃質物屋上は十箇年以内に改葺する事とし…(中略)…違背したる者は二円以上十円以下の罰金に処す」 警視庁の名に於いて、如上の趣旨のお達しが発令されたわけである。 時恰も明治四十年、五月十六日だった。 (江戸東京たてもの園にて撮影) まさか当時の警察幹部…

  • ナイフ一本、返り討ち

    研師にして剣士。 どちらの手腕(うで)も紛うことなき一級品。 そのまま時代劇中のキャラクターに具せそうな、――山尾省三はとかく刃物の扱いに熟達したる者だった。 (『Ghost of Tsushima』より、刀鍛冶) 米寿を超えてなおも現役。髪は落ち、皮膚は弛んで白髭をちぢれさせようと、指先の冴えは失わぬ。鳥取県は米子城下の四日市に居を構え、農具や庖丁等を手入れし日々の稼ぎに充てていた。 職人として好ましき老い方であるに違いない。「生涯現役」、ほぼほぼ理想に近かろう。 そういう山尾省三が、どうしたわけか、あるとき人を刺殺した。 正確な日付を示すなら、昭和五年の三月二日。 相手は若齢二十七歳、山尾…

  • 外面菩薩、内心夜叉

    役者というのは結婚すると人気が落ちる。 たった一人の生涯の伴侶を得ることは、何百、何千、何万倍の、異性のファンを失うのと引き換えである。 この俗説は、果たして真なりや否や――。 「そういうことは、事実、けっこう御座います」 神妙な面持ちで頷いたのは、六代目尾上菊五郎。 (Wikipediaより、六代目尾上菊五郎) 若干二十三歳の折、妻を迎えてまだ一年も経ていない、初々しい身であれど。効果というか周囲の変化は激甚で、嫌でもはっきり自覚せずにはいられない、猛烈性を帯びていた。 地殻変動にも喩うべき、ファン層の入れ替わりがあったのだ。 「独身時代の贔屓は婦人に多く、妻を有してより後の贔屓は男に多けれ…

  • 喜ばしき欠落

    明治三十九年一月十四日午前十時三十九分、東京、新橋駅頭は空前の熱気に包まれた。 凱旋したのだ、英雄が。 日露戦争の将星人傑多しといえど、わけても一際異彩を放つ、嚇灼たる武勲所有者。おそらくは東郷平八郎と国民人気を二分する、陸軍界に於ける聖将。第三軍司令官、乃木希典大将が、とうとう帝都に帰還した。 (水師営にて) いやもう、人、人、人である。 強きを欲し、強きに焦がれ、強きに向かう日本人の性情が極端に発揮されたと見るべきか。東亜に向かって伸ばされた帝政ロシアの魔の手を払い、みごと勝利をもぎとった、烈士の姿を一目(ひとめ)なりとも拝まんと、殺到して已まぬ民。東京どころか日本中の蒼生が新橋駅を中心と…

  • 尊皇攘夷の秋は今 ―明治三十七年、対馬―

    もはや開戦秒読みの時期。 再三の撤兵要求を悉く無視し撥ねつけて、帝政ロシアが持てる力と欲望を極東地域に集中しつつあったころ。 スラヴ民族の本能的な南下運動を阻まんと、大和民族が乾坤一擲、狂い博奕の大勝負に挑まんとしていたあの時分、すなわち明治三十七年、日露戦争開戦間際。 『報知新聞』に投書があった。 送り手は、玄界灘の一島嶼、対馬に住まう老人である。 (『Ghost of Tsushima』より) (ははあ) 担当記者は内心密かに、 (来るべきものがついに来たか) と頷いた。 中世期、元寇という日本史上稀にみる本格的な対外戦争を経験した土地だけに、およそこの種の騒ぎには敏感たらざるを得ないのだ…

  • 口内衛生小奇譚

    虫歯の痛みを鎮静させるためとはいえど、蛭を口に含むなど、考えただけでおぞましい。 到底無理だ。ヒポクラテスの勧めでも、鄭重に謝絶するレベル。万が一、喉の奥へと進まれて、食道にでも貼り付かれたらなんとする。不安で不安で、神経衰弱待ったなしではあるまいか。 (Wikipediaより、ヤマビル) 論外もいいとこに思えるが、しかしそういう療法が、嘗て本当に実在(あ)ったのだから驚きだ。前回示した『家庭療法全集』中に見付けてしまった項である。 「痛む歯の歯茎に、蛭をつけると、歯痛が止まる。膿を持ったのでも治る。蛭のつけ方は、巻煙草の吸口のやうに丸めた紙の中に、蛭を一匹入れて歯茎にぴったりと当てがって吸ひ…

  • 附録戦争

    猫を狂わせることだけがマタタビという植物の全能力ではないらしい。 保温効果たっぷりの良質な入浴剤として、人類(ヒト)の役にも立たせ得る。「五匁くらゐを袋に入れ、約二升くらゐの水で充分に煎じ、その汁をお風呂に入れて入ります。少しも厭な臭ひもなく大変よい気持です。このお湯は、少しくらゐ長湯しても、のぼせることがなく、上ってからも、随分長い間、体中がぽかぽかしてゐます」――こういう記述、用法が、戦前刷られた『家庭療法全集』中に載っているのだ。 如何にも古書でございといった、もう見るからにくたびれきったこの一書。 もと(・・)を糾せば単体で売り出された品でなく、婦人雑誌『主婦の友』昭和六年一月号の附録…

  • Malignant tumor ―不幸な双子―

    たぶん、おそらく、十中八九、畸形嚢腫なのだろう。 にしてもなんてところに出来る。 時は昭和五年、秋。山口県赤十字病院は佐藤外科医長執刀のもと、二十一歳青年の睾丸肥大を手術した。 (Wikipediaより、山口県赤十字病院) 患者にとっては十年来のわずらいになる。 十歳のころ、初めて股間に違和を覚えた。 小さなしこりに過ぎないが、確実に「何か」がそこにある。少年が成長するにつれ、「何か」も併せて体積を増し、少年から青年へ、身体が闌(た)ける時分には、もはや自然治癒などと希望(のぞ)むも愚かな、そういう規模に成り遂げた。 二十歳(はたち)の峠を過ぎたころ、いよいよ日常生活に支障を来すまでになる。金…

  • 米食ナショナリズム

    嘗て戸川秋骨は、日本人を「米の飯と、加減の宜い漬けものがなくては、夜が明けない」民族なりと定義した。 実に単純で、わかりよく、反論の余地のないことだ。 筆者としても戸川の論を首の骨が折れるほど力強く肯定したい。 美しく炊きあがった銀シャリには一種の威厳が付き纏う。 この感動を共有し得る者こそが、つまるところは日本人ではなかろうか。 福澤諭吉先生が保健のために日々嗜んだ運動は、散歩に居合い、それに加えて「米搗き」だった。本人の言葉を藉りるなら、「宵は早く寝て朝早く起き、食事前に一里半許り芝の三光町よりして麻布古川辺の野外を少年生徒と共に散策し、午後は居合を抜き、又約一時間米を搗き、而して晩餐の時…

  • 昭和五年の文士たち

    清廉居士、糞真面目、単純馬鹿、自粛厨、野暮天、潔癖症的正義漢――。 呼び名は多岐に及ぼうが、ここでは敢えて「確信犯予備軍」と、そういう区分けをしてみたい。 実に厄介な連中だ。 昭和五年の七月である、久米正雄が大衆向けに麻雀指南を施す運びと相成った。ラジオを通じて、電波に乗せて、『麻雀と人生』と銘打った斯道の講義を試みたのだ。 宣伝に凝っただけあって、前評判は上々である。 放送開始時刻たる、六日の午後六時にちゃんとラジオの前に座れるように多くの中年男性が予定調整に勤しんだ。 ところが前日、すなわち五日午後八時。局の電話が鳴り響き、応対すればどうだろう。 「久米の野郎を殺してやる、首を洗って待って…

  • 午年、午の日、午の刻

    案内状が舞い込んだ。 同窓会の開催を報せる趣旨のものである。 一九三〇年のことだった。一八七〇年生まれの戸川秋骨の身にとって――正確には一八七一年三月の「早生まれ」ではあるのだが、本人が「自分は一八七〇年の生まれだ」と繰り返し主張するがゆえ、ここではそれに従おう――、このとしは丁度六十歳目、還暦という人生の大きな節目に相当(あ)たる。 それにかこつけ、久方ぶりに小学校のクラスメイトで集おうぜ、わっと騒いで、旧交を温め合おうじゃねえか――と、つまりはそんな誘いであった。 聖書の登場人物で誰が一番好きかと問われポンテオ・ピラトと即答し、十二使途には「耶蘇の殺されたのは気の毒といへば気の毒だが、その…

  • ドイツに学べ ―牛乳讃歌―

    「日本人はもっと牛を飼わなきゃイカン。牛を殖やして、殖やしまくって、肉も喰らえば乳も飲め。そのようにして西洋人と渡り合うのに足るだけの、丈夫な身体を作らにゃイカン」 維新成立早々に、社会のある一部から盛り上がった掛け声だ。 畜産を盛んにせよという、つまりはそういう趣旨である。 (北大農学部の牛) 御国のためなら是非もなし。「追いつけ・追い越せ」精神を色濃く反映しているだけに、官民問わず賛同者は多かった。 福澤諭吉も、その顕著なる一人であろう。 「牛乳の功能は牛肉よりも尚更に大なり。 熱病労症等、其外都て身体虚弱なる者には欠くべからざるの妙品、仮令何等の良薬あるも牛乳を以て根気を養はざれば良薬も…

  • 赤門小話

    震度七は何物をも逃さない。 東京帝国大学の象徴たる赤門も、大正十二年九月一日、大震災の衝撃に、無傷で耐えれはしなかった。 無傷どころの騒ぎではない。木ノ葉よろしく瓦は落ちるし、土台は東に傾くし。おまけにその状態のまま長くほっぽかれた所為で、草は生えるわ朱は剥がれるわ、目も当てられない悲況に堕ちた。 将軍家の姫君を、加賀百万石前田家に嫁入りさせた際に於いての「引き出物」、由緒正しき持参門とて、儚や幽霊屋敷も同じ、浮世の無常を物語る、格好の縁(よすが)たるばかり。 散々たるその落魄ぶりを、 「赤門と云へば東京帝国大学の名称よりずっと通りのいゝあこがれの的であったほど有名であったが、初めてこの門を見…

  • 東京帝大、異常あり

    大正十四年である、東大生が鉄道自殺をやらかした。 季節は盛夏、空の青さは嫌味なまでに濃く、深く。雲が層々と峰をなす、とても暑い日であった。 (東京大学) 苛烈な太陽光線が、散乱した血や臓物に容赦なく浴びせかけられる。湿度の高さも相俟って、たちまち蒸されるヒトの残骸。鉄路の上の悪臭は、形容不能な物凄さであったろう。清掃員の労苦たるや知るべしだ。 懐からは案の定、遺書と思しき封筒が。 そこまでは、まあ、珍しくない、予定調和といっていい。毎月何件かは起きる、典型的な鉄道往生の域を出ぬ。 しかし、しかしだ。動機を探る目的で遺書を開いた時点から、にわかに流れが変化(かわ)りだす。 (なんじゃ、こりゃ) …

  • 幻燈 ―夢と現を繋ぐもの―

    銀幕で濡れ場が開始(はじ)まると、客席中にもつられて血を熱くして、みるみる脳まで茹であがり、一切の思慮を蕩けさせ、過去も未来もまるきり喪失、ただ現在(いま)だけの、現在確かに存在している衝動だけの塊と化し、そのままそこで自分等もおっぱじめ(・・・・・)ちまう(・・・)奴(バカ)がいる。 これは戦前、白黒映画、どころか声も入っていないサイレントキネマの時代から、屡々生起し、問題視された事態であった。 (Wikipediaより、ローヤル映写機) 福岡県庁保安課による調査記録に基けば、昭和四年に劇場内にてつまりその、暗がりにまぎれてみだらなことをしたというので、八幡市だけで女性六名、男性十六名が捕ま…

  • 燃ゆる如月

    遡ること九十四年、昭和五年のちょうど今日。 西紀に換算(なお)せば一九三〇年の、二月二十四日のことだ。 中央気象台は異例の記録に揺れていた。当日の最高気温として、寒暖計は24.9℃なる夏日寸前を示したからだ。 (中央気象台) 季節外れの高温は関東平野のみならず九州から奥羽まで、日本列島全域にて観測されたことであり、 「今まで生きてきて、こんな二月は経験したことがない」「とても炬燵に足なんぞ突っ込んじゃあいられんなあ」 と、腰の曲がった老人たちまで涼風(かぜ)を求めて戸外に出てはさざめき合ったそうである。 地球はときどき、まるで思い出すように、こんな乱調をしでかすらしい。江戸期以来の小氷河期が未…

  • 我は越後の天狗也

    姓は石黒、名は政元。 どこぞの軍医総監殿と同じ名字であるものの、血のつながりは特にない。 越後国の産である。 物心ついた時には既に、彼は己の特性をはっきり自覚し終えていた。 どんな高所に立とうとも、少しも恐いと思えない。 他の童が脚を竦ます年代物の吊り橋を、鼻歌まじりに踏破する。家の屋根でも、鎮守の森の御神木でも、するする登って下界の眺めを楽しめる。なんならごろりと寝そべって、昼寝だって出来るのだ。 (『北越雪譜』より) 「坊ッ、危ない!」 良識的な周囲(まわり)の大人が悲鳴まじりに叫んでも、蛙の面に小便で毫も性行を改めぬ。どころかそういう年長者の狼狽を、 (どこが危ないのだ、こんな簡単な遊び…

  • 人に悪意あり

    その新聞は、立て続けに名を変えた。 創刊当時――明治十九年九月には『商業電報』であったのが、およそ一年半後には『東京電報』と改めて、更にそこから一年未満、ものの十ヶ月で再度改名、四文字から二文字へ、『日本』として新生している。 以後は漸く落ち着きを得たものらしい。大正三年十二月の終刊の日に至るまで、この紙名(カンバン)を掲げ続けた。 (Wikipediaより、陸羯南。『日本』新聞主筆兼社長) ――そういう『日本』の報道に。 ちょっとした愚痴、泣き言の類を見出した。重野安繹の挙動をめぐる一幕だ。「抹殺博士」と、渾名で呼んでしまった方が理解は早いやも知れぬ。日本史学に西洋的な実証主義を持ち込んで、…

  • 脳力と品性の不一致

    脳髄の出来と品位の高下は必ずしも一致せぬ、いやいやむしろ、釣り合う方こそ珍しい。 禍乱の因子(タネ)はいついつだとてそこ(・・)にある。才に恵まれ生まれ落ちると人間は、増上慢になりがちだ。あまりに容易く世界のすべてを見下して、「自分以外の誰も彼もが馬鹿に見えて仕方なくなる色眼鏡」を無自覚のまま装着(かけ)ちまう。周囲はむろん、本人にとっても不幸なことだ。 なればこそ、脳髄の出来と品性と、それから身体能力までもが見事に一致した漢(おとこ)、嘉納治五郎は言ったのだろう、 「品性の伴はない才能は世に害をなす事が少なくないが、才能の伴はない品性は、よし大裨益をなす事がないにせよ、害を及ぼすことはないの…

  • 日本、弥栄

    日本人の幸福は、その国内に異人種の存在しないことである。 維新このかた一世紀、外遊を試みた人々が、口を揃えて喋ったことだ。 鶴見祐輔、小林一三、煙山専太郎あたり――「有名どころ」の紀行文を捲ってみても、その(・・)一点に限っては同じ感慨を共有している。 (小林一三、晩年の姿) 外に出てみて初めて理解(わか)るありがたみ。――「ヨーロッパに参りますと、同じく財産を沢山持って居り、又社交上の位置も殆ど同じであっても、人種の異(ちが)ふ為に或者と交らぬとか、或者の言葉は信用せぬとかいふ傾が大分あるやうであります。之は諸国を廻るにつけて何処の国でも私の感じた一つの点であります」とは、明治の末ごろ、中島…

  • 明治監獄小綺譚

    明治十二年は囚人の取り扱い上に、色々と進展が見られた年だ。 たとえば皇居の草刈りである。 日本のあらゆる権威の根源、 皇国を皇国たらしめる御方、 すめらみことが坐する場所。 重要どころの騒ぎではない、そういう謂わば聖域を、美しいまま保つ作業は従来府庁の役目であった。 が、四月から、これが変わった。警視局が代わって任に就くことになり、移譲早々、彼らは皇居周辺の浮草並びに野草刈り取り作業に関し、すべて囚人の手によってこれを致す(・・)と決めたのだ。 罪を犯して裁かれた――懲役に在る身といえど、安易に「穢れ」扱いするな。そういう意図を迂遠に籠めていたのだろうか。でなくば「浄域」を管理するのに、態々彼…

  • 水利を図れや日本人

    日本人とは、井戸掘り民族なのではないか? 妙な言い回しになるが、そうだとしか思えない。 海の向こうに巣立っていった同胞たちの美談といえば、十に七八、それ(・・)である。 (江戸東京たてもの園にて撮影) アフリカ、中東、東南アジア、煎じ詰めれば発展途上諸国に於いて、言語の壁にも、甚だ不良な治安にも、決してめげる(・・・)ことなしに、時間と熱意を代価に捧げ、ついに「水の手」を確保した――と、大概そんな筋だろう。 全地球的観点から眺めても、清冽かつ豊富なる日本国の水資源。ありあまるほどの恩恵を、大して意識することもなく――「日本人は水と安全はタダと思っている」――享受し育った身としては、黄土色の濁り…

  • つれづれなるままに

    書棚を飾る『蠅と蛍』。 佐藤惣之助の想痕、あるいは随筆集。神保町のワゴンから五百円(ワンコイン)にて回収してきた品である。 本書の見開き部分には、 必要最低限度といった、ごく控え目な書き込みが、これこの通り為されてる。 白楊 辰澤様 と読むのであろう。 白楊――。 佐藤惣之助の雅号ではない。 では誰だ。 画家である。 本書の絵画装幀を担当したる絵描きの名。それが井上白楊である。十中八九、この人からの贈り物であったろう。 受け手側たる「辰澤様」がいったい誰を指すものか、こちらはどうにもわからない。個人的に親交のあった者であろうか? とまれかくまれ、著者謹呈は屡々見たし持ってるが、こういうケースは…

  • 愛は努力だ ―身持ちの堅い女たち―

    作品から作者自身の性格を推し量るのは容易なようで難しい。 あんな小説を書いていながら紫式部本人は身持ちがおっそろしく堅い、ほとんど時代の雰囲気にそぐわないほど頑なな、あらゆる誘惑を撥ね退けて貞操を断固守り抜く、まるで淑女の鑑のような御人柄であったとか。 (viprpg『かけろ!やみっち!!』より) 少なくとも与謝野晶子はそう信じていた。日本で初めて『源氏物語』の現代語訳を成し遂げて、しかもそれでも飽き足らず、『紫式部日記』すら新約せんと試みた、そして現に果たしたところのこの人は、ほとんど崇拝の領域で紫式部に親炙しきっていたらしい。 まあ実際、原著に対する愛が無ければ良き翻訳など到底望めぬモノだ…

  • 五千円になった人

    新渡戸稲造には日課があった。 本人の語りによるものだから間違いはない。それは札幌農学校に教鞭をとっていた時分、己に課した習慣だ。 (北海道帝国大学) 授業のために、指定の教場へ向かう都度、新渡戸はいきなり扉を開けず、把手(とって)を握り締めたまま、しばし瞑目、心の中で唱えたという。 ――生徒は大切である、仮令無礼なことがあり、又は癪に障ることがあっても必ず親切に導かねばならぬ、妄りに怒ってはならぬ。 自分で自分に暗示をかけたといっていい。 おまけに一日何回も、凄い厚塗りであったろう。 それだけ入念に細工をしても、「教場に入って居ると何時しかこの心がけを忘れることもあった」――我慢しきれずブチ切…

  • 九十九人の残留者

    大正九年十月の国勢調査に従えば、当時樺太――むろん南半、日本領――に居住していたロシア人の総数は、ギリギリ三桁に届かない、九十九人だったとか。 明治三十八年のポーツマス条約締結時、つまりこの地が「日本」になった直後では、およそ二百人ほどがあくまで居残ることを選んで引き揚げを拒絶したというのに。指折り数えて二十年、ずいぶん減ったものである。 (Wikipediaより、樺太の残留ロシア人) まあ、あと何年かしたならば、革命で祖国に居場所をなくした、いわゆる「白系ロシア人」らが東の果てのこの地にもはるばる流れ着いてきて、少しは人口恢復に寄与してくれる次第であるが。 とまれかくまれ、「丸太作りの小屋に…

  • 赤い国へと、血は流れ

    日本人が死亡した。 遠い異境の地に於いて、政変に巻き込まれた所為だ。 政変とは、すなわちロシア二月革命。ペトログラードで流された血に、大和民族の赤色も、いくらか混じっていたわけだ。 (Wikipediaより、二月革命) その死に様は陰鬱に彩られている。彼は駐在武官でも、大使館の職員にもあらずして、全然一個の商売人の身であった。 純然たる民間人にも拘らず、居てはならない空間に、あってはならない一刹那、身を置いてしまったばっかりに、頭を砕かれ、むごったらしい屍を晒す破目になってしまった。 不運としかいいようがない、その男の名は牧瀬豊彦。 現地に於ける高田商会の主任であった。 (Wikipediaよ…

  • 空の鐘楼

    奥平謙輔が実権者として佐渡ヶ島に乗り込んだのは、明治元年十一月のことだった。 翌年八月には職を擲(なげう)って帰郷とあるから、彼の統治は一年足らず、十ヶ月かそこらに過ぎない。 だがしかし、と言うべきか。斯く短期にも拘らず、佐渡ヶ島が負わされた傷痕たるや重大で、まこと瞠若に値する、戦慄すべきものがある。 折から高まりつつあった廃仏の凶風(かぜ)。隠そうにも隠しきれない維新史の恥部。神仏分離の実行に、この長州系維新志士は度外れた情熱を発揮した――そりゃもう派手にやっちまった(・・・・・・)らしいのだ。 (Wikipediaより、佐渡ヶ島尖閣湾) 後年『東京日日新聞』所属の記者が該地を訪れ、物したル…

  • 騙して悪いが ―大正河豚毒浪漫譚―

    フグは身近な毒物だ。 入手が容易で、 高い致死性をもっていて、 おまけに日本人ならば、ほとんど誰もがその性質を知っている。 「喰えば死ぬ」という共通認識、この普遍性がミソなのだ。この特徴ゆえ、他人を揶揄う材料として、フグは非常に便利であった。 (Wikipediaより、クサフグ) 鯛なり鱈なり何なりと、別な魚類と偽って、こっそりフグを食べさせて。しばらくしてから――胃洗浄しても無駄な時分になってから、 「ありゃ実は……」 と、おどろおどろしくバラすのは、もはや定番のネタである。やられた方は蒼褪めて、瘧(おこり)のように慄えだす。そこを愉しむ寸法である。 人が悪いと言えばそう、毫も反論の余地がな…

  • 明治生まれのフェミニスト

    与謝野晶子は共学推進論者であった。 日本列島全土に於いて、男女席を同じゅうして学ぶ環境を創り出す。七つの峠を越えようが、敢えて隔てる必要はない。どんどん机をくっつけてゆけ。そういうことを念願とした人だった。 「さあ、それは」 いくらなんでも度が過ぎる、無意味なまでに極端に突っ走った話じゃないか――。 ある場面にて難詰されて、晶子、負けじと返した言葉が強い。 「逆ですよ。男は女に、女は男に、早いうちから慣れさせないと、後々突飛な真似をする。そうなってからでは遅いのです」 突飛な真似とは要するに、情死、駈け落ち、多淫に漁色、数次に亙って結婚離婚を繰り返す病的心理状態等々、そういう聞くだに忌まわしい…

  • 「自由」の重みを感じるか

    明治十年代半ば、自由民権運動は、すっかり時代の「流行り物」と化していた。 大阪あたりの抜け目のない商人(あきんど)が、「自由餅」だの「改新まんじゅう」だの何だのと、既存の品に耳触りのいい単語をさかんに焼き印し、たったそれだけの工夫であるにも拘らず、従来とは比較にならない、素ん晴らしい売れ行きを成就したのは、べつにいい。 後年早稲田の門前で「ホラせんべい」というのを売って――言うまでもなく校租大隈重信の大風呂敷を揶揄ったものだ――、まんまと地元の名物になりおおせたのと一般で、商法としてはむしろ王道に近いゆえ。 (viprpg『ライチエクスチェンジ』より) だがしかし、新生児の命名に「自由太郎」や…

  • 不良少年とばっちり

    北越屋が営業停止処分を食った。 理由はいわゆる、未成年との淫行である。 店の在所は浅草北部、新吉原の京町一丁目のあたり。なにを取り扱う店か、もうこれだけで凡そ察しがつくだろう。 想像通りだ。男どもが持て余す、日々の精気の発散場。血の滾りを抑えかねたる野郎どもを客として、紅燈緑酒の綺羅を張り桃色遊戯の悦楽(たのしみ)を提供するを事とする、典型的な遊廓である。 ――その北越屋に、柴田赤太郎なる男子が客として登楼(あが)り込んだのは、明治十七年七月十五日であった。 (Wikipediaより、新吉原仲の街) 赤太郎はひとばん遊び、翌十六日に帰っていった。 現象としてはそれだけである。相手役の遊女(おん…

  • 嘘か真か津田梅子

    津田梅子が光源氏を嫌っていたと示す逸話が世にはある。 英訳された『源氏物語』の校正作業を頼まれて、しかし内容の卑猥さゆえに断然これを拒絶した、と。こんなのはポルノと変わりなし――と、激しく罵りさえしたと。だいたいそんな筋だった。 目下、世間はこのエピソードを専ら「ガセ」と認識している。妄想の産物、学術的な裏付けは何一つないにも拘らず、取り合わせの妙、構図自体の面白味に引っ張られ、とめどもなく拡散(ひろま)ったデマ情報であるのだと。 (Wikipediaより、津田梅子) ところがだ。明治十七年十月二十日の『今日新聞』を覗いてみると、こんな記述が目に入る。 「いづれの御時にか勝れて時めき給ふ参議在…

  • 続・海原は誰のものなのか ―天下皆これ禽獣世界―

    前回の記事に追記する。 明治十五年度に於けるオットセイの総捕獲量が判明(みえ)てきた。 その数、実に二万七百匹以上。剥がれた皮の枚数のみに限定してさえコレだから、実態としてはもう幾ばくか上乗せされることだろう。大漁、豊漁、「当たり年」とはよくも言ったり。冒険的な外国漁船の跳梁で、日本の北の海獣はまさに虐殺されたのだ。 (Wikipediaより、キタオットセイ) 「忌々しい毛唐めが。やつら、程度を弁えぬ」「人の庭先で好き放題しおってからに。もはや一刻の猶予もならぬぞ」 加減を知らぬ根こそぎぶりに、政府も胆を潰したか。 法規制が急がれて、その翌々年、成立をみた。布告内容を以下に引く。 太政官第拾六…

  • 海原は誰のものなのか

    色違いは持て囃される。 みんな奇妙なのが好きだ。 明治十五年の晩夏、北海道増毛郡別苅村にて、ひとりの漁夫が白いナマコを引き揚げた。 白皮症とは独り哺乳類のみならず、棘皮動物に於いてさえ観測されるものらしい。たちまち大騒ぎになった。 抑々からして造化の神の悪ふざけにより誕生(うま)れたみたいな形状(かたち)をしているのがナマコ。 (Wikipediaより、ナマコ) ただでさえわけがわからないのに、かてて加えて雪をも欺く白さとあってはもう、もはや、一周まわって神々しさすら感ぜられるに違いない。 当時の相場からいって、干しナマコの一斤が、だいたい五十銭であった。 ところがたった一匹の白いナマコが出現…

  • 大和民族の精神解剖 ―占領軍の立場から―

    日本国憲法は前文からして間違っている。「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して」? 寝言をほざくな、そんなの(・・・・)が、日本の周囲(まわり)のいったい何処に存在してやがるのか。 支那に南北朝鮮に、それからもちろんロシアも含め。どいつもこいつも隙あらば、こちらの肉を啖(くら)わんとする餓虎ぞろいではあるまいか。 いや、彼らとて、あるいは平和を愛するだろう。だがそれ以上に自分の財布が満ちること、他者を踏みつけ、苦しませ、見下すことで味わえる優越感の方をこそ、より濃厚に愛すのだ。 そんな相手に「公正」を期待するなどと、アナコンダと添い寝するより愚かしい、信じて背中を預ければ、えたり(・・・)と…

  • 惜別 ―さらば、福翁―

    明治六年の発布以後、徴兵令は数次に亙って改訂され、補強され。より現実の事情に即した、洗練された形へと、段々進化していった。 初期のうちには結構あった「抜け道」、裏技の類にも、順次閉塞の目処がつき。 だが、なればこそ横着なる人心は、僅かに残った穴(・)めがけ、一か八かの吶喊を試みずにはいられない。 ――「戸主六十歳以上の嗣子は徴兵を猶予せらるゝ」。 穴(・)の中でもこの一条は、割合長く気息を保った方だった。 (Wikipediaより、徴兵検査通達書) 当局は何故こんな規定を態々設け、留めて置くに至ったか? 理由は、まあ、色々と、複雑多岐な事情とやらを勘案してのことだろう。 だがしかし、齎した結果…

  • ハワイ王国葬送歌

    ここに一書あり。 大雑把に分類すれば嘆願状に含まれる。 さるハワイアン女性からアメリカ国民全体へ訴えかけた文である。 一八九三年二月十三日というのが、その書の提出(だ)された日付であった。 左様、一八九三年、ハワイ王国落日の秋(とき)――。 (ハワイアンたち) 書き手は尋常(ただ)の女ではない。 やがて国を継ぐべき者だ。 その大任に相応しい「自分」を形成するために、故郷を遥か、地球の反対側まで行って研鑽に励んでいたところ、当の祖国が亡んだと、かたじけなくも現王は叛臣どもに取り囲まれて玉座を棄てるの已むを得ざるに至ったと、そんな悲報の入電だ。 疑いもなく踏みしめていた足元が、いきなり海に変化した…

  • 酔い痴れしもの

    日本土木会社の禄を食む若い衆五名がリンチ被害に遭ったのは、明治二十四年一月二十八日のはなし。「陸軍の街」青山で、その看板に相応しく、兵舎建設作業のために腕を揮っていたところ、突発したる沙汰だった。 (Wikipediaより、青山練兵場) 五人を囲むに、犯人たちは四十人もの多勢を以ってしたという。 「なんだ、てめえらァ!」 圧倒的な数の差だ。肉体労働を事として、如何に体力に自信があれど、覆せる不利でない。抵抗空しく、被害者たちは一方的に殴られ、蹴られ。意識に恍惚の皮膜がかかる間際まで、暴虐を加えられてしまった。 犯人たちの素性の方は、すぐ割れた。 そも、隠す気が無かったとすらいっていい。同業者(…

  • 赤く染まったハンガリー

    この世のどんな悪疫よりも性質(タチ)のわるい病患が、一次大戦終結後のヨーロッパに蔓延った。 共産主義のことである。 マルクス教と言い換えてもよい。 (Wikipediaより、カール・マルクス) イタリアでも、ポルトガルでもアカのカルトは跳梁し、社会を喰い荒らしていたが。とりわけ無惨であったのは、なんといってもハンガリーであったろう。 分類上、中欧となる彼の地では、革命により二重帝国を解消してからものの半年も経たないうちに再度革命が勃発し――どんな因果の間違いだろう、ふと気が付けば狂人が、国の牛耳を執っていた。 シベリアの丸太小屋にでも永遠に隔離しておかるべき、その男の名はベラ・クン若しくはクン…

  • 野心礼讃

    「歯科医ほどつまらぬものはない」 暗澹たること、鄙びた地方の墓掘り人足みたいな貌(かお)で、真鍋満太は言っていた。 自分で選び、自分で修めた道ながら、この職業の味気なさはどうだろう。毎晩毎夜、布団にもぐりこむ度に、我と我が身の儚さがここぞとばかりに押し寄せて、いっそ消滅したくなる。――そういう愚痴を、昭和十年前後に於いて、くどくど掻き口説いている。 「何故かと言って、考えてもみろ。俺が虫歯を治療(なお)してやって、大変見事に出来たとしよう。いや、仮定じゃなく、何度も何度もなんべんも、到底義歯とは見分けがつかぬ、生まれながらの歯みたいに、完璧に仕上げてきたんだが。すると患者はお定まりの口上を、 …

  • 昭和五年のパレスチナ

    第一次世界大戦勃発以前、パレスチナの地に居住していたユダヤ人は、ものの六万。 そこからバルフォア宣言を経て、彼の地がユダヤの国であると認められ、十三年が経過した。 すなわち一九三〇年。なんとはなしに区切りの良い数である。もうひとつ区切りのいいことに、当時パレスチナの人口は、およそ百万だったとか。うち八十万がアラビア人で、十六万がユダヤ人となっていた。 (アーサー・バルフォア) 十三年で、十万の増加。 少ない。 アラビア人からしてみれば、おそるべき侵食なのだろう。が、全世界に散在せるユダヤ人、総数ざっと千五百万との見積りから観測すれば、まったく取るにも足らないような、雀の涙も同然である。 この統…

  • 明星よ、ベツレヘムの空にあれ

    「暮の二十五日になると必ずクリスマスセールが始まる。日本にも多くのキリスト教徒が居るからキリスト降誕を記念する催しのあるのは当然だと思はれるけれども、日本のクリスマス騒ぎはあまり宗教的な意義はなく、無論キリスト降誕は無関係であるらしい。…(中略)…商店のクリスマス祭はつまり年末大売出しの一様式と解釈すればよいので、考へやうによってはこれもイエス・キリストの徳の現れであるかもしれない」 昭和十年の段階で、既に日本はこう(・・)だった。 (viprpg『やみっちらいちで適当に2』より) 親鸞上人の命日だろうと、ぜす・きりしとの生誕だろうと、別になんだって構わないのだ。細かい理屈は野暮である。そんな…

  • 昭和変態医人伝

    「結石の美しさを知っているかね?」 これはまたぞろ、レベルの高い変態が出た。 阿久津勉という医師に、初対面にて筆者がもった、偽らざる印象である。 (Wikipediaより、尿路結石) 「結石は、尿道にこう、膀胱鏡を差し込んで、膀胱内に転がってるのを見るのがいちばん美しい。指輪やネクタイピンにでもしたいぐらいの煌めきだ」 断っておくが、筆者(わたし)はべつに、話を盛ったりしていない。 本当にこういう意見を述べている、悪びれもせず堂々と。昭和十三年に物した『尿路の石』なる、蓋し直截な題字の下の随筆で――。 「ところがいざ取り出して、乾燥させてみた場合、結石の美はたちまち消え失せ、むしろ汚らしさばか…

  • 老練百智のブリティッシュ

    こと諜報の分野にかけて、英帝国は玄人である。 何故こんな事を知っているのか、何処からソレを掴んだか――。 いっそ魔術的とすら謳いたくなる暗中飛躍は舌を巻くより他なくて。――日本の古い仏教系新聞に、あの連中の底知れなさを仄めかす記事が載っている。 「岩倉公が先年英国に赴かれし時、同国女帝が日本の経典を好まるゝ由を聞かれ、帰朝の後一切経を送られしかば、彼の国よりも種々の珍書を同公に送られしが、今度又同国より、我邦古伝の貝多羅梵莢を写し贈りてよと請ひ来りしかど、南都法隆寺より献ぜし物は正倉院の勅封中にて間に合はず、其他は何れにあるか詳かならねば、右大臣より西京妙法院住職村田教正に依頼され、心当りの寺…

  • 小金井巡礼 ―江戸東京たてもの園を散策す―

    高橋是清邸に惹かれてやって来た。 江戸東京たてもの園、都立小金井公園の一角を占める野外博物館である。 その名の通り、十七世紀――江戸時代からこっちにかけて四百年、関東平野に築造されたあれやこれや(・・・・・・)の建物を、集めて維持して展示して、文化的価値を守護(まも)り且つまた発信にも努める施設。概要としてはこんなところでいいだろう。 蒼一色の空の下、堪能させていただいた。 適当に紹介していこう。 さても立派な門構えの向こう側にたたずむは、三井家11代当主、三井八郎右衛門高公氏の御宅。 和洋折衷の邸内に、 五三の桐や、 三つ葉葵の長持ちが、さも当然な顔つきで腰を下ろしているのを見ると、流石は天…

  • 諦めるしかない場面

    あとで聞いた話によると、地面が揺れて半刻ほどもせぬうちに、もう家財道具一式を大八車に積み込んで、雲を霞と安全地帯へ避難した途轍もない「利け者」が神田辺には居たらしい。 そいつの家には旧幕生まれの老人が猶もしぶとく生きていて、第一震を感じた瞬間、 (こいつはまずい) 絶対に大変なことになる、今日の夜には東京全市が火の海だ、留まっていては死ぬるのみ――と、脳天に電極を刺された如く、鮮やかに確信したそうな。 (八丈島の牛) 「急げ、逃げるぞ。もたもたするな」 口角泡を飛ばしつつ、ときに擂粉木で息子の尻をぶったたき、老人は家人に支度を強制。 (因業じじいめ、とうとう物に狂うたか) あご(・・)で使われ…

  • ヒポクラテスの薬膳

    脚を折ったら豚足を、モノが勃たなきゃオットセイの睾丸ないしは陰茎を。 病み苦しんでいる時は、患部と同じ部位をむさぼり喰うことで、恢復がより(・・)早くなる。 異類補類、同物同治の概念だ。 漢方、すなわち大陸由来の智慧として、一般には知られるが。――どうも、どうやら、この発想は、漢民族の専有物ではないらしい。 「古代ギリシャにもあった」 指摘したのは明治生まれの日本男児、伊藤靖なる男。 東京帝大薬学科の出身で、卒業後には技師として、製薬会社に腕をふるった――早い話が大正・昭和という時期の、クスリのエキスパートだった。 (八意永琳。薬と云えばこの人) 医史に通暁していても、さまで不思議はないだろう…

  • 白昼夢「大陸維新」

    頭山満が支那へと渡る、玄洋社の志士五人を連れて――。 この一報に、 「ただでは済まない、何かが起こる」 朝野官民のべつなく、実に多くの日本人が同じ戦慄に苛まれ、神経過敏に陥った。 (Wikipediaより、頭山満) まあ、無理はない。 なにせ、時期が時期だった。 明治四十四年十二月下旬なのである。 清帝国の断末魔、辛亥革命進行の、真っ只中ではあるまいか。 誰がどう見ても数百年に一度の変事。トンネル長屋の日雇い人足だろうとも、道で拾った新聞片手に ――過渡期だな。 と、訳知り顔で物々しく頷いたに相違ない、漢民族の正念場。新たな秩序が展(ひら)けるか、それとも地獄の蓋が開いて混沌が溢れ返るかの瀬戸…

  • 数は雄弁

    古書を渉猟していると、数字の羅列によく出逢う。 遭遇して当然だ。自論に箔を付けるため、正当性を押し出すために数の威力を借りるのは、古(いにしえ)よりの常套手段、王道中の王道ではあるまいか。 例の抜き書く癖により、気付けば随分その種のデータが手元に積み上げられていた。 (製本作業中…) 筆者個人の独断と偏見に基いて、特に印象深いのを幾つか抽出するのなら、例えばこれなどどうだろう。 ロンドンに於いて一歳中に消費する食料の統計左の如し。 〇魚類 四千億斤(ポンド) 〇牡蠣 五千億個 〇蟹 六千万個 〇牡牛 四十万頭 〇羊 百九十万頭 〇豚 二十五万頭 明治の黎明、村田文夫が世に著した『西洋見聞録』中…

  • ハミガキ、エンピツ、子規の歌

    「歯の健康」。 蓋し聴き慣れたフレーズである。 口腔衛生用品なんぞの「売り文句」として日常的に耳にする。 あまりに身近であり過ぎて、逆に注視しにくかったが――どうもこいつは相当以上に年季の入ったモノらしい。 具体的には百五十年以上前。維新早々、明治五年の段階で、大衆の目に既に触れていたようだ。 そのころ東京赤坂で輸入雑貨を扱っていた斎藤平兵衛なる者が、「独逸医方西洋歯磨」なる商品に関連し、こんな広告を出している。曰く、 「我国従来の歯磨は房州砂に色香を添、唯一朝の形容のみにて歯の健康に害(わる)し。抑此歯みがきは西洋の医方にして、第一に歯の根をかため、朽(くち)ず減(げん)ず動(うごか)ざるを…

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