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2019/02/02

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  • 言葉の達人

    石黒忠悳が貴族院勅撰議員にえらばれたのは、明治三十五年のはなし。時あたかも第一次桂内閣が日本国の舵取りを担当していた頃である。 (Wikipediaより、貴族院 玉座) しかしながらこの選任は、べつに石黒本人が希望(のぞ)んだものでは有り得なかった。過去に如何なる猟官運動、自己推薦の類をも、石黒は行っていないのである。 推薦者は別にいた。 時の内閣総理大臣、桂太郎その人が、どうも強力に後押しをしたようだった。 そういう事情は、当たり前だが、任命の内示といっしょくた(・・・・・・)にして石黒本人の耳の奥にもしっかり届けられている。 (あいつめ。……) と、この五十男はそのとき咄嗟になにごとかを思…

  • おんな狩人

    女だてらに鳥撃ちとは珍しい。 ましてや大正の聖代に。──時代の空気に背くこと、おてんばどころの騒ぎではない、モダン・ガールともまた違う、破天荒な気性によって、世間の耳目をだいぶどよめかせた女性(ひと)は、大阪市に住む堤とみ子なる婦人。 同市に於いて特許代理業という怪っ態な仕事に就いていた、堤他彦(よそひこ)の細君である。 (大阪、難波橋) 鳥撃ちは、もともとこの他彦の──旦那様の趣味だった。 とみ子はというと盆栽いじりを専ら事とする人で、鉢に植えるに丁度いい樹を探すのに、山野を駆ける夫の後を屡々追っていったのが、彼女にやがて新たな扉を開かしめる基因(もとい)となった。 というのも、獲物を狙って…

  • 七転八倒赤十字

    社史を紐解けば大抵どこの企業でも創業間もない時分には、針山の上で火の車を廻すが如き苛酷な遣り繰り算段を経ているものであるのだが。──日本赤十字社という知らぬ者なき医療団体の上にさえ、およそその種の「苦労話」は見出せる。 (Wikipediaより、日本赤十字社本部) 日赤前史を語るに当たって外せないのが石黒忠悳。蓋し高名な陸軍軍医。同社にとっては重要極まる「産婆役」。座談の名手としても知られたこの彼は、その評判に偽りなしと自ずから聴者に悟らしめるような、内容のよく整頓されたみごとな回顧をあるタイミングでやっている。 曰く、 「何分創業間もない事であるから、赤十字の真髄が一般国民に判らないのである…

  • 永らえし者

    皇帝蒙塵。──敗戦国の悲況に堕ちたドイツを捨てて、ヴィルヘルムⅡ世は逃げ出した。 (Wikipediaより、ヴィルヘルムⅡ世) 理屈は立つ。 名目はいくらでも並べ得る。 「亡命」という政治的な用語を被せ、正当性の補強工事を行う余地はたん(・・)とある。 しかしながら取り残されたドイツ国民たちにとり、そんな努力がなんだろう。いくら抗弁されたとて、否、言い繕えば繕うほどに、「責任逃れ」の悪印象が強くなる。 ──陛下は我らを投げ捨てて、ひとり遁走しなされた。 ──祖国がどん底に陥った、いちばん大事なこの秋(とき)に。王者としてあるまじき、背信行為ではないか。 そのように糾弾されるのは避けられないこと…

  • 怨嗟のニッティ

    イタリアには怨念がある。 第一次世界大戦酣なる秋(とき)、連合側で参戦する見返りに、英仏が約した蜜のような条件を、戦後ごっそり反故にされた怨念が。 期待が大きかっただけ、失望もまたのっぴきならない水準に。このためいっとき講和会議の舞台から、代表者らが「堂々退場」する事態になったほど。どこぞの愛国詩人なぞ、悲憤慷慨募るあまりに血涙を流さんばかりの態で悔しがり、結句暴発、義勇兵を引き連れて「未回収のイタリア」を強引に回収せんとするロマンティックな軍事行動に敢えて踏み切る椿事もあった。 (Wikipediaより、ガブリエーレ・ダンヌンツィオ) ──話が違うではないか。 この叫びこそ戦後のイタリア人た…

  • 郷党意識 ─吉田と原と─

    平民宰相・原敬が暗殺者の兇刃を胸にぶち込まれたところ。 東京駅の一隅の、まさにその場所、その座標の床面に菱形の化粧レンガを嵌め込んで目印としておいたのは、吉田十一(そいち)の働きに因る。 二代目東京駅長を務めたこの人物は、原と同じく、岩手県の出身だった。 つまりは同郷。それだけにまた故人に対する思い入れもひとしお(・・・・)で、暗殺事件の直後こそ ──駅頭に記念碑を建てろ。 とか、 ──銅像を置いておくべきだ。 とか、顔じゅうを口にする剣幕で騒ぎまくっていたくせに、結局一個半個の案とても実現の運びに至らせず、御大将の遭難をいたずらに風化させてゆく政友会の無能忘恩だらしなさに内心大いに腹を立てて…

  • マリー・ベルという女

    社会に於いて「映画」の占める勢力が、政治家にも実業家にも――誰にとっても無視できないほど拡大してきたあの(・・)時分。 その勃興の勢いの、あんまりにもな著しさを不気味がり、なんとか頭を抑えんと手練手管を弄す手合いも、当然ながら存在していた。それはいい。そのこと自体は別条なんとも不思議がるには及ばない、作用反作用という物理学の初歩に過ぎない。 (Wikipediaより、大正時代の電器館) ただ、しかし。ラダイト精神逞しい、抑圧側の面子の中に「国立劇場」の俳優連の名前さえ見出し得るということは、ちょっと興味に値する。 正味、偽らず告白すると、ハハアらしいなと思ったものだ。新規なモノを無闇矢鱈に恐怖…

  • すすてんしやの船に乗り

    開国以来、宣教師らの熱意あふるる懸命な働きぶりがあったのにも拘らず、ついに日本社会には、キリスト教が勢力として大を誇るを得なかった。 この失敗の淵源は、果たして何処(いずこ)にこそ在りや。 ──あまりに明白、聖書の翻訳作業に際し、人を得られなかったゆえ。 と、そこへ責任を帰す向きが、世の一隅に見出せる。 文士に於いては、例えば正宗白鳥が、顕著な同調者であった。 (Wikipediaより、正宗白鳥) 彼は云う、 「英国のバイブルは、文章に於ても絶大の美と威力とを持ってゐて、その詩句は、妙音楽の如く英国民の耳に響いて、いつまでも忘れないほどの感動を与へたと云はれてゐるし、ルーテル訳の独文の聖書も強…

  • 国産映画前夜譚

    大正から昭和へと、世が移らんとした頃だ。国産奨励の掛け声が、ついに映画界にまで波及した。 日活の根岸耕一が、 「一年二百八十万」 と繰り返し、口やかましく言っている。大日本帝国が外国映画輸入のために年々支払う金額が、それぐらいになるのだ、と。 需要はある。 人々は映画に飢えている。 その渇望を癒やすのに、いついつまでも舶来物に頼りきりでは情けない。日本人の欲求は日本人みずからの手で作られた、国産品で満たさずしてなんとする。各々大いに奮起せよ。これはひとえに映画会社の利益問題のみならず、最近大蔵大臣のご執心たるいわゆる国際貸借の改善とやらを図る上でも一役買ってくれるはず。── なかなか大きな風呂…

  • 代用品時代 ─生糸の光沢翳る時─

    警鐘を鳴らす者がいた。 力いっぱい乱打したといっていい。 いずれ来る嵐の姿が彼の眼には鮮やかに幻視されていたからだ。 彼の名前は高岡斉。 大阪市立工業研究所のトップ、所長の任に在った男だ。 (称名寺にて撮影) この高岡の説くところを信ずれば、大正十一年既に、人造絹糸は天然絹糸を追い越した。少なくとも生産量の面に於いてはもはや逆転不能なほどに前者が後者を圧倒し、しかもその差は時間経過でこの先どんどん開いて行きそうなのである。 西暦にして一九二二年の段階で、「世界の天然絹糸の総産額は約六千五百万ポンドであるのに人造絹糸は八千万ポンドとなり、しかも米国ではこの内約二千三百万ポンド、即ち全世界の三割も…

  • 黄金週間日野歩き

    少し、日野市を歩きに行った。東京都のど真ん中、多摩川べりの街である。 (Wikipediaより、日野市位置) 新選組ゆかりの地として歴史好きの間では専ら名が知れている。土方歳三、井上源三郎を筆頭に、京に血雨を降らせまくった天然理心流の剣士、戦慄すべき狼どもはこのあたりから出てきた、と。 事実、電車を降りてすぐ、駅の掲示板上に「鬼の副長」の姿が見える。 「新選組のふるさと」という世にも貴重な資源をきっちり、有効活用しているようだ。実に結構なことだった。 新選組に、幕末に、意識が振れすぎた所為であろうか、何気なく市街(まち)を歩いていてもふと横切った板塀や、 ちょっとした小路の入口までもが妙に意味…

  • 政界ドブ浚い

    藤山雷太がもしも今に在ったなら、その名に負けない、さだめし太(ブット)いカミナリを日本政府に落とすであろう。 彼はかつて言っていた、 「我が国の現在は真に内憂外患交々至ると云ふ悲しむべき状態で国民は此際非常なる覚悟と決心を以って国家の前途に善処せねばならぬ、而して此国民の生活基礎は素より政治にあるが故、政治の良否は国民生活の安否を決する鍵である、…(中略)…金解禁でも物価問題でも又貿易振興策は自由保護何れの政策を採るにしても、国民の生活に触れたものでなければならぬ」 と。 (Wikipediaより、藤山雷太) 然るにだ。これを踏まえて見た場合、先日の農水大臣の、あのアピールはどうだろう。いった…

  • 五月一日 ─マルクス教徒の聖日に─

    大学教授の政治活動を禁ずるという内規に対し、吉野作造はさからわなかった。 否、さからうどころの騒ぎではなく、両手を広げて頷いて、さもなりなんと積極的な賛意を示す側だった。 (viprpg『やみっちサッカー』より) 理由はすなわちこう(・・)である、 「教授は教育と研究との重大な責務がある。真剣な政治運動に入らうとするならば、この重大な責務にさし障りを来すことは免れ得まいと思ふ。教授といふ地位は、これを充たす個人を離れて、学校に対し学生に対して重い責任のある地位だと思ふ。だから自分の政治的活動がこの教授としての仕事に差し障りを来すなら、その地位を後進に譲ることが正しいであらう。それで不安な場合に…

  • 同時代評 ─小作争議篇─

    群集心理は恐ろしい。 小作争議が激化して紛糾に紛糾を重ねると、「多数派」かつ「攻め手」たる小作側から急速に良心とか節度とか、分別とか見境とか、世間普通の水準で「正気」に属するあらゆるモノが消えてゆく。 我が意を通し勝利に至る為ならば、どんな非道も厭わない。闇討ち、放火もなんのその。地主当人のみならず、彼の親類知己縁者、掌中の珠と可愛がる童子童女に対しても、威脅圧迫は及ぶのだ。 「或地方では消防組を組織しても小作人の方で其指揮権を握り、地主の子弟にはなるべく危険な役目を仰付けるやうにして居る所もあれば、又小学校の児童の間にも地主の子女と小作人の子女とが相分れ、遊戯を共にすることなきは勿論、小作人…

  • 新参神格「孫逸仙」

    今更敢えて鹿爪らしく言うまでもない事実だが、人間は死後、神になり得る。 遺された者、弔う者らが死者を神座へ押し上げる。 大変な作業だ、人手は多ければ多いほどいい。 徳川家康が大権現に、 豊臣秀吉が大明神に、 菅原道真が天神様に、 それぞれ祭りあげられたように、生前現世で大なる功を成し遂げた、──英雄性を発揮すればするほどに、その霊魂が神性を帯びる見込みは高くなる。 (上野東照宮にて撮影) 孫文もまた、神になった。 彼亡き後の広州を──国民党の膝元を──三日も歩けば得心のゆくことである。劇場、学校、商店と、人の出入りの盛んな場所には必ず彼の肖像画が掲げられ、大抵の場合それは青天白日旗と遺訓と連れ…

  • 工匪跳梁、大陸赤化プレリュード

    軍閥打倒・支那統一の方便として、孫逸仙は赤色ロシアと手を組んだ。 モスクワが、コミンテルンがこの繋がりにどれほど執心していたか。ものの数年を出でずして送られて来た「顧問」の数が物語る。 軍事、教育、政務等々、各方面に合わせて二百人超だ。二百名を凌駕する赤色工作員たちが専門分野に食い込んで、「改革」「指導」の美名の下に組織の仕組みを根っ子からアカく染色していった。 おそるべき作業といっていい。 甲斐あって、たちまち支那の天地には「兵匪」に加えて「工匪」なる、──資本家憎しに脳細胞を専有されて、本来の業務もそっちのけ、ただひたすらに暴力的な階級闘争を事とする、元労働者の現ロクデナシ、そういう類の獣…

  • 美しき封建律

    人を殺ったら鉱山(ヤマ)に逃げ込め。 腕に覚えのある技師にとり、鉱山(ヤマ)は格好の逃避先、奉行所の詮索も届かない、藩邸同様ある種の治外法権だ。──… 江戸徳川の世に於いて、異常な速度で発達を遂げ来たった観念である。 山の腸(はらわた)、暗くうねった坑道(あな)の底には地上の法の支配とて、まず易々とは及ばない、そうした意味でも闇の領域が広がっていた。 そもそも鉱夫全般が幕府から特権を受けているのだ。 「山師金掘師、人を殺し山内に駆込むとも留置き、仔細を改め何事も山師金掘師の筋明白立候はゞ留置相働かせ可申事」。──たとえ人殺しであろうとも、事情を検(あらた)め人品を閲し役に立ちそうであるならば、…

  • 勝つまで止めぬ ─共に地獄に堕ちてでも─

    交戦一年を経たあたりから、帝政ドイツの外交態度は新傾向を帯びてきた。 講和への熱烈な欲求である。 ベルギー、ロシアは元よりとして、大日本帝国に対してまでも単独講和の打診があった。むろん、悉くを撥ねつけられた、実のならぬ花に過ぎないが、あったことはあったのだ。 戦争は勝っている間に畳むに限る。フリードリヒ大王やビスマルクを生み出した、恐るべきドイツ民族がその程度の要領を掴んでいない筈がない。彼らは実に常識的な、真っ当な手を打ったろう。 ただ、問題は、同じ理屈を英仏以下の、連合諸国の人々もごく当然に呑み込んでいたという点だ。 (フランスの列車砲) 「戦争は勝ってる内に終わらせるに限る」なら、裏を返…

  • 木堂むかしがたり

    あくまで犬養木堂の主観に基く印象である。 統計学的根拠ゼロ、およそ「正確な記録」とはとても呼べない代物ではあるものの、それでも当時の世相の一部を写し取ってはいるだろう。 ──文明開化の掛け声も初々しかった明治前期の日本で。 記者たらんとの志望に燃えて新聞社の戸を叩くのは、往々にして「御家人の道楽者のなれの果てか町家の道楽者の果てで」あったとか。だから彼らは「通人粋人ぞろひで宴会にでも出れば当今の無芸な記者諸君とちがってタイしたものだった」んだぜ、と。まさにそうした「当今の無芸な記者諸君」を睥睨し、憲政の神は豪放に気を吐いている。 わけても特に水際立った、目から鼻に抜けるが如き才覚ぶりを発揮して…

  • 外交官と宣教師 ─明治の苦労人たちよ─

    森有礼が駐米外交官として精力的に活動していた時期と云うから、つまりは明治四、五年あたりのことだろう。 (Wikipediaより、森有礼) 筋金入りの開明主義で鳴らしたこの人物は、しかし一日(いちじつ)、ともすれば、自分以上の熱量を宿した者に遭遇し、狼狽を余儀なくされている。「神の愛を未だに知らず猶も迷いの中に居る哀れな日本人たち」を教化したくて堪らない、宣教師の一団である。 日本に渡航(わた)ったこの連中が、 「活動範囲を居留地内に限定されては、到底使命を果せない」 と、口を揃えて文句を言って、自国の外交筋を動かし、 「居留地云々に拘束されず、必要とあらば何処へでも布教に赴く特権を是非とも我ら…

  • 出稼ぎ目障りお断り

    一九二四年、連邦議会に提出された排日移民法案を、「新聞王」ウィリアム・ランドルフ・ハーストは徹底的に首肯した。 彼のビジョンは米国が、少なくとも濠洲と同程度の有色人種排斥国と化するところにこそ在った。 (Wikipediaより、ハースト) これは誇張でも推量でもない。以下、本人の口吻をそのまま引かせていただこう。 「我等米人はオーストラリアと同等に絶対的に東洋人の侵入を防止せねばならぬ、単に白色人種の為めでなく、西洋人の生活の標準及び労働賃金の標準を維持する為めに東洋人の侵入を防止せねばならぬ。西洋文明の偉大なる業績は高き道徳及び生活水準に由来するものであって高き道徳標準は或る程度まで生活程度…

  • 共和国に死の香り

    占領からものの三ヶ月内外で、五十人もの死者が出た。 一九二三年、フランス・ベルギー軍によるルール占領を言っている。 同年四月十日に於けるヴィルヘルム・クーノの演説内容に則る限り、どうもそういうことになる。ワイマール共和国の首相閣下は、その日、以下の如くに述べたのだ。 「仏国兵士は頭髪一本をも損はざるにドイツ労働者五十名は己の血潮の中に斃れた。機関銃は未だ曾てドイツ人民の精神を奪った例がない。余は敢て世界各国民に問ふ、ドイツ国民は何時まで待てば世界は此の狂暴なる力の濫用に対して中止を命ずるのであるか」 と。 (Wikipediaより、ヴィルヘルム・クーノ) 悲愴としか言いようがない。 悲愴であろ…

  • たまには明るい話を ─五月病の予防薬─

    蛙鳴蝉噪、野次が飛ぶ、足踏みをする卓を拳固でぶっ叩く、挙句の果てには互いに胸倉掴み合い、柔道の技を競い合う。 「これが仮にも文明国の議会かね」 とは、大日本帝国の衆議院を見学した人々の、一様に浮かべる嘲笑だった。 多少なりとも表現力に自信のある文士らは、衆愚院だの日比谷座だの何だのと、議会を揶揄し諷するための新たな言葉の発明に余念のない有り様だ。 ところがしかし何処にでも変わり種は居ると見え、 「あれはあれで進歩の一過程なのだ。そう辛辣に、批判ばかりするもんじゃない。──たとえ牛歩の歩みでも、日本の政治は確実に、洗練されて行っている」 と、苦しい擁護に敢えて乗り出す者も居た。 富士川游が、まさ…

  • 一流の条件

    国の印象──。 大日本帝国の視点から遠望したアルゼンチンは先ず以って、「イギリスの食糧庫」程度に過ぎず。 反対に、アルゼンチンから眺めた場合の大日本帝国のイメージは、「ロシアを打ち負かした国」が、その殆んどを占めるであろう。 更に言を重ねれば、「自分たちのお蔭で勝てた」と考えている人々が、国民の中にかなり居る。 (Wikipediaより、ブエノスアイレス、パレルモの森) かの日本海海戦を華々しい勝利で以って飾ることが出来たのは、「自分の国から日進春日といふ二隻の軍艦を譲ってやったからだ」と正面から見栄を切られて。大阪毎日新聞社の特派員、浦田芳朗は覚えず真顔になったということである。 大正十一年…

  • 出戻り御免 ─戦後恐慌と公務員─

    警官ばかりに限らない。 大戦景気に浮かされて、公僕たる身に飽き足らず、濡れ手で粟を掴むべく、実業界──野に下った連中は教職中にも多かった。 (満洲にて、粟の穂叩き) こういう場合、数字は何より雄弁だ。実に大正八年度には六百人以上もの中等教諭が不足して、無理難題といっていい過酷なやりくり算段に、当局者らを追い込む事態になっている。 「一体中等教員は何時の年だって不足で困るが昨年の統計で見ると六百人の大多数は従来に見ざる大不足であった、辞表の上に病気としても其多くは皆実業界に飛込んだものと睨んでゐる、その筈である不足の多い英語の教師はタイプライターを叩いて直ぐ役に立つし物理化学の教師はさうした会社…

  • プリンストン夜話

    学校でも、職場でも。 日本だろうと、アメリカだろうと。 時代を問わず、国境を超え。 古顔による新参いびりは人間社会につきものだ。ニュージャージーの名門校、プリンストン大学に新たに入学(はい)った若者は、先輩たちからいのいち(・・・・)に、腐った卵を投げつけられる通過儀礼を課せられた。 (Wikipediaより、プリンストン大学) ご丁寧にも卵には、粘土が塗られて強化され、命中すると結構痛い。 馬鹿げきった話たが、この屈辱と痛みとに耐えないことにはまず真っ当なキャンパスライフを送ることが不可能になる。 「自由の国」を金看板にしているだけのことはあり、大学の運営も学生の自治に任せる部分が相当多く、…

  • おそるべき子供たち

    開戦から二十ヶ月で、二万九千八百人の教員が諸学校から姿を消した。 召集され、教壇から引っぺがされて、戎衣を着せられ兵隊として戦地に送り込まれたのである。 むろんこの、二万九千八百人の先生は、例外なく男子であった。 彼らは長らく親しんだ白墨(チョーク)や教鞭にとって代わるに、ずっと無骨で重たい銃を抱かされて、血と硝煙と汚物の臭気の混じり満ちたる塹壕で、来る日も来る日もドイツ人らと殺し合う、栄誉ある処遇にあずかった。 これがため、教育機構が大変化。フランス全土の学校中で、なんと一万二千もが、今やまったく悉く女教師のみの手で運営(うご)かされている状態、と。 1916年、時のブリアン内閣が発表したデ…

  • 世界を包む狂い火よ

    ブツがあってもそいつを運ぶアシがない。 伝家の宝刀、親方日の丸「政府御用」の大旆をこれみよがしに振るってみても、今度ばかりは効果が薄い。それほどまでに国内の海上輸送能力は全力稼働しきっていたようである。 事は大正五年の話、大戦景気に湧く日本に、同盟国たる大英帝国政府から思いもかけない要請が来た。 石炭の大口注文である。 ──何かの間違いではないか。 耳を疑い狼狽える担当官の有り様が眼前に髣髴たるようだ。 イギリスと言えば世界に名だたる産炭国ではなかったか。ご自慢のウェールズ炭はどうした。こんな地の涯て惑星(ほし)の裏側、極東からまで遥々と、燃料資源の調達に齷齪せねばならぬとは、連合国の窮迫はそ…

  • 大国主に賽銭を

    絢子が棚橋の家に嫁したは齢十九の折である。 夫である大作は、もう五、六年も以前から眼病に患わされており、既にほとんど全盲に近い有り様で婚儀の席に臨んだという。 第二の人生、景気が良いとは世辞にもちょっと言い難いようなスタートだ。 しかし絢子に失望はない。 少女の頃から読書が好きで、経書の類を読み漁っては父親に「変物」扱いされ続けて来た人である。 ──塙保己一の例もあるから。 この際腕によりをかけ、夫の智能を磨きに磨き、そうしていずれは一廉の学者様よと仰がれるに至るまで、我が手で仕立ててくれようず、と。 夢のような展望に、却って湧き立つものを覚えたとのことだ。 それで始まった棚橋絢子の読み聞かせ…

  • 沸騰撰集 ─不義密通は死するべし─

    ジェームズ・フレイザーの調査によると、北ローデシアの原住民族・アエンバ人の間では、もしその亭主が不義密通の現場に踏み込み得た場合、彼はそのまま姦婦・間男両名を怒りに任せてぶち殺しても、何ら罪には問われぬことになっていた。 「重ねて四つ」──江戸時代の日本社会とそっくりそのまま瓜二つ、同型同種のシキタリが敷かれていたといっていい。 (Wikipediaより、ジェームズ・フレイザー) もしも亭主が殺意を引っ込め、離縁を言い渡しもせずに、女房の罪を赦しても。想像したくもない事態だが、夫の慈悲にも拘らず、妻が再び彼を裏切り、不貞に走ったとしたら。……その時はもう、どんな弁明も役に立たない。問題は夫婦の…

  • 異国の統治は至難なり

    二十世紀前半期、インドが未だ英国の薬籠中であった頃。 当然そこには志士が居た。現状に大なる不満を抱き、変革のため手段を選ばず努力する、極めて過激な政治分子の集団が。 彼らの言辞に目をやると、実に激しい。 野獅子の血に猛ると言うか、舌鋒雷火を散らすと言うか。兎にも角にも当たるべからざる勢いを、随所に於いて見出せる。 この上なく切実に独立を希求するゆえに、彼らは英国の行ったあらゆる施策を罵り倒さずいられない。そんな習性を持っていた。たとえ相手が女王陛下であろうとも、分け隔てなく噛みついてゆく恐れ知らずな蛮勇が、その形影に宿るのだ。 「ヴィクトリア女王の『インド人の繁栄は即ち英国の勢力であり、インド…

  • 生薬復興 ─アスピリンからミミズへと─

    第一次世界大戦の勃発と、それに伴う輸入の遮断、俗に所謂「舶来品」の欠乏は、日本社会のあらゆる面に深甚なる波紋を描いた。 薬価全般の高騰により、生薬の価値が見直され、代用品たるべしと持て囃され出したのも、一つの顕著な例だろう。 京都・大阪──上方地方一部ではアスピリンの代用としてミミズに着目、風邪程度の熱ならばコレで充分解消可能と謳われて、使用を推奨されたとか。 嘘ではない。 信ずるに足る証言がある。 この道一筋二十年、ミミズ採集で生計を立てる人物が、淀川西岸、南長柄の地に在った。 姓は田阪、名は菊松。彼の口から、 ──ミミズの需要が今日ほど高く盛り上がったことはない。 との嘆声が、大正五年、漏…

  • 丹羽と片山 ─国産カフェイン製造奇譚─

    税関に勤務しているとちょくちょく妙なモノを見る。 神戸のとある貿易商から使い物にならない茶葉を、そのくせかなりの頻度で以って輸出している不思議さが、片山兵次郎の興味を惹いた。この興味こそ、一介の税関職員だった彼をして、国産カフェイン製造業者の嚆矢という思いもかけない運命へ至らしめたる発端だった。 (Wikipediaより、神戸税関) 順序よく、先ずは茶葉から論じてゆこう。 どう使い物にならないか。 石灰塗れなのである。 これではとても飲用に堪えない。にも拘らずいったい何処に需要があるのか、送り出される茶葉の量、年々増加しこそすれ、減少する兆しさえ見えてこない不自然さ。 (誰が、何にあんなモノを…

  • デモクラシーの宿痾たる

    選挙のたびに政治家は自分が当選したならば──ひいては自党が政権を一度(ひとたび)掌握さえすれば──、もうたちどころに未来はバラ色、天使がラッパを吹き鳴らしつつ降臨(おり)て来て、「地上の楽園」創始相成る如き言辞を弄ぶ。 有権者を眩惑(くら)まして、一票でも多くを掻き集めんがため、実現不能な公約をせいぜい華麗にぶち上げるのだ。 刹那、人目を悦ばせ、まばたきしては跡形もない、儚く消えるばかりなり。そうした意味では、花火にどこか似てもいる。 政党政治が齎す弊害、その窮極たるモノとして。尾崎行雄や犬養毅ら「神様」どもの手によって、それこそ百年以前から何度も何度も繰り返して指摘され、警告されて来たという…

  • 京成王と総選挙 ─老躯ひっさげなにゆえに─

    「こんな老人が出る幕ぢゃないといふ人もあるかも知れませんが、私は大いに異論がある、例へば料理にも甘味と辛味を旨く調和せぬといゝ料理が出来ぬやうに丁度政治もそれと同じで、老人の辛味と、若い人の甘味とを旨く調和して行くところに本当の政治が成立すると信じてゐます」 第一回普通選挙に出馬を表明するにあたって、本多貞次郎が世に与えたる演説である。 御年、実に七十一歳。 千葉一区からの出馬であった。 (Wikipediaより、本多貞次郎) 彼の背景をざっと述べれば、名うての、希代の、敏腕の、実業家ということになる。 京成電気軌道をはじめ、武州鉄道、北総鉄道、大同電機、葛飾瓦斯等、数多企業の社長として君臨し…

  • ビタ一文とて負けやせぬ

    論外。 無理だ。 支払えぬ。 正気の沙汰とは思えない、冗談も休み休み言え──。 天文学的賠償金の請求を連合国から突き付けられた当時のドイツ国民は、ほとんど悩乱の態でわめいた。 孫子の代まで借金漬けにする気かと。 人の心はないのかと。 こんなことなら降伏などせず、最後の一人に至るまで討ち死にすればよかったと。 一九一八年の選択を、歯噛みして後悔したものだ。 (Wikipediaより、ドイツからフランスへ送られる物納賠償) 政府は民意を確(しか)と汲み取り、いっそ哀願に近い調子で国際社会に賠償金の減額を、どうかどうかと訴える。 それに対して、ロイド・ジョージの放った言葉が凄まじい。 「ドイツ国民は…

  • 道具悪用論

    言葉の誤用に異様に厳しい人がいる。 「役不足」と「役者不足」を混用したり、「すべからく」を「ことごとく」的なニュアンスで使ったりなどした場合、何処からともなく湧いて来て、誤用者の無智を嘲り、罵り。過酷なること秋霜烈日の指弾を辞さない、厄介至極な連中が。 (viprpg『シェイディの葡萄踏み』より) まるでそういう生態の妖怪でも扱うみたいな言い草になってしまったが。──実際問題、どうにもこうにも自治厨的ないやらしさが立ち込めて、この種の手合いに対しては、蓋し好意が持ちにくい。 細けえことはいいんだよ、重箱の隅をつつきまわすな。そんな風に一蹴したい衝動こそが筆者(わたし)の中で上回る。 否、筆者独…

  • 遥かなる公主嶺

    大豆は、大豆が、大豆こそ。 満蒙富源の筆頭として、世界に鳴らした作物だ。事と次第によりけりで、「象徴」の威厳さえ有す。鮎川義介とヒトラーが顔を合わせた瞬間を、1940年3月5日、猛吹雪の日のベルリンを思い返してみるがいい。総統閣下の腹を探る意図も兼ね、日産自動車創業の雄が半分懐(ふところ)から出して、チラつかせて見せたのも、やはりマメ科の、この一年草でなかったか。 (Wikipediaより、大豆) 実に大したものである。 しかし、やっぱり、案の定。 圧倒的な声価の裏には血を吐くような苦難苦闘、多年に亙る努力の犠牲が不可欠だ。独り満洲大豆のみ、例外たるは許されぬ。満人漢人、土着農家の筋肉労働はも…

  • 吉村冬彦・名の由来

    「名付け」は願いと共にある。 「斯く在るべし」との祈りを籠めて、親が子供に贈るモノ。──「こんな大人になって欲しい」という希望、絢爛たる未来を望む真情を、集めて煮詰めて純化して、結晶化した成果こそ、即ち名前に相違ない。 ただ、しかし。自分で自分に与える場合はどうだろう。 ペンネームを考える時、果たして作家はいちいちそんな大層な、仰々しい理屈なぞ介在させているであろうか。 そのあたりの機微につき、寺田寅彦に訊いてみる。 彼の好んで用いた筆名、「吉村冬彦」は何に由来したモノか。曰く、彼の血筋に長く伝わる「家系伝説」に拠るのだと。本人の口吻をそのまま引こう。 「僕の家は土佐藩士だが、始め吉村といふ名…

  • 朝日新聞お家芸

    印象操作と世論誘導、これこそ朝日新聞の真骨頂といっていい。 百十年も以前から、あるいはいっそ旗揚げ当初の時点から、彼らはずっとそう(・・)だった。明治・大正の昔時から、大衆を瞞着することに全知全能を傾け続けた集団である。 以下に証拠の一つを示す。 「大正二年、桂内閣に対する護憲運動が白熱して帝都に焼打ちが勃発した時だ、当時全国の大多数の新聞はその運動を極力声援してゐた、その結果焼打ちとまで激成したのだが、かくのごとき場合、いつでも新聞は『暴徒』といふ字を使ふことになってゐる、だが、きのふまで志士あつかひにした人々を、俄に『暴徒』はひどい、といって暴挙は暴挙だ、義士とも名づけかねる、何かないかと…

  • 餅缶小話

    大正時代の日本に、「餅缶」なる奇妙な商品を確認できる。 餅の缶詰、その名の通りな代物だ。 ジャーナリストの加藤朝鳥が大正十年、コレを用いて、遥か南洋、ジャワ島で、日本式の正月料理を楽しんだ。「元旦の朝は缶詰を開いて正月らしいものを卓の上に並べた。餅の缶詰は始めて此処に来て食ったのであったが、丁度信州あたりで出来る凍餅のやうな味がして、鶏肉を入れた雑煮の香は故国を忍ぶことが出来」たということである。 まあ、だから何だよ、その情報が何になるというお話ではあるのだが。 のんべんだらりと書見中、つらつらページを捲る手が、この一節で止められた。抗い難い引力で、視線がそこに吸いつけられてしまったとしか言い…

  • 駅弁ロマン

    大連、鉄嶺、瓦房店、大石橋、遼陽、奉天、昌図、公主嶺、長春、安東縣、鶏冠山、橋頭。 大正四年、日本人の経営に依る南満州鉄道で駅弁を売っていた駅は、なんとたったの十二ヶ所。上に列(なら)べた十二の駅で、金輪際全部であった。 (あゝ満鉄) 何故そんなことが分かるのか。 単純明解、調べた奴が居たからである。 南満州鉄道の駅弁を片っ端から食べ比べ、ランキングを作ろうと――。妙な情熱に取り憑かれ、現に実行に移してのけた物好きが。 一月三日から二十一日に至るまで。――三週間弱を費やし、彼はその挙を成就した。 駅弁ロマン、あるいは大正時代の孤独のグルメ。「食」に対する日本人の関心は、ときに偏執の鬼相を帯びる…

  • 平塚らいてうディストピア

    「死が全てを解決する。人間が存在しなければ、問題も存在しないのだ」 「私の理想社会は何よりも人間の多過ぎないことです。劣悪な人間がいき苦しいほど詰込まれてゐる大都市などは造らないことです」 前者がヨシフ・スターリン、後者が平塚らいてう女史の御託宣である。 (Wikipediaより、ヨシフ・スターリン) いけしゃあしゃあと、顔色を変えることもなく、物騒な意見を吐いて述べる人達だ。 ソヴィエト最高指導者と、大日本帝国の女権活動家の泰斗。 その肩書にある意味で、相応しいとも取れようが。まあ何にせよ、あまり身近に居て欲しい種類の人では有り得ない。 平塚女史が夢に見る「理想社会」の設計図、丹精込めて彼女…

  • 滅びに見えた男たち

    「第三共和国政治は即ちうそつき政治。剣を抜き放ったのは殆ど戦備のないフランスであった。新国家が遺産相続した防空壕はペンペン草の生えるに任せ、一対十か、一対二十か、あまりにかけはなれた仏独空軍の比率を語り顔である」 死者に鞭打つ発言だった。 上の文章が物されたとき、フランス第三共和政は既に地上に存在しない。ナチス・ドイツの軍靴によって、朽木よろしく蹴倒され、蹂躙された後である。 (Wikipediaより、パリをパレードする独軍) いっそのことフランスを「第二の故郷」と呼べるほど久しく彼の地に棲息し、 フランスの飯を喰い、 フランスの水に慣れ、 フランスの風を浴び、 フランスで子を育て、 フランス…

  • 敗れた痛みはどう癒す

    1940年、腐ったドアを蹴飛ばすような容易さで、フランス第三共和政は鉤十字の軍勢に圧倒、崩壊、陥落し、城下の盟を結ばされた次第であるが。かかる無様を招き寄せた一因に、先んじて展開されていたポーランド戦線の戦訓を何一つとして有効活用できなかったことがある。 (ポーランドへ侵攻するソ連兵) フォウニー・ウォーの期間中、そうする機会はいくらでもあった筈にも拘らず。 フランス人は「時」という、戦(いくさ)に於いて他の何にも換え難い、貴重な貴重な資源について、半分以上痴呆的になっていた。 結果、独軍の戦術やら新兵器やらにいちいち白目を剥かされて、乱離骨灰、国土を守れず、敵の軍靴に蹂躙される屈辱を、世界と…

  • 夢をみる国

    君主制なき合衆国にて鉄道王こそ実質的な専制君主、彼らの威光を前にしたらば例え各州知事であろうと即座に米搗きバッタと化して膝を折らずにいられない、圧倒的な優者であったということは、『アメリカン・コモンウェルス』を通してとっくに既知の情報だ。 しかるにこの王者ども、素直にかしずく「下々の者」に対しては、その忠良さに免じてか、随分とまた気前いい、「よき領主様」の役割を演じていたモノらしい。 (ユニオン・パシフィック鉄道所有、ディーゼル動車) 線路沿いの農家に対して彼らが与えた恵沢は、畢竟「膨大」の一語に尽きる。「低利資金の供給、灌漑設備の助成、農業用品の割引輸送等は言ふに及ばず、気象の観測予報、農事…

  • 九月一日の独断専行

    「各々やるべきことをやれ、責任はすべて俺がとる」 なんとも格好いいセリフ、男らしいことこの上もない、生涯一度は言いたいセリフ。 だがしかし、当たり前だが夢想を現実に移すとなると、利害得失諸々の、夢も希望もありゃしない、ただひたすらに塩辛い、数多要素がそこに付き纏ってくる。 安全第一、寄らば大樹、長い物には巻かれまくって保身々々で世を渡る「利口な大人」でなるならば、やはり言えない、機会が来てもスルーする、まあせいぜいがモニタの向こうの架空の登場人物に代弁させて慰藉を得る、そんなところが関の山であるだろう。 (フリーゲーム『××』より) 逆に言うならリアルでこんな大見えを切れるようなやつばら(・・…

  • 泥濘を征く

    馬の背からトラックへ。 動物力から機械力の全面的な活用へ。 第一次世界大戦を機に列強諸国の軍隊は、この転換の必要性を厭というほど思い知り、目的達成の為の努力を死に物狂いで開始した。 (ドイツの軍馬) 輜重部隊も、むろん例外たりえない。 星条旗のお国では一九一八年にニュージャージーの沼沢地を選定し、機械化済みの輸送部隊の演習を派手に執り行っている。 足回りの最悪な土地を態々採ったその理由(ワケ)は、どうせ戦争ともなればインフラ破壊は当然のこと、およそ作戦行動中にまともな道路を走れるなどと、期待するだに愚かな贅沢だろうがよ──と、割り切っていたからではないか。 とまれ演習の一部始終を、幸運にも目撃…

  • 鉄道往生いざさらば

    愛し合ってる男女があった。 だがしかし、家の都合に世間のしがらみ云々と、七面倒な事情によって仲を裂かれる憂き目にあった。 今生での「添い遂げ」はもはや到底不可能と、愛しい彼との結婚が全き絶望に帰したと悟り、女は人生自体を悲観。極(・)から極(・)へと容易く振れる娘らしさを発揮して、脈打つ己が心臓を、停止させんと決意する。 縄を携え走り出て、海岸沿いの枝ぶりのいい松の木に、若い躰をぶら下げた。首をくくって死んだのだ。 彼女の遺体は現地で荼毘に付せられて、遺骨だけが故郷に帰る。 骨壺を乗せ、行く列車。やがて、ふと。線路の上に、さっと飛び込む影一つ。 ここは「勿論」と書くべきか。影の素性は娘と生前、…

  • 野良犬始末

    警視庁の記録によれば、昭和二年度、東京都内で捕まえられた野犬の数は三万四千六百十頭であるという。 全国ではない、東京一都。 警視庁の管轄内に限定してすら、かかる始末であったのだ。 蓋し瞠目に値する。なんたる夥しさだろう。野犬に噛まれて怪我をして、狂犬病にかかってくたばる世にも不幸な人々も、大勢居たに違いない。 捕獲された三万頭強のうち、四千頭は「実験動物」の名目で各医科大学、伝染病研究所、あるいは北里研究所等に渡された。本邦医学の発達の「尊い犠牲」となったのだ。 残る全部は三河島の化製場に送られて、殺処分の後、皮は三味線、ガマ口に。骨、肉、臓腑は肥料や薬に加工され、売買されたそうである。 その…

  • 甘い話

    昭和の初頭(あたま)ごろである。 日本人の体質改善策として、もっと砂糖を摂るべしと、おかしな事を主張しだした奴がいた。 (Wikipediaより、様々な種類の砂糖) 砂糖を摂って、エネルギーを補給して、脳と筋肉、双方の力を養って、もっとしっかり文明人にならなくちゃあならない、と。 その証拠に見よ、日本に於ける一人当たり砂糖消費量14㎏に対照し、目下世界を牽引しているアングロサクソン民族の砂糖消費量たるや、イギリス49㎏に、アメリカ48㎏と、三倍以上の大差でないか。 バンバン砂糖を舐めてこそ、彼らに追随するだけの馬力も湧かせられるのだ、と。 妙ちくりんな小理屈を、さる研究者が捏ね上げた。 (Wi…

  • 日本の覚悟 ─桃介的世界観─

    福澤さんちの桃介くんがおよそ三十年ぶりにニューヨークの地を踏んだ。 かつては留学生として、そして今度は電力会社の長として。 学業からビジネスへ、装い、目的、一切を蓋し華麗に改めて、威風堂々、乗り込んだ。 (Wikipediaより、若き日の福澤桃介) 摩天楼の立ち並ぶ彼の地に於いて外債交渉にいそしむ傍ら、ふとした余暇を利用して、学生時代の友人と会ったりなぞもしたらしい。 そこでの会話が面白い。なんでも曰く、 「…三十年前の旧友が『ニューヨークは非常に大変化したらう』と云ふから私は『何が変化だ恐らく女の化粧が変った位のことで高い家は前から在ったし殆ど変化はない、変化のあったのは日本だ、今から三十何…

  • 国際親善、至難なり

    諸外国との相互理解は難しい。 距離を詰めようとすればするほど、しかし却って感情的な摩擦ばかりが募りゆく、そんな相手も世には居る。 日本にとって、支那・朝鮮がまさしくそれ(・・)だ。 切れるものならえんがちょ切りたい、厄介至極な隣人諸君。大正・昭和の人々も、この辺の機微に関してはさんざん苦悩したものだ。同文同種を謳いながらも、どうして一向、融け合えぬのか。長年努力し、便宜を図り、物質的な「援助」とて、どっさり渡して差し上げたにも拘らず、なにゆえ「日支友好」の成果はなかなか実らぬか。不可解なりと慟哭する先人たちの面影は、ちょっと古書を渉猟すれば到る処に見出せる。 そして時には「向こう側」から解答(…

  • 開戦十年、ベルリンの喪

    一九二四年八月三日、ドイツ国民は巨大な弔事の中に居た。 欧州大戦勃発の十周年記念日である。 この日、ベルリン市に於けるあらゆる公共施設にはこぞって半旗が掲げられ、市民はそれを仰ぎ見て、逝ける偉大な帝国へ、とむらいの意を露わにしたるものだった。 (Wikipediaより、ドイツの国旗) 議事堂前では時の大統領閣下、フリードリヒ・エーベルトによる演説が先ず行われ──「ドイツは十年前祖国を護ると云ふ唯一の目的を以て銃を執って起ったのである。今後ドイツ国民は宜しく祖国復興の為に努力せられたい」──、それから続いて軍楽隊が葬列行進曲を演奏、森厳なる「民族の祭典」が執り行われて居たそうな。 演奏が完了した…

  • カイザー、フューラー、「ひとでなし」

    交戦期間が長引くにつれ、当事国の民衆はもはや互いに相手のことを同じ人類種であると認識できなくなってゆく。 しょせん獣(ケダモノ)、人の皮を被った悪魔、何百万人死のうともただ一片の憐憫たりとて恵んでやるに価せぬ、ただ粛々と屠殺さるべき畜生風情に過ぎない、と。 戦火が齎す心の荒廃、その典型であるだろう。 就中、指導者層へと差し向けられる怨憎は、真に血液を逆流せしむ、身の毛もよだつモノがある。 ヴィルヘルム二世も憎まれた。 (Wikipediaより、ヴィルヘルム二世) 第一次世界大戦期間中、連合諸国の人々がドイツ帝国最後の君主に浴びせかけた悪口は、批判はおろか誹謗中傷の域すら超えて、もう明かに呪詛の…

  • 憂き春へ

    夏は嫌いだ。 遠出するなら冬がいい。 虫群の襲撃にわずらわされる心配も、衣服を汗でじっとり濡らす不快感、過度の日焼けを防ぐ処置の面倒も、諸々回避できるから。 (昨年十一月下旬、京浜伏見稲荷にて撮影) 古人に於いては楠山正雄に我が精神の類型を、仄かながらも見出せる。「汗と埃と、それに毒虫と草いきれ、つくづくと愉快でないお景物がついてゐては、夏の旅も億劫になります。山のぼりにしても、夏でなければ上れないといふ山は日本にいくらもないでせう。何といっても夏の大観は落日でせうから、山よりも海の旅、それも日本海の旅をすゝめたいと思ひます。日に酔ふといふのは夏の裏日本旅行者の大抵もつ感じでせう」。そうだ、夏…

  • 白浜名物カタツムリ

    鹿児島では製塩に。 奥飛騨では農業に。 アイスランドでは洗濯に。 「入浴」ばかりが温泉利用の全部ではない、時代・地域によりけりで、用途はまったく多種多様。 紀伊半島に滾々と湧く白浜温泉では嘗て、斯かる熱と湿気とを食用蝸牛の養殖用に宛てていた。 (『Ghostwire: Tokyo』より) 蝸牛、すなわちカタツムリである。 塩をかけると縮こまる、全身粘膜に覆われた、気色悪くも愛嬌のある例の陸貝。紫陽花と合わせて梅雨の風物詩といっていい、あの生き物を増やして捌いて調理して、皿に乗っけて客に出し、美味いと言わせて地元の新たな名物に仕立て上げんと企んだ、一風変わった挑戦者の名は即ち高田善右衛門。 その…

  • 瓦礫の上の赤子たち

    瓦礫の上にて生を享く。そういう子供の運命は、往々にして不憫なものだ。 関東大震災から一年、帝都の復興、未だ遼遠。東京市の家並には半焼けのトタンで構成された粗末なバラック造りの小屋が無数に混ざり込んでおり、癒えぬ創痍の、ある種象徴と化していた。 (『Ghostwire: Tokyo』より) 屋根、壁、三方ことごとくトタンで構成された家。言わでもなことだが、こういうバラック小屋というのは、およそ外気を防ぐのに極めてか細い力しかない。夏はサウナで、冬は冷蔵庫同然という有り様になる。兼好法師の理想とは、遥かにかけ離れた住まい。おまけに大正十三年は、例年にない猛暑であった。 エアコンなど、発想からして存…

  • 怨み晴らさでおくべきか

    会津藩士の怨念が、明治期ちょくちょく顔を出す。 「戊辰以来」 と、山川浩は口にする。もちろん会津人である。御一新後は陸軍内にて立身し、少将の地位にまで成った。柴五郎を筆頭に、後輩どもの世話役も実に律儀にやっている。そういう彼が述べるのだ。 (Wikipediaより、山川浩) 戊辰この方、日本の牛耳はどうしようもなく関西者に執られきってしまったと。 戊辰戦争の敗北は関東者、――特に東北人士らの立つ瀬というのをすっかり奪ってしまったと。 機会あるたび、力を込めて語るのだ。 「二十年来天下の事独り関西人の知る処にして関東人の知らざる処なり、内閣大臣は誰ぞ、薩長人士なり、改進党の首領は誰ぞ、肥前の大隈…

  • 茶番狂言いとをかし

    ベルギーは山なき国やチューリップ 高浜虚子の歌である。 彼の地を訪ねた際、詠んだ。 昭和十一年二月二十日時点を以って「世界行脚に出た」と云うから、二・二六事件勃発のスレスレだったことになる。クーデターの報道を、おそらく船中で耳にして、さぞ驚いたことだろう。間一髪で日本を離れ、仏独白英各地を巡歴、六月十一日、帰国。四ヶ月弱の日程を無事完了したそうだった。 まあ、それはいい。 冒頭掲げた五・七・五。 これが余人の、歌道に何の実績もない無名の作であったなら、世間の評価は果たしてどうであったろう。「小学生並みのセンス」と一蹴されて洟もひっかけられずに終わるが関の山ではなかろうか。 実際問題、筆者(わた…

  • 密事はとかく愉快なり

    密(ひそ)かごとにはそれが密かであるゆえに、言うに言われぬ玄妙な魅力・快楽が付き纏う。 人目を忍んでコソコソとやるスリルであり、面白味。およそ金に困らない上流階級の御婦人が万引きに手を染めるのも、この快楽に中毒してのことだろう。 (『Ghostwire: Tokyo』より) 破滅を心底恐れつつ、しかし同時にその縁(ふち)を指先でそっとなぞるのを止められないしょうもなさ(・・・・・・)。そしてあるとき気付いたら、破滅にがっしり腕をとられて名状し難き引力で、「あっ」とも言えずいっぺんに引きずり込まれてサヨナラだ。洋の東西を問わずして、そういう末路を辿ったものは数多い。 軍人の如き特殊社会の中にすら…

  • 寒の底

    寒い。 外は篠つく雨である。氷雨と呼ぶに相応しい、冷たい冷たい雨である。 二・二六の(1936)年も寒かった。 なんといっても、霞ヶ浦が凍ったほどだ。高浜沿岸、「幅一里・長さ二里」にかけての地域が分厚く凍結していると、一月二十一日の『読売新聞』紙に見える。その氷上に点々と、鴨の死骸が転がっていた、と。 (Wikipediaより、霞ヶ浦) 死因は凍死のようだった。 ──ありがたや。 近隣住民は狂喜した。 貴重なタンパク源である、天の恵みの鳥肉である。 目の色変えて走り出て、拾い集めも集めたり、その数実に五百羽以上。以って全村潤った、と、これまた『読売』からである。 (Wikipediaより、鴨鍋…

  • 世界は変わる、戦争で

    開戦から半年で、ドイツの首都ベルリンはその包蔵せる女性の数を十万ほど増加した。 増えたところの内実は、そのほとんどが俗にいわゆる「職業婦人」たちだった。 男という男がみんな兵士になって前線に出払って行ってしまったゆえに、社会に大穴がぶち空いた。従来彼らが担っていた職分を、代わりに行い補填する、その為の人手が要ったのだ。 かと言って、クローン技術じゃあるまいし、すぐにポンポン新たな人が生えてくる道理もまたあらず。 必然として手元の資源の再検討、女の価値が見直される流れに至る。 車掌に、脚夫に、看護婦に。――ドイツの女は家庭に閉じこもるのを止め、農村部からも這い出して、華々しき都会へと。社会の表面…

  • 学徒とカネと

    1922年4月某日、ワイマール共和国大蔵大臣の名のもとに、とある税制改革が実行の段と相成った。 他国からの留学生の身の上に関連する税制だ。 思いきり簡約して言うならば、遠い異国で彼らがきちんと「学び」に集中できるよう、その本国より送金される学費あるいは生活費。命綱たるこれを以後、一切無税で罷り通して進ぜよう、と。そうした向きの内容である。 (Wikipediaより、10000マルク紙幣。1922年1月発行) 1922年のドイツの財政(ふところ)事情を思えば、かなりの大盤振舞いだ。戦争により精も根も尽き果てて、更にその上、講和会議で決められた天文学的賠償金の支払い義務まで背負わされた窮状である。…

  • 幇間讃歌

    口達者を尊敬する。 およそ人類の所有(も)ち得る中で、言葉に勝る利器は無し。言葉の威力は時間の壁を貫いて、未来に亙り延々と効果を波及し続ける。 その利器を使うに巧緻な手合い──物は言いよう、ああいえば上祐、丸い卵も切り様で四角。弁舌爽やか、口の上手い奴らには、ほとほと感服させられる。 (『Stray』より) 彼らの創意工夫にかかれば豚を樹上へ登らせるなど朝飯前の沙汰事だ。白いカラスに空を舞わせることも出来るし、ラクダを引いて針の穴を通るのも、いとも容易くこなせよう。鼻持ちならないゴマすり野郎、揉み手揉み手のオベッカ遣い、スネ夫みたいな太鼓持ちを以ってさえ、ちょっと修辞を凝らしたならばあら不思議…

  • 尼港事件を忘れるな

    本能寺の変の報を受けた際、黒田官兵衛は秀吉に 「これで殿のご武運が開けましたな」 とささやいた。 ビスマルクもまた、社会主義者の手によって皇帝暗殺未遂事件が発生したと告げられて、咄嗟に口を衝いて出た運命的な一言は、 「よし、議会を解散させろ」 であったのだ。 (ブランデンブルク門付近) 機を見るに敏どころの騒ぎではない。 あまりに、あまりに早すぎる。 凡愚が通常、一ヶ月も経ってからやっと気がつく最適解に、彼らはものの一秒以下で達し得る。 謀略的天才とはこうしたものだ。総身、これ謀智なり。全然予期せざる椿事、どれほど突飛な新局面を突きつけられても、この連中の神経回路は麻痺しない。狼狽などと、無駄…

  • 血の雨、涙の谷

    すべてが齟齬した、としか言いようがない。 「一年前携へて来た三百羽の軍用鳩は本年一月から三回も実戦に応用して居るがシベリアは鷹が多いので折角通信の為めに放った鳩は途中で鷹に捕はれて了ふ」 上の記録は大正九年、ウラジオ派遣軍野戦交通部附として彼の地に在った長谷川鉦吉騎兵少佐の筆による。 一事が万事、シベリア出兵というものを、よく象徴した景色であろう。 (Wikipediaより、ウラジオ派遣軍司令部) 最初っから最後まで、とかく目算違いの連続、何もかもが噛み合わず、得たのは負債と傷ばかり。しっちゃかめっちゃか、血が血を招く無辺際の闘争の渦に絡め取られて沈み込み、足抜けさえもままならなくなったのが、…

  • 赤いレンガの駅舎へと

    東京駅に行ってきた。 ここのところ原敬の謦咳に接する幸運が偶然ながらも重なったため、勢い彼の最期の場所を拝んでおきたくなったのだ。 「停車場なぞといふものは、実用本位で沢山だから、劇場や議員の如く壮麗な建築美を誇る必要はないが、東京駅のみは一国首都の──即ち一国の──大玄関として、少しは美術的であってもいゝ。実用上の便不便は別として、私はあの稍や古色を帯びた大建築をば、真正面の四十間道路から眺めるのが好きで、将来ともあれが四階五階に増築されて附近のビルディングなぞと形を競ふやうなことのないのを祈ってゐる」。──嘗て上司小剣を魅了した赤レンガ駅舎の風格は、 今なお確かに健在と、ここに立ってしみじ…

  • 革命家と孔子様

    百年前のことである。孫文あるいは孫逸仙を名乗る男の手によって、地獄の扉が開かれた。「連ソ・容共・扶助工農」政策だ。 国民党の勢力強化を目論んで、ソ連と手を結ばんとした。平たく言えばそうなろう。貧すれば鈍す、溺れる者は藁をも掴むと常套句の類いだが、よりにもよってアカの魔の手に縋っちまったが運の尽き。 三十年後の国民党の退潮は、支那本土から蹴り出され、台湾島ひとつぽっちに押し込められる惨めさは、この瞬間からもう既に決まっていたのやも知れぬ。 所詮、神ならぬ人の身だ。未来、行く末、運命などと云うものが予測不能であることは、もちろん当然だけれども。いったい孫文自身には、共産主義者というものにつき、どれ…

  • 人は人と戦うための形をしている

    中谷徳太郎が気になっている。 明治十九年生まれ、坪内逍遥に師事した文士。 (Wikipediaより、坪内逍遥) 作家としては無名に近い――なんといっても、wikiに記事すらありゃしない――が、随筆なり時事評論なり、そっちの分野に目を転ずれば、なかなか私の好みに適(あ)った鋭い意見を吐いている。 わけても大正三年の、世界大戦勃発直後の感想など最高だ。 「この戦争が破壊的に拡大して、今まで人間が地球の上に築き上げた有(あら)ゆる記念や、芸術や、智識的産物を悉く壊滅して、血を以て坤球を掩ひつくすと面白ひと思ふ」! ――ここまで露骨に不謹慎を表白できる人材は、当時に於いても珍しい。 あの大戦の拡大を「…

  • 同時代評 ─人種差別撤廃提案─

    一九一九年、パリ講和会議に日本委員が持ち込んだ「人種差別撤廃提案」と、それが結局、否決に至るまでの間。一連の流れというものは、当時に於いてもかなり注目の的だった。 ほとんど固唾を呑むようにして。──実に多くの日本帝国国民が、その動静を窺っていたものである。 まるで「悲願」といっていい、視線の集中ぶりだった。 なればこそ、該提案が「内政干渉」の謗りを受けて、どうも居並ぶ列強の賛意共感を引き出し難いと知ったとき。 反応は蓋し強烈だった。知識人らは目を吊り上げて、彼らの持ちうる最強の武器、ペンとインクをひっつかみ、「何が内政干渉か」と反駁文を書いている。 わけてもたまらぬ切れ味は、内田定槌の仕上げて…

  • 昭和九年のバーター貿易 ―コーヒー豆と軍艦と―

    軍艦の支払いをコーヒー豆ですると言われて、誰が首を縦に振る? 少なくとも日本人には無理だった。 ナイスジョークとその申し出をせめて面白がってやる、ユーモアセンスも生憎と、持ち合わせてはいなかった。 よしんばバーター貿易にしろ、釣り合いが取れてなさすぎる。大航海時代のノリを二十世紀も三十余年を経た今に持ち出されては迷惑と、そう言って渋面をつくるのがせいぜい関の山だった。 「我が造船技術の躍進的な充実と完備とそれに円安が効いて既にブラジル政府が軽巡洋艦・各数隻三千トン級の貨客船十八隻の建造方を大使を通じて注文して来たことは周知の事実だったが、何分支払方法がブラジル特産コーヒーとの物々交換による方法…

  • プリズンクラフト

    明治のいつ頃からだろう。 囚人どもを閉じ込めておく監獄を、囚人自身の手によって作らせるようになったのは──。 図面引きは兎も角として、レンガを焼いたり木を挽き切ったり、鍛冶に左官に石工に、つまり総じて「現場作業」と分類されるお仕事は、囚徒がこれを受け持った。 これから入所(はい)る予定の──とまで極まりきっては流石にいない(・・・)。 近場の既存の獄舎から駆り集められた人員である。 大阪監獄を建てる際には規模が規模であるだけに、京都、神戸は勿論のこと、瀬戸内海を跨いだ先の高松刑務所からさえも人手を調達したと聞く。 (Wikipediaより、大阪刑務所) 司法省の確固たる行政上の方針としてそうい…

  • 夢路紀行抄 ─解体新書─

    気色の悪い夢を見た。 ジャーナリストの身となって、イスラム過激派のテロリストに突撃独占インタビューする夢である。 褐色の皮膚に短く刈った毛髪に、油断なく光る大きな目。如何にも砂漠の戦士でございと言わんばかりの風貌と、机を挟んで向き合っている。猛獣の檻に閉じ込められたと錯覚する迫力だった。事実、殺人経験は豊富であるに違いない。部屋の隅には年代物のラジオがあって、垂れ流されるエキゾチックな音楽が、我と我が身の緊張をますますひどいものにした。 こっちのそうしたテンパり具合を見透かしてのことだろう、男はことさら露悪的にふるまった。やたらと巨大な口径の銃をチラつかせたりと、暴力を誇示する方向で。 (『サ…

  • 万物流転

    大正六年、折から続く大戦景気は未だ翳りの兆しなく。日に日に新たな成金誕生(うま)れ、儲け話に湧きに湧く、あの御時勢の日本をさる高名な倫理学者が行脚というか視察して、 ──これでいいのか。 と、将来に大なる不安を持った。 学者の名前は渡辺龍聖。 小樽高等商業学校・初代校長。アメリカ、コーネル大学で、哲学博士の號を取得(と)った俊才である。 (Wikipediaより、渡辺龍聖) 「吾輩は先般北陸全部滋賀愛知県下の甲種商業学校を視察巡廻したが何れの地方も多数の住民及青年子弟が成金を夢みて日常の真面目な仕事を厭い浮っ調子となってるのは誠に慨嘆に堪へぬものがある」 予算と時日の都合等、等、なんやかんやあ…

  • 野島公園漫歩録

    落ち葉舞い散る季節になった。 せっかくの紅葉シーズンに書籍と液晶、その二個ばかりに溺れているのも味気ない。 ひどい機会損失を犯してでもいるような、一種異様な罪悪感に襲われて。──気付けば野島公園に居た。 横浜市の最南部、金沢八景の一つたる『野島夕照』で名高きところ。 ここは海岸にも接し、 ささやかながら登山気分も味わえるという、一挙両得なスポットだ。 伊藤博文が別荘を置いた点からも、景勝地として折り紙付きといっていい。 もっとも今回訪ねた際は伊藤博文別邸は茅葺屋根の修繕工事中であり、内部見学は叶わなかった。常ならば無料公開の施設なのだが。残念である、とてもとても残念である。 この遺恨、いずれ必…

  • 死に至るまで老ゆるなかれ

    文人どもの嘗て吐露せし感情中に、視力に関する憂いなんぞを発見すると正味ゾッとさせられる。 他人事ではないからだ。 眼球を過剰なまでに使うのは趣味が読書である以上、私自身避けようのない宿命である。 だから怖い。下手なホラーの何百倍もおそろしい。いつか自分もこう(・・)なるんじゃあないのかと、脅威をものすごく近距離に、肌で感じてしまうがゆえに。 業と呼ぼうか、因果と呼ぼうか。 吉井勇を読んでいて、つくづく戦慄させられた。 「…私は自分の趣味として眼鏡をかける気になれなかった。この二三年加速度的に、だんだん遠視の度が強くなり、新聞などは見ても標題の大きな活字だけが、はっきり目に映って来るだけで、本文…

  • 色情狂時代

    本気で理解(わか)っていないのか、全部知ってて素っ惚(とぼ)けてやがるのか。 ちょっと判断に困る事例だ。 ホテル、マンション、アパートが「404」号室を忌み、欠番扱いとするように。 一九二〇年代、フランスの一部列車には「69」を座席番号に使用(つか)わぬという不文律が存在していた。 例の石川光春が確認したことである。「フランスの汽車の座席に打ってある番号に69が抜いてある、詰り68から飛んで70になって居る」のだと。それでいささか不審に思い、現地の伝手をたどっては色々訊ねてみたところ、「仏人は一般に69の文字を避ける習慣である事がわかった。何か御幣を担ぐのかと思ったら其んな神秘的な事では無く、…

  • ロンドンの呪者 ―夏目漱石、許すまじ―

    呪者がいた。 呪者がいた。 大英帝国、首都ロンドン。霧の都の一隅に、日本の偉大な文豪を──夏目漱石を怨んで呪う者がいた。 (世にも恐ろしい祟り神) 呪者はイギリス人である。 名前はイザベラ・ストロング(Isabella Strong) 。 テムズ川の流れの洗うチェルシー地区に今なおその姿をとどむ、トマス・カーライルの家の管理がすなわち彼女の仕事であった。 「夏目はまったくけしからぬ」 そういう立派な英国淑女が、訪客の姿(なり)を日本人と認めるや、怨嗟の焔をさっと瞳に宿らせて、低く、床を這わせるようにぶつくさ文句を垂れまくる厄介な性(サガ)を持ったのは、むろんのこと理由(ワケ)がある。 艶めいた…

  • 予防に勝る療治なし

    風邪が流行っている。 ――じゃによって、マスクをつけろつけろと言っても、若い女性は見目への配慮が先行し、我々の忠告に無視を決め込む。 まったく沙汰の限りだ、と。 帝都の保健に責任を持つ、とある内務官僚が、しきりとこぼしていたものだ。 彼の名前は福永尊介。 大正九年の愚痴である。 (フリーゲーム『Dear』より) 思い通りに動いてくれない人民に、よほど業を煮やしたか。まさにこのとし、内務省では電気局と協議して、電車内での禁止行為リストの中に新たな項を加えることを決意した。 すなわち 「痰唾を吐くこと」「太腿を出すこと」「煙草を吸ふこと」 既存のこの三件に、 「手放しで咳すること」 を書き添えよう…

  • 令和六年、ネタ供養

    慶應義塾は頻繁に「初物食い」をやっている。 先鞭をつけるに堪能である印象だ。 鉄棒、シーソー、ブランコ等を設置して、以って学生の体育に資するべく、奨励したのも慶應義塾がいのいち(・・・・)だった。 明治四年の事である。 これからの時代、およそ文書の作成にタイプライターの活用が不可欠たろうと推察し、カリキュラムに組み込んだのも、最初はやはり慶應義塾商業学校こそだった。 明治三十六年の事である。 (Wikipediaより、タイプライター) なお、このタイプライター講座については特別に、「同校旧卒業生及び本塾大学生普通学部の志望者にも来学を許す」措置を取ったとの由だ。 前者については福澤諭吉の肝煎り…

  • リバティ・ステーキ ─合衆国の言葉狩り─

    戦争が如何に理性を麻痺せしめ、精神の均衡を失わしめる禍事か。それを示す最も顕著な現象として、交戦相手の国語に至るまでをも憎む──「敵性言語」認定からの言葉狩りが挙げられる。 (Wikipediaより、「キング」改め「富士」) 人類が犯し得る中で、最低レベルの愚行ですらあるだろう。 ある特定の国家ないしは民族が国際法を蹂躙し、掠奪、虐殺、侵略等々、不埒な所業を恣にしたとして。これを批判し、糾弾するのはべつにいい。いい(・・)どころか当然だ。文明人の義務ですらある。 さりながら、憎しみ余って行為自体を飛び越えて、彼らの言語までをも排し、攻撃しだすに至っては、これははっきり病的精神状態だ。総力戦時代…

  • 知られざる親日家 ─ドイツ、ルドルフ・オイケン篇─

    ルドルフ・オイケン。 ドイツ人。 哲学者にしてノーベル文学賞の受賞者。 第一次世界大戦の突発さえ無かったならば、この碩学は一九一四年八月下旬に日本を訪(おとな)う予定であった。 (Wikipediaより、ルドルフ・オイケン) 経路(ルート)は専ら陸路を使う。 シベリア鉄道を利用してユーラシア大陸を横断し、この極東の島帝国に這入(はい)っては、東京・京都の二ヶ所にて「人類の大なる生命問題に関する哲学講義」を行う手筈になっており、既に切符も購入していたそうである。 ところがその直前で、急に世界が燃えてしまった。 講演どころの騒ぎではない、日本とドイツは敵国として、干戈を交える事態になった。 ──な…

  • 最初に持っていた奴は

    前回掲げた『へゝのゝもへじ』を読み込んで、幾つか気付いたことがある。 本書は初版本である。通弊として、誤字脱字がまあ多い。 そのいちいちに、前所有者は細かく訂正を入れている。 (誤字) (脱字) (逆植) ここまでならば単に几帳面な性格だなというだけで納得可能であるのだが、問題なのは次に示すパターンだ。 アワレ検閲に引っ掛かり、××で伏字された部分をも、しっかり復元されている。 正直、息を呑まされた。 前後の文脈から適当に推し量ったと考えるには、書き方に迷いが無さすぎる。 著者本人か出版に携わった何者か――生原稿を拝める立場にあらずして、こんな補完ができるのか? 一番最初の所有者とは、もしかし…

  • 呑んで、天地を

    ほんの十秒視線を切った、もうそれだけで姿が見えなくなっている。 子供とは危なっかしさの塊だ。斯くいう筆者(わたし)自身とて、幼少期にはまた随分と親に迷惑を掛けている。迷子になったり突飛なことを口走ったり、危うく保護者の心臓が停止(とま)りかねない沙汰事をやらかしまくったものらしい。 誤飲・誤食も、当然そこに含まれる。 (飛騨高山レトロミュージアムにて撮影) 幼児の心理は得体が知れない。彼らはなんでも、とりあえず口に入れたがる。色がキレイだったとか、形が面白かったとか、およそ理由とも呼べないような他愛もない理由で、だ。 ──1926年、アメリカ独立150周年を記念してフィラデルフィアに開催(ひら…

  • 秋花粉と女史の夢

    「赤と黄とのだんだん染、それも極く大きな柄に染められてゐる、そんな衣裳をつけた人間が、あとへあとへ出て来てそれが列になって、どんどんどんと皆同じ方角から来て皆同じ方角の方へ通りすぎる。それが見てゐるといつまでも尽きない。百人ももっと以上もあとへあとへと続く。一たい何処へ、何をしにあんなに通るのだらう。その赤と黄との衣裳が目にも頭にも痛い。もう通り止んでくれればいいと思ふのに、それでもあとへあとへとまだやまない」 以上は即ち、与謝野晶子の夢である。 高熱により床に臥せっていた際に、目蓋の裏に浮かび上がった情景を書き留めたるモノと云う。 こういう場合、極彩色というべきか、えげつないほどサイケデリッ…

  • 黄金伝説 ー他人は歩く金袋ー

    人を見る。 じっと見る。 大阪梅田の駅頭で、あるいは街の活動写真の入り口で。手持ち無沙汰にたたずみながら、しかしその実、行き交う人のつらつきを油断なく観察している奴がいた。 「こうしていると、ここでその日いちにちに、いくらぐらいの実入りがあるか、どれだけ金が動くのかが分かるんだ」 ほんのちょっとした特技、まず罪のない遊びだよ、と。 小林一三はうそぶいた。 (小林一三、昭和十年、ハリウッドにて) 真綿に針を包むが如く、垂れた目蓋に眼光の鋭利を秘め隠し。 これが自分の趣味の一環、大事な余暇の消費法、と。 阪急東宝グループを築き上げた功労者、「創業の雄」たる人物は、金銭に対する磨かれきった感覚を詳ら…

  • 濁流に濁波をあげよ

    「政治は金なり」。 犬養毅の信念である。 あるいは政治哲学か。 ひとり犬養のみならず、大政治家と呼び称される人々は、揃いも揃ってこう(・・)だった。皆一様に金の真価を認識し、使い方がすこぶる上手い。金に使われるのではなくして、金を支配し、金を駆使する腕と腹とを持っていた。 平民宰相・原敬また然りであろう。 (Wikipediaより、原敬) 「一円のものを二円に働かせる人であった」と、例の林安繁が言葉を盡して褒めている。「…党員が金が欲しいなと思ふと、要求せぬ前に直に幾許かを喜捨する。金額が常に思惑の半ばにも達せぬでも、先手を打たれて快く出されるには何れも感激してその温情に打たれたことは、屡々吾…

  • 古物愛玩 ―流出した仁王像―

    新時代の開闢に旧世界の残滓など、しょせん野暮でしかないだろう。 可能な限り速やかに視野の外へと追っ払うに如くはない。ましてやそれがカネになるなら尚更だ。 (飛騨高山レトロミュージアムにて撮影) ――維新回天、王政復古、文明開化に際会し、当時の日本蒼生が流出させた古美術は夥しい数である。 什器、錦絵、刀剣どころの騒ぎではない。叩き売りの乱暴は、なんと仁王像にまで及ぶ。 大阪骨董屋の老舗、山中春篁堂の記録によれば、明治五年以降同二十三年までの間、国外へと輸出した仁王像の数たるや、実に三十六対躯、すなわち七十二体なり! 英、米、仏へと専ら売られ、博物館へ収蔵されたり、富豪の屋敷を装飾したりしたそうだ…

  • 「我関せず」は許されぬ ―阿鼻叫喚のベルギーよ―

    戦争の長期化に従って「心の余裕」を加速度的になくしていった国民は、一にベルギー人だろう。 なんといっても「教皇」にすら噛みついている。 第一次世界大戦期間中、ベルギー人の手や口は、屡々当時のローマ教皇・ベネディクトゥス15世批難のために旋回したものだった。 (Wikipediaより、ベネディクトゥス15世) 知っての通り、ベルギーは旧教国である。 その勢力は政財界を筆頭に、社会のありとあらゆる面に分かち難く沁み透っている。 しかるにそんな「愛し子」であるベルギーが戦禍によって半死半生、悶絶しかけている今日に、ヴァチカンは何をやってくれたか。 答えは「何も」。 何もしていないに等しい。 少なくと…

  • 発狂した世界

    悠々たるかな大襟度、鷹揚迫らざるをモットーとする大英帝国様々々も、いよいよ以ってケツに火が着いてきたらしい。 ある日、こんな誘い文句が新聞を通して発表された。より一層の志願兵を得るために、壮年男子――本人ではなく(・・・・)、彼らの背後(バック)に控えるところの妻や恋人、母親等々、女性めがけて投げかけられた「質問状」形式で、だ。 「戦争終りし時御身の夫又は息子等が『君は大戦争に於て何事を為せしや』と問はれんに彼をして御身が彼を送り出さゞりしが為に赤面して其頭を掻かしめんとするか。 英国の婦人よ御身の義務を盡せ、今日御身の男子を吾等の光栄ある軍隊に加入せしめよ」 (訓練中の志願兵) 邦訳は第一次…

  • 愛国者たち ―フランス、エミール・ブートルー篇―

    「平安・繁栄・名誉・進歩の実現せられる時代を吾々に与へやうとして父祖は己を犠牲にしたのである。吾々は父祖を裏切ることはできない。父祖が吾々の為に遺した生命と偉業との精神を維持することを吾々は父祖の為に努めねばならぬ。換言すれば民族的精神・同胞的精神を吾々は維持しなければならぬ。父祖の意志を解すること、これが自分の願ひである」 フランスの哲人、エミール・ブートルーの発言である。 邦訳は広瀬哲士の筆による。一九一九年十月二十五日、フランス学士院に於ける講演の一部分であった。 (Wikipediaより、フランス学士院) エミール・ブートルーは一九二一年、すなわちこの翌々年に永眠する運命だから、仄かな…

  • 満ち足りないと なおも言え

    国家とマグロの生態は微妙なところで通い合う。どちらも前進を止(よ)せば死ぬ。 「足るを知るの教は一個人の私に適すべき場合もあらんかなれども、国としては千萬年も満足の日あるべからず、多慾多情ますます足るを知らずして一心不乱に前進するこそ立国の本色なれ」。――福澤諭吉の『百話』に於いて、私は特にこの一条が好きである。 およそ国家の発展に、「もうここらでよか」のセリフは大禁物だ。目指す地平を見失い、ただただ惰性の現状維持に腐心しだしてしまったら、その瞬間からはや既に、斜陽衰退の中に居る。そう心得て構うまい。 (『賭博破戒録カイジ』より) かつての日本は目的意識が鮮明だった。明治に於いては「富国強兵」…

  • 無慈悲なるかな時の神

    未来は過去の瓦礫の上に築かれる。 「時間」の支配は残酷にして絶対だ。「時間」は決して永久不変を許さない。時の流れはこの現世(うつしよ)に籍を置く、あらゆるすべてを侵食し、変化を強いるものである。 斯かる一連の作用を指して、「時間」なるものの正体を「万物の貪食者」と定義したのは誰あろう、高橋誠一郎だった。 (Wikipediaより、高橋誠一郎) 初見はずいぶん驚いた。 慶應義塾の誇る俊英、経済学者の上澄みが、なんたる詩的な表現を――と、目を洗われるの感だった。 年がら年中、無味乾燥な数字に埋れ、鵜の目鷹の目光らせて、富の動きを追っかける学問の徒の精神に、こんな潤いがあったとは、である。 「『時』…

  • 酒は呑むべし登楼もすべし、そして勉強もするが好い

    三日で三万五千樽。 明治二十二年の二月、憲法発布の嘉日に際し、帝都東京市民らが消費した酒の量だった。 (Wikipediaより、憲法発布略図) 数はほとほと雄弁である。明治人らが如何に浮かれ騒いだか、口を大きくおっぴろげ、つばき(・・・)を飛ばし、めでたいめでたいと我を忘れておらびあげる様までが眼前に髣髴たるようだ。 まず馬鹿売れと呼ぶに足る、この事態を受け酒の価格は当然高騰。早く常態に復してくれと悲鳴まじりの哀願が今に伝えられている。 新潟といい、飛騨といい。豪雪地帯は良酒を醸す印象だ。雪解け水だの谷風だのと、そのへんの要素がうまく噛み合う結果であろう。 白川郷を訪ねた後は、当然高山市街の方…

  • 原風景にダイブして

    米こそ五穀の王である。 その専制は絶対で、他の穀物が如何に徒党を組もうとも、崩すことは叶うまい。 少なくとも、日本に於いては確実に。 「日本という国は藁が本当にいろいろのものに使われている。頭のてっぺんから足の先まで藁で包まれ、家の中まで藁に包まれております。けれども稗柄というものはそういうわけにはゆきません。そういう点にも稗がすたれていった大きな原因があります」 民俗学者・宮本常一の意見であった。 (Wikipediaより、宮本常一) なにゆえ稗は稲ほどの勢威を得られなかったのか論じた稿の一節である。ときに履物、ときには衣類、ときには肥料。食うことのみが稲の用途の全部にあらず、なんともはや幅…

  • 俺の親父はパラノイア ―夏目伸六、トラウマ深し―

    息子(せがれ)を殴り倒すのに、いちいち理由は話さない。 いついつだとて「コラ」か「馬鹿ッ」。啖呵と共に鉄拳が飛ぶ。家庭人としての漱石は、どうもそういう一面を、ある種悪鬼的相貌を備えつけていたらしい。 次男の夏目伸六が、かつて語ったところであった。 「あれは一種のパラノイアて奴で…」 と、アレ呼ばわりで親父をこき下ろしている。 (フリーゲーム『芥花』より) 「機嫌が悪いと堪らないんだ。俺達が泣くとあの腐ったやうな眼で何時間でも睨むんだ。何時かカチューシャの歌を廊下で歌ったら、いきなり来やがって『コラッ』と殴られちゃった」 この発言があったのは、昭和十年、津田青楓との座談の席で。津田もまた、夏目漱…

  • 日本的な、あまりに日本的な

    東京湾にサメが出た。 単騎にあらず、二頭も、である。 時あたかも明治二十一年五月半ばのことだった。 (Wikipediaより、ホオジロザメ) かなり珍しい事態だが、まんざら有り得なくもない。確か平成十七年にも、五メートル弱のホオジロザメが川崎あたりに漂着し、世をどよめかせていた筈である。 ただ、平成シャークが発見時には既に死骸になっていたのに対照し、明治のサメはピンピン元気に水切り泳いで獲物を狙える、ーー「海のハンター」の面目を十二分に発揮可能な状態だった。 実際そういうことをした。 狼狽したのは佃島の漁民ども。どうやらこのサメ、かなり気性が荒っぽく、しきりと海中を荒らすので、船を出しても仕事…

  • 韓国に良材なし

    時期的に台風が濃厚である。 明治二十四年九月四日、朝鮮半島仁川港は暴風雨に襲われた。 たまたま彼の地に日本人の影がある。韓国政府の招聘を受け、当港にて海関幇弁をやっていた青年・平生釟三郎だ。 (Wikipediaより、平生釟三郎) 川崎造船所のダラー・エ・マンにやがてなる、この人物の遺しておいてくれていた「被害報告」が面白い。ーーなんでも和船や西洋船は一隻たりとも損傷せずにやり過ごすを得たのだが、滑稽なことに、地元朝鮮の船舶だけが二十数隻もやられるという大出血を食ったとか。 原文をそのまま引用すると、 「…碇泊せる倭船、合の子船、洋形風帆船如き一隻も難破せずして錨すら失ふたるものあらざるに朝鮮…

  • 絶やすまいぞえ、海の幸

    乱獲による海洋生物個体数の減少は、戦前既に問題視され、水産業者一同はこれが対策に大いに悩み、頭脳を酷使したものだ。 物事の基本は「生かさず殺さず」。根こそぎ奪えば、いっときの痛快と引き替えに、次の収穫は期待できない。いわゆる「越えてはならないライン」、境界線を探らねば。――そんな努力の形跡が、文献上に仄見える。 萌芽も萌芽ではあるが。――「持続可能な漁業」の試み、第一歩といっていい。 就中、白河以北(とうほくちほう)は宮城県、桃生群鷹来村大曲漁業組合にあってはかなり、時代を先取りするような、ユニークな手段を模索した。世に謂う人工漁礁計画である。 (Wikipediaより、コンクリートブロックに…

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