皆様、お久しぶりです。だだでございます。なんかとか生きて暮らしています。いろんなことがあって。いろんな気持ちになって。私は文章を書くことをやめてしまいました。今はなんとか、なんとか文字をつないでいるけれど、ともするとこんな短い言葉たちえでさ
母は要介護4、父は要介護2、妹は重度障害者。シングル在宅介護をしながらも、私の仕事は介護士で、職場は訪問介護とデイサービス。寝ても覚めても介護な人生。家族と事業所、どっちのキモチも分かってしまう板挟み。なにはともあれ楽しくやるよー!
「在宅介護しながら自分の人生を生きる」を目標にするブログです。 本業は介護士、ときどき作家。2018年、たかはたゆきこの名前で「おでかけは最高のリハビリ! 要介護5の母とウィーンを旅する 」(雷鳥社)を出版。第4回斎藤茂太賞受賞。
私は死ぬほど猫が好きだ。でも高齢になったら、新たに猫を飼ってはいけないと思う。ほかに家族がいる人はいい。だれか若い人と同居ならいいんだ。でも私みたいな独身者や、高齢者のみの世帯で犬猫を飼うのはあまりに厳しい。私はヘルパー経験はまだ浅いが、そ
「親孝行なんか、どうかと思うで」・・・これは92才のおばあちゃんの言葉である。「世間様はな『親孝行せえ』って言うやろ。そやけど私は、そんなええもんと違うと思う。私は長いこと親の面倒みてきた。今みたいにええ時代とちゃうで。ヘルパーさんなんてな
気候がよくなったので、昨日は朝から散歩にでかけた。近くの公園にはもう飽きたから、河原まで足を・・・杖と車椅子を伸ばす。コロナ自粛のおかげでオヤジの足は弱る一方だ。私たちの後ろをえっちらおっちら歩いてくるものの、スピードがずいぶん落ちた。ほん
母は干支はイノシシだ。昔からよく自分自身のことを「猪突猛進!」と言っていた。それは今でも変わらずで、いつでも前しか見ていない。「昔は良かった」なんて口が裂けても言わないし、懐メロも聞かない。毎日ワイドショーを見て最新のドラマを見て、新しい映
高齢の人たちに昔の話を聞いていると、「そういう運命だった」という言葉がよく出てくる。戦争に行った方が「普通ならとっくに死んでるはずだったが、どういうわけか生き延びた。そういう運命だった」と言うように。この運命の意味は運命論とかじゃなくて、「
若年認知症のAさん。私の勤めるデイの利用者さんの中では一番若いけど、一番症状が重いAさん。病気のせいでだんだん、できないことが増えてくる。家族のことを忘れ。自分のことを忘れ。お箸の持ち方やトイレの使い方を忘れ。言葉も忘れてしまって、ほとんど
職場のデイサービスに寄ったら、ちょうどおやつの時間だった。「あんたも食べていきー!」「おいでおいでー!」利用者さんたちに招かれて、私もおこぼれに預かった。フルーツ白玉あんみつ♪「おいしいなあ、おいしいなあ。こんなおいしいの食べさせてもらえる
ちょっとしたモノを買いにダイソーへ行った。ちょっとしたモノを買いに来ただけなのに、ついついたくさん買ってしまう。近頃の百均はおもしろいモノをいっぱい売っているから仕方がない。今はハロウィングッズが並んでいる。母はあの年齢にしては珍しくハロウ
母の介護のなかで何が一番めんどくさいって、水分補給がめんどくさい。嚥下の問題もあるのだろう。なかなかゴクンと飲み込めない。へたをするとコップ1杯のお茶を飲むのに1時間もかかる。時間もかかるし手もかかる。なにより気力が必要なのだ。それで、なん
「年をとって生きていくのは本当に大変なのよ」とある高齢の奥様が言った。「だってどんなに年をとっても、毎日ご飯の用意をしなくちゃいけないんだから!」痛む脚や曲がった腰をかかえて台所に立つのは大変なことだ。火から目を離せないし、鍋も洗わなくちゃ
『今昔ものがたり』の企画のため、利用者さんのお宅へ昔話を聴きとりにいった。日曜だというのに上司も一緒にきてくれた。「これはまあ趣味みたいなもんだから!」と言って。趣味というなら、それこそ私の趣味みたいな企画なので申し訳ない。どうしてもやりた
世の中はシルバーウィークの4連休に入ったようだ。GOTOトラベルでお得だとか、来月からはGOTOイートが始まるとか、テレビはのんきなことを言っている。けれど私たち介護職にはまったく関係なくて。今日も仕事のあとで感染防止の研修会を受けていた。
先日、市からチャレンジャーズ・アワードという賞をいただいたのだが、それがいろいろな人にバレていて、上司やら利用者さんやらに「広報に載ってたな~」と声をかけていただいた。嬉しかったのは、久しぶりの友人知人からメッセージをもらったことだ。前の職
とくに原因となるケガや病気がなくても、じっと動かないでいると筋肉が衰えてしまう。入院をきっかけに足腰が弱ってしまうことが多いが、たとえ元気な人でも、家でゴロゴロと寝っころがってテレビばかり見ていると、脚が衰えて歩けなくなってしまう。これを廃
私は猫好きだけど猫アレルギーをもっている。油断するとひどい喘息もでるし、アトピーが爆発して蕁麻疹になり、顔がボロボロになる。そのため動物と暮らすことは子供の頃からドクターストップがかかっている。「それなのに猫飼ってるの!?」信じられない、と
オヤジはよくトイレを失敗する。いや、リハパンをはいているので、粗相は大丈夫なんだけど。トイレの使い方を失敗するのだ。便座を上げずにやっちゃうから、母が使おうとしたらいつも便座がびしょぬれだ。ついでに床もびしょぬれで、水たまりができていること
46歳の私が若者に混じって「チャレンジャーズアワード」を頂いたことで、ちょっと考えた。・・・チャレンジかあ、と。私は飽き性だから、じきに新しいことを始めたくなる。それをチャレンジ精神と呼ぶならば、私にはまだ、チャレンジしたいことがある。野望
腎臓病でなかなかゴハンが食べられないサンジに、動物病院の看護師さんが「ぜんぶ持って帰って!」キャットフードの試供品を山ほどくれた。「ひとつくらい口に合うものがあるかもしれないから!」ありがたく頂いて、帰宅後さっそくサンジに食べさせてみるが・
夏に始めた「さわやか今昔ものがたり」の企画はまだまだ続いている。利用者さんの子供の頃の話や戦争中の話を聞き取り、文章化して残していこうという取り組みだ。関西人だからオモロイ話も多いのだけど、「やっぱり書かんといて」と言われる方も多い。プライ
先日、妹・U子の誕生日だった。施設入所中の妹だ。コロナのせいで長いこと顔を見ることができないでいる。せめてプレゼントくらいは贈ろうと、母が服などを買い、施設に郵送した。そうしたら、施設から電話がかかってきた。最初は職員さんが話してたんだけど
猫のサンジがご飯を食べなくなった。少し食欲がおちてるなあとは思ってたけど、昨日まではわりと元気で、キャットタワーまで駆け上っていたのに。今朝はもうなんにも食べない。水も飲まない。「どうしたサンジ!」どうしたもこうしたも。4年前から腎臓病なの
母の退院から一週間が過ぎた。だが、なかなか元には戻らない。体力も筋力も食欲も、衰えたままだ。なにより気力に乏しい。USJには行きたがるけど、それ以外は全然ダメ。本さえあまり読まないで「なーんもしたくなーい」と、ただただベッドで寝ていたがる。
利用者さんのおお宅のテーブルに、絵本が広げてあった。新美南吉の『でんでんむしのかなしみ』という絵本だ。「読んでみい」と言われる。1匹のでんでん虫が「ぼくの殻には悲しみが詰まっている」と気がついた。重たい悲しみに押しつぶされそうになるが、友だ
訪問美容に来てもらった。美容師さんに家まで来てもらうサービスだ。ワタボウシタマリンみたいに伸び放題だった母の髪をなんとかしてもらおう!3ヶ月ぶりの美容師さんは、「今回は新兵器をお持ちしました!」意気揚々とあらわれた。「移動式シャンプー台『ル
夜、私は母の隣の簡易ベッドで寝ている。母はおとなしい人だから、そんなに起こされることはないのだけれど・・・午前1時。ふと目が覚めた。声や物音というより気配で気がついた。今の今までぐうぐう寝ていた母が・・・えづいている!「ちょ、ちょっと待って
母のいない2週間は、私の身体にとって7年ぶりの休息だった。「トイレ介助のない生活ってこんなに楽なの!?」と、びっくりするほど楽ちんだった。それで気づいた。気づいてしまった。この7年間、自分がどんなに介護に縛られていたのかを。テレビだって好き
金曜の朝。私たち家族はみんなそれぞれ違うデイサービスに向かう。8:30 私は職場であるデイサービスAへ8:45 母はデイサービスBへ9:55 オヤジがデイサービスCへ母とオヤジは、それぞれのデイのバスがお迎えに来てくれる。私は仕事なので、オ
昨日、退院してきた母。退院してきたばっかりだけどデイサービスに行ってもらう。入院中は清拭だけで、お風呂に入れなかったから。母によれば、入院中、トイレは一度も使わせてもらえなかったらしい。介助が大変すぎるからだろう。「ずっと紙オムツだったよ!
母が退院するため、朝から病院へ迎えにいく。たまたま仕事が休みの日で助かった。精算など手続きをすませ、さあ連れて帰ろうと思ったら「お着替えをさせていただきますので、デイルームでお待ちください」といわれた。通常なら、着替えなど退院の支度は家族が
接客業をやってた若い頃、職場の先輩がこう教えてくれた。「お客さんがボケたらすかさずツッコんであげるんやで」関西文化において、相手のボケをスルーするのはマナー違反というわけだ。ところがだ。今の職場はまったく逆!ツッコミ禁止。あくまでも、優しく
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皆様、お久しぶりです。だだでございます。なんかとか生きて暮らしています。いろんなことがあって。いろんな気持ちになって。私は文章を書くことをやめてしまいました。今はなんとか、なんとか文字をつないでいるけれど、ともするとこんな短い言葉たちえでさ
退院してきたオヤジがある日突然、覚醒し、しゃべり始めたのは1月半ばのことだった。あう、うう、とうなるばかりで言葉がでてこなかったのに、ある朝「今夜はハリーポッターを見よう」とか言うんだから驚いた。いつも喋れるわけではないし、すらすらとはいか
オヤジがそこらへんにオシッコをまき散らすようになり「話が違うー!無理ー!」とケアマネさんに泣きついたその夜。オヤジはまた転倒をした。ケガはなかったが、とっさに縋った手すりが壊れるありさまだった。そのあと、私はまじめに話てきかせた。周囲からは
退院に際し、病院からの報告では「柔らかいものしか食べられない」「ほぼ歩けない」「活力、気力の低下がみられる」と言われていたオヤジ。退院してからの3日間で・・・大方の予想どおり、めちゃくちゃ元気になっていった。だって、家には孫たちがいるんだも
病院からは「もう少し入院されたほうが」「このまま施設入所はどうか」とすすめられたが、ぜんぶ断って帰宅した。理由は、孫に会わせてやりたかったから。小学4年生の龍と、高校生になった梅(もう一人の椿は今回来日しなかった)。オーストラリアで暮らす孫
前回の記事からまた数か月あいてしまった。現在、オヤジは退院して両親ともに在宅介護となった。相変わらずいろんなことがある。相変わらずバタバタしている。気が向いたときに少しずつ書いていこうと思う。------------------------
退院から20日。母は元気だ。絶好調といっても良い。薬こそ続けているものの、喘息なんて本当にあったのかと思うくらい元気。「酸素ボンベつけて帰宅」とか言われていたのが夢だったのかなくらいに元気。毎日のようにCMに乗せられて「ほら、『人生にもっと
「筋力低下で立位がとれません。在宅介護は厳しいでしょう」と言われたのに「私ならできます!」と言い切って母を退院させることに決めたけれど。私はちょとドキドキしていた。先週、病院ではちゃんと介助できたけど、あれはきっと、すごく調子がよかったから
「在宅介護は厳しいでしょう」気管支炎で入院した母。転院をくりかえし「あと1、2週間で退院できそう」というところまできた。呼吸も落ち着き、酸素ボンベももう要らない。いよいよ退院して元の生活に戻れる!と、思いきや。「正直、厳しいと思います」と言
7月に脳梗塞を起こすも「風邪じゃないですか」と処置されず、救急でようやく入院させてもらったオヤジ。8月に気管支炎となるも入院させてもらえず、悪化してようやく入院できた母。・・・やれやれ。私は過労で熱なんか出してしまった。それでも入院させたら
母は風邪をこじらせて気管支炎となり、紆余曲折の末ようやく入院することができた。そこは7月からオヤジが入院している市民病院。「夫婦2人で同じ病院だ!」と私は喜んだ。「通う手間が省ける!」入院したって放ったらかしにはできない。オムツなどの消耗品
療養型病院(1回目)在宅医の紹介をもって救急にいったのに「これくらいじゃ入院させられない」と帰宅させられた母。翌朝になっても状態は芳しくなかった。まったく飲み食いできないし、息も苦しそうだ。血中酸素飽和濃度は90を切っている。・・・本当はも
母が入院しました。経過とご報告です。長くなるんで分けます。風邪前回、私が風邪をひいて熱を出した話を書いた。39度くらいの熱が1週間ほど続き、ようやく引いてきたと思ったら・・・母に風邪がうつった。まあ、そりゃ、うつるよね。移乗も排泄も食事介助
熱が出た。火曜の夜のことだ。ちょっと喉が痛いな、程度だったのが夜遅くなって突然、関節が痛くなって、気が付いたら高熱だった。「これは、アカンやつや!」とうとうコロナが来てしまったのか。もちろんこういう仕事をしているので5類だろうが酷暑だろうが
水頭症の手術から2週間近くがたつ。手術によってオヤジはどうなったのか?少しでもよくなったのか?気になるところだが全然わからない。だって、ぜんぜん面会できていないからだ。術後すぐに「病棟でコロナがでました。面会は完全禁止です」となり、私はただ
オヤジが手術を受けることに決めたはいいが、さあ、大変だ。なにしろ手術は「明後日です」ときたもんだ。「ご家族さん、明日と明後日は病院に詰めてください」2日間、体をあけなくてはいけない!申し訳ないけど仕事は休む。母はデイサービス・ヘルパーさん・
脳梗塞で入院したら、なんと水頭症が発覚したオヤジ。根性なしのオヤジがリハビリをするとは思えなかったため「手術は受けない」と決めたのだが…。●オヤジの決意担当医と話した翌日。私は仕事でイベントに出席していたが、自分の講演だけ終わらせるとそのま
●手術をするかどうか「さて本題ですが」病院食をさんざんディスったあと、担当医はMRIの画像を見せながら話を切り替えた。「お父さんの脳の隙間、異常に大きいんですよ。これ水痘症ですね」・・・あ。水痘症。「脳に髄液がたまる水痘症で、失禁、歩行障害
オヤジが脳梗塞を発症して約1ヶ月がたつ。入院先の病院からは何の連絡もなくちょっとやきもきしていたところ、入院3週間でようやく進展があった。長いので分けて投稿していく。病院の待ち時間にポメラで書いて投稿しているため読みにくかったらすみません。
脳梗塞で入院したオヤジ。面会は午後2時~4時の2時間だけと制限されているから、仕事のある日は行けないが、休日には顔を見ることができる。いつもベッドで横になっていて、体位変換用のクッションが当てられ、自力で起き上がることもできないのは見てとれ
退院してきたオヤジがある日突然、覚醒し、しゃべり始めたのは1月半ばのことだった。あう、うう、とうなるばかりで言葉がでてこなかったのに、ある朝「今夜はハリーポッターを見よう」とか言うんだから驚いた。いつも喋れるわけではないし、すらすらとはいか
オヤジがそこらへんにオシッコをまき散らすようになり「話が違うー!無理ー!」とケアマネさんに泣きついたその夜。オヤジはまた転倒をした。ケガはなかったが、とっさに縋った手すりが壊れるありさまだった。そのあと、私はまじめに話てきかせた。周囲からは
退院に際し、病院からの報告では「柔らかいものしか食べられない」「ほぼ歩けない」「活力、気力の低下がみられる」と言われていたオヤジ。退院してからの3日間で・・・大方の予想どおり、めちゃくちゃ元気になっていった。だって、家には孫たちがいるんだも
病院からは「もう少し入院されたほうが」「このまま施設入所はどうか」とすすめられたが、ぜんぶ断って帰宅した。理由は、孫に会わせてやりたかったから。小学4年生の龍と、高校生になった梅(もう一人の椿は今回来日しなかった)。オーストラリアで暮らす孫
前回の記事からまた数か月あいてしまった。現在、オヤジは退院して両親ともに在宅介護となった。相変わらずいろんなことがある。相変わらずバタバタしている。気が向いたときに少しずつ書いていこうと思う。------------------------