記憶と視た不在が、本当に消えてしまう瞬間に想いを馳せる。 胸のうちに残る「記憶」が本当に失くなる瞬間を見届けることは、自分の死を見届けるのと同じように不可能だ。しかし、記憶が死よりも心許なく哀しいのは、誰ひとりとして自分の記憶を鮮明に証言できる者がいないことだ。たとえば、友達ふたりとカラオケに行ったある日のこと。ひとりの友達は外れ調子に陽気に歌い、もうひとりは自信なさげに歌声を披露して、俺はさも得意気に歌い上げていた。フリータイムの後半は、内面の打ち明け大会となった。いい頃合いでまた歌って解散した。この日歌ったメンバーは、自分を除いて、もうこの世にはいない。だとしたら、もし今後自分が死を迎えて…