石黒忠悳が貴族院勅撰議員にえらばれたのは、明治三十五年のはなし。時あたかも第一次桂内閣が日本国の舵取りを担当していた頃である。 (Wikipediaより、貴族院 玉座) しかしながらこの選任は、べつに石黒本人が希望(のぞ)んだものでは有り得なかった。過去に如何なる猟官運動、自己推薦の類をも、石黒は行っていないのである。 推薦者は別にいた。 時の内閣総理大臣、桂太郎その人が、どうも強力に後押しをしたようだった。 そういう事情は、当たり前だが、任命の内示といっしょくた(・・・・・・)にして石黒本人の耳の奥にもしっかり届けられている。 (あいつめ。……) と、この五十男はそのとき咄嗟になにごとかを思…