汗をかいても読書をしても収まりが悪くて、とにかく何をするのが居心地いいのかわからない。 夏が終わり始める。 若々しかった青葉は突端から色づき始め、窓際の17時は、昨日より今日、今日より明日と影が伸びてゆく。北回りの風がいつもよりカラッとしていて、水分ごと殴ってきたようなあのころの勢いが寂しい。 銭湯上がり、いつにも増して汚れが落ちすぎた。 夏の終わりと秋の終わりの隙間に入り込む季節は苦手だ。そんなことを言ってるうちに、こんな不安定な季節、今年もまた味わえませんね。
**************** 精神病って、精神世界の「ここ」と「あそこ」との橋が掛かる瞬間でもあるから、罹患とともに、これまでひとつしかなかった世界に対岸の世界が生まれることになる。精神の大いなるパラダイムシフト。メランコリーの深淵と悲哀。今立っている「ここ」は「こっち側」だった、と図らずも知らされる。 橋の「あっち側」には濃い"もや"のかかった不気味さのみが見えるばかり。「在る」けど「不在」な向こう側がつねに視界に入りながら、渡るか否か不安定さのなか生きることになる。 日々、対岸の存在を気にしている。 何も見えないあそこには何があるのだろう。 **************** 夜。 赤羽…
数年前、いかんともしがたい夜に、 「じゃあいっそ自転車乗っちゃう?」と、 寝静まった実家のドアを静かに開け、 ひとり自転車で都心を走りまくった。 とにかく坂が多くて飽きることはなかった。 長い下り坂はスリリングでよかった。 深夜、中心部は東京でもっとも暗い街になる。銀座まで行くと坂はなく、 数時間前までは煌びやかだったであろうショーウィンドウ。 必要最低限の照明がむしろ生々しかった。 汗が冷えてきたのと同時に現実的な気持ちが返ってきて、 明日に備えて帰路に着いた。 上り坂が続きまた汗をかく。 背後から空が白んでゆく。 車の往来が増え、 暗闇で見えなかった泥酔者たちが ところどころで路上で干から…
【本の感想】『ROLLER SKATE PARK』 小幡玲央・著
『ROLLER SKATE PARK』 小幡玲央・著 ● 大学生だった頃の記憶と匂いを残し東京で日々を送りつつ、自身の内面下につぶやきを投じ、少し虚しい水面の波紋を写実的に描写する——。本書は、20ページというボリュームのなかで、8篇のざらついた生の述懐が収録されている。この20ページという薄めといえるzineには、凄まじい威力がある。他人事とは思えない胸のざわつきを覚えた。 なぜだろう。 ○ 『DJ PATSATの日記 Vol.2』というzineを数ヶ月前に読んだときも、そんな思いになった。 筆者は、大阪・淡路で音楽と自転車、そしてzineを販売している『タラウマラ』の店主、土井政司氏。 z…
仕事終わりの秋の風はたまらなく気持ちがいい。 遠く西の空が繊細に色づく。帰りの電車で眠気に揺られ、瞼が重たくなるたびに、今朝見た夢がプレイバックされた。 西九州新幹線が開通した町で、子どもたちが、新幹線がやってくるのを今か今かと待っていた。 あのね、 新幹線の赤は、 いちご色なんだよ。 キャッキャと笑い合う子どもたちのそばを、 新幹線かもめ1号が駆け抜けた。 そんなテレビのニュースを、 ついに一度も練習せずに ピアノ発表会を明日に迎えた俺が、 焦燥感と諦めを混ぜ合わせたような顔で 煎餅を齧りながらぼんやり眺めていた———。 なんじゃこりゃ。関係ないけど、昨日、 初めて金木犀の匂いを嗅いだ。
祖父の四十九日法要のため、日帰りで盛岡へ。 盛岡はホームに降り立つ瞬間、きれいな緑の匂いがする。 対比で、東京の空気の汚れに気づく。 タクシーで寺に着く。 寡黙な運転手。 気温は高いが、あまり蒸さないぶん、まだ楽だ。 四十九日法要。マスクにお香の煙が染み込む。 焼香はいつまでも慣れない。 あのぎこちない所作の間だけは、亡き祖父に想いを馳せる余裕がない。 和尚の読み間違いと、咳き込む音、少しずつ早まる木魚のBPM。 読経のわずかな無音に、扇風機の羽音がよく目立つ。 一定のリズムで風速が強弱を繰り返すが、首振り機能の運が悪く、ずっと微弱な冷風が届く羽目になった。遠く蚊取り線香の匂い。 外の庭園は青…
今日は友人の誕生日だ。 私にとっては大学の友人。 外に目を向けると、 彼は新進気鋭の若手俳人。 木村リュウジ。 彼の俳句とその姿勢や気概は、 いつか、俳句界の未来を開拓するような 才能ある俳人へと育ってゆくだろう。 そんな期待さえ上がる、その人生の一歩を、 彼は踏み出そうとしていた。 彼は宮崎斗士を尊敬していた。 俳句は私は明るくないが、 彼と会うたびに、宮崎斗士の俳句の良さを語ってくれた。 惹かれる句ばかりだった。 憧れ、挑む心が芽生える気持ちもよく分かった。 大学卒業から、彼は神経症を患い、闘病した。 彼のブログには、病状が克明に記録されている。 ryjkmr1.hatenablog.co…
30歳になった。 晴れて20代と縁を切り、30代の仲間入りだ。 この世に生を受けてから、31年目がスタートした。 毎日は楽しい、となるべく思えたら嬉しい。 しかし、現実は気の塞ぐことが多い。とくにコロナ禍が長期化するにつれて、どんどんと心が霞む実感が増している。親友と呼べる数少ない人のひとりを亡くしてからは、頭に霧が立ち込める日々が続く。 今日は診察。 「30歳まで生きてこれたのは凄いことだ」と主治医は仰る。 30歳になった。 そうか。 30まで、頑張って生きてきたんだな。 たしかに、20歳になって「この歳まで生きてこれたなあ」と棒読みで誦んじても、イマイチしっくりこない。 これ、グッとくるの…
昼に起きてから、ウダウダと自室で過ごしていた。 惰眠を貪るほどでもない眠気を持て余し、布団でダラダラと暇を持て余す。 日が暮れた。 と同時に、なぜか我がメンタルも沈み切った。 それはあまりにも急なことだった。さすがに突然すぎる急転直下で、「これは調子の良し悪しとかじゃないな」と勘づく。 しかし、あまりにも突然の気の沈みよう。まるで寝起きに踵落としを見舞われたような心境。そんなシチュエーション、ないけど。 自室を出た。 冷房は効いていない。 リビングで、麦茶を飲む。 冷房の付けていない無人のリビング。 温度計は33℃を指していた。 ほどなくして全身がジンジンとした違和感が襲う。 手足の末端から、…
先週金曜日。 仕事が終わって、退勤のち、スーパー銭湯へ行こうと思い立つ。 日が伸びた夜6時はまだ「日暮れ」ともいえず、電車で隣町へ。 しかし。 なぜか。 急に。 気が乗らない。 シュルシュルシュル…と、銭湯欲が萎んでいってしまった。お湯に浸かったり、サウナに入ったり、水風呂に唸ったり、外気浴したり、そういうことが、なんか、面倒くさいな。 悩む。 首を傾げる。 あれこれ考える。 行こうか…それともやめとくか…。 スーパー銭湯の建物の周りをぐるぐる歩き回る。 しかしどうして、よりによって、スーパー銭湯の目の前で、スイッチが切れてしまったか。 腹が減ったので、ひとまず近くのガストに入店。 から揚げ定…
一生は短いなあ、 と、ごく当然のことをしみじみ想う。 今年30歳になる俺が、これまでの月日をもう一度回すと、もう定年退職の歳になるんだからな。 ペットのインコも、天寿を全うするころには、俺は45〜50歳になっている。人の一生のうち、ペットを飼う機会は4〜5回あれば多いほうだ。 60を過ぎた両親のように、 「この景色が見れるのはあと何回か」 「あの街に旅行に行けるのもあと何回か」 「ペットを飼えるのもあと何回か」 と、ふと残りの日々を逆算して考えるようになるのも、人生の店仕舞いこと「終活」に手をつけ始めるのも、案外あっという間なのだろう。 信頼する人の、 「ただでさえ短いんだから、自分から死なず…
今週は、以前から予想した通り、負荷の高い週だった。 社会人4年目かつ入社4年目。 ハッとすることが多い週でもあった。 我ながら、よく頑張った。 在宅で退勤後、歩いた。 この週の予想と対策を立てていたのもあって、体力に余裕がある。ふたたび我ながら、これは大きな成果だ。 ひたすら歩いたあとに銭湯で汗を流したい。 リュックには大小タオルや髭剃りセット、スキンケア系、それから着替え一式を詰め、いざ外出。 家を出て西に向きを変えると、滲みるほどの日差し。 風は乾いていて、秋を再現したかのよう。 車がビュンビュン行き交う幹線道路から、人影もなく雑木林がざわめく一本道まで、一定のリズムで歩き続けていた。 そ…
夜になると身体がズシンと重くなる。 真っ暗な部屋の中で、自分の影が濃く重く引き伸ばされていく感覚。よからぬことを考えやすく、悲観的になりやすい。 誰もが通ってきた道だろう。 かつ、今も振り回されている人が数多いるだろう。 俺もそのひとりだ。眠れない。 深夜という時間帯は、ダウナーになりやすいという。 身をもって感じる。 だいたいメンタルの谷間は眠る直前。いつも血みどろ捨てごろのひと試合してから眠りにつく。 しかし、この時間の月はなんと魅力的なんだろう。 天気のいい日はベランダに出て、月の輪を眺めたり、月影をボーッと見る。ただ無心で。それがいい。 自室に戻り、布団に入ると、あんなに格闘していたの…
上空にボール紙を被せたような、変な天気だ。 電車のドアの窓に水滴がかかる。 朝ラッシュの混雑にやられながら、鼻先の水滴を寄り目で追いかける。ヤツは、走り出すにつれ、ツーと後ろへ這っていき、やがて見えなくなった。 ひと駅ごとに、窓ガラスが乾いていく。 雨は降り止んでいた。 しかし小休止くらいのものか。 行く先々で、道路が光っている。 出社。 の、前に、めまい。 久しぶりにぐわんぐわんと目が回る。 あれ…。 オフィスの最寄り駅までは来たものの、ホームのベンチに腰掛けると、脚がなかなか動かない。 服が重たく感じるので、シャツを見ると、汗が全体にびっしょり。もはや違う色の服だ。 気温が低いから油断して…
1週間の仕事を終え、帰路につく。 夕方の風が涼しい。 肌にまとう汗をサッと冷ましていく。 1週間、よく働いた。 よく粘って、よく調整して、よく回復した。 よくやった。 そんな俺は、 そうだな…。中華、食べようかな。 池袋西口。 中学時代から知っている大衆中華店へ向かう。 東口のサブカルチャー風の雑味とはまったく違った、混沌と猥雑を浴びる。 さまざまな飲み屋、さまざまな風俗店、隣り合うラブホテル、悲喜交々を羽織る男や女…。 その店は、繁華街と風俗街の間で八百屋が挟まり出す、西口の極北にある。 店内に入ると、盛況。 ただ、いつのまにか大幅にリニューアルされていたようだ。 まず、メニューの扉には、「…
10分歩いているだけで、汗が泉のように噴き出してくる。 冷房の効いた場所にいても、体内がひどく火照って、内側から熱にやられる。 どこにいても危ない暑さ。 麦茶、緑茶、スポドリ、水…。 ペットボトル飲料水を切らさず、ひたすら喉を鳴らす。 歩かずとも、外でも中でもどこにいたって水分は必須。 そんな木曜日。 今日は休み。 張っていた糸が緩んでいく。 久しぶりに、人に会う。 少し、背筋がピンとする。コロナが流行してから、人に会うことが極端に減った。 今もまったく変わらない。仕事以外で、人に滅多に会わなくなった。 今日の、付き合いの長く深い友人に会う約束をしただけでも少し緊張が走ったんだもの。人慣れをし…
月曜火曜と、精神的にしんどい日中だったが、今日はだいぶ穏やかに過ごせた。 酷暑も夕方になると少しずつ緩み始めていくものだが、激烈な昼間の残りが湿気とともにいつまでも漂う。 ひと駅歩くと、すぐさま球の汗をかき出して、濡れたTシャツが重くなっていく。汗が風に触れると、途端に涼しく感じられる。 一昨日より昨日、昨日より今日と、視線が上向いている。 不意にストンと落ちることもあるが…。 もう夏だ。 華やかなこともないが、爽やかさなどもともと備わっていないが、気温が下がる次の季節に入った頃には、そんな荒々しさも少し名残惜しく感じる。 夏、好きだ。 西陽が眩しい。
帰路の湘南新宿ラインの車窓から、夕陽に焼けつく西の空が見えた。渋谷、新宿、池袋のオフィスビル群が、次から次へと夕暮れの影となり、矢継ぎ早に過ぎ去っていく。今日という空の終わりを、フィルム映画の一コマ一コマにして、スローモーションに映写する。 イメージの内側で、あいつの言葉を思い出す。 しかし、もはや虚空をうわずったまま、塵となり霧消するばかりだ。 梅雨のわりに、関東地方は夕陽が美しかった。 向こうが美しく見えると、一方こちらは、ひどく青白く、薄暗く感じられる。 虚しさと無味乾燥さを舌先で何十年と味わう日々で、幾度もこうして、LED白色蛍光灯漬けの車内から、ふと、美しい情景を眺めていくのだろう。…
人も街も緑も川も、 日向も日陰も朝も夕も、 目に映るものすべて、陽炎の先の幻。 急に暑すぎる。 ご挨拶ってものを知らないのか。 昼はスタバですべて済ませた。 全額ポイント払い。 窓の先、道沿いの雑居ビルが、ハイキーにハイキーを重ねたかのような眩しさにやられ、乳白色に輝いていた。 アイスコーヒーは酸味があって、暑さによく似合う味わい。 昼休みを終えると、動悸と不安感で一杯に。 こうして発作的に黒い波が押し寄せることは幾度もあるが、疲労が拭えていないのか、今月は頻発している。 部署のグループチャットに、心身不調の共有と不調対策のイヤホン使用の旨伝え、耳栓がわりにBluetoothイヤホンを突っ込ん…
3年ぶりの落語を観た翌週、また落語を観た。 3年ぶりのち1週間ぶり。 桃月庵白酒、独演会。 兎にも角にも暑くてどうしようもない土曜日。 気温を示す電光掲示板には38℃と表示されていた。 ホールの中は涼しく、腰掛けると身体中の熱がクールダウンされていく。 程なくして、開演。 落語、楽しいなあ。 噺家ひとり、マイクを通じて聞いているのに、ここにいるんだもの。愛らしく人間くさい登場人物たちが。 落語が好きだ。 ラジオが好きなのと同じく、落語が好きだ。 あっという間に終演。 ホールを出ると、日差しに茹だる街並みが、とても眩しい。
昼の猛烈な暑さの下、5km歩いた。 頭が少しずつガンガンと鳴り出し、汗も出ず。 熱中症まっしぐらになってしまう、と、水分補給。リュックに忍ばせていたペットボトルを引っ張り出す。が、せっかく家から持参してきた数本の麦茶も、すっかりぬるくなっていた。さらには少し健康上きな臭そうな味もしている。 今度から水筒に入れないと、これは流石に…。 ロードサイドのコンビニのイートインに入り、冷たい飲み物を身体に流し入れた。夏の水分補給は、「"冷たい"飲料水」というのがまたよいらしい。どこかのテレビで言っていた、ような気がする。 歩く先には、本日の目的地。 東京の郊外にある、評判の銭湯へ。 入ると、番頭さんの横…
ミッドセンチュリー風情を演出するチェーンハンバーガーショップで、昼。 大きく取った窓の外で、前のめりの夏が白く光彩を放つ。交差点で待つ白いバンが、光を眩しく乱反射させている。 持ち運び傘をカバンに忍びながら、 防水靴を履きながら、 「なんだそれ」ともやもやした気でむさぼるハンバーガー。 ハンバーガーは、またしてもピンと来なかった。 このところ続けてハンバーガーを食べているが、このところ続けて、いまいちピンと来ない。 ハンバーガーのピークは、食べたい、と思い立った瞬間だろうか。 それとも、単にハンバーガーがそんなに好きじゃないのかな? メンタルの不調っぽさが昼のうちに落ち着いてきた。 さては、ハ…
オフィスを出ると、細かな雨が降っていた。 高架駅のホームから見えるのは、色とりどりの傘を差して、赤信号を待つ人々。 マスク越しに伝わる湿度の高さに、呼吸すら重たく感じられた。 身体が重い。 この天気の影響だけではないだろう。 次の電車はまだ来ない。 霧状の街でホームドアが整然と続いている。 赤信号はまだ続く。 傘を差す群れは控えめな紫陽花のようだった。
トップスのケーキを買った。 父はチョコレートが好物で、とくにトップスのチョコレートは最高ランク。 しばらく見ないうちに、チーズケーキがラインナップに加えられていた。 チョコと合わせて、購入。 父は酒を一切飲まなくなったぶん、甘いものを好んで食べるようになった。百貨店の上の階に行き、マグカップと、熱伝導率の高いアイスクリームスプーンをプレゼントに買った。 帰りの電車。 隣に座っていたスーツ姿の男が、ビジネスPCを開いていた。チラッと見ると、そこには「人妻ソープランド」の文字が。思わず二度見してしまう。彼は電車の中で風俗店の予約をネットで取っていたのだ。 しばらく目を離していると、いつのまにか、P…
じりじりと照りつける昼下がり。 蒸し暑く、逃げ場がない。 3年ぶりに落語を観た。 両親と観たのは、10代ぶりだろうか? 小学生ぶりかもしれない。以前観たのは、寄席。 池袋演芸場で、何時間も夢中で笑った。 昼の部のトリは柳家権太楼。夜は桃月庵白酒。 身体のけぞらせるほど笑った。 当然、マスクは誰ひとり着けておらず、好き勝手に笑う一人ひとりの声が大波のうねりを伴って噺家に押し寄せる。楽しかった。 今回。 三遊亭白鳥と古今亭菊之丞の二人会。 面白かった。 後半になるにつれナチュラルハイになる空間。 楽しいな。 また行こう。 続いて、ケーキを買いに行く。
就労支援施設の卒業生としてパワポで発表した。 就労までの心掛けや変化、努力したこと、など。 15分の持ち時間をもらったときは、 「これ時間もつかなあ…」 と不安だったが、蓋を開ければ22分喋っていた。 まともに喋れていたらいいが。 以上、今日すべきことは午前中に終わった。 スッキリ。そして、腹が減った。 吉野家の、牛焼き肉丼。 汗びっしょり土曜日。
1週間の仕事を終え、右肩に解放感、左肩には疲労感をそれぞれバランスよく乗っけてオフィスを出た。 皮膚炎になってから、退勤後の楽しみだった銭湯巡りはしばらくお預け。 代わりに、馴染みのない街を歩くのが楽しみになった。 日頃から湯に浸かり芯から温められ、サウナでよく汗をかくようになった身体は、ウォーキングにはちょうどぴったりのアップ運動はしていたわけだ。 横浜まできた。 横浜ブランドは逞しく、その価値といえば東京を優に超えるだろう。 が、それはイコールみなとみらい〜赤レンガ〜山手一帯の風光明媚な港町の風情を湛えるエリアを指す。「ヨコハマ」以外9割以上の「横浜市」は、山と谷の街だ。急峻な坂を上ったり…
今日は休み。 雨が降りそうで降らない。 昼は近所のラーメン屋に行った。 醤油ラーメンではなく「中華そば」と呼んでいる店。 1,000円目前とちょい高め。 でも、絶対に外さない、評判の店だ。 「中華そば」が、スープ、麺、ネギ、メンマ、チャーシューそれぞれが計算されたように配置され、ツルツルで真っ白の器に収まって運ばれてきた。ひと口目。 れんげで掬いスープを啜ると、口の中に甘味が広がる。 麺はツルツルではなくスープがごく絡み合いやすい、風味が豊かな細麺。 チャーシューはローストされた赤みがいい。メンマは肉厚でジューシー。 あっという間に完食。 ラーメンは、退店して、ハーっと息をつく瞬間がいい。 こ…
2022/06/15 ミスト状の雨とコーヒー、チェーン店のパスタ
ミスト状の雨が木の葉を湿らせている。 曇り空はまだ薄く高い。暗さや圧は少なく、昼過ぎにはやむだろうか。 朝。 駅ナカ喫茶に入店し、アイスコーヒーを頼んだ。 もう春が退潮するころにはすっかりアイスコーヒーが続いている。氷のカランカランや溶けかけたジャラジャラをストローで軽く回すのが心地よい。 何かにつけてアイスばっかりにしているため、たまに温かいものを飲むと、胃腸からぬくくなって、全身に回っていく。それもそれで気持ちがいい。身体は、気付かないうちにたいへん冷えている。カフェインが眠気を引かす、その「ツーッ」した快感。 昼前。 腰を据えがっぷり四つに組む、根気のいる業務が待っている。 が、いかんせ…
朝の空は一面、鼠色。 太陽が隠れているのだろう、東の空の一点だけ明るかった。 「いっちばん強いステロイド薬」の効果はてきめんだった。痒みはほとんどない。全身に広がっていた赤い斑点も、少しずつしかしながら着実に後退している。 今日はオフィス勤務。 電車内は立ち客のスペースには余裕があった。前に立っている、少し芋っぽいスーツ姿の男性が、なにやらスマホを立て続けにスクショしていた。 ちらっと目に入ると、ツイッター上のフェミニストが繰り出すツイートを次々と保存していた。いつかどこかで身を助ける武器を揃えているのだろうか。 いつどこで効果を発揮するのだろう。 駅に着き、降りる彼と入れ違いにして、若い女性…
今年の夏を占うように、今日のわが街練馬はじりじりと暑い。時折ひゅっと吹く風が涼しげで、かろうじて6月を感じさせる。 在宅勤務の昼休憩のあいだに、近所の皮膚科に行く。 昨日からあった虫さされと思しき斑点が全身に移り、痒くて痒くてたまらないのだ。 ところで、チャドクガをご存知だろうか。 チャドクガは蛾の一種で、主にツバキやサザンカなどの庭木に生息する。幼虫も成虫も微毒性のある針を全身に纏い、人の肌に触れると、斑点が局地的に現れ、毒により痒みが起こる。繁殖期は5月から6月と、秋期。とくにさかんに活動するとともに、毒針もせっせと蓄えられる時期だ。チャドクガの毒針は軽く、風が吹いただけでフワッと空中に飛…
起き抜けから半目開けの朝の目覚め。 固まりはじめた泥のような表情で挨拶をする。 まったく眠った気がしない。 今から就寝するにはちょうどの疲れ度合いだ。 庭に目をやると、梅の木がすっきりさっぱりしている。 ジャングルのごとき茂みにも風の通り道が生まれ、梅も多少は過ごしやすくなっただろう。 午前中に家に帰り、CPAPを付けて昼寝を試みた。 それはそれで眠れるってわけじゃないな。
いまは不在の祖父母宅。 母、叔父、そして俺との梅摘み、剪定、草むしりを終えて、皆が皆、泥のように疲れ、下半身が平成初期のロボットのようにギイコギイコとしか歩めなくなってしまった。 今晩は泊まることになった。 CPAPがない。 このことに気づいたのは午後8時過ぎ。 「CPAPがない」のは、「今夜は徹夜な」と命じられたようなものだ。いや、だいぶ眠れることに変わりはないが、実質眠らず疲労を溜めているのとも変わらない。 うわー、と、天を仰ぐ。 シミが目立つこの家の天井。 睡眠時無呼吸症候群。 これが、いかに人の健康状態を害すかについては、よく語られていることかもしれない。 が、どこか、「まあつってもい…
祖父母が住んでいた家に行く。 庭木の剪定や、伸びきった植物を手入れした。 梅の木、 ヤツデ、 カエデ、 ミョウガ、 雑草系… 草を切りむしるたび、匂いがむんと充満していく。 こんなに緑は生々しい臭いがするのか。 植物は魅力がある。
6月。 梅雨に合わせて、春の華々しい「新生活」の宣伝文句にカビっぽい生活臭が付着しはじめる。 夕方ラッシュの電車内は、軽く茹でたようなよろけた大人たちが吊り革に揺られて帰路についていた。 そのうちのひとり。 2人ほど隔てた先に、小柄なリクルートスーツの女性がいる。より小さく見えるのは、ちょうど疲れはじめる季節だからか。手垢にまみれた言葉として、フレッシュ…というか、初々しいというか。「働く」ってことでいえば、見てるこっちの胸が少しキュッとなる後ろめたささえ感じた。 胸にバッジがついてある。 沿線の百貨店のロゴと、「研修生」の印字。 付いてますよ、と声をかけようにも微妙に離れていたので、早々に諦…
人のもつ「優しさ」を尊く教え合うことが多い。 たしかに「優しさ」は、 座学なり経験なり暗記なりで 勉強すれば誰でも獲得できる、 比較的門戸も広く容易なスキルだ。 一方、 たとえば他罰的な言動や攻撃性、威圧、暴力… その他多様な悪意や憎しみ、怒りの発露… いわば人間の負のエネルギーは、 学ぶ以前に植え付けられた人間の機能といえる。 また、日々よく育ち日々よく生きている私たちの 無数に浴びては引っ掻いた傷と反動の証左でもある。 私たちの個性がもっとも如実に現れるのも、ここだ。創造も変化も「優しさ」からは生まれない。 負のエネルギーの昇華の賜物だ。 どこから間違えてしまったか分からないが 生まれてき…
自棄になった人が大人しく帰路につく時、どんな顔をしているんだろう。 某年、春前のこと。 会社終わりに、どこでもいいのでどこか行こう、となった。旅行というより徘徊だ。どうにでもなれ、と思っていた。しかしだいたい、どうにでもなりたいときほど、ただの近所の散歩より質素なひとり旅に始まって、とくに盛り上がるものもなく終わる。 東京にもあるチェーン喫茶でひと息し、横浜にもあるチェーン牛丼店で大盛りをかっ喰らい、埼玉にもあるコンビニで夜食やら菓子やらを買い込み、千葉にもあるビジネスホテルのベッドですやすや眠る、のを意味もなく大阪でやる感じ。 気力がないわりに衝動は一丁前の時に限って、開拓する勇気はないがハ…
10年前を思い出そうとするのは難しいが、20年前だったら、かろうじて引き出しからチラホラとした記憶が収納されている。今日、何年ぶりかに取り出した、いや…ついぞ忘れてしまっていた、埃まみれの幼い記憶の話。 生まれたのは千葉県船橋市。 すぐさま親の社宅がある東京都練馬区へ。 2年間、父の転勤にゾロゾロついてって京都市左京区に住んだのを除けば、私はかれこれ27,8年、練馬区で育ち暮らしている。 練馬区民にとってのターミナルは、若者のメッカ・渋谷でも、繁華街とオフィスビルのギラギラ圧縮袋・新宿でもなかった。少々バタくさく、ちょっと足を伸ばせば静かな住宅街の広がる、池袋だ。生まれた日から今日に至るまで、…
某スーパー銭湯のサウナには、テレビがある。縦に積まれた段差のどこに座っても視線の先にはテレビがあって、スピーカー越しに今やっている番組が見れる。 某日、夜。 ちょうどサウナに入ったとき、そこでは乃木坂系のアイドルグループが歌って踊って、を映し出していた。歌番組。過去放送のダイジェストらしい。センターで踊っているのは、三谷幸喜。なぜだ。キレがいいといえばキレがいいが、三谷幸喜が乃木坂のダンスのキレがいいことをどんな顔で見ればいいんだ。 誰よりも真剣に踊る三谷幸喜。 野太い声で歌う三谷幸喜。 少しずつ息の上がる三谷幸喜。 若い女の子のように溌剌と歌って踊るおじさん・三谷幸喜。 「それが面白い」を提…
高校の頃の人に会ったり、その時に所属していたグループで久々に集まったりすると、一瞬であの頃に戻る。 たいてい、こういった触れ込みの話はいい意味で使われる。大人になっても若いまんま、青春時代の輝きは今もなお、いつだってオレたち花のうんたらかんたら……。 でも、それは本当だろうか? さあここからは、拗らせアラサーたちの出番だ。 もとい俺がひとりでフゴフゴ言うだけだが。 もし。 高校時代の仲間が集っているなか、飛び込んだとして。 嬉しさがまず来る。次に、頑張ってここまでやってきたよね、の感慨がある。その次に、 あれ? 今、山吹生だっけ??の、背中がツーンとなる、あの感覚が来る。 これが問題だ。 これ…
夜になると気分が沈むのは、ごく当たり前のことだ。 夜に月が揺れるとき、人の心は膨張する。 喜びも、悲しみも、怒りも、無力感も。 怠惰で肥え切った身体のように、際限なしに心が膨れ上がっていくものだという。 誰が言ったか知らないが、言われてみればたしかにそうだ。 夢に、亡くなった友人が現れた。 私たちは、郊外のファミレスにいた。 よく知っている、宮原駅東口から中山道沿いに歩くと見えてくるサイゼリヤだ。 ここで、私は友人に説教をする。 「なんで死のうとしたんだよ、死ぬこたないだろう」 友人は、ある晩酒に酔った勢いで「俺は死ぬんだ」と周囲に言いまくっては潰れたらしい。普段から不安定になることはあるが、…
昨年春より幾度も目標としていた文学フリマ東京が、無事、終了致しました。 かくいう私も、この星の数ほどのブースが出店していたなか、『緑の雨文芸』としてそのごくごく一角でひっそりと出しておりました。 2018年秋に仲間と共同でブースを出していたことはありましたが、今回は始めから終わりまですべてひとり!よくいえばひとり、悪く言えばワンオペです。 以下、ワンオペでいきましょう。 今回は、昨年にすでに完成していましたが胸を張り新刊新刊と言い張っている東京アンソロジーを筆頭に、アンソロ参加者のみなさんからお寄せくださった作品も併せての頒布となりました。総勢、7冊! 色とりどり、賑やかですね。準備段階からと…
深夜。 日々の生活に彩りを加えるメランコリー気質が、またもドドメ色のスプレーを噴射した。 こういう時はどこかに吐いた方がいい。 ネット上は避けるべきだ。 なのでこの頃は、気が付いたその時にメモ帳に書き出すことにしている。 つっても、書くような落ち込むことがなけりゃそれがいちばんだろ。夜の日付も変わりかけの時間になにも布団から起き上がって、書くっていっても言っちゃあ泣き言じゃねえか。 と、体調の悪さを示唆させる悪態をつきながらもメモ帳のあるリビングへ、足取り重く向かった。 母がいた。 背中をぐりぐり押さえたり揉んだりしている。 ウーウー言っている。 私が「どうしたの」尋ねようとした瞬間、こちらを…
お久しぶりです。 このブログもなかなか続かないまま、途切れ途切れで数年続いています。 いつもありがとうございます。 3ヶ月ほど休職期間を頂いていました。 今は無事復職しております。 まずは仕事ができる喜び。 次に、仕事の勝手を忘れかけていたことへのショック。 それから、3ヶ月離れていた仕事生活の疲れ。 さらに今は、うまく言うことを聞いてくれない身体へのもどかしさを加えて、実にさまざまな複雑な模様で装飾された感情を感じながら、また働いています。 働けてよかった。 皆様も、くれぐれもお身体に気をつけて。 各々、頑張りましょう。 おやすみなさい。 久しぶりの、短いご挨拶でした。
久しぶりに朝早くに目が覚めて、仕事の気合いがじゅうぶん入っていたところで、雨が降りはじめてしまった。傘を持って行かないと。雨は苦手な体質だが、それほど嫌いってわけでもなかった。なければないほど嬉しいかというと、そんなに嬉しいわけでもなかった。頭痛や眠気と闘いながら働きながら迎えた昼休み、傘に当たる雨粒を感じながらランチを探すのも、悪くなかったんだよな。悪くない。 いつも仕事をしながら、こまめに休憩を入れている。体調を安定させながら働くために、入社から2年弱、こまめに時間をもらっている。今日は久々に本を読む時間にしてみた。さすらいのジャズミュージシャンにして文筆家、元ラジオパーソナリティの菊地成…
昨日今日は体調が悪く、家の中でボーっとテレビ西武戦中継を眺めているだけで終わろうとしている。気力がなかなか湧きにくく、よりボーっとしていたが、たった今西武がホークスに勝って試合終了し、気分よくブログを書くに至った。とはいえ、昨日も今日もさして触れるような話題がないため、一昨日の自転車散歩のことを書こうと思う。仕事を終えて帰宅して、すぐに自転車のタイヤに空気を入れた。ライトの電池も足りている。雨もこの先降らないだろう。ちょっと気持ちがはやりながら出発。はっきりとした目的地はいつも決めておらず、いつもマンションのエントランスを出た瞬間か、ちょっと走りながら決めている。今日は東へ進む。夜の都心へ。桜…
目黒川の桜はいよいよ散っていき、風が吹くと花びらが乱舞する。窓越しに、日差しが淡い桃色に反射して、映画のワンシーンを見ているようだ。 先輩が、「この時期になるといつも、自転車の運転が難しい季節になったね、って話を同僚とするの」と教えてくれた。移動で桜並木の道を自転車で走ると、花びらで敷き詰められた路面に車輪が足を取られるためだ。私が勤めている業界は、自転車移動が欠かせない。現場で働いている人はよく、移動中に季節を感じ取るそうだ。とても素敵だと思う。現場の方の感じる「四季の訪れ」をお聞きして回ったら、相当なものになるのではないだろうか?いつか、落ち着いて話をお聞きできる機会が訪れるよう、コロナを…
東京の南部地域では、昼下がりから飛行機を間近に見れる。羽田空港への飛行ルートが変わったのだ。時間帯を限定しつつ、海上から突入するルートに加えて、東京都心上空を横断するルートが採用された。この背景には羽田空港の国際線発着数の増加のねらいと期待、さらにその背景には東京オリンピックとインバウンド需要のねらいと期待があったはずだ。 ルート変更したての頃は、大変驚いた。職場が都内の南部なので、オフィスのエントランスを出ると、よくキーンと音を立てながら低空で飛んでいるのが見える。想像を上回る低空飛行のさまは新鮮だった。よく見えるし、少し怖かった。伊丹空港や福岡空港近くに住んでいる人からすると、これが1日中…
目黒川の桜は散り始め、川面は大量の花弁が浮かんでいた。花筏。 昼休み、いつ使うのか分からない、恐らく緊急時専用の船着場のベンチで腰掛けていると、唸りを上げたモーター音が近付いてくる。バイクかと思うとそれは花見客を乗せたボート。青汁よりも悪そうな色をした目黒川に白い波をほどほどにつけて、ヴーヴー言いながら去っていった。開花宣言から満開までの早さも去ることながら、葉桜に散っていくまでも呆気ない。変な夢を見た後のようなざわつく思いがした。 年度末。退勤するときの挨拶は年度末のそれじゃなかったな、と帰りのエレベーターを待つ間に早速反省会を開いた。エントランスを抜けると生暖かい風が全身をぬめっと這う。こ…
自転車の速度を緩め、高輪ゲートウェイ駅近くのセブンに立ち寄った。ホイップクリームつきのどら焼きを買って食べる。甘くて美味しい。それより口中が痙攣したような痛みさえ感じるほど、身体が甘さを欲していた。糖分がよほど足りていなかった。さっき、私は戸越銀座商店街にいて、写真屋さんにフィルム現像をお願いしていた。それより前は渋谷に、もっと前には新宿にいて、自転車を降りて歩きながら写真を撮っていたのだ。そして今日撮ったフィルム4本を戸越銀座でお出しして、西大井、大崎、品川、と進んでいたところだ。今日、摂取したのはアクエリアスのみだった。どこかで軽く摂らないと、と思ってはいたが、機会を逸していて、先延ばしに…
秋になった。 昼間の気温はやや下がり、あとは湿気が落ち着けば……と思う。 街路樹に風が吹くと、結構な数の枯れ葉が飛んでいくのがわかる。 湿った落ち葉の甘ったるい匂いを感じる。もう秋だ。 早かった。 昨年の秋から、いろいろなことがあった。 11月の祖母の死と、翌週のピアノ発表会当日の父の足の骨折、 そこから端を発した敗血性ショック症状による生命の危機、そして奇跡的な回復。 春先からの新型コロナウイルス感染症騒ぎで、あっという間に季節が回った。とはいえ、この頃はほっと一息できる時間が増えてきた。 父の体調にも安心材料が多く揃い、ウィズコロナへの心づもりもまずまずだ。 1年間頑張った。私も母も、なに…
人の心は寄り添い合い生きていく。 しかし理想にすぎないと、 私たちは密かに嘯いていた。 私たちは、各々の価値観と善悪とすれ違う優しさまたは狂気の全てを、一瞬の表情に混ぜ込ませては、誰かに気付かれるのを恐れながら待っている。美術作品を2メートル先から眺め解釈し納得し、尊い満足を得る者たちが、いつ自分にその眼差しを向けてくるか、慄きながら興奮し待ち望んでいる。 求める水分量の6割に満たない供給量を養分にして、もっと欲しいもっと欲しいとせがみ切ってなおも6割未満の水分を頂戴して自身の身体や心を潤して、1日、2日、3日と命を繋いできた。 まさかこの4ヶ月で、こういった承認欲求の循環がぴたっと止まっては…
自分が今まで当たり前に思っていた生活が、否応なしに変わらざるを得なくなった。自由に外に出られない。人に会うこともできない。ないないだらけの生活だ。茫然と立ち尽くすことになる、と身構えた。ところが蓋を開けてみると、意外な日々が待っていた。そのひとつが、「ひとり」の解釈の変化だ。 今この生活で、私の隣には母親のほかに誰もいない。もちろん、人に会えなくなって、喫茶でお喋りとか、居酒屋で笑ったりとか、そんなことができずに、かれこれ1ヶ月半は経った。たしかに、とても寂しい。でも、意外にも心に毒なものじゃない。あまつさえ、少しあたたかい。 ここには誰もいないのに、はっきりと今、人が隣にいる。こんな相反する…
fiction ; fighting against fuckin' words of love
いけ好かない奴らをまとめて殴りかかり、スカッとしたところで掛け布団が暑いことに気付く。頭の中でザッザと顔でも腹でもパンチしたところで、実害はないかと思いきや、身体中の血流が3倍速したのち逆回転を始めた。夜だ。「ありもしない出来事」というタイトルのARを額にかけ、いけ好かない奴らに殴るか蹴るか、言葉で責め尽くすかしてスカッとしたところでダンボール製の輪っかがじわっと汗ばんでいた。ここは現実であり仮想空間である。何をやったって自由だ。すべてを嘘とすれば、俺は人に殴ったことがなく、その逆も保証されるはずだ。精神の病にかかってから朝も夜もなく乱交に明け暮れたが、さあ果たしてこれが嘘か真か正義か悪か、そ…
まったく大変なことになりましたよ。ひと月前には誰が想像出来たでしょうか。COVID-19がここまで私たちを沈黙させるなんて。マスク越しでさえ咳ひとつ許されないこの雰囲気!会いたい人には、後悔しないため今すぐ会うのをやめよう、と、そんな価値観が共有される時代が訪れるなんて! しかもこの'20年代に、社会が根底からひっくり返りすぎることなんて、戦争以外にあったのですね。センセーショナルすぎて、ポスト・コロナの時代に期待感を抱いてしまうのは不謹慎でしょうか。この状況で、多くのことを知りました。 在宅勤務の素晴らしさに驚いたり、室内からストレスフリーにする大切さを知れました。部屋を掃除するとか、いらな…
「女性が男性を持ち上げる」って、近代からずっと取り入れられてきたけれども、それはもう、生き物として矛盾しているのだと痛感する。凄まじい表現者がいたら、出来るだけいっぱいに表現してもらいたいし、その環境を全力で整えたいって思うでしょう。男性にとっての女性はそんな存在だと、一度知らなくては話が進まない、と思った。男性って女性のためにいるのかも、と思う瞬間がある。ああ、敵わないわ絶対的な負けだわ、って思い知って打ちひしがれて、心地よかったり不気味だったりな電流が走って身体中に力が入らない。もしジェンダーの不均衡だと言われようと、その言葉も伝わらない。圧倒的な無力感なのに、生まれる前から知っていた…
障害者雇用は、雇用主が慈善的な姿勢でいると、すり減っていく。いっぽう雇用された側にとっても"限りある資源を尽くしてくれている"ことも、有り難さの裏返しにしてしんどくなる人は思うより多いだろう。そこに応えられているか不安になったり、自責の念に絡み付いてしまうことも、想像よりも沢山いるだろう。個性を伸ばすにも人的な資源がいるが、"穴の空いたバケツに水を入れる"ないしは"穴の空いたバケツなのに水を入れてくれる"状況を防ぐには、なんらかの利益……還元される実感……がなければ、きっと、遅かれ早かれ、恐ろしい"反動"が加速するかもしれない。 だから、誰もが何度も冷静に立ち止まり考えなければならない。雇用主…
昨日がこれで、今日がこれで、明日はこれ、と見立てる一方で、私は何ひとつ手を出せない。それは自然科学のようで社会学のようで哲学のようで、またそのいずれでもない。自然が緑であること、ひとつの現象が発生したこと、命があり精神があることは、たしかな言語をもって描写されるが、私たちの湧き上がる心象すら、私たちは知る由もない。そういえばあの人は元気にしているかな、と思い出し、返す刀で元気にしている予想をつける。煙は吐くごとに溶け出し青空に希釈する。青空のもとで生き続ける私たちは、おしなべて理由なくここにいる。言語は私たちの脆弱性を照射し、命に温もりを与え続ける。
どうも雨の日は身体にかかる重力が強まるもので、慣れっこになることなく27年もの月日が経った。そんな日の朝の山手線は1人あたりの容量が1.2倍に膨れていて、ドアの隅で圧縮袋の掛け布団みたいにくちゃくちゃになった私は、辛うじて上空を見上げた。柔く握ったティッシュみたいに間延びした雲が果てしなく広がり重なっていた。ふと、これは誰の仕業だろう、と物想いに耽ってみようとも、遅延の煽りを食ったまま、この山手線は自転車よりも遅く進む。 **************** 昨日、雪が降った。雨にしてはフワッと粒立っていて、音もなく落ちていったのを感じるや否や、無性に肌寒く思える鈍感な体温調節の機能だ。寒い、って…
Uターンラッシュ手前の街の匂いから、冬を感じている。父の病院からやや歩くと坂を下った先に早稲田がある。日本有数の学生街も、まばらに落ち着いており、ひっそりとした住宅街の一部になっていた。 チェーンの喫茶が店を閉じるなか、歩く道中に純喫茶を見つけて入る。ストーブで暖められた店内は煤けた煙草の匂いが充満し、扉にかかる結露が湿気を生んでいた。客はまばらで、新聞を読む者、PC作業をする者と、それぞれにひとりの時間を過ごしていた。古めかしい店内には幼少期に感じた祖父母の家の匂いがした。ブレンドコーヒーが甘く苦く、舌先で転がせる温かさが心身を解す。17時をまわったあたりで日は暮れて、純喫茶の暖色蛍光灯が、…
「青春」を遠く眺める場所に身を置いた私は 過去を懐かしむには早いとはいえ もうこの手に「青春」はいないある人がよく泣きよく嘆き哀愁を着た場面に またある人が居合わせただけのひとつの事象から 尊さを贈り合い輝きを与え合う 夢を誰もが見ていたのだ「青春」の効力が切れ始めた時 薄目を開けた視界の先には 絶えず明るい街並みが広がっていたただただ涙を呑み別れを告げる 明るい街のひとりになった **************** essay 青春期は、余りあるエネルギーが万能感と不全感の表裏となり、それらが激しい痛みを伴って自分自身を追い詰める。全ての感情に美しさが与えられることも青春期の特徴であり、多くの…
ひとりの家に花を持ち帰り、 暗い部屋に暖色の灯りがともる。駅前花屋の美しい花の中から、 ひときわ目を引いた花を買った。 牛乳瓶に活けると、ちょうど背の丈が合う。 茎の緑が色濃く発色している。 人間でいう血管に滞りなく栄養が注がれているのだ。今萎みはじめた花弁ひとつひとつに命が注がれ、 やがて再び大輪の花を咲かせるだろう。
カフェインを摂りすぎるのは身体に良くないそうだ。煙草と似たような作用で、やめられなくなるか、やめたあとに禁断症状が起こる。たとえば、震えとか目眩とか。 とはいえ朝に飲むコーヒーは格別なので仕方ない。 職場で、給水機から簡易的に淹れたコーヒーの香りもまた筆舌しがたいので、仕方あるまい。 夕方、仕事終わりの疲れを飛ばすその苦味はプライスレス、仕方ない。 シャキッとしたいときも、なんだか漠然と悲しいときも、ただ単に手持ち無沙汰なときも、どんな状況にもコーヒーはよく似合う。 様になるから飲んでいるわけではないつもりだったが、いや形から入るタイプには良くありがちなことだろう。その時々をコーヒーで様になる…
心の中が散らかったときは、いつも読書をする。 内側に閉じる行為のなかでも「読書」は根本になるのもしれない。 録音していた菊地成孔のラジオを久しぶりに聴いた。たくさんのオンエアからシャッフルで選んだその放送回は、ちょうど海外の音楽ライブで銃乱射事件が起こった直後の「追悼」回だった。放送で彼は、本というものを「自殺的であり他殺的である(が、音楽はその対極にある)」と表現していた。この放送はかつて聴いたことがある。が、この台詞を聴いたのは初めての感覚だった。しっかり聴き取ったというのは、それほど心に捕まるものがあったからだ。 本を読みたいと思うのは、読書する時間だけ、内側に閉じていたいからだ。…
もちろん、仕事中心で。「仕事とプライベートとの両立」は大事だと思い、来年、2020年のプライベートにつきましては、いざ、創作!との標榜でやっていきたいなと思っております。 5月の文学フリマ東京に1年半ぶりの出店し、その翌月には盛岡へ。何をするか?もちろん文学フリマの出店です。これが自分のプライベートということで。サークル名を考えあぐねていましたが、「緑の雨」で出店します。ひとつよしなに。2019、乗り切るぞー!
心が理解するには時間が掛かる。 緊張の糸が張る状況とは、何らかの防衛本能を立ち上げる場面だ。自分にとっての踏み込めない場所は、おそらくは誰にとっても不可侵な領域なのだと思っている。人が亡くなるのは誰にとっても分からない。 とはいえ張り詰めるのも疲れてくる。 今夜布団に入り込み、録音した深夜ラジオを聴いた。ほぼ毎日聴いていたとはいえ、パーソナリティのトークが「人の会話」に思えたのは今夜が久々のこと。心のひだに触れるようなトーク……と言うにはあまりに下ネタが炸裂している。ケラケラ。ベランダに出ると夜風が冷たく感じられた。もう冬は近い。と呟くのはやや牧歌的だった。ほぼ今は冬の夜なのだ。月が冴えてい…
2019/11/14盛岡から戻りました。 祖母を無事送ることができました。 悔いはありません。 盛岡はマスクを外すと空気が澄んでいました。 雫石川を眼下に通夜を行い、 通夜払いでは、久々にお会いした親戚と 岩手の酒「あさびらき」を何本も空けました。そのとき、ある音源を会場に流しました。 数年前に自身の生い立ちを聞いた時のものです。 亡骸のそばに祖母の声、 本当に眠っているように思えました。 今でもそんな思いがするのは、 まさに身体が失くなる前夜だからでしょうか。盛岡の秋は寒く感じます。 翌朝は手足が冷えました。 雨がしとしと降るなか、火葬。 1,000℃を超えて焼かれている想像とともに 窓から…
2019/11/12祖母が亡くなった。昨晩、その報せを受けてなぜか銀杏BOYZを聴いた。滅多にないがスピーカーと一緒に歌う。 明日から盛岡へ。寒いらしい。コートも用意した。思い出すことは数多ある。念のためiPadとキーボードを持っていく。朝、考えごとをしながら鮭を食べたら小骨が喉に刺さり、家中のピンセットを血眼になって探した。どさくさに紛れたように船橋の祖父母に線香をたてた。風邪に治りかけの喉が煙に咽せた。どさくさ祭りの朝だ。父の知人がやっている旅館では、ワンちゃんがいるらしい。撮りたい。一眼レフを職場から持ち帰った。五反田のエスカレーターで鞄ごと落とす。無事。肝を冷やした。案外、こういう時は…
先週から日記をつけている。寝る手前に静かな部屋で分厚い日記にペンを走らせる。朝からの出来事を振り返って順々に現在へ遡上していくと、現在に近付くまでの道のりが遠く感じられた。どこを摘んで書こうか考えながら進み、大きめなイベントには熱を入れ書いていく。振り返りが夕方過ぎたころようやくホッとして、「あとは寝るだけ」みたいな言葉で締めくくる。 友人に貰ったカモミールを飲む。入眠が不得手な自分の夜の習慣になった。このカモミールは不思議なタイプ。ドライフラワー? なんと湿気のない花弁が茶葉になるのだ。青紫の花弁を幾つかカップに入れる。熱湯を注ぐと、カップが青い色でいっぱいに。青紫の花弁からお湯に色が移って…
動悸が強まりながら、情報を集め続けた。河川の氾濫状況、ダムの貯水量、台風の進路。 頭が金切り声を上げる寸前まで、想像し続けた。最悪のシナリオが通り過ぎたあとの東京の光景、目黒川を目の前にある職場、今後の生活。 嵐が去ったあと、窓を数センチ開けた。秋めく褐色の空気がして、台風の恐怖も今この時も、幻の中にいたのかもしれない。しかし生活はどんな時にも常に横たわり、この紛れもない現実を映し出す。遠くの街では水浸しに嘆く傍ら、生まれ育ったこの街に吹く風は叙情そのもの。 ある人を想おう。架空の人でもいい、想像しよう。痛みと悲しみを抱えながら、不意に濡れた落ち葉の香りがひゅっと吹いて、やるせない笑みを浮かべ…
"ちょっとした驚きがあった。驚きとまた、ちょっとした安堵感。facebook並みに放置をしていることでお馴染みのLINEのタイムラインに、せっかくだから何かを書こうと、先日、夜の母校の高校にふらっと立ち寄った話をした。すると、10分もしないうちに、反応が来たのだ。その反応のほとんどが、山吹生の人だった。一緒にあの高校にいた人たちだ。卒業から何年経つかって、もう、4年にもなる。大学を卒業するかどうか、もしくは、社会にいよいよ馴染んでいく頃合いの、それほどの年月を私たちは経験したのだ。そりゃあ、それぞれの4年間があり、それぞれに、様々な書き換えや更新の機会があっただろう。それでも、ちょっとしたとき…
朝霧にかかる灰が 車窓から薄桃色の街を映しだし 煙突から浅緑の煙がのぼる 電波塔から発された電子の粒が やがて雨となり街に降り注ぐ 割れた硝子の一片を拾い上げた 丘の先はまた丘 苺畑を抜け葡萄は香り 辿り着いた白樺の森 私は今もここにいる 枝垂れ柳の葉先を遊ぶ風に 艶やかな光の流線が見えた これは私の信じた光 母の面影 濃霧は緑 電子の雨 絶え間なく香り 絶え間なく知る尖る硝子の冷たさを 打上花火 しなだれた火の粉と 空気中に焦げた煙の匂いが残った 掌に一欠片の硝子
朝霧にかかる灰が 車窓から薄桃色の街を映しだし 煙突から浅緑の煙がのぼる 電波塔から発される電子的粒子が やがて雨となり街に降り注ぐ 割れたガラスの一片を拾い上げ 丘の先はまた丘 辿り着いた白樺の森 私は今もここにいる 掌に一欠片のガラス 枝垂れ柳の葉先を遊ぶ風に 艶やかな光の流線が見えた これは私の信じた光 母の面影 濃霧は緑 電子の雨 絶え間なく香り 絶え間なく知り この街は私でない この煙は私でない この雨は私でない 打上花火 しなだれた火の粉と 空気中に焦げた煙の匂いがした
風が吹く。落ち葉が地面でからからと転がり、草の乾いた匂いを感じた。 この日最後の授業を終え、帰路につく。見上げれば人気はまばらだが教室の灯りはそこかしこに煌々とついていた。11月の冷たい空気が頬にあたる。 東京郊外の新興住宅地は宅地化が鈍く、大学敷地の四方は雑草が生い茂る。近くには小川が流れている。川面は静かに波紋をたゆわせ、通りがかりの風を冷ます。歩くと揺れる錆びた橋を渡ってバイパスへ。売れ残りの目立つ住宅街の一軒ごとに暖色の灯りがにじみ、夕飯の匂いが鼻の頭にかかって消えた。持て余した広大な駐車場から土埃、竹林では葉が擦れてざあざあと道を鳴らす。 バイパスを抜け片側一車線の市道を歩く。等間隔…
午後から雷雨になるらしい。朝から湿度もあり、傘は面倒で、さらには埼京線は遅れている。中高生の新学期の開始とともに、朝の混雑は増した。階段の裏、さらにグリーン券売機の裏のベンチでひっそりと佇む女子高生を見かけた。車内では、黙々とスマホゲームに興じる男子高生もいた。シャッフルのウォークマンはORANGE RANGEの上海ハニーからリストの溜息に流れた。かなり攻めた選曲。木々が色をつけ始めた。日々、溜息が映える風景へと変わっていく。朝の風は涼しい。10本もの水色の線に紛れ込まれたカーキ色の1本の線が、ホーム上を駆け抜ける。
おはようございます。 みなさんお目覚めはいかがでしょうか。 働きはじめて5ヶ月目に入りました。 慣れないことばかり、知らないことばかりではありますが、できるところから慣れていき、少しずつ学んでいる毎日です。知らないものを得ていくのは、楽しいことです。知的好奇心がくすぐられる喜びって、きっと何より勝る贅沢なのだと思います。そこに関しては、働いてからようやく知りました。学生の頃に得られなかったのは、皮肉なものですね。おしなべてそんなものでしょうか。 先日、高校のこと、大学のことを振り返る機会がありました。およそ10年間の日々をゆっくりと。あの日々は、まるで別の人を見ているかのように遠い記憶にあり、…
リキュール。海外旅行から帰ってきた母のお土産だ。牛乳と併せて飲むと美味しいらしい。ココナッツミルクの風味でいて、とろんとした心地になるのだそう。最近はそういったアルコールを選ぶことはなくなったから、いい機会だと思った。 かつては、カルアミルクもよく飲んだ。岡村靖幸の同名のヒット曲も聴いて、そこはかとなく香る甘味が感傷を誘った。のめり込んだ。夢中だ。酒の全てがここにある、と威勢よく思い込んだ。しかし、ある真夜中にひとり台所で、ステンレスの味気なさと一緒に瓶をあけたとき、銀色の冷たい感じが相当堪えて、とろんとしてからすぐに冷めた。カルアミルクやカクテルをよく飲んでいたころは、「甘い飲み物なのに気軽…
お久しぶりです。長々と更新が途絶えてしまいましたね。書く習慣がすっかり消えかかっていました。すらすらとした文章を書けるまで、ぽつぽつと文章を書いていきますね。今回は、ライトな感じでいきましょう。 さて、今回はタイトルの通りです。ありがとうございます、Sonyのαシリーズから、α7ⅲを買いました!ありがとう!はじめてのSony。はじめてのフルサイズ。はじめてのミラーレス。なにもかもが初めて尽くしのカメラを手に取りつつ、撮るのが楽しくて仕方ないです。 珈琲伯爵 池袋東口店 まず、Sonyのαが出す色味の心地よさったら!この色味、フィルムの風味に似ています。例えば、夕暮れを見たときの弛緩と気だるさの…
よだかの星を食べました。 ……との書き出しがいかにクサくてイタいかはよくわかりますが、これは表現描写のものでなくて、実際に口に運んだのだから仕方がない。 ぴんときた方もいらっしゃるだろう。『よだかの星』とは、宮沢賢治の短編名だ。岩手に生まれ、愛を渇望し、そして布教に殉じた宮沢賢治の遺した作品のひとつにして、金字塔。一等星。祈りの愛。というか愛。誰も可愛くないのになんだか愛。作品中、主人公に向けられるものが誰にとっても愛ではないのに、読後感はまたひとつ性善説に賭けたい気になるから宮沢賢治は神。いくらでも褒められる。というか褒めているうちに1年を終えたい。 何か、くじけそうになった時、自分自身で大…
柄にもないことを言うようだけれど、悩みや落ち込みがぐんと減ったんだ。1日中沈殿した心地で朝から晩までの日の流れを、対岸越しに見つめている。そういったライフワークさえちょっとした遠くの昔に感じてきた。しっかり苦悩している奴だけに信頼感を抱いていたのに、苦悩にも種類があることを知ってからは、ただ落ちていくだけにもがくことも、少し気恥しくなってしまう。自転車余裕で漕げる子どもがそれ以前のこけまくって膝をすり減って泣きわめいていた、アレが子どものより一段前の姿なんだな、と幼いながらに悟る、その感じ。 賢く悩むって思いの外楽しくて、くよくよする自分を俯瞰して見てみると滑稽で茶化したくなる。本当にずん、と…
">蚊を瞬殺した。直後、指先に痒みが。遅かった。 "> 日に焼けた営業さんを見て、すごく格好いいと思った。でも事務をしている私が日に焼けたところで、社内でネタにもうまくできない気がした。入力作業の効率を上げながらそう思った。 昨日の残りで弁当をつくった。昼ごはん代が浮いた。よく噛んで味わう。 家からマイマグカップを持参したが、退勤前に洗うのが面倒。Suicaのペンギンマグカップ。明日は使う。 自分の虚しさや惨めさは消えない。だから仕事があってよかったと思う。 帰り際、目黒川に反射する夕日がよかった。
より多くの毒にはより多くの毒を持って制する図式に基づき、私たち平成世代のメインカルチャーはカジュアルなハードセックスへの傾倒を進めているが、それは愛の話題ではない。 現在の私たちは、体内への毒の供給量がゾーンに入った狂い方をしているために、解毒するだけで一日を終える。ツイッターが廃れないのは、いつまでも訳もわからず毒を所望している私たちがいるからだ。これは確信に近い。というかフツーにそう思うだろ? 毒が体内に回っていれば不憫に立ち回れるから、進歩やら未来やらに目を向けなくていい。不憫に立ち回るうちは風邪の子供を看病するママがどこからともなく現れる。私たちは、本当はそれをよく知っている。熱さまシ…
傘を持たず家を出て、行きの電車で雨が降り始めた。午前9時すぎの電車は急に本数が減るが、乗客の減り具合と釣り合わない。山手線渋谷品川方面行き。無理にでも乗り込み、ドアにへばりつく。高田馬場に着くと、さらに混んできた。早稲田大学の学生をしている友人は、高田馬場が好きでない、と言っていた。私もよくわかる。高田馬場には慣れない。新宿から池袋までのひと駅でも、埼京線を使う。 新宿で多くの乗客が吐き出された。その勢いに押され、私もホームに出たものの、車内に戻る気になれなかった。雨は止む気配がない。梅雨のような静かな雨は長い。 湘南新宿ラインのホームへ。座れた。動悸が落ち着くや否や、眠気が襲う。目がさめると…
おそろしく東京は暖かくなり、追いつけない身体が置き去りになったまま。春に気付きだしたころにはその季節は折り返しを過ぎている。花粉に喘ぎながら見る桜。こいつ、知らないうちに咲きやがった。見事な姿。美しい。どうしたって浮ついている。下から望むほどに、季節も街も勝手に淡々しく染まっていくのを、冷えた身体が眺める構図。 内定を頂いた。就職活動を本格的にはじめてから早半年。思いがけず、目の前にポンと現れた「内定」の2文字。言う分にはタダだから「ほしいなあ~」とは何遍も口にしたものの、いざ自分が得るのだと思うと、呆然としてしまった。内定って、どういう意味だっけ? とかなんとか実感を伴わずも、有難く頂戴する…
「マンデリンがお好きと伺いましたから」と喫茶の店主が話しかけてきた。 エプロン姿の彼の右手にはコーヒー豆の袋が。100グラム何百円で売られている、持ち帰り用のものだ。「これ、どうぞ」と差し出された手が温かい。 「え、いいんですか」と遠慮がちに返事したものの、心の中では浮足立った。マンデリンはいい味がする代わりに、値が高い。よくそれをちらちらと見つつも、いつもブレンドを無難に購入する私のことを、よく見てくれていたのだろうか。 おずおずと受け取ったものの、そこからは演技もなく、意気揚々と残りのコーヒーをすすり、早々に店を出た。 しかし豆かあ。豆だったかあ。あとで気がついたが、私の家にコーヒーミルは…
桜並木になる予定の枯れた木々が互いの枝をぱしぱしと痛めつけている冬の道を歩いている。生きるそのものが楽しいこと、悲しいこと、の二極でことが進むようにしか思えなくて、あそこに綿のような花が咲き誇った頃には悲しみの表情で見上げていそう。 桜の咲くのを眺めていることに楽しさが感じられず、いつも心の奥底で、畏怖に近い肌寒さを抱いている。それでも桜はあまりに見事に咲き誇る。毎年同じ美しさに、美しいものがただ単にそれだけならば、人は見上げることなく宴会だって開かない。美しさは悍ましいものなのだ。優しさだって悍ましい。心の内にある黒さを上手に外気に触れさす美的感覚の長けたそれを、人は「美しい」と形容するのだ…
風。窓を無造作に打ち付ける音で目が覚めた。外はまだ暗い朝。カーテン越しの空は紺から燃えだす直前のよう。今日は強風に荒れるのだろう。春一番って、いつのことだっけ。そもそも、そんな言葉は古来からあるわけでなくて、昭和歌謡がヒットしてから浸透したみたい。スイートピーだって、松本隆の手にかかれば店先が赤色の新種でいっぱいになるものだ。春一番が吹くのはいつだろう。白いスイートピーを見たことがない平成生まれが、乱暴な風に叩き起こされました。 ****** ふたたび目が覚めたころには朝ラッシュが過ぎた平穏な頃合い。まるで台風一過。1ミリも動いていないカーテンから覗かせる空は高く澄んでいて、昼の帳が開き始めて…
ビー玉。触れる機会の少なかった私は、体つきばっかり大人になった今でさえ、ほら、ビー玉を見るとときめいてしまう。手に取ると思ったよりずっしりと重みを感じ、貴重な生きものに触れている気になった。ガラスがうっとりするほど純に輝いていて、このビー玉の尊さに敵う円状の物なんて、きっとこの世には存在しないだろう。……と、すぐに散らかったビー玉を箱に詰め、ある親御さんからお守りを任された赤ん坊の、その涎がたらんとする口にティッシュを宛がった。体つきばっかり大人になった私は、分別さえつかない子どもだが、ビー玉にうきうきできる年ごろでもないことくらい、分かっているのだ。 ****** ビー玉に反射する檸檬色の太…
安くて居心地のよい喫茶。日本津々浦々に繁殖する休息の旗手。といえばドトールのことである。ところでみなさんは、ドトールカードをお持ちですか。そのまえに、ドトールに通っておりますか。そもそも、ドトールを知っておりますか。私は昨年秋まで、ドトールに通ったことがあるのは、指をひとつ、ふたつ、折るくらいのものだった。ひとつ、ふたつ、で事足りる回数というのは、つまり私に喫茶の場は必要なかったのだ。喫茶がなくても生活は回っていた、というよりは、喫茶を必要とするほど、生活のコマは回りはじめてもいなかったのかもしれない。 そんな私も、今やドトールの会員だ。ポイントもじゃんじゃか稼いで、あと1,000円で、来年度…
傲慢さを感じている。外は雨が降っているから、気温が急に乱高下をはじめたから、いろんな予定が区切りのついたから、そもそも、夜だから……。さまざまな言い訳は思いつく。だから私は違うんだ、と、今すぐにでも口にする準備はできている。ただ、また一度考えてみる。夜でない時に、予定が立て込んでいるなか、穏やかな気候のなかで、私は傲慢でない、といえるだろうか。胸に迫りいる。突きつけられている。駅前ははカラフルな傘の交差が繰り返されていて、その粒子に飛び込めば、私もまた傘のひとつにはなるだろう。でも、それでいいのかい。 ****** 目が痒くってきた頃には、春が近い。時すでに遅し、花粉が飛来する。目をこすり、い…
コンタクトレンズをつけることのいちばんの利点は、メガネをかけずに済むことだ。そりゃあそうだ、というはなしなのだけれど、メガネをかけずに済むならば、それはたいへん嬉しいことだ。メガネの重さは侮れない。結構、顔から肩にはじまって、凝りが全身に回っていく。メガネは身体が凝りやすい。コンタクトレンズのよいところはそこと、マスクをかけても視界が曇らないところ。唯一の欠点は、終いがないほど高価なこと。嗜好品みたいな気持ちになって、どうしてもメガネをかける日が多い。肩凝りよりもお金が大事。お金よりも肩凝りの方が好き。 ***** 交差点の横断歩道、青信号の点滅の回数とか、よく見たことがありますか。私はしきり…
冬が寒いものだと、あらためて感じ入る季節になった。東京の冬は一面的かといえば、実のところは違う。1月までの乾いた冬と、2月からの湿気った冬。この街は季節が巡るうちに忘れてしまい、冬が来るたび感覚を取り戻すのがいつものことで、そこでしか生活していない私も含めて、ああ、そうだったなあ、なんて呆けた顔で思いだす。 この頃は雪のちらつくようになった。粉砂糖を振り落とす細かい雪が静かに落ちる。この冬は積雪の心配もなさそう。しかし粉雪はゆらゆらと落ちていく。拍子抜けするほどのどかにやっていて、心が解ける思いがした。もう湿気った冬になった。 さっきまでクリスマスのことをしきりに考えていたのに、いつのまにかバ…
夏に降る雪があるなんて昔話をきみは信じるだろうか? 僕が大人になったころ、テレビの気象予報士は「不思議なことです」と、台本通りにコメントしながらも、昂奮しているのは語気の強さでよくわかった。でも、大人のなかで昂奮した人は、少ないだろう。僕も憂鬱だった。なにせ、その日は僕の誕生日だったのだ。タンスの奥からダウンを引っ張り出して、最後に来たのがクリスマスだったな、と、さらに苦く思った。 僕の好きだった人は、クリスマスに亡くなった。駆けつけたときには、病床で静かに固まっていて、これが人の消えることか、と、それだけ、思った。あのとき、死ぬのにふさわしいのは、僕のほうだった。窓に粉雪が舞っているのを、た…
氷の結晶の角ばったように雨が地面を打った。晴れてばかりの東京都内、雨音を聞くのは久々のことだ。喜びも悲しみもしなかったが、吐いて吸う空気の違いが緊張を解した。 帰る家があるようなないような。自宅が自宅でない精神状態のときは、もしかしたら、もっとほかの家や、街や、海や森のなかに、私の帰る場所があるのかもしれない。自宅はひとつでなくていいし、自宅は宿住まいの気持ちでいいのかな、と思いながら傘をさした。小雨の尖った音がする。ふだん、東西南北の方角を意識しながら歩いている。こういう瞬間のためである。 咳をするようになった。喫茶に入る。冬らしくなってしまった。 振り返る夏の日はサイダーの弾ける香り。まだ…
中野駅の高架下を歩くとホームのアナウンスがよく聞こえて、橙色の照明ばかりの道路が強い色に思えて、ふと冬だと思った。今日はひときわ冷たい風が身体中に当たり、眼鏡もカチカチに凍った風体でいて、ようやく私は12月にいるのだ、と気付いた。 クリスマスソングはもしかすると先月から延々と流れていたのかもしれないが、今年初めて耳にした気がした。生温い外気のなか、静かなのかナチュラルハイなのか決めあぐねた音楽を聴いても、さほど、認知すらできない。誰のためのクリスマスか、なんて言説以前のレベルで、街中が冷えてきてからようやく、あ、クリスマスだ、私はクリスマスの中にいるんだ、とひしひしと感じられた。 中野丸井の2…
伏し目がちに生活をしていた。私が普段生活をしていて、よく置いている視線の角度は、水平からやや斜め下。ひとりで過ごしているときはさして支障はないかもしれない。が、人と会話しているときにも、数往復のやり取りを終えると、テーブルに置かれたコップあたりを眺めていて、我ながら、やや暗い。ひと息つくつもりが、それ以上に、話す気力と心がけが薄まっていく。 下向きになった生活に慣れていると、「楽しさ」「心地のよさ」もまた、曖昧になって虚に溶けていく感覚がある。怖いことだ。新聞の記事で読んだが、目線を水平以上に置くだけで、下がり気味の気分から離れることができるらしい。まさかあ。やや鼻で笑いながらも、騙された気に…
1か月以上、書けていなかった。 このブログの文章を書くにあたっては、率直に、「書きたい」との意欲のほか、きっかけを作っていない。そのため、意欲如何では毎日のように更新することもあれば、最近のように、しばらく沈黙することもある。 正直、今も「書きたい」気にはならず、できる事なら、文章を作ることも、完成することも、どこかに明かすことも、心地よさがなく気が向かない。自分の心の内にある苦くて薄暗い感情が、1枚ごとに握りつぶされた原稿用紙のようにそこいらに転がっていて、そんな腕力でねじ伏せた痕なんて、見向きもしたくない。 が、そんなことは、もう、言っていられない。というか、言いたくない。苦くて薄暗い感情…
明日は旅行の初日。といっても、出国は夕方過ぎになるため、日中は荷造りの最後の確認でもしつつ、体力を温存して過ごす予定だ。 出国、と書いたように、この旅行は国内ではなく、海外に飛び出してのものだ。久しぶりの海外旅行。母方の親族の計画にお邪魔したかたちだ。最後の海外は、およそ10年以上も前のこと。それほど前のことになると、出国手続きの作法から外国の空気の吸い方まで、すっかり忘れてしまった。少しは調べた方がいいな、とネットで調べてみたものの、いまいち、実感として感じなければ難しいものもあるかもしれない。なるほどかなり緊張するな。おそらく大丈夫だと思うが、ひとしきり緊張はするものだな。 と、不安はそこ…
雷の音は私を昂奮させた。わざわざ強調することはないのだが、兎にも角にも、落雷の衝撃は私をひどく昂奮させた。何かの性癖なのだと思うが、何かを荒らす存在があると、安定を揺るがす何かがあると、私はいてもたってもいられなくなり、突き抜けた快感と、高揚、そして強い昂奮のうちにグルグルと堕ちていくのだ。ただ、それにも例外があり、そのたったひとつの例外が、人間そのもの。勿体ないなあ、最も遭遇確率の高いパターンが苦手だなんて、ツイてないなあ、と思うのだが…。ということで、人間以外の、安定を揺るがす存在に、私は何か惹かれるものや、期待を抱く性癖…いや、習性があるのだ。 今日の落雷は、とてもよかった。すごくよかっ…
眠気が強い日だった。 日曜日。多くの人々が、何もしない日。もしくは、遊び耽る日。なんだか安心だ。こういう日は、何もしなくても、遊び耽っても、とがめられることのなく、胸を張ったっていいのだ。 私は、かれこれ1年以上、求職と療養とを行ったり来たりの生活を送っているが、そんな日々の中にいるならば、たとえ何もせずとも、遊びまくろうと、それは何曜日だってよくなってくるものだろう、と想像していた。 でも、現状は違うのだ。月曜日から金曜日の、いわゆる「平日」を、強く強く意識してしまう。目障りなのか惹かれるのか、月~金のうちに何もしない、または遊んだり休ませようとすると、どうしてもうす暗く重たいものが、肩にの…
「ブログリーダー」を活用して、ささらさんをフォローしませんか?