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穢銀杏
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2019/02/02

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  • 魚肉の恩 ―『どぜう文庫』と『鮭卵』―

    どじょう料理の老舗たる、東京浅草駒形屋。そこの御亭主、渡辺助七、あるとき奇特なことをした。 学芸振興の名目で、一万円をぽんと投げだしたのである。 投げ込み先は東京商大、やがて一橋へと至る、旧制官立大学である。時あたかも大正十四年が晩秋、霜月の頭ごろだった。 (Wikipediaより、東京商科大学) 筆者(わたし)の記憶が確かなら、日清戦争開幕時、福澤諭吉先生が軍資義捐金として財布から引っ張り出したのも、やはり一万円のはず。 俺がこれだけ出したんだから、てめえらもケチケチすんじゃねえとの、世の富豪らへの「呼び水」的なカネだった。 三十年弱を経て、円の価値もだいぶ変動しているが、それでもかなりの大…

  • 理屈生産、机上の遊戯

    まだ日露戦争が起こる前、すなわち明治の中葉期。東京の名所・旧跡は、多く富者の私有であった。 御殿山の桜林は山尾子爵の、 品川海晏寺は岩倉家の、 関口芭蕉庵は田中子爵の、 まだまだ他にも、向島小松島遊園なぞも――とかくそれぞれ有力者らの掌中に帰した状態だった。 (芝公園の梅) 既に私有地である以上、一般人の立ち入りを禁止するのは勿論である。 『報知新聞』はその状況を憂いている。憂いて、人心の統御上、経世上よろしからぬと切言し、行政の出動を請うている。東京市の財と力で、よろしくこれら私有地を買い上げ、大衆向けに広く公開すべきである、と。 「東京市たるものもし名所旧跡に志あらば、よろしく此等の土地を…

  • 光栄ですぞや勅使様

    明治三十年である。 大蔵省の役人が、関西へと赴いた。 現地に於ける銀行業の実態調査。それが出張の名目だった。 (Wikipediaより、初代大蔵省庁舎) なんとも肩の凝りそうな、生硬い話に聞こえよう。ここまでならば確かにそうだ。が、一行中に「勅使河原(てしがわら)」某という奴がいたこと。彼の存在、彼の名字が事態をだいぶ面白いものにしてくれる。 騒動は、奈良に於いて生起した。 その日、一行が宿泊したのは「三景楼」なる高級旅館。奈良三大家の一つにも選ばれるほど殷賑を極めた店舗だが、ふとしたものの弾みから、ここの番頭が宿帳記載の「勅使河原」を「勅使(ちょくし)・河原(かわら)」と誤読したのがつまりは…

  • 嵐の前の名士たち

    音頭役が菊池寛である所為か。 昭和六年開幕早々、文芸春秋社に於いて催された新春記念座談会の雰囲気は、明らかに暴走気味だった。 (Wikipediaより、株式会社文芸春秋) 出席者らのテンションはヒートアップの一途をたどり、鎮静の気(ケ)がまるで見えない。政治問題、宗教問題、挙句の果てには陰謀論と、あからさまにヤバいゾーンへ話頭が飛んで行こうとも、誰も引き戻さないのだ。 「日本社会の行き詰まりは戦争か社会革命による以外に展開の途がもはや無い」 右にも左にも刺されそうな沙汰事を一息に叫びあげたのは、なんと山本条太郎。 ちょっと前まで満鉄社長をやっていた、ことし六十四歳になる彼である。 これを聞くな…

  • 幼心と罪の味

    新学期が開始(はじ)まった。 まずは何にも先だって、級長を決定(き)めなければならぬ。 従来ならば指名制でカタがつく。担任教師が「これは」と思う生徒を選び、諾と言わせるだけであったが――。昭和八年、秋田県平鹿郡十文字町尋常高等小学校にては、少々事情を異にする。 「選挙制を導入しましょう」 そういう断が職員会議で下された。 (Wikipediaより、十文字駅) 広く世間を眺めれば、普通選挙も三度を重ね、社会に定着しつつある。 この際だ、公民教育の一環として、児童たちにも早いうちから慣らしておこう。誰を級長に選出するか、児童自身に、投票により決めさせるのだ。「一票の重み」という言葉、身を以って知っ…

  • アカの犬

    地獄の、悪夢の、絶望の、シベリア捕虜収容所でも朗らかさを失わぬ独軍兵士は以前に書いた。「我神と共にあり」と刻み込まれたバックルを身に着けお守り代わりとし、軍歌を高唱、整々として組織的統制をよく保ち、アカの邪悪な分断策にも決して毒されなかったと。 (ドイツ軍楽隊) 顧みるたび、げに清々しき眺めよと、感心せずにはいられない。 人間には、男には、たとえ生命(いのち)を奪われようと曲げない筋があるべきだ。 ドイツ人はそいつを持っていたらしい。 だからこそ獄中、転向し、ロシア人どもに媚びを売り、本来的な同胞兵士を叩き売る、腸(はらわた)の腐った人非人、裏切り者の下衆野郎に対する指弾は凄まじいまでのものだ…

  • マイト夜話 ―ニトロとアルコールの出逢い―

    酒の肴に工夫らは、ダイナマイトを嗜んだ。 その頃の鉄道省の調査記録を紐解けば、明らかになる事実であった。 「その頃」とは大正後期、日本に於いても津々浦々でトンネル工事が盛んになってきた時分。 掘削作業の能率を飛躍的に高めた発破、それを為すためのダイナマイトを、しかし現場の労働者らがしきりとちょろまかすのだった。 (Wikipediaより、ダイナマイト) それで何をするかと言えば、刺身にして食すのである。 このあたりで筆者(わたし)は一度、我が眼を疑い顔を上げ、眉間を強く揉みほぐし、二、三度深呼吸をした。 それで視線を紙幅に戻せど、むろん文面は変化せず。ダイナマイトを肴にして呑む酒は、酔いのまわ…

  • 堂々めぐり、暑い日に

    清澤洌は円安ドル高を憂いている。 あるいはもっと嫋々と、嘆きと表現するべきか。 昭和十三年度の外遊、十ヶ月前後の範囲に於いて、何が辛かったかといっても手持ちの円をドルに両替した日ほど消沈した例(ためし)はないと。 「…僕等にとっては千円といふ金は大変な額だぜ。その血の出るやうな千円が、ドルにすると二百八十何弗しか手に這入らないのだ。単位を下げてみても同じだが、百円が二十八弗なにがし、十円が二弗八十何セント。この為替をかへた時ほど淋しい気持になることはないよ。大きなゴム毬だと思って抱いてゐたのが、いつの間にか空気がぬけて、しぼんでしまったといふのがその感じだ」 前回同様、『現代世界通信』からの抜…

  • トリコロールは不安定

    フランスは難治の国なのか? 短命政権の連続に、しばしば暴徒と化す市民。 彼の地の政情不安については明治期既に名が高く、陸羯南の『日本』新聞社説にも、 ――仏人は最も人心の急激なる所、近二十一年間に内閣の交迭せる、前後二十八回の多きに及ぶ。 このような一節が確認できる。 (『世界国尽』より、パリ) 要所要所で政治的に死に体となり、一歩まかり間違えば、欧州すべての禍乱の震源地にもなる。これはもう、フランスという国民国家につきまとう、ある種の宿痾といっていい。 一九三〇年代に至ってはその傾向がますます酷く、当時欧州各国を巡歴していた清澤洌に、 ――世界の悲劇はフランスである。 と慨嘆せしめたほどだっ…

  • 志士の慷慨 ―不逞外人、跳梁す―

    外国人に無用に気兼ねし、何かと腰が低いのは、日本政府の伝統である。 明治政府もそうだった。 昨今取り沙汰されると同様、日本人が相手なら些細なルール違反でもビシバシ取り締まるくせに、外国人の違法行為に対しては、遠慮というか妙な寛大さを発揮して、いわゆる不起訴で済ませてしまう。それをいいことに当の外国人どもはますます増長の一途をたどる。 (『Ghost of Tsushima』より) 『エコノミスト』初代の主筆、佐藤密蔵という人は、学生時代たまたま遊んだ横浜で、立派な身なりの英国人が何か気に喰わぬことでもあったか邦人車夫をステッキで滅多打ちにしている現場に遭遇し、 ――これが「紳士」のやることか。…

  • 南洋に夢を託して

    小学校のカリキュラムにも地方色は反映される。 九州鹿児島枕崎といえば即ちカツオ漁。江戸時代に端を発する伝統を、維新、開国、文明開化と時代の刺戟を受けながら、倦まず弛まず発展させて、させ続け。昭和の御代を迎える頃にはフィリピン諸島や遠く南洋パラオまで、遥々船を進めては一本釣りの長竿をせっせと投げ込みまくったという、意気の盛んな港町。 (Wikipediaより、枕崎駅) かかる熱気はひとり港湾のみならず、小学校の授業風景にまで伝わり、浸潤し。通常の教科書以外にも、手製の海図を壁に張ったり、配ったり。カツオを乗せてやってくる暖流の長大を指し示し、 ――我らの活路は南方にあり。 と煽った教師もいたよう…

  • 遊廓に 乳飲み児連れて 登楼る馬鹿

    女房に先立たれてから後のこと。 文人・武野藤介は彼女の遺した乳飲み児をシッカと胸に抱きかかえ、遊里にあそぶを常とした。 誤字ではない。 遊里である。 (島原大門) 金を払って美人とたわむれる場所だ。 そこへ赤子連れで行く。 「こうすると芸妓(おんな)にモテるんだ」 それが理由の全部であった。 人間のクズといっていい。 とんだ「子連れ狼」だった。 更に輪をかけて度し難いのは、武野が己の行状を後ろめたく思うどころか、こんな巧みな遣り口を発見したこの俺は、なんて頭がいいのだろうか――と、むしろ自慢げに吹聴して廻っていたことである。 「芸妓はその職業的必要から女性としての母性愛を圧殺してゐる、だから赤…

  • 愛欲地獄

    「未亡人が喪服を着ている時ほど色っぽいものはありません」――マルキ・ド・サドはよくよく真理を衝いている。獣欲の虜となった野郎とは、ことほど左様に見境のない生き物だ。修道服でも喪服でも、彼らの眼にはただの単なるコスチューム、より一層の興奮を煽り立てる為だけの小道具でしかないだろう。 (フリーゲーム『イミゴト』より) むかし、成田勝郎という人がいた。 少年審判所――今でいう家庭裁判所の如き機関に長らく奉職した彼は、経験に徴してある傾向を見つけだす。 すなわち「どんな家庭環境が、不良少年を生み出しやすいか?」――子供がグレる条件とはどんなの(・・・・)か、大人は何に気を遣ってやるべきか。それに関して…

  • 完成された日本人

    「印度海の暑とて日本の書中よりも厳きことはなけれども、夜昼ともに同じ暑さにて、日本に居るときの如く、朝夕夜中の冷気に休息することの出来ざるゆへに、格別難渋なり」。いやいや先生、日本の夏も熱帯的になり申したぜ。ここ何年かは夜の夜中も熱気がこもって(・・・・)かないませんや。夕涼みなど、とてもとても――。 (viprpg『やみっちの服って暑そう』より) 慶應三年、福澤諭吉は都合三度目の洋行をした。 太平洋を横断し、北米合衆国の土を踏む。それに用いた船の名を、すなわちコロラド号と云う。 帰国後物した『西洋旅案内』中に、コロラド号のスペック等が載っている。日本人が「黒船」と呼んで恐れて且つ憧れた水の上…

  • 日本の眠りが覚めた街

    心に兆すところあり、浦賀を歩くことにした。 駅から出て暫くは、目前の大路、浦賀通りに添い、進む。左手側の空間を浦賀ドックの巨大な壁が圧している道だった。 ドックの壁にはこのように、 浦賀の歴史を象徴的に描き上げた看板が、幾つか掲げられていた。 榎本武揚と渋沢栄一。この施設を建てるのに多大な貢献をしたらしい。 福澤諭吉と勝海舟。背景(うしろ)で波を切っているのは、もちろん咸臨丸である。しかし何故、この両人がガッチリ握手しているのやら。友誼など薬にしたくも見当らぬ、犬猿と呼ぶに近い仲であったはずだが。 ちなみに山本権兵衛は勝海舟の為人(ひととなり)を評するに、 「自分が大西郷より添書を貰って勝安房…

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