ちょっと意外な感覚だ。 柴五郎におよそこの種の政治色は存在しないと勝手に思い込んでいた。 (Wikipediaより、柴五郎) 会津藩士の生き残り、『ある明治人の記録』にて世上に名高いこの人は、実に大正十三年春、とある右傾団体の発足に手を貸している。 手を貸していたどころではない、中核メンバー、旗頭の一角として積極的に活動していたらしいのだ。 団体の名は恢弘會。 「明治天皇の御遺徳を顕揚し今上陛下の聖旨を奉體して国民精神を作興し時弊を矯正し以て国体の清華を発揮せんこと」を目的に、同年四月三日を期して、九段偕行社に会場を借り、爆誕した団体である。 (Wikipediaより、九段坂) 場所が場所であ…